渡辺 省三(わたなべ しょうぞう、1933年2月26日 - … 渡辺 省三(わたなべ しょうぞう、1933年2月26日 - 1998年8月31日)は、愛媛県西条市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・スカウト。
愛媛県 西条市:83人
渡辺 省三(わたなべ しょうぞう、1933年2月26日 - … 渡辺 省三(わたなべ しょうぞう、1933年2月26日 - 1998年8月31日)は、愛媛県西条市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・スカウト。
池西 増夫(いけにし ますお、1932年5月12日 - )は… 池西 増夫(いけにし ますお、1932年5月12日 - )は、愛媛県西条市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは捕手。 西条高校では、3番捕手として活躍し、藤田元司とバッテリーを組むが、甲子園への出場を果たすことはできなかった。卒業後には関西大学に入学する。 大学卒業後は社会人野球の電電近畿チームに入団する。1959年から監督を務め、1965年の都市対抗野球では決勝で住友金属を破り、チームを優勝に導いた。同年の中南米遠征の全日本メンバーの監督も務めた。 佐伯達夫の勧めにより、1967年から1988年まで日本放送協会で高校野球解説者を務めた。 現在は実家の和菓子屋の店主を務めている。
青野 照雄(あおの てるお、1931年(昭和6年)10月24… 青野 照雄(あおの てるお、1931年(昭和6年)10月24日 - 2014年(平成26年)6月26日)は、平成時代の政治家。愛媛県東予市長。 東予市出身。1949年(昭和24年)愛媛県立西条農業高等学校卒業。愛媛県庁に入庁し、1979年(昭和54年)愛媛県人事課長、1982年(昭和57年)調整監、1983年(昭和58年)総務部次長、1984年(昭和59年)議会事務局長を経て、1986年(昭和61年)公営企業管理局長、1987年(昭和62年)出納長に就任した。 1989年(平成元年)3月に退職し、1991年(平成3年)東予市長に当選。1期務めた。
矢野 祐弘(やの すけひろ、1931年1月6日 - 1993… 矢野 祐弘(やの すけひろ、1931年1月6日 - 1993年6月11日)は、愛媛県出身のアマチュア野球の野球指導者。 西条高校(旧制西条中学校)を経て、立教大学に進学し野球部に属したが、2年で中退。1950年3月に母校の西条高校の監督に就任した。1956年の選抜高校野球で初めて甲子園への出場を果たし、1959年の全国高校野球では、エースの金子哲夫を擁し、初めて全国制覇を果たした。1962年の岡山国体でも優勝を果たした。 実績を買われて、1965年から1977年までの間、亜細亜大学の監督を務めた。山本和行投手を擁し1971年春に東都大学野球リーグで亜大3回目の優勝を果たすと、全日本大学野球選手権大会で法政大学を破り亜大を全国大会初優勝に導いた。
藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 20… 藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 2016年2月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員(通算8期)。元社会民主党愛媛県連顧問。元愛媛県議会議員(通算4期)。 愛媛県西条市出身。1938年に住友重機械工業に入社。その後、出征。復員後、復職、労組に加入し労働運動に携わる。 1951年、愛媛県議会議員選挙に立候補し初当選。以後4期連続当選。1963年に行われた第30回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧愛媛県第2区より立候補し当選。以後落選を挟んで8期の当選を果たす。 篤実な人柄で知られ、都市部では常に一定の支持層を持っていた。また、住友グループ労組の支援を受けていたものの保守系が圧倒的に強い地域ということもあり決して選挙に強いわけではなかった。
はた たかし(1921年(大正10年)11月22日 - 20… はた たかし(1921年(大正10年)11月22日 - 2013年(平成25年)8月11日)は、日本の児童文学作家。元桃山学院短期大学教授。本名は秦敬。 愛媛県新居郡大町村(現西条市)に生まれる。名教中学校(現・東海大学付属浦安高等学校)卒業。早稲田大学専門部を中退し、1945年(昭和20年)に法政大学高等師範部国語漢文科を卒業する。1946年(昭和21年)に西条高等実践女学校教諭となり、1947年(昭和22年)より西条市内で小・中学校で教師を務める。教師定年退職ののち、1981年(昭和56年)桃山学院短期大学教授(1992年1月まで)に就任する。一方、児童文学作家として作品を発表し、同人誌「ぷりずむ」を主宰するなど、愛媛県の児童文学活動で指導的役割を担った。
関 行男(せき ゆきお、1921年(大正10年)8月29日 … 関 行男(せき ゆきお、1921年(大正10年)8月29日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。最終階級は海軍中佐。 レイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」(爆装零戦5機)を指揮して、アメリカ海軍の護衛空母「セント・ロー」を撃沈し、さらに護衛空母3隻を撃破した武功で知られる。 1921年8月29日に、愛媛県新居郡大町村(現:西条市)で、父・勝太郎(骨董商)と母・サカエの一人息子として生まれた。 大町尋常小学校(現:西条市立大町小学校)、愛媛県立西条中学校(現:愛媛県立西条高等学校)を経て、1938年12月に海軍兵学校(70期)へ入校。
伊藤 五百亀(いとう いおき、男性、1918年5月11日 -… 伊藤 五百亀(いとう いおき、男性、1918年5月11日 - 1992年3月4日)は、日本の彫刻家。1974年に『うたかたの譜』で文部大臣賞、1982年に『渚』で日本芸術院賞を受賞している。 1918年、愛媛県新居郡大保木村(現、西条市黒瀬)にて出生。17歳の時、雑誌に掲載されていた帝展(現、日展)作品の彫刻を見て感動、彫刻家を志し、上京して多摩帝国美術学校に入学。中途退学するも、その後も吉田三郎に師事し、本格的な創作活動を行った。 1942年、第5回文部省美術展覧会に出品した「立像」が入選、翌年の文部省美術展では「鍬の戦士」が特選となる。 終戦後、五百亀は帰郷し、彫刻活動を断念した。しかし、当時の大保木村村長・伊藤一らが後援会を組織し、五百亀を励ました。
平井 滋二(ひらい しげじ、1916年 <大正5年> 5月2… 平井 滋二(ひらい しげじ、1916年 <大正5年> 5月26日 - 2006年 <平成18年> 4月8日)は、日本の経営者。工学博士。四国電力社長、会長を歴任。位階は正四位。 愛媛県西条市出身。1941年に京都帝国大学工学部を卒業し、技術士官として、海軍技術研究所での勤務を経て、1947年5月に四国配電(のちの四国電力)に入社。 1968年5月に取締役に就任し、1969年6月に常務、1974年11月に副社長を経て、1981年6月には社長に就任。1985年6月に相談役に就任。 1978年5月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2006年4月8日老衰のために死去。89歳没。
佐伯 勇(さえき いさむ、1903年〈明治36年〉3月25日… 佐伯 勇(さえき いさむ、1903年〈明治36年〉3月25日 - 1989年〈平成元年〉10月5日)は、日本の実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長、会長、名誉会長で、近鉄グループの総帥。プロ野球・近鉄バファローズのオーナーでもあった。アメリカの大陸横断鉄道の2階建てドームカーを参考にした、世界で初めての2階建電車による特急車のビスタカーの生みの親でもある。位階は正三位。 愛媛県周桑郡丹原町(現・西条市)で、佐伯源三郎の三男として生まれる。丹原小学校、松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)と進むが、父親の方針で京都一中(現・京都府立洛北高等学校・附属中学校)へ転校、さらに第三高等学校(旧制・三高)を経て東京帝国大学法学部を卒業した。
飯塚 盈延(いいづか みつのぶ、1902年10月4日 - 1… 飯塚 盈延(いいづか みつのぶ、1902年10月4日 - 1965年9月4日)は、日本共産党党員で特別高等警察のスパイ。「スパイM」とも呼ばれる。変名は松村昇、峰原暁助、天野煕、高瀬正敬。愛媛県出身。 1902年に愛媛県周桑郡小松町(現西条市)に生まれ、1909年尋常小学校に入学。成績が良く天才と呼ばれた。米騒動などをきっかけに日本共産党最初の労働者党員になり、渡辺政之輔が率いていた東京合同組合に身を投じることで労働運動にかかわっていった。その後、若手の労働運動活動家として日本共産党(第二次)の派遣により、モスクワの東方勤労者共産大学(クートヴェ)に留学した(留学中の変名は「フョードロフ」)。しかし留学中共産党に幻滅し、帰国後に検挙され転向したうえで警察のスパイになったとされる。
渡辺 本治(渡邊、わたなべ もとじ、1901年(明治34年)… 渡辺 本治(渡邊、わたなべ もとじ、1901年(明治34年)4月18日 - 1961年(昭和36年)3月14日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 愛媛県、後の西条市の農家に生まれる。10歳で父が死去し、商店や銅山で働き、17歳の時に一家で九州に移った。 1925年(大正14年)中島炭鉱に入社し採炭作業に従事。1933年(昭和8年)熊ヶ畑炭鉱(山田市)を開鉱。1936年(昭和11年)篠谷炭鉱(二瀬町)を開鉱。その後、伊岐須鉱・後牟田鉱(二瀬町)、赤間鉱(宗像町)、古月鉱(鞍手町)、稲築鉱、水江鉱などを経営し、渡辺鉱業社長、渡辺商事社長となる。1947年(昭和22年)小倉硝子工業を設立し社長に就任。
林田 哲雄(はやしだ てつお、1899年(明治32年)10月… 林田 哲雄(はやしだ てつお、1899年(明治32年)10月6日 ‐ 1958年(昭和33年)2月14日) は、大正から昭和期の農民運動家・政治家。衆議院議員。 愛媛県周桑郡小松村新屋敷(小松町新屋敷を経て現西条市小松町新屋敷)で、明勝寺住職・林田孝純の二男として生まれた。幼くして父が死去し母に養育された。小松小学校、西条中学校(現愛媛県立西条高等学校)を経て大谷大学に進学。1922年(大正11年)全国水平社創立大会に参加し、大学を中退して帰郷し水平運動を起こした。 1922年設立の日本農民組合に1923年(大正12年)に加わり農民運動を推進し、1925年(大正14年)別子銅山大争議を支援した。
青野 武一(靑野武一、あおの ぶいち、1899年(明治32年… 青野 武一(靑野武一、あおの ぶいち、1899年(明治32年)9月7日 - 1959年(昭和34年)12月9日)は、大正・昭和期の労働運動家、政治家。位階は正五位。 衆議院議員(4期)。配偶者は青野 喜代子。長男は青野 宏、次男は青野 徹、孫は青野 義弘、青野 光俊[要出典]。 愛媛県新居郡、のちの西条市で生まれる。高等小学校を卒業後、八幡製鐵所に入り職工として勤務。日本労友会に加わり、1920年(大正9年)同製鐵所の大争議に参加した。日本労友会が解散した後、1925年(大正14年)九州民権党が結成され執行委員に就任。その後、日本大衆党、労農大衆党、社会大衆党、日本無産党などの八幡支部書記長を務めた。
井上 起久子(いのうえ きくこ、1892年(明治25年)4月… 井上 起久子(いのうえ きくこ、1892年(明治25年)4月25日 - 不明)は日本の歌手、音楽指導者。歌手としては大正期から昭和戦前期にかけて、オペラ、歌謡曲、ジャズ、童謡など、幅広いジャンルで活動した。戦後は長らく音楽教室を主宰し後進の育成に努めた。 1892年(明治25年)4月25日に愛媛県新居郡西条町(現在の西条市)で生まれる。 西条高等女学校を経て、1914年(大正3年)に女子音楽学校卒業。小学校などでの音楽教師を経て帝国劇場洋劇部の第一期生としてイタリア人舞踏家ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーに師事した。同年夏に帝国劇場にてオペラ歌手として初舞台を踏み、帝劇が財政難のためオペラから撤退した後は、ローシーに従って彼の設立したローヤル館で演じた。
高橋 雄豺(たかはし ゆうさい、明治22年(1889年)11… 高橋 雄豺(たかはし ゆうさい、明治22年(1889年)11月3日 - 昭和54年(1979年)8月26日)は、内務官僚、実業家、ジャーナリスト。香川県知事。 愛媛県西条市出身。高橋岩吉の長男として生まれる。明治40年(1907年)3月、北予中学(現松山北高校)卒業。明治42年(1909年)11月、警視庁巡査となる。 1909年12月、神田警察署勤務となり、深川警察署、三ノ橋警察署、本所相生警察署、早稲田警察署で勤務。大正4年(1915年)2月、警察官練習所を卒業。同年3月、内務省に転じ、内務属として警保局保安課に配属され、さらに同局図書課に異動。同年10月、文官高等試験行政科試験に首席で合格。
真鍋 頼一(まなべ よりいち、1887年5月7日 - 197… 真鍋 頼一(まなべ よりいち、1887年5月7日 - 1971年11月19日)は、日本基督教団の牧師である。 1887年に現在の愛媛県西条市に生まれる。1903年に洗礼を受ける。1913年に青山学院神学部を卒業し、日本メソジスト教会の牧師になる。日本メソジスト牛込教会牧師、日本メソジスト教会社会局長などを経て、1941年の日本基督教団の成立時に日本基督教団の第2部の牧師になる。そして阿部義宗の後をついで、1946年まで日本基督教団第2代議長になる。同年、日本基督教団池の上教会の牧師に就任する。空襲で会堂を失った日本基督教団牛込教会の会員が参集する。 牛込教会と池の上教会は真鍋の元で合同礼拝持ち、1948年3月に牛込教会と池の上教会が合併して日本基督教団美以教会が誕生、同年7月教団の指導により頌栄教会と改称され、真鍋が頌栄教会初代牧師になる。
朝潮 太郎(あさしお たろう、1879年〈明治12年〉4月1… 朝潮 太郎(あさしお たろう、1879年〈明治12年〉4月19日 - 1961年〈昭和36年〉4月30日)は、愛媛県新居郡玉津村(現西条市)出身の大相撲力士。本名は薦田 長吉(後に坪井 長吉)。最高位は大関。身長176cm、体重113kg。高砂部屋→佐ノ山→高砂部屋に所属した。 20歳の時には、体重の3倍近い荷物を持ち上げる怪力であり、初代朝汐の8代目佐ノ山に勧誘された。しかし、父が反対しすぐには入門できなかった。 父が亡くなると1901年(明治34年)に入門、同年5月に新序出世、四股名は朝嵐長太郎を名乗った。1906年(明治39年)1月場所で新十両、翌1907年(明治40年)1月場所で新入幕を果たす。
近藤 豊吉(こんどう とよきち、1877年(明治10年)9月… 近藤 豊吉(こんどう とよきち、1877年(明治10年)9月1日 - 1930年(昭和5年)4月15日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 愛媛県桑村郡、後の周桑郡吉岡村(現西条市)で農家・近藤保太郎、フサ夫妻の三男として生まれる。父の事業の失敗で家産が傾き、家族総出で行商などを営む。1897年11月、歩兵第22連隊に入隊し、1898年10月、台湾守備隊に編入され渡台。1900年に除隊となるが、内野辰次郎中隊長の勧めで憲兵隊に志願するも馬術訓練中の事故で骨折し、その後の経過が思わしくないため、同年11月に後備役免除となった。 その後、北海道空知郡滝川村江部乙に移住していた兄・桝太郎の勧めで、1901年、母、妹と共に江部乙に移転。
和田 重次郎(わだ じゅうじろう、1875年(明治8年)1月… 和田 重次郎(わだ じゅうじろう、1875年(明治8年)1月6日 - 1937年(昭和12年)3月5日)は、北アメリカ、アラスカ、カナダで著名なマッシャー(犬ぞり使い)。金鉱発掘やトレイル開拓、遭難船救助など行う。アラスカで行われる屋内マラソンランナーとしても三度の優勝を飾る。
岡本 栄吉(おかもと えいきち、1866年7月12日(慶応2… 岡本 栄吉(おかもと えいきち、1866年7月12日(慶応2年6月1日) - 1928年(昭和3年)5月7日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 伊予国新居郡大町村(西条町を経て現西条市)で、素封家・岡本文吾の第四子として生まれる。西条育英館を卒業する。1905年(明治38年)家督を相続。1908年(明治41年)大町村会議員に当選。議員を務める傍ら西条水力電気設立に参画し、西条銀行頭取などを務めた。ほか、相続税審査、所得税調査各委員などを務めた。 1918年(大正7年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1925年(大正14年)9月28日まで在任した。
日野 強(ひの つとむ、1866年1月23日(慶応元年12月… 日野 強(ひの つとむ、1866年1月23日(慶応元年12月7日)- 1920年(大正9年)12月23日)は、日本の探検家、大日本帝国陸軍の軍人である。幼名は熊吉。「強」の読み方は戸籍上は「つとむ」であるが、中国で活動していた時期には一般に「きょう」と読まれ、東京地学協会や出口王仁三郎は「つよし」と呼んでいた。日野本人は「きょう」という読み方を使い、「つとむ」の読み方を使っていたのは改まった場面だけだったという。 伊予小松町(現西条市)の常吉、ツヤ夫妻の家に生まれ、一家には強のほかに兄一人、弟二人、妹二人がいた。小学校卒業後に愛媛県師範学校に進み、教職に就くが、転勤先の堀江の小学校の環境に失望する。
岡田 和一郎(おかだ わいちろう、文久4年1月3日〈1864… 岡田 和一郎(おかだ わいちろう、文久4年1月3日〈1864年2月10日〉 - 昭和13年〈1938年〉5月30日)は、明治から昭和の日本の医師・医学者。帝国大学耳鼻咽喉科学初代正教授。耳鼻咽喉学の祖と称えられる。 小学校卒業後、西條町立病院の用度課雇いをしながら苦学を続け、特待生になって帝大医学部へ進学。 明治35年(1902年)森鴎外と荒木茂子との結婚の媒酌人を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
長谷部 倉蔵(はせべ くらぞう、1860年12月9日(万延元… 長谷部 倉蔵(はせべ くらぞう、1860年12月9日(万延元年10月27日) - 1939年(昭和14年)2月8日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 伊予国周敷郡小松村新屋敷(愛媛県周桑郡小松村、小松町を経て現西条市小松町)で、小松藩士・長谷部多内の長男として生まれた。小松藩校養正館で学ぶ。家業を継ぎ農業を営む。 越智郡波止浜村(現・今治市)、新居郡橘村(現・西条市)各村長、小松町長、愛媛県会議員、西条銀行取締役、周桑銀行監査役となる。 1904年の第9回衆議院議員総選挙において愛媛県郡部から立憲政友会公認で立候補してトップ当選した。衆議院議員を1期務め、1908年の第10回衆議院議員総選挙には不出馬。
工藤 干城(くどう たてき、1855年(安政2年4月)- 1… 工藤 干城(くどう たてき、1855年(安政2年4月)- 1916年(大正5年)5月2日)は、明治から大正初期の地主、実業家、政治家。衆議院議員、愛媛県新居郡神戸村長。旧姓・三並。 伊予国新居郡中野村(愛媛県新居郡中野村、神戸村を経て現西条市)で三並家に生れ、その後、神戸村の工藤淑三の養子となる。漢学を修めた。農業を営む。 自由民権運動に加わり、植松暢美らと政治団体・正志社を結成。大同団結運動では大同派東予倶楽部で活躍した。1883年(明治16年)愛媛県会議員に選出され、1894年(明治27年)3月まで在任し、同常置委員も務めた。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(愛媛県第4区、自由党)で当選し、弥生倶楽部に所属し衆議院議員に1期在任。
久米 唯次(くめ ただじ、1843年11月24日(天保14年… 久米 唯次(くめ ただじ、1843年11月24日(天保14年10月3日) - 1915年(大正4年)4月25日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。 禎瑞新田(伊予国新居郡禎瑞村。愛媛県新居郡橘村を経て現西条市禎瑞)干拓以来の旧家、久米弥吉の長男として生まれる。農業を営み、1915年(大正4年)時点で直接国税2500円余を納めた。 学務委員に就任し禎瑞小学校(現西条市立禎瑞小学校)の建設に多額の寄付を行った。新居郡会議員などを務め、1897年(明治30年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任したが、大病のため1898年(明治31年)6月7日に辞職した。
ちゃんゆ胃(ちゃんゆい)は、日本の女性シンガーソングライター… ちゃんゆ胃(ちゃんゆい)は、日本の女性シンガーソングライター。愛媛県西条市生まれ。LOVE SAIJO応援シンガー。皆から「ちゃんゆい」と呼ばれており、音楽活動をするにあたり一目で覚えてもらえるようにと一意性のある「ちゃんゆ胃」とした。所属事務所はつばさレコーズ。所属レーベルは同社MIMICOS RECORDS。 愛媛県西条市に生まれる。 母が保育士、母の妹がピアノと歌の先生をしており、幼少から童謡のコンクールに出場するなど自然と音楽に触れて育つ。 小学4年から7年間吹奏楽部に所属しトランペットやホルンを担当。 中学時代にバンドKEYTALKに出会い、憧れを抱き、中学3年のクリスマスにサンタさんにお願いしてアコースティック・ギターをもらう。
丹 友美(たん ともみ)は、NHK首都圏放送センターの契約キ… 丹 友美(たん ともみ)は、NHK首都圏放送センターの契約キャスター。 愛媛県西条市出身。2001年に愛媛県立西条高等学校を卒業、北九州市立大学入学を機に北九州市に移り住む。卒業後の2005年、NHK北九州放送局に契約キャスターとして入局。 2008年5月以降、諸事情により放送出演からは遠ざかり、そのまま2008年度いっぱいで契約解除となった。 2012年、NHK山口放送局契約キャスターとなり、アナウンス業を再開し2016年3月まで務めた。 2016年から2022年3月までNHK松山放送局の契約リポーターとして勤務。2022年4月より首都圏放送センターの契約キャスターとなった。
永井 泰樹(ながい やすき) は、日本の核物理学者。東京工業… 永井 泰樹(ながい やすき) は、日本の核物理学者。東京工業大学名誉教授、大阪大学名誉教授。元大阪大学核物理研究センター長。仁科記念賞受賞。 京都府生まれ。愛媛県西条市出身。1962年愛媛県立西条高等学校卒業。1966年東京工業大学(のちの東京科学大学)卒業。1971年同大学大学院修了、理学博士、大阪大学核物理研究センター助手。東京工業大学理学部助教授、同教授、大阪大学核物理研究センター長・教授等を経て、東京工業大学名誉教授、大阪大学名誉教授、量子科学技術研究開発機構研究員、大阪大学核物理研究センター協同研究員、日本原子力研究開発機構客員研究員。2002年度仁科記念賞を井頭政之と共同受賞。2015年燕理会会長。
眞鍋 かをり は、日本のタレント。オールラウンド所属。愛媛県… 眞鍋 かをり は、日本のタレント。オールラウンド所属。愛媛県西条市出身。西条市立西条小学校、西条市立西条北中学校、愛媛県立西条高等学校、横浜国立大学教育人間科学部(国際共生社会課程)卒業。本名同じ。夫はロックバンド「THE YELLOW MONKEY」ボーカル担当の吉井和哉。
西 興一朗 は、日本の俳優。愛媛県周桑郡小松町(現・西条市)… 西 興一朗 は、日本の俳優。愛媛県周桑郡小松町(現・西条市)出身。吉本興業を経て、CESエンタテインメント所属。
早川みどり(はやかわ みどり)は、心理学セミナー講師・心理カ… 早川みどり(はやかわ みどり)は、心理学セミナー講師・心理カウンセラー、クリエイター。インフルエンサー。ゲシュタルト療法理論ファシリィテーター第一人者。早川メソッド創設第一人者。アンチ毒親研究第一人者。C.A.初代会長(現在相談役)。NPO法人たんぽぽの家理事(初代理事長)。毒親撲滅委員会創設。アンチ撲滅委員会創設。「オカンズ」リーダー。脚本家。監督。 心理カウンセラー・ゲシュタルト療法ファシリテーター。 愛媛県西条市出身。獨協大学を卒業後、進学塾数学講師として勤務。9年中高生に数学を教え、進学のための勉強を教えていることに違和感を感じる。その後、心の仕組みに則ったカウンセリングで想像以上の結果が出ることを体感。
瀬川頼太郎(せがわ らいたろう)、生没年未詳は、日本の教育家… 瀬川頼太郎(せがわ らいたろう)、生没年未詳は、日本の教育家。 愛媛県周桑郡周布村(現在の西条市)出身。1891年(明治24年)、愛媛県師範学校に入学。瀬川頼太郎は、1919(大正8)年に日本学術協会主催の講演会の1つ「自動教育論」を提唱した河野清丸とともに教育雑誌『教育論叢』を創刊し、1941年に廃刊になるまで一貫して教員による事例研究を掲載し続けた人物である。 1901(明治34)年に愛媛県越智郡波方小学校(現・今治市立波方小学校)で教壇に立ち、その後に上京。1906(明治39)年頃から神田女子小川小学校の訓導を務め、1912(大正元)年には東京都本郷区の元町尋常小学校の訓導となった。 文筆活動においては1908(明治41)年出版の『小学スケッチ:乙女会話』、1909(明治42)年に『子供の聲:教育資料』を出版した。