小笠原 賢二(おがさわら けんじ、1946年4月15日 - … 小笠原 賢二(おがさわら けんじ、1946年4月15日 - 2004年10月4日)は日本の文芸評論家。北海道増毛郡増毛町出身。 中学卒業後に集団就職で上京し蒲田の町工場で働くも、父の死を挟み進学を志して、その年に帰郷。北海道増毛高等学校を経て、法政大学文学部日本文学科卒業。1975年、同大学院修士課程修了。小田切秀雄に師事。 大学院在学中から「週刊読書人」の編纂に携わり、1986年退職。その後、法政大学や日本ジャーナリスト専門学校などで教鞭を取る。1995年、『終焉からの問い』で第3回ながらみ書房出版賞受賞。評論は小説だけに限らず、短歌、俳句も積極的に対象とした。 2004年、肺がんのため東京都立川市の病院で死去。
蛭川 正文(ひるかわ まさふみ、1946年4月14日 - )… 蛭川 正文(ひるかわ まさふみ、1946年4月14日 - )は、日本の実業家、政治家、馬主。 三重県桑名市に本社を置く、建設資材の総合商社であるヒルカワ金属株式会社の代表取締役会長を務める。 1946年、三重県出身。三重県立桑名高等学校の定時制を卒業後に就職し、1984年7月7日に37歳で独立して現在の会社を設立した。 2006年に行われた桑名市議会議員選挙では1,727票を獲得し当選。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は黄、紫二本輪、緑袖、冠名には「ヒルノ」を用いるが、かつては「ビック」を用いた。現在は「株式会社ヒルノ」の法人名義として馬主登録をしている。
山本 泉二(やまもと せんじ、1946年4月14日 - )は… 山本 泉二(やまもと せんじ、1946年4月14日 - )は、日本の実業家。ソニーコミュニケーションネットワーク代表取締役社長、インターネットイニシアティブ(IIJ)取締役副社長などを歴任。
中沢 春雄(なかざわ はるお、1946年4月13日 - )は… 中沢 春雄(なかざわ はるお、1946年4月13日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 下妻第一高校から立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは1966年春季リーグで優勝を経験、しかしその後は優勝に届かなかった。4年時には主将をつとめ、三塁手、三番打者として活躍。同期のエース土井池憲治、捕手の田中鞆雅(日本石油)のバッテリーを擁し、1年下の望月充とクリーンアップを組み、低迷期の立大を支えた。 卒業後は1970年に本田技研工業へ入社し、同年の都市対抗に四番打者として出場。河本昭人らの好投もあり準々決勝に進むが、住友金属の山中正竹らに抑えられ、渡辺弘基(日産自動車から補強)のサヨナラ押し出し四球で延長11回サヨナラ負け。
杉山 三郎(すぎやま さぶろう、1946年4月13日 - … 杉山 三郎(すぎやま さぶろう、1946年4月13日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手、指導者。至学館大学(当時は中京女子大学)にレスリング部を立ち上げ、全日本チームのコーチも務めた。 三重県に生まれる。高校時代は柔道の選手で、日本体育大学に進んでからレスリングを始め、大学在学中の1967年にグレコローマン52kg級で全日本レスリング選手権大会に優勝した。1969年にレスリング世界選手権に初出場し、このときは2回戦敗退だったが、1970年の大会で銀メダルを獲得した。しかし、1972年ミュンヘンオリンピック出場を逃し、1974年の第29回国民体育大会での優勝を飾った。これを最後に選手生活を引退した。
長谷川 道郎(はせがわ みちお、1946年4月13日 - )… 長谷川 道郎(はせがわ みちお、1946年4月13日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。 新潟県長岡市摂田屋出身。父は元自由民主党参議院議員で法務大臣を務めた長谷川信。法政大学卒業。実家は酒造会社長谷川酒造を営んでいる。 1995年7月23日投開票の第17回参議院議員通常選挙に新潟選挙区から新進党公認で立候補し初当選。1997年、新進党解党により自由民主党に入党。自民党法務副部会長を務める。2001年7月29日投開票の第19回参議院議員通常選挙には自民党公認で立候補する意向を示し、自民党執行部もその方針であったが、自民党新潟県連が反対し、長谷川の公認を申請しなかった。県連が推す吉川芳男・真島一男との間で公認調整が難航し、結局自民党本部推薦で立候補したものの落選。
早川 清孝(はやかわ きよたか、1946年4月11日 - 2… 早川 清孝(はやかわ きよたか、1946年4月11日 - 2005年3月29日)は、福岡県出身のハンドボール選手、指導者。1972年ミュンヘンオリンピックハンドボール全日本代表。 福岡市立博多工業高等学校から日本体育大学に進み、卒業後湧永製薬に入社。同社ハンドボール部に所属。その後、大阪イーグルスに移籍した。 全日本では、1970年日体大生としてフランスで行われた世界選手権に出場。1972年には湧永の選手としてミュンヘン五輪代表。 現役引退後、指導者としても活躍、全日本コーチも務めた。1979年、日本オリンピック委員会スポーツ指導者海外研修員として、ドイツ・ケルン体育大学へ留学している。 晩年には京都市立芸術大学教授を務めた。
水谷 宏(みずたに ひろし、1946年4月11日 - )は、… 水谷 宏(みずたに ひろし、1946年4月11日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。戸籍姓は新垣(にいがき)。
河上 覃雄(かわかみ のぶお、1946年4月11日 - )は… 河上 覃雄(かわかみ のぶお、1946年4月11日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(通算5期)、労働政務次官、公明党神奈川県本部顧問などを歴任した。 神奈川県に生まれる。中央大学法学部卒業。 1990年、衆議院議員橋本文彦の後継候補として第39回衆議院議員総選挙に旧神奈川3区から出馬し初当選を果たす。以後、5期連続で当選した。小選挙区制施行後は比例南関東ブロック単独で出馬した。 労働政務次官、公明党神奈川県本部顧問、文化芸術振興会議事務局長などを歴任した。 定年制を定めた党の内規に従い、2005年の第44回衆議院議員総選挙には出馬せずに政界を引退した。
大塩 民生(おおしお たみお、1946年4月10日 - )は… 大塩 民生(おおしお たみお、1946年4月10日 - )は、日本の政治家。元兵庫県川西市長(3期)。 兵庫県川西市出身。川西市立東谷中学校、兵庫県立伊丹高等学校を経て、1969年、大阪商業大学商経学部卒業。大阪市内の食品会社に勤務した後、1975年、洋菓子店を開業した。1985年1月から12月まで、川西青年会議所理事長を務めた。1995年から2006年まで、川西市商工会副会長を務めた。 2006年、洋菓子製造販売とゴルフ練習場を経営する会社の社長をしていたが、「まちに元気がない。市民の意見を積極的に施策に取り入れ、閉そく状況を打ち破りたい」として川西市長選挙に立候補した。自由民主党の推薦を受け、首相の安倍晋三と写ったポスターを事務所に掲げるなど自民との連携を強調し、5選を目指していた現職の柴生進ら2人を破り初当選した。
岡本 嗣郎(おかもと しろう、1946年4月10日 - 20… 岡本 嗣郎(おかもと しろう、1946年4月10日 - 2003年8月6日)は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。 大阪府生まれ。早稲田大学法学部卒業。毎日新聞社に入社。大阪本社社会部記者、同学芸部副部長を経て、編集委員。1996年に退社して、フリーに。 また1992年、山本集の半生を描いたノンフィクション「男前(おとこまえ)」を著し、ノンフィクション作家としても活躍。 1997年、将棋ペンクラブ大賞(著作部門・第9回)を「9四歩の謎」で受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
八田 広子(はった ひろこ、1946年4月9日 - )は、日… 八田 広子(はった ひろこ、1946年4月9日 - )は、日本の政治家。元・日本共産党参議院議員(1期)、日本共産党中央委員会名誉役員。八田 廣子、八田 ひろ子とも。 愛知県名古屋市出身。名古屋市立名城小学校、名古屋市立前津中学校、愛知県立瑞陵高等学校卒業。 三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)に就職。勤め始めてすぐに「女の子は1時間前に出勤して掃除するものだ」と上司に言われ、男女差別に矛盾を感じたのが政治の道に進むきっかけだったという。 1975年、岡崎市議会議員選挙に日本共産党公認で出馬し、初当選。3期連続で当選。新日本婦人の会の支部役員を務める。 1983年12月2日に岡崎市議を辞職。同年12月18日執行の第37回衆議院議員総選挙に旧愛知4区から立候補し落選。
髙樹 のぶ子(たかぎ のぶこ、1946年4月9日 - )は、… 髙樹 のぶ子(たかぎ のぶこ、1946年4月9日 - )は、日本の小説家。日本芸術院会員、文化功労者、元九州大学アジア総合政策センター特任教授(アジア現代文化研究部門)。本名は鶴田信子(つるた のぶこ)。 東京女子大短期大学部教養学部卒。出版社勤務を経て結婚し福岡に転居したころから、同人誌に作品を発表し始める。『その細き道』(1983年)以降、「遠すぎる友」「追い風」が次々と芥川賞候補となり、4度目の候補作『光抱く友よ』(1984年)で受賞。恋愛や友情、若い女性の心理を中心に、人間の本質に切り込む真率な作風が高く評価されている。
高樹 のぶ子(たかぎ のぶこ、1946年4月9日 - )は、… 高樹 のぶ子(たかぎ のぶこ、1946年4月9日 - )は、日本の小説家。元九州大学アジア総合政策センター特任教授(アジア現代文化研究部門)。本名は鶴田 信子(つるた のぶこ)。
樋口 隆一(ひぐち りゅういち、1946年(昭和21年)4月… 樋口 隆一(ひぐち りゅういち、1946年(昭和21年)4月9日 - )は、日本の音楽学者、指揮者。明治学院大学名誉教授。哲学博士(エバーハルト・カール大学テュービンゲン)。国際音楽学会副会長・日本選出理事。音楽文献目録委員会委員長。日本アルバンベルク協会常任理事。DAAD友の会元会長。 東京生まれ。祖父は樋口季一郎陸軍中将。叔父は作曲家の乾春男。麻布高校卒、慶應義塾大学文学部卒、同大学院修士課程修了。作曲理論を池辺晋一郎に学ぶ。ドイツ学術交流会(DAAD)奨学生として、西ドイツのエバーハルト・カール大学テュービンゲン(テュービンゲン大学)に留学し、音楽学をゲオルク・フォン・ダーデルセンに師事し、指揮法をアレクサンダー・スムスキーに師事した。
多谷 千香子(たや ちかこ、1946年4月8日 - )は、日… 多谷 千香子(たや ちかこ、1946年4月8日 - )は、日本の法学者、検察官。前法政大学法学部教授。専門は国際刑事法。 東京都出身。1965年にお茶の水女子大学附属高等学校、1969年に東京大学教養学部国際関係論を卒業。 東京地検検事、法務省刑事局付検事、外務省国連局付検事、総務庁参事官、最高検察庁検事等を経て2005年3月に退官する。退官後、法政大学法学部教授に就任。2017年定年退職。 2001年9月から2004年9月まで、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所の訴訟裁判官を務めた。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
浜 圭介(はま けいすけ、1946年4月8日 - )は、日本… 浜 圭介(はま けいすけ、1946年4月8日 - )は、日本の作曲家、元歌手。旧満洲(中国東北部)出身。 旧芸名は牧 宏次、大木 賢、浜 真二。本名は金野 孝(こんの たかし)。妻は元歌手の奥村チヨ。 1946年4月8日、旧満洲(中国東北部)の収容所で生まれ、1歳の時に日本に引き揚げる。青森県大鰐町、次いで北海道札幌市に移り住み幼少期を過ごす。 15歳の時に高校を中退し、歌手を目指し上京。森山加代子の付き人となる。 1964年、牧 宏次の芸名で『波止場のロック』で歌手デビュー。しかしヒットに恵まれず、一度青森に戻る。1966年に大木 賢(おおき けん)の芸名で『これが愛さ』で歌手として再デビュー。
甲斐 元也(かい もとなり、1946年(昭和21年)4月7日… 甲斐 元也(かい もとなり、1946年(昭和21年)4月7日 - )は、日本の政治家。元新潟県佐渡市長(1期)。
加藤 修一(かとう しゅういち、1946年4月7日 - )は… 加藤 修一(かとう しゅういち、1946年4月7日 - )は、日本の実業家。元ケーズホールディングス代表取締役会長兼CEO。現在はケーズホールディングス名誉会長および相談役 茨城県水戸市で、加藤馨の長男として生まれる。1969年東京電機大学工学部電気通信工学科卒業後、加藤電機商会入社。 1973年代表取締役専務。1982年から父の後を受けカトーデンキ販売代表取締役社長に就任。 1997年11月に株式会社ケーズデンキに商号変更。2011年に社長を辞して会長兼CEOに就任するまで64期連続となる増収を達成した。 従業員を第一に考え、無理な成長を目指さない「がんばらない経営」を標榜し、M&Aなどを進めてケーズホールディングスを家電量販店大手に拡大させた。
島 次郎(しま じろう、1946年4月6日 - 2019年4… 島 次郎(しま じろう、1946年4月6日 - 2019年4月9日)は、日本の舞台美術家。 北海道生まれ。武蔵野美術大学卒業。当初は油絵に取り組んでいた。 1970年代から、平面・立体の造形作品に取り組みながら、テント劇団「走狗」で舞台美術に関わった後、1980年代半ばから本格的に舞台美術にたずさわる。 2011年には、「島次郎 舞台美術 1986-2010」と題した展覧会が、座・高円寺地下のギャラリー・アソビバで開催された。 晩年は武蔵野美術大学客員教授、日本工学院専門学校非常勤講師として教鞭もとっていた。 2019年4月9日、悪性リンパ腫のため死去。73歳没。
森 雞二(もり けいじ、1946年4月6日 - )は、将棋棋… 森 雞二(もり けいじ、1946年4月6日 - )は、将棋棋士。棋士番号100。高知県中村市(現:四万十市)出身。大友昇門下。棋聖、王位のタイトルを獲得。竜王戦1組通算5期。名人戦A級通算10期。2017年に引退。元大相撲幕内力士玉海力は甥。 大阪に幼少期を過ごし、父親の死後、中学2年で母親と上京。 晩学で知られる。将棋を覚えたのが16歳の頃と遅かったが、近所の将棋クラブでひたすら将棋を指し続け、僅か半年でアマ三段の実力にまで上達する。森自身は「この期間は夜の11時まで夕食もとらずに将棋を指し続けた」と後年に述懐した。戦前はいざ知らず、森以降の世代で、これほどの「晩学」で名人位挑戦、タイトル保持まで進んだ棋士は他にいない[要出典]。
吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5… 吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、俳優。本名同じ。旧芸名は平仮名のよしだたくろう。鹿児島県伊佐郡大口町(現在の伊佐市)生まれ 、広島県広島市育ち。 竹田企画(事務所)、avex trax(レコードレーベル)に所属。フォーライフ・レコードの第2代社長を務めた。楽曲提供者としては入江剣のペンネームを用いることがある。 妻は森下愛子(1986年結婚)。元妻は四角佳子(1972年 - 1975年)→浅田美代子(1977年 - 1984年)。 日本のシンガーソングライターの草分け的存在であり、1970年代初頭、マイナーであったフォークとロックを、日本ポップス界のメジャーに引き上げた歌手である。
山本 真一(やまもと しんいち、1946年4月5日 - )は… 山本 真一(やまもと しんいち、1946年4月5日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
永谷 脩(ながたに おさむ、1946年4月5日 - 2014… 永谷 脩(ながたに おさむ、1946年4月5日 - 2014年6月12日)はスポーツライター。東京都出身。 青山学院大学経済学部卒業後、小学館に入社。『週刊少年サンデー』編集部を経て独立。漫画家の水島新司のブレーンとして、プロ野球を舞台とする『あぶさん』『野球狂の詩』『光の小次郎』などの作品で取材協力していた。1977年、水島と共に月刊『一球入魂』の創刊に関わる。フリースポーツライターとして、『週刊ポスト』、『Sports Graphic Number』、『夕刊フジ』などで活動し、一時はテレビにも出演していた。 しかし、『文藝春秋』1997年9月号に掲載した「イチロー 大リーグへの夢日記」の内容を取材元であるイチローから強く批判され、現役選手への取材が困難となったことや、スポーツライターの世代交代の波を受けたことから、以後は活動の場をラジオに専念。
元倉 眞琴(もとくら まこと、1946年4月5日 - 201… 元倉 眞琴(もとくら まこと、1946年4月5日 - 2017年11月16日)は、日本の建築家。東京芸術大学名誉教授。元東北芸術工科大学教授。
佐藤 勝昭(さとう かつあき、1946年4月4日 - )は、… 佐藤 勝昭(さとう かつあき、1946年4月4日 - )は、日本の空手家で、佐藤塾の宗師である。選手権大会参戦時の体格は、身長180cm・体重90kg。柔道も参段を允許されている。 五人兄弟の末っ子として樺太で生まれる。1947年(昭和22年)に福島県勿来に移住し、中学2年生から柔道を始めた。福島県立磐城高等学校に進学するが、家庭の事情で東京に引っ越す事になり、高校1年生の2学期から錦城高校に転校し、柔道を続けた。高校での練習の他に講道館にも稽古へ通っていた。卒業後は共同通信社に入社し、勤務時間外は講道館や三鷹警察署で柔道を続け、大成高校でも1年間の条件付きでコーチを引き受けるなど仕事と柔道両方に勤しみ励んだ。
梅垣 達志(うめがき たつし、1946年4月4日 - )は、… 梅垣 達志(うめがき たつし、1946年4月4日 - )は、日本のシンガーソングライター・作曲家・編曲家・ギタリスト。Allan McGee (Alan Mcgee) 名義活動や、グリティー梅垣名義の作品もある。 京都の実家の二階の部屋は、かつて画家の竹久夢二が愛人と間借りを数年していた。 1970年3月関西大学経済学部卒業。 1970年11月5日に第2回ヤマハポピュラーソングコンテストで、自ら作詞・作曲した『さすらう若者の歌』を歌唱してヤマハポプコン作曲コンクール入賞となる。 1976年11月14日にNHKホールで開催された荒井由実リサイタル「14番目の月」で、瀬尾一三らとともにバック・コーラスを担当する。
柴田 洋三郎(しばた ようさぶろう、1946年4月4日 - … 柴田 洋三郎(しばた ようさぶろう、1946年4月4日 - ) は、日本の解剖学者、医師。九州大学理事・副学長や、大学入試センター副所長を経て、福岡県立大学理事長・学長。元日本解剖学会理事長。元公立大学協会副会長。 1971年九州大学医学部医学科卒業。1978年九州大学より医学博士の学位を取得。同年シカゴ大学留学。1988年九州大学医学部教授。1997年九州大学副学長。2004年国立大学法人九州大学理事・副学長。2007年日本解剖学会理事長。2010年九州大学名誉教授、独立行政法人大学入試センター副所長・研究統括官。2012年大学入試センター名誉教授、公立大学法人福岡県立大学理事長・学長。2017年公立大学協会副会長。
井上 雅夫(いのうえ まさお、1946年4月4日 - )は、… 井上 雅夫(いのうえ まさお、1946年4月4日 - )は、日本の西洋史学者。専門は中世ドイツ史。同志社大学文学部文化史学科教授。新教育者連盟理事長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
三村 益一郎(みむら ますいちろう、1946年(昭和21年)… 三村 益一郎(みむら ますいちろう、1946年(昭和21年)4月3日 - )は、日本の実業家である。日本ビクター(現:JVCケンウッド)取締役の後、第5代アドテック代表取締役社長。岡山県出身。 1946年(昭和21年)岡山県に生れる。その後、地元の岡山県立高梁高校へ進学する。同期には、JR北海道社長をつとめた小池明夫、画家の平松利昭、最高裁判所司法研修所教官・電通監査役を務める濱田俊郎がいる。1965年(昭和40年)同校を卒業し、静岡大学工学部へ進学する。1969年(昭和44年)同校を卒業し、就職する。 1969年4月、日本ビクターへ入社する。その後、順調に出世していき、1995年(平成7年)4月にカーエレクトロニクス事業副部長に就任する。
花岡 信昭(はなおか のぶあき、1946年4月2日 - 20… 花岡 信昭(はなおか のぶあき、1946年4月2日 - 2011年5月14日)は、日本のジャーナリスト、コラムニスト、産経新聞客員編集委員。拓殖大学大学院地方政治行政研究科教授。保守の論客として知られた。 長野県長野市生まれ。信州大学教育学部附属長野小学校、信州大学教育学部附属長野中学校、長野県長野高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。幼・小・中・高では作家の猪瀬直樹と同級であった。1969年産業経済新聞社入社。社会部を経て政治部に属し政治部長、論説副委員長を歴任。2002年退社し、評論活動に入る。2007年、産経新聞客員編集委員に就任。 2011年5月14日、心筋梗塞のため東京都新宿区の病院で死去、65歳。
吉岡 幸雄(よしおか さちお、1946年4月2日 - 201… 吉岡 幸雄(よしおか さちお、1946年4月2日 - 2019年9月30日)は、日本の染織史家・染色家。染司よしおか五代目当主。美術図書出版「紫紅社」代表。 父、常雄や上村六郎、山崎青樹、前田雨城の残した研究をもとに、染め師、福田伝士と共に古代の染色技術の復元を行っており、薬師寺、東大寺などの文化財の復元などに携わる傍ら、執筆業、講演などの活動も盛んに行った。
吉田 一平(よしだ いっぺい、かずひら、1946年4月1日 … 吉田 一平(よしだ いっぺい、かずひら、1946年4月1日 - )は、日本の政治家。前愛知県長久手市長。元長久手町長(1期)、学校法人吉田学園元理事長、社会福祉法人「愛知たいようの杜」元理事長。 愛知県長久手村(後の長久手市)に生まれる。父親は、当時、長久手村役場職員で、後に長久手町長を務めた吉田一男[要出典]。1964年、愛知県立愛知商業高等学校を卒業し、独立系商社である岡谷鋼機に入社し、以降15年間勤務するが、過労から椎間板ヘルニアを患い1979年に退職した。 退職した吉田は、自治会、消防団などの地域活動に深く関わるようになった。 1981年に学校法人吉田学園を設立して、理事長となり、愛知たいよう幼稚園の経営にあたり、次いで1986年に社会福祉法人愛知たいようの杜を設立して、理事長となり、翌1987年に特別養護老人ホームとショートステイ施設を開設した。
藤原 正司(ふじわら まさし、1946年4月1日 ‐ 201… 藤原 正司(ふじわら まさし、1946年4月1日 ‐ 2018年9月15日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。比例区選出。兵庫県出身。 兵庫県立姫路工業高等学校卒業後、関西電力入社。同社労組本部執行委員長、日本労働組合総連合会大阪府連合会副会長を経て、2001年、第19回参議院議員通常選挙に民主党公認で立候補し、初当選。 2008年4月9日、参議院本会議で、日本銀行次期副総裁人事の渡辺博史副総裁案に対し、党方針に反して賛成票を投じ、厳重注意処分を受けた。 2011年3月11日の東日本大震災後、「半年もたてば、世論も変わるわ。日本は農林水産業だけでは食べていけない。震災後、原発を減らせという評論家が増えたが、産業・経済はどうなる。
太田 直道(おおた なおみち、1946年4月1日 - )は、… 太田 直道(おおた なおみち、1946年4月1日 - )は、日本の哲学者、宮城教育大学名誉教授。 大阪府生まれ。1969年京都大学文学部哲学科卒業。1975年名古屋大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、名古屋大学文学部助手、宮城教育大学講師、助教授、教授。2004年「カント反省的判断論の研究」で名大文学博士。2011年定年退任、名誉教授。
八百板 洋子(やおいた ようこ、1946年〈昭和21年〉4月… 八百板 洋子(やおいた ようこ、1946年〈昭和21年〉4月1日 - 2025年〈令和7年〉2月18日)は、日本の翻訳家、児童文学作家。 福島県伊達郡飯野町(現・福島市)に生まれる。父は日本社会党の参議院議員を務めた八百板正。結婚後の本姓(夫姓)は折方。 1968年中央大学文学部国文科卒業後、1970年ブルガリアのソフィア大学大学院に留学。1976年『ふたつの情念()』で第13回日本翻訳文化賞特別賞・翻訳功労賞、1996年『吸血鬼の花よめ』で第33回日本翻訳文化賞を受賞。1999年の『ソフィアの白いばら』で第47回産経児童出版文化賞推薦作、第48回日本エッセイストクラブ賞受賞。2011年、ブルガリア共和国文化省より文化功労賞が授与される。
福島 啓史郎(ふくしま けいしろう、1946年3月31日 -… 福島 啓史郎(ふくしま けいしろう、1946年3月31日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。山口県宇部市出身。
高久 光雄(たかく みつお、1946年3月31日 - 202… 高久 光雄(たかく みつお、1946年3月31日 - 2024年5月28日)は、日本の音楽ディレクター、音楽プロデューサー、経営者。血液型B型。 東京都大田区出身。祖父は実業家、父はマンドリン奏者の高久肇という家に育つ。明治学院大学経済学部卒業後、日本コロムビアに入社し、エイプリル・フールなどをプロデュース。1971年に、CBS・ソニーのEPIC班に移り、音楽ディレクターとして、ミッシェル・ポルナレフ、矢沢永吉、プロデューサーとして、南佳孝などを、次々にヒットさせる。その後、キティMME、ユニバーサル インターナショナル、ドリーミュージックなどの社長兼CEOを経て相談役。日本レコード協会監事。 2024年5月28日、夕暮れ前に78歳で永眠。
齋藤 なずな(さいとう なずな、1946年3月30日 - )… 齋藤 なずな(さいとう なずな、1946年3月30日 - )は、日本の漫画家。静岡県富士宮市出身、東京都多摩市豊ヶ丘在住。代表作に『恋愛烈伝』『迷路のない町』などがある。京都精華大学マンガ学部で講師を務める。 静岡県立富士高等学校出身。文京区白山で暮らしながら共立女子短期大学に通い、卒業後にイラストを描く仕事に就く。浅野八郎の本の手相を描く仕事をしていた。 1987年、40歳の時に漫画を描く決意をし、『ダリア』で『ビッグコミック』新人賞を受賞してデビュー。多摩に移住し、作品を執筆。 『ビッグコミックオリジナル増刊号』2018年1月号にてシリーズ連載『ぼっち死の館』を開始。2018年3月、『恋愛烈伝』以来20年ぶりとなる単行本『夕暮れへ(英語版)』を刊行。
野田 義治(のだ よしはる、1946年〈昭和21年〉3月28… 野田 義治(のだ よしはる、1946年〈昭和21年〉3月28日 - )は、日本の芸能プロモーター、実業家。芸能事務所サンズエンタテインメントの会長で、トラフィックジャパンの代表取締役社長も兼任する。元イエローキャブの代表取締役社長。元渡辺プロダクション社員。富山県富山市生まれ、広島県呉市育ち。 1946年に生まれる。幼少の頃は海上自衛官である父の仕事の都合で京都府舞鶴市などに住み、11歳からは広島県呉市で育った。広島県立呉工業高等学校卒業。高校時代は『仁義なき戦い』のモデルになった広島抗争真っただ中の呉市で過ごす。学生時代は主に野球(キャッチャー)と喧嘩に明け暮れる日々を送り、広島市内まで仲間と喧嘩に繰り出したという。
小島 国人(こじま くにと、1946年3月28日 - )は… 小島 国人(こじま くにと、1946年3月28日 - )は、日本の経営者。第四銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1966年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に第四銀行に入行した。1995年9月に取締役に就任し、1998年6月に常務、2001年6月に専務を経て、2004年6月には頭取に就任。2008年6月から2012年6月までに会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上村 香子(かみむら きょうこ、1946年3月27日 - )… 上村 香子(かみむら きょうこ、1946年3月27日 - )は、日本の女優。 東京都目黒区出身。聖心女子学院高等科、聖心女子専門学校英語専攻科卒業。芳賀事務所、岩崎事務所を経て、オフィス・ミヤモト所属。夫は浜畑賢吉。 高校在学中に菊田一夫に劇団東宝現代劇への入団を直談判したが断られた。短大を卒業後、再度アタックし、1966年、劇団東宝現代劇へ入団してデビュー。1970年、退団。 退団後の活動の中心はテレビドラマで『肝っ玉かあさん』の清田千津役を松尾嘉代から引き継ぎ、その後『俺たちの旅』や『白い巨塔』で当たり役を得た。のちに結婚する浜畑賢吉とは1973年のCBCの昼ドラ『華岡青洲の妻』で共演していたが付き合ってはおらず、1975年夏頃から付き合い始めたという。
嶋中 行雄(しまなか ゆきお、1946年3月27日 - )は… 嶋中 行雄(しまなか ゆきお、1946年3月27日 - )は、日本の実業家。東京都出身。株式会社中央公論社(現・株式会社中央公論新社)元代表取締役社長。嶋中鵬二の長男。 東京都出身。上智大学外国語学部卒業。1976年、株式会社中央公論社(現・株式会社中央公論新社)に入社。その後、同社において海外室室長、取締役、副社長を歴任。1985年、嶋中書店創業。1994年、45年間に渡り社長を務めた父親の嶋中鵬二の後任として、代表取締役社長に就任。
山﨑 久道(やまざき ひさみち、1946年3月26日 - )… 山﨑 久道(やまざき ひさみち、1946年3月26日 - )は、東京都出身の日本の図書館情報学者(博士(情報科学)、乙種、東北大学、1999年)。元中央大学文学部教授、一般社団法人情報科学技術協会(INFOSTA)前会長・記録管理学会元会長。専門は社会情報学、文献データベース、シソーラス、専門図書館、企業内情報流通、インデクシング。 1946年に東京都に生まれる。1964年に成城学園高等学校を卒業、東京大学に進学。1969年に同大経済学部経済学科卒業。1999年に『文献情報の蓄積・検索に利用されるファセット分析に基づくシソーラスの開発に関する研究』で東北大学より博士(情報科学)、乙種。 1970年に三井物産株式会社に入社、翌1971年に株式会社三菱総合研究所に転籍。
宇野 正高(うの まさたか、男性、1946年3月26日 - … 宇野 正高(うの まさたか、男性、1946年3月26日 - 2025年12月23日)は、愛知県日進市出身の元プロボクサー。 最高位は日本バンタム級1位。東海ジム所属。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
廣川 信隆(ひろかわ のぶたか、1946年3月25日 - )… 廣川 信隆(ひろかわ のぶたか、1946年3月25日 - )は、日本の分子生物学者。東京大学医学部教授、東京大学大学院医学系研究科特任教授を歴任。キネシンスーパーファミリーを中心に、細胞生物学、分子生物学、発生学、生物物理学の研究に従事している。 1970年代に「急速凍結顕微鏡法」を開発し、神経細胞の中で働く分子モーターの働きを解明し、現在発見されている90種の分子モーターの大部分を発見した。特に分子モーターが微小管の上を毎秒数マイクロメートルで動いて物質を運んでいることを発見した。また心臓の左右の位置が分子モーター (KIF3) の働きで左右されることや、がんを抑制する分子モーターを発見した。
関口 一郎(せきぐち いちろう、1946年3月24日 - 2… 関口 一郎(せきぐち いちろう、1946年3月24日 - 2001年9月25日)は、日本のドイツ語学者。 今もなお日本のドイツ語教育の改革者として知られ、同じくドイツ語学者関口存男を祖父に持つ。 長野県茅野市生まれ。東京都日野市で育つ。東京都立南多摩高等学校卒業後、1968年、上智大学文学部卒業。1973年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。高校卒業時までは名門のギター教室に通うなど、音楽を愛好し、早稲田大学院在籍中は、文学に転向、ペンネームで小説を文学同好会の冊子に発表している。1976年から1978年までアーヘン大学に留学以降、東欧も含め東西ドイツ渡航歴多数。1988年にはサバティカルとしてミュンヘン在住。
近藤 誠一(こんどう せいいち、1946年3月24日 - )… 近藤 誠一(こんどう せいいち、1946年3月24日 - )は、日本の外交官。第20代文化庁長官。国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)大使、デンマーク駐箚特命全権大使を歴任。退官後は、近藤文化・外交研究所を設立し、JXホールディングス取締役、カゴメ取締役、パソナグループ取締役、長野県文化振興事業団理事長、東京都交響楽団理事長、東京大学政策ビジョン研究センター特任教授、東京芸術大学客員教授、公益財団法人京都市芸術文化協会理事長などに就任。神奈川県生まれ。夫人との間に一女がいる。
辻 昌憲(つじ まさのり、1946年3月24日 - 1985… 辻 昌憲(つじ まさのり、1946年3月24日 - 1985年8月12日)は、日本の元自転車競技選手。 金沢高等学校を経て、中京大学在籍時代の1964年、東京オリンピック・個人ロードレースに出場(途中失格)。 大阪府警に警察官として勤務した後、島野工業(現・シマノ)に入社。その後、1973年に創設されたシマノレーシングの初代監督に就任した。 指導者として、1984年ロサンゼルスオリンピックに日本代表選手を3人送り込んだ。 1985年8月12日、グリーンピア三木で行われるシマノグリーンピアロードレース大会開催のため東京に所在する日本アマチュア自転車競技連盟での打ち合わせを終えた後、その帰途のために日本航空123便に搭乗するが、日本航空123便墜落事故に巻き込まれ、同僚社員共々死亡した。
長谷川 三千子(はせがわ みちこ、1946年3月24日 - … 長谷川 三千子(はせがわ みちこ、1946年3月24日 - )は、日本の哲学者、評論家。埼玉大学名誉教授。日本会議代表委員。NHK経営委員。