山泉 和子(やまいずみ かずこ、1935年1月17日 - 2… 山泉 和子(やまいずみ かずこ、1935年1月17日 - 2024年8月27日)(現姓名・伊藤和子)は、大阪府生まれの卓球選手。日本卓球界の黄金期を支えた女子選手の一人で、2010年にはその功績を称えられ世界卓球殿堂入りを果たした。 孫の池田和正(明治大学出身)も卓球選手。 疎開で愛媛県北宇和郡津島町(現宇和島市)に移住。1946年に卓球を始めた。愛媛県立津島高等学校を経て大阪樟蔭女子大学へ進学。大学卒業後は東洋レーヨンに入社した。世界卓球選手権に6回出場し、1959年に女子ダブルスで優勝、1963年に混合ダブルスで優勝、女子団体では3度優勝している。 1960年の全日本卓球選手権では女子シングルス、ダブルス、混合ダブルスで優勝、女子選手として初の三冠王となった。
菊池 和子(きくち かずこ、1934年3月 - )は、秋田県… 菊池 和子(きくち かずこ、1934年3月 - )は、秋田県仙北郡豊川村(現在の大仙市)出身の卓球選手。きくち体操の創始者である。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
角田 啓輔(つのだ けいすけ、1933年1月19日 - 20… 角田 啓輔(つのだ けいすけ、1933年1月19日 - 2024年9月1日)は、日本の卓球選手。荻村伊智朗、田中利明らと共に日本卓球界に黄金時代を築き、「史上最速の強打者」と言われた選手。 宮城県志田郡古川町(現在の大崎市古川)出身。旧制宮城県古川中学校時代に卓球を始め、宮城県古川高等学校卒業と同時に大学入学の費用を稼ぐため、東京・日暮里の卓球ラケットメーカー・アームストロング (卓球)に就職。3年間の社会人生活を送る。アームストロングが建設した東京卓球会館の2階の6畳一間に住み込みで働き、仕事終了後は東京卓球会館で腕を磨いた。当時、東京卓球会館には荻村伊知郎、富田芳雄、大川とみなど、錚々たる顔ぶれが練習にきており現在では「伝説の卓球場」と呼ばれている。
藤井 基男(ふじい もとお, 1932年4月5日 - 200… 藤井 基男(ふじい もとお, 1932年4月5日 - 2009年4月24日)は、日本の卓球選手。現役時代はシェークハンドのカット主戦型として名を馳せた他、卓球ジャーナリストとして著書も多く持ち、荻村伊智朗との共著もある。岩手県花巻市出身で、花巻北高校、岩手大学卒。 1951年の全日本卓球選手権ではシングルスで3位、翌年の全日本卓球選手権でも鈴木勝彦と共に3位となった。1956年に東京で開催された世界卓球選手権にも出場しており、混合ダブルスにおいて田中良子とのペアで銅メダルを獲得している。引退後は日本においてのコーチ活動の他、サウジアラビアのヘッドコーチも務めた。日本卓球協会においても事務局長、専務理事などの役職につき、1991年の世界選手権の千葉開催に向けて取り組んだ。
大川 とみ(おおかわ とみ、1932年2月26日 - )は、… 大川 とみ(おおかわ とみ、1932年2月26日 - )は、日本の元卓球選手、卓球指導者。 茨城県結城郡三妻村大字三坂(現:常総市三坂町)出身。 1956年に東京で行われた世界卓球選手権大会の女子シングルスで日本人女子として初の優勝をかざった。この優勝を記念して地元の茨城県では大川杯卓球大会が翌1957年から開催されていたが2008年3月に行われた第51回大会で幕を閉じた。 1956年から1960年頃、会計検査院に所属した。1960年頃結婚し岡田とみとなっている。 現在は東京都調布市の「メイジ・コミュニティ・スポーツクラブ」卓球教室にて、平岡義博(明治大学卓球部元監督)や夫と共に後進の指導を行っている。
田中 良子(たなか よしこ、1932年または1933年 -)… 田中 良子(たなか よしこ、1932年または1933年 -)は、山口県出身の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル1個を含む計7個のメダルを獲得し、日本卓球界の創成期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は5位。段級位は7段。 1949年度、柳井高校2年時の全日本卓球選手権大会ではシングルス決勝で佐藤恵子を2-1で倒し、初優勝。田舛彦介と出場した混合ダブルスでも決勝で本庄俊彦 / 西村登美江組を2-0で下し、優勝。 1950年度、高校選手権ではシングルス優勝。日本選手権シングルスでは決勝で楢原静に1-2で敗れ、準優勝。 1951年度、日本選手権混合ダブルスは峯石忠雄と出場し、決勝で溝畑司呂 / 石原れい子組を2-0で下し2度目の優勝。
楢原 静(ならはら しずか、1928年 - )は、広島県三原… 楢原 静(ならはら しずか、1928年 - )は、広島県三原市出身の卓球選手。戦後1952年、インドのボンベイで開催された世界卓球選手権で西村登美江とペアを組み団体戦、ダブルス優勝。日本卓球初の世界王者となった。 楢原 静(ならはら しずか、1928年 - )は、広島県三原市出身の卓球選手。戦後1952年、インドのボンベイで開催された世界卓球選手権で西村登美江とペアを組み団体戦、ダブルス優勝。日本卓球初の世界王者となった。
藤井 則和(ふじい のりかず、1925年 - 1992年11… 藤井 則和(ふじい のりかず、1925年 - 1992年11月16日)は、日本の男子卓球選手。出身は京都府京都市。 関西学院大学で学び、同校代表として全日本学生卓球選手権大会に出場。彼は男子シングルス優勝3回および男子ダブルス優勝3回の成績を残した。また全日本卓球選手権大会で優勝5回。 1952年、日本代表としてムンバイでの世界卓球選手権に出場。男子団体戦で銅メダル。男子ダブルスでは林忠明と組んで優勝した。 1992年11月16日、脳血栓のため死去。
田舛 彦介(たます ひこすけ、1920年8月20日 - 20… 田舛 彦介(たます ひこすけ、1920年8月20日 - 2004年7月22日)は、元卓球選手。卓球用品総合メーカー株式会社タマスの創業者。山口県柳井町(現・柳井市)出身。 旧制柳井商業学校 (現・山口県立柳井商工高等学校) 卒業。1946年、全日本卓球選手権大会では男子シングルス決勝で藤井則和に0-2で敗れ準優勝。1949年、田中良子と出場した全日本選手権混合ダブルス決勝で本庄俊彦 / 西村登美江組を2-0で下し、優勝。1950年、卓球用品総合メーカー株式会社タマスを創業した。1957年、『卓球レポート』を創刊した。1983年、バタフライ卓球道場を建設した。 株式会社タマスは、ブランド名であるBUTTERFLY(バタフライ)として知られている。
林 忠明(はやし ただあき、1920年1月2日 - 2017… 林 忠明(はやし ただあき、1920年1月2日 - 2017年8月29日)は、神奈川県秦野市出身の元卓球選手。 12歳のときに卓球を始めた。1940年に汎太平洋卓球大会の日本代表に選ばれて国際試合に出場したが、太平洋戦争の勃発で歩兵部隊の幹部として満州や南方戦線を転戦した。 復員後、1946年に全日本軟式で優勝、1950年には全日本卓球選手権のシングルスで優勝、日本初参加となった1952年にインドのボンベイで行われた世界卓球選手権で藤井則和とのペアで男子ダブルス優勝している。このとき渡航費用として40万円がかかったが半分の20万円は自己負担したという。 晩年は荒川区で卓球用品の会社を経営していた。
大岡 博華 は、日本の卓球選手。中国からの帰化選手であり、中… 大岡 博華 は、日本の卓球選手。中国からの帰化選手であり、中国名は孫博。北京市出身。仙台育英高校-大正大学卒業。アスモ所属。
藤沼 亜衣 は、栃木県宇都宮市出身の卓球選手。四天王寺中学校… 藤沼 亜衣 は、栃木県宇都宮市出身の卓球選手。四天王寺中学校・高等学校を経てミキハウスへ入社。現姓は森田亜衣。
吉田 雅己 は、北海道札幌市出身の日本の男子卓球選手。右シェ… 吉田 雅己 は、北海道札幌市出身の日本の男子卓球選手。右シェーク両面裏ソフトドライブ型。ITTF世界ランキング最高位は18位。Tリーグは金沢ポート所属。
石川 佳純 は、山口県山口市出身の元卓球選手、スポーツキャス… 石川 佳純 は、山口県山口市出身の元卓球選手、スポーツキャスター、解説者。愛称はかすみん。身長157cm。体重49kg。血液型O型。左利き。両面裏ソフトドライブ主戦型。ITTF世界ランキング最高位は3位。段級位は9段。全農所属。Tリーグは木下アビエル神奈川に所属しており背番号は7であった。
幸田 栄三郎 は、日本の卓球選手。福岡県卓球界の草分け。
森薗 誠(もりぞの まこと )は、日本の卓球指導者。戦型は左… 森薗 誠(もりぞの まこと )は、日本の卓球指導者。戦型は左ペン・ドライブ。現役時は近畿大学卓球部、シチズン時計卓球部でプレー。段級位は4段。プロ卓球選手の森薗美咲、森薗政崇姉弟の父親である。双子の弟であり、プロ卓球選手の森薗美月は兄 稔の娘である。 コブクロの「君という名の翼」という曲のプロモーションビデオに当時11歳だった息子の政崇と出演している。政崇との卓球練習のシーン撮影であったが、次第に日頃の練習の時のように政崇への指導が熱くなってしまい、撮影スタッフを困惑させてしまった。
小中 健(こなか けん)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本… 小中 健(こなか けん)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権でメダルを獲得する等活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は11位。 弘前商高在学時の1959年度、全国高等学校卓球選手権大会個人の部で優勝。 法政大学在学時の1962年度、ジャカルタ (インドネシア) で開催されたアジア競技大会卓球競技では、三木圭一と出場した男子ダブルスで金メダル、団体で金メダル。全日本卓球選手権大会ではシングルス決勝で三木に0-3で敗れ準優勝。 1963年度、プラハ (チェコスロバキア) で行われた世界卓球選手権シングルスでは16強。三木と出場した男子ダブルス準決勝で荘則棟 / 徐寅生(英語版)組 (中国) に0-3で敗れ銅メダル。
小野 文子(おの ふみこ)は、日本の元卓球選手。現役時代は全… 小野 文子(おの ふみこ)は、日本の元卓球選手。現役時代は全日本卓球選手権大会等で活躍し、何度も優勝した。 青森山田高等学校在学時の1970年度、全国高等学校卓球選手権では工藤奉子と出場したダブルスで優勝。 愛知工業大学在学時の1973年度、全日本選手権では田村隆と出場した混合ダブルス決勝で荒蒔基邦 / 高瀬良子組を2-1で倒し優勝。 1974年度、全日本学生卓球選手権大会では鎌倉由美子と出場した女子ダブルスで優勝。※以降、女子ダブルスのペアは全て鎌倉。全日本選手権では女子ダブルス決勝で葛巻まゆみ / 小野智恵子組に0-2で敗れ準優勝。田村と出場した混合ダブルス決勝で伊藤繁雄 / 大関行江組に0-2で敗れ準優勝。
千葉良子(ちば りょうこ)は、日本の卓球選手。 青森山田高等… 千葉良子(ちば りょうこ)は、日本の卓球選手。 青森山田高等学校に在籍した1975年のインターハイ女子シングルスで優勝した。日本大学に進学、1976年の関東学生卓球選手権女子シングルスで2位。全日本卓球選手権大会で横田幸子とのペアで出場した女子ダブルス決勝で小野文子 / 鎌倉由美子組に1-2で敗れ準優勝。 1978年の全日本社会人卓球選手権女子シングルスで優勝、同年のバンコクアジア大会にも出場しシングルスでベスト16。団体(英語版)では小室恵子、新保富美子、長洞久美子らとともに銅メダル。
今野 安子(こんの やすこ)(現姓杉本)は、日本の卓球選手。… 今野 安子(こんの やすこ)(現姓杉本)は、日本の卓球選手。 岩手県大船渡市出身。1967年、久保学園高等学校(現・盛岡誠桜高等学校)3年生の時に第8回アジア卓球選手権女子ジュニアシングルスで優勝した。その後愛知工業大学でプレーした。1969年の世界卓球選手権ミュンヘン大会で長谷川信彦との混合ダブルスで優勝した。1971年の世界卓球選手権名古屋大会では小和田敏子、大関行江、大場恵美子と共に女子団体で優勝を果たした。
枝野とみえ(えだの とみえ)は、日本の卓球選手。富士短期大学… 枝野とみえ(えだの とみえ)は、日本の卓球選手。富士短期大学出身。 岩手県下閉伊郡川井村立中学校箱石中学校から、久保学園高校を経て、富士短期大学に進学した。高校3年時の1971年のインターハイでは選手宣誓を行っている。大学1年時に月刊「卓球レポート」のインタビューを受けた。 1973年、世界卓球選手権サラエボ大会の団体で3位、阿部多津子との女子ダブルスで3位となった。 また同年の全日本学生卓球選手権の女子シングルスで優勝、インカレでも優勝しMVPに選ばれた。また、全日本卓球選手権大会では長洞久美子との女子ダブルスで優勝した。 短大卒業後は、川徳デパート東京事務所に所属した。1974年には、アジア卓球選手権では女子シングルス、河野満との混合ダブルス、女子団体で優勝、女子ダブルスで3位となった。
菅原 清春(すがわら きよはる)は、宮城県大崎市出身の卓球選… 菅原 清春(すがわら きよはる)は、宮城県大崎市出身の卓球選手。宮城県古川高等学校を経て慶應義塾大学に進学。 宮城県大崎市出身。高校は地元の宮城県古川高等学校に進学、卓球部に入り長谷川順平先生のフットワークを重視した指導を受ける。1961年(昭和36年)にダブルスランキング全国3位、東北1位、個人ランキングでは東北5位。一学年上の久光貞夫とダブルスを組みインターハイ全国3位に入賞。シングルスでは二回戦名門京都東山高校のエースに快勝、三回戦は秋田県代表の森川に勝利、四回戦ランク決勝で千葉県代表の野平に敗れる。この後、菅原、森川、野平の三人は大学時代まで良きライバルとしてしのぎをけずることになる。 慶應義塾大学に進学。
大場 恵美子(おおば えみこ)は、日本の元卓球選手。現役時代… 大場 恵美子(おおば えみこ)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として活躍した。世界卓球選手権金メダリスト。 山形県河北町出身。山形県立谷地高等学校卒業。 中京大学在学時の1969年度、全日本学生卓球選手権大会では小和田敏子と出場した女子ダブルスで優勝。全日本大学対抗卓球大会では中京大を優勝に導き、敢闘賞に選出された。 谷地高職員時の1970年度、名古屋市で行われたアジア卓球選手権シングルスで銅メダル。伊藤繁雄と出場した混合ダブルス準決勝で長谷川信彦 / 小和田組に敗れ銅メダル。 1971年度、名古屋市で行われた第31回世界卓球選手権シングルスで16強。伊藤和子と出場した女子ダブルスで林慧卿(英語版) / 鄭敏之(英語版)組 (中国)に0-3で敗れ16強。
星野 美香 は、日本の卓球選手。
井上哲夫(いのうえ てつお)は、千葉県八日市場市出身の元卓球… 井上哲夫(いのうえ てつお)は、千葉県八日市場市出身の元卓球選手。専修大学在学中、全日本学生卓球選手権大会で優勝を果たした。卒業後シチズン時計に所属した。世界卓球選手権にも日本代表として3大会に出場している。 千葉県立銚子商業高等学校から1967年に専修大学へ入学、2年次の1968年全日本選手権で3位となり、3年次の1969年には世界選手権ミュンヘン大会の代表となり、全日本学生卓球選手権で優勝、全日本選手権で準優勝した。4年次の1970年も全日本選手権で3位、卒業後はシチズン時計に入社して卒業後も実業団で卓球を続け1971年世界選手権名古屋大会、1977年世界選手権バーミンガム大会のメンバーになり、団体の予選リーグ、ユーゴスラビア戦では、4-4のラストで勝利し、準優勝に貢献した。
高橋 浩(たかはし ひろし)は、日本の元卓球選手。現役時代は… 高橋 浩(たかはし ひろし)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として活躍し、世界卓球選手権、アジア競技大会卓球競技、アジア卓球選手権でメダルを獲得した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は4位。 高輪高校、慶應義塾大学卒業。シチズン時計に所属。 1963年度、マニラ (フィリピン) で開催されたアジア卓球選手権でシングルス、福島萬治と出場した男子ダブルス、団体でいずれも金メダル。 1964年度、ソウル (韓国) で開催されたアジア選手権でシングルスでは銅メダル、大橋紘明と出場した男子ダブルスで銀メダル、団体で木村興治、小中健、大橋らとともに金メダル。 1965年度、リュブリャナ (ユーゴスラビア) で行われた世界選手権シングルスは準々決勝で荘則棟 (中国)に0-3で敗退。
青池 優美(あおいけ ゆみ)は、神奈川県藤沢市出身の卓球選手… 青池 優美(あおいけ ゆみ)は、神奈川県藤沢市出身の卓球選手。4段(神奈川県)。 藤沢市立御所見中学校在学中の1987年、全国中学校卓球大会の女子シングルスで準優勝、白鵬女子高等学校在学中の1990年、インターハイ、女子ダブルスで河合クラブ時代からのチームメート、河合雅世とのペアで優勝、同年のアジア卓球選手権クアラルンプール大会の混合ダブルスでベスト8、1991年に富士短期大学に進学、その年の世界卓球選手権千葉大会の混合ダブルスに山本恒安とのペアで出場した。関東学生卓球リーグでは2年間で13勝4敗の成績をあげた。短大卒業後は武田薬品工業湘南に所属、 1995年の世界卓球選手権天津大会のシングルス、渋谷浩との混合ダブルス、団体に出場した。
磯村 淳(いそむら すなお)は、日本の元卓球選手。現役時代は… 磯村 淳(いそむら すなお)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で銀メダル獲得など活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は14位。 中学で卓球部に入部。かつては攻撃型だったが、1956年に東京で開催された第23回世界卓球選手権でのロゼアヌ (ルーマニア) のプレーに魅了され、カット主戦型に転向 。 1959年度、高校選手権個人の部で優勝。 1960年度、高校選手権で中田光子と出場したダブルスで優勝。 1963年度、全日本大学総合卓球選手権大会団体の部では専修大学を優勝に導き、敢闘賞に選出された。国民体育大会卓球競技では一般の部で東京都代表として関正子らと優勝。 1964年度、ソウル (韓国) で行われたアジア卓球選手権では女子ダブルスで銀メダル。
橘川 美紀(きつかわ みき)は、日本の元卓球選手。現役時代は… 橘川 美紀(きつかわ みき)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表としてアジア競技大会卓球競技でメダルを獲得。全日本卓球選手権大会では女子ダブルスで優勝3度。 神奈川県・京浜女商高在学時の1982年度、全日本選手権ジュニアの部決勝で森真紀子を2-1で下し優勝。 1983年、高校総体では高橋真由美と出場した女子ダブルス、団体で優勝。 富士短大在学時の1984年度、全日本選手権では斉藤美香子と出場した女子ダブルス決勝で名和史 / 高橋頼子を2-0で下し初優勝。 1985年度、第38回世界卓球選手権に出場。全日本選手権では斉藤と出場した女子ダブルス決勝で山下さとみ / 幸野信子組に0-2で敗れ準優勝。
佐藤 利香 は、宮城県仙台市出身の卓球選手。京浜女子商業高等… 佐藤 利香 は、宮城県仙台市出身の卓球選手。京浜女子商業高等学校(現在の白鵬女子高等学校)時代の1988年全日本卓球選手権女子シングルス決勝戦で星野美香を破り優勝した。これは2017年の平野美宇の16歳9か月で抜かれるまでの女子シングルス史上最年少記録(17歳1ヶ月)である。また、その後1991年には2度目の優勝(所属は武田薬品湘南)を果たしている。その後和歌山銀行に所属、現在は明徳義塾中学校・高等学校の女子監督として指導にあたっている。
松下 大星(まつした たいせい)は、熊本県出身の日本の卓球選… 松下 大星(まつした たいせい)は、熊本県出身の日本の卓球選手。 父は世界選手権元日本代表の松下雄二、母も日本代表の旧姓・下長智子。父方の叔父は世界選手権元日本代表で卓球用品メーカーVICTAS社長の松下浩二。 愛知工業大学出身。2022年、全日本卓球選手権 男子シングルスでベスト8に入賞した。 2022年、Tリーグの琉球アスティーダに加入。反転式ペンホルダーの使用者として初めてのTリーガーとなった。 2022年、ポーランド・スーパーリーグのジェロナ・グラと契約。 2023年、バタフライとアドバイザリー契約を結んだ。 2025年3月30日、それまで所属していた実業団のクローバー歯科カスピッズからの退団を発表。
大関 行江(おおぜき ゆきえ)(現姓木村)は、大阪府出身の元… 大関 行江(おおぜき ゆきえ)(現姓木村)は、大阪府出身の元卓球選手。日本卓球協会6段。角丸型の日本式ペンホルダーを用いて、主に前陣でツッツキを主体とした「ツッツキ主戦型」とも呼ばれる独特のプレースタイルで、1970年代に多くのタイトルを獲得し活躍した。 大阪府池田市立北豊島中学校から四天王寺高等学校を経て青山学院大学に進学、1967年の関東学生新人卓球選手権大会では女子シングルス、ダブルスで優勝した。1968年ジャカルタで行われたアジア卓球選手権では女子シングルス、ダブルスで優勝、団体で準優勝した。 1971年の世界卓球選手権名古屋大会では小和田敏子、大場恵美子、今野安子と共に女子団体で優勝を果たした。
阿部 博幸(あべ ひろゆき)は山口県出身の元卓球選手。興國高… 阿部 博幸(あべ ひろゆき)は山口県出身の元卓球選手。興國高等学校、専修大学を経て協和発酵に所属した。 1973年にはインターハイでシングルス、阪井一利とのダブルスで優勝した。 全日本卓球選手権大会ではシングルスで1980年に優勝、ダブルスで1976年、1977年、阿部勝幸とのペアで1981年、前原正浩とのペアで優勝した。 また世界卓球選手権代表に3回選ばれ1979年の平壌大会、1981年のノヴィサド大会でともに団体3位、1983年の東京大会ではダブルスで小野誠治とのペアでベスト4に入った。1973年には来日した世界チャンピオンの郗恩庭を破っている。また、1984年にはピョンヤンで行われたフレンドシップ・ゲームズ(ドゥルージバ-84)(en) に参加し、小野誠治と組んだ男子ダブルスで金メダルを獲得した(en) 。
三木 圭一(みき けいいち)は、日本の元卓球選手。現役時代は… 三木 圭一(みき けいいち)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で銀メダル2個を獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は15位。 中央大学在学時の1960年度、全日本学生卓球選手権大会ではシングルス優勝。 1961年度、北京 (中国) で行われた世界卓球選手権シングルスでは準々決勝敗退。男子ダブルスでは16強。世界ランキング15位。学生選手権ではシングルス2連覇。 全日本卓球選手権大会ではシングルス決勝で木村興治に2-3で敗れ準優勝。瀬川栄次と出場した男子ダブルス決勝では木村 / 上田浩組を2-1で倒し、初優勝。 1962年度、ジャカルタ (インドネシア) で開催されたアジア競技大会卓球競技では、シングルスで金メダル、小中健と出場した男子ダブルスで金メダル、混合ダブルスで銅メダル、団体で金メダル。
嶋内よし子(しまうち よしこ)は、高知県窪川町出身の卓球選手… 嶋内よし子(しまうち よしこ)は、高知県窪川町出身の卓球選手。興津中学校・土佐女子高等学校を経て専修大学へ進学した。主将を務めていた1979年1月に行われた全日本卓球選手権では、女子シングルス決勝で青山学院大学の菅谷佳代を破り優勝した。卒業後は三井銀行へ入社した。夫は卓球選手の斎藤清。 世界卓球選手権に3度出場、全日本卓球選手権でも2度優勝した名選手であったが、2003年12月23日に乳癌による呼吸不全のため46歳で死去した。
川東 加代子(かわひがし かよこ)は、日本の卓球選手。197… 川東 加代子(かわひがし かよこ)は、日本の卓球選手。1977年の第34回世界卓球選手権では女子シングルスでベスト8に入った。鹿児島県出身。結婚後の姓は、濱野。五段。 屋久島町立神山中学校に在学した1973年、第4回全国中学校卓球大会の団体とシングルスと優勝、1974年に横浜市で行われたアジアユース選手権ジュニアの部では準優勝した。 柳川商業高等学校(現在の柳川高等学校)3年の1976年には第4回全国高等学校選抜卓球大会の女子シングルスで優勝した 世界卓球選手権に4回出場、1977年の第34回世界卓球選手権バーミンガム大会ではシングルスでベスト8、横田幸子、枝野とみえ、菅谷佳代との団体で4位、1979年の第35回世界卓球選手権平壌大会ではシングルスでベスト16、高橋省子・嶋内よし子・菅谷佳代との団体で3位、1981年の第36回世界卓球選手権ノヴィ・サド大会では女子ダブルスでベスト8に入った。
山下 さとみ(やました さとみ)は、日本の元卓球選手。現役時… 山下 さとみ(やました さとみ)は、日本の元卓球選手。現役時代は世界卓球選手権に2度出場。全日本卓球選手権大会では女子ダブルス、混合ダブルスで優勝。 福岡県柳川商高在学時の1978年、高校総体では漆尾珠江と出場した女子ダブルスで優勝。 中央大学在学時の1982年度、全日本学生卓球選手権大会ではシングルス、小原るみと出場した女子ダブルスでともに優勝。全日本大学対抗卓球選手権では中央大を優勝に導き、敢闘賞を獲得。 1983年、第37回世界卓球選手権に出場。 日産自動車在籍時の1984年度、全日本選手権ではシングルス決勝で星野美香に1-3で敗れ準優勝。 1985年度、第38回世界卓球選手権に出場。全日本選手権では幸野信子と出場した女子ダブルス決勝で橘川美紀 / 斉藤美香子組を2-0で下し優勝。
和田 理枝(わだ りえ)は、日本の元卓球選手。中央大学出身。… 和田 理枝(わだ りえ)は、日本の元卓球選手。中央大学出身。現役時代は日本代表として世界卓球選手権に出場。全日本卓球選手権大会ではシングルスで優勝2度。カット主戦型。国際卓球連盟世界ランキング最高位は18位。 柳川商高在学時の1975年と翌年、高校総体では川東朋子と出場したダブルスで2連覇。 中央大学在学時の1979年度、全日本選手権シングルス決勝で高橋とわ子を3-2で下し初優勝。 1980年度、カルカッタ (インド) で行われたアジア卓球選手権女子ダブルスで銅メダル。上海国際卓球大会(英語版)で川東加代子と出場した女子ダブルスで銀メダル。全日本選手権シングルス決勝で嶋内よし子を3-2で下し2連覇。
渋谷五郎(しぶたに ごろう)は日本の元卓球選手。戦型はカット… 渋谷五郎(しぶたに ごろう)は日本の元卓球選手。戦型はカット主戦型。息子は元卓球選手の渋谷浩。明治大学卓球部監督を長年務めた。1961年の第26回世界卓球選手権北京大会では荻村伊智朗、村上輝夫、星野展弥、木村興治と共に銀メダルを獲得した。第12回日本卓球人賞指導者賞受賞。
鎌倉 由美子(かまくら ゆみこ)は、日本の元卓球選手。現役時… 鎌倉 由美子(かまくら ゆみこ)は、日本の元卓球選手。現役時代は全日本卓球選手権大会等で活躍し、何度も優勝した。 愛知工業大学在学時の1974年度、全日本学生卓球選手権大会では小野文子と出場した女子ダブルスで優勝。※以降、ダブルスのペアは全て小野。全日本選手権では女子ダブルス決勝で葛巻まゆみ / 小野智恵子組に0-2で敗れ準優勝。 1975年度、全日本選手権女子ダブルス決勝で高山徳子 / 菅谷佳代組に0-2で敗れ準優勝。 1976年度、全日本大学対抗卓球大会では愛工大を優勝に導き、敢闘賞に選出された。全日本選手権女子ダブルス決勝で横田幸子 / 千葉良子組を2-1で倒し初優勝。 日本楽器所属時の1977年度、全日本選手権女子ダブルス決勝で高橋省子 / 中井万里子組を2-0で倒し2連覇。
阿部勝幸(あべ かつゆき )は山口県出身の卓球選手。専修大学… 阿部勝幸(あべ かつゆき )は山口県出身の卓球選手。専修大学から協和発酵に所属し1980年に現役を引退した。 全日本学生卓球選手権では1971年にシングルス、1970年、1971年に藤原孝志とのダブルスで優勝した。 全日本卓球選手権大会では1971年に混合ダブルスで阪本礼子とのペアで1971年、1972年と2連覇、ダブルスで1972年に伊藤繁雄とのペアで1976年、1977年、阿部博幸とのペアで優勝、シングルスでも1974年に優勝している。 また世界卓球選手権代表に3回選ばれ1971年の名古屋大会、1975年のカルカッタ大会のダブルスでともにベスト4に入った。 現役引退後は専修大学監督などを務めている。
富田 芳雄(とみた よしお)は、日本の元卓球選手。現役時代は… 富田 芳雄(とみた よしお)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル4個を含む多くのメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は6位。段級位は9段。 1950年度、全国高等学校卓球選手権大会シングルス優勝。 専修大学在学時の1952年度、全日本学生卓球選手権大会でシングルス初優勝。全日本卓球選手権大会ではシングルス決勝で溝畑司呂を3-1で下し優勝。 1953年度、東京で開催されたアジア卓球選手権シングルスで銅メダル、団体で金メダル。学生選手権でシングルス2度目の優勝、川井一男と出場した男子ダブルスで初優勝。 1954年度、ウェンブリー (イングランド) で行われた第21回世界卓球選手権シングルスでは準々決勝でリチャード・バーグマン (イングランド)に1-3で敗れた。
村上 淑子(むらかみ よしこ)は、日本の元卓球選手。現役時代… 村上 淑子(むらかみ よしこ)は、日本の元卓球選手。現役時代は全日本卓球選手権大会など多くの大会で活躍した。 広島県立三原高等学校を経て専修大学入学。以降、記述するダブルスのペアは全て松崎キミ代。 1958年度、全日本大学総合卓球選手権大会個人の部女子ダブルスで優勝。全日本選手権女子ダブルス決勝では前年優勝の江口冨士枝 / 山泉和子組を2-1で下し初優勝。 1959年度、大学選手権女子ダブルスで2連覇。国民体育大会卓球競技で山泉、松崎とともに優勝。全日本選手権シングルス決勝では松崎に2-3で敗れ準優勝。女子ダブルス決勝では山泉 / 設楽義子組を2-1で下し2度目の優勝。 1960年度、帝人三原に所属。
渡辺 妃生子(わたなべ きいこ)(現姓:加藤)は、日本の元卓… 渡辺 妃生子(わたなべ きいこ)(現姓:加藤)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル2個を含む多くのメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキングの最高位は3位。段級位は7段。 1953年度、全日本卓球選手権大会ではシングルス決勝で江口冨士枝を3-2で倒し、初優勝。 1954年度、ウェンブリー (イングランド) で行われた世界選手権では江口と出場した女子ダブルス準決勝でディアンヌ・ロー(英語版) / ロザリンド・ロー(英語版)組 (イングランド) に1-3で敗れ銅メダル。団体では金メダル獲得。世界ランキング7位。 1955年度、ユトレヒト (オランダ) で行われた第22回世界卓球選手権シングルスは準決勝でアンジェリカ・ロゼアヌ (ルーマニア)に0-3で敗れ銅メダル。
阿部多津子(あべ たづこ)は、日本の卓球選手。中央大学卒業。… 阿部多津子(あべ たづこ)は、日本の卓球選手。中央大学卒業。 全日本学生卓球選手権のダブルスで1971年、1973年と2度優勝、1972年の関東学生卓球選手権のシングルスでも優勝した。 1973年の世界卓球選手権サラエボ大会で枝野とみえとのペアでベスト4となった。 2006年、塩竈市から陸上競技の鈴木義博、バドミントンの平山優と共に名誉市民に選ばれた。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
神田 絵美子(かんだ えみこ)は、日本の元卓球選手。現役時代… 神田 絵美子(かんだ えみこ)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権に出場。全日本卓球選手権大会では女子ダブルスで4連覇。国際卓球連盟世界ランキング最高位は30位。 1976年度、国民体育大会卓球競技では少年女子の部で青森県代表として優勝。 富士短大在学時の1978年度、全日本学生卓球選手権大会ではシングルス優勝。 富士短大教員時の1980年度、全日本社会人卓球選手権でシングルス、山下恵子と出場した女子ダブルスで優勝。※以降、ダブルスのペアは特記がない限り山下。全日本選手権では女子ダブルス決勝で岩田浩子 / 秋和百合子組を2-1で下し初優勝。 日産自動車所属時の1981年度、ノヴィ・サド (ユーゴスラビア) で行われた第36回世界卓球選手権では小野誠治と出場した混合ダブルスで16強。
長洞 久美子(ながはら くみこ)は、日本の元卓球選手。現役時… 長洞 久美子(ながはら くみこ)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表としてアジア競技大会卓球競技に出場し、メダルを獲得。 富士短大在学時の1973年度、全日本卓球選手権大会では枝野とみえと出場した女子ダブルス決勝で阪本礼子 / 森田るみ子組を2-0で下し優勝。 1974年度、全日本社会人卓球選手権では小野智恵子と出場した女子ダブルスで初優勝。 1976年度、社会人選手権で小野と出場した女子ダブルスで2度目の優勝。 第一勧業銀行在籍時の1977年度、全日本選手権シングルス決勝で小野文子を3-2で破り優勝。 1978年度、バンコク (タイ) で行われたアジア競技大会卓球競技(英語版)ではシングルス、小室恵子と出場した女子ダブルス、小室・新保富美子・千葉良子と出場した団体でいずれも銅メダル。
難波 多慧子(なんば たえこ)は、兵庫県出身の元卓球選手。現… 難波 多慧子(なんば たえこ)は、兵庫県出身の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権での金メダル3個を含む、複数の国際大会でメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。段級位は9段。国際卓球連盟世界ランキング最高位は6位。 1953年度、全日本卓球選手権大会ジュニアの部で優勝。 1954年度、 全日本選手権は塩野美笑子と出場した女子ダブルス決勝で佐藤富士子 / 山本千代子組に1-2で敗れ準優勝。 1955年度、全日本学生卓球選手権大会ではシングルスで初優勝。 1956年度、東京で行われた第23回世界卓球選手権ではシングルスで16強、女子ダブルスで準々決勝敗退。学生選手権ではシングルスで2連覇。
成田 静司(なりた せいじ)は、日本の元卓球選手。現役時代は… 成田 静司(なりた せいじ)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権、アジア競技大会卓球競技に出場した。ペンホルダーによるカット主戦型のプレースタイルで活躍した。 1952年と翌年、国民体育大会卓球競技高校の部で青森県代表として2年連続優勝。 1954年度、全日本卓球選手権大会ジュニアの部で優勝。 日本大学在学中の1957年度、全日本選手権ではシングルス決勝で坂井昭一を3-0で破り初優勝。 1958年度、東京で開催されたアジア大会(英語版)ではシングルスで銅メダル、大川とみと出場した混合ダブルスで銅メダル、団体で銀メダル。全日本学生卓球選手権大会男子シングルスで優勝。全日本選手権ではシングルス決勝で星野展弥を3-1で破り2度目の優勝。
糠塚 重造(ぬかづか じゅうぞう)は、青森県出身の元卓球選手… 糠塚 重造(ぬかづか じゅうぞう)は、青森県出身の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権に出場。全日本卓球選手権大会で優勝。 青森県立三本木高在学時の1977年度、全国高等学校卓球選手権では若澤幸弘と出場したダブルスで優勝。 1978年度、高校選手権でシングルス、学校対抗で優勝。 明治大学在学時の1980年度、全日本学生卓球選手権大会シングルスで優勝。 1981年度、学生選手権で 斎藤清と出場した男子ダブルスで初優勝。 1982年度、ニューデリー (インド) で開催された第9回アジア競技大会卓球競技(英語版)団体で阿部博幸・小野誠治・斎藤・坂本憲一とともに銀メダル。学生選手権で斎藤と出場した男子ダブルスで2連覇。