スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大村 恒雄(おおむら つねお、1930年(昭和5年)7月29… 大村 恒雄(おおむら つねお、1930年(昭和5年)7月29日 - 2022年(令和2年)1月29日)は、日本の生化学者。シトクロムP450発見者。九州大学名誉教授。理学博士。 静岡市に生まれる。静岡県立静岡中学校を経て、1949年(昭和24年)、静岡高等学校 (旧制)卒業。1953年(昭和28年)、東京大学理学部化学科卒業。同年、静岡大学文理学部化学科助手。1960年(昭和35年)、 大阪大学蛋白質研究所助教授。 1961年(昭和36年)、理学博士。1970年(昭和45年)、九州大学理学部生物学科教授。1986年(昭和61年)、九州大学大学院医学系研究科教授(分子生命科学専攻)。1994年(平成6年) 、九州大学を定年退職、名誉教授。
花見 忠(はなみ ただし、1930年2月15日 - )は、労… 花見 忠(はなみ ただし、1930年2月15日 - )は、労働法学者、弁護士。上智大学名誉教授。法学博士(東京大学)。名誉法学博士(ルーヴァン大学)。専門は、労働法及び労使関係。特に、使用者の懲戒権、雇用平等の研究、ILO条約と日本の団結権に関する研究など。東京都出身。
神谷 知弥(かみや ともや、1930年(昭和5年)- )は、… 神谷 知弥(かみや ともや、1930年(昭和5年)- )は、日本の医学者。専門は生化学。奈良県立医科大学名誉教授。医学博士。神谷知彌とも表記される。瑞宝中綬章受章。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1954年(昭和29年)、東京大学医学部医学科卒業。1959年(昭和34年)、同大学院(生化学)修了、医学博士(課程博士)。1986年(昭和61年)、奈良県立医科大学教授(生化学)。奈良県立医科大学名誉教授。奈良文化女子短期大学名誉教授。2010年(平成22年)春、瑞宝中綬章受章。
加茂 元照(かも もとてる、加茂五郎右衛門元照、1930年 … 加茂 元照(かも もとてる、加茂五郎右衛門元照、1930年 - )は日本の園芸家。加茂グループ会長。日本花菖蒲協会名誉会長。 1930年(昭和5年)生まれ。静岡県掛川市の桃山時代から続く豪農・庄屋の家系で、加茂家17代当主。1948年(昭和23年)、静岡県立静岡第一高等学校卒業。立教大学経済学部から同大大学院経済研究科に進み、1957年(昭和32年)、家業のため中退後、自宅に加茂花菖蒲園を開園。以来花菖蒲のほか、ベゴニア・フクシア・コリウスなどの花卉栽培や、フクロウなど鳥類の飼育に専念する。コンピュータ制御による巨大温室でのサガリバナの品種改良のほか、鳥ウイルス・病原菌の検出等に努める。人と鳥が間近で触れ合えることを特徴とした観光農園のテーマパーク・植物園を運営。
朝倉 直巳(あさくら なおみ、1929年(昭和4年)9月22… 朝倉 直巳(あさくら なおみ、1929年(昭和4年)9月22日 - 2003年(平成15年)2月14日)は、日本のグラフィックデザイナー、美術教育者。 日本、中国、台湾で大学教授を務めた。 静岡県立静岡中学校を経て、東京教育大学教育学部芸術学科構成専攻を卒業後、グラフィックデザイナーとなる。1960年(昭和35年)、福島大学教育学部に採用されて以降、40年以上に亘り大学教員として歩む。京都学芸大学を経て筑波大学教授、1990年(平成2年)、文教大学教授、2001年(平成13年)、台湾・崑山科技大学視覚伝達設計系客座教授。デザイン学、構成学の発展に寄与した。広州美術学院名誉教授(中国)、山東工芸美術学院大学名誉教授(中国)、天津美術学院大学客座教授(中国)。
川手 生巳也(かわて ふみや、1929年9月10日 - 20… 川手 生巳也(かわて ふみや、1929年9月10日 - 2022年9月26日)は、日本の経営者。日産火災海上保険社長、会長を務めた。静岡県出身。 静岡県立静岡中学校を経て、1949年、山口経済専門学校卒業。同年、日産火災海上保険に入社。1982年7月、取締役。1985年7月に常務、1988年4月に専務を経て、1989年6月、社長。1995年6月、会長。2000年6月に相談役に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章。 2022年9月26日肺炎のために死去。93歳没。
井出 義光(いで よしみつ、1929年8月11日 - 201… 井出 義光(いで よしみつ、1929年8月11日 - 2011年4月19日)は、日本の歴史学者。専門はアメリカ史。特にアメリカ南部史専攻。筑波大学名誉教授。静岡市出身。 1929年、静岡市に生まれる。1947年、静岡県立静岡中学校卒業。東京大学教養学部教養学科卒、同大学大学院修士(西洋史)課程、フロリダ大学博士課程修了。Ph.D. 日本女子大学教授、立教大学教授、筑波大学教授を歴任。筑波大学名誉教授。筑波大学を離れた後、共立女子大学においてアメリカ研究を含む地域研究新学部を設立し、国際文化学部長に就いた。その後、女子教育に従い城西大学女子短期大学部副学長、定年後一年間、客員教授。アメリカ学会会長(1990年〜1992年)。
川崎 寿彦(かわさき としひこ、1929年3月30日 - 1… 川崎 寿彦(かわさき としひこ、1929年3月30日 - 1989年4月18日)は、日本の英文学者。名古屋大学文学部教授。 1929年、東京生まれ。静岡高校を経て、1953年、京都大学文学部に進学。同大学を卒業して渡米し、ウィスコンシン大学大学院を修了。 名古屋大学文学部教授を務め、1989年に在職中に死去。 当初は17~18世紀英国の詩を専門としたが、後に庭園など文化史において業績を上げた。中でも、『庭のイングランド』が話題となった。著作多数あり、没後も遺稿が刊行された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
岡田 吉美(おかだ よしみ、1929年(昭和4年)2月3日 … 岡田 吉美(おかだ よしみ、1929年(昭和4年)2月3日 - 2022年(令和4年)8月17日) は、日本の分子生物学者。従四位瑞宝中綬章。東京大学名誉教授。理学博士。静岡市出身。 1945年静岡県立静岡中学校(現・静岡県立静岡高等学校)卒業。1952年大阪大学理学部化学科卒業。赤堀四郎に師事。同大学院理学研究科修了。九州大学医学部、大阪大学医学部で助手。1964年オレゴン大学客員準教授(1966年まで)。留学中、ストライジンガーと共同でT4リゾチームの系を用い、フレームシフト変異の存在を蛋白質化学により、世界で初めて実証した。帰国後、新設の農林省植物ウイルス研究所において、タバコモザイクウイルス(TMV)の研究に着手。
石川 哲男(いしかわ てつお、1929年(昭和4年) - )… 石川 哲男(いしかわ てつお、1929年(昭和4年) - )は、昭和(戦後)の裁判官。クリスチャン(日本基督教団)。 1929年(昭和4年)、静岡市生まれ。1946年(昭和21年)、静岡県立静岡中学校四年修了、海軍兵学校77期入学。1949年(昭和24年)、静岡高等学校 (旧制)文科卒業。1953年(昭和28年)、東京大学法学部卒業。大学院特別研修課程在籍(3年)。1956年(昭和31年)、北海道大学法学部勤務(1年)。1960年(昭和35年)、裁判官任官。地方裁判所(前橋・熊本・福岡・大阪・松山・名古屋)、名古屋高等裁判所勤務。1986年(昭和61年)、名古屋高等裁判所退官。日本基督教団静岡教会会員。
大橋 弘(おおはし ひろむ、1928年3月2日 - 1997… 大橋 弘(おおはし ひろむ、1928年3月2日 - 1997年1月8日)は、日本の経営者。積水ハウス副社長、会長を務めた。 静岡県出身。1948年に静岡高校文科を卒業し、1961年に積水ハウスに入社。1972年に取締役に就任し、、1969年には常務、1980年には専務をそれぞれ歴任し、1984年に副社長に就任。1992年4月に副会長に就任し、1993年10月には会長に昇格。 経済団体連合会常任理事、住宅生産振興財団理事長なども歴任。 1997年1月8日、心不全のために死去。68歳没。
磯西 昭(いそにし あきら、1928年 - 2020年10月… 磯西 昭(いそにし あきら、1928年 - 2020年10月9日)は、日本の写真家。会社経営者。富士山の空撮で知られる。 静岡県に生まれる。富士宮市に住んだ。静岡県立静岡中学校に学んだ。戦後、海外渡航が自由になるとイタリアをはじめ、ヨーロッパ各国、アフリカ、南極など、カメラ機材を背負って旅をし、現地が気に入れば数十日に及ぶこともあった。 空撮を始めたのは1994年で、ハワイオアフ島のヨットレースの撮影で挑戦してからその魅力に取り憑かれ、のめり込んだ。翌、1995年から3年間にわたり、ヴェネツィア・ピサ・アッシジ・シエーナ・フィレンツェ・ローマなどのイタリア各地の中世都市の空撮を実現させた。イタリアの空撮と並行して具体的な目標として富士山があり、当初、数年で終わるつもりだったが、懐の広さ深さが分かり、本格的な撮影に取り組み、ライフワークになった。
山路 敬三(やまじ けいぞう、1927年12月26日 - 2… 山路 敬三(やまじ けいぞう、1927年12月26日 - 2003年12月26日)は、元キヤノン社長。
岡村 崔(おかむら たかし、1927年12月13日 - 20… 岡村 崔(おかむら たかし、1927年12月13日 - 2014年2月4日)は、日本の写真家。 東京府下吉祥寺に生まれる。5歳の頃、両親の故郷静岡県に転居。幼少期は相良、その後静岡市内に移り、1945年、静岡県立静岡中学校卒業。 1948年に芝浦工業専門学校(現、芝浦工業大学)を卒業し、日本大学旧工学部(現、理工学部)建築学科に入学(のち中退)。 中学在学中より登山を始め、山岳風景の写真にも取り組むようになる。1958年、登山の国際大会に参加するため初めて渡欧。この頃より専攻した建築から関心を広げ、ロマネスクの彫刻などヨーロッパの文化、美術に興味を持ち、渡航を重ねる。1965年にはローマに移住、ヨーロッパ各地の美術作品や教会建築などの撮影を中心に美術写真の専門家として活動するようになった。
関 寛治(せき ひろはる、1927年3月31日 - 1997… 関 寛治(せき ひろはる、1927年3月31日 - 1997年12月15日)は、東京大学名誉教授、立命館大学名誉教授。専門は、平和学、国際政治学。
高橋 裕(たかはし ゆたか、1927年1月28日 - 202… 高橋 裕(たかはし ゆたか、1927年1月28日 - 2021年5月26日)は、日本の工学者。専攻は河川工学であり、「水」に関する国際的な権威。例えば、治水・水質汚染問題・水不足問題・洪水問題・水関連の紛争問題など、幅広く研究を行い、多くの提言を行った。東京大学名誉教授。 静岡県出身。父親は、柑橘栽培の専門家、高橋郁郎。旧制静岡中学(静岡県立静岡高等学校)、旧制静岡高校を経て、1950年、東京大学第二工学部土木工学科卒業。その後旧制大学院に進学し修了。 日仏工業技術会会長などを歴任した。
木宮 和彦(きみや かずひこ、1927年1月24日 - 20… 木宮 和彦(きみや かずひこ、1927年1月24日 - 2013年12月6日)は、日本の静岡県の政治家。参議院議員(2期)。学校経営者。 1969年、父であった初代理事長の木宮泰彦の死去に伴い常葉学園理事長就任。 1986年、第14回参議院議員通常選挙静岡選挙区に自由民主党から出馬し、初当選。1990年、第2次海部内閣環境政務次官。1992年、第16回参議院議員通常選挙再選。1998年の第18回参議院議員通常選挙では、自由民主党は定数2の静岡選挙区に新人の山下善彦も立候補させ独占を狙ったが、海野徹(野党の共闘候補)と山下が当選し、木宮は落選した。 1993年、大正琴協会理事(理事長は海部俊樹)。
河村 正昭(かわむら まさあき、1927年〈昭和2年〉 - … 河村 正昭(かわむら まさあき、1927年〈昭和2年〉 - 2025年〈令和7年〉11月24日)は、日本の医学者。専門は口腔外科学。北海道大学歯学部口腔外科学第二講座初代教授。歯学部長。北海道大学名誉教授。 1974年(昭和49年)4月、北海道大学歯学部に口腔外科学第二講座が新設、 初代教授に就任。 以後、エナメル上皮腫や顎嚢胞に対する開窓・摘出・反復処置による顎骨保存療法、顎変形症(骨格性不正咬合)に対する口腔外科・矯正科・補綴科のチームアプローチによる治療などで業績を上げた。 歯学部長。 1992年(平成4年)3月、定年退官。同年4月、北海道大学名誉教授。 2025年11月24日、死去。98歳没。
片岡 順(かたおか じゅん、1926年(大正15年)4月26… 片岡 順(かたおか じゅん、1926年(大正15年)4月26日 - 2022年(令和4年)3月15日)は、日本の砂防学者。名古屋大学名誉教授。農学博士。 1926年、静岡市(現在の清水区)生まれ。静岡県立静岡中学校を経て、1952年、東京大学農学部林学科卒業。1955年、名古屋大学農学部治山工学研究室助手。1964年、「山地表層の保水機能に関する実験的研究」で農学博士。名古屋大学助教授。1969年、文部省在外研究員として、カリフォルニア大学バークレー校に「森林水文及び侵食防止についての研究」を目的として留学(1年間)。1977年、名古屋大学教授。1987年、砂防学会会長。1990年、定年退職。名誉教授。
柴田 高好(しばた たかよし、1925年12月20日 - )… 柴田 高好(しばた たかよし、1925年12月20日 - )は、日本の政治学者。東京経済大学名誉教授。 北海道苫小牧市生まれ。1943年北海道庁立釧路中学校卒業。1945年官立静岡高等学校文科卒業。1946年九州大学法学部入学、具島兼三郎教授に師事。1949年九州大学法学部政治学科卒業。1952年同大学法学部大学院特別研究生修了、県立静岡法経短期大学助手。静岡大学の鈴木安蔵教授と交流する。1957年春から1960年頃まで黒田寛一と交流し、黒田から方法論として武谷三男の三段階論・技術論についての示唆を受ける。1964年静岡大学法経短大部教授。1972年東京経済大学教授。1996年定年退職、名誉教授。
梶山 雄一(かじやま ゆういち、1925年1月2日 - 20… 梶山 雄一(かじやま ゆういち、1925年1月2日 - 2004年3月29日)は、日本の仏教学者。京都大学名誉教授。 1925年、静岡県静岡市で生まれた。静岡県立静岡中学校を経て、1942年に旧制静岡高校に入学。戦時の措置により高校課程は2年半に短縮され、1944年5月以降は勤労動員された。この頃、浄土真宗の篤信者の強い感化を受けて、親鸞に傾倒。1944年9月に静岡高校を卒業。 1944年10月、京都大学文学部哲学科に入学。しかしながら、戦局の悪化に伴い、1945年1月より終戦時まで学業を中断して兵役につき、陸軍特別幹部候補生として習志野で訓練を受けた。終戦後復学し、宗教学第三講座で仏教学を専攻し、久松真一や長尾雅人の指導を受けた。
加藤 健三(かとう けんぞう、1924年(大正13年)11月… 加藤 健三(かとう けんぞう、1924年(大正13年)11月28日 - )は、日本の医師。内科医。専門は循環器内科。旧姓、山田。元宮内庁皇太后宮侍医長。医学博士(東京大学)。 侍医、また侍医長として昭和天皇や香淳皇后の治療に当たった。 静岡県島田市出身。静岡県立静岡中学校に学ぶ。1948年(昭和23年)、東京大学医学部卒業。1949年(昭和24年)、東京大学医学部左々、美甘内科教室勤務。1952年(昭和27年)、東京大学助手。1955年(昭和30年)、関東逓信病院内科勤務。1957年(昭和32年)、医学博士(東京大学)。1964年(昭和39年)、佐々木研究所附属杏雲堂病院内科勤務。1976年(昭和51年)、銀座菊池病院内科勤務。
北村 甫(きたむら はじめ、1923年7月18日 - 200… 北村 甫(きたむら はじめ、1923年7月18日 - 2003年12月16日)は、日本のチベット学者。戦後のチベット学を牽引した。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所長。名誉教授。東洋文庫理事長。日本チベット学会会長。麗澤大学学長。 静岡県立静岡中学校を経て、1942年9月、静岡高等学校 (旧制)文科丙類卒業。同年10月、東京帝国大学文学部言語学科に入学。しかし時局の悪化にともない1943年12月、学徒動員により名古屋・中部第13部隊に入営。1945年9月、復員。 同年10月、東京帝国大学文学部言語学科に復学。1948年3月、東京大学文学部言語学科卒業(卒業論文は「五體清文鑑における滿州字の表す西藏語の音韻について」)。
原田 昇左右(はらだ しょうぞう、1923年7月15日 - … 原田 昇左右(はらだ しょうぞう、1923年7月15日 - 2006年7月2日)は、日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。静岡県焼津市出身。愛称は「ハラショー」。元衆議院議員の原田令嗣は長男。正三位勲一等旭日大綬章。
近江 宗一(おおみ むねかづ、1923年1月21日 - 20… 近江 宗一(おおみ むねかづ、1923年1月21日 - 2016年1月12日)は、日本の工学者。専攻は冶金工学、流体工学。大阪大学名誉教授。工学博士。 静岡県静岡市出身。1968年(昭和43年)、大阪大学工学部冶金設備工学研究室教授(〜1986年度(昭和61年度)。 1999年、勲三等旭日中綬章を受章。
飯塚 一郎(いいづか いちろう、1923年〈大正12年〉- … 飯塚 一郎(いいづか いちろう、1923年〈大正12年〉- 1986年〈昭和61年〉5月29日)は、日本の経済学者(専攻は経済史・経済思想史・経済学史)。学位は、経済学博士。位階は従四位。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡中学校を経て、1946年、同志社大学経済学部卒。山梨大学教授を務めた。1971年、「貨幣学説前史の研究」で関西学院大学経済学博士の学位を取得。1986年死去。死没日付をもって従四位に叙された。 もともとイギリス重商主義についての研究を進めていたが、その後、これに先行するスペインの植民地政策や経済思想にも関心を拡げていくことになった。特に伊藤不二男と並んで、日本におけるサラマンカ学派研究に先鞭をつけたことで知られる。
永原 稔(ながはら みのる、1921年4月21日 - 200… 永原 稔(ながはら みのる、1921年4月21日 - 2006年12月17日)は、日本の政治家。新自由クラブ衆議院議員(1期)。
大石 巌(おおいし いわお、1921年〈大正10年〉2月19… 大石 巌(おおいし いわお、1921年〈大正10年〉2月19日 - 2002年〈平成14年〉3月3日)は、日本の実業家、経営者、ジャーナリスト、証券アナリスト。新日本証券会長。毎日新聞社社友。静岡県出身。 静岡県立静岡中学校から、静岡高等学校 (旧制)に進み、1942年(昭和17年)東京帝国大学法学部卒業。同年、東京日日新聞社入社、経済部記者。日銀記者クラブのキャップなどを務めた。のちに、毎日オリオンズ出向、営業部長。1961年(昭和36年)、毎日新聞を離籍し大商証券に転じ、福岡支店長を経て、1964年(昭和39年)、取締役。1967年(昭和42年)、合併により新日本証券取締役。1975年(昭和50年)、同副社長。
佐野 圭司(さの けいじ、1920年6月30日 - 2011… 佐野 圭司(さの けいじ、1920年6月30日 - 2011年1月6日)は、日本の医学者。
芹沢 長介(せりざわ ちょうすけ、1919年10月21日 -… 芹沢 長介(せりざわ ちょうすけ、1919年10月21日 - 2006年3月16日)は日本の考古学者。東北大学名誉教授、東北福祉大学名誉教授。日本の旧石器時代研究の第一人者。 戦前のわが国では、縄文時代以前の日本列島に人類は居住していなかったと考えられていた。これを疑問視して、日本に旧石器時代の文化を発見し、その研究において学会をリードしてきた。日本の始源文化の解明に一生を捧げ、特に、1949年には群馬県岩宿遺跡の発掘に携わり、日本に旧石器時代の文化があったことを初めて確信した。その後、1963年に東北大学日本文化研究所助教授に着任すると、大分県の早水台(そうずだい)遺跡、栃木県の星野遺跡などの発掘調査で、前期旧石器時代の存在を確信した。 また、後期旧石器時代から縄文時代への移行を示す証拠を発見して、日本だけでなく、極東アジア地域全体を含めたスケールの中で、始源文化の関連性を明らかにしようとした。
小河 八十次(おごう やそじ、1919年8月15日 - 19… 小河 八十次(おごう やそじ、1919年8月15日 - 1998年9月22日)は、昭和(戦後)の裁判官。 1919年(大正8年)8月15日生まれ。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業後、南満州鉄道に勤務。現地で軍隊に召集され、抑留の後、復員。1947年(昭和22年)司法試験合格。同年に創設された司法修習所第1期出身の裁判官。法律に強い理論派で、厳格な法解釈で知られた。 自衛隊の合憲性が問われた長沼ナイキ事件 控訴審の裁判長。1審で出された初の自衛隊違憲判決を覆し、最高裁の「送り込み人事」、「長沼シフト」と言われた。
磯貝 元(いそがい はじめ、1919年(大正8年) - 20… 磯貝 元(いそがい はじめ、1919年(大正8年) - 2015年(平成27年))は、日本の医師。内科医。駒込病院副院長。医学博士。 静岡県立静岡中学校を経て、静岡高等学校 (旧制)卒業。1942年(昭和17年)、東京帝国大学医学部卒業。直ちに海軍短期現役軍医として従軍。朝鮮・元山駐在。1943年(昭和18年)1月、海軍軍医学校入学、4月卒業。海南島特別陸戦隊附、9月、第三航空艦隊附(八丈島)。1945年(昭和20年)8月、復員。上京して都立駒込病院(内山圭梧院長)に入局。伝染病患者の診療に従事。1962年(昭和37年)、アメリカ、ボルチモアのメリーランド大学ボルチモア校(英語版)に半年間海外研修。
梅村 魁(うめむら はじめ、1918年3月5日 - 1995… 梅村 魁(うめむら はじめ、1918年3月5日 - 1995年1月31日)は、日本の建築構造工学者。建築構造の研究および東京大学、芝浦工業大学で後進の育成にあたる。日本コンクリート工学会第8代会長(1978年-1980年5月)をつとめ、1983年5月名誉会員となる。工学博士。東京大学名誉教授。1988年日本建築学会大賞受賞。 1970年から1972年、日本建築学会関東支部 第12代歴代支部長、1979年から1981年日本建築学会 会長、1993年から1995年一般社団法人 日本免震構造協会 初代会長を歴任する。 東京出身。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て[要出典]、1941年、東京帝国大学工学部建築学科卒業、そのまま武藤清研究室の大学院学生になった。
江川 友治(えがわ ともじ、1917年9月2日 - 2012… 江川 友治(えがわ ともじ、1917年9月2日 - 2012年8月8日)は、日本の土壌学者。元農林水産省農業技術研究所長・明治大学教授。日本の畑土壌の改善に関わる研究に従事した。 現在の静岡市清水区に生まれる。静岡県立静岡中学校に学ぶ。1941年、東京帝国大学農学部農芸科学科卒業。同年4月、農林水産省農事試験場助手、三井進午研究室に配属。1942年2月、農事試験場技手となった後、同年4月、臨時召集された。福知山連隊、中国保定、武昌、鹿児島の知覧・万世特攻隊基地、東京の立川、大阪府の貝塚飛行場と転戦・移動し、1945年8月、敗戦、復員した。 1946年4月、復職。同年9月、農事試験場勤務、1947年、農事試験場土壌肥料部、1950年4月、農業技術研究所化学部土壌第1科土壌化学第2研究室長、1964年8月、農林水産省北海道農業試験場農芸化学部長、1973年、農林水産省農業技術研究所長。
大塚 武(おおつか たけし、1917年(大正6年)1月9日 … 大塚 武(おおつか たけし、1917年(大正6年)1月9日 - 1983年(昭和58年)8月30日頃)は、日本の銀行家。北洋相互銀行取締役社長、日本銀行事務管理部長、北海道経営者協会会長などを歴任した。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡中学校を経て、1941年東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。卒業と同年に日本銀行に入行する。学生時代は年間百日以上も山登りに費やしたが、高橋泰蔵ゼミナールでは抜群の成績で、入行後も、2度ぐらい大学に戻らぬかといわれた逸材であった。 1953年に通商産業省に出向する。日銀に戻って外国為替局次長、新潟支店長を歴任後、1964年から札幌支店長を務め、大学同窓の森鼻武芳(のちに北海道銀行頭取)とゴルフや囲碁を嗜み、交遊を持つようになる。
内山 龍雄(うちやま りょうゆう、1916年(大正5年)8月… 内山 龍雄(うちやま りょうゆう、1916年(大正5年)8月28日 - 1990年(平成2年)8月30日)は、日本の物理学者(理論物理学)。重力場を含む一般ゲージ場の創設者。第14代大阪大学理学部長。大阪大学名誉教授。理学博士(大阪大学・論文博士・1951年)。 1954年ごろまでに、楊振寧、ロバート・ミルズとは別に重力と電磁力を結び付ける一般ゲージ理論(非可換ゲージ理論)の研究を完成させていた。同年京都大学基礎物理学研究所でのワークショップで発表したものの、反応は否定的で支持を得られなかった。( L O'Raifeartaigh"The Dawning of Gauge THeory"Princeton Univ.Press,p208-209, 『龍雄先生の冒険』窮理舎(痛恨の記))国外では、ヴォルフガング・パウリが1953年には、非可換ゲージ理論を完成させていたが、こちらもゲージボソンに質量を与える方法が分からないという理由で論文発表を控えていた。
宇佐美 一夫(うさみ かずお、1914年3月15日 - 20… 宇佐美 一夫(うさみ かずお、1914年3月15日 - 2000年6月8日)は、静岡県出身のプロ野球選手。ポジションは捕手、一塁手。
川瀨 健治(かわせ けんじ、1914年 - 1974年2月6… 川瀨 健治(かわせ けんじ、1914年 - 1974年2月6日)は、日本の商工、通産官僚。 旧制静岡中学、旧制静岡高校を経て、1937年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。商工省入省。終戦直後、1945年8月27日、日本政府の対GHQ渉外機関として外務省に終戦連絡事務局が設立され、商工事務官を務めていた川瀬が出向。通商産業省に変わってからも様々な役職を経て、福岡通産局長に就任。1956年、熊本県で水俣病が発生し深刻となり、1959年11月、不知火海漁業紛争調停委員会が発足、寺本広作熊本県知事は通産省の意向を取り入れるために川瀬をオブザーバーに加えている。その後、東京通産局長に就任した。正四位。墓所は多磨霊園。
鈴木 芳太郎(すずき よしたろう、1913年11月8日 - … 鈴木 芳太郎(すずき よしたろう、1913年11月8日 - 1978年5月10日)は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
山本敬三郎(やまもとけいざぶろう、1913年8月17日 - … 山本敬三郎(やまもとけいざぶろう、1913年8月17日 - 2006年5月6日)は、元静岡県知事。参議院議員。静岡県出身。
石上 良平(いしがみ りょうへい、1913年 - 1982年… 石上 良平(いしがみ りょうへい、1913年 - 1982年11月9日)は、日本の政治学者。専門は社会思想史、特にイギリス政治思想研究。1949年に開設された創立期の成蹊大学で丸山眞男らと共に政治経済学部教授を務めた。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校文科甲類を経て、1936年、東京帝国大学経済学部卒業。河合栄治郎門下生。1949年、成蹊大学政経学部教授。政治学概論と社会思想史を担当した。1967年、退職。
栗山 茂(くりやま しげる、1912年11月18日 - 20… 栗山 茂(くりやま しげる、1912年11月18日 - 2010年9月9日)は、日本の版画家。紐版画や紙版画など多彩で自在な試みを展開した。日本版画協会名誉会員。静岡県版画協会名誉会長。 静岡市鷹匠町に生まれる。雑誌『若草』で竹久夢二の絵にふれて憧れ、 同じ頃木版画を試作。のち青木四郎を介して知った浦田儀一の父(摺師)から版画の手ほどきを受ける。平塚運一や永瀬義郎の技法書にも学ぶ。1929年秋、小川龍彦、中村岳(仲蔵)、杉山正義、青木四郎とともに童土社結成。同年10月、童土社創作版画展第1回展開催。 1930年、中学卒業記念に同人誌『艸笛』を創刊、友人とともに版画や童謡、詩を寄せる。同年末、それぞれ個々に 版画誌を主催していた小川の『まるめろ』と中村の『有加利樹』に『艸笛』を統合、新たに『ゆうかり』を創刊。
佐野 理平(さの りへい、1912年9月21日 - 1992… 佐野 理平(さの りへい、1912年9月21日 - 1992年3月26日)は、静岡県出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。日本代表として、1936年のベルリンオリンピックに出場した。
桜井誠(さくらい まこと、1912年 - 1983年5月11… 桜井誠(さくらい まこと、1912年 - 1983年5月11日)は、主に絵本や児童書などの挿絵の執筆で活動した日本の挿絵画家。静岡県静岡市出身。
柏木 千秋(かしわぎ ちあき、1911年〈明治44年〉10月… 柏木 千秋(かしわぎ ちあき、1911年〈明治44年〉10月22日 - 2003年〈平成15年〉2月21日)は、日本の法学者、弁護士、元判事。法学博士。専門は刑法。名古屋大学名誉教授。司法省事務官として内藤文質、森田宗一とともに1948年少年法の立法に携わった。 東京出身。三重県士族・柏木五百次郎の三男。静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1937年、東京帝国大学法学部卒業。東大在学中に司法試験に合格。 判事司法事務官などを経て、1949年、東京地方裁判所判事から、1949年、名古屋大学に転じ、名古屋大学法学部教授。1975年、名古屋大学を定年退官。 その後、筑波大学、慶應大学教授などを経て、1993年、創価大学教授を退職。
野間 省一(のま しょういち、1911年4月9日 - 198… 野間 省一(のま しょういち、1911年4月9日 - 1984年8月10日)は、日本の出版人、実業家。講談社第4代社長。日本書籍出版協会会長。出版文化国際交流会会長。日本雑誌広告協会会長。旧姓高木。
兼岩 正夫(かねいわ まさお、1911年2月 - 1984年… 兼岩 正夫(かねいわ まさお、1911年2月 - 1984年12月23日)は、日本の歴史学者、東京教育大学名誉教授。専門は西洋中世史。 静岡県庵原郡興津町生まれ。静岡県立静岡中学校に学ぶ。旧制静岡高等学校を経て、1941年、京都帝国大学文学部卒業。旧制静岡高等学校で教えた後、東京教育大学助教授。1958年、同教授。1962年、「中世歴史意識のリアリズム」で京都大学より文学博士の学位を取得、1975年、定年退官、名誉教授。1984年、勲三等瑞宝章受勲。
倉沢 栄吉(くらさわ えいきち、旧字:倉澤榮吉。1911年1… 倉沢 栄吉(くらさわ えいきち、旧字:倉澤榮吉。1911年1月25日 - 2015年1月24日)は、日本の国語教育学者。学位は、教育学博士(筑波大学・論文博士・1991年)(学位論文「昭和戦後期における読むことの学習指導論の展開」)。東京教育大学教授・千葉大学教授を歴任。 栃木県今市市出身。12歳の時、興津に移り、1923年、静岡県立静岡中学校に入学、1年の秋から寄宿舎生活を送った。1928年、静岡中学卒業。東京文理科大学卒業。1947年、千葉師範学校教授、新制大学移行に伴い千葉大学教授。1949年、大学教授の職を辞して東京都教育委員会(教育庁)指導主事、1951年1月から4ヶ月間、GARIOA(占領地域救済政府資金)による奨学金により米国国語教育を視察。
石井 次郎(いしい じろう、1910年 <明治43年> - … 石井 次郎(いしい じろう、1910年 <明治43年> - 1987年 <昭和62年> 3月2日)は、日本の宗教哲学者、教育学者。クリスチャン。九州大学名誉教授。 九州大学教育学部長、東洋英和女学院長、福岡女学院長、活水女子大学学長を歴任した。位階は正五位。 1910年に静岡市に生まれる。静岡県立静岡中学校に学ぶ。1934年、青山学院専門学校英語科卒業。同年、九州帝国大学法文学部(宗教学)入学。1937年、同大学院入学。1949年、青山学院大学文学部助教授。ボストン大学大学院入学。1954年、九州大学教育学部助教授。1960年、同教授。1963年、同大学教育学部長。九州大学教育学部では人間形成における宗教的要素に関する研究を行った。
大石 貞治(おおいし さだじ、1909年(明治42年)10月… 大石 貞治(おおいし さだじ、1909年(明治42年)10月2日 - 1989年3月2日))は、日本の実業家。三笑亭本店代表取締役社長。静岡県食肉事業協同組合連合会相談役。 静岡県静岡市両替町出身。大石善吉の長男。静岡県立静岡中学校卒業。三笑亭代表取締役社長、静岡県食肉事業協同組合連合会長、同環境衛生同業組合理事長、静岡県食料品小売商業組合監事、日本食肉協会副会長を務めた。 趣味はスポーツ観賞。宗教は浄土宗。住所は静岡市両替町2丁目。