河合 伊六(かわい いろく、1928年3月13日 - 200… 河合 伊六(かわい いろく、1928年3月13日 - 2007年10月4日)は日本の臨床心理学者。学校心理士。学位は、文学博士(広島大学・1976年)(学位論文「知覚・運動学習過程における個人差の類別 」)。広島大学名誉教授。専門は教育臨床心理学。大分県生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
山田 孝一郎(やまだ こういちろう、1928年3月12日 -… 山田 孝一郎(やまだ こういちろう、1928年3月12日 - )は、日本の建築工学者。福井大学名誉教授。工学博士(東京工業大学、1962年)。専門は建築学・構造力学。 石川県出身。1945年、石川県立大聖寺中学校卒業。1950年、東京工業大学建築学科卒業。1954年、福井大学講師。1958年、福井大学助教授。1964年、福井大学教授。1993年、福井大学名誉教授。2004年、日本建築学会名誉会員。2008年、瑞宝中綬章受章。
花登 筺(はなと こばこ、1928年〈昭和3年〉3月12日 … 花登 筺(はなと こばこ、1928年〈昭和3年〉3月12日 - 1983年〈昭和58年〉10月3日)は、日本の小説家、脚本家。本名は、花登 善之助(はなと ぜんのすけ)。 1928年(昭和3年)滋賀県大津市上北国町(現・長等1丁目)の近江商人の家に生まれる。旧姓名・川崎善之助。花登家へ嫁いだ姉・八重の養子となり、花登姓に改めた。滋賀県立大津商業学校を経て、同志社大学商学部に進学。 1947年(昭和22年)北国町青年団の一員として演劇活動を始める。1948年(昭和23年) 大津で自主劇団人間座の結成に参加。その後「文芸座」を設立し、地元の芝居小屋や大津市中央公民館などで文芸作品を上演する。1951年(昭和26年)同志社大学商学部卒業。
石塚 輝雄(いしづか てるお、1928年(昭和3年) 3月1… 石塚 輝雄(いしづか てるお、1928年(昭和3年) 3月12日 - 2021年(令和3年)6月10日)は、日本の政治家。元東京都板橋区長。位階は正五位。旭日小綬章。 茨城県出身。1953年(昭和28年)中央大学法学部卒業。 1948年(昭和23年)東京都民生局総務課勤務、ついで杉並福祉事務所庶務課庶務係長、大田児童学園長、精神薄弱者更正相談所長、総務局行政部災害対策課長、総務局行政部指導課長、板橋区総務部長、総務局同和対策部長、中央卸売市場管理部長、総務局理事を歴任し、1979年(昭和54年)板橋区助役に就任。1991年(平成3年)同区長に就任した。2007年(平成19年)引退。同年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 … 渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 - 1996年〈平成8年〉8月4日)は、日本のコメディアン、俳優、歌手。本名:田所 康雄(たどころ やすお)。 代表作『男はつらいよ』シリーズで、柴又育ちのテキ屋で風来坊の主人公「車 寅次郎」を演じ、「寅さん」として広く国民的人気を博した昭和の名優。 没後に国民栄誉賞を受賞している。 1928年3月10日、東京府東京市下谷区(現:台東区下谷)で、地方新聞の記者をしていた父・友次郎と、元小学校教諭で内職の封筒貼りをする母・タツとの間に次男として生まれる。兄・健一郎がいる。 1934年11月、板橋尋常小学校に入学。1936年、一家で板橋区志村清水町に転居し、志村第一尋常小学校へ転入。
岡田 善雄(おかだ よしお、1928年3月10日 - 200… 岡田 善雄(おかだ よしお、1928年3月10日 - 2008年1月16日)は、日本の医学者(細胞工学)、医師。位階は従三位。勲等は勲一等。大阪大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者。 大阪大学微生物病研究所教授、大阪大学細胞工学センターセンター長、財団法人千里ライフサイエンス振興財団理事長などを歴任した。 広島県呉市出身の細胞生物学者である。バイオテクノロジーの基本技術である「細胞融合現象」を発見した細胞工学のパイオニアとして知られている。大阪大学名誉教授。 大阪大学微生物病研究所助手となった後の1955年、ウイルスをがん細胞に注射したところ、見たこともない巨大細胞ができた。「生物の細胞は互いに細胞膜で隔てられ、受精などを除いて合体はありえない」という生物学の常識を覆す大発見の瞬間だった。
奥平卓(おくだいら たかし、1928年3月10日 - )は、… 奥平卓(おくだいら たかし、1928年3月10日 - )は、日本の中国文学者。北海道情報大学教授を歴任。 東京生まれ。東京都立大学 (1949-2011)大学院中国文学科修士課程修了。高校教諭、短大教師、北京外国語師範学院教員、北海道情報大学教授を歴任。
嶌村 剛雄(しまむら つよお、1928年3月10日 - 19… 嶌村 剛雄(しまむら つよお、1928年3月10日 - 1994年6月4日)は、日本の会計学者。元明治大学教授(在職死亡)。 熊本市出身。立教大学卒、同大学院経済学研究科博士課程満期退学、1977年「会計上の資産概念に関する研究」で、明治大学より経営学博士の学位を取得。明治大学経営学部助教授、教授を務め、在任中に66歳で死去した。
荒木 幸雄(あらき ゆきお、1928年〈昭和3年〉3月10日… 荒木 幸雄(あらき ゆきお、1928年〈昭和3年〉3月10日 - 1945年〈昭和20年〉5月27日)は、群馬県桐生市出身の大日本帝国陸軍軍人、操縦士、陸軍特別攻撃隊第72振武隊員。 「子犬を抱いた少年兵」(右図)の写真で知られる。 1928年(昭和3年)3月10日、桐生市宮前町で菓子屋を営む荒木丑次・ツマの次男として生まれる。 1940年(昭和15年)3月、桐生市西小学校を卒業。翌年、太平洋戦争(大東亜戦争)が始まる。 1943年(昭和18年)3月5日、海軍飛行予科練習生(予科練)試験に合格するも、その後の入隊時の身体検査で不合格となった。そのため体を鍛えて同年8月に陸軍少年飛行兵(15期乙)試験を受けて合格。
土方 巽(ひじかた たつみ、1928年〈昭和3年〉3月9日 … 土方 巽(ひじかた たつみ、1928年〈昭和3年〉3月9日 - 1986年〈昭和61年〉1月21日)は、日本の舞踊家、振付家、演出家、俳優。暗黒舞踏の創始者として、国際的に知名度の高い舞踊家である。 『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』土方巽 著、吉増剛造 筆録(書肆山田、1992年) あんま(1963年・2007年、白黒、20分) バラ色ダンス(1965年・2007年、白黒、13分)
片方 善治(かたがた ぜんじ、1928年3月9日 - )は、… 片方 善治(かたがた ぜんじ、1928年3月9日 - )は、日本の電気技術者、電気通信学者、システム工学者、文筆家、翻訳家。成安造形大学名誉教授。 情報文化学会会長、名誉会長。高崎商科大学客員教授、金城学院大学特任教授、日本DEVNET協会会長。 専門の電気通信以外にも、ビジネス書、子供向け、伝記、英語、酒、話し方、仏教などについて多くの一般向け著作をなしている。 書道の雅号は片方 大幹。 岩手県北上市生まれ。 カーネギーメロン大学卒業後、同大学院電子工学専攻修士課程修了、コロンビア大学大学院通信システム工学専攻修士課程修了。1966年「狭帯域符号化変調方式に関する研究」で北海道大学工学博士。日本電信電話公社勤務、1960年同計画局のち、工学院大学講師、1969年助教授。
石田 穣一(いしだ じょういち、1928年3月8日 - 20… 石田 穣一(いしだ じょういち、1928年3月8日 - 2023年1月17日)は、日本の元裁判官で、沖縄キリスト教短期大学教授なども務めた。鉄道愛好家としても知られ、ゆたか はじめの筆名による著書もある。 東京市神田区に生まれる。父・石田寿、祖父・石田精一はともに裁判官で、穣一が少年であった1936年から1937年にかけて、父は広田弘毅の首相秘書官を務めていた。 旧制・成蹊高等学校(20回生)卒業。 1951年に東京大学法学部卒業後、裁判官となり、東京地方裁判所、那覇地方裁判所長、宇都宮家庭裁判所、東京高等裁判所勤務を経て、福岡高等裁判所長官、東京高等裁判所長官を歴任し、1993年に退官した。東京高等裁判所判事であった1984年には、柏の少女殺し事件差戻審で裁判長として少年側の保護処分取消申立てを棄却した。
一色 義子(いっしき よしこ、1928年3月8日 - )は、… 一色 義子(いっしき よしこ、1928年3月8日 - )は、日本の新教神学者、翻訳家。元恵泉女学園理事長。 東京府に一色乕児と妻ゆり(河井道の弟子)の娘として生まれる。 恵泉女学園高等学校を経て、学習院大学文学部卒、東京神学大学卒、同大学院修了。ボストン大学神学部フルブライト留学生。サンフランシスコ神学大学で博士号取得。 恵泉女学園大学講師、助教授、教授、理事、理事長を務めた。日本キリスト教婦人矯風会会長。日本基督教団経堂緑岡教会協力牧師。日本聖書協会、アジア学院、興望館など各理事。2009年キリスト教功労者。 夫は一色尚次(旧姓・馬杉)。
成瀬 治(なるせ おさむ、1928年〈昭和3年〉3月8日 -… 成瀬 治(なるせ おさむ、1928年〈昭和3年〉3月8日 - 2016年〈平成28年〉8月26日)は、日本の歴史学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 1928年生まれ。東京大学文学部西洋史学科を卒業。 1958年、北海道大学助教授に就いた。1968年に東京大学文学部助教授となり、1973年に教授昇格。1989年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。 2016年8月26日、死去。88歳没。 専門は中近世ドイツ史、ヨーロッパ近代政治思想史、近世国制史、マルティン・ルターらキリスト教思想史。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
黒沢 智子 (くろさわ ともこ、旧姓:石井、1928年3月8… 黒沢 智子 (くろさわ ともこ、旧姓:石井、1928年3月8日 - ) は、東京都出身のバレエダンサー・バレエ教師。戦後の黎明期にバレリーナとして活躍した後、1954年から盛岡市内でバレエ教室を主宰して数多くの舞踊手を育てた。 青森師範学校卒の教育者の三女として東京・尾久町に生まれる。8歳でダンスを習いはじめ、武蔵野高等女学校ではダンス部に所属して石井小浪の指導を受ける。その後日本女子体専でダンスの専門教育を受けた。戦時中は日本にバレエ教師がほとんど存在しなかったため、黒沢が習ったのは素足による西洋舞踊であった。 戦後の1947年、小牧正英と谷桃子によるバレエ 『薔薇の精』 を見て初めてバレエを志す。
樋口 篤三(ひぐち とくぞう、1928年3月8日 - 200… 樋口 篤三(ひぐち とくぞう、1928年3月8日 - 2009年12月26日)は、日本の労働運動家、社会運動家、ジャーナリスト。 静岡県沼津市出身。旧制静岡県沼津商業学校、 海軍甲種飛行予科練習生を経て、横浜高等商業学校を卒業。1947年から労働運動に参加し、産別会議東芝堀川町労組書記や日本共産党専従などを務めた。権力・資本からは五回首を切られ、共産党からは二回除名(1951年3月、1965年2月)されたとされる。 ベトナム反戦運動期には共産主義労働者党の中心メンバーであり、1971年の分裂時には春日庄次郎などと労働者革命派(後の労働者党全国委員会)を結成して議長に就任した。 1975年から1986年、雑誌『季刊労働運動』代表を務めた。
木暮 山人(こぐれ やまと、1928年3月7日‐1998年5… 木暮 山人(こぐれ やまと、1928年3月7日‐1998年5月26日)は、日本の歯科医・政治家。参議院議員(2期)。 新潟県新発田市出身。旧制新発田中を経て日本歯科医学専門学校を1949年に卒業。更に法政大学法学部に進学し、1951年に卒業した。その後、日本歯科大学歯科薬理学教室研究生として在学,歯学博士の学位を取得する。 政治に早くから関心を持ち、法政大学在学中に亜細亜青年連盟を結成して1953年の総選挙に立候補。この時は得票が法定得票数にも満たず泡沫候補に終わるが、その後5回も総選挙に出馬し続けて得票を伸ばし続けた。その一方で歯科医として歯友会歯科技術専門学校の創設に関わり、歯科技工から実業界にも進出。
角 梨枝子(すみ りえこ、1928年3月7日 - 2005年… 角 梨枝子(すみ りえこ、1928年3月7日 - 2005年10月12日)は、日本の女優。 本名は角 泰枝(すみ やすえ)。広島県広島市翠町(現・南区)出身。父親は広島文理科大学数学教授だった。五人姉妹の末女。広島文理科大学付属小学校ー広島第一高女(現・広島皆実高校)を経て、1945年、神戸女学院音楽部に進学したが、同年8月帰郷したおり被爆したため中退。1947年大阪音楽大学進学。翌1948年、初代・ミスヒロシマに選定され、東宝からスカウトされて映画界入り。豊田四郎監督の『エデンの海』の主役に抜擢されるが、東宝争議により製作中止された。 同郷の杉村春子と親交があり、演技力をつけるため文学座の研究生として1年在籍。
大河内 昭爾(おおこうち しょうじ、1928年3月7日 - … 大河内 昭爾(おおこうち しょうじ、1928年3月7日 - 2013年8月15日)は、日本の文芸評論家、武蔵野大学名誉教授。専攻は日本近代文学の研究、特に日本近代文学への仏教の影響(他力思想の影響について)及び近代日本文学と風土との関わりについての研究。 鹿児島県鹿児島市生まれ(本籍宮崎県都城市)。 丹羽文雄主宰の同人誌『文学者』に所属して評論を書いた。同じ雑誌の吉村昭とは親友関係。 1981年から2008年12月号まで雑誌『文學界』の同人誌評を担当し、現代文学に取り組む全国の多くの文学愛好者への指導的役割、作品誕生への励ましを続け、新たな書き手として村田喜代子ら多くの作家の誕生を手助けした。 雑誌『食食食』(みき書房)、『食の文学館』(紀伊国屋書店)など文学と食を結ぶ季刊誌を主宰して、風土と食の文学の研究を20年以上継続。
高垣 佑(たかがき たすく、1928年(昭和3年)3月7日 … 高垣 佑(たかがき たすく、1928年(昭和3年)3月7日 - 2009年(平成21年)5月24日 )は、日本の銀行家。東京銀行頭取、東京三菱銀行初代頭取を務めた。 東京出身。1953年に東京大学経済学部を卒業し、同年に東京銀行に入行した。 ハーバード大学への留学、アジア開発銀行出向を経て、国際投資部次長、同副部長、同部長、企画部長を歴任。 1979年6月に取締役に選任。取締役欧州駐在兼ロンドン支店長委嘱、常務、専務、副頭取を経て、1990年6月には頭取に就任した。 1996年4月に三菱銀行との合併に伴い、東京三菱銀行初代頭取となり、1998年1月に会長、2000年6月に相談役、2006年7月からは特別顧問を務めた。
しかた しん(本名・四方晨(読み同じ)、1928年3月6日 … しかた しん(本名・四方晨(読み同じ)、1928年3月6日 - 2003年12月7日)は、日本の児童文学作家・劇作家。 1928年日本統治時代の朝鮮京城府(現:ソウル特別市)生まれ。 父は京城帝国大学教授、岐阜大学学長、愛知県立大学学長を歴任した朝鮮社会経済学者の四方博。母は洋画家、四方れい。 第二次世界大戦の日本敗戦に伴い引き上げ、愛知大学卒業後、中部日本放送に勤務する。児童番組のディレクターを務めながら、1973年に児童劇団「うりんこ」を創設。1982年まで代表、のち名誉代表。愛知大学短期大学部教授を務めた。 2003年12月7日、入院先の名古屋市昭和区内の病院にて、呼吸器不全により75歳で死去。
千葉 馨(ちば かおる、1928年3月6日 - 2008年6… 千葉 馨(ちば かおる、1928年3月6日 - 2008年6月21日)は、日本のホルン奏者。NHK交響楽団の首席ホルン奏者を長く務め、「バーチ」の愛称でも知られた。妻はピアニストの本荘玲子。 大分県別府市出身。7歳からヴァイオリンを学び、中学校(旧制)在学中にラッパ鼓隊の一員となってホルンを学んだ。東京音楽学校に進み、在学中に日本交響楽団(現:NHK交響楽団)の研究員となり、1949年に卒業すると同時に同楽団の正団員となった。 1956年から1958年まで渡欧、デトモルト音楽大学のグスタフ・ノイデッカーおよびフィルハーモニア管弦楽団のデニス・ブレインに師事した。 日本のホルン奏者の草分け的な存在で、NHK交響楽団の首席奏者として長く活躍した。
松本 勝明(まつもと かつあき 1928年(昭和3年)3月5… 松本 勝明(まつもと かつあき 1928年(昭和3年)3月5日 - )は、元競輪選手。現在は日本競輪学校名誉教諭。京都府出身。
佐藤 義和(さとう よしかず、1928年3月5日 - 200… 佐藤 義和(さとう よしかず、1928年3月5日 - 2003年3月25日)は、日本の経営者。日動火災海上保険社長、会長を務めた。新潟県出身。 1952年に東京大学法学部を卒業し、同年に日動火災海上保険に入社。1971年6月に取締役に就任し、1973年6月に常務、1977年7月に専務を経て、1978年7月に副社長に就任し、1982年2月には社長に昇格。1988年6月に会長に就任し、1995年6月に名誉相談役に就任。 1992年11月に藍綬褒章を受章。 2003年3月25日肺炎のために死去。75歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
坂田 浩一(さかた こういち、1928年3月5日 - 200… 坂田 浩一(さかた こういち、1928年3月5日 - 2006年9月28日)は、日本の経営者。日本テレコム社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1951年に早稲田大学理工学部機械工学科を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社。1983年11月に常務理事に就任し、1985年6月に理事兼技師長を経て、1986年12月に鉄道通信(のちの日本テレコム)社長に就任。1998年6月に会長に就任。 1998年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2006年9月28日肺炎のために死去。78歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
藤本 安騎生(ふじもと あきお、1928年3月4日 - 20… 藤本 安騎生(ふじもと あきお、1928年3月4日 - 2014年3月25日)は、日本の俳人。本名は井戸茂(いど しげる)。 兵庫県川西市生。関西大学法律学科卒。1979年、「運河」入会、右城暮石に師事。1982年、「運河」同人。2001年、「晨」同人。2003年、『深吉野』により第43回俳人協会賞。奈良を拠点に活動した。句集に『耳石』『夢の淵』『深吉野』『高見山』。2014年3月25日、心筋梗塞で死去。86歳。
渡辺 貢(わたなべ みつぐ、1928年3月4日 - 2022… 渡辺 貢(わたなべ みつぐ、1928年3月4日 - 2022年6月12日)は日本の官僚、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日朝協会代表理事、埼玉中央医療生協顧問、日本共産党埼玉県副委員長。 東京都出身。中央大学法学部を卒業後、大蔵省事務官を経て1979年の衆院選で埼玉1区から出馬し初当選を果たす。以後1980年の衆院選でも再選されるが、1983年の衆院選で次点に終わり、その後返り咲きはできなかった。 議員在任中の1982年2月25日、衆院予算委員会にて中曽根康弘行政管理庁長官(当時)が1980年の総選挙に際し、富士通や日立製作所から違法献金を受け取っていたことを明らかにした。 2022年6月12日、埼玉県内の病院で死去。
黒田 義之(くろだ よしゆき、1928年〈昭和3年〉3月4日… 黒田 義之(くろだ よしゆき、1928年〈昭和3年〉3月4日 - 2015年〈平成27年〉1月22日)は、日本の映画監督、特撮監督。 1928年(昭和3年)、愛媛県松山市生まれ。京都市立太秦小学校の同級生には、森田富士郎がいた。子供の頃、映画の子役を務めていた関係で、京都太秦にあった新興キネマ撮影所や、片岡千恵蔵が主宰した千恵プロの映画作品に多数出演した。 立命館大学理工学部数学科卒業。この時は子役時代の経験もあって「撮影所には入らないで、教員になろう」と思っていたことから、しばらく京都府立嵯峨野高等学校(当時は女学校だった)で数学教師を務めた。 1950年(昭和25年)、レッドパージの影響で大映京都撮影所の助監督が7人も退社して急遽助監督を募集していたこともあり、また叔父が伊藤大輔と稲垣浩で、また父親が映画会社大映で製作主任を務め、母親の弟がカメラマンの牧浦地志であるということもあって、大映の入社試験を受け合格。
森下 敬一(もりした けいいち、1928年3月3日 - 20… 森下 敬一(もりした けいいち、1928年3月3日 - 2019年12月31日)は、日本の医学医師。血液生理学の立場から、現代医学の疑問点に対し実験的な検証を重ね、「自然医学理論」を確立した。 自身の自然医学理論に基づき、森下自然医学として現代医学とは一線を画した治療法(自然医食療法)を指導し、終生に亘りガンをはじめとする慢性病患者を改善へと導いた。 国際自然医学会会長、お茶の水クリニック院長、グルジア・トビリシ国立医科大学名誉教授、グルジア長寿学会名誉会長、アブハジア長寿学会名誉会長、アルメニア長寿学会名誉会長、瀋陽薬科大学客員教授、吉林省氣功保健研究所客員教授(名誉所長)、吉林省中医中薬研究院・老年医学研究所顧問、中国保健食品協会・抗衰老学会名誉理事、黒竜江省非薬物治療研究中心名誉院長、広西抗衰老科学技術学会顧問、広西巴馬長寿研究所名誉所長などを務めた。
幸田 重教(こうだ しげのり、1928年 <昭和3年> 3月… 幸田 重教(こうだ しげのり、1928年 <昭和3年> 3月3日 - 2017年 <平成29年> 10月26日)は、日本の経営者。三井石油化学工業(現在の三井化学)社長、三井化学会長を務めた。位階は正四位。旭日重光章。 東京都出身。1950年に東京大学工学部を卒業し、同年に日産化学工業に入社。1962年に三井石油化学工業に転じ、1979年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1993年6月には社長に昇格。1997年10月に合併で発足した三井化学会長に就任した。 1992年4月に藍綬褒章を受章。 2017年10月26日急性大動脈解離のために死去。
伊藤 茂(いとう しげる、1928年3月2日 - 2016年… 伊藤 茂(いとう しげる、1928年3月2日 - 2016年9月11日)は、日本の政治家。 運輸大臣(第67代)、衆議院議員(8期)、日本社会党政策審議会長(第12代)、社会民主党副党首、同幹事長、同政策審議会長を歴任した。 山形県最上郡舟形町出身。舟形小学校、新荘中(現:山形県立新庄北高等学校)を経て、陸軍予科士官学校在籍(久保亘、高沢寅男、奥田敬和らと同期)。復員し旧制山形高等学校を経て、1952年東京大学経済学部経済学科を卒業。大学在学中に日本社会党に入党し、恩師大内力東大教授の勧めにより党本部に勤務する。社会党本部職員時代は安保改定阻止国民会議事務局次長、党中央執行委員、国民運動局長を歴任。
新井 隆一(あらい りゅういち、1928年3月2日 - 20… 新井 隆一(あらい りゅういち、1928年3月2日 - 2017年6月17日)は、日本の公法学者。早稲田大学名誉教授。 1928年群馬県高崎市生まれ。旧制群馬県立高崎中学校を経て、1956年に早稲田大学第一法学部を卒業。1961年同大学院博士課程単位取得退学、1976年「行政法における私人の行為の理論」で法学博士。早稲田大学法学部助教授、教授、1998年定年、名誉教授。 2014年瑞宝中綬章受章。 2017年6月17日、肝腫瘍にて死去。89歳没。没後、正五位に叙された。
堂本 尚郎(どうもと ひさお、1928年〈昭和3年〉3月2日… 堂本 尚郎(どうもと ひさお、1928年〈昭和3年〉3月2日 - 2013年〈平成25年〉10月4日)は、京都市出身の洋画家、文化功労者。東京都在住。 日本画家・堂本印象の甥。父は堂本四郎。妻は洋画家の洋画家の毛利眞美。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山内 昭道(やまのうち しょうどう/あきみち、1928年(昭… 山内 昭道(やまのうち しょうどう/あきみち、1928年(昭和3年)3月2日 - 2005年(平成15年))は、日本の児童教育者。東京生まれ。亀戸幼稚園を創設した山内勇仙の子。1948年東京農林専門学校(現・東京農工大学農学部)卒業、農林省農業技術研究所園芸部助手農林技官。1951年同北陸農業試験場農林技官。1957年駒澤大学仏教学部卒業。1960年亀戸幼稚園長(学校法人山内学園)となる。1965年駒沢女子短期大学専任講師、助教授となる。1976年東京家政大学保育科教授。98年定年退任、名誉教授。
大橋 弘(おおはし ひろむ、1928年3月2日 - 1997… 大橋 弘(おおはし ひろむ、1928年3月2日 - 1997年1月8日)は、日本の経営者。積水ハウス副社長、会長を務めた。 静岡県出身。1948年に静岡高校文科を卒業し、1961年に積水ハウスに入社。1972年に取締役に就任し、、1969年には常務、1980年には専務をそれぞれ歴任し、1984年に副社長に就任。1992年4月に副会長に就任し、1993年10月には会長に昇格。 経済団体連合会常任理事、住宅生産振興財団理事長なども歴任。 1997年1月8日、心不全のために死去。68歳没。
清水 澄子(しみず すみこ、1928年3月1日 - 2013… 清水 澄子(しみず すみこ、1928年3月1日 - 2013年1月14日)は、日本の政治家。位階は従四位。 元参議院議員(2期)。日本社会党を経て社会民主党に所属した。「日朝国交正常化を求める連絡会」共同代表。 選択的夫婦別姓制度導入に賛成している。「人にはそれぞれ固有の姓があります。基本的人権です。ところが、結婚と同時に法律で夫婦の姓を一つにすることを強制し、別姓を選んだ場合は、法律上の結婚とは認めず、法定相続人にはなれない。子どもには「婚外子」という制裁まで加えています。この不条理を、政府はいつまで女性に受忍しろというのでしょうか。夫婦別姓と婚外子差別の問題は、憲法制定に伴う1946年の民法改正以来の宿題」である、と述べている。
榎木 兵衛(えのき ひょうえ、1928年3月1日 - 201… 榎木 兵衛(えのき ひょうえ、1928年3月1日 - 2012年12月29日)は、日本の俳優。本名は榎本 兵衛。三重県出身。 1951年に東映京都に入社し、本名の榎本兵衛名義で若干のキャリアを積む。1956年より日活に所属し、1970年代まで脇役・端役として膨大な数の映画に出演。その本数は計り知れず、日活映画では最多出演を誇る俳優といわれる。アクション系作品では個性的な悪役として活躍し、石原裕次郎ら大スターを相手に数々の演技を残した。 1974年に日活を退社し、以降はテレビドラマや舞台に活動の場を広げつつ、東映を中心に他社の映画にも出演。 1971年秋の日活ロマンポルノ誕生後は一時期、木夏 衛(きなつ まもる)名義での出演作もある。
山根 俊英(やまね としひで、1928年3月1日 - 200… 山根 俊英(やまね としひで、1928年3月1日 - 2009年3月5日)は、鳥取県米子市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
伊藤 謙哉(いとう けんさい、1928年3月1日 - )は、… 伊藤 謙哉(いとう けんさい、1928年3月1日 - )は、日本の天文学者、宇宙物理学者。立教大学名誉教授。 林忠四郎の弟子であり、宇宙線の研究者として知られている。私立大学キャンパスシステム研究会(略称『CS研』)の初代会長。京都府京都市出身。趣味はテニス。
池井 保(いけい たもつ、1928年(昭和3年)3月1日 -… 池井 保(いけい たもつ、1928年(昭和3年)3月1日 - 2022年(令和4年)9月4日 )は、日本の詩人であり教育者。 京都府竹野郡丹後町中浜(現・京丹後市)出身。虎杖小学校におけるへき地教育の実践で知られ、校区の三山地区住民とともにへき地の生活環境の改善を求めて行政と交渉し、全国でも稀な好条件での挙家離村を実現するきっかけを作るなど、地域に大きな影響を与えた。 1928年(昭和3年)、京都府竹野郡丹後町中浜(現・京丹後市)の漁師の家の長男として誕生した。1949年(昭和24年)に京都青年師範学校(現:京都教育大学)を卒業。社会科、国語科の教員として各地の小中学校を転々とした後、1967年(昭和42年)に丹後町立虎杖小学校に赴任した。
片岡 啓治(かたおか けいじ、1928年3月1日 - 200… 片岡 啓治(かたおか けいじ、1928年3月1日 - 2004年12月)は、日本のドイツ文学者、文化・思想評論家、翻訳家。獨協大学名誉教授。 1928年、東京府で生まれた。東京大学で学び卒業。獨協大学外国語学部助教授に就き、1983年に教授昇格。1998年に獨協大学を定年退職し、名誉教授となった。 専門はドイツ文学。戦後ドイツ社会、哲学、マルクス主義に関連する著作や、ヴィルヘルム・ライヒなどを翻訳した。また、映画や日本現代文学、幕末史についても著作を残している。寺子屋を運営。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
寺原 伸夫(てらはら のぶお、1928年3月1日 - 199… 寺原 伸夫(てらはら のぶお、1928年3月1日 - 1998年3月30日)は、日本の作曲家。宮崎県延岡市出身。宮崎農林専門学校(現・宮崎大学)を卒業後、中学校教員として勤務する傍ら作曲を始めた。1963年来日したアラム・ハチャトゥリアンの来日歓迎パーティーで合唱曲「日本の夜明け」を披露、才能を認められモスクワ音楽院に留学、以後7年間彼のもとで学んだ。1971年、修士課程修了作品として作曲した「チェロ協奏曲」はハチャトゥリアンやカバレフスキーに絶賛された。 吉永小百合の代表作である映画『キューポラのある街』の挿入歌『手のひらの歌』の作曲者。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
世良 明芳(せら あきよし、1928年(昭和3年)3月1日 … 世良 明芳(せら あきよし、1928年(昭和3年)3月1日 - 1995年)は、日本の声楽家(バス歌手)。東京マイスタージンガーの元メンバー。 島根県出身。1954年、明治大学法学部卒業。1955年、藤原歌劇団に入団。歌劇「セビリアの理髪師」でデビューし、「ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」などに出演。舞台以外でも、「ジャングル大帝」や「ひょっこりひょうたん島」などのTVドラマや、ディズニー映画「おしゃれキャット」などの映画作品で歌唱を務めた。NHK番組「歌のメリーゴーランド」では1964年からにレギュラー出演した。後に、鳥取女子短期大学教授、島根県合唱連盟副理事長、松江コーラルソサエティ会長なども務めた。
大屋 満(おおや みつる、1928年3月1日 - )は、日本… 大屋 満(おおや みつる、1928年3月1日 - )は、日本の俳優。神奈川県鎌倉市出身。松竹、東宝、日劇ミュージックホール、川上事務所に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
速川 治郎(はやかわ じろう、1928年3月 - )は、日本… 速川 治郎(はやかわ じろう、1928年3月 - )は、日本の哲学研究者。早稲田大学名誉教授。 群馬県群馬郡豊秋村(現・渋川市)生まれ。1945年3月、群馬県立前橋工業学校(群馬県立前橋工業高等学校の前身)建築科卒。1948年、運輸省立三島鉄道教習所専門部建設土木科卒、運輸省施設局企画課入省。1951年、国鉄東京鉄道管理局品川客車区(夜間勤務)。1955年、早稲田大学第一文学部西洋哲学科卒。1960年、同大学院博士課程満期退学。1962年、早稲田大学高等学院教諭(ドイツ語)。1972年、早稲田大学社会科学部専任講師となり、1973年に助教授、1978年に教授。1998年、定年退職、名誉教授。この間1978年から1979年、デュッセルドルフ大学哲学研究所客員教授。
兼高 かおる(かねたか かおる、本名:兼高ローズ(かねたかロ… 兼高 かおる(かねたか かおる、本名:兼高ローズ(かねたかローズ)、1928年2月29日 - 2019年1月5日)は、日本の女性ジャーナリスト(ツーリストライター)である。 日本旅行作家協会名誉会長。「山の手言葉」を多く用いていたことで知られている。 兵庫県神戸市生まれ。1946年香蘭女学校卒業後、1954年ロサンゼルス市立大学に留学。その後ジャーナリストとしてジャパンタイムスなどで活躍する。海外取材が多く、150カ国以上に渡航したことで知られる。 兵庫県神戸市に生まれ、資産家だった母親の家族(または親戚)のつてで母親と兄とともに東京都へ移住した。香蘭女学校を卒業後、進路も模索した結果として渡米し、ロサンゼルス市立大学に留学した。
立石 定夫(たていし さだお、1928年(昭和3年)2月29… 立石 定夫(たていし さだお、1928年(昭和3年)2月29日 - 1995年(平成7年)6月8日)は、日本の政治家、弁護士、歴史研究家。第8代福山市長(3期)。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 広島県福山市東堀端町(現・福山市城見町)に生まれる。1945年(昭和20年)、広島県立福山誠之館中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。1948年(昭和23年)、旧制広島高等学校卒業。1951年(昭和26年)、同志社大学法学部卒業。 1955年(昭和30年)4月、弁護士を開業。1960年(昭和35年)4月、広島弁護士会福山地区会会長に就任。 1963年(昭和37年)4月、広島県議会議員に初当選。1967年(昭和42年)に再選。
長澤 和俊(ながさわ かずとし、1928年(昭和3年)2月2… 長澤 和俊(ながさわ かずとし、1928年(昭和3年)2月28日 - 2019年(平成31年)2月23日)は、日本の東洋史学者。専門はシルクロード史。早稲田大学名誉教授。 1928年、東京都足立区生まれ。1946年、千葉県立千葉中学校を卒業して早稲田大学第二文学部史学科に進学し、東洋史を専攻。1951年に卒業し、早稲田大学大学院文学研究科史学東洋史専攻へ進学。1957年に博士課程を単位取得修了。 1957年4月、安田学園高等学校教諭となった。1960年より東海大学文学部専任講師。1967年に鹿児島短期大学助教授に転じ、翌68年に教授昇格。1966年1月から6月まで、作家・登山家の深田久弥を隊長とするシルクロード踏査隊の副隊長を務め、5か月にわたり現地史跡を調査した。
伊藤 敬一(いとう けいいち、1928年2月27日 - 19… 伊藤 敬一(いとう けいいち、1928年2月27日 - 1992年7月22日)は、囲碁ライター。兵庫県出身。筆名=うえだひろし。 1951年、中央大学法学部卒業。在学中に囲碁部に在籍し、日本棋院に出入りし、1953年に囲碁ライターとなる。 雑誌「棋道」「囲碁クラブ」等に連載し、また十段戦、新人王戦の担当で、「週刊碁」「レッツ碁」に観戦記を執筆。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
吉上 昭三(よしがみ しょうぞう、1928年2月27日 - … 吉上 昭三(よしがみ しょうぞう、1928年2月27日 - 1996年1月28日)は、日本のロシア・ポーランド文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 大阪市出身。1951年早稲田大学露文科卒業後、ラヂオプレス通信社入社。1964年より1年間ポーランドに留学。1973年、東京大学教養学部講師、1975年、助教授。1980年、教授。1988年定年退官後、創価大学教授となる。1990年、ポーランドに関する総合文化誌「ポロニカ」を創刊。1991年、ポーランド功労黄金勲章。自宅の火事により焼死。 妻は児童文学者・内田莉莎子(父は洋画家・内田巌。祖父は評論家・内田魯庵)。息子は翻訳家の吉上恭太。