生川栄治(いくかわ えいじ、1923年-不明)は、日本の経済… 生川栄治(いくかわ えいじ、1923年-不明)は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授。経済学博士(京都大学)。専門は金融論、銀行論、金融史。マルクス経済学に基礎をおき、イギリスやドイツの金融資本に関する研究を行った。 1923年、大阪府に生まれる。1944年、大阪商科大学 (旧制)(大阪市立大学→現大阪公立大学)卒業。1954年大阪市立大学助教授、同教授。退職後、同大名誉教授、近畿大学商経学部教授。
瀧川 元男(たきがわ もとお 1923年 - 1981年)は… 瀧川 元男(たきがわ もとお 1923年 - 1981年)は、日本の文学者。 1959年に出版された『創立70周年関西学院大学文学部記念論文集』にアーネスト・ヘミングウェイに関する論文を寄稿。 日本英文学会第37回大会ではアメリカにおけるロマンス小説の流れを報告する。 志賀勝 (アメリカ文学者)のアメリカ文学論の序文は寿岳文章が書いていたのであるが、それの最後に志賀勝の学統を受け継いでいるのは瀧川元男であると述べられている。瀧川元男は出版の事務や細かい索引を作るということをしていた。佐藤清 (英文学者)の信頼が厚かったのが志賀勝で、その系統を瀧川元男が関西学院大学で継いでいたとされる。
上妻 美章(こうづま よしあき、1923年 - 1989年)… 上妻 美章(こうづま よしあき、1923年 - 1989年)は、昭和時代の労働運動家。 福岡県生まれ。1950年九州大学法学部政治学科卒業。在学中は野中卓、水原輝雄とともに九州大学共産党細胞の中心メンバーであった。1953年左派社会党の稲村順三衆議院議員の秘書となる。1957年総評書記局に入局し調査部に配属。太田薫総評議長のブレーンとして「日本的組合主義」の草案を執筆。1963年総評教宣局情宣部長に就任し『月刊総評』の編集などに従事。1968年岩井章総評事務局長と対立して総評を退職。宝樹文彦全逓委員長の招請で全逓に入職し、全逓中央労働学校の常任講師、制度・政策委員として活動した。
矢木 勉(やぎ つとむ、1923年または1924年生まれ)は… 矢木 勉(やぎ つとむ、1923年または1924年生まれ)は、日本の造園系地方公務員。 神戸市に生まれる。京都大学農学部林学科を卒業した。[要出典] 神戸市役所では公園緑地部長を務めた。 1980年に、第6回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 著書に『花時計賛歌』(神戸新聞総合出版センター、2011年)、『日本の花時計』(山と渓谷社、2001年)、『世界と日本の花時計』(神戸新聞総合出版センター, 2018年、英文併記)があり、「日本花時計の会」という団体で会長を務めている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
矢島 聖使(やじま せいじ、1923年 - 1981年)は、… 矢島 聖使(やじま せいじ、1923年 - 1981年)は、材料工学を専門とする工学者および化学者。 無機材料工学を専門としており、かつては原子力関連の研究をしていた。1975年に有機金属化学が専門の林丈三郎、大森守の協力の下で高強度と耐熱性を併せ持つ炭化珪素繊維を開発した。有機珪素高分子を1000℃以上の不活性雰囲気中で焼成する事によってセラミック繊維を製造した。 炭化珪素繊維を開発した。有機ケイ素ポリマーのポリカルボシランの焼成前の不融化処理の工程に劣化の原因となる酸素が入らないように電子線を照射する手法を開発した。ジェットエンジンや発電用ガスタービンの高性能化には高強度、耐熱性を併せ持つセラミック繊維が不可欠なため、近年注目される。
吉山 一郎(よしやまいちろう、1923年 - 2002年)と… 吉山 一郎(よしやまいちろう、1923年 - 2002年)とは日本の技術者、実業家、元ミノルタ副社長。京都大学工学部卒業。 1970年代よりカメラは電子化する。当時のミノルタはSRから電子化されたXシリーズへと移行し、そのときの開発の陣頭に吉山一郎が立った。そしてミノルタはαで「αショック」を引き起こす。 1968年度第22回日本映画技術協会賞を受賞。 1993年から2001年まで大阪府技術教会会長を勤める。
沼野一男(ぬまの いちお、1923年 - 2013年3月)は… 沼野一男(ぬまの いちお、1923年 - 2013年3月)は、日本の教育工学者。 東京生まれ。1949年慶應義塾大学文学部教育学科卒、玉川学園中等部・高等部教諭、東邦大学助教授、教授、玉川大学教授。94年退職。
山田 二郎(やまだ じろう、1923年 - )は、日本の登山… 山田 二郎(やまだ じろう、1923年 - )は、日本の登山家。 後に陸軍大将、関東軍総司令官となった山田乙三の次男として東京に生まれ、慶應義塾大学経済学部在学中に兄の影響を受けて山岳部で登山を始める。戦時中は、学徒出陣により、兄に続いて陸軍に入隊し、戦車隊に配属された。復員後、1948年に大学を卒業し、配炭公団に勤務した後、飼料会社の創業に関わるなどした。 第一次、第二次マナスル登山隊に参加。 三国商工(後のミクニ)に勤務した。 1960年、慶應ヒマルチュリ登山隊の隊長を務め、田辺寿と原田雅弘のヒマルチュリ (Himalchuli) 初登頂を果たし、その体験を翌年『登頂ヒマルチュリ』として出版した。
大前 正臣(おおまえ まさおみ、1923年 - 2004年)… 大前 正臣(おおまえ まさおみ、1923年 - 2004年)は、日本の国際政治評論家、作家、翻訳家。 岐阜県生まれ。東京大学文学部卒業後、コロンビア大学に学ぶ。電通、東京新聞外報部記者を経てフリーになる。
中木 康夫(なかき やすお、1923年 - )は、日本の西洋… 中木 康夫(なかき やすお、1923年 - )は、日本の西洋史・政治学者、名古屋大学名誉教授。 静岡県浜松市生まれ。1948年東京大学経済学部卒。大塚久雄に師事。同大学院をへて名古屋大学助教授、教授。1962年「フランス絶対王制の史的構造」で名大法学博士。1986年定年退官、名誉教授、朝日大学教授。1998年、勲二等瑞宝章受章。
渡部 武(わたなべ たけし、1923年 -2022年 )は、… 渡部 武(わたなべ たけし、1923年 -2022年 )は、日本の倫理学者。 東京生まれ。1947年東京帝国大学文学部倫理学科卒、同大学院修士課程修了。東京都立駒場高等学校教諭、東京都立戸山高等学校教諭、跡見学園女子大学助教授、教授。
寺尾 善雄(てらお よしお、1923年 - 1987年)は、… 寺尾 善雄(てらお よしお、1923年 - 1987年)は、日本の中国文学者、作家。岡山県生まれ。 東京外国語学校支那語科卒。夕刊岡山新聞社、サンケイ新聞社、秋田書店に勤務。中国古典の翻訳や一般向けの書物を多く書いた。
田能村祐麒(たのむら ゆうき、1923年 ‐ )は、性教育研… 田能村祐麒(たのむら ゆうき、1923年 ‐ )は、性教育研究者。大分県生まれ。官立東京体育専門学校(後の東京教育大学体育学部)卒。高校、中学教師、新宿区教育委員会指導室長。新宿区立西戸山中学校校長。文部省生徒指導資料「生徒指導における性に関する指導」を執筆した。全国性教育研究団体連絡協議会、田能村教育問題研究所所長。
小林政吉(こばやし まさきち、1923年-?)は、日本の宗教… 小林政吉(こばやし まさきち、1923年-?)は、日本の宗教学者、東北大学名誉教授。 山形市生まれ。1945年東北帝国大学法文学部文科(教育学専攻)卒業。1962年「教養と実存」で、文学博士の学位を取得。東北大学教育学部助教授、教授、1987年定年退官、名誉教授、東洋英和女学院大学教授。
玉井 美知子(たまい みちこ、1923年 - )は、教育・保… 玉井 美知子(たまい みちこ、1923年 - )は、教育・保育学者、教師。 東京生まれ。日本女子大学校家政学部卒業。神奈川県立横浜立野高等学校教諭、同県教育委員会指導主事・主幹。神奈川県立横浜幼稚園長、神奈川県立中原養護学校校長、神奈川県立藤沢高等学校校長、文教大学女子短期大学部教授、東京成徳短期大学講師、教育課程審議会委員、高等学校学習指導要領改訂協力者委員、幼稚園教育要領指導書作成委員、総理府「青少年の性意識調査」企画調査委員、NHK、文化放送、テレビ朝日番組審議会委員。全日本家庭教育研究会「文書による教育相談」の担当。
長井 和雄(ながい かずお、1923年 - 2008年)は、… 長井 和雄(ながい かずお、1923年 - 2008年)は、日本の教育学者、東京学芸大学名誉教授。 奉天生まれ。第六高等学校、1947年広島文理科大学卒業。高校はドイツ語科であったため、英語よりもドイツ語に堪能だった。したがって、ドイツの思想家・教育学者を研究対象にしていた。1964年「エドゥアルト・シュプランガーの教育思想体系」で広島大学教育学博士。神奈川大学助教授、教授、1970年東京学芸大学教授、1987年定年退官、名誉教授、日本女子大学教授。1992年退職。1992年~94年帝京大学文学部教育学科教授。
前沢 泰(まえざわ やすし、1923年 - 1986年)は、… 前沢 泰(まえざわ やすし、1923年 - 1986年)は、日本の教育者、教育学者。 長野県飯田市出身。1944年旧制第一高等学校卒。戦後中学校教師を務めた。1977年退職後、長野県下伊那郡上郷町(現飯田市)に転居。1961年より全国生活指導研究協議会(全生研)中央常任委員を務める。
出口 辰夫(でぐち たつお、大正12年〈1923年〉- 昭和… 出口 辰夫(でぐち たつお、大正12年〈1923年〉- 昭和30年〈1955年〉1月30日もしくは昭和30年(1955年)1月10日)は、日本のヤクザ。稲川組(組長:稲川角二)幹部。宮崎県西諸県郡飯野町出身。通称「モロッコの辰」。 大正12年(1923年)、宮崎県西諸県郡飯野町(現:宮崎県えびの市)で生まれる。実家は農家で、5人兄弟の四男だった。 昭和13年(1938年)、加久藤尋常小学校高等科2年を卒業後、すぐ上の兄とともに、横浜市鶴見区潮田に住む次兄夫婦のもとに預けられ、ここで夜学の工業高校に進学した。在学中、川崎の「薄田拳闘クラブ」に通い、本格的にボクシングを始めた。この頃から喧嘩三昧の生活を送るようになり、愚連隊の世界に入っていくこととなる。
田中 実(たなか みのる、1923年 - 2016年)は、愛… 田中 実(たなか みのる、1923年 - 2016年)は、愛知県出身の洋画家。浦和画家のひとり。光風会名誉会員。 水彩画を主に描いた。父の死後6歳で浦和に転居。埼玉県師範学校本科を卒業し、小学校教師となる。復員後、23歳で水彩連盟研究所に通い、小堀進、春日部たすく、荒谷直之助に学んだ。25歳で寺内萬治郎に師事し光風会展、日展に出品。 寺内の没後は渡辺武夫に師事。小学校教員退職後は絵画制作に専念し、日展岡田賞や水彩連盟展の小堀進賞などを受賞。それまでの業績に対し、埼玉文化賞、浦和市文化栄誉賞を受賞した。作品の一部は埼玉県立近代美術館に収蔵されている。
竹下 哲(たけした さとる、1923年 - )は、浄土真宗系… 竹下 哲(たけした さとる、1923年 - )は、浄土真宗系の随筆家。 長崎市生まれ。1944年広島高等師範学校卒。長崎県教育長、県立長崎図書館長、県教育センター所長、長崎県立諫早高等学校長、長崎県立長崎西高等学校長、長崎県社会教育委員長。2001年仏教伝道文化賞受賞。
西田 通弘(にしだ みちひろ、1923年 - )は、日本の実… 西田 通弘(にしだ みちひろ、1923年 - )は、日本の実業家。本田技研工業の副社長等を歴任した。
楠川 絢一(くすかわ けんいち、1923年 - 2015年6… 楠川 絢一(くすかわ けんいち、1923年 - 2015年6月30日)は日本の物理学者、理学博士。元旧・東京都立大学総長。 1936年に府立高等學校へ入学後、東京大学を卒業。1946年から同高等学校で教鞭を執る。1950年から東京都立大学へ移り、教授を務める。1981年~1985年に東京都立大学総長に就任した。1960年に論文「回転体の周りの音に近い流れについて」で東京大学(今井功博士)より理学博士を授与される。また公立大学協会会長、出入国管理政策懇談会座長のほか、府立高等学校同窓会理事長、東京都立大学附属高等学校の講師を務めるなど母校の発展に尽力した。叙正四位。
本田 耕一(ほんだ こういち 1923年 - 1945年5月… 本田 耕一(ほんだ こういち 1923年 - 1945年5月14日)は、日本の元アマチュア野球選手、大日本帝国海軍軍人。兵庫県出身。 旧制日本大学第三中学校(現・日本大学第三中学校・高等学校)在学中に、甲子園に3回出場(春2回〔1938年、1939年〕,夏1回〔1938年〕)。当時のチームメイトに、鬼頭政一(のち名古屋,西鉄などでプレー。元太平洋監督),坂本茂(のち巨人などでプレー)がいた。卒業後は法政大学に進学。大学時代は一塁手として活躍した。 大学に在学していたが、1944年春の学徒出陣によって召集される。本田は海軍飛行科を希望し、第14期飛行専修予備学生として筑波海軍航空隊に配属され、1945年に神風特別攻撃隊に志願して特攻隊員となる。
高瀬 重二郎(たかせ じゅうじろう、1923年 - 2018… 高瀬 重二郎(たかせ じゅうじろう、1923年 - 2018年5月16日)は、日本のハンセン病回復者。全国ハンセン病療養所入所者協議会会長。 福井県大飯郡(現・高浜町)出身。1962年に国立療養所長島愛生園に入所。ハンセン病患者の強制隔離を定めた「らい予防法」の1996年の廃止時には、全国ハンセン病療養所入所者協議会(旧全国ハンセン病患者協議会)の会長を務め、差別や偏見の撤廃に向けて尽力した。 2018年5月16日、午後5時26分、岡山県瀬戸内市邑久町虫明6539の国立療養所「長島愛生園」で死去、95歳。葬儀は長島愛生園で執り行われた。
飯塚 一郎(いいづか いちろう、1923年〈大正12年〉- … 飯塚 一郎(いいづか いちろう、1923年〈大正12年〉- 1986年〈昭和61年〉5月29日)は、日本の経済学者(専攻は経済史・経済思想史・経済学史)。学位は、経済学博士。位階は従四位。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡中学校を経て、1946年、同志社大学経済学部卒。山梨大学教授を務めた。1971年、「貨幣学説前史の研究」で関西学院大学経済学博士の学位を取得。1986年死去。死没日付をもって従四位に叙された。 もともとイギリス重商主義についての研究を進めていたが、その後、これに先行するスペインの植民地政策や経済思想にも関心を拡げていくことになった。特に伊藤不二男と並んで、日本におけるサラマンカ学派研究に先鞭をつけたことで知られる。
長島 厚(ながしま あつし、1923年 - ) は、日本の陸… 長島 厚(ながしま あつし、1923年 - ) は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。1945年8月の「占守島の戦い」の生き残り。 佐賀県武雄市出身。1938年(昭和13年)に、陸軍予科士官学校進学のため佐賀県立武雄中学校を中退する。 1938年(昭和13年)陸軍予科士官学校に入学する。1941年(昭和16年)7月、陸軍士官学校(55期)卒業後、関東軍戦車第四連隊に配属となり、第五方面軍将校として札幌に赴任するが、第九十一師団戦車第十一連隊指揮官として千島列島の占守島に着任する。 1945年(昭和20年)8月15日にソ連軍が爆撃を開始。8月18日未明にはソ連軍部隊が占守島の竹田浜に上陸し、その「占守島の戦い」に大尉として応戦することとなる。
矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年 - 2011年12… 矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年 - 2011年12月13日)は、日本の農学者。大阪府立大学名誉教授、元学長。専門は、農業気象学、生物環境調節工学、環境学。
小柳 陽太郎(こやなぎ ようたろう、1923年 - 2015… 小柳 陽太郎(こやなぎ ようたろう、1923年 - 2015年11月28日)は、日本の教育者。国民文化研究会副会長。 東京に生まれ、幼少時佐賀市に転居。 旧制佐賀高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学するが、1943年、東大在学中に学徒出陣し、復員後九州帝国大学文学部国文学科に転学。 1946年、九大を卒業し、泰星高等学校(現・上智福岡高等学校)の国語教諭として奉職。1950年6月、福岡県立修猷館高等学校国語教諭に転じる。 1983年3月、修猷館高校を退職し、九州造形短期大学教授に就任。
竹岡 勝美(たけおか かつみ、1923年(大正12年) - … 竹岡 勝美(たけおか かつみ、1923年(大正12年) - 2016年(平成28年)7月22日)は、日本の官僚。位階は従四位。 元警察閣僚の四方修は実弟。 京都府亀岡市出身。警察庁で警察本部長を務め、首相官房を経て防衛庁で調達実施本部長。 警察庁交通規制課長時代の1970年、銀座通(中央通り (東京都)の銀座部分)他において日本初の歩行者天国を実施、またスクランブル交差点を発案。 冷戦終結まで盛んに喧伝された「ソ連脅威論」を、経験を元に“日本を自国の世界戦略に組み込んでおきたかったアメリカによるプロパガンダだった、その証拠に仮想敵国をソ連として北海道で行なわれた演習に米軍は参加しなかった”とインタビューで切り捨てた。
藤井 千秋(ふじい ちあき、1923年〈大正12年〉 - 1… 藤井 千秋(ふじい ちあき、1923年〈大正12年〉 - 1985年〈昭和60年〉5月5日)は、岐阜県出身の画家、イラストレーター。美少女を描いた抒情画で知られる。 1923年(大正12年)岐阜県に生まれる。1941年(昭和16年)京都絵画専門学校へ入学する。1943年(昭和18年)には学徒出陣で入隊する。軍隊生活中に脚を痛め陸軍病院に入院、招集解除となり海軍省用達の漫画映画の背景を一年描きながら、絵画専門学校を卒業した。 戦後、駐留米軍人の勧めで京都の有名な画商の元に少女の絵を数点持ち込んだところすぐに売れ、このときに絵を買った客の一人に大翠書院の社長がおり、本の表紙や挿絵の依頼が来るようになる。
中村 秀一郎(なかむら ひでいちろう、1923年(大正12年… 中村 秀一郎(なかむら ひでいちろう、1923年(大正12年) - 2007年(平成19年)10月20日)は、日本の経営学者、多摩大学名誉学長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山本 まつよ(やまもと まつよ、1923年 - 2021年1… 山本 まつよ(やまもと まつよ、1923年 - 2021年11月27日 )は、日本の翻訳家、児童文学研究家。 岡山県岡山市出身。神戸女学院高等部英語師範科卒業。 山陽新聞の記者として働いていた1949年に、アメリカの招待で新聞社の代表としてアメリカに派遣され、新聞事情を学ぶ。翌年、ミズーリ大学でジャーナリズムを学び、帰国後、1962年までアジア財団日本支部に勤めた。 石井桃子との出会いを機に、児童文学に関心を寄せ、「子ども文庫の会」を設立。児童書の翻訳と、家庭文庫の普及に努めた。みずからも「わかば文庫」を運営しながら、1980年創刊の『季刊 子どもと本』の刊行や、児童書に関するセミナーで、子どもの本を選ぶことの重要性を伝えた。
金 従会(キム・ジョンフェ、朝鮮語: 김종회/金從會、192… 金 従会(キム・ジョンフェ、朝鮮語: 김종회/金從會、1923年 - 1953年5月27日)は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員。 忠清南道大徳郡出身。中央大学法科卒。大韓青年団大徳郡団長のほか、東国大学(現・東国大学校)で講師を務めた。1950年の第2代総選挙に大徳選挙区から無所属で出馬して当選し、国会においては1951年3月9日から同年12月19日まで、また1952年1月24日から同年12月19日まで国会国防委員会委員長を務めた。 しかし、1953年5月27日に影島の自宅で急死した。5月26日に遊説を終えて自宅に戻り、就寝中に「手足が少し痛い」と言い、次に目を覚ました時にはすでに死去していたと妻は述べている。
田村 秀夫(たむら ひでお、1923年 - 2003年6月1… 田村 秀夫(たむら ひでお、1923年 - 2003年6月13日)は、日本の経済史学者、中央大学名誉教授。16〜17世紀の英国政治経済史が専門。 中央大学経済学部卒。樺俊雄に学ぶ。1961年「ピューリタン革命期の社会思想研究」で中大経済学博士。中大経済学部助教授、教授、98年定年退任、名誉教授。
弓削 太郎(ゆげ たろう、1923年 - 1973年5月20… 弓削 太郎(ゆげ たろう、1923年 - 1973年5月20日【遺体発見日】)は、日本の映画監督。 東京生まれ。中央大学法学部卒業。1947年、大映東京撮影所に助監督として入社。1960年、「女は抵抗する」で初監督。以後、大映のプログラムピクチャーを多く監督した。 大映倒産後の1972年5月18日に行方不明となり、1973年5月20日に長野県北佐久郡軽井沢町の山中でミイラ化した状態の遺体が発見された。自殺とみられるが詳細は不明である。 特に表記のないものは大映東京作品 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
高田 富佐雄(たかだ ふさお、1923年 - 1991年10… 高田 富佐雄(たかだ ふさお、1923年 - 1991年10月30日)は、日本のジャーナリスト、中国研究家。 佐賀県出身。東亜同文書院大学卒。毎日新聞記者となり、中国に勤務、江頭数馬らと文化大革命に遭遇。1966年ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。のち毎日を退社、大森実の「東京オブザーヴァー」に参加。
奥村 一郎(おくむら いちろう 1923年 - 2014年6… 奥村 一郎(おくむら いちろう 1923年 - 2014年6月4日)は、日本のカトリック教会の聖職者、カルメル会の修道司祭。 1923年、岐阜県に生まれる。旧制高等学校在学中より臨済宗の中川宗淵に師事。1948年、東京大学法学部政治学科卒業。文学部宗教学科に入学。同年12月12日、カトリック大森教会にて、下山正義神父より受洗。1951年、同大文学部宗教学科卒業。渡仏し、カトリック修道会であるカルメル会(男子跣足カルメル修道会)に入会(当時の日本にはまだ男子カルメル会修道院はなく、女子カルメル会修道院しかなかったため)。1957年、ローマで司祭に叙階される。1959年に帰国。以来、仏教との対話、執筆活動に従事。
戸谷 洋(とや ひろし、1923年 - 2002年12月6日… 戸谷 洋(とや ひろし、1923年 - 2002年12月6日)は、日本の地理学者、理学博士。旧・東京都立大学名誉教授。専門は自然地理学。 1923年に東京府で生まれる。第一東京市立中学校、旧制浦和高等学校を経て、東京大学へ進学し、辻村太郎、多田文男などに師事する。その後、東京都立大学理学部地理学教室助手となり、後に教授に就任する。1986年に同大学を退官後は、帝京大学教授などを歴任した。 1957年には、観測船宗谷で第一次南極観測隊に吉川虎雄などとともに夏隊隊員として参加した。これは、昭和基地構築のための先遣隊として、日本隊で初めてオングル島の同地の選定調査をするものであった。また、アフリカの地形調査へ赴くなど、探検家として日本の先駆的存在の一人である。
松島 富之助(まつしま とみのすけ、1923年 - 1976… 松島 富之助(まつしま とみのすけ、1923年 - 1976年5月18日)は、日本の小児科医。 兵庫県美方郡出身。東京帝国大学医学部を卒業。1954年に東京大学より医学博士号を取得した。[要出典] 愛育病院小児科、愛育研究所栄養部、東京警察病院小児科部長、小児保健協会理事を歴任した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
羽場 みきえ(はば みきえ、1923年月日 - 2000年9… 羽場 みきえ(はば みきえ、1923年月日 - 2000年9月14日)は、青森県出身の教育家。舘田学園元理事長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
星野 通平(ほしの みちへい、1923年 - 2021年4月… 星野 通平(ほしの みちへい、1923年 - 2021年4月29日)は、日本の地質学者。東海大学名誉教授、中華人民共和国青島海洋大学名誉教授。 古くからプレートテクトニクス論に懐疑的であり、2001年に出版した『膨らむ地球』などで否定論を展開している。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
安藤 士(あんどう たけし、1923年〈大正12年〉 - 2… 安藤 士(あんどう たけし、1923年〈大正12年〉 - 2019年〈平成31年〉1月13日)は、日本の彫刻家である。現代工房代表取締役社長。父は彫刻家の安藤照である。 東京・渋谷に現存する「忠犬ハチ公像」(2代目)の製作者として知られる。
藤本 盛久(ふじもと もりひさ、1923年 - 2016年1… 藤本 盛久(ふじもと もりひさ、1923年 - 2016年1月8日)は、昭和期の建築学者である。専門は当時黎明期にあった日本の鉄骨構造建築の広範な学際的、基盤的、先駆的研究。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
増田 眞一(ますだ みちかず、選挙時の通名:マスダシン一、1… 増田 眞一(ますだ みちかず、選挙時の通名:マスダシン一、1923年〈大正12年〉 - 2000年〈平成12年〉6月3日)は、日本の実業家、政治活動家(政事公団太平会同人)。 京都府舞鶴市出身。同志社大学法学部在学中に学徒出陣で応召。熊谷陸軍飛行学校特操2期生を経て、知覧特攻基地神鷲隊に配属される。1945年8月10日、ウィリアム・ハルゼー率いる米海軍機動部隊に向け出撃したが、天候不良と搭乗機の不調で突入に失敗、帰投。そのまま終戦を迎えた。 戦後復学して同大学院で田村徳治教授の薫陶を受け、皇国史観を保持しつつ労農運動に目覚める。その後地元で旅館、青年の家、マリーナ等経営の傍ら反基地闘争・反公害運動を行い、政治団体『政事公団太平会』を組織。
東條 満喜枝(とうじょう まきえ、1923年(大正12年)-… 東條 満喜枝(とうじょう まきえ、1923年(大正12年)- 2000年(平成12年)5月)は、日本で活動した、家事相談を専門とするケースワーカー、カウンセラーである。 東條英機の次女で、古賀秀正と結婚し姓は古賀となるが死別した。その後も古賀の姓のままで活動するが、国立精神衛生研究所在職中に田村健二と再婚し姓は田村となった。マリッジ・カウンセラーとしての業績の大半は「田村満喜枝」によるものである。 戦後、現在の日本社会事業大学に学び、1952(昭和27年)2月16日に国立精神衛生研究所にソーシャル・ワーカーとして入職、児童精神衛生部、次いで社会学部に在籍した。1958年(昭和33年)8月31日に退職すると、浅草寺が運営する浅草寺相談所家庭・婦人相談部主任に転じ、1960年(昭和35年)から東京家庭裁判所家事調停委員を三十年余り務めた。
内田 芳明(うちだ よしあき、1923年 - 2014年7月… 内田 芳明(うちだ よしあき、1923年 - 2014年7月8日)は、日本の社会思想研究者。大塚久雄と親しく、マックス・ヴェーバー『古代ユダヤ教』の翻訳・研究により1999年にレッシングドイツ連邦政府翻訳賞受賞。元比較法文化学会会長、日本景観学会名誉会員。 東京生まれ。1952年東京商科大学(現一橋大学)卒業、1957年同特別研究生修了。 1989年に横浜国立大学経済学部教授を定年退官。その間、ドイツ・マールブルク大学客員教授、テュービンゲン大学客員教授、ベルリン大学客員教授等を歴任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
牛島 純一(うしじま じゅんいち、1923年(大正12年) … 牛島 純一(うしじま じゅんいち、1923年(大正12年) - 2012年12月19日)は、日本の生理学者・動物学者。専門は、家畜生理学。獣医学博士。酪農学園大学学長。元酪農学園大学短期大学部学長 熊本県生まれ。1946年北海道帝國大學農学部卒業し、三井物産株式会社入社。北海道酪農協同組合に移る。北海道大学獣医学部助手を経て、1949年酪農学園短期大学助手。1950年同助教授。1959年「馬の所謂骨軟症(繊維性骨栄養障碍症)に関する生化学的研究」で北海道大学より獣医学博士の学位を取得。 1960年酪農学園大学酪農学部教授。1985年酪農学園大学6代学長、酪農学園大学短期大学部6代学長に就任。1989年酪農学園大学定年退職。
藤澤量正(藤沢量正、ふじさわ りょうしょう、1923年-20… 藤澤量正(藤沢量正、ふじさわ りょうしょう、1923年-2012年7月3日)は、浄土真宗の僧、仏教学者。 滋賀県生まれ。龍谷大学文学部卒業。鉄道道友会講師、伝道院研修部長、中央仏教学院講師、滋賀県浄光寺住職。本願寺派布教使。
毛涯 章平(けがい しょうへい、1923年(昭和12年) -… 毛涯 章平(けがい しょうへい、1923年(昭和12年) - 2016年(平成28年)7月18日)は、飯田市旧南信濃村出身の日本の教育者、著述家。 1943年(昭和18年)長野県師範学校男子部本科卒業(現在の信州大学教育学部)。 教壇に立った後に校長職などを歴任。その後も、長野県教育委員会指導主事、信濃教育会研究調査部主任、信濃教育会研究図書部主任、下伊那教育会長、下伊那校長会長、長野県中学校長会長、全日本中学校長会理事などを歴任し教育行政の発展に尽力する。1988年(昭和63年)に教職を退職。 その後、結婚を機に移り住んでいた豊丘村にて20年間豊丘村教育委員(うち17年間は教育長)を務める。豊丘村では恒例となった満1歳児と小中学生を対象にした誕生日本贈呈事業を始めた。
高橋百代(たかはし ももよ、1923年 - 1998年)は、… 高橋百代(たかはし ももよ、1923年 - 1998年)は、大分県臼杵市出身の小説家。大分県立臼杵高等女学校卒業。本名に同じ。 文芸雑誌『海燕』1983年6月号に「盲女の手すさび」が掲載され、地方文学の担い手として注目される。主たる活動の場をあえて地元同人誌におき、「みずき」、「臼杵文学」、「環状集落」、「東九州文学」、「詩と眞実」、「日田文学」などの文芸同人誌に作品を発表。(このうち「臼杵文学」は自身が創刊。) 1998年4月12日、大分市明野の山中にて不慮の死を遂げる。75歳没。