赤城山 晃(あかぎやま あきら、1926年8月30日 - 1… 赤城山 晃(あかぎやま あきら、1926年8月30日 - 1990年4月2日)は、群馬県藤岡市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は松田 鍬次郎(まつだ くわじろう)。身長176cm、体重90kg。最高位は東十両10枚目。得意手は右四つ、下手投げ。 1942年5月場所に15歳で初土俵を踏む。1949年1月場所で十両に昇進。1951年1月場所では十両下位で、4勝11敗と大敗。幕下に陥落した1951年5月場所限り、24歳で廃業した。
奥山 則男(おくやま のりお、1926年 <大正15年> 8… 奥山 則男(おくやま のりお、1926年 <大正15年> 8月29日 - 2016年 <平成28年> 4月29日)は日本の政治家。練馬区議会議員(2期)、東京都議会議員(8期)、第34代東京都議会議長を歴任した。位階は正五位。 1926年8月29日、山形県新庄市に生まれる。東京学芸大学卒業後、1950年、中央大学経済学部卒業し、日本経済新聞社に入社する。営業部長を経て、1963年に練馬区議会議員に当選し、2期6年務める。1964年、広放社を設立し、代表となる。1971年4月11日の東京都議会議員補欠選挙に練馬区選挙区から立候補し、初当選する。都議会では、公害首都整備委員会委員長(1974年、1975年から1976年)、都市計画公害委員会委員長(1976年)、予算特別委員会委員長(1983年)、東京都監察委員(1983年から1984年)、全都道府県監察委員協議会連合会会長(1983年から1984年)、都議会自民党幹事長(1985年から1986年)、議会運営委員会委員長(1985年から1986年)を歴任した。
島田 琢郎(しまだ たくろう、1926年8月28日 - 20… 島田 琢郎(しまだ たくろう、1926年8月28日 - 2006年10月9日)は、日本の政治家(元日本社会党衆議院議員)。北海道出身。 1944年美幌農林学校(現・北海道美幌高等学校)林業科卒業。北海道湧別町議会議員を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧北海道5区から社会党公認で立候補し初当選。連続当選5回。酪農業を営んだ経験から農政に明るく、党の農林政策委員長などを務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選し、政界から引退。 1998年4月の春の叙勲で勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。 2006年10月9日、急性心筋梗塞のため北海道遠軽町の病院で死去。80歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
長谷川秋子(はせがわあきこ、1926年(大正15年)8月28… 長谷川秋子(はせがわあきこ、1926年(大正15年)8月28日 - 1973年(昭和48年)2月2日)は、日本の俳人。 東京生まれ。父は俳人の沢本知水。立教高等女学院に学ぶ。昭和21年、長谷川零余子、かな女の嗣子、フルート奏者の長谷川博と結婚。子は小説家の三田完。 昭和44年、長谷川かな女の逝去にともなって、「水明」を継承主宰。昭和45年、離婚。昭和48年、喘息の発作により46歳で急逝。 句集に『菊凪ぎ』(昭和42年)『鳩吹き』(46年)がある。『長谷川秋子全句集』(牧羊社 昭和51年)がある。「時に奔放な叙法を用いながら、情感や、憤りや、あこがれ、を伴って自己を強烈に焼きつけてゆく秋子俳句は、悲しみを突きぬけてゆく持前の強い野性味のなかから生れていった」(星野紗一)と評される。
親泊 康晴(おやどまり こうせい、1926年8月28日 - … 親泊 康晴(おやどまり こうせい、1926年8月28日 - 2005年4月11日)は、日本の政治家。1984年から2000年まで沖縄県那覇市長を務めた。
内川 芳美(うちかわ よしみ、1926年8月28日 - 20… 内川 芳美(うちかわ よしみ、1926年8月28日 - 2004年11月17日)は、日本のマス・コミュニケーション研究者。マス・メディア史、マス・コミュニケーション史の分野において『マス・メディア法政策史研究』(1989年)に代表される業績を残した。また、放送制度研究にも業績を残し、2004年には「『20世紀放送史』編集への指導・助言」などを理由にNHK放送文化賞を受賞した。 佐賀県生まれ。1948年、東京大学法学部を卒業し、大学院(旧制)に進んで岡義武に師事した。1949年5月31日に東京大学新聞研究所が設立された後、8月30日付で助手に採用され、以降、1954年に助教授、1964年に教授と昇任した。
高野 桂一(たかの けいいち、1926年8月28日 - 20… 高野 桂一(たかの けいいち、1926年8月28日 - 2012年3月31日)は、学校経営を専門とする教育学者。九州大学名誉教授。 栃木県安蘇郡生まれ。別名・晃雨山。1951年東京文理科大学教育学科卒。1976年「学内規程に関する理論的・実証的研究 その形成過程と規範論理の分析を中心として」で東京教育大学教育学博士。秋田大学学芸学部助教授、東京都立教育研究所で『教育社会学研究』の編集に当たる。奈良学芸大学助教授、校名変更で奈良教育大学助教授、九州大学教育学部助教授、教授、1989年定年退官、名誉教授。同年早稲田大学客員教授に着任し、1997年退職。この間、日本教育経営学会大会実行委員長を担った。
相馬 大(そうま だい、1926年8月28日 - 2011年… 相馬 大(そうま だい、1926年8月28日 - 2011年5月23日)は、日本の詩人・随筆家・国文学者。本名・出川光治。 長野県須坂市出身。旧制上高井農学校(長野県須坂園芸高等学校)を経て、1950年立命館大学文学部日本文学科卒業。京都市立中学校国語教諭を経て、京都聖母女学院短期大学助教授、教授、図書館長を務めた。詩の他、京都文化についての随筆を多く残した。
高橋 貞子(たかはし さだこ、1926年〈大正15年〉8月2… 高橋 貞子(たかはし さだこ、1926年〈大正15年〉8月27日 - 2017年〈平成29年〉5月または6月)は、日本の作家、民話収集家。岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉乙茂出身。岩手県立盛岡高等女学校(現・岩手県立盛岡第二高等学校)卒業。岩手県庁地方課勤務。日本口承文藝学会・日本民話の会・岩泉民間伝承研究会 会員。 1926年8月27日、岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉乙茂に生まれる。1944年3月、岩手県立盛岡高等女学校卒業。同年4月より岩手県庁地方課勤務。 幼少時に両親や祖父母から多くの昔話を聞いて育つ。母親として子宝に恵まれたことを機に、幼少時に聞いた昔話や、周囲の人々からの昔話の採集を始める。 岩手県庁勤務時代、郷土史家・平野直の薦めで昔話集『火っこをたんもうれ』(1977年)を出版。
佐々木 静子(ささき しずこ、1926年〈大正15年〉8月2… 佐々木 静子(ささき しずこ、1926年〈大正15年〉8月27日 - 2018年〈平成30年〉7月19日)は、日本の弁護士、政治家。関西地方初の女性弁護士である。参議院議員を1期務めた。伊藤俊介 (政治家)の孫。 大阪市小松原町生まれ。父は弁護士で松島遊郭事件を担当した田村堅三。1944年(昭和19年)、大阪府立大手前高等女学校卒業。同年、18歳で旧海軍省官僚と結婚した。夫は仕事のため東京、静子は夫の両親の住む和歌山市和歌浦で暮らした。 終戦後、京都大学工学部の研究者となった夫ともに京都で暮らし始めたが、夫が公職追放のため栗本鉄工所に転職し、大阪に転居し、1948年に長女を出産。司法試験の受験を志し、受験資格を得るために子育ての傍ら1950年に大阪女子大学に入学した。
杉原 一司(すぎはら かずし、1926年(大正15年)8月2… 杉原 一司(すぎはら かずし、1926年(大正15年)8月27日 - 1950年(昭和25年)5月21日)は、日本の歌人。塚本邦雄の盟友としてその作風に影響を与えた。 鳥取県八頭郡丹比村大字南(現:八頭町)出身。鳥取県立商業学校(現:鳥取県立鳥取商業高等学校)在籍時、岸本光治、中林則男らと短歌を作り始める。一学年上には新野幸次郎(元神戸大学学長、『花軸』同人)がいた。 1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)に安部国民学校(現:八頭町立安部小学校)に勤務。この頃、石塚敏夫(安部国民学校の同僚)の紹介で前川佐美雄を知り、手紙のやり取りが始まる。 1945年(昭和20年)2月12日に安藤令子と結婚。
三輪 昌男(みわ まさお、1926年8月27日-2003年2… 三輪 昌男(みわ まさお、1926年8月27日-2003年2月16日)は、日本の農業経済学者。國學院大學名誉教授。専門は協同組合論。 山口県出身。東京大学経済学部卒。協同組合経営研究所研究員、國學院大學経済学部助教授、教授、1997年定年、名誉教授。日本協同組合学会会長を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中部 藤次郎(なかべ とうじろう、1926年8月27日 - … 中部 藤次郎(なかべ とうじろう、1926年8月27日 - 1987年1月29日)は、日本の実業家。山口県出身。 1950年に北海道大学法文学部政治学科を中退し、1953年にアメリカのパシフィック大学政治学科を卒業し、同年に大洋漁業に入社。1966年3月に取締役に就任し、1970年12月に常務、1973年3月に専務を経て、同年10月に副社長に就任し、1977年1月に社長に昇格。 1987年1月29日心不全のために社長在任中に死去。60歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
目黒 幸子(めぐろ さちこ、1926年8月26日 - 201… 目黒 幸子(めぐろ さちこ、1926年8月26日 - 2015年10月8日)は、日本の女優。本名は井上幸子(旧姓目黒)。東京都出身。共立女子大学卒。 1948年大映第4期ニューフェイスに合格、大映東京撮影所に入社。同期に中条静夫、早川雄三。1949年、「愛染草」でデビュー。1971年の倒産まで在籍する。大映在籍中、三島由紀夫主宰の浪曼劇場に加わるが三島の自死により劇団は解散。1984年賀原夏子に誘われて劇団NLTに入団、以後舞台活動を中心とする。 1955年、大映助監督(後に監督)の井上芳夫と結婚するも、1989年に離婚。1981年から1983年にかけては井上幸子名で活動。特技は太極拳。 2015年10月8日午前3時23分、骨髄腫および老衰のため東京都荒川区の自宅で逝去。
安部 真知(あべ まち、1926年〈大正15年〉8月26日 … 安部 真知(あべ まち、1926年〈大正15年〉8月26日 - 1993年〈平成5年〉9月24日)は、日本の舞台美術家。夫は作家の安部公房。旧姓は山田、本名は真知子。大分県西国東郡高田町(現・豊後高田市)出身。 1926年(大正15年)8月26日、大分県西国東郡高田町(現・豊後高田市)の廻船問屋・山田清とノブの間に生まれる。1944年(昭和19年)、大分県立高田高等女学校(現・大分県立高田高等学校)卒業。6人兄姉の5番目の次女であったが、兄弟のうちただひとり、母のとりなしにより東京に進学する。 1947年(昭和22年)、女子美術専門学校日本画部師範科(現・女子美術大学)を卒業。その後、安部公房と出会い、同居を始める。
斎藤 光雄(さいとう みつお、1926年8月25日 - 20… 斎藤 光雄(さいとう みつお、1926年8月25日 - 2010年8月4日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。専門は計量経済学、経済統計学。経済学博士(大阪大学、1975年)(学位論文「一般均衡と価格」)。大阪府大阪市南区出身。 1926年8月25日 大阪市南区の商家の四男として生まれる。 1947年3月 浪速高等学校高等科文化甲類卒業 1951年3月 京都大学経済学部卒業 1959年3月 大阪大学大学院経済学研究科経済政策専攻修士課程修了 1959年7月 大阪大学助手(経済学部付属社会経済研究施設) 1964年3月 大阪大学助教授(経済学部付属社会経済研究施設) 1970年2月 大阪大学教授(社会経済研究所) 1971年2月 神戸大学教授(経済学部) 1990年3月 神戸大学を定年により退官 1990年3月 神戸大学名誉教授 1990年4月 帝塚山大学教授(経済学部) 1991年4月 理論・計量経済学会(現日本経済学会)会長(1992年3月まで) 1973年10月 『一般均衡と価格』、創文社 1991年11月 『国民経済計算』、創文社 一般均衡理論モデルに計量経済学的な個別主体均衡のモデルを組み込んで、日本経済の実証分析を行った。
白濱 謙一(しらはま けんいち、1926年(大正15年)8月… 白濱 謙一(しらはま けんいち、1926年(大正15年)8月25日 - 2010年(平成21年)1月6日)は、昭和期の建築家である
足立 壽惠雄(あだち すえお、1926年8月24日 - )は… 足立 壽惠雄(あだち すえお、1926年8月24日 - )は日本の実業家。北米支配人兼丸紅米国社長・会長、丸紅カナダ会社社長。慶應義塾大学経済学部卒業。 王子製紙社長、日本商工会議所会頭等を歴任した足立正の四男。 宗教は曹洞宗、趣味はゴルフ。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
原田 一美(はらだ かずみ、1926年8月24日 - 201… 原田 一美(はらだ かずみ、1926年8月24日 - 2016年3月1日 )は、日本の児童文学作家。日本児童文学者協会会員。徳島ペンクラブ理事。徳島県麻植郡(現・吉野川市)山川町出身。 1947年徳島師範学校本科卒業後、県内の小学校・中学校で教員を務めたほか、徳島市教育委員会・徳島県教育委員会などで勤務、1987年3月、徳島市立富田小学校校長を最後に退職。 1961年に出版された『ホタルの歌』は第1回学研児童文学賞ノンフィクション部門を受賞、全国学校図書館協議会課題図書にも選定された。その後、『出会いがあって』で第1回石森延男児童文学賞を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
田中 正雄(たなか まさお、1926年8月23日 - 202… 田中 正雄(たなか まさお、1926年8月23日 - 2020年7月5日)は、日本の経営者。小松製作所社長を務めた。富山県出身。 1951年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に小松製作所に入社。1976年3月に取締役に就任し、1981年1月に常務、1984年8月に専務を経て、1987年6月に社長に就任した。1989年6月に取締役相談役に就任し、1991年6月から相談役を務めた。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、1999年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2020年7月5日老衰のために死去。93歳没。
末舛 惠一(すえます けいいち、1926年 8月21日- 2… 末舛 惠一(すえます けいいち、1926年 8月21日- 2015年1月29日[リンク切れ])は、日本の医学者。専門は呼吸器外科学。学位は、医学博士。国立がんセンター名誉総長。東京都済生会中央病院名誉院長。神奈川県出身。 1987年度高松宮妃癌研究基金学術賞受賞。
渥美 俊一(あつみ しゅんいち、1926年8月21日 - 2… 渥美 俊一(あつみ しゅんいち、1926年8月21日 - 2010年7月21日)は、日本の経営コンサルタント。 三重県松阪市出身。旧制津中学校、官立第一高等学校文科を経て東京大学法学部を卒業。学生時代は全国学生運動の中枢で活動。1952年に読売新聞社に入り経営技術担当記者となる。1962年にチェーンストア経営研究団体ペガサスクラブを設立、主宰。1963年にチェーンストア経営専門コンサルティング機関である日本リテイリングセンターを設立。1967年読売新聞嘱託となり、1969年に退職、コンサルタント専業となる。専門はチェーンストアの経営政策・経営戦略と基礎技術論。 渥美は、高度経済成長を達成する中でも日本人の生活の豊かさは国際水準から見れば成熟していないと捉え、製造業に比べて立ち遅れていた日本の流通分野を、チェーンストア産業づくりの推進によって近代化し、生活水準の向上を実現することをロマンとして掲げた。
飯尾 憲士(いいお けんし、1926年8月21日 - 200… 飯尾 憲士(いいお けんし、1926年8月21日 - 2004年7月26日)は、日本の小説家。大分県竹田市生まれ。 父は1916年に日本統治下の朝鮮・京城から渡日した朝鮮人、母は日本人で、戸籍上は母の私生児であった。旧制竹田中学を卒業後、1944年陸軍航空士官学校に入学するも、終戦のため中途退学。1949年第五高等学校文科卒。新制高校の教師や、業界誌編集などの後、文筆業などに従事した。 1964年「炎」(『詩と眞實』)で芥川賞候補、『文學界』に転載される。1975年初の著書を刊行、1978年父の秘密を描いた「海の向うの血」ですばる文学賞佳作。1980年「ソウルの位牌」で、1981年「隻眼の人」で芥川賞候補、1982年、終戦直後に自決した航空士官学校時代の自身の区隊長であった上原重太郎大尉の真相を追う『自決』が直木賞候補となり注目される。
青山 吉信(あおやま よしのぶ、1926年8月20日 - 2… 青山 吉信(あおやま よしのぶ、1926年8月20日 - 2006年6月29日)は、日本の歴史学者、日本女子大学名誉教授。英国中世史が専門。 1926年、広島県で生まれた。東京大学文学部西洋史学科で学び、1952年に卒業。 卒業後は、東洋大学助教授に就いた。1961年、日本女子大学助教授に転じた。後に教授昇格。1997年に日本女子大学を定年退任し、名誉教授となった。2000年に勲三等瑞宝章を受章。
中野 道義(なかの みちよし、1926年8月20日 - 19… 中野 道義(なかの みちよし、1926年8月20日 - 1996年1月25日)は、愛媛県出身のプロ野球選手。
金子 才十郎(かねこ さいじゅうろう、1926年〈大正15年… 金子 才十郎(かねこ さいじゅうろう、1926年〈大正15年〉8月19日 - 2017年〈平成29年〉2月8日)は、日本の実業家。カネコ種苗株式会社代表取締役社長・会長・相談役、日本種苗協会会長、前橋商工会議所会頭、群馬県教育委員長などを務めた。3代目才十郎で、旧名は博(ひろし)。 祖父・初代金子才十郎は勢多郡南橘村上細井(現・前橋市上細井町)の農家に生まれ、1895年(明治28年)に農産物のタネの販売を始めた。父・2代才十郎(旧名・五郎)は初代才十郎の五男。太平洋戦争中に群馬県種苗統制株式会社の社長を務め、戦後の1947年(昭和22年)に、金子種苗店の営業基盤をもとにカネコ種苗株式会社を設立した。
岸田 文武(きしだ ふみたけ、1926年〈大正15年〉8月1… 岸田 文武(きしだ ふみたけ、1926年〈大正15年〉8月19日 - 1992年〈平成4年〉8月4日)は、日本の通産官僚(中小企業庁長官)、政治家。元自由民主党所属の衆議院議員(5期)。位階は正四位勲二等、勲章は旭日重光章。 父は元自由党衆議院議員の岸田正記、弟は大蔵省証券局長・広島銀行会長・相談役を務めた岸田俊輔。妻は元日東製粉社長井口良二の次女。長男は衆議院議員で第27代自民党総裁、第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄。派閥は宏池会に所属した。 広島県広島市南区段原町出身。1945年、旧制東京高等学校(現:東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業後、東京帝国大学へ進学。しかし、戦争末期のころであり、入学早々から勉強どころではなく、連日の勤労動員に続いて、終戦間近の同年7月には、学徒動員で旭川の師団に入隊した。
東 千代之介(あずま ちよのすけ、1926年8月19日 - … 東 千代之介(あずま ちよのすけ、1926年8月19日 - 2000年11月9日)は、日本の俳優・日本舞踊若菜流の家元。 本名、若和田 孝之(わかわだ たかゆき)。東京府出身。 長唄の六代目杵屋弥三郎の子。七代目坂東三津五郎に師事して日本舞踊を学ぶ。暁星学園を経て、1949年(昭和24年)東京音楽学校(現・東京藝術大学)邦楽科卒業。1954年(昭和29年)東映に入社し、『雪之丞変化』でデビュー。端整な容貌と日本舞踊で鍛えたしなやかな身のこなしで人気を集め、中村錦之助、大川橋蔵らと共に東映時代劇の黄金期を支えた。1960年代半ば、時代劇の衰退に伴い当時の東映京都撮影所長・岡田茂が時代劇を切り捨て、任侠路線に急転換したため、これに反撥して、中村錦之助(萬屋錦之介)、里見浩太朗らと1965年に東映の俳優組合(東映俳優クラブ組合)を結成し副代表になった。
熊谷 直彦(くまがい なおひこ、1926年8月19日- )… 熊谷 直彦(くまがい なおひこ、1926年8月19日- )は、日本の経営者。三井物産社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1951年に京都大学法学部を卒業し、同年に三井物産に入社した。1979年8月に人事部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1988年6月に副社長に就任し、1990年6月には社長に昇格した。1996年6月に会長に就任し、2000年6月から相談役を務めた。 経済団体連合会副会長も務めた。 1991年4月には藍綬褒章を受章し、2017年4月に旭日大綬章を受章した。
渡辺 実(わたなべ みのる、1926年8月19日 - 201… 渡辺 実(わたなべ みのる、1926年8月19日 - 2019年12月6日)は、日本の国語学者・国文学者。京都大学名誉教授。文学博士。 京都市生まれ。1948年、京都大学文学部卒業。1962年、「国語構文論」で文学博士(京都大学)。大阪女子大学助教授、京都大学教養部助教授、教授、1985年退官、名誉教授、上智大学教授、1997年退任。1991年6月から3年間、国語学会代表理事を務めた。 2019年12月6日20時56分、肺炎のため、神奈川県藤沢市の病院で死去。93歳没。
竹内 黎一(たけうち れいいち、1926年8月18日 - 2… 竹内 黎一(たけうち れいいち、1926年8月18日 - 2015年9月5日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲章は勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(10期)、科学技術庁長官(第38代)、原子力委員会委員長(第38代)、衆議院外務委員長・環境委員長等を歴任した。 父は青森県知事や衆議院議員を務めた竹内俊吉。 青森県黒石市生まれ。旧制青森中学校、旧制弘前高等学校、東京大学経済学部卒業。東大卒業後、毎日新聞社に入社。毎日新聞の政治記者、運輸大臣秘書官を経て、1963年の第30回衆議院議員総選挙に、青森県知事に転身した父・俊吉に代わって旧青森2区(定数3)から無所属で立候補し、得票数トップで初当選した(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・奥野誠亮らがいる)。
阿部 宏(あべ ひろし、1926年8月18日 - 2014年… 阿部 宏(あべ ひろし、1926年8月18日 - 2014年12月26日)は、日本の英文学者。 宮城県仙台市生まれ。1951年東北大学文学部英文科卒、東北大学教養部助教授、文学部教授、1989年定年退官、名誉教授、いわき明星大学人文学部教授。1997年退職。長男は哲学者の阿部宏慈・山形大学教授。 2014年12月26日、肺炎のため死去。
北村 翼(きたむら よく、1926年〈大正15年〉8月18日… 北村 翼(きたむら よく、1926年〈大正15年〉8月18日 - 2020年〈令和2年〉8月15日)は、日本の政治家。和歌山県橋本市長(3期)。和歌山県議会議員(2期)。位階は正五位。旭日小綬章受章。 和歌山県出身。旧制和歌山県立伊都中学校(のち和歌山県立伊都高等学校、現・和歌山県立伊都中央高等学校)卒。橋本市助役、橋本市議会議員を経て、和歌山県議会議員に当選、2期務める。1993年〈平成5年〉橋本市長選挙に立候補し無投票で当選する。1997年〈平成9年〉も無投票当選。2001年〈平成13年〉の市長選挙で三選した。2005年〈平成17年〉に退任。2006年春の叙勲で旭日小綬章を受章。2020年〈令和2年〉死去。
後藤 善猛(ごとう ぜんみょう、1926年8月18日 - 2… 後藤 善猛(ごとう ぜんみょう、1926年8月18日 - 2008年10月18日)は、日本の真言宗の僧侶。徳島県阿南市にある真言宗大覚寺派・梅谷寺住職。 徳島県出身。京都大学大学院文学研究科(哲学)修了。鳴門工業高等学校、徳島県立脇町高等学校、徳島県立城南高等学校校長を歴任。その後高野山に登り、大覚寺教学研究室審議委員、洛南高等学校・附属中学校校長。1997年に密教教化賞を受賞。
青木 龍山(あおき りゅうざん、1926年8月18日 - 2… 青木 龍山(あおき りゅうざん、1926年8月18日 - 2008年4月23日)は、日本の陶芸家である。 佐賀県西松浦郡有田町生まれ。本名は久重(ひさしげ)。多摩美術大学日本画科卒業。染め付けや色絵の白磁の町・有田で、漆黒の天目釉を中心とした作陶で知られる異色の作家。位階は従三位。 1926年(大正15年)有田町の陶磁器製造販売会社の長男として生まれる。佐賀県西松浦郡有田町外尾山の陶磁器製造販売会社「青木兄弟商会」の長男として生まれ、外尾尋常小学校に通う。佐賀県立有田工業学校を経て、1951年(昭和26年)多摩美術大学日本画科を卒業すると同時に、神奈川県の法政大学第二高等学校および法政大学女子高等学校の美術教師となり、以後二年間勤務するが、父に呼び戻されて、祖父の興した会社に入る。
小澤 重男(小沢 重男、おざわ しげお、1926年8月18日… 小澤 重男(小沢 重男、おざわ しげお、1926年8月18日 - 2017年3月21日)は、日本のモンゴル語学者。 東京生まれ。1947年東京外事専門学校蒙古科卒業。1951年東京大学文学部言語学科卒業。1951年東京外国語大学講師、助教授、教授、1977年「中世蒙古語形態論の研究」で東洋大学文学博士。89年東京外大を定年退官、名誉教授。モンゴル語の研究に従事。モンゴル国立ウランバートル大学名誉教授、内蒙古大学名誉教授、モンゴル科学アカデミー海外会員・国際モンゴル学会会長・日本モンゴル学会名誉会長。
佐川 吉男 (さがわ よしお、1926年8月17日 - 20… 佐川 吉男 (さがわ よしお、1926年8月17日 - 2000年5月10日) は、日本の音楽評論家で、特にオペラおよび、チェコ、スロヴァキアの音楽に造詣が深かった。没後2003年に「佐川吉男音楽賞」が創設されている。 1926年青森県弘前市に生れる。旧制東京高等学校理科乙類卒業。早稲田大学演劇科に進み、在学中より音楽評論を始める。レコード雑誌『ディスク』編集長を務め、後に『音楽の友』『レコード芸術』『ステレオ』『LP手帖』などの音楽雑誌の新譜レコード評を担当。同時に『朝日新聞』のビデオストリートと新譜試聴室も長年担当した。さらにオペラの分野でも音楽雑誌や演奏会プログラムに解説を寄稿し、活発な評論活動を行った。
杉山 とく子(すぎやま とくこ、本名及び旧芸名;杉山 徳子、… 杉山 とく子(すぎやま とくこ、本名及び旧芸名;杉山 徳子、1926年〈大正15年〉8月16日 - 2014年〈平成26年〉8月28日)は、日本の女優。東京府(現東京都)出身、血液型はB型。代表作は映画『キューポラのある街』、テレビドラマ『男はつらいよ』、『渡る世間は鬼ばかりシリーズ』。 実践女子学園第二高等女学校卒業後、保母や千葉新聞社の広告部員として働く。 東宝のニューフェイスに応募し、1946年に舞台芸術アカデミーへ。 2年の養成期間を経て、1948年、俳優座に入り、同年に『遠くへの羊飼い』で舞台デビュー。 1949年、『白鳥は悲しからずや』で映画初出演。長らく中堅女優として活動した。 『男はつらいよ』(テレビドラマ版)で車つね役を務め、映画版シリーズにも別役で複数回出演。
住江 みちる(すみのえ みちる、1926年8月16日 - 1… 住江 みちる(すみのえ みちる、1926年8月16日 - 1988年)は、かつて宝塚歌劇団に在籍していた歌手。本名は的場翠。兵庫県芦屋市出身。プロレス解説者の伊集院浩の姪でもある。1988年に膵臓がんで死去。 1939年(昭和14)に宝塚歌劇団29期生として、宝塚音楽舞踊学校(現在の宝塚音楽学校)に入学、同期生には淡島千景、久慈あさみ、南悠子、故里明美(入団時は故里千秋)などがいる。当時のプログラム上では、1945年(昭和21)まで「住江」、1946年は「住の江」の表記である。 1942年(昭和17)に宝塚歌劇団に入団。初舞台は同年5月の大劇場雪組公演で、行軍譜『軍艦旗征くところ』、舞踊『戻り橋』、歌劇『ピノチオ』で初舞台を踏む。
渡辺 行男(渡邊 行男、わたなべ ゆきお、1926年8月16… 渡辺 行男(渡邊 行男、わたなべ ゆきお、1926年8月16日 - )は、日本近代政治史学者。 福岡県豊前市生まれ。明治大学文学部中退。衆議院事務局に入り、1977年より憲政記念館で憲政資料の調査・収集・展示に当る(企画調査主幹)。帰郷し福岡県豊前市立図書館長を経て著述業に専念する。
岩尾 秀嶺(いわお しゅうれい、1926年8月15日 - 2… 岩尾 秀嶺(いわお しゅうれい、1926年8月15日 - 2010年12月20日)は、日本の理論物理学者。 長野県上水内郡[要出典]出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、名古屋大学理学部物理学科を卒業した。その後、大阪市立大学(現・大阪公立大学)大学院理学研究科、およびロチェスター大学大学院博物学をそれぞれ修了した。[要出典] シラキュース大学、ジェノヴァ大学、ベルン大学、東京教育大学(現・筑波大学)勤務を経て、金沢大学理学部助教授に就任、のち同大学理学部教授に昇進した[要出典]。定年退官後、同大学名誉教授。 名古屋自由学院短期大学(のちの名古屋芸術大学短期大学部)教授も務めた[要出典]。
三好 潤子(みよし じゅんこ、1926年8月15日 - 19… 三好 潤子(みよし じゅんこ、1926年8月15日 - 1985年2月20日)は、日本の俳人。本名、三好みどり。 大阪府大阪市に生まれる。 1939年に大阪市三先尋常小学校を、1947年に大阪女学院(ウヰルミナ女学院)を卒業する。小学校在学中の1935年には急性虫垂炎や右腎結核を、女学院在学中には中耳結核や急性肝炎を患い、生涯病に悩まされる。 また1938年1月8日には自宅が大阪市港区夕凪橋の自宅を延焼により失い、1941年に再建。その自宅を旅館「夕凪橋」として母が経営することとなったが、1947年に5人組の強盗に押し入られる。自身は2階におり難を逃れたため、機転を利かせて逮捕に協力。このことから、母とともに警察から表彰されたが、その時の築港警察署の司法主任が後に師事することとなる榎本冬一郎であった。
水野 忠彦(みずの ただひこ、1926年8月15日 - 19… 水野 忠彦(みずの ただひこ、1926年8月15日 - 1998年3月1日)は、長野県出身のプロ野球選手。
神内 良一(じんない りょういち、1926年(大正15年)8… 神内 良一(じんない りょういち、1926年(大正15年)8月15日 - 2017年(平成29年)6月27日)は、日本の実業家、資産家。消費者金融大手・プロミスの創業者で、有限会社神内ファーム21(現神内ファーム21株式会社)の代表取締役を務めた。 1926年、香川県の農家(小作農)の三男に生まれた。当時小作農は苦労して作った作物の半分を地主に納めなければならなかったため神内は「農業で成功し、地主の何倍もの大農家になってやる」と子どもながらに想っていたという。15歳の時、香川県立木田農業学校(現香川大学農学部)に進学。 19歳で太平洋戦争終戦を迎えた。北海道の開拓実習訓練所のことを知り、香川県から北海道まで汽車を乗り継ぎたどり着いた。
上床 珍彦(うわとこ うずひこ、1926年(大正15年)8月… 上床 珍彦(うわとこ うずひこ、1926年(大正15年)8月15日 - )は、日本の実業家。元東洋エンジニアリング社長、同会長。 上床国夫・佐恵子の長男として鹿児島県に生まれる。1950年(昭和25年)東京大学工学部応用化学科を卒業し、同年4月に東洋高圧に入社。1961年(昭和36年)5月、東洋エンジニアリングに転じ、取締役、常務、専務、副社長を経て、1987年(昭和62年)6月、同社長に就任した。1994年(平成6年)6月、代表会長となった。 ほか、第13期石油学会会長やエンジニアリング振興協会理事長を務め、1993年(平成5年)3月には関東天然瓦斯開発取締役に就任した。同年4月に藍綬褒章を受章した。
佐倉 尚(さくら たかし、1926年8月15日 - )は、日… 佐倉 尚(さくら たかし、1926年8月15日 - )は、日本の行政管理官僚。 1950年、東京大学第一工学部計測工学科卒業後、行政管理庁に入庁。1965年、行政管理庁行政監察局副監察官。1966年、中部管区第二部管区監察官。1967年、行政管理庁統計基準局。1968年、行政管理庁統計基準局統計審査官。1970年、行政管理庁行政監察局監察官。1972年、行政管理庁行政監察局調整課長。1974年、行政管理庁長官官房総務課長 。1975年、四国管区行政監察局長。1976年、行政管理庁行政監察局監察審議官。1978年、行政管理庁行政監察局長。1980年6月、行政管理庁行政管理局長。1983年4月12日、行政管理事務次官。
牧原 純(まきはら じゅん、1926年8月15日 - 201… 牧原 純(まきはら じゅん、1926年8月15日 - 2015年3月26日)は、日本の演劇評論家、チェーホフ研究家、翻訳家。 東京生まれ。本名、島地 純(しまじ じゅん)。東京外国語大学ロシア語学科卒。文化放送でラジオ・ドラマ演出など、放送関連の仕事をし、同局の編成局長や営業局長などを務める。その後チェーホフ関係の翻訳を行う。 2015年3月26日、呼吸不全のため死去。88歳没。
藤原 菊男(ふじわら きくお、1926年8月13日- 201… 藤原 菊男(ふじわら きくお、1926年8月13日- 2012年8月13日 )は、日本の経営者。島津製作所社長、会長を務めた。 京都府竹野郡丹後町出身。1952年に京都大学経済学部を卒業し、同年に島津製作所に入社。1979年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1992年6月には社長に昇格した。1998年6月から会長を務め、2002年6月から相談役を務めた。 日本経済団体連合会常任理事、関西経済連合会常任理事なども歴任した。 1992年11月には藍綬褒章を受章し、1998年4月には勲二等瑞宝章を受章した。 2012年8月13日、京丹後市の海岸で遊泳中に死去。86歳没。
岡部 三郎(おかべ さぶろう、1926年8月12日 - 20… 岡部 三郎(おかべ さぶろう、1926年8月12日 - 2024年6月25日)は、日本の農水官僚、政治家。元参議院議員(3期)。北海道開発庁長官(第64代)、沖縄開発庁長官(第33代)を務めた。 神奈川県横浜市出身。旧制横浜一中(現・神奈川県立希望ケ丘高等学校)、二高、東京大学農学部卒業。 1948年に農林省(現在の農林水産省)に入省。農林省構造改善局設計課長、構造改善局建設部長、構造改善局次長などを務め、1979年に農林省を退職。 ほかに、科学技術政務次官、参議院農林水産委員長、参議院内閣委員長、参議院教育改革・スポーツ振興特別委員会副委員長、参議院総合政策委員会委員、グリーン・ツーリズム議員懇談会会長、全国土地改良事業団連合会理事などの要職を歴任した。
小泉 博(、1926年〈大正15年〉8月12日 - 2015… 小泉 博(、1926年〈大正15年〉8月12日 - 2015年〈平成27年〉5月31日)は、日本の俳優、司会者。本名は小泉 汪(読み同じ)。神奈川県鎌倉市出身。身長173センチメートル、体重72キログラム、血液型はA型。趣味はゴルフ。 政治家の小泉策太郎の八男として生まれる。兄に日本画家の小泉淳作がいる。 11歳で父と死別し、慶應義塾高等学校を経て1943年、慶應義塾大学経済学部に入学。昭和23年(1948年)に卒業、NHK第20期アナウンサーとして入局。この進路選択については、「日本を農業と軽工業の国に変革させる、という当時のアメリカGHQの発表に対する不安感があった」とコメントしている。 NHK入局後、昭和25年(1950年)ごろに大分放送局に配属される。