小竹 凱(おだけ かい、1998年〈平成10年〉5月17日 … 小竹 凱(おだけ かい、1998年〈平成10年〉5月17日 - )は、日本の政治家。国民民主党所属の衆議院議員(2期)。 石川県金沢市出身。2011年3月、金沢市立米丸小学校を卒業。2014年3月、金沢市立高岡中学校を卒業。2019年3月、石川工業高等専門学校建築学科卒業し、同年4月、大林組に入社。2023年5月に4年間勤めた大林組を依願退職し、政治家を志して翌6月には国民民主党石川県連青年局長に就任した。また青年局長時代の2023年8月15日からは国民民主党公認団体の国民民主党学生部に参加、10月14日の学生部全体大会で北信越統括部長として公認候補予定者内定の2024年5月まで活動した。 2024年5月7日に次期衆議院選挙に国民民主党石川県第1区公認候補予定者に内定し、2024年10月27日実施の第50回衆議院議員総選挙に石川県第1区から立候補。
安田 真理(やすだ まり、1978年7月19日 - )は、日… 安田 真理(やすだ まり、1978年7月19日 - )は、日本の政治家、フリーアナウンサー。立憲民主党所属の東京都杉並区議会議員(1期)。フリーアナウンサーとしてはエス・オー・プロモーション所属。 石川県金沢市出身。石川県立金沢二水高等学校を経て、2002年3月、金沢大学教育学部保健体育コース卒業。同年から4年間、NHK富山放送局にて契約キャスターとして勤務。 契約満了後、帰郷し2006年石川テレビに入社、2012年3月31日をもって同社を退職。 石川県内の地上デジタル放送推進大使ではただ一人の地元出身者であった。ただ、仕事の都合によっては同僚に代役を任せる場合もあった。 女優として脚本・鈴木三世、磐木大、中島彰則、演出・黒田アーサー『バイオハザードカフェで朝食を』に出演。
田中 美絵子(たなか みえこ、1975年12月16日 - )… 田中 美絵子(たなか みえこ、1975年12月16日 - )は、日本の政治家。民進党所属の元衆議院議員(1期)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のタレント。
松平 浩一(まつだいら こういち、1974年9月16日 ‐ … 松平 浩一(まつだいら こういち、1974年9月16日 ‐ )は、日本の政治家、弁護士。立憲民主党所属の元衆議院議員(1期)。 石川県金沢市出身。深溝松平家の末裔にあたる。1993年、金沢大学附属高等学校卒業。1999年、上智大学経済学部卒業。2003年、司法試験合格。弁護士としてベーカー&マッケンジー法律事務所に勤務し、国際取引、M&A、企業再生案件などに携わる。その間、グリー、ソニー、ヤフー及びYJキャピタルに出向、インターネット関連、スタートアップ支援業務に従事した。シンガポールにてプロサッカークラブ(アルビレックス新潟シンガポール)を創設・運営、FIFA公認エージェントとして選手の海外・国内移籍業務を行うほか、公益財団法人日本サッカー協会規律・フェアプレー委員等を歴任するなどサッカー関連の活動も多い。
黒口 啓一郎(くろぐち けいいちろう、1974年 - )は、… 黒口 啓一郎(くろぐち けいいちろう、1974年 - )は、金沢市議会議員(1期目)。元テレビ金沢の記者・アナウンサー。新潟テレビ21の記者。防災士。株式会社AMSの元役員、特定非営利活動法人「Web Directors Forum」の元代表理事。石川県金沢市出身・在住。 石川県金沢市出身。金沢市立新竪町小学校(現・金沢市立犀桜小学校)、金沢市立城南中学校卒業。石川県立金沢泉丘高等学校、新潟大学経済学部を卒業後、1997年4月に新潟テレビ21へ入社。同局在籍時には報道部で記者を務めていた。 新潟テレビ21を退社後、2003年10月にテレビ金沢に入社。報道制作局報道部の記者を経て2005年にアナウンサーとなり、『びービーみつばち』『テレビ金沢ニュースプラス1』『ズームイン!!SUPER』などに出演。
川 裕一郎(かわ ゆういちろう、1971年10月27日 - … 川 裕一郎(かわ ゆういちろう、1971年10月27日 - )は、日本の政治家、実業家。参政党所属の衆議院議員(1期)、参政党副事務局長(第2代)。 金沢市議会議員(1期)、石川県議会議員(5期)、参政党副代表などを歴任。 石川県金沢市出身。藤花学園尾山台高等学校を経て北陸コンピュータ専門学校を卒業。地元の情報通信企業に就職して会社役員にまでなるが、人生を懸ける仕事でないと考え退職。 情報通信企業退職後に福祉の資格を取り福祉関連会社を設立して代表取締役に就任。福祉の現場で弱者に光が当たっていないことを目の当たりにしたために、社会を変えるために政治家になることを決意。2007年の金沢市議会議員選挙に民主党公認で出馬し、4984票を得てトップ当選。
平山 佐知子(ひらやま さちこ、1971年1月3日 - )は… 平山 佐知子(ひらやま さちこ、1971年1月3日 - )は、日本のフリーアナウンサー、政治家。参議院議員(2期)。 静岡県庵原郡蒲原町(現・静岡市清水区蒲原)に生まれ、石川県金沢市で育った。前者は父親の出身地で、後者は父親の勤務地。金沢高等学校を卒業と同時に静岡県に引っ越す。その際、浜松市在住の親戚の薦めで、磐田市に転居。 日本福祉大学女子短期大学部保育学科を卒業後、静岡県浜松市の河合楽器製作所に入社。総務部庶務課に配属され、4年半勤務、都市対抗野球のチームマスコットを務めたこともある。 退職後、若いうちに様々な経験を積みたいと考えモデル事務所に所属しファッションショーやCM、イベントの司会、民放のテレビ番組などで3年あまり活動。
岡田 直樹(おかだ なおき、1962年〈昭和37年〉6月9日… 岡田 直樹(おかだ なおき、1962年〈昭和37年〉6月9日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(4期)。同党参議院幹事長代行、石川県連会長。 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、地方創生、規制改革、クールジャパン戦略、アイヌ施策)、デジタル田園都市国家構想担当大臣、国際博覧会担当大臣、行政改革担当大臣(第2次岸田第1次改造内閣)、内閣官房副長官(第4次安倍第2次改造内閣・菅義偉内閣)、財務副大臣(第3次安倍第1次改造内閣)、国土交通大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、参議院国土交通委員長、石川県議会議員(1期)、自由民主党参議院国会対策委員長を歴任した。 石川県金沢市出身(現住所は同市窪5丁目)。
山野 之義(やまの ゆきよし、1962年〈昭和37年〉3月3… 山野 之義(やまの ゆきよし、1962年〈昭和37年〉3月30日 - )は、日本の政治家、金沢大学客員教授。公選第21代石川県知事。金沢市長(3期)、金沢市議会議員(4期)を歴任した。 石川県金沢市生まれ。金沢市立中央小学校、金沢市立野田中学校卒業。1980年3月、石川県立金沢泉丘高等学校卒業。1987年3月、慶應義塾大学文学部仏文科を卒業。1990年4月、ソフトバンクに入社。1994年8月31日、ソフトバンクを退社。 1995年4月の金沢市議会議員選挙に立候補し初当選。以後連続4選。市議時代は自民党に所属した。 2010年11月9日に市議を辞職。自民党を離党した上で自民党金沢支部・日本創新党の推薦を受けて金沢市長選挙に立候補。
長田 哲也(ながた てつや、1959年9月26日 - )は、… 長田 哲也(ながた てつや、1959年9月26日 - )は、日本の政治家。石川県議会議員(2期)。元北陸放送(MRO)アナウンサー、同社元報道制作局アナウンス部長。 石川県金沢市出身、星座はてんびん座。妻は元MROアナウンサーの金原ゆかり。 金沢市立額小学校・金沢市立額中学校・石川県立金沢二水高等学校卒業。立教大学文学部フランス文学科卒業後の1984年4月、MROに入社(同期に坂谷順子)。報道制作局アナウンス部に所属し、報道番組のキャスターや記者として活動。2018年10月末をもって退社。 退社に先立つ2018年10月14日、石川県議会議員(当時)の義父・金原博の後援会の席で、金原の後継として2019年石川県議会議員選挙へ出馬する意向を表明。
奥田 建(おくだ けん、1959年〈昭和34年〉1月16日 … 奥田 建(おくだ けん、1959年〈昭和34年〉1月16日 - 2021年〈令和3年〉6月22日)は、日本の政治家。 衆議院議員(4期)、国土交通副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)を務めた。 父は、竹下派七奉行の一人に名を連ねた衆議院議員の奥田敬和。 石川県金沢市生まれ。金沢市立菊川小学校、金沢市立城南中学校、石川県立金沢泉丘高等学校、日本大学理工学部卒業。大林組を経て、1987年に治山社に入社。1990年同社取締役、1997年同社専務取締役。1998年、父の奥田敬和が第18回参議院議員通常選挙の直後に死去。衆議院石川1区補欠選挙に民主党公認で出馬し初当選。2000年の第42回衆議院議員総選挙では自由民主党公認の馳浩に石川1区で敗れ、重複立候補していた比例北陸信越ブロックで復活当選。
田村 敏和(たむら としかず、1957年(昭和32年)3月4… 田村 敏和(たむら としかず、1957年(昭和32年)3月4日 - )は、日本の政治家。石川県白山市長(1期)。 石川県金沢市出身。金沢大学教育学部卒業。白山市内の中学校校長や市教育センター所長などを務め、2021年4月白山市教育長に就任。 2023年3月6日白山市長山田憲昭は市役所内で転倒により脳挫傷、3月10日に死去した。市選挙管理委員会は後任を決める市長選挙を統一地方選挙の臨時特例法に基づき、第20回統一地方選挙後半戦となる4月16日に告示、同月23日に投開票することを決定した。4月2日白山市議会の候補者選考委員会は市教育長の田村敏和を擁立。これを受け、自民党白山市連合支部は役員会で田村への推薦を決定。
徳野 英治(とくの えいじ、1954年12月2日 - )は、… 徳野 英治(とくの えいじ、1954年12月2日 - )は、日本の宗教家、政治家。世界平和統一家庭連合の日本統一教会第11代・13代会長、平和大使協議会会長、一般財団法人国際ハイウェイ財団会長を歴任した。 石川県金沢市生まれ。門前町立諸岡小学校、門前町立門前中学校卒業。石川県立金沢二水高等学校に入学。 カトリックの教会に通っていた1970年12月、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と出会う。それから3か月間は両方の教会に通い、1971年4月11日に統一教会へ入信した。1979年3月、富山大学経済学部卒業。 原理研究会(CARP)は当時、大学ごとに一戸建ての家を賃借し、「学舎」もしくは「ホーム」と名付け、勧誘した学生と共同生活を行っていた。
田中 直紀(たなか なおき、1940年〈昭和15年〉6月19… 田中 直紀(たなか なおき、1940年〈昭和15年〉6月19日 - )は、日本の政治家、実業家。越後交通代表取締役会長。 外務政務次官(宇野内閣、第1次海部内閣)、農林水産副大臣(初代)、防衛大臣(第10代)、参議院議員(3期)、衆議院議員(3期)を歴任した。旧姓は鈴木。父は、内務官僚、自由党衆議院議員であった鈴木直人。妻は越後交通グループ前会長で現相談役である田中眞紀子。 石川県金沢市生まれ。現在は新潟県在住。武蔵高等学校中学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学卒業後は日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)に入社。1969年に田中角栄元総理の長女・田中眞紀子と結婚して田中家に婿入りし、姓を田中に改める。
山出 保(やまで たもつ、1931年〈昭和6年〉11月27日… 山出 保(やまで たもつ、1931年〈昭和6年〉11月27日 - 2025年〈令和7年〉7月14日)は、日本の政治家。石川県金沢市出身。石川県金沢市長(5期)、全国市長会会長(第26代)、石川県市長会会長、石川県中小企業団体中央会会長を歴任した。位階勲等は正四位旭日重光章。 山出は市長在任中に様々な政策を実行してきた。中でも重点を置いてきたのが「歴史都市づくり」であった。住居表示制度で消滅した旧町名を復活させる「旧町名復活運動」を全国で先駆けて実施したことも知られている。これ以外にも、在任中には以下の政策も実施した。 山出は金沢市と隣接する野々市町(現:野々市市)との合併を念頭にして、金沢市の政令指定都市への昇格を構想していた。
金原 博(かなはら ひろし、1930年 <昭和5年> 2月1… 金原 博(かなはら ひろし、1930年 <昭和5年> 2月16日 - 2020年 <令和2年> 9月30日)は、日本の政治家。階は正五位。 石川県議会議員(12期)、石川県議会議長、金沢市議会議員(1期)、新進石川会長(初代)、江蘇省栄誉公民などを務め、石川県議会における非自民の中心勢力である新進石川を長らく率いた。元北陸放送アナウンサーで、2019年の石川県議会議員選挙で当選した長田哲也は次女ゆかり (元北陸放送アナウンサー、現フリー)の夫。 金沢市生まれ。石川県立金沢桜丘高等学校卒業。1967年より金沢市議会議員を1期務め、1971年、41歳で石川県議会議員に自由民主党公認で初当選。以後当選を続け県議会議長や自民党県連幹事長などを歴任。
沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12… 沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12日 ‐ 2024年〈令和6年〉1月30日)は、日本の建設官僚、政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、通商産業省政務次官(宮澤内閣)、環境副大臣(第二次森改造内閣)、国家公安委員会委員長(第73代)兼内閣府特命担当大臣(防災担当)(第5代)、参議院政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長、自由民主党参議院政策審議会長などを歴任。 石川県金沢市出身。金沢一中を経て1950年に第四高等学校を卒業し、1953年、東京大学工学部(土木工学)を卒業した。 1953年、建設省に入省し、道路局長などを経て、1985年12月27日、建設技監を最後に退官した。
和田 静夫(わだ しずお、1926年(大正15年)10月1日… 和田 静夫(わだ しずお、1926年(大正15年)10月1日 - )は、日本の労働運動家、政治家。元参議院議員(3期)、元衆議院議員(1期)。 石川県金沢市生まれ。金沢一中、専修大学法学部を経て、1957年(昭和32年)同大大学院法学研究科私法学専攻を修了。東京都庁に入り新宿区役所に勤務。全日本自治団体労働組合組織部長などを経て、1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙で日本社会党から全国区に立候補し初当選(以後10回・12回と連続3選)。以降3期目の任期終了直前まで務めた。1970年(昭和45年)11月には参議院決算委員会で、自民党と産経新聞の癒着について質している。 1986年(昭和61年)7月6日執行の衆参同日選挙となった第38回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補。
桂木 鉄夫(桂木鐵夫、かつらぎ てつお、1920年10月29… 桂木 鉄夫(桂木鐵夫、かつらぎ てつお、1920年10月29日 - 2001年7月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 石川県金沢市出身。石川県立金沢第一中学校を経て早稲田大学卒業。 八重洲地下街社長、滋賀県副知事(1959年7月1日 - 1962年12月21日)を経て1967年、第31回衆議院議員総選挙に石川県第1区から無所属から出馬し当選。 1969年、第32回衆議院議員総選挙に自由民主党から出馬し落選、1972年、第33回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し落選。 2000年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章受章。2001年7月9日、脳出血のため死去、80歳。死没日をもって従五位に叙される。
任田 新治(とうだ しんじ、1909年(明治42年)5月19… 任田 新治(とうだ しんじ、1909年(明治42年)5月19日 - 1970年(昭和45年)12月16日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)。金沢工業大学教授。 石川県金沢市出身。瓢箪町小学校、旧制石川県立金沢第三中学校、旧制第四高等学校、東京帝国大学農学部卒業。大学を出た1934年(昭和9年)は満洲国への移民の呼び声があった時代で自らも現地へ赴き、終戦まで開拓地建設とその土地改良、農業土木事業に勤しんだ。終戦後は妻や娘とともにソビエト連邦に抑留され、1946年(昭和21年)に引き揚げ、農林省に入る。 金沢農地事務局課長、奈良県農地部長を歴任して1955年(昭和30年)本省に戻る。1963年(昭和38年)北陸農政局長。
江川 昇(えがわ のぼる、1909年(明治42年)3月25日… 江川 昇(えがわ のぼる、1909年(明治42年)3月25日 - 2013年(平成25年)1月20日)は、日本の政治家。金沢市長を3期12年務めた。 石川県金沢市出身、石川県農学校(現・石川県立翠星高等学校)卒業後石川県庁に入庁。金沢市助役を15年務めた後、1978年12月1日、岡良一の病気辞任に伴う金沢市長選挙に当時の主要全政党(自民・社会・公明・民社・共産・新自由クラブ・社民連)の推薦を受けて立候補、無投票で初当選。1982年11月21日、自民・社会・公明・民社の推薦、共産の支持を受け、再選を果たす。1986年11月16日、自民・社会・公明・民社の推薦を受け、共産推薦候補を破り三選。1990年8月14日、3期限りで引退することを表明した。
岡 良一(おか りょういち、1905年(明治38年)2月14… 岡 良一(おか りょういち、1905年(明治38年)2月14日 - 1994年(平成6年)5月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)、金沢市長(第24-25代)。医学博士。 石川県金沢市出身。金沢市長として革新市政を貫いた人物である。 学生時代での文芸活動中に社会主義に出会い、1927年に労働農民党に入党。これが岡の革新市政の原点となる。1937年に社会大衆党に入党し、第2次世界大戦後は日本社会党を経る。 1975年には秋の叙勲で勲二等旭日重光章を受け、1987年には金沢市名誉市民として表彰を受けている。
殿田 孝次(とのだ こうじ、1904年2月27日 - 194… 殿田 孝次(とのだ こうじ、1904年2月27日 - 1949年8月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 石川県金沢市出身。1927年早稲田大学法律科卒業。アメリカのセントローレンス大学に留学し、政治学を学んだ。その後、帝国通信社政治部記者となり、渡米。帰国後は読売新聞政治部記者として、国際外交評論家となる。その後、中国に渡り、日本大使館上海事務所、中国銀行、交通銀行、物資統制審議委員会上海事務所、全国経済委員会顧問室各嘱託となる。帰国後は広瀬豊作大蔵大臣秘書官(大蔵省嘱託)、国民政府行政院顧問、外務省嘱託などを歴任した。 1942年の翼賛選挙に郷里の石川1区から無所属(非推薦)で出馬し、落選。
三好 竹勇(みよし ちくゆう、1902年(明治35年)4月1… 三好 竹勇(みよし ちくゆう、1902年(明治35年)4月13日 - 1987年(昭和62年)11月25日)は、昭和期の漁業経営者・政治家。衆議院議員。 石川県金沢市出身。1927年(昭和2年)金沢医科大学附属薬学専門部を卒業した。 北海道白老郡白老村(現白老町)に移住し、漁業、薬局、整骨院を営む。1933年(昭和8年)から1947年(昭和22年)まで白老村会議員に在任。所得税調査委員、白老商業協同組合理事長、苫小牧工業学校(現北海道苫小牧工業高等学校)嘱託教師、胆振漁業会会長などを務めた。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第4区から民主党所属で出馬して当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙では落選し、衆議院議員を1期務めた。
石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月… 石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月13日 - 1995年〈平成7年〉1月23日)は、日本の官僚、政治家。山形県知事、法制局長官、民主党初代幹事長などを務めた。 石川県金沢市出身。東京府立四中、第一高等学校、東京帝国大学法律学科卒業。山形県知事、農林次官、枢密院書記官長などを歴任。幣原内閣において、法制局長官(専任)、国務大臣兼法制局長官を務めた。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に山形県全県区から出馬し初当選。日本進歩党政務調査会長、民主党初代幹事長に就任し、戦後の混乱期の収拾に尽力した。また、日本生活協同組合連合会会長理事、日本生活協同組合名誉顧問、日ソ協会会長などの要職も歴任した。
森島 守人(もりしま もりと、1896年2月16日 - 19… 森島 守人(もりしま もりと、1896年2月16日 - 1975年2月17日)は、日本の外交官、政治家。位階は従三位。 衆議院議員(3期)。満州事変発生時に現地・奉天総領事代理の地位にあり、日米開戦時のニューヨーク総領事、ポルトガル公使などを務めた。 石川県金沢市の医師 森島彦夫・民生夫妻の長男として生まれる。金沢第一中学校、第一高等学校を経て、1919年、東京帝国大学法学部独法科を卒業。同年外務省入省。1928年から1935年まで、ハルビン総領事及び奉天総領事代理を務めた。1931年9月、奉天近郊で起きた柳条湖事件(時の外相は幣原喜重郎)から翌1932年3月の満洲国成立までに至る対応で苦慮し、1933年2月に蜂谷輝雄が奉天総領事に着任した。
箸本 太吉(はしもと たきち、1892年(明治25年)7月1… 箸本 太吉(はしもと たきち、1892年(明治25年)7月16日 – 1961年(昭和36年)7月25日)は、衆議院議員(立憲政友会)、外務参与官。ジャーナリスト。 石川県金沢市出身。日本大学で学んだ後、『中外商業新報』政治部記者となり、ロンドン特派員を務めた。その後『萬朝報』に入社し、常務取締役営業局長・編集局長、専務取締役・主筆を歴任した。また平沼騏一郎日本大学総長の秘書や日本大学講師を務めた。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に石川県第1区から出馬し、初当選。合計で5期務めた。その間、平沼内閣で外務参与官に就任した。 1946年(昭和21年)、大政翼賛会の推薦議員のため、公職追放となった。
江川 為信(えがわ ためのぶ、1890年6月18日 - 19… 江川 為信(えがわ ためのぶ、1890年6月18日 - 1969年10月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、石川県議会議員(5期)、石川県農業会長。 1890年、石川県石川郡額村に生まれる。野々市小学校を卒業。1927年県議選に当選し、1944年に辞職するまでつとめる。その間、石川県名誉職参事会員に5回も選出され、政友会石川支部の幹事長にもなった。また、多年に渡って農政に尽くし、1935年に石川郡農会長に、1943年から1947年までは石川県農業会長も歴任した。
林屋 亀次郎(はやしや かめじろう、1886年〈明治19年〉… 林屋 亀次郎(はやしや かめじろう、1886年〈明治19年〉6月1日 - 1980年〈昭和55年〉5月4日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(3期)。 現在の石川県金沢市出身。製茶業を営む父新兵衛の8男として生まれる。金沢商業学校卒業。 1930年(昭和5年)金沢市内に当時としては数少ない鉄筋コンクリートの商業ビルを建設、テナントとして三越金沢店を入居させる。1935年(昭和10年)三越との契約切れを待って同年9月に丸越百貨店を開業するが、1943年(昭和18年)12月21日に戦時統合により宮市大丸百貨店と合併し大和百貨店となり会長に就任。このとき社長に就任したのが後に第3回参議院議員通常選挙では現職閣僚ながら落選した際の相手候補となった井村徳二であった。
永井 柳太郎(ながい りゅうたろう、1881年〈明治14年〉… 永井 柳太郎(ながい りゅうたろう、1881年〈明治14年〉4月16日 - 1944年〈昭和19年〉12月4日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の政党政治家。憲政会・立憲民政党所属。大日本育英会(現:日本学生支援機構)創立者。族籍は東京府士族(旧加賀藩士)。 石川県金沢の貧しい小学教員の家庭に生まれる。石川県士族・永井登の長男。 新堅町尋常小学校、長町高等小学校を経て旧制石川県尋常中学(現:石川県立金沢泉丘高等学校)に入学するも喧嘩が原因で中退し、1897年(明治30年)に同志社尋常中学校3学年に編入するもストライキを起こして中退。関西学院普通学部を経て1905年(明治38年)に早稲田大学大学部政治経済学科を卒業する。
松谷 與二郎(略字表記「松谷与二郎」、まつたに よじろう、1… 松谷 與二郎(略字表記「松谷与二郎」、まつたに よじろう、1880年6月4日 - 1937年3月17日)は、日本の政治家、衆議院議員、弁護士、社会活動家。 石川県金沢市生まれ。1903年、明治法律学校卒業。 1914年に弁護士を開業し、虎の門事件で難波大助の国選弁護人を引き受けるなど、社会運動、小作争議の弁護活動に活躍する。 1926年、日本労農党創立に参加、全国大衆党、全国労農大衆党の顧問を務める。1930年、第17回衆議院議員総選挙において東京6区から日本大衆党の候補として出馬し、衆議院議員に初当選する。その後全国大衆党・全国労農大衆党を経て、1932年には社会大衆党の顧問に就く。しかし満州事変の評価をめぐって社大党と対立して離党し、以後新日本建設同盟・国民同盟・日本国家社会党を経て、1934年に勤労日本党総理となった。
伍堂 卓雄(ごどう たくお、1877年(明治10年)9月23… 伍堂 卓雄(ごどう たくお、1877年(明治10年)9月23日 - 1956年(昭和31年)4月7日)は、日本の政治家、実業家、海軍造兵中将。東京府士族。正三位。工学博士。
阿部 信行(あべ のぶゆき、1875年〈明治8年〉11月24… 阿部 信行(あべ のぶゆき、1875年〈明治8年〉11月24日 - 1953年〈昭和28年〉9月7日)は、日本の陸軍軍人、政治家。 陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期(恩賜)、陸軍大将。位階は正二位。勲等は勲一等。 予備役編入後、内閣総理大臣(第36代)、外務大臣(第59代)、翼賛政治会総裁(初代)、貴族院議員、朝鮮総督(第9代)を歴任した。 石川県金沢生まれ。父は旧金沢藩士・阿部信満。東京府尋常中学校を経て、第四高等学校に進むも中退し、陸軍士官学校に進んで陸軍砲兵将校となる。陸軍少将として参謀本部総務部長、陸軍省軍務局長の要職を務め、陸軍中将として陸軍次官、第4師団長、台湾軍司令官を歴任して陸軍大将に親任された。
横山 章(よこやま あきら、1874年(明治7年)1月13日… 横山 章(よこやま あきら、1874年(明治7年)1月13日 - 1938年(昭和13年)4月14日)は、日本の政治家・衆議院議員(公友倶楽部)、貴族院議員、石川県多額納税者、資産家、実業家。温泉電軌、横山鉱業部、ボルネオ護謨各社長。共同生命保険、金沢電気瓦斯各取締役。尾小屋鉱山監査役。金沢倉庫相談役。金沢商業会議所会頭。族籍は石川県士族。 加賀八家横山氏一門で、石川県士族の横山隆興(11代当主横山隆章三男)の長男。金沢市生まれ。1895年、東京物理学校を卒業。以来専ら自家経営の鉱業に従事し、1906年、満韓巡遊の途に上り親しく鉱業を視察する。1912年、金沢市で開催された第2回帝国菓子飴大品評会会長に就任する。
早川 千吉郎(はやかわ せんきちろう、文久3年6月21日(1… 早川 千吉郎(はやかわ せんきちろう、文久3年6月21日(1863年8月5日) - 大正11年(1922年)10月14日)は、明治、大正期の官僚、実業家、政治家。三井財閥の幹部の一人。 石川県金沢市出身。明治20年(1887年)、東京帝国大学法科大学政治学科卒業。明治22年(1889年)、同大学院農政学研究科修了。明治23年(1890年)1月、大蔵省入省。明治32年(1899年)日本銀行監理官。明治33年(1900年)辞職。 明治34年(1901年)、三井銀行専務理事。明治42年(1909年)三井銀行常務取締役。大正7年(1918年)、三井合名会社副理事長。1920年(大正9年)6月2日、貴族院勅選議員に任じられ、死去するまで在任した。
遠藤 秀景(えんどう ひでかげ、1854年12月20日(安政… 遠藤 秀景(えんどう ひでかげ、1854年12月20日(安政元年11月1日)- 1911年(明治44年)5月16日)は、明治時代の政治家、漁業家。自由民権運動家。衆議院議員(1期)。幼名は岩太郎。 加賀藩士で素封家の父、遠藤柳の長男として加賀国河北郡浅野村(石川県河北郡中口村、小坂村を経て現金沢市小橋町および昌永町)に生まれる。幼くして関兵次郎、矢野三内、太田清蔵、秦秀植、南部虎之助などに付き剣術や槍術を学んだ。ついで島田定静の門に入り文学を修め、同門の塾長となった。18歳の時、仏学校に入るが退学し、県立中学に転じた。 1877年(明治10年)西南戦争が勃発すると島田一郎らが西郷隆盛を援けることを主張したが、これに反対した。
赤土 亮(あかど りょう、1854年8月14日(安政元年7月… 赤土 亮(あかど りょう、1854年8月14日(安政元年7月21日) - 1906年(明治39年)6月11日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 加賀国石川郡宮腰町(金石本町、石川県石川郡上金石町、金石町を経て現金沢市)出身。金沢師範学校で学ぶ。小学校訓導、石川郡金石町戸長、同町助役、同町長、同町会議員、石川郡会議員、石川県会議員、加能合同汽船(株)支配人となる。 1898年3月(明治31年)第5回衆議院議員総選挙において石川1区から自由党公認で立候補して初当選する。8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して再選する。1902年(明治35年)第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1906年に死去した。
石坂 専之助(專之助、いしさか / いしざか せんのすけ、1… 石坂 専之助(專之助、いしさか / いしざか せんのすけ、1849年9月14日(嘉永2年7月28日)- 1915年(大正4年)10月6日)は、明治期の教育者、公吏、政治家。衆議院議員、富山県会議長。旧姓・嵯峨。 越中国新川郡東岩瀬村(石川県新川郡東岩瀬村、富山県上新川郡東岩瀬町を経て現富山市)の伝馬問屋・嵯峨健寿の三男として、金沢十三間町(現金沢市)で生まれた。その後、新川郡栗山村(中新川郡早月加積村栗山、滑川町を経て現滑川市 )の石坂太郎左衛門の養子となる。 1869年(明治2年)大学南校に入学。卒業後、大学少助教、慶應義塾教授、文部省出仕、同人社教授を歴任したが、1877年(明治10年)病のため帰郷した。
天野 三郎(あまの さぶろう、1835年3月13日(天保6年… 天野 三郎(あまの さぶろう、1835年3月13日(天保6年2月15日)- 1930年(昭和5年)11月6日)は、幕末の加賀藩士、明治期の官僚、政治家。衆議院議員。旧姓・辻、字・参好山。 加賀国河北郡金沢(現石川県金沢市)で、加賀藩士の辻家に生まれる。藩校で学ぶ。藩学、小松修道館の文学助教となり、武芸の研鑽にも取り組んだ。明治3年2月(1870年3月)藩命により東京で仏式兵学を学び、明治4年(1971年)東京警備中の藩兵の指導を行う。その後、大阪兵学寮で学んだが病のため退学し、大阪府で洋学を修業した。 1873年、埼玉県に来県し、1874年、足立郡辻村(のち北足立郡六辻村、現さいたま市南区辻)の天野彦吉の養子となる。