十文字美信(じゅうもんじ びしん、1947年3月4日 - )… 十文字美信(じゅうもんじ びしん、1947年3月4日 - )は、日本の写真家、CMクリエイター。元多摩美術大学教授。
職業が写真家:757人
十文字美信(じゅうもんじ びしん、1947年3月4日 - )… 十文字美信(じゅうもんじ びしん、1947年3月4日 - )は、日本の写真家、CMクリエイター。元多摩美術大学教授。
宇田川 悟(うだがわ さとる、1947年2月7日- )は、日… 宇田川 悟(うだがわ さとる、1947年2月7日- )は、日本の料理評論家、写真家、翻訳家。 東京都出身。早稲田大学政経学部政治学科卒。フランスの社会・文化・食文化に詳しい。 フランス政府農事功労章シュヴァリエを受章、ブルゴーニュワインの騎士団、シャンパーニュ騎士団、コマンドリー・ド・ボルドー、フランスチーズ鑑評騎士の会などに叙任。
田中 欣一(たなか きんいち、1947年1月13日 - )は… 田中 欣一(たなか きんいち、1947年1月13日 - )は、日本の写真家。埼玉県北葛飾郡(現:三郷市域)出身。雑誌グラビア撮影の傍ら、埼玉・東京でレンタルスタジオ経営を手がける。雑誌グラビア写真では、構成の緊密な作品群で緊縛写真の第一人者として知られる。ピンク映画、グラビア含めると撮影した女性は6,000人にも上る。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
生井 秀樹(なまい ひでき、1947年1月5日 - 2021… 生井 秀樹(なまい ひでき、1947年1月5日 - 2021年6月15日)は、日本の写真家、スチールカメラマン。 1969年に青山学院大学法学部卒業。1971年、ロックミュージシャンを撮影するため写真家となる。 1970年代初頭からは、主に祥伝社系の女性週・月刊誌、一般週・月刊誌、旅行雑誌を中心とした雑誌メディア・カメラマンとして活動。 1970年代半ばからは、本来撮りたかったロック系ミュージシャンを、立東社ロックマガジン『ロッキンF』を中心に撮影。後にリットーミュージック『ギターマガジン』、『キーボードマガジン』などでも活躍する契機となった。ロック系アーティストのエッジの効いたモノクローム写真が、生井秀樹のロックカメラマンとしての名を世に知らしめた。
白鳥 真太郎(しらとり しんたろう、1947年 - )は、日… 白鳥 真太郎(しらとり しんたろう、1947年 - )は、日本の広告写真家。公益社団法人日本広告写真家協会(APA)会長(2008年 - )。日本写真家協会会員。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、千葉大学工学部写真工学科を卒業。資生堂宣伝部写真部、博報堂写真部(現・博報堂プロダクツ)を経て、1989年に白鳥写真事務所を設立した。博報堂フォトクリエイティブ在籍中、大貫卓也が創作した多くの作品に関わる。 APA賞、毎日広告デザイン賞最高賞、日経広告賞グランプリ、読売広告大賞金賞、朝日広告賞、APAアワード経済産業大臣賞、ACC全日本CMフェスティバル金賞など、多数の賞を受賞した。 人物や商品など被写体の種別・大小を問わず、起こりうる限りのあらゆる広告撮影に精通するため、大手クライアントやアートディレクターからの信頼が厚く、加えて時代に左右されない普遍的な撮影センスによって、博報堂に在籍した1980年代から現在に至るまで、常に日本の広告写真の第一線で活躍する[要出典]。
百々 俊二(どど しゅんじ、1947年 - )は、日本の写真… 百々 俊二(どど しゅんじ、1947年 - )は、日本の写真家。 1947年、大阪府にて誕生。1970年に九州産業大学芸術学部写真学科を卒業。1972年、大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校・大阪)教員となる。写真展・写真集「楽土紀伊半島」にて日本写真協会年度賞を受賞する。
田中 佑季明(たなか ゆきあき、本名 行明、1947年 - … 田中 佑季明(たなか ゆきあき、本名 行明、1947年 - )は、作家・詩人・エッセイスト・写真家・プロデューサー・舞台監督。 東京都世田谷区に生まれ、新宿区に43年在住。現在、福島県いわき市在住。 日本文藝家協会会員・日本ペンクラブ会員・日本現代詩人会会員・日本詩人クラブ会員・日本出版美術家連盟賛助会員・いわきアート集団所属。東経大「葵俳壇」会員。福島県現代詩人会員。 東京経済大学経済学部経済学科卒業、明治大学教職課程修了。記者・教員を経て三菱マテリアル(株)30年勤務。 東京:三菱フォットギャラリー・三越・デザインフェスタギャラリー原宿で個展 安田生命ホール(新宿)舞台監督。 新宿歴史博物館 田中佐知生誕65年追悼展 朗読会企画 オノマトペ コレクション展 朗読会企画 銀座グループ展 「美術の祭典 東京展」東京都美術館 日本詩人クラブ主催 今井館聖書講堂で自作詩朗読 所沢:所沢図書館家族展 新所沢コミュニティセンター 朗読会 大阪:ギャレ・カサレス 写真展 いわき市:NHK・草野心平記念文学館・ギャラリーI(アイ)・平サロン・創芸工房・ラトブ・いわき市勿来関文学歴史館 いわき市文化センター・いわき市暮らしの伝承郷 パリ:エスパス・ジャポン「親子三人展」志津・佐知・佑季明 講演・朗読・写真・絵 中国:山東省・山東大学 国際シンポジウム「多文化研究と学際教育」講演 いわき市大國魂神社 「母子文学碑 」田中志津・佐知・佑季明 歌碑と詩碑 建立 NHK・ニッポン・FMいわき出演 椿山荘講演 月刊誌 随筆6か月執筆 朝日・讀賣・毎日・産経・新潟日報・福島民報・福島民友・FLASH・日本カメラ・東京中日新聞・アサヒ芸能等に掲載。
田中 長徳(たなか ちょうとく、1947年 - )は、日本の… 田中 長徳(たなか ちょうとく、1947年 - )は、日本の写真家、カメラ評論家。 偽ライカ同盟・特攻隊長、「東京カメラ倶楽部」特別会員、コシナ研究会顧問。 東京都生まれ。日本大学藝術学部(日藝)写真学科卒業。同期にカンボジアで亡くなった一ノ瀬泰造がいる。大学在学中から、ニコンサロンで学生としては初の個展を開催したり、写真雑誌に作品を発表する。 大学卒業後、ウィーンへ滞在。同地で地道な撮影活動ののち、1980年に帰国。 その後は文化庁の公費派遣芸術家としてニューヨークにも滞在。写真雑誌『チョートクのカメラジャーナル』(124号で終刊)主筆を担当。現在も各専門誌への執筆を続けている。カメラをテーマにしたエッセイが中心で、キャリアを積んできた銀塩カメラにとどまらず、デジタルカメラにも造詣が深い。
中村 昇(なかむら のぼる、1947年 - )は、日本の写真… 中村 昇(なかむら のぼる、1947年 - )は、日本の写真家。 日本大学藝術学部写真学科卒業。集英社入社、1970年代以降「Seventeen」「週刊プレイボーイ」「月刊プレイボーイ」など集英社の雑誌で多くのグラビアを撮影した。2008年集英社定年退職、フリーとなる。 この項目は、カメラに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:写真/PJ:カメラ)。
三好 耕三(みよし こうぞう、1947年(昭和22年) - … 三好 耕三(みよし こうぞう、1947年(昭和22年) - )は日本の写真家。大判カメラによる精緻なモノクロ写真で知られる。 千葉県に生まれる。1971年、日本大学芸術学部写真学科卒業。在学中は広告カメラマンのアシスタントを経験するが、大学の文化祭で観たエドワード・ウェストンのドキュメンタリー映像に感銘を受け、商業カメラマンではなく写真作家の道を目指すようになる。ウェストンへの憧れから1972年には一年間サンフランシスコとニューヨークを旅し、このとき写真のプリントに芸術作品として値段がついていることを知る。 1977年から1980年にかけて達川清、鋤田正義、飯田安国、大西公平、広川泰士らとともに写真同人誌『Grain』を発刊。
芥川 仁(あくたがわ じん、1947年- )は日本の写真家。… 芥川 仁(あくたがわ じん、1947年- )は日本の写真家。1992年に写真集「輝く闇」で宮日出版文化賞を受賞。日本写真家ユニオン設立発起人。日本写真家協会会員。 1947年、愛媛県今治市に生まれる。1966年、宮崎県立宮崎南高等学校卒業。1970年、法政大学第二社会学部卒業して以降、フリーランス写真家として活動。伊豆大島に5年間、水俣市で2年間を過ごす。1980年から宮崎市在住。1992年に写真集「輝く闇」で宮日出版文化賞を受賞。2001年、日本写真家ユニオンの設立発起人となり、同ユニオンの立ち上げに関わる。2012年、株式会社芥川仁を設立した。
木原 和人(きはら かずと、1947年 - 1987年5月9… 木原 和人(きはら かずと、1947年 - 1987年5月9日)は、日本の自然写真家(ネイチャー・フォトグラファー)。東京都生まれ。千葉県立千葉商業高等学校卒業。 10年間のサラリーマン生活をとおしてアマチュア・カメラマンとして活躍。各種フォトコンテストに入賞及び年度賞など多数。1976年に会社を退社。プロに転向し、ネイチャー・フォトのブームの牽引役となり、彼の影響を受けたカメラマン、著名人は多数。 1977年より3年間、月間「ベン」で「小さな四季」「自然との対話」を連載。 1987年5月9日未明に胃ガンで死去。40歳でこの世を去った。
牛腸 茂雄(ごちょう しげお、1946年11月2日 - 19… 牛腸 茂雄(ごちょう しげお、1946年11月2日 - 1983年6月2日)は、日本の写真家。コンポラ写真の代表的な作家。 新潟県加茂市出身。3歳から胸椎カリエスを患い、背中が曲がる障害を抱える。新潟県立三条実業高等学校商業科(現新潟県立三条商業高等学校)に入学。在学中、様々な美術展やポスター展に入選する。1965年に高校を卒業すると、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科に入学。その後、同校のリビングデザイン研究科写真専攻に進学。写真を大辻清司に学ぶ。1968年に同研究所を卒業。 以後、デザインの仕事と並行しながら数々の写真作品を残す。子供を撮ったスナップショットが多く、子供の世界に入っていくような作風で知られた。
野町 和嘉(のまち かずよし、1946年10月15日 - )… 野町 和嘉(のまち かずよし、1946年10月15日 - )は、日本のドキュメンタリー写真家。高知県三原村出身。 高知県立高知工業高等学校卒業後、写真家・杵島隆に師事。1971年よりフリーの写真家となる。1972年よりサハラ砂漠をはじめとした乾燥地帯の撮影を行う。1980年代後半より中近東・アジア、2002年以降はアンデスを主な撮影地域としている。1990年、写真集「ナイル」等により芸術選奨新人賞美術部門受賞。2009年、紫綬褒章受章。 2019年から2023年、日本写真家協会会長。
ロッキー田中(ロッキーたなか、1946年9月6日 - )は日… ロッキー田中(ロッキーたなか、1946年9月6日 - )は日本の写真家。富士山の撮影を専門に手がける。 福井県に生まれる。福井県立福井商業高等学校を卒業後、薬品会社勤務を経て富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)に転職する。富士ゼロックス時代はコピー機のセールスマンを務め、31歳の時点でトップの成績を挙げたが、管理職になってから仕事に違和を感じて49歳で退社。「富士山専門の写真家になる」という目標を立てて活動をした。
南 正時(みなみ まさとき、1946年〈昭和21年〉8月24… 南 正時(みなみ まさとき、1946年〈昭和21年〉8月24日- )は、日本の鉄道写真家・紀行作家。日本旅行記者クラブ会員、日本アニメーション協会会員。ふんどしに関するペンネームは越中 文俊(こしなか ふみとし)。 福井県南条郡武生町(現越前市)で生まれ、1967年にアニメーション制作会社のAプロダクション(現・シンエイ動画)に入社し、楠部大吉郎社長付アシスタントとして、真田芳房(後のシンエイ動画プロデューサー、あにまる屋創業者)の下に付きながら設定・資料の作成や進行管理業務に従事。同年に愛知県名古屋市にて同人アニメサークル「東海アニメーションサークル」を結成し、1970年の第1回全国アニメーション総会開催にも参加した。
新井 満(あらい まん、1946年〈昭和21年〉5月7日 -… 新井 満(あらい まん、1946年〈昭和21年〉5月7日 - 2021年〈令和3年〉12月3日)は、日本の男性著作家、作詞作曲家、歌手、写真家、環境映像プロデューサー、絵本画家。新潟県新潟市生まれ。本名:滿(みつる)。母は助産婦。 新潟市立寄居中学校、新潟明訓高等学校、上智大学法学部卒業。子供時代に新潟地方を襲った大地震で危うく命を落としかけた。また、幼少時から病弱だった。上智大学グリークラブ(男声合唱団)に所属するも、重病を患い生死の境目を彷徨ったため入院退部。何とか治癒して生きる喜びを強く実感する。以降、美しいものを発見して伝えることをライフワークとして生きていきたいと誓う。 卒業後、電通に入社し環境ビデオ映像の製作に携わるかたわら、小説・歌などの創作活動に入る。
今井 恭司(いまい きょうじ、1946年1月11日- )は、… 今井 恭司(いまい きょうじ、1946年1月11日- )は、新潟県刈羽郡高柳町(現:柏崎市)出身の写真家(サッカーカメラマン)。 6人兄弟の末っ子として生まれる。新潟県の中学校を卒業後、東京の夜間学校に進学し、更に東京写真大学(現:東京工芸大学)に入学した。大学卒業後は広告カメラマンとして活動していたが、サッカー専門誌の制作に関わったことをきっかけにサッカーカメラマンとしてのキャリアをスタートさせた。1972年、当時ペレが在籍していたサントスFCと全日本選抜の試合にて、初めてサッカーカメラマンとして活動を始めた。 1970年代の日本サッカー黎明期からカメラマン兼記者として日本代表などの国内外の遠征に同行。
大塚 清吾(おおつか せいご、1946年- )は、日本の写真… 大塚 清吾(おおつか せいご、1946年- )は、日本の写真家。 中国ハルビンの満鉄官舎に生まれ同年佐賀県鹿島市に引き揚げる。佐賀県立鹿島実業高等学校商業科卒、1966年東京写真短期大学(現東京工芸大学)卒。代議士三池信の秘書をへて、1967年松竹写真部に入り、歌舞伎や新派などの記録、宣伝の舞台写真を担当する。1969年松竹退社。沖縄へ渡り、伝統工芸の職人たちの探訪取材を始める。木村伊兵衛、吉田千秋に師事。1981年から「NHK特集 シルクロード」取材に同行し多くの写真集を刊行する。
藤門 弘(ふじかど ひろし、1946年 - )は、日本の著作… 藤門 弘(ふじかど ひろし、1946年 - )は、日本の著作家、写真家。北海道赤井川村で果樹作りを中心とする「アリス・ファーム」代表。 1946年、上海生まれ。神奈川県横浜市、東京都で育つ。立教大学卒業、早稲田大学中退。 1974年に岐阜県の山村へ移り住み、「アリス・ファーム」を設立した。その後、2016年5月には中華系シンガポール企業に売却。1983年からは北海道で暮らしている。 シェーカー家具研究家。家具工房、染色工房、農業などに携わっている。赤井川村村会議員(4期目)。
南川 三治郎(みなみかわ さんじろう、1945年〈昭和20年… 南川 三治郎(みなみかわ さんじろう、1945年〈昭和20年〉9月14日 - 2018年〈平成30年〉2月6日)は、日本の写真家。 三重県出身、東京写真大学(現・東京工芸大学)卒業。大宅壮一東京マスコミ塾第1期出塾。 主に「ヨーロッパの人と文化」をテーマに国内外の雑誌媒体を中心に発表。自ら決めたテーマを現地で長い時間かけ丹念に取材し著書は50冊以上にのぼる。特に20世紀美術を代表するジョアン・ミロ、マルク・シャガール、ジョルジュ・デ・キリコ、サルバドール・ダリ、マリノ・マリーニ、ヘンリー・ムーア、バルテュスからフランク・ステラまで芸術家たちの日常と制作の苦悩までを捉えた「アトリエの巨匠たち」では1980年日本写真協会新人賞を受賞。
中村 征夫(なかむら いくお、1945年7月1日 - )は、… 中村 征夫(なかむら いくお、1945年7月1日 - )は、日本の写真家。息子の中村卓哉も写真家。娘の中村珠央はエッセイスト。
塩田 武史(しおた たけし、1945年4月15日 - 201… 塩田 武史(しおた たけし、1945年4月15日 - 2014年9月30日)は、日本の写真家。本名は塩田武。 法政大学在学中に水俣病に関心を持ち、1970年に水俣市に移住。1972年に水俣病患者を撮影した最初の写真集を出版した。水俣市には15年間居住し、2013年のインタビューでは「居心地がよかった。ふるさとみたいです」と述べている。
石川 賢治(いしかわ けんじ、1945年1月2日 - )は、… 石川 賢治(いしかわ けんじ、1945年1月2日 - )は、福岡県出身の写真家。月光写真家。月明かりのみを用いて撮影する「月光写真」を撮り続けている。 1945年福岡県に生まれる。 1967年日本大学芸術学部写真学科を卒業。同年、ライトパブリシティ写真部入社。 1976年フリーの写真家としてコマーシャルフィルム及びスチルを数多く手掛ける。 1984年から1985年まで日本とサイパンにおいて月光写真の露出テストを繰り返す。 1986年サイパンで本格的に月光写真の撮影を開始、『月光浴』を発表。 以後、月光写真家として世界各地を巡り作品を撮り続け、写真集を多数発表。写真集と個展による発表を中心に活動を続けている。
鬼海 弘雄(きかい ひろお、1945年 - )は、写真家。山… 鬼海 弘雄(きかい ひろお、1945年 - )は、写真家。山形県寒河江市生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。
勝山 泰佑(かつやま ひろすけ、1944年7月28日 - 2… 勝山 泰佑(かつやま ひろすけ、1944年7月28日 - 2018年12月29日)は日本の写真家。 早稲田大学在学中、写真家・濱谷浩の助手になる。1968年、大学卒業後、フリーランスの写真家に。「アサヒグラフ」「週刊朝日」「朝日ジャーナル」「中央公論」「文芸春秋」「太陽」などの雑誌のグラビア欄に写真を発表しつづける。1978年、ボブ・ディランがはじめての日本公演をおこなった際には、その全記録を撮影し、写真はライブ版『武道館』を飾った。多くの作家や、ミュージシャンのコンサートを撮影したことで知られる。 特定の場における一日を太陽の軌跡を撮影することで「ある日、その日」を表現している。ニューヨークのワールドトレードセンター跡や広島の原爆ドーム、3.11のシンボルとなった陸前高田市の「奇跡の一本松」などで撮影。
大石 芳野(おおいし よしの、1944年5月28日 - )は… 大石 芳野(おおいし よしの、1944年5月28日 - )は日本の報道写真家。元東京工芸大学芸術学部教授(現・客員教授)。日本ペンクラブ会員。 東京都出身。日本大学藝術学部写真学科卒。戦争、紛争後の市民に目を向けたドキュメンタリー作品を手がけ、ベトナム戦争、カンボジアの虐殺、スーダンのダルフールの難民、原爆の広島の人々などを取材。2004年から、世界平和アピール七人委員会委員。研究課題として『フォトジャーナリズムの変遷と動向』および『フォトジャーナリズムから見た戦争と平和における民衆』を挙げている。使用機材としてライカM6などを愛用している。 生年については1944年5月28日とする資料がある一方、1943年とする資料もある。
池本 喜巳(いけもとよしみ、1944年5月20日 - )は、… 池本 喜巳(いけもとよしみ、1944年5月20日 - )は、日本の写真家。鳥取県鳥取市出身。 東川町国際写真フェスティバル飛彈野数右衛門賞(特別賞)、鳥取県文化功労賞、鳥取県出版文化賞、鳥取市文化賞等を受賞。 1977年より写真家・植田正治の助手を務めながら( - 1996年)、拠点の鳥取市を中心に、山陰の風景や個人商店、人物などを数多く記録している。 三徳山三佛寺のような文化財撮影などの記録写真のアートワークだけでなく、幅広い分野のアーティストとの共同制作・展示や、写真のもつ可能性を追究した現代アート的な作品制作にも取り組んでおり、国内外で発表、高く評価されている。 日本写真家協会へは三木淳、植田正治が推薦人となった。
白岡 順(しらおか じゅん、1944年 - 2016年3月1… 白岡 順(しらおか じゅん、1944年 - 2016年3月17日)は、写真家。愛媛県新居浜市出身。 1967年信州大学文理学部自然科学科物理学専攻卒業。1979年から2000年までパリを拠点に活動を行い、アルザス成城学園で数学の教員を務めていたこともある。 東京都新宿区にレンタル暗室カロタイプを開いていた。 2016年3月17日、肝細胞がんのため死去。71歳没。 この項目は、美術・芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
吉岡 攻(よしおか こう、1944年 - )は、日本のテレビ… 吉岡 攻(よしおか こう、1944年 - )は、日本のテレビディレクター、写真家、オルタスジャパン相談役兼ディレクター・プロデューサー。弟はノンフィクション作家・日本ペンクラブ前会長の吉岡忍。 長野県佐久市出身。1968年3月、東京写真大学卒業。フリーの写真家として1969年から1972年の復帰まで沖縄県に転居。コザ暴動など、沖縄が日本に復帰するまで激動の4年間を取材する、1971年11月10日に発生した沖縄ゼネスト警察官殺害事件では、現場に居合わせた吉岡は、火炎瓶の炎に包まれ倒れた機動隊員の姿を撮影、そのことを知った琉球警察(当時)は、証拠写真の押収を目的に「殺人及び公務執行妨害」という容疑で自宅に踏み込み、押収したため、沖縄だけではなく本土のマスコミや、メディアで活躍する人たち、日本社会党の国会議員や市民活動家らが『押収は報道の自由を侵すもの』として反対運動を展開。
鈴木清(すずき きよし、1943年11月30日 - 2000… 鈴木清(すずき きよし、1943年11月30日 - 2000年3月23日)は、日本の写真家。 福島県いわき市に生まれる。働いていた炭鉱の閉山にともない、漫画家になることを考えて上京する。そこで、土門拳の写真集『筑豊のこどもたち』を見て、写真家になることを志す。1969年、東京綜合写真専門学校卒業。同年、全国の炭鉱をまわる「シリーズ・炭鉱の町」を『カメラ毎日』に掲載し、写真家としてデビュー。写真家としての活動のかたわら、看板描きをしながら生計を立てた。1985年以降は、母校の東京綜合写真専門学校の講師を務めた。 生前出版された8冊の写真集は、『愚者の船』を除いてすべて自費出版である。写真を撮るだけでなく、レイアウトなどの編集も自ら手掛け、独自の世界観を作り上げる。
穂高 健一(ほだか けんいち、1943年10月12日 - )… 穂高 健一(ほだか けんいち、1943年10月12日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト、写真家、登山家。名字の「穂高」はペンネームであり、本名は非公開。 広島県大崎上島町出身、中央大学経済学部卒業。 日本ペンクラブ広報委員会・会報委員会、電子文藝館の各委員。 日本文藝協会、日本山岳会、日本写真協会に所属。 読売・日本テレビ文化センター、朝日カルチャーセンター、目黒学園カルチャースクールなどで、「文学賞を目指す小説講座」、「エッセイ教室」、「フォト・エッセイ」の講師を務める。 東京都葛飾区在住。かつしか区民大学では、「区民記者講座」の講師も務める。 作家・吉岡忍、伊藤桂一、小中陽太郎、出久根達郎、高橋千劔破、新津きよみ、山名美和子、ジャーナリスト・轡田隆史、大原雄、吉澤一成、井出勉、相澤与剛、文藝評論家・清原康正らと交流を持つ。
金沢 靖(かなざわ やすし、1943年9月17日-)は、日本… 金沢 靖(かなざわ やすし、1943年9月17日-)は、日本の写真家。本名は金澤 靖。 新聞、雑誌、テレビコマーシャルなど広告写真を中心に活動する。 1943年東京生まれ。1966年日本大学法学部法律学科を卒業後、写真を学ぶため東京ビジュアルアーツに入学。1968年に卒業しアートセンターに入社。 1969年、写真家・加納典明の事務所を仮事務所としていた写真家・下里幸夫に師事し、特に加納典明の影響を受けた。 1970年に第10回APA賞(日本広告写真家協会賞)を受賞。フリーランスとなった後、広告写真、テレビCFのカメラマンとして、ファッションモデル、俳優、歌手などにとどまらず、ダンサー、作家、音楽家、ピアニスト、映画監督、芸術家、政治家、スポーツ選手、落語家、テレビタレントなど、幅広く多職種の人物を撮影する。
樽井 眞邦(たるい まさくに、1943年8月29日 - 20… 樽井 眞邦(たるい まさくに、1943年8月29日 - 2003年4月23日)は、兵庫県津名郡志筑町(現・淡路市志筑)出身の写真家(日本写真家協会会員)。 奈良大和路写真の大家、入江泰吉に師事。入江の助手時代に京都・奈良の仏像を知り、淡路島の東山寺、成相寺の仏像を撮影。帰島後、兵庫県立淡路文化会館で個展開催。水門会展(入江泰吉の同門会)に毎回出展。2003年に急逝するまで、写真作家として風景写真を中心に、主に淡路島の写真を撮り続ける(急逝する前日にも撮影に出かけていた)。 晩年はオリジナルプリントにこだわり、撮影からプリントまで一貫して自分で行い、自分の納得いく作品作りを追求した。
佐藤 秀明(さとう ひであき、1943年6月27日 - )は… 佐藤 秀明(さとう ひであき、1943年6月27日 - )は、日本の写真家。新潟県燕市出身。日本大学芸術学部写真科卒。NPO日本つみくさ研究会理事。 祖母の鳥山千代美は明治から大正にかけて写真家として新潟県燕市の燕駅前で写真館を営んでいた。佐藤が初めてカメラを手にしたのは小学5年生か6年生の頃、ベークライト製のボディーに単玉レンズという小さなカメラだった。中学で西宮市に越すと、登校拒否になり、父親が使っていたカメラを持ち出して裏山で過ごしたり、電車で須磨まで行って海岸の写真を撮るように。このときの経験を後に「学校を休んで、カメラを持って丘に立ったときの快感が人生を決めた」と語っている。その後、中学生になって、父親からハーフサイズのオリンパス ペンを手渡されたことをきっかけに、本格的に写真の世界にのめり込む。
竹内 敏信(たけうち としのぶ、1943年〈昭和18年〉6月… 竹内 敏信(たけうち としのぶ、1943年〈昭和18年〉6月21日 - 2022年〈令和4年〉2月27日)は、日本の写真家。日本写真芸術専門学校校長。日本写真家協会名誉会員。一般財団法人 竹内敏信記念財団 名誉理事。TAギャラリー館長。 愛知県額田郡宮崎村(現・岡崎市)出身。写真との出会いは中学2年生のとき。カメラを欲しがっていた姉に「買ってみては」と言われ、新聞配達のアルバイトで貯めたお金でカメラを買った。家業の建築業を継ぐために愛知県立岡崎工業高等学校土木科に入学。高校生のときから写真雑誌に投稿する。 1962年(昭和37年)、名城大学理工学部に入学。富士フイルムの全国学生コンクールで銀賞を受賞。
太田 威(おおた たけし、1943年(昭和18年)4月 - … 太田 威(おおた たけし、1943年(昭和18年)4月 - )は、日本の写真家。山形県鶴岡市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
泉 秀樹(いずみ ひでき、1943年3月16日 - )は、日… 泉 秀樹(いずみ ひでき、1943年3月16日 - )は、日本の作家、写真家。 テレビ番組「泉秀樹の歴史を歩く」(J:COMテレビ)ナビゲーター。 静岡県浜松市生まれ。慶應義塾大学文学部卒。新聞社勤務を経て、以後、作家・写真家として活動する。 1973年、小説「剥製博物館」で第5回新潮新人賞を受賞。歴史に関する著作が多い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
巖谷 國士(いわや くにお、略字表記:巌谷 国士、1943年… 巖谷 國士(いわや くにお、略字表記:巌谷 国士、1943年1月7日 - )は、日本のフランス文学者、評論家、随筆家、写真家、小説家。明治学院大学名誉教授。 1943年、国文学者・巖谷榮二の長男として東京市芝区(現:東京都港区)高輪で生まれた。幼少時から文学、美術、漫画、映画、建築、園芸などに親しみ、東京の町々を巡った。区立中、都立高、神奈川県立湘南高等学校を経て、1961年に東京大学文科2類に入学。 東京大学在学中は世田谷区松原に住み、大学闘争と同人誌活動に精を出した。扇田昭彦、藤井貞和らと親交をむすび、たまたま隣家に住んだ池田満寿夫、富岡多恵子とも交流。1963年、瀧口修造、ついで澁澤龍彦と出会い、その後長く親交は続いた。
片平 孝(かたひら たかし、1943年 - )は、日本の写真… 片平 孝(かたひら たかし、1943年 - )は、日本の写真家。宮城県に生まれる。東京写真大学(現・東京工芸大学)卒業。 1969年から1973年、サハラ砂漠を旅しハウサ族の塩のキャラバンに同行したことをきっかけに塩の世界に魅せられる。以来、ネイチャーフォトを中心に30年以上にわたって、世界中の塩の産地を撮影し続けている。
飯島幸永(いいじまこうえい、(1942年10月2日 - )は… 飯島幸永(いいじまこうえい、(1942年10月2日 - )は、日本の写真家。東京都出身。 卒業と同時に写真家杉山吉良に師事。
橋田 信介(はしだ しんすけ、1942年〈昭和17年〉8月2… 橋田 信介(はしだ しんすけ、1942年〈昭和17年〉8月22日 - 2004年〈平成16年〉5月27日)は、日本のジャーナリスト、報道写真家。 山口県宇部市出身。宇部中央高等学校卒業後、郵便配達員として働きながら1970年(昭和45年)に法政大学法学部の夜学を卒業。同年日本電波ニュース社に入社し、カメラマンとして1972年(昭和47年)ベトナム、ハノイ特派員、1978年(昭和53年)バンコク支局長、1980年(昭和55年)ローマ支局長を歴任。ベトナム戦争時には空爆を受けている地上側から取材を行った。 1988年(昭和63年)フリーとなり、バンコクを拠点に主にアジアの戦争報道を手がける。湾岸戦争ではCNNや『ニューヨーク・タイムズ』にスクープ報道を提供する。
秋山 亮二(あきやま りょうじ、1942年2月23日 - )… 秋山 亮二(あきやま りょうじ、1942年2月23日 - )は日本の写真家。東京都出身。早稲田大学文学部卒業後、AP通信、朝日新聞社写真部を経て、フリーの写真家に。インドの飢餓や離島の過疎化などフォトジャーナリストの視点から積極的に取材、発表した後、深瀬昌久、森山大道らとともにニューヨーク近代美術館の「New Japanese Photography」展(1974)など国際展に参加。個展「Ryoji Akiyama Photography」(ライス大学、ヒューストン)も開催。さらにニューヨーク、インドネシア、中国など「旅する者の視点」から対象を淡々と捉えた作品を発表し、ユーモアと鋭い社会的風刺に富んだ「スクラップランド」や「旅ゆかば」シリーズにおいて独自の世界観を構築した。
加納 典明(かのう てんめい、本名読み:かのう のりあき、1… 加納 典明(かのう てんめい、本名読み:かのう のりあき、1942年2月22日(84歳) - )は、日本の写真家。愛知県名古屋市出身。血液型B型。本業の他、タレント・俳優・コメンテーター等として活動している。所属事務所は株式会社イシ。 父は、長野県木曾福島(現・木曽郡木曽町)出身の図案家の加納豊明(1909年 - 1985年)。 2度の離婚歴があり、最初の結婚で長女、長男、次男の加納典譲(1972年 - )(長男と次男は双子)をもうけている。2回目の結婚相手との間にも息子が1人いる。 日宣美賞、APA賞、朝日広告賞、毎日広告賞 等。 -清水邦夫・田原総一朗共同監督 漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の登場キャラクター「花京院典明」の名前の由来である。
佐伯 泰英(さえき やすひで、1942年2月14日 - )は… 佐伯 泰英(さえき やすひで、1942年2月14日 - )は、日本の小説家、写真家。福岡県北九州市八幡西区生まれ。日本大学藝術学部映画学科卒。 実家は新聞販売店で、折尾駅構内で新聞販売などを行なっていた。当初は家業を継ぐ予定であったが、これを断念して芸術を志すようになる。1971年より1974年までスペインに滞在。のち、スペインと闘牛を題材にしたノンフィクション『闘牛士エル・コルドベス 1969年の叛乱』と『闘牛はなぜ殺されるか』、小説『ゲルニカに死す』を発表。スペインや南米など、スペイン語圏を舞台にした冒険小説や国際謀略小説を中心に良質のミステリー小説を数多く執筆するが、日本人になじみの薄い土地を舞台にしたせいか思うように売れず、ヒットに恵まれないまま1998年頃には仕事の依頼が激減。
渡辺眸(わたなべひとみ、1942年 - )は東京都出身の女性… 渡辺眸(わたなべひとみ、1942年 - )は東京都出身の女性写真家である。 明治大学、東京総合写真専門学校卒業。専門学校卒業時に「香具師の世界」を発表、その後若者達の学生運動での姿を撮影し没頭した。1972年からインド・ネパールでの生活記録を1983年に「天竺」を発表し評価を受ける。命あるものをテーマにした作品が多い。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
飯窪 敏彦(いいくぼ としひこ、1942年 - )は、日本の… 飯窪 敏彦(いいくぼ としひこ、1942年 - )は、日本の写真家、ジャズコルネット奏者。 北海道生まれ。1965年、早稲田大学文学部(美術専修)を卒業、文藝春秋新社に入社、写真部員となる。B級グルメ提唱者の里見真三と共に取材を行い、ラーメンや丼物の真俯瞰写真で著名。 1984年、湯島・幸画廊にて写真展「NICE DAY」。1991年、青森市の県立郷土館にて写真展「棟方志功」を開催。 2002年、文藝春秋を退社し、フリーとして活動 。
林家 ペー(はやしや ペー、本名:佐藤 嘉彦、1941年11… 林家 ペー(はやしや ペー、本名:佐藤 嘉彦、1941年11月29日 - )は、日本のタレント、漫談家、写真家、落語家。自らが運営するP&P企画所属。また漫談家として落語協会所属。落語家としての高座名は林家たいぺー。 大阪府大阪市浪速区日本橋3丁目生まれ、同市阿倍野区育ち。ただし、小学校は旧南区(当時)の大阪市立精華小学校。中学校は同中央区大阪市立南中学校出身。私立浪速高等学校卒業。大阪スタヂアムの近く(当時の実家は裕福で、ヤマギワソフト大阪店が建つ前の土地に建っていた)で育った。 幼い時から江戸っ子の粋に憧れており、東京都に移住した当時、非常に人気が高かった初代林家三平への弟子入りを目指す。「いきなり弟子入りを頼んでも断られるだろう」との考えにより、思いついたギャグ(ダジャレなど)を何度も三平宛に投書し続けた。
坂田 栄一郎(さかた えいいちろう、1941年11月16日 … 坂田 栄一郎(さかた えいいちろう、1941年11月16日 - )は日本の写真家。週刊誌『AERA』での人物写真の撮影で知られる。東京都出身。 京北高等学校を経て、1965年日本大学芸術学部写真学科卒業。大学時代は写真屋などでアルバイトをしていた。卒業後、ライトパブリシティに入社。1966年に渡米し、ニューヨークにてリチャード・アヴェドンに師事した。 1970年、銀座ニコンサロンにて、個展『Just Wait』でデビューした。その後1971年に帰国し、CMや雑誌で活躍する。1988年に朝日新聞社がニュース週刊誌『AERA』を創刊し、2016年3月28日号まで、ずっと表紙写真を担当してきた。1993年には「アルル国際写真フェスティバル」で「アルル名誉市民賞」を受賞した。
渡辺 克巳(わたなべ かつみ、1941年10月17日 - 2… 渡辺 克巳(わたなべ かつみ、1941年10月17日 - 2006年1月29日)は、岩手県盛岡市出身の写真家。新宿を舞台に活動した写真家の一人。 盛岡第一高等学校の定時制に通うかたわら、毎日新聞社盛岡支局で補助員の仕事に就き、写真の面白さを知る。 高校卒業後、国鉄に入社するが、写真への思いが断ちがたく1961年に上京。翌年から5年間、東條会館に勤務し、スタジオ撮影を学ぶ。 1965年から、新宿で「1ポーズ3枚1組200円」でポートレート撮影を請け負う「流しの写真屋」になる。 1973年、「カメラ毎日」6月号の新人写真家紹介ページ「アルバム」に「新宿・歌舞伎町」を発表し話題を呼ぶ。「新宿・歌舞伎町」はこの年の「アルバム」の最優秀作品に与えられる「カメラ毎日」アルバム賞を受賞。