中林 賢二郎(なかばやし けんじろう、1919年1月17日 … 中林 賢二郎(なかばやし けんじろう、1919年1月17日 - 1986年1月11日)は、日本の歴史学者。労働運動史を研究した。法政大学教授。 横浜市生まれ。1944年9月、東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。翌1944年10月-1946年3月、財団法人東亜研究所に勤務。1946年10月-1951年11月、財団法人政治経済研究所に勤務。のち、1956年5月まで世界労働運動研究協議会事務局に勤務。1957年7月、社会主義経済研究所に入所。1959年10月より学校法人中央労働学園講師を兼任、1976年まで「労働運動と統一戦線」「国際労働運動史」を担当。東京都立大学 (1949-2011)法経学部講師、労働者教育協会理事、中央労働学園理事・常務理事を歴任。
もっと読む
関 晃(せき あきら、1919年(大正8年)1月5日 - 1… 関 晃(せき あきら、1919年(大正8年)1月5日 - 1996年(平成8年)4月20日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。専攻は日本古代史。熊本県飽託郡古町村(現・熊本市二本木)生まれ、東京都出身。
もっと読む
山上 正太郎(やまのうえ しょうたろう、1919年 - 20… 山上 正太郎(やまのうえ しょうたろう、1919年 - 2010年)は、日本の歴史学者、電気通信大学名誉教授。西洋史専攻。 岡山県岡山市生まれ。東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。学習院大学助教授、電気通信大学教授、1983年定年退官、名誉教授。第一次世界大戦、第二次世界大戦、フランス革命などを研究した。
もっと読む
安田 元久(やすだ もとひさ、1918年10月19日 - 1… 安田 元久(やすだ もとひさ、1918年10月19日 - 1996年1月23日)は、日本の歴史学者。元学習院大学学長。文学博士(東京大学、1962年)。専門は日本中世史・鎌倉時代史研究。
もっと読む
宇治谷 孟(うじたに つとむ、1918年8月5日 - 199… 宇治谷 孟(うじたに つとむ、1918年8月5日 - 1992年11月5日)は、日本の歴史学者・国文学者。はじめて『日本書紀』の現代語訳を行ったほか、『続日本紀』の現代語訳も担当した。 1918年京都府生まれ。1941年に法政大学国漢科を、1943年に早稲田大学文学部を、1952年に立命館大学経済学部をそれぞれ卒業。清風高校等、幾つかの高校で教師を務めた後、最終的に滋賀文教短期大学教授および奈良芸術短期大学講師に就任。 早稲田大学在学中、歌人・国文学者の窪田空穂の授業を受けていた際、師の「日本の歴史を普通の人にも正しく理解してもらうために、『日本書紀』や『続日本記』を易しい現代語訳に訳したいが、自分にはその時間がない。
もっと読む
杉山 博(すぎやま ひろし、1918年8月4日 - 1988… 杉山 博(すぎやま ひろし、1918年8月4日 - 1988年10月20日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本中世史。 神奈川県小田原市出身。國學院大學文学部で高柳光寿、渡辺世祐の指導を受け日本中世史を学び、1941年に卒業。卒業論文は「中世末期に於ける夫役に就て」。その後、兵役につき、戦後、1946年國學院大學図書館司書、翌1947年から東京大学史料編纂所に勤務し、1966年に助教授、1972年4月から1976年4月まで教授。1976年から駒澤大学文学部教授。 地方史研究協議会の創立にも加わっており、史料・文書や自治体史の編修に尽力した。
もっと読む
津田 秀夫(つだ ひでお、1918年6月15日 - 1992… 津田 秀夫(つだ ひでお、1918年6月15日 - 1992年11月15日)は、日本の歴史学者。東京教育大学名誉教授。専攻は近世史で、社会経済史、教育史などの分野にもとりくんだ。 1918年、大阪府西成郡今宮町(現・大阪市西成区)で生まれた。1942年、東京文理科大学を卒業。 卒業後は、岐阜県中津農林学校教諭となったが、入営・召集のため休職し、1946年に復員。 戦後は大阪第一師範学校勤務した。1949年の学制改革で師範学校が大阪学芸大学となると同校講師となった。東京教育大学講師を経て、1953年より東京教育大学助教授。1962年、学位論文『封建経済政策の展開と市場構造』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。
もっと読む
荒川 久壽男(あらかわ くすお、1918年〈大正7年〉6月1… 荒川 久壽男(あらかわ くすお、1918年〈大正7年〉6月11日 - 1986年〈昭和61年〉12月31日)は、日本の歴史学者。元皇學館大学教授。 大正7年(1918年)6月、茨城県に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)、水戸高等学校を経て、昭和16年(1941年)3月に東京帝国大学文学部国史学科を卒業する。直ちに同大学の副手となる。1942年1月、海軍教授となり、土浦市地域と三重県内の海軍航空隊で教鞭をとった。 戦後は1947年(昭和22年)4月より茨城県日立市立中学校(現在の茨城県立日立工業高等学校)教諭、1948年7月より茨城県立水海道第一高等学校教諭、1958年4月より茨城県立水戸第二高等学校教諭、1964年4月より皇學館大学助教授、1968年より同大学教授にそれぞれ就任した。
もっと読む
下出積与(しもで せきよ、戸籍上は「積與」。1918年4月2… 下出積与(しもで せきよ、戸籍上は「積與」。1918年4月20日 - 1998年5月16日)は、日本の歴史学者。研究分野は宗教史。明治大学名誉教授。 石川県出身。大聖寺中学校、1938年3月第四高等学校文科甲類卒業し、1941年、東京帝国大学文学部国史学科卒業。北國新聞社、旧制小松中学、大聖寺高校教諭、金沢高師教授を経て、1949年、金沢大学法文学部助教授、のち文学部教授。1968年、明治大学教授となり、1989年定年退任、名誉教授。 1975年に「日本古代の神祇と道教」により東京大学から文学博士の学位を取得。道教、神道などを研究した。
もっと読む
宮川 満(みやかわ みつる、1917年10月14日 - 20… 宮川 満(みやかわ みつる、1917年10月14日 - 2003年12月31日)は、日本の歴史学者・家政学者・家庭科教育学者。 滋賀県出身。1941年、広島文理科大学史学科国史学専攻に入学し、1944年に卒業。兵役ののち、1947年から京都大学大学院在籍。1950年滋賀県立短期大学助教授、1953年大阪学芸大学助教授、大阪教育大学(校名変更)教授、1983年定年退官、名誉教授。1961年「太閤検地論」により広島大学から文学博士の学位を授与される。1984年羽衣学園理事長、羽衣学園短期大学学長。
もっと読む
陳 荊和(ちん けいわ、Chen Chingho、Ching… 陳 荊和(ちん けいわ、Chen Chingho、Ching Ho A. Chen、Trần Kinh Hòa、1917年9月28日 - 1995年11月19日)は、歴史学者。専門は東南アジア史・華僑史。文学博士(慶應義塾大学)。字は孟毅、号は蒼崖。78歳没。 台湾に生まれて日本で育ち、日本・台湾・南ベトナム・香港の大学に奉職したほかフランスやアメリカでも教鞭を執った。ベトナム史に関する基本史料の校勘・訳注を多数刊行し、国際的にも高い評価を得ている。
もっと読む
井上 光貞(いのうえ みつさだ、1917年〈大正6年〉9月1… 井上 光貞(いのうえ みつさだ、1917年〈大正6年〉9月19日 - 1983年〈昭和58年〉2月27日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。国立歴史民俗博物館初代館長。紫綬褒章受章者。文学博士。専門は日本古代史(上代日本史)。井上馨と桂太郎の孫に当たる。 古代日本、特に浄土教を中心とした仏教思想史、律令制以前の国家と天皇の起源に関する問題、律令研究を通じての「固有法」から「律令法」への変遷をテーマに研究した。後年は、『日本書紀』や律令等の古典籍の注釈を専らとし、特に律令の注釈は石母田正らと編集した『日本思想大系 3 律令』(岩波書店)に詳しい。 井上の歴史学の方向は、恩師坂本太郎が構築した実証主義的アカデミズム歴史学を継承したもので、日本史学史上、坂本の後継者と位置づけられている。
もっと読む
篠崎 勝(しのざき まさる、1917年(大正6年)9月14日… 篠崎 勝(しのざき まさる、1917年(大正6年)9月14日 - 1999年(平成11年)3月14日)は日本の歴史学者。京都大学卒業。愛媛大学教授、愛媛大学学生部長、近代史文庫代表者、愛媛県歴史教育者協議会委員長、愛媛民主教育研究所所長等歴任。専攻は日本史。 愛媛県伊予郡北伊予村大字横田(現在の伊予郡松前町)で、篠崎昌宜・幸枝の長男として生まれた。父は松山に移り質屋業を営むことになるが、高浜虚子の弟子・富安風生に俳句を習い、自宅で俳句会を開いていた。勝は父に頼まれて俳句を選び、句評もしていた。 1930年愛媛県立松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)、1934年松山高等学校(文科乙類)へ進学した。
もっと読む
松島 栄一(まつしま えいいち、1917年8月24日 - … 松島 栄一(まつしま えいいち、1917年8月24日 - 2002年12月12日 )は、日本の歴史学者。元大東文化大学教授。歴研・民科・歴教協等で活躍。 大阪府大阪市天王寺区に生まれる。1924年に大阪市立天王寺第五尋常小学校(現在の大阪市立五条小学校)、1930年に灘中学校、1935年に早稲田高等学院、1937年に早稲田大学文学部史学科にそれぞれ進学。大学在学中、教えを受けた津田左右吉に大きく傾倒する。 大学卒業の1940年、花見朔巳の勧めで東京帝国大学史料編纂所に勤務。当時の東京帝国大学国史研究室は平泉澄によって支配されていたが、その影響が及ばず実証主義をかたく守っていた史料編纂所に就職し、そこで家永三郎や遠山茂樹と同僚となったことは、その後に大きな影響を与えた。
もっと読む
菊池 武雄(きくち たけお、1917年8月11日 – 197… 菊池 武雄(きくち たけお、1917年8月11日 – 1974年10月24日 )は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 東京都出身。1938年に國學院大學に入学し、1939年度には西岡虎之助が担当した科目「国史学」を履修。1941年3月に卒業。卒業論文は「吉野朝時代公家社会世相と洞院公賢」。同年6月東京帝国大学史料編纂所に入所。その後、兵役に就き、シベリア抑留を経て、1947年11月復員。1948年1月に史料編纂所に復帰し、1956年に助手、1968年に助教授、1974年に教授となる。古文書部に属し、東大寺文書の編纂を担当した。 1953年発表の論文『戦国大名の権力構造-遠州蒲御厨を中心として-』は、永原慶二によって「戦後新たに出発した戦国大名研究の起点に位置付けられる労作」と評価されている。
もっと読む
丸山 忠綱(まるやま ただつな 1917年7月8日 – 1… 丸山 忠綱(まるやま ただつな 1917年7月8日 – 1971年5月8日)は、日本の歴史学者。 長野県生まれ。1935年県立長野中学卒業、1938年旧制第二高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に入学。中村孝也に師事し、1941年に卒業。「宮座ノ研究」を研究課題とし、同大学大学院に進学。1948年に法政大学教授となる。 宮座の研究の他、古代史では三世一身の法、墾田永年私財法、家人・奴婢の研究に取り組み、また戦時下の空襲で自宅を失った東京のホームレスや戦災孤児の姿を見て、近世史では加役方人足寄場の研究も行った。
もっと読む
福地 重孝(ふくち しげたか、1917年 6月28日- 19… 福地 重孝(ふくち しげたか、1917年 6月28日- 1994年)は、日本の歴史学者。日本大学名誉教授、学位は文学博士。 茨城県生まれ。1947年東京文理科大学史学科卒。1962年3月27日東京教育大学より「日本近代史上における士族と士族意識に関する研究」にて博士号取得。東京教育大学講師を経て日本大学史学科教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
もっと読む
今津 晃(いまづ あきら、1917年4月24日 - 2003… 今津 晃(いまづ あきら、1917年4月24日 - 2003年6月18日)は、日本の歴史学者である。日本におけるアメリカ合衆国史研究の開拓者。 静岡県浜名郡吉津村(鷲津町、湖西町を経て現湖西市)に生まれる。1938年第三高等学校卒業、1941年12月京都帝国大学文学部史学科卒業、1948年9月京都帝国大学大学院退学。1962年「アメリカ革命史序説」で文学博士(京都大学)の学位取得。1942-43年文学部部副手嘱託。1946年9月関西大学予科講師、1947年4月大谷大学学部及予科教授、1948年同志社大学専任講師、48年助教授、1950年9月大阪大学教養部助教授、1953年文学部助教授、1959年京都大学文学部助教授。
もっと読む
貫 達人(ぬき たつと、1917年4月6日 - 2009年1… 貫 達人(ぬき たつと、1917年4月6日 - 2009年11月17日)は、日本の歴史学者。青山学院大学文学部名誉教授。 1917年、東京小石川区(現・東京都文京区)で中国哲学者・宇野哲人の三男として生まれた。その後、貫正雄の養子となった。東京帝国大学文学部国史学科で学び、1941年に卒業。 東京大学史料編纂所所員として勤務。鎌倉市史編纂員を務めた後、東洋大学助教授に就いた。その後、文部省教科書調査官、神奈川県立博物館(現・神奈川県立歴史博物館)学芸部長。1968年に青山学院大学文学部教授となり、1976年からは文学部長を務めた。1982年より副学長。1987年に青山学院大学を定年退職し、名誉教授となった。
もっと読む
井上薫(いのうえ かおる、1917年3月28日 - 2009… 井上薫(いのうえ かおる、1917年3月28日 - 2009年6月9日)は、日本の歴史学者、大阪大学名誉教授。文学博士(東京大学、1962年)。 大阪府北河内郡南郷村生まれ。浪速高等学校を経て、1940年東京帝国大学国史学科卒。1943年同大学院退学。1949年大阪大学教養部助教授、1962年「奈良朝仏教史の研究」で東京大学文学博士。1963年阪大教授。1980年定年退官、大阪大学名誉教授、奈良大学教授。1986年退職。1983年から1993年まで堺市博物館長を務めた。
もっと読む
河野 健二(かわの けんじ、1916年11月25日 - 19… 河野 健二(かわの けんじ、1916年11月25日 - 1996年8月10日)は、日本の歴史学者・経済史家(専攻はフランス経済思想史)。京都大学名誉教授・京都市立芸術大学名誉教授。新京都学派の一人。 1916年、徳島県生まれ。旧制徳島中学校を経て、京都帝国大学経済学部に入学。1940年に卒業した。同1940年、京都帝国大学助手に採用された。 戦後の1946年、山口経済専門学校(現・山口大学経済学部)教授となった。1947年、京都大学助教授に転じ、1960年京都大学教養部教授となった。1961年、学位論文『フランス革命と経済思想』を京都大学に提出して経済学博士の学位を取得。1968年、京都大学人文科学研究所教授に異動となり、1970年からは2期6年にわたって第7代所長を務めた。
もっと読む
大山 梓(おおやま あずさ、1916年9月9日 - 1992… 大山 梓(おおやま あずさ、1916年9月9日 - 1992年3月2日)は、日本の歴史学者(日本近代政治史)、海軍軍人(短期現役士官)。軍人時代の最終階級は海軍主計大尉、学位は法学博士。広島大学法学部教授、帝京大学法学部教授。大山巌の孫(大山柏の長男)。長女に由美子。
もっと読む
横田 健一(よこた けんいち、1916年(大正5年)9月3日… 横田 健一(よこた けんいち、1916年(大正5年)9月3日 - 2012年(平成24年)2月6日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。関西大学名誉教授。 父貫次・母せつの長男として兵庫県神戸市生田区(現中央区)に出生。 神戸市立諏訪山尋常小学校、神戸市立山手尋常小学校(転入)、兵庫県立第一神戸中学校、第三高等学校文科(甲類入学)を経て、1937年4月、京都帝国大学文学部史学科に入学(国史学専攻)。 1940年3月、京都帝国大学文学部史学科卒業、1941年4月海軍機関学校教授。1946年6月 関西大学教授。1964年、関西大学文学部長(~1966年)。1972年、学校法人関西大学理事(~1977年)。
もっと読む
中野 幡能(なかの はたよし、1916年〈大正5年〉7月31… 中野 幡能(なかの はたよし、1916年〈大正5年〉7月31日 - 2002年〈平成14年〉12月3日)は、日本の歴史学者。宇佐八幡宮の研究で知られる。 大分県宇佐生まれ。1943年東京帝国大学文学部宗教学科卒。大分県立教育研究所副所長、61年新設の大分県立芸術短期大学教授、68年「八幡信仰史の研究」で東京大学文学博士。83年定年退官、名誉教授。91年秋勲三等瑞宝章受勲。西日本文化賞受賞。
もっと読む
坂野 正高(ばんの まさたか、1916年6月26日 - 19… 坂野 正高(ばんの まさたか、1916年6月26日 - 1985年7月10日)は、日本の歴史学者。専門は、中国政治外交史。 1916年、ニューヨーク市生まれ。東京帝国大学法学部卒業。東京帝国大学東洋文化研究所助手(1942年 - 1948年)、東京都立大学講師・助教授・教授(1948年 - 1962年)、東京大学法学部教授(1962年 - 1976年)、国際基督教大学教授(1976年 - 1985年)を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
もっと読む
佐口 透(さぐち とおる、1916年6月20日 - 2006… 佐口 透(さぐち とおる、1916年6月20日 - 2006年11月13日)は、日本の歴史学者。金沢大学名誉教授。東トルキスタンの研究で知られる。 1916年(大正5年)、石川県金沢市で生まれた。東京帝国大学で学び、卒業。 戦時期には民族研究所所員として岩村忍とともに敗戦直前の内モンゴルの西北研究所に出向。中国ムスリムの現地調査に従事した。 太平洋戦争後は富山大学助教授に就いた。1964年、学位論文『十八~十九世紀東トルキスタン社会史研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。1971年に金沢大学教授。摂南大学教授を務めた。 専門は東洋史で、モンゴル帝国から19世紀までの中央アジア、東トルキスタン、新疆のムスリム、回民の研究で知られる。
もっと読む
笠原 一男(かさはら かずお、1916年6月2日 - 200… 笠原 一男(かさはら かずお、1916年6月2日 - 2006年8月19日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。 長野県南佐久郡北牧村(現在の小海町)出身。笠原竜蔵・せきの長男。旧制千葉県立東葛飾中学校を経て、1938年に旧制新潟高等学校、1941年に東京帝国大学文学部国史学科を卒業。 卒業後は東京帝国大学史料編纂所に勤務。翌年に応召。1947年に復員し、東京大学史料編纂所に復帰した。1960年に同助教授、1961年、東京大学教養学部助教授、1962年に「一向一揆の研究」により東京大学から文学博士の学位を取得。1966年に教授。 1977年に定年退官。発足間もない放送大学教授になり、1990年に退任して客員教授。
もっと読む
勝守 すみ(かつもり すみ、1916年4月16日 - 198… 勝守 すみ(かつもり すみ、1916年4月16日 - 1982年3月17日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 富山県富山市生まれ。富山県立富山高等女学校を経て、1937年に奈良女子高等師範学校文科を卒業し、金蘭会高等女学校教諭。1938年に富山市立富山高等女学校教諭となる。1940年東京文理科大学入学。国史学を専攻し、同期に津田秀夫らがいる。1942年に卒業。1943年、群馬師範学校助教授を経て、1946年同校教授。1951年に群馬大学学芸学部講師となり、1953年助教授、1972年に同大学教育学部教授。 勤務地である群馬県の地域史研究に務め、関東長尾氏や太田道灌の研究を進めた。
もっと読む
中井 信彦(なかい のぶひこ、1916年3月14日 - 19… 中井 信彦(なかい のぶひこ、1916年3月14日 - 1990年11月27日)は、日本の歴史学者。専攻は近世経済思想、農業思想。 台湾生まれ。1938年慶應義塾大学卒、杉野女子短期大学教授をへて1963年慶大教授、1973年「歴史学的方法の基準」で毎日出版文化賞、1980年同書で慶大文学博士、定年となり愛知大学教授。1989年『色川三中の研究 伝記編』で角川源義賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
もっと読む
中世古 祥道(なかせこ しょうどう、1916年 - 2019… 中世古 祥道(なかせこ しょうどう、1916年 - 2019年1月1日[要出典])は、日本の歴史学者、曹洞宗の僧侶(三重県正泉寺14世住職のち東堂)。道元禅師・愛洲氏の研究で知られる。号は興国。 北海道に生まれる。1937年に大連第一中学校(旧制)を卒業後、駒澤大学仏教学部に入学。道憲寮にて衛藤即応博士に師事。1940年に卒業。 大学の舎監を辞して1941年より天津に赴任し、道元の研究を重ねる(「道元禅師の歩み」)。戦中・戦後の中、研究活動は幾度も中断。1948年、度会郡小川郷中学校の教諭となり、以降、1975年まで五ヶ所小学校・中学校で教鞭を取る。研究の方では1967年に小川弘貫博士の「唯識研究会」に参加したのを契機とし、1970年に『道元禅師伝ノート』を刊行。
もっと読む
中村 治兵衛(なかむら じへえ、1916年 - 1991年9… 中村 治兵衛(なかむら じへえ、1916年 - 1991年9月26日)は、日本の歴史学者。 大阪生まれ。1938年東京帝国大学文学部東洋史学科卒業, 1939~46年東亜研究所, 1947~52年農林省農業総合研究所, 1954年九州大学教養部教授。1974年中央大学文学部教授。1987年退職。
もっと読む
及川 完(おいかわ まさる/かん、1916年 – 1947年… 及川 完(おいかわ まさる/かん、1916年 – 1947年4月10日)は日本の歴史学者。専門は日本経済史。東京商科大学助教授、東亜経済研究所員。 岩手県江刺郡岩谷堂町(現:奥州市)出身。岩手県立盛岡中学校を卒業後、1930年、東京商科大学大学予科に入学。1933年に卒業し、大学学部に入学する。同期入学に大平正芳がいた。村松恒一郎のゼミで学び、1936年3月に学士試験合格。1937年から1939年まで京城高等商業学校助教授 。その後、日本工業倶楽部調査室勤務を経て、1941年に東京商科大学助手に任命される。同大学では、日本経済史担当の後継者として、川上多助の指導を受けていたが、1943年に応召。
もっと読む
三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう、1915年〈大… 三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう、1915年〈大正4年〉12月2日 - 2016年〈平成28年〉10月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人、歴史学者(古代オリエント史)。三笠宮家初代当主。御称号は澄宮(すみのみや)、お印は若杉(わかすぎ)。身位は親王。敬称は殿下。勲等は大勲位。最終階級は陸軍少佐。第126代・今上天皇(徳仁)の大叔父。大正天皇と貞明皇后の第4皇子。昭和天皇は兄(長兄)、第125代天皇・現上皇の明仁は甥。現在の皇族には彼の孫が3人おり3人共女子である(息子3人は死去。娘2人と孫2人は皇籍離脱)。 1915年(大正4年)12月2日、大正天皇と貞明皇后の第四男子として誕生。3人の兄(昭和天皇、秩父宮雍仁親王、高松宮宣仁親王)は明治生まれ即ち父である大正天皇がまだ皇太子であった時にその男子として生まれ、早くから「皇孫御殿」に引き取られて養育された。
もっと読む
芳 即正(かんばし のりまさ、1915年10月26日 - 2… 芳 即正(かんばし のりまさ、1915年10月26日 - 2012年1月13日)は、日本の歴史学者。鹿児島県立図書館館長、鹿児島県立短期大学教授、鹿児島純心女子短期大学教授、尚古集成館館長等を歴任した。 鹿児島県鹿児島市生まれ、本籍大分県宇佐市(父が明治末~大正初期頃に鹿児島県に移住)。小学校から旧制中学1年まで大分県日田市の祖父母に預けられて育つ。旧制大分県立日田中学校(現大分県立日田高等学校)入学。2年生のときに鹿児島へ戻ることになり、当時新たに開校する私立の旧制鹿児島中学校(現鹿児島高等学校)が第2学年の募集もしていたため編入学。鹿児島中学校から進学して、1935年旧制第七高等学校造士館文科卒業。
もっと読む
矢田 俊隆(やだ としたか、1915年〈大正4年〉7月23日… 矢田 俊隆(やだ としたか、1915年〈大正4年〉7月23日 - 2000年7月14日)は、日本の歴史学者・政治学者、北海道大学名誉教授。中欧史を研究。 1915年、三重県桑名市生まれ。1938年、名古屋市の第八高等学校 (旧制)卒業。東京帝國大学文学部に進み、西洋史を専攻する。1938年、東京帝國大学文学部を卒業し、同大学院へ進学。1940年、東京帝國大学大学院文学研究科を修了し、同文学部の副手となる(1943年まで)。 日本大学、東京女子大学などの講師を経て、1949年に成蹊大学政治経済学部教授に就く。1950年、北海道大学法経学部教授となり、1953年の学部改組に伴い法学部教授となった。1957年以降、同大学スラブ研究センター研究員を併任する。
もっと読む
彌永 貞三(いやなが ていぞう、1915年(大正4年)7月1… 彌永 貞三(いやなが ていぞう、1915年(大正4年)7月12日 - 1983年(昭和58年)12月30日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所所長。従四位勲三等瑞宝章。 1915年、父の任地の長野県松本市で生まれた。父の転任に伴い東京で育ち、府立第四中学、府立高等学校を卒業。東京帝国大学文学部国史学科に入学し、日本古代史を専攻し、坂本太郎に師事。1939年、卒業論文『上代の貨幣史に関する研究』を提出して同大学を卒業した。同大学大学院に進学したが、同年12月より兵役につき、千葉の鉄道連隊に入営した。 1940年、北支派遣の鉄道連隊に転属。以後3年あまり中国各地を転戦。1943年に除隊。帰国し、東京帝国大学大学院を退学し、東京帝国大学史料編纂所常勤嘱託に就いた。
もっと読む
草間 俊一(くさま しゅんいち、1915年(大正4年)6月2… 草間 俊一(くさま しゅんいち、1915年(大正4年)6月24日 - 1997年(平成9年)1月15日)は、日本の歴史学者。岩手大学名誉教授。盛岡短期大学元学長。 長野県生まれ。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校を経て、1939年(昭和7年)京都帝国大学文学部史学科卒業。 高知県女子師範学校教授、岩手県女子師範学校、岩手師範学校教授を経て、1949年岩手大学学芸学部(現人文社会科学部)助教授、1962年教授。1976年(昭和51年)定年退官、名誉教授。 退官後は、盛岡短期大学学長を務めた。 1986年(昭和61年)、戦後40年間にわたり郷土史研究と文化財愛護に取り組み歴史研究の発展に貢献したことにより、第39回岩手日報文化賞(学芸部門)を受賞した。
もっと読む
和歌森 太郎(わかもり たろう、1915年(大正4年)6月1… 和歌森 太郎(わかもり たろう、1915年(大正4年)6月13日 - 1977年(昭和52年)4月7日)は日本の歴史学者、民俗学者。東京教育大学名誉教授。専門は日本の民衆史・修験道史。
もっと読む
岡田 一男(おかだ かずお、1915年3月31日 - 200… 岡田 一男(おかだ かずお、1915年3月31日 - 2009年3月7日)は、日本の歴史学者。日本文化大学名誉教授。宮本武蔵の研究家として関連著書がある。茨城県出身。剣道教士。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
もっと読む
川崎 桃太(かわさき ももた、1915年(大正4年)3月3日… 川崎 桃太(かわさき ももた、1915年(大正4年)3月3日 - 2019年(令和元年)9月30日)は、日本の言語学者、歴史学者。京都外国語大学名誉教授。 山口県大津郡俵山村(現・長門市俵山)出身。1930年(昭和5年)にブラジルに渡り、リオ・デ・ジャネイロ州ノーヴァフリブルゴ市アンシェータ大学哲学科卒業、サン・レオポルド市クリスト・レイ大学大学院修了。1955年(昭和30年)に帰国後、カトリック河原町教会で司祭を務める。京都外国語大学ブラジルポルトガル語学科助手を経て、1975年(昭和50年)より教授。1992年(平成4年)に名誉教授となる。 2019年(令和元年)9月30日、食道癌のため死去、享年104歳。
もっと読む
小笠原 長和(おがさわら ながかず 1914年12月16日 … 小笠原 長和(おがさわら ながかず 1914年12月16日 – 2009年9月15日)は、日本の歴史学者。 獣医として陸軍騎兵第18連隊に勤務していた小笠原長淳と房のあいだに、栃木県で生まれる。1938年、早稲田大学文学部史学科を卒業。卒業論文は「関塞の史的考察(王朝時代を中心として)」。在学中は、花見朔巳、荻野三七彦らに師事した。卒業後の1938年から1945年まで東京大学史料編纂所で史料編纂業務嘱託として勤め、また1944年9月からは東京都立牛込商業學校教諭を兼務し、1945年9月に千葉師範学校教授となる。1949年に同校が千葉大学となると、助教授となる。1965年に教授となり、人文学部長等の任にも当たった。
もっと読む
嶋崎 昌(しまざき あきら、1914年9月24日 - 197… 嶋崎 昌(しまざき あきら、1914年9月24日 - 1974年3月3日)は、昭和時代の歴史学者。元中央大学学長。専門は、中央アジア史。特に高昌国史を研究。 1914年、富山県上新川郡島村(現・富山市)で生まれた。幼くして小学校教諭の父の転勤に伴い、朝鮮半島で育った。1934年3月、京城帝國大学予科を卒業。京城帝国大学法文学部史学科に進学し、1937年3月に卒業。 1937年4月、京城帝国大学法文学部助手に採用された。その際の指導教授は大谷勝真であった。その後、北京の中央亜細亜協会調査員として勤務。1944年に赤紙招集に伴い、邯鄲に拠点を置いた独立混成第1旅団に入隊。1946年に復員。 1947年6月、明星中学校に教諭として勤務。
もっと読む
村尾 次郎(むらお じろう、1914年(大正3年)9月20日… 村尾 次郎(むらお じろう、1914年(大正3年)9月20日 - 2006年(平成18年)12月9日)は、日本の歴史学者。東京大学文学博士。 静岡県浜松市の医家(父は医学博士・圭介。松籟と号す)に生まれた。虎童子と号す。考証学者・村尾元融は、血縁の父祖にあたる。 横浜一中、静岡高等学校卒業後、1936年(昭和11年)、東京帝国大学文学部国史学科に進学後は平泉澄の内弟子となった。1940年(昭和15年)、卒業と同時に東京帝国大学文学部助手となるも、1943年(昭和18年)3月に応召される。歩兵より船舶兵科に転じ、陸軍船舶幹部候補生隊本部教官[要出典]。 戦後は古代史専攻の研究者となり、1961年(昭和36年)に「律令財政史の研究」で東京大学より文学博士の学位を受けた。
もっと読む
小林 茂(こばやし しげる、1914年9月10日 - 199… 小林 茂(こばやし しげる、1914年9月10日 - 1993年8月21日)は、歴史学者、部落解放運動家。 大阪府出身。東京文理科大学卒業。下関市立大学教授をへて、名古屋学院大学教授。 近世農業経済史、萩藩の明治維新史などを研究。部落解放研究所名誉理事を務めた。
もっと読む
村山 修一(むらやま しゅういち、1914年5月30日- 2… 村山 修一(むらやま しゅういち、1914年5月30日- 2010年4月16日)は、日本の歴史学者。文学博士(京都大学・1961年)(学位論文「日本中世都市生活の研究:特に中世京都の都市生活における社会と宗教との関係を顧慮しての」)。大阪女子大学名誉教授。皇族が歴代門主を務めた妙法院に残る膨大な文献史料類の翻刻に尽力し、『妙法院日次記』として刊行された。方広寺(京の大仏)は、江戸時代に妙法院の管理下にあったことから、それについての研究も行った。1987年勲三等旭日中綬章受章。 大阪市生まれ。1937年、京都帝国大学文学部史学科卒業。1961年、「日本中世都市生活の研究:特に中世京都の都市生活における社会と宗教との関係を顧慮しての」で京都大学より文学博士の学位を取得。
もっと読む
河部 利夫(かわべ としお、1914年〈大正3年〉5月27日… 河部 利夫(かわべ としお、1914年〈大正3年〉5月27日 - 2011年〈平成23年〉3月9日)は、日本の歴史学者。専門は東南アジア史。東京外国語大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。文学博士。 群馬県高崎市に生まれる。旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、旧制第二高等学校を経て、1938年(昭和13年)に東北帝国大学法文学部西洋史学科を卒業。 1939年(昭和14年)に東北大助手となり、1942年(昭和17年)よりタイへ留学。帰国後の1944年(昭和19年)に文部省民族研究所員となり、1945年(昭和20年)東京外事専門学校(1949年より東京外国語大学)教授に就任。1964年(昭和39年)にはアジア・アフリカ言語文化研究所教授を兼任。
もっと読む
林屋 辰三郎(はやしや たつさぶろう、1914年4月14日 … 林屋 辰三郎(はやしや たつさぶろう、1914年4月14日 - 1998年2月11日)は、日本の歴史学者・文化史家。 立命館大学教授・京都大学人文科学研究所教授・京都国立博物館長などを歴任。中世史の研究において大きな足跡を残した。 1914年(大正3年)、石川県金沢市に生まれた。父は茶商を営んでいた四代林屋新兵衛で、四男であったことから生後1年足らずのうちに新兵衛の次兄林屋次三郎の養子となり、生家を離れて東京に移った。 1924年、中華民国・北京に一家で渡航・居留。2年後の1926年、中学校入学準備のため単身帰国した。慶應義塾幼稚舎に入学し1927年に慶應義塾普通部に進学。翌1928年京都に移住し、京都府立京都第一中学校第2学年に編入学した。
もっと読む
吉岡 勲(よしおか いさお、1914年3月23日 - 199… 吉岡 勲(よしおか いさお、1914年3月23日 - 1993年5月4日)は、日本の歴史学者である。岐阜県の郷土史研究に従事。皇學館大学助教授。 北海道常呂郡常呂村(本籍岐阜県)に生まれる。岐阜縣立本巣中學校(現・岐阜県立本巣松陽高等学校)を経て1933年に岐阜縣師範學校を卒業し、岐阜県内の小学校教諭・訓導を経て、岐阜市立西郷小学校・早田小学校・長良小学校・金華小学校の校長を歴任。その間、岐阜県小中学校校長会理事や全国小学校長会理事、また岐阜県教育研究所次長や岐阜県史編集室長、あるいは岐阜大学や中部女子短期大学で非常勤講師もつとめた。 1974年に満60歳で教職を勇退した後、1976年に皇學館大学文学部講師、1978年に助教授になる。
もっと読む
林 基(はやし もとい、1914年3月15日 - 2010年… 林 基(はやし もとい、1914年3月15日 - 2010年11月18日、旧姓:渡辺)は、日本の歴史学者。専修大学文学部名誉教授。専攻は日本近世史、特に百姓一揆の研究で知られるが、西欧及び東欧諸国の歴史書も多数翻訳した。 東京市芝区田村町出身。父・八十吉は米卸商を営み、関東大震災を機に実業家へ転身し芝信用金庫を興した。小学校卒業後、東京府立第一中学校・府立高等学校に進学するも、マルクス主義の読書会に関わった廉で官憲に一時拘束されたことや、病気休学などにより府立高校を中退。このため、慶應義塾大学予科に入り直し、同大学文学部国史学科を1940年に卒業する。大学在学中は幸田成友に師事し日欧通交史を研究した。
もっと読む
日比野 丈夫(ひびの たけお、1914年(大正3年)3月4日… 日比野 丈夫(ひびの たけお、1914年(大正3年)3月4日 - 2007年(平成19年)7月2日)は、日本の東洋学者、歴史学者(歴史地理学)。京都市生まれ。祖先は高須藩(現在の岐阜県海津市)に代々仕えた漢学者の家柄。 京都一中、三高を経て、1936年京都帝国大学文学部史学科東洋史専攻卒業。1936年東方文化学院京都研究所嘱託、1942年東方文化研究所副研究員。この間、中国留学(39-41年)や出張(43年)によって、中国国内の遺跡の実地調査に当たる。 1948年京都大学人文科学研究所研究員。49年助手、51年講師、57年助教授、68年教授。59年「居庸関」(共同研究)により、日本学士院賞受賞。
もっと読む