小山 東一(こやま とういち、1901年11月11日 - 1… 小山 東一(こやま とういち、1901年11月11日 - 1985年6月9日)は、日本のジャーナリスト、英文学者、翻訳家。広島大学教授。 広島県福山市生まれ。1927年東京帝国大学文学部英文科卒。中外商業新報、日本産業経済新聞学芸部長をへて、広島大学教授。 戯曲家の小山祐士は従兄弟にあたる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
桑田 笹舟(くわた ささふね、1900年〈明治33年〉6月2… 桑田 笹舟(くわた ささふね、1900年〈明治33年〉6月24日 - 1989年〈平成元年〉7月31日)は、日本の書道家。福山市名誉市民。本名・桑田 明。 広島県福山市坪生町出身。1922年、神戸市立教員養成所に入学し、安東聖空に師事。1924年、文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験習字科に合格し、教員生活を始める一方、西谷卯木らとかな書の研究を始め、古筆研究家の田中親美に師事。同年、一楽書学院(一楽書芸院)を設立して笹舟と号す。1927年『かなとうた』発刊。1932年、関西書道会展、東方書道会展で最高賞受賞。1940年、教員を退職し、創作と学院の運営に専念する。 戦後は日本かな書道界を牽引し、現代かな書の先駆けとなる。
坂本万七(さかもと まんしち、1900年1月13日 - 19… 坂本万七(さかもと まんしち、1900年1月13日 - 1974年4月19日)は、日本の写真家。特に民藝品や仏像の撮影に才能を発揮した。その遺作「沖縄・昭和10年代」は戦前の沖縄各地で撮影した貴重な写真が掲載されており、テレビ放送等で資料として使用されている。 戦前では、築地小劇場の舞台写真が有名。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
吉田 五郎(よしだ ごろう、1900年 - 1993年)は、… 吉田 五郎(よしだ ごろう、1900年 - 1993年)は、日本の技術者で、キヤノンのルーツである精機光学研究所の創業者。 広島県福山市出身。小学生からカメラを分解し組み立てるというカメラ少年で、これが病みつきになり福山中学(現・福山誠之館高校)を学業半ばにして1917年上京。機械知識を生かして光学精密機械の輸入商社に出入りしたのが切っ掛けで映画の世界に入り、映写機関係の仕事に身を託した。この期の技術習得が実を結び、昭和の初めには映写機の修理、改良の域を脱し、製作にも手を伸ばしていた。日本初の本格的なトーキー映画といわれる『マダムと女房』(1931年)で使われた土橋式の録音機は土橋武夫・土橋晴夫兄弟の製作した物であるが、再生機は吉田が中国の上海で買って来た物が使われたという。
佐藤 儀一(さとう ぎいち、1899年(明治32年)6月13… 佐藤 儀一(さとう ぎいち、1899年(明治32年)6月13日 - 1967年(昭和42年)7月2日)は、広島県出身のゴルファー、ゴルフ場設計者。 佐藤儀一は、1899年(明治32年)6月13日、広島県福山市に生まれ、16歳でハワイに渡り、イオラニハイスクール卒業後、カリフォルニア大学美術科で学んだ。1930年(昭和5年)、大学生の時、プロのジミー・ダンカンに誘われてゴルフを始めた。 1931年(昭和6年)、サンフランシスコ市ゴルフ選手権で2位になった。1932年(昭和7年)、サンフランシスコ市ゴルフ選手権で優勝、多くの競技大会に参加し、全米パブリックリンク選手権に優勝した。また、全米ゴールドメダル選手権4連覇など活躍し、100以上のアマチュアタイトルを獲得した。
大宮 伍三郎(おおみや ごさぶろう、1897年(明治30年)… 大宮 伍三郎(おおみや ごさぶろう、1897年(明治30年)10月17日 - 1957年(昭和32年)6月14日)は、大正から昭和期の新聞編集者、実業家、政治家。衆議院議員(2期)。号・呉山楼。 広島県沼隈郡赤坂村(現福山市)で、大宮亀吉の長男として生まれる。1921年(大正10年)5月、名古屋新聞東京支局に入社し、その後明治大学で学んだ。 1925年(大正14年)名古屋新聞東京支局長に就任し、新聞広告の分野でその才能を発揮した。その後、名古屋本社に転じ専務理事に就任した。戦時下に入り新聞統制が強化されて日本新聞連盟が成立し名古屋新聞から大宮が派遣され、新聞用紙の供給減に対処するため共販制を考案してその実現に尽力した。
藤井 崇治(ふじい そうじ、1894年7月1日 - 1975… 藤井 崇治(ふじい そうじ、1894年7月1日 - 1975年3月18日)は、大正、昭和期の逓信官僚。電源開発総裁。位階は従三位。広島県深安郡山野村(現福山市山野町)出身。 広島県立福山中学(現福山誠之館高校)、旧制第三高等学校を経て1921年、京都帝国大学法学部法律科卒業。逓信省入省。1927年札幌逓信局規画課長、1932年郵務局規画課長。この時期を通して郵便配達方法の改善に着目、郵便戸番制の採用など独創的な方策を樹立し、これらは後に新住居制度や郵便番号制度の普及に役立ったとされる。満州事変から1か月半後の1933年4月、満洲電信電話設立の要務を帯びて関東庁逓信局長に任命され大連に赴任。旧満州国の電力サイクルの統一等に尽力。
挟間 茂(はざま しげる、1893年3月24日 - 1987… 挟間 茂(はざま しげる、1893年3月24日 - 1987年12月3日)は、日本の内務官僚、内務次官。 日本住宅公団総裁。広島県福山市出身。旧姓・三谷。「梜間茂」表記の文献もあり。戸籍上は旧字体の挾間。 海軍大佐挾間光太の養子。福山中学(現福山誠之館高校)~第六高等学校を経て1919年、東京帝国大学法学部法律学科卒業。内務省に入省、衛生局長、茨城県知事、土木局長、地方局長などを歴任。1937年衛生局長として保健所法制定に尽力、現在の保健所制度の基礎を作った。茨城県知事時代の大洪水に対する災害復旧政策は今日でも評価が高い。1940年第2次近衛内閣の内務次官に就任。大政翼賛会の結成をすすめ、翌1941年大政翼賛会組織局長として国民を戦時体制に動員した。
影佐 禎昭(かげさ さだあき、1893年(明治26年)3月7… 影佐 禎昭(かげさ さだあき、1893年(明治26年)3月7日 - 1948年(昭和23年)9月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 広島県沼隈郡柳津村(後の松永市柳津町、現・福山市柳津町)に生まれる。幼名は亨(陸大学生時代に禎昭に改名)。影佐家は代々、広島浅野藩士の家系。 小学校を卒業後、姉の住んでいた大阪に出て、大阪府立市岡中学校を経て1914年、陸軍士官学校を優等卒業(26期)。1917年、陸軍砲工学校高等科第23期を優等で卒業。1923年、陸軍大学校優等卒業(35期)。大尉時代の1925年4月から1928年3月まで東京帝国大学政治科で学んだ学究肌。その後、参謀本部付として中国と深く関わり、陸軍部内でも中国通として一際目立つ存在となった。
金島 桂華(かなしま けいか、1892年〈明治25年〉6月2… 金島 桂華(かなしま けいか、1892年〈明治25年〉6月29日 - 1974年〈昭和49年〉9月14日)は、日本画家、日本芸術院会員。福山市名誉市民。 広島県安那郡湯田村(現・福山市神辺町湯野)に父儀一郎、母シナの長男として生まれる。本名は政太(まさた)。 絵の勉強は平井直水に師事、竹内栖鳳主催の竹杖会では西山翠嶂、西村五雲、橋本関雪、土田麦僊や小野竹喬、徳岡神泉、池田遙邨あるいは大村廣陽と同門である。橋本とは1917年、共に揚子江を旅している。 私塾の衣笠会を主催し、藤島博文など後進の育成に努め、四条派と院体風を取り入れた花鳥画を得意とした。万鉄五郎とは金島の妻が加わった参禅の会を介して知己を得る。
佐藤 一男(さとう かずお、1892年5月23日 - 195… 佐藤 一男(さとう かずお、1892年5月23日 - 1959年10月29日)は、日本の鉄道技術者、実業家。 広島県福山市出身。1918年に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業し、京阪電気鉄道に入社。 車両技術部門で活躍し、全鋼製ロマンスカー京阪1550型電車の設計、製作に携わり、欧米での留学で得た知識を生かして、日本最初の連接車である京阪60型電車(びわこ号)を立案、建造した。 取締役、常務、専務を経て、1943年に陸上交通事業調整法による阪神急行電鉄との統合により、京阪神急行電鉄副社長に就任した。 1946年11月に公職追放を受け、副社長を辞任し、相談役に就任した。 1959年10月29日死去。
河根 良賢(かわね よしかた、1888年(明治21年)7月2… 河根 良賢(かわね よしかた、1888年(明治21年)7月29日 - 1949年(昭和24年)2月12日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。 1888年(明治21年)に広島県福山市で生まれ、1890年(明治23)に福山誠之館を卒業。陸軍士官学校第23期卒業。1936年(昭和11年)8月に輜重兵第2連隊長(第2師団)に就任し、満州に駐屯した。1937年(昭和12年)8月に陸軍輜重兵大佐に進級し、1938年(昭和13年)7月に自動車第1連隊長を経て、1939年(昭和14年)8月に輜重兵科教育を行う唯一の予備士官学校である久留米陸軍予備士官学校の初代校長に就任した。 1941年(昭和16年)3月1日に陸軍少将に進級し、7月28日に北支那方面軍司令部附を経て、8月8日に第3野戦輸送司令官(南方軍・第14軍)に就任し、フィリピン攻略戦に出征した。
谷本 馬太郎(たにもと うまたろう、1886年〈明治19年〉… 谷本 馬太郎(たにもと うまたろう、1886年〈明治19年〉4月20日 - 1942年〈昭和17年〉11月11日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 広島県福山市出身。旧制広島県立福山誠之館中学校より海軍兵学校第35期入校。海軍兵学校入校時成績順位は183名中第82名、卒業時成績順位は172名中第37位。 第1次上海事変の際に、第3戦隊旗艦の軽巡洋艦「由良」艦長として参戦したが、上官の堀悌吉第3戦隊司令官の命令を忠実に守り、攻撃対象を中国軍関係に対してのみ限定させ中国国民への被害を最小限度に止めた為に作戦終了後、攻撃が手緩いとの批判が相次いだが、谷本は報告書の中で『堀司令官ノ判断処置ニ鑑ミ一点ノ非アラザル事明白ニシテ現地ニ於ケル事当ラザリシ者ガ非難スルハ司令官ヲ陥シ入レントスル意図明白ナリ』と憤懣やるかたなき状況を伝えている。
池田 亮次(いけだ りょうじ、1886年〈明治19年〉3月1… 池田 亮次(いけだ りょうじ、1886年〈明治19年〉3月16日 - 1972年〈昭和47年〉3月28日)は日本の研究者・実業家である。日立製作所常務。後、第二次世界大戦中の統制会理事長。日本エレベーター(現:日本ケーブル)代表取締役。広島県福山市出身。 1886年(明治19年)、広島県深安郡山野村(現:福山市)で生まれる。旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を経て、1905年(明治38年)第六高等学校二部乙類に進学、1909年(明治42年)6月、同校を卒業し、東京帝国大学工学部電気科へ進学した。1912年(明治45年)同大学を卒業後、日立製作所へ就職した。 帝大卒業後、日立製作所へ入社したが、これは当時、創業したばかりの日立製作所(創業:1910年・明治43年)の社長であった小平浪平の影響が大きかった。
神原 勝太郎(かんばら かつたろう、1884年〈明治17年〉… 神原 勝太郎(かんばら かつたろう、1884年〈明治17年〉8月 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。常石グループの創始者。神原汽船、常石造船創業者。 広島県沼隈郡千年村字常石(現・福山市沼隈町常石)出身。神原嘉平次の三男。1903年、帆船を3隻購入し石炭輸送を開始する。海運事業を展開するうち、勝太郎は「船の製造や修理を自前でできるようになればコストダウンができる」と考え、常石の地で造船事業を開始した。 1908年、分家する。瀬戸内海運送社長、同専務、村会議員、学務委員をつとめた。 傾いた家運を挽回しようと努力を怠らなかった。村内屈指の資産家として数十万の富を得て、名門の誉を高くした。高額所得者である。
大原 寿恵子(おおはら すえこ、1883年9月10日 - 1… 大原 寿恵子(おおはら すえこ、1883年9月10日 - 1930年4月25日)は、アララギ派の歌人で、実業家大原孫三郎の妻。旧姓名は石井スエ。 広島県深安郡深津村(現・福山市)において、石井英太郎の四女として生まれる。1898年(明治31年)、近所に女学校が無かったため、川路寛堂を招聘して中等教育を受ける。1901年(明治34年)、岡山孤児院を創設した石井十次の紹介で、大原孫三郎と結婚し、1909年(明治42年)に長男総一郎を生む。 1921年(大正10年)高野勇五郎より旧派和歌を学び、高野の死後は西川国臣より学ぶ。1925年(大正14年)、労働者のための託児所「若竹の園」を開設。この年より雑誌『アララギ』を読み、歌人・中村憲吉とも会って短歌作りに励む。
河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年4月30日 -… 河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年4月30日 - 1948年3月31日)は、日本の官僚、科学者、実業家。 「河内菌」の発見により焼酎の品質を飛躍的に向上させた近代焼酎の父。広島県深津郡吉津村(現・福山市吉津町)生まれ。 河内は、代々続く醤油屋の家に生まれた。幼少期から麹や醪に馴染み、広島県立福山中学(現・福山誠之館高校)を経て大阪高等工業醸造科(現・大阪大学工学部発酵工学科)を卒業。家業が不振となったため、1909年に大蔵省入りし、熊本税務監査局鹿児島工業試験場へ技師・酒の鑑定官として赴任した。同年秋、造り酒屋の技術指導員として訪れた巡視先で、鹿児島焼酎と出会う。当時の焼酎はとても不味く、また暑い時期はすぐに腐っていた。
岡本 半次郎(おかもと はんじろう、1882年4月22日 -… 岡本 半次郎(おかもと はんじろう、1882年4月22日 - 1960年3月4日)は日本の教育者。昆虫学者、農学博士。 妻せんは北海道開拓事業にその生涯を捧げ、“北海道酪農の父”とよばれた町村金弥の次女。 広島県福山市東町に岡本圭吉の子として生まれる。岡本家は旧備後福山藩士として勘定奉行を務めた家柄。 広島県第二中学校(現福山誠之館高校)を経て1907年札幌農学校本科を卒業し、北海道庁技手として北海道農事試験場に勤務。1912年から1年間東北帝国大学講師を兼ねる。1919年本邦産草蜻蛉科に関する論文で農学博士となった。1920年朝鮮総督府勧業模範場に招聘されて赴き水原高等農林学校教授を兼任し1925年12月に退官し帰郷する。
小泉 成一(こいずみ せいいち、明治2年8月16日〈1869… 小泉 成一(こいずみ せいいち、明治2年8月16日〈1869年9月21日〉 - 1920年〈大正9年〉10月27日)は戦前日本の洋画家。備後福山藩出身。本多錦吉郎・小山正太郎門下。神奈川県尋常師範学校、宮城県立仙台第二中学校、私立東北学院等で絵画を教えた。 明治2年(1869年)8月16日備後福山藩士小泉卯一郎の長男として備後国深津郡福山に生まれた。本籍は西町。明治4年(1871年)旧知藩事阿部正桓が上京を命じられると、9月一家で神戸港から海路上京し、東京府駒込西片町9番地(現在の文京区西片一丁目)丸山屋敷内に移り住んだ。 1882年(明治15年)10月2日彰技堂に入学して本多錦吉郎に洋画・英学を学び、1883年(明治16年)4月5日から1885年(明治18年)12月まで東京英語学校、1886年(明治19年)3月1日から12月まで東京仏語学校にも通った。
甲斐 和里子(かい わりこ、1868年(慶応4年)6月15日… 甲斐 和里子(かい わりこ、1868年(慶応4年)6月15日 - 1962年(昭和37年)11月27日)は、日本の教育者。京都女子大学の前身、顕道女学院の創始者。旧姓・足利。 現在の広島県福山市神辺町西中条生まれ。父は勝願寺の住職で、浄土真宗本願寺派の学者の足利義山。父が進徳教校(崇徳中学校・高等学校の前身)の教授になったため、1886年に広島開成舎に入学し英語・漢文を学ぶ。卒業した翌年の1890年、父の転勤に伴い京都に移る。仏教活動家平井金三の仏教系英学塾オリエンタルホールで英語を学ぶ。 明治初期の日本には各地でミッションスクールが創設されたが、仏教系の女子学校はほとんどなく、仏教精神の根ざした女子校が必要と教師の資格を得るため1893年、26歳で同志社女学校(同志社女子大学の前身)英語専科へ入学。
井上 利八(いのうえ りはち、1866年12月9日(慶應2年… 井上 利八(いのうえ りはち、1866年12月9日(慶應2年11月3日) - 1935年(昭和10年)3月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 備後国沼隈郡水呑村(広島県沼隈郡水呑町を経て現福山市)出身。鉄道院技手、広島県会議員、同議長となる。鉄道工事請負業に従事、鞆軽便鉄道(株)専務取締役となる。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において広島4区から立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、次の1928年の第16回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1935年死去。
廣田 理太郎(ひろた りたろう、1865年12月23日(慶應… 廣田 理太郎(ひろた りたろう、1865年12月23日(慶應元年11月6日) - 1935年(昭和10年)9月2日)は、日本の工学者、実業家、教育者。 広島県福山市出身。廣田家は代々備後福山藩の勘定役を勤めた家系であった。県立広島中学(現・広島県立国泰寺高校)を経て東京帝国大学機械科卒業。帝大の技術者の第一期の卒業生で技術者のはしり。当時は機械そのものが外国から輸入され、参考書や説明書も全て外国から取り寄せるため英語は不可欠だった。帝大在学中の1886年、学友と東京理科大学の生徒計4人で自転車会を設立。これは日本で最初の自転車クラブともいわれ、金を出し合って購入したオーディナリー型自転車を廣田らが日本人で初めて乗ったともいわれる。
熊田 葦城(くまた いじょう・くまだ いじょう、文久2年(1… 熊田 葦城(くまた いじょう・くまだ いじょう、文久2年(1862年)6月 - 1940年2月12日)は、日本の歴史学者、文筆家。本名は熊田宗次郎。 福山藩藩士・熊田臨蔵の次男として、備後国福山(現在の広島県福山市)に生まれる。誠之館にて学を修めたほか、江木鰐水に漢籍を、五弓雪窓に漢作文を、藤井葦川に漢詩を学ぶ。 二十歳のころ大阪に出て大阪新報社に就職、同社で編集長をつとめたのち新潟日日新聞、北海道毎日新聞、北海新聞などを経て報知新聞に招かれた。同紙編集長の傍ら日清戦争の戦時記事を執筆して大いにその名を知られるようになる。一時同社を退いたが、日露戦争を機に再び報知の編集長に就任。自著『日本史蹟』が賞讃の的となり、のち鎌倉に居住して著述業に専念した。
佐沢 太郎(さざわ / ささわ たろう、1838年8月8日(… 佐沢 太郎(さざわ / ささわ たろう、1838年8月8日(天保9年6月19日) - 1896年(明治29年)5月26日)は明治時代の日本の洋学者、文部官僚。旧名元太郎、諱は高仰。 天保9年6月19日(1838年8月8日)、備後国品治郡新市村に三木嘉久平の五子として生まれる。福山藩儒江木鰐水の門に学んだのち、安政2年(1855年)に品治郡江良村の医師佐沢泰介の養継子となり、蘭方医となるため藩校誠之館の洋学教官寺地舟里、次いで長州藩の青木周弼に師事。さらに文久元年(1861年)、大阪の緒方洪庵に入門し、翌年秋には幕命により江戸に赴く師に同伴。幕府の西洋医学研究教育機関・医学所に入った。文久3年(1863年)、福山藩から洋学修行を命じられ、幕府の洋学研究教育機関・洋書調所(同年中に開成所と改称)でも修学。
足利 義山(あしかが ぎざん、文政7年(1824年) - 明… 足利 義山(あしかが ぎざん、文政7年(1824年) - 明治43年(1910年))は、備後国(現在の広島県東部)出身の江戸時代後期から明治時代にかけての浄土真宗僧侶(勧学)。広島県福山市勝願寺第23代住職。実子に京都女子大学創始者の甲斐和里子や龍谷大学学長を務めた足利瑞義。孫に同朋舎を創った足利浄円。 文政7年(1824年)、備後国の光圓寺(現在の福山市御幸町下岩成)に生まれる。嘉永2年(1849年)に神辺の勝願寺に入る。宗学は石泉学派の創始である石泉僧叡の弟子であった慧海や泰巌に学ぶ。大教校教授、備後博練教校教授、安芸進徳教校教授を経て、明治23年(1890年)に大学林教員、仏教大学講師となる。
葛原 勾当(くずはら こうとう、文化9年3月15日(1812… 葛原 勾当(くずはら こうとう、文化9年3月15日(1812年4月26日)- 明治15年(1882年)9月8日)は、日本の地歌箏曲家、作曲家。盲人ながら江戸後期から明治期に生き、自作の木活字を用いて『葛原勾当日記』を長年つけたことで知られる。孫は童謡作家葛原しげる。 出身は備後国安那郡八尋村(広島県深安郡神辺町、のち福山市)。庄屋矢田重知の長子として生まれた。本姓矢田、幼名柳三、諱は重美。名は琴の一、のち美濃一。雅号一泉、俳号似月。3歳で痘を病み、両眼とも失明。9歳で琴を始め、11歳で京都の松野勾当(のち検校)に師事し、生田流箏曲を修めた。14歳で座頭になり、その翌年帰郷し、備後・備中両国を中心に広く琴を教授するかたわら、たびたび上洛してはその技を磨いた。
暁 千星(あかつき ちせい、9月14日 - )は、宝塚歌劇団… 暁 千星(あかつき ちせい、9月14日 - )は、宝塚歌劇団星組に所属する男役。星組トップスター。 広島県福山市、福山暁の星女子中学校出身。身長173cm。血液型A型。愛称は「ARI」。 2010年、宝塚音楽学校入学。 2012年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に98期生として首席入団。宙組公演「華やかなりし日々/クライマックス」で初舞台。 2013年の阪急阪神初詣ポスターモデルに起用される。同年、組まわりを経て月組に配属。 ダイナミックなダンスと華やかなルックスで頭角を現し、2014年の「明日への指針」で新人公演初主演。その後も4度に渡って新人公演主演を務める。 2015年のバウ・ワークショップ「A-EN ARI VERSION」で、バウホール公演初主演。
折見 麻緒(おりみ まお、9月8日 - )は、日本の舞台女優… 折見 麻緒(おりみ まお、9月8日 - )は、日本の舞台女優。広島県福山市出身。株式会社soymilk所属。 劇団TEAM-ODAC/劇団五反田タイガーのメンバー。 振付師としても活動している。
平井 誠一(ひらい せいいち、8月18日- )は、日本の声優… 平井 誠一(ひらい せいいち、8月18日- )は、日本の声優、ナレーター。広島県福山市出身。盈進高等学校を卒業後、俳協養成所16期生を経て東京俳優生活協同組合に所属。
高嶺 巌(たかみね いわお、8月9日 - )は、日本の男性俳… 高嶺 巌(たかみね いわお、8月9日 - )は、日本の男性俳優、声優。広島県福山市出身。盈進高等学校を卒業後、俳協養成所16期生、日本ナレーション演技研究所、銀プロダクションを経てE-sprinG所属。身長170cm。体重59kg。
高橋 圭子(たかはし けいこ、6月6日 - )は、元岡山放送… 高橋 圭子(たかはし けいこ、6月6日 - )は、元岡山放送のアナウンサー。 広島県福山市出身。関西学院大学商学部卒業。大学在学時には関西のアナウンススクールに通っていた。 大学を卒業後、2007年に岡山放送に入社。アナウンサー時代には自社製作番組のほか、『めざましテレビ公認 わがまま!気まま!旅気分』や『めざましテレビ』などのフジテレビ系全国ネット番組に出演することもあった。また岡山放送がアナログ放送を行っていた頃には、アナウンス業務と並行して地上デジタル放送推進大使も務めていた。 岡山放送在籍中の2012年に結婚した。そして妊娠したのを機に家庭に入るため、2013年3月に同局を退社した。 その後は長らくテレビ出演していなかったが、12年後の2025年3月からRSKテレビの『情報プラス』にレギュラー出演している。
杉原 愛(すぎはら あい、4月16日 - )は、ラジオ沖縄 … 杉原 愛(すぎはら あい、4月16日 - )は、ラジオ沖縄 (ROK) のアナウンサー。 広島県福山市出身。旧広島市民球場には福山から何度も通い、ヒーローインタビューをするアナウンサーに憧れた。広島県立福山誠之館高等学校を経て、立教大学卒業。大学在学時にはボイスワークス運営のアナウンススクールに通っていた。またその一環で、むさしのFMで放送の『ランチタイムボックス』に出演していた。 大学を卒業後、ラジオ沖縄に入社。ワイド番組のMCを担当するだけでなく、沖縄県内のスポーツ関連番組のMCや、おきなわマラソン、全国高等学校野球選手権大会沖縄県大会決勝の各実況も担当するなど幅広いジャンルで番組に出演。現在では、スポーツ実況をメインに担当した宮田隆太郎元アナウンサーが総務部に異動しアナウンサー職を離れたため、後を継ぐ形でキングスコートサイドライブの実況を担当するようになる。
千神 彩花(ちがみ あやか、4月9日 - )は、RSK山陽放… 千神 彩花(ちがみ あやか、4月9日 - )は、RSK山陽放送のアナウンサー。 広島県福山市出身。その東隣にある岡山県笠岡市にも住んでいたことがあり、2021年度からの公式プロフィールには同市も出身地の1つとして記載されている。 福山暁の星女子中学校・高等学校、法政大学文学部日本文学科を卒業後、2017年に山陽放送(当時の社名)に入社。
宇根 京子(うね きょうこ、2月19日 - )は、ヴァイオリ… 宇根 京子(うね きょうこ、2月19日 - )は、ヴァイオリン奏者。広島県福山市出身。 3歳からヴァイオリンを始める。桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学卒業。同大学研究科を修了後、2002年、スイス政府給費留学生として国立チューリヒヴィンタートゥーア音楽大学ソリストディプロマコースに入学。2004年、同音楽大学を卒業。 これまでに天野克子、中村静香、小林健次、ジョルジュ・パウクにヴァイオリンを、店村眞積、毛利伯朗、原田幸一郎、原田禎夫、カルミナクァルテット等に室内楽演奏について師事した。 ソリスト、室内楽などの演奏活動とともに、2006年4月、NHK交響楽団に入団してオーケストラ団員としての活動も開始した。
千早 洋子(ちはや ようこ、1月24日 - )は、広島県福山… 千早 洋子(ちはや ようこ、1月24日 - )は、広島県福山市生まれ、山口県出身のフリーアナウンサー。東京都在住。 印刷会社のアートディレクターや劇団四季の広報・海劇場公演担当、テレビ朝日系列の映像編集プロダクション勤務を経て、映像・音声制作会社代表。防災士・ペット防災プロデューサー。 かつてはFMラジオのパーソナリティーとして活動。現在は、自身が代表を務めるタレント養成所で後進の育成にも尽力している。
小林 美佳(こばやし みか)は、ローカルアイドルのサンフラワ… 小林 美佳(こばやし みか)は、ローカルアイドルのサンフラワーの元メンバー。広島県福山市出身。広島県立福山明王台高等学校出身。
上住谷 崇 は、日本の男性声優。広島県福山市出身。BLACK… 上住谷 崇 は、日本の男性声優。広島県福山市出身。BLACK SHIP所属。
福山 潤 は、日本の男性声優、ナレーター、歌手である。BLA… 福山 潤 は、日本の男性声優、ナレーター、歌手である。BLACK SHIP代表取締役CEO。
杉原 杏璃 は、日本のタレント、投資家、実業家、元グラビアア… 杉原 杏璃 は、日本のタレント、投資家、実業家、元グラビアアイドル。広島県福山市出身。スターダストプロモーション、ARIMAX、フィットを経てフリー。
喜多 賢治 は、NHKのチーフアナウンサー。
稲垣 俊史(いながき しゅんじ)は、日本の言語学者(第二言語… 稲垣 俊史(いながき しゅんじ)は、日本の言語学者(第二言語習得研究・言語学)。学位は、Ph.D.(マギル大学)。同志社大学グローバル地域文化学部教授。日本第二言語習得学会会長。 広島県福山市出身。大阪外国語大学英語学科卒業後、広島大学とハワイ大学で英語教育の修士号を、カナダのマギル大学で言語学の博士号を取得。大阪府立大学で11年間、名古屋大学国際言語文化研究科で6年勤めた後、2016年度より同志社大学グローバル地域文化学部教授。野球好きで広島東洋カープのファンである。 専門は言語学・第二言語習得研究。具体的には、第二言語ライティングの測定指標の研究、第二言語学習者の移動表現の習得、数の認識と統語の習得、中国語話者の日本語習得時の言語転移、多読について。
藤井 泰子(ふじい やすこ、Yasko Fujii)は、日本… 藤井 泰子(ふじい やすこ、Yasko Fujii)は、日本のソプラノ歌手、女優。広島県福山市出身。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部を経てイタリアに留学し、サルッツォのマグダ・オリヴェーロ国際声楽コンクール優勝などを通じて国際的に活動している。イタリアのテレビ番組『Avanti un altro!』への長年のレギュラー出演や、短編映画『CITIZENs〜戦わないという選択〜』の主演など、映像分野でも活動している。2021年には『Newsweek日本版』の特集「世界が尊敬する日本人100人」に選出され、2020年代半ば以降は兵庫県淡路島を拠点にアワジオペラカンパニー芸術監督を務めるとともに、2025年大阪・関西万博イタリア館の公式アンバサダーおよび同館シアター・プログラムのプロジェクトリーダーの一人に選ばれている。
岡崎 陽子(おかざき ようこ)は、日本のコミュニケーションコ… 岡崎 陽子(おかざき ようこ)は、日本のコミュニケーションコンサルタント・クリエイティブディレクター。株式会社TEEMA(テエマ)代表取締役。コピーライター出身、CMプランニングからブランディングまで幅広く活躍している。 広島県福山市出身。上智大学法学部法律学科在学中にハワイ州立大学交換留学。2005年電通入社、人事・クリエイティブ・営業を歴任。2013年DENTSU ALPHAのベトナム拠点にて勤務。 映画『SHELL and JOINT』(監督:平林勇)にて、共同プロデューサーを務め、海外ロケのコーディネーションから海外映画祭を含むPR広告を統括した。 NPO法人日本ビーチ相撲協会に所属。 2015年より、場所に捉われない働き方としてワーケーションスタイルを確立。
鳥羽 亜矢子(とば あやこ)は、日本のピアニストである。広島… 鳥羽 亜矢子(とば あやこ)は、日本のピアニストである。広島県福山市出身。 国内外において器楽・声楽の両分野のアンサンブルピアニストとして、リサイタル・コンクールなどでの伴奏・共演を中心とした演奏活動を行っている。日本人としては練木繁夫に次いで、20世紀を代表するチェリストの1人であるヤーノシュ・シュタルケルから直接薫陶を受けた数少ないピアニストの一人。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
石田 孝文(いしだ たかふみ)は、日本のフリーライター・漫画… 石田 孝文(いしだ たかふみ)は、日本のフリーライター・漫画家。 広島県福山市出身。武蔵野美術大学映像学科卒業後、どろんこ作業所に入社するも7日で挫折。失業。 趣味は、シーカヤック。夢は羊の毛をバリカンで刈る事。 現在は『月刊TVnavi』にて『ナビーロード』を執筆中。 2007年からYouTubeで動画を投稿している。ここでは動画で行っている企画を紹介する。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石井 英太郎 (いしい えいたろう、天保14年(1843年)… 石井 英太郎 (いしい えいたろう、天保14年(1843年)1月 - 昭和2年(1927年)10月14日)は、明治時代の政治家。 広島県議会初代議長。広島県福山中学校(現広島県立福山誠之館高等学校)初代校長。福山初の小学校である深津啓蒙所(現福山市立深津小学校)設立に尽力した。深津村庄屋で義倉財団創設に関係する石井武右衛門の玄孫にあたる。四女が石井スエ(大原寿恵子)で孫が大原総一郎。 備後国深津郡深津村(現広島県福山市東深津町)で庄屋の家に生まれる。 慶応元年(1865年)閏5月、家督相続し深津村庄屋を拝命する。同年6月備後福山藩御用達となり 、明治2年(1869年)福山藩下議員として公議所に出仕する。
佐々木 善章(ささき よしあき)は、日本の漫画家、漫画原作者… 佐々木 善章(ささき よしあき)は、日本の漫画家、漫画原作者。広島県福山市出身。神奈川県在住。 2004年、週刊少年マガジン第70回新人漫画家賞で佳作入選。受賞作『軽量句人』が『マガジンSPECIAL』2003年11月号に掲載されデビュー。2006年、『週刊少年マガジン』にて『マグロ一本釣り伝説 じょっぱれ瞬!』で漫画原作者として初の週刊連載を開始。 『Dモーニング』にて『スイーツ本部長 一之瀬櫂』を連載。 大分県のからあげフェスティバル公式キャラクター『からあげ侍 から兵衛』の作者でもあり、FMなかつ発刊の情報誌「NOAS!!」でも「からあげ侍 から兵衛」の漫画を連載中。また、過去に雑誌「月刊 卓球王国」にて太田康徳名義で『Doubles!』も連載していた。