小林 正幹(こばやし まさもと、1973年3月16日 - )… 小林 正幹(こばやし まさもと、1973年3月16日 - )は、埼玉県出身の日本の陸上競技選手。専門は長距離種目。埼玉県立松山高等学校→早稲田大学→エスビー食品→SUBARU。身長170cm、体重55kg。 埼玉県立松山高等学校時代にインターハイ1500mにおいて3分51秒02で優勝。 早稲田大学競走部時代は東京箱根間往復大学駅伝競走大会に1年(1992年)から出場し4区(21.0km)を、区間8位の1時間05分58秒で駆け抜けた。2年時(1993年)の箱根駅伝では、3区(21.5km)を1時間04分13秒で区間賞、箱根駅伝、早稲田大学が7年ぶりの往路優勝、8年ぶり12回目の総合優勝に貢献した。
山口 衛里(やまぐち えり、現姓・岡井(おかい)。1973年… 山口 衛里(やまぐち えり、現姓・岡井(おかい)。1973年1月14日 - )は、兵庫県加東市(滝野地区)出身の女子陸上競技長距離走・マラソン元選手、陸上競技指導者。選手として1990年代中盤から2000年代前半にかけて活躍、2000年シドニーオリンピック女子マラソン日本代表・7位入賞。 現役引退後は、2011年3月末日まで岡山県岡山市の天満屋女子陸上競技部でコーチ業を務めていた。2015年度より岡山市内の環太平洋大学(IPU)・陸上競技部コーチ、同女子駅伝部監督に就任。2020年4月1日より天満屋女子陸上競技部ヘッドコーチに就任。ほか岡山県の桃太郎夢クラブ理事・コーチングスタッフ、スポーツ解説者などでも活動中。
中村 哲也(なかむら てつや、1973年1月7日 - )は、… 中村 哲也(なかむら てつや、1973年1月7日 - )は、日本の陸上競技選手・陸上競技指導者。1994年広島アジア競技大会において陸上競技4×100mRの第一走者として出場し金メダルを獲得。40年ぶりの金メダル獲得であった。1999年セビリア世界陸上競技選手権大会では、100m日本代表として選ばれる。自己記録は10”26。東海大学付属浦安高等学校を経て、東海大学文学部卒業。千葉県千葉市出身。
鈴木 真紀(すずき まき、本名・大曽根真紀。1973年-)は… 鈴木 真紀(すずき まき、本名・大曽根真紀。1973年-)は埼玉県三芳町出身の陸上選手。専門は中距離走。 三芳町立藤久保中学校時代、浅賀一恵の指導の下、女子800mで2分09秒9の中学日本記録を樹立。日本の女子中学生として初めて2分10秒の壁を破る。 1989年に埼玉栄高校進学後、高知インターハイで1年生ながら800mで2位。1990年、2年時の仙台インターハイでは、藤久保中学時代及び後の中央大学のチームメイトである2年徳田由美子と、前年度の女子800m覇者である3年堤文子、そして鈴木の埼玉栄女子800mトリオでそれぞれ金・銀・銅のメダル独占を果たす。同1990年、福岡とびうめ国体では、1500mで4分19秒12の高校日本記録(現:埼玉県記録)を樹立。
山内 美根子(やまのうち みねこ、1972年12月10日 -… 山内 美根子(やまのうち みねこ、1972年12月10日 - )は、日本の女子陸上競技選手。 専門種目は長距離走(5,000m・10,000m)、ハーフマラソンおよびマラソン。身長161cm、体重45kg。 茨城県日立市出身。茨城キリスト教学園高等学校を経て中央大学文学部卒業後、1995年に資生堂入社。資生堂ランニングクラブの一員となった。 茨城キリスト教学園高時代は、トラック・駅伝を中心に活動。1989年1月の都道府県対抗女子駅伝出場以降、全国大会に出場。同年の高知インターハイでは初出場の3,000mで第5位。また9月に行われたはまなす国体では3,000mで優勝。全国高校駅伝には女子第1回大会から連続出場。
早狩 実紀(はやかり みのり、1972年11月29日 - )… 早狩 実紀(はやかり みのり、1972年11月29日 - )は、日本の陸上競技選手兼指導者。3000m障害日本記録保持者。京都府宇治市出身。宇治市立槙島中学校、京都府立南八幡高等学校、同志社大学商学部卒業。日本の女子3000m障害のパイオニアとして知られる。
篠崎 浩子(しのざき ひろこ、1972年10月13日 - )… 篠崎 浩子(しのざき ひろこ、1972年10月13日 - )は、平成時代の日本の陸上競技選手。専門は砲丸投。群馬県出身。 1997年に日本女子として2人目の16m突破となる歴代2位の16m05をマークするなど、1990年代を代表する選手として活躍。群馬県立高崎商業高等学校から東京女子体育大学体育学科を卒業し、1995年の福島国体のために福島県公立高校教員に採用される。福島国体後は、群馬綜合ガードシステムに入社。
井幡 政等(いばた まさとし、1972年8月20日 - )は… 井幡 政等(いばた まさとし、1972年8月20日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走。富山県出身。高岡向陵高等学校、山梨学院大学商学部卒業。その後、鐘紡(現・花王陸上競技部)を経て、2004年より愛三工業陸上競技部に所属し、引退後、同監督を務め、現在はアドバイザー。身長173cm、体重55kg。弟に元大塚製薬陸上競技部所属の井幡磨。 高岡向陵高校時代は、3年連続で全国高校駅伝に出場、いずれも1区を任され、1年時は区間最下位に終わったが、2年時は区間21位、3年時は区間5位に入った。 1992年山梨学院大学に進学。当時の山梨学院大は、2学年上の広瀬諭史、1学年上の黒木純、1学年下のステファン・マヤカ、尾方剛、藤脇友介、2学年下の中村祐二など、早稲田大学と並ぶ強力なメンバーが揃っていた。
犬伏 孝行(いぬぶし たかゆき、1972年8月11日 - )… 犬伏 孝行(いぬぶし たかゆき、1972年8月11日 - )は日本の陸上競技元選手・現指導者。元マラソン日本最高記録保持者。徳島県吉野川市出身。
木暮貞行(きぐれ さだゆき、1972年8月9日 - )は、日… 木暮貞行(きぐれ さだゆき、1972年8月9日 - )は、日本の元陸上競技選手。群馬県立桐生工業高等学校→東京農業大学卒。小森コーポレーションに所属した。群馬県出身。 箱根駅伝では2年時に3区、3年時に7区にエントリーされるも当日変更で走ることは叶わなかったが、4年時の第71回大会3区で初出場。区間3位の好走を見せた。 全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)では1996年から2007年にかけてのべ10回出場し、長くチームを支えた。2004年に6区区間13位、コーチ兼任となった2006年に6区区間10位の実績がある。 駅伝ではこのほか、2002年の東日本縦断駅伝57区で区間賞を獲得している。 2006年度をもって現役を引退。
佐藤 信之(さとう のぶゆき、1972年8月8日 - )は、… 佐藤 信之(さとう のぶゆき、1972年8月8日 - )は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。専門は長距離走。愛知県刈谷市出身。世界陸上選手権セビリア大会およびシドニーオリンピック男子マラソン日本代表。 中京高等学校、中央大学卒業。大学時代は、箱根駅伝で4年生時に10区区間賞を獲得し復路優勝の力となるなど活躍を見せた。旭化成へ入社し、宗茂・宗猛らの指導により素質が開花。日本を代表するマラソンランナーの一人となる。 1998年、福岡国際マラソンでは序盤転倒のアクシデントがありながらも終盤まで優勝を争い、2時間08分48秒の自己最高をマークして2位でゴール。1999年、セビリア世界陸上男子マラソン代表に選出された。
鯉川 なつえ(こいかわ なつえ、1972年8月2日 - )は… 鯉川 なつえ(こいかわ なつえ、1972年8月2日 - )は、福岡県福岡市出身の日本の女子陸上競技元選手、指導者、スポーツ解説者。専門は長距離走・マラソン。 福岡市立長丘中学校時代はバレーボール部に所属しており、全日本中学校バレーボール選手権大会に出場している。 その後、筑紫女学園高等学校へと進学し、高校3年時には全国高等学校総合体育大会(宮城)3000mで高校記録を樹立したが、レース終盤まで先頭を走りながらラスト100mで早狩実紀(京都・南八幡3年)にかわされ2位であった。さらに続くとびうめ国体(福岡)少年A3000mでも、レースを引っ張りながらラスト100mでまたしても高校記録を樹立した早狩にかわされ2位であった。
小苗 久信(こなえ ひさのぶ、1972年7月28日 - )は… 小苗 久信(こなえ ひさのぶ、1972年7月28日 - )は、日本の陸上選手。110メートルハードルを専門とした。 1997年世界陸上競技選手権大会に出場した。 大阪府立市岡高等学校、順天堂大学出身。鐘紡に所属していた。
谷川 聡(たにがわ さとる、1972年7月5日 - )は、日… 谷川 聡(たにがわ さとる、1972年7月5日 - )は、日本の陸上競技選手で、現在は筑波大学人間総合科学研究科准教授、筑波大学陸上競技部監督・コーチ。博士(体育科学)。110mハードルの第一人者で、2000年シドニーオリンピック、2004年アテネオリンピック代表。東京都町田市出身。 愛称は「サトシ」「サトル」。元陸上競技長距離走・マラソン選手の谷川真理は、いとこに当たる。 1991年に東京都立八王子東高等学校を卒業し、1浪して中央大学経済学部に進学し同大学陸上競技部に在籍。高校時代は都大会どまりだったが、中央大学進学後、日本トップクラスの選手として活躍。同期に鈴木真紀、小出正子らがいた。中大卒業後、筑波大学大学院に進学した。
朝原 宣治(あさはら のぶはる、1972年6月21日 - )… 朝原 宣治(あさはら のぶはる、1972年6月21日 - )は、兵庫県神戸市北区出身の陸上競技元選手で、専門種目は短距離走・走幅跳。2008年北京オリンピック・陸上男子4x100mリレーの銀メダリストである。現在は陸上競技指導者・スポーツ解説者等で活動中。 100メートル競走においては、日本人として初めて10秒1台及び10秒0台を記録し、日本記録を3回更新した。 妻は同志社大学時代の同窓生かつアーティスティックスイミング元選手で、1992年バルセロナオリンピックソロ・デュエット各種目の銅メダリスト・奥野史子。長女・長男・次女の3人の子供がいる。 神戸市立小部東小学校、神戸市立小部中学校、兵庫県立夢野台高等学校、同志社大学商学部卒業後、大阪ガス入社。
宮田 英明(みやた ひであき、1972年6月12日 - )は… 宮田 英明(みやた ひであき、1972年6月12日 - )は、日本の元陸上競技選手(短距離走)。元100m日本記録保持者。 東京農業大学第二高等学校3年生時の1990年に、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ))の100mに10秒49で優勝。同年おこなわれた第45回国民体育大会の100mでは、10秒27の日本新記録を樹立した。同校陸上競技部は鳥羽完治の指導の下、先輩の不破弘樹も在学中に100mで日本タイ記録を達成している(同じく先輩の太田裕久は高校卒業後に日本タイ記録達成)。 高校卒業後は日本大学に進学する。在学中に1993年夏季ユニバーシアードの代表選手に選ばれ、4×100mリレーに井上悟、杉本龍勇、鈴木久嗣とともに出場した。
道浦 誠(みちうら まこと、1972年5月6日 - )は日本… 道浦 誠(みちうら まこと、1972年5月6日 - )は日本の元陸上競技選手・現治療院経営者、アスレティックトレーナー兼指導者。専門は中・長距離種目。3000m障害を得意とする。和歌山県和歌山市出身。和歌山県立和歌山北高等学校体育科卒業。ダイエー⇒佐川急便所属。身長171cm、体重49kg。配偶者は元800m陸上選手の道浦陽子。 1988年4月、和歌山県立和歌山北高等学校体育科入学、陸上競技部に所属。 1990年8月、仙台インターハイ3000m障害で優勝。 1990年10月、とびうめ国体(福岡県)少年A3000m障害で2位入賞。 1990年12月、第41回全国高等学校駅伝競走大会に和歌山北高校が和歌山県代表として出場し、1区(10 km)で3位に入る(29分51秒) (区間賞は渡辺康幸の29分42秒)。
高橋 尚子(たかはし なおこ、1972年5月6日 - )は、… 高橋 尚子(たかはし なおこ、1972年5月6日 - )は、日本の元陸上競技選手(女子マラソン)。岐阜県岐阜市出身。血液型O型。シドニーオリンピック金メダリスト。女子マラソンの元世界記録保持者。女子スポーツ界で初の国民栄誉賞を受賞。愛称は「Qちゃん」。現在はスポーツキャスター、マラソン解説者などで活躍している。
井上 将憲(いのうえ まさのり、1972年5月1日 - )は… 井上 将憲(いのうえ まさのり、1972年5月1日 - )は、日本の男子ボブスレー選手、陸上競技選手。千葉県八千代市出身。 東海大学付属浦安高等学校から順天堂大学へと入学。大学時代には日本学生陸上競技対校選手権大会の110mハードルで優勝している。大学卒業後はミズノトラッククラブへと所属し、ユニバーシアード福岡大会代表や日本選手権での2位を経験した。 1997年、母校である東海大学付属浦安高校に非常勤講師として採用され、同年には日本選手権での110mハードルにおいて初優勝した。また同年の6月からボブスレー競技を開始し、わずか8カ月の練習で1998年長野オリンピックボブスレー2人乗り代表に選ばれた。
下 仁(しも ひとし、1972年4月4日 - )は、日本の男… 下 仁(しも ひとし、1972年4月4日 - )は、日本の男子陸上競技選手。専門は走幅跳。 千葉県出身。父親の下哲も元陸上競技選手で、早稲田大学在籍時に日本陸上競技選手権大会の三段跳で優勝している。 千葉県立船橋高等学校在学時の1990年に日本陸上競技選手権大会の走幅跳で森長正樹に次ぐ2位となった。 高校卒業後は医学部合格を目指して浪人。1991年、受験勉強の気晴らしとして出場した日本陸上競技選手権大会の走幅跳で8m10の日本タイ記録で優勝し、東京で開催された1991年世界陸上競技選手権大会の代表に選ばれた。なお、この記録はU20日本歴代2位の記録である(2022年現在)。 走幅跳で優秀な成績を収めたため複数の大学からオファーがあったというが、医師を志していたためにそれらをすべて断った。
森長正樹(もりなが まさき、1972年3月27日 - )は、… 森長正樹(もりなが まさき、1972年3月27日 - )は、日本の陸上競技選手で、数々の世界大会に日本代表として出場した走幅跳の第一人者。走幅跳の元日本室内記録保持者。現在は日本大学スポーツ科学部の教授を務めながら、同大学の陸上競技部跳躍コーチも務めている
北口 学(きたぐち まなぶ、1972年2月21日 - )は、… 北口 学(きたぐち まなぶ、1972年2月21日 - )は、奈良県出身の陸上競技選手・指導者。智辯学園高等学校、亜細亜大学卒業。元日立物流グループ陸上部(現在のロジスティード陸上部)監督。 高校2・3年時に全国高校駅伝に出場。2年時(第39回大会)は1区で32分45秒(区間40位)、3年時(第40回大会)も1区を務め31分22秒(区間36位)だった。 大学2年時の第68回箱根駅伝では1区で区間最下位に終わったが、4年時の第70回箱根駅伝では6区で快走。亜細亜大学史上初となる区間賞を獲得した。全日本大学駅伝には1年時(第22回大会)、2年時(第23回大会)、4年時(第25回大会)の3回出場。4年時には7区で区間3位の好走を見せている。
斎藤 嘉彦(さいとう よしひこ、1972年2月12日 - )… 斎藤 嘉彦(さいとう よしひこ、1972年2月12日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は400mハードル。 富岡高校時代に名将佐藤敏明(高崎商業高校OB)の勧めで陸上競技部に入部、才能を開花させた。日本人として初めて48秒台の記録を出して、苅部俊二・山崎一彦らとともに日本の400mハードルを世界レベルに押し上げた。1992年、バルセロナオリンピックに出場。その後長く低迷しアトランタオリンピック出場を逃した。 1998年、郷里の群馬綜合ガードシステムに入社。復調し48秒64の自己新記録で日本選手権優勝。2000年、シドニーオリンピック出場を目指したが、若手の為末大らの台頭もあり、あと一歩で出場を逃し選手生活を引退、その後、群馬県高崎市にある東京農業大学第二高等学校教諭として後進の指導にあたっている。
本川 一美(ほんかわ かずみ、1972年1月12日 - )は… 本川 一美(ほんかわ かずみ、1972年1月12日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。熊本県出身。順天堂大学卒業。現在はSUBARU陸上競技部コーチを務める。 熊本県立熊本工業高等学校、順天堂大学出身。 1、2年時は地区予選で九州学院高等学校に敗れ、全国高校駅伝に出場することはできず。3年時は記念大会(第40回大会)の南九州地区代表として出場し、1区を走ったが、区間52位に終わった。 箱根駅伝は4年連続で2区を出走。1年時は区間6位だった。2年時の第68回大会では4年連続2区区間賞を狙ったジョセフ・オツオリを抑えて区間賞を獲得する活躍を見せた。 3年時の第69回大会では右足の疲労骨折で区間最下位に沈んだが、4年時の第70回大会では区間2位と再び好走した。
盛山 玲世(せいやま さちよ、1972年 - )は、日本の女… 盛山 玲世(せいやま さちよ、1972年 - )は、日本の女子陸上競技元選手(長距離走・マラソン)。 鳥取県琴浦町(旧東伯町)出身。 東伯町立東伯中学校から鳥取県立由良育英高等学校(現・鳥取県立鳥取中央育英高等学校)に進学し、全国高等学校駅伝競走大会の女子の第1回大会に出場した。 大阪短期大学卒業後、芙蓉、ユタカ技研で競技を続けた。 1999年12月に真也加ステファンと結婚し、2児(一男一女)がいる。長女も陸上選手として実業団に所属している。
久保田 和恵(くぼた かずえ、1972年 - )は、元陸上競… 久保田 和恵(くぼた かずえ、1972年 - )は、元陸上競技選手(スプリンター)。専門は400m。高校生で日本選手権400mを2連覇した。 1984年、小学校6年生の時、群馬県小学校陸上教室記録会にて、100mと400mリレー(アンカー)で優勝。1988年、群馬女子短期大学附属高等学校(現高崎健康福祉大学高崎高等学校)入学後、吉沢賢二監督の下で素質が開花。 1989年、日本選手権女子400mで高校2年生ながら優勝の快挙。翌1990年、日本選手権女子400mで2連覇。インターハイ400mで優勝。酷暑の中でタイムは当時のジュニア日本記録歴代4位の54秒18。国体1500mでは2位だった。同1990年、全国高校女子駅伝4区3㎞でトップで襷(タスキ)を受け、2位市立船橋2年杉村奈美(のちリクルート。
服部 孝宏(はっとり たかひろ、1971年11月27日-20… 服部 孝宏(はっとり たかひろ、1971年11月27日-2000年6月29日)は、広島県世羅郡世羅西町(現在世羅町)出身の陸上(長距離走・マラソン)選手。身長179cm、体重59kg、血液型A型。 男子陸上競技界では名門の広島県立世羅高等学校を卒業後、1989年カネボウに入社。陸上競技部に所属。当時の監督は就任したばかりの伊藤国光。当時の部員に高岡寿成、早田俊幸らがいる。 1995年2月、別府大分毎日マラソンでマラソンデビュー。成績は2時間17分15秒の12位。1996年2月、東京国際マラソンで8位入賞、2時間12分41秒。着々とタイムを上げていく。 1997年2月、東京国際マラソンで、旭化成の川嶋伸次・谷口浩美を抑え、レース後半はトップを独走。
丸小野 仁之(まるおの ひとし、1971年10月27日 - … 丸小野 仁之(まるおの ひとし、1971年10月27日 - )は日本の男子陸上競技選手。専門は混成競技。熊本県出身。熊本県~鹿児島県~宮崎県立宮崎工業高等学校、福岡大学卒業。大学時代の21歳のときに十種競技を始めた。日本選手権で1998年と2000年に2度の優勝、アジア陸上競技選手権大会で1995年と2000年に2度の優勝をしている。現在は高校の教員をしている。 各種目最高記録100m11.01走幅跳7m81砲丸投14m46走高跳2m11400m50.23110mH14.68円盤投42m75棒高跳4m85やり投66m361500m4.39.07400mH52.6
安部 友恵(あべ ともえ、1971年8月13日 - )は、大… 安部 友恵(あべ ともえ、1971年8月13日 - )は、大分県杵築市(旧速見郡山香町)出身の日本の女子陸上競技・マラソン選手。 2021年現在、100 kmウルトラマラソンの女子世界記録保持者。旭化成所属。身長149cm。 2006年に結婚、現姓・河野(かわの)、2児の母。 1989年8月、大分東明高校3年在学中、高校総体3000mで3位入賞。この年、第1回全国高校女子駅伝が始まり、エース区間の第1区6kmを走り、トップの堤文子(埼玉栄2年)から12秒差の20:27の区間7位だった。同区間を走ったその他のランナーには寺崎史記(筑紫女学園3年)、小幡佳代子(秦野3年)、盛山玲世(由良育英2年)、山口衛里(西脇工業2年)などがいた。
八木均(やぎ ひとし、1971年8月12日 - )は、日本の… 八木均(やぎ ひとし、1971年8月12日 - )は、日本の陸上競技選手。300m元高校最高記録保持者。 1987年、東京農業大学第二高等学校に入学。1年次から抜群の脚力をみせ、10月の国体少年B400mを47秒66の高1歴代2位(当時)の好記録で制した。 1989年4月23日、群馬県前橋市の敷島公園陸上競技場で開催された群馬リレーカーニバルで300mに出場。33秒91の高校最高記録を樹立した。この記録は2014年にウォルシュ・ジュリアンらに破られるまで約25年間高校最高記録であった。 1989年8月のインターハイ400mで3位、1600mリレーではアンカーを務め、3分12秒42の高校歴代2位(当時)の記録で準優勝。
花田 勝彦(はなだ かつひこ、1971年6月12日 - )は… 花田 勝彦(はなだ かつひこ、1971年6月12日 - )は、日本の陸上競技(長距離走・マラソン)元選手、現指導者。 京都府京都市生まれ、滋賀県近江八幡市出身。滋賀県立彦根東高等学校・早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。エスビー食品を経て上武大学ビジネス情報学部准教授・上武大学駅伝部監督、GMOアスリーツ監督を歴任した。現在は早稲田大学競走部駅伝監督を務める。 1989年の彦根東高校3年時、高知インターハイ1500mで3分54秒41をマークし、優勝した武井隆次に次ぐ5位であった。早大OBの瀬古利彦の勧誘を受け、1990年、早稲田大学に入学。同大学競走部では同期の武井隆次、櫛部静二とともに早大三羽烏と呼ばれ注目を浴びる。
武井 隆次(たけい りゅうじ、1971年5月18日 - )は… 武井 隆次(たけい りゅうじ、1971年5月18日 - )は、日本の陸上競技選手。前エスビー食品陸上競技部監督。専門は長距離走。墨田区立鐘淵中学校、國學院久我山高等学校、早稲田大学人間科学部スポーツ学科卒業。 國學院久我山高校時代は、2学年上に松本秀之( のち中大)、1学年上に大澤哲夫( のち中大)らがいた。1989年の高校3年時、高知インターハイで同学年のライバル柳倫明(市立船橋3年、のち明大)や中村博幸(大牟田3年、のち日大)らに競り勝ち、1500m(3分53秒35)・5000m(大会新14分13秒73)で優勝し注目される。同年10月27日の浜松中日カーニバルでは、高校生として初めて5000mで14分台の壁を破る13分57秒90を記録する。
栁澤 哲(やなぎさわ さとし、1971年1月19日 - )は… 栁澤 哲(やなぎさわ さとし、1971年1月19日 - )は、日本の陸上競技選手、指導者。現在は山梨学院大学陸上競技部競歩部監督。専門は競歩。男子5000m競歩、男子10000m競歩、男子20km競歩、男子30km競歩の元日本記録保持者である。シドニーオリンピック代表。2001年、世界陸上エドモントン大会の男子20km競歩でこの種目として日本人初の7位入賞。長野県中野市出身。長野県中野実業高校を経て、山梨学院大学卒業。綜合警備保障勤務の後、株式会社協和に所属していた。世界陸上・五輪などでは競歩競技実況のTV解説を務める。 ジュニア・学生時代から日本のトップ選手として活躍。1991年、ユニバーシアード競歩大会10000m競歩で優勝。
奈良 修(なら おさむ、1971年1月9日 - )は、東京都… 奈良 修(なら おさむ、1971年1月9日 - )は、東京都出身の元陸上競技選手・指導者。専門は長距離種目。保善高等学校、大東文化大学出身。現役時代はNTN、日清食品に所属した。身長175cm、体重57kg。血液型A型。 大東大時代は箱根駅伝で活躍。4年連続山登りの5区を務め、山登りのスペシャリストと言われた。1年時の第66回大会では1時間12分47秒で区間賞を獲得。2年時の第67回大会では1時間13分54秒で区間2位。この2大会ではエースの実井謙二郎・山登りの奈良・山下り(6区)のスペシャリスト島嵜貴之らを擁した大東文化大は箱根駅伝連覇を達成した。また、2年時に大東文化大は史上初の大学駅伝三冠を達成した。
二瓶 秀子(にへい ひでこ、1971年1月2日 - )は、福… 二瓶 秀子(にへい ひでこ、1971年1月2日 - )は、福島県出身の日本の陸上競技選手。女子100m(11秒36)、200m(23秒82)の元日本記録保持者である。旧姓雉子波(きじなみ)。 福島県立福島女子高校(現在の福島県立橘高等学校)時代は平凡な選手に過ぎなかったが、福島大学進学後に頭角を現す。 大学卒業後は小学校教員となり、福島県内の小学校に赴任。教職の傍ら競技を続け、1995年200mで柿沼和恵と並ぶ23秒82の日本タイ記録を樹立した。福島大学大学院に進学した。 2001年の日本学生種目別選手権100mで11秒36の日本新記録を樹立した。11秒36はその年のエドモントンでの世界選手権参加標準記録を突破していたが、代表選考から漏れた。
杉本 龍勇(すぎもと たつお、 1970年11月25日 - … 杉本 龍勇(すぎもと たつお、 1970年11月25日 - )は、日本の陸上競技選手、サッカー指導者(フィジカルコーチ)。静岡県沼津市出身。血液型はO型。静岡県立浜松北高等学校、法政大学(卒業後、ドイツ留学)、中京大学大学院博士課程修了。 現在は法政大学経済学部教授を務める。 182cm、80kgと恵まれた体型から、日本人離れしたパワータイプのスプリンターであった。 インターハイ、インカレの実績ですでに日本のトップスプリンターの1人であったが、日本選手権のタイトルや日本記録はならず、また、25歳を越してから活躍が乏しく、オリンピック代表も22歳でのバルセロナに終わった。バルセロナでは4×100mリレーのアンカーとして、日本の戦後初のオリンピックでのリレー種目決勝進出に貢献。
竹井 秀行(たけい ひでゆき、1970年11月19日 - )… 竹井 秀行(たけい ひでゆき、1970年11月19日 - )は、日本の元棒高跳選手。1991年と1995年のアジア陸上競技選手権大会で2度優勝している。1991年世界陸上競技選手権大会に日本代表で出場し、1992年IAAFワールドカップにアジア代表で出場した。 国内においては1995年に国民体育大会で優勝し、日本陸上競技選手権大会で2度優勝している。 田原本町立田原本中学校、興誠高等学校(現在の浜松学院興誠高等学校)、中京大学卒。ミキハウスに所属していた。
高岡 寿成(たかおか としなり、1970年9月24日 - )… 高岡 寿成(たかおか としなり、1970年9月24日 - )は、京都府相楽郡山城町(現・木津川市)出身の元陸上競技選手で、専門は中距離走・長距離走・マラソンランナー。現在は陸上競技指導者(花王陸上競技部監督)、スポーツ解説者などでも活動中。 主な実績として、1994年広島アジア競技大会では男子5000mと10000mの2種目を制覇。1996年アトランタオリンピック長距離走代表。2000年シドニーオリンピックは男子10000mでは7位入賞を果たす。2005年世界陸上ヘルシンキ大会男子マラソンで4位入賞。同年東京国際マラソン優勝など。 フルマラソンでは2時間6分16秒(2002年シカゴマラソン)のタイムをマーク、15年以上にわたって日本男子記録の保持者であったほか、3000m、5000m、10000mでもかつて日本記録を持っていた。
志水 見千子(しみず みちこ、1970年9月22日 - )は… 志水 見千子(しみず みちこ、1970年9月22日 - )は、京都府竹野郡網野町(現・京丹後市)出身の元日本女子陸上競技の中距離走・長距離走選手である。
伊藤 喜剛(いとう よしたか、1970年6月23日 - )は… 伊藤 喜剛(いとう よしたか、1970年6月23日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は100メートル走。茨城県出身。日本体育大学体育学部卒業。 茨城県生まれで、水戸市立新荘小学校、水戸市立第一中学校を卒業後、水戸短期大学附属高校(現在の水戸啓明高等学校)に入学、卒業。1993年アジア選手権4X100mR 4走で初の代表入りし、1994年アジア大会100mで6位入賞、4X100mRで金メダル。1995年世界室内陸上競技選手権大会60M準決勝進出を果たす。同年に日本選手権100mを(当時の日本歴代4位:10秒22)制し代表入り、100m、4X100mRの日本代表として1995年世界陸上競技選手権大会に出場し、4X100mRで5位入賞(準決勝で当時のアジア記録樹立)し、有力なアトランタオリンピック短距離選手の代表候補であった。
山本 佳子(やまもと よしこ、1970年6月6日 - )は、… 山本 佳子(やまもと よしこ、1970年6月6日 - )は、日本の元女子陸上競技・マラソン選手。元日本女子マラソン最高記録保持者。本名、本田 佳子(ほんだ よしこ)。兵庫県神戸市出身。夫は、元マラソン選手で現・センコー株式会社・女子陸上競技部の監督本田大造で、現在2児の母。 中学生から本格的に陸上競技を始める。当時、父親から毎日10kmのロードワークを課せられており、滝川第二高校進学後は学校と自宅の間の約16 - 17kmをほぼ毎日走って帰宅していた(夏休みには練習に登校する際も走っていた)。 高校3年生の1988年、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会の近畿予選に3000mで出場するも敗退し、ショックから胃潰瘍を発症、その治療薬の副作用で今度は貧血にかかり、秋の京都国体でも予選落ちしてしまう。
柴田 こずゑ(しばた こずゑ、1970年5月6日 - )は、… 柴田 こずゑ(しばた こずゑ、1970年5月6日 - )は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。旧姓は田中。 専門は400m走。元400m日本記録保持者・陸上日本代表。夫は元・オリンピック走幅跳日本代表選手の柴田博之。 日本女子体育大学卒業後に府立高等学校教員(地方公務員)となり、京都府立鳥羽高等学校教員を経て、京都府立東稜高等学校教員として指導に当たる。同校で指導に当たっていた1997年10月29日、なみはや国体成年女子400mで53秒21をマークし、柿沼和恵が保持していた日本記録を更新した(その後柿沼は2001年に再度日本記録を樹立している) 。また同年の日本陸上競技選手権大会でも400mで優勝している。
奥山 義行(おくやま よしゆき、1970年5月3日 - )は… 奥山 義行(おくやま よしゆき、1970年5月3日 - )は、日本の元陸上競技選手、元ロードレーサー、スポーツインストラクター。1991年世界陸上の元200m走日本代表。TBS『SASUKE』の有力選手でもある。身長168cm、体重58kg。山形県出身。日本大学文理学部体育学科卒業。 幼少期から野球・サッカー・水泳・スキー・相撲など多彩なスポーツを経験。日本大学山形高等学校に進学後、短距離の選手として本格的に陸上を始め、'89年の日本陸上競技選手権大会では200m優勝、100m2位の成績を残す。世界陸上の代表選考を兼ねた'91年の日本選手権で優勝し、世界陸上200m日本代表となる。 日本大学を卒業し、陸上競技引退後はバイクのロードレーサーに転身。
中村祐二(なかむら ゆうじ、1970年4月29日 -)は熊本… 中村祐二(なかむら ゆうじ、1970年4月29日 -)は熊本県出身の元陸上競技選手(長距離種目)である。
岡村 正広(おかむら まさひろ、1970年4月13日 - )… 岡村 正広(おかむら まさひろ、1970年4月13日 - )は、視覚障害の陸上競技・マラソン選手。静岡県御前崎市出身、 RUNWEB 所属、 IPC 陸上競技クラス T12 、身長 175cm 、体重 54kg 。 2016年、リオパラリンピックのマラソンで銅メダルを獲得。 2012年、ロンドンパラリンピックマラソン4位、2011年、IPC 陸上競技世界選手権大会マラソン銅メダル等で活躍。クラス T13 および T12 の 10000m 、マラソンの日本記録を樹立した。2008年、北京パラリンピックのマラソンには選手の伴走をするガイドランナーとして出場した。 1970年4月13日、静岡県小笠郡浜岡町(現在の御前崎市)に生まれる。
渡辺 高博(わたなべ たかひろ、1970年4月8日 - )は… 渡辺 高博(わたなべ たかひろ、1970年4月8日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は400m。バルセロナオリンピック日本代表。元4×400mリレーアジア記録保持者、元400m日本高校記録保持者。愛媛県出身。愛媛県立新居浜東高等学校、早稲田大学卒業。
大石 博暁(おおいし ひろあき、1970年3月13日 - )… 大石 博暁(おおいし ひろあき、1970年3月13日 - )は、広島県出身の陸上競技(円盤投)・ボブスレー選手である。現在はスポーツトレーナーをしている。 広島県に生まれ、崇徳高等学校から東海大学体育学部体育学科へ進み卒業する。1996年の広島国体には陸上競技の円盤投げ選手として出場し優勝する。その後、陸上競技とボブスレーの2足のわらじを履きながら、1996年にボブスレー日本代表入りをする。1998年には長野オリンピックのボブスレー日本代表として出場。竹脇直巳と男子2人乗りで結果は17位であった。男子4人乗りは15位。次の2002年ソルトレークシティオリンピックではパイロットとして出場し、三浦伸二との男子2人乗りで結果は29位。
吉田 孝久(よしだ たかひさ、1970年2月17日 - )は… 吉田 孝久(よしだ たかひさ、1970年2月17日 - )は、日本の元陸上競技選手で、陸上競技指導者、スポーツ科学者。現役時代の専門は走高跳で、元日本記録保持者である。 2000年シドニーオリンピック日本代表選手。 広島市で開かれた1994年アジア競技大会では優勝を果たしている。 神奈川県横浜市栄区出身。姉の影響で、横浜市立庄戸中学校時代に陸上競技を始める。3年生の時に全国大会に出場した。 神奈川県立上郷高等学校時代に全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)で2メートル20の大会記録を樹立した。高校時代に好成績を残せた背景には、走高跳を専門とした教員が着任した事情もあった。 筑波大学に進み、日本ジュニア記録を2度更新(2メートル23、2メートル25)したほか、日本学生記録(2メートル28)も樹立した。
鈴木 久嗣(すずき ひさつぐ、 1970年- )は、日本の陸… 鈴木 久嗣(すずき ひさつぐ、 1970年- )は、日本の陸上競技選手。愛知県知立市出身。知立市立竜北中学校、中京大中京高校、中京大学卒業。 中学時代には全日本中学校選手権の 走り幅跳びで優勝している。またジュニア・オリッピックにおいても7m15cmの大会タイ記録を樹立し優勝を果たした。中学3年生時、走り幅跳びに出場した全ての大会において優勝している。 当初は走り幅跳びの選手だったが、高校入学後に100mに転向した。1986年、高校1年生のみで開催された1年生大会に於いてリレーの名門・名古屋学院に僅差で敗れはしたものの、他校のアンカー4人を抜き2位でゴールした走力を持ち、そのレースから短距離にのめり込んで行った。
清水 康次(しみず こうじ、1969年10月17日 - )は… 清水 康次(しみず こうじ、1969年10月17日 - )は広島県広島市佐伯区出身の陸上競技元選手・指導者。専門は長距離種目・マラソン。身長176cm、体重52kg(現役当時)。 広島県立西条農業高校、大東文化大学卒。現役時代はNTT西日本陸上競技部(NTT中国→NTT西日本→NTT西日本広島→NTT西日本と改称)現在は同陸上競技部監督。 マラソンで4回のサブテン(2時間10分切り)を達成。国内大会でのサブテン4回という記録は川内優輝に抜かれるまでは日本人最高記録だった。 大東大時代の同期には横田芳則・島嵜貴之、1学年上に実井謙二郎、1学年下に奈良修らがいる。1年次・2年次・4年次に全日本大学駅伝に出場(2年次は優勝)。