八反 ふじを(はったん ふじを、1925年1月14日 - 1… 八反 ふじを(はったん ふじを、1925年1月14日 - 1975年4月7日)は、宮崎県小林市出身の作詞家。 宮崎県小林市内にある老舗金物問屋「八反金物店」の長男として生まれる。幼いころ母を亡くし寂しい少年時代を過ごした。地元の小林高校を卒業後、父・留男の奨めもあり、医師を目指し上京、日本大学医学部に進んだ。太平洋戦争の最中ではあったが、医学生のため徴兵が猶予されていた。1945年3月10日の東京大空襲では医学生として負傷者の手当および遺体の収容作業に動員され、悲惨な光景を目の当たりにしている。終戦直前に召集令状が届き、本土決戦に備え満州から小林町に移駐してきていた山砲連隊に軍医として入営するも程なく終戦となり、部隊が連合軍と交戦することはなかった。
井上 普方(いのうえ ひろのり、1925年1月14日 - 2… 井上 普方(いのうえ ひろのり、1925年1月14日 - 2015年4月10日)は日本の医師、政治家。元日本社会党衆議院議員(9期)。母は、後藤田正晴の姉である(そのため後藤田とは叔父の関係となる)。 叔父の後藤田正晴は9つ違いで、早くに両親をなくし少年期を井上家で過ごしていたため、年の離れた兄弟のような間柄であった。後藤田は自民党から出馬し1度目の参議院選挙で落選したため(阿波戦争)、同じ徳島県全県区で衆議院選挙を争うこととなった。自社さ連立政権誕生前には後藤田と村山富市を面会させている。 選択的夫婦別姓制度導入に賛同。 新東京国際空港(現・成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
山崎 つる子(やまざき つるこ、1925年〈大正14年〉1月… 山崎 つる子(やまざき つるこ、1925年〈大正14年〉1月13日 - 2019年〈令和元年〉6月12日)は、日本の美術家。前衛美術グループ「具体美術協会」の創設メンバー17名のひとりとしても知られる。ブリキを用いた立体作品、パフォーマンス、絵画作品など多様な作品を手掛けた。兵庫県芦屋市出身。 1925年、兵庫県芦屋市に生まれる。家族構成は両親と兄と姉と妹。甲南高等女学校を経て、小林聖心女子学院に進む。 1946年夏、精道小学校で開催された芦屋市主催の市民講座に聴講に行った山崎は、講師として呼ばれた吉原治良に出会う。吉原はモンドリアンについて講演し、3日目の最終日の実習では教室の手洗い場を描かせる風変わりな講座であった。
下中 邦彦(しもなか くにひこ、1925年1月13日 - 2… 下中 邦彦(しもなか くにひこ、1925年1月13日 - 2002年6月6日)は、昭和時代の実業家。兵庫県出身。下中弥三郎の四男。慶應義塾大学工学部卒。1958年から、父親の弥三郎が設立した「平凡社」の社長を28年間務めた。そのほか、「国民百科事典」などを発行するなどした。。 邦彦没後、弥三郎三男の下中直也が平凡社三代目社長に就任した。
虎尾 俊哉(とらお としや、1925年1月13日 - 201… 虎尾 俊哉(とらお としや、1925年1月13日 - 2011年1月5日)は、日本の歴史学者、国立歴史民俗博物館・弘前大学名誉教授。日本古代史専攻。 長崎市出身。愛媛県松山市生まれ。1943年第五高等学校卒業、東京帝国大学文学部国史学科入学、兵役のため休学ののち1947年卒業。1952年同大学大学院(旧制)満期退学。1953年弘前大学理学部講師、1955年助教授、1962年「班田収授法の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。1965年改組により弘前大学人文学部助教授、1967年教育学部教授、1969年文部省在外研修員としてロンドン大学に滞在、1974年プリンストン大学客員教授、1982年弘前大学教育学部長、1983年国立歴史民俗博物館教授、1990年定年退官、名誉教授。
並木 俊守(なみき としもり、1925年 1月13日- )は… 並木 俊守(なみき としもり、1925年 1月13日- )は、日本の法学者、弁護士、公認会計士。専攻は商法。日本大学教授、警視庁刑事部顧問等を歴任。 陸軍中央幼年学校を経て、陸軍士官学校卒業。賜銀時計。1949年東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学在学中は陸上競技部に所属し、関東学生陸上競技対校選手権大会においてハンマー投で優勝した。田中誠二に師事。東京経済大学講師、日本大学教授、一橋大学非常勤講師、警視庁刑事部顧問等を歴任。 商法研究者や弁護士として著名であったが、顧問先であった加商株買取の相手方会社から1億円を超える謝礼を受けたことが、弁護士法に違反すると指摘された。これを受け自ら弁護士を登録抹消したため、弁護士会からの懲戒処分は受けなかった。
目時 春雄(めどき はるお、1925年1月12日 - 199… 目時 春雄(めどき はるお、1925年1月12日 - 1995年3月28日)は、北海道江別市出身 の元プロ野球選手。ポジションは捕手。1955年の登録名は目時 富士雄(めどき ふじお)。 札幌光星商業を卒業後、配炭公団野球部に入部。また、小樽野球協会にも所属していた。 1949年に大陽ロビンスへ入団。荒川昇治が正捕手でいた為レギュラーを獲得できずにいたが1952年に荒川が移籍したこともあって、この年に正捕手となった。1953年に大洋ホエールズと合併したが、この年もレギュラーとして出場し120試合に出場。打率.273、12本塁打を打ち、打点56は藤井秀郎に次ぐチーム2番目の成績だった。1956年からは土井淳の加入で控え捕手となった。
七尾 伶子(ななお れいこ、本名:臼井 伶子(うすい れいこ… 七尾 伶子(ななお れいこ、本名:臼井 伶子(うすい れいこ)、1925年〈大正14年〉1月12日 - 2006年〈平成18年〉7月2日)は、日本の女優、声優。 東京市赤坂区(現・東京都港区)に生まれる。 東京府立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)在学中の1942年、子供の頃から好きだった歌や芝居が忘れられず、設立されたばかりのNHK東京放送劇団の試験を受け、一期生として合格。卒業と同時に養成所に入り、2年後に卒業。初めての出演は、全国にある国立病院の傷痍軍人向け慰問放送のドラマの主役だった。 その後、ラジオ漫画『サザエさん』『西遊記』、ラジオドラマ『君の名は』に出演するなど声優の草分けとして活躍。
宮地 良彦(みやち よしひこ、1925年1月12日 - 20… 宮地 良彦(みやち よしひこ、1925年1月12日 - 2023年10月17日)は日本の物理学者。 静岡県浜松市出身。旧制第八高等学校を経て、1948年京都帝国大学物理学科卒業。1949年広島大学理論物理学研究所助手、1961年信州大学文理学部助教授、1966年理学部教授、1972年理学部長、1990年退官。同年放送大学客員教授、1991年信州大学学長を歴任。2000年勲二等旭日重光章受章。 その他、2001年から2003年まで長野県の治水・利水ダム等検討委員会委員長を務めた。 2023年10月17日午前10時35分、肺がんのため松本市の病院で死去。98歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 句集を出版している。
二木 武(ふたき たけし、1925年1月12日 - 1998… 二木 武(ふたき たけし、1925年1月12日 - 1998年3月21日)は、日本の小児科医。 石川県金沢市生まれ。東京帝国大学医学部卒業。同小児科教室入局。1954年「乳幼児栄養失調症の蛋白代謝に関する研究」で東京大学医学博士。長野赤十字病院、東京都立小児保健院(現東京都立八王子小児病院)院長を経て、東京都立母子保健院院長、実践女子大学教授を務めた。95年定年退職。
川本 喜八郎(かわもと きはちろう、1925年(大正15年)… 川本 喜八郎(かわもと きはちろう、1925年(大正15年)1月11日 - 2010年(平成22年)8月23日)はアニメーション作家、人形作家。東京都出身。勲四等旭日小綬章(1995年受章)。日本アニメーション協会会長(1996年~2010年)。日本アニメーション協会名誉会長。日本を代表する人形アニメ監督。
合田昌文(ごうだ まさぶみ、1925年1月11日 - )は日… 合田昌文(ごうだ まさぶみ、1925年1月11日 - )は日本の大蔵官僚。金沢国税局長、宇宙開発事業団理事などを務めた。 愛媛県出身。東京大学法学部政治学科卒業。1948年9月 大蔵省入省。大臣官房秘書課配属。1952年8月 東住吉税務署長。1953年10月 金沢国税局総務部総務課長。 1964年7月 福岡国税局総務部長。1965年7月 日本鉄道建設公団参事兼経理部経理課長。1967年8月 関東信越国税局総務部長。1970年5月 国税不服審判所部長兼審判官。同年12月1日 金沢国税局長。1972年7月 退官。同年7月 小規模企業共済事業団理事。1974年 山村硝子専務。1978年 宇宙開発事業団理事。
宍戸 善次郎(ししど ぜんじろう、1925年1月10日 - … 宍戸 善次郎(ししど ぜんじろう、1925年1月10日 - 没年不明)は、福島県出身のプロ野球選手。 旧制福島中学、全福島日東紡、法政大学を経て1950年に創設された近鉄パールスへ入団。同年9月17日に大阪球場で初めて開催されたプロ野球公式戦(対阪急戦)で球場第1号となるホームランを打っている。 1951年は開幕戦(対南海戦)に9番ショートで先発出場した。同年に退団し、日石カルテックスでプレー。その後は日本石油仙台支店で総務部長を務めていた。 現役時代はメガネがトレードマークの選手だった。
西尾 武喜(にしお たけよし、1925年(大正14年)1月1… 西尾 武喜(にしお たけよし、1925年(大正14年)1月10日 - 2006年(平成18年)8月29日)は、名古屋市長(3期)。父は中津川市長の西尾彦朗(1899年(明治32年) - 1986年(昭和61年))。 岐阜県恵那郡阿木村(現・中津川市阿木)出身。旧制高知高等学校を経て昭和24年に京都大学工学部土木工学科卒業後、名古屋市に入り、名古屋市水道局(現・名古屋市上下水道局)に入局。水道畑を歩む。名古屋水道労働組合初代青年婦人部長、名古屋市水道局技監、水道局長、名古屋市助役などを歴任した。 1985年(昭和60年)、社会党・公明党・民社党から誘いを受け、名古屋市長選挙へオール与党候補として立候補し初当選した。
吉田 泰造(よしだ たいぞう、1925年(大正14年)1月1… 吉田 泰造(よしだ たいぞう、1925年(大正14年)1月10日 - )は、日本の実業家、政治家。元民社党衆議院議員。 徳島県出身。名古屋陸軍幼年学校を経て、1945年(昭和20年)6月、陸軍士官学校(58期)を卒業し、陸軍少尉に任官。1949年(昭和24年)京都帝国大学工学部を卒業した。 大進工業設立社長、太陽商事設立社長、太洋エンタープライズ設立社長、三宝倉庫取締役、阿倍野観光設立社長を務めた。 1967年(昭和42年)1月の第31回衆議院議員総選挙大阪6区に民主社会党から出馬して当選し、第32年総選挙でも再選され、連続2期在任した。この間、民社党本部中小企業対策副委員長、万国博覧会特別委員会事務局長、情報産業政策特別委員会事務局長、大阪府地域対策部会長を務めた。
小沢 健志(おざわ たけし、1925年1月9日 - 201… 小沢 健志(おざわ たけし、1925年1月9日 - 2019年7月4日)は、日本の写真評論家、写真研究家。 東京出身。日本大学法文学部卒業。九州産業大学大学院教授、日本写真芸術学会名誉会長などを歴任。写真評論家としては金丸重嶺の弟子にあたる。 日本の幕末から明治期の古写真蒐集の第一人者であり、近代日本の初期写真史研究に先鞭を付けた人物で、多くの著述刊行、講演を行った。 1991年設立の「日本写真芸術学会」にも関わり、設立当初は副会長(3人のうちの1人、初代会長は渡辺義雄)、続いて第2代会長(1998年就任)を歴任した。2002年に会長を退任し名誉会長となった。 2019年7月4日、老衰により死去。
三条 町子(さんじょう まちこ、1925年1月9日 - 20… 三条 町子(さんじょう まちこ、1925年1月9日 - 2022年8月30日)は、日本の歌手。本名は藤田 信子(旧姓:宮野)。三條 町子の表記もある。 青森県八戸市に生まれる。作曲家大村能章の弟子。戦争中は栃木に疎開。 1948年(昭和23年)に上京し、同年、キングレコードから本名の「宮野信子」の名前で「泪のブルース」にてデビュー。他に「黄昏の花園」などを発表した。1949年(昭和24年)、芸名を「三條町子」として発表した「かりそめの恋」が大ヒットし、一躍その名が知られることとなった。1951年(昭和26年)には「東京悲歌」(とうきょうエレジー)も大ヒットした。大津美子の1956年(昭和31年)の代表作「ここに幸あり」はもともと三條町子の吹き込みで曲は制作されたが、三條が出産を控えていた為に、同じレコード会社の当時新人の大津に回ってきたというエピソードがある。
原田敏丸(はらだ としまる、1925年1月8日 - 2021… 原田敏丸(はらだ としまる、1925年1月8日 - 2021年3月15日)は、日本の経済史学者、専門は農村社会経済史。大阪大学経済学博士、同名誉教授。 熊本県鹿本郡吉松村(現・熊本市北区)出身。民俗学者原田敏明の長男。九州大学法文学部経済科卒、同大学院中退、宮本又次に師事した。1951年大分大学経済学部講師、1953年滋賀大学に移り1954年助教授、1968年教授。1969年より大阪大学経済学部教授。1970年「近世山割制度の研究」で大阪大学経済学博士。1988年定年退官、名誉教授。同年より1996年まで帝塚山大学教授。2021年3月16日、96歳で死去。 2002年(平成14年)4月29日 - 勲二等瑞宝章
大澤 伸剛(おおさわ のぶたか、1925年(大正14年)1月… 大澤 伸剛(おおさわ のぶたか、1925年(大正14年)1月7日 - 2018年(平成30年)9月18日)は、日本の実業家。旧日本海軍の士官。勲五等瑞宝章受章者。 株式会社オオサワ元代表取締役。日本ケミカルシューズ工業組合元理事長。 外孫は第53代兵庫県知事の斎藤元彦。 兵庫県神戸市垂水区出身。1940年(昭和15年)大阪市立都島工業学校電気科を卒業。1947年(昭和22年)大澤ゴム工業所を創立。塩化ビニールを素材とする商材の製造販売を開始。作業工程の機械化にも努め、地元鉄工所と連携しコンベヤー方式を確立。多くの企業がこの方式を採用し、生産能力の向上に大きく寄与した。 1954年(昭和29年)同社の貿易部門として源弘貿易(のちの大澤産業)を設立。
上西 晴治(うえにし はるじ、1925年1月7日 - 200… 上西 晴治(うえにし はるじ、1925年1月7日 - 2009年11月10日)は、日本の小説家。 北海道十勝郡浦幌町生まれ。浦幌高等小学校卒業後、札幌師範学校附設の小学校准訓導養成所に学び、1941年に卒業して西足寄町の平和国民学校で教員生活に入る。小樽市の北海道青年学校水産教員臨時養成所に学び、1945年3月に卒業して塩谷村立青年学校に勤めるも、すぐに召集される。9月に復員後、増毛町の青年学校・中学校、札幌第四中学校、銭函中学校に勤め、その傍ら札幌文科専門学院夜間部に通う。講師の新間進一の影響を受けて文学熱が上がり、大東文化大学文政学部日本文学科に3年次編入し、1953年に卒業。卒論では有島武郎を選び、岩内町の木田金次郎を訪問する。
阿部 八郎(あべ はちろう、1925年1月6日 - 没年不明… 阿部 八郎(あべ はちろう、1925年1月6日 - 没年不明)は、福島県出身のプロ野球選手(投手、左投左打)・解説者。 小学校出のプロ野球選手。福島県熱海小学校から社会人野球の全福島日東紡へ入団。在籍時に阪急ブレーブスなど複数球団のスカウトマンだった宇高勲にスカウトされ、1949年に阪急ブレーブスへ入団。 1949年は2勝に終わる。同年オフのセ・パ両リーグ分立に伴って、セ・リーグの新球団である西日本パイレーツの選手集めのため、宇高が阪急の選手の大量引き抜きを行う。ここで、個人的に仲が良かったセ・リーグの鈴木龍二から「(引き抜きに)用心しろ」と忠告を受けた阪急監督の浜崎真二は1日中阿部に付いて離れなかったため、阿部は引き抜きを受けず阪急に留まった。
広山 尭道(廣山 堯道、ひろやま ぎょうどう、1925年1月… 広山 尭道(廣山 堯道、ひろやま ぎょうどう、1925年1月6日 - 2006年3月2日)は、日本の塩業史学者。 塩業の盛んな兵庫県赤穂市に生まれる。大正大学文学部国文学科卒業。1974年「近世日本製塩技術史の研究」で大正大・文学博士。兵庫県立赤穂高等学校教諭、赤穂市立歴史博物館館長を務めた。日本歴史学会・日本塩業研究会会員。 2006年3月2日、呼吸不全のため死去。
尾形 克彦(おがた かつひこ、1925年1月6日 - )は、… 尾形 克彦(おがた かつひこ、1925年1月6日 - )は、おもにアメリカ合衆国で活動した日本の工学者。制御工学を専門とし、長くミネソタ大学機械工学部で教鞭を執った。英語で刊行した制御工学の教科書は版を重ね、日本語をはじめ多くの言語に翻訳されたものもあり、また日本語で書き下ろされた著書もあった。 1947年9月、東京大学第二工学部機械工学科を卒業し、科学研究所で大山義年研究室所属の助手を務めた後、技師として日本鋼管に勤務する。 1951年7月に渡米し、1952年6月にイリノイ大学でMSを取得し、さらにカリフォルニア大学バークレー校で1956年6月にPh.D.を取得した。なお、渡米後も日本鋼管川崎製鉄所に籍を置いていた。
田畑 ヨシ(たばた ヨシ、1925年〈大正14年〉1月6日 … 田畑 ヨシ(たばた ヨシ、1925年〈大正14年〉1月6日 - 2018年〈平成30年〉2月28日)は、日本の岩手県宮古市田老地区出身の津波防災教育活動家。 昭和三陸津波体験をもとに紙芝居『つなみ』を自作し、地区内外の児童に講演で津波の恐怖を語り続け、地域の防災教育に貢献してきた。東日本大震災を機に、30年以上にわたる彼女の地道な啓発活動が脚光を浴び、「津波の語り部」として全国的に知られることになった。社団法人・全国海岸協会による「海岸功労者」の2006年度表彰者の1人。 岩手県下閉伊郡田老村(現・宮古市田老地区)に生まれる。幼少時からかつて明治三陸地震の大津波を体験した祖父より、津波の恐ろしさを毎晩のように言い聞かされながら育った。
太田 武彦(おおた たけひこ、1925年1月5日 - 没年不… 太田 武彦(おおた たけひこ、1925年1月5日 - 没年不明)は、日本の作詞家、元自衛官。別名義に太田 かおる、太田 かほる。 現在の東京都江戸川区生まれ。1944年(昭和19年)に旧制上野中学校を卒業後、陸軍少年飛行兵に志願して終戦を迎える。復員後は国警秋田県本部に採用され警察官となったが、1950年(昭和25年)の警察予備隊発足と同時に入隊して以降、陸上自衛隊で仙台・青森・札幌・帯広を経て美幌駐屯地に転属した。 美幌時代は本名もしくは「太田かほる」名義で作詞の懸賞募集への投稿を精力的に行い、1966年(昭和41年)に北海道が公募した「道民のうた」で応募作「光あふれて」が入選した。以降も1970年(昭和45年)の日本万国博覧会公式テーマソング「世界のひろばで」、三越の2代目社歌などで入選。
三笑亭 夢楽(さんしょうてい むらく、1925年1月5日 -… 三笑亭 夢楽(さんしょうてい むらく、1925年1月5日 - 2005年10月28日)は、岐阜県岐阜市出身の落語家。生前は落語芸術協会に所属。本名∶渋谷 滉。出囃子は『筑摩祭』。 錦城商業学校卒業。映画カメラマンの成島東一郎は中学時代の同級生。 幼少時代に馬賊に憧れていたことから、1942年より単身中国北京へ移住。敗戦後帰国し、農林省開拓局に入局。 永井荷風を通じて正岡容を知り、その紹介で、1949年3月に五代目古今亭今輔に入門する。前座名は「今夫」。しかし、当の本人は新作落語、古典落語の概念をあまり知らずとりあえず今輔から提供を受けた新作の台本をやっていたが、ある日柳家金語楼から渡された新作の台本を「八っつぁん」「熊さん」に書き換えたことで今輔から叱責され古典路線に転向する。
内田 喜久(うちだ よしひさ、1925年(大正14年)1月5… 内田 喜久(うちだ よしひさ、1925年(大正14年)1月5日 - )は、日本の政治家、新聞記者。愛知県岡崎市長(3期)、愛知県議会議員(2期)を歴任した。「喜久」を音読みして「きく」と読まれることも多い。 長男の内田康宏を擁立した1980年6月の衆院選で、検挙者128人(うち逮捕者55人)におよぶ空前の選挙違反事件を引き起こした。愛知県警が解明しただけでも計4,424万円の現金をばらまき、自身のほか、県議1人、岡崎市議25人、安城市議7人、幸田町議6人、旧額田町議4人が逮捕された。長年にわたる土建業者との癒着も暴かれ、同年8月、収賄容疑で再逮捕された。 愛知県岩津村井ノ口(現・岡崎市井ノ口町字楼)に、農業を営む父:内田松太郎、母:かまの三男として生まれる。
持田 栄一(もちだ えいいち、1925年〈大正14年〉1月5… 持田 栄一(もちだ えいいち、1925年〈大正14年〉1月5日 - 1978年〈昭和53年〉7月27日)は、日本の教育学者。 群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)に生まれる。滋賀県立八日市中学校を卒業後、1944年旧制大阪高等学校を卒業。海軍航空隊をへて、1948年東京大学文学部教育学科卒。宗像誠也に師事、教育行政学を専攻。国立教育研究所所員、東京大学教育学部助手、専任講師、助教授を経て1969年教授。『持田栄一著作集』全6巻がある。日教組に関係し、天皇制批判を行った[要出典]。 1978年7月27日、膵臓癌により東京国立第一病院で死去。
和田 貞夫(わだ さだお、1925年1月5日 - 2016年… 和田 貞夫(わだ さだお、1925年1月5日 - 2016年12月18日)は、日本の政治家。元日本社会党(のち社会民主党)衆議院議員(4期)。 大阪府和泉市出身。1943年(昭和18年)、成器商業学校卒。1947年(昭和22年)、大阪府庁に入る。大阪府職員組合自治労大阪本部を立ち上げて書記長に就任。1951年(昭和26年)、日本社会党に入党。後に大阪府本部政審会長などを歴任する。1959年(昭和34年)、大阪府議会議員選挙に立候補して当選、3期務める。 1971年(昭和46年)、堺市長選挙に立候補するため、府議を辞職。同選挙には元自民党府議の中井信夫(元府議会議長)、元民社党府議の土師半六も立候補し、激戦となったが、土師に2000票余の差で次点に終わった。
園田 正和(そのだ まさかず、1925年1月5日 - 201… 園田 正和(そのだ まさかず、1925年1月5日 - 2012年1月20日)は、兵庫信用金庫の名誉会長。 1965年瀧川勝二(当時兵庫トヨタ自動車社長)などの推薦をうけ、1951年に誕生した神和信用金庫の、全国で一番若い理事長として30歳にて就任。1974年はりま信用金庫と神和信用金庫は合併し、兵庫信用金庫が誕生。理事長に就任。 兵庫県神戸市出身。雲中小学校、神戸一中、(現兵庫県立神戸高等学校)、同志社大学卒業。神戸市中央区熊内の財閥一家で当時は不動産や両替業を営む園田家の長男として誕生。(詳細:自費出版「奴雁の人」より)。
福村 晃夫(ふくむら てるお、1925年1月5日 - 201… 福村 晃夫(ふくむら てるお、1925年1月5日 - 2016年12月5日) は、日本の情報工学者。名古屋大学名誉教授。初代人工知能学会会長。 広島県江田島生まれ。1945年広島高等学校甲類卒業。1949年名古屋大学工学部電気学科卒業、名古屋大学工学部電気学科助手。 1959年名古屋大学工学部電気学科講師。1960年名古屋大学工学部電気学科助教授。1966年工学博士(東北大学)の学位を取得。1968年名古屋大学工学部電気工学第二学科教授。1980年文部省学術審議会専門委員。1981年名古屋大学大型計算機センタセンター長。1984年情報処理学会理事。1987年文部省大学設置・学校法人審議会専門委員。
佐藤金兵衛(さとうきんべえ、1925年1月5日 - 1999… 佐藤金兵衛(さとうきんべえ、1925年1月5日 - 1999年1月21日)は日本の武術家。福島県いわき市出身。開業医(産婦人科)を営む傍ら、日本武道および中国武術各派を修め、日本兵法大和道を創始する。昭和の日本に中国武術の内家拳の普及に努めた武道家。武号は柔心斎。 幼少から祖父より大和流柔術(ただし、二代目柔心斎を襲名した佐藤の息女は大和流弓術としている)の指導を受ける。中学卒業後に満州へ渡り、国立医科大学の医学生となったが終戦後帰国。帰国後、東北大学医学部に進み、この頃より影山流剣術、柔術各派(八光流柔術、合気道、武田流合気之術、大東流合気柔術(山本角義の系統)、天神真楊流柔術、荒木新流柔術、一天柳心冑介流柔術、柳生心眼流兵術(東北伝)、浅山一伝流体術(上野貴の系統)、神道天心流拳法、卜伝流柔術、高木楊心流柔術・九鬼神流棒術、義鑑流骨法術)、神道自然流空手術 等を学ぶ。
江上 信雄(えがみ のぶお、1925年1月5日 - 1989… 江上 信雄(えがみ のぶお、1925年1月5日 - 1989年10月17日)は日本の生物学者。東京大学名誉教授。国立環境研究所元所長。日本動物学会元会長(1979年-1982年、1987年-1989年)。理学博士。 石川県金沢市出身。東京帝国大学理学部動物学教室を1947年に卒業後、同大学理学部動物学教室助手、講師を経て、1961年国立放射線医学総合研究所の生物研究部室長、後に部長。1970年同大学理学部動物学教室教授。同大学理学部長、日本学術会議委員、原子力委員会専門委員、東京大学総合研究資料館館長、東京大学評議員、放射線審議会委員、宇宙科学研究所評議委員、国立岡崎基礎生物学研究所評議員、国立遺伝学研究所評議員などを歴任。
鈴木 文彌(すずき ぶんや、1925年1月4日 - 2013… 鈴木 文彌(すずき ぶんや、1925年1月4日 - 2013年1月20日)は、日本のフリーアナウンサー、スポーツ評論家。「鈴木文弥」と新字体による表記が用いられる場合もある。 東京府(現:東京都)出身。東京府立第一商業学校を経て早稲田大学卒業。1948年にNHKに入局し、広島中央放送局・大阪中央放送局を経て、1958年より本部編成局アナウンス部に配属され、アナウンサーとして長年に亘り、スポーツ中継の実況担当で活躍。その後一時期、大阪中央放送局のチーフも務めた。 特にオリンピックでは、1964年の東京オリンピックの開会式(ラジオ。市川崑が監督を務めた記録映画で、開会式の場面で流される実況音声は鈴木のものである)や、バレーボール日本女子代表が金メダルを獲得した試合の実況を担当。
大村 裕(おおむら ゆたか、1925年1月4日 - )は、日… 大村 裕(おおむら ゆたか、1925年1月4日 - )は、日本の神経学者。九州大学・岡崎国立共同研究機構生理学研究所名誉教授、医学博士。 日本統治時代の朝鮮・京城府(現在のソウル特別市)生まれ。1947年九州帝国大学医学部卒業。1953年 九州大学 医学博士 論文の題は「神経活動に及ぼす無機及び有機燐酸塩の影響について 」。金沢大学、九州大学、富山医科薬科大学(現在は富山大学に併合)岡崎国立共同研究機構生理学研究所などで教授を務めた。 脳と疲労:慢性疲労とそのメカニズム ISBN 9784320054028
稲田 年行(いなだ ねんこう、1925年1月4日 - 201… 稲田 年行(いなだ ねんこう、1925年1月4日 - 2014年2月3日、本名:稻田俊志、いなだ としゆき)は、日本の版画家、浮世絵研究家、郷土玩具収集家、岐阜大学名誉教授、浜松大学教授( - 2000年)。位階は従四位。 東京美術学校卒、同専修科修了。安井曽太郎に師事。日本美術家連盟会員、大学版画協会会員、竹とんぼの会会員。水府森家の末裔で、森鴻次郎の孫。建築家稲田尚之の兄、版画家松田ハルミの夫、哲学者純丘曜彰、版画家稲田醍伊祐の父。憲法学者小林直樹の甥。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
大倉 真隆(おおくら まさたか、1925年〈大正14年〉1月… 大倉 真隆(おおくら まさたか、1925年〈大正14年〉1月3日 - 1990年〈平成2年〉1月26日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、横浜銀行頭取。 浜松中学校、今宮中学校から第一高等学校に進学。第一高等学校の文甲をトップで卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、1944年9月、海軍経理学校に入学し海軍主計見習尉官。1945年に経理学校を卒業。第11海軍航空廠付となる。同年6月、主計少尉に任官され終戦を迎えた。同年9月、予備役に編入。 1947年3月、東京大学法学部政治学科卒業。同年4月に高等試験行政科を受け、5月に大蔵省入省(1947年前期入省。大臣官房文書課配属)。1949年6月 大臣官房財務官室、1950年6月米国オハイオ州立大学大学院留学。
斎賀 秀夫(齋賀 秀夫、さいが ひでお、1925年1月3日 … 斎賀 秀夫(齋賀 秀夫、さいが ひでお、1925年1月3日 - 2022年7月30日)は、日本の国語学者。位階は正五位。 大妻女子大学名誉教授、国立国語研究所名誉所員。 香川県生まれ。東京文理科大学国語国文科卒業。1948年国立国語研究所創立当初からの所員、大妻女子大学教授、1996年定年、名誉教授。東京成徳大学教授。文化庁国語審議会委員。 2022年7月30日、老衰のため死去。97歳没。死没日付をもって正五位に叙される。
佐藤 進(さとう すすむ、1925年1月3日 - 2006年… 佐藤 進(さとう すすむ、1925年1月3日 - 2006年11月28日)は、日本の経営者。東京都出身。 1947年に慶應義塾大学工学部応用化学科を卒業し、1950年に東京大学薬学科研究生を修了。 塩野義製薬での勤務を経て、1951年7月に佐藤製薬専務に就任し、副社長を経て、1968年9月に社長に就任した。1995年10月に会長に就任した。 2006年11月28日心不全のために死去。81歳没。
青木 脩(あおき おさむ、1925年1月3日 - 2004年… 青木 脩(あおき おさむ、1925年1月3日 - 2004年10月9日)は、日本の会計学者。経済学博士(論文博士・1978年)(学位論文「フランス会計制度論 付加価値会計制度の確立過程」)。愛知大学教授、名古屋工業大学教授、中京大学教授を歴任。名古屋工業大学名誉教授。 愛知県岡崎市生まれ。東京大学経済学部商業学科卒。1978年「フランス会計制度論 付加価値会計制度の確立過程」で経済学博士。名城大学講師、愛知大学助教授、教授、名古屋工業大学教授、1989年定年退官、名誉教授、中京大学教授。
津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 20… 津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 2015年6月2日)は、日本の建築家、都市計画家、評論家。愛知県岡崎市出身。 1945年に海軍技術士官として厚木飛行場に赴任するが終戦を迎える。1947年に新制東京大学に再入学する。 1951年、東京大学第一工学部建築学科卒業。丹下健三の下で住宅問題の研究をテーマに卒業論文に取り組む。前川国男の建築設計事務所への入所を希望するが前川と太田博太郎の推薦でアントニン・レーモンドの事務所に所属する。その後坂倉準三の建築設計事務所を経て、1955年日本住宅公団発足と共に入社。 日本住宅公団勤務時、多摩平・高根台団地、阿佐ヶ谷住宅をはじめとする多くの団地を設計するなど、公団初期の全体計画を手がける。
安田 三郎(やすだ さぶろう、1925年1月3日 - 199… 安田 三郎(やすだ さぶろう、1925年1月3日 - 1990年10月6日)は、日本の社会学者。文学博士(東京教育大学、1972年)。東京生まれ。「開放性係数」の開発で知られる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
米川 哲夫(よねかわ てつお、1925年1月3日 - 202… 米川 哲夫(よねかわ てつお、1925年1月3日 - 2020年9月18日)は、日本のロシア文学・ロシア近代史の研究者、東京大学教養学部名誉教授。 東京外国語学校露語科を経て東京大学文学部西洋史学科卒業。1963年東京大学教養学部助教授を経て教授(ロシア文学講座)、1985年に定年退官し名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
岡田 弘子(おかだ ひろこ、1925年〈大正14年〉1月3日… 岡田 弘子(おかだ ひろこ、1925年〈大正14年〉1月3日 - 2020年〈令和2年〉5月28日)は、北海道函館市の市立函館図書館の元館長、石川啄木関連の資料の保存に努める団体「函館啄木会」の事務局長、後に代表理事。父は市立函館図書館の初代館長の岡田健蔵。函館ゆかりの歌人である啄木の資料収集に尽力した父の跡を継ぎ、函館啄木会において、父から託された啄木関連の資料を守り、資料収集などに取り組んだ。北海道函館市出身。 1925年(大正14年)、岡田健藏の長女として誕生した。遺愛女学校、文部省図書館講習所(後の図書館情報大学)を経て、1943年(昭和18年)から市立函館図書館に勤務した。兄弟姉妹が皆死去しており、唯1人の父の実子であったことから、父の遺志を継ぎ、父直伝の図書館教育により、司書として勤めた。
鈴木 亭一(すずき ていいち、1925年1月3日 - )は、… 鈴木 亭一(すずき ていいち、1925年1月3日 - )は、日本の経営者。日本特殊陶業社長を務めた。 静岡県出身。1944年に名古屋経済専門学校(現名古屋大学経済学部)を卒業し、同年に日本特殊陶業に入社。1977年に取締役に就任し、1981年6月に常務、1983年6月に専務を経て、1985年6月に社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1997年6月に相談役に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
梶山 雄一(かじやま ゆういち、1925年1月2日 - 20… 梶山 雄一(かじやま ゆういち、1925年1月2日 - 2004年3月29日)は、日本の仏教学者。京都大学名誉教授。 1925年、静岡県静岡市で生まれた。静岡県立静岡中学校を経て、1942年に旧制静岡高校に入学。戦時の措置により高校課程は2年半に短縮され、1944年5月以降は勤労動員された。この頃、浄土真宗の篤信者の強い感化を受けて、親鸞に傾倒。1944年9月に静岡高校を卒業。 1944年10月、京都大学文学部哲学科に入学。しかしながら、戦局の悪化に伴い、1945年1月より終戦時まで学業を中断して兵役につき、陸軍特別幹部候補生として習志野で訓練を受けた。終戦後復学し、宗教学第三講座で仏教学を専攻し、久松真一や長尾雅人の指導を受けた。
増本 剛(ますもと かたし、1925年1月2日 - 2012… 増本 剛(ますもと かたし、1925年1月2日 - 2012年11月17日)は、金属工学者(多元化合物半導体を主とした機能性材料全般)。広島県安芸郡矢賀村(現広島市東区矢賀町)出身。財団法人 電気磁気材料研究所の第6代理事長および会長の職を勤め上げた。
伊藤 秀雄(いとう ひでお、1925年1月2日 - )は、推… 伊藤 秀雄(いとう ひでお、1925年1月2日 - )は、推理・冒険小説研究家。 神奈川県川崎市生まれ。1949年日本大学法文学部文学科卒。1950年川崎市役所に勤務。のち日大講師。黒岩涙香の古書を収集、これを研究した。 1986年『明治の探偵小説』で日本推理作家協会賞受賞。1989年、「黒岩涙香―探偵小説の元祖」で大衆文学研究賞研究・考証部門を受賞。 大衆文学研究会・日本文芸家協会各会員。「探偵趣味」同人。
山中 末治(やまなか すえはる、1925年(大正14年)1月… 山中 末治(やまなか すえはる、1925年(大正14年)1月2日 - 2014年(平成26年)12月15日)は、日本の政治家(京都府綴喜郡八幡町長、京都府八幡市長、京都府町村会長を歴任。衆議院議員2期)、航空技手。京都府八幡市出身。 その後、日本社会党京都府本部顧問、日本私鉄労働組合総連合会顧問などを務める。 2000年4月の春の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章する。 2014年12月15日、死去。89歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
折原 啓子(おりはら けいこ、本名:三上 芳子〔みかみ よし… 折原 啓子(おりはら けいこ、本名:三上 芳子〔みかみ よしこ〕、旧姓:折原、1925年〈大正14年〉1月1日 - 1985年〈昭和60年〉11月24日)は、日本の女優。映画プロデューサーの三上訓利は夫、元・プロ野球選手の篠塚和典は娘婿(篠塚の妻・嘉津子が実娘)、俳優の三上博史は甥、篠塚宜政は(折原の死去後に誕生した)孫である。 1925年、茨城県北相馬郡小文間村(現・取手市)生まれ。茨城県立取手高等女学校(現・茨城県立取手第二高等学校)卒業後にタイピストを経て見習い看護婦をしていたが、戦後まもない1945年に大映第1期ニューフェースに応募・合格し、翌1946年に『彼と彼女は行く』でデビュー。以後、『花咲く家族』など約60本に主演し、その美貌が多くのファンの心をとらえた。