櫻井 梨子(さくらい りこ、2003年11月26日 - )は… 櫻井 梨子(さくらい りこ、2003年11月26日 - )は、北海道余市町出身のスキージャンプ選手。血液型はAB型。 余市紅志高校を経て2022年あいおいニッセイ同和損保入社。。父は、リレハンメル五輪代表の櫻井仁。2021年の第92回宮様スキー大会ノーマルヒルで高校生2年生ながら優勝。父の仁は1994年に宮様大会ラージとノーマルの2冠を果たしているので、親子2代で宮様大会を制したことになる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:スポーツ人物伝)。
中村 京一郎(なかむら けいいちろう、1998年12月2日 … 中村 京一郎(なかむら けいいちろう、1998年12月2日 - )は、日本の男性総合格闘家。北海道余市郡出身。Road to UFC Season 4フェザー級トーナメント優勝。 母親の故郷である青森県青森市の産院で生まれ、生まれてすぐに北海道の余市町に引っ越した。小学校から高校までは野球にやっていて中学卒業後に地元を離れ、市街地から離れた場所で寮生活をしながら、野球部で活動していた。高校卒業後は一度スポーツから離れ山梨で林業をしながら海上自衛隊に入隊するも、格闘技を本格的に始めるために自衛隊をやめ上京し、LDH FIGHTER BATTLE AUDITION Ⅱにエントリー。 本格的に総合格闘技のトレーニングを開始し、実戦経験を積む場としてLDH Martial Arts が主催する大会、EXFIGHTに出場する。
春木 大輔(はるき だいすけ、1997年5月20日 - )は… 春木 大輔(はるき だいすけ、1997年5月20日 - )は、日本のモデル、俳優、ボーイズグループNORDのメンバーであった。ソニーミュージック及びCREATIVE OFFICE CUEに所属していた。2017年12月23日のクリスマスライブをもってNORDを卒業。事務所も退所した。 北海道余市町に生まれ、高校生の頃から読者モデルとして活動を始める。その後自らファッション団体「Alleta」(後、FLASH SAPPORO)を立ち上げ、2016年6月まで約2年間、所属した。 2016年に開催されたソニーミュージックと宝島社「smart」によるオーディションにて特別賞を受賞し、モデルデビューした。
新居 すぐる(にい すぐる、1991年1月13日 - )は、… 新居 すぐる(にい すぐる、1991年1月13日 - )は、日本の男性総合格闘家。HI ROLLERS ENTERTAINMENT所属。2023年にパンクラスのフェザー級王座「キング・オブ・パンクラシスト」に認定。北海道余市郡余市町出身。 高校生のころに柔道で北海道大会優勝。その後マッハ道場で総合格闘技を始める。THE OUTSIDERやST Fighting Showなどの地下格闘技に出場した。 2013年9月29日にGLADIATORでプロデビュー。モリシマンと対戦し、1Rにアームロックによる一本勝ち。2017年2月5日にパンクラスでカイル・アグォンと対戦し、判定負け。なお、2021年ごろまでクラブセキュリティとしても勤務していた。
越智 俊介(おち しゅんすけ、1991年1月10日 - )は… 越智 俊介(おち しゅんすけ、1991年1月10日 - )は、日本のベーシスト。 北海道余市町出身。高校入学時より独学でベースを弾き始める。2014年7月、SAPPORO CITY JAZZのパークジャズライブコンテスト2014にて、自身のバンド・North Pandemic Groove として出演し、優勝する。 2015年4月、ファンクポップバンド・カラスは真っ白に、オチ・ザ・ファンク名義で加入。6月、カナダのトロントジャズフェスティバルに North Pandemic Grooveで出演。10月15日公開、映画『何者』で、劇中のバンドOVER MUSICのメンバーとして、ベースを担う。ドラムはタイヘイ。
本間 篤史(ほんま あつし、1988年8月3日 - )は、北… 本間 篤史(ほんま あつし、1988年8月3日 - )は、北海道余市郡余市町出身の社会人野球選手(外野手)、野球指導者。右投右打。 余市町立沢町小学校4年時から野球を始める。余市町立西中学校では余市シニアに所属。 高校は道内でも強豪の駒澤大学附属苫小牧高校に進学。同級生には田中将大がいた。高校時代は前年の夏の優勝校でありながら2年生で4番として2005年夏の甲子園大会で甲子園夏連覇。新チーム結成当初は田中が主将を務めていたが、「(田中)将大が、主将としての取材、投手としての取材の両方を受けるのは疲れが溜まる」という監督の香田誉士史の配慮から、73年ぶりの夏の大会3連覇に挑んだ大会直前に田中から主将を引き継いだ。
佐々木 孝介(ささき こうすけ、1987年1月10日 - )… 佐々木 孝介(ささき こうすけ、1987年1月10日 - )は、北海道余市郡余市町出身の元アマチュア野球選手・現アマチュア野球指導者。 駒澤大学附属苫小牧高等学校では1年生時の秋から内野手のレギュラーとなり、2年生時の春に第75回選抜高等学校野球大会、夏に第85回全国高等学校野球選手権大会に出場。3年生時の夏に主将として、第86回全国高等学校野球選手権大会で北海道勢初となる優勝を果たす。自身も決勝戦で7回の勝ち越し二塁打を含む3安打を記録するなど、同大会打率.429(21打数9安打)を記録。 高校卒業後は駒澤大学へ進学し、3年生時から学生コーチに転身。大学卒業後は駒澤大学附属苫小牧高等学校のコーチを経て、2009年7月31日に駒澤大学附属苫小牧高等学校の監督への就任が同校から発表された。
加賀 龍哉(かが たつや、1982年8月19日 - )は、日… 加賀 龍哉(かが たつや、1982年8月19日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。VプレミアリーグのFC東京に所属していた。 北海道余市郡余市町出身。小学校時代、余市沢町小学校野球少年団のエースとして活躍し、全道大会に出場。中学校時代も野球部に所属しエースだった。中学3年で加賀のセンスを見抜いた野球部主将の薦めにより急遽バレー部へ入部、北海道選抜に選ばれた。 その後、東海大四高校を経て、早稲田大学を卒業後の2005年にFC東京へ入団。2007-2008年VチャレンジリーグのFC東京の優勝に貢献し、ブロック賞を初受賞した。 2010年、全日本代表登録メンバーに初選出された。2013/14シーズンをもって退部。
おにぎり(1977年7月19日 - )は、日本の元お笑いタレ… おにぎり(1977年7月19日 - )は、日本の元お笑いタレント。本名、片桐 健雄(かたぎり たけお)。 北海道余市町出身。かつての所属事務所は吉本興業。東京NSC第8期生。身長193cm、体重87kg。現在は農業のかたわら北海道でラジオパーソナリティとして活動。 北海道小樽工業高等学校卒業後、18歳から4年間、Vリーグの新日鉄に所属していた。チームメイトであり全日本の中垣内祐一選手のスパイクを止めたことがあるが、一身上の都合により引退。その後東京NSC8期生として入学。 2005年2月の『マンスリーよしもと』で、吉本No.1のジャイアント芸人として紹介されている。ごはんミュージアムの『よしもと ごはん笑(ショー)』などに出演していた。
船木 和喜(ふなき かずよし、1975年4月27日 - )は… 船木 和喜(ふなき かずよし、1975年4月27日 - )は、F.I.T所属のスキージャンプ選手。北海道余市郡余市町生まれ。北照高等学校(小樽市)卒業。 日本代表として冬季オリンピック2大会(1998年長野、2002年ソルトレイクシティ)、世界選手権5大会に出場。長野オリンピックで団体ラージヒルおよび個人ラージヒルの2種目で金メダル、個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得している。この他、世界選手権で金メダル1個、銀メダル3個を獲得、1997-98シーズンにスキージャンプ週間で日本人初の総合優勝、スキージャンプ・ワールドカップの総合成績で2位などの成績を残している。1999年にスキー界で権威のあるホルメンコーレン・メダルを受章。
谷口 弘典(たにぐち ひろのり、1973年11月24日 - … 谷口 弘典(たにぐち ひろのり、1973年11月24日 - )は、日本の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・監督。 高崎経済大学硬式野球部監督。 北海道余市町生まれ[要出典]、札幌育ち。札幌市立北光小学校卒業(鉄東スワローズ時代に日本代表に選出され、世界大会出場)。手稲西中学校卒業。1992年3月北海道札幌西高等学校卒業。1997年3月高崎経済大学経済学部経営学科卒業。 1997年ノーザンリーグ(スーフォールズカナリーズ入団)。1998年ウェスタンリーグ(ミッションヴィエホヴィジランテス入団)。 1999年千葉ロッテマリーンズ入団(BC兼サブマネージャー)。2000~2001年千葉ロッテマリーンズ(二軍マネージャー)。
斉藤 浩哉(さいとう ひろや、1970年9月1日 - )は、… 斉藤 浩哉(さいとう ひろや、1970年9月1日 - )は、雪印乳業所属のスキージャンプ選手で、2003年に引退し現在は指導者。北海道余市郡余市町の出身。同学年に岡部孝信がいる。 スキージャンプの盛んな余市町にあって10歳のときにジャンプを始めた。余市町立沢町小学校、余市町立西中学校、余市高校を経て1989年4月に雪印乳業に入社。 現役時代は「教科書」とも評された基本に忠実な、安定したジャンプスタイルで、1997年-1998年シーズンには3度あった日本のW杯表彰台独占において唯一3度全てで表彰台に上がり(1月1日・ガルミッシュ=パルテンキルヒェン:1位船木、2位原田、3位斉藤。1月11日・ラムソー:1位原田、2位船木、3位斉藤。
大植 三奈江(おおうえ みなえ、1969年2月15日 - )… 大植 三奈江(おおうえ みなえ、1969年2月15日 - )は歌手。北海道余市郡余市町出身。血液型O型 ヤマハ音楽振興会が主催である「New Pep Sound Audition」に出場し久松史奈と共にグランプリを獲得、その後1991年3月1日にシングル「Rainy Day」で日本コロムビアからデビュー。現在は引退し、故郷に帰り結婚をした。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
桜井 仁(さくらい ひとし、1967年〈昭和42年〉11月1… 桜井 仁(さくらい ひとし、1967年〈昭和42年〉11月17日 - )は、北海道余市町出身の元スキージャンプ選手。 余市町立余市西中学校→北海道余市高等学校→北海道拓殖銀行(1986年入部)→東洋実業グループ 1994年リレハンメルオリンピックスキージャンプ日本代表(出場は無し)。1999年に現役引退した。 北海道拓殖銀行スキー部廃部後は全日本のコーチも務め、その後余市町教育委員会の職員となり、余市ジャンプ少年団のコーチも務める。 スキージャンプ・ワールドカップ1992年12月20日札幌・大倉山での15位が最高位である。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
岡崎 潤司(おかざき じゅんじ、1962年2月24日 - )… 岡崎 潤司(おかざき じゅんじ、1962年2月24日 - )は、TBSの元アナウンサーで、元TBSホールディングス経営企画局グループ企業部担当部長。 北海道余市町出身。実家は米穀店。小樽潮陵高等学校、早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。 大学生時代は放送研究会に所属。大学時代、高校教員採用試験にも合格していたが、マスコミ界に入りたいがために留年を決意。入社試験は一般職とアナウンサーの両方を受け、本人曰く「自身が無かった」アナウンサーの方に合格。卒業後1986年4月にTBSにアナウンサー22期生として入社(同期には岡田泰典・武方直己・戸崎貴広)。入社から約10年間はアナウンサーとして活躍。森本毅郎時代の『モーニングEye』では、マッハ文朱とのコンビで出演していたこともあった。
中村 裕之(なかむら ひろゆき、1961年2月23日 - )… 中村 裕之(なかむら ひろゆき、1961年2月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、文部科学副大臣。 農林水産副大臣(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、文部科学大臣政務官(第4次安倍第1次改造内閣)、衆議院文部科学委員長、同原子力問題調査特別委員長、北海道議会議員(3期)、自由民主党北海道支部連合会長などを歴任。 北海道余市郡余市町出身。北海道小樽潮陵高等学校、北海学園大学経済学部を卒業し、北海道庁総務部札幌北道税事務所に勤務。 1989年から中村建設株式会社に入社し、1993年より代表取締役。北海道PTA連合会会長、日本PTA全国協議会副会長、(社)日本青年会議所道南ブロック会長等を歴任。
櫂 未知子(かい みちこ、1960年9月3日 - )は、日本… 櫂 未知子(かい みちこ、1960年9月3日 - )は、日本の俳人。「群青」共同代表、俳人協会理事。 北海道余市郡出身。当初は短歌を学んだがのちに俳句に転向、転向後しばらくは、口語表現を生かしつつ、男女の性愛や、強さとエレガンスを持つ女性像を描き出した作品で知られる。近年では口語表現から、文語表現にシフト。代表句に「春は曙そろそろ帰つてくれないか」「佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり」「雪まみれにもなる笑つてくれるなら」「一瞬にしてみな遺品雲の峰」「地吹雪や蝦夷はからくれなゐの島」などがある。 北海道余市郡余市町に生まれる。北海道小樽潮陵高等学校時代より詩を作っては投稿をしていた。1980年、一浪ののち青山学院大学文学部日本文学科入学。
坂口 良子(さかぐち りょうこ、1955年〈昭和30年〉10… 坂口 良子(さかぐち りょうこ、1955年〈昭和30年〉10月23日 - 2013年〈平成25年〉3月27日)は、日本の女優。北海道余市郡余市町出身。身長163cm。B82cm、W60cm、H108cm(1976年2月)。 余市町立東中学校を卒業し、小樽双葉女子学園高校(現在:双葉高等学校)に入学、堀越高等学校卒業。 1971年、15歳で出場したミス・セブンティーンコンテストで優勝し芸能界入りする。1972年、シングル「あこがれ」で歌手デビュー。フジテレビのドラマ『アイちゃんが行く!』で主演に抜擢され、女優デビューも果たした。 以降次々とドラマに出演するようになり、ドラマ『サインはV』(1973年版)では主役・江川ゆかを演じ、主題歌も担当。
毛利 衛(もうり まもる、1948年〈昭和23年〉1月29日… 毛利 衛(もうり まもる、1948年〈昭和23年〉1月29日 - )は、日本の元宇宙飛行士、科学者。科学者としての専門は真空表面科学、核融合炉壁材料、宇宙実験。化学者でもある。 北海道出身。宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙環境利用システム本部有人宇宙活動推進室長、京都大学大学院特任教授、東京工業大学大学院総合理工学研究科連携教授、公益財団法人日本宇宙少年団団長。 アラバマ大学ハンツビル校客員教授、筑波大学客員教授、日本科学未来館館長なども歴任した。 《この節の主な出典:》 北海道余市郡余市町に生まれる。幼い頃はカマキリと水泳が大の苦手で、風呂で溺れそうになった経験を持つ。 1961年、13歳の時にソビエト連邦のボストーク1号が人類初の有人宇宙飛行に成功した際、飛行士のユーリイ・ガガーリンが発した「地球は青かった」という言葉に、宇宙に対する憧れを抱く。
藤沢 隆(ふじさわ たかし、1943年2月7日 - )は、1… 藤沢 隆(ふじさわ たかし、1943年2月7日 - )は、1960年代に活躍した北海道余市郡余市町出身の元ノルディック複合及びスキージャンプ選手。余市高校、早稲田大学を経て国土計画に所属。 1964年のインスブルックオリンピックにノルディック複合の選手として出場し、個人20位の成績を残した。 1966年にノルウェーのオスロで行われたノルディックスキー世界選手権個人90m級(現在のラージヒル)でビョルン・ヴィルコラに次ぐ銀メダルを獲得、世界選手権で日本人初のメダリストとなった。同選手権の70m級(現在のノーマルヒル)では16位。 1968年のグルノーブルオリンピックにスキージャンプの選手として出場。
酒井 忠康(さかい ただやす、1941年7月16日 - )は… 酒井 忠康(さかい ただやす、1941年7月16日 - )は、日本の美術評論家、世田谷美術館館長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。 1941年、北海道余市郡余市町生まれ。北海道余市高等学校を経て、慶應義塾大学に入学。1964年、慶應義塾大学文学部美学美術史科を卒業。 大学卒業と同時期に神奈川県立近代美術館学芸員になる。土方定一に師事し、学芸課長、副館長を経て、1992年より館長。2004年から2024年3月まで世田谷美術館館長。2003年の『海にかえる魚』では、小説に挑んだ。2006年から2021年まで美術館連絡協議会理事長。 近代美術の研究、現代美術の評論活動を行う。ベネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナーを務めた。
毛利 信男(もうりのぶお、1941年1月18日 - )は、日… 毛利 信男(もうりのぶお、1941年1月18日 - )は、日本の物理学者。北海道余市郡余市町出身。弟は宇宙飛行士の毛利衛。 ソ連の人工衛星、スプートニクのブームで科学に興味を持つ。望遠鏡を自作して弟の毛利衛などと星をながめるなどして、衛に幼少期から最も多大な影響を与えた一人である。
安達 晟(あだち あきら、1939年5月3日 - 2020年… 安達 晟(あだち あきら、1939年5月3日 - 2020年7月25日[要出典])は、北海道余市町出身の元ノルディックスキー(スキージャンプ)選手、スキー指導者、スキージャンプ審判員。 北海道余市町大川町出身。北海道余市高等学校ではスキー部に所属。在学中、ジャンプ競技では、2年生時に全道スキー大会純ジャンプ2位、全国高等学校スキー大会2位、3年生時に全国高等学校スキー大会2位の成績を残す。 1958年(昭和33年)、札幌鉄道管理局(国鉄北海道支社、現在の北海道旅客鉄道鉄道事業本部に相当)に入社。札幌鉄道管理局スキー部に入部した。当時の札鉄スキー部は、純ジャンプに秋葉信夫、大内誠一、 距離競技では工藤誠二、谷口明見(ノルディック複合、オリンピック3回出場)らの有力選手を擁していた。
坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう、1933年7月15日 … 坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう、1933年7月15日 - 2015年3月2日)は、日本の外交官。外務省中南米局長や、駐スペイン特命全権大使を務めた。 北海道余市町出身。父は余市町長の坂本角太郎。北海道余市高等学校を経て、1957年一橋大学法学部卒業、外務省入省。スペイン語研修としてコロンビアに2年間留学。 1972年外務省中南米局中南米第二課長、1973年外務大臣官房国際報道課長、在英国日本国大使館参事官、1979年外務省経済協力局政策課長、1981年外務大臣官房総務課長。総務課長時代に情報調査局(現国際情報統括官組織)新設に尽力。 経済協力開発機構政府代表部公使、駐パラグアイ特命全権大使を経て、1988年外務省中南米局長。
藤谷 栄也(ふじや まさや、1931年11月3日 - )は、… 藤谷 栄也(ふじや まさや、1931年11月3日 - )は、日本の元アナウンサー。NHK札幌放送局などで活躍した。 東京府(現在の東京都)生まれ。戦時中の14歳時に北海道余市へ疎開する。 北海道余市高等学校を経て、北海道大学に進学し、同大教育学部を卒業。 1954年にNHKへ入局し、釧路放送局を皮切りにアナウンサーとして活動。札幌放送局の人気番組「北海道中ひざくりげ」の初代リポーター・北海道ニュースワイドのキャスターを務める。北海道中ひざくりげでは江戸っ子らしい小気味の良い口ぶりや人懐っこい笑顔で人気を博した。 NHK退職後は1997年に札幌国際大学非常勤講師に就任、講演や大学での授業を通じて日本語の正しい使い方を教える。
本間 武男(ほんま たけお、1929年7月14日 - 200… 本間 武男(ほんま たけお、1929年7月14日 - 2006年11月24日)は、日本のイラストレーター、画家。北海道余市町出身 1929年(昭和4年)、北海道余市町に生まれる。 日本水彩画会の宮崎信義に師事。広告会社のイラストレーターとして活動したのち北海道を放浪。苫小牧市へ転居。 東京、銀座、日本橋、横浜各地で個展を開催。雪の北海道をテーマに全国各地で版画展を開催。 1981年(昭和56年)、故郷余市町へ油絵を贈呈、紺綬褒章を受章。 1982年(昭和57年)、新宿センタービル51階朝日生命ギャラリー、池袋西武、銀座松坂屋、札幌三越にてパステル画展開催。 1985年(昭和60年)、郵政省お年玉付き年賀はがき原画制作。
小柄 義信(こづか よしのぶ、1926年 - )は、日本の政… 小柄 義信(こづか よしのぶ、1926年 - )は、日本の政治家。北海道余市郡余市町出身。北海中学校卒。北海道余市町町長(1971年-1986年)。 1946年余市町役場に入る。同町財務課長補佐を経て、1971年無所属で余市町長選挙に立候補、初当選。以後連続4期16年を町政を担い、北海道町村会副会長や後志町村会会長も務めた。1987年に落選。間もなく、町内の病院の入院患者などの票を現金買収した容疑(公職選挙法違反)で同年8月19日に逮捕された。 なお、町政では、1982年に余市町総合計画を掲げ、テーマは『豊かなる海と緑、経済と生活が調和した活力にあふれる北後志の拠点都市』とする計画を打ち立てた。
根上 博(ねがみ ひろし、1912年8月3日 - 1980年… 根上 博(ねがみ ひろし、1912年8月3日 - 1980年6月7日)は、北海道余市郡余市町出身の日本の競泳選手。立教大学卒業。1930年代に活躍し、1936年ベルリンオリンピックで入賞した。 余市町大川尋常小学校(現 余市町立大川小学校)時代に本格的に水泳を始め、旧制余市中学校(現・北海道余市紅志高等学校)時代から競泳選手となり、全国大会に出場するが、予選で敗退している。 1931年に立教大学に入学してから徐々に力をつけ、1934年の第10回日本選手権水泳競技大会では男子1500m自由形にて19分16秒2で優勝、そのレースの1000m途中計時で12分41秒8の世界新記録を樹立すると、同年の第十三回全國學生水上競技大會では400m及び800mの自由形で牧野正蔵(早稲田大学)と激しく鍔迫り合いを演じ、2種目とも牧野に及ばず2位となるも800mでは10分8秒4のタイムを出し、10分1秒2を出した牧野とともに世界新記録を更新した。
左川 ちか(さがわ ちか、1911年〈明治44年〉2月14日… 左川 ちか(さがわ ちか、1911年〈明治44年〉2月14日 - 1936年〈昭和11年〉1月7日)は、昭和時代初期の日本の詩人。本名は川崎 愛。名の「愛」は「ちか」と読むが、「あい」とも呼ばれていた。「現代詩の起点となる詩人」とも賞される。 北海道余市郡余市町大字黒川村に生まれる。4歳までは歩行も困難なほど虚弱であった。戸籍上の父は不明、異父兄の昇が終生の支えとなる。1923年3月に余市町立大川尋常小学校を卒業。親族の反対を押し切るかたちで庁立小樽高等女学校(現・小樽桜陽高校)に入学し、1928年同校補習科師範部を卒業。同年8月、先に上京していた兄・昇の自宅に同居を始め、兄の友人として小樽時代から知っていた伊藤整や百田宗治などの作家・詩人たちとの交流が広がる。
和田 徹三(わだ てつぞう、1909年(明治42年)8月4日… 和田 徹三(わだ てつぞう、1909年(明治42年)8月4日 - 1999年6月27日)は日本の詩人・英文学者。北海道余市町出身。小樽高等商業学校卒。龍木煌(たつき あきら)のペンネームを持つ。 北海道薬科大学教授をつとめ英語を教える傍ら、詩人として活動。1930年頃伊藤整と同時に百田宗治主催の「椎の木」に参加し、文学活動に専念する。英詩の翻訳(ハーバート・リードの研究者としての実績)からモダニズムへと変貌。1997年「湾」で和田自身が《「湾」を形而上詩の研究とと実作の場にしよう》という沢村光博の提案を受け、私は《長編形而上詩の実験作品を連載することにした。》と述べている。また1970年頃《沢村光博はカソリシズムとコミュニズムの結合を企てていたし、私は親鸞思想へ激しく傾斜していった。
大野 百合子(おおの ゆりこ、1908年〈明治41年〉4月2… 大野 百合子(おおの ゆりこ、1908年〈明治41年〉4月24日 - 1938年〈昭和13年〉9月26日)は、日本の詩人。才能に恵まれながらも早世した女流詩人とされる。 1908年(明治41年)4月24日、北海道余市町で誕生した。1917年(大正6年)に小樽区に転居。小樽高等女学校(後の北海道小樽桜陽高等学校)に入学したが、病気により中退。上京して洋裁を学び、1926年(大正15年)に小樽洋服裁縫女学院を設立した。1932年(昭和7年)の解院までに、約200人の卒業生を送り出した。 20歳代から、詩作に本格的に取り組み、文学雑誌『新短歌時代』『詩歌建築』などに詩を投稿した。詩人の宮崎丈二に認められたことで、宮崎に師事し、1931年(昭和6年)、同人誌『河』に参加した。
滝内 礼作(たきうち れいさく、1905年(明治38年)1月… 滝内 礼作(たきうち れいさく、1905年(明治38年)1月10日 - 1993年(平成5年)11月2日)は日本の裁判官、弁護士。 北海道余市郡余市町出身。小樽商業学校卒業、東北帝国大学の聴講生となり、試験を経て本科編入、在学中の1927年(昭和2年)12月、高等試験司法科合格、1928年(昭和3年)3月、同法文学部法科卒業、翌4月に司法官試補として東京地方裁判所所属、それから予備判事、1929年(昭和4年)11月判事任官、1931年(昭和6年)5月山形地方裁判所判事転任、1932年(昭和7年)9月札幌地方裁判所判事転任。 滝内は東京地裁時代の1930年(昭和5年)、日本共産党員を講師に同じく判事の為成養之助らと研究会を結成、共産主義思想に共鳴、同党が国体変革して私有財産を否定していることを知った上で同年10月から1932年8月まで東京で他の同志とともに党資金として毎月5円から7円を支出、山形転任後は同志獲得のために動き同年3月から指導者として同地裁書記中心に主義宣誓も行い、同僚判事の福田力之助も引き込み、同年5月6月に現地の婦人十数名を集めて研究会を開催して主義宣伝を行ったり同地方責任者として左翼グループを結成、山形高等学校など上層階級対象に党員獲得活動をした。
北見 恂吉(きたみ じゅんきち、1902年 - 1990年)… 北見 恂吉(きたみ じゅんきち、1902年 - 1990年)は、日本の神官、歌人。 本名・鈴木重道。北海道出身。余市の神社の息子に生まれる。小樽中学校で二年後輩の伊藤整に、通学列車の中で島崎藤村詩集を教え、影響を与えた。伊藤の自伝的小説『若い詩人の肖像』に、本名が実名で登場する。 伊勢の神宮皇學館本科を卒業して、神宮文庫に勤務。根岸短歌会系の五更会に入り、同誌の編集発行を担当、岡麓に師事して短歌も詠んだ。埼玉県立久喜高等女学校教諭を6年勤めたのち、1934年に帰郷して神官となる。1937年より朝鮮神宮主典として京城に赴任して朝鮮総督府祭務官となるが、本州勤務を希望し福島県の伊佐須美神社宮司となり、そこで敗戦を迎える。
違星 北斗(いぼし ほくと、男性、1901年(明治34年) … 違星 北斗(いぼし ほくと、男性、1901年(明治34年) - 1929年(昭和4年)1月26日)はアイヌの歌人・社会運動家。 アイヌ民族の地位向上のための運動に一生を捧げ、その思想を新聞や雑誌に短歌の形で発表して、同時代のアイヌの青年たちに影響を与えた。また道内のアイヌコタンを廻って、まずアイヌ自身が自覚し、団結することが必要であると説いた。 バチェラー八重子、森竹竹市と並ぶ、「アイヌ三大歌人」の一人。「アイヌの啄木」と称されることもある。著作に『違星北斗遺稿 コタン』(昭和5年・希望社出版部、現在は草風館より復刊)、『違星北斗歌集 アイヌと云ふ新しくよい概念を』(角川ソフィア文庫)がある。 違星北斗は1901年(明治34年)、北海道後志支庁余市町大川町1丁目に、父甚作と母ハルの間の三男として生まれる。
鈴木 八郎(すずき はちろう、1900年3月3日 - 198… 鈴木 八郎(すずき はちろう、1900年3月3日 - 1985年9月14日)は、日本の写真家。写真雑誌編集者、カメラ文化史研究者。 北海道余市町に生まれた。早稲田工手学校(現早稲田大学芸術学校)建築科を中退する。東京芝にあった丸木利陽門下の前島英男の写真館に入門して、前島の義弟の金丸重嶺と同門になった。また『写真の趣味』『写真月報』を編集していた高桑勝男の紹介で、小野隆太郎に住込みで弟子入りし、ゴム印画法を習得した。その後大正から昭和にかけて、アルスより技法書を多数執筆した。戦前の『カメラクラブ』や戦後復刊の『写真サロン』編集長を務めた。ペンタックスギャラリー館長。古典カメラやカメラの歴史に関する記事を多く執筆した。
金児 杜鵑花(かねこ とけんか、1894年3月14日 - 1… 金児 杜鵑花(かねこ とけんか、1894年3月14日 - 1938年2月21日)は大正-昭和時代前期の俳人。本名は農夫雄(のぶお)。新興俳句の命名者とされているが、その言葉は、彼が私淑した河東碧梧桐が先に著書『新興俳句への道』(昭和4年)の題名で使っていたものを、山口誓子、水原秋櫻子らの運動に当てたものである。 1894年(明治27年)3月14日、北海道余市郡(現余市町)生まれ。札幌師範を卒業後、堺小学校教諭となったが、1918年上京して新潮社に入社。1920年、素人社を設立。山口誓子の処女句集『凍港』を出版。雑誌「現代文芸」「俳句月刊」「俳句世界」などを発行、主宰。俳句は河東碧梧桐に私淑し新傾向風の俳句をつくるが、晩年は定型句に転じた。
亀谷 理子(かめがい あやこ、8月5日 - )は、日本の女性… 亀谷 理子(かめがい あやこ、8月5日 - )は、日本の女性声優、俳優、ミュージシャン。北海道余市町出身。SViL所属(2026年5月LALからSViLへ社名が変更)。 IAMインターナショナル・メディア学院東京校出身。かつてはIAMエージェンシーに所属していた。 かめがいあやこ名義で、セカイ系おしゃべりポップユニット「ポップしなないで」のキーボードボーカルとしても活動している。
川村 有司(かわむら ゆうじ)は、北海道余市町出身の元スキー… 川村 有司(かわむら ゆうじ)は、北海道余市町出身の元スキージャンプ選手。余市高校-明治大学-ニッカウヰスキー。 高校時代に数々のタイトルを獲得し期待されたものの以後はあまり目立った活躍はなかった。スキージャンプ・ワールドカップでは1979年12月27日のコルチナ・ダンペッツォで15位、1980年1月13日の札幌で自己最高位の14位。
葦本 祐二(あしもと ゆうじ)は、北海道余市町出身の元スキー… 葦本 祐二(あしもと ゆうじ)は、北海道余市町出身の元スキージャンプ選手、チェアスキー選手。斉藤浩哉、岡部孝信らは同学年。 余市沢町小学校3年の時余市ジャンプ少年団でジャンプを始めた。余市西中学校-余市高校-東洋実業グループ 1991年の宮様スキー大会ノーマルヒルで社会人初優勝。 1992-1993シーズンがベストシーズンで1992年12月20日に札幌のラージヒルでスキージャンプ・ワールドカップで12位となり初ポイントを獲得、コンチネンタルカップを兼ねた札幌オリンピック記念国際スキージャンプ競技大会で優勝すると次の週のワールドカップ(1月23日、イタリア)では自己最高位となる3位に入賞した。翌日の団体戦でも東輝、原田雅彦、葛西紀明と組んで3位となった。