岩下 守道(いわした もりみち、1931年12月9日 - 2… 岩下 守道(いわした もりみち、1931年12月9日 - 2015年1月18日)は、長野県北佐久郡北御牧村(現役当時、現・同県東御市)出身の読売ジャイアンツや国鉄スワローズなどに在籍したプロ野球選手。 小県農業高校では投手で、球速は速かったが制球に難があり、それを補うためにコーチをする者もいない中でカーブの投げ方を自分で考案したという。1949年夏に読売ジャイアンツ(巨人)が初めて選手公募を行った際、卓球部主将の尾崎直司(のち八千代市議会議員)が岩下に内緒で申し込んだのがきっかけで入団テストを受け、応募者1,300名の中で総合得点ではトップ合格。支度金10万円、給料15,000円の条件で入団した。
杉浦 直樹(すぎうら なおき、1931年〈昭和6年〉12月8… 杉浦 直樹(すぎうら なおき、1931年〈昭和6年〉12月8日 - 2011年〈平成23年〉9月21日)は、日本の俳優。フリーランス。血液型はB型 愛知県岡崎市に、杉浦仙次郎の次男として生まれる。兄に康雄、弟に俊也、2人の妹がいる。祖父は実業家の3代目杉浦銀蔵。従兄は数学者で東京大学名誉教授の杉浦光夫で、父の兄である英一の次男。戦争末期、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に入学。1945年、学徒動員により日清紡績美合工場に送られ、終戦まで飛行機を作る毎日を送る。 1946年春、当時岡崎中学校で教鞭を執っていた画家の山本鍬太郎が演劇部を設立すると、すぐに入部。1948年4月の学制改革により愛知県立岡崎北高等学校に移る。
相倉 久人 (あいくら ひさと、1931年12月8日 - 2… 相倉 久人 (あいくら ひさと、1931年12月8日 - 2015年7月8日)は、東京府出身の音楽評論家、ジャズ司会者。 サウンド自体の評論ではなく、演奏者と聴衆の関係性、あるいはある音楽がその時代に生まれた意味合いを社会的なデータと絡めながら論じるなど、一種の社会論的な評論をするのが特徴。2007年に出版した『新書で入門 ジャズの歴史』では、自分がジャズから離れた(後述)後の時代のジャズをポスト・モダンの一言で片付ける荒業を見せた。 東京大森・馬込(現・東京都大田区)生まれ。東京陸軍幼年学校在学中に終戦を迎える。第49期生で同期に西村京太郎。 東京大学(文学部美学美術史学科、のちに中退)在学中からジャズ喫茶「コンボ」に入り浸り、ジャズ評論を書き始め、『ミュージック・ライフ』誌でデビュー。
二田原 英二(にたはら えいじ、1931年12月7日 - 2… 二田原 英二(にたはら えいじ、1931年12月7日 - 2017年1月31日)は、日本の彫刻家、おもにブロンズを扱う。金蘭学園短期大学学長を務めた。 福岡県久留米市生まれ。旧制・福岡県立中学明善校に学び、学制改革を経て1950年に福岡県立明善高等学校を卒業。1956年、東京芸術大学美術学部芸術学科美学美術史専攻を卒業し、同大学彫刻科研究室副手となる。1960年、イタリア政府招聘留学生として国立ナポリ美術アカデミーに学ぶ。以後1978年に帰国するまでナポリ、ローマ、ミラノなどイタリア各地で制作する。 1985年に金蘭学園短期大学(後の千里金蘭大学短期大学部)特任教授となり、2002年には学長となった後、2004年に名誉教授を贈られた。
佐々木 宏(ささき ひろし、1931年12月7日 - 201… 佐々木 宏(ささき ひろし、1931年12月7日 - 2019年9月1日)は、日本の建築家、建築評論家、近代建築研究者。 アカデミズムに属さず、自ら設計事務所を経営する傍ら、在野の研究者というスタンスを貫いた。唯一在職した法政大学では、非常勤講師の立場を通した。しかし、在野であるために何者にも遠慮することなく辛辣な批判を加える立場を崩さなかった。 1931年北海道小樽市に生まれる。北海道大学に入り、当初数学を目指したが、教師のアドバイスにより断念して建築へ転向。立原道造に傾倒して学内誌に立原論を投稿。在学中からアメリカの建築雑誌『アーキテクチュラル・レヴュー』を購読し、以来海外の建築動向には一貫して注目。
米川 伸一(よねかわ しんいち、1931年12月6日 - 1… 米川 伸一(よねかわ しんいち、1931年12月6日 - 1999年11月18日)は、日本の歴史学者・経営学者。経済学博士。専門はイギリス史、経営史。一橋大学名誉教授。かつて日本が経営史研究で世界をリードしていた1960年代から1980年代にかけて、日本を代表する経営史学者として知られた。 東京府(現在の東京都)出身。世田谷区立松原小学校、日本学園中学校、成蹊高等学校を経て、1956年一橋大学経済学部卒業、1958年同大学大学院経済学研究科修士課程修了、1961年同博士課程修了、経済学博士第1号。論文の名前は「中・近世ノーフォクにおける社会経済的発展 : 近代資本主義社会の成立に関する一研究」。
久保田 正躬(くぼた まさみ、1931年12月6日 - )は… 久保田 正躬(くぼた まさみ、1931年12月6日 - )は、日本の体操選手。元天理大学教授。大阪府出身。大阪府立八尾高等学校、東京教育大学体育学部(現在の筑波大学体育学群)卒業。 1954年、ローマ世界選手権に出場、団体総合で銀メダルを獲得。 1956年、メルボルンオリンピックで団体総合銀メダル、平行棒銀メダル、吊り輪銅メダルを獲得。 妻は体操選手でメルボルンオリンピック代表の沢村恭子。メルボルンオリンピックでは日本人としてはじめて夫婦そろってのオリンピック出場を果たした。 引退後は天理大学教授として指導にあたり、1956年に天理大学体操部監督に就任。1968年、天理大学体操部部長に就任した。
香川 京子(かがわ きょうこ、1931年〈昭和6年〉12月5… 香川 京子(かがわ きょうこ、1931年〈昭和6年〉12月5日 - )は、日本の女優。本名は、牧野 香子()。茨城県行方郡麻生町(現行方市)生まれ。東京都立第十高等女学校卒業。身長162 cm、体重45 kg。 茨城県行方郡麻生町(現・行方市)で生まれる。生まれてすぐに父親の仕事の都合で兵庫県の芦屋へ移る。 小学校に入る1年前に東京に戻るも、女学校に上がった1944年に空襲を避けるため、茨城県の下館に疎開。間もなく母親が麻生町に疎開したため、自らも麻生町に戻る。 女学校時代は勤労奉仕ばかりで、勉強することはあまりなかった。 1945年に東京に移り住む。 1949年に東京都立第十高等女学校を卒業。
フジコ・ヘミング(FuzjkoHemming) 本名:ゲオル… フジコ・ヘミング(FuzjkoHemming) 本名:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ(Georgii-Hemming Ingrid Fujiko、1931年12月5日 - 2024年4月21日)は、日本、ヨーロッパ、アメリカ合衆国で活躍したピアニストである。 父親はスウェーデン人で画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング(スウェーデン語版)(1986年死去)、母親は日本人でピアニストの大月投網子(wikidata)(1903年 - 1993年)、俳優の大月ウルフは弟、歌手の橋本潮は従姪にあたる。 1931年6月にスウェーデン人画家の父とピアノ留学中の母が結婚して12月5日にヴァイマル共和政下のドイツベルリンでフジコが誕生する。
安藤 満(あんどう みつる、1931年12月4日 - 202… 安藤 満(あんどう みつる、1931年12月4日 - 2023年1月9日)は、日本の編集者、経営者。文藝春秋社長を務めた。 神奈川県出身。1955年に慶應義塾大学文学部西洋史学科を卒業し、同年に文藝春秋に入社。「諸君!」・「オール読物」・「文藝春秋」各編集長を経て、1984年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1995年2月から1999年6月まで社長を務めた。 2023年1月9日、心不全のため死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
織田 正吉(おだ しょうきち、1931年12月4日 - 20… 織田 正吉(おだ しょうきち、1931年12月4日 - 2020年11月20日)は、日本の演芸作家、放送作家、エッセイスト。本名は構 恒一(かまえ つねいち)。 日本笑い学会名誉会員、関西演芸作家協会顧問。このほか、日本笑い学会理事、園田学園女子大学短期大学部講師を歴任。 兵庫県神戸市出身。神戸大学法学部卒業。大学在学中から漫才台本等の執筆を行うかたわら、漫画の雑誌投稿の常連となり、やがて鈴木義司ら東京の学生漫画家グループ「漫画エポック」に参加するにいたり、上京。しかし「天才とはこういう人のことかと思った」とのちに述懐するほどの鈴木の量産ぶりを前に、漫画家としての活動に「早々と見切りをつけ」、東京を去った。
山口 豊(やまぐち ゆたか、1931年12月4日 - 199… 山口 豊(やまぐち ゆたか、1931年12月4日 - 1999年10月4日)は、日本の医学者。専門は、気管支学、呼吸器外科学。千葉大学名誉教授。 長野県上諏訪町(諏訪市)出身。長野県諏訪清陵高等学校から東京都立日比谷高等学校への転校を経て、1956年千葉大学医学部卒業。1957年同大学医学部第1外科学教室入局。1963年香月秀雄のもと同大学肺癌研究施設創設に伴い転出。1964年同大学医学部肺癌研究施設外科助手。1967年同大学医学部肺癌研究施設外科講師。1970年文部省(現・文部科学省)長期在外研究員としてライデン大学留学。1971年アレクサンダー・フォン・フンボルト財団により西ドイツ(現・ドイツ)エッセンルアランドクリニック留学。
せな けいこ(瀬名 恵子、1931年12月3日 - 2024… せな けいこ(瀬名 恵子、1931年12月3日 - 2024年10月23日)は、日本の絵本作家。結婚後の姓:黒田。。童画家の武井武雄に師事し童画を、児童文学作家の武田雪夫に童話を学んだのち、4冊からなる「いやだいやだの絵本」シリーズでデビューする。同作で、第17回サンケイ児童文学出版文学賞を受賞。その他「あーんあーんの絵本」シリーズ(全4冊)、「めがねうさぎ」シリーズなど、後世まで長く読み継がれる名作絵本を多数世に出した。「いやだいやだの絵本」シリーズのうちの1冊、『ねないこだれだ』に登場する「おばけ」は、せな作品のトレードマークとして広く知られている。 1931年(昭和6年)12月3日、東京市牛込区(現:新宿区)南町に、瀬名貞利・富美の長女として生まれる。
千葉 喜彦(ちば よしひこ、1931年12月1日 -2022… 千葉 喜彦(ちば よしひこ、1931年12月1日 -2022年2月 )は、日本の時間生物学者、画家、山口大学名誉教授。 朝鮮・平壌生まれ。東北大学理学部生物学科卒、同大学院博士課程修了、東北大学理学博士。東北大学助手、山口大学理学部助教授、教授。1995年定年退官、名誉教授。1975年『生物時計の話』で毎日出版文化賞受賞。 画家としても活動し、西日本美術展、青木繁記念大賞西日本美術展などで入選した。
松下 治夫(まつした はるお、1931年(昭和6年)12月 … 松下 治夫(まつした はるお、1931年(昭和6年)12月 - 2014年(平成26年)10月)は、日本の実業家、芸能プロモーター。芸能事務所の草分け的存在である渡辺プロダクション(通称:ナベプロ)の創業者の一人。 京都府出身。京都府立洛北高等学校卒業。従来、芸能人の地方公演はそれぞれの土地の興行師が実権を握り、不明朗なことが少なくなかった、そこで、タレントを抱えるプロダクションが自らの手で興行を行い、利益と権利を確保しようという狙いのもとに、1955年、当時人気ベーシストであった渡辺晋とその妻美佐と組んで渡辺プロダクションを設立した。 それまでレコード会社の専属抱えだった歌手・作詞家・作曲家を渡辺プロの傘下に集結させ、芸能界初の月給制を導入。
藤沼 貴(ふじぬま たかし、1931年12月 ‐ 2012年… 藤沼 貴(ふじぬま たかし、1931年12月 ‐ 2012年1月9日)は、日本のロシア文学者。早稲田大学名誉教授、創価大学名誉教授。日本トルストイ協会会長も務めた。 中華民国遼寧省鞍山市生まれ。1954年早稲田大学第一文学部卒業、1956年早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専攻修士課程修了。副手、助手に従事しながら1959年早稲田大学文学部大学院博士課程単位取得退学。講師、助教授を経て1969年までに教授に就任。1997年3月に選択定年制により早期退職したのち、同年4月から創価大学教授を務めた(のち同大学客員教授)。主にトルストイを研究翻訳し、三大長編「アンナ・カレーニナ」、「戦争と平和」、「復活」を全て訳した。
石谷 行(いしたに すすむ、1931年(昭和6年)11月30… 石谷 行(いしたに すすむ、1931年(昭和6年)11月30日 - 2002年6月20日)は日本の教育学者、平和運動家。良心的軍事費拒否の会代表。 東京生まれ。13歳のときに長崎で被爆する。水戸第一高校在学中、米国クエーカー教徒で数学教師ニール・ハートマンの戦争拒否体験談を聴いて、クエーカー主義のキリスト教に入信、日本キリスト友会に加入する。茨城大学教育学部を卒業し、国際基督教大学大学院修士課程修了。明星大学講師の頃に、非暴力行動準備会に入り、ミニコミ誌『非暴力』を発行する。また、明星大学の学生闘争を支持して非常勤講師を解雇される。その後、「ジャテックの脱走兵支援活動」にも参加し、1969年(昭和44年)に法政大学助教授、のち教授。
矢口 昇(やぐち のぼる、1931年〈昭和6年〉11月29日… 矢口 昇(やぐち のぼる、1931年〈昭和6年〉11月29日 - 2016年〈平成28年〉12月10日)は日本の実業家、政治家。群馬県議(5期)、第78代群馬県議会議長、群馬県議会副議長を歴任した。 1931年11月29日、群馬県邑楽郡伊奈良村(現板倉町)大字籾谷に生まれる。1950年、群馬県立館林高等学校を卒業し、伊奈良村役場職員となる。1956年、毛塚食糧工業に入社する。1965年、物流機器製造会社の五十矢製作所を設立して、社長となる。 1987年4月12日の群馬県議会議員選挙に邑楽郡選挙区から立候補して、初当選を果たし、以後5期務めた。県議会では自由民主党に所属した。県議会では2000年5月30日から2001年5月29日まで群馬県議会副議長を、2003年12月15日から2005年5月31日まで第78代群馬県議会議長を務めた。
勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1… 勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1997年6月21日)は、日本の俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範。本名・奥村 利夫(おくむら としお)。市川雷蔵とともに大映(現・角川映画)の「二枚看板」として活躍。その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。勝新(かつしん)と愛称で呼ばれ、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、不祥事を起こしながらも多くのファンから愛された。
武内 和男(たけうち かずお、1931年11月29日 - )… 武内 和男(たけうち かずお、1931年11月29日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
川崎 義徳(かわさき よしのり、1931年11月29日 - … 川崎 義徳(かわさき よしのり、1931年11月29日 - 2024年7月25日 )は日本の裁判官。滋賀県生まれ。 京都大学卒業。1954年に司法修習生となる。1956年に岐阜地裁・家裁で裁判官実務を経験し、1965年に最高裁調査官、1967年に最高裁事務総局で民事局課長、1972年に那覇地裁総括判事、1975年3月に東京地裁総括判事を経験。1975年4月に司法研修所事務局長に就任するも、1976年5月に女性が法曹界に進出するのに否定的発言をするという形で女性研修生に対する差別として、同年9月14日に研修所から書面による厳重注意処分を受けた(裁判官訴追委員会から訴追請求を受けるも不訴追となった)。
小野 晃(おの あきら、1931年11月29日 - 1988… 小野 晃(おの あきら、1931年11月29日 - 1988年1月26日)は日本の地球物理学者。専門は大気物理学。 長野県東筑摩郡塩尻町(現塩尻市)生まれ。1956年、東京大学理学部物理学科卒業、同大学院数物系研究科地球物理課程修了。1961年、東京大学理学部助手。土壌粒子・火山灰などの自然氷晶核の起源、性質、ヨウ化銀を用いた人工降雨研究が中心であったが、雲物理学にて脚光を浴びた。 1966年から1969年、オーストラリアのCSIRO滞在中、モソップ博士らとの雲中氷晶飛行機観測にて、特に目覚しい業績を遺す。また、同国滞在中にビッグ博士らと大気エアロゾル粒子の研究を開始。1969年、気象庁気象研究所研究官、のち研究室長、1977年、名古屋大学水圏科学研究所教授に就任。
河村 望(かわむら のぞむ、1931年(昭和6年)11月29… 河村 望(かわむら のぞむ、1931年(昭和6年)11月29日 - 2015年(平成27年)4月8日)は、日本の社会学者、東京都立大学名誉教授。 1931年、東京で社会学者・河村只雄の子として生まれた。東京大学文学部で学び、1954年に卒業。1960年から1962年まで、フルブライト留学生として米国フィスク大学に学んだ。 東京都立大学助教授に就いた。後に教授昇格。1993年に東京都立大学を定年退官し、名誉教授となった。同年4月より東京女子大学教授として教鞭を執った。2000年に東京女子大学を退職した。 専門は社会学で、ジョージ・ハーバート・ミードとジョン・デューイを研究対象とした。彼らの著作を翻訳し、『デューイ=ミード著作集』(全15巻)として刊行した。
アンドリュー・T・椿(Andrew Takahisa Tsu… アンドリュー・T・椿(Andrew Takahisa Tsubaki、1931年11月29日 - 2009年12月16日)は、アメリカ合衆国の演劇学者。カンザス大学名誉教授。 東京生まれ。1954年東京学芸大学学芸学部卒業。1958年にアメリカ合衆国に移住し、サスカチュワン大学大学院留学を経て、1961年テキサスクリスチャン大学大学院修了、M.F.A.。1967年イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校Ph.D.。 1968年からカンザス大学で助教として教鞭を執り、同教授などを経て、同名誉教授。2004年平塚市国際交流協会理事長感謝状受賞。2007年にカンザス・シティ・マリオット・カントリー・クラブ・プラザで開催された新年会において瑞宝小綬章を授与された。
小海 永二(こかい えいじ、1931年11月28日 - 20… 小海 永二(こかい えいじ、1931年11月28日 - 2015年7月21日)は、日本の詩人・フランス文学者。横浜国立大学名誉教授。 東京市麻布区[要出典](現在の東京都)生まれ。戦争中に長野県へ疎開。長野県諏訪中学校、東京都立日比谷高等学校を経て、1955年、東京大学文学部仏語仏文学科卒業。 同年地方公務員として公立高校教員となり千代田区立九段中学校教諭、1959年東京都立雪谷高等学校教諭。 1965年多摩美術大学助教授、1966年横浜国立大学教育学部講師、1967年助教授、1978年教授。1995年、同大学定年退官、名誉教授。 1989年、詩誌「詩と思想」編集長就任(1993年まで)。1991年、日本現代詩人会会長(1992年まで)。
児玉 仁士(こだま ひとし、1931年11月28日 - 20… 児玉 仁士(こだま ひとし、1931年11月28日 - 2021年2月8日)は日本の英語学者、フリジア語学者。獨協大学名誉教授。 鹿児島県薩摩川内市出身。1955年青山学院大学文学部卒業。大学卒業後、東京都品川区立伊藤中学校(現在の義務教育学校品川区立伊藤学園)非常勤講師を経て独協高校にて教鞭をとり始める。当時の独協高校の校長は天野貞祐。1966年青山学院大学大学院修士課程修了。文学修士。指導教授は鈴木重威。修士課程修了後の1966年から獨協大学講師・助教授・(大学院兼任)教授を勤めた。その間、ケンブリッジ大学にて古・中期英語を、フローニンゲン大学でフリジア語を研究。2001年退任。 1990年代から、フリースラント州レーワルデンに毎年通うなどフリジア語の研究を続け、1992年に日本で初めての『フリジア語文法』を、2004年に『フリジア語辞典』、そして2015年に『日本語フリジア語辞典』を上梓した。
田中 靖政(たなか やすまさ、1931年11月28日 - 2… 田中 靖政(たなか やすまさ、1931年11月28日 - 2006年8月17日)は、日本の社会心理学者。学習院大学名誉教授。 東京出身。学習院大学卒。1963年、米国イリノイ大学大学院コミュニケーション研究科博士課程を修了して Ph.D. を取得。同年、学習院大学助教授。1967年、米国ペンシルベニア大学客員教授およびカナダのサスカチュワン大学客員教授 (1968年まで)。 1968年学習院大法学部教授。1972年「コミュニケーションの科学」で関西学院大学文学博士。2002年定年、名誉教授。核問題の社会学的研究を行い、原子力安全委員会専門委員、日本原子力産業会議理事。
森 みさ(もり みさ、1931年〈昭和6年〉11月28日 -… 森 みさ(もり みさ、1931年〈昭和6年〉11月28日 - )は、日本の翻訳家。森 ミサとも表記され、本名は森田 瑠美(もりた るみ)。森田瑠美名義の翻訳作品もある。日本脚本家連盟に加盟。秋田県出身。慶應義塾大学卒業。 多くの映像作品で字幕や吹き替え翻訳を担当。特に東北新社制作の吹き替えを中心に活躍し、代表作に『大草原の小さな家』『サウンド・オブ・ミュージック』などがある。 森の訳は後進の映像翻訳家にも影響を与えており、教材として使われることもある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川勝 主一郎(かわかつ しゅいちろう、1931年11月28日… 川勝 主一郎(かわかつ しゅいちろう、1931年11月28日 - 2025年3月31日)は、ラグビー監督・指導者。俳優でもある。関西ラグビーフットボール協会会長。京都市生まれ。 1931年、京都府京都市で生まれた。立命館大学経済学部卒業、滋賀大学専攻科修了。1954年、大映所属の俳優となった。ちなみに、勝新太郎、市川雷蔵らと同期であった。俳優としてテレビドラマ『部長刑事』などに出演した。また、花園高等学校ラグビー部の監督として、1964年から1978年までの15大会で14度の京都府代表となり、全国高校ラグビー準優勝3回を成し遂げた。テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』で、相模一高のモデルは花園高等学校で、勝又監督のモデルが彼であったという。
野口 泰良(のぐち やすよし、1931年11月28日 - 2… 野口 泰良(のぐち やすよし、1931年11月28日 - 2010年2月7日)は、日本の実業家。近畿日本ツーリストの元代表取締役副社長。 三重県出身。1955年、滋賀大学経済学部を卒業し、同年4月に近畿日本航空観光(現:近畿日本ツーリスト)へ入社した。 入社後は海外旅行部門を中心に歩み、近畿日本ツーリスト海外旅行営業部長を務めた。1983年には海外旅行部長および資料情報課長を務めた。 その後、同社の海外旅行事業における要職を歴任し、1984年に取締役海外旅行部長に就任。その後、取締役海外旅行事業本部長、常務取締役、専務取締役を歴任した。 1993年、代表取締役副社長に就任し、社長補佐として経営企画部、国際業務部、国際販売部、ホリデイ事業本部、外人旅行事業部を担当した。
金澤 隆(かなざわ たかし、1931年(昭和6年)11月28… 金澤 隆(かなざわ たかし、1931年(昭和6年)11月28日 - 2015年 <平成27年> 12月10日)は、日本の政治家。旧弘前市長(4期)。位階は正六位。 1931年(昭和6年)、青森県弘前市に生まれる。1974年(昭和49年)に法政大学法学部を卒業する。 弘前市企画課長、市長公室長などを経て、1992年(平成4年)に弘前市長選に出馬し、当選する。以後、連続4期当選する。市長任期中に津軽広域水道企業団企業長を併任。 2006年(平成17年)2月27日、岩木町、相馬村の旧町村と合併を行い、新弘前市を発足させる。これに伴って4月16日に行われた市長選挙に自民党・公明党の推薦と社民党支持を受けて立候補するも、相馬錩一に破れ、落選。
中山 容(なかやま よう、1931年11月28日 - 199… 中山 容(なかやま よう、1931年11月28日 - 1997年3月7日)は、日本の翻訳家、詩人、英米文学研究者。「ボブ・ディラン全詩集」などの訳者として有名。平安女学院大学、京都精華大学で教鞭をとった。本名、矢ケ崎庄司。 東京都八王子市出身。1954年、明治学院大学文学部英文科卒業。 1959年~1960年、フルブライト奨学生として渡米し、サンフランシスコに滞在。ここで片桐ユズルと出会う。1968年、国際基督教大学修士課程修了。1960年代末、東京都立武蔵高等学校の英語教諭から、京都の平安女学院短期大学の教官となる。 片桐ユズルとともにボブ・ディランの楽曲の歌詞の翻訳を手がけ、関西フォーク運動の影の仕掛人のひとりとしても知られ、中山ラビ、古川豪、高石ともやらに影響を与えた。
山出 保(やまで たもつ、1931年〈昭和6年〉11月27日… 山出 保(やまで たもつ、1931年〈昭和6年〉11月27日 - 2025年〈令和7年〉7月14日)は、日本の政治家。石川県金沢市出身。石川県金沢市長(5期)、全国市長会会長(第26代)、石川県市長会会長、石川県中小企業団体中央会会長を歴任した。位階勲等は正四位旭日重光章。 山出は市長在任中に様々な政策を実行してきた。中でも重点を置いてきたのが「歴史都市づくり」であった。住居表示制度で消滅した旧町名を復活させる「旧町名復活運動」を全国で先駆けて実施したことも知られている。これ以外にも、在任中には以下の政策も実施した。 山出は金沢市と隣接する野々市町(現:野々市市)との合併を念頭にして、金沢市の政令指定都市への昇格を構想していた。
石川 明(いしかわ あきら、1931年11月27日 -201… 石川 明(いしかわ あきら、1931年11月27日 -2016年6月10日 )は、日本の法学者。慶應義塾大学名誉教授。弁護士。東京神田出身。 1954年3月慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1956年3月同大学院法学研究科修士課程修了。1956年4月同法学部助手(指導教授:宮崎澄夫・伊東乾)。仙台法経専門学校兼任講師。1959年ドイツ・ミュンヘン大学留学。1961年4月慶應義塾大学法学部助教授。1967年4月同法学部教授。1966年慶應義塾大学で「訴訟上の和解の研究」法学博士受く。1970年ドイツ・ザールラント大学留学。1972年弁護士登録。1975年ドイツ・ケルン大学留学。1977年旧司法試験第二次試験考査委員。
山内 雅夫(やまのうち まさお、1931年11月27日 - … 山内 雅夫(やまのうち まさお、1931年11月27日 - 2011年11月17日)は、占星術家であり、NHKの経済番組ディレクターであった。 1931年11月27日(昭和6年)京都府生まれ。射手座。A型。同志社大学経済学部卒業後、NHK入局。ニューヨーク特派員、経済番組担当ディレクターなどを歴任。 在職中52歳で、『占星術の世界』(中央公論社)出版。その後、『超占星術』『世界を操る黒魔術(こくまじゅつ)の呪い』などを出版。 2011年11月17日(平成23年)東京都千代田区にある神田の仕事場にて死去。死因は大動脈解離。
成山 明(なるやま あきら、1931年11月27日 - 19… 成山 明(なるやま あきら、1931年11月27日 - 1978年5月8日)は、兵庫県津名郡由良町(現在の同県洲本市)出身で小野川部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。最高位は西小結(1956年3月場所)。身長176cm、体重110kg。得意手は左四つ、寄り。 成山は本名であるが、郷里・由良町にある成ヶ島(淡路橋立)の北端にある山の名前でもあるため、そのまま四股名とした。少年航空兵を志願し合格したが時は敗戦寸前だった1945年(昭和20年)のことで、願いは叶わず終戦となった。家業の漁業を手伝っていたところを、父親がいとこ同士だった元前頭2・錦華山の小野川親方に誘われて小野川部屋へ入門することとなり、1948年(昭和23年)10月場所にて初土俵を踏んだ。
浜田 雄史(はまだ ゆうし、1931年11月25日 - 20… 浜田 雄史(はまだ ゆうし、1931年11月25日 - 2011年11月14日)は、日本の俳優。本名は奥村俊雄。晩年は鳥プロに所属していた。姉は松竹の女優、牧千草。 京都に生まれる。同志社大学の出身。進藤健二の紹介で大映京都の助監督の試験を受けるが、1954年(昭和29年)俳優として入社。芸名は父親の名前(浜吉)から取ったという。 1954年(昭和29年)『花の白虎隊』でデビュー(ノンクレジット)。同作では主演の市川雷蔵を始め、勝新太郎、花柳武始などの新人俳優が同時デビューしている(勝新太郎の本名は、奇しくも浜田の本名と読みが全く同じ「奥村利夫」。1931年11月29日生まれと、生年月日も浜田と近い)。
永井義雄(ながい よしお、1931年11月25日 - )は、… 永井義雄(ながい よしお、1931年11月25日 - )は、日本の経済学史学者、名古屋大学名誉教授。経済学史・社会思想史専攻。 名古屋大学経済学部教授を経て、一橋大学社会科学古典資料センター教授を務めた。ロバート・オウエン、ベンサムを中心として英国社会思想を研究する。 愛知県生まれ。1954年3月名古屋大学経済学部卒業、1959年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程満了。同年名古屋大学経済学部助手任官。水田洋に師事。1961年名古屋市立女子短期大学講師、1963年名古屋市立女子短期大学講師、同年「イギリス急進主義の研究」で名大経済学博士。1965年金沢大学教養部助教授、1975年同教授、1981年名古屋大学経済学部教授、1983年金沢大学教授併任(名古屋大学経済学部併任)、1984年名古屋大学経済学部教授。
清水 文人(しみず ふみと、1931年(昭和6年)11月25… 清水 文人(しみず ふみと、1931年(昭和6年)11月25日 - 1997年(平成9年)6月1日)は、日本の書籍編集者、実業家。 長野県南佐久郡佐久町(現佐久穂町)出身。明治大学大学院(商学研究科)修了、1956年に双葉社に入社。『世界の秘境』編集部などをへて、1965年「漫画ストーリー」の編集長に就任。 1967年、青年コミック誌のさきがけとして「週刊漫画アクション」を創刊。「漫画で文学をやる」として新機軸を打ち出し、初代編集長として「ルパン三世」、「子連れ狼」、「じゃりン子チエ」などのヒット作を生みだす。ルパン三世において石川五右衛門を登場させ、女性の細かい描き方を指示するなど、キャラクター設営にまで及んだ細かい指示出し等により、多くの劇画・漫画家を育てたとされる。
川村 ハツエ(かわむら ハツエ、1931年11月24日 - … 川村 ハツエ(かわむら ハツエ、1931年11月24日 - 2012年2月11日)は、日本の歌人、翻訳家。 茨城県大宮町(現常陸大宮市)生まれ。茨城大学文理学部英文科卒。 英語教諭を経て1970年「茨城歌人」に入会。1980年「かりん」に入会、馬場あき子に師事。埼玉純真女子短期大学、戸板女子短期大学、流通経済大学講師などをしながら歌作を行った。 また英語による日本文学研究の翻訳や短歌の国際化活動にも携わり、日本歌人クラブ発行の英語短歌誌「TANKA JOURNAL」の編集長を務めた。歌集『孔雀青』で茨城新聞社賞、日本歌人クラブ北関東ブロック優良歌集賞受賞。著書『TANKAの魅力』で日本英学史学会豊田実賞、茨城文学賞受賞。
坂井 雄吉(さかい ゆうきち、1931年11月24日 - 2… 坂井 雄吉(さかい ゆうきち、1931年11月24日 - 2009年12月15日)は、日本の政治学者。専門は日本政治史。 1931年、三重県生まれ。東京大学法学部卒業後、大学院社会科学研究科に進学し、岡義武に師事。同博士課程を満期退学後、東京大学法学部および同附属近代日本法政史料センターで助手、助教授を長らく務める。1990年に大東文化大学法学部教授に就任、2002年に同退職。 東京大学法学部では、いわばアーキビストとして明治以降の政治家や法律家に関係する文書の収集・整理に携わり、近代日本の政治史・法制史の史料に精通した。研究面では明治期の政治史を専門とし、井上毅、陸羯南等に関する論考を発表した。
室 俊司(むろ しゅんじ、1931年11月23日 - 200… 室 俊司(むろ しゅんじ、1931年11月23日 - 2009年9月)は、日本の教育学者。立教大学名誉教授。 東京市(現墨田区)出身。1950年日本大学第一高等学校卒、1958年東京大学教育学部卒、64年同大学院博士課程満期退学、1963年『月刊社会教育』編集長、1964年立教大学文学部講師、66年助教授、73年教授、96年定年退任、名誉教授。
吉崎 昌一(よしざき まさかず、1931年11月23日 - … 吉崎 昌一(よしざき まさかず、1931年11月23日 - 2007年2月20日)は、日本の考古学者。元北海道大学教授、専門分野は、旧石器・植物考古学。 樺太生まれ。鎌倉学園高等学校、明治大学文学部卒業。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。市立函館博物館学芸員、ウィスコンシン州立大学マディソン校研究員、北海道大学理学部助教授を経て、北海道大学文学部教授。国際日本文化研究センター客員教授、札幌国際大学教授。旧石器捏造事件において総進不動坂遺跡の検証発掘の団長を務めた。 豊平川にサケを呼び戻すというカムバックサーモン運動にかかわった。 アイヌ民族出身の参議院議員萱野茂をかこむ学者の会の中心となり、萱野茂・アイヌ文化講座の世話役を務めた。
佐久間 曻二(さくま しょうじ、1931年11月23日 - … 佐久間 曻二(さくま しょうじ、1931年11月23日 - )は、日本の実業家。WOWOW代表取締役会長兼最高経営責任者などを務め、経営危機にあった同社の再建を行った。 新潟県上越市で5人兄弟の末っ子として生まれる。実家は酒屋。1950年新潟県立高田高等学校卒業。1956年大阪市立大学大学院経営学研究科修了、松下電器産業(現パナソニック)入社。1980年経営企画室長。1983年取締役昇格。1987年から副社長を務めたが、ナショナルリース不正融資事件で1992年参与に降格。 再建者を探していた中山素平からの打診を受けた山下俊彦の紹介で、1993年から日本衛星放送(現WOWOW)代表取締役社長を務め、債務超過状態にあった同社の再建を行った。
上西 和郎(かみにし かずろう、1931年11月23日 - … 上西 和郎(かみにし かずろう、1931年11月23日 - 2001年12月11日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(1期、日本社会党)。社会保障問題について造詣が深く、その市民密着型の政治スタイルが、石橋政嗣の「ニュー社会党」路線において、一つの取るべき方向性を示すモデルケースとして注目を集めた。 北海道釧路市に生まれる。1950年鹿児島県立鹿屋高等学校を卒業、九州配電(九州電力の前身)に入社する。直ちに労働運動に入り、少数派組合の総評系「全九電」で活動する。1969年から2年間本部書記長を務める。 1973年より、旧鹿児島3区にて衆院選に立候補を続ける。二階堂進、山中貞則、橋口隆(いずれも自由民主党)の強豪に当選を阻まれてきたがこの間、有権者の年金、福祉や生活問題の相談、解決に熱心に取り組み、少しずつ支持層を開拓していった。
海老沢 敏(えびさわ びん、1931年11月22日 - )は… 海老沢 敏(えびさわ びん、1931年11月22日 - )は、日本の音楽学者、国立音楽大学名誉教授。新国立劇場オペラ研修所所長、日本モーツァルト研究所所長、ボローニャ王立音楽アカデミー名誉会員。 モーツァルト研究の権威。妻はピアニストの小川京子。 東京府生まれ。1950年、東京都立石神井高等学校卒業。1955年、東京大学文学部美学科卒業。1958年、同大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1962年から2年間、フランス政府給費留学生。東京大学文学部助手などを経て国立音楽大学教授。1979年から1991年まで学長、のち理事長。尚美学園大学大学院特別専任教授、新国立劇場副理事長・オペラ研修所所長などを務めた。
平井 卓志(ひらい たくし、1931年〈昭和6年〉11月22… 平井 卓志(ひらい たくし、1931年〈昭和6年〉11月22日 - 2009年〈平成21年〉7月16日)は、日本の政治家、実業家。 労働大臣、参議院議員(5期)、四国新聞社社主、同取締役会長、西日本放送代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)などを歴任。旧姓は穴吹。 香川県高松市に生まれる。東京都立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)に入学。香川県立高松高等学校へ転校し、1950年3月、同校を卒業。 1955年、学習院大学政経学部政治学科卒業。参議院議員平井太郎の秘書となる。間もなく太郎の長女温子と結婚し、女婿となる。1958年、太郎が社長を務めていた四国新聞社に入社。1966年、同社の常務取締役に就任。
堀切 民喜(ほりきり たみよし、1931年11月21日 - … 堀切 民喜(ほりきり たみよし、1931年11月21日 - 2017年12月16日)は、日本の経営者。本州四国連絡高速道路社長を務めた。愛媛県出身。 1954年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。1979年に取締役に就任し、1983年に常務、1985年に専務、1988年に副社長、1991年に副会長、1993年に顧問を経て、2003年6月に本州四国連絡橋公団総裁に就任。2005年6月から2007年6月までに本州四国連絡高速道路社長を務めた。1989年4月から1991年4月までに関西経済同友会代表幹事を務めた。 2017年12月16日間質性肺炎のために死去。86歳没。
北川 昌典(きたがわ まさのり、1931年(昭和6年)11月… 北川 昌典(きたがわ まさのり、1931年(昭和6年)11月20日 - 2019年(令和元年)10月25日)は、日本の政治家。位階は従四位。日本社会党衆議院議員(1期)、日南市長(2期)。 高知県・宮崎県出身。1950年、宮崎県立日南高等学校卒業。日南市職組書記長、日南市議(3期)、宮崎県議(3期)を経て、1990年の総選挙で旧宮崎2区から立候補して初当選。1993年の総選挙に落選。1996年、日南市長に当選。2期務めた。2005年、旭日中綬章受章。 2019年10月25日午前4時5分、胆管がんのため日南市の病院で死去。87歳没。死没日をもって従四位に叙される。
榎本 弘(えのもと ひろし、1931年11月20日 - 20… 榎本 弘(えのもと ひろし、1931年11月20日 - 2024年3月10日)は、日本の経済学者、青山学院大学名誉教授。 北海道生まれ。1954年青山学院大学経済学部卒、1956年同大学院修士課程修了、鹿児島経済大学講師、青山学院大学経済学部講師、助教授、教授。2001年定年、名誉教授。 2024年3月10日に間質性肺炎のため死去。92歳没。