古川 清(ふるかわ きよし、1939年8月8日 - 2015… 古川 清(ふるかわ きよし、1939年8月8日 - 2015年4月20日)は、日本の演劇プロデューサー、演出家。北九州市ソレイユホール館長。 父は喜劇俳優の古川ロッパ、弟は俳優の古川ロック。 東京に生まれる。1962年、慶應義塾大学文学部美学美術史科卒業。 卒業と同時に、東宝演劇部へ。演出部を経て、1967年、現在の帝国劇場の開場よりプロデューサーを務める。東宝時代は『スカーレット』(1970年『風と共に去りぬ』のミュージカル化)、『シカゴ』(1985年、1986年)、『レ・ミゼラブル』(1987年日本初演)、『ミス・サイゴン』(1992年日本初演)などの製作を担当。師である菊田一夫の演出助手を主に務め、演出作品としてミュージカル『ピピン』、演出補として『屋根の上のヴァイオリン弾き』『佐渡島他吉の生涯』『マイ・フェア・レディ』など多数を手がけた。
わたり むつこ(1939年〈昭和14年〉8月8日 - )は、… わたり むつこ(1939年〈昭和14年〉8月8日 - )は、日本の絵本作家、児童文学作家。本名、池田 睦子。 宮城県白石市出身。1962年、東京女子大学文理学部日本文学科を卒業。卒業後は児童文学同人『バオバブ』を結成。1963年に結婚してアラスカに2年居住し、1971年に「アラスカの七つ星」でデビューする。『バオバブ』に連載した長編ファンタジー『はなはなみんみ物語』で、1980年度サンケイ児童出版文化賞を受賞。『もりのおとぶくろ』で2011年度サンケイ児童出版文化賞ニッポン放送賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
八木 荘司(やぎ そうじ、1939年(昭和14年)8月7日 … 八木 荘司(やぎ そうじ、1939年(昭和14年)8月7日 - )は、日本の新聞記者、作家。別名・有沢創司 兵庫県生まれ。1963年京都大学文学部卒業。産経新聞社入社。大阪本社編集局社会部長、同編集長、東京本社論説委員長、編集特別委員。有沢創司の筆名で書いた『ソウルに消ゆ』で日本推理サスペンス大賞受賞、1999年より「産経新聞」に「古代からの伝言」を連載。八木倍年説によって古代天皇の実在を主張する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
進藤 榮一(進藤 栄一、しんどう えいいち、1939年8月6… 進藤 榮一(進藤 栄一、しんどう えいいち、1939年8月6日 - )は、日本の政治学者。筑波大学名誉教授。専門は、アメリカ外交・国際政治経済学・アジア地域統合。 北海道帯広市生まれ。北海道帯広柏葉高等学校を経て、1963年京都大学法学部卒業。1965年同法学研究科修士課程、1968年同博士課程単位取得退学。1969年フルブライト給費留学生として米国ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際関係大学院(SAIS)博士課程進学、1970年プリンストン大学研究員、1971年鹿児島大学法文学部講師・助教授、1974年筑波大学講師、東京外国語大学講師、1975年筑波大学大学院地域研究科助教授、1976年社会科学系助教授、教授、学系長hTARAプロジェクト長を歴任。
須藤 眞志(すどう しんじ、1939年8月6日 - )は、日… 須藤 眞志(すどう しんじ、1939年8月6日 - )は、日本の歴史学者。京都産業大学名誉教授。専門は日米関係史。 群馬県高崎市生まれ。群馬県立高崎高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程を修了し、1987年「日米開戦外交の研究 日米交渉の発端からハル・ノートまで」で、法学博士の学位を取得。
藤田 紘一郎(ふじた こういちろう、1939年8月6日 - … 藤田 紘一郎(ふじた こういちろう、1939年8月6日 - 2021年5月14日)は、日本の医師、医学者(寄生虫学・感染免疫学・熱帯医学)。位階は従四位。勲等は瑞宝中綬章。学位は医学博士(東京大学・1970年)。東京医科歯科大学名誉教授。 東京大学医学部助手、テキサス大学研究員、順天堂大学医学部助教授、金沢医科大学医学部教授、長崎大学医学部教授、東京医科歯科大学医学部教授、人間総合科学大学教授などを歴任した。 満洲国生まれ。父親は陸軍軍医。 整形外科の医局に勤めていた26歳の時、衛生動物学者の加納六郎に同行してフィラリア調査のため奄美群島の加計呂麻島に赴いたことから、寄生虫学の道に進む。感染免疫学・寄生虫学の視点から公衆衛生についての執筆多数。
福岡 義隆(ふくおか よしたか、1939年8月5日 - )は… 福岡 義隆(ふくおか よしたか、1939年8月5日 - )は、日本の気象学者。広島大学名誉教授、立正大学名誉教授。 北海道常呂郡訓子府町出身。1963年東京教育大学理学部地学科卒、1968年同大学院博士課程修了(単位取得退学)、理学博士、千葉県公害研究所研究技師、1970年福島大学教育学部気象学担当助教授、1977年広島大学総合科学部環境科学コース助教授、1987年教授、1997年環境庁長官賞(地球環境保全功労賞・地球温暖化部門)受賞、1998年名誉教授、立正大学地球環境科学部環境システム学科教授。2000年立正大学大学院環境科学研究科担当教授兼務。立正大学地球環境科学研究所長、立正大学大学院地球環境科学研究科環境システム学専攻長を歴任。
粂田 猛(くめた たけし、1939年8月5日 - )は、日本… 粂田 猛(くめた たけし、1939年8月5日 - )は、日本の経営者。京都信用金庫理事長を務めた。 京都府出身。1964年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に京都信用金庫に入社した。1985年に理事に就任し、1989年に常務、1990年に専務を経て、2004年6月には理事長に就任。2008年6月を以って、退任。
中村 寿文(中村 壽文、なかむら としふみ、1939年8月4… 中村 寿文(中村 壽文、なかむら としふみ、1939年8月4日 - 2024年12月1日)は、日本の政治家。元青森県議会議員(7期)、元八戸市長(1期)。 父は衆議院議員で八戸市長を務めた中村拓道。青森県立八戸高等学校、慶應義塾大学法学部卒業。東北電力、衆議院議員船田中秘書を務める。父の死後、1976年・1979年・1980年の衆議院選挙に立候補するが落選。1976年は七日会保守系無所属候補、1979年は新自由クラブ公認候補、1980年は西岡武夫の保守刷新会議系候補だった。 1983年の青森県議会議員選挙で八戸市から無所属で立候補し、トップ当選。以後5期青森県議を務める(そのうち4期はトップ当選)。
茂出木 雅章(もでぎ まさあき、1939年(昭和14年)8月… 茂出木 雅章(もでぎ まさあき、1939年(昭和14年)8月4日 - )は、日本の料理人。東京都出身。慶應義塾大学法学部卒業。 現在も続く東京・日本橋にある西洋料理の老舗・たいめいけんの現社長である。 1939年にたいめいけんを営む茂出木心護の長男として生まれる。子どものころから親の料理にふれ、大学卒業後は本格的に料理人の道を歩むことに。 1967年には三代目になる長男の茂出木浩司が誕生。 1978年にたいめいけんの創業者・茂出木心護が亡くなると、二代目オーナーとなり現在に至っている。料理に関する講演や著作も多い。 1960年から続いている「お料理110番」も父親から引き継いで、行っている。 また現在では「日本の凧の会」の会長も父親から引き継いで務めている。
平沼 赳夫(ひらぬま たけお、1939年(昭和14年)8月3… 平沼 赳夫(ひらぬま たけお、1939年(昭和14年)8月3日 - )は、日本の政治家。自由民主党の衆議院議員(12期)。
大久保 太一(おおくぼ たいち、1939年(昭和14年)8月… 大久保 太一(おおくぼ たいち、1939年(昭和14年)8月2日 - )は、日本の政治家。茨城県元常陸太田市長(4期)、元常陸太田市議会議員(1期)。 茨城県常陸太田市亀作町生まれ。1958年(昭和33年)3月、茨城県立太田第一高等学校卒業。1962年(昭和37年)3月、茨城大学文理学部卒業。1991年(平成3年)8月、日立製作所旧水戸工場副工場長に就任。 2003年(平成15年)5月、常陸太田市議会議員に初当選。 2005年(平成17年)5月22日に行われた常陸太田市長選挙に立候補し初当選。同日、市長就任。 2009年(平成21年)の市長選から3回連続無投票で当選。以後4期務めた。 2022年春の叙勲で旭日小綬章を受章。
戒能 通厚(かいのう みちあつ、1939年8月2日 - )は… 戒能 通厚(かいのう みちあつ、1939年8月2日 - )は、日本の法学者(英米法)。早稲田大学名誉教授、名古屋大学名誉教授。第19期日本学術会議副会長、第20期民主主義科学者協会法律部会理事長。日本比較法学会理事、日本法社会学会理事。「九条科学者の会」呼びかけ人を務めている。 戒能通孝は父親、戒能通弘(同志社大学法学部教授)は息子、戒能民江(お茶の水女子大学教授)は妻である。
小笠原 弘親(おがさわら ひろちか、1939年8月2日 - … 小笠原 弘親(おがさわら ひろちか、1939年8月2日 - 2000年8月14日)は、日本の政治学者。研究分野は政治思想史。 福岡県生まれ。福岡県立福岡高等学校を経て早稲田大学政経学部卒業、同大学院政治学研究科博士課程単位取得満期退学。甲南大学教授、1981年「初期ルソーの政治思想 体制批判者としてのルソー」で早大政治学博士。大阪市立大学教授に転じ、在職中の2000年8月14日に癌性腹膜炎のため死去。
しめぎ しがこ(旧芸名:標 滋賀子(出生名、読みは同じ)、し… しめぎ しがこ(旧芸名:標 滋賀子(出生名、読みは同じ)、しめぎ・しがこ。1939年8月1日 - )は、日本の女優。東京府東京市神田区(現・東京都千代田区神田)出身。跡見学園高等学校卒業。 俳優座養成所を経て文学座に所属。1960年頃から日活や大映、東映製作の映画・テレビドラマを中心に活躍した。1970年代前半に芸能界を引退している。
八代目 杵屋彌吉(きねや やきち、1939年(昭和14年〉8… 八代目 杵屋彌吉(きねや やきち、1939年(昭和14年〉8月1日 - 2022年〈令和4年〉5月18日)は、日本の長唄三味線方家元。 本名は、鈴木 吉康(すずき よしやす)。別号として鈴木 勘容(すずき かんよう)。 小学4年生より三味線を習い始め、中学3年生より初代彌一郎(のちの七代目彌吉)に師事し、彌二郎を名乗った。東京芸術大学音楽部邦楽科では、山田抄太郎、菊岡裕晃に師事する。在学中の1978年から稀音家六多郎について、稀曲の習得に励んだ。1984年に東京芸術大学音楽学部邦楽科・邦楽専攻課程を修了した。 1986年に長唄唄方の稀音家義丸と長唄の古典稀曲の研究発表のための長唄双樹会を結成した。
相羽 英勝(あいば ひでかつ、1939年〈昭和14年〉7月3… 相羽 英勝(あいば ひでかつ、1939年〈昭和14年〉7月31日 - )は、日本の政治家、元愛知県豊明市長(1期)。旭日双光章受章。 愛知高等学校を経て、1962年愛知学院大学商学部卒。同年愛知トヨタ自動車に入社。のちトヨタ情報システム愛知に転じ、代表取締役社長となる。その傍ら母校の愛知学院大学非常勤講師や愛知県情報サービス産業協会理事、吉池区区長、吉池区青少年健全育成推進委員長、愛知地区少年補導員を務めた。2007年豊明市長選挙に立候補し当選。豊明市長を1期務めた。
岡井 政義(おかい まさよし、1939年7月31日 - )は… 岡井 政義(おかい まさよし、1939年7月31日 - )は、日本の経営者。ゼネラル石油社長と東燃ゼネラル石油会長を務めた。 兵庫県出身。1962年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年4月にゼネラル石油に入社。1984年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1992年6月に専務を経て、1993年6月には社長に就任。2000年7月から2002年3月までに東燃ゼネラル石油会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
新山 彰忠(にいやま あきただ、1939年7月29日 - 2… 新山 彰忠(にいやま あきただ、1939年7月29日 - 2000年10月22日)は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
マッド・アマノ(1939年7月28日 - )は、東京都出身の… マッド・アマノ(1939年7月28日 - )は、東京都出身のグラフィックデザイナー、パロディスト。有限会社ビッグバン代表取締役。本名は天野 正之()。東京都立竹早高等学校を経て東京藝術大学美術学部卒。フォトモンタージュによるパロディ作品で知られる。現在は月刊誌『創』誌上において狂告の時代の後継ともいえる、風刺パロディ作品を連載している。自身は風刺やパロディ作品にについて「風刺は権力者との闘争の手段である。」と述べている。 『狂告の時代』(きょうこくのじだい)とは、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)に1981年10月の創刊から2001年10月の休刊まで、最終ページに掲載されていたマッド・アマノによるオマージュ写真の連載企画。
佐々木 元(ささき げん、1939年7月28日 - 1997… 佐々木 元(ささき げん、1939年7月28日 - 1997年)は、日本の映画監督である。 1939年(昭和14年)7月28日、長崎県北高来郡小野村大字小野島(現在の同県諫早市小野島町)に生まれる。本名は不明であるが、姓は「春野」(はるの)であるという。 1955年(昭和30年)4月、長崎県立諫早高等学校に進学する。2学年下の後輩に、のちに脚本家となる市川森一がいた。1958年(昭和33年)3月、同校を卒業して東京に移り、早稲田大学政治経済学部に進学するも、満23歳を迎える1962年(昭和37年)には同学を中途退学する。その後は、織田良一郎の芸術映画社、大映テレビ室(現在の大映テレビ)等の記録映画、テレビ映画の製作会社で製作部や演出部の助手を務めた。
滝川 雄壮(たきがわ ゆうそう、1939年(昭和14年)7月… 滝川 雄壮(たきがわ ゆうそう、1939年(昭和14年)7月28日 - )は、広島県出身の官僚。気象庁長官(第17代)を務めた。
毛利 就擧(もうり なりたか、1939年〈昭和14年〉7月2… 毛利 就擧(もうり なりたか、1939年〈昭和14年〉7月28日 - 2010年(平成22年)5月2日)は、徳山毛利家第13代当主、実業家。 日本大学理工学部を卒業。 1992年4月に東京都目黒区で、映像・音楽編集スタジオを運営するモウリアートワークススタジオ株式会社(前身は1960年代に設立のモウリスタジオ)を設立する。 かつての根拠地の徳山藩に当たる、山口県周南市と東京を毎月往復し、「参勤交代」を江戸時代から約400年近く続けていた。また、周南市のゴルフ場「徳山カントリークラブ」の代表取締役も務めた。 2010年5月2日、脳梗塞のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、書きかけの項目です。
上田 重夫(うえだ しげお、1939年7月27日 - )は、… 上田 重夫(うえだ しげお、1939年7月27日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。 田辺高校から1961年に大洋ホエールズへ入団。1963年に引退。
辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆ… 辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆみ、旧姓:角川、邊見)、1939年(昭和14年)7月26日 - 2011年(平成23年)9月21日)は、日本の歌人・ノンフィクション作家。二人の娘がいる。 私小説風から童話・詩歌まで幅広い作品を手がける。ノンフィクションにおいては、丹念な聞き取りを元に構成されているとして評価が高い。私小説風作品においては、複雑な家庭環境を元に冷静で批判的に家族を捉える反面、親子の愛情について細やかに描写されている。 父の友人曰く伯父をモデルとした安一は5回離婚したが伯父が離婚したのは4回とコメントしている。 実母・富美子は花冷えの作中の母親が不倫をするくだりと夫婦喧嘩をしてヒステリーをおこす場面を読み「なぜ、実の娘がこんな見てきたような嘘を書くのか、私には分かりません。
田中 宣一(たなか せんいち、1939年(昭和14年)7月2… 田中 宣一(たなか せんいち、1939年(昭和14年)7月26日 - )は、日本の民俗学者。成城大学名誉教授。 福井県足羽郡(現・福井市)生まれ。1962年國學院大學文学部卒。1967年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。神奈川県立茅ヶ崎高等学校教諭、神奈川県立伊勢原高等学校、湘南高校教諭、1976年成城大学文芸学部専任講師、80年助教授、90年教授、1993年「年中行事の研究」で國學院大學民俗学博士に。2007年文学研究科長、2010年定年、名誉教授。
狼 嘉彰(おおかみ よしあき、1939年〈昭和14年〉7月2… 狼 嘉彰(おおかみ よしあき、1939年〈昭和14年〉7月26日 - )は、日本の工学者(宇宙工学)、実業家。学位は工学博士(東京工業大学・1968年)。株式会社加藤製作所取締役、東京工業大学名誉教授。 航空宇宙技術研究所革新航空機研究管理官、東京工業大学工学部教授、宇宙開発事業団技術研究本部研究総監、慶應義塾大学理工学部教授などを歴任した。 日本の宇宙工学者として航空宇宙工学の分野の研究に取り組んできた。宇宙機の姿勢制御、大規模宇宙構造物のダイナミクスと制御の研究、および、スペースシステム全般に関する先端技術の研究開発などに携わってきた。東京工業大学にて工学博士を取得し、航空宇宙技術研究所でキャリアを積む。
高 泰保(コウ・テボ、Ko Taebo、1939年7月25日… 高 泰保(コウ・テボ、Ko Taebo、1939年7月25日 - 没年不明)は、日本の農学博士。大阪市出身。国籍は韓国。京都大学農学部育種学研究、国際高麗学会科学技術部会委員長歴任。アジアに特には、中国、ロシア、北朝鮮における食料問題解決の研究を深めた人物である。 「国民にとって最も重要なもの。それは政治である。最高の科学技術も素晴らしい英知も国民のための政治の下で初めて真の意味をなす。」
須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、… 須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、福島県福島市渡利地区在住の合唱指揮者、作曲家。代表作に混声合唱組曲「安積野」や「日本楽器の為の四重奏」、福島大学学生歌「今日の世紀に」等がある。 福島県立福島商業高等学校卒業。古関裕而の後輩に当たる。東京で下総皖一に作曲を師事。 福島アカデミー音楽学院を経営するかたわら、飯野中学校の客演講師や福島市の第九のためのコール・フロイデなどで、福島県の合唱の発展に尽くす。山形交響楽団もブラームスやモーツァルト等のレパートリーの指揮者陣に属する。
根路銘 国昭(ねろめ くにあき、1939年7月24日 - 2… 根路銘 国昭(ねろめ くにあき、1939年7月24日 - 2025年3月28日)は、日本の獣医ウイルス学者。獣医学博士。有限会社生物資源研究所代表取締役・所長。スペインかぜウイルスのルーツを解明するなど、インフルエンザウイルス研究及びワクチン開発の第一人者とされる。沖縄県国頭郡本部町出身。 ・沖縄県立北部農林高等学校卒業。
上野 公成(うえの こうせい、1939年〈昭和14年〉7月2… 上野 公成(うえの こうせい、1939年〈昭和14年〉7月23日 - )は、日本の建設官僚、政治家。都市再生研究所理事長。参議院議員(2期)、通商産業政務次官、内閣官房副長官(政務担当)などを歴任した。 群馬県高崎市出身。父は医師・上野大成。1958年に群馬県立高崎高等学校を卒業後、1966年に東京大学工学部都市工学科の第1期生として卒業[要出典]。同年、建設省に入省。 建設省では住宅関連の業務に携わることが多かった。群馬県土木部住宅課長、建設省住宅局住環境整備室長、大臣官房政策企画官、住宅生産課長、住宅建設課長などを歴任した。1991年、建設省を退官。 1992年、第16回参議院議員通常選挙において、群馬県選挙区から福田宏一後継の新人として立候補し当選した。
笠原 章平(かさはら しょうへい、1939年7月21日 - … 笠原 章平(かさはら しょうへい、1939年7月21日 - )は、日本のハンマー投選手。 1964年東京オリンピックに出場した。 埼玉県比企郡竹沢村(現在の小川町)出身、埼玉県立松山高等学校に入学。兄が松山高校の陸上部元主将であった縁で、陸上部に属することとなった。ハンマー投げは高校在学中から始め、県大会優勝やインターハイ準優勝といった成績を残した。 中央大学に進学。1962年(昭和37年)に中央大学を卒業し、東急電鉄に入社、実業団チームに属する。1964年(昭和39年)8月の記録会で、自己最高記録(65m01)を出す。1964年東京オリンピックのハンマー投で出場するが、予選落ち。後年の取材によれば「周囲の期待を裏切ってしまったという申し訳なさから、東京五輪出場の話題は長く封印してきた」という。
松村 満美子(まつむら まみこ、1939年7月21日 - 2… 松村 満美子(まつむら まみこ、1939年7月21日 - 2020年8月1日)は、日本の社会福祉活動家・フリーアナウンサー・元NHKアナウンサー。晩年は特定非営利活動法人腎臓サポート協会の理事長を務めており、主にジャーナリスト、評論家として活動していた。 1939年、東京の四谷生まれ。1958年、千葉大学文理学部入学。大学時代は放送部と英語会話部に所属していた。同大学卒業後、1962年NHKにアナウンサーとして入局。1968年、産休中に民放に誘われNHKを退職。その後はフリーのアナウンサーとして活動。2001年、腎臓サポート協会設立の主唱者のひとりとして代表に就任。2005年7月、特定非営利活動法人認可後、理事長に就任。
鳥脇 純一郎(とりわき じゅんいちろう、1939年7月20日… 鳥脇 純一郎(とりわき じゅんいちろう、1939年7月20日 - 2017年10月5日) は、日本の情報工学者。名古屋大学名誉教授。国際パターン認識連盟副会長や、コンピュータ支援画像診断学会会長を務めた。 愛知県知多郡生まれ。1962年名古屋大学工学部電子工学科卒業。稲垣康善は研究室の同期。1964年名古屋大学大学院工学研究科電気・電子工学専攻修士課程修了。1967年名古屋大学大学院工学研究科電気・電子工学専攻博士課程単位取得退学、名古屋大学工学部電子工学科助手。1968年名古屋大学より工学博士の学位を取得。 1974年名古屋大学大型計算機センター助教授。1980年豊橋技術科学大学工学部情報工学系教授。
加藤 奐(かとう かん、1939年7月18日 - )は、日本… 加藤 奐(かとう かん、1939年7月18日 - )は、日本の実業家。京王電鉄第9代社長。 東京都出身。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学商学部商学科卒業後、1962年京王帝都電鉄(現・京王電鉄)入社。経理部長を経て、1993年常務取締役。1998年京王プラザホテル社長に就任。2002年京王電鉄副社長。2003年社長。2009年会長。2015年相談役。2015年旭日重光章受章。
近藤 文男(こんどう ふみお、1939年7月18日 - )は… 近藤 文男(こんどう ふみお、1939年7月18日 - )は、日本の経済学者。専門は、日本企業のグローバルマーケティングの研究。博士(経済学)。京都大学名誉教授。マーケティング史学会名誉会員。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、香川大学経済学部経済学科卒業。京都大学大学院経済学研究科経営学専攻博士課程修了。 1989年(平成元年)「成立期マーケティングの研究」で学位修得(京都大学 経済学博士)。 研究は、主に3つに分かれる。第1にマーケティング発祥の地アメリカにおける成立期のマーケティングの研究を通じて、マーケティングの本質に迫ろうという研究。第2に国際マーケティング研究において、日本の家電企業の対米輸出マーケティングに関する歴史的研究。
青葉 益輝(あおば ますてる、1939年7月18日 - 20… 青葉 益輝(あおば ますてる、1939年7月18日 - 2011年7月9日)は、日本のグラフィックデザイナー。
菅 孝行(かん たかゆき 1939年7月17日 - )は、日… 菅 孝行(かん たかゆき 1939年7月17日 - )は、日本の思想家、評論家、劇作家。 反天皇制運動連絡会(反天連)の結成等で新左翼系知識人を代表する人物として知られる。者元『変革のアソシエ』運営委員・編集長、公益財団法人利賀文化会議評議員、ルネサンス研究所運営委員、河合文化教育研究所研究員、。元桐朋学園短期大学演劇専攻科非常勤講師(2004年まで)、元財団法人静岡県舞台芸術センター文芸部(2010年まで)、元河合塾小論文科講師(2016年まで)、元梅光学院大学特任教授(2017年まで)。父は陸軍中将を務めた菅晴次。 東京府東京市牛込区市谷に生まれる。 学習院初、中、高等科に進学。学習院での同級生は坂口芳貞、松井康子、山中祥子、太田省吾、本田義勝、植村泰久、亀井久興ら。
鞍田 暹(くらた すすむ、1939年7月16日 - 2023… 鞍田 暹(くらた すすむ、1939年7月16日 - 2023年3月7日)は、日本の経営者。テレビ大阪社長を務めた。 兵庫県出身。1962年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に日本経済新聞社に入社した。1992年に取締役に就任し、1999年6月にはテレビ大阪社長に就任。2003年6月から2004年6月までには会長を務め、2004年からは日本経済新聞社監査役を務めた。 2023年3月7日死去。83歳没。
高畠 久 (たかばたけ ひさし、1939年7月16日 - )… 高畠 久 (たかばたけ ひさし、1939年7月16日 - )は 日本の編集者、脚本家、映画プロデューサー。 樺太出身。洛星中学校・高等学校、早稲田大学文学部演劇科卒業。1962年東宝に入社。「権藤利英」のペンネームで松竹映画『夜の片鱗』の脚本を執筆。1967年東宝退社。1975年、企画制作プロを設立し、映画・テレビドラマ・テレビ番組・コンサートなどの企画・脚本・プロデュースに当たる。2012年に演劇プロデュースグループ「スタジオQ」を設立。
三木 晴雄(みき はるお、1939年7月15日 - 202… 三木 晴雄(みき はるお、1939年7月15日 - 2023年12月11日)は、日本の実業家。 玉の肌石鹸、ミヨシ石鹸各社の代表取締役会長である。
金子 功(かねこ いさお、1939年7月15日 - )は、日… 金子 功(かねこ いさお、1939年7月15日 - )は、日本のファッションデザイナー。ファッションブランド「ピンクハウス」(1973年)や自身の名前を冠した「カネコイサオ」(1990年)、ほか「インゲボルグ(INGEBORG)」や「カールヘルム(Karl Helmut)」などのブランドを創業。なかでも「ピンクハウス」はDCブランドやフォークロアのブームに後押しを受ける形で1980年代に一世を風靡した。妻は1970年代に雑誌「an・an」などで活躍したファッションモデルの立川ユリ。 山口県に出生。高田賢三、松田光弘らと共に文化服装学院を卒業後、セツ・モードセミナーを卒業。アドセンターに入社し、広告等の製作に携わる。
後藤 忠弘(ごとう ただひろ、1939年7月15日 - )は… 後藤 忠弘(ごとう ただひろ、1939年7月15日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは外野手。
坪井 一宇(つぼい かずたか、1939年7月15日 - 20… 坪井 一宇(つぼい かずたか、1939年7月15日 - 2020年11月9日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。位階は従四位。 大阪府大阪市出身。妻の坪井まき(坪井万起)は2003年の大阪市議選に自由民主党から立候補したが落選している。長女は元細野豪志衆議院議員政策担当秘書、参議院議員中村哲治の妻(2006年死去)。
柏原 康夫(かしはら やすお、1939年7月14日 - )は… 柏原 康夫(かしはら やすお、1939年7月14日 - )は、日本の実業家。京都銀行名誉顧問、関西経済連合会副会長、関西文化学術研究都市推進機構(前理事長)。京都市観光協会会長。京都府観光連盟会長。2006年11月藍綬褒章、2019年旭日中綬章を受章。 1939年兵庫県神戸市に生まれる。川崎重工業に勤めていた父が知多工場へ転勤となったため、愛知県半田市に移住。半田高校を経て滋賀大学経済学部を卒業。就職の際には就職難の時代で苦戦を強いられたが、首尾よく京都銀行への入行が決まった。初任地は三条支店(京都市)で本出納補助を担当。次に総務部に移動となり経費を担当。コンピュータ関係の費用や機器の保守料などを削減し、成果を出した。
木村 大作(きむら だいさく、1939年〈昭和14年〉7月1… 木村 大作(きむら だいさく、1939年〈昭和14年〉7月13日 - )は、日本の撮影技師、映画監督。文化功労者。 1939年生まれ。東京府出身。1958年、東京都立蔵前工業高等学校を卒業後、東宝撮影部にカメラ助手として入社し、黒澤明監督の組に配属される。1973年に『野獣狩り』でカメラマンデビュー。 自分の師匠は撮影助手として付いていた宮川一夫や斉藤孝雄ではなく黒澤明だとしており、その影響を強く受けたことを自認している。黒澤からも、そのピント合わせのうまさから一目置かれており、本人から「撮影助手で名前を憶えているのは大ちゃんくらいだ」と言われた事もあるという。黒澤は『用心棒』で犬が人の手首をくわえて歩いて来るカットをビデオで見るたびに、周りの人間に必ず「これ、ピント合わせてるの、大ちゃんだよ。
三宅 輝幸(みやけ てるゆき、1939年7月13日 - )は… 三宅 輝幸(みやけ てるゆき、1939年7月13日 - )は日本の経済学者、和光大学経済経営学部・大学院名誉教授。横浜商科大学講師、国際マネジメント協会試験委員、日本貿易振興機構(ジェトロ)試験委員、東京都中小企業振興公社講師。専門は国際金融論、外国為替論、人民元問題。 千葉県出身。東京外国語大学卒。東海銀行ロンドン支店長代理、シンガポール支店次長、国際資金室長、中京銀行国際部部長、東京外国為替市場慣行委員会委員、日本フォレックス・クラブ総務理事、日本貿易振興会(ジェトロ)資格試験委員などを経て1997年から和光大学経済経営学部・大学院教授、大学院委員長。
西川 恭爾(にしかわ きょうじ、1939年7月12日 - )… 西川 恭爾(にしかわ きょうじ、1939年7月12日 - )は、日本の実業家。阪神電気鉄道相談役・元社長。 滋賀県彦根市出身。滋賀県立彦根東高等学校、京都大学卒業。京都大学大学院工学研究科(土木工学専攻)修了後の1965年に国鉄へ入社した。大阪駅再開発事業や東北新幹線上野乗り入れ事業にあたるなど、国鉄技術部門の中核を担った。1986年3月、阪神電鉄へ入社した。西梅田開発部長、鉄道事業本部長などを歴任し、2004年6月に代表取締役社長に就任した。その他には朝日放送取締役なども務めた。 しかし、村上ファンドによる株主大量取得事件が発生し、当時の代表取締役会長だった手塚昌利とともに引責辞任をし、相談役へ退いた。
中村 玉緒(なかむら たまお、1939年〈昭和14年〉7月1… 中村 玉緒(なかむら たまお、1939年〈昭和14年〉7月12日 - )は、日本の女優・タレント。本名(旧姓)および旧芸名は林 玉緒(はやし たまお)、結婚後の本名は奥村 玉緒(おくむら たまお)。愛称は「玉緒さん」「お母さん」。 京都市立立誠小学校、京都女子高等学校出身。所属事務所は長良プロダクション。 京都府京都市左京区出身。父は大映映画の貴重な脇役でもあった歌舞伎俳優二代目中村鴈治郎。夫は俳優の勝新太郎、長男は俳優の鴈龍(奥村雄大)、長女は奥村真粧美。また、兄は歌舞伎役者の四代目坂田藤十郎、その子供に四代目中村鴈治郎・三代目中村扇雀兄弟がいる。 1953年、本名で松竹作品『景子と雪江』にて映画初出演を果たすものの、その後、映画出演の仕事は無かった。
丸山 勝(まるやま まさる、1939年7月12日 - )は、… 丸山 勝(まるやま まさる、1939年7月12日 - )は、日本の国際ジャーナリスト、中国研究家。 長野県塩尻市生まれ。1963年京都大学文学部東洋史学科卒、読売新聞記者となる。1971年から1973年までインドネシア・ジャカルタ特派員、1975年から1978年までケニア・ナイロビ特派員を務めた後、中華人民共和国・北京支局長、アジア総局長、外報部次長、読売新聞調査研究本部主任研究員を務めた。 1994年から1998年まで文教大学文学部で非常勤講師、また台湾国策研究院客員研究員を務めた。目白大学社会学部メディア表現学科教授として国際ジャーナリズム論の教鞭を執った。