木村 肥佐生(きむら ひさお、1922年(大正11年)1月4… 木村 肥佐生(きむら ひさお、1922年(大正11年)1月4日 - 1989年(平成元年)10月9日)は、亜細亜大学アジア研究所教授。チベット研究で著名。モンゴル名はダワサンボー。 長崎県佐世保市生まれ。九州学院卒業後、海員養成所に入り、南洋定期航路線に乗り組むも船員生活を断念。1940年、興亜院のモンゴル留学生として蒙古善隣協会興亜義塾に二期生として入学(同じくチベット調査した西川一三は三期生)。1941年蒙古善隣協会職員。1942年、大東亜省内蒙古張家口大使館調査課。1943年、チベットに潜行して諜報活動に従事し、プンツォク・ワンギャルらチベット人と知り合う。1950年、インド経由で日本に帰国。
中村 信子(なかむら のぶこ、1922年 - 2022年5月… 中村 信子(なかむら のぶこ、1922年 - 2022年5月10日)は、ベトナムのラジオ放送局の元アナウンサー。1975年4月30日、ベトナム戦争を共産主義勢力の勝利で終結させたサイゴン陥落を世界に伝えた。 長崎県佐世保市生まれ。太平洋戦争終結直後の1945年10月、九州大学農学部に留学中だったベトナム人農学博士、ルオン・ディン・クア(ベトナム語版)と出会い結婚した。第1次インドシナ戦争中の1952年に北ベトナムへ移住した。1963年からハノイのラジオ局「ベトナムの声」で日本語放送のアナウンサーを務め、1975年4月30日には北ベトナム軍と南ベトナム解放民族戦線の進軍に伴い「サイゴン市は完全に解放されました」とサイゴン陥落を伝えた。
平ノ戸 千代蔵(ひらのと ちよぞう、1921年12月10日 … 平ノ戸 千代蔵(ひらのと ちよぞう、1921年12月10日 - 2009年1月2日[要出典])は、長崎県佐世保市東浜町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は磯本 千代一(いそもと ちよいち)。最高位は東前頭17枚目(1955年3月場所)。現役時代の体格は174cm、97kg。得意手は右四つ、寄り。 1940年に上京し、同じ佐世保市出身の肥州山の伝で、出羽海部屋へ入門。同年5月場所で初土俵を踏んだ。 当初の四股名は本名と同じ「磯本」だったが、「磯ノ海」「大湊」を経て、1951年1月より故郷に程近い北松浦郡平戸町(現在の平戸市)と同郷の先輩でもある「平ノ戸三之助」に因んだ「平ノ戸」に改名。 三段目時代の1943年5月、応召され、1946年11月場所の直前まで復帰が叶わなかった。
山崎喜陽(やまざき きよう、1921年7月25日 - 200… 山崎喜陽(やまざき きよう、1921年7月25日 - 2003年11月11日)は、機芸出版社元社長・代表取締役。長崎県佐世保市出身。 戦前、『子供の科学』主催のスピード競争・牽引力競争で優勝。やがて『模型鉄道』、『科学と模型』に投稿を続ける。 1945年(昭和20年)、東京帝国大学理学部を卒業後、地理学教室に嘱託として残るが鉄道関係の小冊子を数冊発刊した。 1946年(昭和21年)、機芸社(のちの機芸出版社)を設立し、雑誌『鉄道模型趣味』(TMS)を創刊。病気のため事実上離れる最晩年まで長年主筆を務めた。 鉄道模型においては、軌間16.5mmのHOゲージ(縮尺1/87)およびOOゲージ(縮尺1/76)との対比から、日本型車輌を縮尺1/80とし、これらを総称して「16番ゲージ」と呼称することを定めた。
尾崎 中和(おざき なかかず、1919年8月9日 - 194… 尾崎 中和(おざき なかかず、1919年8月9日 - 1943年12月27日)は、日本陸軍の軍人。戦死後、二階級特進し陸軍中佐。 水戸藩家老に連なる海軍中佐・尾崎貴信の二男として長崎県佐世保市で生まれる。出身地は東京市四谷区若葉町。東京府立一中、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、1940年6月、陸軍航空士官学校(53期)を卒業。航空兵少尉任官。明野陸軍飛行学校学生。 1940年10月、飛行第33戦隊付になり、1941年3月、太刀洗飛行学校教官、8月に中尉任官。1942年10月から1943年4月にかけて明野飛行(甲)学生、同じく同年4月から飛行第25戦隊第二中隊長に着任。同年12月に大尉。
篠崎 年子(しのざき としこ、旧姓:村田、1918年6月12… 篠崎 年子(しのざき としこ、旧姓:村田、1918年6月12日 - 2017年10月6日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。元長崎県議会議員(1期)。 長崎県佐世保市生まれ。1931年(昭和6年)、佐世保市立大久保小学校卒業、1935年(昭和10年)、佐世保高等女学校卒業後、教職をめざし、長崎県女子師範学校入学。1937年(昭和12年)に卒業後、佐世保市立吉井南小学校、佐世保市立白南風小学校、佐世保市立光園小学校(現在の佐世保市立祇園小学校)、佐世保市立大久保小学校などで勤務。1941年(昭和16年)、教師と結婚。夫の校長就任と同時に退職。その後、夫が49歳で死去したため、1963年(昭和38年)、復職した。
歌上艶子(うたがみ つやこ、1917年(大正6年)8月25日… 歌上艶子(うたがみ つやこ、1917年(大正6年)8月25日 - )は、日本の歌手。灰田勝彦とのデュエット曲「マニラの街角で」で知られる。本名は横枕三佐子(よこまくら みさこ)。父は帝国海軍軍楽隊隊長の横枕文四郎。 1917年(大正6年)、長崎県佐世保市出身。 松竹少女歌劇団に入団し、1936年(昭和11年)コロムビアから「ピーターパン」でデビュー。1942年(昭和17年)、ビクターから歌謡曲歌手として再デビュー。同年、灰田勝彦とのデュエットで「マニラの街角で」が大ヒットする。 その後は戦時歌謡などを吹き込む。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
遠藤 健児(えんどう けんじ、1916年10月18日 - 1… 遠藤 健児(えんどう けんじ、1916年10月18日 - 1994年4月8日)は、日本の経営工学者。 長崎県佐世保市出身。東京帝国大学工学部機械工学科卒、1983年「運搬活性の研究」で慶應義塾大学工学博士。1939年大日本兵器勤務、のち日平産業(改称)で管理技術関係。1955年千葉工業大学教授となり、1962年武蔵工業大学教授。1987年に定年となり、名誉教授。日本工業経営学会会長を務めた。
佐伯 孝(さえき たかし、1916年9月27日 - 2009… 佐伯 孝(さえき たかし、1916年9月27日 - 2009年12月16日)は、日本の実業家。日清製粉(現日清製粉グループ本社)社長や、同社会長を務めた。藍綬褒章受章。 長崎県佐世保市出身。1941年旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業後、日清製粉(現日清製粉グループ本社)入社。 同社入社後は製粉事業部門で営業、生産、秘書、調査、経理などを担当し、1969年取締役に昇格。1978年常務取締役。1981年から社長を務め、五分無償増資などを行った。1983年藍綬褒章受章。1986年会長に就任。 2009年肺炎のため死去。享年93。
古賀 守(こが まもる、1914年(大正3年)5月9日 - … 古賀 守(こが まもる、1914年(大正3年)5月9日 - 2003年(平成15年)4月28日)は、日本のワイン研究家。日本におけるドイツワインの権威。 長崎県佐世保市出身。生家は醸造家。東京農業大学農芸化学科を卒業後、1936年から1945年にドイツ遊学。ハイデルベルク、ライプツィヒ、ベルリンの大学で学んだ。 メッセで日本代表としてゲッベルス宣伝相の隣に座った経験も持つ。ベルリンにてドイツの敗戦を体験、捕虜交換のシベリア鉄道で帰国後、故郷近郊から長崎の原爆雲を目撃、日本の終戦も経験する。一時高校教諭を務めた後、カメラのライカ、医薬のメルクの日本輸入総代理店であったシュミット商会に入社、井上鍾社長の下、薬品部長から、初代ワイン部長となった。
雲仙嶽 光徳(うんぜんだけ みつのり、1913年2月15日 … 雲仙嶽 光徳(うんぜんだけ みつのり、1913年2月15日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属。本名は福本 光徳。最高位は十両3枚目。 長崎県佐世保市出身。出羽海部屋に入門し、1930年10月に本名の「福本」で初土俵を踏む。1938年1月十両に昇進。1939年1月から2年間応召され、1941年1月に復帰した。1942年5月自己最高位となる東十両3枚目まで上がるが、この場所3勝12敗と大きく負け越し廃業した。身長184cmと当時としては長身だったが、兵役に取られていたのと、腰を痛めたため大成できなかった。
吉田 俊雄(よしだ としお、1909年〈明治42年〉5月7日… 吉田 俊雄(よしだ としお、1909年〈明治42年〉5月7日 - 2006年〈平成18年〉12月)は、日本の海軍軍人、作家。最終階級は海軍中佐。長崎県佐世保市出身。 旧制福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)より海軍兵学校へ進む。病気のため留年し1931年(昭和6年)11月、123人中41番で卒業した(59期)。 1933年(昭和8年)4月少尉任官、翌年11月中尉、1937年(昭和12年)4月海軍大学校選科学生。この間大尉に進級している。第28駆逐隊附、重巡洋艦「妙高」分隊長を経て、軍令部出仕(3班8課)となり、日蘭会商の随員を務めた。帰国後再び軍令部出仕となり、臨時戦史部に所属。第二次世界大戦中は主に軍令部3部8課に勤務。
近藤 益雄(こんどう えきお、1907年3月19日 - 19… 近藤 益雄(こんどう えきお、1907年3月19日 - 1964年5月17日)は、障害児教育実践家。 長崎県佐世保市生まれ。1927年國學院大學高等師範部卒。長崎県で小学校教師となり、生活綴方運動などにとりくむ。長崎の原爆で長男耿(あきら)を亡くす。1948年田平小学校長。1950年校長を自ら辞め、佐々町立口石小学校に特殊学級「みどり組」を開設、その担任となる。1953年のぎく寮(のちのぎく学園)を開き、1962年口石小を辞めてのぎく寮での実践に専念する。 「のんき・こんき・げんき」をモットーとした。文部大臣表彰、1954年読売教育賞、西日本文化賞、1963年ヘレン・ケラー教育賞、日本精神衛生連盟表彰。
肥州山 栄(ひしゅうざん さかえ、1906年8月25日 - … 肥州山 栄(ひしゅうざん さかえ、1906年8月25日 - 1980年9月11日)は、長崎県佐世保市東浜町出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は松本 栄(まつもと さかえ)。最高位は東関脇(1941年1月場所、同年5月場所)。得意手は左四つ、吊り、突っ張りなど。現役時代の体格は180cm、109kg。 1906年8月25日、長崎県佐世保市東浜町で漁師を営む家に生まれる。1926年の秋に上京し、明治神宮競技大会の相撲部門に青年団の部の長崎県代表として出場したところ、出羽海親方から見い出されて勧誘されたため、同年の年末に出羽海部屋へ入門した。 1927年1月場所で初土俵を踏むと序ノ口で2場所続けて全勝優勝したことで自信を付け、1929年9月場所では西幕下14枚目でありながら6勝0敗で全勝優勝を果たし、1930年1月場所では新十両昇進を果たした。
泉 春子(いずみ はるこ、1905年〈明治38年〉4月20日… 泉 春子(いずみ はるこ、1905年〈明治38年〉4月20日 - 1998年〈平成10年〉?)は、日本の女優である。本名は、出生名が吉村 春子(よしむら はるこ)、俳優の中根龍太郎と結婚して山口 春子(やまぐち はるこ)、死別後に再婚して徳田 春子(とくだ はるこ)となった。デビュー作での芸名は沢村春子であったが、次の作品でこの芸名に改名した。身長は4尺3寸(約162.9センチメートル)、体重は12貫(約45.0キログラム)。 1905年(明治38年)4月20日、長崎県佐世保市下京町に「吉村春子」として生まれる。 1918年(大正7年)、旧制白南風小学校(現在の佐世保市立白南風小学校)を卒業、満15歳になる1920年(大正9年)には「娘歌舞伎」に入門する。
濱野 重郎(はまの じゅうろう、1900年〈明治33年〉- … 濱野 重郎(はまの じゅうろう、1900年〈明治33年〉- 1975年《昭和50年〉10月1日)は、日本の教育者。学校法人清明学園(清明幼稚園・清明学園初等学校・清明学園中学校)の創立者である。 大正自由教育の拠点であった成城小学校にて教鞭を執った後、その理想を追求するために独立し、1930年に清明学園を創設した。 徹底した児童中心主義を基盤とし、机上の空論よりも独自の「遊び」や「体験」を重視する教育を確立。 戦後は日本私立小学校連合会の初代会長として私学教育を牽引する一方、小中一貫教育の実践など、常に子どもの成長を見据えた先駆的な取り組みを行った人物である。 長崎県佐世保市出身。長崎県師範学校(現・長崎大学教育学部)を卒業後、教職に就く。
田浦 直蔵(田浦 直藏、たうら なおぞう、1898年(明治3… 田浦 直蔵(田浦 直藏、たうら なおぞう、1898年(明治31年)10月15日 - 1965年(昭和40年)8月17日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)、長崎県議会議長。 長崎県北松浦郡平村(平町、宇久町を経て現佐世保市宇久町)で、田浦甚吉の二男として生まれる。1916年(大正5年)長崎県水産講習所(現長崎県立長崎鶴洋高等学校)を卒業した。 1916年、長崎県農林技手となる。1924年(大正13年)長崎県漁業組合連合会が設立され同会主事に就任。1932年(昭和7年)長崎水産商事(株)を設立して取締役社長に就任。上海支店を設け、その他、長崎魚市場取締役、グランドサービス取締役なども務めた。
山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年 <明治3… 山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年 <明治30年> 5月11日 - 1981年 <昭和56年> 5月6日)は日本の政治家、第52代衆議院議長(在任期間・1965年12月20日 - 1966年12月3日)。長崎県佐世保市出身(選挙区は和歌山県)。栄典は勲一等旭日大綬章、正三位、佐世保市名誉市民。 1915年旧制鹿島中学(現佐賀県立鹿島高等学校)卒業。1920年早稲田大学専門部中退。株式ブローカー、岡崎邦輔秘書を経て、1930年和歌山県会議員に当選。1937年の第20回衆議院議員総選挙に当時の旧和歌山1区から立憲政友会公認で立候補するが落選。同年より県会議長を2期務めた後、1942年の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)に前回と同じく旧和歌山1区から非推薦で立候補し衆議院議員に初当選。
山中 辰四郎(やまなか たつしろう、1890年(明治23年)… 山中 辰四郎(やまなか たつしろう、1890年(明治23年)7月7日 - 1971年(昭和46年)12月11日)は、昭和期の日本の政治家で、公選2人目の佐世保市長である。 佐世保市出身。戦前に佐世保市議会議員を1期(1933年~1937年)務めた後、市役所職員となり、総務課長、助役を経て、1955年4月の市長選挙で現職の中田正輔を破って第15代佐世保市長に就任、2期8年間に及び市長を務めた。 在職中には佐世保工業高等専門学校、海上自衛隊教育隊の誘致を実現したほか、石岳動植物園の開園、鹿子前への観光道路整備など、観光都市としての基盤整備に努めた。 1963年4月の市長選に3選を目指し出馬したが、元市議会議長の辻一三に阻まれ落選、4年後の1967年4月の市長選にも再度挑戦したが再び辻に敗れた。
鈴木 重次(すずき しげじ、1887年〈明治20年〉5月10… 鈴木 重次(すずき しげじ、1887年〈明治20年〉5月10日 - 1951年〈昭和26年〉11月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 長崎県北松浦郡、のちの江迎村(江迎町を経て現佐世保市江迎町)出身。1905年長崎県立平戸中学校猶興館(現・長崎県立猶興館高等学校)卒。小学校訓導兼校長、江迎村長、長崎県議、同議長、大政翼賛会長崎県支部顧問、同中央協力会議員となる。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では長崎2区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後は日本進歩党に入ったが、推薦議員のため公職追放となった。1951年追放解除。追放解除後に死去した。
中田 正輔(なかた まさすけ、1884年12月14日 - 1… 中田 正輔(なかた まさすけ、1884年12月14日 - 1960年11月28日)は、昭和期の日本の政治家で、非公選最後及び公選初代の佐世保市長である。 佐世保市出身。早稲田大学政経科(現在の政治経済学部)を卒業し、帰郷して地元の佐世保軍港新聞の記者になったが体調を崩し2年ほどで退職して実家で農業を営む。1916年7月の長崎県議会議員補欠選挙に擁立され初当選、以後佐世保市議会議員(5期、1918年~1936年)、同議長(1930年6月~1932年3月)、さらに衆議院議員(1期、1932年~1936年)を務めた後、戦後間もない1946年8月に第12代佐世保市長に就任。翌年の初の市長選で引き続き当選、非公選1期、公選2期の計9年間に及び市長を務めた。
月川喜代平(つきがた きよへい、1874年〈明治7年〉-19… 月川喜代平(つきがた きよへい、1874年〈明治7年〉-1948年〈昭和23年〉)は日本のニュージーランド移住者。 ノダアサジロー、国岡白市らとともに戦前からのニュージーランド在住者として知られる。 長崎県五島列島の宇久島出身。10代で上海に渡り、イギリス船の水夫となる。 1895年(明治28年)、勤務していたアメリカ船がニュージーランドのダニーディン港に入港した際に脱走。砂金採取や農場で働いた後、1902年(明治35年)に一時帰国。翌1903年に再度ニュージーランドに渡る。 1907年(明治40年)にニュージーランド国籍を取得。1908年に船長の免許を取得し、クルサ川公社に勤務する。 マイケル・ジョセフ・サヴィッジ首相より推薦状を得て、1936年(昭和11年)に来日。
平ノ戸 三之助(ひらのと さんのすけ、1857年7月(安政4… 平ノ戸 三之助(ひらのと さんのすけ、1857年7月(安政4年) - 没年不詳)は、肥前国松浦郡(現長崎県佐世保市)出身で湊部屋、中村部屋、雷部屋に所属した元力士。元世話人。本名は岡本 三之助。最高位は前頭2枚目。身長体重不明。 初めは大坂相撲に所属する力士であったが、25歳であった1883年1月に上京、湊部屋出身の梅ヶ谷藤太郎の門弟となり、東京相撲に加入し、二枚目格からの始まりとなった。1888年5月、30歳の時にようやく入幕を果たし、以後実力を発揮。1891年5月には、西ノ海嘉治郎から2度目の金星を上げ、翌1892年1月は自己最高位の西前頭2枚目に躍進した。なお、平ノ戸が獲得した3つの金星はすべて、西ノ海からのものである。
草刈 武八郎(くさかり たけはちろう、1853年8月12日(… 草刈 武八郎(くさかり たけはちろう、1853年8月12日(嘉永6年7月8日)- 1942年(昭和17年)11月1日)は、明治から大正期の地主・実業家・政治家。衆議院議員。旧姓・川合。 肥前国松浦郡、のちの長崎県北松浦郡山口村(相浦町を経て現佐世保市)で川合小一右衛門の二男として生まれる。平戸藩校・維新館で学び、1869年(明治2年)から平戸藩砲兵塾で学んだ。1871年(明治4年6月)農業、回漕業・草刈太一左衛門の養子となり、1876年(明治9年)6月、家督を相続した。 実業界では、九十九銀行取締役、平戸貯蓄銀行取締役、長崎県農工銀行取締役、相浦銀行監査役などを務めた。 政界では、1879年(明治12年)山口村会議員に就任。
中倉 万次郎(なかくら まんじろう、嘉永2年12月22日(1… 中倉 万次郎(なかくら まんじろう、嘉永2年12月22日(1850年2月3日) - 昭和11年(1936年)2月6日)は、明治時代から昭和時代初期にかけての日本の政治家・実業家。 現在の佐世保市吉井町の川崎家に生まれ、幼時に現在の同市世知原町の中倉家の養子となる。 1883年(明治16年)長崎県会議員に選出される。1889年(明治22年)に町村制が施行されると、北松浦郡山口村(現在の佐世保市相浦地域)の村長に選ばれた。 その後中央及び地元で長崎県農工銀行取締役頭取、衆議院議員、帝国農会議員、米価調節委員を歴任。 製茶練習所を世知原村内に開設して所長となり現在同地区の名産となっている茶作りの基礎を築いた他、北松浦郡内の道路整備や、当時栄えていた北松炭田からの石炭積み出しを目的とした佐世保軽便鉄道(のち佐世保鉄道、現松浦鉄道西九州線の一部)の設立、平戸島電燈会社の設立など、地域の発展に務めた。
牛山 喜久子 は、日本の美容師、美容家、美容研究家。長崎県佐… 牛山 喜久子 は、日本の美容師、美容家、美容研究家。長崎県佐世保市出身。
小玉 ユキ(こだま ユキ、9月26日 - )は、日本の女性漫… 小玉 ユキ(こだま ユキ、9月26日 - )は、日本の女性漫画家。長崎県佐世保市出身、血液型はA型。 デビュー作は、『CUTiE Comic』(宝島社)2000年10月号に掲載された「柘榴」。当時のペンネームはコダマユキであった。2005年11月、現在の小玉ユキに改名する。 2002年7月に『Vanilla』(講談社)に発表した「Beautiful Sunset」で金の獅子賞(新人の登竜門)を受賞した。 『CUTiE comic』『Vanilla』が相次いで休刊となり、アルバイト生活を送っていた時期があった。その時に、とある出版社のゴミ置き場に積まれていた雑誌に掲載されていた彼女の作品が偶然編集者の目に留まり、『月刊flowers』(小学館)での再デビューの運びとなった。
よしむら なつき(8月9日 - )は、日本の漫画家。長崎県佐… よしむら なつき(8月9日 - )は、日本の漫画家。長崎県佐世保市出身。 ドラゴンクエスト4コマクラブ会員を経て、高校在学中にエニックス(現スクウェア・エニックス)刊『月刊少年ギャグ王』1995年7月号に掲載された読み切り作品『御意見無用っ!!』でデビュー。同作は一部の設定変更を経て同誌及び『月刊ガンガンWING』(同社刊)で連載された。1997年12月より同社の『月刊少年ガンガン』で『里見☆八犬伝』を連載開始。 2002年のエニックスお家騒動に際してマッグガーデンへ移籍。『里見☆八犬伝』は打ち切りになり、同社の新雑誌『月刊コミックブレイド』で『それじゃあ吉田くん!』を連載開始。2003年には同誌増刊『コミックブレイドMASAMUNE』で『新装 里見☆八犬伝』を連載再開するが、両作品とも2004年春より休載となる。
冨永 純正(とみなが よしまさ)は、日本の外交官。公益社団法… 冨永 純正(とみなが よしまさ)は、日本の外交官。公益社団法人青年海外協力協会会長。元コンゴ民主共和国大使(非常駐のコンゴ共和国大使も兼轄)。長崎県佐世保市生まれ。水泳指導担当の青年海外協力隊員から外務省に入省し、大使にまで登り詰めたという異色の経歴を持つ。
田川 和幸(たがわ かずゆき)は、日本の経産官僚。内閣官房内… 田川 和幸(たがわ かずゆき)は、日本の経産官僚。内閣官房内閣審議官兼まち・ひと・しごと創生本部事務局次長等を経て、日本機械工業連合会副会長。 長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保西高等学校を1984年3月に卒業。1987年国家公務員採用Ⅰ種(経済)試験に合格。1988年に一橋大学経済学部を卒業し、通商産業省に入省し、通商政策局通商調査室に配属される。1990年特許庁総務部工業所有権制度改正審議室。1991年通商産業研究所研究部。1993年通商産業省立地公害局産業施設課。同年通商産業省環境立地局産業施設課総括班長。1995年長崎県経済部企業振興課長。 1997年通商産業省環境立地局リサイクル推進課長補佐(計画班長)。
田中 健之(たなか たけし)は、日本の医師、医学者。専門は感… 田中 健之(たなか たけし)は、日本の医師、医学者。専門は感染症学、臨床感染症学、呼吸器感染症、結核、薬剤耐性菌(AMR)、感染制御、血管透過性亢進病態。長崎大学熱帯医学研究所教授、長崎大学病院総合感染症科・国際感染症予防診療センターセンター長を務める。 佐世保市出身。2002年に熊本大学医学部を卒業後、長崎大学病院感染症内科(熱研内科)に入局。長崎大学大学院医歯薬学総合研究科にて博士(医学)を取得した。米国での研究留学を経て、長崎大学病院で診療・研究・教育に従事。感染制御教育センター講師・准教授などを歴任し、2025年10月よりの長崎大学熱帯医学研究所臨床感染症学分野教授に就任した。 臨床感染症を基盤とし、結核や薬剤耐性菌(AMR)、重症感染症の病態解明と治療開発に取り組んでいる。
天野 頌子(あまの しょうこ)は日本の推理小説家。長崎県佐世… 天野 頌子(あまの しょうこ)は日本の推理小説家。長崎県佐世保市生まれ。 東京外国語大学ドイツ語学科卒業。その後らいとすたっふ小説塾一期生として学び、2005年『警視庁幽霊係』でデビュー。主人公が事件の被害者の幽霊から聞き取り調査するという設定で話題に[要出典]。その他に元イケメンホストの毒舌陰陽師と妖狐の少年コンビが、ご町内の事件をゆるゆると解決する陰陽屋シリーズも人気[要出典]。 日本文藝家協会会員。2024年6月から日本SF作家クラブ会員。 「少女漫画家が猫を飼う理由」から装画:toi8 イラスト:玖珂つかさ 「」内が天野頌子の作品
鳥羽 達郎(とば たつろう)は、日本の経営学者。富山大学経済… 鳥羽 達郎(とば たつろう)は、日本の経営学者。富山大学経済学部教授。専攻は、マーケティング論・流通論。長崎県佐世保市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
愛田 真夕美(あいだ まゆみ)は、長崎県佐世保市出身、佐世保… 愛田 真夕美(あいだ まゆみ)は、長崎県佐世保市出身、佐世保市在住の漫画家。血液型はA型。 高校を卒業した1978年にデビュー。初掲載は同年の『花とゆめ』14号『はっぴい♥えんどストーリー』。その後は同誌に読み切り作品を発表。1979年の21・22号に『Oh!われら劣等生徒会』を連続掲載の後、1980年の2号から5号、11号から16号に同作を初連載した。1980年から1981年にかけて『とっておきのA❤B❤C❤』、1981年後半に『ドラねこ☆フーリング』、1982年には『ばいばいC-BOY』を連載し、明るいコメディタッチの作品を発表していった。そんな中、1981年に花とゆめ増刊号にてダークな作風の『マリオネット』を発表。
新井悦子(あらい えつこ)は、日本の童話作家。 長崎県佐世保… 新井悦子(あらい えつこ)は、日本の童話作家。 長崎県佐世保市出身・在住。筑波大学日本語日本文化学類卒業。児童書を出版している出版社を離職後、佐世保市に帰郷。30歳から童話を書き始める。2010年『きょうはとくべつなひ』で単行本デビュー。日本児童文芸家協会会員。絵本学会会員。長崎短期大学保育学会非常勤講師。 2022年の『きらきらさがし』は第42回佐世保文学賞を受賞。40年以上の歴史がある同賞で絵本の受賞は初となった。同書について新井は「方言で書いているので、絵や言葉から長崎を感じて、共感してもらえたら」と述べている。
中村 明夫(なかむら あきお)は、長崎県の音楽家、元高等学校… 中村 明夫(なかむら あきお)は、長崎県の音楽家、元高等学校教諭、現在は長崎短期大学准教授。吹奏楽指導者、講演活動家としても知られる。 長崎県佐世保市出身。中学時代、 吹奏楽部に所属し、チューバを担当。長崎県立佐世保北高等学校卒業。作陽音楽大学(現・くらしき作陽大学)音楽学部音楽学科卒業。 平成7年4月、長崎県立壱岐高等学校講師に着任。フリーランスの期間を経て、平成8年5月、長崎県立猶興館高等学校講師に着任。平成9年4月、長崎県立島原南高等学校 (現・長崎県立島原翔南高等学校) に着任(以後、教諭として)。平成11年4月、長崎県立対馬高等学校に着任。 平成20年4月、長崎県立佐世保東翔高等学校に着任し、2017年の県吹奏楽コンクールで自身が顧問を務めた吹奏楽部を九州大会出場に導く。