福田 心之助(ふくだ しんのすけ、2000年9月4日 - )… 福田 心之助(ふくだ しんのすけ、2000年9月4日 - )は、北海道浦河郡浦河町出身のプロサッカー選手。Jリーグ・京都サンガF.C.所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 北海道コンサドーレ札幌のアカデミー出身で、U-18チーム在籍中だった2018年には2種登録選手としてトップチームに登録されている。しかし正式昇格には至らず、高校卒業後は明治大学に進学。 2022年11月3日、2023年シーズンからの京都サンガF.C.加入内定が発表された。2023年2月18日のJ1リーグ第1節・鹿島アントラーズ戦でプロデビューを飾り、5月7日のJ1第12節・横浜F・マリノス戦でプロ初ゴールを記録した。
木村 和士(きむら かずし、1999年9月6日 - )は、カ… 木村 和士(きむら かずし、1999年9月6日 - )は、カナダを拠点に活動する騎手。北海道浦河町出身。身長163cm、体重48kg。 父は北海道浦河町で競走馬の育成牧場「No.9ホーストレーニングメソド」を経営し、幼い頃から兄と共に乗馬を始めた。兄の木村拓己は第1回ジョッキーベイビーズ優勝者であり、2012年には中学生ながら岐阜国体に出場し障害飛越少年の部で5位入賞を果たし、JRA競馬学校に第32期生として入学している(のちに退学し、船橋競馬の矢野義幸厩舎、張田京厩舎で調教助手を勤めた後、北海道浦河町で競走馬育成牧場を営んでいる)。 自身もジョッキーベイビーズに2年連続で出場し(第3回6着、第4回4着)、2015年に競馬学校に第34期生として入学。
ウイリアムソン 師円(ウイリアムソン シェーン、英:Shan… ウイリアムソン 師円(ウイリアムソン シェーン、英:Shane Williamson、1995年4月28日 - )は、北海道浦河町出身のスピードスケート選手。山形県の山形中央高等学校へ進学し、ソチオリンピックの日本代表に選ばれた。現在は日本電産サンキョーに所属、長野県に在住。2016年の高校総体のパシュートで2位となったウィリアムソンレミは妹。 姓について、選手登録していた名前は「ウィリアムソン」と、小さいイを用いた表記だが、戸籍上は「ウイリアムソン」である。また、2017年10月、選手登録の名前も、戸籍に合わせて「ウイリアムソン」へ変更している。 オーストラリア出身の父と日本人の母の間に生まれる。
長岡 萌映子(ながおか もえこ、1993年12月29日 - … 長岡 萌映子(ながおか もえこ、1993年12月29日 - )は、日本の女子バスケットボール選手である。北海道浦河郡浦河町出身。Wリーグのトヨタ紡織サンシャインラビッツ所属。ポジションはスモールフォワード。背番号2。札幌山の手高等学校卒業。ペイント内でのプレーからアウトサイドのシュートまでこなすオールラウンドプレーヤー。 幼稚園年中まで浦河町で過ごした後、札幌市へ移住。姉の影響を受けて小学校2年でバスケを始める。札幌市立宮の丘中学校3年のときU-15女子トップエンデバーに選出される。 2009年4月、札幌山の手高校に進学。1年生時からレギュラーとして全国大会に出場。2年次にはインターハイ・国体・ウィンターカップの3冠を達成。
小田 卓朗(おだ たくろう、1992年7月13日 - )は北… 小田 卓朗(おだ たくろう、1992年7月13日 - )は北海道浦河郡浦河町出身のスピードスケート選手である。
桜村 眞(おうむら しん、 (1982-09-13) 198… 桜村 眞(おうむら しん、 (1982-09-13) 1982年9月13日(43歳))は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー。和楽器バンドのギタリストとしての活動名義は町屋(まちや)。北海道浦河町出身。 北海道浦河町出身。8歳からギターを始め、中学生時代は吹奏楽部でトランペットをはじめ、主に金管楽器を担当。 中学卒業後、札幌へ進学し、2005年から約12年間、テレビ局やラジオ局のBGM制作、エンジニア業に従事。 ヴィジュアル系バンドQUAGHZやSHAKE IT CANDYを経て、2006年にボーカルを務めるバンドm:a.tureを結成。 2009年よりギタリストとして「町屋」名義で活動開始。
宮下 ともみ(みやした ともみ、1982年4月30日 - )… 宮下 ともみ(みやした ともみ、1982年4月30日 - )は、日本の女優。
馳 星周(はせ せいしゅう、1965年2月18日 -)は、日… 馳 星周(はせ せいしゅう、1965年2月18日 -)は、日本の小説家。本名は坂東 齢人(ばんどう としひと)。ペンネームの馳星周は本人がファンである映画監督・俳優の周星馳(チャウ・シンチー、しゅう・せいち)の名前を逆にしたもの。日本推理作家協会、日本冒険作家クラブ会員。 北海道苫小牧東高等学校、横浜市立大学文理学部卒業。大学時代は内藤陳が経営する新宿ゴールデン街のバー「深夜プラス1」でバーテンのアルバイトをする。 勁文社の官能小説レーベル「グリーンドア文庫」の編集者やフリーのゲームライターを務めた後、1996年8月、『不夜城』にて一般小説作家としてデビューした。この作品は日中混血の男女2人が新宿歌舞伎町に暗躍する中国人マフィアの抗争に巻き込まれるという内容で、当時のベストセラーであった。
飯田 馬之介(いいだ うまのすけ、本名:飯田 勉(いいだ つ… 飯田 馬之介(いいだ うまのすけ、本名:飯田 勉(いいだ つとむ)、1961年4月30日 - 2010年11月26日)は日本のアニメーション監督、演出家、プロデューサー、脚本家、漫画家。北海道浦河町出身。北海道浦河高等学校卒。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。旧名は飯田 つとむ。
堀 千亜樹(ほり ちあき、1961年1月8日 - )は、大井… 堀 千亜樹(ほり ちあき、1961年1月8日 - )は、大井競馬場所属の元騎手、現調教師。最終所属は佐々木忠昭厩舎。北海道浦河町出身、血液型O型。騎手時代の勝負服の柄は胴白・紫一本輪、袖紫。 1977年10月に地方競馬騎手免許を取得し、遠間波満行厩舎から騎手デビュー。1977年10月16日大井競馬第6競走ウインザヒーローで初騎乗(10頭立て9着)。同年11月1日大井競馬第5競走リユウジヤンボで初勝利。 1989年9月17日4回中山4日目第11競走第35回オールカマーでスーパーミストに騎乗のため遠征し、同日第1競走アラ系3歳未勝利戦をバーガンディで勝利し、中央競馬初騎乗初勝利。 1997年1月14日大井競馬第9競走ヨシカツタイコーで地方競馬通算1000勝達成。
長坂 純(ながさか じゅん、1960年 - )は、日本の法学… 長坂 純(ながさか じゅん、1960年 - )は、日本の法学者。専門は民法。明治大学法学部教授。学位は、博士(法学)(明治大学)。北海道浦河町出身。
管野 暢昭(かんの のぶあき、1959年5月8日 - )は、… 管野 暢昭(かんの のぶあき、1959年5月8日 - )は、日本のアナウンサー、テレビプロデューサー。北海道生まれ[4]・同浦河町出身[5]。血液型はA型[5]。北海道放送(HBC)に在職。
荻 美津夫(おぎ みつお、1949年 - )は、日本の藝能史… 荻 美津夫(おぎ みつお、1949年 - )は、日本の藝能史・音楽史を専門とする歴史学者。新潟大学人文学部名誉教授。文学博士(北海道大学、1996年)。北海道浦河町出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松谷 英司(まつたに えいじ、1944年5月7日 - )は、… 松谷 英司(まつたに えいじ、1944年5月7日 - )は、北海道浦河郡浦河町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 静内高1年の秋に北海高に転校。エースとして1962年の第34回選抜高等学校野球大会と第44回全国高等学校野球選手権大会に連続出場し、春は1回戦で御所工に敗れる。夏の予選では室蘭栄戦で完全試合を達成。本大会では準々決勝に進出するが、久留米商との試合中に足を骨折し敗退。高校同期に中村之保がいる。 1963年に東映フライヤーズに入団。1965年には完投勝利をあげるが、その後は登板機会に恵まれず1967年限りで引退。
青木 由直(あおき よしなお、1941年9月2日 - )は、… 青木 由直(あおき よしなお、1941年9月2日 - )は、日本の情報工学者。北海道大学名誉教授。工学博士 (北海道大学 1972年)。eシルクロード研究工房・房主。爪句結社「秘境」主宰。専門は、情報メディア工学、メディア工学。長野県生まれ。北海道浦河町出身。 JR札幌駅前にIT企業が集積した「サッポロバレー」の企業群の経営者を輩出した「北海道マイクロコンピュータ研究会」を立ち上げた。当時の主な教え子に中本伸一(元ハドソン副社長)や、ビー・ユー・ジーの創業メンバーの村田利文、服部裕之、若生英雅、木村真などがいる。現在も地域起業家の勉強会「青木塾」を主宰。 札幌を中心とした都市部の秘境を巡る紀行文や、写真に俳句を添える「爪句」作家としても活動している。
浦川 治造(うらかわ はるぞう、1938年〈昭和13年〉11… 浦川 治造(うらかわ はるぞう、1938年〈昭和13年〉11月 - )はアイヌの著名なエカシ(長老)である。アイヌ文化奨励賞受賞者。東京アイヌ協会名誉会長。40代で関東に移住し、現在も関東におけるアイヌのリーダーの一人として活動を続けている。詩人・アイヌ古布絵作家の宇梶静江は実姉で、俳優の宇梶剛士は甥に当たる。 北海道浦河郡浦河町の姉茶に生まれる。父の春松は1902年浦河生まれ。春松の父は多聞常次郎という石川県出身のいわゆる和人、母親はアイヌ族の女性・ハルコンジで春松は和人とアイヌ族のハーフであったが春松はシミツというアイヌ女性を妻としアイヌとして生き、漁業や米作りをして生計を立てていたという。
小川 隆吉(おがわ りゅうきち、1935年 - 2022年7… 小川 隆吉(おがわ りゅうきち、1935年 - 2022年7月25日)は、北海道(アイヌモシリ)浦河町生まれのアイヌ民族運動家。アイヌ民族共有財産裁判原告団長、アイヌ民族文化伝承の会会長、北海道教育大学非常勤講師を務めた。妻はアイヌ文様刺繍家の小川早苗。 日高地方浦河町のコタンに生まれる。父は戦時下に渡日しタコ部屋の強制労働から脱走した朝鮮人李秀夫、母は浦河のコタンに住むアイヌ民族の夏子。幼い頃に父秀夫は朝鮮へ戻り、以来音信不通となる。その後9歳で母も失い、兄弟と支えあいながら青春期を送る。幼くして両親を亡くした後の生活は貧困を窮め、学校への通学も断念せねばならなかった。 職を転々とした後、25歳で定職に就くが就学機会を奪われたため、漢字もろくに読めなかったという。
宇梶 静江(うかじ しずえ、旧姓:浦川〈うらかわ〉、1933… 宇梶 静江(うかじ しずえ、旧姓:浦川〈うらかわ〉、1933年〈昭和8年〉3月3日 - 、女性)は、日本の詩人、古布絵作家、絵本作家。アイヌ解放運動家である。白老町在住。 1933年(昭和8年)3月3日、 北海道浦河郡浦河町の和人も混住するアイヌ集落に浦川春松の次女(四男二女の3番目)として生まれた。幼少期は非常に貧しく困窮した生活であり、また、和人の子どもたちからの苛酷な差別に苦しんだ。「毛深い」と差別されるため、まつ毛を自ら切ったこともあり、増水した川に落とされそうになったこともあった。自らの出自がアイヌであることに嫌悪感を抱き、アイヌ同士で結婚すると、その子どもは自分と同じようにいじめられるのではないかと心配したこともあったという。
和野内 崇弘(わのうち たかひろ、1932年(昭和7年)8月… 和野内 崇弘(わのうち たかひろ、1932年(昭和7年)8月24日 - 2016年(平成28年)10月17日)は、日本の教育学者。元静修女子大学・静修短期大学学長。元学校法人札幌国際大学理事長。北海道浦河郡浦河町出身。 この他、北海道観光審議会副会長や北海道総合保養地域整備推進委員会副委員長、本私立短期大学協会副会長、全国大学実務教育協会会長、財団法人短期大学基準協会理事、北海道経済財政懇話会委員などを歴任した。 労働問題や余暇問題と教育との関連性や、地域開発と教育の関連性に関する研究 『新訂 現代日本人名録2002』(日外アソシエーツ編集・発行、2001年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
田所 稔(たどころ みのる、1932年1月28日 - 199… 田所 稔(たどころ みのる、1932年1月28日 - 1991年5月27日)は、日本中央競馬会(JRA)に所属した騎手、調教師。騎手時代の1966年にニホンピローエースで皐月賞に優勝した。 いずれも騎手・調教師の田所秀雄は実兄、田所秀孝は甥、師匠でもある小川佐助は叔父、田所清広(旧姓・佐野)は娘婿である。 1932年、北海道浦河町の農家に生まれる。実家は兄弟が多く貧しかったことから、幼少の頃に伯母の家に身を寄せた。1950年、すでに騎手となっていた兄・秀雄を頼り、その師匠で叔父の小川佐助厩舎(京都競馬場)に入門した。1953年に騎手免許を取得。初騎乗は4月26日の第1回阪神競馬8日目第2競走で、マサミドリに騎乗したが最下位に敗れた。
正富 宏之(まさとみ ひろゆき、1932年 - )は、日本の… 正富 宏之(まさとみ ひろゆき、1932年 - )は、日本の生態学者。学位は、理学博士。専修大学北海道短期大学名誉教授。 1932年北海道浦河郡浦河町生まれ。北海道札幌南高等学校卒。1955年北海道大学理学部生物学科卒業。1961年北海道大学大学院理学研究科博士課程修了。同年、理学博士(北海道大学))。1964年釧路市立郷土博物館(現釧路市立博物館)館長。1968年より専修大学美唄農工短期大学の創立に伴い同短期大学農業経営科教授に就任。1989年専修大学北海道短期大学学長に就任。1992年同学長を退任。引き続き専修大学北海道短期大学造園林学科教授。2003年専修大学北海道短期大学を定年退職。同名誉教授。
遠山 サキ(とおやま サキ、1928年〈昭和3年〉6月12日… 遠山 サキ(とおやま サキ、1928年〈昭和3年〉6月12日 - 2018年〈平成30年〉12月15日)は、日本のアイヌ文化伝承者。北海道の浦河町でアイヌ文化全般の知識や技能、技術を体得した伝承者であり、日本国内外で活躍したアイヌ文化伝承者の第一人者とされる。 北海道浦河町の姉茶地区で誕生した。8歳のときに姉茶尋常小学校に入学、小学3年で野深小学校に転入したが、アイヌの生まれであることを理由にいじめに遭い、あまり学校には通わずに少女時代を過ごした。 結婚後に子供たちが独立した頃より、アイヌの衣装の製作を始めた。さらに、浦河を代表する伝承者の1人である浦川タレからアイヌ文化の教えを受けて、次第にアイヌ文化に傾倒していった。
塚田 庄平(つかだ しょうへい、1918年6月25日 - 1… 塚田 庄平(つかだ しょうへい、1918年6月25日 - 1991年3月20日)は日本の政治家。日本社会党(以下、社会党)における炭鉱労組出身政治家として北海道議会議員(4期)や道議会副議長、衆議院議員(4期)を歴任した。 1918年(大正7年)6月25日、北海道浦河郡浦河町に生まれる。1942年(昭和17年)に東京帝国大学法学部を卒業後、北海道炭礦汽船(北炭)に入社した。その後水戸航空通信学校に入校。戦後は北炭職員組合連合会(北炭職連)委員長、全日本石炭労働組合(全石炭)副委員長を務めた。北炭職連委員長在任中の1950年(昭和25年)6月に行われた第2回参議院議員通常選挙に民主戦線候補として立候補したが、15名中9位で落選した。
山田 禅二(やまだ ぜんじ、1914年7月17日 - 没年不… 山田 禅二(やまだ ぜんじ、1914年7月17日 - 没年不明)は、日本の俳優。本名は万田 正敏(まんだ まさとし)。北海道浦河郡浦河町出身。グループ71に所属していた。 1929年、北海道庁立室蘭商業学校中退後、王子製紙工業苫小牧工場に入社。 映画『大学は出たけれど』を鑑賞したことがきっかけで、1936年に日活多摩川撮影所の美術部に入社 。翌年、俳優に転向し、助演俳優として活動 。戦後は大映に入る 。戯曲座の舞台でも活動した 。1954年に映画製作を再開した日活に戻り、アクション映画の悪役として活躍。1966年にフリーに転向して以降はテレビドラマを中心に活動した 。
小川 佐助(おがわ さすけ、1905年6月21日 - 198… 小川 佐助(おがわ さすけ、1905年6月21日 - 1987年10月30日)は日本の競馬騎手、調教師。 1934年に京都競馬倶楽部で騎手となったのち、1937年より日本競馬会(後に国営競馬→日本中央競馬会)の調教師となる。以後八大競走2勝を挙げたニューフォードや、皐月賞優勝馬ニホンピローエース、1977年に中央競馬の年度代表馬となったテンポイント(JRA顕彰馬)などの活躍馬を管理した。1982年、黄綬褒章受章。 アイヌ民族の活動家としても著名であり、北海道アイヌ協会が社団法人化された際には組織の中枢を担った。 甥にそれぞれ騎手・調教師の田所稔と田所秀雄、又甥に田所秀孝、田所清広(義理)がいる。
飯田 憲二(いいだ けんじ、1892年9月10日 - 198… 飯田 憲二(いいだ けんじ、1892年9月10日 - 1983年5月15日)は、日本の柔道家(講道館8段・大日本武徳会教士)。 通信教育と独学で柔道を学んだ後に海軍で本格的に柔道を稽古し、全日本選士権大会や講道館の月次試合、春秋紅白試合等に出場・活躍した。また、少年柔道の普及と振興に腐心して全日本柔道少年団の発足に尽力し、今日の青少年柔道の発展に大きく貢献した事でも知られる。 1892年、北海道浦河郡浦河町の専業農家の家に生まれる。高等小学校を卒業後は笈を負っての上京を望んだが両親の反対で実現せず、代わりに、板垣退助を会長に据え野口清が主宰する帝國尚武會に入会。自宅の馬小屋を改造して小さな柔道場を作り、同会の通信講座を基に独学で柔道修行に励んだ。
浦川 タレ(うらかわ タレ、1899年〈明治32年〉3月 -… 浦川 タレ(うらかわ タレ、1899年〈明治32年〉3月 - 1991年〈平成3年〉10月23日)は、日本のアイヌ文化伝承者。北海道浦河を代表する伝承者の1人とされる。アイヌの織物であるアットゥシの織手としては、全道でも数少ない存在であり、姉茶民芸品研究会(浦河ウタリ文化保存会の前身)を組織して、アットゥシなどのアイヌ文化の伝承と保存に貢献した。 北海道の荻伏川上流の集落(現・浦河町野深)で誕生して、姉茶(現・浦河町)で育った。幼少時に母と死別した後、伯父夫妻に引き取られ、アイヌの知識を厳しく教え込まれて育った。勉強家で、アイヌ語にも精通していた。 終戦後、自身を中心とする数人のグループで、アットゥシ、花ござ、木彫りなどの製作を始めた。