百瀬 智之(ももせ ともゆき、1983年2月4日 - )は、… 百瀬 智之(ももせ ともゆき、1983年2月4日 - )は、日本の政治家、行政書士。長野県議会議員(1期)。元衆議院議員(1期)。
長野県松本深志高等学校:33人
百瀬 智之(ももせ ともゆき、1983年2月4日 - )は、… 百瀬 智之(ももせ ともゆき、1983年2月4日 - )は、日本の政治家、行政書士。長野県議会議員(1期)。元衆議院議員(1期)。
臥雲 義尚(がうん よしなお、1963年〈昭和38年〉4月2… 臥雲 義尚(がうん よしなお、1963年〈昭和38年〉4月21日 - )は、日本の政治家。長野県松本市長(2期)。元NHK解説委員、報道局遊軍プロジェクト長(兼務)。 長野県松本市中央出身。松本市立開智小学校、松本市立丸ノ内中学校、長野県松本深志高等学校を卒業後東京大学受験に失敗し早稲田大学政治経済学部で2年間仮面浪人し大手予備校に通う。その後結果として2浪して東京大学へ進学。学生時代は小学校から大学まで野球部に所属。 東京大学法学部(政治学)を卒業後、1988年にNHKに入局し、新潟局への配属となる。その後政治部に配属され、連合や社会党、自民党小渕派、内閣官房長官、外務省を担当。 政治記者としては野中広務など有力政治家の番記者を務めたのを始め、日本の政権中枢・外交現場を取材。
藤澤 泰彦(ふじさわ やすひこ、1956年11月16日 - … 藤澤 泰彦(ふじさわ やすひこ、1956年11月16日 - )は、日本の政治家。長野県生坂村長(5期)。 1956年11月16日、長野県東筑摩郡生坂村出身。1972年3月、生坂村立生坂中学校を卒業。1975年3月、長野県松本深志高等学校を卒業。1975年3月、東京農業大学農学部醸造学科を卒業。1979年4月、窪田味噌醤油株式会社に入社。1980年3月、藤澤醸造株式会社に入社。2001年5月、生坂村議会議員に当選。2005年5月、生坂村議会議長に就任。2007年2月11日、生坂村長に無投票当選。2011年2月6日、無投票当選(2期)。2015年2月8日、当選(3期)。 ※当日有権者数:1.651人 最終投票率:82.18%(前回比:pts) 2018年4月27日、『道の駅いくさかの郷』開業。
太田 寛(おおた ゆたか、1956年〈昭和31年〉9月19日… 太田 寛(おおた ゆたか、1956年〈昭和31年〉9月19日 - 2025年〈令和7年〉11月28日)は、日本の政治家。前長野県安曇野市長(2期)。元長野県副知事。 旧南安曇郡堀金村生まれ。長野県松本深志高等学校卒業後、京都大学法学部に進学、勝田吉太郎ゼミに所属。 1979年に大学卒業、長野県庁に入庁。1985年から1987年まで通商産業省立地公害局立地指導課に出向、1990年から長野県ロサンゼルス駐在員として赴任、1993年に帰国し、長野オリンピック冬季競技大会組織委員会 (NAOC) に出向。2004年に田中康夫県知事の下で生活環境部長に抜擢、2005年企画局長、2006年木曽地方事務所長、2009年参事兼建設政策局長、2012年商工労働部長、2014年総務局長を経て、2015年2月から副知事に就任し、環境保護、産業振興などさまざまな分野で県の施策立案に携わり、松本空港ビル社長、県営住宅公社理事長、信州大学経営協議会委員などを歴任した。
務台 俊介(むたい しゅんすけ 、1956年7月3日 - )… 務台 俊介(むたい しゅんすけ 、1956年7月3日 - )は、日本の政治家、行政学者。自由民主党所属の衆議院議員(2期)。元総務省官僚。元内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官。神奈川大学教授(休職中)。
田中 康夫(たなか やすお、1956年〈昭和31年〉4月12… 田中 康夫(たなか やすお、1956年〈昭和31年〉4月12日 – )は、日本の政治家、小説家。 元長野県知事(公選第15・16代)、衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)、新党日本代表などを歴任。 1956年4月12日、東京都武蔵野市に生まれる。本籍地は静岡県庵原郡富士川町(現・富士市)。父が信州大学教授に就任したため、1964年4月に家族全員で長野県上田市に住居を移した。さらに1966年には松本市に引っ越し、信州大学教育学部附属松本小学校に転入し卒業。1969年4月、信州大学教育学部附属松本中学校に入学。在学中はサッカー部部長を務めた。 1975年3月、長野県松本深志高等学校を卒業。高校3年次在学中、東京大学文科二類を受験。
池口 修次(いけぐち しゅうじ 、1949年11月10日 ‐… 池口 修次(いけぐち しゅうじ 、1949年11月10日 ‐ )は、日本の政治家。民主党所属。元参議院議員(2期)、民主党参議院国会対策委員長などを歴任。愛称は「池さん」。 長野県木曽郡大桑村生まれ。1968年長野県松本深志高等学校卒業、1972年早稲田大学理工学部卒業、本田技研工業に入社。 本田技研労働組合委員長、全本田労連会長、自動車総連中央執行委員、自動車総連副会長を経て、2001年の第19回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区から出馬し、初当選。 2007年、体調不良により辞任した鈴木寛の後任として政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長就任。 2010年9月、菅直人第1次改造内閣で国土交通副大臣(災害対策、国土計画、都市や河川を除く社会資本整備等の担当)に任命され、菅直人第2次改造内閣まで務める。
米田 建三(よねだ けんぞう、1947年10月5日 - )は… 米田 建三(よねだ けんぞう、1947年10月5日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(3期)。元帝京平成大学教授。現在、日本航空学園理事・教育顧問。日本青年社議員同志連盟指南役。
村井 仁(むらい じん、1937年3月28日 – )は、日本… 村井 仁(むらい じん、1937年3月28日 – )は、日本の通産官僚、政治家。
塩島 大(しおじま だい、1934年4月9日 - 1985年… 塩島 大(しおじま だい、1934年4月9日 - 1985年9月20日)は、日本の造園家、建設(都市計画)官僚、政治家である。位階は正五位勲四等、勲章は旭日小綬章。衆議院議員(1期)。日本造園学会常務理事、日本都市計画学会評議員。 長野県北安曇郡池田町生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、東京大学農学部入学。1959年(昭和34年)、 大学卒業とともに建設省入省(同期に望月薫雄元建設事務次官)。計画施設課、大阪府土木部、総理府近畿圏整備本部、首都圏整備委員会を経て、1981年(昭和56年)に建設省公園緑地課長を務め、1982年(昭和57年)8月、退官。公園緑地課長の時に、国営アルプスあづみの公園を考案したほか、東京大学・明治大学で講師を務めた。
小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日… 小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、昭和から平成初期の政治家、実業家。塩尻市長(第4代)。位階は従四位。父は元衆議院議員の小野祐之。 長野県東筑摩郡塩尻町生まれ。1937年(昭和12年)3月、旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業し、1941年(昭和16年)早稲田大学専門部商科を修了。1946年(昭和21年)から小野石灰六名社を経営[要出典]、1960年(昭和35年)に信陽化学工業と改称し代表取締役となる[要出典]。1959年(昭和34年)4月から塩尻市議会議員を5期務め、1963年(昭和38年)同副議長、1967年(昭和42年)には同議長に就任。
小沢 貞孝(おざわ さだたか、1916年12月1日 - 20… 小沢 貞孝(おざわ さだたか、1916年12月1日 - 2002年12月17日)は、日本の政治家。民社党衆議院議員。
青柳 盛雄(あおやぎ もりお、1908年11月11日 - 1… 青柳 盛雄(あおやぎ もりお、1908年11月11日 - 1993年1月22日)は、日本の弁護士、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党中央委員会顧問、日本民主法律家協会理事、日本国際法律家協会顧問などを歴任した。 長野県東筑摩郡坂北村(現・筑北村)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科甲類、東京帝国大学法学部を経て、1931年弁護士登録すると共に布施辰治法律事務所入所。自由法曹団員として三・一五事件や四・一六事件など、治安維持法違反事件を弁護するも、1933年には布施と共に検挙され執行猶予判決を受ける。また、この件により同年弁護士資格が剥奪されたのみならず、終戦まで活動停止を余儀なくされる。
高砂 政郎(たかすな せいろう / まさろう、1907年(明… 高砂 政郎(たかすな せいろう / まさろう、1907年(明治40年)6月1日 - 1989年(平成元年)10月9日)は、昭和期の政治家。塩尻市長(第2代)。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 長野県東筑摩郡塩尻町(現:塩尻市)生まれ。1925年(大正14年)3月、旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)卒業。1947年(昭和22年)塩尻町議会議員、1959年(昭和34年)4月、塩尻市議会議員に当選し1967年(昭和42年)4月まで連続2期在任。同年4月に前市長の小松多喜雄を2328票差の1万3170票で破り、塩尻市長に当選。全国初の日本共産党籍をもつ市長として注目された。前市長のワンマン体制への批判の他、高度経済成長下で、道路・交通問題、下水道や不足する住宅の整備、特別養護老人ホームの建設、公害対策など福祉や市民生活に直結した問題に取り組み支持を得た。
池上 隆祐(いけがみ たかすけ、1906年(明治39年)1月… 池上 隆祐(いけがみ たかすけ、1906年(明治39年)1月15日 - 1986年(昭和61年)4月3日)は、日本の民俗学者、政治家。衆議院議員、信濃木崎夏期大学理事長。 1906年、長野県東筑摩郡松本町(現松本市)で、商家・池上良三の五男として生まれた。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科乙類を経て、東京帝国大学で学んだ。学生時代は柳田国男に師事し、赤羽一雄ら信州白樺派の教員とも交流を持った。 卒業後は農林省研究所に勤務。義兄の有賀喜左衛門とともに民俗学雑誌『郷土』の編集と発行にあたり、菅江真澄遊覧紀の刊行にあたっては信濃の部を担当した。長野県をたびたび訪れた折口信夫らとも交誼を深めた。
筒井 直久(つつい なおひさ、1903年(明治36年)11月… 筒井 直久(つつい なおひさ、1903年(明治36年)11月12日 - 2002年(平成14年)11月10日)は、日本の公吏、政治家、実業家。松本市長。 長野県東筑摩郡神林村(現松本市)で、筒井浜十郎、きん の五男として生まれた。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校文科甲類を経て、1930年(昭和5年)京都帝国大学法学部卒業。 1932年(昭和7年)東京府公吏となり、東京市社会局、麻布区総務課長などを務めた後、1945年(昭和20年)退職し帰郷。1946年(昭和21年)8月から1947年(昭和22年)3月まで松本市助役・市長代理に就任した。 同年4月に施行された、初の公選による松本市長選挙に当選。
増田 甲子七(ますだ かねしち、1898年(明治31年)10… 増田 甲子七(ますだ かねしち、1898年(明治31年)10月4日 - 1985年(昭和60年)12月21日)は、昭和戦後期の政治家。吉田茂の側近として、運輸大臣、労働大臣、内閣官房長官、自由党幹事長などを歴任。
降旗 徳弥(ふるはた とくや、1898年9月18日 - 19… 降旗 徳弥(ふるはた とくや、1898年9月18日 - 1995年9月5日)は、日本の政治家、実業家。信濃日報社長、信越放送取締役、長野放送社長、衆議院議員、第2次吉田内閣の逓信大臣、松本市長などを歴任した。映画監督の降旗康男は三男。
熊谷 友一郎(くまがい ともいちろう、1897年(明治30年… 熊谷 友一郎(くまがい ともいちろう、1897年(明治30年)1月7日 - 1966年(昭和41年))は、大正から昭和時代の政治家。長野県伊那市長。 長野県上伊那郡伊那町(現・伊那市)に生まれる。松本中学校(現長野県松本深志高等学校)を卒業後、西春近小学校教員を2年間務め、渡米し1916年(大正5年)コロンビア大学を卒業した。 帰国後は火災保険代理店を営み、荒井区長、伊那町消防組頭、同町農地委員、同町会議員を経て、1949年(昭和24年)伊那町長に就任。上伊那郡町村会長、長野県町村長会副会長を兼任した。1954年(昭和29年)の町村合併の折には、伊那市実現に向け尽力し、市制施行と共に同年4月30日に初代伊那市長に就任し、1958年(昭和33年)4月まで1期務めた。
小野 祐之(おの すけゆき、1895年(明治28年)6月5日… 小野 祐之(おの すけゆき、1895年(明治28年)6月5日 - 1944年(昭和19年)7月18日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・小沢。長男は元塩尻市長の小野光洪。 長野県上伊那郡小野村(現辰野町小野)で、小沢五郎三郎の三男として生まれ、東筑摩郡筑摩地村(現塩尻市北小野)の小野郡吾の養子となる。旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を経て、1920年、早稲田大学専門部政治経済科を卒業。陸軍に志願して入隊し2年後に歩兵少尉で除隊し、1928年、予備役歩兵中尉に昇進。帝国在郷軍人会本会審議員、同第十四師管連合支部審議員、同東筑摩郡連合分会長、同東筑摩郡将校分団長、同長野支部参事など、在郷軍人会の役職を務めた。
上條 貢(かみじょう みつぎ、1894年11月10日 - 1… 上條 貢(かみじょう みつぎ、1894年11月10日 - 1977年2月6日)は日本の政治家、弁護士。浅草区議(1期)、東京市議(2期)、東京都議(5期)、第13代都議会議長、第6−8代台東区長を歴任した。 長野県生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、日本大学法律学科卒業。東京市で弁護士を開業。 1934年から浅草区会議員を1期4年務めた。1937年3月16日から1943年6月30日まで東京市会議員を2期務めた。1943年9月13日の第1回東京都議会議員選挙で当時の浅草区選挙区から立候補して、初当選する。都議会では、消防委員会委員長(1948年から1949年)、オリンピック大会招致実行委員会委員長(1953年から1954年)を歴任した。
上条 愛一(上條、かみじょう あいいち、1894年(明治27… 上条 愛一(上條、かみじょう あいいち、1894年(明治27年)10月2日 - 1969年(昭和44年)2月18日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 長野県東筑摩郡今井村(現:松本市)で生まれた。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)卒業後、代用教員を経て、1920年、早稲田大学政治経済科を卒業。同年、読売新聞社に記者として入社した。 1920年、大日本労働総同盟友愛会東京連合会書記に就任。1925年、第7回国際労働総会に日本労働代表随員として渡欧した。その後、日本労農党、日本労働組合同盟の結成に参画し、1936年、日本労働組合会議書記長に就任した。 戦後、日本社会党に入党し、日本労働組合総同盟(総同盟)全繊同盟総主事、総同盟副会長、中央労働委員会労働者側委員、全繊同盟政治顧問などを歴任した。
唐沢 俊樹(からさわ としき、1891年(明治24年)2月1… 唐沢 俊樹(からさわ としき、1891年(明治24年)2月10日 - 1967年(昭和42年)3月14日)は、昭和期の日本の内務官僚、政治家。戦前は内務次官、貴族院議員を歴任し、戦後、自由民主党の衆議院議員。第1次岸改造内閣の法務大臣を務める。勲一等瑞宝章。
棚橋 小虎(たなはし ことら、1889年1月14日 - 19… 棚橋 小虎(たなはし ことら、1889年1月14日 - 1973年2月20日)は日本の労働運動家、政治家。新人会などの学生運動、友愛会、労働総同盟などの労働運動にかかわり、日本労農党や社会党などの結成に関与した。 第三高等学校卒業後、東京帝国大学法科大学に進み、在学中に新人会に参加した。また、麻生久、山名義鶴と社会問題研究会である木曜会を結成した。この木曜会には後に岡上守道、佐野学、野坂参三が参加した。 東京帝国大学在学中から麻生らと共に吉野作造や安部磯雄の影響を受けて、友愛会入会を期したが会長の鈴木文治に断られ、1917年卒業と共に司法官試補となった。翌1918年、司法官試補を辞して友愛会入会を果たし、1919年には関東出張所主事となって日立鉱山争議などを支援した。
高木 義人(たかぎ よしと、1886年(明治19年)4月10… 高木 義人(たかぎ よしと、1886年(明治19年)4月10日 - 1956年(昭和31年)8月15日)は、日本の政治家、陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。政治家としては衆議院議員を歴任した。長野県出身。陸士19期、陸大26期。 長野県南安曇郡高家村(現在の安曇野市)出身。松本中学を経て、1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校(19期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉に任官。1914年(大正3年)には陸軍大学校(26期)を卒業した。浦塩派遣軍参謀、参謀本部員、第14師団参謀、第6師団参謀、台湾歩兵第1連隊大隊長、奉天独立守備第2大隊長、福井連隊区司令官、歩兵第26連隊長、第8師団参謀長、歩兵第39旅団長などを歴任し、1938年(昭和13年)7月15日には留守第2師団長に就任し、1939年(昭和14年)3月9日陸軍中将に進級した。
米倉 龍也(よねくら りゅうや、1885年(明治18年)8月… 米倉 龍也(よねくら りゅうや、1885年(明治18年)8月6日 - 1980年(昭和55年)10月24日)は、日本の政治家。衆議院議員、参議院議員。 長野県南安曇郡烏川村(現安曇野市)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、盛岡高等農林学校卒業。在学中に「平民新聞」を愛読し、河上肇の著作に感銘を受け、産業組合運動に強い関心を持つ。1907年に卒業後は千葉県農業会技師から1916年南安曇郡北部農業学校(長野県穂高商業高等学校)校長となり、烏川信用購買組合創立に参加し、理事となる。1920年から長野県農商課産業組合理事、1925年に長野県信連主事となり、昭和初期の金融恐慌に緊急貸し出しで手腕を発揮し、県下各地の産業組合や農協の充実に奔走し、各農業団体の最高責任者を歴任する。
上條 信(かみじょう しん、1884年(明治17年)10月3… 上條 信(かみじょう しん、1884年(明治17年)10月3日 - 1950年(昭和25年)10月8日)は、日本の実業家、政治家。筑摩鉄道(現・アルピコ交通上高地線)やバス事業を始め、多くの事業経営に携わった他、戦前・戦後に新村村長・長野県会議員・衆議院議員をも務めた。 長野県東筑摩郡新村(現松本市)で元衆議院議員の上條謹一郎の長男として生まれる。 松本中学校から早稲田大学に進み、のち帰郷して家を継いだ。1913年に新村村長になる。上条を中心とする有志が、1915年(大正4年)に 安筑軽便鉄道として、松本 - 稲核間の鉄道敷設免許を出願するも却下された。次いで、1918年に安曇鉄道が、松本 - 稲核間の鉄道敷設免許を出願するも却下される。
三沢 寛一(みさわ かんいち、1882年(明治15年)9月 … 三沢 寛一(みさわ かんいち、1882年(明治15年)9月 - 1968年(昭和43年)7月15日)は、日本の文部・内務官僚、政治家。北海道札幌市長、山形県知事、島根県知事、札幌観光協会長。
塚原 嘉藤(つかはら よしふじ、1881年(明治14年)10… 塚原 嘉藤(つかはら よしふじ、1881年(明治14年)10月22日 – 1930年(昭和5年)11月13日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 長野県東筑摩郡日向村(現在の麻績村)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、第二高等学校を経て、東京帝国大学法科大学でドイツ法を学び、1909年(明治42年)に卒業した。卒業後は弁護士・弁理士事務所を開業し、株式会社小穴製作所・日本無線電信電話株式会社などの法律顧問を務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。1923年(大正12年)、関東大震災の際に保険金問題について活躍し有名になった。 その他、社団法人日本アルプス理事・社団法人清涼飲料研究所理事などを務めた。
米窪 満亮(よねくぼ みつすけ、1881年(明治14年)9月… 米窪 満亮(よねくぼ みつすけ、1881年(明治14年)9月16日 - 1951年(昭和26年)1月16日)は、日本の労働運動家、小説家、政治家。日本海員組合副会長を経て、戦後、日本社会党に所属し、片山内閣の国務大臣、初代労働大臣を歴任した。小説家としての筆名は「米窪太刀雄」がある。
樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - … 樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - 1929年6月6日)は、評論家、社会学者、政治家。 本名は樋口秀雄、別号は暁雪。1909年に文芸革新会を興し、自然主義批判の文芸評論家として活躍した一方で、1915年には衆議院議員に当選し、政治家としても活動した。
百瀬 渡(ももせ わたる、1874年2月5日 - 1945年… 百瀬 渡(ももせ わたる、1874年2月5日 - 1945年12月21日)は、長野県出身の政治家。
並木 和一(なみき かずいち/わいち、慶應2年2月28日〈1… 並木 和一(なみき かずいち/わいち、慶應2年2月28日〈1866年4月13日〉 - 1953年〈昭和28年〉12月7日)は、明治から大正時代の政治家、貴族院多額納税者議員、大地主。 並木衛七の長男として信濃国佐久郡野沢村(現・佐久市野沢)に生まれ、1883年(明治16年)12月、家督を相続する。上京し、鈴木松塘に漢籍を学び、帰郷して松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)に学ぶ。村会議員を1期、町会議員を4期、郡会議員を経て、1903年(明治36年)長野県会議員となり、さらに翌1904年(明治37年)長野県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任。議員を1911年(明治44年)9月28日まで7年1期務め、その間、請願委員、決算委員を歴任した。