井原 高忠(いはら たかただ、1929年〈昭和4年〉6月6日… 井原 高忠(いはら たかただ、1929年〈昭和4年〉6月6日 - 2014年〈平成26年〉9月14日)は、日本のテレビプロデューサー。 日本テレビのプロデューサーとして知られ、同局で制作局次長、第一制作局長を歴任後、井原高忠事務所を設立し取締役を務めた。ザ・ピーナッツやとんねるずのユニット名の考案者としても知られる。 東京府北豊島郡滝野川町王子(現在の東京都北区王子)にて、本村町三井家(三井財閥のオーナー一族)の分家に生まれ、世田谷区の1000坪の邸宅に育つ。父の高親は本村町家初代当主である高明の次男で、分家した際に途絶えていた一門の井原家を再興した。母方曽祖父に子爵鳥尾小弥太がいる。後に同じくバンドマンとなる鳥尾敬孝とは従兄弟の関係。
長野 敬(ながの けい、1929年6月6日 - 2017年1… 長野 敬(ながの けい、1929年6月6日 - 2017年10月25日 )は、日本の生物学者、翻訳家。 東京生まれ。1952年東京大学理学部卒業、1960年群馬大学医学博士。1974年から自治医科大学教授を務め、2000年定年退任、名誉教授。河合文化教育研究所主任研究員。数多くの翻訳を行った。2017年10月25日逝去。享年88歳。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
吉田 純(よしだ じゅん、1929年6月4日 - )は、日本… 吉田 純(よしだ じゅん、1929年6月4日 - )は、日本の経営者。日鉄鉱業社長を務めた。 岐阜県出身。1953年に京都大学法学部を卒業し、同年4月に日鉄鉱業に入社。1983年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1990年6月に専務、1992年6月に副社長を経て、1993年6月に社長に就任。1999年6月に会長に就任。
長尾 みのる(ながお みのる、本名:長尾 実、1929年6月… 長尾 みのる(ながお みのる、本名:長尾 実、1929年6月4日 - 2016年10月6日)は、イラストレーター、装丁家。 東京都中央区新富町生まれ。1950年、早稲田大学(旧)工芸美術研究所卒業。服飾専門校(西洋服装史)講師をしながら、舞台美術の勉強をする。1953年、無銭の世界一周旅行に出発(1956年帰国)。 1959年、小説挿画を描きだす。1961年、永六輔とのコンビの「アサヒグラフ」での連載が初の新語「イラスト」使用となり、日本初のイラストレーターを名乗る。1976年、講談社出版文化賞を受賞。 1997年~1998年週刊読売で「週読俳句会」企画と俳画を担当。レコード・CDジャケットのイメージ・イラストを1998年までに90点制作。
菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 200… 菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 2007年12月15日)は、日本の歌人・文芸評論家・国文学者。北海学園大学名誉教授。戦後の前衛短歌運動を批評の立場から推し進めた。 北海道小樽市出身。旧制小樽中学(現北海道小樽潮陵高等学校)、1953年北海道大学文学部国文学科卒業、1958年同大学院文学研究科博士課程満期退学。1957年北海道苫小牧西高等学校教諭。1959年北海道札幌西高等学校教諭、1962年旭川工業高等専門学校助教授、1969年北海道工業大学助教授。1972年同教授、1977年北海学園大学教養部教授。1993年同人文学部教授。北海学園大学教養部長や、同学生部長、同附属図書館長、同人文学部長・大学院文学研究科長を歴任。
高鳥 修(たかとり おさむ、1929年(昭和4年)6月3日 … 高鳥 修(たかとり おさむ、1929年(昭和4年)6月3日 - 2019年(令和元年)10月20日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲章は勲一等旭日大綬章。 自由民主党衆議院議員、竹下内閣の総務庁長官、宮沢改造内閣の経済企画庁長官を歴任する。派閥は佐藤栄作→田中角栄→竹下登→小渕恵三→橋本龍太郎派に所属した。 1929年(昭和4年)6月3日新潟県西頸城郡能生町(現在の糸魚川市)に生まれる。7歳のとき両親と死別し、以後祖父で衆議院議員、貴族院議員を務めた高鳥順作に育てられる。旧制新潟高等学校を経て1953年(昭和28年)東京大学法学部を卒業する。1954年(昭和29年)25歳で地元、能生町長に当選する(全国最年少)。
加古 房夫(かこ ふさお、1929年〈昭和4年〉6月2日 -… 加古 房夫(かこ ふさお、1929年〈昭和4年〉6月2日 - 2019年〈令和元年〉5月10日)は、日本の政治家。兵庫県三木市長(4期)。位階は正五位。 兵庫県三木市出身。兵庫県立農学校(現兵庫県立農業高等学校)卒。美嚢郡三木町役場に入り、市長公室主査、人事担当主幹、農林課長、総務部長などを経て、助役に就任する。 1990年三木市長に当選する。1994年に再選。1998年に三選。2002年に無投票で当選する。市長を4期務め、2006年に再選を目指したが、落選した。2006年11月に旭日小綬章を受章した。 2019年に死去。死没日付をもって正五位に叙された。
篠崎 輝夫(しのざき てるお、1929年6月2日 - 200… 篠崎 輝夫(しのざき てるお、1929年6月2日 - 2005年10月29日)は、日本の洋画家。千葉県生まれ、光風会常務理事、日展評議員などを歴任する。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
斎藤 隆(さいとう たかし、1929年〈昭和4年〉6月2日 … 斎藤 隆(さいとう たかし、1929年〈昭和4年〉6月2日 - 1995年〈平成7年〉8月26日)は、日本の男性声優。元81プロデュース所属。東京都出身。 日本大学芸術科卒業。1952年、東京放送劇団に入団。 1995年8月26日に死去。66歳没。 太字はメインキャラクター。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
小枝 英勲(こえだ ひでのり、1929年〈昭和4年〉6月1日… 小枝 英勲(こえだ ひでのり、1929年〈昭和4年〉6月1日 - 2014年〈平成26年〉8月12日)は、日本の政治家。岡山県久米郡中央町長。岡山県議会議員・議長。(自由民主党)。 岡山県久米郡加美村(加美町→中央町を経て、現在の美咲町)原田に生まれる。旧制岡山県立津山中学校(現在の岡山県立津山中学校・高等学校)を経て、明治大学法学部を卒業する。卒業後は、アメリカのスタンフォード大学大学院に学び、修了する。帰国後は全国農業協同組合中央会に入り、経理課長、教育部次長などを務める。その後、帰郷し、1976年の衆議院議員総選挙に岡山1区から新自由クラブ公認で立候補したが、落選した。3年後の1979年の総選挙では無所属で立候補したが落選した。
豊田 達郎(とよだ たつろう、1929年6月1日 - )は、… 豊田 達郎(とよだ たつろう、1929年6月1日 - )は、日本の実業家。学位は経営学修士(ニューヨーク大学経営大学院)。トヨタ自動車株式会社相談役、公益財団法人トヨタ財団会長(第2代)、学校法人トヨタ学園理事長(第2代)。
木下 順一(きのした じゅんいち、1929年〈昭和4年〉6月… 木下 順一(きのした じゅんいち、1929年〈昭和4年〉6月1日 - 2005年〈平成17年〉10月27日)は、日本の作家、雑誌編集長。北海道函館市真砂町(後の大手町)出身。東京都台東区上野の文部省図書館職員養成所(後の図書館情報大学)卒業。 図書館職員養成所時代から小説家を志し、学友たちと文芸雑誌を創刊し、小説を掲載するなどの活動を行なっていた。21歳のときに書いた小説『怪物』は、作家の埴谷雄高から評価を受けた。 1962年(昭和37年)、地元の函館で季刊誌『函館百点』(後に『はこだて』、さらに後に『街』と改題)の創刊メンバーに加わり、創刊後も編集と発行に携わった。1975年(昭和50年)からは函館文学学校の講師を務め、雑誌と学校で地元の人材育成と地域文化に貢献した。
水谷 信子(みずたに のぶこ、1929年6月 - )は、日本… 水谷 信子(みずたに のぶこ、1929年6月 - )は、日本語教育学者、お茶の水女子大学・明海大学名誉教授。旧姓・須藤。夫は言語学者の水谷修。 東京生まれ。東京女子高等師範学校文科三年修了、1952年旧制東京大学文学部英文科卒。ミシガン大学大学院留学。1953年から英語国民に対する日本語教育に従事。1962年日本研究センター勤務、教授、副所長。1970-75年文化放送ラジオ講座「百万人の英語」講師。1986年お茶の水女子大学文教育学部教授、95年定年退官、名誉教授、明海大学外国語学部教授。2000年名誉教授。アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター教授。
松浦 馨(まつうら かおる、1929年(昭和4年)6月 - … 松浦 馨(まつうら かおる、1929年(昭和4年)6月 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は、法学博士(名古屋大学・論文博士・1962年)。名古屋大学名誉教授。2008年瑞宝中綬章受章。徳島県出身。 日本民事訴訟法学会理事、司法試験第二次試験考査委員、法制審議会幹事、法制審議会民事訴訟法部会委員、法制審議会強制執行制度部会委員、学術審議会科学研究費分科会専門委員、名古屋弁護士会資格審査委員会委員、日本民事訴訟法学会監事、名古屋繊維取引所紛争仲介委員会委員、財団法人民事紛争処理研究基金選考委員会委員長、国際商事仲裁協会商事仲裁研究所運営委員長、日本ローエイシア友好協会顧問、財団法人民事紛争処理研究基金理事を歴任。
米山 高範(よねやま たかのり、1929年5月30日 - 2… 米山 高範(よねやま たかのり、1929年5月30日 - 2014年2月16日)は、日本の技術者、実業家。コニカ代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本科学技術連盟理事長、日本品質管理学会会長などを務めた。アメリカ品質学会(ASQ)功績賞、デミング賞本賞受賞。 東京市本所区(現墨田区)生まれ。府立七校(現東京都立墨田川高等学校)在学中に東京大空襲で家が焼失し、学生寮のある横浜工業専門学校(現横浜国立大学)に入学。1953年東京工業大学電気化学科卒業。大学では品質管理の水野滋教授に師事した。 1953年小西六写真工業(現コニカミノルタ)入社。八王子工場品質保証課長を経て、生産本部本部長付主任部員在任中に出版した著書『品質管理のはなし』で日経品質管理文献賞受賞。
甘糟 章(あまかす あきら、1929年5月30日 - 201… 甘糟 章(あまかす あきら、1929年5月30日 - 2013年11月19日)は、日本の雑誌編集者。元マガジンハウス副社長。 神奈川県横浜市中区伊勢佐木町出身。実家は米屋を営んでいた。神奈川県立横浜第三中学校(神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校の前身)、府立高等学校(東京都立大学の前身)を経て、1955年に東京大学文学部仏文科を卒業。 学習研究社を経て、1959年に平凡出版へ入社。『平凡パンチ』『週刊平凡』『an・an』の編集長として、1960年代から1970年代の流行の先駆者として活躍。その後、『クロワッサン』『ダカーポ』などを創刊し、大人になった『an・an』世代へのライフスタイルの提言を行う。1980年代に至るまで、出版文化の中での影響力は大きなものがあった。
高野 悦子(たかの えつこ、1929年5月29日 - 201… 高野 悦子(たかの えつこ、1929年5月29日 - 2013年2月9日)は、日本の映画運動家、岩波ホール総支配人、映画プロデューサー、放送作家、テレビドラマ演出家。 1929年(昭和4年)に満洲の大石橋に生まれた。太平洋戦争終戦前の1945年(昭和20年)5月、父親の郷里である富山県下新川郡桜井町(現・黒部市)に引き揚げ、魚津高等女学校(現・富山県立魚津高等学校)を卒業した。16歳の時に映画『キュリー夫人』を見て感銘を受け、職業を持って自立する決心をする。日本女子大学社会福祉学科に入学し、南博主任教授の下で「マスメディアと映画」を研究テーマとし、日本映画の観客の反応と内容分析と映画企業分析を行い、各新聞・雑誌に発表した。
岩崎 馨(いわさき かおる、1929年5月29日 - 202… 岩崎 馨(いわさき かおる、1929年5月29日 - 2025年2月22日 )は、日本の労働運動家。 京都市生まれ。1948年12月日本鋼管に入社し、電機課に配属となる。1953年明治学院大学経済学部卒業。1964年9月日本鋼管製鉄労働組合連合会中央執行委員調査担当を経て、のち同労組調査部長。1976年政策推進労組会議事務局次長。1978年日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)調査部長。1978年4月明治学院大学経済学部講師(1981年3月まで)。1982年全日本民間労働組合協議会(全民労協)調査局長(2002年まで)。1985年社団法人国際産業・労働研究センター事務局長。2000年財団法人社会経済生産性本部(2009年より日本生産性本部)社会労働部参与、労働研究センター事務局長。
後藤 安彦(ごとう やすひこ、1929年5月28日 - 20… 後藤 安彦(ごとう やすひこ、1929年5月28日 - 2008年2月16日)は、日本の翻訳家、歌人。本名は二日市 安。 兵庫県西宮市生まれ。 生来の脳性麻痺のため、堺市立熊野国民学校卒業後は自宅で暮らす。少年期から青年期にかけては幽閉同然に大分県で育った。1958年に桐三樹夫の推挙で短歌結社「中央線」入会。1964年に結社新人賞、1972年に作品賞を受賞。数か国語を独学で学び、翻訳家となる。ジョン・ガードナーやトマス・チャステイン(Thomas Chastain)など、推理小説を翻訳。障害者運動にも積極的に活動した。「車椅子の国会議員をつくる会」を立ち上げて代表をつとめようとしたこともあるが、すぐにつぶれたという。
広木 康二(ひろき やすじ、1929年〈昭和4年〉5月27日… 広木 康二(ひろき やすじ、1929年〈昭和4年〉5月27日 - 2015年〈平成27年〉10月4日)は、日本の政治家。群馬県富岡市長を3期12年務めた。富岡市文化協会名誉会長、群馬県猟友会理事、全国市長会評議員、全国市議会議長会理事などにも着任した。 群馬県富岡市出身。1946年(昭和21年)富岡中学校(現群馬県立富岡高等学校)を卒業した。 1970年(昭和45年)富岡市議会議員に当選し、1975年(昭和50年)から同議長を務める。1983年(昭和58年)現職の市長を破って富岡市長に当選。2期目となる1987年の市長選でも2位に大差をつけて当選した。富岡まつり実行委員会の会長も兼務し、1988年(昭和63年)の天皇の体調不良に際しては同年10月15-16日開催予定だった第14回富岡まつりの中止を決定している。
田村 のり子(たむら のりこ、1929年5月27日 -202… 田村 のり子(たむら のりこ、1929年5月27日 -2023年9月12日)は、日本の詩人。島根県松江市生まれ。本名・田村徳子。松江高等女学校(現島根県立松江北高等学校)卒。1967年より季刊詩誌『山陰詩人』編集発行人。日本現代詩人会会員(平成28年度先達詩人顕彰)・中四国詩人会会員・島根県詩人連合所属。1972年、評論『出雲・石見地方詩史五十年』で第6回日本詩人クラブ賞を受賞。
飛田 就一(ひだ しゅういち、1929年5月27日 - 20… 飛田 就一(ひだ しゅういち、1929年5月27日 - 2002年3月26日)は、日本の哲学研究者。 中国大連生まれ。1962年立命館大学大学院文学研究科修士課程修了。63年立命館大学経済学部講師、69年助教授、74年教授、94年定年退任、名誉教授。
加藤 恭子(かとう きょうこ、1929年5月26日 - )は… 加藤 恭子(かとう きょうこ、1929年5月26日 - )は、日本の中世フランス文学者、エッセイスト。 旧姓・藤井。夫は加藤淑裕(よしひろ、1924-1988、発生生物学者、三菱化成生命科学研究所)、娘は『アメリカへ行った僚子』で知られる教育学者・東大教授の恒吉僚子。 東京生まれ。日本女子大学付属高女を経て同大国文科を中退し、1950年に早稲田大学文学部仏文科入学、1953年卒業。 夫ともに渡米し、1957年ワシントン大学大学院修士課程修了。1965年早稲田大学大学院仏文科博士課程満期退学。ワシントン大学研究助手、1965-72年マサチューセッツ大学特別研究員。 1973年上智大学講師、1995年同大学コミュニティ・カレッジ講師。
野口 元大(のぐち もとひろ、1929年5月26日 - 20… 野口 元大(のぐち もとひろ、1929年5月26日 - 2016年12月2日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1992年)。上智大学名誉教授。 長野県小諸市生まれ。埼玉県児玉郡神泉村育ち。旧制松本第二中学校(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校文科を経て、1953年東京大学文学部国文学科卒、1958年同大学院国文学専攻修了。 都立高校教諭を経て、1960年熊本大学法文学部助教授、1966年文部省教科書調査官、1974年茨城大学人文学部教授、1977年文部省主任教科書調査官、1982年上智大学文学部教授、1992年「夜の寝覚研究」で東大文学博士。この間、文部省にて主任教科書調査官を務める。
伊藤 助成(いとう じょせい、1929年(昭和4年)5月25… 伊藤 助成(いとう じょせい、1929年(昭和4年)5月25日 - 2005年(平成17年)4月21日)は、日本の実業家。 日本生命保険の社長や会長、経済同友会副代表幹事、生命保険協会会長を務めた。また生命保険業界出身者としては初めて経団連副会長を務めた。日本人として8人目の「保険の殿堂」入り。 秋田県羽後町出身。羽後町立羽後中学校、秋田県立湯沢高等学校を経て、1953年(昭和28年)に一橋大学経済学部を卒業し、日本生命入社。大阪本社人事課配属。大学では中山伊知郎ゼミナールに所属。大学同期の渡辺滉(元三和銀行頭取)と親しい仲であった。のちに日本生命副会長や東京オペラシティ文化財団初代理事長を務めた小林玉夫は大学同期で同期入社。
加藤 武(かとう たけし、1929年〈昭和4年〉5月24日 … 加藤 武(かとう たけし、1929年〈昭和4年〉5月24日 - 2015年〈平成27年〉7月31日)は、日本の男性俳優、声優。文学座前代表。東京市京橋区(現:東京都中央区)出身。早稲田大学英文科卒業。俳号は「阿吽」。 築地で仲卸業を営む家に生まれる。祖母は十五代目市村羽左衛門の贔屓、両親共に清元節を嗜み、姉は舞踊をやっていた。中央区立泰明小学校、麻布中学校、早稲田大学高等学院卒業。小沢昭一・フランキー堺・仲谷昇・大西信行・なだいなだ・内藤法美は麻布中学校の同級生だった。幼少期より歌舞伎を愛好し、学校を早退してまで歌舞伎座に通っており俳優に憧れていた。 早稲田大学では演劇研究会に入り、ここで映画監督の今村昌平・俳優の北村和夫らと知り合う。
神田修(かんだ おさむ、1929年5月23日 - 2022年… 神田修(かんだ おさむ、1929年5月23日 - 2022年2月25日)は、日本の教育行政学者、九州大学名誉教授。 長野県出身。長野県飯山北高等学校卒、1954年東京大学教育学部卒、神奈川県教育委員会勤務を経て、1970年東京大学大学院教育行政学修了、「「明治憲法」下における教育行政と"地方自治" 戦前日本の教育行政の機構と思想に関する研究序説」で教育学博士の学位を取得。1968年立正大学専任講師となり、1971年助教授、1976年教授をへて、1981年九州大学教育学部教授。1993年定年退官、名誉教授、山梨学院大学教授、2003年退職。日本教育法学会会長を務めた。
高橋 治(たかはし おさむ、1929年5月23日 - 201… 高橋 治(たかはし おさむ、1929年5月23日 - 2015年6月13日)は、千葉県千葉市出身の小説家、劇作家、映画監督。 刑事ものである「神崎省吾シリーズ」は2時間ドラマの原作として度々映像化されている。 「さすらい波太郎」シリーズなどの釣りに関する小説も多く、また環境や釣り人のマナーについての辛口のコメントも発表し続けている。 また、好角家としても知られ、1990年から2012年まで本場所中には中日スポーツ・東京中日スポーツに観戦記「私は見た!」を連載していた。その中で高橋は近年の力士の大型化を憂い、技能に優れた力士の登場を願うような記述が多い。また、朝青龍の素行にも批判的な立場を取っている。
原田 正(はらだ ただし、1929年5月23日-2018年1… 原田 正(はらだ ただし、1929年5月23日-2018年10月29日 )は、日本の経営者。三井鉱山社長を務めた。京都府出身。 1952年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に三井鉱山に入社した。1981年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1989年1月に専務を経て、1991年6月に社長に就任。1997年6月に会長に就任し、1999年6月には相談役に就任。 2018年10月29日心不全のため死去、89歳没。
秋山 邦晴(あきやま くにはる、1929年5月22日 - 1… 秋山 邦晴(あきやま くにはる、1929年5月22日 - 1996年8月17日)は、日本の音楽評論家、音楽プロデューサー、詩人、作曲家。東京都生まれ。 父は陸軍軍人でのち牧車の号で俳人となった秋山邦雄。父の転任により、1935年から1937年までの幼年期を天津で過ごす。東京都立六中(現・東京都立新宿高等学校)、長野県松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、早稲田大学第二高等学院を経て早稲田大学文学部フランス文学科に入学。1950年代、日比谷にあったGHQのCIE図書館(民間情報教育局)でレコード・コンサートをシリーズで開き、アメリカやヨーロッパの現代音楽を紹介。また、音楽雑誌「レコード音楽」編集長などを務めた。
平河 喜美男(ひらかわ きみお、1929年5月22日 -)は… 平河 喜美男(ひらかわ きみお、1929年5月22日 -)は、日本の官僚、元安田信託銀行顧問。 熊本県生まれ。熊本県立玉名中学校卒業。第五高等学校卒業、東京大学理学部卒業。 昭和31年、旧通商産業省(現:経済産業省)入省。主に技術畑を歩んだ。 昭和59年、立地公害局長就任。 昭和60年、退官。その後、安田信託銀行の顧問を経て昭和電工株式会社専務取締役、日本規格協会理事長。
久保田 暁一(くぼた ぎょういち、1929年5月22日 - … 久保田 暁一(くぼた ぎょういち、1929年5月22日 - 2016年6月15日)は、日本の文芸評論家。 滋賀県生まれ。滋賀大学卒。高校教師、中部女子短期大学教授を務めた。同人誌『滋賀作家』代表。キリスト教文学を論じた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
柴田 稔(しばた みのる、1929年5月21日 - )は、日… 柴田 稔(しばた みのる、1929年5月21日 - )は、日本の経営者。兵庫県出身。 1953年に京都大学工学部機械工学科を卒業し、同年に東洋紡績に入社。1982年7月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1990年6月には副社長に就任した。1992年6月に社長に昇格した。1999年6月に会長に就任し、2004年6月に相談役を経て、2010年6月から名誉顧問務めた。 1997年6月から1998年6月までに日本紡績協会会長、1998年7月から1999年6月までに日本化学繊維協会会長、1999年5月から2005年4月までに関西経済連合会副会長をそれぞれ務めた。 1994年4月に藍綬褒章を受章し、2002年4月に勲二等旭日重光章を受章。
山際 素男(やまぎわ もとお、1929年5月21日 - 20… 山際 素男(やまぎわ もとお、1929年5月21日 - 2009年3月19日)は、日本のノンフィクション作家、インド文化研究家、翻訳家。専門はインド文学。 三重県大王町出身。中学、高校でそれぞれ中退を経験し、法政大学文学部日本文学科卒。朝日新聞東京本社、世界労連東京事務所勤務を経て、インドに留学。インド国立パトナ大学(英語版)、ビスババラティ大学(英語版)で学ぶ。帰国後、文筆活動に入る。 代表作として、インドにおけるカースト制度の実態を告発した『不可触民 もうひとつのインド』がある。1998年には、古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』の翻訳で第34回日本翻訳出版文化賞を受賞した。 チベット問題にも関わり、『ダライ・ラマ自伝』他、チベット関連書を翻訳。
秋庭雅夫(あきば まさお、1929年5月21日- 2021年… 秋庭雅夫(あきば まさお、1929年5月21日- 2021年3月9日)は、日本の経営工学者、東京工業大学名誉教授。 東京出身。早稲田大学工学部卒、1954年同大学院工学研究科修士課程修了、1971年「生産管理システムの設計とその運用に関する研究 システム・モジュールの応用を主として」で工学博士。東京都立工業短期大学助教授、東京工業大学教授を務め、93年定年退官、名誉教授、東京理科大学教授。2009年日本MH協会会長。
杵屋 佐之忠(きねや さのただ、1929年5月21日 - 2… 杵屋 佐之忠(きねや さのただ、1929年5月21日 - 2017年4月6日)は、長唄三味線方・付け師。本名は廣瀬 忠夫。 滋賀県大津市で生まれ、大阪府で育つ。1947年、疎開先の栃木県日光市で杵屋栄暁に入門。1949年に上京し初世・杵屋佐之助に師事。1949年9月、杵屋忠雄の名で歌舞伎初舞台。1955年、杵屋佐之忠を允許。以降、2017年まで付け師として前進座歌舞伎に携わる。 『蛸』『祇王寺物語』など 『魚屋宗五郎』『佐倉義民伝』『お染の七役』『人情噺・文七元結』『不破』『奴の小万・裾模様沖津白浪』『東海道四谷怪談』『三人吉三廓初買』『土蜘蛛退治』『髪結新三』『春若丸』『唐茄子屋』『鳴神』『冥途の飛脚』『本町糸屋の娘』など(劇団前進座) 『怪談・牡丹燈籠』(文学座)ほか
田中 敏弘(たなか としひろ、1929年5月20日 - 20… 田中 敏弘(たなか としひろ、1929年5月20日 - 2020年3月12日)は、日本の思想史家。関西学院大学名誉教授。元長崎県立大学学長。元経済学史学会代表幹事。 兵庫県神戸市生まれ。1953年大阪商科大学(現大阪市立大学)卒業。同年関西学院大学助手に着任。1959年から1961年までシラキュース大学大学院、コロンビア大学大学院に留学し、シラキュース大学修士(MA)の学位を取得。1974年から1年間グラスゴー大学客員研究所、ケンブリッジ大学客員研究員。1988年コロンビア大学客員研究員。1990年吉林大学交換教授。1991年かから1993年まで経済学史学会代表幹事。1995年から2000年までアメリカ経済思想史研究会代表幹事。
奥平 康弘(おくだいら やすひろ、1929年(昭和4年)5月… 奥平 康弘(おくだいら やすひろ、1929年(昭和4年)5月19日 - 2015年(平成27年)1月26日)は、日本の法学者(憲法〈表現の自由及びアメリカ合衆国憲法〉)。エッセイスト。東京大学名誉教授。 北海道函館市生まれ。鵜飼信成と宮澤俊義の弟子。法学界・法曹界に止まらず、広く影響力を有する法学者だった。九条の会の呼びかけ人の一人で、エッセイも多数執筆。日本ビデオ倫理協会評議員、自由人権協会評議員も務めた。 「学者」という呼称を敬遠し、大学を離れて以降、「憲法研究者」という肩書きを名乗ることが多かった。 奈良県医師宅放火殺人の供述調書漏洩事件をうけて講談社が2007年に設置した第三者委員会である『僕はパパを殺すことに決めた』調査委員会の委員長を務めた。
熊谷 信昭(くまがい のぶあき、1929年(昭和4年)5月1… 熊谷 信昭(くまがい のぶあき、1929年(昭和4年)5月19日 - 2018年(平成30年)1月21日)は、日本の工学者。専門は電子・通信工学、電磁波工学。工学博士。大阪大学名誉教授。文化功労者。位階は従三位。 旧関東州旅順市生まれ。第12代大阪大学総長、兵庫県立大学初代学長、国際電気通信基礎技術研究所会長、科学技術会議(現総合科学技術会議)議員などを歴任。日本学士院賞、瑞宝大綬章などを受賞。 研究活動としては、一貫して新しい電磁波論の開拓と電磁波の工学的応用に関する研究を推進し、近代電磁波論の発展と、今日、電磁波工学とよばれている重要な工学の分野の学問・技術の確立に貢献した。 電磁波論の研究における特筆すべき業績としては、世界に先駆けて相対論的電磁波論に関する一連の研究を創始し、従来の定説や常識を覆す数々の興味ある電磁現象や多くの重要な学術的新知見を次々に見出して国内外の学界に大きな論議をまき起こし、この分野の世界的な研究活発化の端緒を開いたほか、多くの有用な電磁界解析技法を考案・開発するなど新しい電磁波論の発展に寄与し、電磁波の各種の工学的応用への基礎を拓いた。
池田 健太郎(いけだ けんたろう、1929年5月19日 - … 池田 健太郎(いけだ けんたろう、1929年5月19日 - 1979年11月7日)は、日本のロシア文学者。 愛知県生まれ。本名・豊。陸軍幼年学校、旧制第一高等学校を経て東京大学仏文科卒業、同大学院比較文学比較文化専攻修士課程修了。立教大学講師、東大助教授を務めたが、1969年大学紛争により退職、書籍編集局次長扱いで中央公論社に入るが翌年退職。1975年『プーシキン伝』により第26回読売文学賞評論・伝記賞受賞、1979年『「かもめ」評釈』により第29回芸術選奨新人賞を受賞した。 1979年11月7日未明1時、心臓発作のために東京都三鷹市の自宅にて急逝した。『「桜の園」評釈』『チェーホフ学入門』(仮題)の両著作に取り組んでいる最中のことであった。
元 炳旿(ウォン・ビョンオ、朝鮮語: 원병오/元炳旿、192… 元 炳旿(ウォン・ビョンオ、朝鮮語: 원병오/元炳旿、1929年5月19日 - 2020年4月9日)は、大韓民国の鳥類学者。『韓国の鳥の父』と評された。本貫は原州元氏。 日本統治時代の朝鮮で京畿道の開城(現: 朝鮮民主主義人民共和国開城特別市)にて鳥類学者であった父元洪九(朝鮮語版)のもと、4男2女の中で末っ子として生まれた。 鳥類学を勉強しようとなったのは、幼い時に父について行き山と野原で共に鳥を追った経験による。1948年に金日成総合大学農学部畜産科に入学し、単科大学に分離した元山農業大学(朝鮮語版)にに在学中、1950年に朝鮮戦争が起こると韓国へ渡った。戦中は陸軍砲兵将校として参戦し、中尉の時は、当時第3軍団砲兵団長であり、大領(日本の大尉に相当)であった 朴正煕元大統領の専属副官を務めた。
野村 精一(のむら せいいち、1929年5月18日-2017… 野村 精一(のむら せいいち、1929年5月18日-2017年4月24日)は、日本の国文学者。専門は日本文学。実践女子大学名誉教授。 東京出身。東京大学文学部国文科・同大学院修士課程修了後、地方公務員の教員として都立高校教諭を経て、山梨大学教授の後、1986年実践女子大学教授となる。2000年定年となり、名誉教授。『源氏物語』など中古文芸を研究した。
小野寺 久幸(おのでら ひさゆき、1929年5月18日 - … 小野寺 久幸(おのでら ひさゆき、1929年5月18日 - 2011年3月1日)は、日本の文化財(仏像)修理技師、東大寺大仏師。 宮城県本吉郡本吉町(現・気仙沼市)出身。本吉郡小泉高等尋常小学校卒業。 1951年、神奈川県鎌倉市覚園寺における重要文化財の木造薬師如来および日光菩薩・月光菩薩の各坐像の保存修理を行い、その仏像修理の力量を知らしめた。 1954年に東京国立博物館文化財修理室に勤務、翌年、財団法人美術院国宝修理所に就職する。 1975年に同修理所所長・西村公朝の指名を受け、第六代所長兼常務理事に就任。以後、国宝・重要文化財の彫刻作品の修理に専従するとともに、現場において後進の育成に努めた。
渋谷 亮治(しぶや りょうじ、1929年5月17日 - 20… 渋谷 亮治(しぶや りょうじ、1929年5月17日 - 2014年2月5日)は、日本の経営者。 石川県金沢市出身。1952年に京都大学経済学部を卒業し、同年に渋谷工業に入社。 1954年に専務に就任し、1973年には社長に昇格し、1983年4月に会長に就任。 1991年6月にはテレビ金沢社長に就任。 2014年2月5日肺炎のために死去。84歳没。
山本 吉人(やまもと よしと、1929年5月17日 - 20… 山本 吉人(やまもと よしと、1929年5月17日 - 2002年12月12日)は、日本の法学者、茨城大学名誉教授。 山口県出身。早稲田大学卒。茨城大学助教授、教授を経て、1993年に定年退官、名誉教授、法政大学教授。2001年、退職。1979年、「雇用形態と労働法・労働時間制の法理論」で早稲田大学法学博士。専門は労働法。 2002年12月12日、虚血性心不全のため死去。
福岡 正剛(ふくおか せいごう、1929年5月16日 - 1… 福岡 正剛(ふくおか せいごう、1929年5月16日 - 1996年2月4日)は、日本の俳優。本名は福岡 正剛(ふくおか まさたけ)。 東京市下谷区(現:東京都台東区)出身。旧制錦城中学校(現:錦城学園高等学校)、鎌倉アカデミア映画科卒業。東映、松竹を経て、清野事務所、さとう事務所に所属していた。 母は女優の福岡君子。妻は福岡幸子(ゆきこ)。 太泉映画、東映、松竹に所属後、クラブを経営。 1996年2月4日、急性心不全のため死去。66歳没。
廣瀬 直人(ひろせ なおと、1929年5月16日 - 201… 廣瀬 直人(ひろせ なおと、1929年5月16日 - 2018年3月1日)は、日本の俳人。 山梨県一宮町(笛吹市)生まれ。本名は直瀬。東京高等師範学校を卒業。卒業後は郷里で高校教師として務める。祖父の影響で句作をはじめ、1948年「雲母」入会、飯田蛇笏に師事。1961年「雲母」同人、1968年第4回山蘆賞受賞。蛇笏の没後は飯田龍太に師事。1992年「雲母」廃刊、翌年その後継誌として「白露」を創刊・主宰。一貫して自然と生活を主題として句作し、2008年には句集『風の空』で第43回蛇笏賞、第1回小野市詩歌文学賞を受賞した。また福田甲子雄とともに『飯田龍太全集』(2005年、角川書店)を監修している。
一海 知義(いっかい ともよし、1929年5月15日 - 2… 一海 知義(いっかい ともよし、1929年5月15日 - 2015年11月15日)は、日本の中国文学者、神戸大学名誉教授、河上肇研究で著名。 奈良県奈良市生まれ。1953年京都大学文学部卒、吉川幸次郎の門下生の一人、同じ吉川門下の筧久美子・筧文生夫妻とは友人で共著も多い。 神戸大学教授を務め、1993年に定年後は神戸学院大学教授、2000年退職。古典漢文のみでなく、近世・近代日本の漢詩文の校訂も行い、特に河上については著作多数。2007年『正伝 後藤新平』校訂で毎日出版文化賞特別賞受賞。2015年11月15日午前11時50分、急性心不全のため神戸市の自宅で死去。86歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
萩野 芳夫(はぎの よしお、1929年5月14日 -2025… 萩野 芳夫(はぎの よしお、1929年5月14日 -2025年3月21日)は、日本の法学者。 香川県生まれ。1952年京都大学法学部(旧制)卒業。1982年「外国人規制権の根拠と限界 アメリカ合衆国移民国籍法を素材に」で法学博士。高知短期大学、滋賀大学助教授、鹿児島大学助教授、南山大学教授、サン・カルロス大学、セブ大学を経て関東学院大学大学院法学研究科教授、2006年退職。
高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 20… 高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 2006年1月4日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 北海道札幌市出身。中央大学法学部中退。中川一郎秘書、北海道議会議員などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から自民党公認で出馬し、宏池会新人岩本政光と共に初当選。 1983年1月の中川一郎自殺事件では、検案書作りに絡んで「急性心筋こうそくの疑い」という嘘の検案書を病院に作らせた虚偽診断書作成教唆罪に問われ、虚偽診断書作成罪に問われた病院長と共に同年11月上旬に略式命令を受けて罰金刑が言い渡された。 1998年まで3期18年務めた(1998年も公認決定していたが出馬断念し、道議会の後輩で中川一郎の実弟であった中川義雄が出馬)。