尾坂 力(おざか つとむ、1909年5月27日 - 1992… 尾坂 力(おざか つとむ、1909年5月27日 - 1992年10月11日)は、日本の翻訳家。 栃木県宇都宮市出身。青山学院大学英文科卒。映画字幕作成を経て、英米の推理小説を主として翻訳した。
栃木県 宇都宮市:299人
尾坂 力(おざか つとむ、1909年5月27日 - 1992… 尾坂 力(おざか つとむ、1909年5月27日 - 1992年10月11日)は、日本の翻訳家。 栃木県宇都宮市出身。青山学院大学英文科卒。映画字幕作成を経て、英米の推理小説を主として翻訳した。
川本 晴朗(かわもと せいろう、1904年〈明治37年〉11… 川本 晴朗(かわもと せいろう、1904年〈明治37年〉11月12日 - 没年不明)は日本の尺八奏者。七孔尺八の普及につとめたことで知られる。本名川本健二。 1904年(明治37年)に宇都宮警察署長の第一子として生まれる。9歳の時に琴古流逸童派川本家の養子となる。東京音楽学校卒業後は竹内寿太郎の考案した七孔尺八の実用化につとめ、1931年(昭和6年)には七孔尺八普及会を創立している。1934年(昭和9年)よりコロムビア専属として活躍した。
荒井 勝三郎(あらい かつさぶろう、Lucas Katsus… 荒井 勝三郎(あらい かつさぶろう、Lucas Katsusaburo Arai、1904年10月17日 - 1990年7月25日)は、日本のカトリック高位聖職者。横浜司教区第6代教区長及び第4代司教。洗礼名はルカ。 栃木県宇都宮市出身。東京の暁星中学校を経てフランスに留学し、パリのサンスルビス神学大学哲学神学部を卒業後、1930年に当地で司祭に叙階された。 帰国後は東京大司教区の千葉教会、本郷教会、麹町教会担当及び大司教館付を歴任。 1949年には松戸教会の建設用地を確保し、1950年に定礎式を司式している 1951年5月に引退した脇田浅五郎司教の後任として同年12月9日に司教に任命され、1952年2月24日に司教に叙階された。
小倉 繁(おぐら しげる、1904年3月16日 - 1958… 小倉 繁(おぐら しげる、1904年3月16日 - 1958年5月29日)は、日本の俳優。栃木県宇都宮市出身。本名同じ。喜劇映画で活躍し、和製チャップリンと呼ばれた。 栃木県宇都宮市の生まれ。劇団に入り、地方巡業を経て、1923年に国活に入社。 1925年に松竹蒲田撮影所に入社。始めは端役を演じていたが、小津安二郎監督の『女房紛失』から頭角を現していき、短編喜劇映画の脇役として活躍。1929年、喜劇の神様と呼ばれ、城戸四郎が開拓したナンセンス喜劇を多く演出した斎藤寅次郎監督の『モダン怪談100,000,000』に国定忠次の幽霊役で出演。以降、ナンセンス喜劇の代表的俳優となり、軽妙なドタバタ演技で人気喜劇俳優となった。
手塚 富雄(てづか とみお、1903年11月29日 - 19… 手塚 富雄(てづか とみお、1903年11月29日 - 1983年2月12日)は、日本のドイツ文学者・評論家。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京大学名誉教授。 栃木県宇都宮市生まれ。旧制第一高等学校を経て、1926年東京帝国大学文学部独文科卒。旧制松本高等学校教授、1943年東京帝国大学文学部独文科助教授、1949年教授。1961年に学位論文「ゲオルゲとリルケの研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。1963年より文学部長をつとめる。1964年定年退官後は立教大学教授、共立女子大学教授を歴任。1967年日本学士院会員、1972年、NHK放送文化賞受賞、1981年文化功労者。
横川 信夫(よこかわ のぶお、1901年8月1日 - 197… 横川 信夫(よこかわ のぶお、1901年8月1日 - 1975年11月10日)は、昭和期の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)、栃木県知事(公選第4-7代)。 栃木県宇都宮市の出身。宇都宮中学校、第二高等学校理科甲類を経て、1925年東京帝国大学農学部卒業、農林省に入省。青森営林局の技手を振り出しに林野畑を歩き、1939年満洲国林野局計画課長、1944年同林野総局林産課長、1945年東満総省林政庁長となる。 同年、ソ連軍の侵攻によりシベリアに抑留される。1948年に帰国。林野庁に入り、1950年に林野庁長官になる。 退官後の1953年の第3回参議院議員通常選挙全国区に自由党から出馬して当選する。
吉沢 新作(よしざわ しんさく、1901年3月21日 - 1… 吉沢 新作(よしざわ しんさく、1901年3月21日 - 1980年2月27日)は、日本の銀行家。近畿銀行社長を務めた。 栃木県宇都宮市出身。1927年に法政大学専門部法科を卒業し、同年に大蔵省に入省。1944年に近畿無尽に転じ、1945年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1960年に副社長に就任し、1963年には社長に昇格。1967年4月に会長を経て、1972年には相談役に退いた。 1964年に黄綬褒章を受章し、1971年に勲四等瑞宝章を受章。 1980年2月27日、脳動脈硬化症のために死去。78歳没。
荒井 退造(あらい たいぞう、1900年9月22日 - 19… 荒井 退造(あらい たいぞう、1900年9月22日 - 1945年6月26日?)は、日本の内務官僚。沖縄戦時、沖縄県警察部長として県民の避難・保護に尽力したとされるが、近年は北部疎開・義勇隊の編成など研究者から沖縄戦において戦争責任の声もあがっている。長男は国土庁審議官などを歴任した自治官僚の荒井紀雄。 栃木県芳賀郡清原村(現在の宇都市上籠谷町)に農家の次男として出生。鐺山尋常小学校、清原尋常高等小学校、栃木県立宇都宮中学校と進み、その後上京し高千穂高等商業学校(現高千穂大学)に進学した後、巡査をしながら明治大学夜間部を卒業、1927年高等文官試験に合格、同年内務省に入省した。 1932年、麻布六本木警察署長に就任。
阿久津川 高一郎(あくつがわ こういちろう、1897年9月3… 阿久津川 高一郎(あくつがわ こういちろう、1897年9月30日 - 1972年10月20日)は、栃木県宇都宮市出身で高砂部屋(一時期は錣山部屋)に所属した大相撲力士。本名は永井 高一郎(ながい こういちろう)(一時磯野姓を名乗る)。最高位は西前頭筆頭(1923年1月場所)。現役時代の体格は身長170cm、体重98kg。得意手は突き、押し。現役引退後は年寄として後進の指導につくした。 1914年5月場所に初土俵。小柄ではあったが腕力が強く、「三角突っ張り」と呼ばれた独特の突き押しを武器にしており、速い相撲で鳴らした 。1920年1月場所に新入幕を果たすまですべて勝ち越すという順調な昇進で、なおかつ十両では新十両から2場所連続優勝をはたした。
鈴木 醇(すずき じゅん、1896年10月1日 - 1970… 鈴木 醇(すずき じゅん、1896年10月1日 - 1970年3月12日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱床学・岩石学。理学博士(東京大学・1930年)(学位論文「Petrological study of the crystalline schist system of Shikoku, Japan(四國に於ける結晶片岩系の岩石學的研究)」)。北海道帝国大学教授を歴任。栃木県宇都宮市生まれ。 1914年、旧制宇都宮中学校を卒業。1918年、第二高等学校を経て東京帝国大学理学部地質学科へ入学。1921年卒業後助手となり、加藤武夫教授の下で鉱床学の研究を始める。1924年第一高等学校教授となり、1928 - 30年、スイスのチューリヒ大学に留学する。
相羽 有(あいば たもつ、1895年8月8日 - 1979年… 相羽 有(あいば たもつ、1895年8月8日 - 1979年4月6日)は、日本の民間航空業及び自動車業の草分けとして活躍した実業家。1916年(大正5年)羽田の地に日本飛行学校を設立し、後の東京国際空港(羽田空港)の礎を築いた。通称・羽田の父。 日本最初期の自動車学校も開設しており、日本のスチュワーデス(エア・ガール)の生みの親としても知られる。 1895年(明治28年)8月に栃木県宇都宮町伝馬町の呉服商相瀬屋・相羽正吉の四男として生まれる。家は裕福だったが4歳で父を、5歳で母を亡くし、伯父の田中千代吉に養育された。 小学生の頃にはライト兄弟初飛行のニュースに大きな衝撃を受ける。その後、宇都宮商業学校を中途退学し、横浜にあった英国人学校のフェアモント・アカデミーに入学。
上野 三郎(うえの さぶろう、1894年〈明治27年〉9月 … 上野 三郎(うえの さぶろう、1894年〈明治27年〉9月 - ?)は、日本の実業家。 栃木県宇都宮市生まれ。肥料商、栃木県多額納税者・上野松次郎の三男。1921年、慶應義塾大学部理財科卒業。 藤本ビルブローカー本店東京支店各勤務。下野製紙取締役東京支店長、三和製紙、旭土地各取締役をつとめる。 五代上野松次郎の三男、六代上野松次郎の弟である。1928年、分家した。趣味は洋画、登山、書道。宗教は曹洞宗。東京府在籍で、住所は東京市本郷区駒込上富士前町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
千葉 省三(ちば しょうぞう、1892年(明治25年)11月… 千葉 省三(ちば しょうぞう、1892年(明治25年)11月27日 - 1975年(昭和50年)10月13日)は、日本の児童文学者、編集者。 1892年(明治25年)12月12日、栃木県河内郡篠井村(現・宇都宮市)で小学校教員の父・亀五郎と母・ハマの長男として出生。1894年(明治27年)に亀五郎が吉沢尋常小学校(現・日光市立第三小学校)の校長になったため、一家で吉沢に引っ越した後、1898年(明治31年)に吉沢小の2年生に入学。1899年(明治32年)には亀五郎が楡木尋常小学校(現・鹿沼市立楡木小学校)に赴任したため転校し、現在の鹿沼市楡木町で育つ。1901年(明治34年)、南押原高等小学校(現・鹿沼市立南押原中学校)入学。
佐藤 清一郎(さとう せいいちろう、1892年〈明治25年〉… 佐藤 清一郎(さとう せいいちろう、1892年〈明治25年〉7月26日 - 1973年〈昭和48年〉4月19日)は、大正から昭和期の農業指導者、政治家。参議院議員(1期)。 栃木県河内郡豊郷村(現宇都宮市)出身。1909年(明治42年)栃木県立宇都宮農学校(現栃木県立宇都宮白楊高等学校)を卒業した。 1927年(昭和2年)河内郡農会代議員に就任。その他、1929年(昭和4年)豊郷村会議員に選出され、同村消防組頭も務めた。1937年(昭和12年)満洲国に移り南満洲鉄道嘱託、軍人、官吏となる。 終戦後に帰国し、豊郷村農業会長、同農業協同組合長を務め、1947年(昭和22年)栃木県議会議員に選出され2期在任し、1951年(昭和26年)同議長となった。
坪山 徳弥(徳彌、つぼやま とくや、1890年(明治23年)… 坪山 徳弥(徳彌、つぼやま とくや、1890年(明治23年)11月15日 – 1970年(昭和45年)12月28日)は、大正から昭和期の農業指導者、政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、栃木県河内郡姿川村長。栃木県を代表する戦後昭和期の農業指導者。 栃木県河内郡姿川村下欠(現宇都宮市)で、坪山弥重、トモの二男として生まれる。1910年(明治43年)栃木県立宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を卒業した。 その後、家業の農業に従事。徴兵され、その後、陸軍砲兵中尉に昇進し、帝国軍人教育会地方委員、帝国在郷軍人会姿川分会長、同河内郡連合分会長などを務めた。また、地方森林会議員、栃木県馬匹畜産組合連合会副会長、同養蚕組合連合会副会長などにも就任した。
村瀬 直養(むらせ なおかい、1890年10月12日 - 1… 村瀬 直養(むらせ なおかい、1890年10月12日 - 1968年8月8日)は、日本の商工官僚、政治家、実業家。商工次官、貴族院議員、法制局長官、綜合計画局長官。 栃木県宇都宮市出身。本籍・愛知県。村瀬七三郎の長男として生まれる。 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、兵庫県立洲本中学校(現・兵庫県立洲本高等学校)、第五高等学校を経て、1914年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を優等で卒業し銀時計を授与された。1913年11月、文官高等試験に合格し、1914年7月、農商務省に入り農商務属・大臣官房文書課に配属された。 鉱業監督官、兼工場監督官、兼農商務参事官、法制局参事官、内閣書記官・内閣官房会計課長、法制局第二部長などを歴任し、その間1925年に農商務省が農林省と商工省に分割され、商工省に属した。
岩木山 孫平(いわきやま まごへい、1890年8月13日 -… 岩木山 孫平(いわきやま まごへい、1890年8月13日 - 1934年6月25日)は、現在の栃木県宇都宮市出身(出生地は福島県白河市)で清見潟部屋に所属した大相撲力士。本名は横越 孫平(旧姓兼子)。7代清見潟。171cm、87kg。最高位は東前頭6枚目。 1906年1月初土俵、1910年6月新十両昇進。一時幕下に陥落していたが、1912年1月に十両に復帰した後、1915年1月に十両優勝を記録し、1915年6月に新入幕。土俵度胸が良く、立ち合いからの駆け引きもうまく、上突っ張りから右四つ、寄りの速い取り口を得意とした。いつもニコニコして、力士仲間からは「孫さん」と言われ親しまれた。二枚鑑札となった1920年5月に引退し、その後は木戸部長を務めて1930年に廃業した。
6代上野 松次郎(うえの まつじろう、1887年〈明治20年… 6代上野 松次郎(うえの まつじろう、1887年〈明治20年〉8月31日 - 1954年〈昭和29年〉10月5日)は、日本の商人(油屋、肥料商)、政治家(貴族院議員)、栃木県多額納税者、実業家、銀行家。下野貯蓄銀行頭取。前名・順一。勲四等。 栃木県宇都宮市本郷町出身。上野松次郎の長男。1936年、父・松次郎の隠居により家督を相続し、翌1937年に6代目松次郎を襲名し、家業の肥料商を継承した。 また銀行、会社の重役であった。宇都宮商工会議所会頭、栃木県農工銀行頭取、下野貯蓄銀行頭取。また1925年(大正14年)に鹿沼銀行、宇都宮銀行、下野実業銀行、喜連川銀行、烏山産業銀行、今市銀行が合同して発足した下野中央銀行の頭取となった。
半田 神来(はんだ しんらい、1882年〈明治15年〉10月… 半田 神来(はんだ しんらい、1882年〈明治15年〉10月15日 - 1956年〈昭和31年〉)は日本の書家。本名は半田時之進。 半田丑松とチイの長男として[独自研究?]、栃木県河内郡野澤村(現・宇都宮市野沢)に生まれる。旧制宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)を卒業。 旧制宇都宮商業、佐野中学校、花巻高等女学校に在職。1926年(大正15年)群馬師範学校に転任し1932年(昭和7年)まで勤務。退職後は桐生に在住し、晩年に郷里宇都宮に戻った。叙従七位。 書は岩田鶴皐、近藤雪竹、比田井天来に学ぶ。天来の書学院教授も務めた。天来の死去の際は、葬儀委員長を仰せつかっている。月刊誌『大成』を刊行して後進を指導した。
小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年〈明治13年〉3月2… 小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年〈明治13年〉3月22日 - 1950年〈昭和25年〉11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。山形県士族。山形県新庄市出身。 陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官を歴任後、予備役に編入された。その後平沼内閣と米内内閣で拓務大臣、朝鮮総督(第8代)を務め、太平洋戦争中にサイパン失陥を受け辞職した東條英機の後継として1944年(昭和19年)に内閣総理大臣に就任した(小磯内閣)。悪化の一途をたどる戦局を挽回できず、中華民国との単独和平交渉も頓挫し、1945年(昭和20年)4月に総理を辞任し鈴木貫太郎に後を譲った。
小山 満雄(おやま みつお、1877年(明治10年)3月9日… 小山 満雄(おやま みつお、1877年(明治10年)3月9日 - 1936年(昭和11年)12月25日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争では第三軍の一員として戦い、のち歩兵第十六連隊長を務めた陸軍少将である。 旧会津藩藩士小山満峻の長男として宇都宮に生まれる。満峻は戊辰戦争後に栃木県に勤務した。小山は陸軍士官学校9期で、稚松会創立会員の一人。陸士同期では武川寿輔などが同様であった。小山の原隊は歩兵第十五連隊(高崎)、兵科は歩兵であり、1898年(明治31年)6月に歩兵少尉へ任官している。中尉時代に日露戦争に出征し、旅順で二〇三高地の攻略戦に加わった。1904年(明治)37年8月大尉に進級し、奉天会戦では田義屯の戦いに功績があった。
斎藤 太兵衛(さいとう たへえ、1876年〈明治9年〉4月1… 斎藤 太兵衛(さいとう たへえ、1876年〈明治9年〉4月1日 - 1961年〈昭和36年〉12月12日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(3期)。幼名・善次郎。 栃木県、現在の宇都宮市で、斎藤太平の長男として生まれた。1901年、国民英学会で学ぶ。宇都宮市議、同参事会員、同議長、宇都宮商業会議所特別議員、同副会頭となる。宇陽幼稚園長、下野三楽園理事、下野興業銀行頭取、下野中央銀行、下野貯蓄銀行、下野新聞、宇都宮軌道各(株)取締役、宇都宮瓦斯(株)社長、栃木県農工銀行監査役となる。 1917年の第13回衆議院議員総選挙において宇都宮市部から立候補したが落選。1920年の第14回衆議院議員総選挙では栃木1区から憲政会公認で立候補したが48票差で落選。
岸上 克己(きしがみ かつみ、1873年11月26日 - 1… 岸上 克己(きしがみ かつみ、1873年11月26日 - 1962年6月21日)は明治時代から昭和時代中期にかけて活動した日本のジャーナリスト、労働運動家。 筆名は香摘(こうてき)。栃木県出身。 栃木県河内郡宇都宮町(現在の宇都宮市)で元宇都宮藩の士族・岸上安敬の四男として生まれる。尋常小学校の頃は成績優秀であったが、教師に吃音をからかわれたことが原因で不登校となったため、従兄を頼って埼玉県北足立郡浦和町(現在のさいたま市浦和区)へ移り住んだ。 従兄は印刷工を営んでいたが、ここで知り合った高木旭山の誘いにより劣悪な環境での労働を強いられていた工員の待遇改善活動へ身を投じ、活版工懇話会の設立に参加して機関紙の編集委員となった。
青井 鉞男(あおい えつお、明治5年8月10日〈1872年9… 青井 鉞男(あおい えつお、明治5年8月10日〈1872年9月12日〉 - 1937年〈昭和12年〉9月17日)は、日本のアマチュア野球選手(投手)で、学生野球の指導者。 日本の野球史の草分け期に大きな功績を残し、また後進者の育成に大きく寄与したことが讃えられ、1959年(昭和34年)の野球殿堂創設時に初めて特別表彰者として殿堂入りした。 栃木県(当時は宇都宮県)河内郡宇都宮市出身。父は元宇都宮藩藩士の青井雅造。栃木県中学校(その後の宇都宮中学校、現在の栃木県立宇都宮高等学校)を卒業後、1892年(明治25年)に旧制一高へ進学。一高ベースボール部で主戦投手として活躍した。「千本素振り」は鉞男の練習方法の真骨頂であった。
小室 重弘(こむろ しげひろ、1858年(安政5年9月)- … 小室 重弘(こむろ しげひろ、1858年(安政5年9月)- 1908年(明治41年)6月13日)は、明治期のジャーナリスト、政治家、詩人。衆議院議員。号・屈山。 武蔵国江戸、のちの東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(東京市渋谷区を経て現東京都渋谷区)の宇都宮藩江戸藩邸で同藩士の家に生まれる。漢籍を修めた。 佐久山で自由民権運動を進めた。田中正造の要請で栃木新聞(現下野新聞)幹事に就任し、栃木県会書記となる。国会開設運動に加わる。1881年(明治14年)自由新聞に転じ、新中新報に移った。その後、長野県で活動。1889年(明治22年)新愛知新聞主筆に就任した。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(愛知県第2区、自由党)で初当選し、その後、第5回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
五味 卯三郎(ごみ うさぶろう、1855年8月28日〈安政2… 五味 卯三郎(ごみ うさぶろう、1855年8月28日〈安政2年7月16日〉 - 1923年〈大正12年〉9月1日)は、日本の政治家、資産家、地主。東京府会議員、東京市会議員、神田区会議員。族籍は東京府平民。 栃木県宇都宮の人で、宇都宮藩士・五味吉房の二男。1869年、東京に出て吉川慎堂の門に入り漢籍・洋書を学んだ。1875年、分かれて一家を創立した。 1873年、樺太に渡り、後九州に於いて警察官となり西南戦争に従う。1879年、兄が病んで没した。卯三郎は官を辞めて上京し、遺子・保に其の後を継がせ、自ら分家した。 1892年、神田区会議員に挙げられ、以来20有余年間毎回当選した。1896年、東京府会議員に挙げられ、1897年、東京市会議員に選出された。
小島 憲之(こじま のりゆき、1855年8月2日〈安政2年6… 小島 憲之(こじま のりゆき、1855年8月2日〈安政2年6月20日〉- 1918年〈大正7年〉8月15日)は栃木県出身の建築家であり教育者。アメリカのコーネル大学建築学部を卒業、日本人で初めて建築の学士号を取得したとされる。旧制第一高等学校などで図学や英語を教え、多くの後進を育てた。東京芸術大学構内に残る赤レンガの建物(旧東京図書館書籍庫)は小島の作品である。 下野国河内郡雀宮(後の栃木県宇都宮市)で幕臣・小島信民の家に生まれる。旧名は作次郎、兄は信之。 明治維新後、横浜で外国人に英語を学び、1870年(明治3年)、大学南校に入学、アメリカ人教師ハリスに認められる。1873年(明治6年)学校を中退、ハリス、箕作佳吉とともにアメリカに渡り、ハートフォード中学に入学。
柏矢倉 千佳(かしやぐら ちか、12月9日 - )は、日本の… 柏矢倉 千佳(かしやぐら ちか、12月9日 - )は、日本のミュージシャン(トランペット奏者)。栃木県宇都宮市出身。血液型はB型。 作新学院高等学校、武蔵野音楽大学出身。 4歳からピアノ、11歳からトランペットを始め、小中高と吹奏楽部に所属し、作新学院高等学校では全国大会に出場する。 ブラスト2を観てトランペット奏者アダム・ラッパの華やかなパフォーマンスに憧れ、マーチングや振り付けのある演奏に力を入れ、武蔵野音楽大学在学中より、踊る女性ブラスバンド「THE RED CATS」のメンバーとして活動を始める。 その他に東京スカイツリー天空ナイトショー「WIPE UP!」(2016年)、銀座KENTO'S「BLESS of G.K.」、ビッグバンド、アーティストサポート、レコーディングなど多方面で活動中。
純市(じゅんいち、6月24日 - )は、日本のベーシスト。C… 純市(じゅんいち、6月24日 - )は、日本のベーシスト。CIVILIANのメンバーであり、ベース担当。栃木県宇都宮市出身。血液型A型。身長160cm。東京スクールオブミュージック専門学校渋谷卒業。本名は加藤 純市。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
久保井 美沙希(くぼい みさき、5月6日 - )は、日本の女… 久保井 美沙希(くぼい みさき、5月6日 - )は、日本の女性声優である。栃木県宇都宮市出身。 AbemaTV GX-伝説のキャバ嬢が女の子を大改革-番宣ナレーション
鮫島 彩 は、栃木県河内郡河内町(現・宇都宮市)出身の元女子… 鮫島 彩 は、栃木県河内郡河内町(現・宇都宮市)出身の元女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表。現役時のポジションはミッドフィールダー(サイドハーフ)、ディフェンダー (サイドバック)。常盤木学園高等学校出身。筑波大学大学院修了。
藤本 ケイ(ふじもと けい)は、日英バイリンガル・フリーアナ… 藤本 ケイ(ふじもと けい)は、日英バイリンガル・フリーアナウンサー。 栃木県の宇都宮市出身。栃木県立宇都宮女子高校在学中に、英語弁論大会栃木県代表として全国大会に出場。高校3年時にカリフォルニア州の高校へ一年間交換留学し、高校卒業後、再度渡米。米国バージニア州立ウィリアム・アンド・メアリー大学(The College of William and Mary)国際関係学部在学中は、メキシコの児童養護施設でのボランティア、ヨーロッパやアメリカを数か月バックパッカーとして一人で放浪するなど経験し、大学卒業後、帰国。英会話学校講師を経て、フリーアナウンサーへ。 スポーツ・情報番組等のレポーター、テレビニュースのキャスター、ラジオ番組のパーソナリティー、ナレーターなどを務め、バイリンガル司会として国際的式典、会議、イベントなど数多く担当している。
加藤 真樹子 は、日本のラジオDJ。栃木県宇都宮市出身。血液… 加藤 真樹子 は、日本のラジオDJ。栃木県宇都宮市出身。血液型O型。FM802と専属契約を結んでいる。
臼井 佳子(うすい よしこ)は、日本のアナウンサー。CRTア… 臼井 佳子(うすい よしこ)は、日本のアナウンサー。CRTアナウンススクール主任講師。栃木県宇都宮市出身。誕生日について、過去栃木放送(CRT)公式サイトで配信していたプロフィールでは「ミッキーマウスと同じ日(蠍座)」としていた。
秋山 絵理 は、日本の女性声優。栃木県宇都宮市出身。ケンユウ… 秋山 絵理 は、日本の女性声優。栃木県宇都宮市出身。ケンユウオフィス所属。
いとう かなこ は、日本の女性歌手。栃木県宇都宮市出身。血液… いとう かなこ は、日本の女性歌手。栃木県宇都宮市出身。血液型はAB型。既婚者。
神山 みさ は日本のゴスペルミュージシャン、シンガーソングラ… 神山 みさ は日本のゴスペルミュージシャン、シンガーソングライター。栃木県宇都宮市出身。
片嶋 一貴(かたしま いっき)は、日本の映画監督、脚本家、映… 片嶋 一貴(かたしま いっき)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。 栃木県宇都宮市出身。栃木県立宇都宮高等学校を経て早稲田大学政治経済学部を卒業した。 1995年、間寛平主演の『クレイジー・コップ 捜査はせん!』で映画監督デビュー。プロデューサーとしては、鈴木清順監督の『ピストルオペラ』や『オペレッタ狸御殿』などを手がけている。2003年、映像企画制作会社のドッグシュガーを設立。2011年、韓英恵を主演に迎えた監督作品『アジアの純真』がロッテルダム国際映画祭で上映された。2012年、監督作品『たとえば檸檬』が公開された。2017年、有森也実主演の『いぬむこいり』を監督した。 2024年、映画『福田村事件』の製作が評価され、エランドール賞 プロデューサー賞 奨励賞を受賞した。
細内 信孝(ほそうち のぶたか)は、日本のコミュニティ・ビジ… 細内 信孝(ほそうち のぶたか)は、日本のコミュニティ・ビジネス研究者、社会学者、経営学者、社会的企業家。コミュニティビジネス総合研究所所長、コミュニティ・ビジネス・ネットワーク会長 、「町の学校」校長を務める。元法政大学大学院兼任講師、元立教大学大学院兼任講師、元埼玉女子短期大学客員教授、元中央大学兼任講師。日本において最初にコミュニティ・ビジネスの概念を提唱した人物とされ、日本における第一人者である。 2001年福島県うつくしま未来博の近未来都市パラダイム『森にしずむ都市』のコンペにおいて、福島県知事賞、日本混相流学会会長賞を、タイセイ総合研究所と共同受賞している。2003年英国外務省より日英社会的起業家交流プログラムに日本代表の一員として招聘され、渡英した。
安藤 梢 は、栃木県宇都宮市出身の女子サッカー選手。日テレ・… 安藤 梢 は、栃木県宇都宮市出身の女子サッカー選手。日テレ・東京ヴェルディベレーザ所属。元サッカー日本女子代表。学位は体育科学博士(筑波大学大学院・2018年)。筑波大学 人間総合科学学術院 人間総合科学研究群 スポーツウエルネス学・助教。
岩瀬 顕子(いわせ あきこ)は日本の俳優・脚本家・プロデュー… 岩瀬 顕子(いわせ あきこ)は日本の俳優・脚本家・プロデューサー。旧芸名:岩瀬 晶子。 栃木県宇都宮市出身。とちぎ未来大使。米国ウィリアム・アンド・メアリー大学卒業。
パソコン太郎(パソコンたろう)は、日本のITコンサルタント、… パソコン太郎(パソコンたろう)は、日本のITコンサルタント、実業家。IT Supportパソコン太郎株式会社代表取締役。本名:大房剛樹。「パソコン太郎」をビジネスネームとして名乗っている。 他に、絵本作家。オンラインサロン運営など携わる。 栃木県宇都宮市出身。1997年(平成9年), 栃木県立宇都宮商業高等学校卒業後、2001年(平成13年)大原簿記専門学校大宮校税理士課程を修了。栃木県鹿沼市内の市立小学校・中学校の情報アドバイザー、株式会社鹿沼教材社勤務を経て、2011年11月にIT Supportパソコン太郎を個人事業主として創業。2015年1月にIT Supportパソコン太郎株式会社を法人化、代表取締役に就任。
関 李香 は、日本の元女子バレーボール選手。
若ノ勝 栄道 は、栃木県宇都宮市出身で湊川部屋(入門時は常盤… 若ノ勝 栄道 は、栃木県宇都宮市出身で湊川部屋(入門時は常盤山部屋)に所属している大相撲力士。本名は竹田 章一郎。身長177.5cm、体重135.6kg。最高位は東前頭11枚目(2026年7月場所)。得意手は突き・押し。部屋公式ホームページによると、好物は焼肉(特にミスジ、カルビ、タン)、苦手な食べ物はレバー。
新井 理(あらい おさむ)は、北海道放送(HBC)の社員、元… 新井 理(あらい おさむ)は、北海道放送(HBC)の社員、元アナウンサー。 栃木県宇都宮市出身。栃木県立宇都宮北高等学校、法政大学社会学部、学習院大学文学部卒業後、1993年4月北海道放送(HBC)に入社。 入社後、本社と旭川放送局でアナウンサーとして勤務し、2000年に人事異動により大阪支社へ営業として異動。テレビ・ラジオの営業として勤務後、2006年に再びアナウンサーとして本社へ異動。 その後、2009年にテレビ営業部へ異動。 2012年の人事異動で東京支社オーディオビジネス部へ異動。2021年には札幌本社へ戻り、オーディオビジネス局営業業務部へ、2025年には経営企画局総務部へ異動し広報担当を務める。
岩原 篤男(いわはら あつお)は、日本の吹奏楽指揮者。栃木県… 岩原 篤男(いわはら あつお)は、日本の吹奏楽指揮者。栃木県宇都宮市出身。 国立音楽大学器楽科フルート専攻を卒業後、スイスに留学。 帰国後、栃木県内の高等学校の音楽教諭かつ吹奏楽部顧問として足利女子高校、宇都宮北高校、真岡高校、石橋高校を歴任し、退職。各校を全国大会や東関東大会などの出場に導いた。 元・東関東吹奏楽連盟理事、元・栃木県吹奏楽連盟副理事長。現在は公益社団法人日本吹奏楽指導者協会栃木県部会長、一般社団法人日本フルート協会代議員、真岡市子供未来育成事業・吹奏楽指導者を務める。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
尾下 正伸(おした まさのぶ)は、日本の元プロボクサー。栃木… 尾下 正伸(おした まさのぶ)は、日本の元プロボクサー。栃木県宇都宮市出身。現在は東京都豊島区でキックボクシングジム「尾下塾」を経営。会長兼トレーナーを務めている。また、多くのプロ格闘家の試合のセコンドとしても活動している。 1984年当時は栃木県立宇都宮高校サッカー部で主将を務める。 1987年当時は中央大学キックボクシング部で主将を務める。 1989年に大学卒業後、証券会社に18ヵ月勤務。優秀な営業マンに贈られる社長賞を2回獲得するなど、持ち前の人懐こさとフットワークで、優秀な成績を収める[要出典]。 1994年、プロボクサーに転身。幼い頃からの夢を実現し、B級ランキング1位に登りつめる。 1996年、スパーリング中の目の怪我(網膜裂孔)により、3年間のプロボクサー生活にピリオドをうつ。
荒川 和久(あらかわ かずひさ)は、日本のコラムニスト。独身… 荒川 和久(あらかわ かずひさ)は、日本のコラムニスト。独身研究家として活動している。 栃木県宇都宮市出身。早稲田大学法学部卒業後に株式会社博報堂へ入社し、自動車・飲料・食品・化粧品などのプロモーションを担当する。2014年に博報堂ソロ男子プロジェクト(現:博報堂ソロもんラボ)を立ち上げた。それ以来、日本の独身男女を研究する「独身研究家」として知られるようになった[誰?]。 現在は、宣伝会議において男性消費をテーマとした講座のレギュラー講師および、Yahoo!ニュース エキスパートを勤める。コラムニストとしての主な論点は「日本で出生数が減少したのは、婚姻数が減少しているから」といったものがある。
県 勇記(あがた ゆうき)は、下野宇都宮藩の家老。明治時代の… 県 勇記(あがた ゆうき)は、下野宇都宮藩の家老。明治時代の司法官僚。諱は信輯(のぶつぐ)。 宇都宮藩の家老・安形半左衛門通義の長男として宇都宮城の安形邸で生まれる。初めの姓は安形であり、名の勇記は晩年に名乗ったものである。 天保10年(1839年)に元服し、弘化3年(1846年)より千葉周作の門下に入って剣術を学んだ。弘化4年(1847年)には清水赤城の門下に入って兵学を学ぶ。嘉永元年(1848年)に伊豆において私塾を開き、主に農政について論じたというが、安政3年(1856年)に帰藩した。安政4年(1857年)に県と改姓する。この頃、篠井金山の開発見込みを聞いて採掘に乗り出すも、2年で事業は失敗に終わった。