橋本 朋郁(はしもと ともふみ、1960年7月20日 - )… 橋本 朋郁(はしもと ともふみ、1960年7月20日 - )は、日本の実業家。株式会社フククルフーズ代表取締役社長、高千穂学園評議員。 福岡県久留米市出身。1983年3月高千穂商科大学(現高千穂大学)商学部卒業、同年4月株式会社若狭薬品入社。同年11月退職。その後、税理士事務所、マンションデベロッパーに勤務し、一般職、課長職、所長代理を務め、株式会社テンガイに経理部長として就職。2007年7月から同社の関連会社だったサイバックの専務取締役に就任。2008年4月25日付けで同社代表取締役社長に就任した。同社は2013年3月に株式会社フククルフーズへ社名変更し、引続き代表取締役社長を務めるが、2021年にフククルフーズは特別清算手続開始決定となる。
古賀 ゆきひと(こが ゆきひと、1959年4月9日 - )は… 古賀 ゆきひと(こが ゆきひと、1959年4月9日 - )は、日本の政治家。民進党所属の参議院議員(1期)。元FBS福岡放送のエグゼクティブアナウンサー。九州地区の局アナ出身者で史上初の国会議員。現在1期目。本名は古賀 之士(読み同じ)。福岡県久留米市出身。
古賀 和子(こが かずこ、1958年8月5日 - )は、RK… 古賀 和子(こが かずこ、1958年8月5日 - )は、RKB毎日放送の社員で元アナウンサー。福岡県久留米市出身、血液型はB型。 中学生の頃からアナウンサーになると決めていたという。西南学院大学を卒業後、1981年にRKB入社、同期は安田瑞代。長年、ラジオを中心に活躍したが、2007年3月、RKBホームページ上で「アナウンサー卒業」を宣言した。その後は編成関連の部署へ異動した。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
井上 樹彦(いのうえ たつひこ、1957年〈昭和32年〉7月… 井上 樹彦(いのうえ たつひこ、1957年〈昭和32年〉7月4日 - )は、日本の放送ジャーナリスト、実業家。NHK副会長を経て、第25代NHK会長に就任(2026年(令和8年)1月25日付)。福岡県久留米市出身。 副会長在任中の2023年、前体制の「BS番組ネット配信問題」について、国会で承認された予算を含む計画に対し「違法性」に言及したことが報じられた。この発言は同年4月の臨時役員会でなされ、組織内のコンプライアンスに対する厳しい姿勢が示されたとされる。
黒田 伸(くろだ しん、1957年(昭和32年)4月14日 … 黒田 伸(くろだ しん、1957年(昭和32年)4月14日 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 北海道教育大学非常勤講師。北海道スポーツ推進審議会委員。北広島FMメイプル・パーソナリティ。合同会社きたひろボールパークラジオ代表。NPO法人日本海外スポーツ交流協会理事、メルボルンマラソン日本事務局次長。 1957年(昭和32年)4月14日、福岡県久留米市生まれ。父親は日本統治下の台湾・花蓮港生まれのため、出身地は主として鹿児島県姶良郡湧水町としている。母親は久留米市生まれ。二人兄妹の長男。 妹は放送作家の順子。千葉大学教育学部附属中学校-千葉県立船橋高等学校-早稲田大学社会科学部卒。
三木 聖子(みき せいこ、1956年12月12日 - )は、… 三木 聖子(みき せいこ、1956年12月12日 - )は、日本の元歌手、元女優である。1970年代後半に短期間活動して引退した。身長は156センチメートル。 福岡県久留米市出身。明光学園高等学校卒業。 中学1年時から茶道(表千家)と日本舞踊(花柳流)を習い始める。中学3年間を体操部で活動した。 級友が三木の写真をNETテレビのオーディション番組『スター・オン・ステージ あなたならOK!』へ送り、1973年5月に番組の決勝大会で準優勝する。フリーパスの出来レースであった。1975年から渡辺プロダクションに所属して上京し、数か月後に、沢田研二が主演するTBSのテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』で初めて演技する。
石橋 凌(いしばし りょう、1956年〈昭和31年〉7月20… 石橋 凌(いしばし りょう、1956年〈昭和31年〉7月20日 - )は、日本の音楽家、俳優。本名:石橋 秀樹(いしばし ひでき)。血液型はAB型。ENTER the DEE所属で、かつてはアパッチに所属していた。 アメリカの映画俳優組合(SAG)の会員で、アメリカではゴールデン・メディア・グループが代理人となっている。 福岡県久留米市出身。妻は女優の原田美枝子、長女は歌手の優河、次女は石橋静河。娘2人の上に一般人の息子がいる。 本項は人物、俳優活動、ソロ活動のみ記す。 男だけの5人兄弟の五男で、兄に影響されて中学の頃からジョン・レノンやビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランを愛聴していた。
さい ふうめい(1956年(昭和31年)5月24日 - )は… さい ふうめい(1956年(昭和31年)5月24日 - )は、日本の漫画原作者、ギャンブル評論家。本名の竹内 一郎(たけうち いちろう)名義で劇作家・演出家・評論家としても活動しており、非言語コミュニケーションを扱った『人は見た目が9割』(2005年)がベストセラーになった。宝塚大学教授。 福岡県久留米市出身。浅野高校、横浜国立大学教育学部心理学科卒業。2005年、「ストーリーマンガの誕生 : 手塚治虫の表現技法に関する実証研究」で博士(比較社会文化)(九州大学)。 九州大谷短期大学助教授をへて宝塚造形芸術大学教授、校名変更で現職。 大学在学中の1977年に、劇団「早稲田小劇場」で鈴木忠志に師事。
中野 浩一(なかの こういち、ラテン文字表記:Koichi … 中野 浩一(なかの こういち、ラテン文字表記:Koichi Nakano。1955年11月14日 - )は元競輪選手・自転車競技選手。競輪選手登録番号8959。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第35期生。現在は公益財団法人JKA顧問、競輪解説者、日刊スポーツ競輪担当評論家、公益財団法人日本自転車競技連盟理事(元副会長)、スポーツコメンテーター・タレント(所属は(株)アルカンシェル(社長は尚美夫人)、業務提携は浅井企画)。家族は尚美夫人。子供はいない。2006年春に全ての公営競技及び競輪選手出身者では初の紫綬褒章受章。血液型B型、身長172 cm、体重85 kg。 世界選手権個人スプリント (UCI Track Cycling World Championships – Men's sprint) 10連覇、特別競輪12勝(GP1勝、GI11勝)、賞金王6回(歴代最多)を達成している。
村井 利彰(むらい としあき、1955年1月4日 - )は、… 村井 利彰(むらい としあき、1955年1月4日 - )は、日本の実業家。ニチレイ代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。日本冷蔵倉庫協会会長や大日本水産会副会長、食品産業センター副会長なども務めた。 福岡県久留米市出身。1973年久留米大学附設高校卒業。1977年九州大学経済学部卒業、日本冷蔵(現ニチレイ)入社。2001年経営企画部長。2005年取締役執行役員兼ニチレイロジグループ本社代表取締役社長。2007年からニチレイ代表取締役社長を務め、タイでのチキン工場建設などを行った。2012年ニチレイロジグループ本社取締役会長兼務。2013年ニチレイ代表取締役会長。日本冷蔵倉庫協会会長、大日本水産会副会長、食品産業中央協議会会長、食品産業センター副会長、内閣府消費者委員会委員なども務めた。
柿本 浩一(かきもと こういち、1955年 - )は、日本の… 柿本 浩一(かきもと こういち、1955年 - )は、日本の工学者。九州大学名誉教授。東北大学教授。専門は結晶成長学、電子材料工学、化学工学、結晶工学。 福岡県久留米市出身。福岡教育大学附属久留米中学校、福岡県立明善高等学校卒業。1979年、埼玉大学理工学部電子工学科卒業。1985年、東京大学大学院工学系研究科電子工学専門課程博士後期課程修了。東京大学より工学博士の学位を取得。同年にNEC基礎研究所研究員(-1996年)。1989年よりベルギー・ルーヴァン・カトリック大学研究員(-1991年)。1995年より東北大学金属材料研究所客員教授(-1996年)。1996年より九州大学機能物質科学研究所助教授(-2000年)。
中園 健司(なかぞの けんじ、1952年10月27日[リンク… 中園 健司(なかぞの けんじ、1952年10月27日[リンク切れ] - 2013年10月6日)は日本の脚本家。 福岡県久留米市生まれ。福岡県立三潴高等学校・西南学院大学商学部卒業。高校、大学と演劇部に所属。高校の時に映画『若者たち』を観て感動し、その時、監督でも役者でもなく、山内久という脚本家に興味を抱く。大学の演劇部時代に、アクセント辞典に書かれていた日本三大アクセント無視地帯に、地元の久留米が含まれていてショックを受ける。 卒業後、福岡での劇団主宰を経て25歳で上京。夕刊紙を新宿駅の売店に数カ所配るバイトや、アルバイト情報の雑誌を配るバイトをする。映画三昧、読書三昧の生活をおくるなか、脚本家中島丈博の自伝的映画『祭りの準備』を見てシナリオ作家への道を決意。
草野 顕之(くさの けんし、1952年5月26日 - )は、… 草野 顕之(くさの けんし、1952年5月26日 - )は、日本仏教史(中世)・真宗史を専攻する仏教史学者。大谷大学第27代学長。 福岡県久留米市生まれ。1976年大谷大学文学部史学科卒業。1981年大谷大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。1985年大谷大学文学部専任講師。大谷大学助教授、2000年大谷大学教授。2003年「戦国期本願寺教団史の研究」で大谷大学文学博士。2010年大谷大学学長に就任。 インド | 中国 | 日本 天台宗(天台浄土教) | 融通念仏宗 | 浄土宗 | 浄土真宗 | 時宗 釈迦如来 | 阿弥陀如来 観世音菩薩 | 大勢至菩薩 | 薬王菩薩 | 薬上菩薩 | 普賢菩薩 | 法自在王菩薩 | 白象王菩薩 | 獅子吼菩薩 | 陀羅尼菩薩 | 虚空蔵菩薩 | 徳蔵菩薩 | 宝蔵菩薩 | 金蔵菩薩 | 金剛菩薩 | 山海恵菩薩 | 光明王菩薩 | 華厳菩薩 | 衆宝王菩薩 | 月光王菩薩 | 日照王菩薩 | 三昧王菩薩 | 定自在王菩薩 | 大自在王菩薩 | 大威徳王菩薩 | 無辺身菩薩 称名念仏 | 末法思想 「浄土三部経」(『仏説無量寿経』 曹魏康僧鎧訳 / 『仏説観無量寿経』 劉宋畺良耶舎訳 / 『仏説阿弥陀経』 姚秦鳩摩羅什訳)『般舟三昧経』 支婁迦讖訳 【インド】釈尊 | 十大弟子 | 龍樹 | 天親 【中国】廬山の慧遠 | 曇鸞 | 道綽 | 善導 | 懐感 | 少康 | 永明延寿 | 省常【日本】空也 | 良源 | 慶滋保胤 | 源信 | 永観 | 良忍 | 珍海 | 覚鑁 | 源空(法然) | 隆寛 | 弁長 | 親鸞 | 証空 | 一遍 | 覚如 | 蓮如 | 良寛 | 小林一茶 | 清沢満之 | 山崎辨榮 | 鈴木大拙 | 曽我量深 | 金子大栄 | (妙好人) 龍樹『十住毘婆沙論』「易行品」 | 天親『浄土論』(『往生論』) | 曇鸞『浄土論註』(『往生論註』) | 善導『観経疏』 | 源信『往生要集』 | 法然『選択集』 | 親鸞『教行信証』
隈丸 優次(くままる ゆうじ、1951年12月7日 - )は… 隈丸 優次(くままる ゆうじ、1951年12月7日 - )は、日本の外交官。2013年(平成25年)1月15日からカンボジア駐箚特命全権大使。 福岡県久留米市出身。1975年(昭和50年)慶應義塾大学経済学部を卒業後、外務省に入省。同年より外務省アジア局中国課勤務。1976年(昭和51年)6月から香港中文大学新亜書院で、同年9月から北京語言学院(現北京語言大学)で中国語研修を受けたチャイナ・スクール。 1986年7月から国際連合事務局勤務。1989年6月国際連合日本政府代表部一等書記官、1989年7月在中華人民共和国日本国大使館参事官、1992年2月外務省国際連合局社会協力課長、1993年8月外務省総合外交政策局国際社会協力部国際連合行政課長、1994年5月国際連合日本政府代表部参事官、1996年(平成8年)5月財団法人交流協会台北事務所総務部長、1999年4月国際連合日本政府代表部公使、2001年(平成13年)在中華人民共和国日本国大使館公使、2004年4月独立行政法人国際交流基金統括役。
野瀬 泰申(のせ やすのぶ、1951年 - )は、日本経済新… 野瀬 泰申(のせ やすのぶ、1951年 - )は、日本経済新聞特別編集委員、コラムニスト。福岡県久留米市出身。 福岡県立明善高等学校、東京都立大学法学部卒業。 1975年、日本経済新聞社入社。以降、社会部、金沢支局、西部支社、東京本社文化部と巡り、大阪本社文化担当部長、東京本社文化部編集委員、同生活情報部編集委員を歴任。 同一名称でも地域によって内容が違うこと(室蘭市、東松山市、今治市における「焼き鳥」等)、食べ物の地域性や独特な調理法・食べ方など、地域独特の食文化を「食の方言」と名づけ、それを題材にNIKKEI NETで読者との交流企画コラム「食べ物 新日本奇行」を2002年11月より2010年3月まで連載していた。
江崎 英子(えざき えいこ、1950年12月12日 - )は… 江崎 英子(えざき えいこ、1950年12月12日 - )は、福岡県久留米市出身の日本の女優、歌手。別芸名・江崎 由梨。 宝塚音楽学校卒業。1960年代末に歌手としてデビュー。1969年に結成されたNHKのヤング101に第一期生として加入して、NHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に第一回(1970年1月10日)から出演。江崎グリコに由来した「グリちゃん」の愛称で親しまれた。 1973年4月1日にヤング101を卒業した後は女優として活動し、テレビ東京系列の時代劇『大江戸捜査網』の不知火のお吉役、東宝映画『ルパン三世 念力珍作戦』の峰不二子役などで人気を博した。此の頃芸名を一時、江崎由梨に変えている。
永尾 孝雄(ながお たかお、1950年2月24日 - 201… 永尾 孝雄(ながお たかお、1950年2月24日 - 2015年10月3日)は、福岡県出身の法学者。熊本県立大学大学院アドミニストレーション研究科教授。専門分野は、基礎法学。 福岡県久留米市出身。福岡県立福岡工業高等学校建築科卒業。西南学院大学在学中に受けた三島淑臣の授業に惹かれて、九州大学大学院法学研究科へ進学。大学院では手島孝の指導を受ける。九州大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学、1980年(昭和55年)熊本女子大学生活科学部専任講師、熊本県立大学総合管理学部助教授を経て、1994年(平成6年)教授。2012年11月、厚生労働大臣表彰を受章。2015年、熊本県立大学を退職。 1996年(平成8年)博士(法学)(九州大学)(学位論文「若きヘーゲルの近代自然法批判」)。
南郷芳明(なんごう よしあき、1950年 - )は、日本の詩… 南郷芳明(なんごう よしあき、1950年 - )は、日本の詩人。 福岡県久留米市出身。西南学院大学英文学科卒業。立正大学大学院国文学専攻修士課程修了。 1979年、詩人の谷川俊太郎.や茨木のり子もかつて投稿していたという伝説の詩誌「詩学」に投稿を始めた。(1980年初めて3席で入選。詩人としてやっていけそうだという感触を得た。「詩に関する限りこのときの喜びにまさる喜びはない」と南郷は言う。以後入選を重ねる。1席を2回) この頃南郷は詩人宮澤章二と出会い、「自分がほんとうに悩んだり苦しんだりしているぎりぎりのところを書かなくちゃね」というアドバイスを受けた。 「宮澤先生は自分が出会った最初の詩人であり、そのオーラに完璧に圧倒された。
近藤 洋太(こんどう ようた、1949年7月16日 - )は… 近藤 洋太(こんどう ようた、1949年7月16日 - )は、日本の詩人・文芸評論家。 福岡県久留米市出身。福岡県立明善高等学校を経て、1973年中央大学商学部経営学科卒業。 大学在学中は中大ペンクラブに所属。卒業間際に檀一雄主宰の「ポリタイア」に参加し、林富士馬、真鍋呉夫、古木春哉、谷崎昭男ら「日本浪曼派」にゆかりのある人物たちの知遇を得る。1980年代には「SCOPE」などの同人雑誌に参加。現在、歴程、鷹同人。詩誌「スタンザ」発行。日本文芸家協会会員。2025年に評伝『草野心平』で第63回歴程賞を受賞。
古賀 正明(こが まさあき、1949年4月11日 - )は、… 古賀 正明(こが まさあき、1949年4月11日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 福岡県久留米市で生まれ10歳の時に東京へ移住する。日大三高では、2年生の時、エースとして1966年の夏の都大会の決勝に進出するが、修徳高の辻正孝に本塁打を喫し敗退。翌1967年夏は都大会準決勝で、後に大学同期となる依田優一を打の主軸とする堀越高に敗れ、甲子園出場はならなかった。高校同期に三塁手の畑野実、控え投手の柴田民男がいる。 卒業後は法政大学に進学。法大には同期の横山晴久、一年下の池田信夫ら好投手がおり、公式戦の登板は2イニングのみに終わった。1972年に丸善石油に入社。1973年の都市対抗に出場し、エース久玉清人をリリーフして好投、チームは準々決勝に進出する。
久原 正治(くはら まさはる、1949年 - )は、日本の経… 久原 正治(くはら まさはる、1949年 - )は、日本の経営学者。専門は経営戦略、経営組織、日米経営比較、金融機関経営。学位は博士(経営学)(立命館大学)。久留米大学常務理事。 従来の製造業の経営管理の研究が中心であった経営学研究に対して、『銀行経営の革新』で銀行の経営管理研究の方向を初めて示した。また、サブプライム危機以前に『金融イノベーター群像』の中で日本に初めてサブプライム・ローンの実態を紹介した 。 1949年、福岡県久留米市生まれ 。1972年、慶應義塾大学経済学部卒業、1997年、青山学院大学大学院国際政治経済学研究科国際ビジネス専攻修士課程修了。2002年、立命館大学博士(経営学)。
鮎川 誠(あゆかわ まこと、1948年〈昭和23年〉5月2日… 鮎川 誠(あゆかわ まこと、1948年〈昭和23年〉5月2日 - 2023年〈令和5年〉1月29日)は、日本のギタリスト、作曲家、俳優。福岡県久留米市出身。身長180cm、アメリカ人とのハーフ。 ロックバンド・サンハウスおよびシーナ&ザ・ロケッツのメンバー。
河北 秀也(かわきた ひでや、1947年4月9日 - )は、… 河北 秀也(かわきた ひでや、1947年4月9日 - )は、日本のアートディレクター。日本ベリエールアートセンター主宰。東京芸術大学美術学部デザイン科名誉教授。福岡県久留米市出身。美術評論家河北倫明は伯父に当たる。 久留米大学附設高等学校、東京藝術大学卒業。藝大2年の時にサクマ製菓のキャンディ「いちごみるく」のデザインを手がける。東京藝術大学の卒業制作としては営団地下鉄の地下鉄路線図をデザインした(卒業には間に合わなかったものの、営団に正式に起用された)。 1974年、日本ベリエールアートセンターを設立。70年代から80年代にかけて営団地下鉄(現:東京メトロ)のマナーポスターをシリーズで手がける。
園田 英弘(そのだ ひでひろ、1947年3月20日 - 20… 園田 英弘(そのだ ひでひろ、1947年3月20日 - 2007年4月6日)は、日本の社会学者。専門は日本社会史、比較社会学。 1947年、福岡県久留米市で生まれた。福岡県立明善高等学校を経て、京都大学教育学部に進学。東京大学大学院教育研究科に進み、修士課程を修了した。 その後、京都大学人文科学研究所助手に採用された。国立民族学博物館助教授に転じた後、1986年に国際日本文化研究センターの創設準備室が開設されると次長となり、1987年に同助教授、1994年より同センター教授。1998年からの3年間と2005年から2年間にわたり、研究調整主幹を務め、また副所長も務めた。 1994年6月、学位論文『西洋化の構造:黒船・武士・国家』を大阪大学に提出して人間科学博士号を取得。
古賀 光雄(こが みつお、1946年 - )は福岡県久留米市… 古賀 光雄(こが みつお、1946年 - )は福岡県久留米市出身の公認会計士。古賀マネージメント総研株式会社 代表取締役を務める。 1969年 - 伏見公認会計士事務所に入所。 1975年 - アーンスト・アンド・ウィニー会計事務所に入所。 1978年 - 等松・青木監査法人(現有限責任監査法人トーマツ)に入所。 1995年 - トーマツ コンサルティング株式会社の代表取締役に就任。 1997年 - 10月トーマツ・ベンチャーサポート株式会社の設立に伴って代表取締役に就任。 2011年 - 12月トーマツ・ベンチャーサポート株式会社を退職。 2012年 - 2月古賀マネージメント総研株式会社を設立して代表取締役に就任。
伊藤 久敏(いとう ひさとし、1944年6月19日 - )は… 伊藤 久敏(いとう ひさとし、1944年6月19日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手。左投右打で、ポジションは投手。
吉田 浩己(よしだ ひろき、1944年1月18日 - )は、… 吉田 浩己(よしだ ひろき、1944年1月18日 - )は、日本の医学者、病理学者。鹿児島大学第11代学長・名誉教授。医学博士。専門は乳癌病理学、毒性病理学。 福岡県久留米市生まれ。1969年に鹿児島大学医学部医学科を卒業。1971年から1973年の間、シカゴ大学ベン・メイ癌研究所に留学。1974年、鹿児島大学大学院医学研究科単位修得し、愛媛大学医学部助手に就く。「新生児期男性ホルモンの雌性ラット性腺分化に与える影響についての研究」の論文により、1976年2月17日に医学博士の学位を鹿児島大学から授与される。愛媛大学医学部助教授を経て、1983年9月、鹿児島大学医学部教授に就任。鹿児島大学教授の間、医学部附属動物実験施設長(1991年4月就任)、医学部医学科長(2000年10月就任)、医学部長(2003年2月就任)、医歯学総合研究科長(20003年4月就任)などを歴任。
宮地 正人(みやち まさと、1944年1月17日 - )は、… 宮地 正人(みやち まさと、1944年1月17日 - )は、日本の歴史家。東京大学名誉教授。前国立歴史民俗博物館館長。専門は日本近代史。福岡県久留米市出身。
野口 竜(のぐち りゅう、1944年〈昭和19年〉1月1日 … 野口 竜(のぐち りゅう、1944年〈昭和19年〉1月1日 - 2012年〈平成24年〉1月2日、本名:野口 勝)は日本の漫画家、デザイナー、イラストレーター。別名:野口まさる、久留米東、野口太陽。福岡県久留米市東町出身。 学生時代から絵を描いており、県展に入賞するなどしていた。美術大学を志望していた時期もあったが金銭面から断念し、高校卒業後に上京。 石森章太郎の漫画『世界まんがる記』を読んで漫画家を志す。石森を訪ね弟子入りを志願し断られるが、代わりに紹介されたスタジオ・ゼロに入社し、漫画『オバケのQ太郎』の背景を担当した。その後、多忙となった石森の専属アシスタントとなり、『おかしなおかしなおかしなあの子』や『サイボーグ009』に参加。
坂口 征二(さかぐち せいじ、1942年2月17日 - )は… 坂口 征二(さかぐち せいじ、1942年2月17日 - )は、昭和期に活躍した日本のプロレスラー、柔道家、実業家。福岡県久留米市出身。世界の荒鷲と呼ばれた。長男は格闘家・元プロレスラーの坂口征夫、次男は俳優の坂口憲二。 受験に失敗し、一年高校浪人して久留米市立南筑高校に入学。1960年、柔道三段を取得。高校卒業後、明治大学に進学。柔道部で神永昭夫の指導を受ける。1963年10月、バーデン=バーデンでのIOC総会で柔道の1968年メキシコシティーオリンピックからの除外が決定。国際柔道連盟(IJF)はIOCに再考を促す。坂口はその長身を生かし、1964年東京オリンピック前には「仮想ヘーシンク」として、神永の稽古相手を務めた。
坂口 祐三郎(さかぐち ゆうざぶろう、1941年9月3日 -… 坂口 祐三郎(さかぐち ゆうざぶろう、1941年9月3日 - 2003年7月13日)は、日本の俳優。本名は中村 徹(なかむら とおる)。別名義は牧口 徹(まきぐち とおる)、坂口 徹(さかぐち とおる)、坂口 徹郎(さかぐち てつろう)。 福岡県久留米市出身。福岡県立八女工業高等学校卒業。 肖像権、キャラクターライセンスは盟友の作家/瀬崎智文と㈱AMIプロジェクトになる。 父親を知らず、4歳で母親に捨てられ、祖父方で育てられた。 福岡県立八女工業高等学校2年生の折に、本人の知らない間に同級生の女子が応募した東映ニューフェイス第7期に合格するが、面接で「学校が終わってから」と答え、周囲が騒然とする中で当時の東映社長である大川博に対して「よかったら次の期に入れてほしい」とまで答えたものの結果は合格し、高校卒業後に東映へ第8期ニューフェイスとして入社。
富田 一雄(とみた かずお、1939年1月1日 - )は、日… 富田 一雄(とみた かずお、1939年1月1日 - )は、日本の元競泳選手。福岡県久留米市出身、福岡県立三潴高等学校・日本大学卒業。1960年ローマオリンピック競泳男子4×100mメドレーリレー銅メダリスト。 高校在学中の1956年メルボルンオリンピック競泳代表に選ばれ、競泳男子100m背泳ぎ準決勝で敗退。また、三潴高校水泳部の全国大会優勝にも貢献。1960年ローマオリンピックでは競泳男子100m背泳ぎで準決勝敗退したものの男子4×100mメドレーリレーでは銅メダル獲得に貢献した。
松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto… 松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto、男性、1938年〈昭和13年〉1月25日 - 2023年〈令和5年〉2月13日)は、日本の漫画家。代表作に『男おいどん』『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』など。 福岡県久留米市出身。血液型B型。本名は松本 晟(まつもと あきら)。宝塚大学特任教授、京都産業大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授を歴任。正六位、旭日小綬章、紫綬褒章、フランス芸術文化勲章シュバリエ受章。称号は練馬区名誉区民。 妻は同じく漫画家の牧美也子。弟は早稲田大学大学院名誉教授で元三菱重工業長崎研究所主管の松本將。 一般的にSF漫画作家として知られるが、少女漫画、戦争、動物など様々なジャンルの漫画を描いている。
牟田 泰三(むた たいぞう、1937年6月1日 - )は、日… 牟田 泰三(むた たいぞう、1937年6月1日 - )は、日本の物理学者である。理学博士。研究分野は、理論物理学素粒子論。 福岡県久留米市出身。福岡県立明善高等学校、九州大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院数物系研究科物理学専攻修了(理学博士)。京都大学理学部助手、同大学基礎物理学研究所助教授を経て、1982年から2001年まで広島大学理学部教授。2001年より2007年5月21日まで、広島大学学長。 2007年10月より2009年6月まで、福山大学学長。2011年から2015年まで、マツダ株式会社社外取締役。 広島大学学長在任中、同大相撲部をモデルとした映画「ちゃんこ」に学長役として特別出演した。
横川 新(よこかわ あらた、1936年6月25日 - 200… 横川 新(よこかわ あらた、1936年6月25日 - 2009年1月4日)は、日本の法学者。専門は国際法。第12代成城大学学長。学位は法学博士。成城大学名誉教授。法務省難民審査参与員等も務めた。 福岡県久留米市生まれ。東京都立西高等学校を経て、1962年一橋大学法学部を卒業。1965年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、1968年同博士課程単位習得退学。指導教官は大平善梧。1985年、『国際投資法序説』により、一橋大学法学博士の学位を取得。審査員は皆川洸、細谷千博、秌場準一。 1968年成城大学法学部助手。同助教授、ロンドン大学留学を経て、1977年、成城大学法学部教授に昇格。法学部長を経て、1999年から南博方の後任として第12代成城大学学長を務めた。
國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月2… 國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月26日 - )は、日本の化学者・教育者・会社役員。理研ベンチャーである株式会社ナノメンブレン取締役および北九州産業学術推進機構の理事長。北九州市立大学元副学長。 福岡県久留米市に生まれ、久留米大学附設高等学校卒業後、九州大学工学部応用化学科に入学。大学4年時に秋吉三郎教授、麻生忠二助教授の高分子化学講座へと配属される。修士課程修了後、秋吉教授の「アメリカの大学院を範とする基礎研究重視の大学院教育システムの確立」のため、ペンシルベニア大学の博士課程へと進学する (Ph.D. Adviser, Charles. C. Price)。約2年半で博士学位を取得し、カリフォルニア工科大学のCarl G. Niemann Groupで博士研究員として研究を行う。
権藤 満(こんどう みのる、1935年7月7日 - )は、日… 権藤 満(こんどう みのる、1935年7月7日 - )は、日本の経営者。九州朝日放送の社長、会長を務めた。 福岡県久留米市出身。1965年に東京大学経済学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。取締役、事業開発本部長、常務、専務を歴任した。 2003年から2010年まで九州朝日放送の社長を務め、2010年から2011年までに会長を務めた。2004年から2006年までは日本民間放送連盟副会長も務めた。 2018年から地元の久留米市で監査委員を務めている。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
荻 孝雄(おぎ たかお、1934年12月6日 - 2014年… 荻 孝雄(おぎ たかお、1934年12月6日 - 2014年12月)は、福岡県久留米市出身のプロ野球選手。
楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990… 楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990年1月11日)は、昭和期の政治家。元運輸大臣、元衆議院議員の楢橋渡は実父。 福岡県久留米市に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業後、三井物産勤務を経て、父・楢橋渡秘書。1973年に父・渡が死去し、父と荒木万寿夫の死去に伴う空席を埋める衆議院議員補欠選挙(福岡3区)に自民党公認で立候補。当選を果たし以降衆議院議員を4期務め、中曽根派に属した。この間、第2次大平内閣で運輸政務次官・第1次中曽根内閣で農林水産政務次官に就任している。 1983年総選挙では保守乱立の煽りから次々点で落選。返り咲きを目指した1986年総選挙では党の公認を得られず、日本共産党の公認候補の得票をも下回った法定得票数にも満たない惨敗に終わった。
小川 健太郎(おがわ けんたろう、1934年1月12日 - … 小川 健太郎(おがわ けんたろう、1934年1月12日 - 1995年10月8日)は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代は1964年から1970年まで中日ドラゴンズに所属し、1967年には29勝を挙げて最多勝利のタイトルを獲得、沢村賞を受賞するなど、アンダースローの好投手として活躍した。また1967年から1970年まで4年連続で開幕投手を務めたが、これは1996年時点で球団最長となる連続開幕投手記録だった。王貞治(読売ジャイアンツ)に対して腕を背中から繰り出す「背面投げ」を行った投手としても知られる。しかし1970年、球界を震撼させた八百長事件である「黒い霧事件」への関与が疑われ、オートレース八百長に関与したとして逮捕される。
別府 隆文(べっぷ たかふみ、1933年6月30日 - 20… 別府 隆文(べっぷ たかふみ、1933年6月30日 - 2021年2月27日)は、日本の実業家。 福岡県久留米市出身。1958年に早稲田大学教育学部を卒業し、同年にテレビ西日本に入社。 1985年7月に制作局長に就任し、取締役、常務、専務、副社長を経て、1999年6月から2005年6月までに社長を務め、2005年6月から2009年までに会長を務めた。 西日本新聞社監査役、取締役、フジテレビジョン取締役、フジ・メディア・ホールディングス取締役も務め、2000年から2006年までに日本民間放送連盟理事を務めた。 2008年4月に旭日中綬章を受章した。 2021年2月27日肺炎のために死去。87歳没。
寺田 信義(てらだ のぶよし、1932年〈昭和7年〉11月1… 寺田 信義(てらだ のぶよし、1932年〈昭和7年〉11月1日 - 2004年〈平成16年〉9月22日)は、日本の脚本家・放送作家。福岡県久留米市出身。新潟県立三条高等学校を経て、中央大学法学部卒。在学中に学映協(全国学生自主映画製作協議会)に参加し、その縁で『ともしび』(1954年/監督:家城巳代治)を執筆して脚本家デビューを果たした。1957年には戦後映画史の傑作とされる『異母兄弟』(原作 : 田宮虎彦 監督:家城巳代治)を依田義賢と共同執筆し、高い評価を受けて名声を確立した後、独立プロの活動を経て日本映画復興会議(初代議長:今井正)に参加。社会派映画から日活青春映画、アクション、さらにはテレビドラマまで幅広く手掛け、現実社会や時代性を鋭く反映した作風で知られる。
松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 -… 松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 - 2001年6月17日)は、日本の洋画家である。 福岡県久留米市出身、福岡県立明善高等学校から東京芸術大学に進学、卒業時に大橋賞を受ける。独立展を拠点に活動する。東京都立駒場高等学校で教鞭をとり、その後多摩美術大学に転じ、教授職をつとめ、後進の指導に力を注いだ。 風景画を中心に描き、〈平均的肥満体 1965~1970〉〈退屈な風景 1971~1986〉〈さくら・うし 1987~1996〉〈花と雲と牛 1997~2001〉の連作をのこす。 義父は教育学者の石川謙、義兄に石川松太郎がいる。 青森県立美術館、栃木県立美術館、東京都現代美術館、府中市美術館、多摩美術大学美術館、八王子市夢美術館、青梅市立美術館、佐久市立近代美術館、池田20世紀美術館、愛知県美術館、京都国立近代美術館、広島市現代美術館、高松市美術館、北九州市立美術館、福岡県立美術館、福岡市美術館、久留米市美術館、熊本県立美術館、宇城市不知火美術館、都城市立美術館
二田原 英二(にたはら えいじ、1931年12月7日 - 2… 二田原 英二(にたはら えいじ、1931年12月7日 - 2017年1月31日)は、日本の彫刻家、おもにブロンズを扱う。金蘭学園短期大学学長を務めた。 福岡県久留米市生まれ。旧制・福岡県立中学明善校に学び、学制改革を経て1950年に福岡県立明善高等学校を卒業。1956年、東京芸術大学美術学部芸術学科美学美術史専攻を卒業し、同大学彫刻科研究室副手となる。1960年、イタリア政府招聘留学生として国立ナポリ美術アカデミーに学ぶ。以後1978年に帰国するまでナポリ、ローマ、ミラノなどイタリア各地で制作する。 1985年に金蘭学園短期大学(後の千里金蘭大学短期大学部)特任教授となり、2002年には学長となった後、2004年に名誉教授を贈られた。
野崎 整子(のざき せいこ、1931年11月3日[要出典] … 野崎 整子(のざき せいこ、1931年11月3日[要出典] - )は、福岡県久留米市出身[要出典]の日本の歌手である。昭和20年代を中心に歌手として活躍した。野崎せい子の名義でも曲を発売した。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
中村 八大(なかむら はちだい、1931年1月20日 - 1… 中村 八大(なかむら はちだい、1931年1月20日 - 1992年6月10日)は、日本の作曲家、ジャズピアニスト。 『上を向いて歩こう』、『こんにちは赤ちゃん』、『遠くへ行きたい』、『明日があるさ』など、1950年代末から1960年代にかけての数々のヒット曲を作曲した。 兄の中村二大(1921年 - 生死不明)はクラリネット奏者。妹の夫は漫画家の寺田ヒロオ。 1931年、青島にて誕生。父親は青島の日本人学校で校長を務めており、自宅にはピアノや蓄音機、レコードなどがあるという恵まれた音楽環境であった。音楽的素養を認めた父の勧めで1940年春、小学4年生に進級すると同時に日本へ単身留学、新宿の国民学校へ転校。
権藤 恒夫(ごんどう つねお、1930年〈昭和5年〉3月23… 権藤 恒夫(ごんどう つねお、1930年〈昭和5年〉3月23日 - 2001年〈平成13年〉5月29日)は、日本の政治家。 福岡県議会議員(2期)、衆議院議員(7期)、公明党国会対策委員長などを歴任した。 福岡県出身。専売公社で働きながら、1957年に夜学を卒業。1955年に創価学会に入会し、九州青年部長を経験。1963年より福岡市議会議員、1967年より福岡県議会議員(2期)を務め、1976年の第34回衆議院議員総選挙で公明党から初当選。 1985年、公明党国会対策委員長の大久保直彦の公明党副書記長就任にともない、後任の公明党国会対策委員長に就任する。 1986年12月、竹入義勝が公明党委員長を退任することにともない、公明党国会対策委員長を退任する。
藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)… 藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)- 1999年(平成11年5月25日))は、福岡県久留米市櫛原町生まれの洋画家。 県立中学明善校(現福岡県立明善高等学校)卒 九州大学工学部造船科(専門部)卒 (1948年) 松田塾にて松田実に洋画の指導を受ける(1949年) 東京芸術大学美術学部芸術学科卒(1955年) スペインの王立サン・フェルナンド美術アカデミーヘ留学(1962年-1966年) 国画会会員。京都造形芸術大学名誉教授。群を抜く描写力と清澄な色彩で「静」でありながら、圧倒する存在感をもつ静物画が多数。また、中央にモチーフを配し単色の背景というシンプルな画面構成であり、抽象画的な感覚も持ちあわせながらも、古典的な技法にもすぐれ各所でその力量を窺うことができる。
案納 勝(あんのう まさる、1928年〈昭和3年〉7月16日… 案納 勝(あんのう まさる、1928年〈昭和3年〉7月16日 - )は、日本の政治家。日本社会党に所属し、参議院議員(1期)を務めた。 福岡県久留米市生まれ。1945年(昭和20年)、旧制久留米商業学校(現久留米市立久留米商業高等学校)を卒業した。1946年(昭和21年)、拓殖大学専門部経営科を卒業した。同年、郵政省福岡貯金局に入省した。1972年(昭和47年)に退職した。 1974年(昭和49年)の第10回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。1期務める。在任中は、決算委員会委員などを務めた。 1980年(昭和55年)6月の第12回通常選挙にも立候補の予定であったが、病気を理由に公認を取り消された。
菊竹 清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - 20… 菊竹 清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - 2011年12月26日)は、日本の建築家。一級建築士、博士(工学)。 福岡県久留米市出身。1944年、早稲田大学専門部工科建築学科入学。1945年に久留米駅舎コンペで1等、1948年に広島平和記念カトリック聖堂コンペで3等を獲得するなど、在学中から既に活躍していた。1950年、早稲田大学理工学部建築学科卒業、同年竹中工務店勤務。1952年村野・森建築設計事務所を経て、1953年に菊竹清訓建築設計事務所を開設。 1960年代後期から70年代にかけ、独自のデザイン論である『代謝建築論 か・かた・かたち』を掲げ、黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとするメタボリズムを提唱する。