高祖 保(こうそ たもつ、1910年〈明治43年〉5月4日 … 高祖 保(こうそ たもつ、1910年〈明治43年〉5月4日 - 1945年〈昭和20年〉1月8日)は、日本の詩人。 1910年(明治43年)5月4日、岡山県邑久郡牛窓町(現:瀬戸内市)の素封家に生まれる。 1919年(大正8年)、前年の父の死去を機に分家し、母の実家がある滋賀県犬上郡彦根町(現:彦根市)の外馬場に移り住む。 彦根尋常高等小学校(現:彦根市立城東小学校)を卒業。 1928年(昭和3年)、滋賀県立彦根中学校(現:滋賀県立彦根東高等学校)を卒業。 1930年(昭和5年)12月、金沢の第九連隊第一中隊に、幹部候補生として入隊。 1932年(昭和7年)、母と別居し、國學院大学附属高等師範部に入学。
赤羽 末吉(あかば すえきち 、1910年5月3日 - 19… 赤羽 末吉(あかば すえきち 、1910年5月3日 - 1990年6月8日 )は、日本の舞台美術作家、絵本画家、絵本作家。
川口 敏男(かわぐち としお、1910年(明治43年)5月3… 川口 敏男(かわぐち としお、1910年(明治43年)5月3日 - 1989年(平成元年)7月16日)は日本の詩人。 1910年(明治43年)5月3日に兵庫県で生まれる。1942年(昭和17年)に法政大学文学部英文学科を卒業する。 17歳ごろから詩作を始め、百田宗治に師事して『椎の木』の同人となる。1935年(昭和10年)に『木欒』を主宰し、1937年(昭和12年)に阪本越郎らと『純粋詩』を創刊する。 1989年(平成元年)7月16日に死去、79歳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中江 良夫(なかえ よしお、1910年5月3日 - 198… 中江 良夫(なかえ よしお、1910年5月3日 - 1986年1月8日)は、日本の劇作家、脚本家である。 1910年(明治43年)5月3日、北海道に中江吉雄として生まれる。弟に喜劇人の佐山俊二がいる。登別市の旧制・尋常小学校を卒業し、札幌郵便局(現在の札幌中央郵便局)に就職したが、その後上京した。 さまざまな職業を経て、1940年(昭和15年)東京・新宿のムーランルージュ新宿座文芸部に入る。おなじころにNHKでラジオドラマを手がけ、中江の『かし家』が1942年(昭和17年)に発行された『放送劇名作選』(日本放送協会編、日本放送出版協会)に収録された。 1945年(昭和20年)の第二次世界大戦後、ムーランルージュで社会風俗劇『生活の河』、『にしん場』などを発表した。
大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2… 大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2日 - 2016年(平成28年)4月)は、日本の哲学研究者、東京都立大学名誉教授。近世哲学史専攻、ヘーゲル研究者。1970年以来、季刊誌「途上」を刊行。広く思想とキリスト教の諸問題の研究解明にたずさわった。 北海道札幌市生まれ、神奈川県出身。山形高等学校(旧制)卒、1935年東京帝国大学文学部哲学科卒。39年文部省教学局嘱託。41年府立学校教授、召集令状がきて、中国北部に送られたが、語学の才があり、暗号解読など情報の仕事を行った。1946年復員。1949年東京都立大学助教授、1968年教授、1973年定年退官、名誉教授、東洋大学教授、1981年退職。
酒井 義雄(さかい よしお、1910年〈明治43年〉5月2日… 酒井 義雄(さかい よしお、1910年〈明治43年〉5月2日 - 没年不明)は、日本のフィールドホッケー選手である。東京都出身。 明治大学に在学中の1932年ロサンゼルスオリンピックで主将を務め銀メダルを獲得。 1936年ベルリンオリンピックにも出場した。 浅川増幸 | 猪原淳三 | 宇佐美敏夫 | 小西健一 | 小林定義 | 今治彦 | 酒井義雄 | 柴田勝見 | 左右田秋雄 | 永田寛 | 中村英一 | 浜田駿吉 | 三浦四郎 | 監督: 広瀬藤四郎 伊藤赳夫 | 伊藤通弘 | 上野安夫 | 大津敏雄 | 菊池信 | 倉内大次 | 酒井義雄 | 杉山益男 | 武知治 | 田中昇 | 浜田駿吉 | 村岡敏 | 柳武彦 | 脇坂貞夫 | 監督: 石川周策
恩田 清二郎(、1910年5月1日 - 1974年11月28… 恩田 清二郎(、1910年5月1日 - 1974年11月28日)は、日本の俳優、男性声優、元活動弁士である。本名同じ。恩田 清次郎と表記に揺れがある。 1910年(明治43年)5月1日、東京府東京市浅草区に生まれる、とされている。『山形県大百科事典』(山形放送)など一部の資料には、出生地は冒頭の通りだが、生年は「明治四十年」(1907年)である旨が記されている。父は埼玉県の地主であった。旧制東京府立第三中学校(現在の東京都立両国高等学校・附属中学校)卒業。 1925年(大正14年)、映画俳優を志し、当時東亜キネマに在籍していた近藤伊与吉(1894年 - 1944年)に師事。ところが芽が出ず、間もなく俳優業を辞退して浅草電気館の活動弁士に転向し、長く活動した。
浦田 正夫(うらた まさお、1910年5月1日 - 1997… 浦田 正夫(うらた まさお、1910年5月1日 - 1997年11月30日)は、日本画家、日本芸術院会員。 熊本県山鹿市生まれ。浦田家は祖父から続く画家の家系で、伯父に高橋廣湖がいる。松岡映丘らに師事。東京美術学校日本画科卒。1973年日展文部大臣賞受賞、1978年日本芸術院賞受賞、1988年芸術院会員。1993年、勲三等瑞宝章受章。 代表作に「蔓(かずら)」、「松」など。北関東や東北の自然を描いた。
佐々木 忠義(ささき ただよし、1910年5月1日 - 19… 佐々木 忠義(ささき ただよし、1910年5月1日 - 1983年10月11日) は、日本の海洋物理学者。元東京水産大学学長。理化学研究所名誉研究員。正三位勲二等旭日重光章。 1910年、広島県生まれ。1935年、東京物理学校(現東京理科大学)卒業。1941年、北海道帝国大学理学部物理学科を卒業。 卒業後は、京城帝国大学予科講師となった。同年、同校教授に昇進。1944年より理化学研究所所員。戦後の1949年、理学博士号を取得。1953年に東京水産大学教授となり、理化学研究所主任研究員。1956年、文部省在外研究員としてパリ大学海洋研究所に派遣される。1960年に日仏海洋学会創立し、同会長となった。
原 知一(はら ともかず、1910年5月 - 2004年3月… 原 知一(はら ともかず、1910年5月 - 2004年3月31日)は、日本の歌人、作詞家。山形市出身。 1910年(明治43年)、山形市に生まれる。旧制山形中学校在学中にアララギへ入会し、結城哀草果に師事した。大谷大学予科へ進学し、1936年(昭和11年)に同大学文学部国文学科を卒業。帰郷後は国語教諭となり、宮内高等女学校(山形県立南陽高等学校の前身の一校)に在職中の1944年(昭和19年)、宮内町(現在の南陽市)出身で12月7日にフィリピンのオルモック湾で玉砕した粕川健一を顕彰する「軍神粕川少尉」の歌を作詞した。1946年、黒江太郎と共に「宮内アララギ短歌会」を結成。 1947年(昭和22年)、憲法普及会山形県支部が日本国憲法公布を記念して実施した戦前の「最上川」に代わる2代目の県民歌募集に際して生まれたばかりの長男の名義で応募した「朝ぐもの」が入選し、5月3日の憲法施行記念祝典で演奏されるがこの2代目県民歌は不評のため短期間で演奏されなくなり「最上川」が再び県民歌として返り咲いている。
江湖山 恒明(えごやま つねあき、1910年5月 - 198… 江湖山 恒明(えごやま つねあき、1910年5月 - 1989年3月13日)は、日本の国語学者。 愛媛県生まれ。旧制高知高等学校を経て、1935年東京帝国大学国文科卒。千葉高等女学校(現・千葉県立千葉女子高等学校)教師、第四高等学校教授、東京女子高等師範学校教授、お茶の水女子大学助教授、教授、1976年定年退官、名誉教授、鶴見大学教授。没後正四位。「えこやま」と濁らずに読むこともある。
浅香 幸雄(あさか ゆきお、1910年4月29日 - 199… 浅香 幸雄(あさか ゆきお、1910年4月29日 - 1994年7月24日)は、日本の地理学者。学位は、理学博士(東北大学)。東京教育大学名誉教授。 富山県高岡市出身。1932年東京高等師範学校卒、陸軍士官候補生、1936年東京文理科大学地理学科卒。 1953年「近世期の集落発達に関する地理学的研究」で、東北大学より理学博士の学位を取得(主査:富田芳郎教授)、東京市立第二中学校(現東京都立上野高等学校)教諭、朝鮮水原の高等農林学校の地理博物教員養成所教員、1944年東京高等師範学校教授、1949年至徳専門学校(現国士舘大学)地理科教授(兼任)、東京教育大学教授。74年定年退官、名誉教授、専修大学教授、1981年北陸工業専門学校教授、富山県教育委員会長。
田中 友幸(、1910年〈明治43年〉4月26日 - 199… 田中 友幸(、1910年〈明治43年〉4月26日 - 1997年〈平成9年〉4月2日)は、映画プロデューサー。東宝映画代表取締役会長、日本創造企画代表取締役会長、日本アカデミー賞協会副会長、日本映画テレビプロデューサー協会顧問を歴任。世界的に有名な怪獣「ゴジラ」の設定を着想した人物である。通り名として、「友幸」を「ゆうこう」と読むことが多い。 大阪協同劇団時代の芸名は大瀬 滝夫。映画『惑星大戦争』では、神宮寺八郎のペンネームで原作を担当した。大阪府下堅下(現・柏原市)出身。趣味は旅行。 大阪協同劇団での演劇活動を経て、東宝の映画プロデューサーとして活躍。『ゴジラ』(1954年)以降、同社の看板シリーズとなった怪獣・SF映画のほとんどをプロデュース。
高橋 喜平(たかはし きへい、1910年4月25日 - 20… 高橋 喜平(たかはし きへい、1910年4月25日 - 2006年2月1日)は、日本の雪崩研究家、エッセイスト。 独学で長年、雪崩の研究に従事。雪氷学・氷雪研究の権威であり、日本雪氷学会賞受賞、吉川英治文化賞を受賞。また、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した、エッセイストでもある。日本雪氷学会名誉会員で、岩手県在住。 東京大学名誉教授の高橋延清は弟、直木賞作家の高橋克彦は甥にあたる。 1910年、秋田県六郷町(現・美郷町)に生まれる。7歳で、母の郷里である岩手県沢内村(現・西和賀町)に移る。1929年、岩手県立黒沢尻中学校(現・岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業後、卯根倉(うねくら)鉱山で代用教員をしながら独学。
岩堀 喜之助(いわほり きのすけ、1910年4月25日 - … 岩堀 喜之助(いわほり きのすけ、1910年4月25日 - 1982年10月8日)は日本の出版経営者。マガジンハウス創業者。娘にノンフィクション作家の新井恵美子。 神奈川県出身。新聞記者を志し、小田原中学から明治大学に入学。新聞部に所属するも退学処分となり、後に日本大学法学部に途中入学し、卒業。1933年に時事新報社に入社。後に退社し、1945年凡人社設立を経て、1954年に平凡出版(現マガジンハウス)設立。1982年死去。
湯川 スミ(ゆかわ すみ、1910年(明治43年)4月25日… 湯川 スミ(ゆかわ すみ、1910年(明治43年)4月25日 - 2006年(平成18年)5月14日)は、日本の女性。本名は湯川 澄子(ゆかわ すみこ)。日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹の妻。世界連邦運動協会名誉会長、世界連邦全国婦人協議会会長、WFM名誉会長、世界連邦京都婦人の会会長。
江上 照彦(えがみ てるひこ、1910年4月25日 - 19… 江上 照彦(えがみ てるひこ、1910年4月25日 - 1990年9月4日)は、日本の翻訳家。テレビ・歴史等の評論家、エッセイスト。 福岡県大牟田市生まれ。東京帝国大学経済学部で河合栄治郎に学び1934年に卒業。 その後渡満し、満洲電業勤務を経て復員後に会社役員を務める傍ら、河合門下生らで結成した社会思想研究会やそれを母体とした出版部門として発足した社会思想社で役員となる。 テレビ放送初期の頃に海外テレビ番組の翻訳や翻案を手掛け、テレビ論や歴史などの執筆活動を行いながら1956年から相模女子大学へ講師として出講、1964年には同大教授となり明治大学や上智大学でも英米演劇を講じた。 また社会思想研究会とのつながりから、民社党系のブレーン的存在となり同党の機関紙や機関誌にエッセーを連載した。
岩田 一男(いわた かずお、1910年4月23日 - 197… 岩田 一男(いわた かずお、1910年4月23日 - 1977年12月7日)は、日本の英語学者、英文学者。ロバート・ルイス・スティーヴンソン研究の日本における第一人者で、スティーヴンソン・クラブの日本人唯一の会員。 横浜生まれ。祖父の岩田幸吉は中区石川町で質店を営んでいた。神奈川県立横浜第三中学校卒業。1932年(昭和7年)、東京外国語学校英語部文科卒業。横浜高等女学校(現横浜学園高等学校)教諭、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)教授を経て、1943年(昭和18年)に東京商科大学(現一橋大学)講師、翌年に教授。1971年(昭和46年)に定年を前に退職。一橋文芸顧問を務めた。 横浜高等女学校では中島敦の同僚で、中島の「光と風と夢」に対するスティーヴンソンの手紙の影響を論じたりしている。
国崎 望久太郎(くにさき もくたろう、1910年(明治43年… 国崎 望久太郎(くにさき もくたろう、1910年(明治43年)4月21日 - 1989年(平成元年)11月1日)は、日本文学研究者・歌人。立命館大学名誉教授。 福岡県山門郡大和町(現柳川市)生まれ。1931年第七高等学校中退。1936年東洋大学文学部国文科卒、同年7月九州帝国大学法文学部中退、立命館大学専門学部講師、1940年教授、1945年立命館大学予科教授、1947年4月立命館大学法文学部教授、5月退職、6月杉森女子学園講師、1950年福岡県立伝習館高等学校講師、1951年教諭、1953年立命館大学図書館副館長、1955年立命館大学専任講師、1957年教授、1961年 東洋大学文学博士。1966年から1968年まで立命館大学図書館長、1976年定年退任、名誉教授、園田学園女子大学教授。
高山 英華(たかやま えいか、 1910年4月20日 - 1… 高山 英華(たかやま えいか、 1910年4月20日 - 1999年7月23日)は、日本の都市計画家、建築家。東京大学名誉教授。工学博士。近代都市計画学の創始者。 建築系の都市計画学者で、また都市工学の先駆者として都市再開発から広く地域開発、都市防災の推進等を通しまちづくり事業に貢献し、都市計画分野に大きな足跡を残す。 1910年4月生まれ。東京市芝区高輪育ち。幼少の頃住みかは高輪から代々木、代々木から大久保、その後に兄が結核にかかり、一家で阿佐ヶ谷に引越す。以来東京都杉並区に在住した。東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)、旧制成蹊高等学校を経て、1934年東京帝国大学工学部建築学科卒。
鈴木 實(すずき みのる 1910年(明治43年)4月20日… 鈴木 實(すずき みのる 1910年(明治43年)4月20日- 2001年(平成13年)10月28日)は、東京麹町生まれの大日本帝国海軍の軍人、実業家。旧海軍時代の最終階級は海軍中佐。本籍は新潟県岩船郡村上本町。
石川 七郎(いしかわ しちろう、1910年4月20日 - 1… 石川 七郎(いしかわ しちろう、1910年4月20日 - 1986年6月27日)は外科医、慶應義塾大学教授。 京都府京都市中京区出身。1936年(昭和11年)慶應義塾大学医学部卒。慶應義塾大学医学部教授を経て国立がんセンター病院長、総長を務める。胸部外科の権威として知られ、慶應義塾大学病院、国立がんセンター病院で辣腕を振るう。墓所は多磨霊園。 孫は元NHKアナウンサーの石川光太郎。 専門は呼吸循環器外科であり、数々の肺癌摘出手術を行うも、本人はヘビースモーカーであった。親分肌の豪快な人物として知られ多くの部下に慕われた。軍医として戦陣医療に携わった経験もある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
森玉 美雄(もりたま よしお、1910年4月19日 - 19… 森玉 美雄(もりたま よしお、1910年4月19日 - 1943年4月8日)は、日本の小説家、詩人。兵庫県加古郡天満村(現・稲美町)出身。織田作之助が編集長格の雑誌「大阪文学」で見出された小説家。 短編小説『おふくの家出』(雑誌「大阪文学」2巻4号に発表)が第15回芥川賞推薦候補になる。活躍し始めてすぐの昭和18年4月8日に、結核のため32歳で死去。 1910年(明治43年)4月19日、大百姓の森玉柳祐の次男として生れる。母はえい。本名は作男。1911年(明治44年)に長女豊江、1916年(大正5年)に三女善枝が生れる。天満村立天満尋常小学校(現・稲美町立天満小学校)から兵庫県立小野中学校(現・兵庫県立小野高等学校)を経て、神戸高等商船学校(現・神戸大学海洋政策科学部)機関科に入学。
弥富 武(いやとみ たけし、1910年4月19日 - 197… 弥富 武(いやとみ たけし、1910年4月19日 - 1975年5月28日)は、日本の経営者。東京建物社長を務めた。 佐賀県佐賀市出身。1932年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に安田銀行に入行。1955年に取締役に就任し、1959年10月に常務を経て、1963年2月に東京建物副社長に就任し、同年8月には社長に昇格した。 1975年5月28日、急性心不全のために在任中に死去。65歳没。
東 勇作(あずま ゆうさく、1910年(明治43年)4月18… 東 勇作(あずま ゆうさく、1910年(明治43年)4月18日 - 1971年(昭和46年)8月4日)は、日本のバレエダンサー、振付家である。 宮城県仙台市で生まれた。1922年、12歳の時にアンナ・パヴロワの来日公演を横浜で鑑賞して感銘を受けた。旧制仙台二中(現在の宮城県仙台第二高等学校)を卒業後に上京し、1930年に当時鎌倉の七里ガ浜でバレエスクールを開いていたエリアナ・パヴロワの内弟子となってバレエの道に進むことになった。 後にパヴロワの元を離れ、蘆原英了が創設した「日本チェケッティ協会」に加入してバレエの研究に取り組んだ。一方で日劇を本拠地にして1934年に高田せい子の門下だった益田隆、浅草の「カジノ・フォーリー」で活躍していた梅園竜子とともに「益田トリオ」を結成して活動し、1936年に来日したオリガ・サファイアのパートナーも務め、サファイアからソビエトバレエについての知識を得た。
広安 孝夫(ひろやす たかお、1910年4月17日 - 19… 広安 孝夫(ひろやす たかお、1910年4月17日 - 1959年4月18日)は、日本の官僚、聖職者、教育者、翻訳家。文部省文部事務官、文部省宗教課文部属、日本聖公会の伝道師。 1910年(明治43年)4月17日、広島県沼隈郡郷村(現・福山市)にて、広安助一郎の三男として生まれる。 1923年(大正12年)、広島県立福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)へ入学。結核のため2年間の休学を経て、1930年に同校を卒業。青年期に兄・広安謙一の影響を受けてキリスト教を知るが、兄は、札幌農学校のクラーク博士の遺風を慕って、北海道帝国大学医学部に学び、後に旭川で開業医となっている。 1932年(昭和7年)3月25日に、地元の福山基督教会の司祭・横田金熊のもとで洗礼を受ける。
八木 毅(やぎ つよし、1910年4月16日生まれ)は、英文… 八木 毅(やぎ つよし、1910年4月16日生まれ)は、英文学者、俳人。 愛媛県生まれ。松山中学校、松山高等学校卒、1934年東京帝国大学文学部英文科卒。外務省嘱託、世界経済調査会主事、1946年明治大学文学部教授、1981年定年。俳句は1933年臼田亜浪に師事し「石楠」に拠る。1981年から『河原』に参加、俳号は八木絵馬。
保田 與重郎(保田 与重郎、やすだ よじゅうろう、1910年… 保田 與重郎(保田 与重郎、やすだ よじゅうろう、1910年〈明治43年〉4月15日 - 1981年〈昭和56年〉10月4日)は、日本の文芸評論家。多数の著作を刊行した。湯原冬美の筆名も用いた。 奈良県十市郡桜井町(現桜井市)生まれ。旧制奈良県立畝傍中学校を経て、大阪市阿倍野区にあった旧制大阪高等学校から東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。大阪高校時代にはマルクス主義にも触れ、蔵原惟人や中条百合子の作品を評価していた。また、高校時代の同級に竹内好がおり、後に保田が中国を訪れた際には竹内が案内役となった。 東京帝大在学中から大阪高時代の同窓生と共に『コギト』を主宰。高校時代のマルクス主義からヘルダーリンやシュレーゲルを軸としたドイツロマン派に傾倒し、近代文明批判と日本古典主義を展開した。
篠原 梵(しのはら ぼん、1910年4月15日 - 1975… 篠原 梵(しのはら ぼん、1910年4月15日 - 1975年10月17日)は、愛媛県出身の俳人、編集者・出版者。伊予郡南伊予村(現・伊予市)生。本名・敏之(としゆき)。俳号「梵」は郷里の松山で男の子のことを「ボン」と呼んだことによるという。 旧制松山高等学校を経て、1934年、東京大学文学部国文学科を卒業。1938年、中央公論社に入社。戦中の1944年、退職して郷里の愛媛青年師範学校で教師をしていたが、1948年に中央公論社に復職、「中央公論」編集長、同社出版部長、取締役を経て中央公論事業出版専務に就任。その後同社の社長に就任し、丸の内出版社の社長も兼任した。出版人として毎日出版文化賞、広告電通賞などを受賞している。
鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1… 鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1969年9月26日)は、日本の実業家。住友電気工業元社長。佐賀県鹿島市出身。 朝鮮総督府通信技手・鍋島鋼三の長男。1927年(昭和2年)に第五高等学校に入学、弓道部で主将を務めた。 1933年に東京帝国大学法学部を卒業し、住友電気工業に入社した。翌年には、高校の後輩でのち住友ゴム工業社長となる下川常雄も入社し、下宿先を貸し出した。1939年4月1日、第2期経理部甲種幹部候補生として陸軍経理学校に入学し、同年9月23日卒業。歩兵第56連隊(55連隊とも)附主計少尉として太平洋戦争を迎える。淡路山丸よりコタバル上陸作戦に参加。翌年2月のジョホール水道上陸作戦では自ら戦線を志願し、背中に銃創を負う。
植村 實(うえむら みのる、1910年4月13日 - 196… 植村 實(うえむら みのる、1910年4月13日 - 1966年5月31日)は、日本の経営者。東京都出身。 1933年に東京帝国大学法学部法科を卒業。住友合資、住友本社での勤務を経て、1955年に住友林業社長に就任。 1966年5月31日在職中に心筋梗塞のために死去。56歳没。
和田 四三四(わだ しさし、1910年(明治43年)4月12… 和田 四三四(わだ しさし、1910年(明治43年)4月12日 - 1942年(昭和17年)8月13日)は、昭和時代前期の社会運動家。 出自はもと伊予松山藩主・久松松平家の一族。父松平定安、母マツの六男として愛媛県松山市に生まれ、のち温泉郡道後湯之町の和田家の養子となる。愛媛県立松山中学校(現:愛媛県立松山東高等学校)を経て、1931年(昭和6年)3月に松山高等商業学校(現:松山大学)を卒業する。卒業後は、同校図書館にて勤めた後、大阪市港区の法律事務所で労働運動について研究した。1932年(昭和7年)全国労働組合同盟(日本労働組合同盟の後身)大阪金属港南支部連合会書記となり、消費組合運動を進める。
小笠原 二三男(おがさわら ふみお、1910年〈明治43年〉… 小笠原 二三男(おがさわら ふみお、1910年〈明治43年〉4月12日 - 1977年〈昭和52年〉7月5日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員。 岩手県遠野市出身。1930年(昭和5年)岩手県師範学校専攻科を卒業した。 小学校教員を20年間勤めた。戦後、労働運動に加わり全日本教員組合協議会副委員長に就任。日本教職員組合が結成され書記長に就任し、さらに同副委員長に就任。その他、日本教育会常務理事、教育刷新審議会委員、日本教育会館専務理事、日本社会党中央執行委員などを務めた。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で岩手県第1区に社会党公認で出馬して次点で落選。1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で全国区に出馬して当選し、1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙でも再選され、参議院議員に連続2期在任した。
伊藤 一(いとう はじめ、1910年(明治43年)4月11日… 伊藤 一(いとう はじめ、1910年(明治43年)4月11日 - 1974年(昭和49年)9月26日)は、日本の政治家、内務官僚。1947年4月6日から1971年4月30日まで、24年の長きに渡って一宮市長を務めた(第5代-第10代)。一宮市名誉市民。 愛知県愛知郡鳴海町(現・名古屋市緑区)に生まれた。愛知県立一宮中学校(現・愛知県立一宮高等学校)卒業。1930年(昭和15年)3月、旧制第八高等学校卒業。1932年(昭和7年)10月、高等試験行政科試験に合格。1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部法律学科を卒業すると同時に内務省に入省し、地方事務官・厚生事務官・内務事務官を経験。陸軍司政官としてスマトラ島に渡り、ランボン州やパレンバンで産業部長を務め、現地で太平洋戦争終戦を迎えた。
井手 俊郎(いで としろう、1910年4月11日 - 198… 井手 俊郎(いで としろう、1910年4月11日 - 1988年7月3日)は、日本の脚本家。息子はプロ野球・元中日ドラゴンズ選手の井手峻。筆名(併用)=権藤利英、三木克巳。 佐賀県北波多村徳須江出身。祖父・井手豊助は1890年(明治23年)の公選で初代北波多村長となり、父の金次郎は政友会を北波多村に建て村議となった。生家は質店を営み、現存する当時の店舗兼住宅建物は2019年に国の登録有形文化財に登録されている。 旧制佐賀県立唐津中学(現・佐賀県立唐津東中学校・高等学校)を経て、官立東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部意匠科)を卒業する。 商業美術家としてパピリオ化粧品、アサヒビール、婦人画報社などの宣伝部嘱託を務めた。
児玉 政吉(こだま まさきち、1910年(明治43年)4月1… 児玉 政吉(こだま まさきち、1910年(明治43年)4月10日 - 1987年(昭和62年)10月27日)は、日本の政治家。秋田県鹿角市長。位階は従五位。 秋田県鹿角郡柴平村(のち花輪町、現・鹿角市)出身。1925年、柴平村立平本尋常高等小学校卒。1935年、三菱金属鉱業尾去沢鉱業所に入る。戦後、日本社会党に入り、1947年、尾去沢町議会議員に当選、3期務める。1959年、尾去沢町長に当選。鹿角市に合併するまで4期務めた。この間、鹿角郡町村会長、秋田県町村会副会長を務めた。1972年に鹿角市が発足、市政執行者となった。1976年、鹿角市長に立候補し、現職の阿部新を破って当選する。1980年に再選を目指したが、元市長の阿部新に敗れた。
葛野 辰次郎(くずの たつじろう、1910年(明治43年)4… 葛野 辰次郎(くずの たつじろう、1910年(明治43年)4月10日 - 2002年(平成14年)3月27日)は、アイヌ語・アイヌ文化の伝承者。 北海道日高管内・静内郡静内町字東別(現・日高郡新ひだか町)に生まれ育つ。祖父は和人(青森県むつ市田名部出身)、祖母はアイヌ。父・小天(民族名 Kocinpauk)と母・タク(民族名 ukaecure)の8人兄弟の末子として生まれる。つる夫人(1912-1989)は和人だが、幼児期より静内町東静内のアイヌに育てられ、アイヌ語もよくできた。アイヌ語で育ったが、小学校は和人と同じ学校であったため日本語を学んだ。和人との交流が深まるにつれ、日本語中心の生活になり、アイヌ語はあまり使わなくなった。
白川 静(しらかわ しずか、1910年4月9日 - 2006… 白川 静(しらかわ しずか、1910年4月9日 - 2006年10月30日)は、日本の漢文学者・東洋学者。学位は文学博士(京都大学)。立命館大学名誉教授、名誉館友。福井県福井市出身。 1923年、福井市の順化尋常小学校(現・福井市順化小学校)を卒業後、大阪市に移り弁護士・広瀬徳蔵(大阪府会議員を経て立憲民政党代議士)の事務所に住み込みで勤務しながら、成器商業学校夜間部(現・大阪学芸高等学校)に通う。この時期に廣瀬の蔵書を読み漁り漢籍に親しみ独学していった。1930年、京阪商業学校(現・大阪府立芦間高等学校)卒業。 立命館大学専門学部国漢科(夜間)を1936年に卒業。在学中より立命館中学校教諭も務め、1941年には立命館大学法文学部漢文学科に入学。
マキノ 登六(マキノ とうろく、1910年4月8日 - 19… マキノ 登六(マキノ とうろく、1910年4月8日 - 1932年6月7日)は、日本の俳優である。本名は林 喜一郎()、マキノ家の人間ではない。当初は片岡 十六()を芸名とし、マキノ 十六()、嵐寛寿郎プロダクションでは片岡 市太郎()と名乗った。 1910年(明治43年)4月8日、京都市に生まれる。下京区中立売通猪熊通下ルの京都市立聚楽小学校(1997年に西陣中央小学校に統合されて廃校)を卒業、旧制東山中学校に在学、天然色活動写真を経て、1923年(大正12年)に牧野省三のマキノ映画製作所に入社した。まだ13歳のときであった。 「マキノ・プロダクション」設立後の1926年(大正15年)には、井上金太郎のオリジナル脚本による監督作『喧嘩日記』で、主演のマキノ正唯(のちのマキノ正博)の友人役を、「片岡十六」名義で、滝沢憲(のちの映画監督滝沢英輔)や玉木潤一郎(のちの映画プロデューサー)とともに演じている。
斯波 四郎(しば しろう、1910年4月7日 - 1989年… 斯波 四郎(しば しろう、1910年4月7日 - 1989年4月29日)は山口県阿東町(現:山口市)出身の作家で、本名は柴田 四郎である。
岡田 広(岡田 廣、おかだ ひろし、1910年(明治43年)… 岡田 広(岡田 廣、おかだ ひろし、1910年(明治43年)4月6日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。軍恩連盟全国連合会理事長。 現在の栃木県矢板市出身。1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部教育学科を卒後、石黒奨学資金研究員。翌年陸軍に召集され、宇都宮輜重兵第14連隊に入営し、1938年(昭和13年)より日中戦争に出征。1940年(昭和15年)、招集解除となり、石黒忠篤農林大臣秘書官。 1941年(昭和16年)に再招集され、同年7月より関特演により宇都宮にて新規編成された独立自動車第38大隊の第4中隊長に任ぜられる。8月の編成完結をもって満州牡丹江、台湾基隆を経て太平洋戦争後は南方戦線に投入され、フィリピン攻略戦に参加、翌年ニューブリテン島ラバウルに派遣され、1943年(昭和18年)8月19日、中隊将兵180名とともにニューアイルランド島ラトブに分遣。
木村 武千代(きむら たけちよ、1910年〈明治43年〉4月… 木村 武千代(きむら たけちよ、1910年〈明治43年〉4月5日 - 2000年〈平成12年〉11月28日)は、昭和期の官僚、政治家。衆議院議員(6期)。位階は正四位。 香川県大川郡津田町(現さぬき市)で生まれた。1937年(昭和12年)東京帝国大学法学部を卒業。高等試験行政科試験に合格し拓務省に入省。外務省に移り外務書記生となりメキシコ公使館などで勤務。その後、陸軍中野学校を卒業し、陸軍大尉に進み除隊した。 三土忠造代議士の秘書を経て、大映に入社。永田雅一の社長秘書、外国部長などを務めた。東瀝青建設取締役も務めた。 1963年(昭和38年)、第30回衆議院議員総選挙に旧香川1区から自由民主党公認で出馬し初当選。
春名 好重(はるな よししげ、1910年4月5日 - 200… 春名 好重(はるな よししげ、1910年4月5日 - 2004年6月27日)は、書の研究家、国士舘大学名誉教授。 岡山県生まれ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。国士舘大学教授・文学部長を務めた。日本書道史を研究。本名・斎藤秀雄。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
木村 武夫(きむら たけお、1910年4月3日 - 1986… 木村 武夫(きむら たけお、1910年4月3日 - 1986年12月29日)は、日本史学者、社会事業学者。栄照寺住職。 京都市生まれ。別名・武応。1933年京都帝国大学文学部国史学科卒。大阪経済大学助教授、教授、龍谷大学教授、神戸女子大学教授、種智院大学教授。
白石 敏夫(しらいし としお、1910年(明治43年)4月2… 白石 敏夫(しらいし としお、1910年(明治43年)4月2日 - 1995年(平成7年)11月5日)は、日本の政治家。埼玉県三郷市長(初代 - 第3代)。 埼玉県北葛飾郡八木郷村(のち東和村、現・三郷市)出身。1935年、報知新聞社に入る。その後、満州国に渡り、満州国協和会中央本部に勤務する。間もなく帰国し、1943年、東和村会議員となる。議員を一時辞めて、出版業に従事する。 1957年、三郷村議会議員となり、のち同村助役に就任する。 1967年、三郷町長に当選、 町長2期目の1972年、三郷町の単独市制施行により、 初代の三郷市長となる。1975年、初めての市長選挙で再選(通算3選・4期)。
小川 正太郎(おがわ しょうたろう、1910年4月1日 - … 小川 正太郎(おがわ しょうたろう、1910年4月1日 - 1980年10月27日)は、大正末期から昭和初期にかけて活躍した日本の野球選手、新聞記者。当時史上屈指の好投手として、またアマチュア球界の要職を務め、日本の野球人気の高揚に貢献した。 大会初の連続優勝など当時中学球界随一の強豪であった和歌山県立和歌山中学校(現・和歌山県立桐蔭高等学校)在学中の5年間で8度甲子園の全国大会に出場した。快速球と「2階から落ちるような」と喩えられたカーブを武器に1926年(大正15年)夏第12回全国中等学校優勝野球大会の準決勝で8連続奪三振を記録。正太郎が達成した この記録は桐光学園・松井裕樹が更新するまで86年間破られなかった。
丸山 鉄雄(まるやま てつお、1910年(明治43年)4月1… 丸山 鉄雄(まるやま てつお、1910年(明治43年)4月1日 - 1988年(昭和63年)12月26日)は日本の芸能プロデューサー・音楽評論家。東京府出身。
石賀 修(いしが おさむ、1910年4月1日 - 1994年… 石賀 修(いしが おさむ、1910年4月1日 - 1994年10月17日)は、日本の高校教諭、翻訳家、平和運動家。キリスト教徒。筆名イシガオサム。 福岡県出身。旧制福岡高等学校、東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。クエーカー、無教会主義のキリスト教に共鳴。療養生活中に、エスペラントとスウェーデン語を学ぶ。1934年、良心的兵役拒否者の支援などをしている平和主義国際組織「戦争抵抗者インターナショナル」WRIに加入し、1943年、良心的兵役拒否を実行。戦後は、国立療養所星塚敬愛園での勤務生活を経て、筑陽学園高等学校教諭。平和運動や人権活動の傍ら、セルマ・ラーゲルレーヴの作品を翻訳した。
小沢 栄一(おざわ えいいち、1910年4月1日 - 198… 小沢 栄一(おざわ えいいち、1910年4月1日 - 1986年1月6日)は、日本史学者。東京学芸大学名誉教授。 1938年東京文理科大学卒。1959年「十九世紀日本啓蒙史学の研究」で東京教育大学文学博士。東京学芸大学助教授、教授、75年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。
安田 巌(やすだ いわお、1910年3月31日 -1996年… 安田 巌(やすだ いわお、1910年3月31日 -1996年8月24日)は、広島県広島市出身の官僚、教育者。厚生事務次官、医療金融公庫総裁、安田学園理事長を歴任した。 広島の私学・安田学園創立者・安田リヨウの長男。戦後の1949年、厚生省保険局長に就任。戦時及び戦後の混乱で乱雑となった厚生年金台帳の整理に尽力し、また海外視察の経験を基にして台帳整理の機械化導入を指示した。1959年には厚生事務次官に就任。1960年、医療金融公庫総裁となる。退官後の1978年、母リヨウ死去に伴い安田学園理事長に就任。1996年、広島市内の病院で死去。享年86。