中沢 啓吉(なかざわ けいきち、1935年(昭和10年)- … 中沢 啓吉(なかざわ けいきち、1935年(昭和10年)- )は、日本のジャーナリスト、政治活動家である。高知県南国市出身。早稲田大学文学部卒業。NHK職員、新自由クラブ遊説委員長、田川誠一衆議院議員秘書などを務めた。
職業が活動家:1,486人
中沢 啓吉(なかざわ けいきち、1935年(昭和10年)- … 中沢 啓吉(なかざわ けいきち、1935年(昭和10年)- )は、日本のジャーナリスト、政治活動家である。高知県南国市出身。早稲田大学文学部卒業。NHK職員、新自由クラブ遊説委員長、田川誠一衆議院議員秘書などを務めた。
立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月2… 立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月24日)は、日本の政治運動家、文筆家。 熊本県菊池市生まれ。1959年九州大学経済学部卒業、在学中から日本社会党青年部で活動。1960年安保闘争の最中、雑誌『社会主義』(社会主義協会)の編集者となる。 社青同(日本社会主義青年同盟)港支部(東京)を組織。浅沼社会党委員長刺殺抗議デモに参加。三池無期限全面スト支援のため各労組をオルグ。 1961年三池闘争支援のため「三池を守る会」を組織。医療労働者の人権侵害、労働条件改悪に抗議する闘争支援(十仁・愛育・船員・慶応病院など)。 1964年社青同第四回大会で書記長に選出される。1965年反戦青年委員会設立に努める。
小川 隆吉(おがわ りゅうきち、1935年 - 2022年7… 小川 隆吉(おがわ りゅうきち、1935年 - 2022年7月25日)は、北海道(アイヌモシリ)浦河町生まれのアイヌ民族運動家。アイヌ民族共有財産裁判原告団長、アイヌ民族文化伝承の会会長、北海道教育大学非常勤講師を務めた。妻はアイヌ文様刺繍家の小川早苗。 日高地方浦河町のコタンに生まれる。父は戦時下に渡日しタコ部屋の強制労働から脱走した朝鮮人李秀夫、母は浦河のコタンに住むアイヌ民族の夏子。幼い頃に父秀夫は朝鮮へ戻り、以来音信不通となる。その後9歳で母も失い、兄弟と支えあいながら青春期を送る。幼くして両親を亡くした後の生活は貧困を窮め、学校への通学も断念せねばならなかった。 職を転々とした後、25歳で定職に就くが就学機会を奪われたため、漢字もろくに読めなかったという。
横堀 正一(よこほり しょういち、1934年12月21日 -… 横堀 正一(よこほり しょういち、1934年12月21日 - 2008年1月14日)は、昭和から平成時代の労働運動家。高等学校教員。千葉県高等学校教職員組合(千葉高教組)委員長。新社会党中央本部書記長、千葉県本部常任顧問。 高知県加美郡土佐山田生まれ。1958年早稲田大学教育学部英文科卒。モーターマガジン社を経て、1960年~1966年に習志野市立習志野高等学校、1966年~1972年に千葉県立船橋高等学校に勤務。その間に千葉県高等学校教職員組合(千葉高教組)の役員となり、1974年度~1989年度に書記長、1990年度~1995年度に中央執行委員長を務めた。1996年~1999年新社会党千葉県本部書記長、1997年~1998年新社会党中央本部執行委員、1998年~2005年副書記長、2005年書記長。
高野 哲夫(たかの てつお、1934年10月1日 - 198… 高野 哲夫(たかの てつお、1934年10月1日 - 1985年3月23日)は、日本の薬学者、薬害問題の運動家。 山形県生まれ。大連、東京で育つ。東京都立小石川高等学校卒、1959年京都大学医学部薬学科卒、64年同大学院薬学研究科博士課程満期退学。1981年「戦後薬害問題の研究」で北海道大学薬学博士。関西医科大学助手、立命館大学、京都府立医科大学講師を務めた。スモン、サリドマイドなど薬害問題にとりくむが、子供の頃のカリエスが33歳で再発し、病と戦いつつ50歳で死去した。反戦平和運動にも挺身。妻は高野恵美子(1938年京都府生まれ、旧姓森本。1962年神戸薬科大学卒業。会社勤務を経て1964年国立京都病院検査技師。
五十里 武(いかり たけし、1934年(昭和9年)5月15日… 五十里 武(いかり たけし、1934年(昭和9年)5月15日 - 2004年(平成16年)10月20日)は、日本の社会運動家、政治家。初代鹿嶋市長(1995年9月1日 - 1998年4月23日)、鹿島町長(1990年4月8日 - 1995年8月30日)。 富山県出身。立命館大学法学部を卒業。 1950年代前半に日本共産党の武装闘争に参加し、山村工作隊として活動していた。 組織の活動を優先する共産党に母親の死を秘匿されたことに憤った五十里は党を離れ、茨城県で農民運動を指導していた山口武秀配下のオルグとして活動する。 1962年、山口のもとから離れ、鹿島町役場に就職。総務部長などを務める。岩上二郎茨城県知事のもとで行われた鹿島臨海工業地帯プロジェクトに携わる。
北沢 恒彦(きたざわ つねひこ、1934年4月22日 - 1… 北沢 恒彦(きたざわ つねひこ、1934年4月22日 - 1999年11月22日)は、日本の社会運動家。文筆家。元京都市役所職員。 京都市出身。黒川創は息子。北沢街子は娘。秦恒平は弟。 1952年京都府立鴨沂高等学校在学中、朝鮮戦争への反戦運動に加わり、逮捕。1960年同志社大学法学部卒業。また大学卒業後に製パン業の老舗・進々堂に勤め労働争議を経験。 その後、雑誌『思想の科学』の編集、執筆に関わる。1962年京都市役所勤務。66年京都市中小企業指導所に勤務、診断士となる。 京都ベ平連に参加し、67年まで事務局長を務める。 1984年大阪市立大学大学院経済学研究科修士課程修了。1995年京都市役所を定年退職。
黒川 紀章(くろかわ きしょう、本名読み:くろかわ のりあき… 黒川 紀章(くろかわ きしょう、本名読み:くろかわ のりあき、1934年〈昭和9年〉4月8日 - 2007年〈平成19年〉10月12日)は、日本の建築家(一級建築士)、思想家、実業家、政治活動家。株式会社黒川紀章建築都市設計事務所代表取締役社長。日本芸術院会員。1986年にフランス建築アカデミーのゴールドメダルを受賞。日本を代表する建築家の一人。 1934年(昭和9年)に愛知県海部郡蟹江町に生まれた。父親の黒川巳喜も建築家である。 1953年(昭和28年)に東海高等学校を卒業。1957年(昭和32年)に京都大学工学部建築学科卒業。在学中は西山卯三に師事。卒業制作の題目は「A Project for Shopping Center」であった。
柴田 道子(しばた みちこ、本姓・横田、1934年3月30日… 柴田 道子(しばた みちこ、本姓・横田、1934年3月30日 - 1975年8月14日)は、日本の児童文学作家、社会運動家。被差別部落問題や狭山事件の被告支援活動にも取り組んだ。 夫は弁護士で狭山弁護団の一員だった横田雄一。 東京市大森区(現・東京都大田区)生まれ。大森区立馬込第三国民学校(各地を転々と疎開)、東京都立雪谷高等学校併設中学校、同高校を卒業。高校在学中、クラスメイトと同人誌『たわごと』を創刊。在校中、自由研究の詩を同校教諭が編集する文芸誌『六華』に発表したほか、太宰治についての購読感想文で学内のコンクールに一等入選している。一方で、持病であった喘息の悪化による出席日数不足のため、1年留年している。
中本 忠子(なかもと ちかこ、1934年3月10日 - )は… 中本 忠子(なかもと ちかこ、1934年3月10日 - )は、日本の元保護司・ボランティア活動家・慈善家。食べて語ろう会理事長。居場所のない子供たちに約40年食事を振る舞う活動をしており、子ども食堂の元祖とされる。関わってきた子供たちから「ばっちゃん」と呼ばれ慕われている。 広島県の大柿町(現:江田島市)に生まれる。 1980年に保護司となる。この頃から、居住している広島市中区基町で、居場所のない子供たちに手料理を振る舞う活動を始める。保護司は2010年まで務めた。 2015年8月、「食べて語ろう会」を設立して理事長に就任。これまでの活動を「食べて語ろう会」で引き継ぐ。 2017年1月7日、NHKスペシャルにて『ばっちゃん〜子どもたちが立ち直る居場所〜』が放送される。
石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) … 石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) は日本の教育評論家、政治運動家、右翼。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
玉木 襄(たまき のぼる、1934年(昭和9年)2月22日 … 玉木 襄(たまき のぼる、1934年(昭和9年)2月22日 - )は、日本の政治活動家。山口県熊毛郡田布施町出身。早稲田大学卒業。元日本青年団協議会副会長、元新自由クラブ山口県連代表、元進歩党幹事長。 父親が特定郵便局長を務める家に生まれる。 山口県立熊毛南高等学校卒業、早稲田大学政治経済学部卒業。河野洋平前衆議院議長は大学時代の同級生で、玉木が新自由クラブに入党する最大のきっかけになる。在学中は卓球部マネジャー、日本学生卓球連盟幹事長を務めた。 農業を営みながら、熊毛郡連合青年団長、山口県連合青年団長、日本青年団協議会副会長と青年団活動一筋に上り詰めた。あすの山口を創る県民会議を結成し、山口県少年の船、山口県海外少年の船、山口県青少年1万人キャンプ大会などの青少年活動は現在も続けている。
山下 弘文(やました ひろふみ、1934年2月19日 - 2… 山下 弘文(やました ひろふみ、1934年2月19日 - 2000年7月21日)は日本の自然保護活動家。長崎県出身。高知大学文理学部卒業。 長崎県長崎市出身。佐賀県水産試験場有明海分場(現・佐賀県有明水産振興センター)、長崎水族館勤務をへて、1973年長崎県諫早地区労事務局長。1989年エコロジカルプランニング研究所代表。1997年諫早干潟緊急救済本部代表。1991年日本湿地ネットワーク (JAWAN)代表。1998年ゴールドマン環境賞を受賞。 諫早湾干拓事業に反対するなど、干潟の保護活動に努めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
本多 延嘉(ほんだ のぶよし、1934年〈昭和9年〉2月6日… 本多 延嘉(ほんだ のぶよし、1934年〈昭和9年〉2月6日 - 1975年〈昭和50年〉3月14日)は、日本の新左翼活動家。革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の最高指導者。 1934年(昭和9年)2月6日、本多延嘉は東京都神田区神田和泉町に生まれる。父は全逓労働者で、旧浅草区鳥越で育つ。柳北小学校に入学。太平洋戦争中は、一家で埼玉県北足立郡足立町(現志木市)に疎開。同地で宗岡小学校を卒業。 1946年(昭和21年)4月、 旧制埼玉県立川越中学校(現・埼玉県立川越高等学校)入学。中学生で日本共産党の青年組織・青年共産同盟(のちの日本民主青年同盟)に加盟。川越高等学校で共産党に入党する。 1953年(昭和28年)4月、は早稲田大学第二法学部に入学する。
芦田 甚之助(あしだ じんのすけ、1934年1月13日 - … 芦田 甚之助(あしだ じんのすけ、1934年1月13日 - 2011年11月10日)は、日本の労働運動家。日本労働組合総連合会(連合)2代目会長。後に連合顧問、日弁連法務研究財団理事を務めた。勲位・勲等は従三位旭日大綬章。 新潟県出身。1956年3月、早稲田大学教育学部社会学科を卒業後、ゼンセン同盟に入局。入局後は各県支部長、同局書記長などを歴任し、1988年に同会長、友愛会議議長に就任。 1994年10月に、山岸章の後を受けて第2代連合会長に就任し、1997年10月に至るまで同職を務めた。他に政府の対外経済協力審議会委員、行政改革会議委員、法制審議会委員を歴任。 2005年11月に旭日大綬章を授与される。
大田 英雄(おおた ひでお、1934年(昭和9年)- 200… 大田 英雄(おおた ひでお、1934年(昭和9年)- 2005年(平成17年))は、日本の教師、平和運動家。神奈川県横須賀市生まれ。 沖縄戦で海軍陸戦隊を指揮した大田実海軍中将の長男として生まれる。11歳の時、広島県呉市で終戦を迎える。 軍国少年として育ち、父の影響から防衛大学校進学をめざした。ところが1952年に父の遺骨と対面した際、ピストルの穴の空いた頭蓋骨を見て軍人にむなしさを感じ、教師を志すようになる。 広島大学教育学部高校教育社会学科へ進学し、卒業後は社会科教師として広島県内各地の高校に赴任。反戦活動にも熱心に取り組み、原水爆禁止呉協議会事務局長、高教組呉地区支部平和教育推進部長、呉地区高校生「平和の集い」顧問、歴史教育者協議会会員などとして平和教育にたずさわる。
高橋 喜久江(たかはし きくえ、1933年3月6日 - 20… 高橋 喜久江(たかはし きくえ、1933年3月6日 - 2020年12月26日)は、日本の社会活動家、フェミニスト、評論家である。日本キリスト教婦人矯風会の職員、元会頭。無教会新宿集会に所属したキリスト教徒。 1933年東京生まれ。お茶の水女子大学文教育学部を卒業後は私立高校の非常勤講師をしつつ、同大学の専攻科で学んだ。1957年4月に日本キリスト教婦人矯風会に就職。私生活では結婚し、2人の子どもがいる。 矯風会の先輩にあたる福田勝、久布白落実らと共に売春防止法に売る側のみを罰する「方向罰」ではなく、買う側も罰されるようにする為の法改正を行う運動を行った。1972年に「沖縄の売春ととりくむ会」を発足させ、翌1973年には「売春対策国民協議会」(1986年に「売買春問題ととりくむ会」に改称)を発足させ、2014年まで同会の事務局長を務めた。
水戸 巌(みと いわお、1933年3月2日 - 1986年1… 水戸 巌(みと いわお、1933年3月2日 - 1986年12月30日?)は、日本の物理学者・反原発活動家・市民活動家。専門は放射線物理学。理学博士。最終職歴は芝浦工業大学電気工学科教授。神奈川県横浜市出身。 1933年(昭和8年)3月2日、神奈川県横浜市鶴見に生まれる。 第二次世界大戦中、福島県に疎開し、同地の中学校を終戦後に卒業。栃木県立宇都宮高等学校卒業後、東京大学理学部Ⅰ類に進学、在学中に理学部自治会委員長を務める。1960年(昭和35年)3月、同大学大学院博士課程を修了、博士号を取得。 その後甲南大学教員となり6年間勤務する。 1967年(昭和42年)、東京大学原子核研究所助教授となる。
オノ・ヨーコ(小野 洋子、1933年〈昭和8年〉2月18日 … オノ・ヨーコ(小野 洋子、1933年〈昭和8年〉2月18日 - )は、日本の前衛芸術家、音楽家、平和運動活動家。1969年にビートルズのメンバーだったジョン・レノンと結婚。共に平和活動、音楽、創作活動を行ったことでも知られている。ニュースクール大学でジョン・ケージが開いた作曲講座の出席者らと1960年代の前衛運動を主導し、「フルクサス」の関係者でもあった。 1933年(昭和8年)2月18日、小野英輔・磯子の長女として東京で出生した。兄弟姉妹は、洋子(ヨーコ)・啓輔・節子の3人であった。 父・英輔は、日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎の三男であり、ピアニストから銀行員に転じ、ヨーコが生まれたときは横浜正金銀行サンフランシスコ支店に勤務していた。
彦坂 諦(ひこさか たい、1933年2月15日 - )は、日… 彦坂 諦(ひこさか たい、1933年2月15日 - )は、日本の社会評論家、翻訳家、社会運動家。 宮城県仙台市生まれ。1945年旅順工科大学勤務の父について渡り、3か月後敗戦。1949年帰国。1957年東北大学文学部国史学科卒業、1967年早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専攻博士課程満期退学。 木材検収員、通訳、非常勤講師(芝浦工業大学)などをしつつ戦争論や社会評論活動を行う。九条の会会員。 父は物理学者で新潟大学名誉教授の彦坂忠義。弟は物理学者で広島大学名誉教授の彦坂正道。母方の祖父は西洋史学者の阿刀田令造。妻は作家・フランス文学者の白井愛。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
田久保 忠衛(たくぼ ただえ、1933年(昭和8年)2月4日… 田久保 忠衛(たくぼ ただえ、1933年(昭和8年)2月4日 - 2024年(令和6年)1月9日)は、日本の外交評論家、政治学者、政治活動家。杏林大学客員教授。専門は国際政治学、アメリカ外交。博士(法学)。 日本会議第4代会長(在任時に死去)、美しい日本の憲法をつくる国民の会共同代表、国家基本問題研究所副理事長、明治の日推進協議会会長、富士社会教育センター理事、新しい歴史教科書をつくる会理事などを務めた。 千葉県生まれ、東京都立九段高等学校(現・千代田区立九段中等教育学校)卒業。1956年、早稲田大学法学部卒業。 1956年、時事通信社入社。1956年から1962年まで地方部記者(自治庁、大蔵省、農林省担当)。
生田 浩二(いくた こうじ、1933年〈昭和8年〉2月3日 … 生田 浩二(いくた こうじ、1933年〈昭和8年〉2月3日 - 1966年〈昭和41年〉3月23日)は、日本の社会主義運動家。共産主義者同盟(共産同・ブント)創立者。 静岡県静岡市出身。静岡城内高校2年の時、共産党に入党。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。同年東京大学入学。教養学部細胞のリーダーとして活動。共産党が武装闘争路線を転換した1955年(昭和30年)の六全協の後、大学に戻り、授業料値上げ反対闘争を指導。1956年(昭和31年)、経済学部に進み、自治会中央委員会議長として砂川基地反対闘争などを指導。1958年(昭和33年)、東大細胞機関誌「マルクス・レーニン主義」を創刊、党中央と理論的に対立し、島成郎らとブントを組織、1959年(昭和34年)8月事務局長。
松田 政男(まつだ まさお、1933年1月14日 - 202… 松田 政男(まつだ まさお、1933年1月14日 - 2020年3月17日)は、日本の政治運動家、映画評論家。 台北生まれ。東京都立北園高等学校在学中の1950年に日本共産党に入党し、軍事方針をとる所感派に属しながら、武装組織である山村工作隊等で活動し、同校卒業後、職業革命家となるも、1954年の第二次総点検運動により党活動停止処分を受ける。 その後、共産党神山派で活動するが、ハンガリー動乱を巡る神山派分裂後は、トロツキズムからアナキズムに接近。60年安保の後は未來社で編集者として勤めつつ、チェ・ゲバラやフランツ・ファノンの第三世界革命論を導入しながら、直接行動の原理を模索した。 1962年に、山口健二、川仁宏らと自立学校を企画し、谷川雁、吉本隆明、埴谷雄高、黒田寛一、栗田勇、森秀人らを講師とした。
齋藤 鶴吉(さいとうつるきち、1933年1月[要出典] - … 齋藤 鶴吉(さいとうつるきち、1933年1月[要出典] - )は日本のチェロ奏者(チェリスト)、音楽家、音楽活動家。NHK交響楽団団友、横浜室内楽協会代表、一般社団法人横浜音楽文化協会特別顧問。妻は横浜市助役を務めた齋藤龍。 東京に三兄弟の末子として生まれる。長野県大町高等学校を卒業。[要出典] 9歳年長の次兄で作曲家の筆名斎藤高順(本名齋藤孝順)の影響でチェロを始め、堀内静雄、広田幸夫、吉田貴壽、小沢弘に師事。[要出典] 1957年に東京芸術大学音楽学部器楽科を卒業。海野義雄らと、アカデミー弦楽四重奏団を結成。絶大な人気を博し全国で華々しい演奏活動を行う。[要出典] 1958年、東京芸術大学音楽学部音楽専攻科修了。
柳澤 愼一(やなぎさわ しんいち、1932年〈昭和7年〉12… 柳澤 愼一(やなぎさわ しんいち、1932年〈昭和7年〉12月19日 - 2022年〈令和4年〉3月24日)は、東京府東京市(現:東京都)出身のジャズ歌手、俳優、声優、福祉活動家、ボードビリアン、作詞家である。エム・スリー所属。NPO法人日本アビリティーズ協会会長顧問。有料老人ホーム気まま館東大和名誉館長。 旧芸名は柳沢 真一、柳澤 真一。 江上トミから「在野の料理名人」と呼ばれた柳澤愛子の息子。戦時中、東京で空襲に遭って祖父母の住む新潟県長岡市に疎開するが、長岡でも空襲に遭って東京に戻る。東京都立豊多摩高等学校在学中、日本共産党の下部組織に参加するも、男女交際の乱れを嫌い、青山学院高等部に転校。
黄 昭堂(こう しょうどう、1932年9月21日 - 201… 黄 昭堂(こう しょうどう、1932年9月21日 - 2011年11月17日)は、台湾の政治活動家。台湾独立建國聯盟主席、昭和大学名誉教授。 日本統治時代の台湾台南州(後の台南県、現在の台南市)生まれ。 台湾大学法学部卒業後、1958年に東京大学大学院へ留学し社会学博士を取得。聖心女子大学、東京大学講師を経て、1976年から昭和大学の政治学教授となり、1998年まで務めた。 1992年、34年ぶりに台湾へ戻り、1995年には台湾独立建国連盟主席に就任した。 2011年11月17日、動脈剥離のため台北市内の病院で死去。79歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上原 康助(うえはら こうすけ、1932年〈昭和7年〉9月1… 上原 康助(うえはら こうすけ、1932年〈昭和7年〉9月19日 - 2017年〈平成29年〉8月6日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は従三位、勲等は勲一等。 衆議院議員(10期)、北海道開発庁長官(第59代)、沖縄開発庁長官(第28代)、国土庁長官(第24代)を歴任。 沖縄県国頭郡本部町字伊豆味に、農業・上原幸福の二男として生まれる。1951年沖縄県立北山高等学校を卒業後、米軍沖縄地区工作隊に就職する。当時の米軍基地では、USCARの布令116号でストライキに参加することは違法で解雇とされ、琉球住民への賃金差別をはじめとする差別待遇が横行していた。やがてある日一方的に解雇通告を受けたことを契機に労働問題への関心を強め、1960年上原が中心となって「軍労働問題研究会」を立ち上げ、翌1961年には全沖縄軍労働組合連合会を結成、委員長となる。
佐藤 重臣(さとう しげちか、1932年9月2日 - 198… 佐藤 重臣(さとう しげちか、1932年9月2日 - 1988年2月27日)は、日本の映画雑誌編集者、映画評論家、映画コレクター、映画上映活動家である。「アングラのジューシン」と呼ばれた。
小森 龍邦(こもり たつくに、1932年7月30日 - 20… 小森 龍邦(こもり たつくに、1932年7月30日 - 2021年2月26日)は、日本の部落解放運動家、政治家。部落解放同盟広島県連合会委員長、同中央本部書記長、広島県府中市議会議員(3期)、衆議院議員(2期)、新社会党中央執行委員長などを歴任し、解放同盟広島県連顧問を務めた。 広島県府中市出身。1951年、広島県立府中高等学校卒。1961年、広島県青年連合会会長となる。 1962年、日本社会党に入党。部落解放同盟の専従活動家として頭角を現し、1960年代後半に表面化した解放同盟分裂に際しては、日本共産党主導の広島県連に対抗して中央本部につながる広島県連再建に尽力し、県連委員長に就任、福山市、三原市など県東部を中心に組織拡大に成功、広島市内の組織をほぼ維持するにとどまった従前県連を圧倒した。
東郷 健(とうごう けん、1932年〈昭和7年〉6月10日 … 東郷 健(とうごう けん、1932年〈昭和7年〉6月10日 - 2012年〈平成24年〉4月1日)は、日本の社会運動家・政治活動家。雑民の会・雑民党代表。本名同じであるが、読みは「とうごう たけし」。 兵庫県加古川市生まれ。「伝説のおかま」と紹介されることがある。同性愛者ではあるものの、自らの結婚歴や子供の存在を否定していない(下に詳述)。 祖父の名倉次は衆議院議員(立憲改進党)、父の東郷伍郎は兵庫県議会議員であったが、健は地元と絶縁状態だったため、いわゆる世襲候補扱いはされていない。 後妻の子。異母兄は「継母いじめ」を行い、父の死後は家長として健の母を召使いのようにこき使ったという。実母の没後、異母兄は健の行状を理由に、健の遺産相続権を奪う訴訟を起こし、異母兄側が勝訴した。
小田 実(おだ まこと、1932年〈昭和7年〉6月2日 - … 小田 実(おだ まこと、1932年〈昭和7年〉6月2日 - 2007年〈平成19年〉7月30日)は、日本の作家・政治運動家。体験記『何でも見てやろう』で一躍有名になった。日本に多い私小説を批判し、全体小説を目指した。ベトナムに平和を!市民連合の設立者の一人、九条の会の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵。 大阪府大阪市出身。旧制天王寺中学(のち大阪府立天王寺高等学校)に入学するが、学制改革により新制大阪府立夕陽丘高等学校に進学し、東京大学文学部言語学科を卒業する。大学卒業後は代々木ゼミナールで英語科講師。 1958年(昭和33年)、米フルブライト基金により渡米。その後、一枚の帰国用航空券と持参金200ドルで世界一周旅行に出かけ、一泊1ドルのユースホステルなどに宿泊しながら、世界のあらゆる人たちと語りあった。
清原 淳平(きよはら じゅんぺい、1932年3月23日 - … 清原 淳平(きよはら じゅんぺい、1932年3月23日 - )は、東京都出身の社会活動家。本名は北村雅夫(きたむら まさお)。公益財団法人協和協会代表理事兼専務理事、時代を刷新する会専務理事、新しい憲法をつくる国民会議 会長。 1956年、早稲田大学社会科学課程卒業。1958年3月、同大学大学院商学研究科世界経済課程を修了して商学修士。引き続いてその博士課程に進学。西武グループの創業者堤康次郎邸に付属する会長秘書室に勤務した。 堤の秘書を務めていた時期に、吉田茂と岸信介に接する機会を得る。堤は吉田と岸を尊敬していて、月に1回程度、箱根の湯の花プリンスホテルで懇談会を催した。清原は、特に堤から指名され、これにほとんど同行した。
山中 郁子(やまなか いくこ、1932年3月15日 - 20… 山中 郁子(やまなか いくこ、1932年3月15日 - 2022年2月26日 )は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(日本共産党公認・3期)。日本共産党中央委員会名誉幹部会委員。 秋元有子(あきもと ゆうこ)のペンネームで創作活動も行っていた。夫は国文学研究資料館名誉教授の山中光一(1926-2021)。 東京都練馬区出身。東京都立豊島高等学校を経て、早稲田大学第二文学部卒業。1952年、日本電信電話公社(現・NTT)へ入社し、電話交換手として勤務。同年に日本共産党へ入党し、のち全国電気通信労働組合(全電通)中央委員および東京市外電話支部書記長などを務める。また、1970年に電電公社を退社した後は党中央委員会の労組部へ入り、後進の育成に当たる。
矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 202… 矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 2021年12月5日)は、日本の政治家・弁護士・平和運動家・作家。参議院議員(4期)、初代新社会党委員長。矢田部理法律事務所代表。茨城県大子町出身。 茨城県大子町出身。茨城県立太田第一高等学校から中央大学法学部に進学。在学中から左翼思想に傾倒し、活動にいそしむ。苦学の末、司法試験に合格する。司法修習所での研修を経て、弁護士開業。 1974年、第10回参議院議員通常選挙の茨城県選挙区に日本社会党から立候補し、当選。以後、改選数2で、「自民党と社会党の指定席」と言われた同選挙区で4回の当選を果たす。その間、党内では茨城県本部委員長となり、左派系の論客として知られ、参議院では予算委員会等での自民党政権追及に活躍、「参院の爆弾男」と呼ばれた。
高見圭司(たかみけいし、1932年1月23日 - )は、日本… 高見圭司(たかみけいし、1932年1月23日 - )は、日本の新左翼活動家。元日本社会党青年対策部長、日本社会主義青年同盟解放派幹部である。革労協が分裂した際には解放派全協(労対派)へ参加した。スペース21の中心的存在である。 現在はスペース21を主宰し、連帯社(解放派全協)に関わっている。新運転に所属する「現役」の労働者(実際に仕事をしているわけではない)である。新運転では反主流派としてグループを形成し活動しており、執行部と組合運営を巡り対立、排斥され訴訟を行ったりした。 三里塚闘争(成田空港問題)の活動にも参加している。2017年現在も三里塚芝山連合空港反対同盟(旧熱田派)の活動に「スペース21」所属として参加している。
品田 穰(しなだ ゆたか、1932年〈昭和7年〉1月22日 … 品田 穰(しなだ ゆたか、1932年〈昭和7年〉1月22日 - )は日本の文化生態学・都市生態学者、ナチュラリスト、自然保護活動家。 東京府下豊多摩郡野方町大字上鷺宮生まれ。都市近郊の農村地帯、麦畑、屋敷森、雑木林の中で育つ。太平洋戦争中は富士南麓に疎開、戦後は練馬区で生活。 1957年、東京教育大学(筑波大学の前身)理学部在学中、自然教育・自然保護を目的に「野外研」を立ち上げる。当時自然保護団体としては三浦半島自然保護の会についで2例目であった。 1960年、卒業後北海道開発庁農業水産部で開拓地の水源・ため池調査に従事。以降、文部省大学学術局、国立自然教育園、国立科学博物館を経て文化財保護委員会(行政委員会)・文化庁で天然記念物の指定・保護を担当。
星野 昌子(ほしの まさこ、1932年1月8日 - 2022… 星野 昌子(ほしの まさこ、1932年1月8日 - 2022年12月2日)は、日本のNGO活動家。特定非営利活動法人日本国際ボランティアセンター特別顧問。元敬愛大学教授。 東京都生まれ。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。 1965年、青年海外協力隊初代隊員としてラオスの首都で日本語教育に従事。1968年、在ラオス大使館大使秘書。1971年、ベトナム戦争の激化でラオスを離れ、タイ王国に移住、引き続き途上国支援に携わる。1980年、日本国際ボランティアセンター(JVC)をバンコクに設立。事務局長、東京本部事務局長、特別顧問を歴任。 1991年、神奈川県立かながわ女性センター館長。その後、日本NPOセンター代表理事、敬愛大学国際学部教授、2008年G8サミット・NGOフォーラム代表などを歴任。
椿原 泰夫(つばきはら やすお、1932年(昭和7年) - … 椿原 泰夫(つばきはら やすお、1932年(昭和7年) - 2016年(平成28年)10月8日)は、日本の教育者、政治運動家。 福井県出身。「保守の立場に立った政治勢力の結集を見据え、機動的な国民運動を展開する」ための国民運動体「頑張れ日本!全国行動委員会」の京都本部代表、福井県支部相談役のほか、京都讀書會主宰機関紙『無窮』の編集・発行を務めた。菅野完によれば関西の保守活動界隈では知らぬ者はいなかったという。 衆議院議員の稲田朋美の実父で、森友学園問題についての国会審議のなかでは同学園の籠池理事長との交友関係について問われた稲田が関係を認める一幕もあった。
石谷 行(いしたに すすむ、1931年(昭和6年)11月30… 石谷 行(いしたに すすむ、1931年(昭和6年)11月30日 - 2002年6月20日)は日本の教育学者、平和運動家。良心的軍事費拒否の会代表。 東京生まれ。13歳のときに長崎で被爆する。水戸第一高校在学中、米国クエーカー教徒で数学教師ニール・ハートマンの戦争拒否体験談を聴いて、クエーカー主義のキリスト教に入信、日本キリスト友会に加入する。茨城大学教育学部を卒業し、国際基督教大学大学院修士課程修了。明星大学講師の頃に、非暴力行動準備会に入り、ミニコミ誌『非暴力』を発行する。また、明星大学の学生闘争を支持して非常勤講師を解雇される。その後、「ジャテックの脱走兵支援活動」にも参加し、1969年(昭和44年)に法政大学助教授、のち教授。
上西 和郎(かみにし かずろう、1931年11月23日 - … 上西 和郎(かみにし かずろう、1931年11月23日 - 2001年12月11日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(1期、日本社会党)。社会保障問題について造詣が深く、その市民密着型の政治スタイルが、石橋政嗣の「ニュー社会党」路線において、一つの取るべき方向性を示すモデルケースとして注目を集めた。 北海道釧路市に生まれる。1950年鹿児島県立鹿屋高等学校を卒業、九州配電(九州電力の前身)に入社する。直ちに労働運動に入り、少数派組合の総評系「全九電」で活動する。1969年から2年間本部書記長を務める。 1973年より、旧鹿児島3区にて衆院選に立候補を続ける。二階堂進、山中貞則、橋口隆(いずれも自由民主党)の強豪に当選を阻まれてきたがこの間、有権者の年金、福祉や生活問題の相談、解決に熱心に取り組み、少しずつ支持層を開拓していった。
庄 幸司郎(しょう こうしろう、1931年10月6日 - 2… 庄 幸司郎(しょう こうしろう、1931年10月6日 - 2000年2月18日)は、昭和後期、平成時代の市民運動家、ジャーナリスト、実業家。 1931年(昭和6年)10月6日、中国大連生まれ。東京都立一橋高等学校卒。1963年(昭和38年)、庄建設株式会社を設立、代表取締役。のち映画制作会社青林舎、シグロ、および出版の記録社、影書房の代表取締役も兼務。戦争末期の大陸での体験から一貫して反権力・反戦の姿勢をつらぬき、市民運動に力をそそぐ。ミニコミ誌「告知板」、雑誌「辺境」などを刊行し、記録映画「よみがえれカレーズ」などを製作した。2000年(平成12年)2月18日死去。68歳。
西山 太吉(にしやま たきち、1931年〈昭和6年〉9月10… 西山 太吉(にしやま たきち、1931年〈昭和6年〉9月10日 - 2023年〈令和5年〉2月24日)は、日本のジャーナリスト、政治活動家。西山事件で知られる。 山口県下関市出身。生家の西山青果はバナナなどの輸入を手掛ける地元の有力企業であり、読売新聞政治部記者として接点のあった渡邉恒雄によれば「ちょっとした地方財閥」というほどの資産家の子息であった。山口県立下関西高等学校、慶應義塾大学法学部を経て、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程を修了後、毎日新聞社に入社。政治部記者に配属。 1971年、沖縄返還時の日米間の密約について、既婚者である外務省女性事務官と男女関係をもった上で情報を入手し、その情報を国会議員の横路孝弘と楢崎弥之助に提供。
川本 輝夫(かわもと てるお、1931年8月1日 - 199… 川本 輝夫(かわもと てるお、1931年8月1日 - 1999年2月18日)は、日本の市民活動家、政治家。水俣病の患者の運動体『チッソ水俣病患者連盟』の委員長、水俣市議会議員(3期)を務めた。 熊本県葦北郡水俣町(現・水俣市)出身。父・川本嘉藤太は、水俣市に工場がある新日本窒素肥料株式会社(1965年に「チッソ」と改名)に勤めていた。 川本は、家庭の事情により熊本県立水俣高等学校を2年で中退した。漁業作業員、建設作業員、チッソ臨時工員などの職業を経験した後に病院勤務する。寝たきりの父を介護しつつ、准看護士資格を取得した。 1955年、水俣病を発症。1961年より父が発病して寝たきりとなり、1965年4月に急性劇症でもだえ死ぬのを看取った。
岩名 泰得(いわな やすのり、1931年3月21日 - )は… 岩名 泰得(いわな やすのり、1931年3月21日 - )は、日本のジャーナリスト、政治運動家。 東京府北豊島郡石神井村(現・東京都練馬区下石神井)生まれ。早稲田大学に進み、在学中の1953年1月15日、日本共産党に入党。党本部勤務員、東京・中央区委員会副委員長、東京・中部地区委員会常任委員を務めたのち、赤旗編集局に入局。校正部記者、整理部記者、外信部ハノイ特派員、外信部副部長、ブカレスト特派員などを歴任した。1984年7月15日、離党届を提出したが、1985年1月25日、除籍された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤田 秀雄(ふじた ひでお、1931年3月13日 - )は、… 藤田 秀雄(ふじた ひでお、1931年3月13日 - )は、日本の教育社会学者、平和運動家、立正大学名誉教授。 東京生まれ。1953年東京大学教育学部卒、58年同大学院人文科学研究科教育行政学博士課程中退。大学院在学中、群馬県島村に住み、アクション・リサーチとしてサークル活動をおこなう。1958年東大・スタンフォード大学共同研究助手。1959年立正大学文学部専任講師、助教授、教授。2001年定年退職、名誉教授。平和のための各種運動に参加。
栗林 卓司(くりばやし たくじ、1931年〈昭和6年〉3月8… 栗林 卓司(くりばやし たくじ、1931年〈昭和6年〉3月8日 - 1997年〈平成9年〉9月21日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(3期、民社党)。 本籍宮城県仙台市。千葉県、現在の市川市で元陸軍主計大佐の長男として生まれる。東京府立第六中学校から疎開のため栃木県立宇都宮中学校に転校。学徒勤労動員により戦闘機の生産に従事した。戦後に仙台に移り、宮城県仙台第二中学校を経て、1954年(昭和29年)東北大学法学部を卒業した。 1954年日産自動車に入り吉原工場に配属された。日産自動車労働組合(日産労組)に入り吉原支部青年部の結成に尽力。1964年(昭和39年)日産労組情宣部長、1965年(昭和40年)同副組合長になる。
島 成郎(しま しげお、1931年3月3日 - 2000年1… 島 成郎(しま しげお、1931年3月3日 - 2000年10月17日)は、日本の学生運動家、精神科医。1960年の安保闘争当時の全学連書記長。 東京都生まれ。1950年、東京大学教養学部入学と同時に日本共産党に入党。共産党の50年分裂で除名処分をうける。レッドパージ反対闘争に参画し、自治会副委員長として運動する。1951年、共産党に復党。1954年、東京大学医学部に進学。 1955年、全学連再建に精力的に活動し砂川基地反対闘争、原水爆禁止反対闘争に参画。1957年、共産党の東京都党委員に当選。第7回大会の代議員になるが生田浩二、佐伯秀光と共に党内フラクションを結成し「プロレタリア通信」を発信する。
児玉暁洋(こだま ぎょうよう、1931年 - 2018年)は… 児玉暁洋(こだま ぎょうよう、1931年 - 2018年)は、日本の仏教学者、浄土真宗僧侶、社会運動家。 岐阜県生まれ。1948年石川県、明達寺(暁烏敏)に入門。1958年金沢大学法文学部哲学科卒。1960年大谷大学大学院文学研究科真宗学科修士課程修了。1961年から1987年まで大谷専修学院に勤める。1985年から真宗大谷派教学研究所所員。1990-1995年同所長。満天星舎(どうだんしゃ)舎主。「宗教者九条の和」呼びかけ人。2018年5月逝去。
宇野 三郎(うの さぶろう、1931年 - 2008年)は、… 宇野 三郎(うの さぶろう、1931年 - 2008年)は、日本の政治運動家。日本共産党中央委員会付属社会科学研究所長、常任幹部会委員。本名は雲英晃顕(きら こうけん)。 愛知県幡豆郡一色町(現 愛知県西尾市)にある安休寺の僧侶の家に生まれた。愛知県で日本共産党専従職員、東京学芸大学を経て、1958年東京大学入学。党東大教養学部学生細胞長。 宮本顕治参議院議員秘書、中央委員、1981年6月幹部会委員、1982年7月常任幹部会委員、文化・知識人局長、書記局次長、1985年11月-1994年7月中央委員会付属社会科学研究所長などを歴任し、のち党中央名誉役員。
岡久雄(おか ひさお、1931年(昭和6年) - )は、兵庫… 岡久雄(おか ひさお、1931年(昭和6年) - )は、兵庫県芦屋市在住の日本の金融問題専門の著述家・市民運動家。 山口県生まれ。早稲田大学商学部卒。26歳のときニット製品製造販売業「株式会社糸美屋」を設立。大手に顧客を多数持つ優良企業であったが、1989年(平成元年)に押しよせてくる繊維不況を見越して黒字のまま廃業(廃業するには、資産を元手に手形が実際に現金化されるまでの数カ月の期間、会社が営業を続けていくための運転資金(現金)が必要である)するはずであったが、北陸銀行大阪支店に突然融資を拒否されたため窮地に陥ったという(幸い旧知の仲である商社に助けてもらい難を逃れたという)。 青木雄二も「こんなことは漫画家であっても想像できない」と北陸銀行と大蔵省を非難していた。