安倍 圭子(あべ けいこ、本名:木村圭子、旧姓:安倍圭子、1… 安倍 圭子(あべ けいこ、本名:木村圭子、旧姓:安倍圭子、1937年4月18日 - )は、日本のマリンバ奏者、作曲家。東京都出身。世田谷区立代沢小学校を経て、中学2年生の時に山梨英和中学校から松山東雲中学校へ転校。松山東雲高等学校、東京学芸大学教育学部音楽専攻打楽器科を卒業。 山梨の中学生の頃には木琴を習っていたが、1950年に音楽を用いた布教で知られるアメリカのラクーア伝道団が学校に来て、メンバーが賛美歌を奏でた。この時にマリンバに出会う。 14歳でNHKの洋楽オーディションに合格し、演奏活動を始める。外国の音楽家の日本公演が難しい時代だったが、音楽史に残る世界的な演奏家が転校先の松山市の学校の体育館で演奏を見る機会があった。
加治 久典(かじ ひさのり、1937年4月18日 - 201… 加治 久典(かじ ひさのり、1937年4月18日 - 2014年4月6日)は、日本の実業家。ハローデイ創業者。同社元会長。福岡県出身。 1937年、福岡県苅田町の生まれ。福岡県立京都高等学校卒業。1958年、21歳の時、父親から15坪の食料品店である有限会社かじやを引き継ぎ、後のハローデイの礎を築く。2014年4月6日、癌性リンパ管症にて、76歳死去。 株式会社かじやが経営不振に陥るが、長男の加治敬通の入社により、危機を乗り越え、株式会社ハローデイ設立。同社社長に就任。2008年、同社会長。
青木 宥明(あおき ひろあき、1937年4月18日- 200… 青木 宥明(あおき ひろあき、1937年4月18日- 2001年11月8日)は、静岡県出身のプロ野球選手。
雨宮 淳(あめのみや あつし、1937年4月18日 - 20… 雨宮 淳(あめのみや あつし、1937年4月18日 - 2010年2月8日)は、彫刻家。位階は従四位。日本芸術院会員。 雨宮治郎の子、雨宮敬子の弟として東京府に生まれる。父、姉とともに芸術院会員となっている。 日本大学芸術学部を卒業後、彫刻家北村西望に師事し、1963年日展初入選、1984年西望賞受賞、1991年内閣総理大臣賞受賞、1997年日本芸術院賞受賞、2001年日本芸術院会員。日展常務理事。 2010年2月8日、心不全のため死去。72歳没。墓所は多磨霊園。叙従四位に叙され、旭日中綬章追贈。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山里 朝盛(やまざと ちょうせい、1937年(昭和12年)4… 山里 朝盛(やまざと ちょうせい、1937年(昭和12年)4月18日 - 2014年(平成26年)1月14日)は、日本の政治家。沖縄県糸満市長。 琉球大学農学部卒業。糸満市収入役を経て、2000年市長選挙に立候補。元職の上原宜成を破り当選。2004年の選挙では、新人の西平賀雄に敗れ次点で落選。 2007年、旭日双光章。2012年からは糸満市社会福祉協議会会長を務めた。 2014年1月14日、癌で死去。
加藤 順介(かとう じゅんすけ、1937年4月17日 - )… 加藤 順介(かとう じゅんすけ、1937年4月17日 - )は、日本の経営者。小糸製作所社長、会長を務めた。東京都出身。 1960年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に小糸製作所に入社した。1968年に取締役に就任し、1972年に常務、1979年に専務を経て、1985年6月に副社長に就任し、1997年6月には社長に昇格した。2003年6月に会長、2007年6月に取締役相談役を経て、2009年6月には相談役に就任。 2002年4月に藍綬褒章を受章。
小檜山 博(こひやま はく、男性、1937年4月15日 - … 小檜山 博(こひやま はく、男性、1937年4月15日 - )は、日本の小説家。本名は「博」を「ひろし」と読む。神田日勝記念美術館館長。元北海道教育大学特任教授。札幌市在住。 北海道滝上町生まれ。北海道苫小牧工業高等学校電気科卒業。高校卒業後、北海道新聞社に勤務する傍ら執筆活動を開始。「文學界」、「新潮」、「すばる」等の文芸誌にて作品を発表するほか、「北方文芸」などで同人活動を行う。 1976年に発表した『出刃』が第1回北方文芸賞を受賞し、第75回芥川賞候補となったのを皮切りに、本格的な作家活動に乗り出す。 1983年、『光る女』が第17回北海道新聞文学賞・第11回泉鏡花文学賞を受賞。 1987年、『光る女』は相米慎二によって映画化され、キネマ旬報ベストテン第9位になった。
三木 靖(みき やすし、1937年4月15日 - 2023年… 三木 靖(みき やすし、1937年4月15日 - 2023年11月17日)は、日本の歴史学者。鹿児島国際大学短期大学部名誉教授。専門は中世城郭史。 東京出身。1965年に早稲田大学大学院文学研究科修了。鹿児島短期大学学長を経て、鹿児島国際大学との統合により、同大学短期大学部教授・学部長を務める。また、鹿児島国際大学生涯学習センター長、鹿児島県文化財保護審議会会長、音楽療法士養成協議会顧問を歴任する。研究では日本古文書学会、九州史学会、南島史学会で活動した。南九州における中世城郭史のほか薩摩島津氏の研究において第一人者である。 2013年4月に、瑞宝中綬章を受章。 2020年には、第71回南日本文化賞(学術部門)を受賞。
淀野 隆(よどの たかし、1937年4月15日 - 2022… 淀野 隆(よどの たかし、1937年4月15日 - 2022年7月31日)は、新聞記者、イベントプロデューサー、作家。 京都府出身。父は文芸同人誌「青空」同人、フランス文学者淀野隆三。京都府立桃山高等学校から慶應義塾大学文学部に進学し社会学専攻(1961年卒業)。産業経済新聞社社会部勤務。1964年東京オリンピックの取材、川端康成ノーベル賞受賞特派員などに従事した後1969年同社退社。1970年から万国博覧会等のプロデューサーとして活動。元電通総研客員研究員。NPO法人亜州友好協会の理事であり、上海万博開幕1000日まえの発行雑誌(2007年8月創刊)として、2か月刊日本PR雑誌の編集、執筆を担当。
佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三〈こさき りょ… 佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三〈こさき りょうぞう〉、1937年〈昭和12年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉10月31日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家で、北九州市立文学館名誉館長、九州国際大学元客員教授。当初は純文学作家として活動したが、直木賞受賞の『復讐するは我にあり』以降は犯罪ノンフィクションで人気を博し、後年は法廷のルポルタージュでも広く知られる。旧朝鮮咸鏡北道穏城郡生まれ。 両親とも広島県出身で、父親は農家。一旗あげようと田畑を売り払って朝鮮に渡り、良三は朝鮮で生まれる。1941年(昭和16年)、銀山の所長をしていた父が呉の海軍に召集されたため、一家で日本に引き揚げた。
和田 明(わだ あきら、1937年4月15日 - 1992年… 和田 明(わだ あきら、1937年4月15日 - 1992年3月21日)は、元早稲田実業学校高等部(早実)硬式野球部監督。
吉田 曠二(よしだ ひろじ、1937年4月15日 - )は、… 吉田 曠二(よしだ ひろじ、1937年4月15日 - )は、日本のジャーナリスト、歴史家。 京都市生まれ。1963年同志社大学大学院法学研究科修士課程修了。1964年朝日新聞大阪本社入社。入社後も大学院時代の師田畑忍に師事し、日本近現代史研究を継続。1997年定年退職、名城大学非常勤講師となり外交史、政治史の講義を担当。
岸 義人(きし よしと、1937年4月13日 - 2023年… 岸 義人(きし よしと、1937年4月13日 - 2023年1月9日)は、日本とアメリカ合衆国で活動した有機合成化学者。専門は天然物化学。ハーバード大学名誉教授。天然物化学における驚異的な功績により2010年から名古屋大学特別教授。米国エーザイの副社長も務めた。 愛知県名古屋市出身で、戦時中に岐阜県美濃加茂市に疎開。岐阜県立加茂高等学校を経て、1961年に名古屋大学理学部を卒業したのち、名古屋大学農学部助教授などを経て、1974年にハーバード大学教授として招聘された。2009年現在ハーバード大学名誉教授。 1966年 理学博士「ウミホタルルシフェリンの構造とその全合成」。 海洋産天然物の研究を行い、パリトキシン、マイトマイシン、テトロドトキシン、ハリコンドリンBなどの全合成を達成した。
田中誠二(たなか せいじ、1937年4月13日 - )は日本… 田中誠二(たなか せいじ、1937年4月13日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はA型。東海財務局長、税務大学校長、長野銀行頭取、同行会長などを歴任。 東京都大田区出身。世田谷区立奥沢中学校、東京都立日比谷高等学校、東京大学法学部卒業。1961年4月 大蔵省入省(為替局総務課)。1967年7月 高田税務署長。1984年6月 理財局国有財産総括課長。1985年6月 大臣官房会計課長。1986年6月10日 東海財務局長。1987年6月 税務大学校長。1988年6月 退官。同年7月 船舶整備公団理事。1990年7月 証券保管振替機構常務理事。1993年6月 同機構専務理事。1996年5月 長野銀行顧問。
及川 順郎(おいかわ じゅんろう、1937年4月13日 - … 及川 順郎(おいかわ じゅんろう、1937年4月13日 - 2018年7月22日)は、日本の政治家。山梨県出身。元参議院議員(2期)。二十一世紀ヒューマン協会会長。 1937年4月13日、山梨県に生まれる。 1962年、日本大学理工学部卒業。その後、鳳書院出版業務、聖教新聞記者を務める。 1964年、公明新聞の編集を務める。 1969年12月27日、第32回衆議院議員総選挙に、山梨県全県区から公明党公認候補として立候補し、次点で落選する。以降、衆議院議員総選挙に合わせて4回立候補し、全て落選する。 1983年6月26日、第13回参議院議員通常選挙に立候補し、次点で落選する。 1986年7月6日、衆参同日選挙の第14回参議院議員通常選挙に立候補し、初当選する(以降、連続2期)。
市川 一朗(いちかわ いちろう、1937年4月12日 - )… 市川 一朗(いちかわ いちろう、1937年4月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。 参議院議員(3期)、農林水産副大臣(第1次小泉第2次改造内閣、第2次小泉内閣)などを歴任。 宮城県栗原郡鶯沢町(現在の栗原市鴬沢地区)出身。仙台第一高等学校卒業後、東京大学文科一類入学。1961年、東京大学法学部(私法コース)卒業と同時に建設省に入省する。国土庁防災局長、建設省都市局長、建設省総務審議官を経て、1993年に国土事務次官に就任し、翌1994年に退官。 1995年の第17回参議院議員通常選挙に無所属(新進党推薦)で宮城県選挙区から立候補し、初当選。当選後は新進党の参議院会派である平成会に所属したものの、最後まで新進党には入党しなかった。
田辺 義三(たなべ よしぞう、1937年4月12日 - 20… 田辺 義三(たなべ よしぞう、1937年4月12日 - 2018年9月12日)は、群馬県出身の元プロ野球選手(捕手、外野手、内野手)。 桐生高校では3年次の1955年、捕手として春の選抜に出場。今泉喜一郎とのバッテリーで決勝に進出するが、坂崎一彦・山本八郎・広島尚保らがいた浪華商に延長11回3-4でサヨナラ負け、準優勝に終わる。同年は夏の選手権にも出場したが、2回戦で日大三高のエース並木輝男に抑えられ、4-10で敗れた。同年8月には1年下の外野手間所宏全(阪急)らと共に全日本高校選抜チームの一員として初のハワイ遠征を果たし、4番を打った。 身長174cmは当時としては大型で、高校屈指の強打の捕手として中日、大映、東映、大洋などが獲得合戦を繰り広げたが、卒業後の1956年に西鉄ライオンズへ入団。
山田 卓生(やまだ たかお、1937年4月12日 - 201… 山田 卓生(やまだ たかお、1937年4月12日 - 2013年10月25日)は、日本の法学者。専門は民法・法社会学。横浜国立大学名誉教授。弁護士。来栖三郎門下。 愛知県名古屋市出身。1956年愛知県立瑞陵高等学校卒業。1960年東京大学法学部卒業。1962年東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。1973年ハーバード・ロー・スクール修了(LLM)。1962年東京大学社会科学研究所助手、1967年中央大学法学部専任講師、1968年同助教授、1974年同教授、1980年横浜国立大学経済学部教授、1994年同留学生センター長、1998年日本大学法学部教授、2004年日本大学大学院法務研究科教授、2008年同退職、あさひ法律事務所顧問を歴任。
太佐 順(たさ じゅん、1937年(昭和12年)4月12日 … 太佐 順(たさ じゅん、1937年(昭和12年)4月12日 - )は、日本の作家。 鹿児島県肝属郡内之浦町(肝付町)出身。本名・順一。週刊誌記者、PR誌編集、出版社等に勤務。『新潮』『すばる』他の文芸誌に作品を発表。1974年(昭和49年)『季刊藝術』に掲載した「『父』の年輪」で芥川賞候補になる。1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙・鹿児島選挙区に進歩党公認で出馬、落選した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
森田 次夫(もりた つぐお、1937年4月11日 - 202… 森田 次夫(もりた つぐお、1937年4月11日 - 2020年4月2日)は、日本の政治家、元参議院議員(1期)。 東京都出身。1956年東京都立第四商業高等学校卒。1957年日本遺族会に入り、同事務局長を経て、1994年専務理事になる。1998年の第18回参議院議員通常選挙で自民党から比例区に立候補して当選。2000年日本遺族会副会長に就任。2002年の第1次小泉第1次改造内閣で厚生労働政務官に就任。2004年の第20回参議院議員通常選挙に立候補せず政界から引退。2006年に靖国神社総代に就任。 2012年から日本遺族会の会長代行を務めた。 2020年4月2日、膵臓がんのため、東京都内で死去。
加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月1… 加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント、ギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者、画家。本名、池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは、若大将。作曲家として、弾 厚作(だん こうさく)のペンネームを用いる。 神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身。公益財団法人日本セーリング連盟応援団長、文化功労者。勲等は旭日小綬章。 父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた。
櫻木 晶(、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日… 櫻木 晶(、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の映画美術監督。和歌山県出身。日本映画美術監督協会特別会員。 1961年に、東宝へ美術助手として入社。黒澤明や市川崑らの監督作品に携わったのち、1984年に映画『ゴジラ』にて美術デザイナーとして一本立ちした。1997年4月、定年退職しフリーとなる。 美術監督としては、セットのクオリティの高さを第一に掲げていた。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
寺島 泰(てらしま ゆたか、1937年4月10日 – 201… 寺島 泰(てらしま ゆたか、1937年4月10日 – 2019年9月12日)は、日本の環境衛生工学者。大阪産業大学教授。京都大学名誉教授。 福井県小浜市出身。1960年京都大学工学部土木工学科卒業。 1976年工学部教授に就任。専門分野は環境衛生工学。2001年、定年により退職。 2017年、瑞宝中綬章を受章。
松山 恵子(まつやま けいこ、1937年〈昭和12年〉4月1… 松山 恵子(まつやま けいこ、1937年〈昭和12年〉4月10日 - 2006年〈平成18年〉5月7日)は、日本の演歌歌手。本名:岡崎 恒好(おかざき つねこ)。庶民派で知られ、「お恵ちゃん」(おけいちゃん)の愛称で幅広いファンに親しまれた。裾の幅が広いフリフリのドレスにハンカチがトレードマーク。所属レコード会社は日本マーキュリーレコード⇒東芝レコード。 1937年、福岡県戸畑市(現在の福岡県北九州市戸畑区)で生まれる。生後すぐに父の仕事の関係から東京へ引っ越すが、終戦後の食糧難のため、父の故郷の愛媛県宇和島市へ引っ越す。 中学2年生で出場した「日本コロムビア全国歌謡コンクール」で10位入賞を果たし、関係者の注目を集めた。
石 弘光(いし ひろみつ、1937年4月9日 - 2018年… 石 弘光(いし ひろみつ、1937年4月9日 - 2018年8月25日)は、日本の経済学者。専門は財政学。学位は、経済学博士(一橋大学・論文博士・1977年)(学位論文「財政構造の安定効果 : ビルトイン・スタビライザーの分析」)。一橋大学名誉教授(第14代学長)、放送大学名誉学長(第6代学長)、中国人民大学名誉教授。オックスフォード大学客員教授、政府税制調査会会長なども務めた。 東京府(現・東京都)出身。父は教育学者(学校経営学)の石三次郎(元全国家庭科教育協会長・東京教育大学(現筑波大学)教授)。環境ジャーナリストの石弘之(元東京大学教授)は弟。末弟の石和久は日本の医師、医学博士であり順天堂大学名誉教授。
湊谷 武雄(みなとや たけお、1937年4月9日 - )は福… 湊谷 武雄(みなとや たけお、1937年4月9日 - )は福井県出身の元プロ野球選手、横浜ベイスターズ代表取締役(1997 - 2003年)。選手時代の姓は松井。 福井県立若狭高等学校では1955年、エースとして甲子園に春夏連続出場を果たす。春の選抜では準々決勝に進むが、県尼崎高の今津光男投手に完封を喫する。同年の春季北信越地区大会県予選決勝で、武生高を相手にノーヒットノーランを達成。北信越地区大会でも決勝で大町南高を降し優勝した。同年夏の選手権では、2回戦で立命館高の富永格郎投手に抑えられ敗退。カーブ、ドロップ、シュートが武器だった。高校同期には、後にプロで同僚となる遊撃手の浜中祥和がいた。 1956年に投手として大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。
寺田 縉太郎(てらだ しんたろう、1937年(昭和12年)4… 寺田 縉太郎(てらだ しんたろう、1937年(昭和12年)4月9日 - )は、日本の実業家。BPカストロール名誉会長。ペトロルブ・インターナショナル名誉会長。曽祖父は浅野財閥の創始者・浅野総一郎。Sansan創業者兼代表取締役社長の寺田親弘は三男。 東京都出身。富士産業会長を務めた寺田統一郎の長男として誕生。戦時中は岐阜県揖斐郡に集団疎開を経験した。 1961年(昭和36年)慶応義塾大学経済学部卒業、同年日本石油に勤務。1978年(昭和53年)9月ペトロルブ・インターナショナルを設立し、社長、会長、名誉会長を歴任。 名前の「縉」は中国のめでたい席に必ず飾る赤い絹を指し、縁起のよい意味をとって名が付けられた。
八木橋 惇夫(やぎはし あつお、1937年4月8日 - )は… 八木橋 惇夫(やぎはし あつお、1937年4月8日 - )は、日本の官僚。環境事務次官、商工組合中央金庫副理事長、沖縄振興開発金融公庫理事長などを務めた。
稲尾 義文(いなお よしふみ、1937年4月8日 - )は、… 稲尾 義文(いなお よしふみ、1937年4月8日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(内野手)。 鎮西学院高から社会人野球の日炭高松を経て、1961年に広島カープへ入団。 1964年限りで、現役を引退。
植草益(うえくさ ます、1937年4月8日-2019年 )は… 植草益(うえくさ ます、1937年4月8日-2019年 )は、日本の経済学者、東京大学名誉教授。 神奈川県鎌倉市大船生まれ。1962年慶應義塾大学経済学部卒、1967年同大学院博士課程中退、1983年「産業組織論」で東京大学経済学博士。東京大学経済学部教授を務め、1998年定年退官、名誉教授、東洋大学経済学部教授。2006年退職。1983年『産業組織論』で日経・経済図書文化賞受賞。1984年交通図書賞、1992年テレコム社会科学賞、1995年エネルギー・フォーラム賞、1998年公益事業学会賞受賞。日本経済政策学会会長を務めた。
岩本 由輝(いわもと よしてる、1937年4月8日 - )は… 岩本 由輝(いわもと よしてる、1937年4月8日 - )は、日本の経済学者・歴史学者、東北学院大学名誉教授。専門は歴史経済学。 東京府東京市中野区東中野(現・東京都中野区)に生れる。1961年東北大学経済学部卒業。1967年同大学院経済学研究科博士課程修了、「近世漁村の共同体の変遷 商品経済の進展と村落共同体」で経済学博士の学位を取得。同年山形大学講師、助教授、教授、1988年東北学院大学教授。2005年比較家族史学会会長。2011年退任、名誉教授。
松谷 さやか(まつや さやか、1937年4月8日 - )は、… 松谷 さやか(まつや さやか、1937年4月8日 - )は、日本のロシア児童文学の翻訳家。 父は児童文学作家、詩人の山本和夫で、母は同じく児童文学作家、翻訳家の山本藤枝である(旧姓:山本 さやか)。 東京都渋谷区生まれ。1961年早稲田大学大学院露文科修士課程修了。早稲田大学少年文学会出身。修士課程の後、児童図書出版専門の小峰書店勤務(1964年まで)を経て、ロシア児童文学の翻訳・研究に従事。
長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 201… 長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 2018年11月25日)は、日本の漫画家、漫画評論家、小説家、エッセイスト、詩人、作詞家、元大垣女子短期大学・椙山女学園大学・中京大学・宇都宮アート&スポーツ専門学校等の講師。元日本マンガ学会理事。赤塚不二夫の長年のブレーン役。パロディ漫画におけるパイオニアとして知られる。日本の教育における漫画学科の草創期から関わっている人物でもある。 石森章太郎主宰の東日本漫画研究会の同人として、赤塚不二夫とデビュー前から交流していた。彼らがトキワ荘に入居すると通い組として参加。もともと現代詩を書く文学青年でもあり、江戸川邦生名義で小説も発表した。また、SF同人誌『宇宙塵』の初期からの会員でもあった。
巽 秀太郎(たつみ しゅうたろう、1937年4月7日 - )… 巽 秀太郎(たつみ しゅうたろう、1937年4月7日 - )は、日本の元俳優。京都府出身。 本名は坂井 秀太郎(さかい ひでたろう)。 大阪工業大学卒業。松竹ニューフェースで俳優デビュー。森繁自由劇団、東映、フリーランス期間を経て、さち子プロに所属していた。 1961年に『ナショナルキッド』で小嶋一郎に変わりナショナルキッド / 旗竜作役を演じ知名度をあげる。デビューからしばらくは精悍な顔つきであったが、役者活動後期は肉付きの目立つ体型に変化した。 1980年代中盤にラジオ番組に出演したのを最後に公の場から姿を消している。
中村 友太郎(なかむら ともたろう、1937年4月7日 - … 中村 友太郎(なかむら ともたろう、1937年4月7日 - )は、キリスト教学者、上智大学名誉教授。 1961年東京大学教養学部教養学科ドイツ科卒、同大学院比較文学比較文化博士課程中退、東洋大学講師、助教授、1979年上智大学文学部助教授、教授、2003年特任教授、2008年退任、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
園田 裕久(そのだ やすひさ、1937年4月6日 - )は、… 園田 裕久(そのだ やすひさ、1937年4月6日 - )は、日本の俳優、司会者、ナレーター。本名は同じ。 満洲国奉天市生まれ、大分県育ち。大分県立大分工業高等学校卒業。劇団東芸、劇団俳優小劇場、田村企画、オフィス三井を経て、三喜プロモーションに所属。 1957年に上京後、友人が芝居をやっていたことから自分も一緒に演劇の道に進む。 1968年、俳優小劇場入団(1972年退団)。 特技は動物の声帯模写。
別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4… 別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4月6日 - )は、劇作家、童話作家、評論家、随筆家である。名の正式な表記は實。サミュエル・ベケットの影響を受け、日本の不条理演劇を確立した第一人者である。日本藝術院会員。
崎山 理(さきやま おさむ、1937年4月6日 - )は、日… 崎山 理(さきやま おさむ、1937年4月6日 - )は、日本の人類学者・言語学者。国立民族学博物館・滋賀県立大学名誉教授。 1937年、大阪市生まれ。1962年、東京外国語大学フランス語学科卒業。1967年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1964-66年、インドネシア大学・ガジャ・マダ大学文学部給費留学。京都大学博士(文学)。 大阪外国語大学外国語学部・広島大学総合科学部助教授、国立民族学博物館助教授、同第5研究部教授、同民族文化研究部教授を経て、2001年、定年退職。1984-85年、パプアニューギニア大学(英語版)学芸学部客員助教授。1993-94年、総合研究大学院大学文化科学研究科長。
若生 智男(わこう ともお、1937年4月5日 - 2024… 若生 智男(わこう ともお、1937年4月5日 - 2024年6月3日)は、宮城県仙台市太白区出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、評論家。 兄には仙台商業高校元監督で宮城県野球連盟会長を務めた若生久二雄、弟には埼玉栄高校元監督の若生正廣がいる。東北高校時代は若生忠男(西鉄→巨人)・若生照元(中大→大洋)と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。 卒業後の1956年に毎日オリオンズへ入団し、8月23日の阪急戦(駒澤)に和田功・中西勝己の3番手で初登板。9月3日の大映戦(後楽園)では先発に起用されるが、5回途中で降板。 2年目の1957年は8月18日の大映戦(西京極)で初勝利を挙げ、10月23日から同24日の東映3連戦(駒澤)では2勝を記録。
吉田 喜昭(よしだ よしあき、1937年〈昭和12年〉4月5… 吉田 喜昭(よしだ よしあき、1937年〈昭和12年〉4月5日 - 2001年〈平成13年〉1月24日)は、日本の脚本家、絵本作家である。日本脚本家連盟信託者。生前は日本放送作家協会会員、東洋大学講師であった。『ムーミン』『昆虫物語 みなしごハッチ』等のテレビアニメーションの脚本家として知られ、『天才バカボン』『ど根性ガエル』『ジャングル黒べえ』『元祖天才バカボン』『ろぼっ子ビートン』ではメイン作家であった。 日本映画データベース等で混同されている、同時代に活動した脚本家の吉田義昭(1932年 - 1989年)は同音異字の別人、テレビドラマデータベース等で混同されている作詞家・作曲家の古田喜昭(1949年 - )は一字違いの別人。
田浦 直(たうら ただし、1937年〈昭和12年〉4月5日 … 田浦 直(たうら ただし、1937年〈昭和12年〉4月5日 - 2025年〈令和7年〉5月6日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(2期)。皮膚科医。医学博士(長崎大学)。 社会福祉法人橘会理事長、NPO法人長崎こども囲碁普及会理事長、長崎ペンクラブ会長、文芸誌「ら・めえる」発行人。 長崎県佐世保市出身。1962年(昭和37年)に長崎大学医学部を卒業し、長崎大学医学部助手、日本赤十字社長崎原爆病院皮膚科部長などを歴任した。 1969年(昭和44年)、長崎大学で医学博士を取得した。論文の題は「正常皮膚表面の水素イオン濃度に関する研究 」。 1975年(昭和50年)に田浦皮膚科診療所を開設。
郷 正文(ごう まさぶみ、1937年4月5日 - )は、現代… 郷 正文(ごう まさぶみ、1937年4月5日 - )は、現代ドイツ文学研究者。立教大学名誉教授。 中国・瀋陽市(旧満洲国 ・奉天市)に生まれる。吉林市、大連市に移住ののち、1947年鹿児島県出水市に引き揚げる。出水高等学校に入学して、鹿児島玉龍高等学校卒業。1957年東京大学教養学部入学。1962年東京大学文学部ドイツ文学科卒業。1962年東京都職員。1965年新潟大学人文学部助手に着任し、講師を経て、立教大学講師に転任して、助教授、教授を歴任。2003年定年退職。名誉教授。 ハンス・エーリヒ・ノサック、フランツ・カフカ、ペーター・ハントケに関する論文を「新潟大学人文科学研究」「立教大学ドイツ文学科論集『アスペクト』」「立教大学『研究報告〈人文科学〉』」に執筆する。
黒川 雅之(くろかわ まさゆき、1937年4月4日 - )は… 黒川 雅之(くろかわ まさゆき、1937年4月4日 - )は、愛知県名古屋市生まれの建築家・プロダクトデザイナー(金沢美術工芸大学博士)。日本建築学会会員。日本建築家協会会員。株式会社黒川雅之建築設計事務所主宰。株式会社デザイントープ主宰。
飯塚 十朗(いいづか じゅうろう、1937年4月4日 - )… 飯塚 十朗(いいづか じゅうろう、1937年4月4日 - )は、日本のアーチェリー選手、アーチェリー指導者。 アジアアーチェリー連盟副会長。群馬県出身。長野原高校、日本体育大学卒。 現役時代は選手として世界大会に3度出場を果たした。 現役を引退してからは、様々なアーチェリー大会の役員を務めた。 現在は、勤務先を定年退職し、アーチェリーの役員・指導者を務めている。 1980年モスクワオリンピックの日本選手団アーチェリー監督に就任するも、日本が不参加を決定したため、采配を取れずに終わった。 その後、日本アーチェリー連盟の重鎮として活躍し、アジアアーチェリー連盟副会長、全日本アーチェリー連盟副会長、全関西アーチェリー連盟会長、大阪府アーチェリー連盟会長、日本オリンピック委員会理事などの要職を歴任し、日本のアーチェリー界の発展に尽力した。
高柳 先男(たかやなぎ さきお、1937年4月3日 - 19… 高柳 先男(たかやなぎ さきお、1937年4月3日 - 1999年7月16日)は、日本の政治学者。専門は国際政治学。元中央大学法学部教授。平和学研究で知られ、日本平和学会会長を務めた。 愛知県生まれ。1956年愛知県立時習館高等学校卒業。1960年中央大学法学部政治学科卒業、1963年同大学院法学研究科修士課程修了。1966年同大学院法学研究科博士課程中退(指導教授:小松春雄)。中央大学法学部助手、1969年同法学部助教授、1976年同法学部教授。1979年同大学院法学研究科教授。1981年エクス=マルセイユ大学客員教授。1985年社会科学高等研究院客員教授。1987年フランス国立科学研究センター客員教授。
安藤 治久(あんどう はるひさ、1937年4月3日 - )は… 安藤 治久(あんどう はるひさ、1937年4月3日 - )は、静岡県伊豆の国市出身の元プロ野球選手(投手)。
岩崎 淑(いわさき しゅく、1937年(昭和12年)4月3日… 岩崎 淑(いわさき しゅく、1937年(昭和12年)4月3日 - )は、日本のピアニスト、教育者。桐朋学園大学大学院大学教授、尚美学園大学大学院客員教授、くらしき作陽大学、武庫川女子大学客員教授。第3回高松国際ピアノコンクールの音楽監督代行兼審査員長も務める。 岡山県倉敷市出身。設立当時まだ4年制になる前の桐朋学園を経て、アメリカハートフォード大学音楽学部、同ジュリアード音楽院、イタリアキジアーナ音楽院で学ぶ。井口秋子、井口基成、J.ラタイナ、B.ミケランジェリ、S.ロレンツィ、I.フロインドリッヒなどに師事。1967年ミュンヘン国際音楽コンクール、1968年ブダペスト国際コンクール、1970年チャイコフスキー国際コンクール(チェリストである弟の岩崎洸と共に受賞)をはじめ、世界の名だたる国際コンクールにて業績を残してきた。
久野 統一郎(くの とういちろう、1937年4月2日 - 2… 久野 統一郎(くの とういちろう、1937年4月2日 - 2020年1月8日)は、日本の政治家。位階は従四位。旭日重光章受章。 衆議院議員(3期)、国土政務次官、自治政務次官、自由民主党副幹事長。父は郵政大臣、衆議院議員を務めた久野忠治。 愛知県知多市に生まれる。東海中学校・高等学校から早稲田高等学院に転校。早稲田大学理工学部土木工学科卒業。 大学卒業後は日本鋪道(現NIPPO)、日本道路公団などに勤務し、高速道路などの道路工事の現場責任者として活躍する。竹下登の中部地区担当の私設秘書を務めた。 1990年2月18日に行われた第39回衆議院議員総選挙に、政界引退を表明した父忠冶の後継者として、自民党公認で旧愛知2区から立候補。
佐々木 康人(ささき やすひと、1937年4月2日 - )は… 佐々木 康人(ささき やすひと、1937年4月2日 - )は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(東京大学、1968年)。専門は放射線医学、核医学、保健物理学。国際連合によって設置された原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の議長(2004年-2005年)、日本代表(1997年-2006年)を務めた。in vitroおよびin vivoの核医学、分子イメージング領域における研究、とくに炭素同位体の医学応用で知られる。2007年瑞宝重光章受章。 東邦大学医学部教授、群馬大学医学部教授、東京大学医学部教授、放射線医学総合研究所理事長などを歴任した。また、国際放射線防護委員会(ICRP)の主委員会委員(2001年-2009年)、第三委員会委員(1993年-2001年)、日本核医学会理事長、放射線影響協会理事長なども務めた。
会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 201… 会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 2012年3月23日)は、山形県出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。 山形南高校では、1954年秋季東北大会県予選決勝に進むが米沢商に敗れる。翌1955年夏の甲子園予選東北大会に進出、しかし1回戦で福島商に敗退。卒業後は日本大学へ進学した。東都大学野球リーグでは在学中、3度優勝を果たす。1年生時の1956年秋季リーグでは、打率.351で首位打者を獲得し優勝に貢献。リーグ通算91試合出場、321打数86安打、打率.268、0本塁打、46打点。ベストナイン(三塁手)2回。大学同期に高木時夫捕手、黒木基康、笹木士朗(日本鋼管)両外野手らがいた。 1960年に中日ドラゴンズに入団。