高木 剛(たかぎ つよし、1943年10月1日 - 2024… 高木 剛(たかぎ つよし、1943年10月1日 - 2024年9月2日)は日本の労働運動家。2005年から2009年まで、日本最大の労働組合団体、日本労働組合総連合会(連合)の会長を務めた。元国家公安委員会委員。 三重県生まれ、愛知県育ち。愛知県立旭丘高等学校を経て、1967年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に旭化成工業へ入社。以後、労働組合運動に関わり、1973年には全旭化成労働組合連合会書記長となり、1977年には宮崎地方同盟(全日本労働総同盟(同盟)の宮崎県組織)会長となった。 1981年に外務省へ出向し、1982年からは在タイ日本国大使館一等書記官として勤務した。1984年に旭化成労組の上部組織であるゼンセン同盟の常任執行委員となり、1988年9月には同書記長、1996年9月には同会長に就任した。
秋辺 得平(あきべ とくへい、1943年9月12日 - )は… 秋辺 得平(あきべ とくへい、1943年9月12日 - )は、日本の社会運動家、アイヌ民族運動家。 旧姓は成田。 函館の船大工、成田萬九郎と、タラバ蟹缶詰工場の女工、秋辺ミサの子として、得撫島上陸直前の船で生まれる。なお、母方の祖父母である秋辺福治と秋辺サヨはアイヌで、夫婦の会話はアイヌ語であった。 幼少期から高校卒業まで釧路で育つ。戸籍名は、1990年まで『成田得平』であった。1972年より、札幌で木彫品の製作と販売を手がけるのと同時に、アイヌ復権運動に携わる。1973年10月『ヤイユーカラ・アイヌ民族学会』設立にかかわり、会長として現在に至る。『ヤイユーカラ』とは、「自ら行動する」の意味である。
広河 隆一(ひろかわ りゅういち、1943年9月5日 - )… 広河 隆一(ひろかわ りゅういち、1943年9月5日 - )は、日本のフォトジャーナリスト、戦場カメラマン、市民活動家。フォトジャーナリズム月刊誌DAYS JAPANの元編集長、同誌発行の株式会社デイズジャパンの前代表取締役および前取締役。有限会社広河隆一事務所代表。日本中東学会、日本写真家協会、日本写真協会、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)、各会員。チェルノブイリ子ども基金・元代表。認定NPO法人沖縄・球美の里元名誉理事長。 中華民国天津市で出生、2歳の時に引き揚げ、小学校入学以前から大阪府羽曳野市恵我之荘に居住した。東京都世田谷区在住。 1956年旧:高鷲町立小学校(現・羽曳野市立高鷲小学校)卒業、1959年羽曳野市立高鷲中学校卒業、1962年大阪府立生野高等学校卒業、1963年早稲田大学教育学部に入学し、1967年早稲田大学教育学部卒業。
鈴木 邦男(すずき くにお、1943年〈昭和18年〉8月2日… 鈴木 邦男(すずき くにお、1943年〈昭和18年〉8月2日 - 2023年〈令和5年〉1月11日)は、日本の政治活動家、「一水会」名誉顧問、思想家、文筆家、プロレス評論家、河合塾講師。 ほか、「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」(のりこえねっと)共同代表。コリア国際学園後援会発起人。 1943年、福島県郡山市に生まれる。税務署勤務だった父親の都合で、秋田県、宮城県と、高校生の頃まで東北地方を転々とする。横手に住んでいたときは、ジャーナリストのむのたけじがよく家に来ていた。 生長の家との関わりは、母親が病気になったとき、伊藤邦典(のちに全国学協と楯の会)の父親である生長の家の地方講師の祈祷によって、治癒したことがきっかけで、以降、鈴木家では母親が熱心な信者となった。
岸田 袈裟(きしだ けさ、1943年4月5日 - 2010年… 岸田 袈裟(きしだ けさ、1943年4月5日 - 2010年2月23日、旧姓・菊池)は、日本の食物栄養研究家、ボランティア活動家。岩手県上郷村(現遠野市)出身。 岸田は1991年にJICAのボランティアとして人口抑制教育のためにケニヤ西部、ヴィクトリア湖畔のエンザロ(Enzaro)村に赴く。1年半の調査の結果、人口抑制教育を村に浸透させるためには乳児死亡率の減少が先だと考えた岸田は1993年、自らが遠野市で生活していた頃の経験をもとに、エンザロ村の主婦たちに現地の材料で日本式の竈(かまど)を作って調理することを教えた。この竈は、現地で従来行われていた裸火での調理に比べて熱効率に優れることや、鍋をかける口を3つ備えているため複数の調理を同時に行えるほか、薪も従来の4分の1で済むなどの利点もある。
組坂 繁之(くみさか しげゆき、1943年(昭和18年)2月… 組坂 繁之(くみさか しげゆき、1943年(昭和18年)2月25日 - )は、日本の部落解放・社会運動家。九州大谷短期大学ならびに折尾女子経済短期大学の各講師。 部落解放同盟中央書記長、同中央執行委員長などを歴任。 1943年、福岡県小郡市に生まれる。1962年に福岡県立三井高等学校を卒業し拓殖大学へ進学、部落解放同盟福岡県連筑後地区協議会書記長、同県連書記長等を歴任。その後1970年に部落解放同盟福岡県連合会小郡市連絡協議会において青年部長に就任。のち、1989年に部落解放同盟福岡県連合会書記長および中央文化対策部長、1990年に部落解放同盟中央執行委員(環境対策部長)、1996年に中央書記長、1998年に中央執行委員長に就任。
田宮 高麿(たみや たかまろ、1943年〈昭和18年〉1月2… 田宮 高麿(たみや たかまろ、1943年〈昭和18年〉1月29日 - 1995年〈平成7年〉11月30日)は、日本のテロリスト。新左翼活動家。赤軍派軍事委員会議長。よど号グループのリーダー。通称「まろ」。 岩手県出身。大阪府立四條畷高等学校卒業。大阪市立大学第二部(夜間部)で学生運動に参加。ブント内の組織である「共産主義青年同盟(通称キム)」の常任委員長となる。 1970年3月31日に仲間8人とともに日本航空機のよど号をハイジャックした(よど号ハイジャック事件)。このハイジャック事件では実行の首謀者であった。よど号は当初は、平壌と誤認させてソウルの金浦国際空港に降りさせる偽装工作を行っていたが、田宮は当初これに気がつかず、他のメンバーに指摘されて偽装工作に気づいた。
寺地 五一(てらち ごいち、1943年 - )は、日本の翻訳… 寺地 五一(てらち ごいち、1943年 - )は、日本の翻訳家、英語教師、先住民族支援活動家、元東京経済大学専任講師。 新潟県生まれ。高校生だった1961年から1962年にかけてAFS交換留学8期生として渡米し、ニューヨーク州のマッセナ高等学校(英語版)を卒業した。 東京外国語大学卒業後、1967年から1971年にかけて神戸製鋼所に勤務した。東京外国語大学大学院修士課程(米文学専攻)に進み、修了。日本獣医畜産大学(後の日本獣医生命科学大学)専任講師となり、1978年に東京経済大学専任講師に転じた。 1980年代には田島伸悟とともに、『初級クラウン英和辞典』の改訂に取り組んだ。 1990年から1991年にかけて、コロラド大学ボルダー校を拠点として、各地の先住民族居留地の状況を見聞した。
丹羽 祐而(にわ ゆうじ、1943年 - )は、日本の実業家… 丹羽 祐而(にわ ゆうじ、1943年 - )は、日本の実業家、市民活動家、環境活動家、大学講師。 朝鮮生まれ。1945年太平洋戦争終結に伴い北海道に引き揚げ。北海道札幌北高等学校卒業。1966年北海学園大学経済学部卒業。北海道協同組合通信社に入社。1972年同社を退社し、株式会社丹羽企画研究所を設立。その後、札幌市PTA協議会会長。1983年クリエイティヴ・コア株式会社代表取締役社長(2000年まで)。1992年酪農学園大学環境システム学部では非常勤講師として「北海道産業論」を担当(2006年まで)。1995年社団法人日本PTA全国協議会副会長(1996年まで)。札幌市社会教育委員(1996年まで)。
持丸 博(もちまる ひろし、1943年〈昭和18年〉 - 2… 持丸 博(もちまる ひろし、1943年〈昭和18年〉 - 2013年〈平成25年〉9月24日)は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫の結成した「楯の会」の初代学生長。結婚後に姓が変わり、松浦博となった。茨城県水戸市出身。 1943年(昭和18年)に茨城県水戸市に生れた持丸博は、藤田東湖の流れの水戸学を学び、水戸学派的思想を育んだ。 1963年(昭和38年)、茨城県立水戸第一高等学校を経て早稲田大学へ入学。各地で学園紛争が吹き荒れる中、全学連、全共闘に対抗するため、1966年(昭和41年)11月14日に設立された保守・民族派系の学生組織「日本学生同盟」(日学同)の結成に参加した。 持丸はその趣意書等を起草するなど、理論派として活動し、1967年(昭和42年)2月7日発刊の機関紙『日本学生新聞』の初代編集長を務めた。
宇治郷 毅(うじごう つよし、1943年 - )は日本の図書… 宇治郷 毅(うじごう つよし、1943年 - )は日本の図書館員、国会職員、研究者。 第17代国立国会図書館副館長。元同志社大学社会学部教授。 岡山県倉敷市生まれ。1966年同志社大学法学部卒業、1968年同大学大学院法学研究科修士課程修了。同年国立国会図書館に入館し、2001年2月28日同館副館長(2003年2月28日まで)。 2006年同志社大学社会学部教授に就任、司書課程やアジア教育文化学の科目を担当し、2013年3月定年退職。 2024年3月時点では、国立国会図書館OB会の会長を務める。
土井 脩司(どい しゅうじ、1942年9月27日-2003年… 土井 脩司(どい しゅうじ、1942年9月27日-2003年5月6日)は、日本の社会運動家・慈善家。花の企画社創業者。 早稲田大学に入学。在学中の1966年に日本東南アジア学生親交会を結成し、団長として戦火のベトナムやカンボジアを訪問し、帰国後難民孤児救済活動を展開した。ベトナムへは5回渡航している。早稲田大学を卒業。 ベトナムでの挫折感とともに、日本で何かできないかと考え、平和のシンボルである花に着目。花を通して世の中を豊かにするべく、1971年に花の企画社を創業した。 「反対派と警察の武力衝突を花の力で食い止めたい」との願いから、強制収用対象地に「花のバリケード」と名付けてパンジーを植え、1973年に成田空港問題に揺れる成田市東峰にパイロットファームを設立。
高池 勝彦(たかいけ かつひこ、1942年8月7日 - )は… 高池 勝彦(たかいけ かつひこ、1942年8月7日 - )は、日本の弁護士・政治活動家。新しい歴史教科書をつくる会会長、富士社会教育センター理事。 早稲田大学法学部卒業。1972年(昭和47年)、29歳で司法試験に合格し、司法修習27期を経て1975年に弁護士登録(東京弁護士会、登録番号14830)。 新しい歴史教科書をつくる会会長、國語問題協議會会員(監事)、国家基本問題研究所理事、南京事件の真実を検証する会委員、維新政党・新風講師、映画『南京の真実』の賛同者。東史郎の南京大虐殺関連の書籍に関する名誉棄損訴訟の原告弁護人、百人斬り訴訟の原告側弁護団長、夏淑琴裁判の被告(=松村俊夫、展転社)側代理人。
石飛 仁(いしとび じん、英語: Jin Ishitobi、… 石飛 仁(いしとび じん、英語: Jin Ishitobi、1942年8月1日 - )は、日本のノンフィクション作家、社会運動家。 花岡事件など中国人強制連行、日本の戦争責任問題に取り組み、日中友好に努める。 月刊「産業と経済」編集長。東京東アジア文化交流会代表。本名:樋口 仁一(ひぐち じんいち)。 大阪府生まれ。1954年東京都新宿区富久町へ転居。富久小学校6年に転校。1957年、東戸山中学卒業(第1期生)。1961年、駒澤大学付属高校(渋谷校)、1965年駒澤大学文学部国文学科卒業。 劇団「青俳」演出部に入団。秋浜悟・木村光一演出助手(「青俳」第一回紀伊国屋演劇賞受賞、木村光一文部大臣賞受賞)。
遠藤 賢次郎(えんどう けんじろう、1942年5月27日 -… 遠藤 賢次郎(えんどう けんじろう、1942年5月27日 - )は、岡山県津山市出身の政治運動家、特殊株主。クレーマーとしても有名。
浜田 マキ子(はまだ マキこ、1942年〈昭和17年〉3月1… 浜田 マキ子(はまだ マキこ、1942年〈昭和17年〉3月19日 - 2022年〈令和4年〉5月29日)は日本の実業家・政治運動家・エッセイスト。本名:濱田 麻記子、旧姓は藤井。夫は元衆議院議員・参議院議員で弁護士の浜田卓二郎。叔父は元参議院議員・郵政大臣の植竹春彦、従兄は元衆議院議員・外務副大臣の植竹繁雄。 東京都文京区出身。父親は実業家の娘に生まれる。清明学園初等学校を経て森村学園初等科、中等科、高等科卒業。1960年4月、日本航空に入社し、国際線スチュワーデス(現・キャビンアテンダント)となる。翌1961年2月、10か月で日本航空を退社し、東京大学に入学。1965年3月、東京大学文学部東洋史学科を卒業後、植竹の秘書となるが、同年大蔵省に勤務していた卓二郎と結婚。
宮原 安春(みやばら やすはる、1942年1月2日 -201… 宮原 安春(みやばら やすはる、1942年1月2日 -2017年1月20日)は、日本の元政治運動家、ノンフィクション作家。 長野県埴科郡戸倉町(現千曲市)出身。長野県上田高等学校卒業、早稲田大学第二文学部露文科中退。 平岡正明らと政治結社『犯罪者同盟』を結成。1962年に、松田政男、山口健二、川仁宏らが企画した自立学校に、学生として参加し、事務局だった平岡正明と知り合う。平岡ともに、自立学校の講師だった森秀人に師事。 1963年、犯罪者同盟の機関誌の単行本『赤い風船あるいは牝狼の夜』を刊行したところ、猥褻図画頒布の容疑で警視庁から捜査を受ける。なお、この捜査の際、安原の自宅に赤瀬川原平(赤瀬川も自立学校の学生であった)の芸術作品「印刷千円札」があったことから、「千円札裁判」が起きるきっかけになった。
白川 真澄(しらかわ ますみ、1942年 - )は、社会運動… 白川 真澄(しらかわ ますみ、1942年 - )は、社会運動家。西村 光男の別名を持つ。 京都府京都市生まれ。京都大学大学院経済学研究科修了。日本共産党から分かれた「日本のこえ」に参加。1960年安保闘争、ベトナム反戦闘争、三里塚闘争などの社会運動に関わり続け、1967年共産主義労働者党の結成に参加。1971年の同党分裂に伴って、共労党全国協議会プロ革派(のちの政治グループ・蒼生)を結成、指導する。その後は、フォーラム90sの事務局次長、次いで事務局局長に就任。現在、季刊『ピープルズ・プラン』編集長、グローカル座標塾講師。1990年代からは「地域から政治を変える」運動にも参加している。2013年まで緑の党グリーンズジャパン全国協議会委員を務めた。
森山 昭雄(もりやま あきお、1942年 - )は、日本の地… 森山 昭雄(もりやま あきお、1942年 - )は、日本の地理学者、市民活動家。愛知教育大学名誉教授。 様々な市民運動に関わり、中でも丸刈り校則撤廃運動では闘争のリーダーとして活躍した。森山の地元の愛知県岡崎市は、頭髪自由化運動の発祥の地とされた。 東京都出身。1962年、日本基督教団の本所緑星教会(墨田区)で洗礼を受けた。東京都立大学理学部卒業。同大学院理学研究科地理学専攻に進み、中退。 1968年、愛知教育大学に助手として就職し、大学本部のある岡崎市へ移住。キリスト教信者として同市八幡町にある日本基督教団岡崎教会に籍を置く。1977年4月、岡崎教会を出て、仲間とともに「西三河聖書研究会」を発足させた。
武 建一(たけ けんいち、1942年 - )は、日本の政治運… 武 建一(たけ けんいち、1942年 - )は、日本の政治運動家。全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部執行委員長、組織内シンクタンク「社会資本政策研究会」代表理事を務めた。 1942年、鹿児島県大島郡天城町生まれ。北中学校卒業後、島内の商店に住み込みで働いていたが、19歳の時に大阪府に移住し、三生運送に就職。 1965年6月、23歳の時に連帯労組関西地区生コン支部の発足準備委員会発足に伴い、委員長に選出され、4ヶ月後の同年10月17日、関西地区生コン支部を結成し、初代委員長に就任。 ミキサー車の運転手から、専従組合員となる。同社内に全国自動車運輸労働組合所属の労組が別々に組織しており、同社内の組織の統一機関となる。
川島 宏(かわしま ひろし、1942年頃 - 2022年6月… 川島 宏(かわしま ひろし、1942年頃 - 2022年6月3日)は、日本の新左翼活動家(赤軍派)。アーバンデザイナー。 東大全共闘の主要なメンバーで、東大闘争を最初から最後まで戦い敗北した。大菩薩峠事件以後、赤軍派に身を投じ、よど号ハイジャック事件、PBM作戦を主要な立場で担った。1970年7月11日逮捕され、実刑。のちに川島宏祥と改名し、アーバンデザインの設計者として後半生を生きた。 静岡県静岡市に生まれる。士族だった家系で、地主の父親は自由党選出の静岡県議会議員だった。父とは9歳の時に死別した。1960年6月15日、静岡市での反安保デモに参加。1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。1962年、東京大学理科一類に進学。
久保井 規夫(くぼい のりお、1942年(昭和17年) - … 久保井 規夫(くぼい のりお、1942年(昭和17年) - )は、元大阪府公立学校の教諭、政治活動家、著述家。アジア民衆歴史センター(APHC)主宰。2013年5月23日に外務省の渡航自粛要請を無視して竹島に強行上陸したことで知られる。 香川県仲多度郡琴平町生まれ。香川大学教育学部卒業。教諭として大阪府内の公立小中学校で勤務。2003年3月に退職。桃山学院大学元非常勤講師だが、韓国のメディアでは「元桃山学院大学教授」「桃山学院大学の久保井規夫元名誉教授」などと報じられることもある。 もともと日本共産党北摂地区委員会に所属しており、1970年1月29日、大阪府吹田市立岸部小学校に勤務中、同和教育をめぐって部落解放同盟大阪府連合会吹田光明町支部書記長から顔面を殴打され、同人を傷害罪で刑事告訴した。
梅澤 昇平(うめざわ しょうへい、1941年〈昭和16年〉1… 梅澤 昇平(うめざわ しょうへい、1941年〈昭和16年〉11月28日 - )は、日本の政治学者、政治活動家。尚美学園大学名誉教授、友愛労働歴史館研究員、国家基本問題研究所評議員長。ノンフィクション作家のドウス昌代は姉。 北海道生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。民社党本部に勤務。同党で約30年間政策立案に携わる。政策審議会事務局長、政策審議会副会長、広報局長、中央執行委員、厚生大臣政務秘書官、解党後の民社協会初代事務局長を歴任し、尚美学園大学総合政策学部教授。2012年定年退任。 1986年7月、第14回参議院議員通常選挙の比例区に民社党公認(名簿13位)で出馬、落選。 1992年7月、第16回参議院議員通常選挙の比例区に民社党公認(名簿5位)で出馬、落選。
片山 圭之(かたやま けいじ、1941年〈昭和16年〉10月… 片山 圭之(かたやま けいじ、1941年〈昭和16年〉10月24日 - )は、日本の政治家、社会運動家。特定非営利活動法人讃岐京極会会長。香川県丸亀市長(3期)、丸亀市議会議員(3期)、香川県議会議員(3期)を務めた。 1941年(昭和16年)香川県丸亀市生まれ。1960年(昭和35年)香川県立丸亀高等学校卒業。1964年(昭和39年)には神戸大学経済学部を卒業する。大学卒業後は地元への愛着から家業を継ぎ、同年父が経営するササヤに就職する。1967年(昭和42年)にはニューキャッスルの設立に携わり、1979年(昭和54年)には専務に昇格する。 しかし、本業の傍ら活動していた青年会議所において役所への敷居の高さに矛盾を感じ、また自身の子育て中に保育園の時間延長など融通が利かないことを役所へ訴えたが門前払いされ信頼関係を築けなかったことなどをきっかけに政界進出を志した。
柴辻 俊六(しばつじ しゅんろく、1941年9月10日 - … 柴辻 俊六(しばつじ しゅんろく、1941年9月10日 - 2022年5月21日 )は、日本の歴史学者・古文書学者・図書館員。元早稲田大学図書館司書。専門は日本の戦国時代史。 1941年、山梨県中巨摩郡竜王村(現甲斐市、旧竜王町)に生まれる。農家・斎藤家の次男。1957年に竜王村立竜王中学校、1960年に山梨県立甲府第一高等学校、1964年に早稲田大学教育学部を卒業。卒業論文において山梨県郷土史を題材とし、郷土史家の赤岡重樹の教示を受け「村落形成と水利潅漑」(主査、熊谷幸次郎)として発表する。同大学院文学研究科史学専修修士課程に入学すると荻野三七彦から古文書学の指導を受け、山梨県に現存する古文書を採集し『新編甲州古文書』として編纂する。
山下 力(やました つとむ、1941年9月3日 - )は、奈… 山下 力(やました つとむ、1941年9月3日 - )は、奈良県出身の部落解放運動家。奈良県議会議員(6期)、奈良県部落解放同盟支部連合会理事長、国民民主党奈良県総支部連合顧問。 大阪市にて、下駄屋の店主の息子として生まれる。1945年3月13日、父母の故郷である奈良県磯城郡三宅村(現・三宅町)但馬の被差別部落に疎開し、以後そこで育つ。父が奈良に帰郷してから靴屋を営んで成功したため、一家は被差別部落の中では裕福だった。 私立青々中学校入学時から、父の言いつけで被差別部落出身を隠すようになる。奈良県立畝傍高等学校在学中、皇太子明仁親王夫妻が神武天皇陵へ参拝した時は、「自分は生まれながらに差別を受けているのに対して、彼らは生まれながらに敬愛されているというのは何やねん」という気持ちからポケットに石を詰め、皇太子夫妻に投石することを考えながら参拝を見に行ったことがある。
近藤 恒夫(こんどう つねお、1941年(昭和16年)8月2… 近藤 恒夫(こんどう つねお、1941年(昭和16年)8月20日 - 2022年(令和4年)2月27日)は、日本の社会運動家。日本DARC代表。秋田県出身。北海学園大学中退。 秋田県出身。北海学園大学中退後、レストランや船会社などで勤務した。1972年から覚せい剤を使用し始め、1978年に精神病院に入院。1980年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、札幌地裁で有罪判決を受ける。 1985年にロイ・アッセンハイマーの影響で薬物依存者のための日本初の民間のリハビリセンターである「DARC(ダルク・デイケア・センター)」を東京都日暮里に創設。その後、アジア太平洋地域の国々の依存症問題に取り組むNPO法人「アパリ」も創設。
得本 輝人(とくもと てるひと、1941年7月18日 - 2… 得本 輝人(とくもと てるひと、1941年7月18日 - 2009年4月5日)は、昭和から平成時代の労働運動家。 鹿児島県大島郡喜界町(喜界島)出身。1965年に京都大学経済学部を卒業し、同年トヨタ自動車工業(1982年トヨタ自動車)に入社。1969年トヨタ労組執行委員。1976年自動車総連事務局長。1985年全民労協副議長。1986年全トヨタ労連中央執行委員長、1986年9月自動車総連会長(1998年まで)、金属労協副議長。1987年民間連合初代副会長。1989年連合初代副会長。1990年金属労協議長(2000年まで)。 財団法人中部産業・労働政策研究会(中部産政研)初代副理事長、同理事、政治改革推進協議会(民間政治臨調)会長代理、全国労働組合生産性会議(全労生)副議長、同議長、財団法人国際労働財団(JILAF)理事長(2000年から2004年)、国家公務員倫理審査会委員(2002年から2007年)も務めた。
殿岡 昭郎(とのおか てるお、1941年7月7日 - )は、… 殿岡 昭郎(とのおか てるお、1941年7月7日 - )は、日本の政治学者、政治運動家。 栃木県足利市出身。1966年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、1971年同大学院法学研究科博士課程単位取得退学。駒澤大学法学部講師(1971-74年)、東京学芸大学助教授(1974-1983年)を務めた[要出典]。 チベット(チベット自治区)、東トルキスタン(ウイグル)、南モンゴル(内モンゴル)の中国からの独立を主張しており、これらの地域の亡命政府と連携し独立運動を積極的に行っている。同時に中国によるこれら少数民族に対する大量虐殺、迫害などの人権侵害を紹介し、日本も中国を警戒すべしと主張している[要出典]。 維新政党・新風講師、日本戦略フォーラム政策提言委員などを務める[要出典]。
塩見 孝也(しおみ たかや、1941年5月22日 - 201… 塩見 孝也(しおみ たかや、1941年5月22日 - 2017年11月14日)は、日本の新左翼活動家、元赤軍派議長、最高指導者、テロリスト。「日本のレーニン」と呼ばれた。「一向健」の組織名やペンネームでも知られた。 1941年、大阪府大阪市の十三で医師の家庭に生まれ、生後1年で岡山県和気郡神根村(現・備前市)に移り、戦後は母の郷里の広島県尾道市で育つ。尾道市立長江小学校から広島大学附属福山中学校・高等学校を経て、1962年に京都大学文学部へ入学。 京大在学中から「共産主義者同盟(ブント)」の活動家となり、京都府学連書記長、社学同書記長と幹部に就任。京大は2年で中退。1969年、それまでのブントの活動に飽きたらず、「これまでの闘争方針では70年闘争を闘いきれない。
清水 三雄(しみず みつお、1941年5月10日 - )は日… 清水 三雄(しみず みつお、1941年5月10日 - )は日本の政治活動家、経営者である。京都府出身。立命館大学卒業。 2024年7月20日時点
川島 豪(かわしま つよし[要出典]、1941年5月1日 -… 川島 豪(かわしま つよし[要出典]、1941年5月1日 - 1990年12月9日)は、新左翼活動家。日本共産党(革命左派)神奈川県委員会議長。岐阜県大垣市出身。 癌で死去。1990年12月9日 1960年、岐阜県立大垣北高等学校卒業、岐阜大学入学。60年安保闘争に参加。1962年、東京水産大学に再入学。1964年に大学自治会会長に就任。党派としては社学同マル戦派に属していたが、大学卒業後、社学同ML派議長だった河北三男と「警鐘」グループを結成する。 「警鐘」はやがて毛沢東思想を掲げるようになり、1968年には日本共産党(左派)神奈川県委員会に合流するが、武装闘争に否定的な左派党員とは意見が合わず、河北・川島らは1969年3月に分裂し日本共産党(革命左派)神奈川県委員会を結成する。
加藤 一夫(かとう かずお、1941年4月27日 - )は、… 加藤 一夫(かとう かずお、1941年4月27日 - )は、日本の国際政治学者、社会運動家、静岡福祉大学名誉教授。専門は国際関係論、ナショナリズム論、国際福祉論。 北海道岩内郡共和町生まれ。1968年東京外国語大学ロシア語科卒、1973年東京大学大学院社会学研究科国際関係論博士課程満期退学。国立国会図書館調査員を経て1992年に静岡県焼津市へ。静岡精華短期大学教授、副学長を経て、静岡福祉大学学長、名誉教授。1960年代からボランティア活動や社会運動に参加。PARC(アジア太平洋情報センター)機関紙編集委員、季刊『クライシス』編集委員、中東欧反体制支援『QUO』の編集委員などを務める。
山岡 義典(やまおか よしのり、1941年4月12日 - )… 山岡 義典(やまおか よしのり、1941年4月12日 - )は日本の市民活動家、都市計画家、地域研究者。法政大学名誉教授。専門は非営利組織論、都市・地域計画論。助成財団センター理事長、市民社会創造ファンド運営委員長、日本NPOセンター顧問、シューレ大学アドバイザー。 旧満洲国(現・中国東北部)生まれ、広島で育つ。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院数物系研究科にて都市計画学を専攻。大学院在籍中に、太田博太郎のもとで「妻籠宿保存計画」の策定、丹下健三のもとで「大阪万国博覧会会場計画」の策定に関わる。 1969年から都市計画設計研究所にて都市計画の実務に従事。1977年、トヨタ財団プログラムオフィサー(のちにプログラムディレクター)。
三上 治(みかみ おさむ、1941年4月9日 - )は、日本… 三上 治(みかみ おさむ、1941年4月9日 - )は、日本の編集者・文筆家・評論家、元政治運動家。 本名・味岡修。三重県出身。 三重県四日市市生まれ。三重県立四日市高等学校卒業。1960年、中央大学法学部政治学科に入学し、安保闘争に参加。1962年、再建された社会主義学生同盟の全国委員長になる。1966年、中央大学中退、第二次ブントに加わり、全共闘運動やベトナム反戦闘争にも加わる。1969年、ブント内部の党派闘争で統一派として赤軍派と対立する。 1969年4月28日の沖縄闘争で指名手配され、9月に逮捕。1970年、いったん保釈されるが、保釈取り消しで東京拘置所に入所。この間、神津陽と共に共産主義者同盟叛旗派をつくり、同派のリーダーとなる。
川久保 勲(かわくぼ いさを、1941年2月5日 - )は日… 川久保 勲(かわくぼ いさを、1941年2月5日 - )は日本の右翼系の政治活動家、学習塾経営者。 東京都出身。1959年東京都立大森高等学校、1965年東京大学農学部卒業。その後日本ユニシスに勤務。退職後1996年より個別指導学習塾の経営を始める。 2004年の第20回参議院議員通常選挙に、維新政党・新風の候補として神奈川県選挙区から出馬するも、落選する。 稲田朋美や西村真悟を支援している。 2001年7月7日、慰安婦問題に関し昭和天皇有罪論を主張する「日中友好神奈川県婦人連絡会」主催による討論会が開かれた。川久保は同志である西村修平とともにこの集会に参加する。討論会中に上映されたビデオ中の日本兵が強姦したとの台詞に憤りを感じ、川久保らは"反日的"台詞のたびに野次を飛ばした。
俵 義文(たわら よしふみ、1941年1月23日 - 202… 俵 義文(たわら よしふみ、1941年1月23日 - 2021年6月7日)は、日本の社会運動家。「子どもと教科書全国ネット21」前事務局長、日朝協会事務局長。 福岡県生まれ。福岡県立鞍手高等学校(定時制)卒業。1964年中央大学法学部法律学科卒業、新興出版社啓林館に入社。1965年家永三郎教科書裁判の支援会員になる。労働組合の幹部を務める。 1998年、「子どもと教科書全国ネット21」の結成に参加。事務局長に就任。2000年新興出版社啓林館を定年前に退社、活動に専念する。 出版労連教科書対策部長・同事務局長、教科書検定訴訟を支援する全国連絡会常任委員、子どもと教科書全国ネット21事務局長・同代表委員、日朝協会事務局長、和光大学・立正大学非常勤講師などを歴任。
佐野 章二(さの しょうじ、1941年 - )は、日本の社会… 佐野 章二(さの しょうじ、1941年 - )は、日本の社会活動家。『ビッグイシュー』日本版創刊者。 1941年に大阪府大阪市で生まれる。1965年に立命館大学法学部を卒業後、映像制作会社、大学の学生部勤務、都市計画プランナーの仕事を経て独立し、地域調査計画研究所を設立。その後、NPO法の制定に関する基礎調査をはじめ、日本各地のNPO支援センターの立ち上げ支援を行なう。阪神・淡路大震災の後は、三つの応援組織の立ち上げを支援した。 2000年代からは、ビジネスによる社会問題の解決を提案。2001年NPO「シチズンワークス」を設立し、イギリスで取り組みの始まっていた『ビッグイシュー』を知って、その日本版を発行するアイディアが生まれる。
延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2… 延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2018年2月8日)は、日本の建築家、都市研究者、都市計画家、教育者、地域プランナー、地域活動家。専攻は生活空間計画学。工学博士。 まち育ての研究と実践、人材育成のほかに各地で「幻燈会」を開いて啓蒙に努める自称「まち育ての語り部」。大阪府大阪市生まれ。 その他、まちの縁側GOGO、神戸市真野地区まち育て、武蔵野市公団緑町団地共同建替、高知赤岡町まち育て等、各地で数多くの地域づくり、まちづくり実践に努める。
笹森 清(ささもり きよし、1940年10月21日 - 20… 笹森 清(ささもり きよし、1940年10月21日 - 2011年6月4日)は、日本の労働運動家。日本労働組合総連合会長(第4代)、内閣特別顧問を歴任した。位階は従三位。 東京都出身。埼玉県川越市に転居し、埼玉県立川越高等学校卒業。東京電力入社後に東京電力労働組合に入り、組合活動などを行った。1989年には委員長になる。1993年からは全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)の会長に就任。 2001年に日本労働組合総連合会会長(第4代)に就任、2005年まで務めた後に、連合顧問に就任。2010年には、当時内閣総理大臣の菅直人に請われて、内閣特別顧問を務めた。 2011年6月4日午前5時56分、膵臓癌のため東京都の病院で死去。
小渕 千鶴子(おぶち ちづこ、1940年(昭和15年)8月1… 小渕 千鶴子(おぶち ちづこ、1940年(昭和15年)8月16日 - )は、日本のエッセイスト、政治運動家、環境保護運動家である。
鈴木 達夫(すずき たつお、1940年〈昭和15年〉7月28… 鈴木 達夫(すずき たつお、1940年〈昭和15年〉7月28日 - 2020年〈令和2年〉1月14日)は、昭和から平成時代の弁護士、労働運動家。元NHK職員、日弁連刑事弁護センター委員。選挙では鈴木たつおの表記も用いる。 東京都中央区出身。1959年、東京都立新宿高等学校卒業、東京大学理科Ⅰ類入学。フロントの構革派論客だったとされ、1961年に日本共産党東大細胞から離党・除名された。1964年、同大学工学部土木工学科都市計画コース卒業。日本放送協会(NHK)に番組制作担当ディレクターとして入局し、長崎局に赴任。1967年、日本放送労働組合(日放労)長崎分会委員長に就任し、1968年の佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争の先頭に立った。
福島 博憲(ふくしま ひろのり、1940年(昭和15年)5月… 福島 博憲(ふくしま ひろのり、1940年(昭和15年)5月19日 -) は、登山家であり、社会事業家。 1969年7月マッターホルン北壁の単独登攀は日本人初(世界第三登)。1973年9月日本エベレスト登山隊、南西壁隊員。関西大学二部体育会山岳部OB会所属。三重県名張市出身。 現在[いつ?]、スイス山岳会会員、第2次RCC同人、日本オセアニア交流協会理事。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
竹本 信弘(たけもと のぶひろ、1940年2月24日 - 2… 竹本 信弘(たけもと のぶひろ、1940年2月24日 - 2024年7月14日)は、日本の新左翼元活動家・理論家。かつては滝田修(たきたおさむ)というペンネームを使用していた。 1969年、京大パルチザンを結成。1971年の埼玉県朝霞駐屯地での自衛官殺害事件の共謀共同正犯として指名手配され、10年間逃亡の後、逮捕された。のち有限会社メディアコム代表。 2024年7月14日、京都市伏見区の病院で誤嚥性肺炎により死亡した。84歳没。 京都府京都市で京都教育大学名誉教授竹本正信の次男、三人兄弟の末っ子として生まれる。1958年、京都府立洛北高等学校卒業。1960年、京都大学経済学部入学。1964年に京都大学大学院修士課程に進み、ドイツ社会思想史(特にローザ・ルクセンブルク)を専攻する。
山崎 耕一郎(やまざき こういちろう、1940年2月7日 -… 山崎 耕一郎(やまざき こういちろう、1940年2月7日 - 2017年11月24日)は、日本の社会運動家。 1940年2月7日、東京に生まれる。父親は元早稲田大学教授(ドイツ文学)の山崎八郎。伯父(父の兄)は向坂逸郎。 1960年に東京大学入学、在学中から、学生運動、社会運動に参加。東京大学経済学部学生自治会副委員長を務める。 1963年、日本社会主義青年同盟(略称:社青同)東京地区本部の専従となり、東京大学を中退。1964年、樋口圭之介と共に社青同第四回全国大会で議案修正案(改憲阻止・反合理化の基調)を提案し可決させ、左派優位の端緒を作り出す。1966年、社青同東京地本九三事件にあたって東京地本書記長に就任し、地本再建に尽力する。
デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno、1940年〈昭和… デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno、1940年〈昭和15年〉2月6日 - )は、日本生まれでインドネシア国籍の政治活動家・タレント。インドネシアのスカルノ元大統領の第3夫人。NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。2019年7月からはYouTuberとしても活動している。本名及びインドネシア名はラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)。旧名及び日本名は根本 七保子(ねもと なおこ)。通称はデヴィ夫人。 スカルノ大統領との間に生まれた一人娘のカリナは、2005年(平成17年)11月26日にオランダで米系大手金融機関シティバンクの欧州・中近東・アフリカ地区CEOフレデリック・シーガスと結婚している。
油井喜夫(ゆい よしお、 1940年 - )は、日本の社会運… 油井喜夫(ゆい よしお、 1940年 - )は、日本の社会運動家、社会運動研究家。新日和見主義事件に遭い、のちにこれを考察する書籍を著した。 6歳のとき中国・遼寧省遼陽より引揚。静岡県立藤枝東高等学校、通信教育課程を経て慶應義塾大学を卒業。静岡県職員、司法書士などに従事。 労働組合運動、青年運動などに携わる。日本民主青年同盟班長・同地区委員長・同県委員長・同中央委員、日本共産党静岡県委員などを歴任。 日本共産党静岡県委員、日本民主青年同盟中央委員・静岡県委員長在任時の1972年5月、分派活動の疑いで査問され、処分を受ける。これらの役職をすべて罷免され、足かけ3年にわたって党員権を停止された。(新日和見主義事件) 以後事件について沈黙を守っていたが、川上徹が事件の実態や問題点を世に問う『査問』(筑摩書房)を1997年12月に刊行したことをきっかけに、自身の経験を通して事件について明らかにすることを決意。
鳥飼 慶陽(とりがい けいよう、1940年 - )は、日本の… 鳥飼 慶陽(とりがい けいよう、1940年 - )は、日本の牧師、社会運動家。 鳥取県関金町出身。同志社大学神学部卒、1964年同大学院修士課程修了。日本基督教団の牧師となる。1964年滋賀県仁保教会伝道師。1966年神戸イエス団教会伝道師。1968年番町出会いの家開設。2009年賀川豊彦賞を受賞。部落解放運動にもたずさわる。
川野 浩一(かわの こういち、1940年 - )は、日本の平… 川野 浩一(かわの こういち、1940年 - )は、日本の平和運動家。原水爆禁止日本国民会議議長。 1940年に朝鮮半島の平安北道(現在の北朝鮮)で生まれ、翌年父の徴兵を機に長崎市へ引き揚げた。1945年8月9日、爆心地から約3km離れた長崎市本紙屋町(現・麹屋町)の自宅付近で被爆。爆心地付近の浦上に住んでいた曽祖母を亡くした。1958年に長崎県立長崎東高等学校を卒業後、結核治療のため入院。当時は60年安保闘争が高まりを見せていた時期であり、病床で何もできない自分に劣等感を抱いたという。1961年に長崎県入庁後は組合活動に没頭し、長崎県職員労働組合青年部長・書記長のほか、長崎県労評センター議長・自治労長崎県本部委員長・連合長崎会長などを歴任した。
川上 徹(かわかみ とおる、1940年 - 2015年1月2… 川上 徹(かわかみ とおる、1940年 - 2015年1月2日)は、日本の編集者、社会運動家。全日本学生自治会総連合中央執行委員長を経て、日本民主青年同盟中央常任委員を務めたが、新日和見主義事件により解任。のち同時代社を創業、代表取締役。 1940年、東京・亀戸生まれ。1944年、長野県東筑摩郡に疎開し、1949年に上京するまで暮らした。1960年、東京大学教養学部入学とともに日本共産党に入党。1964年、全日本学生自治会総連合再建大会で中央執行委員長。1966年に退任、東京大学教育学部教育行政学科卒業。同年より日本民主青年同盟(民青)本部に勤務、中央常任委員。 1972年5月、分派活動により査問を受け(新日和見主義事件)、同年秋、党員権停止1年の処分が決まり民青本部を退職。