久野 隆作(くの りゅうさく、1936年(昭和11年)8月1… 久野 隆作(くの りゅうさく、1936年(昭和11年)8月17日 - 2010年(平成22年)6月22日)は、日本の政治家。神奈川県三浦市長(4期)。 神奈川県出身。1959年、慶應義塾大学法学部卒。1963年、三浦市議会議員に初当選。4期務め、1985年、三浦市長に初当選する。1989年と1993年は無投票当選。1997年の市長選挙では元市議の小林一也らを破って4選。2001年に引退した。2007年春の叙勲で旭日中綬章受章。 2010年6月22日、クモ膜下出血のため神奈川県横須賀市の横須賀市立うわまち病院で死去、73歳。死没日をもって従四位に叙される。
牧壮(まき たけし、1936年8月17日 - )は、日本の社… 牧壮(まき たけし、1936年8月17日 - )は、日本の社会起業家。IoS(Internet of Seniors)をビジョンとして掲げ、シニアへネット活用を呼びかけるエバンジェリスト。 一般社団法人アイオーシニアズジャパン共同創業者 兼 代表理事。牧アイティ研究所代表。e-senior IT活用研究会主宰。 山口県下関市に生まれる。父親は石油会社の技術者として、秋田・柏崎・東京・新潟と転勤を重ねた。戦争中は東京都世田谷区に住み、3月10日の東京大空襲や艦載機による機銃掃射を経験した。学童集団疎開で長野県に疎開し終戦を迎える。戦後の食料難時には母親の反物を持って埼玉の農家へ食料の買い出しに出た。
大熊 幹章(おおくま もとあき、1936年8月16日 - )… 大熊 幹章(おおくま もとあき、1936年8月16日 - )は、日本の林学者、農学博士。東京大学名誉教授。専門は林産学、生物資源科学。日本学術会議会員(第16期)。 東京出身。1960年東京大学農学部林産学科卒業。東京大学大学院を修了後、1987年東京大学農学部教授(- 1997年)。東京大学名誉教授として定年退官後、1997年九州大学農学部教授(- 2000年)となる。その後、宮崎県林務部顧問として、宮崎県木材利用技術センターの設立に携わり、2001年同センター所長に就任する。また、2005年から独立行政法人森林総合研究所理事長を務めた(- 2007年) 1966年 東京大学 農学博士。論文の題は「合板の機械的性質に関する研究」。
金児 昭(かねこ あきら、1936年8月16日 - 2013… 金児 昭(かねこ あきら、1936年8月16日 - 2013年12月19日)は、日本の実業家、経営評論家。信越化学工業顧問、元金融監督庁顧問。 東京都出身。東京都立大泉高等学校を経て、1961年に東京大学農学部(農業経済学)を卒業し、信越化学工業に入社する。一貫して経理、財務部門でキャリアを重ね、1992年に同社の常務取締役(経理、財務、法務、資材関係担当)に就任。同職を1999年まで務める。また、公認会計士試験(筆記・口述)試験委員や金融監督庁顧問(企業会計担当)等も務めた。 衆議院議員の亀井静香とは、大泉高校で同学年だった。 2013年12月19日に心不全のため死去。
廣部 千恵子(ひろべ ちえこ、1936年8月16日 - )は… 廣部 千恵子(ひろべ ちえこ、1936年8月16日 - )は、日本の薬学者(薬系化学・創薬科学・宗教学)。学位は博士(医学)(東邦大学・2001年)。旧姓は水島(みずしま)。姓の「廣」は「広」の旧字体のため、新字体で広部 千恵子(ひろべ ちえこ)とも表記される。 ノートルダム大学助手を経て、中島国際特許事務所化学部に勤務し、清泉女子大学人間科学課程教授、清泉女子大学文学部教授、清泉女子大学人文科学研究所教授などを歴任した。 薬系化学、創薬科学を専攻する薬学者である。聖書と植物学に関する研究や漢方の研究などで知られている。ノートルダム大学を経て中島国際特許事務所に勤務し、のちに清泉女子大学で教鞭を執った。
尾崎 吉弘(おざき よしひろ、1936年〈昭和11年〉8月1… 尾崎 吉弘(おざき よしひろ、1936年〈昭和11年〉8月16日 - 2024年〈令和6年〉4月23日)は、日本の政治家。和歌山市議会議員(3期)、和歌山県議会議員(4期)、第22代和歌山市長(1995年 - 1998年)。子は和歌山県議会議員の尾崎太郎、和歌山市議会議員の尾崎方哉。 1936年(昭和11年)8月16日、和歌山県出身。和歌山県立桐蔭高等学校卒業後、和歌山市議会議員を経て和歌山県議会議員を務める。近畿都市国民健康保険者協議会会長、和歌山県議会経済警察委員会委員長などの要職を歴任し、1989年(平成元年)に大江康弘らとともに県議在職10年以上の表彰を受け、1994年(平成6年)には県議在職15年以上の表彰を受けた。
原 真(はら まこと、1936年8月16日 - 2009年3… 原 真(はら まこと、1936年8月16日 - 2009年3月20日)は日本の医師・登山家である。愛知県名古屋市の出身で、札幌医科大学卒。2009年3月20日に脳疾患で死去。享年72。姉に岡崎恒子。 名古屋で病院を経営する外科医・原多喜萬の長男として生まれる。札幌医科大学に入学し、山岳部を立ち上げて主将を務める。学生時代の1956年、北海道大学山岳部に入部。1961年3月、名古屋大学医学部学生だった弟の原武が、鹿島槍北壁で遭難死。遺体の捜索で、のちにアイガー北壁を日本人で初めて制覇する登山家の高田光政と知り合う。高田は武の遺体を山から下した捜索隊の一人だった。原武の遺稿をまとめて『北壁:原武遺稿集』として自費出版(原多喜萬発行,1964年)、のちに『北壁に死す』として山と渓谷社から出版(1973年、1984年)、さらに『北壁に消えた青春』と改題し「追憶の山」(「山の本」No.29,白山書房,1999年所収)を後記として加えて出版(本の泉社,2008年)。
新正 卓(あらまさ たく、1936年8月15日 - )日本の… 新正 卓(あらまさ たく、1936年8月15日 - )日本の写真家。
須藤 隆一(すどう りゅういち、1936年8月15日 - 2… 須藤 隆一(すどう りゅういち、1936年8月15日 - 2021年10月21日) は、日本の環境工学者。東北大学名誉教授。初代埼玉県環境科学国際センター総長。元環境省政策評価委員会委員長。 群馬県出身。1959年群馬大学学芸学部自然科学科生物学専攻課程卒業。1960年国立公衆衛生院衛生技術学科衛生工学專攻課程修了、東京都下水道局技師。1968年東京大学応用微生物研究所助手。1974年東北大学理学博士、国立公害研究所水質土壤環境部陸水環境研究室長。1987年国立公害研究所技術部長。1989年国立公害研究所技術部長兼水質土壤環境部長。1990年東北大学工学部土木工学科教授。2000年定年退職、東北大学名誉教授、埼玉県環境科学国際センター総長。
成瀬 武史(なるせ たけし、1936年8月15日 - )は、… 成瀬 武史(なるせ たけし、1936年8月15日 - )は、日本の英語学者、明治学院大学名誉教授。 宮崎県生まれ。宮崎大学卒業、明治学院大学大学院修士課程修了。米国スタンフォード大学などに留学。児童文学学校卒業。明治学院大学文学部助教授、教授。2007年定年、名誉教授。『英語青年』の「和文英訳練習」を2002-08年担当。「ホライチのがま口」で第9回新美南吉童話賞「最優秀文部大臣奨励賞」受賞。専門は認知意味論、翻訳論。
桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14… 桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14日 - )は、日本の落語家。本名は椎名 巌(しいな いわお)。
梁 石日(ヤン・ソギル、ヤン・ソクイル、양석일、1936年8… 梁 石日(ヤン・ソギル、ヤン・ソクイル、양석일、1936年8月13日 - 2024年6月29日)は、日本の小説家。在日朝鮮人。本名は梁正雄(ヤン・ジョンウン)、通名:梁川正雄。 大阪市猪飼野で生まれる。両親は済州島から大阪市に移住してきた。戦後、一家は蒲鉾製造で成功したが、父はほどなく愛人を作り、妻子を棄てて家を出た。 大阪府立高津高等学校定時制在学中に、内灘闘争に参加。1954年に猪飼野で詩人の金時鐘に出会う。その後、金が主宰する同人誌『ヂンダレ』に詩を投稿し、手ほどきを受ける。梁石日という筆名は「石の上にも三年、日が照るまで粘り強く書く」の含意で、金時鐘が名付け親である。なお、後に作家として成功してからも親交は続いた。
寿里順平(壽里順平、すさと じゅんぺい、1936年8月13日… 寿里順平(壽里順平、すさと じゅんぺい、1936年8月13日- )は、日本のスペイン語学者、早稲田大学名誉教授。 東京出身。1959年早稲田大学政経学部卒、1964年同大学院法学研究科修士課程修了。南米エクアドル遠征隊などに参加し、1968年早大法学部専任講師、1972年助教授、1976年教授。2007年定年、名誉教授。NHKスペイン語講座講師を務めた。
石黒 修(いしぐろ おさむ、1936年8月12日 - 201… 石黒 修(いしぐろ おさむ、1936年8月12日 - 2016年11月9日)は、日本の男子プロテニス選手。日本プロテニス界のパイオニアとして活躍した名選手である。次男は俳優の石黒賢。父はタービン設計者の石黒九一、祖父は土木技術者の石黒五十二、曽祖父は加賀藩の国学者の石黒千尋。 長崎県長崎市出身。8歳の時に長崎市で原子爆弾に被爆。午前11時2分には民家に入っていたためかろうじて助かった。戦後は父・九一の仕事の都合で神戸市で育つ。 中学1年生の時にテニスを始める。甲南中学校・高等学校(2年先輩に松岡功)、慶應義塾大学法学部政治学科、三菱電機へ進み、全日本ジュニア、インターハイ、インカレを制する。 1961年にはデビスカップの代表に選ばれ、東洋ゾーン準決勝で奇跡の逆転勝利を演出した。
尾形 智矩(おがた ちえのり、1936年8月11日 - 20… 尾形 智矩(おがた ちえのり、1936年8月11日 - 2008年2月20日)は日本の政治家。衆議院議員(1期、自由民主党)。苅田町長(3期)。 福岡県京都郡苅田町出身。中央大学法学部卒業。 1972年、第33回衆議院議員総選挙に保守系無所属で福岡4区(定数4)から立候補し落選(9人中8位)。1976年、第34回衆議院議員総選挙に無所属で福岡4区から立候補し落選(7人中7位)。 1977年苅田町長選挙に無所属で立候補し初当選。1981年、1985年と再選する。町長時代は、戦前から北九州工業地帯の一角を占めていた苅田町の工業地域化、インフラ整備、都市化を更に進め、積極的な企業誘致を行い、北九州空港を開港した。
渡辺 典博(わたなべ のりひろ、1936年8月11日 - 2… 渡辺 典博(わたなべ のりひろ、1936年8月11日 - 2015年6月2日)は、日本の写真家。茨城県鹿嶋市出身。 巨樹・巨木の撮影をライフワークとして活動した。 鹿島神宮の宮司を代々つとめた鹿島家をルーツとし、神宮の森の傍らの家に育つ。明治初期に鹿島神宮大宮司、伊勢神宮大宮司を歴任した鹿島則文は曽祖父にあたる。 茨城県立麻生高等学校を卒業後、日本大学芸術学部写真学科に入学。新宿区若松町の下宿で、落語家の9代目三笑亭可楽、漫画家の高井研一郎等と青春時代を送る。大伯父に日展の理事長もつとめた画家の辻永がいて薫陶を受けた。 卒業後はフリーランスで週刊誌やPR誌を中心に活動する傍ら、人間国宝や落語家をテーマに撮影を行う。
原 敕晁(はら ただあき、1936年〈昭和11年〉8月10日… 原 敕晁(はら ただあき、1936年〈昭和11年〉8月10日 - )は、北朝鮮による拉致被害者である日本人、日本国政府認定の拉致被害者(辛光洙事件の被害者)。北朝鮮の工作員辛光洙(シン・グァンス)らによって拉致された。実行犯工作員が当人になりすますために拉致する、いわゆる「背乗り拉致」の被害者である。 1936年8月10日に長崎県長崎市で原道壽(みちひさ)とカメノの三男として生まれる。北朝鮮が提供した資料では「1936年8月2日、宮崎市生まれ」とあるが誤りである。 本籍は島根県松江市で、原家は1927年に長崎県大村市に移転し、歩兵第46連隊(大村航空隊)相手の物品販売所を営んでいたが、1935年頃、長崎市内に移転した。
梅本 正之(うめもと まさゆき、1936年8月10日 - )… 梅本 正之(うめもと まさゆき、1936年8月10日 - )は、和歌山県有田郡津木村(現:広川町)出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・スコアラー・寮長。
大倉 昊(おおくら ひろし、1936年8月9日 - )は、日… 大倉 昊(おおくら ひろし、1936年8月9日 - )は、日本の実業家。株式会社ノエビアホールディングス創業者・代表取締役会長。 大阪府出身。大阪工業大学工学部電気工学科卒業。1964年航空機事業でジェイ・エイチ・オークラ・エンド・コンパニーを創業。1971年ジェイ・エイチ・オークラ・エンド・コンパニー設立、代表取締役社長。1978年ノエビアに商号変更。2004年ノエビア代表取締役社長 最高経営責任者(CEO)。2009年ノエビア代表取締役会長。2011年ノエビアホールディングス代表取締役会長。ノエビアホールディングス代表取締役社長の大倉俊は長男。 ノエビアホールディングス株価の急上昇で、2018年に資産1360億円、38位で、フォーブス日本長者番付入りした。
森 彰英(もり あきひで、1936年8月9日 - )は、日本… 森 彰英(もり あきひで、1936年8月9日 - )は、日本のノンフィクション作家。 東京都生まれ。東京都立大学卒。広告会社、光文社の編集者を経て1969年独立、以降フリーで取材執筆活動を続けている。1998年『行動する異端』で開高健賞優秀作となる。最近の関心領域は都市・交通、出版メディア、人物ノンフィクションなど。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
新村 鋭男(しんむら としお、1936年(昭和11年)8月8… 新村 鋭男(しんむら としお、1936年(昭和11年)8月8日 - 2024年11月22日)は、平成29年3月に株式会社モリタホールディングスの相談役退任。過去には山一證券副社長、山一情報システム社長を歴任した。
永田 恒治(ながた つねはる、1936年8月8日 - 201… 永田 恒治(ながた つねはる、1936年8月8日 - 2016年3月28日)は、日本の弁護士。松本サリン事件において、事件の第一通報者で、一時は事実上の容疑をかけられる状態にあった河野義行を、弁護士として支援したことで知られる。 長野県東筑摩郡山形村出身。 東京大学法学部卒業。当初は官僚を目指していたが、60年安保闘争の中で、向坂逸郎の指導下で政治運動に関わり、公安条例違反での逮捕も経験した。30歳を過ぎてから弁護士を志し、1972年に弁護士登録して、松本市で弁護士事務所を開業し、1991年から1992年にかけては長野県弁護士会の会長も務めた。 松本サリン事件の際には、警察が、被疑者不詳のまま河野宅を家宅捜索し、さらに河野に長時間の事情聴取を行なったこと、また、マスコミが河野を犯人同然に扱う報道を展開したことを厳しく批判し、河野の人権擁護と、後の名誉回復に尽力した。
北澤 滋久(きたざわ しげひさ、1936年8月7日 - 20… 北澤 滋久(きたざわ しげひさ、1936年8月7日 - 2014年6月3日 )は、日本の英文学者。獨協大学名誉教授。 東京都出身。1959年、早稲田大学第一文学部英文科卒業。1961年同大学院文学研究科英文学修士課程修了。1967年より2007年まで獨協大学に勤務。 <漂白の意識の表白:あるジェイムズ・ジョイス論・イギリス紀行:やぶにらみ異文化論・小論集:ポオと定家とワイルドと・ポオのこと、ロレンスのこと・ふたつの太陽・てんとうむしの神話等。> <ジャコモ・ジョイス:自虐的愛の悦楽> この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岡野 利道(おかの としみち、1936年8月6日 - )は、… 岡野 利道(おかの としみち、1936年8月6日 - )は、日本の経営者。三井造船社長を務めた。岡山県玉野市出身。 1959年に九州大学工学部造船学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1992年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1997年6月に社長に就任。2001年6月には会長に就任し、2003年6月に相談役に退いた。
長尾 高明(ながお たかあき、1936年8月6日 - 200… 長尾 高明(ながお たかあき、1936年8月6日 - 2008年2月26日)は、日本の国文学者・国語教育学者。 東京出身。東京教育大学文学部卒業。宇都宮大学教育学部助教授、教授、2002年定年退官、名誉教授、文教大学教授。
長光 告直(ながみつ つぐなお、1936年8月5日 - )は… 長光 告直(ながみつ つぐなお、1936年8月5日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 廿日市高校から1955年に南海ホークスへ入団。 1956年に55試合登板し13勝を記録し、1957年にも12勝を記録した。1958年6月4日の近鉄戦でパ・リーグ初の1球敗戦投手となっている。
枝 徹也(えだ てつや、1936年8月5日 - )は、日本の… 枝 徹也(えだ てつや、1936年8月5日 - )は、日本の実業家。日立金属代表取締役会長・社長。 福岡県出身。1955年福岡県立修猷館高等学校を経て、1959年京都大学工学部冶金学科卒業。 1959年日立金属入社。若松工場長兼同工場開発室長などを務めた後、1989年6月取締役となり、1991年6月常務、1992年6月専務COP本部長、1993年6月技術本部長兼COP推進本部長、1994年6月副社長COP推進本部長兼事業企画本部長兼輸出管理本部長を経て、1995年6月代表取締役社長に就任。 2000年6月代表取締役会長に就任。2001年6月相談役。
青山 敏彦(あおやま としひこ、1936年8月5日 - )は… 青山 敏彦(あおやま としひこ、1936年8月5日 - )は、三重県出身のラジオ体操指導者、元日本体育大学教授。NHKテレビ・ラジオ体操指導者を28年間務め、全国ラジオ体操連盟理事長を経て、現在は同連盟の名誉会長を務める。 三重県四日市市生まれ。 1959年に日本体育大学体育学部を卒業し、同大学の助手に就任。1960年から2年間、デンマークのオレロップ国民高等体操学校(デンマーク語版)(現:オレロップ体育アカデミー)へ留学。1981年より日本体育大学の教授職となり、1991年に退職するまで32年間教職を務めた。 1971年、NHKテレビ・ラジオ体操指導者に就任。1999年まで28年間務め、同年開始のNHK『みんなの体操』検討委員会の一員として考案、発表に携わる。
北原 保雄(きたはら やすお、1936年8月4日 - 202… 北原 保雄(きたはら やすお、1936年8月4日 - 2024年2月22日)は、日本の国語学者・言語学者。位階は従三位。学位は文学博士(筑波大学・1981年)(学位論文「日本語助動詞の研究」)。筑波大学名誉教授・元学長。新潟産業大学名誉学長。独立行政法人日本学生支援機構元理事長、文化審議会委員(国語分科会会長)。 新潟県柏崎市出身。新潟県立柏崎高等学校、1960年、東京教育大学卒業。1968年、同大学大学院文学研究科国語学博士課程中退。東京都公立学校教員、和光大学講師、助教授を経て、1974年に筑波大学文芸・言語系助教授。1981年「日本語助動詞の研究」で筑波大学より文学博士の学位を取得。1984年に同大学教授に就任。
北小路 敏(きたこうじ さとし、1936年8月4日 - 20… 北小路 敏(きたこうじ さとし、1936年8月4日 - 2010年11月13日)は、日本の左翼政治活動家、元中核派最高幹部。 1936年生まれ。父親は京都市立中学校の国語科の教師、京都旭丘中学事件の際の教頭で、その後京都府議会議員を務めた北小路昂。 1954年、日本共産党に入党。1956年、京都市立紫野高等学校卒業、京都大学経済学部入学。1958年9月、共産党を離党。 1960年の安保闘争では、全学連の指導者として知られる(樺美智子が死亡した6・15国会突入デモの最高指揮者。副委員長加藤昇、都学連副委員長西部邁が補佐。)。当時は共産主義者同盟(ブント)に所属していた。1962年京都大学経済学部卒業。
真野 清以志(まの せいし、1936年8月4日 - 2018… 真野 清以志(まの せいし、1936年8月4日 - 2018年1月1日)は、日本の経営者。上新電機社長を務めた。大阪府堺市出身。 1959年に大阪大学法学部を卒業し、同年に南海電気鉄道に入社。1962年4月に大阪ナショナル電化製品販売に転じ、1965年4月に大阪ナショナル中央販売社長を経て、1974年2月から1986年3月までに大阪ナショナル商事社長を務めた。1986年5月から1991年1月までに上新電機社長を務めた。 2018年1月1日肺炎のために死去。81歳没。
金山宣夫(かなやま のぶお、1936年8月4日 - )は、同… 金山宣夫(かなやま のぶお、1936年8月4日 - )は、同時通訳の先駆者、国際適応学・異文化社会学の提唱者、多くの企業での国際適応訓練の指導者、文明評論家、元東洋学園大学人文・経営両学部教授。 金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ☆上記以外の英文著作 ※金山宣夫公式ホームページより記載 'Corporate Dynamuseum', in Shushoku Janaru, August 〜November 1979,May〜June 1980, Nihon Rikuruto Senta ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 アジア・オセアニア編(基本的な注意点の指摘、担当部分5頁/236頁)、アメリカ・カナダ編(基本的な注意点の指摘、担当部分15頁/218頁)、1974〜75年、日本航空(ダイヤモンド社編) ※金山宣夫公式ホームページより記載 (連載分だけを記し、別記ないものは月刊) ※金山宣夫公式ホームページより記載 アンケートやインタビューによる国際調査(+印はその他の方法による近年の調査) ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 (*印は5回以上訪問) ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 金山宣夫公式ホームページより記載
高野 紀子(たかの のりこ、1936年 (昭和11年) 8月… 高野 紀子(たかの のりこ、1936年 (昭和11年) 8月4日 - )は、日本の音楽学者、国立音楽大学名誉教授、元学長。 満州国時代に日本の租借地であった関東州の大連市に生まれる。東京芸術大学音楽学部楽理科を卒業し、さらに同大学専攻科を修了後、ドイツ政府留学生としてチュービンゲン大学に留学した。 中世ルネッサンス音楽ないし初期バロック音楽の声楽作品の演奏研究を専門として、永く国立音楽大学音楽研究所に所属し、古楽器を用いた初期のオペラ作品の復元演奏に取り組んだ。 1970年代から国立音楽大学が継続的に取り組む歌唱法研究において、科学研究費助成事業の代表を務める。その成果は1989年に、フランチェスカ・カッチーニ作品のオペラ『ルッジェーロの救出(イタリア語版、英語版)』(La liberazione di Ruggiero)と、クラウディオ・モンテヴェルディ作品のオペラ『オルフェオ 』(L'Orfeo)の古楽器を用いた演奏会形式による復元上演を企画・構成し、同年『ルッジェーロの救出』の復元演奏を収めたCDが発表された際には、その監修に当たった。
佐伯 昌優(さえき よしまさ、1936年8月4日 - )は、… 佐伯 昌優(さえき よしまさ、1936年8月4日 - )は、将棋棋士、九段。2002年、引退。坂口允彦九段門下。棋士番号は79。鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)出身。 5歳の頃、将棋を趣味としていた兄の影響を受けて将棋を覚える。 1952年に奨励会入会。1959年前期の予備クラスにおいて関東優勝をし、東西決戦で関西の星田啓三六段に勝ち、1959年10月1日付けで四段昇段(プロ入り)。 順位戦では、初参加から2期目の第16期(1961年度)C級2組で10勝2敗・1位となり初昇級。1年置いて、第18期(1963年度)C級1組順位戦で8勝3敗・2位の成績でB級2組に昇級。 1962年、第6回古豪新鋭戦で米長邦雄(三段)に勝ち決勝進出するが、大内延介(三段)に敗れて準優勝。
中平 穂積(なかだいら ほづみ、1936年8月3日 - 20… 中平 穂積(なかだいら ほづみ、1936年8月3日 - 2024年12月1日)は、日本のジャズ・フォトグラファー。国内外の著名なジャズミュージシャンと親交があり、アルバムのジャケット撮影や、経営するジャズ喫茶にて、ライブやレコーディングを多数おこなっている[要出典]。 和歌山県本宮町(現・田辺市)生まれ。和歌山県立新宮高等学校を経て、1960年日本大学芸術学部写真学科卒業。1961年2月、新宿に「DIG」を開店する。3月、「ジャズ・アーティスト写真展」を開催した。同月に結婚する。 1963年に「DIG」渋谷店をオープンする。1965年に、「ジャズ・カレンダー」の製作を開始した。 1966年、初渡米し、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビスを撮影。
有本 卓(ありもと すぐる、1936年(昭和11年)8月3日… 有本 卓(ありもと すぐる、1936年(昭和11年)8月3日 - )は、日本の計算機科学者。専門は、情報理論・制御理論・ロボティクス。工学博士(東京大学・1967年・論文博士)、大阪大学名誉教授。制御理論では有本・ポッターの方法、ロボット工学では受動性(英語版)やリーマン多様体に基づく安定性解析、学習制御の研究などで業績を上げた。紫綬褒章、瑞宝中綬章受章者。 東京大学工学部助手、講師、大阪大学基礎工学部助教授、教授、東京大学工学部教授、日本ロボット学会会長を歴任。東京大学定年退官後は設立間もない立命館大学理工学部ロボティクス学科教授に就任し、同大学ロボティクスFA研究センター長、VLSIセンター長、客員教授を務めた。
河内山 一夫(かわちやま かずお、1936年8月3日 - 1… 河内山 一夫(かわちやま かずお、1936年8月3日 - 1975年8月19日)は、大阪府堺市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は植田 一夫(うえた かずお)。179cm、118kg。最高位は西十両7枚目。得意手は左四つ、吊り。 1954年5月場所で初土俵、1961年9月場所では西幕下3枚目の地位で6勝1敗と好成績を残し、十両昇進が濃厚と思われたが、十両からの陥落者が少なかったため、翌11月場所では西幕下筆頭に据え置かれる不運に遭った。その場所では2勝5敗と負け越し十両昇進はならなかった。それでも腐らず精進し1963年7月場所にて十両昇進。十両には11場所連続で在位したが、右膝を負傷してからは不振が続き、幕下へ陥落の後、1965年7月場所限りで廃業した。
巣山 靖司(すやま やすじ、1936年8月2日 -2025年… 巣山 靖司(すやま やすじ、1936年8月2日 -2025年10月16日 )は、日本の国際政治学者。大阪外国語大学名誉教授。 1936年(昭和11年)長野県北安曇郡池田町生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1961年(昭和36年)静岡大学文理学部法学科卒業。1967年(昭和42年)名古屋大学大学院法学研究科博士課程終了。守本順一郎に師事した。大阪外国語大学外国語学部助教授、教授を務めた後、定年退官。大阪外国語大学名誉教授。名古屋経済大学大学院教授。 その後、NPO法人新いちょう大学校理事長を務めた。 2016年11月、瑞宝中綬章を受章。 2025年10月16日、満89歳にて逝去。
由水 常雄(よしみず つねお、1936年8月2日 - )は、… 由水 常雄(よしみず つねお、1936年8月2日 - )は、日本の歴史研究者、ガラス工芸家。徳島県生まれ。東京都立新宿高等学校を経て早稲田大学大学院博士課程修了。1968年より1970年までチェコ政府招聘留学生としてプラハ大学でガラス工芸史、東西美術交渉史を専攻。
宮岡 伯人(みやおか おさひと、1936年8月2日 - )は… 宮岡 伯人(みやおか おさひと、1936年8月2日 - )は、日本の言語学者、京都大学名誉教授である。エスキモー語専門で、なかでもユピック語(中央アラスカユピック語)を研究している。 兵庫県神戸市生まれ。大阪外国語大学外国語学部卒、1965年京都大学大学院博士課程満期退学、1998年「エスキモー語文法 -中央アラスカ・ユピック語」で文学博士(京都大学)。 1965年小樽商科大学商学部助手、助教授、教授、1982年東京外国語大学外国語学部教授、1987年北海道大学文学部教授、1994年京都大学文学部・文学研究科教授、名誉教授、2000年大阪学院大学情報学部教授、2007年退職。 1987年に「『エスキモー――極北の文化誌』(岩波書店)を中心としてサントリー学芸賞(芸術・文芸部門)を受賞。
柴田 章平(しばた しょうへい、1936年8月2日 - 20… 柴田 章平(しばた しょうへい、1936年8月2日 - 2021年9月)は日本の大蔵・公取官僚。 公正取引委員会事務局長、神奈川銀行会長、財団法人公正取引協会会長、公益財団法人公正取引協会会長(初代)などを務めた。 京都府京都市出身(父は愛知県、母は東京都)。1955年3月:京都市立紫野高等学校卒業。1959年3月:京都大学経済学部卒業。 1959年4月:大蔵省入省(為替局総務課)。1964年7月:大臣官房調査課調査第一係長 兼 大臣官房調査課調査第二係長。1965年7月:大臣官房調査課調査第一係長。1966年7月:倉敷税務署長。1967年7月:通商産業省企業局商務第一課長補佐。 1969年7月:大臣官房調査企画課長補佐(内国調査)。
新井 克昌(あらい かつまさ、1936年8月2日 - 202… 新井 克昌(あらい かつまさ、1936年8月2日 - 2022年 )は、群馬県出身の小説家。 浪曲師出身の人気コメディアン玉川良一の甥。娘は声優・ナレーターの景山聖子。 1957年、日本シナリオ作家協会・第1期研究生修了。1962年、高崎経済大学経済学部卒業。商業ビデオの制作、脚本等を手がけたのち著作活動に。 2007年12月、『日本列島放棄』(文藝春秋企画出版部)を発表。翌月の週刊新潮に「圧倒的リアリティーで迫る日本崩壊のシナリオ…」と推薦小説として取り上げられた。 2010年6月、『百年の封印』(文藝春秋企画出版部)を発表。
鈴木辰治(すずき しんじ、1936年8月2日- )は、日本の… 鈴木辰治(すずき しんじ、1936年8月2日- )は、日本の経営学者、新潟大学名誉教授。 福島県生まれ。1960年立教大学経済学部卒、66年同大学院博士課程満期退学、79年「経営と経済体制 ドイツ経営学研究」で東北大学経済学博士。60年高島入社、61年スタンレー電気調査室勤務、65年北九州大学商学部助手、66年講師、69年助教授、立命館大学経営学部助教授、1971年新潟大学文学部経済学科助教授、79年経済学部教授。2002年定年退官、名誉教授となり、長岡大学教授、九州産業大学教授を務めた。
三ツ矢 歌子(みつや うたこ、1936年8月1日 − 200… 三ツ矢 歌子(みつや うたこ、1936年8月1日 − 2004年3月24日)は、日本の女優。 大阪府堺市東区出身。プール学院高等学校卒業。血液型A型。本名は小野田 宇汰子。夫は小野田嘉幹。平田昭彦は義弟(夫の実弟)、音羽美子は義妹(夫の妹)、久我美子は義妹(義弟の妻)、野平ゆきは義子(息子の妻)。 学生時代の同級生には坂本スミ子がいた。 1955年、学生時代の女友達が内緒で新東宝の新人募集に応募書類を送ったところ、合格。第4期スターレットとして入社(同期は北沢典子、原知佐子、万里昌代、朝倉彩子など)。 1956年の『君ひとすじに』で銀幕デビューを果たし、池内淳子、久保菜穂子と「新東宝現代劇の女優三羽烏」と呼ばれ、1961年の倒産まで出演を続けた。
同前 雅弘(どうぜん まさひろ、1936年8月1日 - 20… 同前 雅弘(どうぜん まさひろ、1936年8月1日 - 2024年12月14日)は、日本の経営者。大和証券社長を務めた。岡山県出身。 1959年に京都大学法学部を卒業し、同年に大和証券に入社。 1982年に株式部長に就任し、株式本部長、取締役、常務、専務などを経て、1989年6月に副社長に就任し、同年10月には社長に就任したが、1992年3月には大口顧客への損失補塡問題などの責任を取り、辞任。1994年6月に副会長に就任したが、1997年9月には総会屋への利益供与疑惑をめぐる責任で辞任し顧問に退いた。経済団体連合会理事も務めた。 2024年12月14日午前7時46分、心不全のため死去。88歳没。
井戸田 博史(いどた ひろふみ、1936年8月 - )は、日… 井戸田 博史(いどた ひろふみ、1936年8月 - )は、日本の法制史学者。帝塚山大学名誉教授。 大阪府生まれ。1960年大阪大学法学部卒業。武田薬品勤務ののち、大阪市立大学大学院法学研究科修士課程修了。1980年大阪大学に学士入学し、1982年文学部史学科国史専攻卒業。帝塚山短期大学教授、帝塚山大学法政策学部教授。1994年「日本近代「家」制度の研究 -乃木伯爵家問題を通じて」で國學院大学法学博士。2007年、帝塚山大学を定年退職。 家の名について法制史的な研究を行っている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山岡 清二(やまおか せいじ、1936年8月 - )は、日本… 山岡 清二(やまおか せいじ、1936年8月 - )は、日本のジャーナリスト、国際問題評論家、翻訳家、通訳、ラジオ時事解説者、コンサルタント、国際政治学者。東洋英和女学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。1962年国際基督教大学卒業。 共同通信記者、米国務省通訳官、ワシントン・ポスト記者(東京支局)を経てフリーとなり、評論、翻訳、通訳、ラジオ時事解説、コンサルティングのほかに、衆議院国際会議課顧問、文部省教科書審議会委員(外国語部会長)、『ニューズウィーク日本版』編集顧問など。 1988年東洋英和女学院短期大学国際教養科教授、2001年東洋英和女学院大学・国際社会学部教授。2007年定年退任、名誉教授。
濱井 修(はまい おさむ、1936年8月 - )は、日本の倫… 濱井 修(はまい おさむ、1936年8月 - )は、日本の倫理学者。東京大学文学部名誉教授。 1959年東京大学文学部倫理学専修卒業、1964年同大学院博士課程中退、東大教養学部助手、1967年同専任講師、1969年助教授、1973年東大文学部助教授、1982年教授、1997年退官、1998年より2004年まで東京女子大学文理学部哲学科教授。2003-2005年日本倫理学会会長。 1966年和辻哲郎賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小林 志郎(こばやし しろう、1936年8月 - )は、日本… 小林 志郎(こばやし しろう、1936年8月 - )は、日本の演劇研究者、演劇学者・演出家。東京学芸大学名誉教授・元副学長。有明教育芸術短期大学終身名誉学長。 高等教育におけるパーフォーミング・アーツ(演劇・舞踊・音楽)教育のフィロソフィの構築とその実際に尽力。 理論の中心は、日本の伝統芸術(能狂言と歌舞伎、日本舞踊、日本の伝統音楽)の基礎教育と西洋の芸術教育との融合におかれた。専門は演劇教育学、現代演出論。長野県下高井郡木島平村出身。「鬼島志郎」の筆名がある。
濱井 修(はまい おさむ、1936年8月 - )は、日本の倫… 濱井 修(はまい おさむ、1936年8月 - )は、日本の倫理学者。東京大学文学部名誉教授。