大谷 省三(おおたに せいぞう、1909年9月23日 - 1… 大谷 省三(おおたに せいぞう、1909年9月23日 - 1994年5月6日)は、日本の農業経済学者、東京農工大学名誉教授。子は大谷禎之介。 島根県出身。東京帝国大学卒。帝国農会などで日本農業の生産力構造などを研究。東京農工大学助教授。1951年、教授。1972年、退官、岐阜経済大学教授。マルクス主義農業経済学者で、1963年には農業問題研究会議の創設に加わる。日本農業経済学会会長。 1958年に大躍進政策が行われている中華人民共和国を訪問し、試験田で敷き詰められた稲の上に乗った経験から、毛沢東らが主導した「密植」の成果であると主張したが、当時の中国では他の場所で育てた苗を敷き詰めるなどの偽装が頻繁に行われていた(実際には「密植」は植物の生態を全く無視した疑似科学であり、これらの誤った農業指導が中華人民共和国大飢饉をもたらして大量の死者を出している)。
山田 勇(やまだ いさむ、1909年8月12日 - 1986… 山田 勇(やまだ いさむ、1909年8月12日 - 1986年4月26日)は、日本の経済学者・統計学者。学位は、経済学博士(一橋大学・1961年)。1973年一橋大学名誉教授。1975年日本統計学会会長。国民経済計算、産業連関分析など計量経済学分野の研究で知られる。著書に『経済通論』・『産業連関の理論と計測』など、論文多数。訳書にW.J.ボーモル『経済動学序説』(共訳)・J.E.ミード『経済成長の理論』(監訳)など。 名古屋大学の北川一雄教授とともに名古屋高等商業学校が産んだ逸材の双璧とされた。指導学生に山澤逸平(一橋大学名誉教授)、島久代(千葉大学名誉教授)など。
池田 善長(いけだ よしなが、1909年(明治42年)8月 … 池田 善長(いけだ よしなが、1909年(明治42年)8月 - 1982年(昭和57年)1月25日)は、日本の農業経済学者。専門は、農業経済学・開発政策。学位は、経済学博士(北海道大学)・農学博士(北海道帝国大学)。北海学園大学名誉教授。父は内務官僚や県知事を務めた池田宏。恩師は高岡熊雄。弟子に小田清、ゼミ出身者に森本正夫がいる。 三重県出身。1927年(昭和2年)横浜一中卒業。1934年(昭和9年)北海道帝国大学農学部農業経済学科卒業。同農学部助手。東亜研究所研究員や、北海道庁経済部勤務を経て、1947年(昭和22年)経済安定本部経済調査官。1950年(昭和25年)経済調査庁査察部課長。1952年(昭和27年)北海学園大学経済学部教授。
高岡 周夫(たかおか かねお、1909年5月2日 - 200… 高岡 周夫(たかおか かねお、1909年5月2日 - 2005年1月31日)は、日本の統計学者・経済学者。経済学博士(北海道大学)。元北海学園大学学長代理・北海学園大学名誉教授。 この他、経済統計学会全国運営委員や北海道経済学会理事でもあった。 経営学を小島昌太郎に師事し、統計学を蜷川虎三に師事する。 父は第三代北海道帝国大学総長の高岡熊雄であり、叔父に高岡直吉がいる。夫人は世界的外科医であり九州大学医学部教授を務めた三宅速の娘。兄弟に北海道大学名誉教授の高岡道夫・北星学園大学名誉教授の高岡英夫がいる。
村岡 重夫(むらおか しげお、1909年(明治42年)4月2… 村岡 重夫(むらおか しげお、1909年(明治42年)4月26日 - 1980年(昭和55年)7月25日は、日本の経済学者・地方公務員。専門は、北海道経済論・経済政策。札幌短期大学教授・同学長を歴任。 大阪市南区生まれ(父金三郎、母須恵長男)。1931年(昭和6年)官立大阪外国語学校卒業。南満州鉄道に入社。満州国産業部勤務を経て、満州国興安総省に入省。昭和16年山本清と婚姻。1945年終戦とともに北海道に引き揚げ。その後、北海道庁に入庁。1955年北海道庁総務部総合企画開発本部係長。札幌短期大学非常勤講師(~1969年)。1962年北海道立総合経済研究所(北海道庁研究機関)主任研究員。1969年札幌短期大学商学科教授。
相原 茂(あいはら しげる、1909年4月25日 - 199… 相原 茂(あいはら しげる、1909年4月25日 - 1993年12月8日)は、日本の経済学者。 静岡県出身。旧制一高を経て東京帝国大学経済学部卒。第一高等学校教授、1949年東京大学教養学部助教授、教授、1963-1966年教養学部長、1969年定年退官、名誉教授、信州大学教授、1975年定年。
安井 琢磨(やすい たくま、1909年4月1日 - 1995… 安井 琢磨(やすい たくま、1909年4月1日 - 1995年12月17日)は、日本の経済学者、大阪大学名誉教授、東北大学名誉教授。経済学博士(1953年)。大阪府大阪市生まれ。
木村 健康(きむら たけやす、1909年2月26日 - 19… 木村 健康(きむら たけやす、1909年2月26日 - 1973年12月7日)は、日本の経済学者、東京大学名誉教授、成蹊大学経済学部初代学部長。
矢島 武(やじま たけし、1909年(明治42年)2月23日… 矢島 武(やじま たけし、1909年(明治42年)2月23日 - 1992年(平成4年)3月17日)は、日本の農業経済学者。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授・元旭川大学学長。位階は正四位。北海道旭川市出身。北海道昭和期中頃における農業経済学の大家。渡邊侃門下。弟子には志賀永一や七戸長生、久保嘉治らがいる。 この他、農林省開拓営農振興審議会委員、文部省学術審議会専門委員、日本農業経済学会会長などを務めた。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
山岡 亮一(やまおか りょういち、1909年2月10日 - … 山岡 亮一(やまおか りょういち、1909年2月10日 - 1991年9月21日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授、高知大学名誉教授。専門は農業経済学。経済学博士(京都大学・1962年)。京都府生まれ。 子に山岡亮平(動物生態学者、京都工芸繊維大学名誉教授)、山岡耕作(魚類学者、高知大学名誉教授)など
宮下 忠雄(みやした ただお、1909年2月7日 - 199… 宮下 忠雄(みやした ただお、1909年2月7日 - 1990年9月27日)は、日本の中国経済学者。 1909年、長野県上田市で生まれた。名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)に入学し、田中金司に師事した。1929年にに卒業。神戸商業大学(現・神戸大学)に進み、1932年に卒業。 卒業後は東亜同文書院教授に就いた。1941年、母校の神戸商業大学助教授に任命された。同大学が1944年10月に神戸経済大学に改称となったことから、以降同大学助教授。 1947年に教授昇格。1949年、新制大学発足にともない神戸経済大学が神戸大学に包摂となったため、1952年以降は神戸大学経済学部教授。同1952年、学位論文『近代中国銀両制度の研究』を神戸大学に提出して経済学博士の学位を取得。
宮川 武雄(みやかわ たけお、1909年1月24日 - 19… 宮川 武雄(みやかわ たけお、1909年1月24日 - 1988年6月12日)は、日本の経済学者。 1909年(明治42年)大阪市船場生まれ。1929年(昭和4年)名古屋高等商業学校卒、1932年(昭和7年)神戸商業大学卒、1934年(昭和9年)同研究科修了、浪速高等学校教授、1937年(昭和12年)大阪商工会議所調査課長、1941年(昭和16年)横浜専門学校教授、1950年(昭和25年)校名変更で神奈川大学助教授、1953年(昭和28年)教授。1969年(昭和44年)から経済学部長を二度務める。1979年(昭和54年)定年退任、名誉教授、創価大学教授。1962年 名古屋大学にて経済学博士取得。
出口 勇蔵(でぐち ゆうぞう、1909年1月23日 - 20… 出口 勇蔵(でぐち ゆうぞう、1909年1月23日 - 2003年4月2日)は、日本の経済学者。経済学博士(京都大学)。京都大学名誉教授。 京都市出身。1933年京都帝国大学経済学部卒。1938年京都大学経済学部助手、講師、助教授、1948年京都大学教授。1952年「経済学と歴史意識」で、経済学博士(京都大学)の学位を取得。1968年経済学史学会代表幹事。1972年定年退官、名誉教授、京都薬科大学教授、1984年名城大学教授。経済哲学・経済思想史を専攻した。
福山 重一(ふくやま しげかず、1909年1月21日 - 1… 福山 重一(ふくやま しげかず、1909年1月21日 - 1992年9月21日)は、日本の経済学者(経済学博士)。教育者。芦屋大学の創設者。 大阪府立大学教育学部長を経て、1964年に芦屋大学を設立した。1968年に学校法人芦屋学園の理事長に就任。 職業指導学の研究に取り組み、芦屋大学で合計7回にわたって開催された職業指導学国際会議では、終身議長を務めた。F式選職能力テストの開発に取り組んだ。 1980年代後半にソビエト連邦のペレストロイカにおいてこの職業指導学が採用され、当時のソ連高等中等専門教育大臣、モスクワ大学総長を始めとするソ連の教育関係者と度々の会談を行い、ソ連の教育システム構築に関わった。
荒木 時次(あらき ときじ、1909年 - 没年不詳)は日本… 荒木 時次(あらき ときじ、1909年 - 没年不詳)は日本の経済学者、翻訳家。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1926年卒業)、福岡高等学校を経て、東京帝国大学経済学部を卒業した。その後、東京帝国大学経済学部大学院で研究した。 大学院終了後、得意のドイツ語を生かして、ナチス・ドイツの文献の翻訳などを行った。 主な作品にドイツ小国民美談・銃後の巻や陸軍の巻などがある。戦後、それらの作品は連合軍によって発禁処分となった。 戦後は自ら研究所を主催し、反共産主義の立場で活動した。
岡本 博之(おかもと ひろゆき、1909年 - 2002年)… 岡本 博之(おかもと ひろゆき、1909年 - 2002年)は、日本の経済学者・大阪市立大学教授。雑誌『経済』初代編集長、日本共産党中央党学校校長、出版局長、社会科学研究所所長、新約『資本論』翻訳出版責任者等を歴任。専攻は経済学説史。先の大戦では、1943年より中部第二部隊に召集され、下士官として参戦。1945年日本の敗戦後1949年までシベリアに抑留された。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
北川 一雄(きたがわ かずお、1909年 - 1983年)… 北川 一雄(きたがわ かずお、1909年 - 1983年)は、日本の経済学者。元名古屋大学経済学部長。従三位。 岐阜県生まれ。岐阜商業学校(現岐阜県立岐阜商業高等学校)を経て、1932年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業。山田勇一橋大学名誉教授とともに名古屋高商が産んだ逸材の双璧とされた。 1948年名古屋大学法経学部助教授兼名古屋経済専門学校教授、十級五号俸。1950年名古屋大学経済学部教授、文部教官一級。1953年東海船員地方労働委員会委員。1954年神戸大学より経済学博士の学位を取得。1963年名古屋大学経済学部長。 1974年に退官後、名古屋学院大学教授。従六位から、1983年に正四位勲三等旭日中綬章追贈とともに、特旨を以て位一級追陞せられ従三位に叙せられた。
岩田 仭(いわた たかし、1909年~1910年 - 194… 岩田 仭(いわた たかし、1909年~1910年 - 1943年1月8日)は、日本の経済学者。専門は国際貿易論。慶應義塾大学助教授。 東京高師附属中学を経て、慶應義塾大学に入学し向井鹿松の下で学ぶ。1934年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、直ちに助手となり、1940年に同学部助教授となる。 1942年9月初旬に原因不明の発熱により入院するも、「1,2週間くらいで退院できる症状だ」と元気に語っていた。しかし、数週間ほど原因不明のまま発熱に苦しみ、その後心内膜炎と判明する。山本登も度々病床を訪れ激励するも、同年の11月下旬に面会謝絶となり、1943年1月8日に逝去する。 慶應義塾大学では商業政策、貿易理論、独(英)語経済学の講義を担当した。
上林 貞治郎(かんばやし ていじろう、1908年(明治41年… 上林 貞治郎(かんばやし ていじろう、1908年(明治41年)12月16日 - 2001年(平成13年)4月14日)は、日本の経済学者。半世紀を超える大学での教育活動や多くの著書を通じ、一貫して科学的社会主義の立場を貫徹し、学生や労働者に大きな影響を与えた。経済学博士。 1908年、大阪府堺市熊野の由緒ある商家に父・栄吉と母・コウの長男として生まれる。 堺市立熊野小学校、大阪市立第一商業学校(のちの天王寺商業)、大阪高等商業学校(のちの大阪商科大学高商部)を経て、1932年、大阪商科大学第一期生として、首席で同大学を卒業。 1932年、大阪商科大学大学院に入学。1933年に同大学副手となり、助手、講師嘱託を経て、 1939年に高商部教授、 1941年に助教授へと昇進した。
大川 一司(おおかわ かずし、1908年11月16日 - 1… 大川 一司(おおかわ かずし、1908年11月16日 - 1993年11月13日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。1950年日本農学賞受賞。従四位勲二等旭日重光章。文化功労者。 1908年、静岡県生まれ。1933年に東京帝国大学農学部を卒業。卒業後は、宇都宮高等農林学校教授、東京商科大学教授となった。 戦後の1949年、経済安定本部調査課長となる。1950年より一橋大学教授。1952年、学位論文『食糧経済の理論と計測 』を提出して農学博士号を取得。1958年、経済企画庁経済研究所(のち内閣府経済社会総合研究所)初代所長となる。1969年より一橋大学経済研究所所長。1972年に一橋大学を定年退職し、名誉教授となった。
南條 範夫(なんじょう のりお、1908年11月14日 - … 南條 範夫(なんじょう のりお、1908年11月14日 - 2004年10月30日)は、日本の小説家・経済学者。本名:古賀 英正。「條」は旧字のため南条範夫とも表記される。残酷ものと呼ばれる独特の作品や剣豪小説をはじめ、幅広い歴史小説、時代小説で知られる。東京市出身。 東京銀座の南紺屋町に、代々の医師の家に生まれる。8歳から中国・青島の小中学校を出て、山口高等学校から1930年東京帝国大学法学部卒業、1933年同経済学部卒業、助手となる。1936年満鉄調査部東京支社に入り、1937年宮崎正義が率いる日満財政研究会に、法学部助手だった戒能通孝らとともに参加。軍による東亜支配を経済的に支える統制経済計画の策定に深く関与する。
入江 猪太郎 (いりえ いたろう、1908年 <明治41年>… 入江 猪太郎 (いりえ いたろう、1908年 <明治41年> 11月10日 - 1990年 <平成2年> 9月17日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。元日本学術会議会員。 岡山県西大寺市生まれ。1930年高松高等商業学校(現香川大学)卒業。1933年神戸商業大学(現神戸大学)卒業、同研究科入学。1936年鹿児島高等商業学校講師。1938年同教授。1942年神戸商業大学助教授。1950年神戸大学経営学部教授。1952年同教授。1953年岡山大学教授併任。1961年商学博士。1964年神戸大学経営学部長。1972年日本学術会議会員。同年定年退官、神戸大学名誉教授、近畿大学商経学部教授。1980年勲三等旭日中綬章受章。
伊大知 良太郎(いおち りょうたろう、1908年〈明治41年… 伊大知 良太郎(いおち りょうたろう、1908年〈明治41年〉11月8日 - 1985年〈昭和60年〉5月26日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。一橋大学経済研究所長、日本統計学会会長等を歴任した。 東京出身。1931年旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。1934年同研究科修了。台北高等商業学校教授、総理府統計局、横浜国立大学教授を経て、一橋大学経済研究所教授を務めた。1963年から高橋長太郎の後任として第8代一橋大学経済研究所長を務めた。1965年に所長を退任し都留重人と代わる。1971年から1972年まで第10代日本統計学会会長。1973年一橋大学定年退官、一橋大学名誉教授、東海大学教授。
板垣 與一(いたがき よいち、1908年 <明治41年> 1… 板垣 與一(いたがき よいち、1908年 <明治41年> 10月15日 - 2003年 <平成15年> 8月28日)は、日本の経済学者、国際政治学者。1932年に旧制東京商科大学を卒業。以後同大学(のち一橋大学)を研究拠点とし、戦前は植民地政策を研究領域として南方軍占領地の軍政に関与。戦後はアジア政治経済を研究領域とし、アジア経済研究所の設立を提言した。1972年亜細亜大学教授、経済学部長。1988年八千代国際大学初代学長。1972年一橋大学名誉教授。1980年勲二等瑞宝章受章。1984年経済社会学会会長。位階は正四位。 1908年、富山県射水郡新湊町(現射水市)の漁師の家に生まれた。1921年に富山県立高岡甲種商業学校(現富山県立高岡商業高等学校入学。
井上 晴丸(いのうえ はるまる、1908年10月7日 - 1… 井上 晴丸(いのうえ はるまる、1908年10月7日 - 1973年10月5日)は、日本の農業経済学者。 山口県出身で税関長などを務めた井上徳太郎の二男として兵庫県神戸市中山手通二丁目の税関官舎で生まれる。 五高を経て、1934年東京帝国大学農学部農業経済学科卒、農林省に入る。立田信夫の筆名で講座派マルクス主義の立場から協同組合論などを展開。1938年に中華民国出張、39年から興亜院技師、43年に帰国、農林省米穀利用研究所技師。戦後の1946年農政局経営課長となり農地改革を進めるが49年レッドパージで農林省を追われ、10年間東畑精一会長の農業発達史調査会メンバーとして「日本農業発達史」の編集、執筆に従事。
気賀 健三(きが けんぞう、1908年〈明治41年〉10月6… 気賀 健三(きが けんぞう、1908年〈明治41年〉10月6日 - 2002年〈平成14年〉2月15日)は、日本の経済学者、慶應義塾大学名誉教授。 同じく経済学者であった気賀勘重の子として東京に生まれる。1930年慶應義塾大学経済学部経済学科卒業、同学部助手。1937年同助教授、1942年教授。1956年、「社会的進歩の原理 : 経済政策原理の社会哲学的研究」で慶應義塾大学より経済学博士を取得。1974年定年退職、名誉教授、成城大学教授。学校法人桑沢学園理事長、教科書正常化国民会議会長[要出典]。 はじめソ連経済を研究し、ソ連、東欧研究会代表理事だったが、スタンスは反共主義で民主社会主義研究会議理事であった。
藤井 茂(ふじい しげる、1908年6月13日 - 2000… 藤井 茂(ふじい しげる、1908年6月13日 - 2000年6月30日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。専門は国際経済学、特に国際貿易論。 1908年、兵庫県加東郡滝野町(現・加東市)で生まれた。小野中学校(現・兵庫県立小野高等学校)を経て、神戸商業大学(現・神戸大学)に進んだ。在学中は瀧谷善一に師事し、1932年に卒業。 1940年、神戸商業大学助教授に就いた。1946年に神戸経済大学教授に昇格。1949年、学位論文『国際貿易論』を神戸経済大学(現・神戸大学)に提出して経済学博士号を取得。1953年に神戸大学経済学部教授となった。1960年から1962年まで経済学部長を務めた。1972年に神戸大学を定年退官し、名誉教授となった。
木村重義(きむら しげよし、1908年(明治41年)6月5日… 木村重義(きむら しげよし、1908年(明治41年)6月5日-1980年(昭和60年)6月27日)は、日本の経済学者(会計学)。学位は、経済学博士(東京大学・1960年)。東京大学名誉教授。 父は木村重治(西洋史学者 立教大学元学長)。
末永 茂喜(すえなが しげき、1908年5月5日 - 197… 末永 茂喜(すえなが しげき、1908年5月5日 - 1977年1月22日)は、日本の経済学者。東北大学名誉教授。おもに古典派経済学を研究した。 山口県萩市出身。1931年東北帝国大学法文学部卒。東北帝大副手、1940年助教授、1941年退官、参謀本部調査事務嘱託、中央物価統制協力会議調査部長、総理府統計局経済部長、1950年東北大学経済学部教授。1952年「リカアドウの貨幣論」で経済学博士。経済学部長。1972年定年退官、名誉教授。財団法人・東北経済調査協会理事。
神崎 博愛(かんざき ひろちか、1908年(明治41年)4月… 神崎 博愛(かんざき ひろちか、1908年(明治41年)4月16日 - 1986年(昭和61年)8月25日)は、日本の農業経済学者。京都大学名誉教授。専門は農業経営学で、農家家計経済、農村社会学的日本農民論、近代経済学的農業経営論を主に研究。農学博士。 鹿児島県姶良郡清水村(現:霧島市)の後の国分清水地域出身。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)を経て、1931年(昭和6年)3月に第五高等学校 (旧制)理科甲類卒業。1934年(昭和9年)3月に京都帝国大学農学部農業経済学科を卒業し、同年9月より朝鮮総督府技手。旧制五高・京大在学中は学生野球選手で、京大では関西六大学リーグ優勝を経験。1940年(昭和15年)京都帝国大学農学部教務嘱託、同年7月京都帝国大学農学部助手就任、1941年(昭和16年)3月京都帝国大学農学部講師嘱託。
川村 琢(かわむら みがく、1908年3月28日 - 199… 川村 琢(かわむら みがく、1908年3月28日 - 1993年3月19日)は、日本の農学者・経済学者。学位は、経済学博士(東北大学・論文博士・1961年)(学位論文「農産物の商品化構造」)。昭和期の農業経済学の大家。北海道大学名誉教授。1990年勲三等瑞宝章受章。秋田県大曲市(現・大仙市)生まれ。 1929年弘前高等学校卒業。1932年東北帝国大学法文学部経済学科卒業。 同法文学部助手。1934年北海道帝国大学農学部助手。1940年北海道農業研究会常任幹事。 1942年治安維持法違反容疑で拘禁(北海道農業研究会事件)。1945年GHQ指令で釈放。 北海道農業会農業経営調査課長。1948年北海道信用農業協同組合連合会参事。
家本 秀太郎(いえもと ひでたろう 1908年 - 1979… 家本 秀太郎(いえもと ひでたろう 1908年 - 1979年)は経済学者。神戸大学経済学部名誉教授。正四位勲三等瑞宝章。産業連関表で有名な米国経済学者のワシリー・レオンチェフの主著「アメリカ経済の構造」を訳した。クララオンラインの創業者である家本賢太郎は孫。
的場 徳造(まとば とくぞう、1908年 - 1985年4月… 的場 徳造(まとば とくぞう、1908年 - 1985年4月26日)は、日本の農業経済学者。専門は、主にソビエト連邦の農業経済学。 1936年、東京帝国大学文学部西洋史学科を卒業後、同大学院に進む。1937年、外務省調査部嘱託としてソ連、特にその農業を研究。1947年農林省農業経済研究所に入所し、海外部長、九州支所長を歴任する。1975年日本大学経済学部教授に就任し、1979年に退職した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
柏 祐賢(かしわ すけかた、1907年〈明治40年〉11月1… 柏 祐賢(かしわ すけかた、1907年〈明治40年〉11月10日 - 2007年〈平成19年〉3月12日)は、日本の農学者、農業経済学者。京都大学名誉教授、第2代京都産業大学学長。李登輝(第4代中華民国総統)の京大農学部在籍時の恩師として知られる。 1907年、富山県立山町生まれ。京都帝国大学農学部農林経済学科で学び、1933年に卒業。 卒業後は同1933年に農林省入省。1936年、京都帝国大学農学部助手に任じられる。1939年、同大学農学部講師に昇進。11月、京都帝国大学人文科学研究所助教授となる。 1945年、太平洋戦争が終結。1947年4月、京都帝国大学人文科学研究所教授に昇進。1948年8月に学位論文『経済秩序個性論:中国経済の理論的研究』を京都大学に提出して農学博士を提出。
伊藤 俊夫(いとう としお、1907年10月30日 - 19… 伊藤 俊夫(いとう としお、1907年10月30日 - 1998年5月25日)は、日本の農業経済学者。北海道大学名誉教授。元日本学術会議会員。北海道文化賞受賞。 1907年、北海道札幌市で生まれた。1925年、高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)を卒業。1928年、北海道帝国大学予科修了し、北海道帝国大学農学部農業経済学科に進んだ。1931年に卒業した後、同大学大学院へ進学。1936年に修了し、同大学助手に採用された。1941年、京城帝国大学法文学部助教授に就任。 戦後帰国し、1946年より帯広獣医畜産専門学校教授。翌1947年、北海道帝国大学法文学部助教授となった。1948年、北海道大学に学位論文を提出して農学博士。
越村 信三郎(こしむら しんざぶろう、1907年10月16日… 越村 信三郎(こしむら しんざぶろう、1907年10月16日 - 1988年11月27日)は、日本の経済学者・会計学者。第5代横浜国立大学学長。 石川県金沢市出身。1933年東京商科大学(現一橋大学)卒。大塚金之助門下。横浜高等商業学校講師、助教授、教授を経て、太平洋戦争が始まると、1943年に総力戦研究所研究員となる。日本の降伏後、1949年後身の横浜国立大学教授兼横浜経済專門学校教授、1953年評議員。同年「経済循環の原理」で関西学院大学より経済学博士の学位を取得。1956年日本学術会議会員、1961年経済学部長、1969年学長事務取扱、1970年学長。1973年定年退官、名誉教授、和光大学教授、1978年退職、名誉教授。
田中 祐之(たなか すけゆき、1907年4月3日 - 198… 田中 祐之(たなか すけゆき、1907年4月3日 - 1986年10月29日)は、日本の経済学者。元東京経済大学学長事務取扱。 大阪府出身。成器商業学校(現大阪学芸高等学校)を経て、1929年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。1932年東京商科大学(現一橋大学)学部卒業。東京経済大学経済学部長などを務め、1951年から東京経済大学学長事務取扱。1953年退任。1979年勲三等瑞宝章受章。1986年叙正五位。
守屋 典郎(もりや ふみお、1907年3月12日 - 199… 守屋 典郎(もりや ふみお、1907年3月12日 - 1996年7月17日)は、日本の弁護士、左翼活動家、経済学者。 東京出身。本籍・岡山県小田郡矢掛町。父は第11・12代岡山市長、衆議院議員の守屋松之助。妻としの兄は同志社大学名誉教授の和田洋一 (文学研究者)。1929年東京帝国大学法学部卒。在学中新人会に加入。1930年弁護士開業。1932年日本共産党に入る。野呂栄太郎、平野義太郎らの指導で経済学を研究、講座派の一員として野口八郎の筆名で活動。1933年検挙され投獄。1934年倉敷絹織に入り法律問題の仕事に従事。1938年人民戦線事件などで検挙、投獄される。1940年出獄して大日本紡績連合会に入り、綿スフ統制会から繊維統制会価格課長。
救仁郷 繁(くにごう しげる、1907年3月6日 - 200… 救仁郷 繁(くにごう しげる、1907年3月6日 - 2001年5月26日)は、日本の翻訳家、経済学者。 北海道札幌市生まれ。北海道帝国大学農学部農業経済学科卒。1962年「西ドイツの農業経済」で北海道大学農学博士。ソ連の農業経済などに関する著作を翻訳した。
高橋 長太郎(たかはし ちょうたろう、1907年2月28日 … 高橋 長太郎(たかはし ちょうたろう、1907年2月28日 - 1991年3月29日)は、日本の経済学者。経済学博士(一橋大学・1960年)。一橋大学名誉教授。一橋大学経済研究所長、専修大学学長等を歴任。正四位勲二等瑞宝章。東京生まれ 1927年旧制東京商科大学(現一橋大学)予科修了。1930年同大学学士。1932年同大学研究科修了。哲学者の山内得立教授に師事した。1934年法政大学商業学校教諭。1947年大蔵省内閣統計官。1949年東京商科大学経済研究所教授。一橋大学経済研究所国民所得・再生産研究部門主任教授として倉林義正らと国民経済計算を行い、1959年から小原敬士の後任として第6代一橋大学経済研究所長を務めた。
北野 熊喜男(きたの ゆきお、1907年2月13日 - 19… 北野 熊喜男(きたの ゆきお、1907年2月13日 - 1989年6月3日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。位階は従三位。 1907年、大阪府大阪市北区堂島で生まれた。1918年(大正7年)に大阪市立天王寺商業高等学校を卒業し、神戸高等商業学校(現・神戸大学)に進んだ。1928年に同校を卒業。続いて京都帝国大学経済学部に進み、1932年に卒業。 卒業後は、1933年から1935年まで京都帝国大学経済学部副手に採用された。同1933年より同志社高等商業学校講師を務め、1936年からは教授。1939年より和歌山高等商業学校講師、同年教授昇進。 戦後の1945年より福島経済専門学校教授を務めた。
小竹 豊治(こたけ とよじ、1906年12月30日 - 19… 小竹 豊治(こたけ とよじ、1906年12月30日 - 1990年2月11日)は日本の経済学者。証券経済論。
松川 七郎(まつかわ しちろう、1906年9月3日 - 19… 松川 七郎(まつかわ しちろう、1906年9月3日 - 1980年11月7日)は、日本の経済学者、一橋大学名誉教授。経済学史・統計学史専攻。日本学士院賞受賞。 宮城県出身。東京帝国大学経済学部卒。一橋大学教授、1967年ウィリアム・ペティ研究で日本学士院賞受賞。70年定年後、中央大学教授。77年退職。指導学生に竹村孝雄(元中央大学教授)など。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
名和 統一(なわ とういち、1906年<明治39年>6月18… 名和 統一(なわ とういち、1906年<明治39年>6月18日 - 1978年<昭和53年>7月8日)は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授。 1906年に兵庫県に生まれる。父はキリスト教徒の株屋。京都帝国大学を卒業し、大阪商科大学(現大阪市立大学)教授となる。1943年に大阪商大事件で追放されるも、戦後復帰し、大阪市立大学教授となる。1951年に「国際価値論研究」で、京都大学から経済学博士の学位を取得する。1971年に定年退官し、大阪市立大学名誉教授、岐阜経済大学学長となる。マルクス経済学による貿易理論を展開した。門下に三辺信夫がいる。
見田 石介(みた せきすけ、1906年4月23日 - 197… 見田 石介(みた せきすけ、1906年4月23日 - 1975年8月9日)は、日本の哲学者・マルクス主義経済学者・ヘーゲル研究者。旧姓は甘粕、筆名「佐竹 恒有」、「瀬木 健」。 1906年、島根県津和野生まれ。1923年3月県立富山中学校4学年修了。1927年3月旧制第四高等学校理科卒業。1930年京都帝国大学文学部哲学科卒業。波多野精一に師事し、ヘーゲルの歴史哲学を研究した。 1930年4月に同大学大学院に進学し、同時に平安女学院講師に就職するが、1931年3月に大学院を退学。同年4月に平安女学院講師も退職する。1932年10月に創立された唯物論研究会に11月に参加。1933年機関誌『唯物論研究』に執筆開始。
小松 芳喬(こまつ よしたか、1906年4月1日 - 200… 小松 芳喬(こまつ よしたか、1906年4月1日 - 2000年2月7日)は、日本の経済学者、社会経済史学者。1960年社会経済史学会代表理事。1983年日本学士院会員。1979年日経・経済図書文化賞。 東京市神田生まれ。第一早稲田高等学院を経て、1928年早稲田大学政治経済学部卒業、同大学院進学。1960年経済学博士の学位を取得。 1933年早稲田大学政治経済学部助手、1934年同大学講師。東京外国語学校での語学習得や1937年から1939年までロンドン大学留学。1939年早稲田大学助教授、1942年に教授となった。
難波田 春夫(なにわだ はるお、1906年3月31日 - 1… 難波田 春夫(なにわだ はるお、1906年3月31日 - 1991年9月1日)は、日本の経済学者。元関東学園大学学長。 兵庫県出身。1934年、東京帝国大学経済学部卒業。1935年、同大学経済学部助手となる。東京帝国大学の土方成美の愛弟子である。1939年の平賀粛学では同僚と共に辞表を提出するものの撤回、助教授に昇進する。1945年11月4日、東京帝国大学経済学部教授会が難波田の退職を決定したことを受け、同大学を辞職。翌年、公職追放。講談社の野間省一の協力を得て、講談社内に経済学研究所を設けて所長となる。1951年の公職追放解除後、1952年に東洋大学教授に着任。1954年、東京都立商科短期大学教授、1966年 - 1978年まで早稲田大学社会科学部教授。
黒松巌(くろまついわお、1906年1月18日-1976年11… 黒松巌(くろまついわお、1906年1月18日-1976年11月8日)は、日本の経済学者。 鹿児島市生まれ。第七高等学校造士館卒、1931年京都帝国大学経済学部卒、1960年「日本工業の構造」で京都大学経済学博士。1938年建国大学助教授、1944年教授、1948年同志社大学経済学部教授。59-61年経済学部長、1976年定年、名誉教授となる。
和田 敏雄(わだ としお、1906年(明治39年)1月 - … 和田 敏雄(わだ としお、1906年(明治39年)1月 - 1996年(平成8年)1月7日)は、日本の経済学者・元官僚。専門はソ連の経済制度の研究。元・北海道拓殖短期大学学長。福井県生まれ。 1927年東京外国語学校露語科卒業。北樺太鉱業に入社。1937年(昭和12年)外務省調査局に入局。その後、外務省調査官、外務省事務官を経て、1949年拓殖大学政経学部教授。1964年同政経学部長。1968年4月北海道拓殖短期大学学長・学校法人拓殖大学理事。1969年9月学長辞任。拓殖大学政経学部教授。1976年拓殖大学定年退職。同名誉教授。 この他、拓殖大学学生部長、同研究所長、同図書館長、同語学研修所長なども務めた。
竹内 正巳(たけうち まさみ、1906年 - 1986年7月… 竹内 正巳(たけうち まさみ、1906年 - 1986年7月24日)は、日本の経済学者。専門は、地域経済論。 兵庫県佐用町出身。大阪府立高津中学校(大阪府立高津高等学校の前身)、高知高等学校(高知大学の前身のひとつ)に、いずれも1期生として学び、高知高ではボート部を創設して活躍した。1929年、京都帝国大学経済学部を卒業。在学中は蜷川虎三ゼミで統計学を学んだ。 1930年代はじめから1945年まで、満鉄調査部に勤務し、東亜経済調査局の報告書などにもたずさわった。戦後、ソ連によるシベリア抑留を経験する。 1950年に帰国し、以降、経済企画庁の前身である経済安定本部勤務、経済審議庁調査官、愛媛県企画室長を経て、1954年ころに大阪府立商工経済研究所長として大阪へ戻り、近畿開発促進協議会事務局長なども務めた。