小畑 実(おばた みのる、1918年6月7日 - 1986年… 小畑 実(おばた みのる、1918年6月7日 - 1986年5月1日)は、日本の元サッカー選手、元サッカー指導者。広島県出身。慶應義塾大学卒。 元日本代表FW。元東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)監督、元同チーム総監督。 1936年(昭和11年)、広島一中(現広島国泰寺高校)が全国中等学校蹴球選手権大会(現全国高校サッカー選手権)で初優勝を果たした時の左インナー(FW)。1937年(昭和12年)卒業。同年度卒に、久保道正(第一産業創業者)、藤田一暁(フジタ社長)、頼實正弘(広島大学学長)などがいる。 二宮洋一、津田幸男らとともに、戦前の慶應義塾大学体育会ソッカー部黄金時代の左インサイドとして活躍した。
林 知己夫(はやし ちきお、1918年6月7日 - 2002… 林 知己夫(はやし ちきお、1918年6月7日 - 2002年8月6日)は、日本の統計学者。正四位勲二等理学博士。
金子 正且(かねこ まさかつ、1918年6月7日 - 200… 金子 正且(かねこ まさかつ、1918年6月7日 - 2007年11月21日)は、日本の映画プロデューサー。群馬県出身。 1946年に京都帝国大学卒業と同時に東宝撮影所へ入社。戦争中は一度退社し、宇部興産(現・UBE)に勤務する。戦後再び東宝に入社するが、東宝争議で藤本真澄とともに再び退社し、藤本プロを経て1957年に東宝へ契約者として三たび入社し、並木透の名前で原作や脚本を手掛けた。しかし藤本の死で独立し、銀座の名画座「並木座」の代表取締役、ヨコハマ映画祭の審査委員長を務めた。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
犀川 一夫(さいかわ かずお、1918年6月7日 - 200… 犀川 一夫(さいかわ かずお、1918年6月7日 - 2007年7月30日)はハンセン病治療に貢献した日本の医師。プロミンを日本で最初に使用した医師の一人。ハンセン病が治る時代になり、通院治療を主張し、恩師光田健輔に反抗し、台湾で活躍した。後、沖縄愛楽園園長、沖縄県ハンセン病予防協会理事長、らい予防法裁判でも活躍した。 1918年、東京に生まれる。1944年6月、長島愛生園医療事務取扱となり、同年9月、東京慈恵会医科大学卒。召集され東部第24部隊に入営し、1944年12月、陸軍軍医中尉に任官し、日中戦争に従軍。1946年6月、復員し、愛生園に復帰して技官・外科医長を務めた。愛生園では、らいの病理学、プロミンの治験に従事。
朴 基玎(パク・キジョン、朝鮮語: 박기정、1918年6月7… 朴 基玎(パク・キジョン、朝鮮語: 박기정、1918年6月7日 - 1993年5月9日)は、大韓民国の教員、政治家。第2代慶尚南道議会(朝鮮語版)議員、第5代韓国国会議員を歴任した。 東萊公立高等普通学校(現・東萊高等学校(朝鮮語版))、明治大学専門部法科卒。国民学校(現・初等学校)教員、昌寧公立初級中学校及び改編後の霊山中学校(朝鮮語版)教員、醸造業経営を経て、第2代慶尚南道議会議員を務めた。1960年の第5代総選挙では昌寧郡選挙区から民主党所属で出馬して当選し、国会議員を1期務めた。なお、開票中盤には対立候補の自由党の辛泳柱(朝鮮語版)の先行を許さない昌寧郡民が投票箱に火をつけ、辛陣営の運動員と乱闘した末、辛候補を捕まって「郡民裁判」を行ったという前代未聞の騒乱事件が発生した。
尾崎 盛光(おざき もりてる、1918年6月6日 - 198… 尾崎 盛光(おざき もりてる、1918年6月6日 - 1980年6月3日)は、日本の文筆家。東京大学文学部事務長を務めた。 尾崎三良の五男尾崎繁盛の子として東京府三鷹に生まれる。 1930年、横浜市立商業学校へ入学するも同年中途退学。1931年、旧制鎌倉中学二年へ編入学。1939年、松本高等学校文科甲類在学中に治安維持法違反の疑いで拘留される。1942年、東京帝国大学文学部社会学科を卒業する。 池貝自動車(現在の小松製作所)労務課に勤務するが、1947年に肺結核で退職する。胸部形成手術を受け、農耕、養鶏、子供の受験指導などで生計を立てる。 1955年、日高六郎の推薦で東京大学文学部事務室に勤務、1961年に事務長。
山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1918年6月5日 - 20… 山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1918年6月5日 - 2019年1月31日)は、英文学者、実践女子大学名誉教授。 東京で童話作家・横山寿篤、横山美智子の長女として生まれる。1936年3月に女子学院卒業、1940年3月に東京女子大学英文科卒業、1942年3月に早稲田大学英文科業卒。早稲田大学文学部大学院に1年間在籍。1944年4月に啓明学園女学校で英語教師になった後の同年10月から1947年4月まで朝日新聞東京本社に勤める。英国文化振興会の奨学金を利用して1952年7月から1953年10月までリヴァプール大学大学院に留学。 1954年4月、東京女子大学講師。 1957年4月、女子美術大学講師。 1958年4月、実践女子学園短期大学講師。
吉川 悦次(よしかわ えつじ、1918年(大正7年)6月5日… 吉川 悦次(よしかわ えつじ、1918年(大正7年)6月5日 - 1993年7月21日)は、日本の政治家。大阪府大阪狭山市長(8期)。 大阪府南河内郡狭山村(のち狭山町、現・大阪狭山市)出身。1935年(昭和10年)狭山高等小学校卒業。1951年(昭和26年)狭山村役場に入り、土木建設、厚生衛生、水道の各課長などを経て、1962年(昭和37年)9月、狭山町長に当選する。 町長在任中に役場新庁舎、町立公民館・図書館・総合体育館などが完成し、町の人口は増えて、6期目の1985年(昭和60年)には5万人を突破した。7期目の1987年(昭和62年)に狭山町は市制施行し、「大阪狭山市」となり、初代市長に就任した。
田川 誠一(たがわ せいいち、1918年6月4日 - 200… 田川 誠一(たがわ せいいち、1918年6月4日 - 2009年8月7日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)。新自由クラブ代表(2代)、進歩党代表。元神奈川県議会議員田川誠治の長男。リベラル派、進歩主義派の代表的な政治家だった。 神奈川県横須賀市出身。田川家は大地主の家系。横浜商業学校(現・横浜市立横浜商業高等学校)を経て、1941年12月慶應義塾大学法学部政治学科卒業。朝日新聞社に入社したが、翌年に陸軍・近衛歩兵第5連隊補充隊(東部第8連隊)に入営した。復員後は朝日新聞社に復職し、通信部及び政経部記者、同社労組委員長等を務める。退社後、松村謙三衆議院議員(元文部大臣)秘書を経て、1960年の第29回衆議院議員総選挙に初当選。
奥田 直榮(おくだ なおしげ、 1918年6月3日 – 19… 奥田 直榮(おくだ なおしげ、 1918年6月3日 – 1988年10月20日)は、日本の考古学者。 子爵奥田直久の長男として生まれる。1931年、 学習院初等科を卒業し、東京高等学校に進学。山内清男らから考古学を学ぶようになる。満洲帝国国務院大陸科学院ハルビン分院に勤務。戦後は、根津美術館に勤務しつつ、学習院大学輔仁会史学部で後進の指導に当たる。1957年に江ヶ崎城跡の発掘調査に携わったことをきっかけに、中世考古学、城郭史研究を主とした研究テーマにするようになる。
渡辺 晶一郎(わたなべ しょういちろう、1918年6月3日 … 渡辺 晶一郎(わたなべ しょういちろう、1918年6月3日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手、指導者。拓殖大学レスリング部創設者。 広島県高田郡向原町(現安芸高田市)出身。拓殖大学在学中の1938年、レスリング部を同好会として創部。1940年、同レスリング部は正式に部に昇格した。戦後は郷里・向原中学教諭に奉職。自ら現役選手として毎年国体の広島県チームの一員として活躍。また向原中学を始め、教え子たちが創部した広島県立向原高校や広島県立白木高校などを指導した。特に向原高校レスリング部は戦後の広島高校レスリングをリード、他校にレスリング部創設を促した。グレコローマン・ライトヘビー級で1964年東京オリンピックに出場した中浦章らが教え子。
井上 康弘(いのうえ やすひろ、1918年6月2日 - 没年… 井上 康弘(いのうえ やすひろ、1918年6月2日 - 没年不明)は、熊本県出身のプロ野球選手。
相見 志郎(あいみ しろう、1918年6月1日 - 2014… 相見 志郎(あいみ しろう、1918年6月1日 - 2014年6月26日)は、日本の経済学者。同志社大学経済学部名誉教授。夫人は作家の相見とし子(1925 - 2005年)。プロ写真家であった長男、相見明は1981年にアメリカで不慮の事故死。 作詞家もず唱平の目にとまり、作曲家の山上敏が演歌に仕上げた。 相見志郎は島倉千代子の大ファンの一人である。
李 政烋(イ・ジョンヒュ、朝鮮語: 이정휴、1918年6月1… 李 政烋(イ・ジョンヒュ、朝鮮語: 이정휴、1918年6月1日 - 1996年9月6日または1999年9月6日)は、大韓民国の実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。 漢字表記は李正烋とも。号は鳳剛(ポンガン、봉강)。 日本統治時代の全羅南道光山郡(現・光州広域市)出身。法政大学専門部法科卒。大韓青年団全羅南道組織部長・総務部長、国民会光山郡支部長・光山郡支部委員長、光州産業株式会社常務取締役、自由党光山甲区党委員長・中央委員、国会国防分科委員を務めた。 1996年9月6日に死去。享年78。 1955年11月の第3代国会議員在任中、同年春に10万ファンの無取引小切手を発行した疑いで「詐欺罪」の被告として告訴された。
松本 美樹(まつもと みき、1918年5月30日 - 200… 松本 美樹(まつもと みき、1918年5月30日 - 2001年)は、日本の元プロデューサー、元作家。宣弘社に所属していた。愛媛県出身。本名は松本 美喜男。長男は、フジテレビで外信部記者、解説委員、ニュースキャスターを務めた松本方哉。 アニメ『サザエさん』の初代プロデューサーなどを務めた。 旧制中学校卒業後に作家を目指し、両親に勘当同然の扱いを受けるも叔父を頼り上京した。日本大学芸術学部卒業後は、作家の横光利一に弟子入りした。 第二次世界大戦時は召集され、シベリアに抑留される。 終戦後は帰国し、大正製薬の宣伝課長に就任した。その後、宣伝で携わった縁から宣弘社に転職した。 宣弘社入社後は東芝の専任部門「東芝分室」を立ち上げ、同社が提供する特撮番組『光速エスパー』やアニメ『忍風カムイ外伝』のプロデューサーを務めた。
鬼塚 喜八郎(おにつか きはちろう、1918年〈大正7年〉5… 鬼塚 喜八郎(おにつか きはちろう、1918年〈大正7年〉5月29日 - 2007年〈平成19年〉9月29日)は、日本の実業家で、アシックスの前身のひとつである鬼塚商会の創業者、アシックス社長。 鳥取県気高郡明治村大字松上(現・鳥取市松上)に農業・坂口伝太郎 かめの3男2女の末子として生まれた。喜八郎の名は、大倉財閥を興した大倉喜八郎にちなむという。 坂口家は、もとは小作人だったが祖父・伝十郎の代に地主となった。祖父は農業の傍ら和紙、因幡紙の仲買人なども行っていたという。長兄の坂口伝三郎は後に明治村村長を務めている。 1936年(昭和11年)に鳥取県立鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業。
門前 貢(もんぜん みつぐ、1918年5月29日- 2000… 門前 貢(もんぜん みつぐ、1918年5月29日- 2000年11月12日 )は、日本の経営者。 鹿児島県出身。1940年に麻布獣医専門学校を卒業し、同年に森永乳業に入社。1968年に取締役に就任し、1972年に常務、1976年6月に専務を経て、1979年6月に社長に就任した。1985年6月に会長に就任し、1989年6月から取締役相談役を務めた。 2000年11月12日、急性心筋梗塞のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中曽根 康弘(旧字体: 中曾根 康弘、なかそね やすひろ、1… 中曽根 康弘(旧字体: 中曾根 康弘、なかそね やすひろ、1918年〈大正7年〉5月27日 - 2019年〈令和元年〉11月29日)は、日本の政治家。位階は従一位。勲等は大勲位菊花章頸飾。 衆議院議員連続20回当選(1947年 - 2003年)。科学技術庁長官(第7・25代)、運輸大臣(第38代)、防衛庁長官(第25代)、通商産業大臣(第32・33代)、行政管理庁長官(第45代)、内閣総理大臣(第71・72・73代)、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長、自由民主党総裁(第11代)、公益財団法人「世界平和研究所」会長、拓殖大学第12代総長・理事長、名誉総長、東アジア共同体評議会会長、新憲法制定議員同盟会長などを歴任。
玉井 栄(たまい さかえ、1918年5月26日 - 1953… 玉井 栄(たまい さかえ、1918年5月26日 - 1953年6月)は福岡県出身のプロ野球選手。
松本 安市(まつもと やすいち、1918年(大正7年)5月2… 松本 安市(まつもと やすいち、1918年(大正7年)5月25日 - 1996年(平成8年)3月6日)は、日本の柔道家。段位は講道館8段。 昭和天覧試合(1940年)準優勝者、第1回全日本選手権大会(1948年)優勝者であり、後に天理大学等で柔道師範や1964年東京オリンピック日本代表の監督を務めた。 福岡県久留米市で洋品雑貨の卸売業を営む家の長男として生まれる。福岡県中学明善校入学後は授業で柔道を経験したが、クラブ活動ではバレーボール部に所属。中学3年の始めに上級生の強引な勧誘を受け、嫌々ながら柔道を始めたというのが柔道人生への第一歩となった。 1937年4月に武道専門学校に入学するも、親元を離れた解放感から酒色に溺れ、不摂生が祟って2年生の9月には体調を崩して結核を患い、故郷・福岡での安静生活を余儀なくされる。
大森 創造(おおもり そうぞう、1918年(大正7年)5月2… 大森 創造(おおもり そうぞう、1918年(大正7年)5月25日 - 1999年(平成11年)11月14日)は、昭和期の政治家。参議院議員、茨城県東茨城郡圷村長。 茨城県東茨城郡、のちの桂村(現城里町)で生まれる。九州大学中国文学科を卒業。又一貿易上海支店に勤めた。 1956年(昭和31年)日本社会党に入党。圷村民主同盟を結成した。圷村長に就任し2期在任。茨城県議会議員に選出され3期在任した。また、社会党茨城県連書記長、同党基地対策委員長などを務めた。 1959年(昭和34年)6月の第5回参議院議員通常選挙に茨城県地方区から社会党公認で出馬して初当選。1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙でも再選され、参議院議員に連続2期在任した。
服部 一男(はっとり かずお、1918年5月23日 - 20… 服部 一男(はっとり かずお、1918年5月23日 - 2000年10月31日)は、愛知県出身のプロ野球選手。 惟信中学校から1936年に名古屋軍へ入団。 1938年春季リーグ後に退団。
野平 昌人(のだいら まさと、1918年5月20日 - 20… 野平 昌人(のだいら まさと、1918年5月20日 - 2017年6月5日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長を務めた。陸軍大尉。長野県須坂市出身。 1940年に陸軍士官学校(54期)を卒業。第12方面軍司令部付・陸軍大尉として終戦を迎えた。 1954年に北海道新聞社に入社。1970年に取締役に就任し、1974年に常務、1977年に専務を経て、1978年に北海道文化放送社長に就任。1984年に会長に就任し、1986年には相談役に就任。 2017年6月5日肺炎のために死去。99歳没。
高橋 百之(たかはし ももゆき、1918年5月20日 - 1… 高橋 百之(たかはし ももゆき、1918年5月20日 - 1985年7月8日)は日本の地理学者。岐阜大学名誉教授。岐阜県本巣郡本巣町(現・本巣市)出身。 1961年に東京教育大学より理学博士号授与。論文の題は「冬季における天気境界帯についての研究」。 1957年岐阜大学助教授、1967年教授。1982年名誉教授となり、東海女子大学教授就任。1985年学長となったが同年に没した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
常國 隆(つねくに たかし、1918年(大正7年)5月19日… 常國 隆(つねくに たかし、1918年(大正7年)5月19日 - 1997年(平成9年)6月22日)は、二級滑空士であり、元グライダー日本記録保持者。戦後、帝産グループの取締役などを歴任した。 父は常國稚英、母光代の長男として、岡山県後月郡井原町中町に生まれる。昭和12年、大日本青年航空団第二空軍に応募、合格。大日本航空青年団は、第二空軍(軍用機パイロットなどの養成を目的とした航空団)であり、井上幾太郎陸軍大将を団長に、堀丈夫中将を副団長として、陸軍、海軍、民間、学術の航空権威者を集め、優秀な人材育成を目指した組織であった。 1937年(昭和12年)8月、第1回霧ヶ峰訓練大会に参加し、1938年(昭和13年)5月の滑空機中級訓練長野大会や同年6月の西部訓練大会都城訓練大会に参加した。
藤本 英雄(ふじもと ひでお、1918年5月18日 - 19… 藤本 英雄(ふじもと ひでお、1918年5月18日 - 1997年4月26日)は、山口県下関市彦島(朝鮮・釜山生まれ)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
秋山 光和(あきやま てるかず、1918年5月17日 - 2… 秋山 光和(あきやま てるかず、1918年5月17日 - 2009年3月10日)は、日本の美術史学者。日本美術史専攻。東京大学名誉教授、東京文化財研究所名誉研究員。 1918年、京都市下京区(現、東山区)で父・秋山光夫と母・花枝の長男として生まれた。父の秋山光夫が宮内省図書寮に職を得たことから家族とともに東京に移り、幼少期を過ごした。やがて私立暁星小学校に入学。母方の祖父は元ベルギー公使で、幼いころから祖父母にフランス語を教わっていた。 1931年、旧制東京高等学校尋常科に進み、同高等科文科丙類(仏語専修)を卒業。一時は外交官を志した。1938年4月、東京帝国大学文学部美術史学科に入学し、1941年に卒業。
中澤 信午(なかざわ しんご、1918年5月17日 - 20… 中澤 信午(なかざわ しんご、1918年5月17日 - 2002年5月30日)は、日本の生物学者。山形大学理学部教授をつとめた。 新潟県南魚沼郡塩沢町(現南魚沼市)出身。1943年東北帝国大学理学部生物学科卒。1961年「形成の場の極性理論」で東北大学理学博士。1951年山形大学助教授、教授、1984年定年退官、名誉教授。 念写の発見者とされる福来友吉と懇意にしており、『福来友吉博士の生涯と学問』『超心理学者福来友吉の生涯』『海外の超心理学研究機関一覧』などの著者でもある。 中澤は福来が1931年に行った月の裏の透視・念写についての英論文のタイプライター浄書を福来から依頼されて行った。中澤論文は、海外の研究所等の名称・所在地を掲載しているもので、研究の国際交流を求める向きには不可欠の参考資料となっている。
上野 裕久(うえの ひろひさ、1918年5月16日 - 19… 上野 裕久(うえの ひろひさ、1918年5月16日 - 1997年10月8日)は、日本の憲法学者。 宮崎県北諸県郡高城町(現・都城市)出身。本籍・熊本県。1942年東京帝国大学法学部卒、宮崎大学助教授、佐賀大学助教授、1966年岡山大学教授となり、1984年定年退官、名誉教授、広島修道大学教授を務めた。1991年勲三等旭日中綬章受勲。
浅田 光輝(あさだ みつてる、1918年〈大正7年〉5月15… 浅田 光輝(あさだ みつてる、1918年〈大正7年〉5月15日 - 2006年〈平成18年〉10月10日)は、日本の経済学者・政治運動家。立正大学名誉教授。 福島県須賀川市出身。1943年慶應義塾大学経済学部卒。在学中、三田新聞学会事件で検挙。応召し、戦後日本共産党に入る。1946年、豊田四郎のもとで日本経済機構研究所設立に参加。神山茂夫理論に共鳴、天皇制・ファシズム理論を展開。1954年共産党を除名。以後、新左翼活動を支援した。ハンガリー事件を契機に神山と離れ、全共闘運動を支援。 1949年専修大学商経学部非常勤講師、1951年静岡大学文理学部助教授、1967年立正大学教養部教授。1988年定年退任。
伊藤 国雄(いとう くにお、1918年5月14日 - 没年不… 伊藤 国雄(いとう くにお、1918年5月14日 - 没年不明)は、栃木県出身のプロ野球選手。 宇都宮中学校から宇都宮鉄道管理局を経て、1937年に名古屋軍へ入団。春のシーズン終了後に退団し、1938年の春に復帰。同年秋のシーズン終了後に再び退団。
鳥居 鉄也(とりい てつや、1918年(大正7年)5月14日… 鳥居 鉄也(とりい てつや、1918年(大正7年)5月14日 - 2008年(平成20年)10月16日)は、日本の地球化学者、冒険家。日本における南極調査・研究の第一人者。理学博士。ソ連科学アカデミー南極大陸発見150周年メダル、南極観測20周年文部大臣表彰などを受賞。日本極地研究振興会理事長、千葉工業大学教授などを歴任。
岸野 雄三(きしの ゆうぞう、1918年5月13日 - 20… 岸野 雄三(きしの ゆうぞう、1918年5月13日 - 2001年1月19日)は、日本の体育学者。 宮崎県出身。1942年東京文理科大学哲学科卒。学生時代は体操競技の選手で、1939年明治神宮体育大会個人総合で優勝、翌年の“幻の東京オリンピック”候補選手。1946年東京高等師範学校助教授、49年教授、同年東邦大学助教授、1967年教授、また、東京教育大学体操部部長を務めた。1974年筑波大学体育科学系教授となり、体育科学系長、体育専門学群長を務めた。その間、日本体育学会理事長、日本学術会議会員、体協役員などをつとめる。82年定年退官、名誉教授。早稲田大学客員教授となり、その後、国際武道大学教授、のち副学長に就任。
星野紀(ほしの とし、1918年(大正7年)5月13日 - … 星野紀(ほしの とし、1918年(大正7年)5月13日 - 1991年(平成3年)2月12日 )は、囲碁の棋士。山梨県出身、竹田逸子四段門下、日本棋院所属、九段。 大月市に生まれる。1932年に中学を中退して上京し竹田逸子に入門し、1934年に入段。1938年に召集され、騎兵として1939年にノモンハンで重傷を負い入院、続いて青森県の連隊に配属されるが上官を殴って重営倉入りとなり、紀元節で恩赦になった。1942年二段。 1950年大手合後期第三部優勝、三段。1951年四段。1953年五段。1956年六段。1962年七段。1966年首相杯争奪高段者トーナメントに優勝。1969年八段。1970年本因坊戦リーグ入り。
伊藤 五百亀(いとう いおき、男性、1918年5月11日 -… 伊藤 五百亀(いとう いおき、男性、1918年5月11日 - 1992年3月4日)は、日本の彫刻家。1974年に『うたかたの譜』で文部大臣賞、1982年に『渚』で日本芸術院賞を受賞している。 1918年、愛媛県新居郡大保木村(現、西条市黒瀬)にて出生。17歳の時、雑誌に掲載されていた帝展(現、日展)作品の彫刻を見て感動、彫刻家を志し、上京して多摩帝国美術学校に入学。中途退学するも、その後も吉田三郎に師事し、本格的な創作活動を行った。 1942年、第5回文部省美術展覧会に出品した「立像」が入選、翌年の文部省美術展では「鍬の戦士」が特選となる。 終戦後、五百亀は帰郷し、彫刻活動を断念した。しかし、当時の大保木村村長・伊藤一らが後援会を組織し、五百亀を励ました。
松井 武(まつい たけし、男性、1918年5月10日 - 2… 松井 武(まつい たけし、男性、1918年5月10日 - 2002年9月22日)は、日本の実業家、第2代松井証券社長。 松井房吉商店(現在の松井証券)創業の日(1918年5月10日)に創業者・松井房吉の長男として生まれる。旧制府立一中(現在の東京都立日比谷高等学校)、東京高等学校 (旧制)、東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業した。1949年、松井證券の代表取締役社長に就任した。第二次世界大戦で房吉がほとんどすべての財産を失っていたが、戦後約40年間堅実な経営を続け、資本的に完全に独立した証券会社として会社を存続させる。1987年に三菱銀行出身の弟の松井正俊に社長を譲り、会長に就任した。1990年以降、娘婿で日本郵船出身の松井道夫(当時常務取締役営業本部長)が社内改革を始めると、これに口を挟まず陰で改革を支えた。
宮坂 哲文(みやさか てつふみ、1918年5月10日 - 1… 宮坂 哲文(みやさか てつふみ、1918年5月10日 - 1965年1月24日)は、日本の教育学者。
吉村 茂夫(よしむら しげお、1918年5月10日 - 20… 吉村 茂夫(よしむら しげお、1918年5月10日 - 2009年12月9日)は、日本の実業家。南海電気鉄道(南海電鉄)元社長・会長。 和歌山県岩出市出身。大阪商科大学(現・大阪市立大学)卒業後の1942年に南海鉄道へ入社。常務取締役、専務取締役を経て、1985年に南海電鉄代表取締役社長に就任し、1992年に代表取締役会長を歴任。 社長時代の1988年4月、南海ホークスのオーナーだった川勝傳の死去に伴い、後任としてオーナーを務めた。前任者の川勝時代から大阪スタヂアムを含めた「難波再開発」(後の「なんばパークス」)案が浮上した時から川勝は「ワシの目が黒いうちは球団は売らん!!」と表面上は強い姿勢を見せていたが(ただし青木一三は、川勝が秘密裏に売却先の候補として来島どっくやダイエーと接触していたことを自著で証言している)、南海ホークスは年間10億円の赤字だった。
田辺 康平(たなべ こうへい、1918年5月10日 - 20… 田辺 康平(たなべ こうへい、1918年5月10日 - 2000年10月28日)は、日本の法学者。西南学院大学名誉教授。 北海道出身。東北帝国大学法学部卒、1963年「損害保険契約の本質」で東北大学・法学博士。西南学院大学法学部教授。1989年定年退職、名誉教授。弁護士、境克彦法律事務所。
桑島 甫(くわじま はじめ、1918年5月9日 - 1944… 桑島 甫(くわじま はじめ、1918年5月9日 - 1944年)は、香川県出身のプロ野球選手(三塁手)。
田中 雄平(たなか ゆうへい、1918年5月9日 - 199… 田中 雄平(たなか ゆうへい、1918年5月9日 - 1992年2月5日)は、日本の経営者。藤田観光社長を務めた。山口県出身。 1943年に東京帝国大学経済学部を卒業。日本建鐵での勤務を経て、1953年に藤田興業に転じ、1970年8月に取締役に就任し、1972年8月に常務、1973年3月に専務を経て、1983年3月に藤田観光副社長に就任し、1985年3月には社長に昇格。1990年6月から取締役相談役を務めた。1985年5月から1992年1月までにワシントンホテル社長も務めた。 1992年2月5日急性心不全のために死去。73歳没。
山崎 清(やまざき きよし、1918年5月9日 - )は、日… 山崎 清(やまざき きよし、1918年5月9日 - )は、日本の経済学者・経営学者。 東京生まれ。早稲田大学法学部仏法学科卒。三菱経済研究所、貿易研修センター勤務、東洋大学経営学部教授。89年杏林大学教授。
籾山 政子(もみやま まさこ、1918年〈大正7年〉5月8日… 籾山 政子(もみやま まさこ、1918年〈大正7年〉5月8日 - 1989年〈平成元年〉4月11日)は、日本の科学者、医学地理学者、生気象学者。医学地理学の草分けとされ、病気の多発時期をグラフ化した「季節病カレンダー」の作成者として知られており、疾病と季節と地理の因果関係を追求することで、新しい研究分野を開拓した人物である。籾山姓は出生名であり、結婚後の本名は坂元政子。 東京府東京市(現・東京都区部)で出生した。東京府立第五高等女学校から日本女子大学校英文科に入学、元来の地理好きに加えて、女学校の地理教員の影響を受け、その後の方針が地理学に定まった。大学の公開講座で、前もって用意していた質問を講師にぶつける熱心さで、東京帝国大学の研究室で学ぶ異例の許可を得た。
小泉 清子(こいずみ きよこ、1918年5月7日 - )は、… 小泉 清子(こいずみ きよこ、1918年5月7日 - )は、日本の実業家であり、きもの研究家である。呉服販売会社「鈴乃屋」代表取締役会長。
田中 角栄(たなか かくえい、旧字体: 田中 角榮、1918… 田中 角栄(たなか かくえい、旧字体: 田中 角榮、1918年〈大正7年〉5月4日 - 1993年〈平成5年〉12月16日)は、日本の政治家、実業家、建築士。号は越山。 衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第31代)、自由民主党総裁(第6代)、内閣総理大臣(第64・65代)を歴任した。 自民党内最大派閥である田中派を率い、日本列島改造論を計画・実行し、他にも様々な政策を成し遂げたことでも有名であり、今太閤や影の総理などと呼ばれ、多大な影響力をもった政治家として知られる。 自民党最大派閥の田中派(木曜クラブ)を率い、巧みな官僚操縦術を見せる田中は、党人政治家でありながら官僚政治家の特長も併せ持った稀な存在だった。
唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2… 唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2011年5月6日)は、社会運動研究者・俳人・自由律俳句研究者・作家。「唐沢柳三」の筆名も使用する。石川三四郎に師事する。 長野県に生まれる。滋野尋常高等小学校、長野県上田中学校(現:長野県上田高等学校)、純真学園、東京物理学校(現:東京理科大学)を経て、北海道帝国大学理学部数学科を卒業。北海道大学応用電気研究所に勤務。同研究所を退職後、東京に移住し、東京都立桜町高等学校、東京都立北高等学校ほか都立高校の教員を務めた。 出版のためにソオル社を興し、書籍の編集・発行も行った。 上田中学校時代に荻原井泉水の俳句誌『層雲』に参加した。 個人誌『柳』および『美』の発行者。
三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月… 三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月3日 - 1990年〈平成2年〉10月29日)は、日本の童話作家、詩人、随筆家。本名・嫩子。 西条八十の長女として東京府に生まれる。弟に西條八束。 東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)を経て、日本女子大学英文科中退。父とともに詩誌『ポエトロア』を発行、童話、詩集、翻訳、父の詩集の編纂などを行う。1970年に父が没した後は、父の思い出などを書いた。当初、三井嫩子、三井ふたばこ、三井ふたば子などの表記を用いたが、夫が亡くなったこともあり、父の没後は西條嫩子の名を用いた。
柏戸秀剛(かしわど ひでたけ、1918年5月3日-1982年… 柏戸秀剛(かしわど ひでたけ、1918年5月3日-1982年12月11日)は、春日山部屋に所属していた岩手県九戸郡種市町(現洋野町)出身の元大相撲力士である。本名は佐々木秀剛。最高位は東前頭筆頭(1947年6月場所)。現役時代の体格は186cm、96kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。
閔 寛植(ミン・グァンシク、朝鮮語: 민관식、1918年5月… 閔 寛植(ミン・グァンシク、朝鮮語: 민관식、1918年5月3日 - 2006年1月16日)は、大韓民国の薬剤師、官僚、社会活動家、政治家。第3・4・5・6・10代韓国国会議員。第20代文教部長官。第10代国会副議長。 本貫は驪興閔氏。号は小崗(ソガン、소강)。京都大学法学博士。 日本統治時代の京畿道開城に生まれた。京城第1高等普通学校(現・京畿高等学校)、水原農林専門学校(現・ソウル大学校農科大学に併合)を卒業後、内地の京都帝国大学(現・京都大学)農学部農芸化学科を卒業。その後に薬剤師試験に合格し、薬剤師を免許取得した。 朝鮮戦争後は高麗時報社の社長を務め、1954年の第3代総選挙に無所属でソウル東大門選挙区から立候補して初当選した。
伊藤 毅(いとう たけし、1918年5月3日 - 1999年… 伊藤 毅(いとう たけし、1918年5月3日 - 1999年9月11日)は日本の音響工学者。 1964年東京オリンピックの開・閉会式の音響をまとめた功績等が評価され、NHK放送文化賞などを受賞した。