小沢 僥謳(おざわ きょう、1938年1月27日 - 199… 小沢 僥謳(おざわ きょう、1938年1月27日 - 1999年3月28日)は、日本の劇作家、演出家、翻訳家。本名:小沢 協(読みは同じ)。東京府芝区西久保明舟町(現・東京都港区虎ノ門)出身。暁星中学校・高等学校、パリ大学人文科卒業。父は俳優の小沢栄太郎。 俳優の小沢栄太郎とその最初の妻との長男として生まれ、16歳で母を自死で失う。中学・高校を暁星学園で過ごし、卒業後はパリ大学人文科に進学。同大学卒業後もフランスに滞在して映画助監督となり、帰国後に舞台の劇作家、演出家として活動した。第5回湯浅芳子賞受賞。ファッションブランド「VAN」が製作した『Take IVY』の映画版の監督も務めた。 1999年3月28日、閉塞性黄疸のため死去。
松岡 義和(まつおか よしかず、1938年 – )は、日本の… 松岡 義和(まつおか よしかず、1938年 – )は、日本の劇作家。画家。教育者。市立名寄短期大学元学長。北海道常呂郡訓子府町出身。 1956年北海道北見柏陽高等学校卒業。1960年日本大学芸術学部卒業。同年、小清水町立中学校美術教諭。その後、紋別市立潮見中学校美術教諭、北見市立富里中学校美術教諭などを経て、1994年市立名寄短期大学生活科学科教授。1996年市立名寄短期大学学生部長。2002年市立名寄短期大学学長に就任。2006年市立名寄短期大学退官。同名誉教授。現在、大空町図書館長。芸術教育の会会長。北海道手作り絵本の会会長。
別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4… 別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4月6日 - )は、劇作家、童話作家、評論家、随筆家である。名の正式な表記は實。サミュエル・ベケットの影響を受け、日本の不条理演劇を確立した第一人者である。日本藝術院会員。
清水 邦夫(しみず くにお、1936年〈昭和11年〉11月1… 清水 邦夫(しみず くにお、1936年〈昭和11年〉11月17日 - 2021年〈令和3年〉4月15日)は、日本の劇作家、演出家。演劇企画グループ「木冬社」代表。妻は女優の松本典子。 新潟県新井市(現・妙高市)出身。新潟県立高田高等学校を経て早稲田大学第一文学部演劇科卒業。 早稲田大学在学中に初戯曲『署名人』を発表し、注目を浴びる。1960年早稲田大学卒業後、岩波映画に入社するが1965年に退社。劇作家として劇団「青俳」などに戯曲を提供する。 東京・新宿のアートシアター新宿文化劇場を拠点に、演出家・蜷川幸雄とコンビを組み、一時代を画した。1968年に蜷川と現代人劇場を結成。1969年の『真情あふるる軽薄さ』(蜷川幸雄演出)が反響を呼び、蜷川らと結成した劇結社「櫻社」が解散する(1974年)まで、蜷川とコンビを組み、反体制的な若者を描いた作品で人気を集める。
伊藤 宏見(いとう ひろみ、1936年7月31日 - 201… 伊藤 宏見(いとう ひろみ、1936年7月31日 - 2019年2月9日)は、日本の英文学者、詩人、歌人、劇作家、比較文化学者、東洋大学名誉教授。 横浜市生れ。1963年早稲田大学第一文学部英文学科卒業、65年同大学院修士課程修了。東京農業大学講師、助教授、東洋大学教授、2007年定年退任、名誉教授。日本歌人クラブ中央幹事。良寛会会長。沙羅短歌会主宰会長。W・B・イェイツ研究が専門。
足立 明(あだち あきら、1936年5月 - 2012年1月… 足立 明(あだち あきら、1936年5月 - 2012年1月6日)は、日本の放送作家、脚本家、劇作家、児童文学作家、実業家、作詞家。本名、足立昭。 島根県仁多郡奥出雲町八川出身。 1962年に国連劇脚本に入賞、サンデー毎日への応募脚本を期に東宝演劇文芸部に在籍する。1967年に劇団ピッカリ座を創立、ぬいぐるみ人形劇の創作を行う。多くのテレビアニメの原作脚本を手掛ける。仁田 信夫の名義で原作を手掛けることもある。 2012年1月6日、肺炎のため死去。75歳没。
松田 章一(まつだ しょういち、1936年 - )は、日本の… 松田 章一(まつだ しょういち、1936年 - )は、日本の劇作家。 石川県辰口町生まれ。金沢大学法文学部卒業後、金沢大学附属高等学校教諭、副校長、金沢学院東高等学校副校長、同校校長、金沢学院短期大学教授、2005年4月から金沢ふるさと偉人館館長、2011年10月から鈴木大拙館館長(2015年3月まで)。 北陸新協五十周年記念のために書いた「島清、世に敗れたり」で、1983年度の文化庁舞台芸術創作奨励特別賞を受賞。1985年、劇団昴、演劇集団 円(片岡弘貴、島村佳江、仲谷昇ら)が合同公演し、翌年文化庁移動芸術祭作品として、西日本を巡回公演した。1999年、石川県文化功労賞受賞。 「花石榴」「酸いも甘いも」「雛納い」「白梅は匂へど…」など鏡花劇場の上演台本を書くと共に、劇団「円」のために書き下ろした「芭蕉落柿舎日記」(仲谷昇主演)がある。
寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12… 寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12月10日 - 1983年〈昭和58年〉5月4日)は、日本の歌人・劇作家。演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」主宰。 「言葉の錬金術師」「アングラ演劇・四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。 1935年(昭和10年)12月10日、父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。八郎は東奥義塾弁論部OBで当時弘前警察署勤務の特高警察刑事を務めていた。父の転勤のため、県内各所を転々とする。本人は出生について「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」などと記していたが、ハツと元妻の九條今日子によると、青森県弘前市紺屋町生まれとされ、戸籍上は1936年(昭和11年)1月10日が出生日となっている。
さねとう あきら(本名・實藤述。 1935年1月16日 -2… さねとう あきら(本名・實藤述。 1935年1月16日 -2016年3月7日)は日本の児童文学作家・劇作家。 東京出身。1972年に『地べたっこさま』で日本児童文学者協会新人賞・野間児童文芸推奨作品賞、1979年に『ジャンボコッコの伝記』で小学館文学賞、1986年に『東京石器人戦争』で産経児童出版文化賞をそれぞれ受賞。『なまけんぼの神さま』、『おこんじょうるり』、『かっぱのめだま』、『神がくしの八月』、『ゆきこんこん物語』などの創作・評論多数。 劇作の分野では、1973年、大阪の劇団2月で『ゆきと鬼んべ』を上演したのを皮切りに、泰西名作が幅をきかす関東圏と違い、創作劇の上演が比較的自由だった関西圏を活躍の場に選んだ。
倉本 聰(くらもと そう、1935年〈昭和10年〉1月1日 … 倉本 聰(くらもと そう、1935年〈昭和10年〉1月1日 - )は、日本の脚本家、劇作家、演出家。本名は、山谷 馨(やまや かおる)。東京都渋谷区出身。妻は女優の平木久子(演劇集団 円所属)。父は俳人、日新書院取締役の山谷太郎。祖父は医学博士、日新医学社社長の山谷徳治郎。大伯父は衆議院議員の山谷虎三。 東京大学文学部美学科を卒業後、ニッポン放送を経てフリー。おもにテレビドラマの脚本家として活躍。東京から北海道へと居を移し、『前略おふくろ様』『北の国から』など多くのヒット作を生み出した。主宰した「富良野塾」にて26年間にわたり後進を指導。65歳で紫綬褒章、75歳で旭日小綬章を受章した。1977年(昭和52年)より富良野市に在住。
井上 ひさし(いのうえ ひさし、本名:井上 廈〈読み同じ〉、… 井上 ひさし(いのうえ ひさし、本名:井上 廈〈読み同じ〉、1934年〈昭和9年〉11月16日 - 2010年〈平成22年〉4月9日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家。文化功労者、日本芸術院会員。 1961年から1986年までの本名は内山 廈(うちやま ひさし)。遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることもあった。 日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任した。晩年は自身の蔵書を収蔵した遅筆堂文庫を設立、運営した(後述)。 先妻は西舘代志子。後妻のユリは元衆議院議員米原昶の娘。長女は元こまつ座主宰の井上都。三女は株式会社こまつ座社長の井上麻矢。 11934年11月16日、井上靖と競った文学青年の井上修吉を父とし、井上マスを母として山形県東置賜郡小松町中小松(現・川西町)に生まれる。
筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24… 筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24日 - )は、日本の小説家、劇作家、俳優。ホリプロ所属。身長166cm。大阪府大阪市出身。日本芸術院会員。 大阪市に生まれた。天王寺動物園長だった父の影響を受け、幼い頃から博物的な世界に憧れを持つ。同志社大学に入学し、美学・美術史を専攻。 1965年に東京に転居し、本格的な作家活動を展開、第一短編集『東海道戦争』(1965年)を刊行した。同年、『時をかける少女』『48億の妄想』では、現実と非現実をつなぐ幻想のリアリズムによる、無気味なナンセンスSFのジャンルを開拓。『ベトナム観光会社』(1967年)と『アフリカの爆弾』(1968年)で直木賞候補となる。
相澤 嘉久治(あいざわ かくじ、1934年(昭和9年)4月2… 相澤 嘉久治(あいざわ かくじ、1934年(昭和9年)4月22日- )は、日本の劇作家、放送作家。放送作家名は山形三吉。 山形県東村山郡山辺町出身。山形県立山形南高等学校卒、早稲田大学第一文学部中退。 劇団中央芸術劇場を経て1959年、東京芸術座結成に参加。1969年に同劇団退団。以後フリーの劇作家、放送作家として活動した後、1976年に出身地の山形県に帰郷。創刊した総合芸術誌月刊『場』が廃刊となったのを機に、マスコミの集中独占の排除を訴える運動を始める。山形県下の山形新聞・山形放送(YBC)によるマスコミ独占状況に批判的な立場から、「マスコミの集中排除運動」の機関誌としての月刊『V』を創刊。 相澤が発行人をつとめた『うぃずY』は、1987年に「NTT全国タウン誌フェスティバル」(現在終了)で大賞を受賞した。
山崎 正和(やまざき まさかず、英語: Masakazu Y… 山崎 正和(やまざき まさかず、英語: Masakazu Yamazaki、1934年〈昭和9年〉3月26日 - 2020年〈令和2年〉8月19日)は、日本の劇作家、評論家、演劇研究者。文化功労者、文化勲章受章者。 関西大学文学部教授、大阪大学文学部教授、東亜大学学長、文部科学省中央教育審議会会長(第4期)、LCA大学院大学学長、サントリー文化財団副理事長、大阪大学名誉教授、経済産業省参与、日本芸術院会員などを歴任した。 『世阿弥』(1963年)、『後白河法皇』(1966年)、『冬の花火』(1968年)など多数の話題作を発表し、劇作家としての地位を築く。一方、評論の分野でも活動。『劇的なる日本人』(1971年)では、従来劇的でないとされてきた日本人の生活の中に、西洋とは異質の劇的精神があることを指摘した。
秋浜 悟史(あきはま さとし、1934年3月20日 - 20… 秋浜 悟史(あきはま さとし、1934年3月20日 - 2005年7月31日)は、日本の劇作家。岩手県岩手郡渋民村(現在の盛岡市)出身。 1956年、早稲田大学文学部演劇科在学中は学生劇団「早大自由舞台」に参加、戯曲『英雄たち』を発表。大学卒業後、岩波書店の系列会社岩波映画製作所を経て、1962年に劇団三十人会に参加。1967年に『ほらんばか』で第1回紀伊国屋演劇賞、1969年に 『幼児たちの後の祭り』に至るまでの諸作品の成果で第14回岸田國士戯曲賞を受賞。それ以降数々の作品を世に送り出した。故郷岩手を舞台にした盛岡弁の戯曲が多く、同郷の石川啄木を描いた『啄木伝』などがある。 大阪芸術大学教授として教鞭を執り、いのうえひでのりをはじめ劇団☆新感線のメンバーの多くは教え子である。
大関 弘政(おおぜき ひろまさ、1934年 - )は、日本の… 大関 弘政(おおぜき ひろまさ、1934年 - )は、日本の劇作家・舞台演出家。元宝塚歌劇団座付作・演出家。 横浜市出身。学習院大学卒業後、宝塚歌劇団に入団。1963年、「山彦乙女」でデビュー。 1994年、星組公演「若き日の唄は忘れじ」作・演出をもって退団。その後、宝塚音楽学校で演劇講師に就任し、2011年退職。2015年まで宝塚大学にて特任教授。劇団わらび座では「春秋山伏記」、「鬼ンこおばこ」を手掛けた。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
黒川 欣映(くろかわ よしてる、1933年12月7日 - )… 黒川 欣映(くろかわ よしてる、1933年12月7日 - )は、日本の劇作家、アメリカ演劇研究者、法政大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部英文科卒。米国コロンビア大学大学院で演劇を学ぶ。劇作家、評論家として活動ののち、法政大学文学部助教授、教授。2004年定年退任、名誉教授。劇団アリストパネス・カンパニー主催。2013年瑞宝中綬章受勲。 天皇制、黒人、中国などを主題に左翼的な戯曲、評論[要出典]を書いた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
マルセ太郎(まるせ たろう、1933年12月6日 - 200… マルセ太郎(まるせ たろう、1933年12月6日 - 2001年1月22日)は、大阪府出身のパントマイム芸人、俳優、ヴォードヴィリアン、劇作家。 在日朝鮮人二世として大阪市生野区猪飼野(現在の生野区中川)に生まれる。本名、金原 正周(きんばら まさのり)/金均洚(キム・キュンホン、김균홍)。大阪府立高津高等学校卒業後、1954年に上京した。もともと新劇俳優志望だったが、俳優座養成所の試験に落ちる。失意とヒロポン中毒の中、映画『天井桟敷の人々』を見てパントマイムを知り、マルセル・マルソーの舞台演技に影響を受けた。マルセル・マルソーにちなんだ芸名でパントマイム芸人としての活動を始めた。 高校の同級生に関西で活躍するジャズ・ピアニストの大塚善章がいた。
堂本 正樹(どうもと まさき 1933年11月1日 - )は… 堂本 正樹(どうもと まさき 1933年11月1日 - )は、日本の劇作家、演出家、演劇評論家。演出家として三島作品を多数手がける。また、新作能の作者として、数多くの作品を手がけている。
滝沢 解(たきざわ かい、本名:南沢 栄一郎、1933年5月… 滝沢 解(たきざわ かい、本名:南沢 栄一郎、1933年5月13日 - 2003年1月)は、東京都生まれの劇作家・漫画原作者。筆名は曲亭馬琴の別名(改名後の本名。読みは異なる)にあやかったもの。 早稲田大学文学部演劇科卒業後、集英社に入社し、『りぼん』などの少女漫画担当の編集者となる。やがて漫画のストーリーや構成を作る作業に興味を覚え、29歳で退社しフリーの漫画原作者となる。 70年代の劇画シーンを漫画原作者として支え、赤塚不二夫から池上遼一、ふくしま政美、川崎三枝子、政岡としや、かわぐちかいじまで幅広い漫画家と組んで作品を発表した。2003年1月に癌の為に死去。
植田 紳爾(うえだ しんじ、本名:山村 紳爾〈やまむら しん… 植田 紳爾(うえだ しんじ、本名:山村 紳爾〈やまむら しんじ〉、1933年1月1日 - )は、日本の劇作家、演出家である。宝塚歌劇団専属。1996年から2004年まで同歌劇団理事長を務めた。現在は同歌劇団特別顧問、社団法人日本演劇協会会長。大阪府生まれ。 幼くして父が病死、母とも生き別れ、神戸のおじ夫婦に引き取られた。戦時中は福井に疎開した。「戦争中、空襲で神戸の実家を失い、疎開先の福井でも空襲にあいました。」と日本赤十字社のインタビューで答えている。 その後、演劇青年として学生時代をすごし、滝川高等学校を経て早稲田大学第一文学部演劇科を卒業した。1957年2月に演出助手として宝塚歌劇団に就職する。
堀内 茂男(ほりうち しげお、1933年― )は日本の劇作家… 堀内 茂男(ほりうち しげお、1933年― )は日本の劇作家、放送作家。 東京府生まれ。学習院大学経済学科卒業。 大学在学中に、演劇集団「マスカラ」の旗揚げに参加し、脚本を担当した。以後、テレビドラマやラジオ等において、構成作家として活動する。 長寿ラジオ番組『JET STREAM』のナレーション構成担当としても知られる。1970年より同番組に参加し、「遠い地平線が消えて…」で始まる有名なナレーションを手掛けた。その後1994年末で一旦降板したが、2002年より同番組の構成に復帰し、現在も取材を行う毎日である。
菅 龍一(すが りゅういち、1933年 - )は、日本の劇作… 菅 龍一(すが りゅういち、1933年 - )は、日本の劇作家、児童文学作家、教育評論家。香川県高松市生まれ。 少年時代を山陰の禅寺で過ごす。 京都大学理学部物理学科卒業。32年間神奈川県立定時制高等学校教諭を務め退職。和光大学講師。1964年『女の勤行』で第10回岸田國士戯曲賞受賞。1982年『善財童子ものがたり』で第29回産経児童出版文化賞受賞。
原子 修(はらこ おさむ、1932年11月13日 - 202… 原子 修(はらこ おさむ、1932年11月13日 - 2024年1月30日)は、日本の詩人、劇作家。札幌大学名誉教授、日本文芸家協会会員、日本現代詩人会会員。 北海道函館市生まれ。北海道学芸大学(現在の北海道教育大学)卒。24歳で処女作『第一詩集』刊行。札幌市教育委員会文化課長、札幌彫刻美術館館長などを歴任。1989年札幌大学教養部教授、総合文化部教授、2003年定年退任、名誉教授。 北海道の縄文文化に関心が深く、『縄文の花』『縄文の夜明け』といった詩劇や叙事詩を発表した。また、北海道龍馬会の会長も務めた。 2024年1月30日、小樽市内の病院で、肺炎のため死去した。91歳没。
田島 榮(たじま さかえ、1932年7月16日 -2020年… 田島 榮(たじま さかえ、1932年7月16日 -2020年7月20日 )は、日本の劇作家。1956年から劇団前進座に所属し、歴史劇から現代劇まで幅広い作品を脚色、執筆している。 1932年(昭和7年)7月16日、劇作家の父田島淳と母つやの二男として生まれる。1952年(昭和27年)、私立横浜高等学校を卒業し、中央大学法学部に入学するも、1955年(昭和30年)に中退。1956年(昭和31年)、劇団前進座に入座した。2020年7月20日、肺がんで死去。享年88。妹に日本画家の田島奈須美。長男は上原美術館(仏教館)主任学芸員の田島整(1970年(昭和45年) - )。
服部 佳(はっとり けい、1932年7月7日 - 2020年… 服部 佳(はっとり けい、1932年7月7日 - 2020年3月12日)は、東京都出身の脚本家・劇作家。「服部佳子」または「服部ケイ」での制作・執筆した作品もある。 早稲田大学大学院演劇研修科卒業後、ロンドン大学サマースクールで演劇・文学コースを学ぶ。 1955年日活撮影所製作部に入社後、脚本部に在籍。1964年に大映映画「忍びの者・伊賀屋敷」に直居欽哉と共同執筆し脚本家として本格デビューした後、日活を退社後も脚本契約を結んでいたが1968年からはフリーの脚本家としてテレビ・映画で活躍。 1980年からは舞台制作にも携わっており、1990年からは「演劇企画K」を主宰していた。
柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 20… 柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 2019年7月19日)は、日本の劇作家・舞台演出家。宝塚歌劇団専属として活躍した。兄は映画監督の松尾昭典。 大阪府大阪市出身。芝居好きの母に連れられて幼い頃から舞台に親しむ。11歳のときに父が病死、13歳のとき、父の墓参りに訪れた豊橋市で終戦を迎える。戦時中は手に職をつけるために、大阪府立今宮工業学校(現・大阪府立今宮工科高等学校)へ進学。 1950年、大阪府立高津高等学校を卒業後、関西学院大学文学部美学科に入学。大学卒業後に兄の松尾を頼り上京、劇作を志して東京で脚本を書き溜めていたが、26歳のときに宝塚のテレビドラマの脚本募集を知って応募したところ入選、1958年4月、演出助手として阪急電鉄(宝塚歌劇団)に就職する。
吉田 義昭(よしだ よしあき、1932年1月8日 - 198… 吉田 義昭(よしだ よしあき、1932年1月8日 - 1989年5月9日)は、日本の脚本家、劇作家である。初期の別名に吉田 貴彰(よしだ たかあき)がある。日本脚本家連盟信託者。『山ねずみロッキーチャック』、『アルプスの少女ハイジ』、『フランダースの犬』等のテレビアニメーションの脚本のメイン作家として知られる。 日本映画データベース等で混同されている、同時代に活動した脚本家の吉田喜昭(1937年 - 2001年)は同音異字の別人。また、第20回小野十三郎賞(2018年)を受賞した詩人の吉田義昭も別人。 1932年(昭和7年)1月8日、青森県青森市に生まれる。 1950年(昭和25年)3月、青森県立青森高等学校を卒業、満20歳を迎えた1952年(昭和27年)に東京に移る。
定村 忠士(さだむら ただし、1932年1月2日 - 200… 定村 忠士(さだむら ただし、1932年1月2日 - 2001年10月30日)は、日本の編集者、評論家、劇作家。日本フェノロサ学会、日本浮世絵協会会員。 福岡県北九州小倉出身。旧制五高卒業。1954年、東京大学文学部仏文科卒業。のちに日本読書新聞・日本エディタースクールで同僚となる吉田公彦(旧名:谷川公彦。谷川雁ら谷川兄弟の末弟)とは、五高・東大とおしての同級生。 日本読書新聞に入社し編集者に。1958年の週刊読書人創刊による分裂時にも編集部に残り、編集長の巌浩の片腕として活躍。1962年からは編集長もつとめた。 1965年には谷川雁らが創設したラボ教育センターに入社。のちの、ラボ教育センターの分裂時には、谷川と行動をともにし、1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加。
福田 善之(ふくだ よしゆき、1931年〈昭和6年〉10月2… 福田 善之(ふくだ よしゆき、1931年〈昭和6年〉10月21日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、俳優。本名、鴻巣 泰三。
糸 文弘(いと ふみひろ、1931年5月9日 - )は、日本… 糸 文弘(いと ふみひろ、1931年5月9日 - )は、日本の映画監督、脚本家、劇作家、演出家である。本名は糸 弘毅(いと ひろき)。1950年代に松竹演劇部に所属して「石井均一座」等の軽演劇・喜劇の作家として活動し、1965年(昭和40年)には映画製作会社LL企画プロダクションの設立に参加して、成人映画の脚本・監督を手がける。その後、劇団三文館を設立、戯曲・演出を手がけてアングラ演劇に転向した。 1931年(昭和6年)5月9日、鹿児島県大島郡名瀬町(のちの同県名瀬市、現在の奄美市)に生まれる。 第二次世界大戦後、5年制の旧制・神奈川県立商工実習学校に進学、同校は1948年(昭和23年)4月1日に新制高等学校に切り替わり、神奈川県立商工高等学校と改称している。
西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本… 西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本の男性俳優、声優、演出家、映像ディレクター、吹き替えディレクター、翻訳家、劇作家。本名及び演出家としての名義は大西 桂太。翻訳家としての名義は秋元 良介。大阪府出身。 1956年、大学在学中にぶどうの会演出部に入団。早稲田大学演劇科卒業後はTBS放送劇団、青年工房、土の会で俳優・声優として活動後、フリーランスとなり、日本合唱センター、劇団アトリエ座、劇団どらま座、声の劇団イマージュ(代表を経て、顧問)、演劇企画集団「人」などを設立した。 日活芸術学院、東京アナウンス学院などで講師も行っていた。 2017年、親戚関係にあたる高嶺巌によって引退していることが明かされた。
有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月2… 有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月20日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の小説家、劇作家、演出家。和歌山県和歌山市出身。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、読者を惹きこむ多くのベストセラー小説を発表した。カトリック教徒で、洗礼名はマリア=マグダレーナといった。代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『恍惚の人』など。娘にエッセイストの有吉玉青がいる。正確には「吉」の字は下が長いのだが、小説を書いていた頃には活字がなかった。
木庭 久美子(こば くみこ、1931年1月14日 - 202… 木庭 久美子(こば くみこ、1931年1月14日 - 2024年9月14日)は、日本の劇作家。 東京生まれ。旧本名福家久子。明治大学仏文科卒。1956年、前年妻を失った明大教授・中村光夫(本名木庭一郎)と結婚。1979年頃から戯曲の勉強を始める。1985年神奈川県演劇コンクールに脚本「友達」が第一位、文化庁創作作品募集で「父親の肖像」により舞台芸術創作奨励賞、1988年1月戯曲「父親の肖像」を書いて劇団昴によって福田恆存の演出で上演され劇作家デビュー。同年7月夫を喪うがその後も劇作を続け、1991年「カサブランカ」で菊池寛ドラマ賞奨励賞、「さよならパーティ」(1992)「ピアフの妹」「夢二の妻」(1998)「選択 一ヶ瀬典子の場合」(2008)などを上演している。
深瀬 サキ(ふかせ サキ、1930年10月18日 - )は、… 深瀬 サキ(ふかせ サキ、1930年10月18日 - )は、日本の劇作家。本名・大岡かね子。 静岡県沼津市生まれ。沼津学園高等女学校(現・飛龍高等学校)卒業。1970年代より『ユリイカ』や『文藝』に戯曲作品を発表している。そのほかにラジオドラマ『堀川の姫』、小説『花びら闇』がある。 夫は詩人の大岡信、息子は作家の大岡玲、娘は画家・詩人の大岡亜紀。
内田 栄一(うちだ えいいち、1930年7月31日 - 19… 内田 栄一(うちだ えいいち、1930年7月31日 - 1994年3月27日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家、脚本家、演出家、映画監督。 岡山県出身。実家は岡山市内の古書店。鎌倉アカデミア中退。 若い頃には安部公房に師事。新日本文学会に入会して小説家としてデビューする。1974年には金子正次らとともに、劇団東京ザットマンを旗揚げするなど、アングラ演劇の活動も盛んに行っていた。 1930年(昭和5年)、岡山市に生まれる。生家は老舗の古書店。1945年、中学三年生のとき、高射砲の弾を作る工場に動員される。岡山大空襲で家を失い、愛媛県などに疎開。15歳の夏に終戦。戦後は、高校に通いながら、詩作と小説執筆に熱中。
松原 正 (まつばら ただし、1929年12月22日 - 2… 松原 正 (まつばら ただし、1929年12月22日 - 2016年6月8日) は、日本の英文学者、評論家、劇作家、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 自らも保守派でありながら、革新派は元より西部邁や西尾幹二ら保守派に分類される論客への厳しい批判で知られる。 東京都生まれ。1952年、早稲田大学第一文学部英文科卒業。学生時代より福田恆存に師事し、正字体、歴史的仮名遣で文章を書く。 早い時期から文藝評論家を目指し、高田保を通して福田の知遇を得た。のち英米演劇を専門にして翻訳のみならず幾つかの戯曲を発表、早稲田大学で教鞭をとることになる(文学部非常勤講師→社会科学部助教授→文学部教授)。 かつて『中央公論』などにも文章を発表、産経新聞にも寄稿したことがあるが、1980年代以降は主に『月曜評論』などのミニコミ誌に執筆していた(2004年8月号で同誌が廃刊)。
山本 鉱太郎(やまもと こうたろう、1929年9月15日 -… 山本 鉱太郎(やまもと こうたろう、1929年9月15日 - )は東京都江東区深川木場出身の旅行作家、劇作家。現在千葉県流山市在住。栃木県立足利高等学校、群馬大学卒。旅行をテーマにした作品の小説が多い。日本旅のペンクラブ代表。 2005年12月、社会教育功労者として文部科学大臣より表彰される。日本ペンクラブ、日本推理作家協会、旅行記者クラブ、日本旅のぺンクラブ、旅行作家の会会員。趣味はカメラ、郷土玩具収集、料理、水泳、ハーモニカ、スケッチ。いまも年間100日は国内外の旅を続けている。
高橋 治(たかはし おさむ、1929年5月23日 - 201… 高橋 治(たかはし おさむ、1929年5月23日 - 2015年6月13日)は、千葉県千葉市出身の小説家、劇作家、映画監督。 刑事ものである「神崎省吾シリーズ」は2時間ドラマの原作として度々映像化されている。 「さすらい波太郎」シリーズなどの釣りに関する小説も多く、また環境や釣り人のマナーについての辛口のコメントも発表し続けている。 また、好角家としても知られ、1990年から2012年まで本場所中には中日スポーツ・東京中日スポーツに観戦記「私は見た!」を連載していた。その中で高橋は近年の力士の大型化を憂い、技能に優れた力士の登場を願うような記述が多い。また、朝青龍の素行にも批判的な立場を取っている。
大西 信行(おおにし のぶゆき、1929年5月8日 - 20… 大西 信行(おおにし のぶゆき、1929年5月8日 - 2016年1月10日)は、日本の劇作家、脚本家、演芸研究家。正岡容の門下。同門には小沢昭一、永井啓夫、3代目桂米朝、都筑道夫、加藤武、小島貞二らがいる(小沢昭一、加藤武とは、麻布中学・早稲田大学を通じての友人)。俳号は獏十。
高橋 玄洋(たかはし げんよう、1929年3月24日 - )… 高橋 玄洋(たかはし げんよう、1929年3月24日 - )は、日本の脚本家、劇作家。島根県松江市出身。 松江生まれだが先祖伝来は広島県。松江市立内中原小学校2年のとき、父親が40歳になって大学へ入り直すため一家で広島市に移り、広島市立袋町小学校に転校。父親は教育者で、のち広島県尾道市助役を務めた。4年後父が大学を卒業し朝鮮へ赴任したため、平壌、釜山、新義州と少年時代を外地で過ごす。朝鮮船橋里小学校、平壌第一中学校、釜山中学校(現・釜山高等学校)と転校を繰り返し、新義州中学校4年のとき、海軍兵学校最後の78期生として入学。1945年8月6日原爆投下の日には、広島市郊外で勤労奉仕中で、当日市内に救援に入った。
八木 柊一郎(やぎ しゅういちろう、1928年12月20日 … 八木 柊一郎(やぎ しゅういちろう、1928年12月20日 - 2004年6月14日)は神奈川県出身の劇作家である。本名は八木伸一。旧制山形高等学校中退。
遠藤 啄郎(えんどう たくお、1928年12月4日 - 20… 遠藤 啄郎(えんどう たくお、1928年12月4日 - 2020年2月7日)は、日本の劇作家・演出家・舞台用の仮面作成者。横浜ボートシアター代表。本名は遠藤 琢郎。
かたおか しろう(片岡 司郎、1928年12月3日 - 20… かたおか しろう(片岡 司郎、1928年12月3日 - 2005年11月23日)は、日本の劇作家。 大阪府生まれ。大阪工業専門学校(現・大阪府立大学)卒業。中学校教諭(担当:数学)を経て、1970年より専門劇作家として活動。斎田喬賞、日本児童演劇協会賞、日本演劇教育賞、全児演賞特別賞など受賞。 2005年11月23日、心筋性肺炎のため死去。
村井 志摩子(むらい しまこ、1928年〈昭和3年〉7月12… 村井 志摩子(むらい しまこ、1928年〈昭和3年〉7月12日 - 2018年〈平成30年〉5月9日)は、日本の劇作家・演出家である。国内での活動よりも、むしろ国際的な活躍が目立つ。本名は葛井志摩子で、プロデューサー葛井欣士郎は夫。筆名は井村愛。 広島県広島市出身。広島県立広島第一高等女学校卒業。東京女子大学卒業。舞台芸術学院(第1期生)で土方与志に学び、卒業後、チェコに留学。カレル大学哲学部演劇科学科卒業。博士号取得。広島市の原爆ドーム世界遺産化推進委員(1994年 - 1996年)、日本チェコ協会理事などを務める。日本ペンクラブ会員。日本演出者協会会員。 代表作は「広島の女」。その他、劇作家の別役実、女優の楠侑子らと共に、かたつむりの会の公演に参加し、一貫して演出を担当していた。
森 禮子(もり れいこ 1928年7月7日 - 2014年3… 森 禮子(もり れいこ 1928年7月7日 - 2014年3月28日)は小説家・劇作家。芥川賞作家。 クリスチャンで独身。福岡市大円寺町(現・唐人町)生まれ。福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)卒業。1947年、西南学院バプテスト教会にて受浸(バプテスマ)。1949年まで西南学院大学図書館に勤務。 1950年、第3期九州文学に参加し、処女作『レエヌのある風景』を発表。NHK福岡放送局作家グループのメンバーとなり、放送作家としても活動する。27歳の時に上京して『文芸首都』に入り、北杜夫、なだいなだ、佐藤愛子らと交際。小説「鎮魂曲」が「婦人朝日」の懸賞小説に入選。1963年、「未完のカルテ」で女流新人賞次席。
小幡 欣治(おばた きんじ、1928年6月12日 - 201… 小幡 欣治(おばた きんじ、1928年6月12日 - 2011年2月17日)は、日本の劇作家。 東京市浅草区(現・東京都台東区)出身。東京都立京橋化学工業学校(後の東京都立羽田工業高等学校で、現在の東京都立つばさ総合高等学校)卒業。 元々演劇や文学に傾倒しているわけではなかったが、演劇雑誌の懸賞募集に初めて戯曲を書いて入選したのをきっかけに、1950年に「悲劇喜劇戯曲研究会」に入会。工員、セールスマンなどを務める傍ら演劇界での活動を続け、1956年に「畸生児」で第2回新劇戯曲賞(後の岸田國士戯曲賞)を受賞。菊田一夫の後継者存在とも言われたことがあった。1975年芸術選奨新人賞受賞。それ以降商業演劇だけでなく新劇を手掛け、1999年には第7回「山本安英の会」記念基金に贈られた。
しかた しん(本名・四方晨(読み同じ)、1928年3月6日 … しかた しん(本名・四方晨(読み同じ)、1928年3月6日 - 2003年12月7日)は、日本の児童文学作家・劇作家。 1928年日本統治時代の朝鮮京城府(現:ソウル特別市)生まれ。 父は京城帝国大学教授、岐阜大学学長、愛知県立大学学長を歴任した朝鮮社会経済学者の四方博。母は洋画家、四方れい。 第二次世界大戦の日本敗戦に伴い引き上げ、愛知大学卒業後、中部日本放送に勤務する。児童番組のディレクターを務めながら、1973年に児童劇団「うりんこ」を創設。1982年まで代表、のち名誉代表。愛知大学短期大学部教授を務めた。 2003年12月7日、入院先の名古屋市昭和区内の病院にて、呼吸器不全により75歳で死去。
小南武朗(こみなみ たけろう、1927年(昭和2年)11月2… 小南武朗(こみなみ たけろう、1927年(昭和2年)11月28日 - 2017年(平成29年)7月10日)は、日本の劇作家。テレビ草創期のドラマ演出家。元小樽短期大学学長。 北海道函館市出身。1953年北海道大学文学部卒業。1953年(昭和28年)北海道放送(HBC)に入社。ラジオドラマの作・演出に携わる。同社がテレビを開局するとテレビドラマに移り、TBS系「東芝日曜劇場」の同社制作第1作となる「北緯四十三度」を全編生放送で演出する。以後、北海道の風土を背景にしたドラマ制作の基礎を築く。小南に師事した演出家には守分寿男がいる。1982年定年退職。 1983年北海道大学や藤女子大学で講師(1994年まで)。
岩淵 達治(いわぶち たつじ、1927年7月6日 - 201… 岩淵 達治(いわぶち たつじ、1927年7月6日 - 2013年2月7日 )は、日本のドイツ文学者、演劇評論家、演出家、劇作家。学習院大学名誉教授。ベルトルト・ブレヒト研究の第一人者だった。 1927年、東京市麻布区(現・東京都港区麻布)に開業医の子として生まれる。1944年都立一中四修卒、 1947年旧制東京高校卒、 1951年東京大学文学部独文科卒。 埼玉大学文理学部助手、 1953年学習院大学文学部独文科専任講師、 1956年助教授、1967年教授。1997年定年退職。 ドイツ演劇が専門で、千田是也の門下生である。ベルトルト・ブレヒトの全戯曲を翻訳した。演劇の現場にあって、ハイナー・ミュラーの『カルテット』(ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ『危険な関係』が原作)を訳し、渡邊守章と競演の形で演出を行った。