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山岡 永知(やまおか ながとも、1938年6月14日 - )… 山岡 永知(やまおか ながとも、1938年6月14日 - )は、日本の法学者。専攻は英米法、国際取引法。日本大学法学部名誉教授・元非常勤講師。 東京都生まれ。日本大学付属第三高等学校を経て、1962年日本大学工学部建築学科卒業。1965年同大学大学院理工学研究科建築工学専攻修士課程修了、同大学生産工学部副手。1969年生産工学部専任講師、日本大学法学部法学専攻科修了、1972年同大学大学院法学研究科公法専攻修士課程修了。1974年生産工学部専任講師を退職。1975年ジョージ・ワシントン大学ロースクール修了、1977年テュレーン大学ロースクール修了。1985年秋田経済法科大学法学部専任講師、1986年日本大学法学部専任講師、1995年同教授。
狩野 直禎(かの なおさだ、1929年〈昭和4年〉11月8日… 狩野 直禎(かの なおさだ、1929年〈昭和4年〉11月8日 - 2017年〈平成29年〉2月7日)は、日本の東洋史学者。京都女子大学名誉教授。 東京府生まれ。1950年旧制第三高等学校を経て、1953年京都大学文学部史学科卒業(東洋史専攻で、古代中国史を専門)。1961年聖心女子大学助教授、1971年京都女子大学文学部教授。1993年から1997年まで学長。1998年定年退任となり名誉教授の称号を授与。 1994年、「後漢政治史の研究」で京大文学博士。『三国志』などについて一般向けの著書が多く、「三国志学会」会長でもあった。また第三高等学校の校史の編纂にあたった。 狩野直喜の嫡孫で、弟子らの講義ノートを基に著作の編さん解説を行った。
薗田 香融(そのだ こうゆう、1929年〈昭和4年〉1月18… 薗田 香融(そのだ こうゆう、1929年〈昭和4年〉1月18日 - 2016年〈平成28年〉8月4日)は、日本史・仏教学者。関西大学名誉教授。 和歌山県和歌山市に、薗田香勲の長男として生まれる。祖父は薗田宗恵。母方祖父は芦津実全。弟に薗田宗人、薗田坦、芦津家を継いだ芦津丈夫がいる。 第三高等学校を経て、1951年京都大学文学部史学科卒業。1953年関西大学文学部助手、専任講師、助教授を経て、1965年教授。1980年「古代財政史の研究」で関西大学文学博士。1999年定年退職、名誉教授。浄土真宗本願寺派妙慶寺第14世住職。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
石田 慶和(いしだ よしかず、1928年11月 - )は、日… 石田 慶和(いしだ よしかず、1928年11月 - )は、日本の哲学者、宗教学者。龍谷大学名誉教授。初代仁愛大学学長。親鸞思想の宗教哲学的解明を研究した。 1928年、京都府で生まれた。1949年に旧制第三高等学校を卒業し、京都大学文学部に進学。哲学科宗教学専攻で学び、1953年に卒業。京都大学大学院哲学学科に進み、1959年に修了。 1959年、京都女子大学教授に就いた。後に龍谷大学教授となり、在任中には龍谷大学文学部長、龍谷大学大学院文学研究科長を務めた。1976年、学位論文『信楽の論理』を京都大学に提出して 文学博士号を取得。1997年に龍谷大学を退任。同1997年、浄土真宗本願寺派教学研究所所長に就いた。
石田 喜久夫(いしだ きくお、1928年7月11日 - 20… 石田 喜久夫(いしだ きくお、1928年7月11日 - 2001年6月30日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(神戸大学・論文博士・1980年)。神戸大学名誉教授、京都学園大学名誉教授。京都市出身。 1948年第三高等学校文科乙類卒業。1951年大阪大学法経学部卒業。同法経学部助手。1956年大阪大学法学部専任講師。1961年大阪市立大学経済学部助教授。1968年大阪市立大学経済学部教授。1969年神戸大学法学部教授。1975年神戸大学評議員。1980年神戸大学より法学博士の学位を取得。 1990年経済企画庁消費者保護功労者表彰。1991年3月31日神戸大学定年退官。同名誉教授。京都学園大学法学部教授。
樋口 敬二(ひぐち けいじ、1927年11月26日 - 20… 樋口 敬二(ひぐち けいじ、1927年11月26日 - 2018年10月19日)は、日本の雪氷物理学者、名古屋大学名誉教授。 朝鮮半島(現在の韓国)の木浦で生まれ、京都で育つ。第三高等学校時代に氷の実験を試み、1949年、中谷宇吉郎に師事するために北海道大学に入学、1952年北海道大学理学部卒、1955年同大学院研究奨学生前期修了。1960年理学博士。1961年北大理学部助教授。航空機を使って石狩平野の降雪雲を観測し「紙の雪」の撒布実験などを行う。1966年名古屋大学理学部教授。現地調査・航空機によって雪渓・氷河・永久凍土などを観測し、地球温暖化の影響に関する先駆的研究を進めた。1973年『地球からの発想』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
太壽堂 鼎(たいじゅどう かなえ、1926年5月14日 - … 太壽堂 鼎(たいじゅどう かなえ、1926年5月14日 - 1996年8月28日)は、日本の法学者。専門は国際法。京都大学名誉教授。元姫路獨協大学教授。 1926年5月14日、京都市に生まれる。1939年から3年間、宗教家の大谷光瑞の門下生として京都、台湾にて修業を積み、1943年10月、専門学校入学者検定試験に合格。同年12月より1945年10月まで、徴用工および現役兵として勤務した。 旧制第三高等学校を経て1953年に京都大学法学部を卒業し、同大学法学部助手として国際法の研究を開始した。最初に取り組んだのは領域法の理論であり、1955年の助手論文「国際法上の先占について――その歴史的研究」においては思想史や経済史を参照しつつ、縦断的に国際先占原則の成立と展開の跡を研究した(領域法の社会学的研究)。
仲 晃(なか あきら、1926年- )は、日本のジャーナリス… 仲 晃(なか あきら、1926年- )は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。桜美林大学名誉教授。 京都府舞鶴市生まれ。第三高等学校 (旧制)を経て、1951年東京大学法学部卒業、共同通信社入社。ワシントン特派員、ジュネーヴ支局長、ワシントン支局長を経て、1983年論説副委員長。1962年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。1989年から桜美林大学国際学部教授。1997年に定年退職後、桜美林大学名誉教授。
末包 良太(すえかね りょうた、1925年(大正14年)2月… 末包 良太(すえかね りょうた、1925年(大正14年)2月8日 - 1987年(昭和62年)10月24日)は、昭和時代の計算機科学者。 京都市に生まれる。第三高等学校、東京帝国大学工学部航空学科を経て1948年(昭和23年)同大学応用数学科を卒業。同大助手を経て1951年(昭和26年)電気試験所材料部数学研究室に勤務し、駒宮安男とともに1952年(昭和27年)継電器式自動計算機のパイロットモデルETL Mark Iを完成させた。これは日本初の逐次式自動計算機であった。のち駒宮と共に大型継電器式自動計算機ETL Mark IIの開発に着手し、1955年(昭和30年)高木正英や桑原繁らとともにこれを完成させた。
越智 武臣(おち たけおみ、1923年(大正12年)11月2… 越智 武臣(おち たけおみ、1923年(大正12年)11月20日 - 2006年(平成18年)1月10日)は、日本の西洋史学者。京都大学名誉教授。専門は近代イギリス史。 1923年、愛媛県で生まれた。第三高等学校を卒業後、兵役についた。戦後京都大学文学部に進学し、1948年に卒業。英国ハル大学に留学して学んだ。 1952年、京大文学部助教授に就任。1969年、学位論文『近代英国の起源』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1970年に教授昇格。1987年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は京都橘女子大学教授として教鞭をとり、1989年に同大学学長に就いた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
富塚 良三(とみづか りょうぞう、1923年5月15日 - … 富塚 良三(とみづか りょうぞう、1923年5月15日 - 2017年1月12日[要出典])は、日本のマルクス経済学者、中央大学名誉教授。千葉県生まれ。 千葉県生まれ。旧制第三高等学校を卒業し、京都大学文学部西洋史学科に入学。その後1949年東京大学経済学部卒業、指導教授は大河内一男。利潤率の傾向的低下の法則を証明したことでも有名。また、著書である「恐慌論研究」において均衡蓄積軌道論を提示し、再生産論および恐慌論の発展に寄与した。 東京大学在学中に山田盛太郎の再生産論を、大原社会問題研究所では久留間鮫造から資本論を学ぶ。福島大学に所属していたときに熊谷尚夫との間で繰り広げられた、「相対的過剰人口」での討論は、近代経済学、マルクス経済学の有意義な論争の一つである。
川副武胤(かわぞえ たけたね、1922年4月15日 - 19… 川副武胤(かわぞえ たけたね、1922年4月15日 - 1993年6月29日)は、日本の日本史学者。山形大学名誉教授。 日本史学者・川副博の子として東京に生まれる。第三高等学校卒、1951年東京大学文学部国史学科卒。同大学院、1954年鎌倉市史編纂員、1960年正倉院事務所技官、1967年山形大学人文学部講師、1968年助教授、1974年教授。1985年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授、就実学園理事。 1969年「古事記の研究」で名古屋大学文学博士。
梅本 堯夫(うめもと たかお、1921年10月10日 - 2… 梅本 堯夫(うめもと たかお、1921年10月10日 - 2002年9月13日)は、日本の教育心理学者、京都大学名誉教授。 旧制第三高等学校文科乙類を経て、1948年に京都帝国大学文学部哲学科を卒業。1966年、「音楽心理学の体系的研究」で京都大学より教育学博士の学位を取得。京都大学助教授、教授、1985年、定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授。 1996年、勲三等旭日中綬章を受章。2002年9月13日、心筋梗塞のため死去。
溜池 良夫(ためいけ よしお、1921年8月30日 - 20… 溜池 良夫(ためいけ よしお、1921年8月30日 - 2014年10月16日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1987年)(学位論文「国際婚姻法の基礎的研究」)。京都大学名誉教授。 滋賀県大津市出身。1942年、第三高等学校 (旧制)卒業。1946年、京都帝国大学法学部卒業。1946年、京都帝国大学法学部助手(指導教授:齋藤武夫)。1952年、京都大学法学部助教授。1961年、京都大学法学部教授。1966年、京都大学評議員。1987年、法学博士(京都大学)(学位論文「国際婚姻法の基礎的研究」)。1985年、京都大学停年退官、同名誉教授。1985年龍谷大学法学部教授を歴任。
大崎 順彦(おおさき よりひこ、1921年〈大正10年〉5月… 大崎 順彦(おおさき よりひこ、1921年〈大正10年〉5月10日 - 1999年〈平成11年〉8月25日)(享年78才) は、日本の耐震工学者。地震自体と地盤、構造物を一体で捉える研究手法で地震工学に大きな業績を残し、後進も多数育てた。建設省建築研究所と東京大学などで研究した後に民間へ転じ、清水建設副社長などを務めた。 京都府出身。第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)、東京帝国大学第一工学部航空学科を卒業。航空用エンジンの振動を研究した。 太平洋戦争後の1949年(昭和24年)、建設省建築研究所に勤務。アメリカ合衆国に留学して1953年(昭和28年)にノースウェスタン大学大学院を修了した。
田村 芳朗(たむら よしろう、1921年4月11日 - 19… 田村 芳朗(たむら よしろう、1921年4月11日 - 1989年3月20日)は、日本の仏教学者・法華宗僧侶。東京大学名誉教授。千葉県長生郡長生村の浄教寺住職を務めた。東京大学文学部インド哲学仏教学研究室「日本仏教思想講座」を設けた。 1921年、大阪府大阪市に生まれた。1943年に第三高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部梵文学印度哲学科に入学。同年12月に学徒出陣で応召入隊。 1946年に復学。1949年、東京大学文学部印度哲学科を卒業した。同大学大学院(旧制)に進み、1954年に修了。 1956年、東洋大学文学部助教授に就いた。1962年、学位論文『鎌倉新仏教の研究:日蓮思想の周辺』を東洋大学に提出して文学博士号を取得。
服部 栄三(はっとり えいぞう、1920年11月1日 - 2… 服部 栄三(はっとり えいぞう、1920年11月1日 - 2008年1月27日)は、日本の法学者。 京都市出身。第三高等学校卒、1943年東京帝国大学法学部政治学科卒、1962年「団体法の研究 株式会社法を中心として」で東北大学・法学博士。 1945年10月東大法学部助手、1947年北海道大学法文学部助教授、1950年同志社大学法学部助教授、52年教授、1957年東北大学法学部教授、72年法学部長、84年定年退官、名誉教授。没後正四位。
和崎 洋一(わざき よういち、1920年9月16日 - 19… 和崎 洋一(わざき よういち、1920年9月16日 - 1992年6月29日)は、日本の人類学者。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。第三高等学校を経て、1945年京都大学理学部卒業。京大教授時代には京都大学アフリカ学術調査隊に参加。梅棹忠夫とは三高の同級生で京都大学アフリカ学術調査隊に参加した良き友人だった。その後は富山大学人文学部教授、中部大学国際関係学部教授を歴任した。 実の息子にWOWOW代表取締役社長の和崎信哉、文化人類学者で中部大学国際関係学部教授の和崎春日がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
杉原 四郎(すぎはら しろう、1920年(大正9年)3月30… 杉原 四郎(すぎはら しろう、1920年(大正9年)3月30日 - 2009年(平成21年)7月24日)は、日本の経済学者・思想史家。専攻は経済学史・社会思想史・経済思想史。甲南大学・関西大学名誉教授。 京都市で生まれる。1929年第三高等学校を卒業し、京都帝国大学経済学部に進学。柴田敬のゼミナールで学んだ。1941年に学士試験に合格し、翌年卒業。 1942年から京都帝国大学経済学部助手を務めた。1950年に退官し、関西大学経済学部教授に転じた。在任中は同学部長も務めた。1956年、学位論文『ミルとマルクス:現代経済思想の二大源流に関する比較研究』を関西大学に提出して経済学博士号を取得。1970年に関西大学を退職し、名誉教授となった。
前川 誠郎(まえかわ せいろう、1920年〈大正9年〉2月2… 前川 誠郎(まえかわ せいろう、1920年〈大正9年〉2月23日 - 2010年〈平成22年〉1月15日)は、日本の美術史家。東京大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。 1944年東京帝国大学文学部美学美術史学科卒。 旧制第三高等学校教授、京都帝国大学、九州大学助教授を勤め、1970年東京大学文学部助教授、1971年教授、1980年定年退官、名誉教授、国立西洋美術館長。1990年新潟県立近代美術館長。1991年春、勲二等瑞宝章受勲。 ミュンヘンの中央美術史研究所において研究し、デューラーおよびネーデルラント等の北方ルネサンスの美術に業績があり、1975年以来ライヘナウの修道院聖堂の実地調査を行った。
山根 有三(やまね ゆうぞう、1919年2月27日 - 20… 山根 有三(やまね ゆうぞう、1919年2月27日 - 2001年5月22日)は、日本の美術史学者。東京大学名誉教授、群馬県立女子大学名誉教授。近世初期の長谷川等伯、俵屋宗達、尾形光琳など琳派の研究が専門。紫綬褒章受章、叙正四位、叙勲二等授瑞宝章。 大阪府出身。父は花道家の山根廣治(号翠道)。1940年第三高等学校卒業、1942年東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業、同大学大学院進学。1944年恩賜京都博物館館員、1951年神戸大学文理学部助教授を経て、1969年1955年東京大学文学部助教授、1969年同大学教授。1979年定年退官、名誉教授。1980年群馬県立女子大学教授。 画家の伝記的研究に努め、1990年から1999年まで美術誌「國華」の主幹を務めた(後に名誉主幹)。
田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 199… 田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 1996年2月17日)は、日本の経済学者、岡山大学名誉教授。 京都府綾部市生まれ。第三高等学校卒。1941年、京都帝国大学経済学部卒、台湾銀行大阪支店に入行。1942年から1945年まで陸軍へ応召。1946年、岡山農業専門学校講師。1948年、教授。1950年、岡山大学法文学部講師、1951年に助教授、1961年に教授。1968年「イギリス初期銀行史研究」で、九州大学経済学博士。1980年から1982年、岡山大経済学部長、評議員。1981年から1982年、法文学部長。1983年、定年退官、名誉教授、金沢大学教授、のち福山大学教授、中京大学教授。
妹尾 左知丸(せのお さちまる、1915年3月10日 - 2… 妹尾 左知丸(せのお さちまる、1915年3月10日 - 2007年6月22日)は、日本の病理学者。 岡山県岡山市に生まれる。第三高等学校を経て1940年に京都帝国大学医学部を卒業した。直後より同病理学教室の助手となるが、1941年より1945年まで従軍のため大学を離れ、戦後に復帰。1947年に三重県立医学専門学校(現・三重大学医学部)の病理学教室主任教授となる。1955年に岡山大学医学部の病理学教室へ移る。同年、森永ヒ素ミルク中毒事件の原因を突き止め、岡山県を通じて当時の厚生省(現・厚生労働省)に報告した。岡山大学においては顕微分光測光による血液細胞の分化や血球系幹細胞の研究、鉄の代謝吸収に関する細胞生物学的研究をすすめた。
高山 捷一(たかやま しょういち、1915年1月2日 - 2… 高山 捷一(たかやま しょういち、1915年1月2日 - 2017年3月5日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官、航空工学者。最終階級は海軍技術少佐、航空自衛隊空将。戦前は零戦の審査補佐、銀河の設計・試作、紫電改の開発審査など、戦後は防衛庁技術幹部、技術開発官として国産初の量産型ジェット機T-1の開発やF-104Jの選定・ライセンス生産などを手掛けた。叙正四位。 1915年1月2日、高山益三の息子として名古屋で生まれる。父の転勤のため、1917年に大阪に転居。1927年に北野中学校に入学。父の失業により、鴻池家の奨学金を受けて卒業。私塾「清和塾」の塾生になり、奨学金を受けて第三高等学校、東京帝国大学に入学した。
豊田 尭(豊田堯、とよだ たかし、1914年5月6日- )は… 豊田 尭(豊田堯、とよだ たかし、1914年5月6日- )は、西洋史学者。 奈良県生まれ。1939年京都帝国大学文学部史学科卒。60年「バブーフとその時代 フランス革命の研究」で京都大学文学博士。戦前は同志社大学予科と第三高等学校で教授を、戦後は京都大学助教授、1959年大阪大学文学部助教授、64年教授。78年定年退官、名誉教授。87年勲三等旭日中綬章受章。
吉井 良三(よしい りょうぞう、1914年 <大正3年> 2… 吉井 良三(よしい りょうぞう、1914年 <大正3年> 2月14日 - 1999年 <平成11年> 1月28日)は、日本の昆虫学者。京都大学名誉教授。専門は洞窟生物学、昆虫形態学。位階は従四位。 1914年(大正3年)、大阪府の旧家に生まれる。旧制第三高校を経て、1938年(昭和13年)に京都帝国大学理学部動物学科を卒業。トビムシ研究から、日本の洞窟生物の研究をたちあげた。 また、その土壌動物採集の中でカマアシムシ目の昆虫を日本で初めて発見した。その種は彼の名にちなんでヨシイムシと名付けられた。 1959年、京都大学理学博士。学位論文の題は「粘管目の分類・系統学的研究」。 1987年勲三等旭日中綬章受章。
岡本 道雄(おかもと みちお、1913年(大正2年)11月2… 岡本 道雄(おかもと みちお、1913年(大正2年)11月25日 - 2012年(平成24年)7月24日)は、日本の医学者。京都大学名誉教授・総長。位階は従三位。専門は脳神経解剖学。 1913年11月25日京都府舞鶴市生まれ。旧制第三高等学校を経て、1941年京都帝国大学医学部卒業。同大学院特別研究生修了(脳神経解剖学)。1946年(昭和21年)京都大学医学博士。博士論文の題は「腫瘍の発育より観たる淋巴の解剖学」。 その後、三重県立医科大学教授、神戸医科大学教授を経て、1959年(昭和34年)京都大学教授となり、1970年(昭和45年)医学部長、1972年(昭和47年)に再任の後、1974年(昭和49年)に総長に就任した。
武藤 一雄(むとう かずお、1913年8月2日 - 1995… 武藤 一雄(むとう かずお、1913年8月2日 - 1995年6月27日)は、日本の宗教哲学者。京都大学名誉教授。キェルケゴールを専門とした。 1913年、長崎県長崎市で生まれた。京都帝国大学文学部に進学し、田辺元に師事した。 1946年、第三高等学校教授に就いた。1950年、京都大学教養部助教授となり、1957年に文学部助教授に配置換え。1962年、学位論文『神学と宗教哲学との間』を京都大学に提出して文学博士号を取得。同年11月に同教授昇格。1977年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は関西学院大学教授として教鞭を執った。同大学を退任後は、龍谷大学教授を務めた。
津田 松苗(つだ まつなえ、1911年(明治44年)11月1… 津田 松苗(つだ まつなえ、1911年(明治44年)11月15日 - 1975年10月9日)は、兵庫県出身の昆虫学者。男性。とりわけ水生昆虫学、汚水生物学の日本への導入とその研究で知られる。日本陸水学会元会長。 主な著書に『水生昆虫学』『水質汚濁の生態学』、『汚水生物学』がある。 1911年、兵庫県尼崎市に生まれた。京都に移り住み、旧制第三高等学校に進学、ドイツ語を専攻した。当初医学を志望していたが、健康を損ねて断念し、1932年に京都帝国大学(現:京都大学)理学部に進学、動物学を専攻した。動物学教室で川村多実二に師事し、水生昆虫の研究を行った。 1935年に同大を卒業し、大学院に進学した。1937年、交換留学生としてドイツのミュンヘン大学に留学、デモル教授(1882-1960)に師事した。
頼 桃三郎(らい ももさぶろう、1910年〈明治43年〉9月… 頼 桃三郎(らい ももさぶろう、1910年〈明治43年〉9月4日 - 1992年6月)は、日本の国文学者、広島大学名誉教授。竹原頼家の子孫である。 広島県賀茂郡竹原町(現竹原市)に生まれる。竹原町の富豪で製塩業・頼俊直の三男。第三高等学校を経て、1933年、東京帝国大学文学部国文科卒業。 1939年から1945年まで日本放送協会勤務。1946年、三原高女、県師範女子部、1949年、広島大学教育学部分校の教師。1953年から1963年まで三原分校付属校長。その後広島大学教授となり、1974年、退官、名誉教授、安田女子大学教授。 頼山陽の叔父頼春風の玄孫である。近世浄瑠璃を専門とした。趣味は柔道。住所は広島市南区比治山町、広島市牛田本町6丁目。
今井 林太郎(いまい りんたろう、1910年1月13日 - … 今井 林太郎(いまい りんたろう、1910年1月13日 - 2003年9月8日)は、日本の歴史学者、神戸大学・大手前大学名誉教授。専門は日本古代・中世史。 大阪府生まれ。大阪府立今宮中学校を卒業し、1928年第三高等学校文科に入学。同校で中村直勝の講義を受け、日本史を専攻することにする。1931年に卒業すると、京都帝国大学では三浦周行の定年退官が決まっていたこともあり、「中世に於ける社寺と社会との関係」に惹かれて平泉澄のいる東京帝国大学へ進学する。同期入学に北山茂夫、久保田収や箭内健次らがいる。卒業論文では「中世における庄園の農民」をテーマとしようと黒板勝美に相談したところ、「歴史のいろいろな記録には殆んど出てこない、そんなものを調べてみても無駄だ」という意見であったというが、黒板の承認を得て清水三男の論文「中世に於ける若狹太良莊の農民」などに学びながら、卒業論文「中世における荘民について」をまとめた。
西田 太一郎(にしだ たいちろう、1910年(明治43年) … 西田 太一郎(にしだ たいちろう、1910年(明治43年) - 1982年(昭和57年)2月3日)は、日本の中国哲学者、法制史家。法学博士。京都大学名誉教授。第三高等学校、京都外国語大学教授。角川書店『新字源』編者の一人。 1910年、大阪府大阪市生まれ。1935年(昭和10年)、京都帝国大学文学部哲学科を卒業。大学では中国社会思想史および中国法制史を専攻した。 大学卒業後は、第三高等学校、京都大学に勤務。1962年(昭和37年)に「中国刑法史研究」を京都大学に提出して法学博士号を取得。1974年に定年退官し、名誉教授となった。その後も京都外国語大学教授として教鞭をとった。 中国思想史、中国法制史を専攻、『世界古典文学全集』『日本思想大系』等の訳注を担当した。
北山 茂夫(きたやま しげお、1909年(明治42年)3月3… 北山 茂夫(きたやま しげお、1909年(明治42年)3月3日 - 1984年(昭和59年)1月30日)は、日本の日本史学者(日本古代史専攻)、立命館大学教授などを歴任する。 和歌山県有田郡鳥屋城村(現在の有田川町)生まれ。和歌山県立耐久中学校、第三高等学校をへて、1934年東京帝国大学文学部国史学科卒業。西洋史の羽仁五郎に傾倒し、近代史を学ぶため大学院に進むが古代史で業績をあげる。横浜の潤光学園講師、ついで郷里に帰り和歌山県立田辺中学校教諭となり、敗戦を迎える。戦後、排斥運動に遭って野に下るが、立命館大学法学部専任講師となり、文学部教授に転じるが学生運動で辞職した。 左翼的な立場に立ちつつ文学的関心が深く、人物史を排斥せず、一般向けに奈良時代史についての書物を多く著した。
前川 俊一(まえかわ しゅんいち、1908年6月5日 - 1… 前川 俊一(まえかわ しゅんいち、1908年6月5日 - 1993年1月11日)は、日本の英文学者、九州大学名誉教授。 三重県南牟婁郡(現熊野市)生まれ。第三高等学校 (旧制)卒。1931年、京都帝国大学経済学部卒。1934年東京帝国大学文学部英文科卒。東京府女子師範学校教諭。1937年第二高等学校 (旧制)教授。1943年第三高等学校 (旧制)教授。1948年九州大学法文学部助教授。1953年 - 1955年英国出張。1957年教授。1961年 - 1967年評議員。1964年 - 1966年文学部長。1972年定年退官、名誉教授、金城学院大学教授。
松村 克己(まつむら かつみ、1908年〈明治41年〉4月1… 松村 克己(まつむら かつみ、1908年〈明治41年〉4月1日 - 1991年〈平成3年〉2月18日)は、日本の神学者(神学博士)。関西学院大学名誉教授。 1908年、東京生まれ。第三高等学校を経て、京都帝国大学哲学科に進学。1933年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1937年に京都帝国大学講師に採用され、1942年に助教授昇格。 太平洋戦争終結後、戦時中の言動を元に京都大学文学部・教職員適格審査委員会による公職追放の対象となり、1946年に辞職。1950年、日本基督教団の正教師の按手を受ける。 1951年、関西学院大学文学部教授に就任。翌1952年の神学部復興とともに神学部教授、1954年に関西学院宗教総主事となり、1962年に神学部長に就任。
室賀 信夫(むろが のぶお、1907年12月21日 - 19… 室賀 信夫(むろが のぶお、1907年12月21日 - 1982年2月15日)は、日本の地理学者。筆名・須見五郎。 1907年、東京府豊多摩郡淀橋町角筈(現新宿区)に生まれる。東京府立第五中学校(現東京都立小石川中等教育学校)から第三高等学校(文科)を経て、1928年京都帝国大学文学部史学科に入学。体調を崩し休学時期があり、1933年卒業となる。1937年、京都帝国大学文学部講師に就き、1938年より立命館大学講師を兼任する(1944年まで)。1943年には京都帝国大学助教授に昇進、同志社女子専門学校(現同志社女子大学)講師を兼任(1944年まで)。 しかし、太平洋戦争が終結すると、京都帝国大学文学部の地理学講座は戦中に地政学研究に大きく傾いた責任を問われ、全員が総辞職することとなった。
山田 良之助(やまだ りょうのすけ 1907年3月19日 -… 山田 良之助(やまだ りょうのすけ 1907年3月19日 - 1990年6月13日)は日本の金属工学、材料工学者、教育者。 1907年(明治30年)京都府に生まれる。京都府立第二中学校、第三高等学校を経て京都帝国大学機械工学科に入学。1921年(大正10年)に卒業すると、そのまま同大の講師を務めた。1923年(大正12年)東北帝国大学助教授、1927年(昭和2年)には東京高等工業学校の講師を兼ねた。1928年(昭和3年)ドイツに留学、1930年(昭和5年)に帰国後、京都大学教授。その後、東京工業大学金属科長、静岡大学学長兼短期大学学長、武蔵工業大学学長などを務めた。
重澤 俊郎(しげさわ としお、1906年12月13日 - 1… 重澤 俊郎(しげさわ としお、1906年12月13日 - 1990年5月21日)は、日本の中国哲学者。京都大学名誉教授。 1906年、東京で生まれた。京都帝国大学文学部に入学し、支那哲学科で小島祐馬に師事した。1932年に卒業 卒業後は第三高等学校教授に就いた。1942年、母校の京都帝国大学文学部助教授に任じられた。 戦後の1950年、学位論文『経学研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。同1950年、教授に昇格。1970年に定年退官し、名誉教授となった。 学風は小島祐馬や侯外廬に近く、マルクス主義歴史学的手法をとった。戦後の京大の学内政治に左翼的立場から関与した。指導学生には戸川芳郎や加地伸行がいる。
井上 智勇(いのうえ ちゆう、1906年(明治39年)5月2… 井上 智勇(いのうえ ちゆう、1906年(明治39年)5月26日 - 1984年(昭和59年)6月5日)は、西洋史学者、浄土真宗の僧侶。 兵庫県出身。1930年京都帝国大学卒。第三高等学校教授、1943年京都帝大助教授。1948年「ローマ経済史の研究」で)文学博士、同年京都大学教授。1970年定年退官、名誉教授、奈良教育大学学長。西洋古代史が専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
児玉 信次郎(こだま しんじろう、1906年 - 1996年… 児玉 信次郎(こだま しんじろう、1906年 - 1996年1月17日)は、日本の化学者。 京都市に生まれる。第三高等学校(現在の京都大学)卒業後、1928年(昭和3年)京都帝国大学工学部工業化学科を卒業、理化学研究所に勤務した後に1932年(昭和7年)住友肥料製造所に転じる。1940年(昭和15年)京都帝国大学大学教授。1957年(昭和32年)に京都大学を退官後、住友化学の取締役となり、常務、専務を経て1965年(昭和40年)に副社長となった。 住友化学に勤務する傍ら、学術審議会委員、大学基準研究協議会委員、工業技術協議会臨時委員等の公職も務め、さらに日本化学会、化学工学協会、 日本特許協会、近畿化学工業会などの会長も歴任した。
金子 武蔵(かねこ たけぞう、1905年1月21日 - 19… 金子 武蔵(かねこ たけぞう、1905年1月21日 - 1987年12月31日)は、日本の哲学者、倫理学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。 1905年、高知県で実業家・金子直吉の次男として生まれた。第三高等学校を経て、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。 法政大学教員などを経て、1935年に東京帝国大学倫理学講座講師に就任。1938年、同助教授に昇格。1945年、学位論文『ヘーゲルの国家論』を東京帝国大学に提出して文学博士号を取得。 和辻哲郎の後任として東京大学倫理学科教授となった。1957年2月2日、実存主義協会を設立し、機関誌『実存主義』を通して日本における研究をリードした。学内では文学部長を務め、1965年に東京大学を定年退官。
渡辺 漸(わたなべ すすむ、1903年10月30日 - 19… 渡辺 漸(わたなべ すすむ、1903年10月30日 - 1984年4月2日)は日本の病理医、医学者。登山家。広島大学病理学第二講座初代教授、第4代医学部長。広島大学原爆放射能医学研究所初代所長。広島大学名誉教授。「雪山讃歌」作詞者の一人。東京都出身。 1921年(大正10年)静岡県立静岡中学校卒業。1922年(大正11年)第三高等学校 (旧制)入学。浪人中に西堀栄三郎と知り合い、揃って合格したところに今西錦司が落ちてきて、三人一緒になり、のちに高橋健治、桑原武夫、四手井綱彦らが加わり三高山岳部(のちの京都大学山岳部)が出発した。 1925年(大正14年)、東京帝国大学医学部進学、東大ではスキー部に所属。
勝木 新次(かつき しんじ、1903年9月19日 - 198… 勝木 新次(かつき しんじ、1903年9月19日 - 1985年1月27日)は、日本の労働衛生学者。弟は生理学者の勝木保次。 石川県出身。旧制小松中学、旧制第三高校を経て、東京帝国大学医学部卒業、1934年医学博士。大原記念労働科学研究所に勤め、所長、出版部。明治生命厚生事業団体力医学研究所。
猪熊 兼繁(いのくま かねしげ、1902年7月1日 - 19… 猪熊 兼繁(いのくま かねしげ、1902年7月1日 - 1979年1月7日)は、日本の歴史学者、国学者。京都大学名誉教授。専門は日本法制史。 京都府京都市生まれ。父は有職故実学者の猪熊浅麻呂。祖父の猪熊夏樹は白鳥神社の10代宮司・宮中進講(皇族のための教師)。兄に猪熊兼幹。妻は吉村伊助の娘。子に猪熊兼勝。甥に猪熊兼年。孫に猪熊兼樹。 旧制第三高等学校文科乙類を経て、1928年に京都帝国大学法学部を卒業。1962年「倭国法研究序説」で京都大学より法学博士の学位を取得。 1947年京都大学法学部教授となり、1966年退官。 家学である有識故実の研究にも従事。京都の葵祭や時代祭、都をどりなどの時代考証を行った。
佐藤 匡玄(さとう きょうげん、1902年5月19日 - 1… 佐藤 匡玄(さとう きょうげん、1902年5月19日 - 1993年10月7日)は、日本の東洋学者、教育者。第2代愛知学芸大学(現・愛知教育大学)学長、東方文化研究所研究員、建国大学助教授などを務めた。 愛知県豊橋町または豊岡村に生まれる(現在の豊橋市東田町)。京都帝国大学文学部支那哲学科卒業。1935年(昭和10年)、第三高等学校講師となる。 1938年(昭和13年)から2年間、文部省文化事業部在支特別研究員として中国に留学した。1940年(昭和10年)、東方文化研究所研究員を命ぜられる。1941年(昭和16年)、満州国の建国大学助教授に就任。東洋文化の解明に学究的情熱を傾注した。 終戦まで建国大学に在職。
土井 虎賀壽(どい とらかず、1902年2月19日 - 19… 土井 虎賀壽(どい とらかず、1902年2月19日 - 1971年3月10日)は、哲学者・文学者。香川県出身。 香川県木田郡の医師の家に生まれる。旧姓久保。第三高等学校理科乙類(ドイツ語クラス)から京都帝国大学理学部(物理)へ進むが、哲学科へ再入学、1926年卒業。学生時代は大山定一と下宿が同じで、親友であった。卒業後いったん実家に帰り女学校に勤め結婚する。しかし、二年で妻に先立たれ京都へ戻って大学院に進む。1929年、三高講師となる。1941年、三高教授、京都帝国大学講師となる。1948年、三高、京大を辞職、東京大学仏文科大学院に入学して二年間学ぶ。1953年、相模女子大学教授、学習院大学講師となる。
緒方 富雄(おがた とみお、1901年11月3日 - 198… 緒方 富雄(おがた とみお、1901年11月3日 - 1989年3月31日)は、日本の血清学者、医学史学者。血清研究以外にも、病理学、蘭学研究、出版、社会事業など様々な分野で活躍し、その業績は数多い。緒方洪庵の曾孫にあたる。 1901年(明治34年)、緒方洪庵の本家3代目・緒方銈次郎の三男として大阪府に生まれる。1919年(大正8年)兵庫県立神戸第一中学校を卒業後、第三高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学医学部に進学。1926年(大正15年)に同大を卒業。講師を勤めながら、1932年(昭和7年)医学博士。1936年(昭和11年)東京大学医学部助教授、1949年(昭和24年)東京大学医学部教授、東京大学医学図書館館長を務めた。
喜多野 清一(きたの せいいち、1900年5月27日 - 1… 喜多野 清一(きたの せいいち、1900年5月27日 - 1982年12月20日)は、日本の社会学者。文学博士(東北大学)。専門は、農村社会学。弟子に正岡寛司他。 和歌山県西牟婁郡田辺町(田辺市)出身。1921年、第三高等学校卒業。1925年、東京帝国大学文学部社会学科卒業。法政大学予科専任講師。1927年、東京帝国大学大学院(旧制)退学(指導教授:戸田貞三)。1933年、法政大学文学部専任講師。1942年、日本社会学会理事。仙台高等実務学校(仙台法経専門学校)副校長。1946年、連合国軍最高司令官総司令部民間情報教育局顧問。1948年、九州大学法文学部教授。1949年、同文学部教授。1949年、同産業労働研究所教授。
黒田 覚(くろだ さとる、1900年2月1日 - 1990年… 黒田 覚(くろだ さとる、1900年2月1日 - 1990年12月2日)は、日本の法学者。京都大学教授、東京都立大学 教授、神奈川大学教授および学長代行を務めた。 京都府京都市出身。第三高等学校から1923年3月に京都帝国大学法学部を卒業、同年4月より大学院に進む。京都帝大では憲法学・国法学の正系とされる森口繁治に師事[要出典]。 1925年(大正14年)京都帝大法学部助教授に就任した。ドイツ法を専攻し、純粋法学のハンス・ケルゼンと彼が所属したウィーン学派の研究を手がけた。1927年から1930年まで、文部省在外研究員として渡欧し、このときにはケルゼン本人に受講、個人的な親交を結んでいる。しかし、帰国後にケルゼンの影響からは次第に遠ざかったとされる。
堀 健夫(ほり たけお、1899年12月7日 - 1994年… 堀 健夫(ほり たけお、1899年12月7日 - 1994年6月9日)は、日本の物理学者。 富山県生まれ。京都帝国大学理学部物理学科を1923年に卒業、旅順工科大学教授を経て、1935年(昭和10年)、北海道帝国大学理学部教授となる。分子が発する光のスペクトルを実験的に調べ、量子力学を使って解析するという、分光学の実験的研究を行い、この分野の後進の育成にもあたった。戦後は二度にわたって北海道大学低温科学研究所の所長を務め、霧についての「総合的研究」をリードする。北大を辞してからは、関西学院大学、京都産業大学で教壇に立った。 堀は25歳のとき京都の旧制第三高等学校で講師として力学の授業を担当する。