甲斐中 辰夫(かいなか たつお、1940年1月2日 - )は… 甲斐中 辰夫(かいなか たつお、1940年1月2日 - )は、検察官出身の元最高裁判所判事(2002年10月7日 - 2010年1月1日)。元東京高等検察庁検事長、元次長検事。弁護士。兵庫県豊岡市出身。
1940年代生まれ:16,166人
甲斐中 辰夫(かいなか たつお、1940年1月2日 - )は… 甲斐中 辰夫(かいなか たつお、1940年1月2日 - )は、検察官出身の元最高裁判所判事(2002年10月7日 - 2010年1月1日)。元東京高等検察庁検事長、元次長検事。弁護士。兵庫県豊岡市出身。
馬場 元子(ばば もとこ、1940年1月2日 - )は、ジャ… 馬場 元子(ばば もとこ、1940年1月2日 - )は、ジャイアント馬場夫人で元全日本プロレス社長、元全日本プロレスオーナー。兵庫県明石市出身。
吉居 亨(よしい とおる、1940年1月2日 - 2017年… 吉居 亨(よしい とおる、1940年1月2日 - 2017年1月13日)は、日本の経営者。山善社長を務めた。滋賀県米原市出身。 1963年に金沢大学法文学部を卒業し、同年に山善に入社。 1986年12月に取締役に就任し、1991年4月に常務、1999年5月に専務を経て、2001年6月に副社長に就任し、2003年4月には社長に昇格。2014年10月には会長に就任。 2017年1月13日肺ガンのために死去。77歳没。
林 えり子(はやし えりこ、1940年1月2日 - 2019… 林 えり子(はやし えりこ、1940年1月2日 - 2019年6月18日)は、日本の作家。東京府出身。1962年、慶應義塾大学文学部卒業。本名・林惠理子、旧姓・須川惠理子。日中文化交流協会、日本文芸家協会、各会員。「三田文学」常任理事。 大学在学中から戸板康二に師事し、その後雑誌編集者を経て作家になる。1970年、グラフ社『マイライフ』編集長を辞任。1978年、中央公論小説新人賞佳作。 生粋の江戸っ子(14代目)で、実在の人物をモチーフとした作品や、東京(江戸)の古き良き時代をモチーフにした作品が多い。 1988年には戸板康二の『見た芝居・読んだ本』(文春文庫)で解説文を書いている。 1997年、著書『川柳人 川上三太郎』が、評論・伝記部門で第11回大衆文学研究賞を受賞。
市川 憲和(いちかわ のりかず、1940年1月2日 - 20… 市川 憲和(いちかわ のりかず、1940年1月2日 - 2021年11月21日)は、日本の実業家、情報技術者。株式会社デジタル・インフォメーション・テクノロジー創業者・名誉会長。 愛媛県大洲市出身。1968年東京理科大学理学部二部数学科卒業後、日本電信電話公社入社。プログラマーの資格を取得し、1976年データ通信システム(のちのDTS)入社。1996年東洋インフォネットを設立し、同社代表取締役社長に就任。2002年東洋アイティーホールディングスを設立し、同社代表取締役社長に就任。2006年にはデジタル・インフォメーション・テクノロジーへ社名を変更し、2015年には東京証券取引所JASDAQに上場させ、2017年に東京証券取引所一部への市場変更を果たした。
石橋 直(いしばし ただし、昭和15年(1940年)1月2日… 石橋 直(いしばし ただし、昭和15年(1940年)1月2日 - )日本の実業家。準大手ゼネコン西松建設の代表取締役社長兼執行役員社長。愛媛県出身。 小沢一郎民主党代表側への違法献金事件に関する同社の社内調査で不正が確認され、事件当時に代表権を持っていた石橋社長は6月末の株主総会時に退任する見通しとなった。石橋社長は、一部の会社トップの専権事項として、小沢代表側との関係が長年にわたって築かれていたと強調した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大高 幸子(おおたか ゆきこ、1940年1月2日 - )は、… 大高 幸子(おおたか ゆきこ、1940年1月2日 - )は、日本の元競泳選手。和歌山県伊都郡九度山町出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。 和歌山県伊都郡九度山町立九度山中学校、和歌山県立伊都高等学校卒。 1956年の日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会で200m自由形で2位、400m自由形では日本新記録を樹立して優勝し、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは400m自由形と400mフリーリレーに出場し、ともに予選落ちだった。
樋口 年子(、1940年1月1日 - 1979年頃)は、日本… 樋口 年子(、1940年1月1日 - 1979年頃)は、日本の元女優。東京都世田谷区出身。 八雲学園高在学中の1957年、『隠し砦の三悪人』のオーディションに応募し、百姓娘役を射止める。 1959年俳優座養成所に十一期生として入る。1962年卒業と同時に俳優座に入る。おもな出演作に『大学のお姐ちゃん』(1959年 杉江敏男)、『椿三十郎』(1962年 黒澤明)など。 工藤堅太郎の回想記『役者ひとすじ 我が人生&交遊録』(風詠社・2014年11月)では、実名こそ明かしていないが、樋口が病のため39歳で亡くなったと記されている。
沢渡 朔(さわたり はじめ、1940年〈昭和15年〉1月1日… 沢渡 朔(さわたり はじめ、1940年〈昭和15年〉1月1日 - )は、日本の写真家。東京府出身。女性ポートレートの分野を中心に幅広く活動。『少女アリス』等の写真集を出版。 中学の修学旅行の際に中古のリコーフレックスを入手し、写真を撮り始める。日大二高では写真部に所属。高校3年時に『サンケイカメラ』誌月例コンテストの中高の部でいきなり3作品を入賞させ、その後も月例コンテストの常連となる。 日芸の写真学科に進学後、月例コンテストの選者だった佐藤明のアドバイスで月例コンテストからは撤退。この頃、映画『死刑台のエレベーター』を見てジャズやヌーヴェルヴァーグに傾倒。詩人の白石かずことともに横田基地に通い、黒人女性や子供たちの撮影に取り組む。
田島 莊三(たじま しょうぞう、1940年1月1日 - 20… 田島 莊三(たじま しょうぞう、1940年1月1日 - 2021年1月28日)は、日本の音響監督。愛知県名古屋市中区出身。 名古屋市立前津中学校、名古屋市立菊里高等学校、日本大学芸術学部映画学科卒業。 東映の時代劇を好み助監督を志すが、試験日に寝過ごしてしまい、1年留年して翌年の試験に備えたものの、翌年には募集そのものがなくなってしまった為、産業訓練用スライドの制作会社ピーアールシープロダクション(現:PRC)に入社。2年後、太平洋テレビジョンに勤めていた友人と入れ替わる形で同社に移り、演出部のアシスタントとして吹き替え仕事に関わり始め、1967年に放送された『キャット 闇に挑む男』で演出デビュー。
吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日… 吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日本の映画評論家、著述家。 1940年三重県津市に生まれる。久居中学校、三重県立津高等学校、早稲田大学教育学部国語国文科卒業。1962年4月、三重県立高等学校(国語科)教諭となる。1996年3月、津東高等学校退職。1997年4月~2006年3月三重大学(共通教育機構)非常勤講師。2001年4月、愛知淑徳大学非常勤講師。2007年4月愛知淑徳大学教授。2010年4月愛知淑徳大学非常勤講師、2015年3月退職。 1979年、キネマ旬報創刊60周年記念論文「『祇園の姉妹』と溝口健二の先駆性」で佳作入選。1982年、『男はつらいよの世界』刊行などによって三重県文化奨励賞(文学部門)受賞。
九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023… 九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023年7月1日)は、日本の漫画家、アニメ監督、アニメーションプロデューサー、キャラクターデザイナー。株式会社タツノコプロ第3代代表取締役。京都府京都市出身。本名:吉田豊治(よしだ とよはる)。 タツノコプロ創業経営者一族の「吉田三兄弟」の三男で、長兄は漫画家・アニメ原作者・タツノコプロ初代社長の吉田竜夫、次兄はアニメプロデューサー・タツノコプロ第2代社長・初代会長の吉田健二。 ペンネームの由来は「お前は目がクリクリしているから」と言われ「クリ=九里」とし、さらに「一平」をつけたことによる。 挿絵画家・漫画家として活躍していた竜夫の後を追い上京。
加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年〈昭和15年〉1月1… 加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年〈昭和15年〉1月1日 - 2026年〈令和8年〉1月22日)は、日本の将棋棋士。剱持松二九段門下(当初は南口繁一九段門下)。棋士番号は64。勲等は旭日小綬章。文化功労者。 62年後の2016年に藤井聡太が14歳2か月で更新するまで、14歳7か月で当時の史上最年少中学生棋士となったことから神武以来の天才(詳細は後述)と呼ばれ、また早指し棋戦の名手でもあったことから1分将棋の神様の異名を持つ。 実力制6人目の名人で、戦前生まれの名人経験者としては最後の存命者であった。2017年6月20日に現役引退。 福岡県嘉麻市出身、同市の名誉市民。仙台白百合女子大学客員教授(2017年6月23日 - 2026年1月22日)。
田畑 治(たばた おさむ、1940年1月1日 - )は、日本… 田畑 治(たばた おさむ、1940年1月1日 - )は、日本の臨床心理学者。臨床心理士。同朋大学大学院人間福祉研究科客員教授。名古屋大学名誉教授。教育学博士(京都大学・1971年)。元名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校校長。専門は、心理臨床学・発達援助臨床学。山口県光市生まれ。
石原 碩夫(いしはら せきお、1940年1月1日 - )は、… 石原 碩夫(いしはら せきお、1940年1月1日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。
井上 輝夫(いのうえ てるお、1940年1月1日 - 201… 井上 輝夫(いのうえ てるお、1940年1月1日 - 2015年8月25日)は、日本のフランス文学者、詩人、翻訳家。慶應義塾大学名誉教授。 兵庫県西宮市夙川生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。同大学大学院を経て、フランスのニース大学で博士号取得。弟弟子にル・クレジオがいた。留学時代にキリスト教に入信。慶應義塾大学経済学部助教授・教授を経て、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の新設に参画し、1990年同キャンパス総合政策学部教授。1999年から慶應義塾ニューヨーク学院長就任。2005年定年退職、名誉教授、中部大学人文学部教授。2010年、同大学を退職。 1961年、会田千衣子、岡田隆彦、吉増剛造、鈴木伸治とともに詩誌『ドラムカン』を創刊、詩人として活動した。
岡部 うた子(おかべ うたこ、1940年1月1日 - )は、… 岡部 うた子(おかべ うたこ、1940年1月1日 - )は、日本の翻訳家。 山梨県都留市生まれ。駒澤大学文学部英文科卒業。神奈川県横浜市の高校教諭となる。主に児童書の翻訳を手掛けた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
青木 勝治(あおき かつじ、1940年1月1日 - 2011… 青木 勝治(あおき かつじ、1940年1月1日 - 2011年10月25日 )は、日本の弁護士(登録番号:14642、横浜弁護士会)。いちょう総合法律事務所所属だった。 神奈川県横浜市出身。上智大学法学部卒、上智大学大学院法学研究科修了。32歳の時に司法試験に合格し、1975年、弁護士として開業した。
森 紀旦(もり としあき、1940年1月1日 - 2018年… 森 紀旦(もり としあき、1940年1月1日 - 2018年7月10日)は、日本の聖職者、神学者、教育者。聖公会神学院校長、ウイリアムス神学館館長、日本聖公会中部教区主教。 1940年、埼玉県生まれ。 1966年に聖公会神学院を卒業し、翌1967年に執事叙任。1969年に司祭叙任。 1970年、立教大学大学院文学研究科修士課程修了。 1971年、米国マサチューセッツ州ケンブリッジのエピスコパル神学校に留学。 1976年、立教大学大学院文学研究科博士課程修了。 日本聖公会北関東教区の諸教会で牧会し、立教大学文学部キリスト教学科の講師を務め、ギリシア語や新約聖書を講じる。 聖公会神学院校長、ウイリアムス神学館館長を歴任し、新約聖書学、礼拝学を教える。
草原 タカオ(くさはら タカオ、本名:草原 孝雄、1940年… 草原 タカオ(くさはら タカオ、本名:草原 孝雄、1940年1月1日 - 2018年2月13日)は、日本の漫画家、イラストレーター。鹿児島県曽於郡末吉町出身。 1958年に上京し、川崎の東芝のテレビ工場に入社。その傍ら東京のお茶の水絵画研究所で8年間デッサンを学ぶ。1970年に退社しプロ入り。主に青年誌や新聞紙でナンセンス漫画を描く。 1977年『真夜中の子守歌』他作品にて第23回文藝春秋漫画賞受賞。 『農業共済新聞』にて『花咲かじいさん』を連載していた。 2018年2月13日に脳内出血のため死去。78歳没。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
荒川 文夫(あらかわ ふみお、1940年1月1日 - )は… 荒川 文夫(あらかわ ふみお、1940年1月1日 - )は、現在の佐賀県武雄市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。176cm、94kg。最高位は東十両8枚目。得意技は左四つ、寄り。 1956年5月場所初土俵、1964年3月場所十両昇進。しかし十両中位の壁を破れず、1966年9月場所を以て廃業した。 2024年8月20日に放送された『開運!なんでも鑑定団』(テレ東)のコーナー「出張!なんでも鑑定団」(岡山県矢掛町)に、依頼人の大伯父(依頼人の祖母が荒川の妹)として観客席で出演。それによると引退後は佐賀でちゃんこ鍋料理店を2014年頃に畳むまで経営していたという。その際、同期で後に横綱となった大鵬とは仲が良く、荒川の引退の時に大鵬から餞別として贈られた、大鵬が大関時代に使っていた化粧廻しの一つが出品された。
西 安信(にし やすのぶ、1940年1月 - )は、日本の工… 西 安信(にし やすのぶ、1940年1月 - )は、日本の工学者。学校法人北海道尚志学園理事長、北海道工業大学名誉教授。元北海道工業大学学長。北海道小樽市出身。
齋藤 利明(さいとう としあき、1940年1月 -2020年… 齋藤 利明(さいとう としあき、1940年1月 -2020年8月)は日本とアメリカで活躍した日本人カーデザイナー、工業デザイナー。スポーツ・クーペのフォード・プローブのデザインにチーフ・デザイナーとして携わるなど、海外で活躍する日本人デザイナーの草分け的存在として知られる。曾祖父は、幕末の土佐藩家老で、明治政府で刑部大輔、参議、元老院議官を務めた斎藤利行、娘婿は、国際政治学者で日本大学准教授の井手康仁である。墓所は青山霊園にある。 1940年、東京府東京市(現東京都)牛込区生まれ。 慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、1962年、慶應義塾大学工学部(現理工学部)機械工学科卒業。 1965年、渡米してカリフォルニア州のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに留学。
田邊徹美(たねべ てつみ 1940年1月生まれ)新発田市五十… 田邊徹美(たねべ てつみ 1940年1月生まれ)新発田市五十公野出身。新発田高卒(第10回)→東京大学理学部(院も)卒。専門「物性」。京大理学博士。1993年高エネルギー加速器科学研究奨励賞、1994年仁科記念賞、受賞。
岡崎 英輔(おかざき えいすけ、1940年1月 - )は、日… 岡崎 英輔(おかざき えいすけ、1940年1月 - )は、日本の哲学者、弘前大学人文学部名誉教授、元同大学付属図書館館長。思想文芸講座に所属していた。主な研究分野は、哲学・倫理学である。その中で、ドイツ観念論、ヘーゲルを研究テーマとしていた。その他、ヨーロッパ語系文学など。妻は、弘前大学理工学部教授の岡崎禎子。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
遠藤 知恵子(えんどう ちえこ、1940年 - )は、日本の… 遠藤 知恵子(えんどう ちえこ、1940年 - )は、日本の教育学者・教育者。学位は、教育学博士(北海道大学)。元北翔大学学長・北翔大学短期大学部学長。北海道出身。恩師は山田定市。 1959年北海道札幌南高等学校卒業。1963年北海道大学文学部ドイツ文学専攻卒業。その後、道内各地の中学校で教諭を務め、1982年北海道大学教育学部卒業。1991年同大学院教育学研究科社会教育学博士課程単位取得満期退学。1991年弘前学院大学文学部助教授。1994年3月 北海道大学 教育学博士 論文の題は「地域社会教育実践と現代公民館の展開基盤に関する実証的研究」。1994年弘前学院大学文学部文学部教授を経て、1999年弘前学院大学文学部長。
野又 肇(のまた はじめ、1940年(昭和15年) - )は… 野又 肇(のまた はじめ、1940年(昭和15年) - )は、日本の経済学者・学校経営者。 学校法人野又学園2代理事長・社会福祉法人貞信福祉会初代理事長。北海道函館市出身。父は函館大学創立者の野又貞夫。子に野又淳司。
澤田 長二郎(さわだ ちょうにろう、1940年 - )は、日… 澤田 長二郎(さわだ ちょうにろう、1940年 - )は、日本の実業家。勲等は旭日双光章。津軽鉄道第6代代表取締役社長、東北鉄道協会会長、日本民営鉄道協会理事。 青森県五所川原市生まれ。平山為之助初代津軽鉄道社長は外祖父。青森県立五所川原高等学校を経て、1963年に一橋大学商学部を卒業。今井祐元富士フイルム代表取締役副社長は一橋大バドミントン部の同期で親しい。大学卒業後は三菱商事に入社し、タイ王国駐在、オーストラリア珪砂採掘会社社長、三菱商事資材部長を経て、2003年までエム・シー砿産代表取締役社長。 2004年、五所川原市に帰郷し、債務超過となっていた津軽鉄道の第6代代表取締役社長に就任。経費削減やイベント列車の拡充等を進め、地元の協力を得て、2008年までに義務付けられていた緊急保全整備事業の資金調達に成功し、鉄道存続に繋げた。
丹藤 佳紀(たんどう よしのり、1940年 - )は、日本の… 丹藤 佳紀(たんどう よしのり、1940年 - )は、日本のジャーナリスト、元読売新聞記者。中国研究者。 福島県会津若松市生まれ。福島県立会津高等学校卒、1963年東京外国語大学中国語科卒、読売新聞社入社。横浜支局を経て外報部勤務。サイゴン・ソウル・北京各特派員、北京支局長、編集委員。2000年から2006年まで東洋大学教授を務める。日中友好協会参与。
岸 清(きし きよし、1940年 - )は東京都出身の医学者… 岸 清(きし きよし、1940年 - )は東京都出身の医学者。栃木県立栃木高等学校、東京医科歯科大学医学部卒業。1970年 東京医科歯科大学 医学博士 論文の題は 「Histochemical demonstration of purine nucleoside phosphorylase activity(プリンヌクレオシドホスホリラーゼ活性の組織化学的証明法)」。 1974年から同大助教授(第1解剖学)。1987年に東邦大学医学部教授(第1解剖学)に転じ、2005年から同大名誉教授。
大木 紀元(おおき きげん、1940年 - )はデザイナー。… 大木 紀元(おおき きげん、1940年 - )はデザイナー。創造学園大学教授。群馬県出身。群馬県立高崎高等学校、武蔵野美術大学卒業。 大学在学中にダッコちゃんを手がけ、卒業後に大紀デザインを設立。 日本で初めて週刊誌にピンナップフォトページを導入した。また、電車の中吊りポスターを立体でデザインした。 FM・OZE解説員をつとめる。
浅野 純次(あさの じゅんじ、1940年 - )は、日本の編… 浅野 純次(あさの じゅんじ、1940年 - )は、日本の編集者、実業家。東洋経済新報社代表取締役社長や、日本雑誌協会理事長を務めた。 東京都世田谷区生まれ。小田原市、浦和市育ち。1958年埼玉県立浦和高等学校卒業。1962年横浜国立大学経済学部卒業、東洋経済新報社入社。同期に矢吹晋がいる。会社四季報編集長、週刊東洋経済編集長を経て、1989年取締役に昇格。常務取締役を経て、1995年社長、石橋湛山記念財団評議員。2001年会長。2002年日本雑誌協会理事長。2004年経済倶楽部理事長。2007年富丘経済研究会会長。2011年東京日本橋ロータリークラブ会長。2013年出版企業年金基金理事長。2016年高橋松之助記念顕彰財団理事長。
西村 六善(にしむら むつよし、1940年- )は、日本の外… 西村 六善(にしむら むつよし、1940年- )は、日本の外交官。外務省欧亜局長を経て、経済協力開発機構(OECD)政府代表部特命全権大使、地球環境問題担当特命全権大使兼気候変動担当政府代表、内閣官房参与等を歴任した。 北海道札幌市生まれ。麗澤高等学校を経て、上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中に外務公務員試験に合格。1962年大学を中退し、外務省入省。条約局協定課長、報道課長、大臣官房総務課長を経て、1994年シカゴ総領事。1997年外務省欧亜局長。1999年からOECD日本政府代表部特命全権大使を務め、気候変動問題などを担当。2002年特命全権大使(アフガニスタン支援調整担当)。2003年駐メキシコ特命全権大使。
大熊 由紀子(おおくま ゆきこ、1940年 - )は、日本の… 大熊 由紀子(おおくま ゆきこ、1940年 - )は、日本の科学ジャーナリスト。朝日新聞社の論説委員を経て国際医療福祉大学大学院教授。夫は元朝日新聞記者の大熊一夫。母方の祖父は山川章太郎、伯父(母の兄)は山川邦夫、叔父(母の弟)は山川民夫。 東京都立日比谷高等学校卒業。東京大学教養学部教養学科で科学史・科学哲学を専攻。大学卒業後、朝日新聞社に入社。社会部記者、科学部記者、科学部次長等を経て、1984年、同業他社に先駆け同社で女性初の論説委員になり、医療、福祉、科学分野の社説を17年間担当。 1976年夏から朝日新聞紙上で原子力発電に関係する記事を48回にわたって連載し、加筆して『核燃料 : 探査から廃棄物処理まで』として朝日新聞社から刊行した。
鈴木 路子(すずき みちこ、1940年(昭和15年) - )… 鈴木 路子(すずき みちこ、1940年(昭和15年) - )は、日本の教育学者。東京福祉大学大学院教育学研究科教授、東京学芸大学名誉教授。教育学博士(東京大学)。専門は環境教育学、健康教育学、発育発達学。 1940年(昭和15年)、上海市に生まれる。1959年(昭和34年)に東京都立小石川高等学校を卒業。1963年(昭和38年)にお茶の水女子大学文教育学部を卒業し、1970年(昭和45年)に東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得。1983年(昭和58年)、「学習環境としての室内至適温度に関する教育生理学的研究」により、東京大学から教育学博士を取得。 東京学芸大学教育学部教授、東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科博士課程教授を経て、2004年より東京福祉大学大学院教育学研究科教授。
宮田 隆(みやた たかし、1940年 - )は、日本の分子進… 宮田 隆(みやた たかし、1940年 - )は、日本の分子進化学者。京都大学名誉教授。DNA・タンパク質配列解析方法の開発と進化学的な発見の両面で成果を挙げた。 おもな研究業績として、ホモロジーサーチ(相同性検索)法の開発、同義・非同義置換数の概念と推定法の提案、オス駆動進化説の実証、複合系統樹による現存生物の最初の種分岐の解明、などがある。また、木村資生が提唱した分子進化の中立説(中立進化説)を実証する発見を多く行ったことでも有名。1990年代からは科学研究費プログラムのうち重点領域研究や学術創成研究の代表者として、日本の分子進化学を牽引した。その後の成果は、後生動物の遺伝子ファミリーの多様化時期の解析、最尤法を用いた分子系統樹推定法の改良、高速フーリエ変換を用いた多重配列整列法の開発、後生動物の系統関係と分岐時期についての解析など。
大本 圭野(おおもと けいの、1940年 - )は、日本の経… 大本 圭野(おおもと けいの、1940年 - )は、日本の経済学者。元東京経済大学経済学部教授。
中矢 一義(なかや かずよし、1940年 - )は、日本の文… 中矢 一義(なかや かずよし、1940年 - )は、日本の文化学者、音楽評論家、慶應義塾大学名誉教授。専門は18世紀英国芸能史。 新潟県新潟市出身。新潟県立新潟高等学校を経て、1962年東京外国語大学英米科卒業、1968年東京都立大学 (1949-2011)人文科学研究科博士課程中退、同大学英文研究室助手、1969年國學院大學専任講師、1973年慶應義塾大学法学部専任講師、1979年助教授、1986年教授、2005年定年退職、名誉教授。 1996年 - 2002年長岡リリックホール館長。国際音楽フェスティヴァル、オペラなどの総合プロデュースを多数手がけた。雑誌に多くの音楽評を書いた。
村椿 輝雄(むらつばき てるお、1940年 - )は、元野球… 村椿 輝雄(むらつばき てるお、1940年 - )は、元野球選手(投手)。 富山県黒部市出身。富山県立魚津高等学校に進学し、野球部に入部。1958年、第40回全国高等学校野球選手権大会にエースとして出場。1回戦で優勝候補の浪華商を完封。2回戦で明治を、3回戦で桐生を破り、ベスト8に進んだ。準々決勝では徳島商業の板東英二と投げ合い、ともに得点を許さず延長18回引き分けとなり、翌日再試合となった。翌日魚津は1 - 3で敗れたものの、初出場でベスト8まで進出した活躍は「蜃気楼旋風」と呼ばれた。 高校卒業後は三菱重工業に入社し、社会人野球を続けた。また三菱重工業では横浜造船所や石川県金沢市の支社に勤務し、米国三菱重工業株式会社駐在員としてアメリカ合衆国に長期滞在していたこともある。
高野 二郎(たかの じろう、1940年 - )は、日本の化学… 高野 二郎(たかの じろう、1940年 - )は、日本の化学者。理学博士。 専門は有機化学、環境化学、大学教育。東海大学理学部長、学長室長、副学長、学長などを歴任し、副総長を務める。 山梨県出身。東海大学生え抜きの学長。 山梨県立甲府第一高等学校卒業。1964年 東海大学工学部卒業。 2003年10月~2007年9月 学長職1期目の就任。2007年10月 学長代理に就任。2009年10月 学長職2期目の就任。 2012年 学校法人東海大学副総長に就任。2014年9月 学長職任期満了。 2014年10月 学校法人東海大学理事職に就任。
吉江 忠男(よしえ ただお、1940年 - )は、日本のバリ… 吉江 忠男(よしえ ただお、1940年 - )は、日本のバリトン歌手。 長野県諏訪郡長地村(現岡谷市)出身。長野県岡谷南高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科、同大学院修了。学生時代から畑中良輔や中山悌一らに師事する。大学院在学中に「フィガロの結婚」の伯爵役及び「ドン・ジョヴァンニ」のタイトル・ロールでデビュー。二期会新人賞などを受賞。卒業後1969年、日独交換留学生としてデトモルト音楽大学(英語版)に留学。1975年より12年間、フランクフルト歌劇場の専属バリトン歌手として活躍。またヨーロッパ各地の音楽祭等で活躍した。 1987年活動の場を日本に移し、オペラ出演、リサイタルなどのほか、郷里の岡谷市でバッハを中心とした合唱団「カンタータ・コア」及び「チェンバー・オーケストラ信州」を発足させ、地域の音楽文化発展に貢献している。
太田 龍朗(おおた たつろう、1940年 - )は日本の医学… 太田 龍朗(おおた たつろう、1940年 - )は日本の医学者、精神科医。専門は精神生理学、睡眠学。名古屋大学医学部名誉教授。医学博士(名古屋大学・1988年)。
斎藤 信男(さいとう のぶお、1940年 - )は、日本の工… 斎藤 信男(さいとう のぶお、1940年 - )は、日本の工学者。工学博士。慶應義塾大学名誉教授。駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ元学部長。日本UNIXユーザ会第2代会長。研究分野は、オペレーティングシステム、分散処理、ソフトウェア工学、デジタルメディア論など。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校卒業。
上條 謙二郎(かみじょう けんじろう、1940年 - )は、… 上條 謙二郎(かみじょう けんじろう、1940年 - )は、日本の航空宇宙工学者。東北大学名誉教授。紫綬褒章受章。 長野県下伊那郡松川町生まれ。1960年長野県飯田高等学校卒業。1964年名古屋工業大学機械工学科卒業。1969年東京工業大学大学院理工学研究科機械工学専攻博士課程修了、航空宇宙技術研究所研究員。1975年航空宇宙技術研究所角田支所ロケット流体機器研究室長。同年カリフォルニア工科大学客員研究員。1983年東京大学工学部非常勤講師。1992年航空宇宙技術研究所角田支所研究調整官。1993年航空宇宙技術研究所角田宇宙推進技術研究センターロケット推進研究部長。H-IロケットのLE-5やH-IIロケットのLE-7のターボポンプの開発を行い、1996年から東北大学流体科学研究所極限流研究部門極低温流研究分野教授を務めた。
玉村 和彦(たまむら かずひこ、1940年 - )は、日本の… 玉村 和彦(たまむら かずひこ、1940年 - )は、日本の経営学者、観光学者。同志社大学名誉教授。 1940年(昭和15年)長野県生まれ。1959年(昭和34年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1963年(昭和38年)同志社大学商学部卒業。1965年(昭和40年)同志社大学大学院商学研究科修了。2002年(平成14年)エクセター大学大学院地理学・考古学研究科地理学専攻。 同志社大学商学部助教授、教授、2000年(平成12年)同志社大学キリスト教文化センター所長を経て、2006年(平成18年)定年退官。同志社大学名誉教授
倉田 毅(くらた たけし、1940年 - )は、日本の医師、… 倉田 毅(くらた たけし、1940年 - )は、日本の医師、医学者。厚生労働省 国立感染症研究所 名誉所員。学位は医学博士(信州大学・1971年)。特定非営利活動法人 バイオメディカルサイエンス研究会 会長。専門は病理学、ウイルス学など。 国立感染症研究所 所長、日本ウイルス学会 理事長、国際医療福祉大学塩谷病院 感染症専門医(教授)などを歴任した。 日本の研究所、大学のみならず、インドとバングラデシュで世界保健機関の天然痘根絶計画に参加したほか、アフリカ西部のシエラレオネでラッサ熱の研究など世界各地で研究をおこなった。 長野県に生まれる。1959年 長野県松本深志高等学校 卒業。1966年 信州大学医学部 卒業。
水谷 智洋(みずたに ともひろ、1940年 - )は、日本の… 水谷 智洋(みずたに ともひろ、1940年 - )は、日本の西洋古典学者。東京大学名誉教授。主著に『古典ギリシア語初歩』。 岐阜県出身。1958年、岐阜県立岐阜北高等学校を卒業、東京大学教養学部文科二類に入学。1963年、教養学部教養学科国際関係論分科を卒業。1966年、東京大学大学院人文科学研究科西洋古典学専門課程を修了。1970年、博士課程単位取得満期退学。指導教官は高津春繁。 1970年より、東京大学文学部西洋古典学科助手、教養学部助教授、武蔵野女子大学・千葉大学・学習院大学・桐朋学園大学の非常勤講師等を歴任。1991年より、東京大学教養学部教授。2000年、定年退官、名誉教授。
見城 尚志(けんじょう たかし、1940年 - )は、日本の… 見城 尚志(けんじょう たかし、1940年 - )は、日本の工学者、精密小型モーター開発のエンジニア。ニデックモーター基礎研究所名誉所長。ニデック技術顧問。工学博士(東北大学)。 1940年、静岡市に生まれる。1958年、静岡県立静岡高等学校卒業。1964年、東北大学大学院工学専攻科修士課程修了。同年、TEAC入社。磁気記録機器用精密小型モータの設計と研究を開始。1965年、職業訓練大学校常勤講師。1966年より学生の指導を始める。最初の学生の中に永守重信がいた。1970年、東北大学より交流モータの回転電気機械の電磁界理論で工学博士。1971年、職業訓練大学校助教授。1976年、ロンドンで開かれた世界最初の小型モータ学会に出席。
油井喜夫(ゆい よしお、 1940年 - )は、日本の社会運… 油井喜夫(ゆい よしお、 1940年 - )は、日本の社会運動家、社会運動研究家。新日和見主義事件に遭い、のちにこれを考察する書籍を著した。 6歳のとき中国・遼寧省遼陽より引揚。静岡県立藤枝東高等学校、通信教育課程を経て慶應義塾大学を卒業。静岡県職員、司法書士などに従事。 労働組合運動、青年運動などに携わる。日本民主青年同盟班長・同地区委員長・同県委員長・同中央委員、日本共産党静岡県委員などを歴任。 日本共産党静岡県委員、日本民主青年同盟中央委員・静岡県委員長在任時の1972年5月、分派活動の疑いで査問され、処分を受ける。これらの役職をすべて罷免され、足かけ3年にわたって党員権を停止された。(新日和見主義事件) 以後事件について沈黙を守っていたが、川上徹が事件の実態や問題点を世に問う『査問』(筑摩書房)を1997年12月に刊行したことをきっかけに、自身の経験を通して事件について明らかにすることを決意。
国松 俊英(くにまつ としひで、1940年 - )は、日本の… 国松 俊英(くにまつ としひで、1940年 - )は、日本の児童文学作家。 日本児童文学者協会、日本児童文芸家協会、日本野鳥の会、宮沢賢治学会会員。 滋賀県守山市生まれ。滋賀県立八幡商業高等学校、同志社大学商学部を卒業。上京して児童文学同人誌「ピノキオ」に加わり、童話創作を始める。砂田弘に師事し、1979年より文筆生活に入る。古田足日児童文学塾で学ぶ。 童話や児童小説を書く一方、ノンフィクション文学の世界で新しい分野を切り開いて活躍している。1996年に発表した「宮沢賢治 鳥の世界」では、賢治の童話や詩に登場する鳥類を解析し、これまで誰も書かなかった賢治文学の魅力を明らかにした。また1996年出版の「鳥を描き続けた男 - 鳥類画家・小林重三」では、博物画家として大きな仕事を世に残した動物画家・小林重三の生涯と仕事を発掘して注目を集めた。