二上 洋一(ふたがみ ひろかず、1937年5月1日 - 20… 二上 洋一(ふたがみ ひろかず、1937年5月1日 - 2009年1月16日)は、日本のミステリ評論家、少年小説研究家。本名、倉持功。別名、千葉健児、金田一郎、根岸洋。 茨城県生まれ。早稲田大学卒業。在学中はワセダミステリクラブに所属。学生時代から『宝石』誌上に「高木彬光論」などの推理小説論を発表。1961年、ミステリ誌『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の短編コンテストにて「古事記殺人事件」が最終選考に残る。1962年、権田萬治や島崎博らと『みすてりい』を創刊。 集英社で少女漫画の編集に携わる傍ら、70年代後半には『幻影城』の月評執筆者および幻影城新人賞の予選委員としても活動した。ミステリ評論のみならず、少年小説研究家でもあり、1978年に評論集『少年小説の系譜』で日本児童文学学会奨励賞を受賞。
渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、… 渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、日本の文筆家、動物評論家。 東京に、フランス文学者・渡辺一夫の長男として生まれる。東京都立小石川高等学校卒、東京大学教養学部教養学科フランス科卒。 大学卒業後、日本航空に入社、パリ、ブリュッセルに9年間滞在。1994年退社し、ヨーロッパ流の犬の飼い方に関心をもち著作、翻訳を行う。趣味の釣りに関する著作もある。
長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 201… 長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 2018年11月25日)は、日本の漫画家、漫画評論家、小説家、エッセイスト、詩人、作詞家、元大垣女子短期大学・椙山女学園大学・中京大学・宇都宮アート&スポーツ専門学校等の講師。元日本マンガ学会理事。赤塚不二夫の長年のブレーン役。パロディ漫画におけるパイオニアとして知られる。日本の教育における漫画学科の草創期から関わっている人物でもある。 石森章太郎主宰の東日本漫画研究会の同人として、赤塚不二夫とデビュー前から交流していた。彼らがトキワ荘に入居すると通い組として参加。もともと現代詩を書く文学青年でもあり、江戸川邦生名義で小説も発表した。また、SF同人誌『宇宙塵』の初期からの会員でもあった。
別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4… 別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4月6日 - )は、劇作家、童話作家、評論家、随筆家である。名の正式な表記は實。サミュエル・ベケットの影響を受け、日本の不条理演劇を確立した第一人者である。日本藝術院会員。
若生 智男(わこう ともお、1937年4月5日 - 2024… 若生 智男(わこう ともお、1937年4月5日 - 2024年6月3日)は、宮城県仙台市太白区出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、評論家。 兄には仙台商業高校元監督で宮城県野球連盟会長を務めた若生久二雄、弟には埼玉栄高校元監督の若生正廣がいる。東北高校時代は若生忠男(西鉄→巨人)・若生照元(中大→大洋)と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。 卒業後の1956年に毎日オリオンズへ入団し、8月23日の阪急戦(駒澤)に和田功・中西勝己の3番手で初登板。9月3日の大映戦(後楽園)では先発に起用されるが、5回途中で降板。 2年目の1957年は8月18日の大映戦(西京極)で初勝利を挙げ、10月23日から同24日の東映3連戦(駒澤)では2勝を記録。
和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009… 和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009年6月22日)は、大分県臼杵市出身(鹿児島県生まれ)のプロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ・監督、評論家。 1955年から1956年までの登録名は和田 博美。 鹿児島で生まれたが、父親の転勤で幼少時に臼杵へ転居。小学校5年から捕手となり、臼杵高校でも野球部に入部するが、父が「息子を医者にさせたい」と考えており一旦退部。後に「血を見るのは苦手だった」という事情で野球部に復帰。捕手として2年次の1953年に秋季九州大会へ進むが、1回戦で長崎商に延長15回サヨナラ負け。3年次の1954年も夏の甲子園県予選を勝ち抜き東九州大会に進出するが、1回戦で黒木基康のいた高鍋高に完封を喫し、甲子園には届かなかった。
和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009… 和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009年6月22日)は、大分県臼杵市出身(鹿児島県生まれ)の元プロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ・監督、評論家。
諏訪 邦夫(すわ くにお、1937年3月12日- )は、日本… 諏訪 邦夫(すわ くにお、1937年3月12日- )は、日本の医師、医学者、医事評論家、麻酔科医。 専門は麻酔科学、呼吸管理と血液ガスの問題、呼吸と循環のシミュレーションなど。 90年代にパソコンの使い方についての実用書を著し『パソコンをどう使うか』(中公新書、1995)はベストセラーになった。ほかに医事評論も書く。 東京生まれ。東京大学医学部卒業、1967年医学博士。マサチュ-セッツ総合病院レジデント、ハーバード大学助手、カリフォルニア大学助教授、東京大学助教授をへて、1997年帝京大学教授、2005年帝京短期大学教授(臨床工学主任)。 昭和天皇が1987年に腹部手術を受けた際の麻酔を当時の東京大学麻酔科教授、沼田克雄と共に担当した。
佐藤 公久(さとう きみひさ、1937年(昭和12年)2月2… 佐藤 公久(さとう きみひさ、1937年(昭和12年)2月22日 - )は日本の経済産業評論家。元三菱総合研究所常務、元日本大学商学部教授。株式会社システム ブレーン所属。千葉県成田市出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
亀井 秀雄(かめい ひでお、1937年〈昭和12年〉2月18… 亀井 秀雄(かめい ひでお、1937年〈昭和12年〉2月18日 - 2016年〈平成28年〉6月17日)は、日本の文学研究者・評論家。文学博士(北海道大学・論文博士・1999年)。その対象分野は、言語論・身体論・表現論・文体論・文学史(論)・評伝など多岐にわたる。北海道大学名誉教授、その後市立小樽文学館に館長として勤務し、退職。合同会社オピニオン・ランチャーを設立し、その代表社員を務めた。 1937年(昭和12年)、群馬県勢多郡粕川村女渕(現・前橋市粕川町女渕)に生まれる。1955年に群馬県立前橋高等学校を卒業した後、北海道大学文類に入学。 在野の儒学者だった父親の亀井一雄により、2年後には文学部の東洋史学講座へ進む予定だったが、当時の北大の東洋史学講座では内紛が起こり、講義が行われない状態となった。
三原 淳雄(みはら あつお、1937年2月14日 - 201… 三原 淳雄(みはら あつお、1937年2月14日 - 2011年2月8日)は、満洲国生まれ・大分県出身の経済評論家。 1955年、大分県立大分舞鶴高等学校卒業。1959年、九州大学経済学部卒業後、同年日興証券(株)に入社。 1970年、ノースウェスタン大学経営大学院留学(企業派遣) 、翌年スイス銀行チューリッヒ駐在。 1972年、日興証券ニューヨーク支店勤務を経て、1974年日興証券ロサンゼルス支店長に就任。 1976年、日興証券を退職後、三原淳雄事務所((株)インパルス)を設立。経済評論家として活動を開始する。さらに、日本ファイナンシャル・プランナーズ協会特別顧問、社団法人日本商品投資販売業協会、東海東京調査センター理事にも就任。
大西 久光(おおにし ひさみつ、1937年2月10日 - )… 大西 久光(おおにし ひさみつ、1937年2月10日 - )は、日本の実業家、ゴルフ評論家、ゴルフ場設計者。 兵庫県西宮市生まれ。1959年、関西学院大学を卒業し住友ゴム工業の前身である日本ダンロップに入社。大学時代にゴルフ部に所属(主将まで務めた)していた経験を生かしてゴルフ用品の開発などに携わる[要出典]。 1973年、同社の関連会社でゴルフ競技運営などを行うダンロップスポーツエンタープライズの設立と同時に出向の形でマネージャーとして入社。トーナメントプロデューサー・ディレクターとして「インターナショナルツアー・ダンロップフェニックストーナメント」など数多くのゴルフトーナメントを手掛けた。トーナメントのプロデュースをしていくうちにゴルフ場設計の重要性を痛感するようになり、ゴルフ場設計に本格的に乗り出す[要出典]。
間崎 ルリ子(まさき るりこ、1937年2月 - )は、日本… 間崎 ルリ子(まさき るりこ、1937年2月 - )は、日本の児童文学翻訳家、文芸評論家。本姓(夫姓)は"大月"であり、学会への参加や公的な図書館活動は大月 ルリ子(おおつき るりこ)として行っている。神戸市立図書館協議会委員(副会長)を務めた。 長崎県長崎市生まれ1937年2月。1959年慶應義塾大学図書館学科卒業。その後渡米し、ボストンのシモンズ・カレッジ(英語版)大学院で図書館学を学ぶ。図書館学修士課程修了後、ニューヨーク公共図書館児童室に勤務。1961年帰国後アメリカンスクールの図書館に勤務。1963年に翻訳した『もりのなか』がロングセラーとなる。1968年から2015年まで47年間にわたり、神戸市東灘区で毎週土曜午後1時から5時まで私設の児童図書館(子ども文庫)「鴨の子文庫」を主宰し開いていた。
上田 利治(うえだ としはる、1937年1月18日 - 20… 上田 利治(うえだ としはる、1937年1月18日 - 2017年7月1日)は、徳島県海部郡宍喰町(現:海陽町)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 鮮魚店を営む家に5人兄弟の長男として生まれ、叔父は徳島県弁護士会の副会長であった。 上田の徳島の実家のすぐ近くには、高校の後輩となる元西鉄選手でプロゴルファーの尾崎将司、その実弟でゴルファーの健夫・直道の実家があった。 海南高校時代から捕手で、3年次の1954年には夏の甲子園県予選で準々決勝に進出するが、撫養高に惜敗。学業成績も優秀で、高校時代は野球の練習と生徒会の活動を同時に行いつつ、毎朝しっかりと勉強していたため、睡眠時間は4時間程度であったという。
首藤 基澄(しゅとう もとすみ、1937年1月17日- )は… 首藤 基澄(しゅとう もとすみ、1937年1月17日- )は、日本の文学研究者、文芸評論家、熊本大学名誉教授。平成音楽大学教授。日本近代文学が専攻。 大分県大野町生まれ。熊本大学法文学部卒、東京都立大学 (1949-2011)大学院博士課程中退。1977年「近代詩人の研究」で、東京都立大学から文学博士を取得。別府大学講師、熊本大学教養部助教授を経て、1975年に教授。2002年、定年退官、名誉教授。 俳句では『未来図』(鍵和田秞子)に所属。
市川 雅(いちかわ みやび、1937年1月15日 - 199… 市川 雅(いちかわ みやび、1937年1月15日 - 1997年2月10日)は、舞踊評論家。 東京出身。本名・雅章。東京都立駒場高等学校卒、1960年早稲田大学第一法学部卒、1970年同大学院文学研究科博士課程満期退学。 この間渡米、1980年には大野一雄の欧米公演に同行、日本の現代舞踊などを海外に紹介する。アジア国際舞踊フェスティバルなどの開催にも尽した。ヴァーツラフ・ニジンスキーについての訳業がある。 93年早大客員教授。
林 道義(はやし みちよし、1937年1月12日 - ) は… 林 道義(はやし みちよし、1937年1月12日 - ) は、日本の経済学者・心理学研究者・評論家。日本ユング研究会会長。 1937年、長野県飯田市生まれ。東京大学法学部に進み、在学中は1958年から1961年まで学生運動に加わり、全学連組織部長として60年安保闘争に参加した。1962年に東京大学を卒業し、同大学大学院経済学研究科に進んだ。指導教官は大塚久雄であった。1968年に博士課程単位取得満期退学。 1970年、東京女子大学専任講師となった。1971年にマックス・ウェーバーについて論じた学位論文『ウェーバー社会学の方法と構想』で経済学博士号を取得。1975年から1976年までドイツ・テュービンゲン大学に留学し、帰国後にカール・グスタフ・ユングの研究に転じてユングの著作の翻訳を手がける。
森 祇晶(もり まさあき、本名・旧登録名:森 昌彦〈もり ま… 森 祇晶(もり まさあき、本名・旧登録名:森 昌彦〈もり まさひこ〉、1937年〈昭和12年〉1月9日 - )は、大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(捕手、右投左打)・コーチ・監督、解説者・評論家。 読売ジャイアンツ(巨人)のV9時代に正捕手を担い、「V9の頭脳」の異名を取った。また引退後、西武ライオンズ監督時代に在任9年間でチームを8度のリーグ優勝、6度の日本一に導き、西武黄金時代を築いた。 兄の森和彦も元プロ野球選手(外野手)。 岐阜市立長森中学校出身。野球は中学生から始め、当初は内野手であったが2年時に捕手に転向。岐阜県下随一の進学校・岐阜高校では伊藤利夫監督の指導で開花し、3年次の1954年に夏の甲子園に強打の捕手兼主将として出場したが、1回戦で泉陽高に完封負けを喫する。
白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - 20… 白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - 2023年7月18日)は、日本の文芸評論家。 福岡県大川市生まれ。慶應義塾大学中退。慶應義塾大学・特選塾員。國學院大學非常勤講師、東京経済大学非常勤講師。埴谷雄高を中心に文芸評論を書き、第22回日本文芸大賞受賞。また文壇屈指の碁打ちとしても知られる。34期、36期、38期、39期文壇本因坊。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
磯貝 治良(いそがい じろう、1937年 - )は、日本の朝… 磯貝 治良(いそがい じろう、1937年 - )は、日本の朝鮮韓国に関わる作家、評論家、活動家。「在日朝鮮人作家を読む会」の主宰。金城学院大学非常勤講師。NPO法人「三千里鐵道」副理事長。 1937年、愛知県半田市生まれ。愛知大学法経学部経済学科卒業。1977年から名古屋で「在日朝鮮人作家を読む会」を主宰し、会の文芸誌『架橋』を発行。 大学講師、警備員などの仕事をしながら、新日本文学会、マダン劇グループ、外国人登録法反対運動、在日韓国人に対する参政権付与運動、NPO法人「三千里鐵道」など、主に朝鮮韓国に関わる様々な活動に参加している。 2006年には、全18巻に及ぶ『〈在日〉文学全集』(勉誠出版)を黒古一夫とともに編集した。
津井手 郁輝(ついで いくてる、1937年 - 没年不明)は… 津井手 郁輝(ついで いくてる、1937年 - 没年不明)は日本の文芸評論家。東京都生まれ。 1961年、中央大学商学部卒。1976年、探偵小説専門誌『幻影城』の第1回幻影城新人賞評論部門で「探偵小説と笑い-私的探偵小説論」が佳作となり、デビューした。受賞時は小田原市在住。第1回の評論部門では、ほかに寺田裕が佳作に選ばれている。 幻影城新人賞の受賞者を中心に結成された「影の会」のメンバー。
山本 峯章(やまもと みねあき、1937年 - )は、政治評… 山本 峯章(やまもと みねあき、1937年 - )は、政治評論家。 東京都生まれ。九州学院大学(現第一工業大学)講師などを経て、1976、79年の二度東京2区で衆議院議員選挙に無所属で出馬、敗れる。政治評論家となり、ラジオ番組のパーソナリティーのほか、週刊誌・新聞などに署名原稿やコメントを寄稿。村上正邦と協力関係にある。
木本 至(きもと いたる、1937年 - )は日本の文芸・文… 木本 至(きもと いたる、1937年 - )は日本の文芸・文化・歴史評論家。群馬県出身。 1959年、東京教育大学教育学科卒業。光文社で『女性自身』『二人自身』の編集を手がけ、1966年退社。 以後、書評、評論に活躍。伝記物と性文化論などを得意とする。 おもな著書に『にっぽん先駆者物語』『オナニーと日本人』『医の時代-高松凌雲の生涯』『評伝・宮武外骨』『雑誌で読む戦後史』など。
飯塚 恆雄(恒雄、いいづか つねお、1937年 - )は日本… 飯塚 恆雄(恒雄、いいづか つねお、1937年 - )は日本の音楽プロデューサー、音楽評論家、作家、随筆家。日本エッセイスト・クラブ会員。ピースフラッグ代表取締役。 1937年、茨城県結城郡(現常総市)生まれ。 1960年、日本大学芸術学部卒業後、日本コロムビアに入社。音楽ディレクター、音楽プロデューサーとして数々の楽曲・アルバムを制作。 日本コロムビア在籍時、「白い色は恋人の色」「フランシーヌの場合」「白い蝶のサンバ」(デノンレーベル)、角川映画「野性の証明」「復活の日」「戦国自衛隊」主題歌などの楽曲プロデュースを担当した。 ディレクター・プロデューサーとして担当した歌手は伊東ゆかり、財津和夫、町田義人、ピチカート・ファイヴ、LOUDNESS、THE YELLOW MONKEYなど。
増田 卓二(ますだ たくじ、1937年(昭和12年) - )… 増田 卓二(ますだ たくじ、1937年(昭和12年) - )は政治評論家。元東京都議会議員。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
仁賀 克雄(じんか かつお、1936年〈昭和11年〉12月2… 仁賀 克雄(じんか かつお、1936年〈昭和11年〉12月23日 - 2017年〈平成29年〉12月22日)は、日本の作家、英米文学翻訳家、アンソロジスト、文芸評論家。本名は大塚勘治で、ペンネームの由来は本名を逆読みしたもの。 神奈川県横浜市生まれ。神奈川県立横須賀高等学校、早稲田大学第一商学部卒業。在学中の1957年(昭和32年)、江戸川乱歩を顧問に迎えてワセダミステリクラブを創設し、幹事長となる。 卒業後は北スマトラ海洋石油資源開発(のちに現在の国際石油開発帝石に合併され消滅)、アラビア石油に勤務する傍ら、創作活動や海外のミステリ小説、ホラー小説、SF小説の研究・翻訳やアンソロジー編集などを行った。
桜井 康雄(さくらい やすお、1936年12月23日 - 2… 桜井 康雄(さくらい やすお、1936年12月23日 - 2017年4月10日)は、日本のスポーツ新聞記者、プロレス評論家。 元東京スポーツ記者、取締役編集局長を歴任。正確には「櫻井 康雄」。 東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。法政大学卒業後の1961年に東京スポーツ新聞社に入社。運動部に配属されプロレス記者として活躍、運動部長を経て取締役編集局長にまで出世する。その一方、テレビ東京のプロレスアワー、テレビ朝日の新日本プロレス中継『ワールドプロレスリング』の解説者として、舟橋慶一・古舘伊知郎らとのコンビで1980年代中盤まで親しまれた。 桜井は、日本初のプロレス専門誌「月刊ファイト」で主幹を務めた田鶴浜弘、「日刊スポーツ」で運動部長を務めた鈴木庄一と並んで、昭和以降のプロレス史実を記述した人物として知られる。
加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日 - 20… 加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日 - 2022年11月15日)は、日本の外交評論家。助川 明(すけがわ あきら)も使用。自由社社長、日本会議監事兼日本会議東京会長、日本教育再生機構代表委員、世界平和教授アカデミー常任理事などを務めた。 東京府出身。父は外交官の加瀬俊一、母・寿満子は元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘である。また従姉にはオノ・ヨーコがいる。 慶應義塾大学経済学部卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。1967年から1970年までブリタニカ国際大百科事典の初代編集長を務める。青年時代から、外交官である父・俊一の影響を受けて育ったことなどがきっかけで、評論・執筆活動を行うようになる。
喜多尾 道冬(きたお みちふゆ、1936年12月1日 - )… 喜多尾 道冬(きたお みちふゆ、1936年12月1日 - )は、日本のドイツ文学者、音楽評論家。中央大学名誉教授。 和歌山県出身。1955年、静岡県立静岡高等学校卒業。静岡大学文理学部独文科卒業。1962年、東京大学大学院修士課程修了。静岡大学講師、助教授、東京教育大学助教授、中央大学経済学部助教授、教授。2007年、定年退職。中央大学名誉教授。1990年ごろから『レコード芸術』などに音楽評論を執筆。クラシック音楽関係の翻訳多数。
水落 潔(みずおち きよし、1936年11月2日 - )は、… 水落 潔(みずおち きよし、1936年11月2日 - )は、日本の古典演劇評論家、桜美林大学名誉教授、元毎日新聞記者。 大阪生まれ。1961年、早稲田大学第一文学部演劇科卒業。1962年、毎日新聞社に入り、学芸部副部長を経て編集委員。1970年以来、同紙歌舞伎・文楽評を担当。のち客員編集委員、1991年『上方歌舞伎』で芸術選奨新人賞受賞。1996年、毎日新聞社を退社。2000年、桜美林大学教授。2001年より古典演劇界の重鎮として近松賞選考委員などを務める。2007年、桜美林大学名誉教授。
小西 良太郎(こにし りょうたろう、1936年10月20日 … 小西 良太郎(こにし りょうたろう、1936年10月20日 - 2023年5月13日)は、日本の音楽プロデューサー、音楽評論家。東京都葛飾区堀切生まれ。 第二次世界大戦中に疎開した茨城県で育つ。茨城県立水海道第一高等学校を卒業後、1958年にスポーツニッポン新聞社に入社。1963年に音楽担当記者となり、後に文化部長、運動部長、取締役編集局長、常務取締役を務め、2000年に退社した。 スポーツニッポン在籍中から音楽プロデューサー、評論家として活動。主なプロデュース作品として、「舟唄」、「雨の慕情」(八代亜紀)、「夜桜お七」(坂本冬美)、「傘ん中」、「北物語」、「アカシア挽歌」、アルバム「おんなの絵本」ほか(五木ひろし)、永井裕子の全作品などがある。
各務 三郎(かがみ さぶろう、1936年10月20日 - 2… 各務 三郎(かがみ さぶろう、1936年10月20日 - 2025年8月27日)は、日本の海外ミステリ編集者、翻訳家、評論家、アンソロジスト。 本名は太田博(おおた ひろし)。日本推理作家協会会員。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高等学校卒業。早稲田大学商学部在学中は歌人として知られた。歌人としての名義は太田比呂史であり、結社「未来」に参加していた。 同大学卒業後、早川書房に入社し、『ミステリマガジン』の編集に携わる。常盤新平の後を受け、1969年8月号から編集長になり、1973年6月号まで務める。その後フリーとなり、海外ミステリの翻訳(ジュニア向け多数)、評論執筆、アンソロジー編纂に携わる。 1995年に編著『チャンドラー人物事典』で、第48回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞した。
長谷川 潮(はせがわ うしお、1936年10月20日 - 2… 長谷川 潮(はせがわ うしお、1936年10月20日 - 2022年9月29日)は、日本の児童文学評論家。東京都生まれ。 東京都立三鷹高等学校定時制卒。国際基督教大学大学図書館勤務(1962年 - 1997年)と児童文学の評論、創作などを行う傍ら法政大学文学部通信制卒業。雑誌『日本児童文学』、『国文学 解釈と鑑賞』、『子どもの文化』、『子どもの本棚』などで評論・研究活動を展開。戦争児童文学についての研究が多く、土家由岐雄の『かわいそうなぞう』に関しては、読者である子どもたちを欺くようにして、事実と異なる創作部分を恣意的に混在させていることを批判している。 1962年、投稿評論「芥川龍之介童話論」にて高山賞論文募集佳作を受賞。
田中 美代子(たなか みよこ、1936年10月18日 - 2… 田中 美代子(たなか みよこ、1936年10月18日 - 2023年12月21日)は、日本の文芸評論家。本名は木暮美代子。 埼玉県秩父市出身。早稲田大学文学部仏文科卒業。1965年に『文学者』に発表した「三島由紀夫小論」で注目される。 田中が郵送した『文学者』を読んだ三島は書簡を返信し、新潮文庫版『獣の戯れ』の解説執筆を要請し、以後も『午後の曳航』や『天人五衰』などの文庫解説を書き、講談社版『三島由紀夫短篇全集』全6巻の解説を担当。新潮社での旧版『三島由紀夫全集』編纂も務めた。 三島からは「真のリズール(文学作品を深く読解する者・精読者)」と呼ばれて信頼されたが、生前の直接の面会はなかった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小沼 ますみ(こぬま ますみ、1936年10月1日 - )は… 小沼 ますみ(こぬま ますみ、1936年10月1日 - )は、クラシック音楽の評論家。 東京生まれ。旧姓・山中。1959年津田塾大学英文学科卒業、韓国銀行東京支店勤務。64年退職し中学・高校教員。1971-73年ロンドンに滞在。イギリス・ショパン協会会員。『音楽の友』などでショパンについての記事寄稿多数。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
藤枝 晃雄(ふじえだ てるお、1936年9月20日 -201… 藤枝 晃雄(ふじえだ てるお、1936年9月20日 -2018年4月26日)は、美術評論家、武蔵野美術大学名誉教授。本名は藤枝照容(ふじえだ てるかた)。 福井県越前市出身。実家は陽願寺で、シベリア抑留経験者の父を持つ。東京都立戸山高等学校、東京芸術大学美術学部卒業。卒業論文はマルセル・デュシャンについて扱い、装丁は石岡瑛子が担当した。在学中にはモダニズム詩に熱中し、北園克衛発行の「VOU」に参加。京都大学大学院を経てペンシルベニア大学大学院に留学、2002年「ジャクソン・ポロック」で大阪大学文学博士。 専攻はポロック、ブラック、草間彌生など。1960年代後半から『美術手帖』などに論評を寄せた。
最首 悟(さいしゅ さとる、1936年〈昭和11年〉9月14… 最首 悟(さいしゅ さとる、1936年〈昭和11年〉9月14日 - 2026年〈令和8年〉2月8日)は、日本の哲学者、生物学者、社会学者、社会・思想評論家、思想家。和光大学名誉教授。 元全共闘活動家。和光大学人間関係学部教授(環境哲学)、人間関係学部学部長を経て名誉教授。ほか駿台予備学校論文科講師。NPOのオルタナティブ大学であるシューレ大学アドバイザーを務める。 神奈川県横浜市在住。(※2020年1月現在) 福島県生まれ、千葉県育ち。国民学校では病気で3年の長期欠席を経験している。 1959年(昭和34年) 千葉県立国府台高等学校を経て東京大学理科1類入学。1960年(昭和35年) ブント同盟員になるも「1日ブント」と呼ばれる。
小鷹 信光(こだか のぶみつ、1936年8月26日 - 20… 小鷹 信光(こだか のぶみつ、1936年8月26日 - 2015年12月8日)は、日本のハードボイルドを中心としたミステリ評論家、翻訳家、アンソロジスト、小説家、アメリカ文化研究者。 名和 立行名義も使用した。本名・中島信也。 日本推理作家協会、日本冒険作家クラブ、マルタの鷹協会日本支部、アメリカ探偵作家クラブ、アメリカ私立探偵作家クラブ各会員。 1936年、岐阜県高山市で生まれる。ただし、両親とも富山生まれで、小鷹の兄と弟も富山で生まれている。次男の小鷹だけは父が勤務していた銀行の高山支店勤務中に生まれたものの、2008年に行われた片岡義男との対談では「家族五人と富山から上京してきて建売住宅に入った」「私の田舎は富山なんだけど、荷物を送ったら空襲で丸焼けになった」などと語っており、出身は富山という認識だったことがうかがえる。
金児 昭(かねこ あきら、1936年8月16日 - 2013… 金児 昭(かねこ あきら、1936年8月16日 - 2013年12月19日)は、日本の実業家、経営評論家。信越化学工業顧問、元金融監督庁顧問。 東京都出身。東京都立大泉高等学校を経て、1961年に東京大学農学部(農業経済学)を卒業し、信越化学工業に入社する。一貫して経理、財務部門でキャリアを重ね、1992年に同社の常務取締役(経理、財務、法務、資材関係担当)に就任。同職を1999年まで務める。また、公認会計士試験(筆記・口述)試験委員や金融監督庁顧問(企業会計担当)等も務めた。 衆議院議員の亀井静香とは、大泉高校で同学年だった。 2013年12月19日に心不全のため死去。
金山宣夫(かなやま のぶお、1936年8月4日 - )は、同… 金山宣夫(かなやま のぶお、1936年8月4日 - )は、同時通訳の先駆者、国際適応学・異文化社会学の提唱者、多くの企業での国際適応訓練の指導者、文明評論家、元東洋学園大学人文・経営両学部教授。 金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ☆上記以外の英文著作 ※金山宣夫公式ホームページより記載 'Corporate Dynamuseum', in Shushoku Janaru, August 〜November 1979,May〜June 1980, Nihon Rikuruto Senta ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 アジア・オセアニア編(基本的な注意点の指摘、担当部分5頁/236頁)、アメリカ・カナダ編(基本的な注意点の指摘、担当部分15頁/218頁)、1974〜75年、日本航空(ダイヤモンド社編) ※金山宣夫公式ホームページより記載 (連載分だけを記し、別記ないものは月刊) ※金山宣夫公式ホームページより記載 アンケートやインタビューによる国際調査(+印はその他の方法による近年の調査) ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 (*印は5回以上訪問) ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 金山宣夫公式ホームページより記載
山岡 清二(やまおか せいじ、1936年8月 - )は、日本… 山岡 清二(やまおか せいじ、1936年8月 - )は、日本のジャーナリスト、国際問題評論家、翻訳家、通訳、ラジオ時事解説者、コンサルタント、国際政治学者。東洋英和女学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。1962年国際基督教大学卒業。 共同通信記者、米国務省通訳官、ワシントン・ポスト記者(東京支局)を経てフリーとなり、評論、翻訳、通訳、ラジオ時事解説、コンサルティングのほかに、衆議院国際会議課顧問、文部省教科書審議会委員(外国語部会長)、『ニューズウィーク日本版』編集顧問など。 1988年東洋英和女学院短期大学国際教養科教授、2001年東洋英和女学院大学・国際社会学部教授。2007年定年退任、名誉教授。
ひろさちや(本名:増原 良彦(ますはら よしひこ)、1936… ひろさちや(本名:増原 良彦(ますはら よしひこ)、1936年〈昭和11年〉7月27日 - 2022年〈令和4年〉4月7日)は、日本の宗教評論家。仏教思想家。 自称「仏教原理主義者」。多数の一般向けの解説書を執筆。 大阪府大阪市に生まれ、大阪府立北野高等学校を経て、東京大学で印度哲学、仏教学を学び、気象大学校で20年間教鞭を執る。教員生活の傍ら、「ひろさちや」のペンネームで平易な言葉で多数の入門書を執筆し、一般の人々に仏教を身近な物として再認識させた。自身は浄土宗の信者だった。
小久保 晴行(こくぼ はるゆき、1936年(昭和11年)7月… 小久保 晴行(こくぼ はるゆき、1936年(昭和11年)7月20日 - 2025年10月7日[要出典])は、日本の著作家、洋画家、歌人、評論家、経営学博士。 公益財団法人 えどがわボランティアセンター理事長、一般財団法人 国際江戸川文化福祉財団理事長、社会福祉法人 つばき土の会理事長。株式会社トーヨー会長、株式会社エフ・イー・アイ会長。江戸川区文化会会長、江戸川区美術会会長、江戸川区芸能文化協会会長、江戸川区福祉ボランティア団体協議会会長、江戸川区友好団体連絡会会長、江戸川明るい社会づくりの会会長、江戸川第九を歌う会会長、江戸川区ドッジボール協会会長、八代目橘家円蔵一門を励ます会会長。江戸川区短歌連盟顧問、江戸川区都市計画審議会委員、江戸川区民生委員推薦会委員。
黛 哲郎(まゆずみ てつろう、1936年7月2日 - 199… 黛 哲郎(まゆずみ てつろう、1936年7月2日 - 1993年7月21日)は、日本の文学・音楽・映画・演劇評論家、元朝日新聞東京本社学芸部編集委員。 神奈川県横浜市出身。東京都立豊多摩高等学校、早稲田大学文学部卒業後、朝日新聞社入社。学芸部に所属し、文学・音楽・映画・演劇に関する評論を執筆した。その後は学芸部編集委員を務めた。 没後、朝日新聞などに掲載された評論を集成した『学芸記者〈哲〉コレクション文学と音楽のあいだ』が河出書房新社より刊行された。 安部公房をはじめ、安岡章太郎、丸谷才一、武満徹、大江健三郎、山崎正和などの作家・作曲家との親交があった。 作曲家の黛敏郎は兄であり、NHKエンタープライズ所属のドラマ番組ディレクターの黛りんたろうは甥である。
柳田 邦男(やなぎだ くにお、1936年〈昭和11年〉6月9… 柳田 邦男(やなぎだ くにお、1936年〈昭和11年〉6月9日 - )は、日本のノンフィクション作家、評論家。 航空事故、医療事故、災害、戦争などのドキュメントや評論を数多く執筆している。妻は絵本作家の伊勢英子。娘にカメラマンの石井麻木がいる。 栃木県上都賀郡鹿沼町(現在の鹿沼市)生まれ。栃木県立鹿沼高等学校を経て、1960年東京大学経済学部を卒業する。同年NHKに入局し、広島放送局へ配属される。1963年東京へ戻り、社会部に配属になる。1966年に遊軍記者として全日空羽田沖墜落事故、カナダ太平洋航空機墜落事故、BOAC機空中分解事故を取材する。1971年にこれらの事故を追ったルポルタージュ『マッハの恐怖』を発表し、第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1… 西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1日 - 2024年〈令和6年〉4月3日)は、日本の陸上自衛官、軍事評論家。第23代陸上幕僚長、第20代統合幕僚会議議長。元隊友会会長。1佐までの職種は機甲科。 鹿児島県垂水市出身。父親の仕事の関係で小中学校の時に二度ほど横浜に住んだが、中学一年の時に垂水市にもどる。県立垂水高校卒業後、防衛大学校に入校するが、高校の野球の試合の時に鹿児島の桟橋で防大生に出会ったことがきっかけであった。防大卒業後の1959年(昭和34年)に陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後は機甲科に進み、初任地は北恵庭の第101戦車大隊。ここでの勤務がその後の部隊勤務の基礎ができたと語っている。
下重 暁子(しもじゅう あきこ、1936年〈昭和11年〉5月… 下重 暁子(しもじゅう あきこ、1936年〈昭和11年〉5月29日 - )は、日本の作家・評論家・エッセイスト。元NHKアナウンサー、JKA初代会長。 栃木県宇都宮市出身。「下重」は江戸時代、各地の御典医に多かった姓で、暁子の下重家は石見国浜田藩の御典医を代々勤めた。映画「戦場のメリークリスマス」の登場人物のモデルになった森勝衛は、父の従兄にあたる。 9歳の時に太平洋戦争の疎開先の奈良県で終戦を迎える。 教師の影響で、進学校の大阪府立大手前高等学校に進学。国語など文科系科目は得意なため、苦労したことはなく早稲田大学教育学部国語国文学科に進学した。芥川賞作家の黒田夏子は早大教育学部の同級生で同人誌仲間。
諸口 あきら(もろぐち あきら、本名:南 弘人(みなみ ひろ… 諸口 あきら(もろぐち あきら、本名:南 弘人(みなみ ひろと)、1936年〈昭和11年〉5月21日 - 2017年〈平成29年〉9月10日 )は、日本のタレント、ラジオパーソナリティ、カントリーシンガー、俳優、評論家、書家。妻はプロゴルファーの中村悦子。 福岡県門司市(現在の北九州市門司区)出身で、多摩美術大学油絵学科を卒業した。1960年代に、「茂呂 弘人」や「諸口 旭」名義で俳優として活動した。 1970年代にカントリーシンガーとして一世を風靡したほか、関西地方を中心にディスクジョッキーや放送タレントとしての活動を展開した。『日本列島ズバリリクエスト』(KBS京都ラジオ)や『MBSヤングタウン』(毎日放送ラジオ)をはじめ、関西地方のラジオ局が制作する番組に数多く出演した。
蓮實 重彥(はすみ しげひこ、1936年〈昭和11年)4月2… 蓮實 重彥(はすみ しげひこ、1936年〈昭和11年)4月29日 - )は、日本の文芸評論家・映画評論家・フランス文学者・小説家。 専門はフローベール研究だが、ロラン・バルトやミシェル・フーコーなどフランス現代思想が1970年代から日本へ紹介される際に中心的役割を果たす1人となったほか、近現代文学・映画評論の分野でも数多くの批評を手がけている。 1980年代以降は各国の映画製作者とも幅広く交流し、小津安二郎など日本映画の世界的再評価に大きく貢献した。東京大学教養学部教授(表象文化論)、第26代東京大学総長(1997年-2001年)を歴任。東京大学名誉教授。 蓮實は、雪舟などの研究で知られた日本美術史家・蓮實重康の息子として、1936年に東京で生まれた。
中 利夫(なか としお、1936年〈昭和11年〉4月28日 … 中 利夫(なか としお、1936年〈昭和11年〉4月28日 - 2023年〈令和5年〉10月10日)は、群馬県前橋市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 登録名を頻繁に変えており、入団時は「利夫」、その後は1964年に「三夫」、1965年に「暁生」、監督時代は「利夫」。コーチ時代は「登志雄」もしくは「利夫」。解説者としては本名の「利夫」を使用。 前橋高校では1年生時の1952年秋からエース、中軸打者として活躍、主将も務めた。1953年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、桐生工に敗退。同年の秋季関東大会県予選も準決勝で桐生高に敗れる。3年次の1954年には春季関東大会県予選決勝で桐生工を降し優勝、関東大会に進むが準々決勝(初戦)で水戸農に惜敗した。