河瀬 航大(かわせ こうだい、1988年〈昭和63年〉9月1… 河瀬 航大(かわせ こうだい、1988年〈昭和63年〉9月19日 - )は、日本の実業家。株式会社フォトシンス(Photosynth Inc.)の創業者、代表取締役社長。世界初の後付け型スマートロック「Akerun」の開発者。 鹿児島県鹿児島市生まれ。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、2011年に筑波大学理工学群を卒業。大学卒業後、株式会社ガイアックスに入社。 ガイアックスではソーシャルメディアの分析・マーケティングを中心とした業務を担当。2013年にはネット選挙解禁に伴う事業責任者として、多数のテレビ出演や講演活動を行った。 2014年9月、株式会社フォトシンスを創業し、代表取締役社長に就任。スマートロックを活用した「Akerun」ブランドのIoT・SaaS事業を手掛ける。
西郷 隆太郎(さいごう りゅうたろう、1983年〈昭和58年… 西郷 隆太郎(さいごう りゅうたろう、1983年〈昭和58年〉1月8日 - )は、日本の実業家。西郷隆盛本家直系第5代目(玄孫)。霞会館会員(旧華族侯爵)。 東京都渋谷区生まれ、鹿児島県鹿児島市出身。東海大学卒業後、長らくIT企業に勤め、2015年より株式会社沖縄総合開発取締役社長および株式会社BEELINE代表経営を務めた。 社業と並行して2017年に「敬天愛社」という会社を立ち上げ、西郷隆盛の教えを後世に伝える啓蒙活動を始め、イベント等で隆盛と共に同時代を生き抜いた人物の子孫たちと共に講演や対談などを行っている。また、隆盛の子孫で構成される西郷家二十四日会(会員約1,000人)の代表も務める。
佐藤 健太郎(さとう けんたろう、1981年1月10日 - … 佐藤 健太郎(さとう けんたろう、1981年1月10日 - )は、日本の実業家であり、GMOペパボ株式会社代表取締役社長。鹿児島県鹿児島市出身。愛称は「ケンタロさん」。 大学生時代に互いのホームページを通し、合資会社マダメ企画を経営していた家入一真と出会い、掲示板を通して交流を深める。事業を継承する有限会社paperboy&co.を家入が設立した際に、手伝わないかと声を掛けられ東和大学卒業を機に入社する。入社後は、ロリポップ!のサービスサポートやマーケティングなどを担当し、経営企画室長として上場準備にも携わる。 2009年3月25日、代表取締役社長の家入一真(当時)の退任に伴う人事異動により、代表取締役社長に就任する。
井口基史(いぐち もとふみ、1979年8月16日 - )は、… 井口基史(いぐち もとふみ、1979年8月16日 - )は、日本のプロバスケットボールのスカウト、ゼネラルマネージャー、プロチーム経営者。バスケットボールコメンテーター。ホームタウン研究家。 鹿児島出身。現役時代はポイントガード。 bjリーグ富山グラウジーズの外国籍選手スカウトのあと、FIBA国際公認代理人資格を日本人初取得。その後いくつかのチームを渡り歩いたのち、現在はバスケットボールの試合中継でコメンテーターを務める。 球団マネジメントの経験が長いことから、各チームのホームタウン活動を取り上げる事が多い。 東アジアスーパーリーグ(EASL)公式アナリスト。 テレビ・ラジオにてバスケットボールやホームタウンについてのコメンテーター。
徳重 剛(とくしげ つよし、1977年9月17日 - )は、… 徳重 剛(とくしげ つよし、1977年9月17日 - )は、日本の実業家、公認会計士、税理士。鹿児島県出身。株式会社鹿児島プロスポーツプロジェクト取締役。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。2001年、上智大学経済学部卒業。大学では体育会サッカー部主将を務めた。大学卒業後の2003年に公認会計士の資格を取得し、有限責任監査法人トーマツにて5年間勤務。2008年に多摩大学大学院スポーツマネジメントスクール修了。故郷である鹿児島にJリーグクラブを誕生させるために監査法人を退所し、2010年にFC KAGOSHIMA(県1部リーグ)を立ち上げる。2013年、ヴォルカ鹿児島との統合を発表し、同年11月に鹿児島ユナイテッドFC代表に就任。
宮之原 明子(みやのはら あきこ、1974年〈昭和49年〉9… 宮之原 明子(みやのはら あきこ、1974年〈昭和49年〉9月25日 - )は、日本の実業家。ローカルアイドル「Seven Colors」プロデューサー。 鹿児島県鹿児島市出身・在住。老舗納豆屋の長女として誕生。鹿児島純心女子短期大学在学中、母の宮之原清子が設立した人材派遣会社『清友』を手伝い、卒業後に入社。母が会長職に就くと同時に社長に就任。2010年(平成22年)に株式会社ミエルカを設立。イベント・モデル・デモンストレーション事業などを展開している。 2016年、就労継続支援A型事業所『就労支援事業所さくら』を開所。2017年、就労継続支援A型,B型(多機能)事業所『一般社団法人グッジョブかごしま』を立ち上げた。
東野 純直(あずまの すみただ、1971年〈昭和46年〉8月… 東野 純直(あずまの すみただ、1971年〈昭和46年〉8月25日 - )は、日本のシンガーソングライター、プロデューサー、ラーメン通販店経営者。血液型A型。鹿児島県出身。 1971年(昭和46年)8月25日に生誕。19歳で福岡に進学し、当時21歳だった福岡在住の安部潤に初めて曲をアレンジしてもらい雷で頭を撃ち抜かれたような衝撃を受け、福岡で音楽活動を行う。1992年(平成4年)10月には、第1回MusicQuest'92世界大会で審査員特別賞を受賞。 安部潤とほぼ同時に上京し、1993年(平成5年)4月1日、テイチクレコードより「君とピアノと」で、期待の新人アーティストと鳴り物入りでデビュー。
上原 隆(うえはら たかし、1969年1月8日 - )は、日… 上原 隆(うえはら たかし、1969年1月8日 - )は、日本の実業家、キャリア・コンサルタント、ラジオパーソナリティ。 鹿児島県鹿児島市出身。 1993年3月、早稲田大学卒業後、レコード会社に入社。その後、1年9ヶ月後に退職し、1995年2月に『前人未到のドミノ倒し 驚異の200万個に挑戦』(TBSテレビ)の特番企画に日本チームのリーダーとして参加。青森県上北郡野辺地町の氷点下マイナス6℃の体育館にて、様々な異なる環境で生まれ育ったメンバーを率いて世界記録に挑戦。その経験を元に人材育成の講演等を行うようになる。 2000年4月、インテリジェンスに入社。三井物産などから3億円の出資を受けた事業会社の創業メンバーとして参画し、2000年9月、アルバイト領域の新規ビジネスを立ち上げる。
蓑毛 正一郎(みのも しょういちろう、1963年1月1日)は… 蓑毛 正一郎(みのも しょういちろう、1963年1月1日)は、日本の経営者。ダイヘン代表取締役社長。 鹿児島県鹿児島市出身。山口県で生まれ、2歳から高等学校卒業まで鹿児島で育つ。 大阪大学工学部卒業。1987年に大阪大学大学院工学研究科修士課程電子工学専攻を修了し、同年に株式会社ダイヘンに入社。2005年5月DAIHEN Advanced Component, Inc.(米国)社長、2007年6月APS事業部長、2011年6月執行役員、2013年6月取締役執行役員、2017年4月取締役常務執行役員を経て、2021年4月に代表取締役社長に就任。
小牧 次郎(こまき じろう、1958年4月22日 - )は、… 小牧 次郎(こまき じろう、1958年4月22日 - )は、スカパーJSATホールディングス取締役、スカパーJSAT取締役執行役員専務有料多チャンネル事業部門長兼放送本部長、スカパー・エンターテイメント代表取締役社長。 鹿児島県鹿児島市出身。 ラ・サール高等学校、東京大学教養学部教養学科卒業後、1983年4月、フジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)に入社。 フジテレビ入社後、スポット営業部、営業推進部、編成局編成部、経営企画室、映画部、CS事業部に在籍。深夜番組帯「JOCX-TV2」などの番組企画開発や、映画のプロデュースに数多く携わった。また、フジテレビのCS放送にも立ち上げから関わっている。
郡山 明久(こおりやま あきひさ、1957年5月11日 - … 郡山 明久(こおりやま あきひさ、1957年5月11日 - )は、日本の実業家。鹿児島銀行代表取締役頭取。九州フィナンシャルグループ代表取締役会長。 鹿児島市出身。鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。横浜国立大学経営学部卒業。1980年に鹿児島銀行に入行し、隼人支店長、人事部長を経て2010年に取締役就任。常務、専務を歴任し2019年から副頭取。2024年より鹿児島銀行代表取締役頭取、九州フィナンシャルグループ代表取締役会長に就任した。
中村 英剛(なかむら ひでたけ、1956年3月26日 - 2… 中村 英剛(なかむら ひでたけ、1956年3月26日 - 2019年1月31日)は、日本の実業家。みずほ証券取締役副社長や、みずほ投信投資顧問代表取締役社長を務めた。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1978年一橋大学商学部卒業、富士銀行入行。2002年みずほコーポレート銀行アジア企画部長。2003年みずほコーポレート銀行香港支店長。2005年みずほコーポレート銀行執行役員営業第十三部長。2007年みずほコーポレート銀行常務執行役員インターナショナルバンキングユニット統括役員。 2009年みずほコーポレート銀行常務取締役インターナショナルバンキングユニット統括役員。2010年みずほ証券取締役副社長兼副社長執行役員国際部門共同部門長兼グローバルインフラ整備委員会副委員長。
柳 弘之(やなぎ ひろゆき、1954年11月20日 - )は… 柳 弘之(やなぎ ひろゆき、1954年11月20日 - )は、日本の経営者。ヤマハ発動機社長、会長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。 ラ・サール高校を経て、1978年に東京大学工学部を卒業し、同年にヤマハ発動機に入社。2007年3月に執行役員に就任し、2010年3月には社長に昇格。2018年1月には会長に就任。
松山 良一(まつやま りょういち、1949年 - )は日本の… 松山 良一(まつやま りょういち、1949年 - )は日本の実業家、外交官。イタリア三井物産社長、三井物産理事兼九州支社長、駐ボツワナ特命全権大使などを経て、独立行政法人国際観光振興機構理事長。学校法人国際大学 理事及び評議員。GLOCOM所長。 鹿児島県鹿児島市出身。1968年ラ・サール高等学校卒業。1972年東京大学経済学部を卒業し、三井物産入社。 1995年イタリア三井物産社長、1997年から在イタリア日本人商工会議所会頭。1999年三井物産広報室長、2001年三井物産情報総括部長兼営業事業部長、2004年米国三井物産副社長兼情報産業本部長、2005年三井物産九州支社長、2006年三井物産理事兼九州支社長。
下堂薗 豊(しもどうぞの ゆたか、1948年〈昭和23年〉9… 下堂薗 豊(しもどうぞの ゆたか、1948年〈昭和23年〉9月6日 - 2026年〈令和8年〉1月1日)は、日本の実業家、茶業家。下堂園社長、会長を歴任し、鹿児島茶の販路拡大や有機栽培茶など新商品開発に尽力。 鹿児島県鹿児島市出身。父は下堂園(下堂薗茶舗)創業者の下堂薗實。1967年3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1971年3月、中央大学経済学部卒業。鹿児島県茶業試験場を経て、1972年2月に有限会社下堂薗茶舗入社。1975年2月、有限会社下堂薗茶舗専務取締役に就任。初代代表取締役である實の急死により、1980年11月、有限会社下堂薗茶舗代表取締役社長(第2代)に32歳で就任。主に関西以西で流通していた鹿児島茶の、関東以北への販路拡大に尽力。
有村 正意(ありむら まさおき、1944年9月17日 - )… 有村 正意(ありむら まさおき、1944年9月17日 - )は、日本の官僚、実業家。 鹿児島県鹿児島市出身。1963年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1968年に東京大学法学部を卒業し、郵政省に入省。電気通信局電気通信事業部長、近畿郵政局長、通信政策局長を歴任し、2000年6月に退職。 アンダーコンサルティング顧問を経て、2002年7月にNTTドコモ関西の顧問に就任し、2003年からNTTドコモに併合される2008年までに社長を務めた。 東京海上日動火災保険顧問、大阪商工会議所情報・通信部会長、関西経済連合会情報通信委員会副委員長なども歴任した。 2015年春に瑞宝中綬章を受章した。
有馬 利男(ありま としお、1942年5月31日 - )は、… 有馬 利男(ありま としお、1942年5月31日 - )は、日本の実業家。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)代表取締役社長や、ジャパン・プラットフォーム共同代表理事、りそなホールディングス取締役指名委員会委員長、キリンホールディングス取締役、富士重工業(現:SUBARU)取締役などを歴任した。 鹿児島県鹿児島市出身。ラ・サール高等学校卒業後、1年間の大学受験浪人生活を経て、京都大学にも合格したが国際基督教大学に進学する。1967年に大学を卒業し、富士ゼロックス入社。2002年から富士ゼロックス代表取締役社長を務めた。2006年富士フイルムホールディングス取締役。2007年富士ゼロックス取締役相談役。
永山 在紀(ながやま ありのり、1940年5月3日 - )は… 永山 在紀(ながやま ありのり、1940年5月3日 - )は、日本の実業家。南国殖産代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長・グループCEO。元鹿児島県経営者協会会長。長崎自動車取締役、宮崎ガス取締役、日本ガス取締役、南日本銀行監査役。 鹿児島県鹿児島市出身。1959年鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業。1965年一橋大学経済学部卒業。一橋大学ア式蹴球部出身。同年積水化学工業入社。1993年積水化学工業東京支店長。 1996年南国殖産取締役企画部長。1997年南国殖産常務取締役。1998年南九州サンクス代表取締役社長。2000年鹿児島県労働委員会委員。2004年から南国殖産代表取締役社長を務め、鹿児島市の景観まちづくり賞を受賞した南国センタービルの開発などを進めた。
三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日… 三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日 - 2021年(令和3年)5月3日)は、日本の実業家。フジテレビ副社長、共同テレビジョン社長、扶桑社社長などを歴任した。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市長を1期務めた三ッ井卯三男の長男として生まれる。 鹿児島県玉龍高等学校、一橋大学社会学部を卒業。森園幸男(人事院事務総長)、森元順司(光文社常務)は、高校の同級生。 1960年4月、フジテレビに入社。1988年4月、取締役に選任され、のち常務。1980年代、編成局の主要ポストを歴任し、フジの全盛期を支え、1981年初頭には、「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズを案出し、開局当初の「母と子のフジテレビ」にとって替わる大ヒット作品となった。
広田 亮一(ひろた りょういち、1935年12月27日 - … 広田 亮一(ひろた りょういち、1935年12月27日 - 2024年1月3日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長を務めた。鹿児島県鹿児島市出身。 1958年に鹿児島大学文学部国文学科を卒業し、南日本新聞社に入社。1990年2月に取締役に就任し、1991年12月に常務、1993年12月に専務を経て、1995年12月から1999年12月までに社長を務めた。 2024年1月3日、特発性間質性肺炎のために死去。88歳没。
枝元 賢造(えだもと けんぞう、1933年4月28日 - 2… 枝元 賢造(えだもと けんぞう、1933年4月28日 - 2004年6月22日)は、日本の実業家。サッポロビールの社長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、1955年に東京大学法学部を卒業し、日本麦酒に入社。ビール業界で初めての地域限定商品「クラシック」の開発に関わり、1987年3月に取締役に就任し、1990年3月に常務、1991年3月に専務、1993年3月に副社長を経て、1995年3月に社長に就任。品質シートや定温輸送車を他社よりも先駆けて導入するなど品質にこだわる同社の理念を実践していった。また、サッポロクラシックの販売促進に力を入れ、そのサッポロクラシックの一本当たり1円をコンサドーレ札幌に寄付するキャンペーンを行った。
稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21… 稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21日 - 2022年〈令和4年〉8月24日)は、日本の実業家、技術者。京セラや第二電電(現・KDDI)の創業者であり、京セラ社長・名誉会長を歴任した他、後年には経営破綻した日本航空の会長に就任し、同社の経営再建を担った(後に日本航空名誉会長)。公益財団法人稲盛財団理事長。「盛和塾」塾長。 妻の朝子は、禹長春の四女である。 1932年(昭和7年)、鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の次男として生まれる。父の畩市は「稲盛調進堂」という名で印刷工場を経営していた。西田尋常高等小学校(現在の鹿児島市立西田小学校)を卒業し、私立鹿児島中学校(旧制、現在の鹿児島高等学校)へ進む。
上野 喜一郎(うえの きいちろう、1929年 <昭和4年> … 上野 喜一郎(うえの きいちろう、1929年 <昭和4年> 11月12日 - 2008年 <平成20年> 1月8日)は、日本の経営者。南国殖産社長を務めた。位階は従五位。 鹿児島県鹿児島市出身。1953年に慶應義塾大学経済学部を卒業。東京貿易での勤務を経て、1956年11月に南国殖産取締役に就任し、1971年6月に社長に就任。1993年には鹿児島讀賣テレビ社長に就任。 2002年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 2008年1月8日に腎不全のために死去。78歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 上野喜左衛門(南国殖産代表取締役社長や参議院議員などを歴任)は父。永山在紀(元南国殖産代表取締役社長)は従弟。
海江田 順三郎(かいえだ じゅんさぶろう、1928年 - 2… 海江田 順三郎(かいえだ じゅんさぶろう、1928年 - 2025年5月5日)は、日本の実業家。高島屋開発社長、相談役、鹿児島市教育委員長、鹿児島県日中友好協会会長、名誉会長等を歴任。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制の鹿児島商業学校(現鹿児島商業高等学校)から転校して、鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)に入り1947年卒業。旧制中学生時代の1945年1月から勤労動員され、第4学年に進級した4月には長崎県佐世保市の海軍工廠へ動員される。1945年6月に陸軍航空士官学校入校の二次試験を受け(敗戦により学校解散のため入校せず)、熊本市(熊本陸軍幼年学校)が試験会場だったため、佐世保市にすぐ戻らず鹿児島市潮見町(汐見町)朝日通りの実家に帰省したところ、6月17日夜の鹿児島大空襲に遭遇する。
藤崎 章(ふじさき あきら、1921年5月1日 - 2007… 藤崎 章(ふじさき あきら、1921年5月1日 - 2007年9月13日)は、日本の経営者。住友金属鉱山社長、会長、相談役、経済同友会幹事等を歴任。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。 旧制の東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を経て、1939年3月第一高等学校卒業。第一高等学校では水泳部主将。1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1942年に住友金属鉱山に入社。1967年5月に取締役に就任し、1970年2月に常務を経て、1973年5月に社長に就任。1983年6月に会長に就任。1988年相談役に就く。 1979年4月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲一等瑞宝章を受章した。 2007年9月13日老衰のために死去。
上田 格(かんだ かく、1921年 <大正10年> 4月29… 上田 格(かんだ かく、1921年 <大正10年> 4月29日 - 2015年 <平成27年> 2月8日)は、日本の経営者、銀行家。鹿児島銀行頭取を務めた。位階は従五位。 鹿児島県鹿児島市出身。1939年に鹿児島県立第二鹿児島中学校(旧制、現鹿児島県立甲南高等学校)を卒業し、1941年に鹿児島高等商業学校(現鹿児島国際大学)を卒業。1942年11月出征、1945年11月復員。1946年に鹿児島銀行に入行。1948年伊集院支店を振り出しに、串良支店、都城支店と勤務し、1953年本店営業部貸付課長代理に着任して以降、ほぼ一貫して営業畑を歩む。1972年に取締役に就任し、1978年に常務、1980年に専務を経て、1986年に副頭取に就任し、1988年3月には頭取に昇格。
川越 政則(かわごえ まさのり、1916年2月20日 - 1… 川越 政則(かわごえ まさのり、1916年2月20日 - 1998年9月6日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者、郷土史家。南日本新聞社社長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1939年に早稲田大学法学部法律学科を卒業。佐世保海軍経理部調達係での勤務を経て、1943年4月に鹿児島日報社、後の南日本新聞社に入社し、1961年12月に取締役に就任し、1962年12月に常務、1968年3月に鹿児島テレビ放送専務を経て、1972年11月から1981年12月までに南日本新聞社社長を務めた。 1986年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 郷土史家、民芸品収集家としても知られ、鹿児島県文化財専門委員等も務めた。著書に『南日本文化史』『南日本風土記』『鹿児島の旅』『鹿児島県史概説』『鹿児島民芸風土記』『鹿児島の美 南日本民芸図説』『焼酎文化図譜』など。
田丸 秀治(たまる ひではる、1914年4月20日 - 19… 田丸 秀治(たまる ひではる、1914年4月20日 - 1990年1月25日)は、日本の実業家。電通代表取締役社長、代表取締役相談役、日本広告業協会理事長等を歴任。マルさんの愛称で親しまれた。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1935年第七高等学校造士館文科卒業。1938年東京帝国大学文学部を卒業。旧制中学校の教諭を経て、七高先輩の吉田秀雄に招かれて1948年に日本電報通信社に入社。部長、局長を経て、1967年に電通常務取締役に就任。その後、専務取締役を経て、1977年に代表取締役社長に就任。同時に吉田秀雄記念事業財団の理事長にもなる。
西郷 隆秀(さいごう たかひで、1907年1月7日 - 19… 西郷 隆秀(さいごう たかひで、1907年1月7日 - 1985年4月24日)は、日本の学校経営者。学校法人拓殖大学理事長、顧問。 鹿児島県鹿児島市出身。西郷菊次郎の三男。1931年3月拓殖大学商学部卒業。1954年から拓殖大学評議員、理事。1955年3月から1964年6月まで拓殖大学理事長を3期務める。矢部貞治拓殖大学総長と戦後の学園復興を進めた。拓殖大学顧問や国際協力技術研修財団理事長なども務めた。1985年4月24日心肺不全で死去(78歳没)。 拓殖大学では同大学の『西郷隆秀顕彰記念外国人留学生奨学金』の創設者として知られる。また八王子キャンパスの購入仮契約の際の理事長でもある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
赤路 友蔵(友藏、あかじ ともぞう、1904年(明治37年)… 赤路 友蔵(友藏、あかじ ともぞう、1904年(明治37年)12月1日 - 1987年(昭和62年)9月16日)は、昭和期の農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員(6期)。 鹿児島県鹿児島市で生まれる。1925年(大正14年)大阪市民労働学院を卒業した。 実業界では、鹿児島鉄工常務取締役、高千穂電機工場長、汎東亜工業常務取締役などを務めた。戦後、鹿児島県専門委員、同県農地委員、同県地方労働委員を歴任した。 1947年(昭和22年)8月の第1回参議院議員通常選挙補欠選挙に鹿児島県地方区から日本社会党公認で立候補して落選し、1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙に鹿児島県第3区から立候補したが落選した。
白男川 譲介(しろおかわ / しろおがわ じょうすけ、188… 白男川 譲介(しろおかわ / しろおがわ じょうすけ、1880年(明治13年)1月19日 - 1951年(昭和26年))は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事、鹿児島市長。旧姓・池田。 鹿児島県鹿児島市出身。池田休兵衛の四男として生まれ、1885年、母方の白男川渉の養子となる。第三高等学校を卒業。1906年、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業し、大阪市に入る。1909年12月、文官高等試験に合格。内務省に転じ沖縄県属となる。 以後、福井県三方郡長、富山県警察部長、新潟県警察部長、北海道庁土木部長、奈良県内務部長、京都府内務部長などを歴任。 1921年5月、床次竹二郎内務大臣により起用され福井県知事に就任。
有馬 彦吉(ありま ひこきち、1874年3月18日 - 19… 有馬 彦吉(ありま ひこきち、1874年3月18日 - 1950年2月25日)は明治時代から昭和初期の実業家。貿易商社有馬洋行の創業者で代表取締役社長。 1874年(明治7年)3月、有馬新之助の二男として鹿児島市に生まれる。12歳で父を失い上京、伯父に引き取られる。 1893年(明治26年)に慶應義塾大学を中退後、近衛騎兵に志願して日清戦争に従軍。1895年(明治28年)に除隊。翌年日本銀行に入行して台湾出張所勤務となり、1898年(明治31年)の台湾銀行創立に伴い日銀から移籍した。1901年(明治34年)から台南支店勤務となり、1902年(明治35年)に有馬洋行を創業。 台湾での製糖業の勃興を予見して製糖機械の販売を始め、数年で100万円(当時)の利益を挙げた。
松方 幸次郎(まつかた こうじろう、1866年1月17日(慶… 松方 幸次郎(まつかた こうじろう、1866年1月17日(慶応元年12月1日) - 1950年(昭和25年)6月24日)は、日本の実業家、政治家。川崎造船所社長、衆議院議員(日本進歩党)、美術収集家。エール大学、ソルボンヌ大学卒業。
岩元 信兵衛(信兵衞、いわもと しんべえ、1864年 12月… 岩元 信兵衛(信兵衞、いわもと しんべえ、1864年 12月13日(元治元年11月15日)- 1917年(大正6年)4月14日)は、日本の実業家、政治家。山形屋第5代、衆議院議員、貴族院多額納税者議員。 薩摩国鹿児島郡鹿児島城下下町叶(現鹿児島県鹿児島市金生町)で、呉服商・岩元善兵衛の長男として生まれる。幼少期は亡母の実家、新町の回船業・川井田家で過ごし、漢学を修めた。1892年(明治25年)に家督を相続した。 明治維新後、没落した御用商人に代わる新興勢力の中心人物となる。1886年(明治19年)地元の実業家と南島興産社を設立し、大阪の豪商阿部彦太郎と奄美諸島の砂糖貿易の利益独占を競った。また、第百四十七銀行(現鹿児島銀行)、鹿児島貯蓄銀行、鹿児島実業新聞社の創立に参画した。
川崎 寛美(かわさき ひろみ、1863年9月20日(文久3年… 川崎 寛美(かわさき ひろみ、1863年9月20日(文久3年8月8日)- 1926年(大正15年)9月4日)は、明治時代から大正時代の華族(男爵)、実業家、発明家。現在の株式会社KTKの創業者。 薩摩国鹿児島郡塩屋町(現在の鹿児島県鹿児島市甲突町)にて、後に男爵となる薩摩藩士の川崎祐名の長男として生まれる。 1875年、横浜に住んでいた英国人のワッソン女史方に寄留して英語を習得した。16歳の頃に寛美と改名する。19歳で大学予備門の1級生から外務省御用掛となった。この頃激務の余暇に、のちに子爵となる曽根荒助からフランス語を学んだ。22歳でロンドンの日本公使館の会計主任となる。1886年、官制改革で交際官試補となり、1887年にはパリの日本公使館会計主任に転じた。
愛甲 兼達(あいこう かねさと、1863年1月8日(文久2年… 愛甲 兼達(あいこう かねさと、1863年1月8日(文久2年11月19日) - 1928年(昭和3年)10月17日)は、明治から大正の実業家。 薩摩藩士津曲伝助の長男として鹿児島加治屋町に生まれ、のち愛甲家の養子となる。鹿児島銀行の前身である勤倹貯蓄銀行や鹿児島電気軌道、日本水電などの取締役のほかに十五銀行の頭取を歴任した。
大久保 利和(おおくぼ としなか、1859年8月5日〈安政6… 大久保 利和(おおくぼ としなか、1859年8月5日〈安政6年7月7日〉- 1945年〈昭和20年〉1月20日)は、日本の実業家、政治家、華族。貴族院侯爵議員。位階・勲等・爵位は正二位勲三等侯爵。通称は彦熊、彦之進。 薩摩国鹿児島郡鹿児島城下で、大久保正助(利通)と満寿子夫妻の長男として生まれる。1871年(明治4年)、岩倉使節団に随行して渡米し、普通学研修のためフィラデルフィアの中学校に入学。1874年(明治7年)に帰国して開成学校に入学した。 1878年(明治11年)、19歳の時に父・利通が紀尾井坂の変で暗殺される。同年、父の勲功により華族に列し、1884年(明治17年)7月7日に侯爵を叙爵。
厚地 政敏(あつち まさとし、1858年(安政5年1月)- … 厚地 政敏(あつち まさとし、1858年(安政5年1月)- 1921年(大正10年)2月11日)は、明治から大正期の政治家、実業家。衆議院議員、鹿児島県会議長。 薩摩国谿山郡谷山郷、のちの鹿児島県谿山郡谷山村(鹿児島郡谷山村、谷山町、谷山市を経て現鹿児島市)で生まれた。15歳で上京しバラ塾で英語を学んだ後に大学予備門に入学。病のため帰郷し、九州改進党鹿児島部の結成に参画し、政治活動と共に青年の指導を行う。谷山小学校(現鹿児島市立谷山小学校)の初代校長を務めた。 1883年(明治16年)1月、鹿児島県会議員に当選し、鹿児島同志会が発足し理事に就任して自由民権運動を進めた。第7代県会議長に就任。その後、吏党派の独立クラブに転じた。
上村 精之助(かみむら せいのすけ、1853年12月1日(嘉… 上村 精之助(かみむら せいのすけ、1853年12月1日(嘉永6年11月1日)- 1929年(昭和4年)2月1日)は、明治から大正期の農業経営者・政治家。衆議院議員、鹿児島県肝属郡花岡村長。 薩摩国鹿児島郡鹿児島城下(現鹿児島県鹿児島市)で生まれた。漢学を修めた。海軍兵学校、大阪英語学校で学んだ。 1881年(明治14年)犬童英輔らと博愛社を結成し、県下各地で演説会を催した。三州社が結成され博愛社はこれに合同した。九州改進党に加わらなかったが、鹿児島同志会が結成されると加入して委員となる。 その後、肝属郡花岡村(現鹿屋市花岡)に移り農業を営み、1887年(明治20年)8月、鹿児島県会議員に選出された。
川崎 正蔵(かわさき しょうぞう、1837年8月10日〈天保… 川崎 正蔵(かわさき しょうぞう、1837年8月10日〈天保8年7月10日〉- 1912年12月2日)は、日本の実業家、政治家。神戸川崎財閥の創設者。川崎造船所(現:川崎重工業)創業者。美術蒐集家。川崎美術館(日本で最初の私立美術館)建設。貴族院議員。幼名:磯治。別名:利右衛門。従五位。隠居後は米寿まで生きることを願って「川崎米年蔵」を名乗った。 薩摩国鹿児島城下下町大黒町(現:鹿児島県鹿児島市大黒町)生まれ。父は呉服商、川崎利右衛門。15歳頃から家系を助けるため、幕末に廻船・海運業で活躍した薩摩藩御用商人・浜崎太平次の経営する山木屋の店員として就職する。17歳となった嘉永6年(1853年)に山木屋の長崎支店に赴任する。
大倉 浩治(おおくら こうじ)は日本の実業家。三菱造船代表取… 大倉 浩治(おおくら こうじ)は日本の実業家。三菱造船代表取締役社長。三菱重工船舶海洋代表取締役社長、三菱航空機取締役、三菱鉱石輸送取締役等も務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島中央高等学校を経て、1980年に一橋大学商学部を卒業し、三菱重工業に入社。化学プラント部門を歩み、海外での大型プロジェクト・ファイナンス等を担当した。三菱重工業経理部次長、経理部長、航空宇宙事業本部長代理等を務めた。 その後、三菱重工業執行役員インダストリー&社会基盤ドメイン船舶・海洋事業部長兼プロジェクト室長に就任し、商船事業等を統括。意思決定迅速化のため造船事業を行う三菱重工船舶海洋の代表取締役社長も兼務した。