緒方 浩一(おがた こういち、1952年5月14日 - )… 緒方 浩一(おがた こういち、1952年5月14日 - )は、元競輪選手。現在は競輪評論家。熊本県出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第30期生。現役時は日本競輪選手会熊本支部所属。師匠は大里清一。 九州学院高等学校を経て、競輪学校に第30期生として入学。同期には高橋健二、小池和博らがいた。 1972年10月8日、武雄競輪場でデビューし1着。特別競輪(現在のGI)の決勝戦に8回進出した実績を持ち、最高着順は、1982年のオールスター競輪(高松競輪場)及び競輪祭の3着である。 緒方といえば、中野浩一、井上茂徳を中心とする、俗称九州軍団の参謀役として有名である。九州軍団が「結成」された理由は、当時、関東、南関東地区を中心に、勢力を西日本にまで拡大させていたフラワーラインに対抗するためであった。
天野 康博(あまの やすひろ、1952年4月13日- )は、… 天野 康博(あまの やすひろ、1952年4月13日- )は、新潟県西蒲原郡吉田町(現新潟県燕市)出身の元競輪選手。新潟県立吉田商業高等学校(現在の新潟県立吉田高等学校)を経て、日本競輪学校第29期生となる。 同期には阿部良二、加藤善行、久保千代志という、後の特別競輪(現在のGI)優勝経験者が名を連ねる。したがって後に花の29期生と言われるようになるが、後述する、1978年のオールスター競輪優勝については、競輪界の流れを大きく変えたという見方がされている。 デビューは1972年4月16日、ホームバンクの弥彦競輪場で迎え、初勝利も同日。1978年9月26日、西宮競輪場で開催された第21回オールスター競輪決勝戦に、天野は後にも先にも、この1回限りとなる特別競輪の決勝進出を果たし、8番車で挑むことになった。
岩崎 誠一(いわさき せいいち、1951年11月12日 - … 岩崎 誠一(いわさき せいいち、1951年11月12日 - )は、日本競輪選手会、青森支部に所属していた元競輪選手。1973年4月21日、ホームバンクであった青森競輪場でデビュー戦を迎え、初勝利も同日。また、この開催の完全優勝も果たした。 岩崎将士(日本競輪学校第88期生)は実子の競輪選手であり弟子。 八戸電波高等学校時代の1969年、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会・1 kmタイムトライアルで優勝。また、日本大学短期大学部在学中に、世界自転車選手権に2度出場。1971年のアマチュア部門スクラッチ(現在はスプリント)では10位に入った。 1972年、日本競輪学校第31期生として入学。同期には新井正昭らがいる。
桜井 久昭(さくらい ひさてる、1951年9月2日 - )は… 桜井 久昭(さくらい ひさてる、1951年9月2日 - )は、日本競輪選手会・東京支部に在籍していた元競輪選手。明治高校出身、日本競輪学校第28期生。 1971年2月11日、京王閣競輪場でデビューし1着。1975年の競輪王決勝戦において、久保千代志の番手から直線抜け出し優勝した。2009年1月15日、選手登録削除。通算戦績3068戦467勝。記念競輪13回優勝。
沼田 弥一(ぬまた やいち、1951年6月29日 - )は、… 沼田 弥一(ぬまた やいち、1951年6月29日 - )は、福島県表郷村(現白河市)出身の元競輪選手。 福島県立白河実業高等学校を経て、ブリヂストンサイクル在籍時代の1972年、ミュンヘンオリンピックに出場。 1973年、日本競輪学校第33期生となる。在校競走成績第1位。 1974年6月15日、いわき平競輪場でデビューし1着。その後2戦も勝利し、デビュー場所で完全優勝を果たした。 1975年度、最優秀新人選手を受賞。 1976年、全日本新人王戦 決勝5着。 2000年12月18日、選手登録削除。通算戦績2113戦173勝。
井狩 吉雄(いかり よしお、1951年5月14日 - )は元… 井狩 吉雄(いかり よしお、1951年5月14日 - )は元競輪選手。滋賀県近江八幡市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第35期卒業。現役時代は日本競輪選手会滋賀支部所属。師匠は田中広光(21期・引退)。ホームバンクは大津びわこ競輪場。 中学生時代はハンドボール選手として滋賀県民体育大会で優勝、また駅伝ランナーとして、滋賀中学駅伝で2位を経験している。滋賀県立八日市高等学校に進学してから自転車競技を始め、中京大学自転車競技部時代は主将を務めた。同大学時代の主な実績として、カナダ・ブリティシュ・コロンビア3日間ロードレース日本人選手総合第1位、全国地域対抗自転車競技選手権大会・ポイントレース優勝などがある。
西村 康博(にしむら やすひろ、1950年12月20日 - … 西村 康博(にしむら やすひろ、1950年12月20日 - )は、元競輪選手。現在の佐賀県杵島郡白石町出身。日本競輪学校第27期卒業。日本競輪選手会佐賀支部所属。師匠は杉野貞男。初出走は1970年2月14日の久留米競輪場で初勝利は同日。
藤巻清志(ふじまき きよし。1950年8月15日- )は日本… 藤巻清志(ふじまき きよし。1950年8月15日- )は日本競輪選手会北海道支部に所属していた元競輪選手。日本競輪学校第27期生。実兄は藤巻昇(22期)。 山梨県出身。山梨県立石和高等学校時代はラグビーをやっていた。 競輪選手としての最初の登録地は神奈川。師匠は高原永伍。1970年2月19日、平塚競輪場でデビューし、初勝利も同日。そしてこの開催では完全優勝も達成。 1972年、競輪祭新人王戦を制覇したが、兄・昇も1968年に同タイトルを制しており、同レース史上初の兄弟制覇を成し遂げる。 1975年、高松宮杯決勝で、阿部道、昇らを撃破して初の特別競輪(現在のGI)のタイトルを獲得。昇はまだこの当時無冠であったから、GIのタイトル制覇は弟が先んじる形となった。
山口 国男(やまぐち くにお、1950年8月11日- )は、… 山口 国男(やまぐち くにお、1950年8月11日- )は、日本競輪選手会・東京支部に所属していた元競輪選手。東京都荒川区出身。日本競輪学校第24期生。ホームバンクは松戸競輪場だった。自身は長男で、実弟の山口健治は末っ子の四男にあたる。 愛称は『フラワー(ライン)のドン』、『下町の大将』。 競輪の大ファンだった父親の影響を受け、中学を卒業した後、1966年、競輪学校第24期生として入学。翌1967年2月23日、川崎競輪場でデビュー(3着)。1968年、B級で10連勝を果たしA級に特進。1972年の高松宮杯でGI初優出を果たしたが、3着と健闘(優勝は福島正幸)。翌1973年の競輪祭決勝でも3着(優勝は福島)と頑張り、トップクラスの選手としての地位を築いていく。
矢村 正(やむら ただし、1950年7月5日 - 2024年… 矢村 正(やむら ただし、1950年7月5日 - 2024年10月3日)は、元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会熊本支部に所属、ホームバンクは熊本競輪場。日本競輪学校(当時)第26期生。選手登録番号8208。 後述するが、中野浩一の師匠的な役割を果たした選手として有名だった。 デビューは1969年5月24日、26期生としてホームバンクである熊本競輪場で迎え1着。またこの開催では完全優勝も果たす。 現役時代、164cmという小柄な体格ながらも武器としていた鋭いダッシュ力を生かし、高松記念では4連覇を達成。特別競輪(現在でいうGI)においても、高松宮杯(1973年)、競輪祭競輪王戦(1978年)で決勝3着の実績があるほか、1983年の第26回オールスター競輪までは特別競輪に出場した。
宮本 孝男(みやもと たかお、1950年4月17日 - )は… 宮本 孝男(みやもと たかお、1950年4月17日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の、元プロ野球選手及び元競輪選手。1972年及び競輪時代の登録名は宮本 孝雄(読み同じ)。 竜ヶ崎第一高校ではエース。切れのいいカーブを武器とした本格派。コントロールがあとひと息といわれているが、主将で四番を打ちバッティングも高く評価されていた。1968年ドラフト会議で東映フライヤーズから3位指名を受け入団。ポジションは投手。1972年の登録名は宮本 孝雄。同年限りで引退。 その後、競輪選手に転身。日本競輪選手会茨城支部に在籍していた。日本競輪学校第35期生で、同期には中野浩一らがいる。なお、競輪選手登録名は宮本 孝雄である。
荒木 実(あらき みのる、1949年2月9日- )は、京都市… 荒木 実(あらき みのる、1949年2月9日- )は、京都市右京区出身の元競輪選手。日本競輪学校第23期生。同期には阿部道らがいる。 京都府立桃山高等学校時代は野球部に在籍し、同部の主将を務めた。 1966年9月18日、和歌山競輪場でデビューするや、無傷の18連勝を達成。若い頃よりマーク型の選手としてトップスターへの道へと上りつめ、1974年に行われた高松宮杯競輪では、中を一気に割って伸び優勝。2年後の高松宮杯でも同じような形のレース内容で制した。ちなみに2回とも、雨が降りしきる中レースが行われたが、そのことにあやかって、雨男のニックネームがつけられた。 1988年、競輪発祥40周年を記念して、平塚競輪場で開催されたルビーカップのシニア杯に出走し優勝した。
荒川 秀之助(あらかわ しゅうのすけ、1948年11月4日-… 荒川 秀之助(あらかわ しゅうのすけ、1948年11月4日- )は、宮城県名取市出身で、日本競輪選手会・宮城支部に所属していた元競輪選手。25期。 東北高等学校を経て日本競輪学校第25期生となる。同期には谷津田陽一や、1964年東京オリンピックに出場した山藤浩三や伊藤富士夫らがいる。また、実弟の荒川玄太(31期)も元競輪選手であった。 デビュー戦は1967年9月17日の準地元・いわき平競輪場で迎え6着。初勝利は同年同月18日の同場。 1970年。この年は競輪界のこれまでの図式が大きく変わった年となった。高原永伍時代の終焉が訪れると同時に、高原に加え、伊藤繁、吉川多喜夫らが形成していた「神奈川王国」にも終焉の時代が訪れた。
藤巻 昇(ふじまき のぼる、1948年(昭和23年)4月28… 藤巻 昇(ふじまき のぼる、1948年(昭和23年)4月28日 - )は、元競輪選手、現在はスポーツ報知北海道総局所属の競輪評論家。現在の山梨県笛吹市石和町出身。日本競輪学校第22期卒業。初出走は1966年1月11日の立川競輪場で初勝利も同日。 競輪選手としての最初の登録地は山梨県であったが、後に高原永伍らがいた平塚競輪場に練習拠点を移したことから神奈川県へと移籍。さらに1973年からは、夫人の郷里である北海道へと移籍し、以後は函館競輪場をホームバンクとしていた。 山梨県立甲府工業高等学校を中退した後、実父の藤巻清一が選手であったことから日本競輪学校を受験し合格。後に弟3人(藤巻清志・藤巻勝・藤巻進) も選手となり、競輪一家としても名を馳せるようになる。
阿部 道(あべ とおる、1948年1月19日 - )は、宮城… 阿部 道(あべ とおる、1948年1月19日 - )は、宮城県仙台市出身の元競輪選手。日本競輪学校第23期卒業。現役時は日本競輪選手会宮城支部所属。初出走は1966年9月16日の函館競輪場で初勝利も同日。ホームバンクは宮城自転車競技場。 仙台市立仙台商業高等学校出身。4人兄弟の長男で、弟3人も元競輪選手だった。 阿部はデビュー当時から、平間誠記の練習仲間として一緒に練習していたが、実際のところ、平間が阿部ら若手に対して「指導」を行うために練習に付き合わせたという側面が強かった。ロードワーク中に周囲が田んぼに囲まれた場所へとさしかかると平間は突然、「おい!これから競りの練習だ!」といって阿部らの横にピッタリと車を寄せ、ゴリゴリと競りを行い、最後は決まって田んぼの中へ阿部らを突き落としたという。
坂東 利則(ばんどう としのり、1947年8月3日 - )は… 坂東 利則(ばんどう としのり、1947年8月3日 - )は、元競輪選手、日本競輪選手会兵庫支部に在籍していた。愛称はバンちゃん。
加藤 善行(かとう ぜんこう、1947年6月19日 - )は… 加藤 善行(かとう ぜんこう、1947年6月19日 - )は、元競輪選手。富士大学自転車競技部監督。岩手県出身。日本競輪学校第29期生。 岩手県立紫波高等学校、日本大学を卒業後、社会科の教諭を経て、1971年に第29期生として日本競輪学校に入学。同期には、デビュー戦以降21連勝を達成することになる同郷の阿部良二、トヨタ自動車のサラリーマンから転身した久保千代志、天野康博らがいた。デビュー戦は1972年4月9日の取手競輪場(1着)。 1973年には、日本のプロ自転車選手として初めて、プロロードレースの世界選手権に出場。バルセロナ同年、第20回全日本プロ選手権自転車競技大会の5km個人パーシュートにおいて初出場、日本新記録で優勝。
太田 義夫(おおた よしお、1946年6月22日 - 202… 太田 義夫(おおた よしお、1946年6月22日 - 2025年)は、元競輪選手。千葉県出身。日本競輪選手会千葉支部に所属していた。日本競輪学校第23期生。登録番号7857。同期には阿部道や荒木実らがいる。 千葉県立長生高等学校を卒業後、オートレースの選手を志すも輪界入り。1966年11月10日、ホームバンクだった千葉競輪場でデビューし、初勝利も同日。1971年に賞金王に輝き、東西対抗戦形式元年となった1973年の高松宮杯競輪決勝において、緩急ある巧みなペース駆けを見せて逃げ切り優勝を果たした。 1999年7月27日、選手登録削除。通算486勝。現在は競輪場外車券売場サテライト鴨川のアドバイザーを務めている。
小林 政春(こばやし まさはる、1946年1月2日 - )は… 小林 政春(こばやし まさはる、1946年1月2日 - )は、元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会埼玉支部に在籍。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第21期生。 なお、競輪学校第47期生に同姓同名の元競輪選手が存在するが、別人である。 埼玉県立熊谷高等学校に在籍時代の1964年、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(高校総体)のスクラッチ(現 スプリント)及び速度競走で優勝。その後競輪学校第21期生となった。競輪学校の同期には、田中博、伊藤繁、河内剛、大宮政志らがいる。 1965年9月9日、大宮競輪場でデビューし2着。初勝利は同年10日の同場。 1983年4月より制定されたS級では一度も勝ち星がなく、また特別競輪における実績もないが、第二次世界大戦後に生誕した競輪選手としては初の900勝達成選手であった。
服部 記義(はっとり きよし、1945年8月5日 - )は、… 服部 記義(はっとり きよし、1945年8月5日 - )は、埼玉県加須市出身の元競輪選手。日本競輪学校(以下、競輪学校)第22期生。 埼玉県立杉戸農業高等学校を経て、日本大学に進んだが1年で中退して競輪学校へ入校。同期には福島正幸、藤巻昇らがいる。 1966年2月10日、大宮競輪場でデビューし2着。 特別競輪(現在のGI)の決勝進出歴は、1974年(6着)、1976年(7着失格)の競輪祭しかないが、記念競輪(現在のGIII)では、判明しているだけでも通算12回の優勝を果たしている。また、1976年の前期には競走得点成績(競走得点率)で第1位となった。 さらに1974年に『服部道場』を開設し、10人以上の弟子の面倒を見ることになったが、その中から、新井正昭(競輪学校31期生)、実弟の雅春(競輪学校36期生)らを輩出した。
島田 伸也(しまだ しんや、1945年5月15日 - 201… 島田 伸也(しまだ しんや、1945年5月15日 - 2016年11月20日 )は、高知県出身の元プロ野球選手(内野手)、元競輪選手。
河内 剛 (かわうち つよし、1945年1月4日 - )は、… 河内 剛 (かわうち つよし、1945年1月4日 - )は、元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会宮城支部に所属していた。 東北高等学校を経て、日本大学に在学中だった1964年の東京オリンピックにおいて、スクラッチ(現在のスプリント)に出場(予選敗退)。 1965年、日本競輪学校第21期生(同期に群馬の田中博、神奈川の伊藤繁らがいる)としていわき平競輪場でデビューし1着。後2日間も勝ち、3連勝完全優勝を果たす。 1972年、日本選手権競輪(西武園競輪場)優勝。ちなみにこのレースでは、連勝単式(枠番連勝単式)車券において同大会決勝戦史上初の万車券決着となった。
山藤 浩三(やまふじ ひろみ、1944年10月23日 - 1… 山藤 浩三(やまふじ ひろみ、1944年10月23日 - 1984年5月9日)は、日本の競輪選手。秋田県出身で、日本競輪選手会茨城支部に在籍していた。 秋田県立六郷高等学校時代の1962年、大津びわこ競輪場で開催されたインターハイ、1kmタイムトライアルで優勝。その後法政大学へと進み、1964年東京オリンピックの日本代表選手となり、4000m個人追い抜きに出場し13位。また団体追い抜きにも出場した。 法大卒業後、日本競輪学校第25期生として入学。同期には荒川秀之助、谷津田陽一らがいる。1971年の新人王戦を優勝。その後も1981年頃まで特別競輪(現在のGI)に出場していた。 1984年5月8日、取手市の自宅で妻子3人と共にガス自殺を図り、自身を含め全員死亡。
高橋 耕作(たかはし こうさく、1944年7月25日 - )… 高橋 耕作(たかはし こうさく、1944年7月25日 - )は、秋田県出身の元 競輪選手。日本競輪学校(以下、競輪学校)第25期生。 兄、高橋耕造(競輪学校第1期生)も元 競輪選手。 秋田県立大曲農業高等学校を経て日本大学に進学。同大学在籍時代の1964年、東京オリンピック・団体追抜に出場し11位。その後、競輪学校を経て日本競輪選手会東京支部所属の競輪選手となった。 1989年7月31日選手登録削除。
班目 秀雄(まだらめ ひでお、1944年1月12日 - )は… 班目 秀雄(まだらめ ひでお、1944年1月12日 - )は、日本の元競輪選手。日本競輪選手会福島支部に所属していた。 実弟である班目隆雄(28期)も元競輪選手。実子の班目真紀夫はロードレースを中心に活動した元自転車競技選手(バルセロナオリンピックに出場)で、現在は高校の教諭。 福島県白河市出身。福島県立白河高等学校を経て日本大学へ進学。同大学に在学中だった1964年の東京オリンピックにおいて、手嶋敏光と組んでタンデムスプリントに出場(予選敗退)。 1967年、日本競輪学校第24期生として2月16日、京王閣競輪場でデビューし1着。加えて当開催の3連勝完全優勝を記録。 1969年、競輪祭新人王戦 完全優勝。
工藤 元司郎(くどう げんしろう、1944年 - )は、東京… 工藤 元司郎(くどう げんしろう、1944年 - )は、東京都港区出身の元競輪選手で、現在は競輪評論家である。日本競輪学校第16期生で同期に群馬の稲村雅士がいる。現役引退時は日本競輪選手会茨城支部所属。実父の工藤勝美も元競輪選手。
稲村 雅士(いなむら まさし、1943年4月20日 - )は… 稲村 雅士(いなむら まさし、1943年4月20日 - )は、群馬県出身の元競輪選手(日本競輪選手会群馬県支部所属)。日本競輪学校第16期生。59歳まで現役を続けた。息子に同じく競輪選手の稲村成浩(69期)、稲村好将(81期)がいる。
加藤 武久(かとう たけひさ、1941年(昭和16年)12月… 加藤 武久(かとう たけひさ、1941年(昭和16年)12月8日 - )は、秋田県出身の元競輪選手。 秋田県立六郷高等学校を経て法政大学に進学。同大学在学中の1964年(昭和39年)、東京オリンピック・チームタイムトライアル(TTT)に出場し19位。その後、日本競輪学校第22期生を経て競輪選手となった。1985年(昭和60年)5月20日選手登録削除。 引退して秋田県に帰郷後は美郷町飯詰駅前のタクシー会社の経営にたずさわった。
西野 忠臣(にしの ただおみ、1941年3月10日 - )は… 西野 忠臣(にしの ただおみ、1941年3月10日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(内野手)、元競輪選手。 広島県立忠海高等学校ではエース。卒業後は1959年に巨人に入団し内野手に転向する。1961年に土屋正孝が国鉄にトレードされたため、藤本伸・塩原明らと二塁手の定位置を争い15試合に先発出場。しかし、打撃面で伸び悩み、肘の故障もあって1963年限りで引退した。通算46打数7安打、打率.152 。 引退後、当時巨人のスカウトだった沢田幸夫が競輪ファンだった縁で、競輪選手養成のために、養成塾を開いていた小林三郎(期前)に弟子入りし、競輪に転身。日本競輪学校第20期生となる。なお、スピードスケートから転身した伊藤繁(日本競輪学校第21期生)も、小林養成塾の門下生で、一緒に競輪選手を目指して練習に励んだ間柄だった。
大宮 政志(おおみや まさし、1938年3月10日 - )は… 大宮 政志(おおみや まさし、1938年3月10日 - )は、日本競輪選手会東京支部に所属していた元競輪選手。岩手県岩手郡滝沢村(現・滝沢市)出身。滝沢市スポーツ功労者。 盛岡第一高等学校時代の1956年、鎌倉で行われた第一回・全国高等学校自転車道路競走中央大会の個人、団体の部で優勝。また同年、大宮競輪場で開催された全国高等学校自転車競技選手権大会(インターハイ)ロード・レース「第1回全国高等学校自転車道路競走中央大会」(鎌倉~江の島~平塚の周回路)で優勝。 日本大学時代には世界自転車選手権、ローマオリンピックにも出場。1962年の第4回アジア競技大会個人ロードレースでは2位に入る。1964年東京オリンピックの個人・団体ロードに出場。
中川 茂一(なかがわ しげかず、1937年9月6日 - 20… 中川 茂一(なかがわ しげかず、1937年9月6日 - 2010年4月3日)は、大阪市西淀川区出身の元競輪選手。日本競輪選手会大阪支部に在籍していた。 日本競輪学校第79期生の中川大祐(1973年10月25日 - 2012年5月30日)は実子。 大阪商業高等学校出身。 日本競輪学校第14期生。同期に寺澤節男、松本秀人らがいる。 1960年8月19日、宇都宮競輪場でデビューし1着、及び同開催の完全優勝を記録。 1969年の秩父宮妃賜杯競輪(西武園競輪場)において優勝。なお、同大会の決勝戦は万車券決着となった。また中川のこの優勝から、45年後の2014年に稲川翔が高松宮記念杯競輪(宇都宮競輪場)で優勝するまで、GI相当大会で、大阪支部所属の選手が優勝することはなかった。
平間 誠記(ひらま せいき 1937年3月21日 - 196… 平間 誠記(ひらま せいき 1937年3月21日 - 1968年8月21日)は、元競輪選手。宮城県刈田郡蔵王町出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第13期卒業。現役時は日本競輪選手会宮城支部所属。選手登録番号6789。 競輪学校91期生であった元競輪選手の平間一洋の大叔父にあたる。 宮城県立大河原高等学校を卒業後、アマチュア選手としてアジア大会などのスクラッチ(現在のスプリント)種目に出場し数々の優秀な成績を治める。この頃は早稲田大学商学部の聴講生であったが、大学の自転車部が平間を一般学生として登録し出場させていたため、部全体が長期の活動停止処分を受けてしまい、アマとしての活動が難しくなったため、プロである競輪への転向を決断している。
竹野 暢勇(たけの のぶお、1935年11月25日- 200… 竹野 暢勇(たけの のぶお、1935年11月25日- 2009年10月1日)は、競輪選手。現在の真岡市(旧二宮町)出身。現役時は日本競輪選手会栃木支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第10期卒業。選手登録番号6574。 栃木県立真岡高等学校在籍時代はサッカーを行っていたが、親が自転車店を経営していた縁で、卒業後競輪選手を志し、競輪学校第10期生となった。 鋭いダッシュ力を駆使した走法を武器として、長年に亘りトップクラスで活躍。全国都道府県選抜競輪を4回優勝した。 また、オールスター競輪では、1956年に川崎競輪場で開催された第1回から、1984年に西宮競輪場で開催された第27回まで、ファン投票で選ばれ全て出場した。
笹田 伸二(ささだ しんじ、1934年11月10日 - 19… 笹田 伸二(ささだ しんじ、1934年11月10日 - 1996年5月12日)は、徳島県那賀郡羽ノ浦町出身で、日本競輪選手会徳島支部に所属(1956年~1988年)していた元競輪選手。登録番号6764。 日本競輪学校第12期生として1956年にデビュー。 マーク一本槍の競走スタイルでトップスターに上り詰め、マークについた先行選手の番手を絶対に離さなかったことから、スッポンという異名を取った。したがって地区に関係なく、メンバー中最も強いと目される先行選手の番手に入るレースも少なくなく、また笹田がつくのならば仕方ない、といった選手間における「暗黙の了解」もよくあったという。福島正幸によれば笹田のマーク技術、ハンドル捌きは神業の域に達していて先行選手の後輪とマークする笹田の前輪は1センチと開くことはなくまさに吸い付くようだったという。
石田 雄彦(いしだ ゆうひこ、1934年(昭和9年)6月13… 石田 雄彦(いしだ ゆうひこ、1934年(昭和9年)6月13日 - 2015年(平成27年)11月7日)は、元競輪選手。現在の大阪府羽曳野市出身。現役時は日本競輪選手会大阪支部所属(デビュー当時は和歌山支部所属)。日本競輪選手養成所創設以前の期前選手で選手登録番号2410。 実子の石田裕紀(42期)も元競輪選手。 和歌山競輪場で登録試験を受け合格、1950年(昭和25年)1月31日に選手登録された。 初出走は1950年3月の西宮競輪場。以降岸和田競輪場をホームバンクとしながら和歌山支部所属として選手生活を送ったが、全盛期を過ぎてから大阪支部に移籍している。 石田は父親の勧めにより中学を卒業して競輪界入りしたが、当初は競輪に対する意欲はあまりなかったらしい。
吉田 実(よしだ みのる 1934年(昭和9年)5月1日 -… 吉田 実(よしだ みのる 1934年(昭和9年)5月1日 - 2016年(平成28年)8月20日)は、元競輪選手。現在の愛媛県西条市出身。現役時の選手登録地は愛媛→香川。日本競輪選手養成所創設以前の期前選手で選手登録番号5568。ホームバンクは観音寺競輪場。初出走は1950年11月の門司競輪場。 自転車屋の息子として生まれたが、後に兄妹6人のうち男子3人と女子2人が競輪選手となるほどの自転車一家だった。なお長兄の吉田達雄(愛媛・選手登録番号94)の孫にサッカー選手の長友佑都がおり、吉田実の大甥にあたる。 小さい頃から俗に「草レース」と呼ばれる自転車レースに親しみ、中学生の頃、全日本アマチュア自転車競技選手権大会の少年の部で優勝した経験を持つ。
黄金井 光良(こがねい みつよし、1934年1月3日 - )… 黄金井 光良(こがねい みつよし、1934年1月3日 - )は、埼玉県川口市出身の元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会埼玉支部に所属。 日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)創設以前に競輪選手登録された期前選手で、登録番号は2832。実子の黄金井憲は競輪学校第54期生の競輪選手。憲の実子で、当人の孫にあたる黄金井力良は競艇選手。 1950年4月8日、大宮競輪場でデビューし7着。初勝利は同年同月10日の同場。 デビュー当時から追い込みを主体とした競走スタイルを貫き、大阪中央競輪場で開催された1953年の第8回全国争覇競輪(現在の日本選手権競輪)では、優勝の中井光雄、2位の山崎勲に次いで3位。また、川崎競輪場で開催された1960年の全国オールスター争覇競輪(現在のオールスター競輪)でも決勝戦で3着(優勝は吉田実)に入った。
鈴木 保巳(すずき やすみ 1931年6月26日 - 200… 鈴木 保巳(すずき やすみ 1931年6月26日 - 2008年2月9日)は、競輪評論家、元競輪選手。群馬県出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第1期生。現役時は日本競輪選手会群馬支部所属。選手登録番号5808。 夫人も、実子の鈴木一正(48期)も元競輪選手。この他、甥にあたる鈴木大介(37期)も元競輪選手だった。 群馬県立前橋高等学校時代は野球部の主将として活躍し、1948年に行われた第30回全国高等学校野球選手権大会に出場。その後は日本大学に進学した後、競輪に転向する形で競輪学校に第1期生として入学。 競輪選手としては1951年9月に京王閣競輪場でデビューし、35歳まで現役を続けたが、1966年9月9日に選手登録を消除して引退。
山本 清治 (やまもと せいじ、1930年(昭和5年)9月2… 山本 清治 (やまもと せいじ、1930年(昭和5年)9月26日 - )は、元競輪選手である。熊本県出身。熊本県立熊本商業学校(現・熊本県立熊本商業高等学校)卒業。 1949年2月1日、選手登録(期前選手)。登録番号は309。選手時代はヤマセイの愛称でファンから親しまれていた。6人兄弟で、ほかの5人(春雄、金哉、義男、利光、賢一)いずれも元競輪選手。 なお、同姓同名の日本競輪学校(当時)第31期生の元競輪選手(2002年7月31日登録削除)が存在するが、別人である。 山本は熊本県の生まれであるが、熊本商業を卒業後、競輪選手の登録地を大阪とした。 これは、競輪を職業として選ぶ以上、当時自転車産業が盛んで、かつ戦前、自転車メーカーに所属していた選手が大勢いた大阪のほうが早く強くなれるという考えがあったことに起因するものだった。
白鳥 伸雄(しらとり のぶお、1928年(昭和3年)6月12… 白鳥 伸雄(しらとり のぶお、1928年(昭和3年)6月12日 - 2016年(平成28年)2月26日)は、元競輪選手。千葉県習志野市出身。旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)卒業。日本競輪学校創設以前の期前選手で選手登録番号2224。現役時は日本競輪選手会千葉支部所属。初出走は1950年3月1日の神戸競輪場。「輪聖」と呼ばれる。 1928年6月12日、千葉県習志野市に生まれる。近所の自転車屋に「いい身体してるから、競輪選手になったらどうだ」と勧められたのがきっかけで試験を受け、10日練習しただけで合格。さらにその2か月後には当時の慢性的な選手不足も手伝い、競輪のことをほとんど知らないまま神戸競輪場で競輪選手としてデビューし、翌4月に10連勝を達成してA級に特進した。
松本 勝明(まつもと かつあき 1928年(昭和3年)3月5… 松本 勝明(まつもと かつあき 1928年(昭和3年)3月5日 - )は、元競輪選手。現在は日本競輪学校名誉教諭。京都府出身。
菊池 宣次(きくち せんじ、1921年〈大正10年〉2月9日… 菊池 宣次(きくち せんじ、1921年〈大正10年〉2月9日 - 2001年〈平成13年〉7月17日)は、群馬県出身の元競輪選手。 日本競輪選手養成所(旧日本競輪学校)が設立される前に選手登録された期前選手で、選手登録番号は268。 群馬県伊勢崎市南千木町出身。 1949年(昭和24年)に川崎競輪場で行われた、第2回全国争覇競輪・乙規格部門で決勝進出(9着)。 1950年(昭和25年)登録選手全国代表者会議議長、1951年(昭和26年)日本プロフェッショナルサイクリスト連合会理事長就任。 1952年(昭和27年)9月から1957年(昭和32年)3月まで、日本競輪選手会の初代理事長を務めた(なお、日本競輪選手会ホームページでは、2代目とされる横田隆雄が初代理事長とされている)。
石井 寛子 は、女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪… 石井 寛子 は、女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第104期生。日本競輪選手会東京支部所属。ホームバンクは京王閣競輪場。
石井 寛子 は、女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪… 石井 寛子 は、女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第104期生。日本競輪選手会東京支部所属。ホームバンクは京王閣競輪場。
新村 穣 は、神奈川県出身の競輪選手、自転車競技選手。
岩崎 ゆみこ は、埼玉県出身の元女子競輪選手。現姓、北野(き… 岩崎 ゆみこ は、埼玉県出身の元女子競輪選手。現姓、北野(きたの)。現役時代は日本競輪選手会茨城支部所属、ホームバンクは取手競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第116期生。師匠は戸邉裕将(72期)。夫は競輪選手の北野良栄(茨城支部所属)。
石井 貴子 は、埼玉県春日部市出身の女子競輪選手。日本競輪学… 石井 貴子 は、埼玉県春日部市出身の女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第104期生。日本競輪選手会東京支部所属。ホームバンクは京王閣競輪場。姉の寛子も同校の同期生。3姉妹の末っ子で寛子の他に一般人女性の姉もいる。師匠は朝倉佳弘(90期)。