馬場 元二(ばば もとじ、1919年2月11日 - 2015… 馬場 元二(ばば もとじ、1919年2月11日 - 2015年5月14日)は、日本の経済学者。経済学博士。元札幌大学及び札幌大学女子短期大学部学長。 福岡県八女市出身。1940年横浜専門学校高等商業科卒業。南満州鉄道調査部入社。1941年大日本帝国陸軍入隊。1945年復員。1951年九州大学経済学部卒業。1954年同大学院特別研究生修了。久留米大学商学部講師。1965年市邨学園短期大学商経科教授。1967年九州共立大学経済学部教授。1968年札幌大学経済学部教授。1969年学校法人札幌大学理事。1971年学校法人札幌大学理事長代理。1975年札幌大学学長に就任。1987年札幌大学学長・札幌大学女子短期大学部学長。
末永 隆甫(すえなが たかすけ、1918年 <大正7年> 1… 末永 隆甫(すえなが たかすけ、1918年 <大正7年> 11月8日 - 2004年 <平成16年> 1月25日)は、日本の経済学者。専門は経済学史。大阪市立大学(現大阪公立大学)名誉教授。元神戸商科大学(現兵庫県立大学)学長。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立第一神戸中学校(現兵庫県立神戸高等学校)を経て、1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業。杉本栄一や高島善哉に師事した。同年から早川泰正とともに企画院嘱託として調査部で勤務した。1942年第54師団輜重兵部隊入隊。1946年大阪市立大学経済学部助手着任。1949年大阪市立大学経済学部助教授。1955年大阪市立大学経済学部教授。1962年大阪市立大学経済学博士。
加藤 誠一(かとう せいいち、1918年9月27日 - 19… 加藤 誠一(かとう せいいち、1918年9月27日 - 1987年7月5日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(立教大学・1980年)(学位論文「中小企業の国際比較にかんする実証的研究」)。立教大学名誉教授。 東京出身。1943年立教大学経済学部卒、同助手となる。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。大阪経理部に配属。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。同年11月に予備役に編入され解員(復員)。 その後、立教大学助手に復職し、1950年講師、1952年助教授、1960年教授、1984年定年となり名誉教授、中京大学教授を務めた。
田中 菊次(たなか きくじ、1918年9月19日 - (2… 田中 菊次(たなか きくじ、1918年9月19日 - (2020-02-17) 2020年2月17日(101歳没))は、日本の経済学者、東北大学名誉教授。 東京府下出身。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1947年東北帝国大学法文学部法律科卒、1962年「地代論の理論的内容について」で東北大学経済学博士。東北大学経済学部教授。82年定年退官、名誉教授、東洋大学教授。89年退職。
今井 則義(いまい のりよし、1918年8月2日 - 199… 今井 則義(いまい のりよし、1918年8月2日 - 1997年4月15日)は、マルクス経済学者。法政大学経営学部名誉教授。元東京交通短期大学学長。専攻は産業論、景気変動論。筆名・西原文夫。 広島県生まれ。1935年広島高等師範付属中学校卒業。1938年広島高等学校文科乙類卒業。1941年東京帝国大学経済学部経済学科卒業。石油統制会社調査課勤務(1946年石油公団に改組)。1951年運輸調査局経済調査部勤務。1957年法政大学経営学部助教授。1960年「戦後循環の分析」で経済学博士(法政大学)。1961年法政大学経営学部教授。1967-68年法政大学経営学部長。1968-72年法政大学常務理事。
大内 力(おおうち つとむ、1918年6月19日 - 200… 大内 力(おおうち つとむ、1918年6月19日 - 2009年4月18日)は、日本の経済学者。専門は、経済理論・経済政策。学位は、経済学博士(東京大学・1961年)。東京大学名誉教授、信州大学名誉教授。日本学士院会員。勲等は勲二等。 財団法人日本農業研究所研究員、東京大学社会科学研究所助教授、東京大学経済学部教授、東京大学経済学部学部長、東京大学総長特別補佐、信州大学教授、大東文化大学教授、全国大学生活協同組合連合会会長などを歴任。 東京府出身の経済学者である。マルクス経済学の経済理論、経済政策を専攻し、宇野弘蔵理論の立場から日本の農業問題を研究。また近代経済学の成果を柔軟に取り入れ、1970年の『国家独占資本主義』では、宇野理論における現状分析として、管理通貨体制下における金融政策(インフレ政策)による賃金上昇抑制と、それによる恐慌への対処を現代国家の本質的機能であるとした。
相見 志郎(あいみ しろう、1918年6月1日 - 2014… 相見 志郎(あいみ しろう、1918年6月1日 - 2014年6月26日)は、日本の経済学者。同志社大学経済学部名誉教授。夫人は作家の相見とし子(1925 - 2005年)。プロ写真家であった長男、相見明は1981年にアメリカで不慮の事故死。 作詞家もず唱平の目にとまり、作曲家の山上敏が演歌に仕上げた。 相見志郎は島倉千代子の大ファンの一人である。
浅田 光輝(あさだ みつてる、1918年〈大正7年〉5月15… 浅田 光輝(あさだ みつてる、1918年〈大正7年〉5月15日 - 2006年〈平成18年〉10月10日)は、日本の経済学者・政治運動家。立正大学名誉教授。 福島県須賀川市出身。1943年慶應義塾大学経済学部卒。在学中、三田新聞学会事件で検挙。応召し、戦後日本共産党に入る。1946年、豊田四郎のもとで日本経済機構研究所設立に参加。神山茂夫理論に共鳴、天皇制・ファシズム理論を展開。1954年共産党を除名。以後、新左翼活動を支援した。ハンガリー事件を契機に神山と離れ、全共闘運動を支援。 1949年専修大学商経学部非常勤講師、1951年静岡大学文理学部助教授、1967年立正大学教養部教授。1988年定年退任。
山崎 清(やまざき きよし、1918年5月9日 - )は、日… 山崎 清(やまざき きよし、1918年5月9日 - )は、日本の経済学者・経営学者。 東京生まれ。早稲田大学法学部仏法学科卒。三菱経済研究所、貿易研修センター勤務、東洋大学経営学部教授。89年杏林大学教授。
伊藤 長正(いとう ちょうせい、1918年4月29日 - 没… 伊藤 長正(いとう ちょうせい、1918年4月29日 - 没年不詳)は、日本の経済学者。 東京出身。1942年東京帝国大学経済学部商業学科卒。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年5月、主計大尉に進み終戦を迎えた。 その後、横浜国立大学助教授、上智大学経済学部教授を歴任。1975年「日本的経営の特質に関する研究」で上智大学経済学博士。90年定年、名誉教授。
川合一郎(かわい いちろう、1918年4月11日 - 197… 川合一郎(かわい いちろう、1918年4月11日 - 1979年3月14日)は、日本の経済学者。専門は金融論(信用論)。マルクス経済学に基礎をおきながら、ケインズ経済学(体系)など幅広い視角から高度経済成長期のインフレーション問題などについて実証的・理論的な研究を行った。 1918(大正7)年、福岡県に生まれる。1936(昭和11)年3月、灘中学校卒業。同年4月大阪商科大学 (旧制)(大阪市立大学→現大阪公立大学)高等商業部入学。1939(昭和14)年、病気により同大学を中退。同年9月、大阪商科大学経済学研究所臨時雇い。その後、同所書記、同所研究員を経て、1949(昭和24)年大阪市立大学助教授、1957(昭和32)年同教授。
川口 武彦(かわぐち たけひこ、1918年3月29日 - 1… 川口 武彦(かわぐち たけひこ、1918年3月29日 - 1998年12月29日)は、日本の経済学者、社会運動家。元九州大学教授。元社会主義協会代表。経済学のほか、堺利彦、山川均など労農派を中心とした初期社会主義研究でも功績を残した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
玉野井 芳郎(たまのい よしろう、1918年1月23日 - … 玉野井 芳郎(たまのい よしろう、1918年1月23日 - 1985年10月18日)は、日本の経済学者。経済学博士(東北大学・1960年)。東京大学名誉教授。正四位、勲三等旭日中綬章。 弟に発生学の専門家、千葉大学名誉教授の玉野井逸朗がいる。 経済学者大河内一男の弟子の一人。 専攻は経済理論、経済学史。後期にはエコロジーや反近代主義に関心を移し、カール・ポランニーやイヴァン・イリイチを日本に紹介した。 著作集全4巻がある。 1984年、小出昭一郎、槌田敦、河宮信郎、室田武、藤田祐幸らとエントロピー学会を設立している。エントロピー読本に村上陽一郎、武谷三男、鶴見和子、廣松渉、伏見康治、宇井純、野坂昭如らの著名人が執筆しているのは玉野井芳郎の影響力が貢献している。
蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22… 蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22日 - 2009年(平成21年)1月3日)は、日本の海軍軍人、経済学者、伝記作家。専門は財政学。獨協大学名誉教授。 1918年、青森県東津軽郡小湊町(現平内町)で生まれた。旧制巣鴨中学校・浦和高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学経済学部に進学。1941年、繰り上げ卒業。海軍兵科予備学生(1期)として海軍に入隊。連合艦隊司令部附となり、海軍甲事件で負傷した宇垣纏の秘書を務め、『戦藻録』の一部を筆記した。最終階級は海軍大尉。 1945年、巣鴨経済専門学校教授に就いた。1947年、北海道大学法文学部予科専任講師に転じた。1950年、北海道総合開発委員会事務局次長に就任。
早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2… 早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2010年12月26日)は、日本の経済学者。北海道大学名誉教授。第5代千葉商科大学学長。 北海道札幌市生まれ。1935年札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)卒業。1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業。杉本栄一ゼミ出身。同年末永隆甫とともに企画院嘱託となる。同年東京商科大学経済研究所員。1947年北海道大学法文学部助教授。1957年北海道大学経済学部教授。1960年理論・計量経済学会理事。1961年北海道同大学経済学博士。1965年北海道大学経済学部長。1968年北海道地方労働委員会公益委員、北海道開発委員会委員。1969年北海道地方最低賃金審議会委員。
前田 義信(まえだ よしのぶ、1918年(大正7年)1月15… 前田 義信(まえだ よしのぶ、1918年(大正7年)1月15日 - 2004年(平成16年)2月4日)は、日本の交通経済学者。 長崎県南高来郡島原町(現・島原市)に生まれる。1920年11月宇治山田市(現・伊勢市)に移住、1931年3月福岡市に移住し、1935年3月福岡県中学修猷館、1938年3月旧制福岡高等学校文科乙類を経て、1938年4月京都帝国大学経済学部に入学、1941年3月同大学の学士試験に合格する。 1941年4月辰馬汽船(後に合併により山下新日本汽船、ナビックスラインを経て現・商船三井)に入社するが、1948年3月に退社し、1950年10月京都大学経済学部大学院に入学、1956年3月に退学。
安達 生恒(あだち いくつね、1918年 <大正7年> 1月… 安達 生恒(あだち いくつね、1918年 <大正7年> 1月14日 - 2000年 <平成12年> 10月10日)は、日本の農業経済学者、島根大学名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 新潟県出身。1941年京都帝国大学農学部卒。愛媛大学助教授、教授、1957年島根大教授。82年定年退官、社会農学研究所を開設、所長。農業の近代化が農村の荒廃を生んだと述べ農村研究を行う。1991年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章を受章。2000年死去。死没日付で正四位に叙された。
木原 正雄(きはら まさお、1918年1月5日 - 2008… 木原 正雄(きはら まさお、1918年1月5日 - 2008年6月24日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門はソ連などの社会主義経済。 1918年、京都府京都市に生まれた。京都市立第一商業学校でロシア語を選択し、立命館大学経済学科に進んだ。同大学を1941年に卒業。1942年、満州国総務庁高等官試補、満洲建国大学高等官試補となった。1943年から1945年にかけて民族研究所に勤務。1945年、京都帝国大学講師となった。 1946年、京都帝国大学助手に昇進。1950年、京都大学経済学部助教授に昇進。1967年、経済学博士の学位を取得。1968年、京都大学教授に昇進。1970~1971年、1973~1974年には、経済学部長を務めた。
山口 正之(やまぐち まさゆき、1918年1月1日 - 19… 山口 正之(やまぐち まさゆき、1918年1月1日 - 1999年3月20日)は、日本のマルクス経済学者。 佐賀県佐賀市出身。東京帝国大学経済学部卒。立命館大学産業社会学部教授、1983年定年、名誉教授、大阪経済法科大学教授。日中友好協会会長を務めた。1999年、肺炎のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
西川 元彦(にしかわ もとひこ、1918年 - 没年不明) … 西川 元彦(にしかわ もとひこ、1918年 - 没年不明) は、日本の経済学者 、日本銀行監事。 名古屋高等商業学校で宮田喜代蔵 の指導を受け、「最も理論的なものは、最も実践的である。」という言葉で、経済に対する関心を深める。宮田の勧めもあり、東京商科大学に進学、中山伊知郎の門を叩く。 1941年(昭和16年)東京商科大学卒業後、日本銀行入行。統計局長、調査局長、監事を歴任、一橋大学の講師も務めた。1978年(昭和53年)1月に前川春雄副総裁を委員長とする日本銀行百年史編纂委員会が発足すると、吉野俊彦、呉文二と共に日本銀行百年史編纂委員会の委嘱委員を務めた。 中央銀行の理論と歴史に関する権威として知られ、多くの論文、専門書を執筆・監訳した。
市古 尚三(いちこ しょうぞう、1917年(大正6年)11月… 市古 尚三(いちこ しょうぞう、1917年(大正6年)11月13日 - 2014年(平成26年)2月16日)は、日本の経済学者、拓殖大学名誉教授、元拓殖短期大学学長、元日本私立短大協会理事、経済博士。専門は、中国経済史。
細貝 大次郎(ほそがい だいじろう、1917年10月18日 … 細貝 大次郎(ほそがい だいじろう、1917年10月18日 - )は、日本の経済学者・農学者・官僚。経済学博士(拓殖大学)。専門は農業政策。拓殖大学名誉教授。元北海道拓殖短期大学学長。 茨城県生まれ。1938年宇都宮高等農林学校農政経済科卒業。農商務省に入省。その後、大東亜省広東日本総領事館勤務などを経て、終戦。戦後は、財団法人農政調査会研究員。1954年拓殖短期大学貿易科講師(農村調査論を担当)。1958年拓殖大学政経学部助教授(日本経済史・協同組合論を担当)。1964年拓殖大学政経学部教授。1967年拓殖大学評議員。1979年同政経学部長。1987年同副学長。1988年拓殖大学理事。1989年拓殖大学定年退職。
安藤 良雄(あんどう よしお、1917年7月12日 - 19… 安藤 良雄(あんどう よしお、1917年7月12日 - 1985年5月6日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授、成城大学学長。 1917年、大蔵省の役人であった父の任地の広島市で生まれた。1935年3月、東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。旧制弘前高等学校に入学して学んだ。 1939年4月、東京帝国大学経済学部に入学し、土屋喬雄のゼミナールに学ぶ。1941年12月、東京帝国大学経済学部を卒業し、同大学助手となるが、1942年1月、応召。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、同年1月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年5月、経理学校を卒業し、1943年11月、主計大尉に進み、戦時中を通して海軍省に勤務し、戦時統制経済の実務に当たった。
増井 健一(ますい けんいち、1917年(大正6年)7月8日… 増井 健一(ますい けんいち、1917年(大正6年)7月8日 - 2001年(平成13年)8月24日)は、日本の経済学者、慶應義塾大学名誉教授。交通経済学を専攻。 経済学者・増井幸雄の長男として静岡県浜松市に生まれる。慶應義塾幼稚舎、普通部、予科を経て、1940年3月に慶應義塾大学経済学部を卒業。同年4月から助手を務める。短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、同年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。1942年3月、主計大尉に進む。1945年5月、海軍主計少佐に昇進して終戦を迎えた。 1945年10月に解員(復員)し、同助教授。1955年教授、1957年商学部教授、商学部長、1983年定年退任、名誉教授、松阪大学教授、1994年退職。
古瀬 大六(こせ たいろく、1917年(大正6年)6月26日… 古瀬 大六(こせ たいろく、1917年(大正6年)6月26日 - 2007年(平成19年)4月11日)は、日本の経済学者。元東北大学経済学部教授、一橋大学商学博士。四女の漫画家、山下和美の作品『天才柳沢教授の生活』の主人公・柳沢良則のモデル。なお、良則は大六の父、つまり山下の祖父の名である。 1917年(大正6年)6月26日、父・古瀬良則(英語学者・一橋大学名誉教授)、母・要(旧姓、鷲田)の長男として、石川県金沢市に生まれる。 1940年(昭和15年)、東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業後、東京芝浦電気に入社。短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、同年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官。
田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 199… 田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 1996年2月17日)は、日本の経済学者、岡山大学名誉教授。 京都府綾部市生まれ。第三高等学校卒。1941年、京都帝国大学経済学部卒、台湾銀行大阪支店に入行。1942年から1945年まで陸軍へ応召。1946年、岡山農業専門学校講師。1948年、教授。1950年、岡山大学法文学部講師、1951年に助教授、1961年に教授。1968年「イギリス初期銀行史研究」で、九州大学経済学博士。1980年から1982年、岡山大経済学部長、評議員。1981年から1982年、法文学部長。1983年、定年退官、名誉教授、金沢大学教授、のち福山大学教授、中京大学教授。
美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日… 美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日 - 1992年(平成4年)11月29日)は、日本の農業経済学者・教育学者・家政学者。専門は農業経済学・農民教育論・農業家政学・農業協同組合経営論など。農産物市場論において市場構造分析の基礎を築き、農協の経営主義を批判するなど、研究領域は多岐に渡る。教育学博士(北海道大学)。名寄女子短期大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1938年第一高等学校 (旧制)卒業。1942年東京帝国大学農学部卒業。同年、日本勧業銀行に入社。1945年東京帝國大学大学院(旧制)特別研究生修了。その後、病気療養。1955年協同組合短期大学協同組合科助教授に就任。
横山 正彦(よこやま まさひこ、1917年〈大正6年〉4月2… 横山 正彦(よこやま まさひこ、1917年〈大正6年〉4月20日 - 1986年〈昭和61年〉3月8日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。旧姓は伊藤。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)出身。旧制伊那中学(現長野県伊那北高等学校)、松本高等学校文科乙類を経て、1941年東京帝国大学経済学部卒。 大河内一男にマルクス主義経済学を学ぶ。社団法人銀行調査会事務局調査課、全国金融調査会調査部調査課勤務、1946年東大経済学部助教授、1955年教授、1961年「重農主義分析」で経済学博士。1978年定年退官、名誉教授、1982年駒澤大学教授。日本科学者会議の設立に参加した。
小泉 幸之輔(こいずみ こうのすけ、1917年3月21日 -… 小泉 幸之輔(こいずみ こうのすけ、1917年3月21日 - 1991年2月24日)は、日本の経済学者。 横浜市生まれ。1938年横浜市立経済専門学校卒。華北綜合調査研究所労務調査担当。戦後石炭鉱業会社で労務担当。1949年横浜市立大学助手、1951年助教授、1971年日本大学文理学部社会学科教授。1988年定年退任。
石原 忠男(いしはら ただお、1917年3月4日 - 200… 石原 忠男(いしはら ただお、1917年3月4日 - 2006年3月25日)は、日本の経済学者。 東京出身。1940年中央大学経済学部卒業、東京芝浦電機調査課勤務、1942年から1944年まで中央大学大学院に在籍。1948年中央大学経済学部講師、1950年助教授、1955年教授、商学部教授。1987年定年、名誉教授。日本科学者会議の創立に参加し、全国幹事、のち参与。1975年から1979年まで経済理論学会代表幹事。1990年勲三等旭日中綬章受章。
音田 正巳(おんだ まさみ、1917年1月 - 1985年3… 音田 正巳(おんだ まさみ、1917年1月 - 1985年3月)は、日本の経済学者。専門は社会政策の研究。帝塚山大学元学長。 1917年生まれ。大阪府立今宮中学校、大阪高等学校を経て、1936年東京帝国大学経済学部に入学。 1939年(昭和14年)短期現役海軍主計科士官(2期)を志願。同年5月、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。龍驤に配属。以後、第8駆逐隊付、第8駆逐隊主計長、呉鎮守府付呉海軍工廠長承命服務、呉工廠砲熕部員兼会計部員を歴任し、1943年(昭和18年)7月、予備役に編入。同年11月応召して横須賀鎮守府出仕兼海軍航空技術廠出仕となり、1944年(昭和19年)4月、高座海軍工廠会計部員兼総務部員に転じ、同年11月、海軍主計少佐に昇進して終戦を迎えた。
三宅 義夫(みやけ よしお、1916年12月14日 - 19… 三宅 義夫(みやけ よしお、1916年12月14日 - 1996年10月19日)は、日本の経済学者。マルクス経済学における金融論専攻。立教大学名誉教授。元経済理論学会代表幹事。 立教大学では山本二三丸(景気論専攻)、小林昇(経済学史専攻)らと並び戦後の経済学部を引っ張ることとなったが、このことは立教大学経済学部にマルクス経済学講座派の牙城を築くこととなり、欧米の主流派経済学の導入を妨げる一因となった。経済学への貢献と言う観点から見ると、カール・マルクス資本論3巻の理解を基にした、貨幣の本質や信用論の深化が挙げられる[要出典]。一部にではあるが資本論への回帰が叫ばれている[要出典]。
小林 昇(こばやし のぼる、1916年〈大正5年〉11月1日… 小林 昇(こばやし のぼる、1916年〈大正5年〉11月1日 - 2010年〈平成22年〉6月3日)は、日本の経済学者。専門は経済学史。学位は、経済学博士(東京大学・論文博士・1955年)。福島大学名誉教授、立教大学名誉教授。日本学士院会員。 東京海上保険会社での勤務を経て、福島高等商業学校教授・福島大学経済学部教授・立教大学経済学部教授・立教大学経済学部学部長・大東文化大学教授などを歴任。 経済学史を専攻する京都市出身の経済学者である。東京帝国大学卒。1940年、福島高等商業学校講師。途中3年間の兵役を挟み、福島大学経済学部の設立などに尽力する。1955年から82年まで立教大学経済学部教授。ドイツ経済学史に新地平を開き、特にフリードリッヒ・リストの研究で名高い。
隅谷 三喜男(すみや みきお、1916年(大正5年)8月26… 隅谷 三喜男(すみや みきお、1916年(大正5年)8月26日 - 2003年(平成15年)2月22日)とは、日本の経済学者。専門は労働経済学。1982年日本学士院会員。東京大学名誉教授、北京大学名誉教授、遼寧大学名誉教授、東北師範大学名誉教授、中国社会科学院名誉高級研究員。昭和36年、東京大学経済学博士。博士論文は「日本賃労働史論」。キリスト教功労者。
林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983… 林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983年1月21日)は、日本の経済学者。東京都立大学名誉教授。専門は財政学。経済学博士(東京大学、1962年)。栃木県宇都宮市生まれ。
遠藤 湘吉(えんどう しょうきち、1916年7月10日 - … 遠藤 湘吉(えんどう しょうきち、1916年7月10日 - 1975年10月19日)は、日本の経済学者。東京大学教授。専攻は財政学、学位は経済学博士(1962年)。実兄に東大野球部で投手として活躍した遠藤洋吉がいる。 北海道に生まれる。京都府立京都第一中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第一高等学校を経て1940年東京帝国大学経済学部卒業。同年東京帝国大学経済学部助手、1949年東京大学社会科学研究所助教授、1958年同教授。1963年東京大学経済学部教授に移り、1970年から1972年まで同経済学部長。
武田 隆夫(たけだ たかお、1916年6月26日 - 198… 武田 隆夫(たけだ たかお、1916年6月26日 - 1986年10月11日)は、日本の経済学者、東京大学名誉教授。マルクス経済学専攻。 長野県小県郡西塩田村(現上田市)出身。気象台勤務の父の転勤で旧制台北第一中学校、台北高等学校を経て、1939年東京帝国大学経済学部卒。大内兵衛に師事。東京大学助教授、1952年教授。1967年学部長。1977年定年退官、名誉教授、東京経済大学教授。地方財政審議会長。
矢尾 次郎 (やお じろう、1916年 <大正5年> 5月2… 矢尾 次郎 (やお じろう、1916年 <大正5年> 5月24日 - 1990年 <平成2年> 3月3日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。元日本学術会議会員。 1916年、福井県福井市生まれ。福井市立福井商業学校(現福井県立福井商業高等学校)を経て、1937年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)を卒業。商業学校では、赤松要ゼミで学んだ。その後は神戸商業大学(現神戸大学)に進み、1940年に卒業、田中金司ゼミで学んだ。 卒業後、指導教官田中の推薦で、1940年に神戸商業大学助手に採用。1944年より神戸商業大学大東亜研究所調査員。1944年に神戸経済大学助手、1946年に同助教授、1952年に同教授に昇進。
増淵 龍夫(ますぶち たつお、1916年3月3日 - 198… 増淵 龍夫(ますぶち たつお、1916年3月3日 - 1983年5月12日)は、日本の経済学者・東洋史学者。専門は東洋経済史。一橋大学名誉教授。 1916年、栃木県那須郡生まれ。旧制栃木県立烏山中学校(現栃木県立烏山高等学校)を経て、1940年旧制東京商科大学(現一橋大学)本科を卒業。大学では上原専禄や三浦新七に師事し西洋経済史を研究したが、後に東洋経済史に転向。教育召集により歩兵1712連隊[疑問点 – ノート]、次いで歩兵第66連隊に入隊。終戦時には二等兵として召集解除。 戦後は、1945年より東京産業大学東亜経済研究所参事。1947年に東京商科大学副手となり、1948年より同大経済研究所研究員、1949年より同大経済研究所助教授。
大野 忠男(おおの ただお、1915年12月10日 - 19… 大野 忠男(おおの ただお、1915年12月10日 - 1998年8月20日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。 1915年、岡山県児島郡灘崎町(現岡山市)生まれ。1938年、東京帝国大学法学部を卒業。商工省、岡山大学教授をへて、1971年より大阪大学経済学部教授。1973年、『シュムペーター体系研究』を大阪大学に提出して経済学博士号を取得。1979年に同大学を定年退官し、名誉教授となる。以降は、追手門学院大学教授、1984年より大阪学院大学教授を務めた。1990年退職。
石沢 芳次郎(いしざわ よしじろう、1915年11月26日 … 石沢 芳次郎(いしざわ よしじろう、1915年11月26日 - 2019年11月2日)は、日本の経済学者。位階は従四位。 三木内閣首席参事官、拓殖大学学長、防衛大学校名誉教授、拓殖大学名誉教授。財団法人産業経済研究協会理事長等を歴任した。 1915年、栃木県宇都宮市生まれ。1944年、旧制東京商科大学(現一橋大学)を卒業した。大学では赤松要に師事した。 率朝護は、大倉経済専門学校(現東京経済大学)教授となった。社団法人日本貿易会調査課長の後、防衛庁防衛研修所所員、内閣国防会議事務局参事官、防衛大学校教授となった。拓殖大学教授、拓殖短期大学学長、拓殖大学学長、財団法人産業経済研究協会理事長をつとめた。
松尾 均(まつお ひとし、1915年9月15日 - 1994… 松尾 均(まつお ひとし、1915年9月15日 - 1994年9月23日)は、日本の労働経済学者・社会福祉学者。 佐賀県武雄生まれ。佐賀高等学校卒、1940年東京帝国大学法学部政治学科卒、産業組合中央会職員、1941年内閣企画院第三部嘱託、1946年国民経済研究協会研究員、1958年日本女子大学文学部社会福祉学科教授、64年同家政学部教授、83年定年、名誉教授。
山岡 喜久男(やまおか きくお、1915年8月10日 - 2… 山岡 喜久男(やまおか きくお、1915年8月10日 - 2000年2月21日)は、日本の経済学者。早稲田大学名誉教授。ドイツの神学者・ブルトマンの提唱した神学の研究でも知られる。位階は従四位。 長野県諏訪郡湊村(現・岡谷市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1938年早稲田大学政治経済学部卒業。1942年同大学大学院経済研究科理論経済学専攻修了、同大学非常勤講師。千葉大学教授を経て、1964年早稲田大学教授。同大学学生部長、同大学教育学部長、同大学評議員、早稲田実業学校校長、早稲田大学常任理事、同大学名誉教授。埼玉女子短期大学学長など歴任した。 1988年勲三等旭日中綬章受章。
山内 一男(やまのうち かずお、1915年6月19日 - 2… 山内 一男(やまのうち かずお、1915年6月19日 - 2008年3月)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授。中国経済の近代化過程を研究した、中国研究の第一人者。菅沼正久らと共に文化大革命を礼賛した代表的な人物として知られる。 広島県出身。1940年東京帝国大学(現・東京大学)卒、南満州鉄道調査部勤務。1957年まで中国に滞在。1961年法政大学教授。1986年定年退任、名誉教授、中国研究所理事長。1984年~1987年現代中国学会代表幹事。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
正田 誠一(しょうだ せいいち、1915年〈大正4年〉5月1… 正田 誠一(しょうだ せいいち、1915年〈大正4年〉5月10日 - 1974年〈昭和49年〉10月11日)は、日本の経済学者。広島県安芸郡江田島村(後の江田島市)出身。原爆歌人として知られる正田篠枝の実弟。 広島県立第一中学校(後の広島県立広島国泰寺高等学校)、旧制広島高等学校を経て、九州大学法文学部経済学科を卒業。広島高時代は同校始まって以来の秀才との評判を得ていた。その後、日本鉄鋼連合会調査部、宇品内燃機有限会社、不二越鋼材株式会社の勤務を経て、1946年(昭和21年)に九州大学の講師に就任し、後に助教授、さらに教授に昇任した。 教授職においては工業政策や社会政策講座を担当する傍ら、九州の石炭産業の分析・研究に関する論文を多く執筆した。
向坂 正男(さきさか まさお、1915年4月9日 - 198… 向坂 正男(さきさか まさお、1915年4月9日 - 1987年8月3日)は、日本の経済学者。 福岡県大牟田市生まれ。向坂逸郎の弟。1938年東京帝国大学経済学部卒、企画院、満鉄調査部に勤務。戦後、経済企画庁に入り、1962年総合計画局長。1966年日本エネルギー経済研究所を設立、所長となり、その後会長となる。1981年国際エネルギー政策フォーラムを作り議長となる。他に電源開発調整審議会委員、原子力委員会委員、総合エネルギー調査会委員、石炭鉱業審議会委員などを兼任した。
渡辺 武(わたなべ たけし、1915年(大正4年)3月24日… 渡辺 武(わたなべ たけし、1915年(大正4年)3月24日 - 2005年(平成17年)10月4日)は、日本の政治家、経済学者。日本共産党参議院議員。 静岡県沼津市出身。1941年(昭和16年)九州帝国大学法文学部経済学科を卒業する。福岡経済専門学校(後の福岡大学)教授を務めた後、1946年(昭和21年)日本共産党に入党。党中央委員、中央委員会経済調査部長、経済政策委員会責任者などを歴任。 1968年(昭和43年)第8回参議院議員通常選挙で全国区から立候補し当選する。当選回数2回。党参議院国会対策委員長などを務めた。 2005年(平成17年)10月4日多臓器不全のため死去。90歳。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
宇佐美 誠次郎(うさみ せいじろう、1915年1月21日 -… 宇佐美 誠次郎(うさみ せいじろう、1915年1月21日 - 1997年4月25日)は、日本のマルクス経済学者。法政大学名誉教授。 東京出身。1937年東京帝国大学経済学部卒。東方文化学院東京研究所員、日本銀行調査局嘱託、1948年法政大学教授。のち同大原社会問題研究所長。1960年「臨時軍事費」で法政大学より経済学博士の学位を取得。85年定年退任、名誉教授。日本ドイツ民主共和国友好協会理事長。「日本資本主義講座」(岩波書店)の中心的編集者だった。ほかに国家財政などを研究。
大来 佐武郎(おおきた さぶろう、1914年〈大正3年〉11… 大来 佐武郎(おおきた さぶろう、1914年〈大正3年〉11月3日 - 1993年〈平成5年〉2月9日)は、日本の逓信・経済企画官僚、外交官、政治家、経済学者。位階は正三位。 第二次世界大戦後の日本を代表する国際派のエコノミストであり、外務大臣(第108代)や総合研究開発機構研究評議会議長を務めた。 東京帝国大学工学部電気工学科卒業後、逓信省に入省した。工務局、興亜院出向を経て大東亜省に移籍した。第二次世界大戦終戦後に外務省調査局に勤務した。その後、芦田内閣の下に設置された経済安定本部で、池田勇人首相の肝煎りである所得倍増計画の策定に中心的に関わった。 大来は終戦直後から日本国内のみならず国外にも豊富な人脈を築き、また分け隔てなく留学を希望する者の紹介状を書いていた。
熊谷 尚夫(くまがい ひさお、1914年(大正3年)7月11… 熊谷 尚夫(くまがい ひさお、1914年(大正3年)7月11日 - 1996年(平成8年)6月11日)は、日本の経済学者。専門は、厚生経済学・経済政策。学位は、経済学博士(大阪大学・論文博士・1958年)(学位論文「資本主義経済と雇傭」)。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。位階は従三位。岡山県岡山市生まれ。河合栄治郎門下。