松並 早苗(まつなみ さなえ、1964年4月6日 - )は、… 松並 早苗(まつなみ さなえ、1964年4月6日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 大阪府守口市出身。四天王寺高校を経て、1983年に日本リーグの東洋紡(当時)に入部。翌1984年に第17回日本リーグの新人賞を獲得。1985年の日本リーグにおいて、東洋紡の準優勝に大きく貢献し、敢闘賞を受賞した。
職業がバレーボール:1,474人
松並 早苗(まつなみ さなえ、1964年4月6日 - )は、… 松並 早苗(まつなみ さなえ、1964年4月6日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 大阪府守口市出身。四天王寺高校を経て、1983年に日本リーグの東洋紡(当時)に入部。翌1984年に第17回日本リーグの新人賞を獲得。1985年の日本リーグにおいて、東洋紡の準優勝に大きく貢献し、敢闘賞を受賞した。
松下 晃子(まつした あきこ、1963年7月22日 - )は… 松下 晃子(まつした あきこ、1963年7月22日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立夢野台高等学校を経て、1982年、日本リーグのユニチカ(当時)に入部。 1986年から4年間、チームの主将を務めた。1989年、全日本に選出され、同年のワールドカップに出場。1990年、第23回日本リーグではチーム準優勝に大きく貢献し、自らも敢闘賞、ベスト6に輝いた。 1990年に現役を引退し、カリフォルニア大学へ留学。1997年から2000年まで、デンソーのトレーナーを務めた。
熊田 康則(くまだ やすのり、1963年3月18日 - )は… 熊田 康則(くまだ やすのり、1963年3月18日 - )は、日本の元バレーボール選手、ビーチバレーボール選手、指導者。 神奈川県出身。横浜市立末吉中で当初野球部に所属するが、2年次にバレーボール部に転部。法政二高に進学し、2年までセッターを務めたが3年からアタッカーに転向。高校3年で全日本に呼ばれ、法政大学に進学し4年次には大学主要タイトル4冠を達成。 1985年、大学卒業とともに富士フイルム入社。1年目から日本リーグでの21試合全勝優勝を経験するなど富士フイルム黄金時代を支え、同チームの主将も務めた。川合俊一(中学からの顔見知り)、井上謙(高2の練習試合で出会う)と共に、「バレーボール界のビッグ3」と言われ、大砲として日本バレーボール界をリード。
井上 謙(いのうえ ゆずる、1963年2月15日 - )は、… 井上 謙(いのうえ ゆずる、1963年2月15日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 広島県広島市生まれ。大手製紙会社に勤務した父親の転勤が多く、長野県岡谷市や静岡県由比町(現・静岡市清水区)などで育つ。 岡谷工業高等学校、順天堂大学を経て1985年日本鋼管(現JFE)に入社。同年全日本代表入りし、1985年神戸ユニバーシアード優勝に貢献。 サウスポーの高い打点からの重いスパイクを武器に、1985年のワールドカップや1988年のソウル五輪などで大車輪の活躍を見せた。しかし、自身の試合中の怪我もあり、ソウルでの順位は全日本バレーのオリンピック史上最悪(当時)の10位に終わった。 1990年、椎間板ヘルニアを手術。
川合 俊一(かわい しゅんいち、1963年〈昭和38年〉2月… 川合 俊一(かわい しゅんいち、1963年〈昭和38年〉2月3日 - )は、日本の元ビーチバレー選手、元バレーボール全日本男子代表主将(ポジションはセンタープレーヤー)。 現職は、日本バレーボール協会会長、日本ビーチバレーボール連盟名誉会長、NPO法人日本バレーボール・オリンピアンの会理事、アジアバレーボール連盟理事、トヨタ自動車ビーチバレーボール部ゼネラルマネージャー、ケイブロス代表取締役社長、タレント、バレーボール解説者。ワタナベエンターテインメント所属。 新潟県西頸城郡青海町(現:糸魚川市)出身。8歳から東京都大田区本羽田で育つ。大田区立都南小学校、大田区立出雲中学校を経て、明治大学付属中野高等学校、日本体育大学体育学部体育学科卒業。
吉川 正博(よしかわ まさひろ、1963年1月21日 - )… 吉川 正博(よしかわ まさひろ、1963年1月21日 - )は、日本のバレーボール元選手・指導者。神奈川県出身。元バレーボール全日本女子監督。 中学校からバレーボールを始める。藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校)から東海大学を経て、1985年にNEC入社。全日本ジュニア、アトランタ五輪のバレーコーチを経て、1997年にはNECレッドロケッツの監督に就任。同年開催の全日本選手権ではチームを初優勝へと導いた。 2001年、葛和伸元の後任として全日本女子バレーボールチーム監督に就任する。同年開催のグラチャンバレーで銅メダルを獲得した。しかし、続くアジア選手権では中国、韓国に及ばず3位決定戦で地元のタイに敗れ、日本女子バレー史上初のアジア選手権メダル無しという結果に終わった。
小高 笑子(おだか えみこ、1962年12月14日 - )は… 小高 笑子(おだか えみこ、1962年12月14日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1984年ロサンゼルスオリンピックバレーボール女子銅メダリスト。
山下 美弥子(やました みやこ、1962年12月6日 - )… 山下 美弥子(やました みやこ、1962年12月6日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 新潟県北魚沼郡広神村(現魚沼市)出身。中学1年よりバレーボールを始める。六日町女子高校を経て、1981年に日本リーグの日本電気(当時)に入部。 163cmとレフトとしては非常に小柄だが、豊かなジャンプ力を生かした力強いスパイクで「小さな大エース」と呼ばれた。1986年から1990年までチーム主将を務めた。また日本リーグ通算11シーズンで、通算出場試合数歴代1位をマークしている。第21回日本リーグでは、佐藤伊知子らとともにNEC初優勝の原動力となった。 1988年に全日本入りを果たし、ソウルオリンピックに出場、4位入賞に貢献した。
増成 一志(ますなり かずし、1962年9月22日 - )は… 増成 一志(ますなり かずし、1962年9月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 兵庫県姫路市出身。実兄の影響で中学1年よりバレーボールを始める。 高校卒業後、象印を皮切りに数々のチームを渡り歩き、2003年に現役を引退する。 2005年に旭化成スパーキッズで現役復帰。2006年、旭化成の休部に伴い大分三好ヴァイセアドラーに移籍、監督も務めた。2009年に再び兼任監督就任し、2009-10シーズン終了後に現役引退。プレミアリーグ最年長選手として47歳までプレーした。2010年に総監督に就任し、2010-11シーズン終了後、2011年4月にチームを退団した。 2011-12シーズン前に豊田合成トレフェルサのセッターコーチに就任。
田中 直樹(たなか なおき、1962年4月2日 - )は、日… 田中 直樹(たなか なおき、1962年4月2日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。元全日本代表。 福岡県北九州市出身。福岡県立直方高等学校、日本体育大学を経て、住友金属(本拠地:北九州市)に入社。 1985年神戸ユニバーシアード優勝に貢献。1986年の第17回実業団リーグではチームの優勝に大きく貢献し、自らもMVPに輝いた。 引退後はFNS春高バレーコーチングキャラバンのコーチも務めた。
杉山 加代子(すぎやま かよこ、現姓:加藤(かとう)、196… 杉山 加代子(すぎやま かよこ、現姓:加藤(かとう)、1961年10月31日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1984年ロサンゼルスオリンピックバレーボール女子銅メダリスト。 茨城県稲敷郡阿見町出身。自衛隊職員の父親をもち、スポーツ一家に生まれる。メキシコオリンピック銀メダリストの笠原洋子は親戚。 県下のバレーボール伝統校であった竜ヶ崎二高へ入学するとエースポジションを任され、インターハイグループ戦で名門の博多女子商業と渡り合い大活躍した。 1980年に日本リーグの日立に入部。以後、チームや全日本の中心選手として長く活躍した。1984年ロサンゼルスオリンピックバレーボールでは銅メダル獲得に大きく貢献した。
米山 一朋(よねやま かずとも、1961年9月12日 - )… 米山 一朋(よねやま かずとも、1961年9月12日 - )は、日本の元バレーボール選手、指導者。バレーボール元全日本代表主将。 東京都墨田区出身。現役時代は全日本の司令塔セッターとして活躍。全日本男子の元コーチで、2012年3月まで嘉悦大学バレーボール部の部長兼監督を務めた。
古川 靖志(ふるかわ やすし、1961年5月28日 - )は… 古川 靖志(ふるかわ やすし、1961年5月28日 - )は、元バレーボール選手、現指導者。 東京都新宿区出身。川崎市立生田中学校でバレーボールを始める。 1979年、藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校)2年のとき、春の高校バレーで優勝。1980年、順天堂大学に進学し、3年のときに全日本入り。 1982年に世界選手権代表。翌1983年のアジア選手権ではベスト6に選ばれ、セッター賞も獲得した。 1984年、大学卒業後、日本鋼管に入社。同年のロサンゼルスオリンピックに出場した。 2008年より尚絅学院大学女子バレーボール部コーチを務め、2011年に仙台ベルフィーユのコーチを兼任。 2012年4月に仙台を退部。
田中 千代美(たなか ちよみ、1961年5月7日 - )は、… 田中 千代美(たなか ちよみ、1961年5月7日 - )は、日本のバレーボール指導者、元選手。 新潟県岩船郡神林村(現:村上市)出身。村上女子高校卒業後、1980年日本電気バレーボール部に入部。1984年から1986年までチーム主将を務めた。 センタープレーヤーとしては低身長だがブロックを得意とし、在籍10シーズンで日本リーグ歴代3位の通算ブロック決定本数をマークした。 1990年に現役引退。1992年、実業団の北越銀行(本店:長岡市)バレーボール部創部と同時に監督に就任し、1998年チームをV1リーグ(現:チャレンジリーグ)昇格に導いた。 1999年に北越銀行バレーボール部が休部(廃部)になったことに伴い、選手の新たな受け皿として地域バレーボールクラブのベスビアス長岡(現:ベスビアス新潟)を結成した。
黒葛原 淳一(つづらばら じゅんいち、1961年2月26日 … 黒葛原 淳一(つづらばら じゅんいち、1961年2月26日 - )は、日本の元バレーボール選手である。 1961年2月26日、宮崎県北諸県郡三股町出身。 両親がバレーボール経験者であり、自身も小学校6年生次に松平康隆監督率いる男子バレーボール日本代表がミュンヘンオリンピックで優勝した際にTBS系列で放送されたテレビ番組『ミュンヘンへの道』に感動してバレーボールを始めた。 宮崎県立都城工業高等学校を経て日本体育大学へ進学。バレーボール部でプレイする一方で『バレーボールは大学で引退して、故郷(宮崎)で中学校教師になるつもりでいた』ところに、日本バレーボールリーグの名門である日本鋼管からスカウトされ、1983年4月に入社。
利部 陽子(かがぶ ようこ、1960年10月28日 - )は… 利部 陽子(かがぶ ようこ、1960年10月28日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1984年ロサンゼルスオリンピックバレーボール女子銅メダリスト。 秋田県秋田市太平出身。秋田市立太平中学校でバレーボールを始める。中学時代はアタッカーであり、高校入学後にセッターに転向。 1979年に日立に入団。 日立・全日本ともに正セッターには中田久美がいたため、「チームが苦しい場面のピンチサーバー」としての役割を果たした。 引退後は秋田市役所に勤務。 1994年に小学生クラブチームの秋田ブレイザーズジュニアを立ち上げ、指導者を務める。教え子にはAstemoリヴァーレ茨城の野中瑠衣がいる。
奥野 浩昭(おくの ひろあき、1960年9月23日 - 20… 奥野 浩昭(おくの ひろあき、1960年9月23日 - 2018年12月11日)は、元男子バレーボール選手である。
田野 昭彦(たの あきひこ、1960年7月26日 - )は、… 田野 昭彦(たの あきひこ、1960年7月26日 - )は、日本のバレーボール審判員である。 大阪府出身。中学から大学までバレーボール選手として活動した。広島大学卒業後に堺市立工業高等学校に奉職し、現在は、堺市立堺高等学校のバレーボール部顧問となった。趣味は大声を出すことと大ジャンプといううさぎ飛びをさせることと腕立てをさせること。ある大会で審判員を務めたのがきっかけで本格的に審判員を志す。国内ライセンス取得後、1994年にポーランドで開催されたFIVB国際審判員候補研修コースを受講し国際審判員候補 (International Referee Candidate)となり、アジア地区の国際大会でレフェリーを務め始めた。
石田 京子(いしだ きょうこ、現姓:野口、1960年7月12… 石田 京子(いしだ きょうこ、現姓:野口、1960年7月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、現指導者。 大阪府大阪市出身。薫英高校を経て、日本リーグの日立(当時)に入部。 1984年度の第18回日本リーグでは、江上由美や三屋裕子らが抜けた日立を主将として率い、21戦全勝の完全優勝を遂げ、自らもスパイク賞とベスト6に輝いた。このあともリーグ連勝記録を前人未踏の88まで伸ばした殊勲者のひとりである。 一方、1982年に全日本に招集され、1984年ロサンゼルスオリンピックに出場、銅メダルを獲得した。 1987年に現役引退し、元日立コーチの野口剛彦と結婚。 1999年、信州大学教育学部生涯スポーツ課程に入学。
藤田 幸光(ふじた ゆきみつ、1960年4月23日 - )は… 藤田 幸光(ふじた ゆきみつ、1960年4月23日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。元全日本代表。 滋賀県長浜市出身。1979年に松下電器に入社し、1980年代の同チームを牽引した。 日本リーグ通算成績で、歴代最多得点3位をマークしている。 1990年よりコーチ兼任となり、1993年から1997年まで監督を務めた。 2007年4月より京都橘大学女子バレーボール部監督に就任し、2009年12月の全日本インカレにおいてチーム初となるベスト4に導いた。 2025年、京都橘大学監督を退任。帝塚山大学女子バレーボール部の監督に就任した。
西川 美代子(にしかわ みよこ、1960年4月2日 - )は… 西川 美代子(にしかわ みよこ、1960年4月2日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 鹿児島県鹿屋市出身。農家の三姉妹の次女として生まれる。中学入学時の体力テストで「バレーボールに適正あり」と診断されたため、バレーボールを始める。第5回夏の中学バレーで元全日本選手上口たづ子(元鐘紡)が臨時コーチを務めたほど注目された。 博多女子商業高校を経て、1979年に日本リーグのユニチカに入団。 1981年に全日本メンバーに選出され、同年のバレーボールワールドカップに出場し、銀メダル獲得に貢献した。
三橋 栄三郎(みつはし えいざぶろう、1960年1月5日 -… 三橋 栄三郎(みつはし えいざぶろう、1960年1月5日 - )は日本の元バレーボール選手。元バレーボール全日本。 青森県出身。弘前工業高校、日本体育大学卒業。 1982年に富士フイルムに入社、日本リーグでは優勝5回、最高殊勲選手賞3回、スパイク賞2回と活躍。全日本では1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪に出場し超高速Bクイックを武器に全日本の中心選手として活躍した。 1987年の第1回ビーチバレージャパンでは、岩島章博と組んで出場。決勝で川合・熊田ペアと対戦し準優勝となった(ちなみに4人とも富士フイルムの選手だった)。 1992年3月29日、大阪城ホールで行われた日本リーグ最終順位決定リーグ・新日鉄戦の第四セットのプレー中、右足アキレス腱を部分断裂した。
下村 英士(しもむら えいじ、1959年10月31日 - )… 下村 英士(しもむら えいじ、1959年10月31日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。ロサンゼルスオリンピック全日本男子代表。 現在は広島経済大学男子バレーボール部監督。 三重県松阪市出身。松阪工高、大阪学院大を卒業後、1982年に日本専売公社(現日本たばこ産業)中国支部に入社。専売広島バレー部(現JTサンダーズ)に入部。猫田勝敏に鍛えられ、いわゆる「打てるセッター」としてリーグ屈指のセッターに成長。1984年日本リーグスパイク賞受賞。 一方、全日本では1983年にユニバーシアード代表に選出され、同年にはアジア選手権では優勝した。翌1984年、ロサンゼルスオリンピック全日本代表に選出される。
松尾 栄里(まつお えり、旧名・キャロル・ピーターセン、キャ… 松尾 栄里(まつお えり、旧名・キャロル・ピーターセン、キャロル松尾。1959年8月22日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 東京都中野区出身。中学1年よりバレーボールを始める。八王子実践高校を経て、1978年に富士フイルム女子バレーボール部に入部。1981年から1983年までチーム主将を務めた。 1979年、第12回日本リーグで新人賞、スパイク賞。1981年、第14回日本リーグでサーブ賞を獲得した。1984年、現役引退。 以前の国籍はアメリカ合衆国。米軍将校の父親と日本人の母親の間に、立川基地米軍病院で生まれた。幼少からスポーツ万能で、中野一中在学時には中野区総合スポーツ大会で水泳リレーで優勝、砲丸投げで二位入賞を記録した。
笠間 裕治(かさま ゆうじ、1959年7月2日 - )は、日… 笠間 裕治(かさま ゆうじ、1959年7月2日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(全日本代表)、バレーボール指導者。 福岡県柳川市出身。福岡県立伝習館高等学校から中央大学(経済学部)に進学。1982年に卒業後、日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)に入社し、NKKナイツの選手として活躍した。 ユニバーシアード大会には、1981年大会・1983年大会に出場した。 1988年ソウルオリンピック出場(10位)。 母校・中央大学バレーボール部の監督も務めた。
金川 裕一(かながわ ゆういち、1959年6月25日 - )… 金川 裕一(かながわ ゆういち、1959年6月25日 - )は、京都府出身の元バレーボール選手、監督、実業家。座右の銘は「企業はファン作り、人生は仲間作り」である。横河電機故美川英二社長の薫陶を受け、企業における社員の雇用の重要性にこだわりを持っている。 1980年から1981年、早稲田大学体育会バレーボール部キャプテン。1996年 早稲田大学バレーボール部で木原丈裕や浦野剛らを指導。1989年から約2年、横河電機バレーボール部の監督。2016年に横河レンタ・リース株式会社 代表取締役社長に就任した。2011年カナリア書房より、スポーツを通じて学んだ精神と企業内ベンチャー制度を利用した起業経験をもとに「企業雇用」をテーマとした著書「幸働力経営のススメ」を出版し、各地で講演も行っている。
岩島 章博(いわしま あきひろ、1959年4月23日 - )… 岩島 章博(いわしま あきひろ、1959年4月23日 - )は、日本の元バレーボール選手。元全日本代表。 岐阜県瑞浪市出身。瑞浪市立稲津中学校、岐阜県立多治見工業高等学校を経て法政大学を卒業した。 1982年、富士フイルムに加入。1990-1992年度は選手兼任コーチとなり、1993-1998年度はコーチを務めた。 1987年度の日本リーグにおける岩島のアタック決定率(65.6%)は、現在のVプレミアリーグを含めても年度記録として過去最高という情報もある[要検証 – ノート]。 同年の第1回ビーチバレージャパンでは、三橋栄三郎と組んで出場。決勝で川合・熊田ペアと対戦し準優勝となった(ちなみに4人とも富士フイルムの選手だった)。
吉田 清司(よしだ せいじ、1959年4月12日 - )は岩… 吉田 清司(よしだ せいじ、1959年4月12日 - )は岩手県盛岡市出身のバレーボール指導者。FC東京バレーボールチームの監督と総監督を歴任。専修大学法学部教授(スポーツ科学)。息子はフェンシングオリンピック代表選手の吉田健人。 1988年全日本女子コーチとしてソウルオリンピックを経験、1997年オーストラリア男子代表コーチ、2005年からは全日本男子アナリストに就任し北京オリンピック出場に貢献。2009年東アジア競技大会全日本男子代表監督を務めた。 2011年ロンドンオリンピック出場を目指す全日本男子チームのマネジャーに就任。
広瀬 美代子(ひろせ みよこ、現姓:中島 、1959年3月5… 広瀬 美代子(ひろせ みよこ、現姓:中島 、1959年3月5日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。ロサンゼルス五輪銅メダリスト。 兵庫県神戸市垂水区出身。母親がママさんバレーをしていた影響で中学1年よりバレーボールを始めた。兵庫県立舞子高等学校を経て、1977年に日本リーグのユニチカ(当時)に入社した。 1979年に全日本入りをする。1981年ワールドカップでは銀メダル獲得に大きく貢献し、広瀬もレシーブ賞獲得およびベスト6に選出された。1984年日立の選手が中心のロサンゼルス五輪代表にユニチカから唯一出場した。準決勝の中国戦では郎平に対するピンチレシーバーとして起用されたが「鉄のハンマー」と呼ばれた郎平の強烈なスパイクを止めることができず、チームは敗れたものの銅メダルを獲得した。
蘇武 幸志(そぶ こうし、1959年1月27日 - )は、元… 蘇武 幸志(そぶ こうし、1959年1月27日 - )は、元男子バレーボール選手。ロサンゼルス五輪全日本男子代表。 宮城県鴬沢町(現栗原市)出身。鴬沢町立細倉中学校(現鴬沢中学校)、大崎市古川(旧・古川市)にある宮城県古川工業高等学校電気科、日本体育大学体育学部のバレーボール部で活躍。 日体大時代は、1980年に関東大学リーグ戦春秋優勝、全日本大学選手権準優勝を経験。1978年と1980年に日米対抗に出場。1981年にルーマニアで開かれたユニバーシアードにも出場し3位となった。 1981年4月、実業団富士フイルムへ加入。日本リーグは1982年、1984年、1985年で優勝を経験し、山田修司らと黄金時代を築いた(84~85年は富士フイルム5連覇の最初の2年間)。
緒方 良(おがた りょう、1958年11月5日 - )は、日… 緒方 良(おがた りょう、1958年11月5日 - )は、日本のバレーボール元選手・指導者。元日本代表、元新日本製鉄男子バレーボール部監督。日本バレーボール協会役員、JVA GOLD PLAN副委員長、日本バレーボール指導者協会副会長、三晃金属工業株式会社取締役を歴任。 大阪市の清風高等学校を経て、1981年に駒澤大学を卒業。大学在学中からナショナルチームで活躍。日本代表でエースアタッカー。実業団の新日鉄男子バレーボール部(現:日本製鉄堺ブレイザーズ)で主将、コーチ、監督を歴任(選手7年、コーチ3年、監督2年、日本リーグで優勝4回、準優勝4回)。 日本バレーボール協会公認講師・指導普及委員会副委員長・普及部部長。
鳥羽 賢二(とりば けんじ、1958年9月3日 - )は、元… 鳥羽 賢二(とりば けんじ、1958年9月3日 - )は、元バレーボール選手。びわこ成蹊スポーツ大学競技スポーツ学科教授。 1981年、筑波大学を卒業してサントリーに入社。バレーボール部(サントリーサンバーズ)に入部し、1986年度にはチームの主将も務めた。 選手引退後、2001-2003年度は同チームの監督、2004-2006年度はゼネラルマネージャーを務めた。 2007年、びわこ成蹊スポーツ大学准教授に就任(2011年から教授)。 2011年、同志社大学大学院総合政策科学研究科博士課程(前期課程)を修了。 また、2007年から日本バレーボール協会男子強化委員長(およびチームマネージャー)を務めて、2017年4月より強化事業本部本部長に就任する。
森田 貴美枝(もりた きみえ、1958年2月27日 - )は… 森田 貴美枝(もりた きみえ、1958年2月27日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1984年ロサンゼルスオリンピックバレーボール女子銅メダリスト。
寺廻 太(てらまわり ふとし、1958年1月22日 - )は… 寺廻 太(てらまわり ふとし、1958年1月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。広島県安芸郡坂町出身。元バレーボール全日本男子監督。明治大学政経学部政治学科卒業。マネジメント契約先はスポーツビズ。 崇徳高のエースプレーヤーとして、1975年、春高バレー・高校総体・国体の高校三冠を達成。明治大学ではセンタープレーヤーとして活躍し、1980年日本電気(現NEC)男子バレーボール部に入部。日本リーグでオールラウンドプレーヤーとして活躍した。 1987年コーチに専任し、翌1988年、監督に昇格するとチームをVリーグ3度、全日本選手権4度の優勝に導き、若き名将としてその名を馳せる。 1996年アトランタ五輪後、全日本男子の復活を期す切り札として、抜群の統率力と斬新さが評価され全日本監督に招聘される。
池知 晶代(いけぢ まさよ、1958年1月15日 - )は、… 池知 晶代(いけぢ まさよ、1958年1月15日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。現姓・竹島。 高知県南国市出身。中学1年次に身長が168cmあり、バレー部の先生に勧められバレーボールを始める。土佐女子高校在学中は春高バレーやインターハイの出場経験をもつ。1976年に日本リーグの富士フイルム(当時)に入部。 1979年、全日本入りを果たし、モスクワプレオリンピックに出場。翌年もモスクワオリンピック出場メンバーに選出されたが、西側諸国のボイコットにより本戦出場は幻となった。 1981年、第14回日本リーグにおいて主力選手としてチームを支え、ベスト6賞を獲得した。富士フイルムの遠藤祐亮監督は「全日本で豊富な国際試合を経験し、すべてにわたりレベルアップした」と評している。
丸山 由美(まるやま ゆみ、旧姓・江上(えがみ)、1957年… 丸山 由美(まるやま ゆみ、旧姓・江上(えがみ)、1957年11月30日 - )は、日本のバレーボール指導者、元選手。東京都出身。
杉本 公雄(すぎもと きみお、1957年10月15日 - )… 杉本 公雄(すぎもと きみお、1957年10月15日 - )は、日本の元バレーボール選手。 千葉県船橋市出身。習志野高校を経て、1976年に富士フイルムに入社。185センチとアタッカーとしては小柄ながら、サウスポーでの強力なスパイクを武器に活躍した。1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪に出場し、ソウル五輪では主将を務めた。左利きながらレフトからのオープンスパイクを得意としていた。
奥嶋 桂子(おくしま けいこ、現姓・河村、1957年7月12… 奥嶋 桂子(おくしま けいこ、現姓・河村、1957年7月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 山口県防府市出身。中学1年よりバレーボールを始める。三田尻女子高校(現・誠英高校)を経て、1976年に日本リーグの鐘紡(当時)に入部。 1979年、エースとしてカネボウのリーグ優勝に大きく貢献し、ベスト6賞を獲得した。カネボウ監督の上野康夫は、「幅広い攻撃力と馬力は天下一品。うまみも加わり速攻もこなす。コートマナーがよい」と評している。1980年、モスクワオリンピック出場メンバーに選出されたが、西側諸国のボイコットによりオリンピック出場は幻となった。 Vプレミアリーグトヨタ車体クインシーズ所属の河村聖子は実娘(次女)である。
村上 情次(むらかみ じょうじ、1957年5月20日 - )… 村上 情次(むらかみ じょうじ、1957年5月20日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。広島県広島市出身。 小学校時にバレーボールを始める。県立広島工業高校に進み、バレーボールをやめ、野球部に入部。しかし肩を痛めて野球を断念し再びバレーボール始める。 猫田勝敏にスカウトされ、高校卒業後に地元、日本専売公社広島地方局(現日本たばこ産業株式会社広島支店)に入社、専売広島(現JTサンダーズ)に入部した。1977年から1989年までエースとして、晩年は兼任コーチとして活躍した。 現在は、広島市内で飲食店『Mrジョー』を経営している[要出典]。
須藤 佳代子(すどう かよこ、1957年4月1日 - )は、… 須藤 佳代子(すどう かよこ、1957年4月1日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、元全日本選手。 東京都世田谷区出身。中学1年よりバレーボールを始める。八王子実践高校を経て、1975年に富士フイルム女子バレーボール部に入部。 1977年から1978年にかけて全日本に選出され、ワールドカップ金メダルおよび世界選手権銀メダルを獲得。 1979年から1981年まで富士フイルムの主将を務め、第12回日本リーグでサーブ賞を獲得した。1981年に現役引退後は富士フイルム本社で女子社員の労務関係の仕事をしていた。
小川 かず子(おがわ かずこ、1957年2月4日 - )は、… 小川 かず子(おがわ かずこ、1957年2月4日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 徳島県那賀郡出身。富岡東高校を卒業するといったん就職するが、池坊短期大学へ進学しバレーボールを続けた。短期大学卒業後は実家に戻る予定だったが、1978年ユニチカに入部する。 入部直後の都市対抗バレー(現黒鷲旗大会)からチームのレギュラーセッターを務め、全日本に抜擢される。同年の世界選手権では銀メダルを獲得した。 1980年、モスクワオリンピック日本代表に選出されたが、西側諸国が同大会をボイコットしたためにオリンピック出場はならなかった。 国内では日本リーグのベスト6を3年連続獲得、第13回・14回の日本リーグ2連覇、第15回のチーム準優勝に大きく貢献し、敢闘賞を獲得した。
佐藤 裕子(さとう ひろこ、1957年1月12日 - )は、… 佐藤 裕子(さとう ひろこ、1957年1月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 広島県福山市出身。高校1年よりバレーボールを始める。松永高校を経て、1975年に実業団リーグの東洋紡守口(当時)に入部。 日本リーグ昇格後の1981年、第14回日本リーグでのチーム準優勝に大きく貢献し、敢闘賞とベスト6賞を獲得した。またチーム主将を2シーズン務めている。東洋紡監督の石川春樹は「冷静沈着で包容力がある、誰もが親しみを感じる」と評している。 1981年、全日本入りを果たし、ワールドカップに出場、銀メダル獲得に貢献した。 67 高山鈴江 / 68-69 松村勝美 / 69-70 浜恵子 70-71 浜恵子 / 71-72 飯田高子 / 72-73 岩原豊子 / 73-74 飯田高子 / 74-75 白井貴子 / 75-76 横山樹理 / 76-77 前田悦智子 / 77-78 横山樹理 / 78-79 江上由美 / 79-80 清水睦子 80-81 佐藤裕子 / 81-82 小川かず子 / 82-83 水原理枝子 / 83-84 田渕良子 / 84-85 松並早苗 / 85-86 梅津一美 / 86-87 ローズ・メジャーズ / 87-88 大林素子 / 88-89 中西千枝子 / 89-90 松下晃子 90-91 石掛美知代 / 91-92 高山佳代 / 92-93 中西千枝子 / 93-94 山内美加 94-95 中西千枝子 / 95-96 エレーナ・チューリナ / 96-97 大林素子 / 97-98 大懸郁久美 / 98-99 リュボフ・シャチコワ / 99-00 吉原知子 00-01 関井陽子 / 01-02 高橋みゆき / 02-03 エフゲーニャ・アルタモノワ / 03-04 アダムス・モニーク / 04-05 フランシーヌ・フールマン / 05-06 ケニア・カルカセス
清嶋 彰一(きよしま あきかず、1957年1月1日 - )は… 清嶋 彰一(きよしま あきかず、1957年1月1日 - )は日本の元競輪選手、元バレーボール選手。現在は実業家。熊本県熊本市出身。血液型はO型。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第40期生。現役最終時は日本競輪選手会鹿児島支部所属(登録地は沖縄県)であったが、デビュー当初は東京支部所属(ホームバンクは立川競輪場)で、後に福井支部にも在籍した。師匠は黒須修典。弟子には波潟和男らがいる。 駒澤大学高等学校を経て、駒澤大学に進学。学生時代にバレーボールのセッターを務めた。バレーボールでは全日本クラスの実力の持ち主であったが、当時、全日本チームは大型化を目指していたこともあり、身長が180cmそこそこだった清嶋にお呼びが掛かる可能性はなかった。
宮下 直樹(みやした なおき、1956年11月22日 - )… 宮下 直樹(みやした なおき、1956年11月22日 - )は、日本のバレーボール指導者である。神奈川県川崎市出身。 1975年、東海大学男子バレーボール部に入部し、セッター・レシーバーでプレーし、副将も経験する。 1979年に朝日生命男子バレーボール部に入団し、同社バレーボール教室専任講師にも就任。選手としては1986年までセッターでプレーする。女子バレーボール部のコーチ及び監督に就任し、2000年まで務めた。1996年に同社バレーボール教室の校長に就任し、2001年まで務めた。 2001年には、カナダ女子代表コーチに就任。2006年に監督に昇格し、2008年まで務めた。(コーチ時代は、カナダウィニペグ大学女子バレーボールチーム及び、ウィニペグ大学ジュニアクラブチームメントールコーチも務める) 2008年に武富士バンブーのコーチに就任。
山田 修司(やまだ しゅうじ、1956年6月2日 - )は、… 山田 修司(やまだ しゅうじ、1956年6月2日 - )は、日本のバレーボール選手・監督。元全日本。 北海道札幌市出身。東海大四高では3年時にインターハイと国体で優勝。 1975年に富士フイルムに加入し、入団1年目からレギュラーに抜擢された。1984~88年の富士フイルムの日本リーグ5連覇には、選手・主将として大きく貢献、杉本公雄・ 御嶽和也・蘇武幸志・三橋栄三郎らとともに黄金時代を築き上げた。 1979年以来全日本メンバーとしても活躍し、1981年のワールドカップでは敢闘賞を受賞。1984年のロサンゼルスオリンピックでも、主将としてチームを牽引した。 1987年に現役を引退。その後1992年に富士フイルムの監督に就任し、同年の日本リーグで優勝。
水田 和幸(みずた かずゆき、1955年11月29日- )は… 水田 和幸(みずた かずゆき、1955年11月29日- )は、日本の元男子バレーボール選手。 大阪商業大学附属高校バレー部のレギュラーとして活躍。高校3年の1973年のシーズンには、第1エースとして春高バレー(全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)、高校総体、国体の3冠を達成している。 高校卒業後、大阪商業大学に進学し、バレーボール部のレギュラーとして活躍。1975年には、全日本男女学生代表として、中国への遠征試合に派遣され、北京・南京・天津を転戦した。同年、東ドイツ、ブルガリアを招いての三国バレーボール試合に学生ながら日本代表に選ばれた。このほか、日本選抜メンバーも選ばれ試合をしており、日本選抜には大阪商業大学附属高校時代の同期である西岡秀人などが選ばれていた。
小川 良樹(おがわ よしき、1955年10月29日 - )は… 小川 良樹(おがわ よしき、1955年10月29日 - )は、日本のバレーボール指導者。愛知県名古屋市出身。 早稲田大学高等学院、早稲田大学法学部を卒業後、早稲田大学教育学部教育学科体育学を専修する。 1981年から下北沢成徳高等学校でバレー部監督を務める。2002年に開催された春高バレー(第33回全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)で三田尻女子を下し初優勝を飾る。その年は、インターハイ(全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会)と国民体育大会バレーボール競技でも優勝を果たし、3大大会の3冠を達成した。 同校の同部からは、多数のバレーボール日本女子代表選手を輩出している。 2022年3月に開催されたさくらVOLLEY(第27回全国私立高等学校男女選手権大会)後に今季をもって監督を退任することを明かした。
桑田 美仁(くわた はるひと、1955年9月2日 - )は、… 桑田 美仁(くわた はるひと、1955年9月2日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。元サントリーサンバーズ監督。 広島県府中市出身。中学2年までは陸上の走高跳の選手だったが、校内のクラス対抗戦で初めてバレーボールに触れ転向。それ以降セッター一筋。 1978年、大阪商業大学卒業後、実業団リーグに降格していたサントリー男子バレーボール部(現・サントリーサンバーズ)入団。セッターとして翌年1979年、日本リーグ復帰と同年都市対抗でのチーム結成以来初の全国優勝に貢献した。サーブレシーブに優れ、1981年のワールドカップで全日本に選出され、ピンチレシーバーなどで活躍した。 サントリーでは1984年からコーチ専任となり、1997年まで長きに渡り強力チーム作りへ尽力、1998年監督に就任するとジルソン・ベルナルド、佐々木太一、清水雅之、荻野正二、朝日健太郎らを擁して2000年第6回Vリーグ制覇と全日本選手権、第1回Vカップ初代王者とタイトルを独占、翌年2001年Vリーグ二連覇を達成し黄金時代の礎を築いて勇退した。
カン・マンス(朝: 강만수、英: Kang Man-Soo … カン・マンス(朝: 강만수、英: Kang Man-Soo / Gang Man-Su、日: 姜萬守 / 姜万守、1955年8月24日 - )は、韓国の元・男子バレーボール選手。元・韓国代表。ポジションはレフト。 慶尚南道河東郡出身。漢陽大学校(1978年)卒業。早稲田大学(1986年)卒業。東海大学大学院体育専攻。 日本では1987-1991年度の間、東レ九鱗会(現・東レアローズ)に在籍していた。 同じチームの松田明彦とのペアで、ビーチバレージャパン(1988年・1989年)を連覇したこともある。 2013年5月、ウリカード・ドリームシックスの監督就任が発表された。 2015年、親会社の変更問題や所属選手の負傷、不振による低迷で最下位となり辞任。
小田 雅志(おだ まさし、1955年6月7日 - )は、日本… 小田 雅志(おだ まさし、1955年6月7日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。広島県広島市出身。 現進徳女子高等学校バレー部監督。 1971年、バレーボールの名門崇徳高校に入学。2年時に全国高等学校バレーボール選抜優勝大会優勝を経験。その後1974年中央大学に進学。 大学を卒業後1978年、日本専売公社広島地方局(現日本たばこ産業広島支社)に入社。専売広島バレー部(現JTサンダーズ)に入部。1980年、第13回日本リーグより猫田勝敏の後を受け、正セッターとなる。 1984年からコーチ兼任選手として活躍、1988年監督に就任。1994年Vリーグ創設後も引き続き監督を務め、1999年に退任。