渡辺 弘(わたなべ ひろむ、1963年7月25日 - )は愛… 渡辺 弘(わたなべ ひろむ、1963年7月25日 - )は愛媛県今治市出身の元プロ野球選手。
愛媛県 今治市:144人
渡辺 弘(わたなべ ひろむ、1963年7月25日 - )は愛… 渡辺 弘(わたなべ ひろむ、1963年7月25日 - )は愛媛県今治市出身の元プロ野球選手。
檜垣 幸人(ひがき ゆきと、1962年7月12日 - )は、… 檜垣 幸人(ひがき ゆきと、1962年7月12日 - )は、日本の実業家。今治造船の代表取締役社長。今治.夢スポーツ・日本シップヤード取締役。今治商工会議所会頭。 愛媛県今治市出身。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。 2005年10月に死去した檜垣榮治社長の後任として今治造船代表取締役社長に就任。2025年6月には日本造船工業会の会長に就任。日本造船工業会では三菱重工業や川崎重工業、IHIなど重工系のトップが会長を務めていたが、専業造船では初の会長就任となった。
MAYA MAXX(マヤマックス、1961年 - 2025年… MAYA MAXX(マヤマックス、1961年 - 2025年1月9日)は、日本の画家、イラストレーター、絵本作家。 愛媛県今治市出身。愛媛県立今治西高等学校を経て、早稲田大学教育学部卒業。今治応援大使。北海道岩見沢市在住。 27歳のときに有元利夫の絵に衝撃を受けて独学で絵を書き始め、1993年の初個展にて「MAYA MAXX」を名乗り始める。それ以来毎年開催している個展をはじめ、よしもとばなな、山田詠美など小説の装丁画や絵本創作、CDジャケットデザイン等を手がけ、若い世代からの支持も高い。 フジテレビ系『ポンキッキーズ』やNHK教育テレビ『真剣10代しゃべり場』などテレビ番組にも出演、映画『ハチミツとクローバー』絵画指導など多方面で活動。
青野 敏行(あおの としゆき、1960年3月5日 - )は、… 青野 敏行(あおの としゆき、1960年3月5日 - )は、日本の喜劇俳優、お笑い芸人、ナレーター、吉本新喜劇座員。 愛媛県今治市出身。吉本興業所属。 愛媛県立今治南高等学校卒業。 素人時代に『TVジョッキー』の「ザ・チャレンジ」ものまねチャンピオン大会に宇野栄二とコンビで出場し、第9代ウルトラチャンピオンになる。当時高校生だったとんねるずの木梨憲武と同じ舞台に立っていた。 四角い顔で浪花節的な濁りの入った渋い声の持ち主で、時代劇俳優指向が強い。声質を活かし、ナレーションも務めている(「出演番組」の項を参照)。 俳優として東映ニューフェイスでデビュー。上京したが出戻り、漫才コンビを組んで大阪へ。
伊藤 豊明(いとう とよあき、1958年5月25日 - )は… 伊藤 豊明(いとう とよあき、1958年5月25日 - )は、愛媛県今治市出身の元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会愛媛支部所属、ホームバンクは松山競輪場。日本競輪学校(当時)第41期生。同期には井上茂徳らがいる。師匠は越智淳三郎。 デビュー戦は1978年5月13日の、ホームバンク・松山競輪場で迎え、初勝利も同日。また、同開催完全優勝を果たす。 5年後の1982年に開催された高松宮杯競輪では決勝に進出するも6番車で、全く人気がなかったが、直線に入って鋭く後方から脚を伸ばし、完全優勝目前と見られた尾崎雅彦をゴール前差し切って、自身も思いがけない特別競輪(現在のGI)での優勝を果たす。予選では伊藤を連れた越智祥泰が500バンクの赤板前から2車で後続をぶっ千切って飛び出す(暴走失格)逃げに乗って一着で通過、審議にはかかったものの、連に絡んだ伊藤は暴走にはならずセーフ。
菅 康弘(かん やすひろ、1958年 - )は、日本のテレビ… 菅 康弘(かん やすひろ、1958年 - )は、日本のテレビプロデューサー。NHK経営企画局長、NHK理事・放送総局副総局長等を経て、坂の上の雲ミュージアム総館長。エランドール賞等受賞。 愛媛県今治市出身。愛光中学校・高等学校を経て、一橋大学社会学部を卒業し、1982年日本放送協会(NHK)入局。城本勝は大学及び入局同期。NHKでは演出部から始め、プロデューサーなどとして、テレビドラマ製作に長く携わった。 NHK室蘭放送局放送部を経て、1986年8月からNHK番組制作局芸能番組センタードラマ番組部ディレクター。1992年7月NHK大阪放送局放送センター芸能部ディレクター、1996年7月放送総局・株式会社NHKエンタープライズ21出向、1999年6月放送総局付・株式会社NHKエンタープライズ21出向、2000年5月番組制作局芸能番組センタードラマ番組部チーフ・プロデューサー、2006年6月放送総局チーフ・プロデューサー、2010年6月放送総局エグゼクティブ・プロデューサー、2011年6月制作局制作主幹兼放送総局エグゼクティブ・プロデューサー、制作局第2制作センター長を経て、2012年6月編成局編成主幹兼株式会社NHKビジネスクリエイト取締役、2013年6月NHK編成局編成センター長兼東日本大震災プロジェクト事務局長、2014年6月13日NHK名古屋放送局長、2016年4月25日NHK経営企画局長。
波頭 亮(はとう りょう、1957年12月8日 - )は、日… 波頭 亮(はとう りょう、1957年12月8日 - )は、日本の経営コンサルタント、経済評論家、ソシオエコノミスト、経営コンサルティング会社社長。 愛媛県今治市生まれ。愛光中学校・高等学校(2年高校生まで)、愛媛県立今治西高等学校を経て、1980年東京大学経済学部(マクロ経済学理論及び経営戦略論専攻)を卒業。大手都市銀行に就職するも、1ヶ月で退職。その後はテニスのコーチとコンピュータのプログラミングと地図の作成などのアルバイトを転々とするフリーター生活を送る。アルバイトで訪れたマッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に興味を持ち、1982年にインターンとして入社。1988年独立し、戦略系コンサルティングという職業の草創期には経営コンサルティング会社(株)XEEDを設立した。
長井 健司(ながい けんじ、1957年〈昭和32年〉8月27… 長井 健司(ながい けんじ、1957年〈昭和32年〉8月27日 - 2007年〈平成19年〉9月27日)は、愛媛県今治市出身の映像ジャーナリスト。APF通信社所属。 2007年9月27日、ミャンマーのヤンゴンで軍事政権に対する僧侶・市民の反政府デモを取材中、軍兵士に至近距離から銃撃され死亡したと報道されている。 愛媛県立今治西高等学校を卒業後、東京経済大学経済学部に進学。卒業後にアメリカに1年間留学した。元々はミュージシャン志望であった。日本に帰国して映像ジャーナリスト(カメラマン、リポーター、執筆家の複合職種)として活躍する前はアルバイトで生活していたという。日本テレビ報道特捜プロジェクトのディレクターなどを経て、1997年よりAPF通信社(東京都港区赤坂に所在)の契約記者として活動。
渡部 一治(わたべ かずはる、1956年1月20日 - )は… 渡部 一治(わたべ かずはる、1956年1月20日 - )は、愛媛県今治市出身の元アマチュア野球選手(内野手、外野手)である。 今治西高等学校では甲子園に4回出場。1971年夏の選手権は右翼手として出場。1年上の徳丸謙一(愛媛相互銀行)、同期の矢野隆司両投手を擁し2回戦に進むが、鹿児島玉龍高に敗退。翌1972年春の選抜は2回戦で倉敷工に敗れる。他の1年上のチームメイトに二塁手の木村富士夫がいた。1973年春の選抜は三塁手、四番打者として準々決勝に進むが、作新学院の江川卓に完封負け。同年夏の選手権は、準決勝で植松精一らを打の主軸とする静岡高に敗退。直後の日韓親善高校野球にも参加した。 駒澤大学に進学。
井本 雅之(いもと まさゆき、1956年1月6日 - )は、… 井本 雅之(いもと まさゆき、1956年1月6日 - )は、日本の実業家。ありがとうサービス代表取締役社長、今治デパート取締役。 愛媛県今治市出身。早稲田大学教育学部卒業。 1980年に日本マーケティングセンター(現:船井総合研究所)の勤務を経て、1985年に祖父が立ち上げたブラザーミシン代理店である井本ブラザー商会の代表取締役に就任。1989年には父親が病に倒れ、父親が経営していた今治デパートに入社。今治デパートはダイエーのフランチャイジーとしてスーパーを展開していたが1990年代に入りバブル崩壊や規制緩和による郊外への大型ショッピングセンター開業などで経営が悪化。一時期は借入が145億円(当時の年商170億円 経常利益マイナス1億円)あり、銀行からの融資が止まるなど厳しい状況に追い込まれた。
菊川 智文(きくがわ ともふみ、1956年 - )は愛媛県今… 菊川 智文(きくがわ ともふみ、1956年 - )は愛媛県今治市出身、イギリス・ロンドン在住の英国政治研究者。
矢野 一樹(やの かずき、1955年〈昭和30年〉12月16… 矢野 一樹(やの かずき、1955年〈昭和30年〉12月16日 - )は、日本の海上自衛官。日本安全保障戦略研究所上席研究員、防人と歩む会理事長。第19代潜水艦隊司令官、三菱重工顧問を歴任。最終階級は海将。防大22期。 愛媛県今治市出身。防衛大学校第22期卒業。海上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程修了。アメリカ合衆国国防大学修士(国家資源管理)。 海上幕僚監部教育課長、防衛大学校訓練部長、大湊地方総監部幕僚長、海上幕僚監部装備部長を経て、第19代潜水艦隊司令官。2013年(平成25年)8月、海上自衛隊退官。 退官後、三菱重工顧問を務めた。
村上 ショージ(むらかみ ショージ、1955年〈昭和30年〉… 村上 ショージ(むらかみ ショージ、1955年〈昭和30年〉5月28日 - )は、日本のお笑いタレント。本名は村上 昭二(むらかみ しょうじ)。 愛媛県今治市出身。吉本興業東京所属。血液型B型、身長164cm。すべり芸を得意とする。村上ジョージは誤記。 瀬戸内海に浮かぶ伊予大島の愛媛県越智郡吉海町で、村上家の三男として生まれる。「昭和の時代に生まれ、常に二番手を走れ、という意味で昭二と名付けられた」と本人がたびたび話していたが、2007年3月3日放送の『MBSヤングタウン土曜日』で「本当は名前の由来は分からない。聞かれたときに何か答えなければならないと思い、そのように答えていた」と話し、名前の由来すらもネタにしていたことが発覚した。
尾崎 まゆみ(尾﨑 まゆみ、おさき まゆみ、1955年1月1… 尾崎 まゆみ(尾﨑 まゆみ、おさき まゆみ、1955年1月17日 - )は、愛媛県今治市生まれの歌人。兵庫県神戸市在住。 愛媛県立今治西高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業。1991年、「微熱海域」で第34回短歌研究新人賞受賞。塚本邦雄が創刊した歌誌『玲瓏』の編集委員で選者を務める。2011年から神戸新聞文芸短歌選者、2015年から伊丹公論「伊丹歌壇」選者。
土井中 照(どいなか あきら、1954年12月28日 - )… 土井中 照(どいなか あきら、1954年12月28日 - )は、日本の著作家、グラフィックデザイナー、プランナー。本名、田中 晃(たなか あきら)。 愛媛県今治市出身。同志社大学文学部中退。同県松山市のデザイン会社でデザイナー、プランナー、その後田窪工業所で宣伝課長を務める。2002年にフリーライターとして独立。四国にまつわる歴史と文化の豊富な知識を活かし、執筆のみならず商品開発、ウェブサイト作成、CD制作、講演、テレビ・ラジオ出演など活動は多岐にわたり、地元メディアから「愛媛の雑学王」とも呼ばれる。 1980年にパルコ出版主催の日本パロディ展でポスター「I LOVE TOKYO」が佳作、2003年に今治城築城・開町400年シンボルマーク公募で最優秀賞。
山本 順三(やまもと じゅんぞう、1954年〈昭和29年〉1… 山本 順三(やまもと じゅんぞう、1954年〈昭和29年〉10月27日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(4期)、同党参議院政策審議会長。 国家公安委員会委員長(第94代)兼内閣府特命担当大臣(防災)、国土交通副大臣兼内閣府副大臣兼復興副大臣、国土交通大臣政務官、自由民主党幹事長代理、参議院予算委員長、同決算委員長、同議院運営委員長、同政府開発援助等に関する特別委員長、愛媛県議会議員(6期)等を歴任。 愛媛県今治市生まれ。父は愛媛県議会議員を4期務めた後引退し、地元で製材業を営んだ。 愛光中学校、愛媛県立今治西高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。川崎製鉄(現・JFEスチール)に勤務。
真城 義麿(ましろ よしまろ、1953年- )は、浄土真宗僧… 真城 義麿(ましろ よしまろ、1953年- )は、浄土真宗僧侶、教育家。 愛媛県今治市生まれ。1978年大谷大学大学院修士課程修了。1997-2011年大谷中学校・高等学校校長。学校法人真宗大谷学園専務理事。今治市真宗大谷派善照寺住職。
村上 誠一郎(むらかみ せいいちろう、1952年(昭和27年… 村上 誠一郎(むらかみ せいいちろう、1952年(昭和27年)5月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(10期)、衆議院政治倫理審査会長。
矢野 暢生(やの のぶお、1952年 - )は、愛媛県今治市… 矢野 暢生(やの のぶお、1952年 - )は、愛媛県今治市出身の元アマチュア野球選手(投手)である。 今治西高等学校では2年生時、1969年夏の甲子園予選北四国大会準決勝に進むが、高松商の大北敏博に完封負けを喫する。その後も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。 早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは1972年春季リーグから登板。3年生からエースとなり楠城徹、鈴木治彦、鍛治舎巧ら強力打線の援護もあって、1973年春季リーグで4年ぶりの優勝に貢献。同季のベストナインに選出され、第2回日米大学野球選手権大会日本代表となる。大会では2試合に先発、第5戦では完投勝利を飾った。翌1974年春季リーグで優勝、2度目のベストナインに選出された。
門田 純良(かどた すみよし、1951年4月5日 - )は、… 門田 純良(かどた すみよし、1951年4月5日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(投手)。 今治南高から、社会人野球の愛媛相互銀行へと進み、谷山高明とともに主力投手として活躍。 1970年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから3位指名される。しかし保留する。 1971年の都市対抗に谷山とともに丸善石油の補強選手として出場。2回戦では盛岡鉄道管理局を相手に先発するが、早々に打ち込まれ真価を発揮できなかった。準々決勝でも先発を任され、日本石油の奥江英幸と投げ合う。この試合は3回からエースの久玉清人に継投して勝利を飾った。決勝に進出し新日鐵広畑と対戦。7回から久玉をリリーフするが白滝政孝、佐々木恭介に適時打を浴び降板、敗退した。
正岡 真二(まさおか しんじ、1949年8月15日 - )は… 正岡 真二(まさおか しんじ、1949年8月15日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(内野手)。1971年までは村上(むらかみ)姓であった。 2014年まで中日ドラゴンズのスカウトを務めていた。 今治南高校では遊撃手、一番打者として1967年夏の甲子園予選北四国大会決勝に進出。玉井信博投手を主戦とする松山商を降し甲子園に出場。準々決勝に進むが、野上俊夫投手を擁する市和歌山商に延長10回の熱戦の末3-4xで敗れた。 高校球界ナンバーワンの遊撃手と評価され、1967年のドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。打撃に極端に難があり、二軍暮らしが長かった。 1973年に一軍に定着、華麗な守備で徐々に出場機会を増やすが、打撃面での弱さが克服できず、広瀬宰とのレギュラー遊撃手争いが続く。
黒川 博行(くろかわ ひろゆき、1949年3月4日 -)は、… 黒川 博行(くろかわ ひろゆき、1949年3月4日 -)は、日本の小説家・推理作家。愛媛県今治市生まれ。大阪府羽曳野市在住(2014年時点)。京都市立芸術大学美術学部彫刻科卒業。妻は日本画家の黒川雅子。 1949年、愛媛県今治市に生まれる。6歳の頃 に大阪に移り住んだため、「大阪人」を自認している。中学校の後輩には柴崎友香がおり、後にそれぞれ直木賞と芥川賞を同日に受賞することとなる。大阪府立泉尾高等学校卒業後、京都市立芸術大学美術学部彫刻科に学び、同学部の日本画科に通っていた妻・雅子と23歳で学生結婚する。 大学卒業後、ダイエーに入社するが会社勤めは性に合わず、妻が中学教師になっていたこともあり教員免許を取得、1977年から大阪府立東淀川高等学校に美術教師として勤める。
田窪 恭治(たくぼ きょうじ、1949年 - )は、日本の美… 田窪 恭治(たくぼ きょうじ、1949年 - )は、日本の美術家。愛媛県今治市生まれ。1972年、多摩美術大学絵画科油画専攻卒業。初期は個人による現代美術的な作品やパフォーマンスが多かったが、建築家や写真家と協力し領域的に広い活動を始め、過去の建造物を修復再生するような活動を行っている。1999年村野藤吾賞受賞。金刀比羅宮文化顧問。京都造形芸術大学客員教授。 学生時代に同級生の実家である金刀比羅宮の書院で伊藤若冲の壁画などを見たことが、美術家になる決意をしたきっかけであると語っている。
池尻清(いけじり きよし、1949年 - 2016年)は日本… 池尻清(いけじり きよし、1949年 - 2016年)は日本の写真家。日本写真家協会会員。愛媛県今治市出身。
池内 計司(いけうち けいし、1949年 - )は日本の実業… 池内 計司(いけうち けいし、1949年 - )は日本の実業家。IKEUCHI ORGANIC株式会社代表。 愛媛県今治市生まれ。愛光高等学校を経て、1971年一橋大学商学部を卒業し、松下電器産業(現パナソニック)に入社。同社ステレオ事業部、営業企画部勤務。1983年池内タオル(現IKEUCHI ORGANIC)に入社し、第二代代表取締役社長に就任。2000年四国タオル工業組合副理事長。 OEM中心だった池内タオルの事業を、オーガニックタオル「IKT」に集中。2002年ニューヨーク・ホームテキスタイルショー・2002年スプリングで、最優秀賞 (Best New Products Award) を受賞。
近藤 等則(こんどう としのり、1948年12月15日 - … 近藤 等則(こんどう としのり、1948年12月15日 - 2020年10月17日)は、日本のトランペッターで音楽プロデューサー。本名は俊則で、読みは同じ。愛媛県今治市出身。 愛媛県立今治西高等学校卒業。京都大学工学部から京都大学文学部英米文学科に転じて卒業。芸名は20代後半に占い師から「名前を変えた方がいい」と言われたことによるもの。 多くの著名なアーティストとセッションを重ね、ノイズ、アンビエント、トランス等のエレクトリックサウンド手法を取り入れたオリジナリティ溢れる演奏は、国外でも高く評価されている。演奏ライブに留まらず、画家とライブペインティングを行うなどプロジェクトなども精力的に進めた。
智内兄助(ちない きょうすけ、1948年 - )は、日本の洋… 智内兄助(ちない きょうすけ、1948年 - )は、日本の洋画家。 愛媛県今治市(旧越智郡波方町)出身。愛媛県立今治西高等学校、東京芸術大学大学院油画科修了。6人兄弟の末子。 1980年代初めから、和紙にアクリル絵具という独特な画法を確立し、日本画と洋画との境界を越えた革新的な表現方法に到達。日本の伝統美である衣装文様や花鳥風月を、「もののあはれ」を基調としたその作風は独特の技法とあいまって智内独自の幻想世界を創り上げている。古典の伝統から逸脱することなく、日本の美意識を斬新な手法で捉える「絵師」として、安井賞をはじめ数々の賞を受賞し、現代画壇を代表する洋画家として揺るぎない地位を築きあげている。
空山 基(そらやま はじめ、1947年〈昭和22年〉2月22… 空山 基(そらやま はじめ、1947年〈昭和22年〉2月22日 - )は、日本のイラストレーター。愛媛県今治市出身。 愛媛県立今治北高等学校を経て、1965年(昭和40年)、四国学院大学文学部英文科に入学する。大学時代は英文学とギリシア文学について学ぶ。1967年(昭和42年)には、美術を学ぶために中央美術学園に入学。1969年(昭和44年)に学校を卒業し、旭通信社に就職。1971年(昭和46年)にフリーランスのイラストレーターとして独立した。以後、エロティックかつメタリックな質感およびメカニカルな造形で女性を描いた「セクシーロボット」シリーズで知られる。また、ソニーが開発したエンタテインメントロボットである「AIBO」のデザインも手がけた。
高井 保弘(たかい やすひろ、 1945年2月1日 - )は… 高井 保弘(たかい やすひろ、 1945年2月1日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(内野手)。
蒲田 耕二(かまた こうじ、1940年9月15日 - )は音… 蒲田 耕二(かまた こうじ、1940年9月15日 - )は音楽評論家。本名、鎌田紘次。 愛媛県今治市出身。1964年、東京外国語大学フランス語科卒。同年、音楽之友社に入社。1969年、日本リーダーズダイジェスト社に転じる。1976年に独立しフリーとなる。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
大沢一彦(おおざわ かずひこ、1940年5月10日 - )は… 大沢一彦(おおざわ かずひこ、1940年5月10日 - )は、日本の実業家。日本食研創業者・会長で、同社を含む日本食研グループ16社の最高経営責任者。 1940年、愛媛県今治市出身。愛媛県立今治南高等学校を経て、1963年東京農業大学卒業。 1971年10月、大沢一彦ら6名で、高松市にて畜産加工研究所として創業。1973年2月13日、株式会社畜産加工研究所設立。1975年2月、日本食研株式会社に商号変更。 異業種交流等も主宰。焼肉のたれ 宮殿のCMに出演。 2010年4月、藍綬褒章を受章。 2020年4月、今治市名誉市民の称号を授与される。 2023年4月、旭日小綬章受章。同年5月、食料産業特別貢献大賞受賞。
重松 省三(しげまつ しょうぞう、1940年1月5日 - )… 重松 省三(しげまつ しょうぞう、1940年1月5日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。
青野 修三(あおの しゅうぞう、1939年10月13日 - … 青野 修三(あおの しゅうぞう、1939年10月13日 - )は、愛媛県今治市(現役当時は、同県越智郡朝倉村)出身の元プロ野球選手(内野手)。
浜本 純逸(はまもと じゅんいつ、1937年(昭和12年)1… 浜本 純逸(はまもと じゅんいつ、1937年(昭和12年)11月28日 - )は、日本の教育学者、国語教育学者。神戸大学名誉教授。 愛媛県今治市生まれ。1960年広島大学教育学部卒業、1962年同大学大学院教育学研究科修士課程修了、1967年同大学院博士課程単位取得退学。1969年福岡教育大学講師、1971年同助教授、1979年神戸大学教育学部教授。1984年「ロシア・ソビエトにおける文学教育の成立と発展に関する研究」で広島大学教育学博士。2001年神戸大学を定年退官、名誉教授、鳥取大学教育学部教授。2003年早稲田大学教育学部特任教授。 1981年石井賞(全国大学国語教育学会)、1998年大村はま賞(大村はまの会)、2002年教育研究賞(日本教育研究連合会)をそれぞれ受賞した。
原島 秀毅(はらしま ひでき、1937年 - 2017年2月… 原島 秀毅(はらしま ひでき、1937年 - 2017年2月27日)は、日本の外交官。橋本内閣で初代沖縄担当特命全権大使兼政府代表として在日米軍基地問題などにあたった。駐マレーシア特命全権大使を経て、退官後、沖縄に移住し大学で琉球文学を講じたり、琉球民謡創作を行うなどした。琉球民謡新人賞受賞。 愛媛県今治市出身。1956年愛媛県立今治西高等学校卒業。1962年一橋大学法学部卒業、外務省入省。外務省中近東アフリカ局アフリカ課長、国際連合日本政府代表部参事官、外務省欧亜局西欧第一課長、外務大臣官房文書課長、国際連合日本政府代表部公使等を歴任。1983年から宮内庁御用掛として昭和天皇のフランス語通訳を務めた。
越智 道雄(おち みちお、1936年11月3日 - 2021… 越智 道雄(おち みちお、1936年11月3日 - 2021年5月26日)は、日本の英語圏政治/文化研究者、翻訳家。明治大学名誉教授。 愛媛県今治市出身。1965年広島大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、1966年玉川大学文学部助教授、1970年明治大学商学部助教授、1975年教授、2007年定年退職、名誉教授。 1983年にザヴィア・ハーバート「かわいそうな私の国」で日本翻訳出版文化賞、1987年にローズマリー・ハリス「遠い日の歌が聞こえる」翻訳で産経児童出版文化賞受賞。 多元文化国家アメリカ論で多数の著書がある。他にオーストラリアを中心にカナダ・ニュージーランド・南アを含めた「英語圏新世界諸国」をアメリカとエコーさせる視点での論考、アメリカを中心とする多数の翻訳に加えて、児童文学・ミステリ・SFの翻訳がある。
越智 敬(おち たかし、1934年10月30日 - 2010… 越智 敬(おち たかし、1934年10月30日 - 2010年11月14日)は、日本出身のドイツで活躍したマンドリン奏者、作曲家。 愛媛県今治市生まれ。13歳の時からマンドリンを始めた。1954年、東京外国語大学に入学してイタリア語や英語などを学び、そのかたわら比留間きぬ子のプライベートスクールでマンドリンとギターを学んだ。大学卒業後の数年間、同スクールでマンドリンとギターの講師を務め、いくつかの団体にソリストとして参加したりテレビ・ラジオの録音の活動を行った。 1961年、ジークフリート・ベーレントの招きでドイツに渡り、ザールラント州ザールルイに居を構え、いくつかの音楽学校でフリーランスの教師を務め、ドイツマンドリン連盟の講師として活動した。
野間 赳(のま たけし、1934年4月3日 - 2023年3… 野間 赳(のま たけし、1934年4月3日 - 2023年3月11日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(2期)。第1次小泉内閣において、農林水産副大臣を歴任。 愛媛県今治市出身。愛媛県立今治西高等学校を経て、1957年明治大学政経学部政治学科を卒業。 1972年に愛媛県議会議員に初当選(連続6期)。 1990年に愛媛県議会議長に就いた後、1992年に第16回参議院議員通常選挙に愛媛県選挙区より立候補し当選。1998年第18回参議院議員通常選挙においても連続当選を果たす。2004年、政界から引退した。 2005年、旭日重光章受章。 2023年3月11日、老衰のため、死去した。88歳没。
鯉ノ勢 寅雄(こいのせ とらお、1930年1月21日 - 没… 鯉ノ勢 寅雄(こいのせ とらお、1930年1月21日 - 没年不明)は、愛媛県越智郡乃万村(現・同県今治市)出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は小沢 寅雄(おざわ とらお)。最高位は東前頭12枚目(1958年1月場所)。得意手は左四つ、押し、寄りなど。現役時代の体格は170cm、105kg。 19歳の時、元関脇・二瀬川が率いる朝日山部屋に入門し、1950年1月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外と新序で共に好成績を残したため、翌場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 当初より「鯉ノ勢」の四股名を名乗り、一時「鯉ノ瀬」に改名するも、1場所で「鯉ノ勢」に戻している。 出世は早く、番付に付いてから4年半弱の1954年9月場所で十両に昇進。
藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2… 藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2003年5月28日)は、日本の政治学者(日本政治思想史)、法政大学名誉教授。戦後、丸山学派を代表する左派系の思想史家。 丸山眞男の弟子で、寡作ではあるが丸山学派を代表する。天皇制国家の構造分析は戦後思想史において画期的意味をもちつづける。鶴見俊輔らとともに行った『共同研究 転向』では中心的役割を果す。晩年に『藤田省三著作集』(みすず書房)が刊行されている。 愛媛県今治市出身。父藤作は大三島出身の小学校代用教員。兄2人姉2人の5人兄弟の末っ子だが、2人の兄はともに太平洋戦争で戦死した。今治中学校(現・愛媛県立今治西高等学校)を経て、陸軍予科士官学校に入学(当時の校長は牟田口廉也)。
武内 亨(たけうち とおる、1927年5月16日 - 200… 武内 亨(たけうち とおる、1927年5月16日 - 2006年8月4日)は、日本の俳優。本名:武内 享。 愛媛県今治市出身。明治大学予科中退。劇団俳優座養成所第2期生を経て、劇団俳優座に所属していた。 テレビ時代劇『水戸黄門』では、徳川綱吉・大名・商人・梅小路大納言などを演じた。 2006年8月4日、肝内胆管癌のため神奈川県川崎市の病院で死去。79歳没。
砂田量爾(すなだ りょうじ、1926年5月21日 - 201… 砂田量爾(すなだ りょうじ、1926年5月21日 - 2015年3月23日)は、日本のシナリオ作家。 愛媛県今治市出身。旧制松山高校から大阪帝国大学(現・大阪大学)理学部化学科卒。理学部へ進んだのは「一種の徴兵拒否」が目的と話したことがある。教師になるが一年で上京、欧文のタイピング、翻訳、オーディオの製造販売から物作りが得意なことを活かして闇市で売るなどさまざまな職を転々とする。初めて書いた脚本は、岩波映画の子供向け科学映画。友人にTBSの「七人の刑事」のスタッフに紹介されて脚本を1本書いたら採用され、1962年から「七人の刑事」のシナリオに参加、以後テレビドラマ、演劇台本などを多く書いた。「風の色」「風の町」「娘たちの四季」などがある。
松本 奉山(まつもと ほうざん、1925年9月2日 - 20… 松本 奉山(まつもと ほうざん、1925年9月2日 - 2010年1月5日)は、日本の水墨画家。愛媛県今治市生まれ。本名は松本 由美子(まつもと ゆみこ)。 1942年、松本尚山に入門。1963年に渡米し、海外でも活躍した。外務省文化使節や国際交流基金文化使節として海外で多くの活動を行った。シアトルにあるコーニッシュ芸術大学の講師を務めたこともある。 2010年1月5日、大阪市福島区の病院で肝臓がんにより84歳で死去した。 国内だけでなく、欧米や南米の風景を描いた作品も描いて個展を開き、高い評価を得た。 1999年のしまなみ海道開通時には、橋と島を組み合わせた作品を多数描いた。 2000-2001年には、琵琶湖と淀川の風景を描いた「みず紀行」を、毎日新聞夕刊(大阪本社発行版)に連載した。
楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - … 楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - 2002年5月28日)は、愛媛県越智郡宮窪町(現役当時、現・同県今治市宮窪町)大字宮窪出身で中村部屋に所属した大相撲力士。本名は南 幸男(みなみ さちお)。最高位は西前頭18枚目(1955年9月場所)。現役時代の体格は170cm、140kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 17歳の時に中村部屋へ入門し、1942年1月場所で初土俵を踏んだ。因みに、当初の四股名は、「能嶋城」であった。 三段目時代の1945年夏、徴兵され、短期間ながら日本軍の一員として第二次世界大戦に参加。戦場から帰還後は徐々に番付を上げ、1951年1月場所で新十両に昇進した。
羽藤 一志(はとう かずし、1922年(大正11年)8月18… 羽藤 一志(はとう かずし、1922年(大正11年)8月18日 - 1942年(昭和17年)9月13日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争のエース・パイロット。戦死による特進で最終階級は二等飛行兵曹。 1922年8月18日、愛媛県今治市(旧越智郡玉川町)に生まれる。生後、父親の仕事で今治市常盤町に転居。父親が早くに亡くなり、母親が再婚、異父兄弟の妹と弟がいたが、兄弟仲は良かった。 1938年(昭和13年)6月、海軍飛行予科練習生乙飛9期生として入隊。同期の本間猛は、羽藤は予科練時代から温和な優男であり、級友は羽藤が戦闘機に行ったというので「羽藤が戦闘機にねえ」と言ったが、ひとたび戦場に出るや、闘志満々、戦意旺盛、零戦を駆って縦横無尽の活躍をして敵機十数機を撃墜したと語っている。
越智 伊平(おち いへい、1920年〈大正9年〉12月10日… 越智 伊平(おち いへい、1920年〈大正9年〉12月10日 - 2000年〈平成12年〉3月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(10期、自由民主党)。越智電気商会(現四国通建)創業者。位階は正三位、勲等は勲一等。 愛媛県越智郡(旧玉川町、現今治市)鈍川出身。1941年相模原工学校卒。戦後、越智電気商会を設立。1954年7月、鈍川公民館建設費として22万円寄付により1955年1月18日紺綬褒章受章。 1955年今治市議会議員選挙にトップで初当選、1959年愛媛県議会議員選挙でもトップで初当選。1962年10月、今治市立今治小学校給食費として10万円寄付により1963年10月24日、紺綬褒章受章(飾版)。
菅 利雄(かん としお、1916年4月12日 - 没年不明)… 菅 利雄(かん としお、1916年4月12日 - 没年不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手(一塁手、三塁手、外野手)。
八木 徹雄(やぎ てつお、1916年(大正5年)1月31日 … 八木 徹雄(やぎ てつお、1916年(大正5年)1月31日 - 1971年(昭和46年)7月4日)は、自由民主党衆議院議員(5期)。 愛媛県越智郡乃万村延喜(現今治市延喜)生まれ。愛媛県立今治中学校卒業後上京し、砂田重政立憲政友会衆議院議員秘書。1937年、大倉高等商業学校卒業。1951年、保守党の最年少議員として、愛媛県議会議員に初当選。日本民主党愛媛県支部幹事長を経て、1958年2月、第27回衆議院議員総選挙愛媛2区補欠選挙に自由民主党で立候補するが、落選。同年5月の第28回衆議院議員総選挙愛媛県第2区に自由民主党から立候補し、初当選。以後、連続5期務める。1963年7月、第2次池田第3次改造内閣文部政務次官 。
香川 美人(かがわ よしと、1915年(大正4年)― 200… 香川 美人(かがわ よしと、1915年(大正4年)― 2008年(平成20年))は、愛媛県大三島出身の歌人。実兄の香川末光,甥の香川哲三も歌人。1930年(昭和5年)、「満州短歌」(後の「短歌中原」)に入会し八木沼丈夫に師事した。終戦後、郷里の愛媛県大三島に引き揚げ、1948年(昭和23年)に香川末光・藤原弘男らと「うづしほ短歌会」を結成した。1954年(昭和29年)に「歩道短歌会」に入会し佐藤佐太郎に師事した。「満州短歌」及び「短歌中原」時代の作品を纏めた歌集『碧落』、「歩道」入会後の作品を収めた歌集『風濤』、歌集『海光』がある。写生に立脚した精緻な対象描写と日常生活を柔軟な感性で捉えた歌風に特色がある。
丹下 健三(たんげ けんぞう、1913年(大正2年)9月4日… 丹下 健三(たんげ けんぞう、1913年(大正2年)9月4日 - 2005年(平成17年)3月22日)は、日本の建築家、都市計画家。一級建築士(登録番号第15182号)。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章、文化勲章受章。フランス政府よりレジオンドヌール勲章受章。カトリック信徒(洗礼名:ヨセフ)。 日本では「世界のタンゲ」と言われたように、日本人建築家として最も早く日本国外でも活躍し、認知された一人。第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がける。磯崎新、黒川紀章、槇文彦、谷口吉生などの世界的建築家を育成した。また、日本人並びにアジア人として初めてプリツカー賞を受賞した人物である。