瀧井 利彌(たきい としや、1919年7月7日 - 1996… 瀧井 利彌(たきい としや、1919年7月7日 - 1996年6月11日)は、日本の経営者。タキイ種苗社長を務めた。京都府京都市出身。 1942年に立命館大学経済学部を卒業。1947年にタキイ種苗取締役に就任し、1960年に副社長を経て、1970年には社長に昇格。1991年には会長に就任。日本種苗協会会長も務めた。 1983年に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 1996年6月11日肺癌のために死去。76歳没。
霜山 徳爾(しもやま とくじ、1919年7月5日 - 200… 霜山 徳爾(しもやま とくじ、1919年7月5日 - 2009年10月7日)は、日本の臨床心理学者。上智大学文学部名誉教授。 東京生まれ。成蹊小学校、旧制・成蹊高等学校(文科乙類)卒業。東京大学文学部心理学科卒。ボン大学留学 (Ph.D.を取得)。 ヴィクトール・フランクル『夜と霧』(みすず書房、1956年)の訳者として著名。自身もフランクルの友人であった。 父は元大審院長で最高裁判事も歴任した霜山精一。妻・操子は元経団連会長石坂泰三の二女。 老衰のため2009年10月7日午前9時42分、東京都内で死去。
百々 和(どど かず、1919年7月5日 - 2011年2月… 百々 和(どど かず、1919年7月5日 - 2011年2月18日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。 兵庫県武庫郡須磨町(現神戸市須磨区)出身。1943年満州建国大学卒。入営し、敗戦後残留日本軍として中国共産党軍と戦い(中国山西省日本軍残留問題)、1949年中華人民共和国に抑留され、1956年帰国、神戸大学経済学部大学院に入り、1962年博士課程満期退学。1960年龍谷大学助手、1964年神戸大学教養部講師、1964年助教授、1970年神戸大学より経済学博士の学位を取得、1972年教授となり、1983年定年退官、名誉教授となり、神戸学院大学教授、広島経済大学教授を務め、1996年退職。中国での体験をめぐり「蟻の兵隊」にも出演している。
箱根 宏(はこね ひろし、1919年(大正8年)7月5日 -… 箱根 宏(はこね ひろし、1919年(大正8年)7月5日 - 1987年(昭和62年)10月6日)は、日本の政治家、実業家。第11・14・15代土浦市長。 茨城県出身。1941年(昭和16年)旧制水戸高校を卒業。1944年(昭和19年)東京帝国大学経済学部卒業し、軍需省に入り総動員局秘書課勤務となる。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して解員(復員)した。 戦後の1950年(昭和25年)土浦土木建築工業代表取締役となり、1966年(昭和41年)には社長となる。この間、土浦一高、三高の講師も務めた。 1971年(昭和46年)土浦市長に初当選。
林 貞子(はやし ていこ、1919年〈大正8年〉7月4日 -… 林 貞子(はやし ていこ、1919年〈大正8年〉7月4日 - 2006年〈平成18年〉8月13日)は、日本の幼児教育の専門家。松濤幼稚園の創設者で、東海大学名誉教授も務めた。人権擁護委員。勲等は勲四等瑞宝章。 父・牧野伸通は伯爵・牧野伸顕の長男で式部官、母・純子は男爵・鍋島直明の長女で上皇后美智子の元東宮女官長。伸通・純子夫妻の長女として生まれ、慶應義塾大学文学部哲学科を卒業後、慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程を修了(専攻は社会学)。夫は学習院大学名誉教授の林友春(伯爵・林博太郎の三男)。 1947年、東京都の中でも屈指の高級住宅街、渋谷区松濤に松濤幼稚園を創設した。当幼稚園は政治家から財界人の重鎮、また皇族や著名人の子らが多く通うことで知られており、若葉会幼稚園、枝光会附属幼稚園などと共に「御三家幼稚園」と呼ばれるとともに日本で最も学費が高額な幼稚園として知られていた。
木野 晴夫(きの はるお、1919年(大正8年)7月4日 -… 木野 晴夫(きの はるお、1919年(大正8年)7月4日 - 1997年(平成9年)2月13日)は、日本の大蔵官僚、政治家。自由民主党所属の衆議院議員(当選6回)。 大阪府出身。大阪高等学校を経て、1942年(昭和17年)7月、高等試験行政科に合格。同年9月、大蔵省事務取扱嘱託となり理財局に配属。1943年(昭和18年)7月、高等試験司法科に合格し、同年8月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、大蔵属に任官し外資局に配属。同年9月、大蔵省を退職し短期現役士官として海軍に志願し、海軍法務見習尉官となる。1944年(昭和19年)3月、海軍法務中尉に進み、舞鶴鎮守府軍法会議法務官、呉鎮守府軍法会議法務官などを歴任し、1945年(昭和20年)3月、海軍法務大尉に昇進し、同年12月、予備役となる。
舟橋 和郎(ふなはし かずお、1919年7月2日 - 200… 舟橋 和郎(ふなはし かずお、1919年7月2日 - 2006年1月15日)は、日本の脚本家。兄は小説家の舟橋聖一。 東京府出身。東京帝国大学教授の四男として生まれる。母方の祖父に古河財閥幹部の近藤陸三郎がおり、裕福な家庭で育つ。1939年、東京高等学校在学中、治安維持法違反で検挙される。1943年、明治大学専門部文科(文芸科)を卒業。菊池寛の秘書を経て、1944年、大映企画部に入社、同年応召。翌年復員し、1946年、『彼と彼女は行く』を発表して脚本家に転じ、のちフリーとなる。1950年に映画『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』の脚本でシナリオ賞受賞。その他代表作に『雁の寺』、『兵隊やくざ』シリーズ、『与太郎戦記』シリーズなど。
岩崎 松之助(いわさき まつのすけ、1919年 <大正8年>… 岩崎 松之助(いわさき まつのすけ、1919年 <大正8年> 7月1日 - 2006年 <平成18年> 6月17日)は、日本の工学者。工学博士。専門は航空力学。九州大学名誉教授、熊本工業大学(崇城大学)名誉教授。位階は正四位。プロペラの研究や、ショックチューブとショックネンタルを用いた流体力学研究が特に知られており、日本の航空力学の基礎を築いたと評価されている。 朝鮮総督府の養蚕試験場で生まれ、間もなく父・岩崎行高が鹿児島高等農林学校教授に就任したため鹿児島県鹿児島市で育つ。なお、祖父の岩崎行親は鹿児島県における中高等教育草創期の中心的人物。 鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)に進学し、模型飛行機づくりに熱中する。
日高 広為(日高 廣爲、ひだか ひろため、1919年(大正8… 日高 広為(日高 廣爲、ひだか ひろため、1919年(大正8年)7月1日 - 1991年(平成3年)1月1日)は、昭和期の農業指導者、実業家、政治家。参議院議員(1期)。 鹿児島県姶良郡、のちの国分市(現霧島市)出身。鹿児島高等商業学校(現鹿児島国際大学)を経て、1942年(昭和17年)早稲田大学商業部を卒業した。 1942年(昭和17年)満州電気化学に入社。召集され陸軍に入隊し、大刀洗陸軍飛行学校教官、少年飛行兵区隊長などを務めて終戦を迎えた。 戦後、1946年(昭和21年)霧島村農業会経済部長に就任。青年運動に取り組んだ。姶良郡たばこ耕作連合会長、鹿児島県議会議員(4期)、同副議長(3期)、自由民主党鹿児島県連政調会長(5期)などを務めた。
富家宏泰(とみいえ ひろやす、1919年〈大正8年〉7月1日… 富家宏泰(とみいえ ひろやす、1919年〈大正8年〉7月1日 - 2007年〈平成19年〉12月21日)は、戦後日本を代表する建築家。香川県生まれ。 1919年7月、香川県に生まれて間もなく、一家は朝鮮半島へと移住した。しかし、富家の幼少時、外地でまん延したチフスが原因で一家は子供を除いて全滅してしまった。引き揚げた富家は京都下鴨にある親族の家庭に引き取られて育った。その後、京都府立第一中学校を1937年(昭和12年)に卒業、第三高等学校(理科甲類、1942年卒業)を経て京都帝国大学建築学部(現・京都大学工学部建築学科)へ進学した。入学後ほどなく徴兵され北満州への従軍を余儀なくされたものの、終戦後は復学して建築学科を卒業。
米田 登(よねだ のぼる、1919年6月29日 - 1993… 米田 登(よねだ のぼる、1919年6月29日 - 1993年3月20日)は、昭和期・平成期の歌人。 歌人・僧侶の米田雄郎の次男として、滋賀県蒲生郡(現・東近江市)に生まれる。八日市中学校在学中の15歳で前田夕暮主宰の白日社に入社し、歌誌「詩歌」にて自由律短歌を発表する。前田夕暮・矢代東村に師事。 1941年に東京帝国大学法学部を卒業。翌年陸軍に入隊し、定型短歌へと移行。戦時中は中国を転戦する。終戦後は東大大学院を経て日瑞貿易に入社。1951年に夕暮が没した後は、義弟(妻の実弟)である香川進が主宰する歌誌「地中海」に参加。1959年、父雄郎の死により歌誌「好日」の発行人となる。同誌からは香川ヒサを輩出した。
逸見 吉之助(へんみ きちのすけ、1919年6月28日 - … 逸見 吉之助(へんみ きちのすけ、1919年6月28日 - 1997年11月11日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学。岡山大学名誉教授。理学博士。 岡山市生まれ。岡山一中、第六高等学校を経て、1941年東京大学理学部地質学科を卒業。満州国大陸科学院高等官試補、岡山県立岡山操山高等学校教諭を経て、1951年、岡山大学理学部講師に着任。1952年助教授。教授、理学部長を経て1984年に退官し以後、名誉教授。 戦後、岡山県倉敷市の三吉鉱山の金属鉱床から日本で初めて砒銅ウラン石を発見した。さらに、広島県庄原市東城町久代および岡山県高梁市備中町布賀の高温型スカルンを発見し、高温型スカルンの成因の解明のみならず、多数の世界新鉱物の発見した。
萬代 峰子(よろずよ みねこ、1919年〈大正8年〉6月28… 萬代 峰子(よろずよ みねこ、1919年〈大正8年〉6月28日。 - 没年不明)は、日本の女優。本名は、石川貴美。(石川貴美子とも。福岡県福岡市出身。芸名は萬代峯子、万代峰子、万代峯子とも表記される。愛称は「イシカワさん」。趣味は読書で、体重は11貫200匁。 福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)を卒業後、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)に入団。宝塚歌劇団25期生。宝塚一番の泣き虫とされた宝塚歌劇団を退団後は東宝劇団や新春座に所属。主に映画、舞台、テレビドラマなどで脇役として活躍する。第9回芸術祭賞奨励賞受賞。芸名は古今集から父がつけた。 一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。
名東 孝二(なとう たかつぐ、1919年6月26日 - 20… 名東 孝二(なとう たかつぐ、1919年6月26日 - 2002年1月8日)は、日本の経済学者。 福岡県出身。神戸商業大学(現・神戸大学)卒。彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)講師、広島大学経済学部講師、助教授、1961年教授。1982年定年退官、名誉教授、日本大学経済学部教授、1974年「資金流通分析の基礎理論」で日大経済学博士。1990年東京国際大学教授、九州保健福祉大学学長。産業総論、経営学、財政学、税制論、地下経済などを研究し、生活者経済学を提唱した。
山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 19… 山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 1988年8月1日)は、釣り研究者、エッセイスト、宗教家。 滋賀県甲賀郡甲南町(現甲賀市)生まれ。本名、山本幹二。日本随筆協会、日本釣振興会、日本渓流釣連盟、各会員。 各種学校や塾を遍歴して一つも卒業せず、職業も転々として自由業に終始。絵付け職人の傍ら、山釣りと渓魚とツチノコの研究にのめり込み、京都を拠点に北海道北端から九州南端、さらには離島、韓国江原道まで彷徨した。 昭和40年代のツチノコブームの火付役で、田辺聖子の小説「すべってころんで」のモデルにもなった。天理教滋京分教会会長、ノータリンクラブ会長。
岩波 雄二郎(いわなみ ゆうじろう、1919年〈大正8年〉6… 岩波 雄二郎(いわなみ ゆうじろう、1919年〈大正8年〉6月25日 - 2007年〈平成19年〉1月3日)は、日本の実業家。岩波書店社長・会長・相談役。神奈川県出身。 岩波書店の創業者である岩波茂雄の次男として生まれる。東京府立第一中学校、旧制成城高校を経て、東京帝国大学文学部を卒業。 1946年(昭和21年)1月16日に岩波書店に入店する。1949年(昭和24年)4月25日、同社が株式会社に改組されたおり社長に就任した。1949年(昭和24年)9月3日、東京青年商工会議所(現・東京青年会議所)の発足に参画し、発足当初のチャーター・メンバー48名のひとりとなる。およそ30年に渡って社長を務め、社長在任中には広辞苑を刊行している。
鈴木 広(すずき ひろし、選挙時の通称:すずきひろし、191… 鈴木 広(すずき ひろし、選挙時の通称:すずきひろし、1919年6月25日 - 不詳)は、日本の政治運動家。社団法人日英協会終身会員等。 東京市本郷区(現文京区)出身。慶應義塾大学文学部卒業後、スタンフォード大学、ブリガムヤング大学、コロンビア大学に留学。 敗戦直後に香港で豪州軍の戦犯法廷で通訳を務めたのを始め、進駐米陸軍、八幡製鐵、三菱レイヨン、日興証券、大日本インキ化学工業勤務を経て、東京外国語大学、日本大学講師。 片山哲の影響を受け、1969年の第32回衆議院議員総選挙(旧京都府第1区)から旺盛な選挙闘争に着手。 主要公約は諸外国との友好、教育の充実、未成年労働者への非課税、交通網の整備、少数意見の尊重、清潔な選挙など、実直な人柄を忍ばせる常識的なもので、諸派候補の中にあって毎回上位で健闘したが、立候補した総ての国政選挙で落選し供託金を没収された。
中林 仁良(なかばやし ひとよし、1919年(大正8年)6月… 中林 仁良(なかばやし ひとよし、1919年(大正8年)6月25日 - 2007年(平成19年)7月15日)は、日本の実業家、軍人。百貨店「丸物」社長、京都近鉄百貨店会長・取締役 相談役、旧 近鉄百貨店取締役 相談役などを歴任した。父は丸物(京都物産館)創業者の中林仁一郎。 1919年(大正8年)6月25日、中林仁一郎の長男として生まれる。父・仁一郎は弟(仁良の叔父)・谷政二郎と東本願寺から現在の京都ヨドバシ東南隅に当たる場所を借り、仁良が生まれた翌年に京都物産館を創業したが、中林一家はその隣の家に住んでいた。仁良は京都物産館の北側にあった空き地を突っ切って幼稚園へ通った。慶應義塾大学経済学部に入学して大学時代は東京で過ごしたが、この頃麴町に丸物の東京出張所があったという。
西嶋 定生(にしじま さだお、1919年6月25日 - 19… 西嶋 定生(にしじま さだお、1919年6月25日 - 1998年7月25日)は、日本の中国史学者、東京大学名誉教授。京都大学の宮崎市定、東京大学の堀敏一、一橋大学の増淵龍夫等と共に戦後の中国古代史研究をリードする存在であった。 岡山県阿哲郡本郷村(現・新見市)で生まれた。第六高等学校を経て、1939年に東京帝国大学文学部東洋史学科に入学。六高・東京帝大共に同級生であった中央アジア史学者の山田信夫とは終生を通じて親友であった。 修了後は、東方文化学院研究員に就いた。東京大学東洋文化研究所研究員を経て、1949年より東京大学文学部東洋史学科助教授。1967年に教授昇格。1961年に学位論文『二十等爵制の研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。
丸谷 金保(まるたに かねやす、1919年〈大正8年〉6月2… 丸谷 金保(まるたに かねやす、1919年〈大正8年〉6月25日 - 2014年〈平成26年〉6月3日)は、日本の政治家。従四位。 北海道中川郡池田町町長、参議院議員(2期)などを歴任した。コンビニエンスストアチェーン・セイコーマート会長の丸谷智保は長男。 北海道中川郡池田町で理髪店の長男として生まれる。1942年、明治大学専門部法科を卒業した。在学中には哲学研究部に入り、穂積五一が運営する私塾で学生寮の「至軒寮」に出入りして、小林與三次、村山富市など保守革新を問わない幅広い人脈を築く。この時の人脈はのちに十勝ワインの販路拡大にも生かされる。 十勝日日新聞の編集長を務める傍ら農民運動に携わり、日本社会党に入党した。
田治米 鏡二(たじめ きょうじ、1919年6月24日 - 2… 田治米 鏡二(たじめ きょうじ、1919年6月24日 - 2018年12月5日)は、日本の物理学者・地震学者。北海道大学名誉教授。専門は応用地球物理学・弾性波動論。
山口 吉雄(やまぐち よしお、1919年6月24日 - 19… 山口 吉雄(やまぐち よしお、1919年6月24日 - 1999年10月29日)は、日本の経営者。安田信託銀行社長を務めた。東京都出身。 1944年に京都帝国大学法学部を卒業し、1948年に中央信託銀行(のちの安田信託銀行)に入行。1968年5月に取締役に就任し、1972年5月に常務、1976年6月に専務を経て、1980年6月には社長に就任。1986年6月に会長に就任し、1992年4月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1990年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1999年10月29日に肺炎のために死去。80歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
八木 国夫 (やぎ くにお、1919年6月24日 - 200… 八木 国夫 (やぎ くにお、1919年6月24日 - 2003年10月16日)は、日本の生化学者。医学博士(名古屋大学)。名古屋大学名誉教授。神奈川県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
青池 良正(あおいけ よしまさ、1919年6月22日 - )… 青池 良正(あおいけ よしまさ、1919年6月22日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)。
山口 四郎(やまぐち しろう、1919年6月22日 - 20… 山口 四郎(やまぐち しろう、1919年6月22日 - 2008年12月30日)は、ドイツ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。1976年に第49回オール読物新人賞を受賞した山口四郎は別人。 東京生まれ。東京帝国大学独文科卒。第五高等学校教授、第四高等学校教授、戦後東京学芸大学助教授、中央大学文学部助教授、教授。1990年定年退任、名誉教授。ゲーテ、ヘッセなどの詩の韻律研究を専門としたが、ドイツ児童文学の多くの翻訳をおこなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
丸濱 徹郎(まるはま てつろう、1918年(大正7年)7月2… 丸濱 徹郎(まるはま てつろう、1918年(大正7年)7月22日 - 詳細不明)は、実業家である。三菱スペース・ソフトウエア(現:三菱電機ソフトウエア)取締役となり、郵政省電波技術審議会専門委員、鉄道通信協会副会長を務めた。岡山県高梁市出身。 1918年(大正7年)、岡山県川上郡成羽町(現・高梁市)に生れる。その後、1931年(昭和6年)に地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学した。1936年(昭和11年)に同校を卒業し、同年、岡山市にある旧制第六高等学校へ進学する。その後、1939年(昭和14年)3月に同校を卒業し、京都帝国大学理学部へ入学する。1942年(昭和17年)に同校物理学科を卒業した。
日方 一夫(、1918年〈大正7年〉7月21日 - 没年不詳… 日方 一夫(、1918年〈大正7年〉7月21日 - 没年不詳)は、日本の元俳優。東京市日本橋区出身。中央学院大学中央高等学校卒。本名は松永 亥太郎()。 東宝の専属俳優として、ジャンルを問わず多くの作品に出演。目元と口元が特徴である。 1971年、専属俳優一斉解雇の際に俳優を引退。 同じ専属俳優の加藤茂雄によると、東宝専属廃止の際に組合リーダーとして会社側と談判したが、継続希望の加藤たちとは違い、退職金目当ての立場だったという。
曾山克巳(そやま かつみ、1918年7月21日 - 2006… 曾山克巳(そやま かつみ、1918年7月21日 - 2006年4月15日)は、日本の郵政官僚。郵政事務次官などを務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1938年第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)文科卒業。東京帝国大学法学部政治学科在学中に高等試験に合格。東京帝大法学部政治学科を卒業し、1941年逓信省入省。 郵政省郵務局国際業務課長、郵務局次長、名古屋郵政局長。 1963年7月10日東京郵政局長。1964年5月27日 人事局長。1966年7月11日郵務局長。1969年11月21日郵政事務次官。1971年7月2日退官。 1974年日本電気(NEC)に入社し、常務、専務、副社長を歴任。1982年日本電気システム建設取締役会長。
宮崎 孝一(みやざき こういち、1918年〈大正7年〉7月2… 宮崎 孝一(みやざき こういち、1918年〈大正7年〉7月21日 - 2008年〈平成20年〉8月31日)は、日本の英文学者。 群馬県吾妻郡沢田村(現・中之条町)出身。1938年群馬師範学校卒業。東京高等師範学校を経て、1943年東京文理科大学英文科卒業。1950年コロラド大学へ留学し、文学修士取得。1970年ロンドン大学に留学。1973年「ディケンズ後期の小説の内面構造」で東京教育大学文学博士。 1946年桐生工業専門学校嘱託を経て、1949年から群馬大学助教授。1952年日本女子大学助教授となる。1956年成城大学助教授を経て、1961年同教授。1985-91年学長、名誉教授。専門は18-19世紀の英国小説。
吉野 照蔵(吉野 照藏、よしの てるぞう、1918年〈大正7… 吉野 照蔵(吉野 照藏、よしの てるぞう、1918年〈大正7年〉7月19日 - )は、日本の経営者。清水建設9代目社長。 群馬県佐波郡境町(現・伊勢崎市)出身。旧制群馬県立太田中学校、旧制水戸高等学校、東京帝国大学工学部建築学科卒業。 1942年(昭和17年)、株式会社清水組(現・清水建設)に入社。 戦時中はセレベス島(現・スラウェシ島)のケンダリで第753海軍航空隊として勤務し、後に海上保安庁長官となる栃内一彦は上官であった。 1970年(昭和45年)、清水建設取締役に就任。 1981年(昭和56年)6月に清水建設社長に就任。 在任中は前社長野地紀一の積極経営路線を継承し、TQCを基盤とするEC(エンジニアリング・コンストラクター)化と国際化を推進し、請負体質からの脱却を図った。
近藤 久(こんどう ひさし、1918年7月19日 - 197… 近藤 久(こんどう ひさし、1918年7月19日 - 1975年5月25日)は、愛知県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。
井川 正雄(いがわ まさお、1918年 <大正7年> 7月1… 井川 正雄(いがわ まさお、1918年 <大正7年> 7月19日 - 1992年 <平成4年> 10月27日)は、日本の経営者。岐阜県不破郡垂井町出身。位階は正五位。 1942年に名古屋工業大学工学部機械工学科を卒業し、海軍技術士官を経て、1948年に東洋レーヨン(のちの東レ)に入社。 1964年12月に生産管理部長に就任し、名古屋工場長、取締役、常務、副社長を経て、1980年6月に社長に就任した。翌年6月から取締役相談役を務めた。 1982年に藍綬褒章を受章。 1992年10月27日急性肺炎のために死去。74歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
石田 達郎(いしだ たつろう、1918年(大正7年)7月18… 石田 達郎(いしだ たつろう、1918年(大正7年)7月18日 - 1990年(平成2年)7月19日)は、日本の実業家。ニッポン放送・フジテレビジョン社長を務めた。北海道札幌市出身。 札幌一中(現:北海道札幌南高等学校)、慶應義塾大学経済学部を卒業。 鐘淵紡績、映画プロデューサーを経て、1954年(昭和29年)ニッポン放送に入社。74年社長、85年相談役。この間、フジテレビ社長、産経新聞代表取締役を兼任したほか、パシフィック音楽出版(PMP、現:フジパシフィックミュージック)、ポニー、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)、ディノス(現:DINOS CORPORATION)といった、フジサンケイグループで非放送・新聞事業の中核となる企業を設立した。
島津 亮(しまづ りょう、1918年7月18日 - 2000… 島津 亮(しまづ りょう、1918年7月18日 - 2000年3月1日)は、俳人。 香川県出身。旧制大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)蒙古語学科卒。1946年、応召先の天津から引揚げ、句作開始。鈴木六林男らの「青天」を通じて西東三鬼に会い師事する。1948年「雷光」創刊同人(1950年廃刊)。1951年「梟」創刊同人。1957年「夜盗派」同人(1960年終刊)。1960年「縄」同人。1962年「海程」創刊同人。1968年「ユニコーン」創刊同人。代表句に「怒らぬから青野でしめる友の首」など。この句は金子兜太が『今日の俳句』(1965年)で取り上げて広く知られるようになった作品で、同性愛的な趣があるとも評されている。
角戸 正夫(かくど まさお、1918年7月17日 - 200… 角戸 正夫(かくど まさお、1918年7月17日 - 2005年1月14日)は、日本の化学者。大阪大学蛋白質研究所所長、姫路工業大学学長を歴任。 兵庫県出身。甲陽中学校(15回卒)を経て、大阪帝国大学卒。大阪大学工学部教官などを任官したのち、1971年8月15日から1982年4月1日まで大阪大学蛋白質研究所所長を務めた。1982年10月に姫路工業大学学長に就任。 解析化学を専門とする。関西6GeV-SR計画世話人会代表などを務め、関西への科学研究施設誘致に活動していた。
柴田 武(しばた たけし、1918年7月14日 - 2007… 柴田 武(しばた たけし、1918年7月14日 - 2007年7月12日)は、日本の言語学者、国語学者。東京大学名誉教授、埼玉大学名誉教授。 1918年、愛知県名古屋市で生まれた。東京帝国大学文学部言語学科で学び、1942年に卒業。 同1942年10月、東京帝国大学文学部副手に採用された。1943年7月、中華民国ならびに蒙疆地域に出張。2か月にわたって同地で蒙古語を教えると同時に、民俗学研究所から奨学金を受給して蒙古語、ウイグル語、キルギス語、サラール語、タングート語などを調査。1944年3月、陸軍臨時嘱託として参謀本部にも勤務することとなり、終戦までトルコ語の暗号解読に従事した。1945年4月、東京帝国大学講師助手に昇格。
太田 善麿(おおた よしまろ、1918年7月13日 - 19… 太田 善麿(おおた よしまろ、1918年7月13日 - 1997年1月31日)は、日本の国文学者。東京学芸大学名誉教授。上代文学・近世国学が専門。 東京府出身。東京帝国大学文学部国文科卒。東京学芸大学助教授、1966年同教授、1973年同学長。1982年定年退官、同名誉教授、上智大学教授。 「古代日本文学思潮論」により1967年日本学士院賞受賞。妻の父は辻善之助。
栗原 益男(くりはら ますお、1918年7月13日 - 20… 栗原 益男(くりはら ますお、1918年7月13日 - 2000年9月8日)は、日本の東洋史学者。上智大学名誉教授。 1918年、埼玉県川越市で生まれた。1940年に東京帝国大学文学部東洋史に入学し、1942年に卒業。唐五代の藩鎮に関心を持ち、同大学大学院に進んだが、間もなく陸軍に応召。 終戦直前に玄界灘で機上艦が魚雷に接触し、脊椎骨折の重傷を負った。療養中に敗戦を迎えた。 1946年に東京大学大学院に復学。しかし、腹膜炎や結核を患い、療養生活と研究生活を送った。上智大学文学部助教授となり、後に教授昇格。在職中の1987年4月に自宅で倒れたが、10月に復帰。1988年3月に上智大学を定年退任し、名誉教授となった。
有住 直介(ありずみ なおすけ、1918年7月11日 - 2… 有住 直介(ありずみ なおすけ、1918年7月11日 - 2007年12月6日)は、日本の気象技官。気象庁長官を務めた。 東京都出身。1942年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、同年に気象庁に入庁。1973年に福岡管区気象台長、1974年に観測部長を経て、1976年から1978年までに長官を務めた。1980年に芝浦工業大学講師、1984年に宇宙開発事業団理事を歴任。 2007年12月6日に虚血性心疾患のために死去。89歳没。
人見 鐵三郎 (ひとみ てつさぶろう、1918年(大正7年)… 人見 鐵三郎 (ひとみ てつさぶろう、1918年(大正7年)7月10日 - 2008年(平成20年))は、日本の外交官、翻訳家。 昭和16年(1941年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年外務省に入省。 1953年ユネスコ臨時総会政府代表団、1955年ハンブルク領事、1958年在スイス大使館一等書記官、1960年法務省入国管理局資格審査課長、1962年外務省移住局振興課長、1965年在ケニア大使館参事官、在アイルランド大使館参事官などを経て、1968年ボンベイ総領事。 その後、駐コスタリカ・グアテマラ・フィンランド特命全権大使などを歴任。日本翻訳家協会・日本翻訳文化賞記念会会長。仏教徒。
瓜谷 良平(うりたに りょうへい、1918年7月9日 - 1… 瓜谷 良平(うりたに りょうへい、1918年7月9日 - 1993年12月1日)は、日本のスペイン語学者。拓殖大学教授を歴任。 兵庫県出身。東京外国語学校スペイン語科卒。拓殖大学助教授、教授。1989年定年、名誉教授。子は瓜谷望(1952- )スペイン語学者、拓殖大学教授。
飯塚 毅(いいづか たけし、1918年(大正7年)7月8日 … 飯塚 毅(いいづか たけし、1918年(大正7年)7月8日 - 2004年(平成16年)11月23日)は、日本の実業家、公認会計士、税理士。TKC創業者。日本会計研究学会太田賞受賞。鹿沼市名誉市民。TKC全国会名誉会長。 栃木県上都賀郡鹿沼町(現鹿沼市)生まれ。鹿沼町立鹿沼尋常高等小学校(現鹿沼市立鹿沼中央小学校)、栃木県立鹿沼農商学校(現栃木県立鹿沼商工高等学校)を経て、1939年福島高等商業学校(現福島大学経済経営学類)卒業。1943年東北帝国大学法文学部法科(現東北大学法学部)繰り上げ卒業。大日本帝国陸軍主計少尉を経て、日本の降伏後、1946年計理士登録。1952年税理士登録。1963年紺綬褒章受章。
清水 秀雄(しみず ひでお、1918年7月8日 - 1964… 清水 秀雄(しみず ひでお、1918年7月8日 - 1964年3月23日)は、島根県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、一塁手、外野手。
市川 慶三(いちかわ けいそう、1918年7月8日 - 20… 市川 慶三(いちかわ けいそう、1918年7月8日 - 2003年4月13日)は、日本の銀行家。 石川県羽咋郡志雄町(現宝達志水町)出身。1938年に早稲田大学専門部商科を卒業し、同年に朝鮮殖産銀行に入行。 1945年12月に宇部信用組合を経て、1952年6月には西日本相互銀行に転じ、1970年5月に取締役に就任。1973年7月に常務、1975年12月に専務を経て、1978年2月に副社長に就任し、1982年10月には社長に昇格。1984年4月には普通銀行に転換した西日本銀行頭取に就任。1988年6月に会長に就任し、1995年6月に常任相談役を経て、1996年6月には相談役に就任。 1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章。
芦原 義信(蘆原、あしはら よしのぶ、1918年 <大正7年… 芦原 義信(蘆原、あしはら よしのぶ、1918年 <大正7年> 7月7日 - 2003年 <平成15年> 9月24日)は、日本の建築家。ソニービル、東京芸術劇場などの作品で知られる。『街並みの美学』で、いち早く都市景観の重要性を述べた。位階は従三位。 東京府(現・東京都)生まれ。府立一中(現・東京都立日比谷高等学校)、旧制成城高校を経て、1942年(昭和17年)東京帝国大学工学部建築学科卒業、技術士官として海軍に入る。 1945年(昭和20年)、坂倉準三のアトリエ系建築設計事務所に入所。1953年(昭和28年)、ハーバード大学大学院で修士号(M.Arch.)取得後、マルセル・ブロイヤーの事務所に入所。
近江 俊郎(おうみ としろう、1918年7月7日 - 199… 近江 俊郎(おうみ としろう、1918年7月7日 - 1992年7月5日)は、東京都出身の歌手、作曲家、映画監督である。本名大蔵 敏彦(おおくら としひこ)。兄は新東宝、大蔵映画社長を務めた大蔵貢、姉はコロムビア専属歌手となった香取みほ子。孫にアイドルグループ「エレクトリックリボン」の元メンバー、ericaがいる。 正則中学校卒業。武蔵野音楽学校在学中に教授と進級試験の方法を巡って対立し、1936年(昭和11年)に退学した。タイヘイレコードから鮫島敏弘の芸名で「辷(すべ)ろよスキー」でレコードデビュー。ポリドール・レコード専属になるまで、マイナーレコードを転々とし、その間に大友博(リーガル)、大久良俊(アサヒ)など改名を重ねるが、ヒットに結びつく作品はなかった。
堀田 善衛(ほった よしえ、1918年〈大正7年〉7月7日 … 堀田 善衛(ほった よしえ、1918年〈大正7年〉7月7日 - 1998年〈平成10年〉9月5日)は、日本の小説家、評論家。
上坂 昇(こうさか のぼる、1918年〈大正7年〉7月6日 … 上坂 昇(こうさか のぼる、1918年〈大正7年〉7月6日 - 2013年〈平成25年〉7月2日)は、日本の政治家。 福島県いわき市出身。磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学部を卒業。日本水素(現・日本化成)に入社し、労働組合書記長、同委員長、平市議会議員、福島県議会議員等を経て、1972年(昭和47年)の第33回衆議院議員総選挙で、旧福島3区より日本社会党公認で初当選。連続6回当選し1990年(平成2年)の総選挙では立候補しなかった。その後、いわき市長選に立候補するが、岩城光英に敗北する。 1989年4月の春の叙勲で勲二等に叙され旭日重光章を受章する。 2013年7月2日、肺炎のため死去。
伴 吉夫(ばん よしお、1918年7月6日 - 没年不明)は… 伴 吉夫(ばん よしお、1918年7月6日 - 没年不明)は、愛知県出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手)。
望月潤一(もちづき じゅんいち、1918年7月6日 - 19… 望月潤一(もちづき じゅんいち、1918年7月6日 - 1993年10月10日)は、東京府出身のプロ野球選手(投手)。