百﨑 蒼生(ももさき あおい、2005年9月11日 - )は… 百﨑 蒼生(ももさき あおい、2005年9月11日 - )は、熊本県菊池市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 小学3年から軟式野球を始める。中学校では熊本泗水ボーイズ所属。 熊本を出て、東海大学付属相模高等学校に進学。1年春の県大会からベンチで、1年秋から「3番・遊撃手」としてレギュラーに定着。しかし、チーム内での衝突があり、1年冬に中退する。地元・熊本に戻り、中学時代の友人の誘いで、東海大学付属熊本星翔高等学校に編入した。日本高等学校野球連盟の定める規則による1年間の公式戦出場停止期間を経て、高校3年時に夏の甲子園出場を果たした。結果は1回戦敗退。 2023年10月26日に行われたドラフト会議では、阪神タイガースから4位指名を受け、11月19日に契約金4000万円、年俸500万円で仮契約を結んだ。
木山 琉聖(きやま るい、2004年10月19日 - )は、… 木山 琉聖(きやま るい、2004年10月19日 - )は、日本の女子バドミントン選手。熊本県菊池市出身。所属は再春館製薬所。2022年世界ジュニア選手権女子ダブルス銅メダリスト。
井上 瑠夏(いのうえ るか、2001年〈平成13年〉6月12… 井上 瑠夏(いのうえ るか、2001年〈平成13年〉6月12日 - )は、日本のアイドルであり、女性アイドルグループSKE48チームKIIのメンバーである。熊本県菊池郡泗水町(現・菊池市)出身。ゼスト所属。「くまもと大好き大使」と「熊本いきなり団子大使」、「熊本ドーナツ棒大使」を務めている。 2014年AKB48チーム8熊本県オーディションに応募するも落選。 2015年5月10日、「第2回AKB48グループ ドラフト会議」の最終候補者となるも指名されず。 2016年11月19日、愛知県芸術劇場で行われた「みんなが主役! SKE48 59人のソロコンサート~未来のセンターは誰だ?~」1日目昼公演にて、SKE48の8期研究生としてお披露目される。
荒尾 怜音(あらお れおん、2001年5月1日 - )は、日… 荒尾 怜音(あらお れおん、2001年5月1日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 熊本県菊池市出身。3歳でバレーボールを始める。 菊池市立菊池南中学校時代の2016年、全国都道府県対抗中学大会に熊本選抜として水町泰杜とともに全国優勝を経験。中学校までアウトサイドヒッターとしてプレーしていた。 2017年、鎮西高等学校に進学後、リベロに転向。1年生からレギュラーを獲得し、インターハイ・春高バレーの2冠を達成。春高バレーではベストリベロを受賞した。 2020年に早稲田大学スポーツ科学部に進学。当時全日本インカレ3連覇中のチームであったが1年生からレギュラーを獲得し、全日本インカレの優勝(4連覇)に貢献、自身もリベロ賞を獲得した。
森 武蔵(もり むさし、1999年11月27日 - )は、日… 森 武蔵(もり むさし、1999年11月27日 - )は、日本のプロボクサー。熊本県菊池市出身。志成ボクシングジム所属。以前は薬師寺ボクシングジムに所属していた。第47代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者。元WBOアジアパシフィックフェザー級王者。 幼稚園から空手を始め、小学5年生で空手を辞めた後にボクシングを始めた。 2011年・2014年、U-15全国大会で優勝した。 2016年12月4日、刈谷市産業振興センターあいおいホールで深井 一矢と59.5キロ契約4回戦を戦い、1回41秒KO勝ちを収めデビュー戦を白星で飾った。 2017年12月23日、西日本スーパーフェザー級新人王として、東軍代表のジロリアン陸と対戦し、5回3-0(49-46、49-45、50-44)の判定勝ちを収めて全日本新人王と技能賞を獲得した。
古市 雅子(ふるいち まさこ、1996年10月20日 - )… 古市 雅子(ふるいち まさこ、1996年10月20日 - )は、熊本県菊池市出身の女子レスリング選手である。階級は67kg級。身長165cm。 5歳の時に柔道を始めた。小学校5年生の時に身体能力の高さを見込まれてレスリングに転向した。小学校6年の時には日本オリンピック委員会が有望選手を集めてエリート教育を施す全寮制のJOCエリートアカデミーに一期生として入学するため熊本から上京して、ナショナルトレーニングセンターにおいて練習を積むことになった。他方、王子ジュニアレスリングクラブに所属して全国少年少女レスリング選手権大会45kg超級で2位となった。稲付中学校では2年から全国中学生選手権64kg級と全国中学選抜選手権70kg級で2連覇を果たした。
江里口 匡史(えりぐち まさし、1988年12月17日 - … 江里口 匡史(えりぐち まさし、1988年12月17日 - )は、日本の元陸上競技選手で、専門は短距離走。熊本県菊池市出身。熊本県立鹿本高等学校、早稲田大学スポーツ科学部卒業。大阪ガス所属。 鹿本高校時代の2006年10月第61回国民体育大会少年男子100mで優勝。2007年に早稲田大学入学、1年目から日本インカレ100mで優勝を果たすなど活躍を見せた。その後故障に見舞われた時期があり、オリンピックへ出場はしていない。2008年9月27日の早慶対抗競技会では、4×200mリレーの1走を務めて1分22秒67の日本新記録を樹立した。大学3年に進級した後、2009年6月28日の第93回日本選手権男子100m決勝で、10秒14のタイムで初優勝を飾った。
徳川 恵理(とくがわ えり、1984年1月22日 - )は、… 徳川 恵理(とくがわ えり、1984年1月22日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者。 熊本県菊池市出身。母親の勧めで中学1年よりバレーボールを始める。 熊本信愛女学院高等学校在学中、春高バレーに出場。2005年、ユニバーシアードイズミル大会に出場した。 2006年、久光製薬スプリングスに入団したが、2009年に三洋電機レッドソアに移籍した。2011年5月、退団。 2021年から、熊本県立熊本商業高校で女子バレーボール部監督を務めている。
角田 辰徳(かくだ たつのり、1983年5月24日 - )は… 角田 辰徳(かくだ たつのり、1983年5月24日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 熊本県菊池市出身。法政大学卒業後、2006年に東レアローズに入団。2007年のユニバーシアードに出場した。東レではレフトで活躍。 2014年5月の黒鷲旗大会をもって勇退し、社業専念とされたが、同年6月にジェイテクトSTINGSに移籍と発表された。2016年、同年度の黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会終了をもって現役引退し社業に専念。 2024年9月、この年に発足した熊本Virexのコーチに就任した。
芹川 大毅(せりかわ だいき、1983年2月14日 - )は… 芹川 大毅(せりかわ だいき、1983年2月14日 - )は、熊本県菊池市出身のクリエイター。グラフィックデザイン、パッケージデザイン、ウェブデザイン、アートディレクションを中心に活躍。
濱口 和久(はまぐち かずひさ、1968年10月14日 - … 濱口 和久(はまぐち かずひさ、1968年10月14日 - )は大学教授。 [拓殖大学]地方政治行政研究所特任教授および同大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター長、関西大学大学院社会安全研究科非常勤講師、日本大学法学部公共政策学科非常勤講師、多摩大学経営情報学部非常勤講師、東日本国際大学健康社会戦略研究所客員教授、麗澤大学客員教授、学校法人日本航空学園理事長室アドバイザー兼特別講師、一般財団法人防災教育推進協会理事長、国立研究開発法人防災科学技術研究所客員研究員及び社会実装推進委員、和歌山県白浜町防災アドバイザー、稲むらの火の館(濱口梧陵記念館・津波防災教育センター)特別研究員、産経新聞社「正論」執筆メンバー、熊本県立菊池高等学校防災教育特別アドバイザー、防災・危機管理政策アドバイザー、城郭史研究家、近江八幡市安土城復元推進協議会副会長、一般社団法人日本戦略研究フォーラム政策提言委員、共同ピーアール総合研究所客員研究員、政策研究フォーラム理事、ニューレジリエンスフォーラム事務局長、一般社団法人日本CBRNE学会副理事長、一般社団法人日本危機管理学会理事、一般社団法人防災住宅研究所理事、NBCR対策推進機構副理事長、特定非営利活動法人日本領土領海戦略会議政策顧問、一般社団法人サイバースマートシティ創造協議会顧問、元自衛官。
坂口 千仙(さかぐち ちせん、1963年3月10日 - )は… 坂口 千仙(さかぐち ちせん、1963年3月10日 - )は、熊本県菊池市出身の元プロ野球選手(内野手)。 菊池高から九州産業大学に進む。大畑徹、福地経人らの投手陣を擁し、福岡六大学野球リーグでは在学中7回優勝。1984年秋季リーグ戦では打率.432で首位打者を獲得、ベストナイン2回。 1984年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから6位指名を受け入団。 プロ2年目の1986年に一軍初出場を果たし、1987年のシーズン前半には遊撃手として16試合に先発するが、打撃面で結果を出せず。1989年の日本ハムファイターズとの開幕戦では三塁手で先発出場を果たすが、2回裏に本塁への悪送球で先制点を許し、5回にチャンスを迎えたところで代打(広永益隆)を送られ交代。
岩下 尚史(いわした ひさふみ、1961年6月28日 - )… 岩下 尚史(いわした ひさふみ、1961年6月28日 - )は、日本の作家、國學院大學客員教授。別名宮薗千齋 、ニックネームはお師匠はん。熊本県菊池市出身。 熊本県菊池市で一人っ子として生まれ、國學院大學文学部を卒業して新橋演舞場株式会社へ入社し、企画室長として劇場創設の母体である新橋花街主催「東をどり」の制作に携わる。幕末から平成にいたる東都の花柳界を調査研究して社史『新橋と演舞場の七十年』を編纂する。 退職後の2007年に『芸者論:神々に扮することを忘れた日本人』で第20回和辻哲郎文化賞を受ける。 2008年に、甘美な小説に旧知の後藤貞子の回顧談を仕組んだ『見出された恋:金閣寺への船出』を著す。
高岡 利治(たかおか としはる、1958年〈昭和33年〉7月… 高岡 利治(たかおか としはる、1958年〈昭和33年〉7月1日 - )は、日本の政治家。熊本県水俣市長(3期)、元水俣市議会議員(3期)。 熊本県菊池市出身。鎮西高等学校卒業。 かつては水泳選手として活動。小学5年で水泳を始め、高校2年当時、1975年に三重国体で出場した200メートルリレーで当時の高校日本新記録をマーク。日本体育大学進学後の1977年に出場した日本選手権水泳競技大会で、200メートル個人メドレーで3位に入る。大学4年生当時の1980年4月、全日本室内選手権で上位入賞、同年6月に予定されていたモスクワオリンピック日本代表の最終選考レースへの出場権を得る。しかし、同年5月24日に日本オリンピック委員会は政府の方針通りにモスクワオリンピック不参加を決定、6月の最終選考レースも中止になり、五輪への道も絶たれた。
ささき 文江(ささき ふみえ、1950年 - )は、作詞家。… ささき 文江(ささき ふみえ、1950年 - )は、作詞家。熊本県菊池市泗水町に生まれ。
藤井 博行(ふじい ひろゆき、1946年9月11日 - )は… 藤井 博行(ふじい ひろゆき、1946年9月11日 - )は、日本の実業家。日立金属株式会社代表取締役会長兼社長や、一般社団法人日本鉄鋼連盟理事を務めた。 熊本県菊池市出身。1969年熊本大学工学部機械工学科卒業。1972年熊本大学大学院工学研究科修士課程修了、日立金属入社。1994年日立金属熊谷工場生産技術部長。2001年日立金属鳥取工場長。2007年日立金属事業役員常務情報部品カンパニープレジデント。2008年日立金属執行役常務技術センター長。2009年日立金属執行役専務技術センター長。2010年から日立金属代表執行役執行役社長を務め、グローバル化のために日立電線との合併にあたった。日本鉄鋼連盟理事も務めた。
上潮 智也(あげしお ともや、1941年12月3日 - )は… 上潮 智也(あげしお ともや、1941年12月3日 - )は、熊本県菊池郡七城町(現・菊池市)出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は古市 稔伸。身長182cm、体重109kg。最高位は東十両2枚目。得意技は左四つ、上手出し投げ。 1958年3月場所初土俵、1968年5月場所十両昇進、1971年11月場所廃業。入門後半年に肝臓疾患が発覚するが、体に気をつかいつつ稽古を人一倍行っていた。廃業後の1972年から「ちゃんこ上潮」を開業。自身が納得いくちゃんこの味にたどり着くまで2、30年かかったというが、野菜の甘みが溶け込んだ出汁、沖縄の塩、北海道の羅臼昆布が活きた逸品となっており、味のすり身のちゃんこを食べて体調が改善された客もいるという。
魚住 汎英(うおずみ ひろひで、1940年〈昭和15年〉2月… 魚住 汎英(うおずみ ひろひで、1940年〈昭和15年〉2月11日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(2期)、防衛政務次官、熊本県議会議員(3期)、菊池市議会議員(4期)を歴任。父は元熊本県議会議員の魚住一海。 熊本県立熊本高等学校・成城大学経済学部・東京農業大学(通信)畜産学科卒業。菊池市議会議員、熊本県議会議員を経て1986年の第38回衆議院議員総選挙にて初当選。自由民主党所属。 1993年の第40回衆議院議員総選挙において自民党を離党した新生党議員で唯一の前職落選者。 2007年の、第21回参議院議員通常選挙に、郵政民営化法案に反対したことを理由に公認が得られず、無所属で熊本県選挙区から立候補することを模索も断念し、引退。
立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月2… 立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月24日)は、日本の政治運動家、文筆家。 熊本県菊池市生まれ。1959年九州大学経済学部卒業、在学中から日本社会党青年部で活動。1960年安保闘争の最中、雑誌『社会主義』(社会主義協会)の編集者となる。 社青同(日本社会主義青年同盟)港支部(東京)を組織。浅沼社会党委員長刺殺抗議デモに参加。三池無期限全面スト支援のため各労組をオルグ。 1961年三池闘争支援のため「三池を守る会」を組織。医療労働者の人権侵害、労働条件改悪に抗議する闘争支援(十仁・愛育・船員・慶応病院など)。 1964年社青同第四回大会で書記長に選出される。1965年反戦青年委員会設立に努める。
平山 正剛(ひらやま せいごう、1934年4月15日 - )… 平山 正剛(ひらやま せいごう、1934年4月15日 - )は、日本の弁護士、元日本弁護士連合会会長(2006年4月1日 - 2008年3月31日)。一般財団法人防災教育推進協会監事 2006年4月1日から日本弁護士連合会会長に就任した(任期2年)。会長選挙では、高山俊吉・久保利英明の両候補を破って当選している。 早稲田大学年金をめぐって、大学理事会に対して独立性が求められる大学監事でありながら、年金減額をめぐる裁判で一時、大学側代理人弁護士をつとめていたこと、また大学年金基金に関する監査責任はないと主張していることについて強い批判を受けている。(出所:早稲田大学の年金を知る会)
荒木 修(あらき おさむ、1920年(大正9年)1月2日 -… 荒木 修(あらき おさむ、1920年(大正9年)1月2日 - 2002年(平成14年)12月13日)は、昭和から平成時代の政治家。教育者。熊本県菊池市長。 菊池市出身。1944年(昭和19年)京都帝国大学法学部卒業。 1945年(昭和20年)9月、隈府女子技芸学校(隈府女子専門学校を経て現菊池女子高等学校)校長代理に就任。1963年(昭和38年)7月、学校法人菊池女子学園、菊池女子高等学校を設立し、理事長兼校長に就任した。ほか、熊本県私立学校審議会長を歴任した。 1989年(平成元年)菊池市長に当選し、1期務めた。
八方山 主計(やかたやま かずえ、1917年5月5日 - 1… 八方山 主計(やかたやま かずえ、1917年5月5日 - 1977年3月4日)は、熊本県菊池郡泗水町(現在の菊池市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は安武 計(やすたけ かずえ)。最高位は西前頭筆頭(1951年5月場所)。現役時代の体格は180cm、131kg。得意手は左四つ、寄り。 熊本県西合志村(現合志市)の剣道家緒方武の道場「護国殿」に通って剣道を学び、将来は剣術道に進むつもりだったが、師匠の緒方は彼の堂々たる体軀から将来力士として有望だと感じ、在京の徳永為次(吉田司家の故実門人)に紹介、当時横綱免許を授与していた吉田司家の斡旋で、16歳の時に出羽海部屋へ入門した。1934年5月場所で初土俵を踏み、四股名を本名の「安武」から「八方山」に改めて1940年5月場所にて十両昇進、1年後の1941年5月場所で入幕した。
伊沢 一郎(いざわ いちろう、1912年〈明治45年〉2月2… 伊沢 一郎(いざわ いちろう、1912年〈明治45年〉2月22日 - 1995年〈平成7年〉5月14日)は、日本の俳優。熊本県菊池郡河原村(現・菊池市)出身。本名:萱野 季男(かやの すえお)。女優の美川かつみは妻。俳優の川谷拓三は甥。 高輪商業学校卒業。1930年に日活太秦に入社。1931年にサイレント映画『かんかん虫は唄ふ』でデビュー。朴訥だが誠実なキャラクターで注目され、『ためらふ勿れ若人よ』、『魂を投げろ』などの作品で、デビュー間もない原節子とのコンビで主演。戦後も脇役として活躍。熊本なまりの喋りと親しみのあるキャラクターが特徴だった。温厚な性格でも知られており、時代劇や特撮、更にはロマンポルノとジャンルを問わず幅広い作品に出演した。
坂本 末雄(さかもと すえお、1890年(明治23年)12月… 坂本 末雄(さかもと すえお、1890年(明治23年)12月16日 - 1966年(昭和41)9月28日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第35期卒業 1890年(明治23年)に熊本県菊池郡田島村で生まれた。熊本県立鹿本中学校(現・熊本県立鹿本高等学校)卒業後、海軍経理学校に合格したが陸軍への道を選び、1911年12月に士官候補生として歩兵第53連隊に入隊。なお、この時経理学校に補欠合格した林義秀も同じく入学を辞退し、陸士・陸大で同期となっている。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第35期卒業。1938年(昭和13年)3月1日に陸軍歩兵大佐に進級、6月30日に歩兵第53連隊長(中支那派遣軍・第17師団・第17歩兵団)に就任し、日中戦争では、武漢攻略に参加した。
富永 堅吾(とみなが けんご、1883年(明治16年)12月… 富永 堅吾(とみなが けんご、1883年(明治16年)12月10日 - 1960年(昭和35年)9月17日)は、日本の著作家。宮本武蔵についての著作が多く、主に歴史などの著作が多い。死後には息子の富永文夫が「史実宮本武蔵」に後書きをしている。 明治16年(1883年)に富永大平、シカ(両者生没年不詳)のもとで、現在の熊本県菊池市に生まれる。後に合志義塾で学び、熊本師範学校で学ぶようになる。 卒業後は、地元に位置する尋常高等小学校に勤める。その後、一度地元を離れ東京高等師範学校に入学。約3年間学んだ後に、広島に移住した。広島高等師範学校の教諭やそれ以外にも東京府立第一中学校、母校の東京高等師範学校の教諭も務めている。
木下 宇三郎(きのした うさぶろう、1865年11月15日〈… 木下 宇三郎(きのした うさぶろう、1865年11月15日〈慶応元年9月27日〉- 1946年〈昭和21年〉1月27日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級。 肥後国菊池郡、現在の熊本県菊池市で木下居中の長男として生まれ、1903年(明治36年)1月に家督を相続した。 1887年(明治20年)7月、陸軍士官学校旧9期を卒業し、陸軍砲兵少尉に任官。1892年(明治25年)12月、陸軍大学校(11期)に入学したが、日清戦争勃発のため退学し出征。1896年(明治29年)2月に復学し、1897年(明治30年)12月に卒業し参謀本部に配属された。日露戦争では第1軍作戦参謀として出征し、満洲軍が創設されると帰国し大本営陸軍部参謀を務めた。
渋江 公寧(澁江、しぶえ きみやす、1858年(安政5年11… 渋江 公寧(澁江、しぶえ きみやす、1858年(安政5年11月)- 1896年(明治29年)11月30日)は、明治期の教育者、政治家。衆議院議員。字・子静、号・龍伏。 肥後国菊池郡、のちの熊本県菊池郡隈府町(菊池町を経て現菊池市)で、儒学者渋江公木の息子として生まれた。父から学び、1876年(明治9年)熊本県師範学校を卒業。漢学塾・遜志堂を開き子弟の教育を行った。 政界では熊本県会議員に就任。1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(熊本県第3区、国民協会)で当選し、衆議院議員に1期在任した。議員在任中の1896年11月に死去した。
加藤 勇次郎(かとう ゆうじろう、1857年11月26日(安… 加藤 勇次郎(かとう ゆうじろう、1857年11月26日(安政4年10月10日) - 1934年(昭和9年)1月16日)は、熊本バンドの一人である。 1857年肥後国菊池郡広瀬村(現・菊池市)に生まれる。1872年熊本洋学校に入学し、1876年(明治9年)1月30日に花岡山で奉教趣意書に署名する。L.L.ジェーンズから洗礼を受ける。 1876年9月に同志社英学校に入学する。海老名弾正、小崎弘道、森田久万人らと西京第三公会に転入会する。 1879年(明治12年)、同志社英学校を第1期生として卒業する。同志社の同志社女学校、予備学校、普通学校の教員になり、英語、数学、物理を教えた。 1883年(明治16年)熊本バンドの海老名弾正、宮川経輝、横井時雄、金森通倫、上原方立らと一緒に、東京の新栄教会で開催された、第三回全国基督教信徒大親睦会に幹部として出席する。
高木 元右衛門(たかぎ もとえもん、天保4年(1833年) … 高木 元右衛門(たかぎ もとえもん、天保4年(1833年) - 元治元年7月19日(1864年8月20日))は、江戸時代後期から幕末にかけての肥後国菊池郡深川村(現熊本県菊池市深川)の肥後藩士。深川村の郷士・高木甚之助の次男。諱は直久。変名は深川策助。 武芸に優れ、成童の頃に父・甚之介の剣術仲間であった荒尾村の郷士・宮崎政賢の養子となる。宮部鼎蔵に山鹿流兵法を学び、地元の学者、高山蘭痴からも教えを受けた。宮崎家からは家督相続人として迎えられていたが、国事を志して宮崎家を飛び出し、武者修行の旅へ出る。 尊王攘夷派と親交を深め、肥後勤王党に加わる。文久2年(1862年)、肥後藩親兵隊として上洛。文久3年(1863年)、八月十八日の政変による七卿落ちの際には、七卿を護衛して長州に赴いた。