資延 敏雄(すけのぶ びんゆう、1922年(大正11年)5月… 資延 敏雄(すけのぶ びんゆう、1922年(大正11年)5月3日 - 2014年(平成22年)3月12日)は、高野山真言宗の僧。管長。金剛峯寺411世座主。高野山大学卒業。北海道深川市出身。 1922年(大正11年)、北海道深川市の真言寺に生まれる。1935年(昭和10年)、同寺にて乃村龍澄師(第55世大覚寺門跡)に従い剃髪得度。1949年(昭和24年)に高野山大学卒業。 北海道旭川市の金峰寺住職を経て、2002年(平成14年)から2006年(平成18年)まで金剛峯寺第411世座主と高野山真言宗の管長を務めた。 2014年(平成22年)3月12日、心不全のため死去。享年91。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
石川 操(いしかわ みさお、1922年5月2日 - 1999… 石川 操(いしかわ みさお、1922年5月2日 - 1999年1月6日)は、日本の経営者、銀行家。茨城県水戸市出身。 1940年に水戸商業学校を卒業し、1942年に常陽銀行に入行。1969年10月に取締役、1974年11月に常務、1981年6月に専務を経て、1986年7月には常陽銀行副頭取に就任。1988年7月に取締役相談役を経て、1989年6月には相談役に退いた 1999年1月6日肺炎のために死去。76歳没。
久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日… 久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日 - 1996年〈平成8年〉7月11日)は、日本の女優、歌手。元宝塚歌劇団月組男役トップスター。東京市京橋区(現・中央区)新富町出身。本名は森山 淑子。 生家は、明治時代に歌舞伎役者の写真を多数撮影した森山写真館。1939年、麹町高等女学校卒業後、宝塚音楽舞踏学校に進む。宝塚歌劇団29期生。1941年、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は17人中9位。淡島千景、南悠子と共に『東京の三羽烏』と呼ばれた。相手役だった淡島千景が松竹入社したことなどに刺激を受け、1950年、宝塚を退団。新東宝と出演契約を結び『愛染香』で映画デビューする。 1951年、ビクターレコードと専属契約を結び、主演した新東宝映画『恋人』『ブンガワンソロ』『女豹の地図』等の主題歌を歌う。
林 厳雄(はやし いづお、1922年5月1日 - 2005年… 林 厳雄(はやし いづお、1922年5月1日 - 2005年9月26日)は、日本の物理学者。東京府生まれ。半導体レーザーの実現に功績があった。 東京大学理学部物理学科卒業。 東京大学原子核研究所助教授を経て、1963年に渡米。マサチューセッツ工科大学に滞在後、1964年から1971年までベル研究所研究員で勤務して1970年には室温での半導体レーザーの連続発振に成功した。1971年に帰国、日本電気中央研究所などで研究した。1976年IEEEフェロー選出。2001年にはベル研究所時代の同僚であるモートン・パニッシュとソビエトでレーザーの連続発振に成功したジョレス・アルフョーロフと共に京都賞先端技術部門を受賞した。
池田 修三(いけだ しゅうぞう、1922年(大正11年)4月… 池田 修三(いけだ しゅうぞう、1922年(大正11年)4月30日 - 2004年(平成16年)11月10日)は、秋田県由利郡象潟町(現在のにかほ市象潟)生まれの版画家。 父は開業医で、姉のほか男4人兄弟の3男として生まれる。 秋田県立本荘中学校(現:秋田県立本荘高等学校)を卒業後、1942年に東京高等師範学校(現:筑波大学)芸能科に入学。学業途中で陸軍工兵学校に入隊するが、敗戦で東京高等師範を繰り上げ卒業した。 1946年、秋田県立由利高等学校に美術科教諭として赴任し、1952年には聖霊高等学校(現:聖霊女子短期大学付属高等学校)に移る。たまたま秋田を訪れていた画家の近藤良悦夫妻の知遇を得て、1955年同校を退職。
大橋 薫(おおはし かおる、1922年(大正11年)4月29… 大橋 薫(おおはし かおる、1922年(大正11年)4月29日 – ) は、日本の社会学者。明治学院大学名誉教授。社会病理学、都市社会学を主たる専門とする。明治学院大学社会学部長、日本社会病理学会、家族問題研究会の各会長などを歴任。 社会病理学では社会解体論的、社会偏倚論的方針に立脚し、家族病理、社会病理の視点から研究を行う。また都市社会学においてはシカゴ学派の影響を受ける。 研究対象は家族、アルコール中毒、被差別部落、売春婦、やくざなど多岐にわたり、高知市や大阪市で行った調査活動への評価は高い。一方その社会病理学の方法については、学問領域としての社会病理学それ自体と併せて批判もある。 福島県田島町出身で、会津中学、浦和高校を経て1942年(昭和17年)に東京帝大へ進む。
岩﨑 英二郎(いわさき えいじろう、1922年〈大正11年〉… 岩﨑 英二郎(いわさき えいじろう、1922年〈大正11年〉4月29日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の言語学者(ドイツ語学)。慶應義塾大学名誉教授。日本学士院会員。姓の「﨑」はいわゆる「たつさき」であるが、JIS X 0208に収録されていないため、岩崎 英二郎(いわさき えいじろう)と表記されることもある。 東京大学文学部助手、旧制成蹊高等学校教授、成蹊高等学校教諭、埼玉大学文理学部講師、東京教育大学文学部助教授、東京大学教養学部教授、慶應義塾大学文学部教授、慶應義塾大学言語文化研究所所長、獨協大学外国語学部教授などを歴任した。 1922年4月29日、東京府にて生まれた言語学者である。
岩﨑 英二郎(いわさき えいじろう、1922年4月29日 -… 岩﨑 英二郎(いわさき えいじろう、1922年4月29日 - )は、日本のドイツ語学者で、慶應義塾大学名誉教授。専門は、ドイツ語の不変化詞の研究。
山田 鐐一(やまだ りょういち、1922年4月29日 - 2… 山田 鐐一(やまだ りょういち、1922年4月29日 - 2008年6月16日)は、日本の法学者。
森見 徳治(もりみ とくじ、1922年4月29日 - 200… 森見 徳治(もりみ とくじ、1922年4月29日 - 2003年3月16日)は、日本の経営者。ミニストップ社長を務めた。京都府出身。 1942年に大阪商科大学高商部を経て、1944年に京都帝国大学文学部を中退。1950年に蝶理取締役に就任し、1972年5月から1975年5月までに常務を務め、1975年10月にジャスコに転じ、1979年5月に取締役を経て、1980年5月から1983年5月までにミニストップ社長を務めた。 2003年3月16日肺癌のために死去。80歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
羽田 三郎(はねだ さぶろう、1922年4月28日 - 20… 羽田 三郎(はねだ さぶろう、1922年4月28日 - 2005年11月6日)は、英語学者、青山学院大学名誉教授。 1922年(大正11年)大阪市生まれ。1943年(昭和18年)大阪外国語学校英語部卒業。大阪外国語大学教授を経て1969年(昭和44年)青山学院大学教授。1991年(平成3年)退任、名誉教授。日本商業英語学会理事長、相談役。 2005年11月6日、慢性呼吸不全のため死去。
森脇 隆夫(もりわき たかお、1922年(大正11年)4月2… 森脇 隆夫(もりわき たかお、1922年(大正11年)4月28日 - 1996年(平成8年)2月27日) は、日本の化学工学者、司祭。学校法人上智学院理事長。 1945年名古屋帝国大学工学部応用化学科卒業。1952年上智大学文学部哲学科卒業。1954年上智大学大学院哲学研究科修了。 1957年カトリック司祭。1958年上智大学大学院神学研究科修了。1962年上智大学理工学部助教授。 1965年ノートルダム大学Ph. D. in Chemistry。 1967年上智大学学生部次長。1971年上智大学理工学部教授。 1975年学校法人上智学院理事。1975年学校法人上智学院評議員。1976年学校法人上智学院総務担当理事。
竹野 栄(たけの さかえ、1922年4月27日 - 没年不明… 竹野 栄(たけの さかえ、1922年4月27日 - 没年不明)は、日本の児童文学作家、教育者。 北海道奥尻島出身。北海道第二師範学校(現在の北海道教育大学)、國學院大學卒業。 師範学校在学中に素話を行った際に、自作の童話を使って行いたいと考えたことがきっかけで児童文学を志す。1961年から石森延男に師事し、児童文学を執筆し始める。1963年に『ブチよしっかり渡れ』で第4回講談社児童文学作品を受賞し、デビュー。 大学卒業後の約40年間、北海道や東京で小学校教諭を勤めていた体験を生かし、数々の児童文学作品を発表する。教師や校長先生たちと子供たちとの交流を題材とした、明るくのびのびとした作品が多い。その一方で、小学校低学年を対象にした国語や生活科に関連した絵本や、児童向けのノンフィクションの執筆も多く手掛ける。
大村 千吉(、1922年〈大正11年〉4月27日 - 199… 大村 千吉(、1922年〈大正11年〉4月27日 - 1991年〈平成3年〉11月24日)は、日本の俳優。本名は大村撰吉(読み同じ)。旧芸名は大村仙吉。 東京市(東京都)出身。エヌ・エー・シーに所属していた。 1922年4月27日、東京市深川で、寄席の芸人であり俳優の東家梅之助の息子として生まれる。深川明治尋常高等小学校卒業。 1933年公開の映画『少年忠臣蔵』に子役で出演。これが映画デビュー作である。 1934年にP.C.L.(現在の東宝)に入社。同年公開の映画『あるぷす大将』にて主演。本名と同じ音の芸名「千吉」はこの『あるぷす大将』の出演時に監督山本嘉次郎につけられたもので、『少年忠臣蔵』時には本名のままであった。
内海 英男(うつみ ひでお、1922年4月26日 - 200… 内海 英男(うつみ ひでお、1922年4月26日 - 2005年8月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。建設大臣(第46代)、国土庁長官(第17代)、衆議院議員(9期)。 関東州(現在の中国東北部)大連市に生まれる。私立豊山中学校(現日本大学豊山中学校)を経て、中央大学法学部に入学。1944年、大学在学中に学徒出陣となり、海軍の特攻隊に配属される。復員後、住宅営団勤務を経て、衆議院議員だった父内海安吉の秘書となる。 1967年1月、健康不安のため引退を決意した安吉の後継者として旧宮城2区から自由民主党公認で衆院選に立候補し、初当選。自民党では当初、船田派に所属。1979年の第35回衆議院議員総選挙の後、田中派に移り、同派幹部田村元の側近となる。
天満美智子(てんま みちこ、1922年4月26日 - 202… 天満美智子(てんま みちこ、1922年4月26日 - 2021年10月10日)は、日本の言語学者・英語学者。津田塾大学名誉教授。専門は言語心理学。 ウラジオストク生まれ。1944年津田塾専門学校英文科卒、1950年南カリフォルニア大学大学院、1961年ミシガン大学大学院を経て、国際基督教大学講師、1968年津田塾大学教授、1988-1996年学長、名誉教授。1997年、勲三等宝冠章を受章。
佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月… 佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月26日 - 2016年〈平成28年〉1月1日)は、日本のアメリカ文学者・比較文学研究者・文芸評論家・翻訳家。東京大学名誉教授。日本芸術院会員。勲三等旭日中綬章受章。 富山県出身。古代日本に存在した佐伯部の子孫で神官の家柄。先祖に佐伯有頼がいる。旧制富山高校を経て、東京帝国大学文学部英文科卒業、同大学院修了。旧・東京都立大学助教授を経て、1967年にカナダ・トロント大学で客員教授として日本文学を講義、1968年東京大学教養学部教授、1976年から大学院比較文学比較文化研究室主任。1983年定年退官後は中央大学教授を1993年まで勤め、世田谷文学館館長、2007年退任し名誉館長。
諫早 英雄(いさはや ひでお、1922年〈大正11年〉4月2… 諫早 英雄(いさはや ひでお、1922年〈大正11年〉4月26日 - 2007年〈平成19年〉2月28日)は、日本の華族(旧佐賀藩国老、男爵)、地主。 長崎県北高来郡諫早村(現・諫早市)出身。諫早不二雄の長男、あるいは二男。1923年、襲爵する。 1924年6月に農務局がまとめた「五十町歩以上ノ大地主」によると、当時まだ幼少の英雄は田97.7町、畑23.3町、計121.0町の耕地をもち、面積では県内第4位の地主で、主な耕地は北高来郡内の10町村にまたがり、小作人は530戸である。 宗教は曹洞宗。住所は長崎県北高来郡諫早町、諫早市原西小路、東京市小石川区白山御殿町、世田谷区松原町。 諫早市の初代教育委員を務めた。
工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 -… 工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 - 2008年7月9日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。本名は、工藤 精一(くどう せいいち)。日本ロシア文学会会員。 福島県生まれ。福島中学(現福島県立福島高等学校)卒業。ハルピン学院卒業。日ソ文化交流機関講師、関西大学教授等を務めた。 数多くのロシア文学・ロシア語文献を翻訳した。
三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 199… 三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 1999年10月12日)は、日本の女性作家。
小崎 昌業(おざき まさなり、1922年4月25日 - 20… 小崎 昌業(おざき まさなり、1922年4月25日 - 2022年[要出典])は、日本の元外交官。中華民国青島市生まれ。滋賀県甲賀市出身。財団法人霞山会顧問、愛知大学名誉役員、東亜同文書院大学記念センター委員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岩井 章(いわい あきら、1922年4月25日 - 1997… 岩井 章(いわい あきら、1922年4月25日 - 1997年2月18日)は、日本の労働運動家、元日本労働組合総評議会(総評)事務局長。 長野県松本市出身。高等小学校卒業後、1937年に日本国有鉄道(国鉄)に入り、機関士として勤務した。1945年に日本が第二次世界大戦で敗北した後、国鉄内での労働運動高揚を受けて1946年に結成された国鉄労働組合(国労)へ加入、二・一ゼネストの時の甲府支部青年部長を振り出しに上諏訪の地区労議長、社会主義青年同盟を結成するなど頭角を現した。1947年には林虎雄に口説かれて、長野県議会選挙に立候補して落選している。1950年には中央執行委員に就任した。 1955年、総評内の路線闘争で合化労連の太田薫と連携し、事務局長に就任した。
遠藤 源太郎(えんどう げんたろう、1922年 <大正11年… 遠藤 源太郎(えんどう げんたろう、1922年 <大正11年> 4月24日 - 1998年 <平成10年> 11月25日)は、日本の経営者。グンゼ社長、会長を務めた。位階は従四位。 京都府出身。1946年に神戸経済大学を卒業し、1951年に郡是製絲 (のちのグンゼ) に入社。 1971年に取締役に就任し、1975年に常務、1979年に専務を経て、1985年2月には社長に就任。1990年6月に会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1998年11月25日肝不全のために死去。76歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
緒方 俊明(おがた としあき、1922年4月23日 - )は… 緒方 俊明(おがた としあき、1922年4月23日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。
神谷 健一(かみや けんいち、1922年(大正11年)4月2… 神谷 健一(かみや けんいち、1922年(大正11年)4月23日 - 2006年(平成18年)4月11日)は、日本の銀行家。国民政治協会会長(第6代)、三井銀行社長、三井住友銀行名誉顧問、慶應義塾評議委員会議長、交詢社理事等を歴任。 兵学者・宇都宮三郎の本家に当たる子孫。幼稚舎より慶應義塾に学ぶ。 海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
樋泉 正起(といずみ まさおき、1922年 <大正11年> … 樋泉 正起(といずみ まさおき、1922年 <大正11年> 4月23日 - 2012年 <平成24年> 1月30日)は、日本の経営者、銀行家。山梨中央銀行頭取を務めた。位階は正五位。 山梨県出身。1946年に早稲田大学法学部を卒業し、1947年に山梨中央銀行に入行。1977年6月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1981年6月に専務、1982年6月に副頭取を経て、1983年6月に頭取に就任。1991年6月に会長に就任し、1995年6月から1997年6月までに取締役相談役を務めた。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2012年1月30日心筋梗塞のために死去。
羽嶋山 昌乃武(はじまやま まさのぶ、1922年(大正11年… 羽嶋山 昌乃武(はじまやま まさのぶ、1922年(大正11年)4月23日 - 2011年(平成23年)6月13日)は、岐阜県羽島郡桑原村(現・羽島市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は山内 昌乃武(やまうち まさのぶ)。身長176cm、体重120kg。最高位は西張出関脇(1956年(昭和31年)3月場所)。得意手は左四つ、櫓投げ、上手投げ。 一時期「羽島山」、「岐阜錦」を名乗った。 17歳の時に出羽海部屋へ入門し、1939年(昭和14年)5月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名でもある「山内」。以来順調に出世し、1945年(昭和20年)6月場所で新入幕を果たした(その間、初名の「山内」から「羽嶋山」→「羽島山」と2度四股名を変えた。
邦寿王(くにながおう、1922年(大正11年)4月21日 -… 邦寿王(くにながおう、1922年(大正11年)4月21日 - 1986年(昭和61年)4月16日)は、日本の元皇族、陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。賀陽宮恒憲王の第1王子。臣籍降下(皇籍離脱)後は賀陽邦寿(かや くになが)。明仁上皇(第125代天皇)の再従兄にあたる。 1922年(大正11年)4月21日午前0時45分、賀陽宮恒憲王と同妃敏子の第1男子として誕生。御七夜の4月27日に「邦寿」と命名された。 学習院中等科を経て、東京陸軍幼年学校(40期)卒業後、1941年(昭和16年)7月、陸軍士官学校(55期)を卒業。陸軍少尉に任官する。大尉時代には早淵四郎中将の下で豊橋第一陸軍予備士官学校の教官を務め、精神訓話と戦術の講義を担当した。
ポス宮崎(ポスみやざき、1922年4月21日 - 1977年… ポス宮崎(ポスみやざき、1922年4月21日 - 1977年2月5日)は日本のハワイアンのスティール・ギタリスト。本名は宮崎英夫。 1922年4月21日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。 慶應義塾大学在学中、ハワイアン・バンド「ノヴェルティ・ハワイアンズ」を結成。戦時中は笈田敏夫とともに「新緑楽団」)として活動。大学中退後、ペダル・スティール・ギターを自作。 1945年10月、コニー・アイランダースを結成。 1949年、日本コロムビアにてレコーディング・デビュー。以降、キングレコード、日本ビクター、CBSソニーなどに自己名義の録音を残す。 1977年2月5日、入浴中に脳出血を起こして死去。
近角 聰信或いは近角 聡信(ちかずみ そうしん、1922年4… 近角 聰信或いは近角 聡信(ちかずみ そうしん、1922年4月20日 - 2016年5月8日)は、日本の物理学者。専攻は磁性物理学・金属物理学。理学博士(1951年東京大学)。東京大学名誉教授、茅誠司の門下生、ロゲルギストのメンバー。浄土真宗大谷派の近角常観の四男。 下の名前に関して、学習院大学時代の論文を収録したJ-STAGEやCiNii Researchでは聴信と間違って表記されている。 大正11年(1922年)、東京府生まれ。第二高等学校を経て、昭和20年(1945年)、東京大学理学部物理学科を卒業後、同大学院(茅誠司研究室)を経て、1950年より学習院大学に助教授として勤務、53年に31歳で教授に就任。
戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006… 戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006年10月21日)は、日本の実業家。フィンランド視察を基にした、北海道産業クラスター構想提唱者。北海道札幌市出身。東京工業大学(現東京科学大学)卒。
友金 信雄(ともがね のぶお、1922年〈大正11年〉4月1… 友金 信雄(ともがね のぶお、1922年〈大正11年〉4月19日 - 2005年〈平成17年〉7月13日)は、日本の政治家。兵庫県宝塚市長。位階は従四位。 兵庫県に生まれる。1943年(昭和18年)横浜専門学校(現神奈川大学)を卒業。1955年(昭和30年)宝塚市議会議員、1967年(昭和42年)兵庫県議会議員にそれぞれ当選。 1970年(昭和45年)12月23日、宝塚市長の北俊三が任期中に死去。1971年(昭和46年)2月7日に行われた宝塚市長選挙に立候補し初当選した。1991年(平成3年)まで5期在任。同年の市長選で落選して引退した。 2005年に83歳で死去。死没日付をもって正八位から従四位に進階した。
伊東 泰治(いとう やすはる、1922年4月18日 - 20… 伊東 泰治(いとう やすはる、1922年4月18日 - 2013年4月2日)は、日本のドイツ文学者。名古屋大学名誉教授。 1922年、山口県萩市で生まれた。1940年に山口県立山口中学校を卒業し、東京高等学校文科乙類に進んだ。1942年に卒業。京都帝国大学文学部ドイツ文学専攻に進み、1946年に卒業。 修了後は、三重県立医科大学予科教授に就いた。三重県立大学助教授、金沢大学法文学部助教授を経て、名古屋大学分校助教授に就いた。その後教養部助教授に配置換えとなり、教養部教授昇格。名古屋大学総合言語センター教授に配置換えとなり、同センター長を併任した。名古屋大学在職中、西ドイツ・アレクサンダー・フォン・フンボルト財団給費留学生として渡独し、ミュンヘン大学、ハイデルベルク大学、フライブルク大学に滞在して在外研究。
川崎 寛治(かわさき かんじ、1922年(大正11年)4月1… 川崎 寛治(かわさき かんじ、1922年(大正11年)4月18日 - 2005年(平成17年)12月3日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員。 鹿児島県南九州市旧川辺町出身。日本統治時代の台湾の台南市生まれ。台北高等学校 (旧制)を経て、京都帝国大学法学部へ進む。1943年(昭和18年)から学徒動員で従軍し、台湾最南端の地で終戦を迎える。1946年(昭和21年)春に鹿児島県川辺町に引き揚げて、大学に復学し卒業。 高校教諭、参議院議員秘書などを経て、1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙で社会党公認で旧鹿児島1区に立候補し落選、3度目の挑戦となった1963年(昭和38年)の第30回衆議院議員総選挙で初当選する。
黒川 一男(くろかわ かずお、1922年〈大正11年〉4月1… 黒川 一男(くろかわ かずお、1922年〈大正11年〉4月17日 - 2010年〈平成22年〉4月16日)は、日本の泌尿器科学者、泌尿器科医。医学博士。徳島大学名誉教授、日本泌尿器科学会名誉会員、協立病院名誉院長。 新潟県新潟市礎町通上一ノ町(現 新潟市中央区礎町通上一ノ町)の黒川栄一郎の長男として出生。 新潟市礎尋常小学校を経て、1940年(昭和15年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 1950年(昭和25年)3月に東京大学医学部助手に就任、1956年(昭和31年)5月に東京大学医学部講師に就任、同年8月に東京大学から医学博士の学位を取得、東京大学医学部附属病院分院外来診療所医長に就任、1961年(昭和36年)4月に東京大学医学部助教授に就任、東京大学医学部附属病院分院泌尿器科医長に就任、1963年(昭和38年)11月に徳島大学医学部泌尿器科学教室初代教授に就任、1976年(昭和51年)4月に徳島大学医学部附属看護学校第13代学校長に就任、1978年(昭和53年)1月に徳島大学医学部附属病院第14代病院長に就任、同月に徳島大学医学部附属助産婦学校第4代学校長に就任、1988年(昭和63年)3月に徳島大学を定年退官、4月に徳島大学名誉教授の称号を受称、徳島県徳島市八万町橋本の協立病院の院長に就任。
北村 英三(きたむら えいぞう、1922年4月17日 - 1… 北村 英三(きたむら えいぞう、1922年4月17日 - 1997年3月7日)は、日本の俳優、演出家。晩年の芸名は喜多村 英三、本名は北村 英蔵(いずれも読みは同じ)。東京府東京市牛込区新小川町(現:新宿区新小川町)出身。妻は関えつ子、娘は北村岳子。 旧制第四高等学校(現:金沢大学)を経て、京都帝国大学文学部国語国文科に入学。学生演劇で当時の日本人男性としては長身だった体躯を生かし、翻案劇の主演と演出を数多く務めた。在学中の1947年に『劇団くるみ座』の創立に参加する。1948年、京都帝大を卒業。 近畿で製作された舞台、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画に数多く出演した個性派俳優として知られ、映画『吸血鬼ゴケミドロ』の政治家・真野剛造のような権力者役や、結束信二脚本・司馬遼太郎原作のテレビドラマ『新選組血風録』と『燃えよ剣』での井上源三郎役、『部長刑事』の大阪府警捜査一課の大鍋部長刑事のような市井の人などの脇役を終生演じ続けた。
川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 20… 川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 2006年4月3日)は、日本の俳優、脚本家、映画評論家、雑誌編集者である。旧芸名川部 守一(かわべ しゅいち)。筆名の秋田 謙三(あきた けんぞう)では、テレビ台本の執筆、記録映画の製作を行う。日本映画ペンクラブ会員。麹町区第22代区長の川部爽介は実父である。 1922年(大正11年)4月17日、東京府豊多摩郡渋谷町(現在の東京都渋谷区)に生まれる。父の爽介は旧天童藩士で、川部が満3歳であった1925年(大正14年)8月に東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)の区長に就任し、川部が満7歳を目前にし尋常小学校就学直前であった1929年(昭和4年)3月まで同職を務めた。
野村 実(野村 實、のむら みのる、1922年〈大正11年〉… 野村 実(野村 實、のむら みのる、1922年〈大正11年〉4月16日 - 2001年〈平成13年〉5月18日)は、日本の海軍軍人、軍事史学者。滋賀県出身。 専門は日本海軍史。防衛大学校教授、名古屋工業大学教授、軍事史学会会長を歴任した。学位は文学博士(慶應義塾大学)。最終階級は海軍大尉。 滋賀県彦根市生。旧制彦根中学校を経て海軍兵学校入校(第71期)。1942年(昭和17年)卒業(次席)。 空母「瑞鶴」、戦艦「武蔵」乗組、軍令部第1部付(作戦記録係)で太平洋戦争を経験、海軍兵学校教官で終戦を迎える。 終戦後は復員庁で極東国際軍事裁判海軍被告人弁護事務を担当。海軍大尉の経歴のため公職追放となる。
谷崎 義衛(たにざき よしえ、1922年4月16日 - 20… 谷崎 義衛(たにざき よしえ、1922年4月16日 - 2023年7月16日)は、日本の物理化学者。工学博士。東京工業大学、長岡技術科学大学名誉教授。新潟県長岡市出身。 延伸高分子膜法による偏光吸収スペクトルの測定技術の確立およびその結果の理論的解析のパイオニア。 主な著書に化学の話シリーズ4「気体の話」など。 1950年、東京工業大学理学部化学科卒業。 1959年、東京工業大学助手。 1961年、東京工業大学工学博士。 1963年、東京工業大学助教授。 1969年、東京工業大学教授。 1978年、長岡技術科学大学教授。 1988年、長岡技術科学大学名誉教授。 1991年、東京工業大学名誉教授。
安田 健(やすだ けん、1922年4月16日 - )は、日本… 安田 健(やすだ けん、1922年4月16日 - )は、日本の農学者。 北海道夕張市生まれ。本籍・石川県志雄町。1946年北海道帝国大学(現・北海道大学)農学部卒業。1961年『わが国稲作技術の地域的展開に関する文献的研究』で九州大学農学博士。1950年から農業発達史調査会(盛永俊太郎編集長、東畑精一会長)で稲作史の部門を担当。朝日新聞東京本社企画部に勤務。山階鳥類研究所でトキの研究。1959年『日本農業発達史』(農業発達史調査会)で朝日賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
川副武胤(かわぞえ たけたね、1922年4月15日 - 19… 川副武胤(かわぞえ たけたね、1922年4月15日 - 1993年6月29日)は、日本の日本史学者。山形大学名誉教授。 日本史学者・川副博の子として東京に生まれる。第三高等学校卒、1951年東京大学文学部国史学科卒。同大学院、1954年鎌倉市史編纂員、1960年正倉院事務所技官、1967年山形大学人文学部講師、1968年助教授、1974年教授。1985年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授、就実学園理事。 1969年「古事記の研究」で名古屋大学文学博士。
白鳥 常男(しらとり つねお、1922年4月14日 - 20… 白鳥 常男(しらとり つねお、1922年4月14日 - 2012年10月16日)は、宮城県出身の医学者。奈良県立医科大学名誉教授。 宮城県築館中学校(現・宮城県築館高等学校)出身。陸軍航空士官学校を経て、東北帝国大学医学部へ進学、1950年に卒業。大学に勤務し、1959年日本平滑筋学会の前身、平滑筋・筋電図研究会の設立発起人となる。1961年東北大学医学部第一外科学講師、1971年同教室助教授となる。翌1972年初代中島佐一教授の後を受けて、奈良県立医科大学第一外科学教室教授。1979年 - 1981年、厚生省特定疾患「炎症性腸管障害」調査研究班班長。1980年同大学附属病院長。1988年同大学定年退職、叙名誉教授。
青木 成文(あおき しげぶみ、1922年(大正11年)4月1… 青木 成文(あおき しげぶみ、1922年(大正11年)4月14日 - 1996年(平成8年)5月10日)は、日本の原子力工学者。東京工業大学名誉教授。東京工業大学原子炉工学研究所所長や、日本伝熱学会会長、原子力委員会放射性物質安全輸送専門部会部会長、運輸省放射性物質等海上輸送技術顧問会会長などを歴任した。 現在の東京都港区出身。1945年東京工業大学機械工学科卒業。工学博士取得後、東京工業大学大学教授、東京工業大学原子炉工学研究所所長を経て、東京工業大学名誉教授、電力中央研究所研究顧問、日本原子力文化振興財団副理事長。日本伝熱学会会長、原子力委員会放射性物質安全輸送専門部会部会長、原子力委員会原子炉安全専門審査会委員、運輸省放射性物質等海上輸送技術顧問会会長なども歴任し、1993年に勲三等旭日中綬章を受章した。
森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4… 森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4月14日 - 1990年(平成2年)9月18日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(2期)。 埼玉県秩父市出身。西武自動車秩父営業所長を務めた森田實太郎の長男として生まれる。 埼玉県立熊谷商業高等学校を経て、1946年(昭和21年)に中央大学経済学部を卒業すると近江鉄道に入社。その後国土計画興業、西武鉄道グループの各社で職を転々としつつ、グループ首脳の堤康次郎の次女・邦子と結婚した(後に離婚)。康次郎が死去すると息子の堤清二、義明兄弟や女婿で西武鉄道社長だった小島清治郎、グループ全体の財務を担当していた西武鉄道専務宮内巌とともにグループの最高意思決定にかかわる立場となり、自らは、西武化学工業、三笠コカ・コーラボトリング、近江鉄道社長などを務めた。
藤川 正信(ふじかわ まさのぶ、1922年4月13日 - 2… 藤川 正信(ふじかわ まさのぶ、1922年4月13日 - 2005年3月10日)は、日本の図書館情報学者、翻訳家。 横浜市生まれ。愛媛県出身。東京大学文学部哲学科、慶應義塾大学文学部図書館学科で学ぶ。ジョージ・ピーボディ大学大学院図書館学修了。慶應義塾大学文学部助教授、教授、大東文化大学経済学部教授、図書館情報大学教授、1987年同大学学長。1991年退任。愛知淑徳大学教授。 1981年「オーデュボンソサイエテイブック」で日本翻訳出版文化賞受賞。
後宮 俊夫(うしろく としお、1922年4月12日 - 20… 後宮 俊夫(うしろく としお、1922年4月12日 - 2018年12月23日)は、日本の海軍軍人、牧師(日本基督教団)。最終階級は海軍大尉。海軍兵学校70期。陸軍大将の後宮淳は叔父、榎本保郎は義兄に当たる。 1922年(大正11年)、陸軍軍人(陸軍中佐)であった後宮太朗の長男として和歌山県和歌山市に生まれる。神戸第一中学校4年の時、海軍兵学校に入学し、1941年、70期としてこれを卒業。卒業後には連合艦隊勤務となり士官として戦艦「霧島」に乗務、1942年にはソロモン海戦で負傷している。その後、戦艦「山城」、駆逐艦「霜月」に続けて乗務するも、1944年9月からは結核のため療養となりそのまま終戦を迎えた。
森下 元晴(もりした もとはる、1922年4月12日 - 2… 森下 元晴(もりした もとはる、1922年4月12日 - 2014年3月11日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。
木下 重教(きのした しげのり、1922年(大正11年)4月… 木下 重教(きのした しげのり、1922年(大正11年)4月10日 - 2008年(平成20年)12月5日)は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。専門は資源開発工学。北海道大学名誉教授・北海道情報大学初代学長。北海道夕張市出身。恩師は佐山総平。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
吉田 たすく(吉田祐よしだ たすく、大正11年(1922年)… 吉田 たすく(吉田祐よしだ たすく、大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」の研究・試織を繰り返し、復元した。風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい『紬と絣の技法入門』として刊行する。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士。 鳥取県倉吉市広瀬町の開業医、伊藤琢郎・久代の子として生まれる。8人兄弟の6男。旧制鳥取県立倉吉中学校(現・鳥取県立倉吉東高等学校)を卒業し、研数専門学校物理科に入学。
二本松 嘉瑞(にほんまつ かずい、1922年4月9日 - 没… 二本松 嘉瑞(にほんまつ かずい、1922年4月9日 - 没年不明)は、日本の元映画監督。神奈川県鎌倉市出身。出生地は福島県。 松竹が製作した唯一の怪獣映画『宇宙大怪獣ギララ』の監督として知られる。 早稲田大学商学部卒業後、同大学文学部演劇科在籍のまま、1948年に松竹大船撮影所に入社。木下惠介、黒澤明などの助監督を担当した。松竹入社前、早稲田中学校の社会科教師で永六輔を受け持っていた。 1951年の『少年期』では助監督として参加するほか、倉木先生役で出演。これは木下惠介の指名によるもので、木下は脚本の執筆段階から倉木先生役に二本松を起用することを考えていたのだとされる 1960年に渡米し、ハリウッドで合成特殊技術を学ぶ。