松谷 さやか(まつや さやか、1937年4月8日 - )は、… 松谷 さやか(まつや さやか、1937年4月8日 - )は、日本のロシア児童文学の翻訳家。 父は児童文学作家、詩人の山本和夫で、母は同じく児童文学作家、翻訳家の山本藤枝である(旧姓:山本 さやか)。 東京都渋谷区生まれ。1961年早稲田大学大学院露文科修士課程修了。早稲田大学少年文学会出身。修士課程の後、児童図書出版専門の小峰書店勤務(1964年まで)を経て、ロシア児童文学の翻訳・研究に従事。
長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 201… 長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 2018年11月25日)は、日本の漫画家、漫画評論家、小説家、エッセイスト、詩人、作詞家、元大垣女子短期大学・椙山女学園大学・中京大学・宇都宮アート&スポーツ専門学校等の講師。元日本マンガ学会理事。赤塚不二夫の長年のブレーン役。パロディ漫画におけるパイオニアとして知られる。日本の教育における漫画学科の草創期から関わっている人物でもある。 石森章太郎主宰の東日本漫画研究会の同人として、赤塚不二夫とデビュー前から交流していた。彼らがトキワ荘に入居すると通い組として参加。もともと現代詩を書く文学青年でもあり、江戸川邦生名義で小説も発表した。また、SF同人誌『宇宙塵』の初期からの会員でもあった。
巽 秀太郎(たつみ しゅうたろう、1937年4月7日 - )… 巽 秀太郎(たつみ しゅうたろう、1937年4月7日 - )は、日本の元俳優。京都府出身。 本名は坂井 秀太郎(さかい ひでたろう)。 大阪工業大学卒業。松竹ニューフェースで俳優デビュー。森繁自由劇団、東映、フリーランス期間を経て、さち子プロに所属していた。 1961年に『ナショナルキッド』で小嶋一郎に変わりナショナルキッド / 旗竜作役を演じ知名度をあげる。デビューからしばらくは精悍な顔つきであったが、役者活動後期は肉付きの目立つ体型に変化した。 1980年代中盤にラジオ番組に出演したのを最後に公の場から姿を消している。
中村 友太郎(なかむら ともたろう、1937年4月7日 - … 中村 友太郎(なかむら ともたろう、1937年4月7日 - )は、キリスト教学者、上智大学名誉教授。 1961年東京大学教養学部教養学科ドイツ科卒、同大学院比較文学比較文化博士課程中退、東洋大学講師、助教授、1979年上智大学文学部助教授、教授、2003年特任教授、2008年退任、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
園田 裕久(そのだ やすひさ、1937年4月6日 - )は、… 園田 裕久(そのだ やすひさ、1937年4月6日 - )は、日本の俳優、司会者、ナレーター。本名は同じ。 満洲国奉天市生まれ、大分県育ち。大分県立大分工業高等学校卒業。劇団東芸、劇団俳優小劇場、田村企画、オフィス三井を経て、三喜プロモーションに所属。 1957年に上京後、友人が芝居をやっていたことから自分も一緒に演劇の道に進む。 1968年、俳優小劇場入団(1972年退団)。 特技は動物の声帯模写。
別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4… 別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4月6日 - )は、劇作家、童話作家、評論家、随筆家である。名の正式な表記は實。サミュエル・ベケットの影響を受け、日本の不条理演劇を確立した第一人者である。日本藝術院会員。
崎山 理(さきやま おさむ、1937年4月6日 - )は、日… 崎山 理(さきやま おさむ、1937年4月6日 - )は、日本の人類学者・言語学者。国立民族学博物館・滋賀県立大学名誉教授。 1937年、大阪市生まれ。1962年、東京外国語大学フランス語学科卒業。1967年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1964-66年、インドネシア大学・ガジャ・マダ大学文学部給費留学。京都大学博士(文学)。 大阪外国語大学外国語学部・広島大学総合科学部助教授、国立民族学博物館助教授、同第5研究部教授、同民族文化研究部教授を経て、2001年、定年退職。1984-85年、パプアニューギニア大学(英語版)学芸学部客員助教授。1993-94年、総合研究大学院大学文化科学研究科長。
若生 智男(わこう ともお、1937年4月5日 - 2024… 若生 智男(わこう ともお、1937年4月5日 - 2024年6月3日)は、宮城県仙台市太白区出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、評論家。 兄には仙台商業高校元監督で宮城県野球連盟会長を務めた若生久二雄、弟には埼玉栄高校元監督の若生正廣がいる。東北高校時代は若生忠男(西鉄→巨人)・若生照元(中大→大洋)と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。 卒業後の1956年に毎日オリオンズへ入団し、8月23日の阪急戦(駒澤)に和田功・中西勝己の3番手で初登板。9月3日の大映戦(後楽園)では先発に起用されるが、5回途中で降板。 2年目の1957年は8月18日の大映戦(西京極)で初勝利を挙げ、10月23日から同24日の東映3連戦(駒澤)では2勝を記録。
吉田 喜昭(よしだ よしあき、1937年〈昭和12年〉4月5… 吉田 喜昭(よしだ よしあき、1937年〈昭和12年〉4月5日 - 2001年〈平成13年〉1月24日)は、日本の脚本家、絵本作家である。日本脚本家連盟信託者。生前は日本放送作家協会会員、東洋大学講師であった。『ムーミン』『昆虫物語 みなしごハッチ』等のテレビアニメーションの脚本家として知られ、『天才バカボン』『ど根性ガエル』『ジャングル黒べえ』『元祖天才バカボン』『ろぼっ子ビートン』ではメイン作家であった。 日本映画データベース等で混同されている、同時代に活動した脚本家の吉田義昭(1932年 - 1989年)は同音異字の別人、テレビドラマデータベース等で混同されている作詞家・作曲家の古田喜昭(1949年 - )は一字違いの別人。
田浦 直(たうら ただし、1937年〈昭和12年〉4月5日 … 田浦 直(たうら ただし、1937年〈昭和12年〉4月5日 - 2025年〈令和7年〉5月6日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(2期)。皮膚科医。医学博士(長崎大学)。 社会福祉法人橘会理事長、NPO法人長崎こども囲碁普及会理事長、長崎ペンクラブ会長、文芸誌「ら・めえる」発行人。 長崎県佐世保市出身。1962年(昭和37年)に長崎大学医学部を卒業し、長崎大学医学部助手、日本赤十字社長崎原爆病院皮膚科部長などを歴任した。 1969年(昭和44年)、長崎大学で医学博士を取得した。論文の題は「正常皮膚表面の水素イオン濃度に関する研究 」。 1975年(昭和50年)に田浦皮膚科診療所を開設。
郷 正文(ごう まさぶみ、1937年4月5日 - )は、現代… 郷 正文(ごう まさぶみ、1937年4月5日 - )は、現代ドイツ文学研究者。立教大学名誉教授。 中国・瀋陽市(旧満洲国 ・奉天市)に生まれる。吉林市、大連市に移住ののち、1947年鹿児島県出水市に引き揚げる。出水高等学校に入学して、鹿児島玉龍高等学校卒業。1957年東京大学教養学部入学。1962年東京大学文学部ドイツ文学科卒業。1962年東京都職員。1965年新潟大学人文学部助手に着任し、講師を経て、立教大学講師に転任して、助教授、教授を歴任。2003年定年退職。名誉教授。 ハンス・エーリヒ・ノサック、フランツ・カフカ、ペーター・ハントケに関する論文を「新潟大学人文科学研究」「立教大学ドイツ文学科論集『アスペクト』」「立教大学『研究報告〈人文科学〉』」に執筆する。
黒川 雅之(くろかわ まさゆき、1937年4月4日 - )は… 黒川 雅之(くろかわ まさゆき、1937年4月4日 - )は、愛知県名古屋市生まれの建築家・プロダクトデザイナー(金沢美術工芸大学博士)。日本建築学会会員。日本建築家協会会員。株式会社黒川雅之建築設計事務所主宰。株式会社デザイントープ主宰。
飯塚 十朗(いいづか じゅうろう、1937年4月4日 - )… 飯塚 十朗(いいづか じゅうろう、1937年4月4日 - )は、日本のアーチェリー選手、アーチェリー指導者。 アジアアーチェリー連盟副会長。群馬県出身。長野原高校、日本体育大学卒。 現役時代は選手として世界大会に3度出場を果たした。 現役を引退してからは、様々なアーチェリー大会の役員を務めた。 現在は、勤務先を定年退職し、アーチェリーの役員・指導者を務めている。 1980年モスクワオリンピックの日本選手団アーチェリー監督に就任するも、日本が不参加を決定したため、采配を取れずに終わった。 その後、日本アーチェリー連盟の重鎮として活躍し、アジアアーチェリー連盟副会長、全日本アーチェリー連盟副会長、全関西アーチェリー連盟会長、大阪府アーチェリー連盟会長、日本オリンピック委員会理事などの要職を歴任し、日本のアーチェリー界の発展に尽力した。
高柳 先男(たかやなぎ さきお、1937年4月3日 - 19… 高柳 先男(たかやなぎ さきお、1937年4月3日 - 1999年7月16日)は、日本の政治学者。専門は国際政治学。元中央大学法学部教授。平和学研究で知られ、日本平和学会会長を務めた。 愛知県生まれ。1956年愛知県立時習館高等学校卒業。1960年中央大学法学部政治学科卒業、1963年同大学院法学研究科修士課程修了。1966年同大学院法学研究科博士課程中退(指導教授:小松春雄)。中央大学法学部助手、1969年同法学部助教授、1976年同法学部教授。1979年同大学院法学研究科教授。1981年エクス=マルセイユ大学客員教授。1985年社会科学高等研究院客員教授。1987年フランス国立科学研究センター客員教授。
安藤 治久(あんどう はるひさ、1937年4月3日 - )は… 安藤 治久(あんどう はるひさ、1937年4月3日 - )は、静岡県伊豆の国市出身の元プロ野球選手(投手)。
岩崎 淑(いわさき しゅく、1937年(昭和12年)4月3日… 岩崎 淑(いわさき しゅく、1937年(昭和12年)4月3日 - )は、日本のピアニスト、教育者。桐朋学園大学大学院大学教授、尚美学園大学大学院客員教授、くらしき作陽大学、武庫川女子大学客員教授。第3回高松国際ピアノコンクールの音楽監督代行兼審査員長も務める。 岡山県倉敷市出身。設立当時まだ4年制になる前の桐朋学園を経て、アメリカハートフォード大学音楽学部、同ジュリアード音楽院、イタリアキジアーナ音楽院で学ぶ。井口秋子、井口基成、J.ラタイナ、B.ミケランジェリ、S.ロレンツィ、I.フロインドリッヒなどに師事。1967年ミュンヘン国際音楽コンクール、1968年ブダペスト国際コンクール、1970年チャイコフスキー国際コンクール(チェリストである弟の岩崎洸と共に受賞)をはじめ、世界の名だたる国際コンクールにて業績を残してきた。
久野 統一郎(くの とういちろう、1937年4月2日 - 2… 久野 統一郎(くの とういちろう、1937年4月2日 - 2020年1月8日)は、日本の政治家。位階は従四位。旭日重光章受章。 衆議院議員(3期)、国土政務次官、自治政務次官、自由民主党副幹事長。父は郵政大臣、衆議院議員を務めた久野忠治。 愛知県知多市に生まれる。東海中学校・高等学校から早稲田高等学院に転校。早稲田大学理工学部土木工学科卒業。 大学卒業後は日本鋪道(現NIPPO)、日本道路公団などに勤務し、高速道路などの道路工事の現場責任者として活躍する。竹下登の中部地区担当の私設秘書を務めた。 1990年2月18日に行われた第39回衆議院議員総選挙に、政界引退を表明した父忠冶の後継者として、自民党公認で旧愛知2区から立候補。
佐々木 康人(ささき やすひと、1937年4月2日 - )は… 佐々木 康人(ささき やすひと、1937年4月2日 - )は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(東京大学、1968年)。専門は放射線医学、核医学、保健物理学。国際連合によって設置された原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の議長(2004年-2005年)、日本代表(1997年-2006年)を務めた。in vitroおよびin vivoの核医学、分子イメージング領域における研究、とくに炭素同位体の医学応用で知られる。2007年瑞宝重光章受章。 東邦大学医学部教授、群馬大学医学部教授、東京大学医学部教授、放射線医学総合研究所理事長などを歴任した。また、国際放射線防護委員会(ICRP)の主委員会委員(2001年-2009年)、第三委員会委員(1993年-2001年)、日本核医学会理事長、放射線影響協会理事長なども務めた。
会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 201… 会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 2012年3月23日)は、山形県出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。 山形南高校では、1954年秋季東北大会県予選決勝に進むが米沢商に敗れる。翌1955年夏の甲子園予選東北大会に進出、しかし1回戦で福島商に敗退。卒業後は日本大学へ進学した。東都大学野球リーグでは在学中、3度優勝を果たす。1年生時の1956年秋季リーグでは、打率.351で首位打者を獲得し優勝に貢献。リーグ通算91試合出場、321打数86安打、打率.268、0本塁打、46打点。ベストナイン(三塁手)2回。大学同期に高木時夫捕手、黒木基康、笹木士朗(日本鋼管)両外野手らがいた。 1960年に中日ドラゴンズに入団。
高桑 昭(たかくわ あきら、1937年4月1日 - 2025… 高桑 昭(たかくわ あきら、1937年4月1日 - 2025年8月3日)は、日本の法学者・法務官僚・弁護士。学位は、法学博士(京都大学)。立教大学法学部教授・京都大学大学院法学研究科教授・帝京大学教授などを歴任。 東京市渋谷区生まれ。1955年東京都立小石川高等学校卒業、1959年司法試験合格、1960年東京大学法学部卒業。 1962年東京地方裁判所判事補、その後法務省民事局参事官(外務省条約局併任)、1968年コロンビア大学修士課程修了。1976年辞職。1988年立教大学法学部教授、1993年京都大学大学院法学研究科教授、2000年定年、帝京大学教授、2003年成蹊大学大学院法務研究科教授、2013年退職。
瓦 力(かわら つとむ、1937年〈昭和12年〉4月1日 ‐… 瓦 力(かわら つとむ、1937年〈昭和12年〉4月1日 ‐ 2013年〈平成25年〉1月13日)は、日本の政治家。位階は正三位。旧姓は戸島。 衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第45・62・63代)、建設大臣(第65代)、内閣官房副長官(政務担当・鈴木善幸内閣)、自由民主党国会対策委員長(第38代)を歴任した。 石川県七尾市出身。石川県立七尾高等学校、中央大学法学部卒業。 益谷秀次の秘書を経て地盤を後継。いわゆる防衛族議員とされる。岳父は元カワラ金属社長の瓦辰二。 1988年、潜水艦なだしお事件の責任をとって防衛庁長官を引責辞任する。辞任の翌日から日本中の三十数遺族すべてを線香を持って訪ね歩いた。
井上 英明(いのうえ えいめい、1937年4月1日 - )は… 井上 英明(いのうえ えいめい、1937年4月1日 - )は、比較文学者、明星大学名誉教授。 福岡県生まれ。福岡県立修猷館高等学校を経て、早稲田大学文学部卒業、早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程満期退学。明星大学日本文化学部教授、学部長を経て2007年定年退職。『源氏物語』の海外での受容が主たる研究主題。
箱崎 安弘(はこざき やすひろ、1937年4月1日 - )… 箱崎 安弘(はこざき やすひろ、1937年4月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。東北銀行頭取を務めた。 岩手県出身。1959年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年4月に東北銀行に入行した。1990年6月に取締役に就任し、1993年4月に常務、1998年6月に専務を経て、2000年6月には頭取に就任。2004年6月から2007年6月までに会長を務めた。 2007年4月に旭日小綬章を受章。
神崎 克郎(かんざき かつろう、1937年(昭和12年)4月… 神崎 克郎(かんざき かつろう、1937年(昭和12年)4月1日 - 2006年(平成18年)2月15日)は、日本の法学者。専門は商法。学位は法学博士(神戸大学・論文博士・1969年)。神戸大学名誉教授。叙正四位・受勲瑞宝中綬章。兵庫県出身。弟子に伊勢田道仁など。 商品取引所審議会委員、商品取引所審議会会長、公認会計士審査会委員、証券取引所審議会委員、証券取引審議会不公正取引特別部会委員、大学設置審議会専門委員、司法試験第二次試験考査委員、信託法学会理事、日本私法学会理事、日米法学会日本支部理事、日米法学会日本支部評議員、金融法学会理事、日本海法学会理事、村田奨学財団選考委員、信託協会信託研究奨励金選考委員、村田製作所社外取締役、証券保管振替機構社外取締役を歴任。
光延 博愛(みつのぶ ひろよし、1937年4月1日 - 没年… 光延 博愛(みつのぶ ひろよし、1937年4月1日 - 没年不明)は、日本のアニメーション演出家、アニメーション監督、アニメーターである。土田プロダクションに所属していた。福岡県大牟田市出身。 妻はスタジオ雲雀会長である光延幸子、息子はスタジオ雲雀社長の光延青児。 子供の頃から好きな漫画のイラストを模写することが好きで、中学入学後に漫画雑誌への投稿を始める。本人は一度、雑誌『漫画少年』に自分の作品が載ったことがあると話している。 多摩美術大学を卒業後、1959年(昭和34年)に東映動画に入社。当時は特にCMに興味を持っていなかったが、「これからは宣伝の時代。宣伝界にしがみついていれば何とか食っていけそう」と自分なりに考えて望んで、退社してフリーになる1966年(昭和41年)までCM課に配属されて勤務。
佐野 光司(さの こうじ、1937年4月1日 - )は、日本… 佐野 光司(さの こうじ、1937年4月1日 - )は、日本の音楽学者、現代音楽研究の第一人者。スクリャービン研究で名高い音楽学者。桐朋学園大学名誉教授。 東京藝術大学音楽学部楽理科卒業後、同大学大学院音楽研究科音楽学専攻修了、同大助手に就任。母校で講師を務めつつ、桐朋学園大学音楽学部教授を務める。 京都賞など数ある権威ある賞の選考委員を務めている。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
三平(さんぺい、1937年4月1日 - )は、大相撲の呼出。… 三平(さんぺい、1937年4月1日 - )は、大相撲の呼出。本名:伊藤三平。三重県一志郡一志町(現・津市)出身、高砂部屋所属。 小父は呼び上げの名人・多賀之丞。長兄も呼出であった(光之助)。 1950年9月初土俵。裁縫が得意で、呼出の袴の修繕を一手に引き受けていたという。 最終場所の初日の結びの一番で、柝の音を間違ったタイミングで鳴らしてしまうというハプニングがあった。
吉尾 弘(よしお ひろし、1937年(昭和12年)4月 - … 吉尾 弘(よしお ひろし、1937年(昭和12年)4月 - 2000年(平成12年)3月13日)は、日本の登山家。東京都墨田区錦糸町生まれ。第2次RCC同人。日本勤労者山岳連盟名誉会員。
米倉 弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 - 2… 米倉 弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 - 2018年11月16日)は、日本の実業家。位階は正三位。 学位は経済学修士(デューク大学・1965年)。住友化学株式会社相談役、一般社団法人日本経済団体連合会名誉会長、経済産業省産業構造審議会会長、住友化学工業株式会社(現住友化学株式会社)代表取締役社長・会長、社団法人日本経済団体連合会副会長、石油化学工業協会会長、社団法人日本化学工業協会会長、一般社団法人日本経済団体連合会会長(第3代)などを歴任した。 1937年3月31日、兵庫県神戸市長田区に生まれる。甲南高等学校を経て、1956年4月に東京大学法学部入学、1960年3月、東京大学法学部卒業後、住友化学工業(現住友化学)に入社する。
大庭 宏(おおば ひろし、1937年3月31日 - )は、長… 大庭 宏(おおば ひろし、1937年3月31日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 佐世保北高校から1955年にトンボユニオンズへ入団。 1956年に球団が吸収合併したため1957年は大映ユニオンズ所属となり同年引退。カーブ、シュートを武器とした。 弟の清は、のち西鉄に入団している。
藤林 英雄(ふじばやし ひでお、1937年3月31日 - )… 藤林 英雄(ふじばやし ひでお、1937年3月31日 - )は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト、ニュースキャスター、テレビプロデューサー。東京府(のちの東京都)出身。学習院大学政経学部卒業。 1961年4月にTBSへアナウンサー7期生として入社。1963年11月1日、アナウンサーの報道局への大量異動が行われ、同ニュース部に配属。1965年12月よりニュース取材部へ配属。1967年11月15日より、アナウンサー研修室設置に伴い報道局ラジオニュース部勤務兼アナウンサー研修室付となった。アナウンサーとしては、主にニュースを担当。 1970年7月にテレビ本部報道局ラジオニュース部配属となる。以降、1972年11月よりテレビニュース部兼ラジオ局ラジオニュース部、1974年3月より報道局編集部兼解説室委員、1986年7月より政経部に在籍し、その間報道記者・ニュースキャスター(1975年より)を務めた。
加藤 尚彦(かとう なおひこ、1937年3月31日 - )は… 加藤 尚彦(かとう なおひこ、1937年3月31日 - )は、日本の政治家。 元衆議院議員(1期)。横浜市会議員(5期)。自由民主党横浜市連幹事長、新党さきがけ神奈川県代表代行などを務めた。 現在、政治団体市民の党日本代表。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
相川 鐵崖(あいかわ てつがい、1937年3月30日 - 2… 相川 鐵崖(あいかわ てつがい、1937年3月30日 - 2023年10月19日)は、書家、書学者、美術史家、芸術家。東京学芸大学名誉教授。本名は相川 政行(あいかわ まさゆき)。 相川岩吉・志なの七人兄弟の三男として、神奈川県久良岐郡六浦荘村で生まれる[要出典]。横浜市出身。1955年、横浜市立金沢高等学校卒業、1959年、東京学芸大学中等教育特別教科教員養成課程書道科卒業、1960年、同大学専攻科(芸術・書道専攻)修了。 1961年、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校教諭、1977年、東京学芸大学教育学部助手。その後、専任講師、助教授を経て、1987年教授、2000年名誉教授。この間、法政大学通信教育部非常勤講師、日本大学文理学部非常勤講師、東京大学東洋文化研究所内地研究員など、また山東大学客員教授、西安交通大学客員教授などを務める。
万里 昌代(ばんり まさよ、本名:英 昌代、1937年3月2… 万里 昌代(ばんり まさよ、本名:英 昌代、1937年3月29日 - 不明)は、日本の女優。関東州大連出身。神奈川県横浜市育ち。 柔道教師の父を持ち幼い頃日本へ引揚の形で帰国。横浜の関東学院高等学校在学中に家庭よみうりのカヴァーガールになったのがきっかけで新東宝にスカウトされる。高校卒業後の1956年に、新東宝の四期スターレットとして入社。同期に北沢典子、三ツ矢歌子、原知佐子、朝倉彩子らがおり、小柄ながらも美人グラマー女優として人気を博した。1958年には『スター毒殺事件』で初主演。 1961年8月に新東宝が倒産したため、9月に大映へ移籍。翌年には市川雷蔵主演の『婦系図』でお蔦役を演じ知名度を得る。
村井 勝(むらい まさる、1937年3月29日 - )は、日… 村井 勝(むらい まさる、1937年3月29日 - )は、日本の実業家。兵庫県芦屋市出身。米カリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)経営学部大学院修士課程修了。米国IBM入社(1962年)N.Y.ミッドタウンオフィス勤務。1960年春、UCLAの入学手続きに行った際、受付の隣にはIBM社が寄付したウェスターンデータセンターがあり、中にはIBM7090が稼働していた。そのそばには江崎ダイオードが飾られていた。世界初の半導体コンピュータを目の当たりにして、深い感動を覚え、コンピュータ業界に骨をうずめる決心をした。当時、コンピュータの実物を目の当たりにした数少ない日本人であったろう。卒業後、米国IBMに入社し、30年間日米はじめ、カナダ、中南米、オーストラリア、アジアなどを担当した。
森 重昭(もり しげあき、英語: Shigeaki Mori… 森 重昭(もり しげあき、英語: Shigeaki Mori、1937年〈昭和12年〉3月29日 - 2026年〈令和8年〉3月14日)は、日本の歴史研究家である。日本本土空襲などで命を落とした連合国の捕虜に関する研究で知られる。 広島県広島市(現・広島市西区)に生まれる。中国憲兵隊司令部近くの済美学校幼稚園に入学する。国民学校(基町の広島陸軍偕行社付属済美国民学校)3年時に集団疎開に行かず広島市己斐の己斐国民学校(現・広島市立己斐小学校)に転校、1945年(昭和20年)8月6日の広島市への原子爆弾投下の瞬間、爆心地から西へ約2.5キロメートル地点の、自宅付近の旭山神社の前の橋の上を歩いていたときに被曝する。
伊藤 新造(いとう しんぞう、1937年(昭和12年)3月2… 伊藤 新造(いとう しんぞう、1937年(昭和12年)3月29日 - )は、日本の実業家。富士銀行常務取締役を経て、芙蓉総合リース、富士総合研究所社長等を務めた。 お笑い芸人のいとうあさこは長女。 東京府(現:東京都)出身。長男として生まれ、父は高岳製作所取締役の伊藤啓介、母は山岡勘一の長女伊藤みち。 麻布高校、東京大学法学部卒業後、1959年(昭和34年)4月に富士銀行(現:みずほ銀行)採用。当時の富士銀行では将来の幹部候補を10人程度に絞って育成していたが、伊藤はその一人だったという。支店長として本郷、九段支店など各地で勤務、1987年(昭和62年)6月には取締役に選任され人事部長、89年5月には本店営業第一部長、90年5月に常務取締役に昇格。
丸尾 常喜(まるお つねき、1937年3月29日 - 200… 丸尾 常喜(まるお つねき、1937年3月29日 - 2008年5月7日)は、日本の中国近現代文学者。東京大学東洋文化研究所名誉教授。 1939年、熊本県生まれ。東京大学文学部中国文学科で学び、1962年に卒業。大阪市立大学大学院修士課程に進み、1964年に中退。その後は熊本県立人吉高等学校教諭として教鞭を執った。 1968年、北海道大学文学部助手となり、1973年に助教授昇格。1990年より東京大学東洋文化研究所教授。1992年、学位論文『魯迅と伝統に関する基礎的考察』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1997年定年退官、名誉教授。2005-2008年日本中国学会理事長。2008年胃がんのため札幌市の病院で死去。
実相寺 昭雄(じっそうじ あきお、1937年3月29日 - … 実相寺 昭雄(じっそうじ あきお、1937年3月29日 - 2006年11月29日)は、日本の映画監督、演出家、脚本家、小説家。元東京藝術大学演奏芸術センター教授。妻は女優の原知佐子。 現在までのところ、デビュー作(長編映画第1作)『無常』でFIAPF(国際映画製作者連盟)公認の国際映画祭(ロカルノ国際映画祭)の最高賞を獲得した、唯一の日本人監督である。海外では非常に多く見られる、映画監督から継続的なオペラ演出を手掛けた人物としても日本で唯一であった。[要検証 – ノート] 1937年(昭和12年)3月29日、東京府東京市四谷区(現・東京都新宿区四谷)に生まれ、中国青島で育つ。曽祖父は臼杵藩士であった。
八木 甫(やぎ はじめ、1937年3月29日 - 1996年… 八木 甫(やぎ はじめ、1937年3月29日 - 1996年6月18日)は日本の経済学者、翻訳家、経済ジャーナリスト。 専攻は現代経済分析。経済への政治な介入について、日米英の国際比較を行った。 東京都出身。1960年早稲田大学政治経済学部卒。東洋経済新報社に勤務する傍ら翻訳業を始め、1970年には日本総合研究所主任研究員兼『季刊現代経済』編集室長に就任。1985年には松阪大学経済学部助教授に採用され、1991年に教授に昇進。1996年に癌で死去した。最後の訳書は吉野俊彦との共訳で死後に出版された。
村井 仁(むらい じん、1937年3月28日 – )は、日本… 村井 仁(むらい じん、1937年3月28日 – )は、日本の通産官僚、政治家。
赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あか… 赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あかせがわ かつひこ)、1937年3月27日 - 2014年10月26日)は、日本の前衛美術家、随筆家、作家。 純文学作家としては尾辻 克彦(おつじ かつひこ)というペンネームがある。「尾辻」は父方の親戚の苗字に由来する[要ページ番号]。 神奈川県横浜市中区本牧町生まれ。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。 兄は直木賞作家の赤瀬川隼。姉の赤瀬川晴子は帽子作家。また、外交官の西春彦は父のいとこにあたる。姪(隼の長女)は『人麻呂の暗号』の著者である藤村由加の一人。 2006年4月より、武蔵野美術大学日本画学科の客員教授を務めていた。
中野 忠良(なかの ただよし、1937年3月27日 - )は… 中野 忠良(なかの ただよし、1937年3月27日 - )は、日本のジャーナリスト、文筆家。 大分県東国東郡国東町生まれ。筆名・宮梵児。1959年國學院大學政経学部卒。雑誌記者を経て、1965年からフリー。 おいしい水の会事務局長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009… 和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009年6月22日)は、大分県臼杵市出身(鹿児島県生まれ)のプロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ・監督、評論家。 1955年から1956年までの登録名は和田 博美。 鹿児島で生まれたが、父親の転勤で幼少時に臼杵へ転居。小学校5年から捕手となり、臼杵高校でも野球部に入部するが、父が「息子を医者にさせたい」と考えており一旦退部。後に「血を見るのは苦手だった」という事情で野球部に復帰。捕手として2年次の1953年に秋季九州大会へ進むが、1回戦で長崎商に延長15回サヨナラ負け。3年次の1954年も夏の甲子園県予選を勝ち抜き東九州大会に進出するが、1回戦で黒木基康のいた高鍋高に完封を喫し、甲子園には届かなかった。
和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009… 和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009年6月22日)は、大分県臼杵市出身(鹿児島県生まれ)の元プロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ・監督、評論家。
江原 達怡(えはら たつよし、1937年3月26日 - 20… 江原 達怡(えはら たつよし、1937年3月26日 - 2021年5月1日)は、日本の俳優、実業家。血液型はA型。東京府出身。慶應義塾大学卒。 劇団の地方巡業に参加していたのを経て、1948年に『鐘の鳴る丘』に子役で出演。その後東宝へ入社し、久保明らと共に若手青春スターとして活躍。 1961年にスタートした『若大将シリーズ』では、若大将の友人・江口役でレギュラー出演。加山雄三らと共に若々しい演技に加え、清潔感ある都会派の好青年役で人気を集めた。 その他、黒澤明監督の『椿三十郎』、『赤ひげ』などの名作に出演。岡本喜八監督作品の常連として、『独立愚連隊』、『江分利満氏の優雅な生活』などにも助演し、印象を残した。
小林 弘忠(こばやし ひろただ、1937年3月26日 - 2… 小林 弘忠(こばやし ひろただ、1937年3月26日 - 2017年7月)は、日本のノンフィクション作家。 東京生まれ。1960年早稲田大学教育学部卒業、毎日新聞東京本社に入社。社会部、地方版編集長、情報調査部長、メディア編成本部長などを歴任する。 1992年退社後、2002年まで立教大学、武蔵野女子大学などで講師のかたわら、ノンフィクションを中心とした執筆活動を続ける。 2006年『逃亡―「油山事件」戦犯告白録』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
千波 丈太郎(せんば じょうたろう、1937年3月25日 … 千波 丈太郎(せんば じょうたろう、1937年3月25日 - )は、日本の俳優。本名:小野 貞夫。 大阪府出身。清風高等学校、拓殖大学 政経学部経済学科卒業。日活、大映を経て、田中プロモーションに所属していた。 大学を卒業した後、オーディションを経て1959年に第7期ニューフェースとして新東宝に入社し、1960年に映画『大虐殺』でデビュー。同年、日活に移籍して“鹿島貞夫”名義で数本の映画に出演した後、1962年に大映と専属契約を結ぶ。悪役俳優として頭角を現し、粗暴なヤクザからニヒルな殺し屋までの数々を演じたことから、大映作品に欠かせない顔となる。 大映倒産後の1970年代からはテレビに活路を見出し、東映を中心に各社のアクションドラマにも多数出演。
柴田 秀勝(しばた ひでかつ、1937年3月25日 - )は… 柴田 秀勝(しばた ひでかつ、1937年3月25日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター、演出家。
樽本 樹邨(たるもと じゅそん、1937年3月25日 - 2… 樽本 樹邨(たるもと じゅそん、1937年3月25日 - 2025年12月23日)は、日本の書家。本名は樽本英信(たるもと ひでのぶ)。中京大学名誉教授。日展名誉会員、読売書法会顧問。日本藝術院賞受賞者。 名古屋市に生まれる。中京商業高校在学中は野球部に所属し、所属中の1954年に同部は全国高等学校野球選手権大会で優勝を果たしたが、部員のレベルが高く、樽本自身はボールさえ持たせてもらえなかった立場であり、のちに書道部へ移った。書道部では中林子鶴の指導を受け、張猛龍碑の書写を重ねたことが、その後の書業の基礎になったと回想している。 中京大学商学部を1960年に卒業した。その後、中京商業高校教諭、中京大学文学部講師、助教授、教授を務め、のちに中京大学名誉教授となった。