池上 桃花(いけがみ ももか、2004年2月13日 - )は… 池上 桃花(いけがみ ももか、2004年2月13日 - )は、長野県伊那市出身の女子ソフトボール選手(捕手)。豊田自動織機シャイニングベガ所属。 8歳の時にソフトボールを始める。2019年に東海学園高等学校に進学すると、1年生の時にインターハイに出場してホームランを2本放った。2年進級時に、この年にソフトボール部が新設された神村学園高等部伊賀に転入。主将に任命されると、同部として初の公式戦となった2020年10月の三重県高体連ソフトボール競技新人大会(全国選抜大会県予選)で優勝し、2021年3月の全国高校選抜大会への出場権を獲得した。本戦では兵庫大附属須磨ノ浦相手に1回戦敗退だった。 2022年、JDリーグの豊田自動織機シャイニングベガに入団。
赤羽 祐介(あかはね ゆうすけ、1999年9月26日 - )… 赤羽 祐介(あかはね ゆうすけ、1999年9月26日 - )は、ウェザーマップ所属の気象予報士。 長野県伊那市出身。茨城大学理学部地球環境科学コース卒業。大学在学中よりウェザーマップに所属し、2022年4月よりNHK旭川放送局「ほっとニュース道北・オホーツク」の気象コーナーを担当する。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
MC☆ニガリa.k.a赤い稲妻(エムシーニガリ エーケーエー… MC☆ニガリa.k.a赤い稲妻(エムシーニガリ エーケーエー あかいいなずま、1996年12月30日 - )は、日本のラッパー。長野県伊那市出身。本名は羽柴教生(はしばかずき)。 高校生ラップ選手権第6回大会、第7回大会と2連覇をした経歴を持つ。テレビ朝日系列のラップ番組「フリースタイルダンジョン」にも出演。1度目は1stバトルで初代モンスター(現ラスボス)のR-指定と当たり、第1ラウンドクリティカルで敗北した。2度目は1stバトルで初代モンスター、T-Pablowと当たり、第3ラウンドまでもつれ込む接戦となったが、敗北した。その後、チームニガマムシとして、じょうとRude-αと出場。初代モンスターを次々と倒し、ラスボス般若まで到達するが敗北を喫した。
井口理(いぐち さとる、1993年〈平成5年〉10月5日 -… 井口理(いぐち さとる、1993年〈平成5年〉10月5日 - )は、日本の歌手、キーボーディスト、俳優。ロックバンドKing Gnuでボーカル・キーボードを担当。長野県伊那市出身。 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。 2015年、井口が参加するバンド「Srv.Vinci」(サーバ・ヴィンチ)が4人体勢となり、2017年にバンド名を「King Gnu」と改名。その後、2019年、King Gnuのアルバム「Sympa」でメジャーデビュー。 2019年4月から約1年間『オールナイトニッポン0(ZERO)』(ニッポン放送)の木曜日パーソナリティーを担当。その他にNHKのドキュメント番組のナレーション、映画『劇場』に出演するなど、俳優、ナレーターとしても活動している。
西村 竜馬(にしむら りょうま、1993年7月2日 - )は… 西村 竜馬(にしむら りょうま、1993年7月2日 - )は、長野県伊那市出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 小学生時代はアルカス高遠FCに所属。中学卒業後に地元を離れ、新潟の開志学園高校に進学。アルビレックス新潟ユースに入団し、2011年には新潟トップチームに2種登録された。 2012年より、正式に新潟トップチームに昇格 。同年3月、ブラジルのGEマウアエンセ (en) に期限付き移籍 。2013年はJAPANサッカーカレッジへ、2014年はアスルクラロ沼津へ期限付き移籍。 2016年1月6日、4シーズンぶりにアルビレックス新潟への復帰が発表された。 2017年8月、モンテディオ山形へ期限付き移籍。
原 翔太(はら しょうた、1992年7月18日 - )は、日… 原 翔太(はら しょうた、1992年7月18日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。100mで10秒31、200mで20秒33(日本歴代8位)の自己ベストを持つ。2014年仁川アジア大会の日本代表。
重盛 赳男(しげもり たけお、1991年9月21日 - )は… 重盛 赳男(しげもり たけお、1991年9月21日 - )は、長野放送のアナウンサー。 1991年9月21日、長野県伊那市生まれ。高校在学中は、陸上競技部に所属。大学在学中、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院に交換留学をしていた経験がある。TOEICの点数は940点。2014年4月、南日本放送入社。同期は藤本真未と増田優香子。2016年3月6日、鹿児島マラソン2016の中継番組では、フルマラソンを走りながら中継リポーターを務め、その後完走。2017年3月5日、鹿児島マラソン2017の中継番組でも前年同様ランナーリポーターを務め、完走した。タイムは5時間24分56秒だった。2018年3月31日、南日本放送を退職。
三澤 慶一(みさわ けいいち、1988年6月11日 - )は… 三澤 慶一(みさわ けいいち、1988年6月11日 - )は、長野県出身のサッカー選手。ポジションはDF、MF。 東京学芸大卒で大宮、水戸等でプレーしたMF北原健二(現地球環境高校サッカー部監督)に次いで長野県南信地域から輩出された2人目のJリーガーで、少年時代からスピードでならした左サイドバック(少年時代はFW)。 2007年に、前橋育英高校からJ1リーグ・ヴィッセル神戸に入団。しかし2年間で公式戦出場ゼロのまま、プロ3年目を迎えた2009年に神戸からJ2リーグ・ザスパ草津へと移籍。第14節C大阪戦で初の公式戦ベンチ入りを果たしたものの、それ以降はベンチ外が続き、なかなか試合出場の機会は巡って来なかった。
小池 由(こいけ ゆい、1987年7月4日 - )は、日本の… 小池 由(こいけ ゆい、1987年7月4日 - )は、日本のモデル、女優。 長野県伊那市出身。かつてフレッシュパワー(スウィートパワーの新人セクション)に所属していて、その後、CRG(クリエイティブ・ガーディアン)に移籍した。 以前は「富田理生」の名義で活動していた。
宮下 麻衣子(みやした まいこ、1987年2月7日 - )は… 宮下 麻衣子(みやした まいこ、1987年2月7日 - )は、日本のファッションモデル。身長166 cm。血液型O型。長野県伊那市出身。アライバルに所属していた。
春日 郁朗(かすが いくろう、1977年5月2日 - )は日… 春日 郁朗(かすが いくろう、1977年5月2日 - )は日本の工学者(都市工学)。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻水環境制御研究室准教授。長野県伊那市出身。
北原 健二(きたはら けんじ、1976年5月10日 - )は… 北原 健二(きたはら けんじ、1976年5月10日 - )は、長野県伊那市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは、MF。現在は習志野市で中学校体育教諭を行なっている。
橋爪 浩一(はしづめ こういち、1972年11月30日 - … 橋爪 浩一(はしづめ こういち、1972年11月30日 - 1999年7月9日)は、日本のファッションモデル、俳優。 長野県伊那市出身。身長183cm。映画「花より男子」で共演した谷原章介と藤木直人はメンズノンノモデルコンテストの同期である。岩井俊二監督作『PiCNiC』、TVドラマ『ショムニ』などの出演で知られる。 1999年7月9日、滞在していたアメリカ合衆国でオートバイ事故により死去。享年26。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
江口 美幸(えぐち みゆき、女性、1972年3月28日 - … 江口 美幸(えぐち みゆき、女性、1972年3月28日 - )は、日本の空手家。長野県伊那市出身。極真会館(松井派)・東京城西国分寺支部の指導員。極真空手弐段。夫は同支部支部長の江口芳治。現在は2児の母親でもある。 神奈川大学外国語学部在学中の二十歳の頃に、運動不足解消の為にという理由で、極真会館城西国分寺支部に入門。三年の稽古の後に茶帯を取得。その後、ニューヨークで行われた極真会館主催の全世界女子空手道選手権大会(1996年度)において、初戦にてボロ負けする。その結果、自分が弱い人間であるという事を自覚し、「強くなりたい」という思いを強烈に抱き、本格的に空手家としての道を歩んでいくようになる。
斎藤 充弘(さいとう みつひろ、1968年12月17日 - … 斎藤 充弘(さいとう みつひろ、1968年12月17日 - )は、長野県伊那市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は東京ヤクルトスワローズのチーム運営球団職員。 小学4年の時に野球を始める。伊那北高では1年秋から登板するも県大会ベスト8が最高で甲子園に出場はできなかった。首都大学野球の日体大に進学。1年上に有倉雅史がいた。4年秋の明治神宮大会では初戦完封勝利。リーグ通算成績は6勝4敗。 その後、日立製作所では都市対抗野球に補強を含めて3年連続出場、諸積兼司との活躍で1993年の東京スポニチ大会優勝に貢献した同年のプロ野球ドラフト会議前に逆指名制度を利用してヤクルトスワローズを逆指名し、同会議で2位指名を受けて入団。
吉田 浩之(よしだ ひろゆき、1962年(昭和37年)6月1… 吉田 浩之(よしだ ひろゆき、1962年(昭和37年)6月12日 - )は、日本の政治家。長野県伊那市長(1期)。元伊那市議会議員(1期)。 長野県伊那市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、伊那市役所に入庁。秘書広報課長、行政改革推進室長などをつとめ、2019年3月に退職、農業に従事。 2022年の伊那市議会議員選挙に立候補し初当選、総務文教委員会副委員長などを務めたが、1期目の途中、2025年9月30日付で市長選出馬のため辞職。2026年4月19日投開票の市長選挙では、現職の白鳥孝らと争う。地元選出の自民党県議が吉田、白鳥双方に分かれて応援に回るなど、保守分裂の選挙戦となったが、現職を破り初当選を果たした。
羽場 裕一(はば ゆういち、1961年4月1日 - )は、日… 羽場 裕一(はば ゆういち、1961年4月1日 - )は、日本の俳優である。所属事務所はシス・カンパニー。長野県伊那市出身。長野県高遠高等学校卒業、駒澤大学文学部中退。
唐沢 潤(からさわ じゅん、1960年12月10日 - )は… 唐沢 潤(からさわ じゅん、1960年12月10日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。長野県出身。身長158cm、体重45kg。1982年に円・演劇研究所に入所し、1985年に演劇集団 円の会員に昇格。演劇集団 円(円企画)所属。
伊藤 祐三(いとう ゆうぞう、1960年(昭和35年)8月5… 伊藤 祐三(いとう ゆうぞう、1960年(昭和35年)8月5日 - )は、日本の政治家、新聞記者。長野県駒ヶ根市長(2期)。 長野県伊那市生まれ。駒ヶ根市立赤穂小学校、駒ヶ根市立赤穂中学校、長野県伊那北高等学校、中央大学法学部卒業。 1984年(昭和59年)、毎日新聞社に入社。和歌山支局、鳥取支局、大阪本社社会部、同経済部で勤務した。1993年(平成5年)、共同通信社に転職。論説委員を務めた。 2019年(令和元年)6月末、共同通信社を退社。同年8月30日、任期満了に伴う駒ヶ根市長選挙に立候補する意向を表明。中学高校時代の同級生を中心に「応援団」を設け、草の根の運動を展開した。 2020年(令和2年)1月26日に行われた市長選挙に立候補。
柘植 伊佐夫(つげ いさお、1960年1月27日 - )は、… 柘植 伊佐夫(つげ いさお、1960年1月27日 - )は、日本のビューティーディレクターおよび人物デザイナー。長野県伊那市出身。 1979年より美容界へ入りヴィダルサスーンの技術を習得する。1982年にモッズヘアへ入社。ヘアメイクアーティストとして活動する。 1990年、「第一回日本ヘアデザイナー大賞」(Japan Hairdressing Award) を受賞、1991年同アワードで「セッションスタイリスト優秀賞」を受賞。1999年、手塚眞監督『白痴』で映画全体のヘアメイク監督を担当する。 2003年、庵野秀明監督『キューティーハニー』の担当よりヘアメイク監督から「ビューティーディレクター」へ改称する。
馬場公彦(ばば きみひこ、1958年 - )は、日本の編集者… 馬場公彦(ばば きみひこ、1958年 - )は、日本の編集者、中国学者。 長野県伊那市出身。長野県伊那北高等学校、北海道大学文学部卒業、北海道大学大学院東洋哲学研究科修了。35年間岩波書店の編集者を務め、2013年岩波現代全書創刊時の編集長。2010年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程満期修了、「戦後日本論壇における中国論の変遷1945-1972 総合雑誌関連記事の歴年推移をたどって」で学術博士。 1983-1988年株式会社東方書店、1989-2019年株式会社岩波書店、2019年から北京大学外国語学院外教(外国人教師)として日本語を教える。2015年から中国伝媒大学(北京)新聞伝播学部・伝播研究院国際伝播研究センター名誉教授。
山本 美恵(やまもと みえ、1958年 - )は、日本の看護… 山本 美恵(やまもと みえ、1958年 - )は、日本の看護師、ホスピス「きぼうのいえ」看護主任。
角田 泰隆(つのだ たいりゅう、1957年 - )は、日本の… 角田 泰隆(つのだ たいりゅう、1957年 - )は、日本の仏教学者・曹洞宗の僧侶(長野県伊那市常圓寺住職)。駒澤大学教授。 長野県伊那市生まれ。駒澤大学大学院修士課程修了。大本山永平寺安居。曹洞宗宗学研究所所員、主任。駒澤短期大学仏教科講師、助教授、教授。駒澤大学仏教学部禅学科教授。博士(文学)。
大倉 利晴(おおくら としはる、1956年1月31日 - )… 大倉 利晴(おおくら としはる、1956年1月31日 - )は、日本の放送作家。 かつては萩本欽一の座付き作家として萩本企画に所属していた。作家活動の他、ラジオパーソナリティなどタレント的な活動も行っている。 長野県伊那市の出身。萩本企画の「ギャグ作家募集」の募集広告を雑誌で見て応募、面接などを経て合格、萩本家に住み込みの上で作家としての第一歩を踏む。しかし実際は萩本を送り迎えする運転手としての毎日が続き、何度か「辞めたい」と思ってその旨を直々に申し出たこともあったが、その度に萩本に一晩かかって説得された上思い留まるということを繰り返した。およそ1年半後にニッポン放送で構成の仕事を持つようになり、本格的に放送作家としての活動をスタートさせる。
北原 憲彦(きたはら のりひこ、1954年12月11日 - … 北原 憲彦(きたはら のりひこ、1954年12月11日 - )は、日本の元バスケットボール選手、指導者である。長野県伊那市出身。モントリオールオリンピック男子バスケットボール日本代表。江戸川大学社会学部経営社会学科特任教授で、研究分野は健康・スポーツ科学、専門分野はスポーツ教育学、スポーツ経営学。同校の男女バスケットボール部の部長を務めている。明治大学付属中野高等学校、明治大学文学部日本文学科卒業。 明大中野高校でバスケットボールに本格的に取り組み、第1回春の選抜(現・ウィンターカップ)優勝メンバーとなる。また、当時大会記録となる1試合58得点を叩き出した(2008年に藤井祐眞(藤枝明誠)が更新)。
原 克(はら かつみ、1954年7月10日 - )は、日本の… 原 克(はら かつみ、1954年7月10日 - )は、日本のドイツ文学者。専門は表象文化論、ドイツ文学、メディア論、都市論。早稲田大学教育学部教授。 長野県伊那市出身。1975年、立教大学文学部ドイツ文学科卒業。1982年、立教大学大学院文学研究科博士課程中退、神戸大学国際文化学部専任講師。1985年~1987年ボーフム・ルール大学客員研究員。1994年立教大学文学部ドイツ文学科助教授、1995年同教授。2003年早稲田大学教育学部教授。2001~2002年、ベルリン・フンボルト大学客員教授。2007年と2009年に、日本テレビ系『世界一受けたい授業』に講師として出演した。 日本ドイツ文学会、阪神ドイツ文学会、カール・アインシュタイン学会 (Carl Einstein Gesellschaft) 所属。
大島 郁将(おおしま いくまさ、1950年6月24日 - )… 大島 郁将(おおしま いくまさ、1950年6月24日 - )は、長野県伊那市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 名商大附属高校では捕手。神奈川大学へ進学し内野手に転向。神奈川五大学野球リーグでは在学中6回優勝。ベストナイン1回。1972年の全日本大学野球選手権大会では2回戦で中京大に敗退。 1972年ドラフト会議で阪急ブレーブスから2位指名を受け入団。1974年から一軍に上がり、シーズン終盤の4試合に三塁手、遊撃手として先発出場。1975年には張本勲が中心になって計画されていたプロ野球選抜チームの韓国遠征メンバーに選出され、その後は伸び悩むが、1977年7月には4試合に二塁手として先発。
矢野 建一(やの けんいち、1949年2月15日 - 201… 矢野 建一(やの けんいち、1949年2月15日 - 2016年4月25日)は、日本の歴史学者。専修大学教授、学長。専門は日本古代史、日本文化史。学位は文学修士(立教大学)。
井崎 脩五郎(いさき しゅうごろう、1947年7月23日 -… 井崎 脩五郎(いさき しゅうごろう、1947年7月23日 - )は、日本の競馬評論家・コメンテーター。 東京都荒川区出身(長野県生まれ)。本名は「布目 健二」(ぬのめ けんじ)。 父は浪曲奇術師の布目貫一。 息子は芸能人キャスティング会社「クロスアイ」代表取締役の布目靖太郎。フジテレビ「めざましテレビ」にてディレクターを務めた後に、法人向けキャスティング部門の責任者を経て独立した。 葛飾野高校卒業後は明治大学商学部に進学するが、在学中に人に勧められて初めて買った馬券が的中したのがきっかけで競馬にのめり込み、学費を全額ぶち込んだという伝説まである。フジテレビの競馬中継のADのアルバイトをしていた時に、タニノムーティエの勝った日本ダービーを中継車で見ていて感動し、専門紙記者を志す。
春日 豊(かすが ゆたか、1947年 - )は、日本史学者・… 春日 豊(かすが ゆたか、1947年 - )は、日本史学者・経済学者。専門は日本経済史。名古屋大学名誉教授。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)生まれ。東京都立小石川高等学校を経て、1971年一橋大学社会学部卒業。1973年一橋大学大学院経済学研究科修士課程経済史及経済政策専攻修了、1976年一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程経済史及経済政策専攻単位取得満期退学。永原慶二ゼミ出身。 大学院在学中の1975年から財団法人三井文庫研究員を務め、1988年から名古屋大学教養部助教授。1996年名古屋大学大学院人間情報学研究科教授、2003年名古屋大学大学院文学研究科人文学専攻教授、2012年名古屋大学名誉教授。
宮下 正裕(みやした まさひろ、1946年6月27日 - )… 宮下 正裕(みやした まさひろ、1946年6月27日 - )は、日本の経営者。竹中工務店社長、会長を務めた。長野県伊那市出身。 伊那北高等学校を経て、1971年に東京大学工学部都市工学科を卒業し、同年に竹中工務店に入社した。2003年3月に取締役に就任し、2007年3月に常務、2010年3月に専務、2012年3月に副社長を経て、2013年3月に社長に就任。2019年3月に会長に就任。
斉藤 日出治(さいとう ひではる、1945年12月7日 - … 斉藤 日出治(さいとう ひではる、1945年12月7日 - )は、日本の経済学者、元大阪産業大学教授。専門は社会経済学。 長野県伊那市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1968年東京外国語大学インド・パキスタン学科卒業、1975年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。平田清明に師事。1995年「物象化世界のオルタナティブ -現代資本主義と言語・情報・記号」で経済学博士(名古屋大学)。大阪産業大学経済学部助教授、教授。副学長をへて2016年退職。
本間 千代子(ほんま ちよこ、1945年1月29日 - )は… 本間 千代子(ほんま ちよこ、1945年1月29日 - )は、日本の歌手・女優。本名同じ。長野県上伊那郡伊那町(現:伊那市)生まれ、生後8ヵ月から東京都杉並区高井戸育ち。身長162cm、体重45kg、B83cm、W53cm、H84cm(1964年4月)。夫は音楽プロデューサーのひのきしんじ。 父は日本銀行勤務で、二男二女の次女として、戦時疎開先の長野県上伊那郡伊那町(現:伊那市)で生まれる。本間家は佐渡本間氏の出で、現在の新潟県柏崎市で先祖代々地主を務めた。また、酒田本間氏とも同族の関係になる。終戦後の同年10月に東京都杉並区西荻窪に移り、近くの「かしの実幼稚園」に入る。そのころから歌に興味を持ち、NHK「うたのおばさん」として知られ、後に参議院議員を務めた安西愛子から童謡を習う。
平沢 彰(ひらさわ あきら、1940年〈昭和15年〉3月3日… 平沢 彰(ひらさわ あきら、1940年〈昭和15年〉3月3日 - 1984年〈昭和59年〉1月1日)は、日本の俳優。長野県伊那市出身。本名:古村 彰(こむら あきら)。 1958年(昭和33年)、長野県辰野高等学校を卒業。東京で薬品会社や日通品川に勤務していたが、新聞で目にした吉田義夫のインタビュー記事に感銘を受けて俳優を志し、会社を辞めて吉田に弟子入り。その後、1960年(昭和35年)5月に東映京都撮影所に大部屋俳優として入社。ヤクザ映画のチンピラ役や時代劇の斬られ役などの脇役で数多くの映画やテレビ時代劇に出演。東映京都に籍を置きながら1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)までは京都の劇団くるみ座にも研究生として在籍し、演技を学んだ。
青山 善充(あおやま よしみつ、1939年4月4日 - )は… 青山 善充(あおやま よしみつ、1939年4月4日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法・民事手続法。東京大学名誉教授。公益財団法人日本スポーツ仲裁機構評議会会長。長野県高遠町(現・伊那市)出身。三ヶ月章門下。弟子に松下淳一、大橋眞弓、貝瀬幸雄など。
後藤 俊夫(ごとう としお、1938年11月6日 - 202… 後藤 俊夫(ごとう としお、1938年11月6日 - 2025年11月22日)は、日本の映画監督。長野県伊那市出身、飯島町在住。 長野県伊那北高等学校を経て、1962年立教大学社会学部卒業。新世紀映画株式会社入社。山本薩夫監督の助監督として、『戦争と人間』、『華麗なる一族』、『金環蝕』、『不毛地帯』、『あゝ野麦峠』などに就く。1978年に『こむぎいろの天使-雀(すずめ)と少年』(青銅プロダクション)で監督デビューする。その後、活動拠点をふるさとである信州伊那谷(飯島町)に置き、動物と人間のふれあいをテーマにした作品や、時に美しく時に厳しい自然をテーマに「生きる」ということを人間に問いかけるような作品を多く手がけている。
丸山 敬一(まるやま けいいち、1938年9月1日 - )は… 丸山 敬一(まるやま けいいち、1938年9月1日 - )は、日本の政治学者、中京大学名誉教授。 長野県伊那市生まれ。1966年京都大学法学部卒。1976年大阪市立大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学、中京大学法学部助教授、81年教授、87-89年法学部長。2001-03年法学研究科長、2009年定年退職、名誉教授。91年「マルクス主義と民族自決権」で、法学博士(大阪市立大学)の学位を取得。専攻はドイツ、オーストリアの政治思想史。
宮原 照夫(みやはら てるお、1938年 - 2018年)は… 宮原 照夫(みやはら てるお、1938年 - 2018年)は、日本の雑誌編集者。長野県伊那市出身。 講談社発行の漫画雑誌、『週刊少年マガジン』第4代編集長、ならびに『週刊ヤングマガジン』、『月刊少年マガジン』初代編集長。 高校卒業後の1956年に講談社に入社、『少年倶楽部』配属となる。1959年、『週刊少年マガジン』編集部に創刊スタッフとして異動、ちばてつやの担当編集者として「ちかいの魔球」、「紫電改のタカ」、「ハリスの旋風」の連載に携わる。その後、梶原一騎の担当編集者として「巨人の星」、「あしたのジョー」の連載を立ち上げ、1971年に『週刊少年マガジン』第4代編集長となる。1974年に『月刊少年マガジン』、1980年には『週刊ヤングマガジン』を創刊、初代編集長となる。
梶野 吉郎(かじの きちろう、1935年〈昭和10年〉12月… 梶野 吉郎(かじの きちろう、1935年〈昭和10年〉12月13日 - )は、日本のフランス文学者、北海道大学名誉教授。 長野県伊那市出身。1959年京都大学文学部仏文科卒、70年同大学院博士課程満期退学。1963 - 69年グルノーブル大学大学院博士課程に在籍、文学博士。69年グルノーブル大学最優秀論文賞受賞。1970年北海道大学文学部助教授、82年言語文化部教授、1999年定年退官、名誉教授。
小坂 樫男(おさか かしお、1935年(昭和10年)8月16… 小坂 樫男(おさか かしお、1935年(昭和10年)8月16日 - )は、日本の政治家。元長野県伊那市長。旭日小綬章受章。 現在の伊那市出身。長野県上伊那農業高等学校卒業。長野県庁に入庁し、土地対策課長、医務課長、長野県公衆衛生専門学校長を経て、伊那市助役を歴任し、平成8年(1996年)市長選挙に当選した。平成の大合併では、上伊那郡2町村との新設合併を推進し、同18年(2006)年、伊那市の初代市長となった。2014年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
池上 岑夫(いけがみ みねお、1935年6月9日 - )は、… 池上 岑夫(いけがみ みねお、1935年6月9日 - )は、日本の言語学者・ポルトガル語学者・ロマンス語学者。東京外国語大学名誉教授。 長野県伊那市出身。東京外国語大学、1961年東京大学文学部卒。東京外大講師、助教授、教授。1999年定年、名誉教授、天理大学国際文化学部ブラジル学科教授。神奈川県葉山町在住。日本ロマンス語学会会員。 名の「みねお」は正しくは「岺」と綴るが稀な字のため、著作物中においても、むしろ「岑」で表記されている場合が殆どであり、本人もそれを許容している。図書検索との整合上も考慮し、但し書きの上で本表記による見出し掲載が適当と思われる。尚、「池上嶺夫」の表記も散見されるが、誤りである。
向山 玉雄(むかいやま たまお、1933年 - 2021年)… 向山 玉雄(むかいやま たまお、1933年 - 2021年)は、日本の園芸学・教育学者。 長野県伊那市出身。1955年千葉大学園芸学部卒業、東京都葛飾区立亀有中学校教諭、北海道教育大学函館校助教授、教授を経て奈良教育大学教授、奈良教育大学附属中学校校長、産業教育研究連盟委員長、日本農業教育学会会長、食農教育研究家。技術・家庭科が男女同一になる過程で日常生活の中での技術教育を研究した。
唐澤 茂人(からさわ しげと、1928年(昭和3年)9月20… 唐澤 茂人(からさわ しげと、1928年(昭和3年)9月20日 - 1995年(平成7年)12月6日)は、日本の政治家。長野県伊那市長。 現在の伊那市出身。上伊那農林学校卒業。東春近村役場職員、伊那市助役から、平成6年(1994年)市長選挙に当選したが、翌年7月、肺がんにより信州大病院で手術を受ける。退院後、自宅で療養しながら公務をこなしていたが、風邪をこじらせて体調を崩し、市議会を欠席。小坂樫男助役を職務代理者に任命し療養に専念していた。12月6日肺がんにより死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
大和 岩雄(おおわ いわお、1928年2月15日 - 202… 大和 岩雄(おおわ いわお、1928年2月15日 - 2021年6月20日)は、日本の編集者、出版事業家、古代史研究家。大和書房(だいわしょぼう)および青春出版社の創業者。 長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)にて、江戸時代から続く呉服商の家庭に生まれる。生家が没落したため、高等小学校卒業後、名古屋市の三菱重工業に旋盤工として就職する予定であったが、1942年、官費で学べる長野師範学校(信州大学教育学部)に入学し、1948年に卒業すると長野県下伊那郡大鹿村立鹿塩中学校に赴任、国語と音楽を教えていた。1948年12月に退職し、長野市に移住。ここで山本茂実主宰の人生誌「葦」に参加。第4号以降、同誌の編集長となる。
向山 光昭(むかいやま てるあき、1927年1月5日 - … 向山 光昭(むかいやま てるあき、1927年1月5日 - 2018年11月17日)は、日本の有機化学者。東京大学名誉教授、東京工業大学名誉教授、東京理科大学名誉教授。社団法人北里研究所基礎研究所有機合成化学研究室名誉所員(前室長)。東京化成工業株式会社基礎研究所技術顧問。長野県伊那市出身。位階は従三位。 シリルエノールエーテルとカルボニル化合物をルイス酸触媒(四塩化チタンなど)下で作用させるとアルドール反応が進行することを発見。この反応は世界的に向山アルドール反応と呼ばれるほどで、今日、有機合成化学者で知らない者はいないほど有名である。それ以外にも脱水縮合反応を中心とした研究を行っている。大環状化合物合成に有用な向山縮合試薬や、フッ化糖類を用いる新規グリコシル化反応なども開発した。
木村 筆之助(きむら ふでのすけ、1924年(大正13年)1… 木村 筆之助(きむら ふでのすけ、1924年(大正13年)1月17日 - 1984年(昭和59年)4月26日)は大相撲の元幕内格行司。伊勢ノ海部屋所属。師匠は初代木村今朝三。長野県伊那市出身。本名は田畑 啓。生家は伊那市の映画館「伊那旭座」。 1936年1月、12歳で相撲界へ入門。兵役で一時相撲界を離れたが、1946年11月場所から三段目格で復帰した。 1958年7月場所に幕内格行司に昇格。1967年7月場所より2代木村今朝三を襲名したが、1970年9月場所より今朝三の名跡を返上し筆之助に戻した。今朝三の名跡はこれ以降襲名する者が現れていない。 1966年11月場所より幕内格の筆頭行司であったが、上位の行司が急に廃業したり、病気休場したこともあり、行司の成績考課制度が導入された1972年~1973年頃の一時期は三役の取組を裁いたことがある。
三澤 功博(みさわ こうはく、1910年〈明治43年〉2月1… 三澤 功博(みさわ こうはく、1910年〈明治43年〉2月16日 - 1998年〈平成10年〉6月22日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県上伊那郡西春近村長、伊那市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 長野県上伊那郡西箕輪村(現・伊那市)で、三澤舜平、はく の長男として生まれた。1927年(昭和2年)上伊那農業学校(現・長野県上伊那農業高等学校)卒業。西春近村議会議員となり2期在任し、1954年(昭和29年)同議長となる。1960年(昭和35年)2月に西春近村長に就任し、1965年(昭和40年)3月まで2期在任した。西春近村の伊那市編入後に、伊那市議会議員を1期務めた。 1970年(昭和45年)4月、伊那市長選挙に自民党公認で現職の田畑五郎司を破って当選した。
江崎 孝坪(えざき こうへい、1904年6月15日 - 19… 江崎 孝坪(えざき こうへい、1904年6月15日 - 1963年6月27日)は、長野県上伊那郡高遠町(現・伊那市)出身の日本画家。本名は江崎 孝平。歴史人物画を得意とした。 1904年6月15日に長野県上伊那郡高遠町(現・伊那市)に生まれ、画家を志して15歳の時に東京に出た。呉服商で図案を描いて生計を立て、日本画家の蔦谷龍岬に大和絵を学んだ。1927年(昭和2年)には第8回帝展で「晩秋」が初入選。 1933年(昭和8年)に龍岬が死去すると、今度は前田青邨に師事した。1940年(昭和15年)に大礼記念京都美術館で開催された日本画大展覧会では、「雲と防人」が大毎・東日賞を受賞。1941年(昭和16年)の第4回新文展では「撃て」が特選に選ばれた。
重盛 寿治(しげもり としはる、1901年〈明治34年〉4月… 重盛 寿治(しげもり としはる、1901年〈明治34年〉4月29日 - 1997年〈平成9年〉12月14日)は日本の労働運動家。政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(1期)。 長野県上伊那郡西箕輪村(現伊那市)生まれ。大正8年(1919年)旧制蔵前工業専修学校(東京工業大学附属科学技術高等学校)建築学科卒業。昭和9年(1934年)東京市電気局自動車課に入局し、同年の労働争議に参加。同14年(1939年)東京交通労働組合の大会で常任委員に就任し、翌15年(1940年)同組合中央執行委員長に就任。 同20年(1945年)日本社会党に参画し、前記の労働組合を再建し、初代中央執行委員長に就任。同25年(1950年)第2回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から出馬し初当選。
伊東 月草(いとう げっそう、1899年(明治32年)12月… 伊東 月草(いとう げっそう、1899年(明治32年)12月17日 - 1946年(昭和21年)12月4日)は、長野県出身の日本の俳人。本名は秀治(ひでじ)。 1899年(明治32年)長野県上伊那郡藤沢村 (現在の伊那市)に生まれる。16歳から俳句を始め、大須賀乙字に師事、乙字の死後は同じ乙字門下の吉田冬葉が立ち上げた「獺祭」に参加、1928年に独立し「草上」を主宰する。 満州事変、日中戦争を機に新体制運動に傾倒、大野林火との戦火想望俳句論争を皮切りに、俳句報国のための団体を結成すべしと全国の主要俳人、結社に「この昭和維新に際会して、新体制に協力しないやうな非国民はあるまい」と檄文を送り、『俳句研究』を中心に論陣を張った。