山田 政治(やまだ まさはる、1920年〈大正9年〉2月18… 山田 政治(やまだ まさはる、1920年〈大正9年〉2月18日 - 2007年〈平成19年〉12月12日)は日本の政治学者。島根大学名誉教授。元九州国際大学学長。 広島県福山市出身。 島根大学では新設法文学部の初代学部長を務め基礎固めに尽力した。
1920年代生まれ:8,552人
山田 政治(やまだ まさはる、1920年〈大正9年〉2月18… 山田 政治(やまだ まさはる、1920年〈大正9年〉2月18日 - 2007年〈平成19年〉12月12日)は日本の政治学者。島根大学名誉教授。元九州国際大学学長。 広島県福山市出身。 島根大学では新設法文学部の初代学部長を務め基礎固めに尽力した。
宮澤 庸子(みやざわ ようこ、1920年〈大正9年〉2月18… 宮澤 庸子(みやざわ ようこ、1920年〈大正9年〉2月18日 - 2014年〈平成26年〉5月4日)は、日本の元ファーストレディである。 早稲田大学名誉教授で英語学者の伊地知純正の二女として生まれる。宮澤夫妻の出会いは、1939年(昭和14年)の夏に宮澤喜一が東京帝国大学、庸子が東京女子大学に入学して間もなくの「日米学生会議」がきっかけだった。 1941年(昭和16年)東京女子大学英語専攻部卒業。その後、1943年(昭和18年)11月30日に結婚。 1991年(平成3年)11月5日から1993年(平成5年)8月9日までは夫の喜一が内閣総理大臣に在任し、その間、ファーストレディとして活動した。 2014年 (平成26年)5月4日に東京都で死去。
永島 トヨ(ながしま トヨ、1920年2月18日 - 201… 永島 トヨ(ながしま トヨ、1920年2月18日 - 2013年2月6日)は、日本の料理研究家。神奈川県出身。フェリス女学院大学卒業。「台所おばあちゃん」の愛称で知られている。本名は森岡 トヨ(もりおか トヨ)。 1993年よりNHK『くらしのジャーナル』に月1回で出演。 1997年、77歳の時に21歳下の琴講師の男性と結婚し話題を呼んだ。永島にとっては初婚であり、出会いのきっかけは夫がたまたまテレビで永島を見て一目惚れし、手紙のやり取りを始めたことだったという。その後、夫の故郷である広島県福山市で「永島トヨ料理教室」を営んでいた。 2008年8月には日本テレビ『ザ!世界仰天ニュース』で、2012年9月には同じく日本テレビの『みんないらっしゃいTV』でこのことが取り上げられた。
山田 信夫(やまだ のぶお、1920年2月17日 - 198… 山田 信夫(やまだ のぶお、1920年2月17日 - 1987年4月26日)は、日本の東洋史学者。大阪大学名誉教授。アジア遊牧民族、東西交渉史を専攻、中世ウイグル世俗文書を研究。 1920年、山口県山口市で生まれた。第六高等学校(現・岡山大学)を経て、東京帝国大学(現・東京大学)文学部に進学。東洋史学科で学び、1943年9月に卒業。 山田を含む6名が1943年10月海軍予備学生に採用され、江田島の海軍兵学校に入隊、12月末まで兵学校生徒に準じる教育を受けた。翌年には兵学校を去り、内地勤務で少尉、中尉となり、敗戦を迎えた。1945年末に帰郷。 1946年、東京帝国大学大学院へ復学。東洋史学科の先輩にあたる前田直典の提唱により、同年3月に北方史研究会を院生仲間らと組織。
白井 孝夫(しらい たかお、1920年(大正9年)2月17日… 白井 孝夫(しらい たかお、1920年(大正9年)2月17日 - 没年不詳)は、日本の実業家、本田技研工業株式会社元専務取締役、本田技術研究所元所長。30代の課長時代には、鈴鹿製作所の工場建設を一手に任され、現在のモータスポーツにまで至るHONDAの鈴鹿拠点の基盤を作り、会社の成長を支えた。 静岡県出身。1943年(昭和18年)立教大学経済学部卒業。大学卒業後、東洋製鋼、繊維貿易公団を経て、1950年(昭和25年)本田技研工業に入社する。 1959年1月、生産課長として前年11月末に起きたスーパーカブの初期トラブルを解決し、年末までに増産体制を取り終えたばかりの頃、社長の本田宗一郎から呼び出され、何の説明もなしに『ヨーロッパへ行って来い』と言われる。
奥谷 禎一(おくたに ていいち、1920年(大正9年)2月1… 奥谷 禎一(おくたに ていいち、1920年(大正9年)2月16日 - 2011年(平成23年)10月3日)は日本の昆虫学者。神戸大学名誉教授。農学博士。 1920年2月16日、東京府に生まれる。 1943年9月に東京帝国大学農学部を卒業し、第9陸軍技術研究所に就職した。 1947年4月、教育研修所(1949年6月より組織改組で国立教育研究所、2001年1月より国立教育政策研究所)文部教官となる。 1951年11月に兵庫県立農科大学講師に就任。1953年2月に同大学の助教授、1969年4月の同大学の国立移管に伴い神戸大学農学部助教授、1971年4月に神戸大学農学部教授となる。この間、1961年5月に「日本産広腰亜目幼虫の分類学的研究」で北海道大学から農学博士号を取得する。
久保 亮五(くぼ りょうご、1920年2月15日 - 199… 久保 亮五(くぼ りょうご、1920年2月15日 - 1995年3月31日)は、日本の物理学者。東京大学、京都大学、慶應義塾大学教授。全米科学アカデミー、フランス科学アカデミー名誉会員。線形応答理論で知られる。 統計物理学、物性物理学の分野で国際的に知られた。 1920年、東京府駒込で中国文学者の久保天随の5人目の子供(4男)として2月15日に誕生。1931年、父・天随が台北帝国大学教授に就任したため、一家は台湾の台北市に移った。翌1932年、台北高等学校尋常科に入学。しかし、1934年に父が死去したことにともない、駒込に戻る。東京府立第五中学校に編入して中学校を4年で修了し、1936年に第一高等学校 (旧制)理科甲類に入学。
大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2… 大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2014年3月11日)は、日本の地理学者(文化地理学)。文学博士。関西学院大学名誉教授、元帝塚山学院大学教授。太平洋学会第三代会長。 地理学者として学術探検にも赴き、島嶼地理学、文化人類学者としても有名である。愛知県名古屋市生まれ。 以降快方に向かい、近江兄弟社中学校・高等学校、同志社高等学校で教鞭を執る(1953年まで)。
西村 克彦(にしむら かつひこ、1920年2月15日 - 1… 西村 克彦(にしむら かつひこ、1920年2月15日 - 1992年4月3日)は、刑法学者。 大阪府生まれ。1943年東京帝国大学法学部卒。1946年岡山大学法学部助教授、教授、1962年「共犯論序説」で九州大学法学博士。1971年青山学院大学教授、1988年定年退任、獨協大学教授。
八木 靖浩(やぎ やすひろ、1920年2月15日 - 199… 八木 靖浩(やぎ やすひろ、1920年2月15日 - 1995年2月15日)は、日本の経営者。川崎製鉄社長、会長を務めた。 京都府船井郡八木町出身。1943年に東京帝国大学第一工学部冶金学科を卒業し、同年に川崎重工業に入社した。1950年に川崎製鉄に移り、1971年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1979年に副社長に就任し、1982年に社長に昇格した。1990年に会長に就任し、1993年に取締役相談役に就任し、1995年に相談役に就任した。 1982年に藍綬褒章を受章し、1986年に毎日工業技術賞を受賞した。 1995年2月15日呼吸不全のために死去。75歳没。
大坂 志郎(おおさか しろう、1920年2月14日 - 19… 大坂 志郎(おおさか しろう、1920年2月14日 - 1989年3月3日)は、日本の俳優である。 秋田県能代市に生まれる。父の大坂連治郎は萬町で貸金業、米問屋を営んでいた。母の志保は沢口村小森(現在の北秋田市)の味噌醤油醸造工場を営む名望家の神成千代治の娘。妹に人形作家・陶芸家の神成澪がいる。1927年、夫の浮気性に嫌気がさした母は、志郎と澪を連れて上京し、新宿で郷土居酒屋の「秋田」を営んだ。店には太宰治や井上靖、木下恵介、川島雄三、河西克巳などの文壇映画人が集い、志郎の映画デビューも彼らの影響であった。新聞配達で家計を支え、旧制・日本大学第二中学校を中退し、「新築地劇団」研究生になる。その後、早稲田高等工学校機械科を卒業、満州国鞍山市の昭和製鋼の社員を経て、1942年、松竹俳優研究所に入所し、1943年の吉村公三郎監督の『開戦の前夜』でデビューする。
吉野 トヨ子(よしの トヨこ、1920年(大正9年)2月12… 吉野 トヨ子(よしの トヨこ、1920年(大正9年)2月12日 - 2015年(平成27年)1月24日)は、日本の陸上競技選手。ヘルシンキオリンピック・メルボルンオリンピック陸上女子円盤投代表。元円盤投日本記録保持者、五種競技日本記録保持者。 北海道網走市出身。香蘭高等女学校(現在の香蘭女学校中等科・高等科)、中京高等女学校家事体操専攻科(現:至学館大学)卒業。 戦前はスプリンターとして活躍。1938年、マルチな身体能力を生かし五種競技で237点の日本新記録を樹立した。 戦後は投てきに転向し、円盤投と砲丸投に活躍。1950年、関東選手権で円盤投に出場し、42m58の日本新記録を樹立した。1951年アジア競技大会に出場し、円盤投・砲丸投・やり投で金メダルを獲得した。
山中 雪人(やまなか ゆきと、1920年2月12日 - 20… 山中 雪人(やまなか ゆきと、1920年2月12日 - 2003年6月5日)は、広島県出身の日本画家。宗教画を得意とする。日本美術院同人。元広島市立大学教授。妻は日本画家の水谷愛子。 1920年2月12日広島市台屋町(現在の南区京橋町)の浄土真宗寺院の家に生まれる。1937年に広島崇徳中学校を卒業後、川端画学校で学び、翌1938年に東京美術学校日本画科へ入学し、結城素明や川﨑小虎らの指導を受ける。1941年には結城素明の主宰する大日美術院第4回展覧会では「花屋」が、翌1942年の第5回展覧会では「T先生」が入選する。同年、東京美術学校を繰り上げ卒業し、1946年まで軍籍に身を置くことになる。1944年に中国漢口(現在の湖北省武漢市)の部隊に配属される。
井上 正治(いのうえ まさはる、1920年2月11日 - 1… 井上 正治(いのうえ まさはる、1920年2月11日 - 1997年12月18日)は、日本の海軍軍人、法学者。専門は刑事法学。過失犯理論等を研究。法学博士(九州大学・1950年)。九州大学名誉教授。福岡県出身。 福岡県宗像市生まれ、山口県下関市育ち。旧制山口県立下関中学校、旧制福岡高等学校を経て、九州帝国大学進学。1942年、九州帝国大学法文学部卒業、高等文官試験司法科合格。1950年、法学博士(九州大学)。 海軍入営。最終階級は海軍法務大尉。1946年、九州帝国大学法文学部講師。1948年、九州大学法文学部助教授、1951年、同法教授。1953年、広島大学政経学部教授兼務、1967年第30代九州大学法学部長。
柴田 多摩男(しばた たまお、1920年2月10日 - 19… 柴田 多摩男(しばた たまお、1920年2月10日 - 1944年9月17日)は、長崎県出身のプロ野球選手。 海星中学から1939年に名古屋金鯱軍へ入団。1941年に大洋軍へ移籍し、同年退団。 後に応召され、1944年9月17日に亡くなった。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。
中山 了(なかやま さとる、1920年2月10日 - 200… 中山 了(なかやま さとる、1920年2月10日 - 2002年12月27日)は、日本の経営者。産業経済新聞社専務、名古屋タイムズ社長を経て中日新聞社専務、中日ドラゴンズ社長などを務めた。 高知県出身。1942年(昭和17年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1948年(昭和23年)に産業経済新聞社に入社する。1964年(昭和39年)12月に大阪本社編集局長に就任し、その後、取締役、本社編集局長、常務、専務などを歴任し、1974年(昭和49年)2月をもって退任。 名古屋タイムズ社長、名古屋タイムズ印刷社長を経て、1975年(昭和50年)5月に中日新聞社取締役に就任し、常務、専務などを務めた。
島田 安夫(嶋田 安夫、しまだ やすお、1920年〈大正9年… 島田 安夫(嶋田 安夫、しまだ やすお、1920年〈大正9年〉2月10日 - 1984年〈昭和59年〉4月11日)は、日本の政治家。位階は正五位勲三等、勲章は瑞宝章。衆議院議員(2期)、鳥取県議会議員(4期)。 鳥取県東伯郡浅津村上浅津(羽合町を経て現湯梨浜町上浅津)で、島田兼治の長男として生まれた。1933年(昭和8年)浅津高等小学校卒業を経て、1934年(昭和9年)大阪吉沢法律研修館を卒業した。1941年(昭和16年)鳥取歩兵第四十連隊入隊しバレテ峠の戦闘に参加。戦傷を受け1945年(昭和20年)1月に復員し3年間入院生活を送った。 1951年(昭和26年)浅津村議会議員となる同議長を務め、1953年(昭和28年)羽合町議会議員に当選し同議長も務めた。
星 長治(ほし ちょうじ、1920年2月10日 - 1994… 星 長治(ほし ちょうじ、1920年2月10日 - 1994年1月14日)は、日本の政治家、参議院議員(1期、自由民主党)。 宮城県亘理郡亘理町出身。仙台高等実務学校卒。亘理町議を経て、宮城県議を5期務め、県会議長になる。1983年の第13回参議院議員通常選挙で宮城県選挙区から自民党公認で立候補して当選。第3次中曽根内閣で農林水産政務次官に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選。参議院議員を1期務めた。1994年1月14日死去、73歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、従四位に叙される。 ほか、亘理町漁業協同組合長理事、宮城県信漁連会長、全国内水面漁協連副会長、自民党農水局、国民生活局次長、国土審議会委員などを歴任した。
鬼頭 政一(きとう まさいち、1920年2月9日 - 200… 鬼頭 政一(きとう まさいち、1920年2月9日 - 2008年11月4日)は、愛知県名古屋市野立町(現・熱田区)出身のプロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者。 同じくプロ野球選手であった南海の鬼頭数雄は実兄、近畿日本の鬼頭勝治は実弟。 旧制日大三中卒業後、1940年に名古屋軍へ入団。同年のシーズン途中に兄・数雄の在籍していたライオン軍に移籍し、2年目の1941年8月1日の大洋戦(後楽園)で6回表に浅岡三郎から勝ち越しとなる初本塁打を放つ。1942年まで在籍し、その後は1943年に出征して輸送船で南方へ赴くはずであったが、直前に歩兵戦術を学ぶため国内に残った。鬼頭が所属していた部隊の船は、台湾沖で沈没している。
金 重泰(キム・ジュンテ、朝鮮語: 김중태、1920年2月9… 金 重泰(キム・ジュンテ、朝鮮語: 김중태、1920年2月9日 - 1990年11月27日)は、大韓民国の官僚、実業家、政治家。第8代韓国国会議員。 本貫は金寧金氏(朝鮮語版)。号は南洲。 日本統治時代の慶尚南道晋州郡(現・晋州市)出身。1945年東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治学科卒。米軍政庁中央経済委員会事務長補・事務長、朝一産業社長、民主共和党麗水麗川地区党事務局長・全羅南道支部組織部長・事務局長、水産業協同組合(朝鮮語版)中央会常任監事・常任理事、民主共和党麗川地区党委員長を経て、第8代国会議員を務めた。議員退任後は麗水で事業を行った。 1990年11月27日、ソウル市麻浦区の自宅アパートにて持病により死去。
寄神 美好(よりがみ みよし、1920年(大正9年)2月9日… 寄神 美好(よりがみ みよし、1920年(大正9年)2月9日 - 2003年(平成15年)7月20日)は、日本の実業家。淡路島出身。寄神建設株式会社の創業者。港湾工事における工法等の発明を行っており、数々の特許も取得している。 1920年(大正9年)2月 兵庫県津名郡仮屋町(現:淡路市仮屋)に生まれる。1934年(昭和9年)、大工の修行のため淡路島から神戸に渡る。1938年(昭和13年)3月 、潜水業を営む叔父である寄神末吉の養子となる。養父の下で潜水業の修行を開始。1940年(昭和15年)同郷の千鶴と結婚。1941年(昭和16年) 呉海軍軍事部に徴用され広島県呉市に向かう。港務部施設課に配属され軍港の整備・改修に従事する。
宮崎 仁郎(みやざき じろう、1920年2月8日 - 200… 宮崎 仁郎(みやざき じろう、1920年2月8日 - 2001年2月18日)は、長野県出身のプロ野球選手。ポジションは遊撃手。
佐野 誠三(さの せいぞう、1920年2月7日 - 1976… 佐野 誠三(さの せいぞう、1920年2月7日 - 1976年6月10日)は、大阪府出身のプロ野球選手。 住吉中学校から1938年に南海軍へ入団。 チームの一年後輩に、戦後、名将として名を馳せる鶴岡一人がいた。一軍での出場機会が少ないまま、召集され、シベリア抑留後、復員したものの、1947年に引退、以後、マネージャー、スコアラー、ビデオマンとして南海を裏から支え水島新司の漫画『あぶさん』でも「VTRの誠さん」として取り上げられたことがあり、その際、氏の回想に巨人との試合で鶴岡が沢村栄治からライト前ヒットを放つシーンが描かれているが、鶴岡が南海に入団する前年、沢村は最初に召集され、昭和15年、18年と復帰、終戦前年、戦死しているのに対し、鶴岡は入団翌年、召集されたまま、終戦まで、チームに戻ることなく、実際、職業野球で対戦することはなかった。
中山 悌一(なかやま ていいち、1920年2月6日 - 20… 中山 悌一(なかやま ていいち、1920年2月6日 - 2009年9月29日)は、日本のバリトン歌手。作曲家。東京芸術大学教授、武庫川女子大学教授、洗足学園大学客員教授。 大分県生まれ。旧制大分中学校を経て東京音楽学校を卒業。ドイツ歌曲を研究し、日本においては木下保に師事した。ミュンヘン高等音楽学校に留学してゲルハルト・ヒュッシュに師事。1956年に帰国し、演奏活動を再開する。以降放送などで活動を重ね、出演回数は800回を超えた。 また、母校の東京芸術大学などで後進の指導にもあたり、東京芸術大学教授、武庫川女子大学教授、洗足学園大学客員教授をつとめた。弟子には大賀典雄、宮原卓也、伊藤京子等がいる。
小野寺 公二(おのでら こうじ、1920年2月5日 - 19… 小野寺 公二(おのでら こうじ、1920年2月5日 - 1998年10月8日)は、日本の歴史小説作家。別筆名に田原 耕二(たはら こうじ)。 青森県生まれ。後に父の郷里である岩手県胆沢郡胆沢町(現在の奥州市)へ転居し、旧制一関中学校(現岩手県立一関第一高等学校)を卒業。東京の中央大学経済学部へ進学し、卒業した後に病気療養のため帰郷する。 1954年に「奥羽のキリスト」でデビューするが、以後しばらくは「田原耕二」名義で懸賞歌謡の作詞を中心に活動し、1964年に「岩手県民の歌」(作曲:中田喜直)が入選した。 1970年代以降は主に歴史小説を手掛け、東北地方を舞台にしたものや算学を題材にしたものに特色がある。
林礼二(林禮二、はやし れいじ、1920年2月3日- )は、… 林礼二(林禮二、はやし れいじ、1920年2月3日- )は、日本の地理学者。 富山県出身。1941年東京帝国大学文学部哲学科卒。出版文化協会に勤務。その間、1942年2月、金沢の砲兵連隊に入営し見習士官となる。43年5月、南方へ出征。山砲兵としてビルマ各地を転戦、その後石油の積み出し業務に携わる。44年4月よりビルマ方面軍司令部参謀部に配属され情報の整理・司令官の通訳などの任にあたる。敗戦時、参謀部第二課情報将校(中尉)。収容所生活を経て1947年8月復員。
近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 20… 近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 2010年6月30日)は、日本の海軍軍人・大蔵官僚、実業家。国税庁長官を経て博報堂代表取締役社長を務めた。1982年聖シルベストロ騎士勲章、1992年勲一等瑞宝章、1993年日本宣伝賞大賞を受賞。 神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、旧制武蔵高校を経て、1942年7月に高等試験行政科に合格、同年9月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年同月、大蔵省に入省して理財局に配置される。高等試験は100番前後で入省成績も相澤英之が最下位で近藤がブービーだといわれていた。入省直後に海軍経理学校補修学生、海軍主計見習尉官(短期現役組(短現組)9期)となる。
近江 輝子(おうみ てるこ、1920年2月1日 - 2008… 近江 輝子(おうみ てるこ、1920年2月1日 - 2008年)は、日本の女優。 淑徳高等女学校卒業後、宝塚音楽歌劇学校に進学。同期に日高澄子、宮城千賀子がいた(宝塚歌劇団25期生を参照)。1938年、宝塚少女歌劇団・雪組に配属。最初は大宮輝子と名乗ったが大美輝子に改名。1945年に宝塚を退団すると、霧立のぼるのロマン座、希望座に加入。1948年12月、大映京都撮影所に入社。同年の『三十三の足跡』で映画デビュー。以後、1971年の大映倒産まで脇役として多くの映画に出演。多い時は年間14、5本に出て、時代劇では中老け役・老女役を得意とした。1972年から松竹芸能に所属し、テレビを中心に活躍。1959年に近江輝子に改名。
占部 都美(うらべ くによし、1920年2月1日 - 198… 占部 都美(うらべ くによし、1920年2月1日 - 1986年7月31日)は、日本の経営学者。経営学博士(神戸大学・論文博士・1961年)(学位論文「現代企業に対する制度論的研究」)。神戸大学名誉教授。 広島県福山市出身。1937年福山盈進商業学校(現盈進高等学校)、1940年横浜専門学校(現・神奈川大学)卒、1943年東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学では増地庸治郎ゼミナールに所属。卒業後三菱石油に入社。1945年同退職、1946年財団法人運輸調査局財務調査部勤務。1950-51年ピッツバーグ大学大学院への留学を経て、1952年神戸大学経営学部助教授、1963年教授、1983年定年退官、名誉教授、日本文理大学教授・商経学部長、松山商科大学(現松山大学)教授。
林 義一(はやし ぎいち、1920年2月1日 - 2008年… 林 義一(はやし ぎいち、1920年2月1日 - 2008年1月17日)は、徳島県徳島市常三島出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
鄭 煕燮(チョン・ヒソプ、朝鮮語: 정희섭、1920年2月1… 鄭 煕燮(チョン・ヒソプ、朝鮮語: 정희섭、1920年2月1日 - 1987年10月26日)は、大韓民国の官僚、医師、政治家、陸軍軍人。初代労働庁(現・雇用労働部)長、第9・12代保健社会部(現・保健福祉部)長官、第9・10代韓国国会議員などを歴任した。キリスト教徒。 日本統治時代の平安南道平原郡(現・朝鮮民主主義人民共和国領)出身。崇実中学校、平壌医学専門学校(現・平壌医科大学)卒業。1943年に卒業後は医師となり、中国の河南省、浙江省の病院に勤務した。開封の河南医院勤務中に韓国光復軍徴募第3分処と内通し、徴募などの地下活動に協力していた。光復後に帰国し、ソウルで開業医として活動した。 1954年、長崎医科大学(現・長崎大学)で医学博士学位を取得した。
西宮 信安(にしのみや のぶやす、1920年2月1日 - )… 西宮 信安(にしのみや のぶやす、1920年2月1日 - )は、日本の外交官。駐アイルランド特命全権大使、駐トルコ特命全権大使、外務省参与などを歴任した。勲二等旭日重光章受章。 東京出身。1937年東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1942年同大学学部卒業。1945年在ポルトガル外交官補。同年経済安定本部部員。在オランダ日本国大使館二等書記官、同一等書記官を経て、1956年在ジャカルタ日本国総領事館領事。1958年在インドネシア日本国大使館一等書記官兼在ジャカルタ日本国総領事館領事。1958年通商産業省通商局市場第三課長。1959年通商産業省通商局市場第一課長。1963年在スウェーデン日本国大使館参事官兼在アイスランド日本国公使館参事官。
奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 20… 奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 2005年6月16日)は、日本の元陸軍兵士(最終階級は上等兵)、バッテリー商、著述家、アナーキスト。 昭和天皇パチンコ狙撃事事件のほか、不動産業者刺殺事件、皇室ポルノビラ事件、元上官家族への殺人未遂など、過激な行動や事件を度々起こしては逮捕・服役した。また、ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』に出演したことでも知られる。 自らを「神軍平等兵」と称していた。 1920年、兵庫県明石市大蔵町6丁目で生まれる。本籍地は兵庫県三木市口吉川町槙。小学校を卒業後は木綿問屋の丁稚奉公に出た。 1940年、徴兵検査に甲種合格。1941年3月に岡山連隊に入営し、後に中国の九江にある工兵隊へ転属。
小林 傭佶(こばやし ようきち、1920年(大正9年)1月3… 小林 傭佶(こばやし ようきち、1920年(大正9年)1月31日 - 1993年(平成5年)4月19日)は、日本の実業家・学校経営者。北海道古宇郡神恵内村生まれ。1942年(昭和17年)東京商科大学卒。「小林傭吉」「小林用吉」とも表記される。 三菱重工業勤務を経て、1946年(昭和21年)札幌文科専門学院教授。1949年(昭和24年)明和学園理事( - 1954年(昭和29年))。1950年(昭和25年)札幌短期大学商業科客員教授( - 1967年) 1957年(昭和32年)札幌日交タクシー社長。1959年(昭和34年)小樽日興交通社長。1960年(昭和35年)釧路日興交通社長。1961年(昭和36年)日交興業開発(後の小林企業)社長。
長谷川 町子(はせがわ まちこ、1920年(大正9年)1月3… 長谷川 町子(はせがわ まちこ、1920年(大正9年)1月30日 - 1992年(平成4年)5月27日)は、日本の女性漫画家。日本初の女性プロ漫画家。代表作に『サザエさん』・『いじわるばあさん』・『エプロンおばさん』など。 佐賀県小城郡東多久村(現在の多久市東多久町)で父・勇吉と母・サタ(貞子)との間の3人姉妹の次女として生まれる。実際は姉との間に夭折した2番目の姉がおり、戸籍上は4姉妹の三女になる。当時、多久で操業していた三菱炭坑の技師であった勇吉が独立、ワイヤーロープの事業開業に伴い福岡県福岡市春吉(現在の同市中央区春吉)に転居し、春吉尋常小学校に小学1年生から通った。 小学生時代は成績が良く男子生徒と交代で学級長を務めていたが「悪ガキ」だったと妹の洋子に語っている。
梅村 正司(うめむら しょうじ、1920年1月29日 - 2… 梅村 正司(うめむら しょうじ、1920年1月29日 - 2004年7月13日)は、日本の経営者。日興証券社長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1933年に日興証券に入社し、1942年に早稲田大学専門部政治経済学科を卒業。1962年11月に取締役に就任し、1968年8月に常務、1971年11月に専務、1976年11月に副社長を経て、1981年12月には社長に就任。1986年12月に会長に就任し、1996年6月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2004年7月13日に肺炎のために死去。84歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
尾形 仂(おがた つとむ、1920年1月28日 - 2009… 尾形 仂(おがた つとむ、1920年1月28日 - 2009年3月26日)は、日本の国文学者。
竜ヶ嵜 唯雄(りゅうがさき ただお、1920年1月28日 -… 竜ヶ嵜 唯雄(りゅうがさき ただお、1920年1月28日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。芝田山部屋から高砂部屋所属。茨城県龍ケ崎市出身。本名は中山 唯雄(なかやま ただお)。最高位は東十両12枚目。得意技は左四つ、寄り、上手投げ。 横綱・宮城山福松の芝田山部屋に入門、1935年5月場所で初土俵を踏む。親方が亡くなり、高砂部屋に移籍した1944年1月場所に十両に昇進するが、応召され全休する。翌5月場所に出場するが2勝8敗と負け越し、幕下に陥落する。その後は勝ち越すことなく、三段目まで陥落した1946年11月場所に廃業。廃業後は広島の野球チームグリーンバーグ(のち結城ブレーブス)に入団、捕手となった。
亀岡 高夫(かめおか たかお、1920年1月27日 - 19… 亀岡 高夫(かめおか たかお、1920年1月27日 - 1989年3月13日)は、日本の政治家である。自由民主党所属の衆議院議員。建設大臣、農林水産大臣を歴任した。
兵藤 和男(ひょうどう かずお、1920年1月26日 - 2… 兵藤 和男(ひょうどう かずお、1920年1月26日 - 2012年6月23日)は、日本の洋画家。 1920年(大正9年)1月、横浜市中区真砂町1丁目の絹織物輸出商の家庭に兄一人・姉二人のいる末っ子として生まれる。父の和四朗は河東碧梧桐に師事した俳人、母せいは群馬県桐生の機織業者矢島家の三女であった。1923年に発生した関東大震災の後に、三渓園にほど近い中区間門町に移る。1932年、考古学を専攻する兄に代わり家業を継ぐため横浜市立横浜商業学校に入学。1933年、同校2年生在学中に、幼稚園からの同窓の堀江祐造に刺激され油絵を始める。翌年の夏休みからは市内弘明寺町にあった川村信雄の画塾に通い、主に石膏デッサンを学ぶ。
真鍋 呉夫(まなべ くれお、1920年1月25日 - 201… 真鍋 呉夫(まなべ くれお、1920年1月25日 - 2012年6月5日)は日本の作家・文筆家・俳人。 福岡県遠賀郡岡垣村(現・岡垣町)生まれの父甚兵衛、母オリとも俳人で父は天門(てんもん)、母は織女(おりじょ)と号していた。 福岡商業学校卒業後、1939年阿川弘之、島尾敏雄、那珂太郎らと同人誌「こをろ」を創刊。1941年、文化学院文学部に入学。句集『花火』(こをろ発行所)を自費出版。1946年復員後、北川晃二と一緒に文芸誌「午前」の編集に携わり、同郷の檀一雄を頼って1949年上京。檀一雄との交流は長く、その後30年にわたり兄事した。1949年、第一創作集『サフォ追慕』にて第21回芥川賞候補となり、新進作家として注目された。
小玉 健吉(こだま けんきち、1920年(大正9年)1月25… 小玉 健吉(こだま けんきち、1920年(大正9年)1月25日 - 2005年(平成17年)7月6日)は、日本の科学者。工学博士。日本の酵母菌研究の第一人者で、特に森林微生物の収集と分類に取り組み、野生酵母の研究で知られる。北村匠海の親戚。 秋田県南秋田郡飯田川町(現・潟上市)出身。旧制秋田県立秋田中学校、旧制広島高等工業学校を経て、1942年(昭和17年)に大阪帝国大学工学部発酵工学科を卒業。 1943年(昭和18年)陸軍燃料本部技術研究所に配属され、発酵燃料の研究に従事した。最終階級は陸軍中尉。 戦後、生家の小玉合名会社(現・小玉醸造株式会社、創業:1879年(明治12年))に勤務。社内の研究所で自社製品である味噌・醤油・清酒のための酵母の研究に従事した。
横山 操(よこやま みさお、男性、1920年(大正9年)1月… 横山 操(よこやま みさお、男性、1920年(大正9年)1月25日 - 1973年(昭和48年)4月1日)は、新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)出身の日本画家。多摩美術大学教授。昭和を代表する日本画家である。[要出典] 横山の作品は煤や石灰などを画面に擦り付け、力強く轟くような漆黒と、そこからにじみ出てくるような鮮やかな色が特徴であるとされる。見た目には洋画に近い作風ともいえるが、日本画である。また、同じく昭和期に活躍した加山又造とは懇意であり、荒々しく力強い横山と対照的に、静謐な線による構図や伝統的な花鳥風月などを取り入れ、日本画の王道を歩んだともいえる加山であるが、お互いを認め合いライバルとして日本画壇をリードしてきた。
江波 和子(えなみ かずこ、1920年1月24日 - 194… 江波 和子(えなみ かずこ、1920年1月24日 - 1947年)は日本の女優である。福岡県久留米市出身。女優の江波杏子は娘。
島谷 六郎(しまたに ろくろう、1920年1月24日 - 2… 島谷 六郎(しまたに ろくろう、1920年1月24日 - 2006年11月21日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。富山県出身。 旧制富山高校から1942年(昭和17年)に東京帝国大学法学部を卒業。海軍法務官となり、中国の海南島で敗戦、そのまま中国に抑留され、2年間捕虜生活を送った。 在学中に高等文官試験司法科に合格したが、軍隊生活のため司法修習生になったのは1948年(昭和23年)で、1950年(昭和25年)に弁護士登録をした。藤林益三の事務所に籍を置き、初めは刑事を手がけたが、後に銀行などの顧問弁護士を務め、銀行取引や会社関係の訴訟にも詳しい。日弁連外国弁護士対策委員会初代委員長を務めたほか、司法研修所教官、東京地裁調停委員なども務めた。
高田 信一(たかた しんいち 1920年1月24日または19… 高田 信一(たかた しんいち 1920年1月24日または1921年11月5日 - 1960年1月16日)は、日本の作曲家、指揮者である。元広島大学教授。日本交響楽団(現在のNHK交響楽団の前身)、東京フィルハーモニー交響楽団の指揮者を務めた。 実業家の息子(4人兄弟の長男)として、1920年(大正9年)に東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区)で生まれた。1926年(大正15年)に成城小学校(現在の成城学園初等学校)に入学、8歳から上野耐之に音楽の初歩を学び、1932年(昭和7年)に成城高等学校(現在の成城学園中学校高等学校)尋常科に入学後は、12歳から藤田喜与子にピアノを、16歳から作曲を長谷川良夫に師事した。
小島 吉雄(小嶋 吉雄、おじま よしお、1920年1月24日… 小島 吉雄(小嶋 吉雄、おじま よしお、1920年1月24日 - 2005年12月28日)は、日本の魚類細胞遺伝学者。 高知市出身。1942年北海道帝国大学理学部動物学科卒。45年同副手。1955年北海道大学理学博士。1948年関西学院大学講師、51年助教授、57年教授。61年理学部教授(理学部新設)、69年理学部長、88年定年退職、名誉教授。日本魚類生物科学研究所長。1988年財団法人染色体学会理事長。1980年兵庫県科学賞、1993年勲三等瑞宝章。 金魚の祖先が中国の鮒の一種「鯽」であることをつきとめた。
山村 秀夫(やまむら ひでお、1920年1月23日 - 20… 山村 秀夫(やまむら ひでお、1920年1月23日 - 2017年11月25日)は、日本の麻酔学者。東京大学名誉教授。旧姓は茂木。 埼玉県熊谷市出身。旧制埼玉県立熊谷中学校、旧制静岡高等学校、東京帝国大学医学部卒業。1948年医学博士。東京大学医学部助教授、1956年教授となる。1978年東京大学医学部長となる。1980年定年退官、名誉教授、東京専売病院長。1990年康済会病院理事長、1998年日本救急医療財団理事長。麻酔専門医制度の発足や日本麻酔学会の創設に参加し、1982年山村記念賞が設けられた。墓所は多磨霊園。
蜂屋 慶(はちや けい、1920年1月23日 - 1997年… 蜂屋 慶(はちや けい、1920年1月23日 - 1997年9月18日)は、日本の教育学者。京都大学名誉教授。 大阪市出身。1941年京都帝国大学文学部哲学科卒、同大学院(旧制)、1981年「生活指導における集団指導の理論的考察」で京都大学教育学博士。大阪市立大学講師、助教授、教授、1972年奈良女子大学教授、京都大学教育学部教授、83年定年退官、名誉教授、光華女子大学長。92年退任。1958年『子どもらが道徳を創る』(宇野登共著)で毎日出版文化賞受賞。
小野田 勇(おのだ いさむ、1920年1月22日 - 199… 小野田 勇(おのだ いさむ、1920年1月22日 - 1997年7月15日)は、日本の脚本家、劇作家。 東京・四谷出身。中央大学(1941年)卒業。東京放送劇団に在籍していた。俳優としての実績もある。息子の小野田正も脚本家兼演出家であり、孫の小野田光は歌人兼フォトグラファーである。