甲斐 信枝(かい のぶえ、1930年10月3日- 2023年… 甲斐 信枝(かい のぶえ、1930年10月3日- 2023年11月30日)は、日本の絵本作家。広島県出身。京都府京都市右京区在住。 広島県の田畑が広がる農村地帯で、姉と弟三人とともに育った。広島県立高等女学校(府中高等女学校とも)3年のころから、疎開してきていた清水良雄(光風会会員、童話雑誌「赤い鳥」の画家)に師事する。清水の没後上京し、慶応義塾大学精神神経科に教授秘書として勤めていたが、やがて画家になることを決意する。帯の絵付けや、子どもに絵を教える仕事などさまざまなアルバイトをしながら、鈴木寿雄に童画を学んだ。 1970年に紙芝居『もんしろちょうとからすあげは』(童心社)を出版し、以後、身近な自然を題材にした科学絵本を手掛ける。
山口 仙二(やまぐち せんじ、1930年〈昭和5年〉10月3… 山口 仙二(やまぐち せんじ、1930年〈昭和5年〉10月3日 - 2013年〈平成25年〉7月6日)は、長崎原爆の被爆者、日本の反核平和運動家。 1930年、長崎県南松浦郡玉之浦町(現在:長崎県五島市玉之浦町)に、四男四女の8人きょうだいの次男として生まれる。家は半農半漁で10段の段々畑があり、主にサツマイモを栽培していた。漁業は延縄漁でイシダイなどは売り、雑魚が食卓用だったほか、イカ釣りや鰻取りなども行っていた。また、父は製菓業「月美堂」を営んでいた。 1945年(昭和20年)8月9日、長崎県立長崎工業学校1年時の14歳の時に、学徒動員で通っていた長崎市の三菱長崎兵器製作所大橋工場裏(長崎原爆の爆心地から1.1kmの地点)で、防空壕を掘る作業中に被爆した。
若槻 文三(わかつき ぶんぞう、1930年10月3日 - 1… 若槻 文三(わかつき ぶんぞう、1930年10月3日 - 1993年)は、日本の脚本家。本名は金本明。大阪府生まれ。関西学院大学出身。 1966年、TBSのドラマ『月曜日の男』でプロデューサー、脚本、監督を務めていた飯島敏宏の誘いで『ウルトラマン』の脚本を執筆。これをきっかけに円谷プロ作品の常連脚本家として活躍。同社の作品については、テレビシリーズ18番組・長編テレビ映画3作・新撮劇場映画2作(他に再編集物が2作)という、群を抜いて最多参加の脚本家であった。テレビドラマデビュー作でもあり、1958年から関西ローカル局で長期間放送された刑事ドラマの『部長刑事』では多くの脚本家の中で、最も長きに渡って執筆を担当した一人でもあり、原作を担当したこともある。
御子柴 宣夫(みこしば のぶお、1930年10月3日 - 2… 御子柴 宣夫(みこしば のぶお、1930年10月3日 - 2020年1月12日)は、日本の物理学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、旧制松本高等学校を経て、名古屋大学理学部物理学科卒業。名古屋大学大学院理学研究科修了。1957年通商産業省工業技術院電気試験所(現・産業技術総合研究所)入所。1961年シカゴ大学金属研究所勤務。1970年電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)基礎部固体物性研究室長。1974年東北大学電気通信研究所教授。1984年同大学電気通信研究所附属超微細電子回路実験施設初代施設長。1990年同大学定年退官後、同大学名誉教授。
中島 悠爾(なかじま ゆうじ、1930年10月2日 - 20… 中島 悠爾(なかじま ゆうじ、1930年10月2日 - 2024年5月15日)は、日本のドイツ文学者。旧・東京都立大学名誉教授。ドイツ中世文学・語学専攻。 東京出身。学習院大学文学部独文科卒、1958年東京大学大学院修士課程修了。静岡大学教育学部講師、助教授、東京都立大学助教授、教授。1996年定年退官、名誉教授、獨協大学教授。 1979年までNHK教育テレビドイツ語講座講師。1982年ハルトマン・フォン・アウエ『ハルトマン作品集』の共訳により第19回日本翻訳文化賞受賞。2000年『リヒャルト・シュトラウス ホーフマンスタール往復書簡全集』で日本翻訳文化賞受賞。 2024年5月15日、老衰のため神奈川県茅ヶ崎市の自宅で死去。
塙 陽子(はなわ ようこ、1930年10月2日 - )は、日… 塙 陽子(はなわ ようこ、1930年10月2日 - )は、日本の法学者。元摂南大学教授。博士(法学)(九州大学、1996年)。専門は民法。兵庫県姫路市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
高木 公男(たかぎ きみお、1930年10月1日 - )は、… 高木 公男(たかぎ きみお、1930年10月1日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。
本禄 哲英(もとろく てつえい、1930年(昭和5年)10月… 本禄 哲英(もとろく てつえい、1930年(昭和5年)10月1日 - 2017年(平成29年)12月29日)は、日本の政治家。北海道北広島市長。 北海道天塩郡天塩町に生まれる。1956年(昭和31年)中央大学法学部を卒業し、北海道宗谷支庁に奉職する。次いで北海道庁に転じ、北海道民生部次長、札幌医科大学事務局長、北海道総務部知事室長、北海道議会事務局長を経て、1987年(昭和62年)10月、退職する。その後、北海道熱供給公社常務取締役を経て、1993年(平成5年)7月、広島町長に当選。1996年(平成8年)9月、市制施行により北広島市長となった。 2008年(平成18年)春の叙勲で旭日小綬章受章。
村瀬 敏夫(むらせ としお、1930年10月1日- )は、日… 村瀬 敏夫(むらせ としお、1930年10月1日- )は、日本の国文学者。東海大学名誉教授。 横浜市生まれ。1959年早稲田大学大学院国文学博士課程満期退学、79年「紀貫之伝の研究」で早稲田大学文学博士。東海大学講師、助教授、教授、96年定年退任、名誉教授。『古今和歌集』などが専門。
小見山 輝(こみやま てる、1930年10月1日 - 201… 小見山 輝(こみやま てる、1930年10月1日 - 2018年7月1日) は、日本の歌人。本名・輝(あきら)。龍短歌会代表(1995 - 2018)。 1930年、岡山県笠岡市神島に生れる。1945年14歳で満蒙開拓青少年義勇軍に参加し満州に渡り、1946年に引き揚げ帰郷。1950年「林間」に入会。1951年「龍」入会。服部忠志に師事。1953年加藤克巳の「近代」に参加。1995年「龍」代表。万葉集や釈迢空の歌に親しみ、人間存在の根源的な虚ろを見つめ、生の華やぎや、かそけさをすくいとる作風に特徴がある。岡山県歌人会会長、日本歌人クラブ中国地区代表幹事などを歴任。万葉歌碑建立にも尽力した。2012年岡山地域文化賞受賞。
中 寒二(なか かんじ、1930年9月30日 - 2003年… 中 寒二(なか かんじ、1930年9月30日 - 2003年11月16日)は、日本の詩人。 本名・中村福治。青森県八戸市出身。15、6歳の頃から詩作を始める。八戸市立商業高等学校(現青森県立八戸商業高等学校)卒業後、美術の教員免許を取得して八戸市内の中学校で教職に就き、1950年詩誌『北方人間』を創刊。1968年から詩誌『表現派』主宰。1971年「尻取り遊び」で第12回晩翠賞受賞。1982-98年青森県詩人連盟会長を務めた。1983年青森県文芸協会賞、1999年青森県芸術文化功労賞受賞。
泊 懋(とまり つとむ、1930年9月30日 - )は、日本… 泊 懋(とまり つとむ、1930年9月30日 - )は、日本の実業家。元・東映アニメーション株式会社代表取締役社長、元・東映株式会社副社長、元・一般社団法人日本動画協会顧問。 東京都新宿区出身。1955年、慶應義塾大学文学部卒業後、東映入社、自ら希望し東映東京撮影所助監督部に配属された。初仕事は1956年、高倉健のデビュー作『電光空手打ち』でのカチンコ係。過酷な撮影現場にたちまち身体を壊して1年余りで本社計画本部に異動。映倫審査係に配属され、2年後本社企画本部芸文課(脚本課)に異動して、ここで捨てかけられていた『謀反』(『十七人の忍者』)を読み、映画化を進言。これが「東映集団抗争時代劇」を生む切っ掛けとなった。
石田 保昭(いしだ もりあき、1930年9月30日 -201… 石田 保昭(いしだ もりあき、1930年9月30日 -2018年5月18日 )は、日本のインド史学者。 東京大学教養学部講師として東洋史を講義していたが病気療養のため辞職。 千葉市生まれ。陸軍幼年学校で学ぶ。1953年東京大学文学部東洋史学科卒。1958年 - 1961年、インド政府外国語学校教官としてニューデリーに滞在。 帰国後著した『インドで暮らす』は「ユニークなルポルタージュであり、実証という水準においてスメドレーの中国ルポルタージュに優るとも劣らず、ありきたりのインド紹介論とは全く趣を事にしている」と中村平治が評している。 イスラム学者の板垣雄三とは小学校からの同級生。 父は陸軍中将石田保忠。
福富 達(ふくとみ とおる、1930年〈昭和5年〉9月30日… 福富 達(ふくとみ とおる、1930年〈昭和5年〉9月30日 - )は、東京都出身の記者、ニュースキャスター。本名同じ。 1951年、早稲田大学政経学部在学中に読売新聞社入社。最初は横浜支局配属となって警察回りからキャリアをスタート。大学の方は引き続き聴講生として在籍した後、1952年6月に卒業。その後東京本社へ移籍し政治部記者として活躍、首相官邸記者クラブのキャップを務める。政治部長昇進を目前とした1974年春に読売新聞社を退社し、系列の日本テレビ放送網に移籍。「NNN JUST NEWS」のメインキャスター、「久米宏のTVスクランブル」コメンテーターなどを務めた後、解説委員に。副委員長、委員長、委員主幹を担当した。
米山 俊直(よねやま としなお、1930年9月29日 - 2… 米山 俊直(よねやま としなお、1930年9月29日 - 2006年3月9日)は、日本の文化人類学者。京都大学名誉教授。 1930年、奈良県で生まれた。三重大学農学部農学科で学び、1954年に卒業。京都大学大学院農学研究科に進学し、1956年に修士課程を修了。同1956年より渡米し、イリノイ大学社会人類学部助手。1960年に帰国し、1961年に京都大学大学院農学研究科博士課程を単位取得退学した。 1961年、京都大学農学部助手に採用された。1965年、甲南大学文学部助教授に就いた。1971年、京都大学教養部助教授に転じた。1977年から1981年3月までは国立民族学博物館助教授を兼任。1981年、京都大学教養部教授に昇格した。
上原 榮一(うえはら えいいち、1930年(昭和5年)9月2… 上原 榮一(うえはら えいいち、1930年(昭和5年)9月29日 - )は、日本の政治家。元埼玉県桶川市長(2期)。旭日小綬章受章。 埼玉県大里郡熊谷町(現・熊谷市)出身。中央大学法学部卒。卒業後は埼玉県庁に入る。埼玉県人事委員会事務局長、桶川市助役、埼玉県道路公社常務理事などを経て、1993年、桶川市長に当選する。市長を2期務め、2001年の選挙で元桶川市収入役の岩崎正男に敗れた。2003年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
坪山 豊(つぼやま ゆたか、1930年〈昭和5年〉9月29日… 坪山 豊(つぼやま ゆたか、1930年〈昭和5年〉9月29日 - 2020年〈令和2年〉7月20日)は、日本の船大工、唄者。 奄美大島で唯一「板付け舟」を造る船大工で、奄美随一の唄者であった。一般的には船大工としてよりもシマ唄名人として知られ、「新民謡」の作曲も行った。 大島郡宇検村生勝の生まれ。1949年に海老原万吉の工房に入門して舟大工の技術を学ぶ。息子の良一も舟大工として知られる。 1972年に実況録音奄美民謡大会に出場。唄者としては42歳での遅いデビューだったが、1980年に第1回奄美民謡大賞にて大賞を受賞、日本全国並びにアメリカ合衆国とヨーロッパを廻って奄美のシマ唄の伝道に努めた。 2020年7月20日、老衰のため奄美市内の病院で死去。
星 和男(ほし かずお、1930年9月28日 - 2004年… 星 和男(ほし かずお、1930年9月28日 - 2004年2月3日)は日本の作曲家、声楽家、音楽教諭。福島県出身。 声楽家で東京音楽大学准教授の星洋二は長男。 1930年(昭和5年)、福島県若松市(現在の会津若松市)馬場町に生まれる。旧制会津中学校(現在の福島県立会津高等学校)を経て国立音楽学校(現在の国立音楽大学)声楽科へ進学するが、1年で中退する。1949年(昭和24年)、藤原歌劇団合唱部に入部。 帰郷後に中学校の音楽教諭となり、会津若松市立河東第一中学校在職中の1967年(昭和42年)に県が募集していた「福島県県民の歌」の作曲部門で応募作が入選する。その後も南会津郡下郷町の町民歌「飛躍の明日へ」や会津若松市立松長小学校、喜多方市立姥堂小学校など会津地方の公立学校の校歌で作曲を手掛けた。
東野 芳明(とうの よしあき、1930年9月28日 - 20… 東野 芳明(とうの よしあき、1930年9月28日 - 2005年11月19日)は、東京都出身の美術評論家。
奥中 惇夫(おくなか あつを、1930年9月28日 - 20… 奥中 惇夫(おくなか あつを、1930年9月28日 - 2012年2月17日)は、日本の映画およびテレビ番組の監督。奈良県奈良市出身。 東京大学文学部美学美術史学科卒業。1953年に新東宝に助監督として入社。渡辺邦男に師事した後、1961年に東映東京撮影所の助監督契約をする。1963年に東映テレビプロに移籍。1964年の『鉄道公安36号』で監督デビュー。『特別機動捜査隊』などを演出したのち、1967年よりフリーとなる。1969年、自ら希望して『柔道一直線』に途中参加、最終的に40話分を監督した。『仮面ライダー』への参加以後、キャラクター作品を中心に活躍した。 1972年、日本映画監督協会理事に就任。
古田 幸男(ふるた ゆきお、1930年9月28日 - 201… 古田 幸男(ふるた ゆきお、1930年9月28日 - 2014年4月8日 )は、日本のフランス現代思想の研究者、翻訳家、詩人。法政大学名誉教授。筆名に矢田 修。 東京生まれ。1945年海軍兵学校(78期)中退、1950年第一高等学校文科乙類卒業、1953年東京都立大学仏文科卒、1955年同大学院修士課程修了、1960年東京医科歯科大学非常勤講師、1961年法政大学第一教養部講師、1968年助教授、同年フランス留学、1970年教授、2001年定年退職、名誉教授。 2010年瑞宝中綬章受勲。 安士正夫に師事し、ルネ・ジラール、エドガール・モランなどを翻訳した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
吉村 仁(よしむら ひとし、1930年9月27日 - 198… 吉村 仁(よしむら ひとし、1930年9月27日 - 1986年10月23日)は、日本の厚生官僚。公的健康保険制度の大改革を実現させた厚生省事務次官。広島県賀茂郡西条町(現・東広島市西条岡町)出身。 旧制広島県立広島第一中学校(現・広島県立広島国泰寺高等学校)三年のときに、広島への原爆投下があったが、出席番号が奇数だったために呉市の工場へ動員され、奇跡的に被爆を免れる。旧制官立広島高等学校(現・広島大学)を経て、1953年に東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後、旧厚生省に入省する。薬害エイズ事件当時の薬務課長であり、元衆院議員の持永和見は同期。以降一貫して医療保険政策に携わり医療問題に取り組む。
永畑 道子(ながはた みちこ、1930年(昭和5年)9月27… 永畑 道子(ながはた みちこ、1930年(昭和5年)9月27日 - 2012年(平成24年)6月24日)は、日本の女性史家、ノンフィクション作家。 熊本市生まれ。熊本県立第一高等女学校、第五高等学校 (旧制)を経て、1953年熊本大学法文学部東洋史学科卒。熊本日日新聞社会部記者を務めたあと、福音館書店『母の友』編集部を経て、執筆活動に入る。女子美術短期大学教授を務めた。はじめ教育論が多かったが、50代以降、柳原白蓮、与謝野晶子、波多野秋子など、大正期の恋愛事件に関わる女性を描いたものが多くなった。 白蓮事件を扱った『恋の華・白蓮事件』はドラマ『恋の華 白蓮』(NHK総合「ドラマ人間模様」、1985年)の原作となっている。
三宅 和助(みやけ わすけ、1930年9月27日 - 200… 三宅 和助(みやけ わすけ、1930年9月27日 - 2004年1月24日)は、北海道夕張郡由仁町出身の元外交官。外務省外務報道官、中近東アフリカ局長、駐シンガポール特命全権大使等を歴任。
原田 勝正(はらだ かつまさ、1930年9月27日 - 20… 原田 勝正(はらだ かつまさ、1930年9月27日 - 2008年4月7日)は、日本の歴史学者。和光大学名誉教授。 東京出身。専門は日本近現代史、鉄道史。特に鉄道関連の研究で知られた。 旧制浦和高等学校を経て1953年に東京大学法学部政治学科(旧制)卒業。国民金融公庫に就職するが3カ月で退職し、服部之総が主宰する日本近代史研究会同人となる(同人にはほかに色川大吉、川村善二郎、小西四郎、遠山茂樹、松島栄一らがいた)。 1961年から日本国有鉄道総裁室修史課嘱託として『日本国有鉄道百年史』編纂業務に従事。本巻14巻、別巻5巻、総頁数11,719頁におよぶ超大冊の国鉄公式年史をまとめあげるうえで中心メンバーの1人として活動した。
武井 俊文(たけい としふみ、1930年9月27日 - )は… 武井 俊文(たけい としふみ、1930年9月27日 - )は、日本の経営者。石川島播磨重工業社長を務めた。長野県出身。 1953年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年に石川島播磨重工業に入社。1985年6月に取締役を就任し、1989年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1994年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。2001年6月から相談役を務めた。 2000年6月から2012年3月までに宇宙科学振興会理事長を務めた。 2015年11月旭日重光章受章。
高橋 高望(たかはし たかもち、1930年9月26日 - 1… 高橋 高望(たかはし たかもち、1930年9月26日 - 1981年1月30日)は、日本の政治家。民社党所属衆議院議員(3期)。民社党神奈川県連副会長。 1930年、東京府北豊島郡岩淵町(現在の東京都北区岩淵町)生まれ。1943年、東京府東京市王子赤羽国民学校(現在の東京都北区立赤羽小学校)卒業後、陸軍幼年学校に進学。東京都立第九中学校(現在の東京都立北園高等学校)を経て、1955年、慶應義塾大学文学部卒業。大学卒業後、啓愛社に入社。1958年、啓愛社製作所を設立し、社長に就任。1973年、民社党入党。1974年、第10回参議院議員通常選挙神奈川県選挙区に民社党から立候補し、落選。1976年、第34回衆議院議員総選挙神奈川4区から民社党から立候補し、初当選。
豊原 大成(とよはら だいじょう、とよはら ひろしげ 193… 豊原 大成(とよはら だいじょう、とよはら ひろしげ 1930年9月26日-2022年1月23日)は、日本の仏教学者。浄土真宗を中心に研究する。浄土真宗本願寺派宗会議員、全日本仏教会元理事長。 また、浄土真宗本願寺派総長、学校法人龍谷大学理事長、総務、同派西福寺住職、築地別院輪番、津村別院・堺別院輪番、四天王寺国際仏教大学教授を務めた。
山本 清治 (やまもと せいじ、1930年(昭和5年)9月2… 山本 清治 (やまもと せいじ、1930年(昭和5年)9月26日 - )は、元競輪選手である。熊本県出身。熊本県立熊本商業学校(現・熊本県立熊本商業高等学校)卒業。 1949年2月1日、選手登録(期前選手)。登録番号は309。選手時代はヤマセイの愛称でファンから親しまれていた。6人兄弟で、ほかの5人(春雄、金哉、義男、利光、賢一)いずれも元競輪選手。 なお、同姓同名の日本競輪学校(当時)第31期生の元競輪選手(2002年7月31日登録削除)が存在するが、別人である。 山本は熊本県の生まれであるが、熊本商業を卒業後、競輪選手の登録地を大阪とした。 これは、競輪を職業として選ぶ以上、当時自転車産業が盛んで、かつ戦前、自転車メーカーに所属していた選手が大勢いた大阪のほうが早く強くなれるという考えがあったことに起因するものだった。
渡辺 英二(わたなべ えいじ、1930年(昭和5年)9月26… 渡辺 英二(わたなべ えいじ、1930年(昭和5年)9月26日 - )は、日本の実業家。元日揮社長、同会長。 三和銀行名誉会長の渡辺忠雄・みのるの二男として北海道に生まれる。1953年(昭和28年)大阪大学理学部化学科を卒業し、翌年から3年間に渡りスイスおよび米国へ留学し有機化学の研究に従事する。1957年(昭和32年)昭和電工に入社し、1970年(昭和45年)日本揮発油(現日揮)に転じ、1976年(昭和51年)取締役国際事業本部本部長委嘱、1978年(昭和53年)常務、1982年(昭和57年)専務を経て、1988年(昭和63年)同社社長に就任した。 1994年(平成6年)6月、会長兼社長となり、11月には藍綬褒章を受章した。
田辺 保(たなべ たもつ、1930年9月26日 - 2008… 田辺 保(たなべ たもつ、1930年9月26日 - 2008年3月18日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。大阪市立大学名誉教授、岡山大学名誉教授。 京都府生まれ。1951年大阪外事専門学校卒業、1953年大阪外国語大学卒業、1959年京都大学大学院仏文科博士課程単位取得中退、1960年大阪外大助手、1961年講師、1961 - 1962年パリ大学へ留学、1965年大阪外国語大学助教授、1972年教授、同年岡山大学法文学部教授、1976年「パスカルの世界像」で京都大学より文学博士の学位を取得、1985年大阪市立大学教授、1993年定年となり名誉教授、神戸海星女子学院大学教授、2001年定年。1974年フランスより教育功労章シュヴァリエ受章(「田辺保教授の経歴と業績」『神戸海星女子学院大学研究紀要』2000)。
渡辺 暢雄(わたなべ のぶお、1930年9月26日 - 20… 渡辺 暢雄(わたなべ のぶお、1930年9月26日 - 2012年11月16日)は、日本バプテスト連盟の牧師。名誉神学博士、牧会神学博士。仏教とキリスト教の比較研究で有名。 茨城県土浦市に生まれる。1950年召命を受ける。仏教の研究の必要を感じて、駒澤大学に入り、仏教学を専攻し、増永霊鳳に師事する。1954年に西南学院大学神学科に入学する。1957年神学科卒業後、福岡市平尾バプテスト教会牧師になる。西南学院大学で非常勤講師として、ギリシア語文法と神学概論を教える。 1963年、米国でノースカロライナ州サウス・イースタン・バプテスト神学校に留学する。1978年カリフォルニア州サクラメント・バプテスト大学より名誉神学博士号を受ける。
横山 あきお(よこやま あきお、本名:横山 孝信、旧芸名:青… 横山 あきお(よこやま あきお、本名:横山 孝信、旧芸名:青空あきお・横山あきを、1930年9月26日 - 2014年6月20日)は、日本の俳優、コメディアン。最終所属は優企画。 富山県富山市出身。日本大学芸術学部中退。 元は映画監督志望で上京し、大空ヒットに師事。 最初は兄弟子の大空はるか(後のケーシー高峰)と「大空はるか・かなた」を組み、そこそこ売れたが、長続きせずに解散。次いで兄弟子の大空曇天、大空かんだとコンビを組み「大空はるか・かなた」を継続させたが、大空ヒットから破門される。 コロムビア・トップの青空一門に移籍して青空はるおと「青空はるお・あきお」を結成。1967年『NHK漫才コンクール』で優勝し、その実力を認められた。
七戸 長生(しちのへ ちょうせい、1930年9月25日 - … 七戸 長生(しちのへ ちょうせい、1930年9月25日 - 2022年3月25日)は、日本の農学者・経済学者。学位は、農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。元市立名寄短期大学学長。七戸克彦九州大学教授の実父。 七戸は1930(昭和5)年9月25日に青森県上北郡三本木町(現十和田市)で生まれ、幼少期に父親が北海道庁勤務(獣医)となったため北海道訓子府町に移住した。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)卒業。北海道大学農学部農業経済学科卒。1958年(昭和33年)同大学院農学研究科博士課程修了。 1960年農林省北海道農業試験場技官。1962年農林省農業総合研究所研究員を経て、1965年北海道大学農学部専任講師。
黒田 美治(くろだ びじ、本名・くろだ よしはる、1930年… 黒田 美治(くろだ びじ、本名・くろだ よしはる、1930年9月25日 - 2001年2月28日)は、日本のカントリー・ウエスタン歌手。男爵黒田一義の孫。 旧福岡藩大老・黒田男爵家(三奈木黒田家)の次男として、イギリスのロンドンにて出生した。妹が後に板東英二と結婚したことから、板東の義兄にも当たる。 日本に帰国後は、学習院高等科 (旧制)を経て学習院大学と慶應義塾大学に在籍。慶大卒業後に、学習院大学時代に知り合った井原高忠とのコンビで、チャック・ワゴン・ボーイズを結成した。後に寺本圭一が加入。戦後日本でいち早くカントリー・ウエスタンを広めた歌手で人気となり活動した。板東によると、一時引退し、板東経営のサウナ風呂のマネージャーをしており、離婚後に別姓の事実婚の女性との間に1子がいる。
山下 末人(やました すえと、1930年9月25日 - )は… 山下 末人(やました すえと、1930年9月25日 - )は、日本の法学者(民法)。関西学院大学名誉教授。法学博士(1987年、関西学院大学、学位論文「法律行為論の現代的展開」)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
犬飼 和雄(いぬかい かずお、1930年9月25日 -202… 犬飼 和雄(いぬかい かずお、1930年9月25日 -2024年1月1日)は、日本の英文学者、翻訳家。法政大学名誉教授。 山梨県出身。東京大学大学院英文学専攻修士課程修了、高校教師をしながら小説を書き、1968年「緋魚」で文学界新人賞受賞。その後法政大学第一教養部助教授、社会学部教授。 古代史研究にのめり込み、「日本古代史の漢字が書かれた資料を読み解くためには、古代中国語の知識が必要」と実感。1989年、中国・四川省に渡り、四川大学の客員教授として研究に打ち込んだ。1996年定年退任後、中国文化研究所を作り所長を務める。 翻訳のほか、児童文学や、古代研究の著作がある。金原瑞人、赤木かん子の師匠。
山崎 真秀(やまざき まさひで、1930年9月25日 - 2… 山崎 真秀(やまざき まさひで、1930年9月25日 - 2007年6月14日)は、日本の法学者、専門は憲法、教育法。静岡大学人文学部教授、国分寺市長(1期)などを務めた。「山崎眞秀」と表記されることもある。 東京生まれ。1957年、東京学芸大学卒業。その後、東京学芸大学助手、広島大学講師、北海道大学助教授、東京学芸大学教授を経て、静岡大学人文学部教授。 1994年、静岡大学を退職し、国分寺市西元町の自宅で「国分寺・市民憲法教室」を開講した。 1997年の国分寺市長選挙に、日本共産党と新社会党の推薦を受けて無所属で出馬し、5選を目指していた現職の本多良雄を破って当選した。一騎討ちとなった選挙戦では、JR国分寺駅北口再開発事業が大きな争点となり、山崎は再開発計画の一部見直しを主張し、本多市政を「開発優先で福祉を切り捨ててきた」と批判した。
青柳 清孝(あおやぎ きよたか、1930年9月25日 - 2… 青柳 清孝(あおやぎ きよたか、1930年9月25日 - 2021年4月19日)は、日本の文化人類学者、国際基督教大学名誉教授。 東京生まれ。1954年東京都立大学人文学部卒業。同大学院博士課程満期退学。1956-1958年米国テネシー州ナッシュビルのフィスク大学に学ぶ。1980年「都市化と黒人ファミリー テキサスからロサンゼルスへ」で都立大文学博士。1970年国際基督教大学教養学部助教授、1976年教授、1996年退任、名誉教授、京都文教大学人間学部教授を務めた。妻は青柳まちこ。
加藤 良三(かとう りょうぞう、1930年9月25日 - 2… 加藤 良三(かとう りょうぞう、1930年9月25日 - 2016年11月6日)は、日本の法学者(商法・消費者保護法)、弁護士(横浜弁護士会所属)。博士(法学)。Dマル合教授。関東学院大学名誉教授。関東学院大学法学部初代法学部長、同法科大学院初代法科大学院研究科長。瑞宝小綬章受章。 1997年、大学設置審議会においてDマル合教授 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
福島 紳(ふくしま しん、1930年(昭和5年)9月24日 … 福島 紳(ふくしま しん、1930年(昭和5年)9月24日 - 1960年(昭和35年)10月10日行方不明、17日認定死亡)は日本の地球物理学者。理化学研究所研究員(宇宙線研究室所属)、南極地域観測隊員。第4次南極越冬隊に参加中、ブリザードのため遭難し、日本の南極観測において初めての死者となった。南極大陸のやまと山脈の最高峰「福島岳」は、その名にちなんでつけられたものである。 1930年(昭和5年)9月24日、京都に生まれる。父は、法学者で関西大学法学部教授の福島四郎。 京都府立京都第一中学校、京都府立鴨沂高等学校を経て、1950年(昭和25年)、京都大学理学部に入学。1954年(昭和29年)卒業、同大学院自然科学研究課程修士課程に進学、1956年(昭和31年)修了し同博士課程に進学、1959年(昭和34年)退学。
赤塚 行雄(あかつか ゆきお、1930年9月24日-2015… 赤塚 行雄(あかつか ゆきお、1930年9月24日-2015年3月29日)は、日本の評論家。中部大学名誉教授。専門は、文学、犯罪、青年問題など。
四方 修(しかた おさむ、1930年9月24日 - )は、1… 四方 修(しかた おさむ、1930年9月24日 - )は、1984年3月の江崎グリコ社長誘拐事件に端を発する、グリコ・森永事件で捜査の指揮を当たった当時の大阪府警本部長。
向井 敏(むかい さとし、1930年9月24日 - 2002… 向井 敏(むかい さとし、1930年9月24日 - 2002年1月4日)は、日本のエッセイスト。 大阪府和泉市生まれ。1953年、大阪大学文学部仏文学科卒業、1955年、大阪大学大学院修士課程修了。在学中から開高健、谷沢永一らの同人誌『えんぴつ』に参加。 1960年4月、電通入社、1982年3月退社。 21年間コマーシャルの世界にいて、そのうち11年間は製作現場におり、日航の広告“東京午前零時”など多くのテレビCMを手がけた。勤務のかたわら「電通報」、毎日新聞のコラムを執筆。1977年、テレビCMを論じた『紋章だけの王国』を上梓。 退社後の1983年に、CM批評『虹をつくる男たち』でサントリー学芸賞受賞。
崔 昌華(チェ チャンファ、さい・しょうか、朝: 최 창화、… 崔 昌華(チェ チャンファ、さい・しょうか、朝: 최 창화、1930年9月24日 - 1995年2月8日)は、在日コリアンの牧師。朝鮮平安北道出身。 ソウル新興大学卒業後、1954年に当時国交の無かった日本に密入国し、北九州市に違法に居住し始めた。1960年在日大韓基督教会小倉教会を開設し、そこの牧師になる。牧師としての活動の傍ら、日本の法律を学ぶ為八幡大学に入学、1966年に法律学科を卒業。後年、八幡大学では朝鮮語の講師も務めた。 外国人参政権問題について日本は在日韓国人に与えるよるように要求し、1975年に北九州市に公開質問状を送った。同年NHKを相手取り"韓国人名の発音を日本語読みにて放送するのは人権侵害である"と主張して訴訟を起こした。
三好 一彦(みよし かずひこ、1930年9月23日-)は、プ… 三好 一彦(みよし かずひこ、1930年9月23日-)は、プロ野球球団阪神タイガースの元球団社長。兵庫県西宮市在住。 兵庫県西宮市出身。旧制灘中学校を経て、神戸大学に進学し、大学在学時には野球部に所属していた。1953年に大学を卒業した後に阪神電気鉄道に入社した。1981年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1996年6月から1997年6月までに取締役を務めた。 1985年には阪神タイガース取締役に就任、1990年から本社専務と兼任した上で球団社長となり、低迷するチームの再建のために甲子園球場のラッキーゾーン撤廃や若手育成施設「タイガース・デン」の建設や球団組織の改革などのチーム改革に取り組んだ。
中尾 明(なかお あきら、1930年9月23日 - 2012… 中尾 明(なかお あきら、1930年9月23日 - 2012年9月26日)は、日本の翻訳家、SF作家、児童文学者。 東京府生まれ。明治学院大学英文科卒業。日中児童文学美術交流センター会長、日本児童文学者協会理事、創作集団プロミネンス代表を務めていた。数多くの創作と翻訳(SF、推理小説など)がある。本名は長尾(旧姓:岡部)利男。 板橋区に六人弟妹の長男として生まれる。 1953年、明治学院大学を卒業後、秋田書店に編集者として入社。月刊誌『漫画王』の編集者として手塚治虫番(「ぼくのそんごくう」を担当)をするも結核になり、退職。その後はフリーのライターとして講談社『少年マガジン』などにかかわる。少年少女雑誌にノンフィクション、ルポ、ノベライズ、漫画原作(細野みち子「白鳥少女」少女フレンド連載)、ジュブナイルのSFやミステリーの翻訳にも手を染めるなど多方面の執筆活動を行い、創作でも代表作『黒の放射線』などを発表した。
前田 祐吉(まえだ ゆうきち、1930年9月22日 - 20… 前田 祐吉(まえだ ゆうきち、1930年9月22日 - 2016年1月7日)は、日本のアマチュア野球選手、野球指導者。慶應義塾大学野球部で選手、監督を務めた。 高知県高知市出身。高知県立高知城東中学校のエースとして戦後初となる1946年夏の甲子園に出場。これは高知県勢で春夏通じて初めての全国大会出場だった(この年甲子園球場はGHQが接収中のため、阪急西宮球場で開催)。1回戦で芦屋中を降すが、続く2回戦で松本市立中に敗退。翌1947年春の選抜にも出場。2回戦では田辺中の岩本尭との投手戦となるが延長11回サヨナラ勝ち。3回戦では引地信之のいた下関商を降す。準決勝では小倉中の福嶋一雄と投げ合うが0-1で惜敗。
中 久信(なか ひさのぶ、1930年9月22日- 2009年… 中 久信(なか ひさのぶ、1930年9月22日- 2009年8月13日 )は、日本の経営者。日立物流社長、会長を務めた。 京都府京都市出身。1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に日立製作所に入社した。1979年8月に日立運輸東京モノレールに転じ、理事、取締役を経て、1982年6月に日立物流常務に就任し、専務、副社長を経て、1994年6月に社長に就任。2000年6月に会長に就任。 2009年8月13日、死去。78歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
浅田 肇(あさだ はじめ、1930年9月21日 - )は、北… 浅田 肇(あさだ はじめ、1930年9月21日 - )は、北海道岩見沢市出身の元プロ野球選手(投手)。 北海高校から立教大学へ進学し、1951年に中退して国鉄スワローズへ入団 1953年に退団し、1956年から1962年まで電電北海道でプレーした。