中根 千枝(なかね ちえ、1926年〈大正15年〉11月30… 中根 千枝(なかね ちえ、1926年〈大正15年〉11月30日 - 2021年〈令和3年〉10月12日)は、日本の社会人類学者。専門はインド・チベット・日本の社会組織。日本の社会構造を分析した『タテ社会の人間関係』(1967年)は長く読まれている。東京大学名誉教授。イギリス人類学民族学連合名誉会員、国際人類学民族学連合名誉会員など。著書に『未開の顔・文明の顔』(1959年)、『適応の条件』(1972年)、『中国とインド』(1999年)など。 女性初の東大教授。女性初の日本学士院会員。また学術系としては女性初の文化勲章受章者となった。 東京府豊多摩郡戸塚村(現・新宿区)生まれ。父親は弁護士であった。
岩橋 辰也(いわはし たつや、1926年(大正15年)11月… 岩橋 辰也(いわはし たつや、1926年(大正15年)11月30日 - 2024年(令和6年)1月18日)は、日本の政治家。(旧)都城市の元市長。 宮崎県立都城商業学校(現宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)卒業。1948年、都城市役所に奉職。市長公室長・人事課長・農業委員会事務局長・水道局長・建設部長などを歴任。1977年4月都城市助役に就任。1984年12月、都城市長に初当選。その後2004年12月まで市長職を5期20年務める。都城北諸合併協議会の会長を務め、2006年に市町村合併により発足した(新)都城市の発足に大きく貢献した。 2004年12月、6期目を目指した都城市長選で35歳で元宮崎県議会議員の長峯誠に敗れる。
三木 正之(みき まさゆき、1926年11月29日 - 20… 三木 正之(みき まさゆき、1926年11月29日 - 2018年7月13日)は、日本のドイツ文学者・哲学者、神戸大学名誉教授。 大阪府生まれ。京都大学文学部独文科卒業。鹿児島大学講師、神戸大学教養部助教授、文学部教授、90年定年退官、名誉教授、関西外国語大学教授。 2008年、瑞宝中綬章受章。 2018年7月13日、胃がんのため、神戸市須磨区の病院で死去、91歳。叙正四位。
前田 惠學(まえだ えがく、1926年11月29日 - 20… 前田 惠學(まえだ えがく、1926年11月29日 - 2010年10月31日)は、日本の僧侶、仏教学者。文化功労者。真宗大谷派速念寺第15代住職。 1926年、愛知県名古屋市で前田家の長男として生まれた。東京大学文学部哲学科で学び、1951年に卒業。同大学大学院文学研究科に進み、辻直四郎、宮本正尊、中村元、水野弘元などに師事してインド哲学および仏教学を学んだ。1954年、東京大学大学院研究奨学生を修了。 1956年、東京大学文学部助手に採用された。1962年、学位論文『原始仏教聖典成立史的研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。この年の学位取得者は、旧学位制度下での最後の文学博士号取得者であった。
原田 清(はらだ きよし、1926年11月28日 - )は、… 原田 清(はらだ きよし、1926年11月28日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは一塁手。
野村 敏雄(のむら としお、1926年11月28日 - 20… 野村 敏雄(のむら としお、1926年11月28日 - 2009年6月30日)は、日本の作家。 現在の東京都新宿区の生まれ。明治学院大学英文科卒。長谷川伸の新鷹会に所属。1955年「老眼鏡と土性骨」で直木賞候補。1986年「安永三年の絵師」でサンケイ児童出版文化賞受賞、2001年第36回長谷川伸賞受賞。 時代小説のほか麻雀小説も書き、漫画の原作になっている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
吹田 文明(ふきた ふみあき、1926年11月28日 - )… 吹田 文明(ふきた ふみあき、1926年11月28日 - )は、日本の版画家。日本美術家連盟理事、多摩美術大学名誉教授。娘は陶芸家の吹田千明。 徳島県阿南市富岡町出身。東京都世田谷区在住。 1947年(昭和22年)に徳島師範学校(現徳島大学)を卒業。1948年、徳島県の研究生として東京芸術大学に派遣され、萬鉄五郎に師事する。その後、数々の賞を受賞。 1969年(昭和44年)に多摩美術大学教授に就任。1994年(平成6年)に日本版画協会理事長に就任。2004年(平成16年)に日本美術家連盟理事長に就任。 2013年(平成25年)に阿南市名誉市民に選定される。 ニューヨーク近代美術館、ポーランド国立美術館、シアトル美術館、オレゴン大学美術館、スイス国立美術館、メキシコ近代美術館、シカゴ美術館、東京国立近代美術館などの美術館に作品が所蔵されている。
田中 弘邦(たなか ひろくに、1926年11月27日 - 2… 田中 弘邦(たなか ひろくに、1926年11月27日 - 2019年4月11日)は、元特定郵便局長会会長。特定局長のOBで組織される大樹全国会議の会長を務める。郵便局関係者に多大な影響力を持つ「全特のドン」として知られる。郵政民営化をめぐる論議では特定局長会の「顔役」として新聞・雑誌などのメディアに頻繁に登場し国営維持論を訴えた。 新潟県上越市出身。新潟県立高田中学校を経て麻布獣医専門学校(現麻布大学獣医学部)卒業。家業の造り酒屋「田中酒造」を継ぐ。同時に曽祖父の代からの世襲である特定郵便局(谷浜郵便局)の局長となる。以降、局長職を46年にわたって務める。その間、信越特定郵便局長会会長・全国特定郵便局長会会長などを歴任。
深川 清司(ふかがわ きよし、1926年11月27日 - )… 深川 清司(ふかがわ きよし、1926年11月27日 - )は、日本の経営者。東洋水産会長を務めた。 三重県出身。1948年に農林水産講習所(現・東京海洋大学)を卒業し、とある食品メーカーで魚肉ソーセージ等の製造を手掛けていたが、その品質の高さを評価した東洋水産のある役員にスカウトされ、1958年に東洋水産に入社。 1972年5月に取締役に就任し、同社研究部長として製品開発の指揮を執る。当時はフリルフラマイド(AF2)の使用禁止問題などに翻弄されつつも、1975年に発売した『マルちゃんのカップうどんきつね』(後のマルちゃん赤いきつねと緑のたぬき)がヒットするなど、東洋水産を即席麺のトップメーカーの一角を占めるまでに成長させた。
西尾 正也(にしお まさや、1926年(大正15年)11月2… 西尾 正也(にしお まさや、1926年(大正15年)11月26日 - 1998年(平成10年)3月26日)は、日本の政治家、地方公務員、実業家。第15代大阪市長(2期8年)。大阪市東淀川区出身。
平野 朝雄(ひらの あさお、1926年〈大正15年〉11月2… 平野 朝雄(ひらの あさお、1926年〈大正15年〉11月26日 - 2019年〈令和元年〉7月25日)は、アメリカ合衆国・日本の神経病理学者・脳神経内科医。 ニューヨーク州のモンテフィオーレ病院(Montefiore Medical Center)、アルバート・アインシュタイン医学校 教授として神経病理学・神経学の発展に貢献し、黎明期の神経学を担う多数の日本人研究者を育成した。 旧制新潟高等学校に進学後、京都大学医学部に進学し1952年に卒業。同年に大阪アメリカ陸軍病院(現:大阪赤十字病院)で初の日本人実習生として荒木淑郎と共に1年間インターンを行う。現地の医師から留学を薦められ、アメリカに留学することを決意する。
本郷 公威(ほんごう こうい、 1926年(大正15年)11… 本郷 公威(ほんごう こうい、 1926年(大正15年)11月26日 - 1991年(平成3年)3月31日)は、昭和期の教育者、政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 大分県直入郡白丹村(久住町を経て現竹田市)出身。1947年(昭和22年)大分師範学校卒。大分県内で小中学校の教員を務め、1972年(昭和47年)大分県教職員組合委員長となる。教職員の待遇改善、教育問題の解決に努め、日の丸・君が代反対運動などを推進した。 1979年の第35回衆議院議員総選挙で大分1区から日本社会党公認で立候補して当選。この選挙で大分1区では同じ社会党から村山富市も当選し、2名当選した。翌年の第36回衆議院議員総選挙で落選した(同選挙では村山も落選した)。
浜田 義雄(はまだ よしお、1926年11月25日 - 20… 浜田 義雄(はまだ よしお、1926年11月25日 - 2012年3月27日)は、東京都品川区出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ。 孫は声優の浜田洋平。 1948年に関口 義雄の登録名で急映フライヤーズに入団。翌年に名前を改名し、この年にレギュラーとして活躍。 1951年にオールスターゲームに出場している。また1955年10月5日の対毎日オリオンズ戦(後楽園球場)から1956年5月20日の阪急ブレーブス戦(駒澤野球場)まで196打席連続無三振を記録。これは当時の日本記録であった。 1958年に現役を引退、翌年より1969年まで岩本義行、水原茂、大下弘、松木謙治郎の代々の東映フライヤーズ監督の下でコーチを務めた。
上野 裕也(うえの ひろや、1926年11月25日 - 20… 上野 裕也(うえの ひろや、1926年11月25日 - 2016年2月26日)は、日本の経済学者。成蹊大学学長・ペンシルベニア大学客員教授等を歴任。日経・経済図書文化賞受賞。 1926年、東京生まれ。筆名・あれふぜろ。1948年に東京商科大学を卒業し、同大学大学院に進む。1949年同研究科を中退。 1952年より名古屋大学経済学部助教授、1964年より教授。1961年には学位論文『日本経済の計量経済学的分析』を大阪大学に提出して経済学博士号を取得。1965年よりペンシルバニア大学客員教授、1966年より国際連合本部経済担当本部国際上級公務員。1967年より成蹊大学政治経済学部教授、1979年経済学部長、のち学長を務めた。
鈴木 生朗(すずき いくろう、1926年11月25日 - 2… 鈴木 生朗(すずき いくろう、1926年11月25日 - 2014年12月28日)は、日本の脚本家。東京都出身。早稲田大学商学部卒。 大学卒業後、京都に移住し脚本家として活動を開始。主に時代劇を多く手掛けた。映画・テレビドラマのほか、テレビアニメ『佐武と市捕物控』にも参加している。 時代劇以外では、仮面ライダーシリーズも担当。同じく東映制作の『変身忍者 嵐』も含め、吸血怪人が登場する回を執筆することが多かった。第1作『仮面ライダー』では、関西在住であったことから、第71話から第73話の関西ロケ編のシナリオハンティングも行った。
石原 信雄(いしはら のぶお、1926年〈大正15年〉11月… 石原 信雄(いしはら のぶお、1926年〈大正15年〉11月24日 - 2023年〈令和5年〉1月29日)は、日本の官僚。内閣官房副長官(在任 1987年 - 1995年)。位階は正三位。財務官僚で元内閣府審議官の石原一彦は長男。 自治省官僚時代に自治医科大学(1972年創立)の開学に関わった。東京都知事選挙落選後は、大宮操車場跡地ほか(現・さいたま新都心)への10省庁18機関の移転にも関わった。また、埼玉県さいたま市の合併・政令指定都市移行にも関わり、平成の大合併では講演会や顧問などの形で様々な市町村合併にも関わった。 1993年に出された、慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(河野談話)に官房副長官として関与。
遠城寺 宗知(えんじょうじ むねとも、1926年11月24日… 遠城寺 宗知(えんじょうじ むねとも、1926年11月24日 - 2010年6月21日)は日本の病理学者。九州大学名誉教授。 九州大学医学部長、九州大学総長、久留米大学学長などを歴任した遠城寺宗徳の長男として福岡市に生まれる。福岡県中学修猷館、旧制福岡高等学校を経て、1951年3月九州大学医学部を卒業。 卒業後、実地修練を経て、今井環教授の九州大学医学部病理学教室第一講座に入室。助手、講師を経て、1958年10月助教授に就任。米国ボストンへの留学の後、1963年3月鹿児島大学医学部に新設された第二病理学教室の初代教授に就任する。 1970年10月九州大学医学部に復帰し第二病理学講座の第4代教授に就任。
小田部 通麿(おたべ みちまろ、1926年11月24日 - … 小田部 通麿(おたべ みちまろ、1926年11月24日 - 2004年8月29日)は、日本の俳優・住職。福岡県山門郡柳川町出身。本名:釈 通麿(とき みちまろ)、別名:小田部 道磨。 柳川町の寺の息子として生まれ、18歳で太平洋戦争に応召する。復員後は拓殖大学専門部司政科)に通い、1948年に卒業。終戦後に町で戦災孤児たちが盗みを働いて少年院に送られる姿に同情し、これらの少年たちのために何かしてやりたいと考え、大阪府茨木市の「浪速少年院」や福岡県の「福岡少年院」で教官を務めた。 少年院での仕事に行き詰まりを感じていた1955年、たまたま訪れた東映京都撮影所にて面構えが強面だったことで俳優への道を勧められ東映京都撮影所に入社する。
野口 祐(のぐち たすく、1926年11月22日 - 201… 野口 祐(のぐち たすく、1926年11月22日 - 2016年5月7日)は、日本の経営学者。学位は、経済学博士(1966年)。慶應義塾大学名誉教授。 栃木県生まれ。1950年慶應義塾大学経済学部卒、1966年「生産管理の経営学」で経済学博士の学位を取得。1951年慶大経済学部副手、1955年助手、1958年慶應義塾大学商学部助教授、1964年同教授。1992年定年、名誉教授、日本大学教授、創価大学経営学部教授。2001年退任。日本経営学会理事長、日本学術会議会員、ベルリン自由大学客員教授、パリ大学客員教授。 戦前の三井財閥などの財閥研究、金融史(銀行史)、人事労務管理論、経営管理論、組織論、企業経営分野において業績を残す。
大塚 初重(おおつか はつしげ、1926年(大正15年)11… 大塚 初重(おおつか はつしげ、1926年(大正15年)11月22日 - )は、日本の考古学者。明治大学名誉教授。主として弥生時代と古墳時代を研究領域としている。
笠原 俊一(かさはら しゅんいち、1926年(大正15年)1… 笠原 俊一(かさはら しゅんいち、1926年(大正15年)11月21日 - 2007年(平成19年)4月8日)は、昭和戦後から平成期の地方公務員、政治家。長野県諏訪市長。 現在の諏訪市出身。1943年(昭和18年)12月、岡谷工業学校(現長野県岡谷工業高等学校)卒業。1944年(昭和19年)近藤製作所(のち浅野航空)に入社。1945年(昭和20年)応召し、復員後は職場が解散したため農業に従事。1951年(昭和26年)7月、中洲村役場に入り、諏訪市合併後、1967年(昭和42年)財政課長、1979年(昭和54年)助役を歴任。 1983年(昭和58年)5月、諏訪市長選挙に当選し、1999年(平成11年)5月まで4期務めて引退。
根本 陸夫(ねもと りくお、1926年11月20日 - 19… 根本 陸夫(ねもと りくお、1926年11月20日 - 1999年4月30日)は、茨城県那珂郡東海村出身(水戸市生まれ)のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督・実業家、解説者。 引退後は近鉄バファローズコーチ、広島東洋カープコーチ・監督、クラウンライター→西武ライオンズ監督、福岡ダイエーホークス監督の他、西武ライオンズ球団管理部長、福岡ダイエーホークス代表取締役専務・代表取締役社長と、球団フロントの要職を歴任した。 ニックネームは「球界の寝業師」、ドラフト会議やトレードで辣腕を振るい、その仕事ぶりは「根本マジック」(#根本マジック参照)、「黄金時代の陰に根本あり」とも称された。肩書きこそ違ったが、事実上のGMとしてその敏腕ぶりを発揮。
赤羽 賢司(あかばね けんじ、1926年〈大正15年〉11月… 赤羽 賢司(あかばね けんじ、1926年〈大正15年〉11月20日 - 2015年〈平成27年〉4月22日)は、日本の天文学者。東京大学名誉教授。専門は電波天文学。日本物理学会および電子情報通信学会のフェロー会員。 長野県東筑摩郡寿村(現松本市)生まれ。旧姓は青木。 赤羽の弟子には川尻矗大、大師堂経明、海部宣男、平林久、井口哲夫、稲谷順司、福井康雄、長谷川哲夫、佐藤文男、加藤隆二、長井嗣信、春日隆、土井恒久らがいる。
胡 美芳(こ びほう)(1926年11月20日 - 2009… 胡 美芳(こ びほう)(1926年11月20日 - 2009年11月7日)は、和歌山県生まれの中国人歌手。日本名で、周 朝子(しゅう あさこ)とも名乗っていた。戦後日本でデビューし、渡辺はま子や李香蘭の歌のカバーで人気を博した。日本コロムビア所属。1974年にキリスト教に入信し、以後、福音歌手として教会を回っての活動を続けた。 息子は、東京・新橋で新橋やきとんまこちゃん本店を経営している。
木村 裕主(きむら ひろし、1926年11月19日 - 20… 木村 裕主(きむら ひろし、1926年11月19日 - 2007年8月22日)は、ノンフィクション作家。 群馬県生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒業。毎日新聞記者を務め、ローマ特派員、編集委員を経て、東京外国語大学講師、外務省専門調査員・在イタリア日本大使館広報文化担当官などを歴任した。ノンフィクション作家の塚本哲也は実弟で、同じく毎日新聞記者出身。1990年に、63歳で、『ムッソリーニを逮捕せよ』で第12回講談社ノンフィクション賞を受賞、先に受賞していた塚本哲也に続く兄弟受賞となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
原 信夫(はら のぶお、本名・塚原 信夫(つかはら のぶお)… 原 信夫(はら のぶお、本名・塚原 信夫(つかはら のぶお)、1926年11月19日 - 2021年6月21日)は、日本のジャズミュージシャン。テナーサックス奏者。富山県富山市出身。 1926年、樺太で誕生。料理人であった実父が、富山県滑川町(現滑川市)で料理旅館兼映画館を営む親類を頼り、移住。間もなく実母が亡くなり、東岩瀬で漁業を営む塚原家の養子になった。岩瀬尋常小学校時代に音楽教師の勧めでコルネットを吹き始め、岩瀬尋常高等小学校を卒業後、富山市の機械工業青年学校のブラスバンド部に入り、テナーサックスに出会った。 1943年、大日本帝國海軍軍楽隊に入団。横浜海兵団に配属され、終戦まで海軍軍楽隊で過ごす。
武藤 嘉文(むとう かぶん、1926年〈大正15年〉11月1… 武藤 嘉文(むとう かぶん、1926年〈大正15年〉11月18日 - 2009年〈平成21年〉11月4日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党所属の衆議院議員、農林水産大臣(第3代)、通商産業大臣(第51代)、外務大臣(第114代)、総務庁長官(第19代)を歴任した。 岐阜県各務原市出身。岐阜中学 (旧制)、富山高校 (旧制)卒業。中国・上海の東亜同文書院大学に入学するが、一時帰国中に同校が敗戦によって閉校したため、戦後、京都大学法学部に転入学する。在学中は当時大学の総長だった瀧川幸辰に師事していた。1951年(昭和26年)、京都大学法学部卒業。ファミリー企業の武藤醸造(菊川株式会社、後にヒシノ)に入社する。
難波江 通泰(なばえ みちやす、1926年(大正15年)11… 難波江 通泰(なばえ みちやす、1926年(大正15年)11月18日 - 2007年(平成19年)6月20日)は、日本の文学、歴史、哲学の学者。愛媛県出身。愛媛大学卒。小・中・高校の教諭を歴任。福岡県立戸畑高等学校、三重県伊勢市の皇學館高等学校、皇學館中学校(中高一貫6年制)教諭を経た後、国士舘大学武徳研究所助教授。専門は王陽明、支那文学(漢文)、支那哲学。 王陽明全集の中で非常に難解とされ、誰にも訳されることのなかった王陽明全集 第五巻「公移」を詳細な注釈つきで現代語訳(明徳出版社、1985年5月)。 墓所は伊勢市の小町塚にある。 趣味は尺八、謡曲、仕舞、剣道、柔道、弓道(日置流)だった。
古賀 梶夫(こが かじお、1926年(大正15年)11月18… 古賀 梶夫(こが かじお、1926年(大正15年)11月18日 - )は、日本の実業家、建築技術者。国土総合建設(現:あおみ建設)元社長。神奈川県川崎市在籍。元通産・経産官僚、政治経済評論家の古賀茂明の父。 福岡県出身。古賀要市・ユクの次男として生まれる。1945年(昭和20年)海軍経理学校(36期)、1952年(昭和27年)明治大学商学部を卒業し、同年4月鉄鉱業に入社。 1961年(昭和36年)12月退社し、ブルドーザー工事(現:青木あすなろ建設)に入社。1967年(昭和42年)9月経理部長、1968年(昭和43年)5月取締役に就任。1971年(昭和46年)2月経理部長兼電算部長、1972年(昭和47年)7月事務本部副本部長委嘱。
井原 勇(いはら いさむ、1926年〈大正15年〉11月17… 井原 勇(いはら いさむ、1926年〈大正15年〉11月17日 - 2007年〈平成19年〉10月7日)は、日本の政治家。与野市長(第8代 - 第12代〈最終〉)。さいたま市長職務執行者。 埼玉県北足立郡与野町(現さいたま市中央区)出身。旧制浦和中、東京大学工学部を卒業後、新潟鐵工所に入社。新潟コンバータ取締役や大宮工場長を経て、1979年に与野市の収入役に就任した。1983年、白鳥三郎の事実上の後継指名を受け市長選挙に立候補し当選、第8代与野市長に就任した。その後5期18年、さいたま市として合併するまで市長を在任した。 篤実な人物で、2001年5月の合体合併によるさいたま市設置に際しても、浦和方と大宮方の仲介役として、さいたま市の誕生に大きな役割を果たした。
西島 安則(にしじま やすのり、1926年11月17日 - … 西島 安則(にしじま やすのり、1926年11月17日 - 2010年9月3日)は、日本の工学者。専門は高分子化学。工学博士。京都大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授。京都大学総長・京都市立芸術大学学長(1998年~2004年)・京都市産業技術研究所所長を歴任。2004年瑞宝大綬章受章。 京都府生まれ。旧制京都府立京都第一中学校(現:京都府立洛北高等学校)卒業、京都大学工学部卒業。工学博士。 1949年~1954年京都大学大学院特別研究生。1953年~1956年ブルックリン工科大学高分子研究所留学。1962年京都大学工学博士、1964年京都大学講師。1967年ブルックリン工科大学客員教授、1968年京都大学助教授,1974年京都大学教授、1975年京都大学学生部長、1979年京都大学工学部長、1985年~1991年京都大学総長。
森本 忠夫(もりもと ただお、1926年11月17日 - 2… 森本 忠夫(もりもと ただお、1926年11月17日 - 2015年5月11日)は、日本の実業家、文筆家。 京都府生まれ。戦時中は海軍航空隊員として太平洋戦争に従軍した。1952年京都大学経済学部卒業後、東洋レーヨン(現・東レ)に入社する。東レ取締役、東レ経営研究所社長を経て、龍谷大学経済学部教授(1999年まで)。 自らの軍歴から、森本も特別攻撃隊や太平洋戦争での日本の敗因に関心を持ち、東レ時代にはソビエト連邦との貿易実務に携わった。これらに関係する多数の著書がある。 2015年、肺炎のため88歳で死去した。
高橋 良(たかはし りょう、1926年11月17日 - 19… 高橋 良(たかはし りょう、1926年11月17日 - 1988年9月2日)は、日本の医学者、精神科医。元東京医科歯科大学医学部教授。長崎大学名誉教授。医学博士。
荒巻 淳(あらまき あつし、1926年11月16日 - 19… 荒巻 淳(あらまき あつし、1926年11月16日 - 1971年5月12日)は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
鈴木 治(すずき おさむ、1926年11月15日 - 200… 鈴木 治(すずき おさむ、1926年11月15日 - 2001年4月9日)は日本の陶芸家。馬や鳥、雲や太陽などをモチーフにした抽象的フォルムの詩情あふれる作品で高く評価される。戦後の陶芸界をリードした走泥社の創立メンバー。京都市立芸術大学名誉教授。 1926年千家十職の永樂工房で轆轤(ろくろ)職人をしていた鈴木宇源治の三男として京都市五条坂に生まれ、早くから父に轆轤の手ほどきを受ける。1943年京都市立第二工業学校(現・京都市立伏見工業高等学校)窯業科を卒業。 戦後1946年中島清を中心に、京都の若手陶芸家が集まって結成された青年作陶家集団に参加。1948年解散。 同1948年八木一夫、山田光らとともに、陶芸による新しい造形表現を目指す前衛陶芸家集団走泥社を結成。
新盛 辰雄(しんもり たつお、1926年〈大正15年〉11月… 新盛 辰雄(しんもり たつお、1926年〈大正15年〉11月15日 - 2025年〈令和7年〉7月24日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(5期)。 鹿児島県鹿児島市出身。1943年(昭和18年)、鹿児島実業学校(現在の鹿児島実業高等学校)土木科卒。翌年、鹿児島鉄道に入社。1948年(昭和23年)社会党に入党し、国労鹿児島地本書記長、同執行委員長を経て、鹿児島県総評議長を3期務める。1976年の総選挙で鹿児島1区から立候補して初当選。通算5期務めた。1993年の総選挙で落選し、政界から引退した。 1997年(平成9年)4月の春の叙勲で勲二等瑞宝章を受章する。 2025年(令和7年)7月24日14時27分、老衰のため、鹿児島市内の病院で死去した。
田中 明子(たなか あきこ、1926年11月15日 - 20… 田中 明子(たなか あきこ、1926年11月15日 - 2020年12月9日)は、日本の翻訳家。 児童文学作家・瀬田貞二の盟友で、主に児童文学の翻訳を行った。代表作にJ・R・R・トールキンの『指輪物語』(瀬田による翻訳の改訂)、『シルマリルの物語』などがある。 中世仏教文化史の研究者であった田中久夫は、明子の夫にあたる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
内山 知也(うちやま ちなり、1926年11月15日 - 2… 内山 知也(うちやま ちなり、1926年11月15日 - 2018年7月29日)は、日本の漢文学者、筑波大学名誉教授。斯文会常務理事、漢字文化振興会常務理事。専門は漢文小説。 1926年、新潟県生まれ。東京文理科大学漢文学専攻で学んだ。卒業後は同大学研究科へ進んだが、太平洋戦争の戦局悪化により応召し、1945年に復学。 その後は、新潟大学教育学部講師に着いた。大東文化大学助教授・教授を経て、1976年より筑波大学教授となった。1980年に学位論文『隋唐小説研究』を筑波大学に提出して文学博士号を取得。1992年に筑波大学を定年退官し、名誉教授となった。同年より大東文化大学教授となり、1997年に退職した。
関本 忠弘(せきもと ただひろ、1926年11月14日 - … 関本 忠弘(せきもと ただひろ、1926年11月14日 - 2007年11月11日)は日本の実業家・技術者。位階は従三位。1980年より1998年にかけて日本電気株式会社(NEC)の社長と会長を務め、この間に日本電気を日本電信電話公社(現・NTT)に依存する〝国策企業〟から、世界中にコンピュータ、半導体、通信機などを売る総合電機メーカーに成長させた。 兵庫県神戸市生まれ。神戸市立川池小学校(現・神戸市立会下山小学校)、旧制瀧川中学校(四修)、旧制姫路高等学校理科甲類(首席)を経て、東京大学理学部物理学科を卒業。 1948年、日本電気に入社。入社後は同社の中央研究所で研究に従事し、PCM(パルス符号変換方式)の研究等を行う。
杉山 参緑(すぎやま さんろく、1926年(大正15年)11… 杉山 参緑(すぎやま さんろく、1926年(大正15年)11月14日 - 1990年(平成2年)4月14日)は、日本の詩人。祖父は政財界のフィクサーともいわれた杉山茂丸、父は作家の夢野久作、兄はインドの緑の父(Green Father)と呼ばれる杉山龍丸である。 1926年、夢野久作の三男として福岡市に生まれる(長男・杉山龍丸、次男・三苫鐵児)。1945年(昭和20年)、福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)卒業後、陸軍に従軍し終戦を迎える。その後福岡に戻り、1949年(昭和24年)、西南学院専門学校商業科を卒業する。大学卒業後は志賀島村立西戸崎小学校に1年間勤務し、退職後筥崎宮・宇美八幡宮で神官の見習いとなり、1951年(昭和26年)、福岡市のバプテスト教会で洗礼を受ける。
武智 文雄(たけち ふみお、1926年11月14日 - 20… 武智 文雄(たけち ふみお、1926年11月14日 - 2013年7月1日)は、岐阜県稲葉郡前宮村(現:各務原市)出身の元プロ野球選手・コーチ・解説者。
鈴木 満男(鈴木滿男、すずき みつお、1926年11月14日… 鈴木 満男(鈴木滿男、すずき みつお、1926年11月14日 - 2004年12月24日)は、日本の政治人類学者。 1926年、東京都生まれ。東京大学大学院社会学研究科文化人類学修士課程を修了。 順天堂大学医学部助教授、同大学教授となった。山口大学教授。1988年、学位論文『“漢蕃”合成家族の形成と展開:近代初期における台湾辺疆の政治人類学的研究』を東京大学に提出して社会学博士号を取得。1990年に山口大学を定年退官。その後は、九州女子大学教授として教鞭をとった。ソウル大学法科大学外国人招聘教授も務めた。 葦津珍彦の弟子で『葦津珍彦著作集』(神社新報社、全3巻)の解題も執筆した。
中塚 武司(なかつか たけし、1926年11月13日 - 2… 中塚 武司(なかつか たけし、1926年11月13日 - 2008年10月30日)は、日本の自動車技術者。元車体工業株式会社社長。元いすゞ自動車株式会社理事。 エンジンの設計をはじめ、制御技術、タイヤ、新素材、サスペンションなど自動車を構成するほぼ全ての技術に携わり、日本の自動車技術の発展に著しく貢献した。 日本初の空気ばね車や電子制御によるディーゼルエンジン、新素材、4輪独立懸架乗用車、4WD車、電子制御機械式自動変速機などの新技術を開発した。とりわけ、1955年に行った空気ばねの研究・開発は、後の東海道新幹線における同技術の先鞭となった。また、自動車運動の解析及び理論化に努め、さらに人間工学や環境工学、医学、生理学的観点から《人間-機械-環境系》という体系を提唱・確立すると共に、従来の“設計者”の枠を実験・研究者の司る範疇にまで拡張し、今日における“技術者”の再定義に寄与した。
板倉 勝高(いたくら かつたか、1926年11月13日 - … 板倉 勝高(いたくら かつたか、1926年11月13日 - 1994年1月10日)は、日本の経済地理学者。東北大学名誉教授。 東京生まれ。大名華族板倉氏の子孫。1952年東北大学経済学部卒、東京都立神代高等学校教諭。信州大学助教授。1967年「日本興業地域の形成」で東北大経済学博士。流通経済大学助教授、教授、1977年東北大理学部教授、1990年定年退官、信州短期大学教授。1994年1月10日、肝臓癌のため死去。 もっぱら地場産業を研究した。
園田 てる子(そのだ てるこ、1926年11月12日 - 1… 園田 てる子(そのだ てるこ、1926年11月12日 - 1976年5月11日)は、日本の小説家。 埼玉県生まれ。実家は石山家で、金物店。本名・照子。1943年熊谷高等女学校卒。1945年8月14日に園田芳男(1920- 航空技師、戦後は高校の数学教師)と結婚する。1950年頃から倶楽部雑誌や学習雑誌に小説を発表。次第に官能小説が多くなり、トルコ風呂(本番はなし)での体当たり体験ルポなども書いた。女流推理作家の集まり「霧の会」の会員でもあった。晩年は歴史小説に挑むが、自動車に撥ねられて即死した。
八田 恭昌(やつだ やすまさ、1926年11月12日 - 1… 八田 恭昌(やつだ やすまさ、1926年11月12日 - 1992年11月18日)は、日本の政治学者。ドイツ政治史学者。 1926年、兵庫県神戸市生まれ。静岡県立沼津中学校(現静岡県立沼津東高等学校)卒、1951年同志社大学文学部社会学科卒業、1953年同大学院社会福祉学専攻修了、同文学部社会学科助手、1962年講師、1965年助教授、1968年教授、1973年新聞学専攻教授。
鈴木たね子(すずき たねこ、1926年11月12日- 202… 鈴木たね子(すずき たねこ、1926年11月12日- 2020年4月24日)は、日本の食品栄養学者。 東京出身。帝国女子医科薬科専門学校(現東邦大学)薬学部卒、1962年「魚肉鮮度の化学的判定方法に関する研究」で農学博士(九州大学)。農林水産省水産庁水産研究所生物化学部長、日本大学短期大学部生活環境学科教授、国際学院埼玉短期大学健康栄養学科教授。日本おさかなマイスター協会講師、日本水産学会名誉会員。 2020年4月24日大腸がんにより死去
鶴巻 良輔(つるまき りょうすけ、1926年11月12日 -… 鶴巻 良輔(つるまき りょうすけ、1926年11月12日 - )は、日本の経営者。昭和シェル石油社長を務めた。新潟県出身。 1947年に長岡高等工業学校を卒業し、同年に昭和石油に入社。1978年3月に取締役に就任し、1983年3月に常務、1987年3月に専務を経て、1993年9月には社長に就任。1995年4月から相談役を務めた。
片山 明彦(かたやま あきひこ、1926年11月11日 - … 片山 明彦(かたやま あきひこ、1926年11月11日 - 2014年11月16日)は、日本の俳優、元子役。本名は鹿児島 燁彦。東京市世田谷区船橋[要出典](現:東京都世田谷区船橋[要出典])出身。京都府京都市出生[要出典]。暁星中学校・高等学校卒。 太平洋戦争以前に映画会社日活多摩川で子役として映画に出演した。戦時中は長崎県大村市の西部方面後方支援隊に召集された。戦後は70年代前半まで俳優として活動した。所属した映画会社は、大映、東宝、新東宝、東映、赤坂プロダクションなどであった。 2014年11月16日、心不全のため死去。88歳没。墓所は多磨霊園。 父は俳優の島耕二、母は女優の大谷良子。
住谷 磬(すみや けい、1926年〈大正15年〉11月11日… 住谷 磬(すみや けい、1926年〈大正15年〉11月11日 - 2009年〈平成21年〉7月24日)は、社会福祉学者。 住谷悦治の次男として京都市に生まれる。兄は住谷一彦。1956年同志社大学文学部卒、58年同大学院社会福祉専攻修士課程修了、同志社大学文学部助手、講師、助教授、1972年教授。94年定年退任、名誉教授、滋賀文化短期大学教授、95年学長。毎日社会福祉顕彰特別賞受賞。