中江 良夫(なかえ よしお、1910年5月3日 - 198… 中江 良夫(なかえ よしお、1910年5月3日 - 1986年1月8日)は、日本の劇作家、脚本家である。 1910年(明治43年)5月3日、北海道に中江吉雄として生まれる。弟に喜劇人の佐山俊二がいる。登別市の旧制・尋常小学校を卒業し、札幌郵便局(現在の札幌中央郵便局)に就職したが、その後上京した。 さまざまな職業を経て、1940年(昭和15年)東京・新宿のムーランルージュ新宿座文芸部に入る。おなじころにNHKでラジオドラマを手がけ、中江の『かし家』が1942年(昭和17年)に発行された『放送劇名作選』(日本放送協会編、日本放送出版協会)に収録された。 1945年(昭和20年)の第二次世界大戦後、ムーランルージュで社会風俗劇『生活の河』、『にしん場』などを発表した。
大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2… 大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2日 - 2016年(平成28年)4月)は、日本の哲学研究者、東京都立大学名誉教授。近世哲学史専攻、ヘーゲル研究者。1970年以来、季刊誌「途上」を刊行。広く思想とキリスト教の諸問題の研究解明にたずさわった。 北海道札幌市生まれ、神奈川県出身。山形高等学校(旧制)卒、1935年東京帝国大学文学部哲学科卒。39年文部省教学局嘱託。41年府立学校教授、召集令状がきて、中国北部に送られたが、語学の才があり、暗号解読など情報の仕事を行った。1946年復員。1949年東京都立大学助教授、1968年教授、1973年定年退官、名誉教授、東洋大学教授、1981年退職。
酒井 義雄(さかい よしお、1910年〈明治43年〉5月2日… 酒井 義雄(さかい よしお、1910年〈明治43年〉5月2日 - 没年不明)は、日本のフィールドホッケー選手である。東京都出身。 明治大学に在学中の1932年ロサンゼルスオリンピックで主将を務め銀メダルを獲得。 1936年ベルリンオリンピックにも出場した。 浅川増幸 | 猪原淳三 | 宇佐美敏夫 | 小西健一 | 小林定義 | 今治彦 | 酒井義雄 | 柴田勝見 | 左右田秋雄 | 永田寛 | 中村英一 | 浜田駿吉 | 三浦四郎 | 監督: 広瀬藤四郎 伊藤赳夫 | 伊藤通弘 | 上野安夫 | 大津敏雄 | 菊池信 | 倉内大次 | 酒井義雄 | 杉山益男 | 武知治 | 田中昇 | 浜田駿吉 | 村岡敏 | 柳武彦 | 脇坂貞夫 | 監督: 石川周策
恩田 清二郎(、1910年5月1日 - 1974年11月28… 恩田 清二郎(、1910年5月1日 - 1974年11月28日)は、日本の俳優、男性声優、元活動弁士である。本名同じ。恩田 清次郎と表記に揺れがある。 1910年(明治43年)5月1日、東京府東京市浅草区に生まれる、とされている。『山形県大百科事典』(山形放送)など一部の資料には、出生地は冒頭の通りだが、生年は「明治四十年」(1907年)である旨が記されている。父は埼玉県の地主であった。旧制東京府立第三中学校(現在の東京都立両国高等学校・附属中学校)卒業。 1925年(大正14年)、映画俳優を志し、当時東亜キネマに在籍していた近藤伊与吉(1894年 - 1944年)に師事。ところが芽が出ず、間もなく俳優業を辞退して浅草電気館の活動弁士に転向し、長く活動した。
浦田 正夫(うらた まさお、1910年5月1日 - 1997… 浦田 正夫(うらた まさお、1910年5月1日 - 1997年11月30日)は、日本画家、日本芸術院会員。 熊本県山鹿市生まれ。浦田家は祖父から続く画家の家系で、伯父に高橋廣湖がいる。松岡映丘らに師事。東京美術学校日本画科卒。1973年日展文部大臣賞受賞、1978年日本芸術院賞受賞、1988年芸術院会員。1993年、勲三等瑞宝章受章。 代表作に「蔓(かずら)」、「松」など。北関東や東北の自然を描いた。
佐々木 忠義(ささき ただよし、1910年5月1日 - 19… 佐々木 忠義(ささき ただよし、1910年5月1日 - 1983年10月11日) は、日本の海洋物理学者。元東京水産大学学長。理化学研究所名誉研究員。正三位勲二等旭日重光章。 1910年、広島県生まれ。1935年、東京物理学校(現東京理科大学)卒業。1941年、北海道帝国大学理学部物理学科を卒業。 卒業後は、京城帝国大学予科講師となった。同年、同校教授に昇進。1944年より理化学研究所所員。戦後の1949年、理学博士号を取得。1953年に東京水産大学教授となり、理化学研究所主任研究員。1956年、文部省在外研究員としてパリ大学海洋研究所に派遣される。1960年に日仏海洋学会創立し、同会長となった。
浅香 幸雄(あさか ゆきお、1910年4月29日 - 199… 浅香 幸雄(あさか ゆきお、1910年4月29日 - 1994年7月24日)は、日本の地理学者。学位は、理学博士(東北大学)。東京教育大学名誉教授。 富山県高岡市出身。1932年東京高等師範学校卒、陸軍士官候補生、1936年東京文理科大学地理学科卒。 1953年「近世期の集落発達に関する地理学的研究」で、東北大学より理学博士の学位を取得(主査:富田芳郎教授)、東京市立第二中学校(現東京都立上野高等学校)教諭、朝鮮水原の高等農林学校の地理博物教員養成所教員、1944年東京高等師範学校教授、1949年至徳専門学校(現国士舘大学)地理科教授(兼任)、東京教育大学教授。74年定年退官、名誉教授、専修大学教授、1981年北陸工業専門学校教授、富山県教育委員会長。
田中 友幸(、1910年〈明治43年〉4月26日 - 199… 田中 友幸(、1910年〈明治43年〉4月26日 - 1997年〈平成9年〉4月2日)は、映画プロデューサー。東宝映画代表取締役会長、日本創造企画代表取締役会長、日本アカデミー賞協会副会長、日本映画テレビプロデューサー協会顧問を歴任。世界的に有名な怪獣「ゴジラ」の設定を着想した人物である。通り名として、「友幸」を「ゆうこう」と読むことが多い。 大阪協同劇団時代の芸名は大瀬 滝夫。映画『惑星大戦争』では、神宮寺八郎のペンネームで原作を担当した。大阪府下堅下(現・柏原市)出身。趣味は旅行。 大阪協同劇団での演劇活動を経て、東宝の映画プロデューサーとして活躍。『ゴジラ』(1954年)以降、同社の看板シリーズとなった怪獣・SF映画のほとんどをプロデュース。
高橋 喜平(たかはし きへい、1910年4月25日 - 20… 高橋 喜平(たかはし きへい、1910年4月25日 - 2006年2月1日)は、日本の雪崩研究家、エッセイスト。 独学で長年、雪崩の研究に従事。雪氷学・氷雪研究の権威であり、日本雪氷学会賞受賞、吉川英治文化賞を受賞。また、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した、エッセイストでもある。日本雪氷学会名誉会員で、岩手県在住。 東京大学名誉教授の高橋延清は弟、直木賞作家の高橋克彦は甥にあたる。 1910年、秋田県六郷町(現・美郷町)に生まれる。7歳で、母の郷里である岩手県沢内村(現・西和賀町)に移る。1929年、岩手県立黒沢尻中学校(現・岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業後、卯根倉(うねくら)鉱山で代用教員をしながら独学。
岩堀 喜之助(いわほり きのすけ、1910年4月25日 - … 岩堀 喜之助(いわほり きのすけ、1910年4月25日 - 1982年10月8日)は日本の出版経営者。マガジンハウス創業者。娘にノンフィクション作家の新井恵美子。 神奈川県出身。新聞記者を志し、小田原中学から明治大学に入学。新聞部に所属するも退学処分となり、後に日本大学法学部に途中入学し、卒業。1933年に時事新報社に入社。後に退社し、1945年凡人社設立を経て、1954年に平凡出版(現マガジンハウス)設立。1982年死去。
湯川 スミ(ゆかわ すみ、1910年(明治43年)4月25日… 湯川 スミ(ゆかわ すみ、1910年(明治43年)4月25日 - 2006年(平成18年)5月14日)は、日本の女性。本名は湯川 澄子(ゆかわ すみこ)。日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹の妻。世界連邦運動協会名誉会長、世界連邦全国婦人協議会会長、WFM名誉会長、世界連邦京都婦人の会会長。
江上 照彦(えがみ てるひこ、1910年4月25日 - 19… 江上 照彦(えがみ てるひこ、1910年4月25日 - 1990年9月4日)は、日本の翻訳家。テレビ・歴史等の評論家、エッセイスト。 福岡県大牟田市生まれ。東京帝国大学経済学部で河合栄治郎に学び1934年に卒業。 その後渡満し、満洲電業勤務を経て復員後に会社役員を務める傍ら、河合門下生らで結成した社会思想研究会やそれを母体とした出版部門として発足した社会思想社で役員となる。 テレビ放送初期の頃に海外テレビ番組の翻訳や翻案を手掛け、テレビ論や歴史などの執筆活動を行いながら1956年から相模女子大学へ講師として出講、1964年には同大教授となり明治大学や上智大学でも英米演劇を講じた。 また社会思想研究会とのつながりから、民社党系のブレーン的存在となり同党の機関紙や機関誌にエッセーを連載した。
岩田 一男(いわた かずお、1910年4月23日 - 197… 岩田 一男(いわた かずお、1910年4月23日 - 1977年12月7日)は、日本の英語学者、英文学者。ロバート・ルイス・スティーヴンソン研究の日本における第一人者で、スティーヴンソン・クラブの日本人唯一の会員。 横浜生まれ。祖父の岩田幸吉は中区石川町で質店を営んでいた。神奈川県立横浜第三中学校卒業。1932年(昭和7年)、東京外国語学校英語部文科卒業。横浜高等女学校(現横浜学園高等学校)教諭、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)教授を経て、1943年(昭和18年)に東京商科大学(現一橋大学)講師、翌年に教授。1971年(昭和46年)に定年を前に退職。一橋文芸顧問を務めた。 横浜高等女学校では中島敦の同僚で、中島の「光と風と夢」に対するスティーヴンソンの手紙の影響を論じたりしている。
国崎 望久太郎(くにさき もくたろう、1910年(明治43年… 国崎 望久太郎(くにさき もくたろう、1910年(明治43年)4月21日 - 1989年(平成元年)11月1日)は、日本文学研究者・歌人。立命館大学名誉教授。 福岡県山門郡大和町(現柳川市)生まれ。1931年第七高等学校中退。1936年東洋大学文学部国文科卒、同年7月九州帝国大学法文学部中退、立命館大学専門学部講師、1940年教授、1945年立命館大学予科教授、1947年4月立命館大学法文学部教授、5月退職、6月杉森女子学園講師、1950年福岡県立伝習館高等学校講師、1951年教諭、1953年立命館大学図書館副館長、1955年立命館大学専任講師、1957年教授、1961年 東洋大学文学博士。1966年から1968年まで立命館大学図書館長、1976年定年退任、名誉教授、園田学園女子大学教授。
高山 英華(たかやま えいか、 1910年4月20日 - 1… 高山 英華(たかやま えいか、 1910年4月20日 - 1999年7月23日)は、日本の都市計画家、建築家。東京大学名誉教授。工学博士。近代都市計画学の創始者。 建築系の都市計画学者で、また都市工学の先駆者として都市再開発から広く地域開発、都市防災の推進等を通しまちづくり事業に貢献し、都市計画分野に大きな足跡を残す。 1910年4月生まれ。東京市芝区高輪育ち。幼少の頃住みかは高輪から代々木、代々木から大久保、その後に兄が結核にかかり、一家で阿佐ヶ谷に引越す。以来東京都杉並区に在住した。東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)、旧制成蹊高等学校を経て、1934年東京帝国大学工学部建築学科卒。
鈴木 實(すずき みのる 1910年(明治43年)4月20日… 鈴木 實(すずき みのる 1910年(明治43年)4月20日- 2001年(平成13年)10月28日)は、東京麹町生まれの大日本帝国海軍の軍人、実業家。旧海軍時代の最終階級は海軍中佐。本籍は新潟県岩船郡村上本町。
石川 七郎(いしかわ しちろう、1910年4月20日 - 1… 石川 七郎(いしかわ しちろう、1910年4月20日 - 1986年6月27日)は外科医、慶應義塾大学教授。 京都府京都市中京区出身。1936年(昭和11年)慶應義塾大学医学部卒。慶應義塾大学医学部教授を経て国立がんセンター病院長、総長を務める。胸部外科の権威として知られ、慶應義塾大学病院、国立がんセンター病院で辣腕を振るう。墓所は多磨霊園。 孫は元NHKアナウンサーの石川光太郎。 専門は呼吸循環器外科であり、数々の肺癌摘出手術を行うも、本人はヘビースモーカーであった。親分肌の豪快な人物として知られ多くの部下に慕われた。軍医として戦陣医療に携わった経験もある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
菅 寿子(すが ひさこ、1909年〈明治42年〉5月20日 … 菅 寿子(すが ひさこ、1909年〈明治42年〉5月20日 - 1994年〈平成6年〉12月3日)は、日本の福祉活動家、社会事業家。神奈川県厚木市の社会福祉法人・紅梅会の元理事長、紅梅会で女性の知的障害者(精神薄弱者)を対象とする入所施設である紅梅学園の創立者、元園長。「女子精薄者の母」「女性知的障害者の母」と呼ばれる。夫は小説家・編集者の菅忠雄。東京市下谷区(後の東京都台東区)龍泉寺町出身、私立佐藤高等女学校(現・女子美術大学付属高等学校)卒業。旧姓は鶴田。 炭問屋の7人兄弟の長女として誕生。重度の知的障害者の末弟が滋賀の知的障害児施設である近江学園に引き取られ、同学園の女子部を目にしていたことが、後の人生に大きく影響を及ぼした。
中谷 泰(なかたに やすし/なかたに たい、1909年5月2… 中谷 泰(なかたに やすし/なかたに たい、1909年5月20日 - 1993年5月31日)は、三重県松阪市出身の画家。東京藝術大学教授。 戦前、新文展で特選。春陽会会員となる。絵本画家のいわさきちひろに油絵を指導したことでも知られる。本名は中谷泰一(なかたにたいいち)。 戦後は、日本美術会の書記長を務めた美術評論家の水沢澄夫に誘われ、同会に入会。春陽会や、日本アンデバンダン展(日本美術会主催)、平和美術展(美術家平和会議主催)にも作品を出品した。その後、日本美術会代表、東京藝術大学美術学部教授、財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長、日本美術会附属美術研究所「民美」所長を歴任した。 戦前から挿絵も手がけ、坪田譲治の名作児童文学『善太と三平』(童話春秋社、1940年)の挿絵を皮切りに、戦後のNHKのラジオドラマ番組「光を掲げた人々」をもとにした「光を掲げた人々」シリーズ全12巻(光の友社、1954年)の多くで挿絵を担当。
任田 新治(とうだ しんじ、1909年(明治42年)5月19… 任田 新治(とうだ しんじ、1909年(明治42年)5月19日 - 1970年(昭和45年)12月16日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)。金沢工業大学教授。 石川県金沢市出身。瓢箪町小学校、旧制石川県立金沢第三中学校、旧制第四高等学校、東京帝国大学農学部卒業。大学を出た1934年(昭和9年)は満洲国への移民の呼び声があった時代で自らも現地へ赴き、終戦まで開拓地建設とその土地改良、農業土木事業に勤しんだ。終戦後は妻や娘とともにソビエト連邦に抑留され、1946年(昭和21年)に引き揚げ、農林省に入る。 金沢農地事務局課長、奈良県農地部長を歴任して1955年(昭和30年)本省に戻る。1963年(昭和38年)北陸農政局長。
岩井 隆盛(いわい りゅうせい、1909年(明治42年)5月… 岩井 隆盛(いわい りゅうせい、1909年(明治42年)5月18日 - 1995年(平成7年)2月12日)は、日本の言語学者。金沢大学名誉教授。石川県羽咋郡押水町出身。 また、石川国語方言研究会会長(1950年-1960年)、石川県バレーボール協会顧問等を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高山 萬司(たかやま まんじ、1909年5月17日 - 19… 高山 萬司(たかやま まんじ、1909年5月17日 - 1987年12月20日)は日本の実業家。 長野県北安曇郡七貴村鵜山(現池田町)生まれ。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を卒業後、池田小学校の代用教員となる。 2年後、大阪市の食品会社に入社し中央卸売市場で働く傍ら、1936年賀川豊彦に師事してキリスト教の布教活動に従事。1938年機械製作会社に転職し、経理課長・資材課長となり、1955年退職。翌年、兵庫県尼崎市に三和シヤッター製作所を設立。代理店によらず直販とし、従来職人の手によっていたシャッターを多量生産に切り替えて、実績を拡大させた。
横山 隆一(よこやま りゅういち、1909年5月17日 - … 横山 隆一(よこやま りゅういち、1909年5月17日 - 2001年11月8日)は、日本の漫画家・アニメーション作家。高知県高知市出身。 政治風刺漫画が主流だった1930年代日本の漫画界において、簡略な絵柄と明快なギャグによる欧米流の「ナンセンス漫画」を志向した若手グループ「新漫画派集団」を結成し、やがて戦中・戦後初期の漫画界をリードした。戦後にはアニメーション制作会社「おとぎプロダクション」を設立したほか、広告・絵本のイラストレーションや、油彩画を描いた。 高知市堺町に生まれる。公式の誕生日(戸籍上の生年月日)は5月17日であるが、横山自身は母から、名付けの遅れのために届け出が遅れ、本当の生まれた日付は5月10日であったことを伝え聞いているという。
井野川 潔(いのかわ きよし、1909年5月15日 - 19… 井野川 潔(いのかわ きよし、1909年5月15日 - 1995年12月21日)は、日本の教育運動家。本名は早船斌男(よしお)。妻は早船ちよ。 埼玉県川口市出身。埼玉師範学校卒業。小学校教師となる。 1931年退職し、郷土社で『綴方生活』などを編集。新興教育研究所に属し左翼教育運動を行い、弾圧を受ける。 1934年早船ちよと結婚、共に浦和市(現・さいたま市)で児童文化運動にかかわる。 戦時中科学工業新聞社、朝日映画社に勤務。 戦後は教育運動史研究会を運営、新作家協会・児童文化の会の創立に参画し、『新作家』『子ども世界』などを主宰した。また、『新興教育』『綴方生活』の復刻や出版に努めた。1977年生活綴方研究会を創設、教育運動史研究の隆盛に貢献した。
田中 秀果(たなか しゅうか、1909年5月15日 - 20… 田中 秀果(たなか しゅうか、1909年5月15日 - 2007年4月5日)は、昭和・平成時代日本の川柳作家、作詞家。本名・田中 秀雄(たなか ひでお)。 滋賀県彦根市出身。京都市の繊維業者に20年余り勤務した後、独立し京染加工業を営む。本業の傍ら、1932年(昭和7年)頃から新聞の川柳欄への投稿を行うようになり、今村良之祐に師事した。 御所車川柳社発行の『御所車』編集者や染織新報社発行の業界誌『そめとおり』で川柳欄の選者を務めた後、彦根へ帰郷し滋賀文学会理事に就任。1984年(昭和59年)、京都府が実施した府歌の歌詞一般公募に応募作が入選し、團伊玖磨の作曲で「京都府の歌」として制定される。 平成以降も彦根市文化協会理事として市民川柳の選者を務めていたが、2007年(平成19年)4月5日に脳内出血のため市内の病院で逝去した。
清水 亘(しみず わたる、1909年〈明治42年〉5月14日… 清水 亘(しみず わたる、1909年〈明治42年〉5月14日 - 1974年〈昭和49年〉1月26日)は、三重県熊野市出身の政治活動家。 正則英語学校英文科卒業後、橋本欣五郎の『大日本青年党』(後の大日本赤誠会)に加わり、上海交響楽団の運営にも関与していたと自称。 敗戦数年後より右翼活動を本格化し、1948年4月26日『大日本独立青年党』を結党、同年中に内山昌宣(別名:富士宮瓊光)率いる『真正日本建設協議会』に加わり、次いで1949年10月3日『祖国防衛自衛団』を結成した。 また『全日本愛国者団体協議会』(後代の全日本愛国者団体会議と直接の関係は無い)も立ち上げ、孫文の『五民主義』(民族・民生・民治・民享・民友)を掲げて、徒党にナチスの物を摸した制服を着せ、主要駅頭でアジ演説を打つなどしていたが、この段階で勢力は弱小だった。
久保 貞次郎(くぼ さだじろう、1909年5月12日 - 1… 久保 貞次郎(くぼ さだじろう、1909年5月12日 - 1996年10月31日)は、日本の美術評論家、小中学生を対象とした創造主義美術教育運動の指導者。跡見学園短期大学学長、町田市立国際版画美術館初代館長なども務めた。婚家の莫大な資産をもとに美術品蒐集でも知られ、芸術家の支援も行なった。旧姓・小此木。小此木真三郎は弟。 栃木県足利町で金物店を営む小此木仲重郎、ヨシの次男として生まれる。3歳で母を亡くし、継母と姉を母替わりに育つ。足利尋常西小学校、栃木県立足利中学校(旧制)を経て、成蹊高等学校 (旧制)に進学。欧米に憧れを抱いていた貞次郎は、1927年に国際語エスペラントを新聞広告で知って寮友らと学習を始め、1928年に日本エスペラント学会に入会。
栗原 俊夫(くりはら/くりばら としお、1909年〈明治42… 栗原 俊夫(くりはら/くりばら としお、1909年〈明治42年〉5月8日 - 1989年〈平成元年〉1月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)、群馬県議会議員(2期)、群馬県多野郡小野村長。日本社会党所属。囲碁4段、将棋3段、柔道3段。妻は1932年のロサンゼルスオリンピックに陸上競技80メートルハードルで出場した中西みち。 1909年(明治42年)、群馬県多野郡小野村(現・藤岡市)の農家に、栗原徳次郎・タカの長男として生まれる。群馬県立藤岡中学校、旧制藤岡高等学校を経て1932年(昭和7年)京都帝国大学(京都大学)法学部を卒業。 一時天龍・大ノ里の新興力士団に勤め、その後大阪時事新報社に入社し経済記者として活動した。
吉田 俊雄(よしだ としお、1909年〈明治42年〉5月7日… 吉田 俊雄(よしだ としお、1909年〈明治42年〉5月7日 - 2006年〈平成18年〉12月)は、日本の海軍軍人、作家。最終階級は海軍中佐。長崎県佐世保市出身。 旧制福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)より海軍兵学校へ進む。病気のため留年し1931年(昭和6年)11月、123人中41番で卒業した(59期)。 1933年(昭和8年)4月少尉任官、翌年11月中尉、1937年(昭和12年)4月海軍大学校選科学生。この間大尉に進級している。第28駆逐隊附、重巡洋艦「妙高」分隊長を経て、軍令部出仕(3班8課)となり、日蘭会商の随員を務めた。帰国後再び軍令部出仕となり、臨時戦史部に所属。第二次世界大戦中は主に軍令部3部8課に勤務。
斎藤 秀夫(さいとう ひでお、1909年〈明治42年〉5月4… 斎藤 秀夫(さいとう ひでお、1909年〈明治42年〉5月4日 - 2003年〈平成15年〉9月6日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法、特に競売法、司法学。学位は、法学博士(東北大学・論文博士・1952年)。東北大学名誉教授。司法権論、裁判官論など、日本の司法学の開拓者として著名。菊井維大門下。弟子に小室直人など。 宮城県出身。旧制仙台第一中学校(現・宮城県仙台第一高等学校)、旧制第二高等学校を経て、1933年東北帝国大学法文学部卒、同助手。東京帝国大学法学部に内地留学し、菊井維大、兼子一に師事した。その後、1937年東北帝国大学助教授、1949年東北大学法学部教授。1952年「国会と司法権の独立 国政調査権と裁判官弾劾」で東北大学より法学博士の学位を取得。
吉原 貞敏(よしはら さだとし、1909年5月3日 - 19… 吉原 貞敏(よしはら さだとし、1909年5月3日 - 1995年9月17日)は、日本の実業家、馬主。広島県向島(現・尾道市)出身。東京鐵鋼創業者である。東京鐵鋼現社長で、馬主の吉原毎文は長男。 祖父は広島県向島の八幡神社の神官で、祖父まで137代を数える家系。父・吉原敏(1885-1962)が明治大学在学中から清浦奎吾に私淑し卒業後、清浦の秘書として仕えたあと、日本兵器製造の東京支社長などを経て、長男にあたる貞敏とともに1940年に大和製鉄を買収して同社を名称変更したものが東京鐵鋼の創業となる。貞敏は明治大学商学部を1932年に中退し、飛島組に入社。1937年に有明鉄工所、1938年に高級鋳鉄研究所を設立した後、高級鋳鉄の生産を目指して父とともに東京鐵鋼を創業。
高岡 周夫(たかおか かねお、1909年5月2日 - 200… 高岡 周夫(たかおか かねお、1909年5月2日 - 2005年1月31日)は、日本の統計学者・経済学者。経済学博士(北海道大学)。元北海学園大学学長代理・北海学園大学名誉教授。 この他、経済統計学会全国運営委員や北海道経済学会理事でもあった。 経営学を小島昌太郎に師事し、統計学を蜷川虎三に師事する。 父は第三代北海道帝国大学総長の高岡熊雄であり、叔父に高岡直吉がいる。夫人は世界的外科医であり九州大学医学部教授を務めた三宅速の娘。兄弟に北海道大学名誉教授の高岡道夫・北星学園大学名誉教授の高岡英夫がいる。
石橋 辰之助(いしばし たつのすけ、1909年(明治42年)… 石橋 辰之助(いしばし たつのすけ、1909年(明治42年)5月2日 - 1948年(昭和23年)8月21日)は、俳人。栗林一石路や橋本夢道とともにプロレタリア俳句運動に尽力した。別号に竹秋子。 東京府下谷区生まれ。安田工業学校電気科卒業。帝国劇場、帝都座の照明技師を経て日本映画社の制作課長となる。10代より「ホトトギス」に投句。1931年、「ホトトギス」を離れ水原秋桜子の「馬酔木」に参加、1933年同誌同人。当時は竹秋子の号を用い、特に山岳俳句において新局面を開く。 1937年、「馬酔木」を離れ新興俳句運動、プロレタリア俳句運動に参加、翌年「京大俳句」に参加。1939年には西東三鬼、三谷昭らと「天香」を創刊するが、1940年の「京大俳句」弾圧事件に連座、「天香」も終刊を余儀なくされる。
清水 澄子(しみず すみこ、1909年5月1日 - 1925… 清水 澄子(しみず すみこ、1909年5月1日 - 1925年1月7日)は、長野県上田市出身の詩人。没後に発表された遺稿集『さゝやき』により知られる。
甘露寺 忠長(かんろじ ただなが、1909年〈明治42年〉4… 甘露寺 忠長(かんろじ ただなが、1909年〈明治42年〉4月29日 - 1937年〈昭和12年〉3月24日)は、明治時代から昭和時代にかけての華族。伯爵甘露寺受長の嗣子。位階は従五位。 1909年(明治42年)4月29日、甘露寺受長の長男として誕生する。母は北白川宮能久親王第一王女の満子女王。姉に績子、壽子がいる。 1929年(昭和4年)5月15日、20歳で従五位に叙爵された。 1930年(昭和5年)3月28日、旧制学習院高等科文科丙類を卒業した。同年4月3日、京都帝国大学経済学部に入学した。 1933年(昭和8年)3月30日、学士試験に合格したことにより京都帝国大学を卒業した。 1937年(昭和12年)3月24日、卒去した。
金 意俊(キム・イジュン、キム・ウィジュン、朝鮮語: 김의준… 金 意俊(キム・イジュン、キム・ウィジュン、朝鮮語: 김의준、1909年4月28日または1916年2月19日 - 1985年2月14日)は、大韓民国の裁判官、検察官、弁護士、政治家。第2・3・4代韓国国会議員。本貫は延安金氏(朝鮮語版)。 京畿道驪州郡出身。京城第一高普、明治大学法科卒、高等考試司法科合格。検察庁春川支院検事、ソウル地方法院判事、ソウル高等法院判事、驪州支院長を経て政界入りし、国会議員3期、国会法制司法委員長、高等考試委員、国連総会オブザーバー韓国代表、自由党中央党宣伝部長・党務委員を務めた。 5・16軍事クーデター以降は政界を引退し弁護士として活動したが、脳卒中が発病してからは子供たちがいるアメリカに移住した。
村岡 重夫(むらおか しげお、1909年(明治42年)4月2… 村岡 重夫(むらおか しげお、1909年(明治42年)4月26日 - 1980年(昭和55年)7月25日は、日本の経済学者・地方公務員。専門は、北海道経済論・経済政策。札幌短期大学教授・同学長を歴任。 大阪市南区生まれ(父金三郎、母須恵長男)。1931年(昭和6年)官立大阪外国語学校卒業。南満州鉄道に入社。満州国産業部勤務を経て、満州国興安総省に入省。昭和16年山本清と婚姻。1945年終戦とともに北海道に引き揚げ。その後、北海道庁に入庁。1955年北海道庁総務部総合企画開発本部係長。札幌短期大学非常勤講師(~1969年)。1962年北海道立総合経済研究所(北海道庁研究機関)主任研究員。1969年札幌短期大学商学科教授。
金光 鑑太郎(こんこう かがみたろう、明治42年(1909年… 金光 鑑太郎(こんこう かがみたろう、明治42年(1909年)4月26日 - 平成3年(1991年)1月10日)は、金光教の四代金光様。書家、歌人、文化人、教育者。雅号は碧水(へきすい)。金光図書館を創設し、初代図書館長。昭和26年から平成2年まで、日本図書館協会顧問。昭和48年から平成2年までボーイスカウト日本連盟顧問。 明治42年4月26日、今の岡山県浅口市金光町大谷に生まれる。金光攝胤とキクヨ(佐藤範雄の娘)の長男。父金光攝胤の死に伴う金光教教主選挙で、昭和38年7月9日二代目金光教主に就任、信奉者からは四代金光様と呼ばれた。 平成3年1月10日死去。死後は長男の金光平輝(こんこうへいき)が、教主に選出された。
相原 茂(あいはら しげる、1909年4月25日 - 199… 相原 茂(あいはら しげる、1909年4月25日 - 1993年12月8日)は、日本の経済学者。 静岡県出身。旧制一高を経て東京帝国大学経済学部卒。第一高等学校教授、1949年東京大学教養学部助教授、教授、1963-1966年教養学部長、1969年定年退官、名誉教授、信州大学教授、1975年定年。
増田 三男(ますだ みつお、1909年(明治42年)4月24… 増田 三男(ますだ みつお、1909年(明治42年)4月24日 - 2009年(平成21年)9月7日)は、埼玉県出身の彫金家。人間国宝(重要無形文化財保持)。 埼玉県北足立郡大門村(のち美園村、浦和市、現さいたま市)に生まれる。文展などへの出品のほか、埼玉県立浦和高等学校でも美術講師として勤務した。浦和高校時代は美術部に入部し、2歳下の高田誠と親交が深く、卒業後も恩師である福宿光雄を囲って「連穂会」を開いていた。
杉 柾夫(すぎ まさお、1909年4月24日- 1975年1… 杉 柾夫(すぎ まさお、1909年4月24日- 1975年1月11日)は、日本の漫画家、政治家。本名:杉浦 茂。 1909年、京都市左京区に生まれる。桃山中学校を卒業。1908年生まれの同姓同名の漫画家杉浦茂は同い年である。杉が上京して漫画家として活動する前から、杉浦は田河水泡門下で漫画家デビューし少年少女向けで活動していた。杉は杉浦と相談した結果、「杉柾夫」のペンネームを用いて漫画家活動を開始することにした。杉は子供向け漫画の杉浦とジャンルを住み分けるために、政治漫画や左翼系の風刺漫画の執筆を中心に活動し、また朝日や読売等の新聞にも風刺漫画を連載した。1931年にはプロレタリア美術家同盟(ヤップ)に加入し、その後はヤップの後身である日本プロレタリア文化連盟(コップ)で活動した。
富永 次郎(とみなが じろう 1909年4月23日 - 19… 富永 次郎(とみなが じろう 1909年4月23日 - 1969年7月14日)は、日本の美術評論家。 東京本郷に生まれる。富永太郎は兄、富永三郎は弟。1925年(大正14年)12月旧制成城第二中学校4年のとき、兄太郎死去。1927年(昭和2年)富永太郎詩集を没後出版。旧制成城高等学校で大岡昇平や古谷綱武と知り合い、1929年(昭和4年)4月、同人雑誌『白痴群』創刊時に、同人として参加。同誌は、編輯人を河上徹太郎が務め、村井康男とその門下生たち、中原中也が創作や翻訳を寄せるものであった。京都帝国大学文学部美学科卒業。1940年(昭和15年)小説『黄昏暦』を出版。そのほかに美術書、こども向けの美術案内書の著作がある。
鈴木 朝英(すずき ともひで、1909年(明治42年)4月2… 鈴木 朝英(すずき ともひで、1909年(明治42年)4月23日 - 2000年(平成12年)9月11日)は、日本の教育学者。北海道大学名誉教授、元市立名寄短期大学学長。位階は正四位。 埼玉県熊谷市出身。1933年(昭和8年)東京帝国大学文学部卒業。同文学部助手。東京府豊島師範学校(現東京学芸大学)助教授。同教授を経て、1948年北海道大学教育学部助教授、1950年同教育学部教授。1973年(昭和48年)北海道大学停年退官。同名誉教授。市立名寄短期大学学長に就任。1977年(昭和52年)市立名寄短期大学退官。札幌商科大学人文学部人間科学科招聘教授(~1983年(昭和58年))。2000年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
勝又 俊教(かつまた しゅんぎょう、1909年4月22日 -… 勝又 俊教(かつまた しゅんぎょう、1909年4月22日 - 1994年2月18日)は、日本の学僧・仏教学者。大正大学名誉教授。 1909年、新潟県で生まれた。東京大学文学部印度哲学科で学び、修了。 東洋大学教授。大正大学教授。1960年、学位論文『仏教における心識説の研究』を東洋大学に提出して文学博士号を取得。1978年、第22代大正大学学長に就任。同大学を退職し、名誉教授となった。 宗門においては、真言宗豊山派総本山長谷寺第79世能化。真言宗長者。千葉市広徳院住職。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宇野 利泰(うの としやす、1909年4月21日 - 199… 宇野 利泰(うの としやす、1909年4月21日 - 1997年1月6日)は、日本の翻訳家。日本文芸家協会、日本推理作家協会、各会員。 本名、太田 稔治(おおた としじ)。ペンネームは、江戸川乱歩の土曜会で知り合った翻訳家阿部主計が、タバコの「Union Leader」をもじって命名したもの。書籍によっては、太田 稔(おおた みのる)、多田 雄二(ただ ゆうじ)などの別名義を用いることもあった。 東京市神田区生まれ。実家は太田鉄工所を経営し、裕福な一家に生まれ育つも、宇野の代で工場は人手に渡っている。旧制武蔵高等学校を経て、1932年東京帝国大学独文科卒。 田園調布(4の70)の自宅の隣人は石坂洋次郎であり、海外推理小説に詳しかったことから江戸川乱歩の知遇を得、雑誌『宝石』(岩谷書店)の創刊に貢献。
仙石 永博(せんごく ながひろ、1909年4月20日 - 2… 仙石 永博(せんごく ながひろ、1909年4月20日 - 2001年1月20日)は、日本の経営者。住友倉庫社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。位階は従四位。 1934年に東京帝国大学法学部法科を卒業し、同年に住友倉庫に入社。1956年5月に取締役に就任し、1961年3月に常務、1966年11月に専務を経て、1970年11月には社長に就任。1976年6月に会長、1981年6月に取締役相談役を経て、1983年6月に相談役に就任。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1974年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2001年1月20日肺炎のために死去。91歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
武ノ里 武三(たけのさと たけぞう、1909年4月20日 -… 武ノ里 武三(たけのさと たけぞう、1909年4月20日 - 没年不明)は、青森県五所川原市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は吉崎 武三。最高位は東前頭14枚目(1943年1月場所)。173cm・94kg。得意技は左四つ、寄り。 1926年1月場所に初土俵を踏んで以降順調に出世し、東幕下5枚目で迎えた1930年10月場所で幕下優勝し、翌1931年1月場所に十両に昇進。しかし当場所は体調不良により4勝7敗と振るわず、翌5月場所も全休したため幕下に陥落。その直後の1932年1月の春秋園事件で天竜・大ノ里らと行動を共にし協会を脱退、翌年設立の関西角力協会に参加した。 関西角力協会では幕内で活躍、松ノ里、中ノ里とともに「大ノ里門弟三羽烏」と言われていた。
小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1908年〈明治41年〉5… 小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1908年〈明治41年〉5月20日 - 1977年〈昭和52年〉12月7日)は、日本の通信技術者、通信工学者、電気工学者、電子工学者。工学博士。松下電器産業東京研究所所長、松下電器産業中央研究所所長、株式会社松下電器東京研究所取締役社長、松下技研株式会社取締役社長。東北大学名誉教授、テレビジョン学会名誉会員。 新潟県中蒲原郡茨曽根村茨曽根(現 新潟市南区茨曽根)出身。1925年(大正14年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1928年(昭和3年)3月に新潟高等学校を卒業、1931年(昭和6年)3月に東北帝国大学工学部電気工学科を卒業した。 1931年(昭和6年)5月に日本放送協会に入局、日本放送協会仙台放送局に配属、日本放送協会本部技術局に異動、送信用の大出力真空管を開発、日本放送協会東京大電力放送所を設計、π型回路の簡易な設計法を発表した。
下島 連(しもじま むらじ、1908年5月20日 - 198… 下島 連(しもじま むらじ、1908年5月20日 - 1986年10月18日)は、日本の英文学者、翻訳家。亜細亜大学教授。芥川龍之介の主治医であった下島勲の甥(後に養子)。 長野県上伊那郡中沢村(現・駒ヶ根市)出身。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1932年、京都帝国大学文学部英文科を卒業し、同年東京帝国大学英文科大学院に入学するが、翌年中途退学。その後すぐに文芸春秋社に入社。『文芸日本』誌の編集長を経て、1955年から1967年にかけて『アメリカーナ』誌(後に『日米フォーラム』誌に改題)の編集長を務める。 1967年、亜細亜大学に非常勤講師に就任。1971年より同学教養部教授。
上條 静光(かみじょう せいこう、1908年(明治41年)5… 上條 静光(かみじょう せいこう、1908年(明治41年)5月20日 - 2007年(平成19年)4月24日)は、日本画家。東京に生まれる。本名:上條健吉(かみじょう けんきち)。 現在の東京都荒川区日暮里の商家に生まれる。父方の本家は江戸、現在の中央区日本橋の油問屋・桝屋の屋号で商いをする油問屋であった。母は石川県輪島市の出身で輪島塗頭領、木下家の長女。健吉が三歳の時に父が亡くなる。1915年(大正4年)第二日暮里尋常小学校入学、1921年(大正10年)卒業し、東京府私立順天中学校入学、在学中より画家を志す。1923年(大正12年)関東大震災、1925年(大正14年)日暮里の大火で生家を焼失する。