伊藤 隆(いとう たかし、1970年9月22日 - )は、日… 伊藤 隆(いとう たかし、1970年9月22日 - )は、日本の男性元キックボクサー、実業家。RISEクリエーション代表取締役、キックボクシングジム「TARGET」会長および代表取締役。元WMAF世界スーパーウェルター級王者。埼玉県入間市出身。兄はデビット伊東。 山木ジムに所属。1996年、緒形健一と対戦し敗北。10戦目に元ルンピニー・スタジアム認定ウェルター級王者・マーパロンの足をローキックでスネから粉砕骨折させ勝利。1997年にムラッド・サリ、1998年にジョン・ウェイン・パーに勝利。 1998年5月22日、チャンピオン・カーニバルのメインイベント「WMAF世界ジュニアミドル級王座決定戦」でルーク・ケントン(オーストラリア/同級2位)と対戦。
佐々木 忠広(ささき ただひろ、男性、1970年6月22日 … 佐々木 忠広(ささき ただひろ、男性、1970年6月22日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手。新潟県新潟市出身。1992年バルセロナオリンピックライトフライ級日本代表。身長163cm。巻農業高等学校(現・巻総合高等学校)、東京農業大学卒業。現 巻中央自動車学校 教官 高校時代の1988年、インターハイモスキート級、京都国体少年の部ライトフライ級で、いずれも優勝を収めた。 大学4年在学中の1992年、バルセロナオリンピックにライトフライ級の日本代表として出場し、7月26日の1回戦に5-3のポイント勝ちを収めたが、8月1日に行われた2回戦では7-10のポイント負けとなった。 「アマチュア・レコード」『日本ボクシング年鑑2005』 ボクシング・マガジン編集部編、日本ボクシングコミッション/日本プロボクシング協会協力、ベースボール・マガジン社、2005年4月30日 ISBN 4-583-03849-6
河合 晴彦(かわい はるひこ、1970年6月11日 - )は… 河合 晴彦(かわい はるひこ、1970年6月11日 - )は、日本の元プロボクサー。大阪府泉大津市出身。 ボクシング・マガジン1993年10月号
辰吉 丈一郎(たつよし じょういちろう、1970年5月15日… 辰吉 丈一郎(たつよし じょういちろう、1970年5月15日 - )は、日本のプロボクサー。岡山県倉敷市出身。大阪帝拳ジム所属。元WBC世界バンタム級王者。 入場曲は『死亡遊戯』メインテーマ。マネジメントは株式会社トリックスター所属。 1987年、17歳で全日本社会人選手権バンタム級優勝。アマチュア通算成績は19戦18勝 (18KO・RSC) 1敗。3ラウンドしかなく、ヘッドギアを着けて試合をするアマチュアの試合はほとんどが判定で勝敗が決まるが、全ての勝ち星をKO・RSC(レフリーストップコンテスト、プロでいうTKO)で記録している。 1989年9月29日、プロデビュー(6回戦)。韓国の国内ランカー崔相勉を2回KOに降す。
山口 元気(やまぐち げんき、1970年4月25日 - )は… 山口 元気(やまぐち げんき、1970年4月25日 - )は、日本の元キックボクサー、実業家。2003年にRISEの創設に携わり、2010年までアマチュア大会「KAMINARIMON」の責任者を務めた。2010年のREBELS創設を経て、2021年よりKNOCK OUTの代表を務める。現役時代はマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟でフライ級およびフェザー級の王座を獲得した。通称「黄金の左ミドル」。 神奈川県出身。学習院初等科・学習院中等科を卒業し、学習院高等科1年でシーザージムに入門。高校卒業後は山木ジムに入門。学習院大学中退及び立教大学卒業。 1995年6月2日、MA日本キックボクシング連盟フライ級王座を獲得。
川島 郭志(かわしま ひろし、1970年3月27日 - )は… 川島 郭志(かわしま ひろし、1970年3月27日 - )は、日本の元プロボクサー、現在はプロモーター。徳島県海部郡海部町(現・海陽町)出身。元WBC世界スーパーフライ級王者。 現在は東京都大田区北千束で川島ボクシングジムを開設し、後進の育成に力を注いでいる。 デビュー当時、鬼塚勝也・ピューマ渡久地らと共に、平成三羽烏と呼ばれ注目されたが、新人時代に挫折したことで、他の二人に大きく遅れをとった。 プロデビュー当初は米倉健司会長の方針により、プロ向きのインファイトに近いスタイルであったが(特にジムの先輩でもある大橋秀行にファイトスタイルは酷似していた)徐々にアウトボクサーとしてのスタイルを確立していった。
神風 杏子(かみかぜ きょうこ、1970年3月19日 - )… 神風 杏子(かみかぜ きょうこ、1970年3月19日 - )は、日本の元女子キックボクサー。東京都墨田区出身。元UKF女子世界王者、WKBA北アメリカ王者、第3代シュートボクシングクイーン王者。日本における女子キックボクシングのパイオニア。 白龍ジムでキックボクシングを始め、シュートボクシングでデビュー。第3代SBクイーン王座を獲得。全日本女子プロレスの興行で1992年には大田区体育館でバット吉永、1994年には日本武道館で前川久美子と異種格闘技戦も行った。 マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟で活躍し、1995年6月にロサンゼルスにてWKBA女子北アメリカ王座を獲得。翌年の1996年9月には、UKF世界女子ジュニアフェザー級(スーパーバンタム級)王座を獲得。
鬼塚 勝也(おにづか かつや、1970年3月12日 - )は… 鬼塚 勝也(おにづか かつや、1970年3月12日 - )は、日本の元プロボクサー。現在は画家として活躍中。福岡県北九州市出身。元WBA世界スーパーフライ級王者。愛称は「SPANKY(スパンキー)K」。 中学生の時からボクシングジムに通い始め高校で豊国学園ボクシング部に入部。2年生時にインターハイ・ライトフライ級で優勝。春休み時に単身上京。自らの足で東京都内のボクシングジムを回る。この時ヨネクラボクシングジムでスパーリングしてもらった相手が後の日本タイトルマッチに挑戦した中島俊一である。協栄ボクシングジムではスパーリングの相手をしたプロ選手を倒したのを見てトレーナーの古口哲がジムにスカウトする。
本 博国(もと ひろくに、男性、1970年3月9日 - )は… 本 博国(もと ひろくに、男性、1970年3月9日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手・ボクシング指導者。鹿児島県出身。アトランタオリンピックミドル級日本代表。右ボクサータイプ。身長178cm。鹿児島県立鹿児島工業高等学校卒業。自衛隊体育学校所属の海上自衛官(2021年5月現在の階級は1等海尉)。 高校卒業後、自衛隊体育学校に所属。1990年には国体成年の部・全日本社会人選手権 のいずれもライトミドル級で優勝を収めた。 1991年、全日本選手権・全日本社会人選手権のいずれもライトミドル級で優勝を収めた。1992年と1993年には全日本選手権・全日本社会人選手権のいずれもミドル級に2年連続で優勝を収め、全日本社会人選手権はライトミドル級からの通算4連覇を達成した。
ピューマ渡久地(ピューマ とぐち、1969年11月20日 -… ピューマ渡久地(ピューマ とぐち、1969年11月20日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は渡久地 隆人(とぐち たかと)。沖縄県石川市(現・うるま市)出身。身長161cm。血液型A型。興南高等学校卒業、日本大学農獣医学部中退。ボクシングスタイルは、右のファイター型。元日本フライ級王者。 鬼塚勝也、辰吉丈一郎と共に平成の三羽烏と称され、1990年代初期の日本プロボクシング界で活躍した。 高校入学と同時にボクシングを始め、金城真吉監督の指導の下才能を開花させていく。渡久地は監督にとって最も手を焼いたヤンチャな部員であった。1987年インターハイフライ級準優勝、海邦国体で沖縄県チームとして優勝。
葛西 裕一(かさい ゆういち、1969年11月17日 - )… 葛西 裕一(かさい ゆういち、1969年11月17日 - )は、日本の元プロボクサー。神奈川県横浜市出身。元OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者。 ブルース・リーにはまり格闘技好きに。中学時代に親友と世界チャンピオンの影響でボクシングを始める。 1987年、横浜高校2年時に第42回国民体育大会優勝、3年時に全日本高校バンタム級優勝。専修大学法学部中退(アマチュア通算48戦44勝24RSC4敗)。 1989年8月12日、帝拳ジムからプロデビュー。 1992年9月5日、15戦目で日本王座初挑戦。小泉秀司と空位の日本ジュニアフェザー級(現:スーパーバンタム級)王座を争い、2回KO勝ち。王座獲得に成功。
松本 好二(まつもと こうじ、1969年9月27日 - )は… 松本 好二(まつもと こうじ、1969年9月27日 - )は、日本の元プロボクサーである。本名は松本 弘司(読みは同じ)。神奈川県横浜市出身。第41・43・45代日本フェザー級王者。第32代OPBF東洋太平洋フェザー級王者。現役時代はヨネクラボクシングジム所属、現在は大橋ボクシングジムのチームトレーナー。父・弘も元ボクサーで、東日本ウェルター級新人王を獲得している。長男の圭佑も大橋ジム所属のプロボクサーで、日本フェザー級王座とWBOアジアパシフィックフェザー級王座を獲得している。 横浜高校3年時、インターハイおよび海邦国体準優勝(両大会の決勝で沖縄県代表興南高校3年高橋孝治に判定負け)。卒業後、高校の同期葛西裕一と共に専修大学に進学するが、1年で中退。
池山 直(いけやま なお、1969年9月18日 - )は、日… 池山 直(いけやま なお、1969年9月18日 - )は、日本の元女子プロボクサー。岡山県真庭市出身。初代WBO女子世界アトム級王者。フュチュール所属。岡山県立岡山操山高等学校卒業。男女通じて日本人最年長記録となる44歳で世界王座奪取を果たした。また、男女通じて日本人最年長記録となる52歳で公式試合出場も果たしている。
星野 敬太郎(ほしの けいたろう、1969年8月14日 - … 星野 敬太郎(ほしの けいたろう、1969年8月14日 - 2021年10月8日)は、日本の元プロボクサー。元WBA世界ミニマム級王者。現役時代は花形ボクシングジム所属。入場曲はディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」。神奈川県横浜市出身。武相高校卒業。 小学校時代から中学卒業まで後の師匠・花形進がかつて所属していた横浜協栄ジム(現・神奈川渥美ボクシングジム)の練習生。現役ボクサー時代、横浜市内のとんかつ店「美とん・さくらい」上大岡店の料理長を務めていた。この時期に自身が考案したトレーニングメニューが「チャンピオン丼」として商品化されている。「トンカツボクサー」は愛称のひとつであった。
飯田 覚士(いいだ さとし、1969年8月11日 - )は、… 飯田 覚士(いいだ さとし、1969年8月11日 - )は、日本の元プロボクサー。愛知県名古屋市出身。緑ボクシングジム所属。元WBA世界スーパーフライ級王者。 愛知県立大府東高等学校、岐阜経済大学経済学部卒。 幼少期にがんばれ元気のアニメを見てボクサーを目指し大学にてボクシング部に所属、2年時に県の代表となり、1990年にレベルアップのためジムに所属しようと検討していた際バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画「ボクシング予備校」を知り応募、渡辺二郎・渡嘉敷勝男の指導を受けた。甘いマスクで人気を博す。 こうした経緯から人気先行ボクサーと目され、整った顔立ちで「アイドルボクサー」の風評に悩まされるが、熱心な練習と視覚的な科学的トレーニング「ビジョントレーニング」により世界王者にまで登りつめた。
細野 雄一(ほその ゆういち、1969年6月9日 - )は、… 細野 雄一(ほその ゆういち、1969年6月9日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都板橋区出身。角海老宝石ボクシングジム所属。元日本2階級制覇王者(ストロー級、ジュニアフライ級)。身長157cm。 小松原高等学校卒業から9か月後の1988年12月1日、プロデビュー。 1991年5月18日、日本ストロー級王者ロッキー・リン( 台湾/ロッキー)に挑戦し、判定負けで王座獲得ならず。 1992年2月22日、韓国・ソウルのヒルトン・ホテルでWBA世界ストロー級王者崔煕庸( 韓国)に挑戦し、10回TKO負けで王座獲得ならず。 1992年10月11日、後楽園ホール、日本ストロー級王座決定戦で玉城信一( 日本/帝拳)と対戦し、判定勝ちで王座を獲得。
唐沢 仁義(からさわ じんぎ、本名:竹崎 仁義、1969年4… 唐沢 仁義(からさわ じんぎ、本名:竹崎 仁義、1969年4月16日 - )は、日本のキックボクサー、格闘家。徳島県徳島市出身。 学生時代は空手家として四国地方のトーナメントで数々の優勝歴があり、高校卒業後に上京。1988年に全日本キックボクシング連盟でプロデビュー、8連勝で全日本スーパーミドル級1位にランクインした。 その後、プロレス団体でザ・シューターや宇宙パワーなど覆面格闘家として活躍後、総合格闘家に転身。2002年6月29日、金町地区センターで片岡亮(J-NETWORK早稲田)のメガファイト王座に挑戦も敗北。以降、同7月27日に東京D-CLUBでガート・カジェヘーロにKO勝ち、同9月にはメガファイトランブルで優勝した。
井岡 弘樹(いおか ひろき、1969年1月8日 - 2026… 井岡 弘樹(いおか ひろき、1969年1月8日 - 2026年4月16日)は、日本の元プロボクサー、タレント。大阪府堺市出身。元WBC世界ミニマム級王者。元WBA世界ライトフライ級王者。世界2階級制覇王者。 現役時代はグリーンツダボクシングクラブ所属。エディ・タウンゼントの最後の愛弟子。現在は井岡弘樹ボクシングジムの会長を務める。 元々は野球少年で南海ホークス友の会会員。ボクシング好きの父に影響されて赤井英和に憧れ、中学2年生の時に赤井が所属する三和ツダジム(現・グリーンツダジム)へ同級生3人で入門。(詳しくは後藤正治のノンフィクション 「遠いリング」に記載されている) 入門当初から将来の世界王者として津田博明会長に期待され、海老原博幸や藤猛や柴田国明ら多くの世界王者を輩出した名伯楽エディ・タウンゼントの指導を受ける(後に、エディが指導した最後の世界王者となる)。
梅津 正彦(うめつ まさひこ、1968年12月13日 - 2… 梅津 正彦(うめつ まさひこ、1968年12月13日 - 2013年7月23日)は、日本のボクシング指導者、アクション監督。山形県酒田市出身。 山形県立酒田東高等学校卒業。大学中退。高校でボクシングを始め、ソウルオリンピックを目指したが、怪我のため引退。 映画監督を志し松竹シナリオ研究所入所。松竹大船撮影所等で映画・テレビドラマ、野村芳太郎監督の戦争ドキュメンタリー作品、七人のおたくなどの助監督を務めた。その後ボクサーの経験を生かし、ボクシングコーチ、アクションディレクターとなる。映画・テレビ・CM・舞台等でボクシングやアクション指導をしながら、プライベートレッスン専門で梅津ボクシング倶楽部を主宰し、ダイエット指導等も行っていた。
後川 聡之(あとかわ としゆき、男性、1968年11月18日… 後川 聡之(あとかわ としゆき、男性、1968年11月18日 - )は、日本の空手家(五段)、元キックボクサー。大阪府出身。正道会館を経て、現在は自流である修道会館を設立。 K-1では、日本人で唯一、K-1・K-2・K-2 PLUS・K-3の4階級に参戦した。 19歳で正道会館総本部に入門し、1年9か月で黒帯を取得した。 1990年9月30日、正道会館が主催した第9回全日本選手権大会に出場。決勝で田上敬久に勝利し、入門3年半で初優勝を果たした。 1991年10月10日、正道会館が主催したカラテワールドカップ '91(全日本選手権大会より改称)に出場。決勝でアダム・ワットに勝利し2連覇を果たした。
宮本 正明(みやもと まさあき、1968年9月19日 - )… 宮本 正明(みやもと まさあき、1968年9月19日 - )は、日本の男性キックボクサー。大阪府吹田市出身。身長193cm、体重96kg。正道会館を経てフリーランス。 沖縄県の琉球ボクシングジムのK-1選手のボクシング・トレーナーとして有名な元WBA世界スーパーライト級チャンピオン平仲信明の元でトレーニングに励み、1996年5月6日、K-1 GRAND PRIX '96のスペシャル・ワンマッチでK-1デビューを果たす。 1997年10月には群馬県高崎市に「SEIDO群馬K-1ジム」を開き、正道会館では群馬支部の支部長を務めた。 2000年5月28日、K-1 SURVIVAL 2000で天田ヒロミと対戦。
平仲 信敏(ひらなか のぶとし、1968年9月13日 - 2… 平仲 信敏(ひらなか のぶとし、1968年9月13日 - 2000年3月24日)は、日本のプロボクサー。沖縄県島尻郡具志頭村(現・八重瀬町)出身。元日本フェザー級王者。 5人兄弟の末っ子であり、元WBA世界スーパーライト級王者の平仲明信は兄。 中学3年時にボクシングを始め、沖縄・南部農林高3年時にインターハイフェザー級でベスト8。高校卒業後に海邦国体で優勝し、その後プロに転向。 1988年4月24日、沖縄ボクシングジムからプロデビュー。 1989年2月27日、全日本新人王決定戦でフェザー級西軍代表として東軍代表の渡辺司に判定勝ち。 1993年に故郷・沖縄を離れ福岡県の筑豊ジムに移籍。 1994年1月25日、世界挑戦経験も有する日本フェザー級王者松本好二(ヨネクラ)と対戦し、10回3-0の判定勝ちを収め王座を獲得した。
八尋 史朗(やひろ しろう、1968年8月31日 - )は、… 八尋 史朗(やひろ しろう、1968年8月31日 - )は、日本の元プロボクサー。福岡県糟屋郡出身。第19代日本ライトフライ級王者。第18代OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者。世界王座挑戦通算3度。 具志堅用高に憧れ、小学校在学中からプロボクサーを志すようになる。 アマチュアでは東福岡高時代に福岡県大会モスキート級優勝、インターハイベスト8の成績を残す。卒業後は立命館大学に入学するも、1年で中退。その後、上京し帝拳ジムに入門。 1989年5月27日、プロデビュー(初回KO勝ち)。 1989年12月23日、東日本ジュニアフライ級(現:ライトフライ級)新人王決定戦優勝。翌1990年2月18日には全日本同級新人王決定戦にも優勝する。
福田 健吾(ふくだ けんご、男性、1968年7月22日 - … 福田 健吾(ふくだ けんご、男性、1968年7月22日 - )は、日本のプロボクサーおよびプロボクシング・トレーナー経験者、俳優。愛媛県松山市出身。 幼い頃から喧嘩で無類の強さ誇り、実兄の影響でボクシング大好き少年で中学3年夏休みから本格的に練習開始。新田高時代に13勝13KO1敗のアマ戦績を残し、同郷の三迫仁志会長にスカウトされて上京。 関東一高に転校し三迫ボクシングジムに入門。1985年11月に17歳でプロデビュー。デビュー6戦連続KO勝利と順調なスタートを切る。世界王者への期待が高まり、一方で甘いマスクも相俟って試合会場に女性ファンが殺到した。 「アイドルボクサー」としての人気から、映画「ウェルター」の主演やガッツ石松が主演兼監督「カンバック」に出演など芸能活動にも進出。
瀬川 設男(せがわ せつお、1968年6月16日 - )は、… 瀬川 設男(せがわ せつお、1968年6月16日 - )は、日本の元プロボクサー。岩手県下閉伊郡山田町出身。1988年ソウルオリンピックフライ級日本代表。第55代日本バンタム級。第25代日本スーパーバンタム級王者。ヨネクラボクシングジム所属。岩手県立宮古水産高等学校、拓殖大学卒業。プロデビュー後1998年までのリングネームは川益 設男(かわます - )。兄の正義はロサンゼルスオリンピックのボクシング日本代表。 世界を狙える器と言われ続けたが、リング禍による対戦相手の死亡や交通事故に阻まれ最後まで世界戦を行うことができなかった。 大学時代の1988年ソウルオリンピックや1989年世界選手権にフライ級代表として出場し、2戦目で敗れた。
真部 豊(まなべ ゆたか、1968年6月6日 - )は、日本… 真部 豊(まなべ ゆたか、1968年6月6日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都足立区出身。元日本ジュニアフェザー級王者。現役時代は宮田ボクシングジム所属。 東京都立芝商業高等学校卒業。偕成証券(現:内藤証券)に勤務し、運動不足解消に当時開業して間もない宮田ジムの門を叩く。当初はプロになる気はなかったが、ジムに通ううちに面白さに目覚めた。 長身のサウスポーで試合運びがうまかった。試合の録画放送があった際には、解説者から「真部君はクレバーで負けず嫌いですからね」と評されていた。世界戦を望んでいたが実現しなかった。 1990年5月15日、プロデビュー戦から5連勝を収めた。12月21日、東日本バンタム級新人王を争うも5RKOで敗れた。
徳島 尚(とくしま ひさし、1968年3月27日 - 202… 徳島 尚(とくしま ひさし、1968年3月27日 - 2024年9月3日〈遺体発見日〉)は、日本の元プロボクサー。グリーンツダボクシングクラブ所属。奄美大島出身、中学校時代より東京都府中市育ち。元日本ミニマム級王者。元OPBF東洋太平洋フライ級王者。 2024年9月3日、大阪府枚方市の自宅にて脳出血により死去しているところを発見された。享年56。 中学1年で東京・府中市に移住。 33戦26勝11KO6敗1分 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
岡部 繁(おかべ しげる、1968年3月15日 - )は、日… 岡部 繁(おかべ しげる、1968年3月15日 - )は、日本のプロボクサー。第49代日本バンタム級王者。千葉県木更津市出身。セキジム所属。 1988年2月21日、1987年度全日本バンタム級新人王決定戦で蔭山孝人(神戸)と対戦し、6回判定勝ちを収め全日本バンタム級新人王となった。 1988年5月16日、後のWBC世界バンタム級王者となる薬師寺保栄(松田)と対戦し、6回2-0(2者が59-58、58-58)の判定勝ちを収めた。 1988年10月12日、1988年度B級トーナメントバンタム級決勝で内田進(辰東)と対戦し、6回3-0(2者が59-58、58-57)の判定勝ちを収め、B級トーナメントを優勝した。
吉鷹 弘(よしたか ひろむ、男性、1968年1月9日 - )… 吉鷹 弘(よしたか ひろむ、男性、1968年1月9日 - )は、日本のシュートボクサー、キックボクサー。兵庫県出身。神戸学院大学卒。元SB日本スーパーミドル級王者。 高校より柔道を学び(段位は四段)、大学より極真会館中村道場(兵庫支部)で極真空手を学び、その後シュートボクシングに転向する(北摂ジム所属)。シュートボクシングではプロファイターとして活躍。当時の欧州キック界名立たる一流選手(ラモン・デッカーなど)、並びにムエタイ戦士とも多数対戦。好成績を収めた。 特に対黒人選手との対戦数は歴代の国内格闘家の中で突出している。[要出典]ロニー・ルイス3戦、マンソン・ギブソン、スチュアート・バレンティーニ、デュラン・グラファンベルフ、ライアン・シムソン3戦、イワン・ヒポリット他。
高橋 ナオト(たかはし ナオト、1967年11月17日 - … 高橋 ナオト(たかはし ナオト、1967年11月17日 - )は、日本の元プロボクサー、ノンフィクション作家。本名は高橋 直人。 第42代日本バンタム級王者。第17代日本スーパーバンタム級王者。カウンターパンチを武器に劇的な逆転勝利を演じるボクシングを行うことから、「逆転の貴公子」とも呼ばれた。 引退後はボクシングを題材としたノンフィクション作家としてデビュー。また、JBスポーツクラブ初代会長として、元OPBF・日本スーパーバンタム級王者福島学を育てた。現在はフリーのトレーナーとして指導にあたっている。 JBスポーツ現会長である漫画家・森川ジョージの作品『はじめの一歩』に登場する宮田一郎のモデルとなった。
新田 渉世(にった しょうせい、1967年6月26日 - )… 新田 渉世(にった しょうせい、1967年6月26日 - )は、神奈川県秦野市出身の元プロボクサー。1994年よりリングネームを新田 勝世(読み同じ)と改めた。現在は川崎新田ボクシングジム会長、日本プロボクシング協会理事、事務局長。 小学6年時に「あしたのジョー」を読みボクシングにあこがれる。高校3年で金子ボクシングジムに入門してボクシングを始め、横浜国立大学教育学部2年の1987年5月28日、プロデビュー。大学は6年かけて卒業。在学中の大学3年の10月に結婚し、子どももいたため子連れ国大生ボクサーとして知られた。 1996年10月21日、呉張均が持つOPBF東洋太平洋バンタム級王座に挑戦しタイトル獲得。
畑中 清詞(はたなか きよし、1967年3月7日 - )は、… 畑中 清詞(はたなか きよし、1967年3月7日 - )は、日本の元プロボクサー。愛知県北名古屋市出身。松田ボクシングジム所属。元WBC世界スーパーバンタム級王者。 名古屋市および中部地方にあるボクシングジムの選手として初の世界王者である。地元を中心に「尾張のロッキー」「東海のカマチョ」の異名を取った。 世界戦では無敗で挑んだ初挑戦時こそ敗北したが、2度目の挑戦で世界王座を獲得した。しかし初防衛に失敗した後、眼筋麻痺を発症し、現役を引退した。 長男の建人もプロボクサー。 中学校からボクシングを始め、進学した享栄高校ではインターハイ、国体に出場した。 「オリンピックより、プロでお金を稼ぎたい」と、高校3年生でプロ入り。
飯泉 健二(いいずみ けんじ、1967年1月27日 - )は… 飯泉 健二(いいずみ けんじ、1967年1月27日 - )は、日本の元プロボクサー。埼玉県春日部市出身。日本人初のIBFアジアライト級王者。 足利学園高等学校1年で中退し1984年4月15日、デビュー戦で蛯原誠二に初回50秒KO勝ちを収めた。 1989年3月13日、文成煥(韓国)に6R26秒KO勝ちするも網膜剥離と診断され獨協医科大学越谷病院にて手術を受け成功するも引退を勧告される(この後、9年間リングから遠ざかる)。IBF参戦表明後に有沢ジムから出禁を通告され、金平正紀の理解を得て協栄ジムでビジター練習。 1998年1月16日、大阪府立体育会館でのIBF日本の興行で復帰。スラヤ・ケラン(インドネシア)に2回50秒TKO勝ちしIBFアジアライト級王座を獲得。
松島 勝之(まつしま かつゆき、1966年10月11日 - … 松島 勝之(まつしま かつゆき、1966年10月11日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手。神奈川県横浜市出身。ソウルオリンピック日本代表。 元プロボクシング日本バンタム級王者松島二郎は実弟。従兄弟にバルセロナオリンピックライトミドル級日本代表長島浩。 武相高等学校から日本大学に進学、大学3年のときにフライ級で全日本選手権初優勝。 4年次の1988年、バンタム級で全日本2階級制覇を果たし、ソウルオリンピックに出場。ベスト8まで進出するが、準々決勝で後のWBA世界バンタム級王者フリオ・ロチャ(ホルヘ・エリセール・フリオ)の前に0-5判定で敗退。 卒業後は丸大食品に就職。大学時代から合わせてバンタム級3連覇。
宮田 博行(みやた ひろゆき、1966年8月31日 - )は… 宮田 博行(みやた ひろゆき、1966年8月31日 - )は、日本の元プロボクサーで、現在は宮田ジム・スポーツクラブ会長。東京都墨田区出身。東京都立江戸川高等学校卒業。 墨東ジム(現在は閉鎖)に所属し、1984年5月17日の小林仁戦でプロデビュー。3回KO勝利で飾る。 「天才現役高校生ボクサー」と呼ばれライトフライ級で全日本新人王決定戦を制した。 将来を嘱望されたが、網膜剥離のため1987年に20歳で引退を余儀なくされる。最終戦績は15戦12勝(5KO)1敗2分。 引退後は宮田ジム・スポーツクラブを設立。300人もの練習生を抱える大きなジムとなり、全日本新人王も輩出。さらに内藤大助を世界王座へと導いた。
山本 義広(やまもと よしひろ、1966年7月26日 - )… 山本 義広(やまもと よしひろ、1966年7月26日 - )は、日本の元プロボクサー。秋田県秋田市出身。二松学舎大学附属高等学校、高千穂大学卒業。第21代日本スーパーライト級王者。ヨネクラボクシングジム所属。 中学時には器械体操で秋田県個人総合優勝、東北大会、全国大会にも出場する。県内の秋田県立能代高等学校に入学するも1年で退学。その後上京し、二松学舎大学附属高等学校に入学する。同校のOBには元WBC世界フライ級王者、小林光二がいる。 時を同じくしてヨネクラボクシングジムに入門。体操競技をやっていたためか抜群のパワーとスピードを持ち合わせ、ヨネクラジムの次代のチャンピオンと言われていた。本人は、「パンチ力とスピードは浜田剛史さんより上」と豪語していた。
長島 浩(ながしま ひろし、男性、1966年3月15日 - … 長島 浩(ながしま ひろし、男性、1966年3月15日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手。神奈川県横浜市出身。1992年バルセロナオリンピックライトミドル級日本代表。左ボクサースタイル。身長180cm。武相中学校・高等学校、日本大学卒業。 父・武は、強豪校のひとつである武相高校にボクシング部を立ち上げた人物。松島勝之(1988年ソウルオリンピックバンタム級5位)・二郎(第56代日本バンタム級王者)兄弟は、従兄弟にあたる。 小学校時代はリトルリーグで野球をしていたが、中学校時代に高校のボクシング部で練習を始めた。高校時代の1984年、インターハイライトウェルター級で優勝。大学時代の1985年と1987年、全日本選手権ウェルター級で2度の優勝を収めた。
西澤 ヨシノリ(にしざわ よしのり、1966年1月11日 -… 西澤 ヨシノリ(にしざわ よしのり、1966年1月11日 - )は、日本のプロボクサー。本名、西澤 良徳(読み同じ)。長野県上田市出身。上田城南高校(現・上田西高等学校)卒業。ヨネクラボクシングジム所属。元日本ミドル級王者。第6・8・10・11代OPBF東洋太平洋スーパーミドル級王者。 6歳のときに、テレビでモハメド・アリの試合を見て強くなることを志す。また、プロレスが興行を行うと必ず観戦に行っていた。野球部に所属し、水を含んだボールを打って筋力を鍛えるトレーニングを行っていた。 19歳のときに上京すると、1985年5月にヨネクラジムに入門。翌年10月21日にプロデビュー。1988年2月21日に大竹永寿を下し全日本ミドル級新人王決定戦で優勝。
風間 ルミ(かざま ルミ、本名:斉藤 ルミエ〈さいとう ルミ… 風間 ルミ(かざま ルミ、本名:斉藤 ルミエ〈さいとう ルミエ〉、1965年11月28日 - 2021年9月21日)は、日本の元女子プロレスラー、元女子シュートボクサー、タレント。東京都台東区出身。血液型B型。 1982年、高校生の時に友人に誘われて始めたキックボクシングで在学中にプロデビュー。 1985年にはシーザー武志に声をかけられシュートボクシング(SB)に入り。SB初の女子試合に出場、美少女シュートボクサーとして雑誌のグラビアを飾り人気アイドルとなる。 1986年、ジャッキー佐藤に誘われプロレスへ転向、ジャパン女子プロレスに入団。 同年8月17日、ジャパン女子プロレス後楽園ホール大会でプロレスラーとしてデビュー。
金平 桂一郎(かねひら けいいちろう、1965年11月3日 … 金平 桂一郎(かねひら けいいちろう、1965年11月3日 - )は、日本のプロボクシング・プロモーター。元協栄ボクシングジム会長。東京都渋谷区出身。 協栄ボクシングジム創始者金平正紀の長男として出生し、幼い頃からプロボクシングに親む。実父の側近が創設した山神ボクシングジムオープンにも参加。当時は赤坂の5階建てのマンションに住んでいたが、母親が厳格な人物で、常日頃から「誰のおかげでご飯を食べていると思ってるんだ」と言われ、食事は自室もしくは台所の隅で済ませる日々だった。ただし食事そのものはステーキやスッポンなどの豪華なものだったという。 明大中野高を卒業(元プロ野球選手の武田一浩は同級生、現三迫ボクシングジム会長三迫貴志は後輩)後、1990年にロシア・サンクトペテルブルクのレスガフト記念体育大学へ留学した。
伊田 武志(いだ たけし、1965年10月12日- )は鳥取… 伊田 武志(いだ たけし、1965年10月12日- )は鳥取県境港市出身の実業家、ボクシング指導者。株式会社クリエイティブサポート代表取締役。鳥取県米子市にあるシュガーナックルボクシングジム会長。神戸学院大学現代社会学部客員教授。元日本ボクシング連盟女子強化委員会委員長。JOC認定強化コーチングスタッフ。シュガーナックルボクシングスポーツ少年団団長。鳥取県ボクシング連盟理事。 2020年東京オリンピック ボクシング女子フェザー級金メダリストの入江聖奈を小学校2年生から東京オリンピックまでの15年間指導し、金メダルに導く。 また、日本人女子初のアジア選手権金メダリスト・ASBCアジアユース選手権大会銅メダリストである木下鈴花、第1回ユース国際ボクシングトーナメント銀メダリストの小川達也、2019全日本UJボクシング34キロ級チャンピオン作野辰嘉、その他全日本UJボクシング大会では9名のチャンピオンを輩出している。
大橋 秀行(おおはし ひでゆき、1965年3月8日 - )は… 大橋 秀行(おおはし ひでゆき、1965年3月8日 - )は、日本の元プロボクサー。神奈川県横浜市出身。大橋ボクシングジム会長。元WBA・WBC世界ミニマム級王者。 兄の大橋克行もプロボクサー。現役時代はヨネクラボクシングジム所属。東日本ボクシング協会会長を2007年4月から2016年3月まで務め、これと兼務する形でJPBA会長も2010年4月から2016年3月まで務めた。2013年からはJBC理事も務める。 保土ヶ谷中学時代から地元の協栄河合ジム(現・神奈川渥美ボクシングジム)に所属し、学歴は横浜高等学校(海藤晃の指導を受け、2年生でインターハイ・モスキート級制覇)〜専修大学中退(1年生でロス五輪予選を兼ねた全日本選手権出場も黒岩守に敗れ五輪を逃す)。
藤原 健(ふじわら たけし、男性、1964年7月24日 -)… 藤原 健(ふじわら たけし、男性、1964年7月24日 -)は、愛媛県越智郡大三島町(現・今治市)出身の空手家・柔道家・グレコローマンレスラー・キックボクサー・格闘家。 芦原会館創始者・初代館長の芦原英幸は師匠である。 更にはサウンドエンジニア・プロデューサー・プロドライバーである。 1969年(昭和44年)初頭より喧嘩十段と云われた天才空手家、芦原英幸より極真空手を学ぶ。 小学生の時第一回全世界空手道選手権大会を応援観戦為上京した際、極真会館大山倍達館長より 「極真空手はねぇ、総合武道だよー、空手向上の為にキックボクシング・柔道・レスリング何でもやりなさい。 そして、空手で一番強く成りなさい」と言われた。
羽田 真宏(はだ まさひろ、1964年4月10日 – )は、… 羽田 真宏(はだ まさひろ、1964年4月10日 – )は、日本の男性空手家、キックボクサー。埼玉県上尾市出身。初代UKF世界ライト級チャンピオン。シュートボクシング・スーパーライト級(旧シーガル級)チャンピオン。戦績は60戦51勝5敗4分。真心舘空手八段、テコンドー三段、拳法二段、柔道二段。引退後は故郷の上尾にある白龍ジムの会長に就任し、シュガーみゆき、神風杏子、早千予を輩出した。
寺地 永(てらじ ひさし、1964年4月5日 - )は、日本… 寺地 永(てらじ ひさし、1964年4月5日 - )は、日本の元プロボクサー、実業家、政治家。京都府城陽市出身。BMBスポーツジム会長。立命館大学経営学部卒業。身長189cm。世界ライトフライ級2団体統一王者の寺地拳四朗の父。第44代日本ミドル級王者。第8代OPBF東洋太平洋ライトヘビー級王者。 1996年4月27日 - 2001年10月17日
杉谷 満(すぎや みつる、1964年3月15日 - )は、日… 杉谷 満(すぎや みつる、1964年3月15日 - )は、日本の元プロボクサー。北海道茅部郡南茅部町 (現:北海道函館市)出身、函館大学付属有斗高等学校卒業。現役時代は協栄ボクシングジム所属。第35代・第37代・第38代日本フェザー級王者。元プロボクサーの杉谷実は兄、元プロ野球選手の杉谷拳士は次男にあたる。 兄である杉谷実も協栄ボクシングジムの元プロボクサーで日本スーパーライト級王座を獲得し、史上3組目の兄弟日本王者となった。2人の息子がおり、次男である杉谷拳士は元プロ野球選手。 1981年4月21日、高橋忠治を1回KOで沈めデビューを飾る。 その年の東日本新人王を獲得するが、全日本新人王決定戦で後の世界王者六車卓也に判定負け。
新垣 諭(しんがき さとし、1964年2月21日 - )は、… 新垣 諭(しんがき さとし、1964年2月21日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県糸満市出身。元IBF世界バンタム級王者(当時はJBC非公認団体)。奈良池田ジム所属。 沖縄県立沖縄水産高等学校に入学後、1981年のインターハイのライトフライ級決勝戦で、青森商業の玉熊幸人(後のレパード玉熊)に判定勝ちを収め優勝。高校卒業後に船員になる予定をキャンセルし、1982年にプロへ転向。その際、奈良池田ジムが1,000万円で契約したことが話題になった。 渡嘉敷勝男とルペ・マデラがWBAの世界王者だった当時、新垣は同級王座に挑戦する機会を待っていた。しかし、渡嘉敷とマデラは微妙な判定の試合を繰り返し、結果4度の対戦をすることとなり、挑戦の機会が与えられなかった。
レパード 玉熊(レパード たまくま、1964年1月25日 -… レパード 玉熊(レパード たまくま、1964年1月25日 - )は、日本の元プロボクサー。元WBA世界フライ級王者。「レパード玉熊ジム」会長。 青森県出身。本名は玉熊 幸人(たまくま ゆきひと)。 左ファイター。法政大学ボクシング部、国際ボクシングスポーツジム出身。 日本王座を獲得した試合では、ボディを打たれるたびにわざと苦しそうに唸り、相手の意識をボディに集中させるなど、頭脳的なボクサーである。 柔道家でロス五輪およびソウル五輪金メダリストの斉藤仁ならびに元レスリング選手でロス五輪銀メダリストの赤石光生とは親族関係である。また、母方の父は旭日章を受章した秋田県鹿角市の元市議会議長、阿部佐太郎である。
クラッシャー 三浦(クラッシャー みうら、1963年12月2… クラッシャー 三浦(クラッシャー みうら、1963年12月23日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は三浦 利美(みうら としみ)。青森県南津軽郡大鰐町出身。第48代日本バンタム級王者。現役時代は国際ボクシングスポーツジム所属。現在はドリームボクシングジム会長として後進の指導に当たる。エディ・タウンゼント賞受賞トレーナーでもある。弘前電波工業高等学校(現・弘前東高等学校)卒業。 高校時代はボクシング部に在籍し、1981年の国体では高校団体3位の成績を残した。その後、同郷の高橋美徳が経営する国際ボクシングスポーツジムでプロへ転向し、1982年5月25日、プロデビュー戦に4RTKO勝利を収めた。同年7月23日のプロ2戦目からライトフライ級で新人王戦に参戦したが、9月4日の予選2試合目で倉持正(角海老宝石)と対戦し、判定負けを喫した。
平 直行(たいら なおゆき、1963年12月15日 - )は… 平 直行(たいら なおゆき、1963年12月15日 - )は、日本の元総合格闘家、元シュートボクサー、格闘技レフェリー。宮城県仙台市出身。ブラジリアン柔術アカデミー「ストライプル」代表。 修斗、空手、ボクシング、ブラジリアン柔術、シュートボクシングなど多くの格闘技を習得して「技のおもちゃ箱」と呼ばれプロのリングで人気を集めた。 板垣恵介による漫画『グラップラー刃牙』の主人公、範馬刃牙のモデルとしても知られている。 両親が共働きであったため、祖母が家庭の世話をしており、祖母に懐いていた。小学校時代にブルース・リーが大流行し、中学時代からプロレスラーを目指したが、地元の仙台には練習場所がなかったため、東孝の下で極真空手を始めた。