大石 益光(おおいし ますみつ、1926年(大正15年)3月… 大石 益光(おおいし ますみつ、1926年(大正15年)3月14日 - 1997年(平成9年)5月24日)は、日本の医師(婦人科医)、実業家。医学博士。静岡新聞社社長。静岡放送会長。 東京府荏原郡目黒町大字下目黒(現東京都目黒区平町)に父・大石光之助、母・マスの長男として生まれる。父・光之助は当時主婦之友社に勤めていた。 1938年、静岡師範学校附属小学校(現静岡大学教育学部附属静岡小学校)を卒業。1944年、東京都立高等学校尋常科を卒業。1947年、東京都立高等学校理科を卒業。1953年、千葉医科大学を卒業。1954年、東京大学医学部産婦人科教室に入局する。1960年、学位取得。 1961年、静岡放送社長に就任。
野村 豊(のむら ゆたか、1926年3月14日 - )は、日… 野村 豊(のむら ゆたか、1926年3月14日 - )は、日本の外交官、国際公務員。駐ヴェネズエラ特命全権大使等を経て、駐イラン特命全権大使。イランに在任中、「トルコ航空機によるテヘラン邦人救出事件」が発生。 第八高等学校を経て、1947年東京帝国大学法学部法律学科卒業、外務省入省、1951年イェール大学留学。 在連合王国日本国大使館一等書記官等を経て、1965年外務省経済協力局技術協力課長。1967年外務省経済協力局国際協力課長。 同年外務省経済協力局政策課長。1969年経済協力開発機構日本政府代表部参事官。1970年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官。1973年外務省国際連合局外務参事官。1974年外務省経済局次長。
佐々木 行綱(ささき ゆきつな、1926年(大正15年)3月… 佐々木 行綱(ささき ゆきつな、1926年(大正15年)3月14日 - 2017年(平成29年)9月6日)は、日本の声楽家(バス)、オペラ歌手、音楽教育者、音楽評論家。音楽教育者、作曲家の佐々木すぐるの三男。 東京出身。幼少時はボーイソプラノの童謡歌手であり、代表曲は『四っつの兄ちゃん』『犬と小僧さん』『兵隊あそび』などがある。1944年(昭和19年)東京音楽学校声楽科に入学。木下保、中山悌一に師事。1948年(昭和23年)卒業。同年同校研究科に進み、柴田睦陸に師事。1950年(昭和25年)修了。畑中良輔を代表に結成された第二次東京交声楽団に参加し、その先頭に立って歌唱技能を磨く。1951年(昭和26年)芸大歌劇研究部 ベルリオーズ『ファウストの劫罰』(日本初演)ブランデルでデビュー。
夏秋 幹(なつあき みき、1926年3月14日 - 2016… 夏秋 幹(なつあき みき、1926年3月14日 - 2016年11月4日)は、日本の経営者。三重テレビ放送社長を務めた。 三重県名張市出身。1945年に三重農業専門学校農業土木科を卒業し、同年10月に三重県庁に入庁。1978年4月に福祉部長に就任し、1980年4月に企業庁長を経て、1982年3月から1986年3月までに出納長を務めた。1986年6月に三重テレビ放送専務に就任し、1987年6月から1999年6月までに社長を務めた。 1996年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2016年11月4日老衰のために死去。90歳没。
工藤 良平(くどう りょうへい、1926年(大正15年)3月… 工藤 良平(くどう りょうへい、1926年(大正15年)3月14日 – 1986年(昭和61年)9月10日)は、昭和期の農林技官、労働運動家、政治家。衆議院議員、参議院議員。 大分県直入郡阿蘇野村(大分郡阿蘇野村、庄内村、庄内町を経て現由布市庄内町阿蘇野)で生まれる。1943年(昭和18年)大分県立三重農学校(のちの大分県立三重農業高等学校)を卒業。阿蘇野小学校助教を務め、その後徴兵され陸軍少尉となる。 戦後、農業に従事し青年団活動を行う。1950年(昭和25年)農林省食糧庁に入庁し大分食糧事務所に配属され、その後、農林技官となる。労働運動に加わり、全食糧労働組合中央本部役員、全農林労働組合大分支部長、同中央本部執行委員、大分県労働組合評議会事務局長、同副委員長、大分県地方労働委員会委員、同農政審議会委員などを務めた。
生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日… 生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日 - 2006年(平成18年))は、日本の小説家・作家、実業家。大日本帝国海軍軍人(海兵74期、最終階級は海軍少尉)。(株)ことば社 社長。 栃木県宇都宮市出身。栃木県立宇都宮中学校(現:栃木県立宇都宮高等学校)5年生で、1942年12月に海軍兵学校74期に進み、1945年3月に卒業。海軍潜水学校普通科学生(波二百一型潜水艦に乗組予定であった)として、海軍少尉で終戦を迎えた。終戦後東京大学に入学して仏文学科を卒業するが、この間に公職追放を受けた。大学卒業後、アサヒ芸能新聞社(現:徳間書店)に入社し、同社常務取締役を経て、(株)ことば社 社長となった。
藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 … 藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉4月21日)は、日本の実業家。大阪府大阪市東淀川区出身。輸入雑貨販売店「藤田商店」「日本マクドナルド」「日本トイザらス」「日本ブロックバスター」創業者。 大阪府大阪市東淀川区に生まれる。3歳の時に千里山へ移住した。通学した三島郡千里第二尋常小学校で、成績は優秀だが母が教師に付け届けをせず、内申書の表現が良く記されずに一浪して十三の旧制北野中学へ進学した。 卒業後に戦火が激しくなったことから大阪を離れ、1944年に旧制松江高校を経て東京大学法学部へ入学。光クラブを経営する山崎晃嗣が1級上におり、後述する関係であった。
矢内原 勝(やないはら・かつ、1926年3月13日 - 20… 矢内原 勝(やないはら・かつ、1926年3月13日 - 2003年11月27日)は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授。
宮崎 雄行(みやざき ゆうこう、1926年3月13日 - 2… 宮崎 雄行(みやざき ゆうこう、1926年3月13日 - 2006年12月14日)は、日本のイギリス文学者、詩人である。武蔵大学名誉教授。 イギリス文学の研究・教育を進めるとともに、小川国夫らの雑誌『青銅時代』に参加して詩の創作活動を行う。 詩集に、『黄金の雨』(1975年)、『泉聲』(1983年)、『幻の塔』(1990年)、『海山の光』(1996年)がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
関口 恵造(関口 惠造。せきぐち けいぞう、1926年3月1… 関口 恵造(関口 惠造。せきぐち けいぞう、1926年3月13日 - 1994年1月17日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。歯科医師。埼玉県歯科医師会会長。 1926年3月埼玉県秩父郡皆野町にて関口歯科医院を経営する関口家に生まれる。母は歯科医師。 旧制甲南高等学校、東京歯科医学専門学校(現・東京歯科大学)卒業後、歯科医師となる。家業の関口歯科医院を継ぎ院長となる。 1973年4月埼玉県歯科医師会会長に就任(死去まで)。 1980年7月第12回参議院議員通常選挙全国区に自由民主党公認、日本歯科医師会、日本歯科技工士会、日本歯科衛生士会推薦で立候補し初当選。宏池会所属。1986年7月 第14回参議院議員通常選挙比例区に立候補し、再選。
鯖田 豊之(さばた とよゆき、1926年3月12日- 200… 鯖田 豊之(さばた とよゆき、1926年3月12日- 2001年10月25日)は、日本の歴史学者、評論家、京都府立医科大学名誉教授。 専攻は西洋中世史、比較史。 奈良県生まれ。1952年京都大学文学部史学科卒。島根大学助教授や京都府立医科大学教授を経て、1988年に定年退官し、名誉教授。 『肉食の思想』が話題となり、保守派評論家として知られた。
保崎 秀夫(ほさき ひでお、1926年3月12日 - )は、… 保崎 秀夫(ほさき ひでお、1926年3月12日 - )は、日本の医学者・精神科医。専門は、精神病理学・司法精神医学。慶應義塾大学名誉教授。学位は、医学博士(慶應義塾大学・1960年)。 神奈川県川崎市生まれ。1948年慶應義塾大学医学部医学科卒業。後に東京学芸大学助教授。1960年医学博士(慶応義塾大学)。1968年慶應義塾大学精神神経科教授。慶應義塾大学医学情報センター長、慶應義塾大学病院院長を歴任。1991年慶應義塾大学名誉教授。
十楽寺 直彦(じゅうらくじ なおひこ、1926年3月12日 … 十楽寺 直彦(じゅうらくじ なおひこ、1926年3月12日 - )は、東京都出身の都市計画家、造園家。 千葉高等園芸学校(現・千葉大学園芸学部)を卒業。札幌市役所に1946年採用、公園指導員や巡回幼稚園(現在のなかよし子供館)の業務などを経て、1961年から1968年にかけ公園課長の後企画調整局計画部長・企画部長、1973年に都市開発局開発部長、1975年に環境局緑化推進部長を歴任、定年前の1981年末に退職。 終戦直後、進駐軍の車道に使われるなど、荒れ放題であった中島公園の復興に務めた。また、公園係長時代の1958年には中島公園に北海道大博覧会を記念し中谷宇吉郎と共同で雪の結晶のデザインをあしらった広場「雪の広場」の開発に携わった他、豊平川を都市計画区域の公園緑地に指定し将来は堤防と堤防で囲まれた川のなかを公園として活用する案を提唱し、その後1967年(昭和42年)に豊平川の藻岩橋から雁来大橋までの水面までを含む約330ヘクタールを公園緑地(豊平川緑地)とする都市計画が策定された。
吾妻 兼治郎(あづま けんじろう、1926年3月12日 - … 吾妻 兼治郎(あづま けんじろう、1926年3月12日 - 2016年10月14日もしくは10月15日)は、イタリア在住の日本人の彫刻家。ミラノに在住し、抽象作家として国際的にも高い評価を受ける。作品に『MU(無)』『YU(有)』『慈悲心の美徳』など。彫刻表面に腐食で出来たようなくぼみをあしらう作品に特徴がある。山形市生まれ。 鋳物屋の7人兄弟の二男。夜間中学中退後に予科練志願入隊、神風特攻隊になるが、終戦になり山形に復員、中学復学卒業後、東京芸術大学入学、東京芸大卒。芸大副手を休職し、1956年に山形で初の個展を開催し、イタリアに留学、ブレラ美術学校でマリノ・マリーニに師事(その後休職期間経過後もイタリアに残るために芸大退職)。
松本 隆信(まつもと りゅうしん、1926年3月11日 - … 松本 隆信(まつもと りゅうしん、1926年3月11日 - 1993年2月16日)は、日本の国文学者、書誌学者、慶應義塾大学名誉教授。 東京市麻布区(現・東京都港区元麻布)生まれ。1943年に慶應義塾普通部(旧制)修了、1948年に慶應義塾大学文学部文学科(国文学専攻)卒業。 1959年に同大学専任講師、1961年に同大学附属研究所斯道文庫専任講師、1965年に助教授、1974年に教授。1975年に「中世における本地物の研究」で文学博士。1982年から1987年まで斯道文庫長、1988年に定年退任、名誉教授。1989年に『室町時代物語大成』の編纂で角川源義賞受賞。 1993年、肺炎のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
奥村 豊(おくむら ゆたか、1926年3月11日 - 201… 奥村 豊(おくむら ゆたか、1926年3月11日 - 2018年1月1日)は、日本の経営者。古河機械金属社長、会長を務めた。 岐阜県出身。1948年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年5月に古河鉱業(のちの古河機械金属)に入社した。1973年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1980年6月に副社長に就任し、1987年6月には社長に昇格した。1993年6月から1997年6月までに会長を務めた。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月には勲二等瑞宝章を受章。1988年2月にはベルギー国王から王冠勲章を受章。 2018年1月1日、病気のために死去。
犬丸 一郎(いぬまる いちろう、1926年3月10日 - 2… 犬丸 一郎(いぬまる いちろう、1926年3月10日 - 2020年3月3日)は、日本の実業家。帝国ホテル元社長。犬丸徹三の子。 帝国ホテル社長を務めた犬丸徹三の長男として東京・麹町に生まれる。慶應義塾幼稚舎、普通部、予科を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業。若い頃はバンドマンであり、浜口庫之助、平岡精二らとともにジャズバンド「スウィング・サーフライダーズ」を結成してベースを担当し、ホテルや進駐軍のクラブなどで演奏していた。 1949年帝国ホテル入社。清掃係、客室係、調理場勤務を経て米国留学。当初犬丸の社長昇格に難色を示していたメインバンクの第一勧業銀行に対し、筆頭株主である国際興業創業者の小佐野賢治会長の強い推しのもと、1986年社長に就任。
大竹 利典(おおたけ りすけ、1926年〈大正15年〉3月1… 大竹 利典(おおたけ りすけ、1926年〈大正15年〉3月10日 - 2021年6月7日)は、日本の武道家。千葉県成田市出身。天真正伝香取神道流の師範、そして同市にある神武館道場の館長を長年務めた。 16才の折(1942年)に天真正伝香取神道流の林弥左衛門家清師範に入門。1960年6月に同流儀が千葉県の無形文化財に指定され、大竹が同保持者となった。 多数の執筆を残している。また、映画『蜩ノ記』で岡田准一に武術指導も行った。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
小林 稔(こばやし みのる、1926年3月10日 - 200… 小林 稔(こばやし みのる、1926年3月10日 - 2009年1月27日)は、日本の騎手、競走馬調教師。兵庫県出身(東京府出生)。 第二次大戦中の1944年に騎手デビュー。戦後、トラックオーで1951年の菊花賞と1952年秋の天皇賞に優勝した。1964年に騎手を引退し、調教師に転身。1970年代より関西の有力調教師として定着し、1996年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬フサイチコンコルドを代表として数々の活躍馬を輩出した。中央競馬通算5525戦899勝、うち重賞51勝。最多勝利調教師4回、最高勝率調教師、最多賞金獲得調教師、優秀技術調教師各1回。 父は騎手・調教師の小林三雄三(みおみ)、実弟・小林功も騎手であった。
白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、1926年3月10日… 白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、1926年3月10日 - 1968年8月25日)は、秋田県雄勝郡雄勝町(※現役当時、現・同県湯沢市)出身で荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋)に所属した大相撲力士。本名は金子 寅男(かねこ とらお)。最高位は西前頭12枚目(1956年3月場所)。現役時代の体格は176cm、109kg。得意手は右四つ、寄り、内無双。 14歳の時に上京し、同郷の元関脇・清瀬川が率いる伊勢ヶ濱部屋(後、荒磯部屋に改称)へ入門。1941年1月場所で初土俵を踏んだ。 「両邦山」の名で番付に載るまでに2年かかるなど当初は苦戦したが、その後は順調に番付を上げ、1947年11月場所で新十両に昇進。
松尾 敏男(まつお としお、1926年3月9日 - 2016… 松尾 敏男(まつお としお、1926年3月9日 - 2016年8月4日)は、日本画家、日本芸術院会員、日本美術院理事長。
仲上 正信(なかうえ まさのぶ、1926年3月9日 - 19… 仲上 正信(なかうえ まさのぶ、1926年3月9日 - 1999年11月18日)は、日本の経営者。日鉄鉱業社長を務めた。 福岡県出身。1949年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に日鉄鉱業に入社。1979年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務、1987年1月に副社長を経て、同年6月には社長に就任。1993年6月に相談役に就任。 1999年11月18日肝癌のために死去。73歳没。
西川 富雄(にしかわ とみお、1926年3月9日 - 201… 西川 富雄(にしかわ とみお、1926年3月9日 - 2010年7月7日)は、日本の哲学者(ドイツ哲学)。立命館大学名誉教授。 1926年、京都府で生まれた。立命館大学文学部哲学科で学び、1950年に卒業。2010年7月7日、呼吸不全のため死去。 卒業後は、立命館大学で教鞭を執った。1991年、立命館大学名誉教授。1995年、学位論文『続・シェリング哲学の研究:「自然の形而上学」の可能性』を立命館大学に提出して文学博士号を取得。フリードリヒ・シェリングの哲学を研究対象とし、日本シェリング協会会長を務めた。2010年に死去。
塚田 茂(つかだ しげる、1926年(大正15年)3月9日 … 塚田 茂(つかだ しげる、1926年(大正15年)3月9日 - 2008年(平成20年)5月13日)は、日本の演出家、放送作家、構成作家、作詞家、タレント。東京府東京市(現・東京都特別区)豊島区池袋出身。血液型はB型。 東京府立商工学校(現・東京都立北豊島工科高等学校)卒。 太平洋戦争中の1945年2月に徴兵検査で第一種乙種合格、それを受けて翌3月に召集令状が来た。しかし、工科系学校に在籍する特権で2年の入営延期を認められ、日本無線に動員されるという形で勤務。その間に戦争は終結した。塚田は工科系の学生になったのは、特権が狙いだったとも話している。終戦後はしばらくの間、親類の時計店の居候となった。
笠井 智一(かさい ともかず、1926年(大正15年)3月8… 笠井 智一(かさい ともかず、1926年(大正15年)3月8日 - 2021年(令和3年)1月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍上等飛行兵曹。第二次世界大戦(大東亜戦争)における戦闘機パイロット。共同撃墜10機を記録。 1926年(大正15年)3月8日、兵庫県多紀郡篠山町(現・丹波篠山市)の農家に男3人女2人の兄弟の末っ子として生まれた。体は大きく運動神経も良かったが、乗り物に弱くバス酔いする体質であった。鳳鳴中学2年の時、母校の先輩であり渡洋爆撃で知られていた小谷雄二大尉の帰郷講演を聞いて感動し海軍航空隊を志す。中学4年の時、甲種予科練に合格する。同期生に神風特別攻撃隊「敷島隊」隊員となった谷暢夫がいる。
本島 健三(もとじま けんぞう、1926年3月8日 - 20… 本島 健三(もとじま けんぞう、1926年3月8日 - 2014年1月30日)は、日本出身の測量技師、慈善家及びギニア国地図作成事業に尽力した人物である。彼のギニアに対しての慈善活動は、ギニアの発展に大きく貢献し、彼の死後にはギニアの最高位の勲章・コラティエ勲章がギニア政府により授与された。彼は1977年から1982年のギニアの基本地図作成事業以外にも、ギニアの難民への慈善活動や、寄付活動を生涯かけて行い、NGOギニア会の初代会長に任命された人物である。 長野県飯田市(旧名・鼎村)の農家の家系で生まれる。8人兄弟の3男で、兄弟全員男という珍しい兄弟構成だった。幼い頃は体を動かすことが大好きで、木登りや水泳などをしていたという。
萩原 延壽(はぎはら のぶとし、1926年(大正15年)3月… 萩原 延壽(はぎはら のぶとし、1926年(大正15年)3月7日 - 2001年(平成13年)10月24日)は、日本の歴史家・作家。1976年から1990年まで、休載を挟みつつ1,947回にわたり朝日新聞に連載した『遠い崖――アーネスト・サトウ日記抄』(全14巻)の著者で知られる。姓の萩原は「はぎはら」と読むのが正しいが、間違って「はぎわら」と読まれることがある。名の「延壽」は「延寿」と表記されることがある。 東京・台東区浅草(現在の隅田公園周辺)出身。父宮治、母タケヨ(旧姓茂木)は共に群馬県群馬郡の人、父は8年間の兵役を退き、母は小学校教員の勤務を終え、1925年に結婚。1927年に東京府豊多摩郡淀橋町柏木(現在の新宿区西新宿成子坂周辺)に転居。
大沢 慶己(大澤 慶己、おおさわ よしみ、1926年3月6日… 大沢 慶己(大澤 慶己、おおさわ よしみ、1926年3月6日 - 2022年10月21日)は、日本の柔道家(講道館十段)。早稲田大学名誉教授、全日本柔道連盟評議員・理事・顧問、講道館参与・評議員、講道学舎学頭、早稲田大学名誉教授らを歴任。 現役時代は身長167cm・体重67kgという小躯ながら、松本安市や醍醐敏郎ら戦中・戦後を代表する大型選手達と鎬を削り、全日本選手権大会や全日本東西対抗大会等の主要大会で活躍。その軽快な身のこなしから今牛若丸や昭和の小天狗と呼ばれた。 引退後は1964年の東京五輪でコーチを務め、後に全日本柔道連盟国際試合選手強化委員会(女子)委員長や講道館女子部部長を歴任して黎明期の女子柔道の礎を築いたほか、母校・早稲田大学では柔道部師範や教授を務めるなど半世紀以上に渡り後進の指導に当たって、今日の柔道の隆盛に大きく貢献した。
緒方 道彦(おがた みちひこ、1926年3月6日 - 200… 緒方 道彦(おがた みちひこ、1926年3月6日 - 2008年4月17日)は、日本の医学者、登山家、教育者。 長崎医科大学(長崎大学医学部の前身)教授緒方大象(のち九州大学医学部名誉教授)の長男として、長崎県に生まれる。父・大象は政治家緒方竹虎の実兄である。福岡県中学修猷館、旧制第五高等学校を経て、1952年九州大学医学部を卒業。五高時代から山岳部に所属し、九大在学中の1949年に福岡山の会に入会する。 1956年から1957年にかけて、第1次南極観測隊に医師として同行し、昭和基地建設を側面支援する。1959年九州大学医学部生理学教室に入局し、医学博士の学位を取得。1961年フロリダ大学、ロックフェラー医学研究所に留学し、1964年九州大学医学部助教授、1967年同教授に就任。
大沢 慶己(おおさわ よしみ、1926年3月6日-)は、日本… 大沢 慶己(おおさわ よしみ、1926年3月6日-)は、日本の柔道家、早稲田大学名誉教授。柔道で事実上の最高段位となっている十段の所有者(120年以上の柔道の歴史のなかで2006年現在、過去を含めて十段所有者は15名のみ)。柔道が初めて五輪正式種目となった1964年東京オリンピックの柔道競技コーチ、全日本柔道連盟国際試合選手強化委員会(女子)委員長、講道館女子部部長、早稲田大学柔道部師範、早稲田大学人間科学部教授を歴任。今日の日本および世界の柔道の隆盛にも大きく貢献した。2006年、早稲田大学スポーツ功労者表彰。
一松 信(ひとつまつ しん、1926年(大正15年)3月6日… 一松 信(ひとつまつ しん、1926年(大正15年)3月6日 - )は、日本の数学者。学位は、理学博士(1954年)。京都大学名誉教授。日本数学検定協会名誉会長。
岡 英雄(おか ひでお、1926年3月5日 - 2009年2… 岡 英雄(おか ひでお、1926年3月5日 - 2009年2月22日)は、日本の政治家。江別市長(1983年 - 1995年)。北海道江別市出身。 北海中学校卒業後、1943年志願兵として海軍土佐航空隊で飛行兵となり、復員後江別町役場に入庁。1952年に結婚し3児をもうける。同市の総務課長、財政課長、経済建設部長を経て、1970年から1982年まで助役の後1983年に江別市市長選にて江別市長に初当選。以後連続3期を務める。1995年に4期目を目指すも新人候補者小川公人に敗れ、落選。1996年には江別市から市政功労者に選ばれた。2009年2月22日、急性呼吸不全のため死去、82歳。死没日をもって従五位に叙される。
清水 卯一(しみず ういち、1926年3月5日 - 2004… 清水 卯一(しみず ういち、1926年3月5日 - 2004年2月18日)は日本の陶芸家。京都府京都市東山区五条生まれ。1985年人間国宝に認定。 1926年(大正15年)3月5日、京焼陶磁器卸問屋を営む生家の長男として誕生した。 11歳で父が急死したため、1938年(昭和13年)、家業を継ぐことを目的として立命館商業学校(後の新制立命館高等学校)に入学するも、作陶に興味を抱き同校を2年修了後の1940年に中退。14歳で石黒宗麿に師事し、通い弟子として陶芸を学ぶ。しかし国の戦時体制強化が影響したため弟子期間は数か月に終わり、その後は自宅にろくろ場を設け自作を開始した。 翌1941年国立京都陶磁試験場に伝習生として入所、同所では日根野作三、水町和三郎の指導を受けた。
江崎 正義(えざき まさよし、1926年3月5日 - )は、… 江崎 正義(えざき まさよし、1926年3月5日 - )は、和歌山県[1]出身の元プロ野球選手(外野手)。
林 徹(はやし てつ、1926年3月4日 - 2008年3月… 林 徹(はやし てつ、1926年3月4日 - 2008年3月20日)は、石川県出身の俳人、医師。本名哲夫。 山東省青島に生まれ、石川県金沢市にて育つ。金沢医科大学附属医学専門部を卒業ののち耳鼻科医。金沢、浜松、広島の病院で勤めた。 医局員時代の1950年、「風」に入会し沢木欣一に師事。1985年、「雉」を創刊、主宰。2000年、『飛花』により第40回俳人協会賞を受賞。代表句に「炎天や生き物に眼が二つづつ」「ちかぢかと馬の顔ある暮の秋」などがあり、即物具象を信条とした。句集に『架橋』『直路』『群青』『飛花』がある。 2008年3月20日、大腸癌により死去。82歳。
千住 文子(せんじゅ ふみこ、1926年〈大正15年〉3月4… 千住 文子(せんじゅ ふみこ、1926年〈大正15年〉3月4日 - 2013年〈平成25年〉6月27日)は、日本の教育評論家、エッセイスト。 夫は千住鎮雄。長男は千住博、二男は千住明、長女は千住真理子。父は角倉邦彦、祖父は角倉賀道。 東京都出身。日本女子専門学校国文科(旧制)を経て、共立女子大学家政学部生活科学科(新制)に一期生として入学。同大学を卒業後は高分子学会に勤務。その後、明治製菓株式会社に入社。同研究所薬品研究室研究員として抗生物質開発の研究に従事。経営工学者の千住鎮雄と結婚して退職。 芸術家三兄妹として知られる日本画家の千住博、作曲家の千住明、ヴァイオリニストの千住真理子を育てた。2000年に夫が他界した後、教育問題に関する講演会や執筆活動、テレビ・ラジオへの出演など多岐にわたって活躍。
長村 義郎(ながむら よしろう、1926年3月3日 - 20… 長村 義郎(ながむら よしろう、1926年3月3日 - 2013年5月9日)は、日本の経営者。小糸製作所社長、会長を務めた。 富山県出身。1947年に京都大学経済学部を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。1972年に小糸製作所常務に就任し、1979年6月に専務、1985年6月に副社長を経て、1992年7月には社長に就任。1997年6月に会長に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2013年5月9日肺炎のために死去。87歳没。
鈴木 満 (すずき みつる、1926年3月3日 - 2017… 鈴木 満 (すずき みつる、1926年3月3日 - 2017年5月29日) は、東京市深川区 (現:東京都江東区) 出身の詩人である。 3人兄弟 (妹1人、弟1人) の長男として東京市深川区で生まれた。太平洋戦争中は現在の茨城県稲敷市に疎開していた一方、1945年3月10日の東京大空襲で父母および弟が亡くなった。 1948年に中央大学経済学部を卒業し 、茨城県庁に入庁して県職員として勤務した。1969年に茨城文芸家協会 (現:茨城文芸協会) が創設され理事に就任、1991年より同協会の副会長に就任した。 褒章としては1981年に詩集『吉野』で茨城文学賞、1987年に詩集『翅』で第20回日本詩人クラブ賞をそれぞれ受賞。
今泉 正隆(いまいずみ まさたか、1926年〈大正15年〉3… 今泉 正隆(いまいずみ まさたか、1926年〈大正15年〉3月3日 - 2022年〈令和4年〉5月17日)は、日本の警察官僚。第72代警視総監。位階勲等は正四位勲二等。 佐賀県出身。佐賀高等学校を卒業。1947年12月、高等試験行政科試験に合格。1948年3月、東京大学法学部を卒業。内務省に入省し総理庁内事局に配属された。 以後、国家地方警察高知県本部警備部長、同警務部長、保安庁人事局人事課勤務、福岡県警察本部警備部外事課長、警視庁警備部警備課長、同警務部人事課長、高知県警察本部長、防衛庁防衛局第一課長、同防衛課長、警察庁警備局公安第一課長、同警務局人事課長、警視庁刑事部長、防衛庁人事教育局長、警視庁警務部長、同副総監、警察庁警務局長などを歴任。
宮城野 由美子(みやぎの ゆみこ、1926年3月2日 -)と… 宮城野 由美子(みやぎの ゆみこ、1926年3月2日 -)とは元宝塚歌劇団花組・星組主演娘役クラスで宝塚歌劇団卒業生の元女優である。本名は關キヨ子(せき・きよこ)。夫は映画監督の蔵原惟繕。東京都小石川区(現・文京区)出身。山形県立鶴岡高等女学校(現・山形県立鶴岡北高等学校)中退。
中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 200… 中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 2001年3月18日)は、日本の経営者、工学博士。日本板硝子社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年に逓信省に入社。1982年7月に日本板硝子に転じ、1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務を経て、1988年6月に社長に就任。1992年6月に副会長に就任し、1994年6月には相談役に就任。 1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2001年3月18日心不全のために死去。75歳没。
末松 謙一(すえまつ けんいち、1926年(大正15年)3月… 末松 謙一(すえまつ けんいち、1926年(大正15年)3月2日 - 2023年(令和5年)9月14日)は、日本の経営者。 三井銀行(現:三井住友銀行)社長、さくら銀行(現:三井住友銀行)頭取・会長を歴任し、三井住友銀行名誉顧問(2003年 ー死去まで)。その他、公益財団法人三井文庫代表理事・理事長を務めた。 明治から大正にかけて活躍し、逓信大臣、内務大臣などを歴任した政治家・末松謙澄の大甥(謙澄の弟・凱平の孫)。 東京大学卒業後、1948年帝国銀行(のちの三井銀行)に入社し、1976年に取締役となる。1988年には代表取締役社長に就任した。三井銀行の社長として太陽神戸銀行頭取の松下康雄と共に両行の合併を進め、1990年太陽神戸三井銀行(後のさくら銀行)の初代頭取に就任し、1991年から1992年まで全国銀行協会連合会会長を務めた。
吉永 猛(よしなが たける、1926年3月2日 - )は、日… 吉永 猛(よしなが たける、1926年3月2日 - )は、日本の競馬騎手、調教師。 1943年に日本競馬会(のち国営競馬、日本中央競馬会)で騎手デビュー。兵役を経て1947年より復帰し、1965年までに重賞3勝を含む通算276勝を挙げた。騎手引退後は調教師に転身し、1992年の阪神3歳牝馬ステークスを制したスエヒロジョウオーらを手がけた。1999年に定年引退。調教師通算成績は7493戦670勝、うちGI競走1勝を含む重賞13勝。 同じく中央競馬騎手・調教師であった吉永忍は従弟。自身の門下生であった川村禎彦は娘婿。 宮崎県北諸県郡高城町出身。近郊の三股町には競馬場があり、農家であった父と叔父は飼養する馬をそこで走らせていた。
岩佐 美代子(いわさ みよこ、1926年(大正15年)3月1… 岩佐 美代子(いわさ みよこ、1926年(大正15年)3月1日 - 2020年(令和2年)1月17日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(立教大学)。鶴見大学名誉教授。 父は法学者の穂積重遠。兄は西洋史学者の穂積重行。父方の祖父は法学者の穂積陳重。母方の祖父は陸軍軍人、政治家の児玉源太郎。父方の曾祖父は実業家の渋沢栄一。一家の間では渋沢似の顔と言われる。 1930年(昭和5年)頃から昭和天皇の第1皇女・照宮成子内親王に「宮仕え」し、前田美意子らとともに特に親しい学友のひとりだった。なお、学友として出仕するにあたり宮内省から辞令がくだされていた。1945年(昭和20年)女子学習院高等科卒業。 その後、厚生省勤務の医師岩佐潔(1922年(大正11年) - 1972年(昭和47年))と結婚、2児を儲けるが、1962年(昭和37年)国文学研究を志す。
浅野 勇(あさの いさむ、1926年〈大正15年〉3月1日 … 浅野 勇(あさの いさむ、1926年〈大正15年〉3月1日 - 2007年〈平成19年〉1月23日)は、日本の政治家。岐阜市長(3期)。
植野 修司(うえの しゅうじ、1926年3月1日 - 200… 植野 修司(うえの しゅうじ、1926年3月1日 - 2008年5月13日)は、日本のロシア文学者。京都大学名誉教授。文学博士。 滋賀県出身。1949年3月京都大学文学部言語学科卒。同年8月、同大学院博士課程満期退学、同月京都大学第三高等学校講師。1950年3月京都大学講師(吉田分校,兼ねて宇治分校勤務)、1956年4月同教養部助教授、1967年「ロシア諸年代記に於ける「過ぎし年月の物語」研究」で京大文学博士。1968年4月同教授。1989年定年退官、名誉教授。 日本ロシア文学会の創設に参画し、理事や関西支部長を歴任した。日本におけるロシア文学研究と、ロシア語教育をリードした功績により、2006年11月、瑞宝中綬章を受賞。
片山 晴平(かたやま せいへい、1926年3月1日 - 20… 片山 晴平(かたやま せいへい、1926年3月1日 - 2014年3月14日)は、日本の経営者。近畿車輛社長を務めた。 東京都出身。1947年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社した。1978年6月に近畿車輛常務に就任し、1983年6月に専務を経て、1984年6月に副社長に就任し、1986年6月には社長に昇格。1992年6月に取締役相談役を経て、1993年6月には相談役に就任。 1997年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 2014年3月14日、死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
安藤 哲郎(あんどう てつお、1926年(大正15年)3月1… 安藤 哲郎(あんどう てつお、1926年(大正15年)3月1日 - 2009年(平成21年)7月4日)は、昭和から平成初期の地方公務員、政治家。北海道網走市長(1974年-1998年)。 北海道常呂郡端野村(端野町を経て現北見市)出身。1951年(昭和26年)北海道大学法経学部卒。自治庁(総務省の前身の一つ)を経て北海道庁に入庁。1970年(昭和45年)同総務部次長。1971年(昭和46年)同網走支庁長に就任。網走支庁長在職中に網走市長選挙に出馬。1974年(昭和49年)網走市長に初当選。以後、連続6期務め、全国市長会副会長などにも就任した。 在任中は、東京農業大学や北海道立北方民族博物館を網走市に誘致し、女満別空港のジェット旅客機の発着化などに尽力。
石田 武(いしだ たけし、1926年(大正15年)3月 - … 石田 武(いしだ たけし、1926年(大正15年)3月 - 1989年(平成元年)4月15日)は、元NHKアナウンサー。 中外商業新報(現・日本経済新聞)の記者である父・石田武太郎は現在の大阪府富田林市出身で、先祖は紀州徳川家に仕えた武士であった。武はアメリカの牧場で働くべく陸軍の獣医を目指し、麻布獣医専門学校を卒業する。終戦後に大勢の獣医が復員したため職に就けず、GHQの在日米軍基地で家畜の世話をして糊口を凌いだ。その後、英語が活かせると考え、高い競争倍率のNHK報道員に応募し採用された。 最初に派遣された広島時代には、広島カープ創設時のラジオの実況を務め、名調子で知られたという。またプロ野球、高校野球、大相撲、サッカーなどの実況も担当した。
わちさんぺい(本名:中岡 二春(なかおか にはる)、1926… わちさんぺい(本名:中岡 二春(なかおか にはる)、1926年3月 - 1999年12月10日)は、広島県三次市出身の漫画家。 山梨航空技術学校(現:日本航空高等学校)卒業。1941年4月、陸軍飛行実験部(後の陸軍航空審査部)に入部し偵察隊に配属される。配属ひと月足らずで九五式三型練習機の整備を任される。その時は、専門の航空学校で学んだ知識と技術が認められた気がして嬉しくてたまらなかったという。 しかし、その九五式三型練習機の発動機の試運転の際、車輪止めを付け忘れて発動機を始動させたため、機体が前に進み、自動車に激突しプロペラと発動機を大破させてしまう重大事故を起こす。本人は「これで陸軍永久追放か」と覚悟したが、飛行実験部の隊長加藤敏夫大佐は「よしよし。