福井 祐輔(ふくい ゆうすけ、1947年(昭和22年)11月… 福井 祐輔(ふくい ゆうすけ、1947年(昭和22年)11月9日 - )は、日本の政治家、陸上自衛官。元静岡県下田市長(1期)。 高知県土佐清水市出身。中学3年のときに下田市に移り住んだ。下田市立下田中学校卒業。1966年(昭和41年)3月、静岡県立下田北高等学校(現・静岡県立下田高等学校)卒業。1967年(昭和42年)3月、防衛大学校に入校。1971年(昭和46年)3月、同校を卒業。同年4月、陸上自衛隊に入隊。第1次カンボディアPKO国際平和協力隊長兼停戦監視員、普通科教導連隊長兼滝ヶ原駐屯地司令、防衛大学校教授などを歴任し、2003年(平成15年)8月、定年退官。退職時階級は陸将補。 2015年(平成27年)7月、NPO法人日本地雷処理・復興支援センター理事を任期満了退職。
荒川 堯一(あらかわ ぎょういち、1947年(昭和22年)1… 荒川 堯一(あらかわ ぎょういち、1947年(昭和22年)11月6日 - )は、日本の海上自衛官。第37代横須賀地方総監。神奈川県出身。 神奈川県立横須賀高等学校を経て、防衛大学校本科第16期卒業。 第4航空群司令、第1航空群司令、自衛艦隊司令部幕僚長、教育航空集団司令官、海上幕僚副長などを歴任し、第37代横須賀地方総監に就任。荒川の海上幕僚副長在任時に海上幕僚長となった齋藤隆は高校の同窓であった。 退官後は三笠保存会理事長、横須賀市観光協会会長に就任。
森 勉(もり つとむ、1947年〈昭和22年〉8月19日 -… 森 勉(もり つとむ、1947年〈昭和22年〉8月19日 - )は、日本の陸上自衛官。岡山県出身。第30代陸上幕僚長。西部方面総監を経た初の陸上幕僚長。日本会議代表委員。
高山 良二(たかやま りょうじ、1947年〈昭和22年〉 -… 高山 良二(たかやま りょうじ、1947年〈昭和22年〉 - )は、日本の地雷処理専門家、NPO法人 国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)理事長、元陸上自衛官。カンボジア・バタンバン在住。 愛媛県北宇和郡三間町(現・宇和島市)生まれ。36年間の陸上自衛隊勤務時代には、主に施設科部隊に在籍する。1992年から93年にかけてPKO活動で初めてカンボジアに派遣された自衛官の1人となる。 2002年退官後は再びカンボジアへ渡り、世界初となる住民参加による地雷処理活動を開始、「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」に参加し、理事を務めた。 2011年2月にはカンボジア王国中央政府機関 CMAC(カンボジア地雷対策センター)より地雷処理技術顧問に任命。
西村 繁樹(にしむら しげき、1947年 - 2019年11… 西村 繁樹(にしむら しげき、1947年 - 2019年11月13日)は、大阪府出身の陸上自衛官。元防衛大学校防衛学教育学群戦略教育室教授。専門は、軍事戦略。 北方前方防衛戦略の提唱者。陸上自衛隊幹部学校の戦略教官として長年勤務した、戦後日本を代表する「軍人学者(warrior scholar)」の一人である。 1947年に大阪で生まれた。 1969年、防衛大学校本科第13期(電気工学専攻)卒業後、陸上自衛隊入隊。職種は野戦特科。 特科連隊、陸上自衛隊調査学校、防衛庁内局、ハーバード大学研究員、防衛大学校陸上防衛学教室助教授、陸上幕僚監部防衛部防衛課、世界平和研究所研究員、ランド研究所研究員、陸上自衛隊幹部学校戦略教官室教官、2001年陸上自衛隊を退職(1等陸佐)後、2002年から防衛大学校防衛学教育学群統率・戦史教育室教授、戦略教育室教授を務めた。
合原 由作(ごうはら ゆうさく、1946年(昭和21年)8月… 合原 由作(ごうはら ゆうさく、1946年(昭和21年)8月26日 - 2014年(平成26年)1月3日)は、日本の陸上自衛官、政治家。北海道恵庭市長。 福岡県田川市出身。陸上自衛隊少年工科学校を経て、神奈川県立湘南高等学校卒業。陸上自衛官となり、恵庭に初期配属となる。退職後、恵庭市議会議員選挙に当選し、4期14年務める。浜垣実市長が持っていた厚い保守票の中にあった自衛隊票の切り崩しに成功し、1993年(平成5年)の恵庭市長選挙に予想外の大差で当選。しかし公共工事入札に絡む「天の声疑惑」で市議会に百条委員会を設置され、偽証罪で告発されるなど市政には批判の声が大きく、1997年(平成9年)の市長選では黒氏博実に敗れ、1期で退任した。
鈴木 通彦(すずき みちひこ、1946年〈昭和21年〉8月2… 鈴木 通彦(すずき みちひこ、1946年〈昭和21年〉8月26日 - )は、福井県出身の陸上自衛官。1佐までの職種は施設科。防衛大学校本科13期卒。父は第16代陸上幕僚長の鈴木敏通。 同名の人物が陸上自衛隊東北方面衛生隊の隊長を務めていたが、別人である。 1969年(昭和44年)3月、防衛大学校(第13期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。陸上自衛隊幹部候補生学校卒業は、施設科部隊に配属された。第12施設群長、陸上幕僚監部人事計画課長を務め、1994年(平成6年)7月に陸将補に昇任。防大13期では一選抜であった。その後も東部方面総監部幕僚副長、陸上幕僚監部教育訓練部長を経て、1999年(平成11年)12月、陸将昇任し、第9師団長に就任した。
津曲 義光(つまがり よしみつ、1946年(昭和21年)7月… 津曲 義光(つまがり よしみつ、1946年(昭和21年)7月8日 - 2011年(平成23年)11月27日)は、日本の元航空自衛官である。福岡県出身。第27代航空幕僚長。位階は従三位。戦後生まれ最初の航空幕僚長であった。
古庄 幸一(ふるしょう こういち、1946年(昭和21年)5… 古庄 幸一(ふるしょう こういち、1946年(昭和21年)5月13日 - )は、日本の海上自衛官、第26代海上幕僚長。英霊にこたえる会会長、日本会議代表委員。 海上幕僚長時代、防衛大綱の見直しを庁内で議論する「防衛力のあり方検討会議」において、「統合運用体制への移行に際しての長官補佐体制」と題した文書を提示して説明し、制服組の最高ポストとして統合幕僚長が新設される組織改編にあわせ、内局の組織や制服組との関係の見直しを求めた。具体的には、「(自衛隊創設)50年を経た現在、統合運用に移行し、長官補佐を健全かつ円滑なものとするとの観点から適切ではない」と指摘し、防衛参事官制度の削除(廃止)を要求したほか、防衛庁(当時)・自衛隊全体への「監督権」を防衛事務次官に付与していた内閣府設置法61条を改正して、「部隊運用に関する監督機能を削除」、さらに「統合幕僚長が自衛隊の運用に関する事務を所掌するよう明記する」ことを求めた。
高橋 亨(たかはし とおる、1946年(昭和21年)- )は… 高橋 亨(たかはし とおる、1946年(昭和21年)- )は、日本の元海上自衛官、軍事評論家。 陸上自衛隊生徒から海上自衛隊一般幹部候補生に転じ、海上自衛官となった。 P-3Cの海上自衛隊への採用に際して心臓部であるA-NEWシステムのオペレーションプログラムの日本へのリリースに関連して米国で研修を受けており、航空対潜戦の専門家である。 1999年航空集団司令部幕僚長(厚木)、2001年海上幕僚監部監察官(市ヶ谷)等を歴任し、2003年に海将として第29代航空集団司令官(厚木)を務めた。退官後は軍事評論家として、jbpressでコラム等を執筆している。
中田 茂男(なかた しげお、1945年10月16日 - )は… 中田 茂男(なかた しげお、1945年10月16日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手、元陸上自衛官。 メキシコオリンピックレスリングフリースタイル・フライ級金メダリスト。
三宅 義行(みやけ よしゆき、1945年(昭和20年)9月3… 三宅 義行(みやけ よしゆき、1945年(昭和20年)9月30日 - )は、日本の重量挙げ選手、陸上自衛官。1964年東京オリンピック・メキシコシティオリンピックの重量挙げ金メダリスト三宅義信は実兄、ロンドンオリンピック重量挙げ銀メダリストリオデジャネイロオリンピック重量挙げ銅メダリスト・三宅宏実は娘、全日本女子ヘッドコーチを務めた三宅敏博は次男。長男も競技経験者。
小田 邦博(おだ くにひろ、1945年(昭和20年)8月 -… 小田 邦博(おだ くにひろ、1945年(昭和20年)8月 - )は、日本の航空自衛官。第37代航空総隊司令官。第2代内閣衛星情報センター所長。
金田 秀昭(かねだ ひであき、1945年(昭和20年)6月2… 金田 秀昭(かねだ ひであき、1945年(昭和20年)6月20日 - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。現在、岡崎研究所理事特別研究員、三菱総合研究所主席専門研究員。祖父は金田秀太郎海軍中将。 1945年(昭和20年)、神奈川県に生まれる。1968年(昭和43年)3月、防衛大学校(第12期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。アメリカ海軍大学校指揮課程修了。海上幕僚監部防衛課長、舞鶴地方総監部幕僚長、 第4護衛隊群司令、統合幕僚監部第5幕僚室長等を歴任し、1998年(平成10年)7月1日、第26代護衛艦隊司令官に就任。護衛艦隊司令官在任中の1999年(平成11年)2月に護衛艦「はるな」による高性能20ミリ機関砲(CIWS)の不時発射事案(後述)が発生した。
秋元一峰(あきもと かずみね、1944年(昭和19年)10月… 秋元一峰(あきもと かずみね、1944年(昭和19年)10月24日 - )は、日本の元海上自衛官である。最終階級は海将補。アメリカ海軍との連絡官、日米共同作戦計画立案担当、海上幕僚監部分析室長、防衛研究所主任研究官等を歴任。秋元海洋研究所代表。
渡部 光正(わたなべ みつまさ、英: Mitsumasa W… 渡部 光正(わたなべ みつまさ、英: Mitsumasa Watanabe、1944年9月24日 - )は、愛媛県温泉郡北吉井村(現・東温市)生まれのサックス奏者、指揮者、幹部自衛官、教育者。航空中央音楽隊副隊長、西部航空音楽隊長、東温市青少年補導センター所長などを歴任。最終階級は2等空佐。 1944年、愛媛県温泉郡北吉井村(現・東温市)に生まれる。重信中学校、県立松山東高校を卒業後、東京藝術大学音楽学部別科を修了し、国立音楽大学器楽科を卒業。サックス奏者として航空中央音楽隊へ入隊。東京藝術大学研修後、立川、春日、三沢、浜松の指揮者を経て2002年、西部航空音楽隊長に。サックスを坂口新、石渡悠史、指揮法を紙谷一衛、音楽理論を石原忠興に師事。
石川 亨(いしかわ とおる、1944年〈昭和19年〉9月10… 石川 亨(いしかわ とおる、1944年〈昭和19年〉9月10日 - )は、日本の海上自衛官。主として対潜哨戒機の戦術航空士として、航空隊等に勤務。第25代海上幕僚長を経て、第25代統合幕僚会議議長。埼玉県加須市出身。
先崎 一(まっさき はじめ、1944年〈昭和19年〉5月4日… 先崎 一(まっさき はじめ、1944年〈昭和19年〉5月4日 - )は、日本の元陸上自衛官。第29代陸上幕僚長、第26代統合幕僚会議議長、初代統合幕僚長。1等陸佐までの職種は普通科。 鹿児島県出水郡高尾野町(現在の出水市)出身。4人兄弟の長男で「親に金銭的な迷惑をかけたくないと考え」、防衛大学校に進学した。1968年(昭和43年)3月に防大を卒業し、陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校を卒業後は第3普通科連隊に配属。その後、第39普通科連隊長、第3師団長、北部方面総監を経て、2002年(平成14年)12月に第29代陸上幕僚長に就任。2004年(平成16年)8月、第26代統合幕僚会議議長に就任、2006年(平成18年)3月に陸海空3自衛隊の指揮・命令系統を一元化するために統合幕僚会議を廃止して新設された統合幕僚監部の初代統合幕僚長に就任した。
奥出 阜義(おくで あつよし、1944年 - )は日本の陸上… 奥出 阜義(おくで あつよし、1944年 - )は日本の陸上自衛官、元防衛大学校教授、日本の戦略教育の第一人者。零戦研究家。特に古代カルタゴの将軍ハンニバルの戦略研究のスペシャリスト。 1964年防衛大学校に第12期生として入学し、零戦の開発者として知られる堀越二郎教授に師事する。同期生には、先崎一(元統合幕僚長)、野中光男(元東北方面総監・情報本部長)、勝山拓(元自衛艦隊司令官)、瀬井勝公(元防衛大学校教授)などがいる。 卒業後、陸上自衛隊に入隊し、航空操縦士となる。飛行隊長として、雪山遭難者など数々の人命救助を成功させる。陸上自衛隊航空学校教官、陸上自衛隊幹部学校教官を歴任し、米国海兵隊にも研修入隊する。
野中 光男(のなか みつお、1944年(昭和19年) - )… 野中 光男(のなか みつお、1944年(昭和19年) - )は、佐賀県出身の元陸上自衛官。福岡県立修猷館高等学校・防衛大学校を卒業(第12期・同期に初代統合幕僚長先崎一)。1佐までの職種は野戦特科。現在は埼玉県在住。
中谷 正寛(なかたに まさひろ、1943年(昭和18年)9月… 中谷 正寛(なかたに まさひろ、1943年(昭和18年)9月25日 - )は、日本の元陸上自衛官。第28代陸上幕僚長。1佐までの職種は普通科。 大阪府出身(2015年現在東京都在住)。1966年(昭和41年)3月に防衛大学校(第10期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後の初任地は第23普通科連隊。北海道でレンジャー訓練を受け、その後レンジャー教官を5回を務めたと語っている。その後、第28普通科連隊長、陸上幕僚監部防衛課長、東部方面総監部幕僚副長、北部方面総監部幕僚長、 第4師団長、中部方面総監等を歴任した。陸幕長候補には中谷と防大同期の天野良晴が有力視されていたが、天野が陸上幕僚監部人事部長在任中に発生した東富士演習場違法射撃事件に伴う不適切な事故処理が2000年(平成12年)に発覚し、辞任したため、2001年(平成13年)1月、第28代陸上幕僚長に就任した。
天野 良晴(あまの よしはる、1943年〈昭和18年〉8月1… 天野 良晴(あまの よしはる、1943年〈昭和18年〉8月16日 - )は、神奈川県出身の元陸上自衛官。父は元統合幕僚会議議長の天野良英。 1966年(昭和41年)3月、防衛大学校本科第10期を卒業し、陸上自衛隊に入隊。第14普通科連隊長、陸上幕僚監部人事部長、第12師団長、陸上幕僚副長等を歴任し、西部方面総監に就任。次代の陸上幕僚長昇格が有力視されていたが、天野が陸上幕僚監部人事部長在任時に発生した東富士演習場違法射撃事件に伴う不適切な事故処理が発覚し、陸将初となる停職処分を受け辞任した(陸上幕僚長には同期の中谷正寛が就任)。
遠竹 郁夫(とおたけ いくお、1943年(昭和18年)4月1… 遠竹 郁夫(とおたけ いくお、1943年(昭和18年)4月10日 - )は、日本の元航空自衛官である。鹿児島県出身。第26代航空幕僚長。現在は埼玉県在住。
佐伯 光(さえき ひかる、1943年4月3日 - )は日本の… 佐伯 光(さえき ひかる、1943年4月3日 - )は日本の元海上自衛官である。最終階級は海将補、三自衛隊初の女性将官であった。医学博士で専門は産婦人科。 夫は第27代自衛艦隊司令官の佐伯聖二海将(平成23年春の叙勲にて瑞宝中綬章を受章)。世界的にも珍しい[要出典]夫婦提督でもある。 女性自衛官の制服にマタニティドレスを加えるなど、女性自衛官の育児環境の向上にも貢献した。なお、自衛隊初の女性将官誕生の背景には、男性社会である自衛隊の中では医官は比較的女子の進出が盛んであったことが挙げられる[要出典]。医官を除いた場合の初めての女性将官は航空自衛隊の梶田ミチ子空将補である。
竹河内 捷次(たけごうち しょうじ、1943年(昭和18年)… 竹河内 捷次(たけごうち しょうじ、1943年(昭和18年)3月10日 - )は、日本の航空自衛官。第25代航空幕僚長、第24代統合幕僚会議議長。勲等は瑞宝大綬章。 広島県三次市出身。防衛大学校第9期卒業後、航空自衛隊に入隊し、戦闘機パイロットとなる。若い頃はF-86やF-4EJなどで昼夜を問わず緊急発進し、旧ソ連軍機などに直接対峙して対領空侵犯措置任務を行った。 その後、空幕防衛部防衛課長、第5航空団司令、北部航空方面隊司令官、航空支援集団司令官、航空総隊司令官等の要職を経て、1999年(平成11年)7月、第25代航空幕僚長に就任。2001年(平成13年)3月には制服組トップの第24代統合幕僚会議議長(現・統合幕僚長)に就任した。
中村 好寿(なかむら よしひさ、1943年 - )は広島県出… 中村 好寿(なかむら よしひさ、1943年 - )は広島県出身の軍事評論家、陸上自衛官。政軍関係論、軍備管理論、RMA(軍事における革命)等に関し著作がある。 1965年防衛大学校本科第9期卒業後、陸上自衛隊入隊。職種は普通科(歩兵)。陸上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程、米国スタンフォード大学大学院及び同大学安全保障・軍備管理問題研究所等で学ぶ。 普通科連隊中隊長、防衛大学校陸上防衛学教室助教授(この間に、アメリカ海軍大学院客員教授、米国国防大学客員研究員、カリフォルニア大学バークレー校東アジア研究所客員研究員)、陸上自衛隊幹部学校戦略教官室教官、陸上自衛隊東北方面総監部幕僚、ジョージア工科大学客員教授、防衛研究所主任研究員を経て、2000年陸上自衛隊を退職(1等陸佐)、その後軍事アナリスト。
藤田 幸生(ふじた こうせい、1942年(昭和17年)11月… 藤田 幸生(ふじた こうせい、1942年(昭和17年)11月28日 - )は、日本の海上自衛官。第24代海上幕僚長。防大9期。 高知県出身。高知高校を経て1965年(昭和40年)3月、防衛大学校(本科第9期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は主として対潜ヘリコプター HSS-2のパイロットとして航空隊等に勤務。その後、海上幕僚監部防衛部長、教育航空集団司令官、航空集団司令官、海上幕僚副長等の要職を歴任し、第24代海上幕僚長に就任。 山崎小五郎:1952.4.26-1952.7.31 山崎小五郎:1952.8.1-1954.6.30
益田 兼弘(ました かねひろ、1942年〈昭和17年〉7月2… 益田 兼弘(ました かねひろ、1942年〈昭和17年〉7月27日 - )は、日本の元陸上自衛官。東部方面総監。防衛大学校本科第9期卒業。 熊本県出身。実父益田兼利(陸軍大学校54期首席)は、東部方面総監在任時に1970年(昭和45年)11月25日に起きた三島事件の当事者となった。 親子2代で同一の師団長、方面総監を歴任した。なお石見国(島根県西部)の有力豪族であった益田氏の歴代当主に同姓同名の人物がおり、実父ともに通字の「兼」が充てられているが直接の関連性はない。
國見 昌宏(くにみ まさひろ、1942年(昭和17年)1月 … 國見 昌宏(くにみ まさひろ、1942年(昭和17年)1月 - )は、日本の陸上自衛官。最終階級は陸将。初代情報本部長、初代内閣衛星情報センター所長。 1965年(昭和40年)3月、防衛大学校卒業(第9期)、陸上自衛隊入隊。 1977年(昭和52年)1月、3等陸佐。 1980年(昭和55年)7月、2等陸佐。 1983年(昭和58年)5月、1等陸佐、在中華人民共和国日本国大使館防衛駐在官。1986年(昭和61年)8月1日、陸上幕僚監部調査部調査第2課調査第2班長。1987年(昭和62年)8月1日、第10普通科連隊長兼滝川駐屯地司令。1989年(平成元年)6月30日、陸上幕僚監部人事部補任課長。 1991年(平成3年)3月16日、陸将補昇任、東北方面総監部幕僚副長。
林 吉永(はやし よしなが、1942年 - )は、日本の航空… 林 吉永(はやし よしなが、1942年 - )は、日本の航空自衛官。神奈川県出身。
平山 助成(ひらやま すけなり、1942年 - )は、日本の… 平山 助成(ひらやま すけなり、1942年 - )は、日本の美術館館長、元海上自衛官。平山郁夫美術館館長。せとの海に遊ぶ会代表。最終階級は海将補。広島県尾道市瀬戸田町出身。兄は日本画家の平山郁夫。 広島県尾道市瀬戸田町に生まれる。8人兄弟であり、実の兄平山郁夫は日本画家。幼少期は、自宅の前の瀬戸田水道で一日中泳いでいたという。 1966年防衛大学校(10期)を卒業後、海上自衛隊に入隊、航空部隊に配属。1997年に海将補で退職。 2003年より平山郁夫美術館の館長に就任。 2014年には、春の叙勲で瑞宝小綬章を受章。 2018年、館長を務める平山郁夫美術館と広島大学が包括的連携協定を、締結した。 2022年には、広島大学東広島キャンパス内のサタケメモリアルホールにて開催された「平山郁夫と中国~平和への思い~」と題された講演に登壇。
古澤 忠彦(ふるさわ ただひこ、1941年〈昭和16年〉12… 古澤 忠彦(ふるさわ ただひこ、1941年〈昭和16年〉12月 - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。舞鶴地方総監、統合幕僚会議事務局長、横須賀地方総監を歴任した。長崎県出身。 1941年(昭和16年)12月、長崎県佐世保市生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て1964年(昭和39年)3月、防衛大学校第8期卒業、海上自衛隊入隊。護衛艦「まきぐも」艦長、第34護衛隊司令、大湊地方総監部幕僚長、海上幕僚監部人事教育部長などを経て、1994年(平成6年)7月、舞鶴地方総監に就任。1996年(平成8年)3月には統合幕僚会議事務局長に就任し、日米防衛協力のための指針見直し問題に絡み、秋山昌廣(当時防衛局長)とともに中国を訪問して傅全有(中国人民解放軍総参謀長)らとの会談を行った。
藤縄 祐爾(ふじなわ ゆうじ、1941年(昭和16年)9月2… 藤縄 祐爾(ふじなわ ゆうじ、1941年(昭和16年)9月22日 - )は、日本の陸上自衛官。第26代陸上幕僚長、第23代統合幕僚会議議長。兵庫県出身。
磯島 恒夫(いそしま つねお、1941年(昭和16年)8月1… 磯島 恒夫(いそしま つねお、1941年(昭和16年)8月14日 - )は、日本の元陸上自衛官。第27代陸上幕僚長。1等陸佐までの職種は野戦特科。 兵庫県出身。実家が神戸に近かったことから、船乗りになりたいと思っていたが、友人に誘われたことから防衛大学校を受験した。一次試験合格後にキャンパスを見学したら非常にいい環境であり、海上自衛隊に入れば船に乗れるとのことで、入学した。しかし、目が悪かったことから海自を断念し、陸上自衛隊に進む。幹部候補生学校に入校後、職種は武器科を希望するが、区隊長から武器科は定員オーバーであるから輸送科か野戦特科を勧められ、特科を選択した。幹部候補生学校卒業後の初任地は名寄の第2特科連隊。
森本 敏(もりもと さとし、1941年〈昭和16年〉3月15… 森本 敏(もりもと さとし、1941年〈昭和16年〉3月15日 - )は、日本の国際政治学者、航空自衛官、外交官、政治家。防衛政策における論客家。 拓殖大学顧問、拓殖大学特任教授、21世紀臨調運営委員、防衛法学会顧問。拓殖大学第19代総長。野田内閣で民間人閣僚として初めて防衛大臣を務めた。 東京府東京市(現東京都)生まれ。大阪府立豊中高等学校を経て、防衛大学校本科(電気工学専攻、第9期生)卒業後、航空自衛隊に入隊。1977年(昭和52年)から外務省アメリカ局(現北米局)安全保障課に出向。 1979年(昭和54年)に航空自衛隊を退官し、正式に外務省入省。航空自衛官退官時の階級は3等空佐(米国などでいう「少佐」)。
山本 安正(やまもと やすまさ、1940年(昭和15年)11… 山本 安正(やまもと やすまさ、1940年(昭和15年)11月13日 - )は、日本の海上自衛官、第23代海上幕僚長。防衛大学校第7期卒業。 東京府出身。両国高校を経て防衛大学校(第7期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「とかち」艦長、第4護衛隊群司令、海上幕僚監部人事教育部長、統合幕僚会議事務局長、横須賀地方総監等の要職を歴任し、第23代海上幕僚長に就任。在任中の1998年(平成10年)には「北朝鮮によるミサイル発射実験」、翌1999年(平成11年)には「能登半島沖不審船事件」が発生。不審船事案では海上自衛隊創設以来初となる海上警備行動が発令され事態に対処した。
円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[要… 円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[要出典]、1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日)は日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。
夏川 和也(なつかわ かずや、1940年(昭和15年)2月4… 夏川 和也(なつかわ かずや、1940年(昭和15年)2月4日 - )は、日本の元海上自衛官。第22代海上幕僚長、第22代統合幕僚会議議長。 山口県出身。防府高校を経て、防衛大学校(第6期)を卒業し海上自衛隊に入隊。航空隊等に勤務後、海上幕僚監部人事教育部長、教育航空集団司令官、佐世保地方総監等の要職を歴任し、第22代海上幕僚長を経て第22代統合幕僚会議議長に就任。
村木 鴻二(むらき こうじ、1940年(昭和15年)1月29… 村木 鴻二(むらき こうじ、1940年(昭和15年)1月29日 - )は、日本の航空自衛官である。山口県出身。第23代航空幕僚長。現在は千葉県在住。 満洲チチハルに生まれる。父は陸軍軍人の村木八郎(陸士45期)であり、 爆撃機のパイロットとしてノモンハン事件に従軍していた。その後、東京を経て山口県萩市に移り、小学校4年生まで過ごす。終戦後、父が航空自衛隊に入隊したことから東京の高校へ転校し、父と同じパイロットを目指し1958年(昭和33年)4月に防衛大学校に入学する。学生時代はバスケットボールに夢中になり、4年生の時には神奈川県のリーグで最優秀選手に選ばれている。 防大卒業後は航空自衛隊に入隊し、幹部候補生学校卒業後は念願通り、操縦課程に進む。
三宅 義信(みやけ よしのぶ、1939年11月24日 - )… 三宅 義信(みやけ よしのぶ、1939年11月24日 - )は、宮城県柴田郡村田町出身のオリンピックにも出場した元重量挙げ選手、元陸上自衛官。現在は東京都在住。
平岡 裕治(ひらおか ゆうじ、1939年(昭和14年)11月… 平岡 裕治(ひらおか ゆうじ、1939年(昭和14年)11月22日 - 2023年(令和5年)11月6日)は、日本の元航空自衛官。鹿児島県出身。第24代航空幕僚長。 平岡空将は他県人が抱く「薩摩隼人」のイメージを体現したような人物で、部下をしていると維新の志士と言うよりも藩主・島津斉彬に仕えているような気分になった。航空幕僚監部を舞台にしたTBSの「空飛ぶ広報室」でモト冬樹が演じた浅野航空幕僚長は平岡空将がモデルなのではないかと言われている。ちなみに1998年長野オリンピックの開会式でのブルーインパルスの展示飛行の特集番組には本人が登場していた。 また「航空自衛隊で最もダンディな将官」と呼ばれていて航空幕僚監部監理部総務課長の時には陸海の担当者と協議して「制服は官給品」と言う原則を打ち破って隊員が直営売店で自費購入するジャンバーとセーターの簡易服を制定している。
渡邊 信利(わたなべ のぶとし、1939年〈昭和14年〉9月… 渡邊 信利(わたなべ のぶとし、1939年〈昭和14年〉9月26日 - 2016年〈平成28年〉3月24日)は、日本の元陸上自衛官。第25代陸上幕僚長。1等陸佐までの職種は普通科、レンジャー出身。 1962年(昭和37年)に防衛大学校を卒業し、陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後し、初任地は第26普通科連隊に配属。その後は防衛大学校指導教官や第12普通科連隊長などを務め、1992年(平成4年)6月に陸将に昇任し、第2師団長、北部方面総監に就任を経て、1995年(平成7年)6月、第25代陸上幕僚長に就任。就任後に防衛計画の大綱(07大綱)、中期防衛力整備計画(08中期防)が策定され、13師団体制から旅団化への改編に努めた。
落合 畯(おちあい たおさ、1939年(昭和14年)7月 -… 落合 畯(おちあい たおさ、1939年(昭和14年)7月 - )は、日本の元海上自衛官である。最終階級は海将補。自衛隊初の海外任務となった、湾岸戦争後のペルシャ湾掃海派遣部隊の指揮官。現在は鎌倉市在住。 太平洋戦争での沖縄戦において、「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報を送った事で有名な大田実海軍中将の三男である。
松島 悠佐(まつしま ゆうすけ、1939年3月15日 - )… 松島 悠佐(まつしま ゆうすけ、1939年3月15日 - )は、福岡県出身の軍事評論家、元陸上自衛官(最終階級は陸将)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森 清勇(もり せいゆう、1939年(昭和14年) - )は… 森 清勇(もり せいゆう、1939年(昭和14年) - )は、元陸上自衛官。 元星槎大学(主に社会人を対象とした通信制大学)の非常勤講師。熊本県鹿本郡(現:山鹿市)出身。 1958年(昭和33年)熊本県立山鹿高等学校(現・熊本県立鹿本高等学校)卒業、防衛大学校入校。1962年(昭和37年):防衛大学校卒業(第6期)、陸上自衛隊入隊。 1968年(昭和43年)京都大学大学院修士課程(核融合専攻)修了。1975年(昭和50年)アメリカ陸軍武器学校幹部上級課程修了。 1979年(昭和54年)陸上自衛隊幹部学校技術高級課程修了、第3高射特科群第104高射直接支援隊長。1990年(平成2年)東北方面武器隊長。
高森 直史(たかもり なおふみ、1939年(昭和14年) -… 高森 直史(たかもり なおふみ、1939年(昭和14年) - )は、海上自衛官、海軍史・海軍料理研究家、管理栄養士。本名は、日浦直史。最終階級は1等海佐。 熊本県人吉市出身。1959年(昭和34年)、佐伯栄養専門学校卒業。1960年(昭和35年)、海上自衛隊に入隊(2等海士)。1965年(昭和40年)、海上自衛隊幹部候補生学校卒業。防衛大学校教官、護衛艦補給長、航空群司令部幕僚、海上幕僚監部人事課、護衛艦隊司令部幕僚、海上幕僚監部衣糧班長、同給与班長、第4術科学校研究部長、舞鶴地方総監部経理部長を歴任。1986年(昭和61年)、1等海佐に昇任。1994年(平成6年)、退官。 旧海軍料理書から「肉じゃが」のルーツを発掘し、舞鶴や呉の町おこしに協力。
茅原 郁生(かやはら いくお、1938年7月14日 - )は… 茅原 郁生(かやはら いくお、1938年7月14日 - )は陸上自衛官、拓殖大学名誉教授。専門は、中国の安全保障。山口県出身。
冨澤 暉(とみざわ ひかる、1938年〈昭和13年〉3月27… 冨澤 暉(とみざわ ひかる、1938年〈昭和13年〉3月27日 - )は、日本の陸上自衛官。東京府出身。第24代陸上幕僚長。1等陸佐までの職種は機甲科。 父は第4回芥川賞受賞作家の冨澤有爲男、妻は大戦中にF機関で活動した藤原岩市陸軍中佐(元陸将でもある)の娘。東京都立日比谷高等学校から防衛大学校に進み、1960年(昭和35年)3月、防大卒業と同時に陸上自衛隊に入隊。以後、機甲科部隊、陸上幕僚監部での勤務や米国留学等を経て、第13普通科連隊長、愛知地方連絡部長、第1師団長、陸上幕僚副長、北部方面総監等の要職を歴任し、第24代陸上幕僚長に就任した。陸幕長在任中の1992年(平成4年)に内戦後のカンボジアの復興を支援するため、自衛隊初の国連平和維持活動としてPKO部隊を同国に派遣した。
林崎 千明(はやしざき ちあき、1938年〈昭和13年〉3月… 林崎 千明(はやしざき ちあき、1938年〈昭和13年〉3月25日 - )は、日本の海上自衛官。第20代海上幕僚長。 岩手県遠野市出身。遠野高校を経て防衛大学校(第4期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「ちくご」艦長、第2護衛隊群司令、海上幕僚監部防衛部長、大湊地方総監、佐世保地方総監等の要職を歴任し、第20代海上幕僚長に就任。
杉山 蕃(すぎやま しげる、1938年(昭和13年)1月16… 杉山 蕃(すぎやま しげる、1938年(昭和13年)1月16日 - )は、航空自衛官。兵庫県出身。第22代航空幕僚長、第21代統合幕僚会議議長。保守系日刊紙『世界日報 (日本)』のコラム「ビューポイント」の常連寄稿者の一人である。現在は千葉県在住。戦闘機パイロット出身でTACネームは“BAN”。